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ここは自分のまわりのおバカな奴の行動・言動などを紹介するコーナーだ。
なるべく本人を直接見たり本人から直接聞いたものが良いが、信憑性が高ければその友人ぐらいまではOK。もちろん人間じゃなくてもかまわないぞっ。
さぁ、まだ世間に埋もれている貴重なとっておきのバカを紹介してくれいっ!
メールにて投稿は題名「おバカ」で、末尾に自分の名前を入れてね。
ポイントは3ポイント以上〜ーだっ! ダ〜〜〜ッ!!

予約を受け付けない頑固な店員

波照間エロマンガ島@バンコク在住です。
先日の出来事です。タイ在住の知り合いのライターがディープタイランドに住まうタイ人を紹介案内する新刊書籍を上梓しました。わたしはさっそく日本から取り寄せるために某日系大型書店に出向きました。
本のタイトルと作者名、それと出版社名までメモして書店の受付に行き、取り寄せをお願いしました。ところが。

タイトルが少しだけセンセーショナルだったせいか、タイの性風俗案内書、ないしはタイの犯罪レポート集だと勘違いされたのか、その店員に本の取り寄せを拒絶されたのです!!

「この本はうちの書店では取り扱いできません」の一点張り。その店員男性は少しだけ日本語が話せて日本文化にも多少習熟しているのでしょう、丸山某さんのような犯罪ジャーナリストの著書だと完全に勘違いしているようで、この有害図書は輸入できないと思い込んでしまったようなのですね。

わたしはしばらく食い下がりましたが、まったく店員が動じないので取り寄せは諦めました。公序良俗を乱す書籍ではないんだけれども、な。でも、もしかしたらその店員の判断のほうが正常で、わたしのほうが毒がまわってくるくるぱーになっているのかもしれない、とあとで思ってしまったことも確かなのですが。(波照間エロマンガ島 20/7/13)

(寸評)意外な箇所が引っかかる点になってるのかもしれないしね。わからんねー。5ポイント。

下着をつっこんだ場所

今さっきの出来事。
わたしの部屋には洗い物かごがなく、汚れた衣類は直接洗濯機の洗浄層に入れる習慣になっている。さっきも習慣に従い、昨日着ていたパンツとTシャツを脱いで、洗濯機に入れようと、した。



ところが、寝ぼけていたのか、おバカをやらかしてしまったのだ!

わたしは洗濯機ではなく、無意識に冷蔵庫を開けてそれらをぶちこんでしまったの! なぜなら写真のとおり、わたしの部屋では洗濯機は台所の流しの下にあり冷蔵庫と隣り合っていたから。すぐに気がついて冷蔵庫から衣類を取り出したが、あまりに唐突なアホ行動にわれながら声を出して笑ったよ。

そんなある朝のおバカ行状でした。(波照間エロマンガ島 20/7/13)

(寸評)朝食はパンツのサラダととTシャツのオムレツだねっ! 5ポイント。

痛い

いまこれ書いてる時めっちゃ横っ腹が痛いです。痛すぎて変な笑顔がでます。痛すぎて歯磨きができません。
こんな痛み人生はじめてかもしれないいいいいああこれマジでやばいやつやあああああああああ(ナタデンココ 20/7/13)

(寸評)「医者はどこだ!」と探すか、痛い腹を切り取ってください。4ポイント。

砧本村



波照間エロマンガ島@タイランド在住です。
これは東急田園都市線と大井町線の乗換駅、二子玉川駅前バス停の「砧本村」行きの停留所とバス画像です。 これ、なんと読むかわかりますか。

「きぬた・ほんむら」と読みます。
ところが、わたくし小学生の頃は地元だったにもかかわらず、これを「きぬたもと・むら」と読んでいました。世田谷区には「むら〔村〕」がまだあるんだ、のどかでいいなぁ、と勘違いしていました。

2006年当時の友人からの情報によると、「玉電が渋谷から二子玉川園まで走っていたとき、二子玉川園からさらに砧本村まで路面電車が走っていました。その名残で、このバス路線が細々と残っているそうです。現在の二子玉川駅から高島屋SCの方にまだ路線跡が残っています」とのことでした。

そういえば市電の路線跡見たことあるー、と思い出したしだいでした。そんな読み間違いのおバカ案件でした。(波照間エロマンガ島 20/7/13)

(寸評)そういうのあるよね。つくばに住んでいた時「東大通」を「東大・通」と読んで、ここに東大の分校でもあるのかな、と思ったら「東・大通」(ひがし・おおどおり)だったな〜。5ポイント。

サンシャイン60ビルにて

前職の同僚の友人Yさんから聞いた話を思い出しました。

Yさんが東京池袋のサンシャイン60にある会社で働いていたころ。
まだオープンしたてで、ビル内にはテナントがほとんど入っていない閑散とした状態でした。外資系の会社ばかりで1フロアに1、2社しか入居してない階も多かったらしいです。

ある日Yさんがエレベーターホール付近を歩いていると、エレベーターのドアが開きっぱなしになっていて、そこに2〜3人の外国人(アングロサクソン系)がいて、何やら騒いでいたらしい。
何かなあと思って近づいてみると、なんと・・・

エレベーターの中に異様に長い一本グソが放置されていたんですって!!

そのクソを見て、外人たちが笑って嬌声を上げてたの。
「オマイガー!」とか言っていたそうです。Yさんは急に笑いがこみ上げてきて、つられてげらげら笑いました。
するとその外人たちに話しかけられたそうです。

「オマエタチ日本人ハ、コンナニ長イ硬イ1本グソヲスルノカ?スゴイナァ!!オレタチハ、ボソボソノ小サナ固マリノヨウナウンコシカ出ナイゾ」
っていうようなこと言われたんだって(笑)!!

……この情景、想像するだけで可笑しすぎます。しかしなぜエレベーターの中にに1本グソがあったのでしょうか。ミステリーです。 (波照間エロマンガ島 20/7/3)

(寸評)我慢できなかったのか...。でもサンシャイン60じゃエレベーター使う人も多いだろうからそこでするのはかなりの難題。
嫌がらせでどこからか持ってきたのかな? 7ポイント。

行き当たりばったりおバカ旅行@ナコンパトム (2015年7月11日、52歳)

1ヶ月ぶりに週末土日が休日になったので、タイ国内の何処かへ1泊2日の国内旅行へ行ってみようと思いつき、とりあえずタクシーでバンコクの中央駅にあたるホアランポーン駅に行ってみた。

するとちょうどすぐ発車の9時20分発のホアヒン行きの鈍行があったので、切符を買って列車に乗り込んだ(44バーツ)。ところが…。
発車時刻の数分前に乗り込んだので車内はぎゅうぎゅうの満員。仕方なく、車内の最後部のデッキに立つことにした。ホアヒンまでは約4時間の旅、そのうちにお客さんも降りて座れるだろう、と。ところが小一時間ほど立っていたが、冷房無しで人大杉の環境に発狂しそうになり、「もうしんぼうたまらん!」と停車したある駅で飛び降りるように下り、ベンチで休憩。名前も知らない駅は、その後の調べで「サラヤー」駅と判明した。

10分ほど休むと、バイクタクシーのお兄さんにロットゥー乗り場を尋ね、バイクで行ってもらうことにした。列車は暑いし遅いし、ロットゥー(ミニバン)の移動のほうが少なくとも冷房は利いているのでいいだろう、と考えたのだ。というわけで国道沿いまで送ってもらうと、「ここで待ってればくるよ」と言われた。すると、ちょうどぺチャブリー行きと書いたロットゥーが30mくらい先に停車した。「おー、待ってー」と乗ろうとしたが走り去ってしまった。ぺチャブリー県はホアヒンの手前に位置する海沿いの県で乗り継ぎになるが、ホアヒンにも行けるだろうと思ったのだ。2〜3分待つと、次のロットゥーが来て停車した。
ドライバーに「ホアヒンに行きたいのですが」と尋ねると、「ホアヒンは行かないよ。これはナコンパトム行きだ」と答える。私はその刹那、「もうホアヒンじゃなくてもいいや、ナコンパトム経由でカンチャナブリーへ行こう」と瞬間的に判断し行き先を変更、そのロットゥーに乗ることにした。30分くらいしてナコンパトムに着いたのであった。

ここは、世界最大の仏塔をもつ寺院で有名な場所で私も旅行者時分2回ほど来たことがある。バンコクの西方50kmくらいに位置する。鉄道はここから南部方面とカンチャナブリー方面に分岐するのだ。



ちょうどお昼だったので冷房の効いているレストランに入り昼食をとった。インターネットで情報を収集すると、午後3時にカンチャナブリー方面行きの列車が来るとのこと。それまで界隈をぶらぶらしてまた列車に乗ってカンチャナブリーへ行こう。何故カンチャナブリーに拘るかと言うと、タイ人の同僚から以前から「○○というホテル、すっごくいいから、リフレッシュできるよ」と勧められたからであり、10年間くらい行ってないので行きたくなったという理由もあった。 午後2時過ぎ、ナコンパトム駅へ。切符を買おうと窓口に行くと、駅員さんに衝撃的なことを言われる。「今、ナコンパトムからナムトック間は整備工事中で運休していますよ」と。ガーン!!
私はめげずにカンチャナブリー行きのロットゥー乗り場を駅員さんに尋ね、そちらに歩いて向かった。すると目の前にバンコクのBTSバーンワー駅行きのバスが停車していた。そのバスを見ると、もうカンチャナブリーなんかどうでもよくなってしまい、バンコクに帰りたい衝動が大きくなり、そのバスに飛び乗ってしまう。

結局、そこから2時間かけバンコクに戻り、午後5時過ぎ帰宅したしだいである。
目的到達に向けての意志が薄弱な「行き当たりばったりおバカ旅行」はこうして終わったのでした。ま、ナコンパトムに行けたから良し、としましょうか。(波照間エロマンガ島 20/7/3)

(寸評)ナコンパトムは俺も10年以上前にひとりでふらりと行ったことがある。仏塔以外は普通のタイの街だった印象だな〜。6ポイント。

抜かれる

僕は結構剛毛で、特に腕毛が人一倍多いです。
するとどうでしょう、皆が腕毛を抜いてくるではありませんか。
別にそんな痛くもないし僕もネタになればそれでいいと思ってるんですが...
人の腕毛抜いて楽しいか!?(ナタデンココ 20/7/3)

(寸評)無料腕毛処理だね! 今度俺にも抜かせてね! 5ポイント。

タイマッサージ師の女性の施術中のジョーク

波照間エロマンガ島@タイランド在住です。
今から10年ほど前、タイ・チェンマイの古式マッサージ店で施術中のマッサージ師(タイ人女性)との会話にて。以下のような会話がありました。

マッサージ師〔以下、マ〕「日本ってタイマッサージはいくらするの?」
私「一時間で2000バーツ〔6000円〕くらいかな」
マ「高いわね!」
私「うん、高いよ。だからタイに来る日本人は皆マッサージばかり来るんだ。安いから」
マ「ほかにどんなマッサージがあるの?」
私「日本式、中国式、台湾式、ベトナム式、ハワイ式、いろいろあるよ」
マ「ミャンマー式は?」
私「ミャンマー式はないな」
マ〔もうひとりのマッサージ師に向かって〕「あなた、ミャンマー式はないってよ」
もうひとりのマッサージ師「わたしはタイ人だっちゅーの」〔ほかの施術師たち爆笑〕

チェンマイの人はこんな感じで近隣国や山岳民族、イサーン〔タイ東北部〕地方の人などに対して、ちょっと差別的なジョークを言ったりします。
タイ東北部イサーン地方の人たちはカオニャオ〔もち米〕ばかり食べていて、くちゃくちゃよく噛むからあごの関節が張ってる、とかあっけらかんと平気で言います。

人間はコミュニティーの外部に自分より劣位の存在を作って、優越感を持つことで精神的な安定を得るということは、世界中どこでも共通の特徴があるみたいです。
タイ人はミャンマー国境が近いほか、近隣の山岳地帯に住む少数民族が山を下りて出稼ぎに来ている人がいたりする理由で、ミャンマー人や少数民族の人たちに対して、そういう種類のジョークがよく交わされます。

それもこれも日本のように島国ではなく、陸続きの国ゆえの事情だと思います。タイに住む外国人としては、ちょっと気をつけたい微妙な話題ですね。(波照間エロマンガ島 20/6/22)

(寸評)あ〜、俺も初めての海外旅行で香港に行った時、バスガイドが水上生活者をアヒルだ、アヒルだと揶揄していて、本人はジョークのつもりで大笑いしていたけれど、その観光バスに乗ってた外人観光客は誰も笑ってなくて凄い距離があったのを鮮明に覚えてるなー。6ポイント。

石川さんの「くだらなコレクション」の先輩(?)2人

 表題の通りです。石川さんの空き缶コレクション・納豆パッケージコレクション等々と、よく似たことをやっている人を発見したので紹介します。

 1人目は、志賀重昂(1863-1927)という人です。『日本風景論』を書いた地理学者、国粋主義(と言っても、西洋をむやみに尊重してはいけない、というような柔軟な国粋主義だそうですが)の思想家として有名な人です。この人は日露戦争の旅順包囲戦に観戦員として従軍し、乃木希典と親しくしていたそうで、その時に集めた「日露戦争コレクション」が、志賀の故郷である愛知県岡崎市に所蔵されています。僕もちょっと前に見ましたが、どう表現したらいいのか分からない物ばかりです。ちょっと紹介しますね。


・ロシア兵の革袋・・・日本が勝利した後、戦地に落ちていたのを拾ってきたそうです。志賀重昂の息子に、通学鞄として与えられました(しかも、大将・乃木希典が「これは志賀○○の鞄である。日露戦争でロシア兵が使った物だ」ということを書き、ご丁寧に大きく署名までしています)。2人とも、こういうのをあげたら子供は喜ぶとでも思ったのでしょうか。僕なら、こんな誰が使ったか分からない鞄、触りたくもないですけど。

・ロシア兵の手帳・・・戦死したロシア兵が持っていたものだそうです。戦死体から盗ってきたのでしょうか。何かの呪いがありそうで、気持ち悪いです。

・日本軍・ロシア軍の武器を組み合わせて作った茶壷・・・平和の象徴ということでしょうか。単なる錆びた筒にしか見えませんが。他にも、鉄条網を使って作った火箸もありました。血とか、戦死者の怨霊とかが付いてそうで、これも使う気になれません。

・砦(違ったかも)を作るのに使われた小石・・・こぶし大。どこからどう見ても普通の小石です。


こんな感じで、傍目にはゴミとしか見えない品々が、立派なガラスケースの中に鎮座していました。こんな物まで収蔵管理しなければならない、博物館の方々の心中、お察しします。


2人目は、とある機械会社社長です。けっこう大きい会社らしく、自社ビルを持っているとか。この人の存在を知ったのは、中部財界社という出版社が出している、中部地方の会社役員の蒐集品を紹介する本の中でした。中部「財界」社が発行しているだけあって、文化財指定を受けた高そうな刀剣を持って、物は買ってみないと分かりませんとか貧乏人の神経をいちいち逆なでしてくる老人がいっぱい出て来てムカついていたところ、この人が出てきました。

 この人は箸袋を集めているそうです。もちろん、割りばしに付いている袋です。今までに3万点集め、箸袋コレクターの会を作ったそうです。そこそこの規模の会社の偉い人なのに、やっていることがすこぶる庶民的で、そのギャップが面白いと思えましたね。

 たしかに箸袋には色々なデザインがありますし、しかもタダです。お店からしても、持って行ってくれたら、かえってごみが減ってありがたいかもしれません。そういったところは、石川さんの空き缶とも通じるように思いました。(未成年 20/6/22)


(寸評)箸袋の方は、昔テレビ番組で一緒になったことがあるなー。コレクターの会の人数名で出てた。
元々俺は友達の「穴あきブロック塀(の写真)」コレクターと、「九九の成立している車のナンバープレート(の写真)」のコレクターという、ふたりの友達に感化されて始めたんだけどね。
そのふたりが所属していた「路上観察学会」の赤瀬川原平さん界隈にいた考現学の人たちは、それぞれ他の人が誰も集めないようなものを集めている人たちが多くて、調べてみるとおもしろいよー。6ポイント。

小職「便失禁」がもれなくついてきます、あ、この場合「もれもれでついてきます」か。。

波照間エロマンガ島@もうすぐ58歳です。今日の出来事です。(尾篭な話題ですので嫌いな方は読まないでください)

会社が休みだったので、自宅でのんびりしていました。
その間、お通じは3回もよおしました。1度目は普段どおり、目覚めて朝食前の時間でした。もりっと快便で便のきれがよいのでトイレットペーパーは少なくすみ、ウォシュレットすると気分爽快でした。

朝食はタイごはんでした。屋台で昨日のうちに買い置きしていたもち米に豚の串焼き、それにソムタムタイをいただきました。ソムタムとは青パパイヤにトマトやピーナッツ、コリアンダーなどの具材を木の臼にたたいて作るタイ式のサラダでタイ人にはよく食べられているサラダです。
ところが、このソムタムがよくなかったみたいで、朝食を終えて30分もしないうちに第2の便意が訪れました。

ソムタムの香辛料が身体を刺激したのでしょうか、2回目のお通じはやや軟便気味でした。トイレットペーパーをいくら使ってもお尻はきれいになりません。そこでわたしは手元にあった文庫本を手にして、少し長めにトイレで時間を過ごすことにしました。いつもでしたらそうやっていると、自然に便意は解消され健康を取り戻せる場合が多いのですが、そのまま「下痢状態」に体調が遷移することもよくあり、後者にならなければいいな、と思いながらトイレ時間を終えました。

昼食をいただくと、またもや便意が現れました。今度も軟便でした。少しだけ心配になります。
そして午後4時過ぎに、近くのスーパーマーケットに買物に出掛けました。今晩の夕食と明日の朝食、それと日用品を買い揃えました。ところが買物を終えてマンションに帰ろうとすると、とつぜんスコールが降ってきました。これではずぶ濡れになるのでスーパーマーケットに隣接するコーヒーショップで雨宿りすることにしました。

30分ほどアイスコーヒーを飲みながらスマートフォンをいじって雨宿りしていると、またしても便意が生じました!! 本日4度目です。今回はとても緊急性を帯びていて、すぐにこのスーパーマーケットのトイレに駆け込まなくては間に合わないレベルの便意でした。

しかし、わたしは両手分の荷物いっぱいのショッピングバッグをもちながらの移動だったのでとても苦労しました。なんとか2分くらいで公衆トイレに到着、バッグを個室トイレの扉のハンガーに立てかけます。それで次に便座をおろして、はいているずぼんと下着を同時におろした瞬間、ぎりぎりで排便は間に合いました。いえ、間に合いませんでした。下着を少し汚してしまいました。

おおおぉ、ノーーー!!!

最近気づいているのは以前だったら、肛門括約筋は排便ぎりぎりまで頑張ってくれてその口は開かないのですが、57歳の初老の男性のそれはもうかなりな状態で、弱くなっているんですね。これはしょうがないことなのでしょうかね。 全力を肛門の閉鎖に注いでいるのですが、門のほんのちょっとのすき間からちょろちょろちょろと漏れてしまうんです。

わたしはおのれの無様さに内心泣きながらトイレットペーパーで下着に付着したうんちを取り除きました。念のためお尻まわりや太ももにもうんちがついてないか確かめてトイレを後にしました。そして帰宅するとすぐにシャワーを浴び、下着の洗濯をしました。まぁ加齢による生理現象なのでこれは仕方ないのかもしれないですが、こんなおバカ案件も笑ってすませていこうと思います。

という、波照間エロマンガ島とつきあうと「もれなく」、否「もれもれ」で「便失禁」がついてきますよ、というおバカ案件の巻きでした。(波照間エロマンガ島 20/6/22)

(寸評)俺も50歳を過ぎてから、特に外国ではよくある。もー驚きもしない。
パンツを買う回数は増えた。8ポイント。

同じく

カルロスイベリコ豚さんの、授業中にオナニーをしたという投稿がありましたが.......

僕も一回やりました。(ナタデンココ 20/6/22)

(寸評)おっ、みんな意外とやってるのか〜。
問題は出したものをどうするかだな。6ポイント。

大酒呑みの名言(?) その2

以前の投稿に引き続き、我が母親の飲んだくれぶりを紹介します。

しばらく断酒していた母親ですが、5月30日の夜、ワインをボトル1本呑み、例によって酔いつぶれてしまいました。すごく長い間風呂に入っていたので、様子を見に行くと「いい気分〜」とつぶやきながら沈んでいくわ、まともに立って歩けないわと散々でした。

次の日の朝、神妙にも「もう今月はお酒を飲みません・・・」と反省している様子でした。一瞬いいことだと思ったのですが、よくよく考えてみると、今日は5月31日、つまり、5月最終日です。

・・・ということは、「あと10時間ぐらい禁酒します」というだけのことじゃないか!いいことでも何でもない。

 また別の日。いつも通り朝から酒を飲んでいい感じになった母親が、「息子2人がしっかりしているから、こんなにお酒を飲める。いつもありがと〜」と言って抱きついてきました。いつもは「息子がだらしなくて困る」とか言ってたのに。こんな風に褒められても全然うれしくないのだが。ちなみに次の日、「息子たちが言うことを聞いてくれない、ストレスでもう酒を飲むしかない」と言ってました。結局、どう転んでも人のせいにするんですね。(未成年 20/6/22)

(寸評)酒飲みだね〜。俺も飲むけどベロベロまでは最近はならないな。
お風呂は本当にちょっと危ないので、それだけは止めてやってね。6ポイント。

バンコク「地図上の発見」

こんにちは、波照間エロマンガ島です。わたくしがタイのチェンマイからバンコクに引っ越してきたのは、2012年3月31日でした。そのときはまだ就職先が決まってなかったので、就職活動しつつバンコクの地勢を知るために、地図を片手にバンコク都内を自転車で移動し、土地勘を養っていきました。さいわい半月ほどで就職は決まり、バンコク自転車散歩はしなくなりましたが、観光客があまり行かないディープスポットを多く発見、週末の休日を使って探検するようになりました。

さて、バンコクはチャオプラヤ川の河口部分に堆積した土砂が地面をもちあげてできた「チャオプラヤデルタ」という三角州地帯にできた都市であります。上流に降った雨が下流に流れて来るさいに大洪水を繰り返したチャオプラヤ川は、長年のあいだに現在の地形が生成されました。現チャクリー王朝のもととなる旧トンブリー王朝は河口から15キロ以上内陸にきたところにでき、そこを中心にして現在のバンコクができていきました。

最初に以下の地図をご覧ください。バンコク首都圏から南に数キロいったところ、チャオプラヤ川がこのように蛇行しています。



川の蛇行で半島上に出っ張った場所は「プラプラデーン」という地名で、うっそうとしたジャングルのような地勢になっています。ぽつんぽつんと人家がありますが、小さな水上マーケットはあるものの外国人観光客はあまり訪れません。というのも対岸はバンコクの首都圏なのですが、この場所は開発が遅れ、いまだに橋も通らず渡し船での往来になっているからです。半島の入り口は地続きで自動車も入ることはできますが、バンコク都内からだと相当な迂回ルートとなっています。いわば本当の陸の孤島なのです。
わたしは旅行者時分からこのプラプラデーンには興味をもっていて、一度行ってみたいと思っていました。以下に貼り付けた画像の製品を連想したからです。



これはエネマグラという前立腺マッサージ用の器具です。20世紀の終わりにアメリカの泌尿器医が開発した医療用器具が21世紀に入り、性具として発売されて全世界的人気を得るようになりました。(わたしは研究用?に購入しました)

なんか、地図のかたちとこのエネマグラのかたちが非常に似通っていると思うのですが、皆さんいかがでしょう。
ふたつを見比べると、プラプラデーンの半島の突起は、エネマグラでちょうど会陰部(睾丸と肛門のあいだの性感スポット)を刺激する小さい突起部に似ているように見えます。
ここに探検に行ったときのレポートを拙ブログに掲載しましたので、ご興味のある方はご高覧くださいませ。
http://rive-gauche.jugem.jp/?eid=113

また、「王様の耳はロボの耳」話題336「住みたい所」16/12/16にこのプラプラデーンを紹介してあります。(波照間エロマンガ島 20/5/31)

(寸評)地形っていろいろに見えるよね。有名どころではイタリアが長靴とか。俺も日本をこんな歌にしてる。

♪日本列島たちあがる 北海道を顔にもち
長い胴体本州だ 太平洋をザバザバと
縦横無尽に駆け巡る 放射能を撒き散らせ

たちあがる日本 たちあがる日本 たちあがる日本 たちあがる日本

日本列島たちあがる 右手は能登半島で
左手房総半島だ 短い手をバタバタと
四国九州足退化 放射能を撒き散らせ

たちあがる日本 たちあがる日本 たちあがる日本 たちあがる日本

ま、一瞬で消えた政党「たちあがれ日本」を揶揄した歌詞なんだけどね。6ポイント。

自転車泥棒事案



15年ほど前のある日、働いていた銀座の会社の近くにて見つけました。
自転車の車輪だけ盗まれています。なんかそこはかとない「マヌケ美」を感じました。泥棒がこの自転車を盗もうとしたときの心境とか、この自転車の持ち主がこの場所に戻ってきてこの自転車を見た瞬間に何を思ったかとか、この自転車のフレームを抱えてとぼとぼ帰る姿とか、いろいろな映像を想起してしまいました。車輪のない自転車って得もいえない悲しみを感じますね。(波照間エロマンガ島 20/5/31)

(寸評)俺はサドルだけ盗まれたことがある。尻が痛い。6ポイント。

我慢できず

オナニーって、初めたころは狂ったようにやりますよね。
私もそうです。
風呂場だろうが、家族が運転する車の中だろうが・・・
極めつけは
授業中にオナニーをしたことがあります。
我慢できなかったからです。
一回くらい、誰でもやるよ・・・ね?
ね!?

・・・あぁ・・・、恥ずかしい(カルロスイベリコ豚 20/5/25)

(寸評)どこに出したのだ。机の中!? 6ポイント。

偶然の一致?

 今年の2月中旬、僕は東京の某大型私大の入試を受けました。英語で長文問題が出たので、読んでみると、何と黒死病の話でした。ちょうど例のウイルスが日本でも広まりつつあった頃です。コロナに罹った受験生をどうするか?という議論が行われるようになってきましたし、僕がこの大学を受験した時も、試験官は全員マスク着用で、あちこちに消毒液が置かれ、会場入り口でマスクが配られていました。何てタイムリーな話題なんでしょう。しかも、話の結論は「移動手段が人の足ぐらいしかなかった中世では、感染症の広まりは極めて遅かった。しかし、現代では、船・飛行機などにより、感染は国境を越えて簡単に広まってしまうので、現代、感染症の爆発的流行は、社会全体に大きな影響を与えるだろう・・・」ということでした。『船・飛行機』とありますが、ちょうどそのころ中国からの入国拒否が決定され、また武漢在住邦人の帰国などがされていました。また、豪華客船でのパンデミックも、この入試の少し前ぐらいにありました。『国境を越えて広がる』『感染症が社会に大きな影響』というのは、もはや説明を要しないでしょう。つまり、今回の一連の騒動を予見したかの文章が入試で出たわけです。

 それにしても、これは偶然の一致でしょうか。普通、入試問題はかなり前に作成され、何人もの人が目を通し、不備などがないか確かめられます。世界最初にコロナ患者が発見されたのは去年の大晦日ですから、入試まであと2か月しかありません。日本で大変なことなり始めたのは、もっと後です。ということは、日本でのコロナ問題の発生を受けて入試問題を作ったのではなさそうです。あとは、「事前に何問か作っておいて、直前に選んだ」ということが考えられるでしょうか。でも、ただでさえ他の業務で忙しい大学教員たちが、そういった面倒なことをするでしょうか。と考えると偶然の一致のということになるのでしょうが、それにしても一致しすぎです。

 で、間抜けなのは僕で、この奇跡的な入試問題(?)に感動してしまい、すっかり集中力が途切れてしまいました。この大学の過去問を5年分ほどやった時、英語ではいつも時間が足りなかったものですから、「本番こそは、ひたすら問題を解くことのみに集中するぞ!」と意気込んでいたわけですが、あえなく失敗しました。

もしかして、こういったアクシデントを狙っての出題だったのか?(未成年 20/5/25)

(寸評)へ〜、それはすごいね。学長が預言者だったら面白いね。6ポイント。

頑丈?

一人暮らし時代、カオマンガイという料理に挑戦しました。
炊飯器に、お米、日本酒、みりん、しょうゆ、そして鶏むね肉一枚を突っ込んで炊飯
結果、美味しいごはんができました。

しかしその日はむせ返るくらいの真夏日。
一日置いたら、ご飯が糸を引いてました、
「おや?納豆混ぜ込みご飯かな?」と思い、何も気にせず食べました。
ゲリは出ましたが、食中毒にはなりませんでした。
今考えれば無謀だったワンシーンでしたとさ。(ズミ天 20/5/25)

(寸評)俺も子どもの頃、夏に出かけた時に母ちゃんにおにぎり作ってもらったが、昼に食おうとしたら糸引いてたことがあったな。
コンビニのなら、保存料たぁ〜っぷり入ってるからそういうことはあまりないけどね。5ポイント。

何度目?

私は自動車免許を持っています。しかし車は絶対運転しません。
なぜなら
卒業試験で、ガードレールに3回ぶつかりそうになり、試験に落っこちたからです。
一度目:目の前の運送屋のトラックをよけようとして失敗
二度目:曲がり切れず
三度目:公園に突っ込みそうになり
・・・、よく路上運転クリアしたな・・・

バイクなら全然いけるのになぁ・・・と思いました。(ズミ天 20/5/25)

(寸評)免許更新には行くのかな?
俺は若い頃原付の免許持ってたけど「バイク合わないな」と思ってポーンと免許捨てちゃったからなー。5ポイント。

船こいで

初めてのライブは大槻ケンヂさんのライブです。
私は、知らない曲ばかりでしたが、「いい曲だなぁ・・・」と思っていました。

ライブも終盤に差し掛かろうとしたとき
私は、慣れないライブハウスで疲れていたのでしょう。
コックリコックリ居眠りをしてしまいました。
すると
「おいおい!寝るんじゃないよ!」
大槻ケンヂさんに笑いながら叱られました。

あの時はごめんなさい。
その数年後、某バンドの某ライブで、徹夜明けにライブにいって、最前列でコックリコックリしていたら、メンバーに怒られました。
あわせてごめんなさい。

歌舞伎座で歌舞伎を見ているときもコックリコックリ。
こちらもごめんなさい。

今はそういう場では寝ていませんよ。トリップすることはありますが。(ズミ天 20/5/25)

(寸評)大きな音聴くと眠くなるってのはあるらしいよ。俺もレコーディングとかでよくあるよ(笑)。6ポイント。

言い間違い

つい最近のお話。
お買い物を頼まれました。
日本酒と焼酎を買ってきてくれと頼まれました
私は
「ポン酒と日本酒買ってくればいいのね!?」
・・・、どっちも一緒だよ・・・(ズミ天 20/5/25)

(寸評)ポン酢だったら良かったけどね。4ポイント。

リコーダーへの侮辱

僕の高校の同級生の中学の同級生に先生のリコーダーを舐め回した人がいるという事を聞きました。リコーダーを舐める人なんて架空の存在だと思っていたのでその話を聞いた時はとても驚きました。
その行為はリコーダーという楽器への侮辱だと僕は思いました。問題はそこじゃ無いと友達は言いますが、リコーダーという楽器は小学生がピーピー鳴らしている楽器と世間で認識されている現状でこんなリコーダーへの侮辱行為を行ってしまったら余計リコーダーがおもちゃ扱いされてしまいます。リコーダー好きとしてはとても許し難い行為です(Kotosan Dog 20/5/25)

(寸評)知久君のバックから生まれた栗コーダーカルテットのおかげでリコーダーのステイタスが上がったよね。
リコーダー吹いて紅白出たのって、俺以外でいるのかなあ? 5ポイント。

喜び方が凄い

どこの学校にも鬼教師はいると思いますが、僕が行ってた小学校にもいました。
小6の時の始業式、毎回恒例の各クラスの担任の発表があります。この時ほどドキドキする瞬間はありません!
順番は2→3→4→5→6、最後に一年生という順番で発表されます。
さて、とうとう6年の最後のクラス。残っているのは鬼教師と優しいS先生。どちらかが6年の担任になる訳です。
さすがに鬼教師は1年生の担任なんかやらない...誰もがそう思って絶望していました。

しかし、発表の時、なんと6年の担任になったのは優しいS先生でした。
その瞬間、喜びのあまりそのクラスの人達が一斉に、
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」と地獄のような大発狂!
それはまるで2020年のオリンピック開催地が「TOKYO」と発表された時のアレに近いようなもの。
それを見た鬼教師はどう思っただろうか...(ナタデンココ 20/5/25)

(寸評)鬼教師ってどれくらい鬼だったのだろう。俺の小中学校はビンタ、蹴りは普通の先生でもやられたなあ。
もしかして火あぶりとか!? 5ポイント。

切り返し1000回の地獄

波照間エロマンガ島@タイランド在住です。今から20年ほど前、東京に住んでいた頃の話です。
友人から業務用のコピー機とプリンターを譲り受けてもらうことになり、仕事が終わったあと深夜に彼のアパートまで取りに行くことになりました。場所は新宿区若松町。女子医大病院から早稲田方面に夏目坂を下っていく通りの途中の路地を入ったところにある建物でした。
彼の部屋は1階にあり、部屋から自動車まではそれほど距離はなく運ぶのは簡単でしたが、ワゴン車に積み終えた後、この路地からの脱出にはめっちゃくちゃ難儀しました。

路地の道幅は狭く微妙にカーブがあり、しかも行き止まりになっており、バックで表通りに戻るのは不可能に近かったです。途中の別れ道を右折してぐるっと迂回路をまわって表通りに出るしか方法はありません。ところが、この右折場所がとても厳しい状況になっており、大きなワゴン車では素直に右折できないような路地だったのです!

わたしは切り返しとバックを重ねてなんとか右折しようと試みました。ところが角度と道幅が足りず、何度も何度も切り返してもなかなか前進できませんでした。その数、1000回は大げさでないほどの回数を切り返しました。そして15分近く頑張ってようやく右折することができました。いや、とんでもない目に遭ってしまいましたよ。自動車学校でもこんなに切り返し練習はしなかったでしょう。ワゴン車ではなく車の前方部にエンジンルームのあるハイラックス系の自動車だったら、たぶん側壁にぶつかっていたと思われます。そんな地獄の思い出でした。

*切り返しとは、狭い車庫や曲がり角で、自動車がそれ以上進むこともバックすることもできない状態、つまり壁や障害物に当って曲がれない時に、ギリギリのスペースに少しだけ自動車がなんとか動けるスペースを作るためのハンドル操作のこと。(波照間エロマンガ島 20/5/16)

(寸評)ブルブルブル。自分だとしたら今でもその場所に...。
俺が免許を取らない理由は不器用、優柔不断が大きい。きっとJAFを呼んでたかも!? 7ポイント。

コロナ渦

最近ブログやSNS、または石川さんのこのHPの投稿で「コロナ渦」と平気で誤字してしまうわたしがいます。もちろん皆さんご存知のとおり「コロナ禍」ですね。「うず」ではなく「わざわ(い)」です。おバカなわたしでありました。ここで謹んでまとめて訂正させていただきます。(波照間エロマンガ島 20/5/16)

(寸評)でも「コロナ鍋」と書いてる人よりはマシかと。それは食いたくないなあ。5ポイント。

赤っ恥電話

タイに引っ越してきてしばらく経った2009年頃。まだ両親とも存命中でたまに電話で連絡をとりあっていた。

ある日、実家から携帯に電話があった。かかってきたときはわからなかったのだが、実家の固定電話の番号の着信履歴が残っていて気がついた。

日本から電話がかかってくることは滅多にないので、もしかして緊急事態かもしらんと思い、日本時間で夜10時を過ぎていたが、母の携帯に電話をかけてみた。留守電になっていた。

メッセージを入れた。

「もしもし、エロマンガ(私のファーストネーム)ですが。昼間電話があったみたいで電話しました。また電話しまーす」

15分後、念のためもう一度、電話をかけてみた。今度は相手はすぐに電話に出た。

「もしもし」と私。
「もしもし?」
「あれ、母さん?」
「えっ??」

なにやらおかしい。間違えてダイヤルしたか?

「もしもし。すいませんが、XXXの携帯ではないですか?」
「違います」
「あ、すいません」
「エロさん?(私の名字を呼ばれた)」
「あれ、どちら様でしょうか?」
「Sでーす!」
「おーーー、すいませーん!!間違えてSさんに電話しちゃいましたー!!お久しぶりですー!!」

電話の相手は、以前勤めていた会社の同僚で、カラオケなど遊びに行っていた女ともだちSさんだったのだ!!
Sさんの携帯電話の番号は母の番号と酷似していて、間違えて登録してしまっていたのだとわかった。

「もしかして、さっき入れた留守電も聞きましたか?」
「はい、だれかと思いましたよ。エロさんだったんですねー」

そうとうに恥ずかしかった。

久々だったのでお互いに近況を話しあって電話を終えたが、留守電に残したメッセージがまぁまぁ無難だったのが救われた。これが普段の親子の会話、言葉遣いだったらと思うと、恥ずかしくて、穴があったら入りたいくらいの心境だっただろう。

翌朝、あらためて実家に電話をした。要件はさして重要なことではなかったのでがっかりした。そんな母も他界してもうすぐ10年。月日の流れるのは早い。

というわけで、赤っ恥電話の一幕でしたー。(波照間エロマンガ島 20/5/16)

(寸評)あ〜、親と話すときと友人と話すときは別人格になることあるからねー。
実は俺と親父の声は似てるらしく、中学生の時に俺の家に友達から電話があり、親父が出たのだけど友達は俺がふざけて親父のフリをしてると勘違いして「やーい、マ○コマ○コ〜」とか散々言った後に本当に俺じゃないと気づいて顔から火が出て焼死したと言ってたなあ。6ポイント。

お前、思いっきりシカトされてるぞ

波照間エロマンガ島、タイランド在住です。
大学4年の卒業時、同級生男子たちと盛り場にぱーっと繰り出して、卒業祝いすることになりました。その同級生たちはまじめでわたしが行くような岡場所にはほとんど行ったことがないので、わたしのアテンドで新宿2丁目や歌舞伎町、新大久保のディープなお店をハシゴしました。ちょっと散財はしましたがとても楽しかったです。

事件は帰りの新宿駅改札口で起こりました。
わたしたちが切符を買っている別の友人を待っていると、向こうから背の高いモデル体型のラテン系美人女性が歩いてきました。わたしは「おっ」というと、その女性につかつかと近づき声をかけました。「こんばんはー」と。
ところがその女性はわたしのことをがん無視です。わたしはその女性に何回も声をかけたのですが、完全に無視して行き過ぎてしまいました。

友人は唖然として「お前、思いっきりシカトされてるぞ」と言いました。
展開が速くいっしゅんの出来事だから友人にはいいませんでしたが、実はわたしはその女性を知っていたのでした。1年前にイタリア旅行に行ったときに別の友人に紹介されて1日ローマを案内してくれた女性だったのです! かなり親密になったと思い込んでいたのですが、彼女はわたしのことを忘れていました。ローマではなくて日本で会えたから「これは運命だー!天啓だ!」と確信したのですが、勘違いだったのですね。「あの、去年○○くんの紹介でローマを案内してもらった…」という言葉は何故だか出てきませんでした。それくらいその女性は完全にわたしをナンパ男と思い込み、ガードをかけてがん無視を決め込んでいたのでした。行く手を阻んだり身体に接触したりしたら、おそらく痴漢扱いで大きな声を出されていたに違いありません。

そんな新宿駅改札での出来事。彼女とは二度と会う機会はありませんでした。もしあれば、本当に運命だったのでしょうけれどね。(波照間エロマンガ島 20/5/16)

(寸評)タイでバッタリ会って、またガン無視されたら...。7ポイント。

それは持ってっちゃだめ

これを書く数時間前、わたしは面接に行きました
難なく終わったのですが、テーブルに出しておいた提出する予定の履歴書類を全てしまってしまいました。 これから謝罪のメールを入れます(ズミ天 20/5/16)

(寸評)メールを入れてもおそらくもう君は...。4ポイント。

置き去り

僕は犬の散歩の時に犬も鞄も家に置き去りのまま出かけてしまった事があります。家から数十メートル程歩いてやっと忘れた事に気付きました。しかも、それを1回では無く複数回やってしまいました。
ここ2年位はそういう事態が無くなったので少しは進歩したと思います。(Kotosan Dog 20/5/16)

(寸評)犬の散歩の時に犬忘れたら、それはただの散歩...。4ポイント。

初期のテレクラナンパ、とほほ失敗編

波照間エロマンガ島@タイランド在住、57歳です。
テレフォンクラブことテレクラは1985〜6年くらいから世の中に登場し、一時期は一世を風靡しました。繁華街でティッシュを女性に配り、そこに印刷されている電話番号に女性が電話をし、テレクラのブースにて電話を待っている男性が電話をとり、女性を口説いて出会いにもちこむという形態のサービス。その頃はまだ携帯電話は普及しておらず、通話は固定電話のみで行なわれていました。
1990年代に入ると「援助交際」という言葉が生まれ、女性側から売春を切り出し男性と手軽に売買春ができるシステムが構築され、犯罪の温床になり社会問題化しました。それ以前は純然たる「ナンパ」を目的にした素人女性のナンパができる場所として、成人男性の夜遊びのひとつの選択肢となっていました。わたしはちょうど大学生から社会人にかけての時代で、テレクラ遊びは一時期かなりはまりましたねー。友人男性と夜な夜な新宿のテレクラに繰り出して遊びました。その後、携帯電話、パソコンなどの普及に伴い、インターネットがコミュニケーションツールとして台頭、出会い系サイトがどんどんシェアを獲得し、テレクラは衰退していきました。

初期テレクラはいろいろな女性と出会ったり、出会わなくて電話で女性と通話するだけでも本当に楽しかったですー。わたくし、電話でおしゃべりするのが大好きだったので性に合っていたんですね。
そういえば同時代には「テレクラ漫画家」として成田アキラさんという人がテレクラで出会った体験漫画を多く描いていたり、また社会学者の宮台真司さんがテレクラにフィールドワークに入り実際の女子学生にリサーチして社会学的アプローチを試みたりしたり、と昭和末期の日本に生まれた社会現象として、良くも悪くも目だっていました。あ、新宿駅西口の交番前に午前3時とか4時とかとんでもない時間にたけし軍団の井出らっきょさんが待ち合わせしているところを頻繁に見かけましたが、あれはたぶんテレクラの待ち合わせではないかと推察しました。よく見かけるということは、わたしもそういう時刻にその場所にいたということに他ならないんですが〔笑い〕。

で、思い返すと、ナンパが成功して相手の女性とねんごろの関係になったこともありますが、そこまでたどり着けず失敗した体験のほうが記憶に残っています。当時は車をもっていたので「今からドライブ行かない?」と誘うと会えることが多かったんですよ。

あるときそんな感じで女の子をひっかけて、深夜のドライブに行ったんです。埋立地のほうとか東京タワーのほうとか行ったのかな。すると女の子が「おなかがすいたのでファミリーレストランに行きたい」と言い出したんです。「自分のよく行く店があるから」というんで、そこから店の指定をされて15分くらい走りました。品川区戸越付近のファミリーレストランでした。駐車場に車を停めると女の子は「すぐ近くに女友達が住んでいるんで、今から呼んできてもいいかな?5分くらいで戻るから」と言って、車を降りて歩いて行ってしまいました。わたしの頭の中ではこの女の子と食事のあと、ラブホテルへしけこむシミュレーションを勿論たててましたから、「もうひとり女の子が増えて、3Pしてもいいかもな」なあんて妄想していたはずです。

と・こ・ろ・が。5分経っても、10分経っても、女の子は戻ってこないではないですか!! 30分以上経って女の子が戻らない事態になり、「あ、こりゃ逃げられた」と気がつきましたよ。よくよく考えたら、女の子はじゅうぶん深夜のドライブをしたからもうこの男とはおさらば、ってな感じだったんでしょうね。それをもう一人女の子を連れてくる、なんてよく言ったものです。これはこの手をよく使っているな、と直観しましたよ。携帯電話がない時代なので相手の情報は何ひとつ知らないのでした。あれから30年くらい経った今から思い返すと、美人局的状況に陥らなくてよかったとも思いますけどね。

そんな初期のテレクラナンパ、失敗編でした。何か別のおバカエピソードを思い出したらまた投稿します。電話嫌いの石川さんはもちろんテレクラには行ったことないですよね?(波照間エロマンガ島 20/5/8)

(寸評)無いねー。友達でも「行ってる」と聞いたのはひとりくらい。
なんせビンボーミュージシャン、お金がないからね。車持ってる奴もほとんどいなかったし。
もっとも逆に女性の方からのアプローチを受けている友達はそこそこいたけどね。
俺以外はみんなよく食ってたんだろーな(笑)。7ポイント。

天使と鼻キッス



2010年4月6日、ニヒル牛2で行なわれた天使イベント(「輪っかをなくした天使のおっさんのひるね屋」)にて「鼻キッス」を注文した。引き攣ってるわたし(当時47歳)。(波照間エロマンガ島 20/5/8)

(寸評)あ〜10年前かあ。ニヒル牛2あってのイベントだったなあ。
今後も一生こういうくだらないことやっていきたい。5ポイント。

条件反射

学生時代、わたしは銀座京橋界隈の画廊めぐりを趣味としてました。現代美術の勉強をしていたので日本の最新のアートシーンを自分なりに吸収し分析していたんですね。今から振り返るとかなり背伸びして難解な美術技法をわかったような気になっていた、いけ好かない有象無象な若造だったわけですが。
まぁそんな謙遜もおりこみつつ、画廊めぐりには大体のルートが決まっていました。
地下鉄銀座線の新橋駅で下車し、銀座8丁目から銀座4丁目をとおり、銀座1丁目、京橋方面へ順繰りに画廊をまわっていくのです。途中休憩に立ち寄る喫茶店や本屋さんも決まっていました。

銀座2丁目の伊東屋(文房具店)を過ぎると、京橋方面に大きな某製陶メーカーの看板が見えてきます。日本の便器やキッチンタイル製品のシェア50パーセント近くを占める某メーカーのショールームがそこにはありました。その大きな看板を見ると、いつもきまって便意が生じてくるのです。でもって、わたしはそのショールームに用を足しに入っていたのでした。当時1980年代前半は日本ではまだウォシュレット式の便器は普及していなかったので、わたしはいつも最新のウォシュレット便器を使って大便していたのです。気持ちよかったー。今もそのときのお尻の感触を覚えていますよ、嘘ですがw。

そんな京橋界隈を歩くと、いつも条件反射のようにもよおしてマーキングしてしまうわたしの話でした。(波照間エロマンガ島 20/5/8)

(寸評)そこのショールームで空き缶やインスタントラーメンの文化講座をその会社に頼まれてやったことがあるなー。
便器と何の関係があったのだろう? 6ポイント。

運転免許試験場の眼鏡

波照間エロマンガ島@タイランドです。わたしが東京に住んでいた頃の話です。
運転免許更新の時期がやってきたので、平日の日中、仕事を休んで品川区鮫洲の免許センターに赴きました。当時わたしは視力が0.7くらいで、ふだんは眼鏡を使用しないで生活していたのですが、自動車の運転にあたっては「眼鏡あり」との但し書きを免許証に記載される視力でした。つまり、運転免許試験場に眼鏡をもっていかなければならない人間だったのですね。

ところがどうでしょう。日常生活で眼鏡を使うことがほとんどなかったわたしがその場所に持っていった眼鏡は、なんと片側の丁番とつる(テンプル)のつなぎ目がとれかかっていて、応急処置でテープで止めているだけの眼鏡だったのです!

まったくの不注意でした。これで免許更新できると思っていたんだからひどいですよね。更新手続きを終え、視力検査をする段になり、片側つるがとれかかった眼鏡をかけたわたしは、試験管の警察官に「だめでしょそんな壊れた眼鏡じゃ。それで運転できるの?何考えてるの!!」と思いっきり叱責され、並んでいる列からはじかれてしまったのです。そのとき30歳前後だったのですが、自分の非常識さにあとから非常に反省させられました。そもそもつるのとれかかった眼鏡で、運転時にこれがはずれて事故でも起こしたらということは、まったく考えもしませんでした。平然といられる神経も今ならどうかと思うほどです。

そういえば叱責されたとき思い浮かべていたのは、そのちょっと前に公開された映画「天国にいちばん近い島」で、不断の事故で片方の眼鏡のつるがとれてしまいテープを眼鏡に巻きつけていた原田知世さんの姿でした。「原田知世がOKなんだから俺もOKだろ」って世の中舐めてましたねー(苦笑)。大林監督にも失礼な考えです。監督、ごめんなさい。

そんな鮫洲運転免許センターでのおバカな思い出でした。(波照間エロマンガ島 20/5/8)

(寸評)原田知世だったら通ってたのかもね...。5ポイント。

学校全体早とちり

小学校高学年時代のくだらない出来事を思い出しました。
ある学期末に校内放送がありました。放送委員会所属の女子児童がアナウンサーとして番組を進行します。
「ここで、退職される先生を紹介します。石田先生(仮名)が今学期末で退職することになりました」
すると、クラス中が湧き上がりました。「やったー!!」「ひゃー、最高ーー!!」
となりのクラスからは万歳三唱が聞こえる始末。

しかし、そのあとみんなの歓声はたちまち打ち消されました。石田先生の挨拶が始まったのです。
「あれ? 石田先生って…」
そうです。みんなが万歳三唱するほど嫌われていた石田先生とは別人の、女性教諭の石田先生が退職の挨拶をしたのでした。
「なんだー、石田違いじゃねえか、ざけんなよ」
クラス中からブーイングが聞こえてきました。

みんなが勘違いしたもう一人の石田先生とは、中年の養護担当の男性教諭で、学校中から疎んじられていた先生でした。やたらといばっていて高圧的、担任をもってないにもかかわらず、そこらにいる児童をあごで自分の用事に使っていたり、学校のあらゆるものを私物化し、支配していたからです。昭和の時代だったらそれが許されたのかもしれませんが、令和の御世ではぜったいに問題になっていたと確信するおっさんでした。
特殊漫画家の根本敬さんの通った目黒区の鷹番小学校にも昭和40年代同じような先生がいて、告発され週刊誌に載り社会問題化して、諭旨免職に追い込まれたそうです。それが根本さんの漫画のキャラクター吉田佐吉の原型になったそうです。そのイメージはこの石田先生〔仮名〕にダブるものがありました。

そんな校内放送で校内全体早とちりの思い出でした。(波照間エロマンガ島 20/5/8)

(寸評)楳図かずお「漂流教室」の用務員さんを思い出すなあ。6ポイント。

デパートの駐車場で…

ある日、デパートの駐車場で駐車に苦戦している車がありました。

1時間くらい経って用事を済まして駐車場に戻ったら、まだ苦戦していました。そんなにすっぽり駐車しなくてもいいと思いますけどね…すこしずれても許してくれると思います。

30くらいたって、忘れ物に気づいてデパートに戻ったら、まだ苦戦。

用事を終わらして駐車場にもどって見るとその車は消えていました。約2時間の格闘の末、ついにあきらめてしまいました。でも少し期待していたんですけどね…。すこし寂しかったりそうでもなかったり…(ポコポコ 20/5/8)

(寸評)俺が車の免許を取らない理由のひとつにこれがある。
優柔不断で駐車場を決められない、決めても不器用でうまく駐車できないだろう自分を想像して。6ポイント。

散歩していたら…

ある日、散歩していたら、髪の毛薄めの男性が歩いていました。

すると、突然大きな声で、「あ‼カツラ忘れた‼」と急いで家に取りに走って帰っていきました。

カツラって忘れることあるんですね…(ポコポコ 20/5/8)

(寸評)忘れてもそんなに大声でそれを言うかね(笑)。ドジっ子だね。6ポイント。

母のジェスチャー

昨夜の事。風呂からあがった母は、お茶をコップに注いで飲む前に私に向かい、「シャンプー残り少なくなってるからポンプをギューッと押して出してや。」と言いながらコップを傾け手の平でお茶を受けてました。
ポンプを押して出てくるシャンプーを手の平で受ける表現をしたかったのでしょうが、勿論、床はお茶浸しになりました。
最近暗い話題が多い中、二人揃って大爆笑した夜でした。(もちっこ 20/5/8)

(寸評)はははっ、動きが連動してしまったんだね。あるある。6ポイント。

シャンプー

僕はお風呂に入りシャンプーをしました。そして、湯船につかりました。そして湯船から出ました。なんと湯船から出た僕はシャンプーをした事を忘れてまたシャンプーをしてしまったのです。その事に気付いた時、僕はショックを受けました。僕は地球の大切な資源を無駄にしてしまっていたのです。これから資源を無駄にしないように気を付けてお風呂に入ろうと思いました。(Kotosan Dog 20/5/8)

(寸評)実は思い出せてないだけで、君は5回シャンプーしているよ...。3ポイント。

初めて女子高の文化祭に出陣、ナンパしようとやる気まんまんだった、が…。

多くの男子高校生がそうだと思うのですが、高校時代はとりわけ女子との交流に餓えているので、あれやこれやいろいろなことを試みました。そんな中で大イベントのひとつが「女子高の文化祭」と言えるでしょう。首都圏の女子高の文化祭へはスケジュールを調べてけっこう行きました。

高校1年の秋のこと。わたしたち野郎グループは、小田急線某駅近くにあるN女子大学付属高校の文化祭に出陣しました。なんだかんだグループが7〜8人に膨れ上がったので、学校の入り口で2名ずつのグループに分かれて行動することに。いかにも女を漁りに来たと思われるのも何なんで、興味のひく分野の展示の教室などをまわったような記憶があります。

その前に、このN女子大学付属高校の校舎は建築家が設計したオシャレな学び舎で、まずわたしはそこにイカレてしまったんですね。吹き抜けがあって光を窓以外のいろいろなところから取り込んで、明るい室内を持つ建物はなんか外国の学校みたいな印象でした。その第一印象があったのでわたしはたちまち気持ちがよくなり、ある教室で行なわれた展示をわたしと友人はぼけーっと鼻の下を伸ばして見ていました。すると、目の前にいた女子生徒がわたしのことを見てニコニコ微笑みかけるではないですか! あれ、この子、どこかで見たことが…、と思うやその女子生徒から声をかけられました。「久しぶりー。うちの文化祭来てくれたんだー」なんと、中3のとき通っていた学習塾でいっしょだった女の子でした。すぐにとなりの友人男子を紹介すると、彼女は向こうから女友達を連れてきて、別の場所に設営されていた模擬店に移動し4人でおしゃべりすることになりました。ここまでは、よかったのですが…。

ちなみに同じ塾だった女の子は可愛くないわけではなかったのですが、いかんせんわたしのタイプではなく、もうひとりの彼女が連れてきた女の子のほうに意識が奪われてしまったのですね、めちゃ可愛いじゃん、と。ところが、友人男子も同じ気持ちだったようで、何十分もおしゃべりするうちに二人がカップリングしていくような方向に会話が傾いていくので、わたしは内心ひどく落胆していきました。ところが同じ塾だった子は、わたしに再会したことで彼女なりに気分が盛り上がっていったのでしょう、わたしのほうばかり見て話していました。(まずいなー、この展開。このままじゃ、こいつに捕まってしまいますよ)と思いながら。で、なんとなくわたしにとっては好ましくないカップルができてしまったんです。よく青春ドラマや少女マンガにあるシチュエーションだなー、と思いました。

結局、2つのカップルでこの日の文化祭を過ごしました。友人男子野郎はこのあとその女の子と付き合い始めました。 ちくしょう、人生うまくいかねぇなぁ、と嘆いた、女子高学園祭にナンパしに行ったらあれこれ展開あってトホホな結末の巻き、でした。(波照間エロマンガ島 20/4/27)

(寸評)おおー、まさに青春だねえ。あの頃の空気をちょっと思い出したよ。6ポイント。

マスク再利用

今のご時世マスクを洗って再利用する人が多いと思いますが、僕の友人も例外ではなく、ちゃんと再利用しているらしいのですが、なんと洗うのではなく同じマスクを裏返して使っているというのです...
多分ウケ狙いでやってると思うんですが正直言ってやめて欲しいです。
だってそれで学校に来てたんですから...(ナタデンココ 20/4/27)

(寸評)まず、そいつを激しくビンタしなさい。
自殺未遂行為です。おバカとかそういうレベルじゃないです。便器を舐めてる以上の行為です。本当にやってはいけないことが分かってない。
ビンタしなさい。4ポイント。

まさか先生が...

中3になった僕ですが、去年の担任(男)の行動がずっと頭に残ってます。
体育の授業が終わった後、男女それぞれ別の教室で着替えるんですが、基本的に男子の方が着替えるのが早いんです。なので女子を待つことが大半。
でもその時はあまりにも遅かったので、
とうとう担任が女子が着替えてる教室に入り、「遅いぞー!もう男子は着替え終わってるぞー!」と怒りました。

ドア越しに言えば良かったのに、なんで入ったのか...しかもその次の日も、その次の日も入ってました。
下手したら逮捕されかねません。
なので今年度は担任を辞めさせられ、生徒指導の先生になったとか。(ナタデンココ 20/4/14)

(寸評)俺の中学時代にも生徒に思いっきり蹴りを入れて怪我させるような暴力教師居て、別の学校に飛ばされた。
教師って多少問題あっても辞めさせられないのが不思議。
しかも生活指導って。自分を指導しなさい(笑)。6ポイント。

きっちり決めてきたのに

ついさっきの話です
就活中の私は ハローワークへでかけました。ついでに履歴書用の写真がなくなったので撮りに行こうとスーツを決めてでかけました

そしてバスに乗り目的地の一個前のバス停で気が付きました

メガネ忘れた
これじゃとれないじゃん
仕方なく スーツでキメたままハローワークへ向かいます。(ズミ天 20/4/14)

(寸評)そこまで気付かずに行けるのなら、メガネいらないんじゃ!? 4ポイント。

死んだ後

志村けんさんの訃報を聞いて思い出しました。

確かまだ4歳くらいの時ひいおばあちゃんのお葬式がありました。
火葬場へ行き、初めて人が骨になるのを見たんですが、なぜかその遺骨が骨煎餅に見えて、「美味しそう...」と思ったんです。

小学校に入学するくらいまで本気で人は死んだ後骨煎餅になるんだと思ってました。(ナタデンココ 20/4/4)

(寸評)ま、時々食べちゅう人いるよね。「自分の体の一部にしたい」って。味付けはあんまりしないみたいだね。5ポイント。

大酒呑みの名言(?)

うちの母親は、アルコール中毒を自称している酒飲みです。息子が起きてこないと言っては飲み、息子が朝ごはんを食べないと言っては飲み、閑だと言っては飲み、昼飯ができたと言っては飲み、ドラマが感動的だと言っては飲み、眠いと言っては飲み、眠れないと言っては飲み・・・という散々な母親です。

 ある時、ワインボトルを片手に上機嫌な母親に「ねえ、どうして酒ばっかりこんなに飲むの?」と聞きました。すると、唐突に立ち上がり、ワインボトルを持ちながら歌舞伎の見得とおぼしきポーズを取り、

「そこに、酒があるからである!」

と、万感の思いを込めた感じで答えました。かっこいいこと言っているようだけど、要は酒の欲求を抑えられないってことだよね・・・。

 また別の日、わが母親は父親(僕の祖父)から「酒を飲むのを止めろ、少なくとも休肝日を設けて量を減らせ」と説教され、「分かりました。これからはビールは一日2本まで、ワインもコップ2杯までにします」と「言い」ました。ところが次の日、普通にビールを4缶ぐらい飲んでいるので、「昨日何て『約束』なさいました?ビールは一日2本までじゃなかった?」と聞いたら、

「約束はしていない。言っただけ」

と言いました。まさに今話題のご飯論法。あなたはどこかの大臣ですか?(未成年 20/4/4)

(寸評)そのうち「飲んではない。口に放り込んだだけ」とかいいそう...。7ポイント。

1981年4月の某予備校教室にて見た光景

波照間エロマンガ島、タイランド在住57歳です。
1981年2月、わたしは受験した大学をすべて落ち、親不孝しました。浪人生活がはじまりました。翌1982年、さいわいにも大学に合格し、大学生活をはじめることができました。

同年4月、某予備校での出来事です。
毎朝教室の後ろのほうに男子生徒がたまっている姿が目に付きました。彼らはお笑い芸人の口調を毎日物まねして会話しているので、否応なくクラスで目立っていたのです。それはラジオ番組「ビートたけしのオールナイトニッポン」に心もってかれたおバカ予備校生たちでした。

同年1月1日放送を開始した伝説のラジオ番組。今の若者にとってはビートたけしさんは、テレビ番組で滑舌の悪い「ふがふが」と口元から空気は抜けてとんちんかんなコメントを発する老人コメンテーターとしか認識されてないでしょうけれども、1980年代前半は、そのマシンガントークで間違いなくお笑い界のトップを疾走するカリスマ的存在でした。1980年に全盛期を迎えた漫才ブームの中、いちはやくツービートからピン活動に転進し、その皮切りがオールナイトニッポンのパーソナリティー出演でした。当時の中高生男子はほとんど聴いていたのではないでしょうか。それくらい驚異的な人気を誇っていました。

たけしの毒舌まじりの下町言葉ですが、多くの学生は影響を受けていました。あの空気は空前絶後だったのではないかと思い出します。たけしが担当していた木曜深夜の放送が終わると、翌朝には前日のオールナイトの話題で皆盛り上がっていたんですよ。このレポートでその空気を再現することは非常に困難ですが、時代の寵児とはこういうこと言うんだろうな、というくらいたけしのラジオは影響を与えていたと確信します。わたしも毎週聴いていました。オールナイトニッポンは水曜1部がタモリ、木曜1部がたけしでした。

でもほんとうに可笑しかったのは、そこにいた4人くらいのグループは、全員がずーっとたけしの物まねをやっていたことですね。どれだけたけしが好きなんだよ、っていう。たけし愛を賭けていたのでだれもたけし以外の役をやらないんです。これが別の席に座っている私はひそかに聞いて爆笑していました。フリートークがどうだったとか新コーナーがどうだったとかは素のしゃべりをすることも中にはあるんですが、何しろたけしに惚れ込んでいるので、みな物まねしていましたよ。

そんな某予備校で、たけしの物まねおバカに遭遇したの巻きでした。(波照間エロマンガ島 20/4/4)

(寸評)当時の勢いはすごかったね。まさに天才現るといった感じで。後年「たけしの誰でもピカソ」の審査員として共演するなんて夢にも思わなかった時代。5ポイント。

なぜか鮮明に覚えてる

3歳ぐらいのとき、ミートボールのソースの中に死んだ蚊が入ってた事が、どんな記憶よりも鮮明に覚えています。多分それがきっかけで虫ギライになったのかも...?(ナタデンココ 20/4/4)

(寸評)実は死んだ豚もその中にいたのだが、豚は嫌いにならなかったのだね...。4ポイント。

見られてた…

最寄り駅に、鉄道文庫(簡易図書館みたいなところです)があります
私はそこを通るたびに何かないか見ているのですが、大抵はギャンブル本や政治批判本、漫画も麻雀の漫画ばかり。
とてもつまらないのです。

しかし今日は違いました
「秘蔵資料集」と書かれた本が鎮座ましましていました。
ペラペラとめくると 昭和のスケベ事情が写真付きで100ページ以上に渡り掲載されている本でした。
けしからんっ! けしからんっ! 子供が見たらどうするんだっ! という怒りとは真逆にその本をすっと自分のバッグの中にすべりこませました。
しかしその直後、後ろにいた女性に
「スケベ」と言われました。
見ず知らずの人でした。
バレないようにしてたのに・・・
こんなことなら堂々ともらっておくべきだった・・・(カルロスイベリコ豚 20/3/27)

(寸評)「はいはいスケベですよ〜。スケベじゃないと子孫繁栄しませんよ〜。どうです僕と子孫繁栄しませんか?」と言って警察に連行されるのだけは避けた方が良い。7ポイント。

小学1年、授業が終わった瞬間にしでかしてしまったこと

わたくし波照間エロマンガ島、小学校低学年時は比較的おとなしい児童でしたが、小学4年頃からなにか創造的な表現の分野への渇望が強くなり、クラスの中でリーダーシップを発揮して学芸会で演劇を作演出したり、校内放送でバラエティー番組を企画放送したりする子供でした。しかしいつも現実と空想のあいだでどれが真実かわからなくなるように感性が揺れ動き、それらをうまくコントロールできない、危ない子供だった記憶があります。

小学1年のある日のことです。わたしは窓側から2列目、後ろから2番目の席に座っていました。そして、授業が終わるしゅんかん、女性教諭の「おわります」の号令と同時にある行為を、行なってしまいました。

それは左手に携えた、ちぎったノートの紙くずの紙片を、おもいっきりその場上空に投げつけて自分で紙片を浴びてしまったのです。なぜそんなことをしたのかと訊かれたら、まったく理由はわかりません。けれども、なぜだか、このタイミングでその行為を行なわなければ自分の人生は前進しないという強い確信があり、その心の声にしたがっていたのだと思います。どのタイミングから紙片をちぎり始め準備したのかは覚えてませんが。

そしてその行為を行なった瞬間、わたしはそれまで生きてきた中で、もっとも幸せでした。先生の号令と同じタイミングでシンクロした行為はこの瞬間に行なわれるためのことであり、わたしは使命を果たした成功者、あるいは英雄だと自分の中で位置づけたのです。今から振り返ると、狂人そのものの自己正当化なのですが。

そのあと、担任の先生はわたしのした行為をクラスの問題ととらえ、放課後になるまでわたしを遠隔的に詰問するように、クラスの児童たちに「このことはどういうことなのでしょうか」と問い続けました。わたしは黙り続けました。そのとき先生に直接詰問されなくて良かった、と10代の頃は先生に感謝していました。自分の考えている真理を頭ごなしに否定され、自分のアイデンティティーを批判されることはなかったからです。でも、この一件があってからは、自分は考えることをなんでもすぐに行動に移すことは危険なことだ、ということを学びました。

そんな小1のときに授業が終わった瞬間にしでかしてしまったわたしでした。(波照間エロマンガ島、1962年生まれ、57歳  20/3/27)

(寸評)大人になってもまだよくわからずに時にすぐに行動にうつしてしまうことがある...。7ポイント。

大阪支店のマネージャー

波照間エロマンガ島、バンコク在住です。12〜3年前、日本に住んでいた頃の話です。お世話になっていた緊縛師匠のおつきあいで、都内某所にあるSMバーによく通っていました。ここは緊縛プレイを楽しむスペースが設置された大人の社交場のようなバーで、日本中から変態紳士淑女が集うお店でした。オーナー兼マダムは界隈では有名なニューハーフ女王様のSさんでした。
このSさんから面白い話をたくさん聞いたのですが、そのなかで印象的だった話があります。あるときバーの大阪支店をオープンすることになり、店をきりもりするマネージャーを探すことになったのですが、何人か候補者を面接してちょっと経ったあと、面接したうちの一人のニューハーフのMさんがもう一度会いたいと連絡してきたそうです。

そのニューハーフのMさんはSさんの前に現れると、覚悟と忠誠を示すためになんと睾丸摘出手術をしてきたとのことでした!!「玉を抜いてきたのでわたしをぜひぜひ大阪支店のマネージャーに雇ってください」と。Sさんは感動してMさんを採用したそうです。

そんな大阪支店マネージャーのおバカエピソードでした。(波照間エロマンガ島 20/3/27)

(寸評)雇われなかったら玉はまた付けたのだろーか!? 7ポイント。

初詣にて

波照間エロマンガ島、タイランド在住です。何年か前、正月に一時帰国したことがありました。旧友たちと待ち合わせして初詣と新年会を行なうことにしました。わたしは別に神仏に深く帰依しているわけではありませんが、日本に住んでいるときからお正月に友人たちと初詣に行ってそのあと新年会をするのが恒例行事になっていたので、久々の帰国もありわたしたちは久々に楽しく時を過ごしました。

都内にある有名な某神社にお参りしたときのことです。賽銭箱の前で、わたしはたまたま日本円の通貨の持ち合わせがなかったので、タイバーツの硬貨を賽銭箱に入れて「二礼二拍手」してお祈りしました。タイバーツを賽銭箱に入れたことを友人女性に伝えると、いきなりその人はわたしを怒りました。「賽銭箱の下から社務所までベルトコンベアーでお賽銭を運んでいるんだよ。硬貨を選別するとき、違う国のお金を入れたら機械が詰まっちゃうでしょ!」
もっともな話でした。わたしは反省してその女性に謝りました。ちょっとだけ気まずい空気になりました。

気を取り直して次の神社に行きましたが、今度は日本円をしっかり入れて今年の願かけをしました。やっぱ初詣はタイよりも日本が気持ちいいな、と実感しましたよ。そんなある年の初詣の出来事でした。(波照間エロマンガ島 20/3/27)

(寸評)大きな神社だったのねー。小さなところなら手作業だったろうからそんなに問題にはならなかったろうにね。6ポイント。

「探偵ナイトスクープ」伝説回を見たときの記憶を思い出す

インターネットに「探偵ナイトスクープ、伝説回『爆発卵』を超える『爆発ポテト』登場!」という記事があって、「爆発卵」の回を偶然OA時に観たことを唐突に思い出しました。あれは1993年12月だったか。わたしは31歳。この番組はそれ以前も以後もほとんど見たことはないのですが、なぜだかこの伝説の放送回は視聴して覚えていたんです。あとからよく再放送してましたね。

その日は世田谷区上野毛に住む友人カップルのマンションの部屋で、わたしの当時つきあっていた女性と4人のダブルデートでクリスマス鍋パーティーを行なったのでした。昼間から食材をもちより三々五々集まり、お鍋をつついて宴会した前後は、ゲームをしたり音楽を聴いたりバカ話をしたりで、本当に無為にどーでもいい時間を過ごしました。すると部屋の主の女性が好きでいつも観ているというので「探偵ナイトスクープ」というテレビ番組を観ることにしました。

で、「爆発卵」ですよ。関西発信のテレビ番組では伝統的なセミドキュメンタリータッチというのでしょうか。依頼人と探偵〔芸人〕とTVスタッフとの融合があって、奇跡のおバカな瞬間を生み出すんですね、電子レンジに入れた生卵の爆発を実験する模様は腹筋崩壊もいいとこで、テレビの前にいるわたしたちはひっくりかえって爆笑のるつぼに陥りました。そして探偵である桂小枝さんの名前を完全に固体認識しました。〔まあそれ以前から白塗りにして茄子をちょんまげにした落語は観てましたが〕

そんな楽しいテレビを観たあとは雑魚寝でしたが、そちらも想い出深いなぁ…〔詳しくは書きませんけどw〕。そんな今から27年くらい前のクリスマスに「探偵ナイトスクープ」の神回を見たという話でした。(波照間エロマンガ島 20/3/27)

(寸評)その回、俺も生で観た! 時々奇跡的なことが起きるけど、昔は疑問だったことが今ではネットで回答が簡単に検索できちゃうので、ネタ探しも昔より難しくなっちゃったろうなあ。5ポイント。

お孫さんですか?

ある日、お父さんと病院にいったときの話です。看護婦さんが僕に向かって、「お孫さんですか?」と。お父さんは「あ、む、息子です・・・」と言いました。看護婦さん「あ、そーなんですか・・・」と。それはないでしょう。お父さんは61歳なのでおじいちゃんに見られることはたまにあります。けれどその反応は・・・。お父さんが嘘をついたみたいになるのでその反応はやめてほしいですね。(ポコポコ 20/3/27)

(寸評)最近は婚期も遅くなってるので、子供と孫の違いは難しいよねー。言う方も気をつけないとね。6ポイント。

バスにて

ある日、バスに親子が乗っていて、子供が外の方を見て、「居酒屋○○」「北の屋台」と町の建物の名前を読んでいました。字が読めるようになる年なので、親も「どんどん読んでいいよ」と。子供はずっと文字を読んでいて、「ホテル○○」「〇○○ホテル」とホテル街に突入。お母さんは、「ちょっと、読むのやめようか、ちょ、ちょっと、」と子供の口をふさいで焦って言いました。周りの人もクスクスと。とても微笑ましかったです。(ポコポコ 20/3/27)

(寸評)はははっ、周りの人になりたかった! 6ポイント。

セクシー女医

波照間エロマンガ島タイランド在住です。先日病院でセクシー女医と出会いました。
定期検診で検査の数値がよくなかったので主治医のドクター〔男性〕から別の科の検診を勧められてそちらに行ったのですが、そこにいたのがそのセクシー女医でした。

診察室に呼ばれて中に入ると「どうぞ」とドクターのすぐ目の前に座らされました。ものすごーい巨乳がひきたつ薄手のブラウスにくびれた腰まわり、そして超ミニスカートをはいた下の方向には生足がそそり立っていました。それでもってボタンをしないで無造作に白衣を羽織り、椅子に座っていました。もう今にもぎりぎりパンティーが見えそうな近い位置にわたしは座り、エロいこと想像しないほうがおかしいくらいの鼻息「ふんがー」状態。わたしは股間の変化を悟られまいとするのが精一杯でした。

とつぜん「で」とそのセクシー女医は切り出しました。PCのモニターでわたしの血液検査の数値を凝視しています。「なんでこんな数値になるまでほっといたんですか。減量もできてないし、食事もぜんぜん摂生してないじゃないですか。なに考えてるんですか!」とつぜん説教が始まったのです!!わたしの通院履歴からして治ってなければならないであろう各数値をいたぶるかのようにその女医は攻め立ててきたのです。わたしは頭をたれて「すいません」と謝るしかありませんでした。と同時にこれはSMプレイではないか、という妄想が湧き上がることも禁じ得ませんでした。そもそもなんでこの女医はこんなに露出度の高い服を着てこんな近距離で患者と接しているんだ。変態じゃないのか。このあとわたしはこの女医と別室でSMプレイをするのだろうか。

さんざんまくしたてられ、こきおろされたあと、ドクターは「今日は1本注射を打ってもらいますから、このあとトリートメントルームに行ってください」と言いました。そして痛い痛い注射を打ったのですが、ふつうはそちらの部屋にはナースしか行かないと思ったのですが、なぜかそのドクターも部屋についてきて、わたしの上半身裸の姿をにやにやしながら見ているように見えましたが、なんとも変な気分でした。次の検診はあと1週間後ですが、楽しみでもあり怖くもあります。

そんなセクシー女医との出会いの巻きでした。(波照間エロマンガ島 20/3/27)

(寸評)「今度はあなたが私に注射を打ちなさい!」・・・サイコーだあ。7ポイント。

猫に触らせる

最近下ネタばっかりですが、今回も下ネタです。

この前小学生の友達の家に遊びに行った時、その子が「見て、勃起した!」と言って自慢気に見せて来て、さらにそれをペットの猫(♀)に触らさせていました。
猫の手は気持ちいいだろうなぁ...(ナタデンココ 20/3/27)

(寸評)猫ならいいが、道で女性に触らせる空気になったら、止めてあげてやってくだせえ。7ポイント。

ホームルーム終了後のいっしゅんの刹那に起こった事件

高校3年の秋ごろ。
わたしが通っていた高校では毎日8時30分から5分間ホームルームの時間でした。担任から連絡事項を伝えられたあと、能力別クラス編成に伴い、各クラスに別れるため生徒は三々五々移動していくようになっていました。

その日いつもと変わりなくホームルームが終了しました。担任の先生が職員室に戻るまでのいっしゅんの出来事でした。つかつかと同級生Mくんが教壇に歩いてきて、生徒の前でとつぜん「先生、わたしはここに血判状をしたためましたー!! これをなにとぞお受け取りくささいーー!!」と叫ぶや否や、懐にもっていた小刀を手に取り、左手の人差し指をその刃で斬り、血判をしたためた紙を先生に渡そうとするではないですか!!

わたしは「ぎょぎょぎょぎょー! なんじゃこりゃー」な状態に陥りました。血染めの紙を先生に渡そうと先生に向かって歩き始めたMくんは妙に芝居かかっていて、わたしは「気狂いだ」と彼の行動を確信しました。先生がMくんに刺されると勘違いしたのか、教壇の近くにいた生徒たちはいっせいにMくんを取り押さえ羽交い絞めにして、その場に倒しました。そしてMくんはすぐに別室に連れ去られていきました。

その日の放課後、何が起こったのか同級生うちで確認すると以下のことがわかってきました。
Mくんは高校卒業後の進路について相当悩んでいたらしく、ついには決心して進学をせずにある人に弟子入りすることを決め、その決意の書をしたため、担任の先生に証人になってもらおうとその日直談判しようとしていたらしいことがわかりました、

担任の先生は取り押さえられたMくんが興奮状態から落ち着くのを待って、ご両親ともう一度家族会議をして進路を決めるようにMくんを諭したそうです。

Mくんはその後決心を翻意し、某大学に進学しました。そして大学在学中にくだんの弟子入りを思いつめた分野とはまったく関係のない格闘系スポーツで才能を開花させ異例の昇進を遂げ、40年後の現在その武道の指導者になっています。彼の人生に何があったのかわかりませんが、高3のあのときの決起は何だろうかとたまに思い出します。そしてわたしの知らないスリリングに富んだ「おバカ」決断の変遷史があったのではないかと想像します。(波照間エロマンガ島 20/3/27)

(寸評)どこの世界でも成功する人は「とんでもない奴」と言われるような過去をたいてい持ってるよね。7ポイント。



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