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ここは自分のまわりのおバカな奴の行動・言動などを紹介するコーナーだ。
なるべく本人を直接見たり本人から直接聞いたものが良いが、信憑性が高ければその友人ぐらいまではOK。もちろん人間じゃなくてもかまわないぞっ。
さぁ、まだ世間に埋もれている貴重なとっておきのバカを紹介してくれいっ!
メールにて投稿は題名「おバカ」で、末尾に自分の名前を入れてね。
ポイントは3ポイント以上〜ーだっ! ダ〜〜〜ッ!!

ボニータ友の会

波照間エロマンガ島です。今から15年ほど前、日本で働いていた頃の話です。あるボランティア団体の会合中、わたしはメモをとりながらとりとめもなく落書きやら思いつきのフレーズをレポート用紙の余白に書いていました。これはわたしの癖で、人の意見を聞きながらそこからインスパイアされた言葉やイメージをボールペンであちこち無意識に書くことをよくしていたのです。
ミーティングが終わり、プロジェクトの関係者2、3人でだべりながら話を続けました。わたしの相方の女性Sさんがわたしのメモをじっと凝視しているのに気づきました。「え、なに?」とわたし。Sさんは言いました。「この『ボニータ友の会』ってなんですか?」わたしはびっくり! そこにはものすごい小さく書いたメモ断片、しかも書いた後に上からぐちゃぐちゃ線を書いて消した言葉をSさんは読み上げたのです。
わたしは「な、なんでもないよ」としどろもどろ気味に否定しました。しかしSさんはわたしの変化に敏感にみてとったのか、「なんなの、これ?教えなさいよー」と攻めこんできました。これはまずいぞ。結局は適当にごまかして真相はうやむやにしましたが本当にドキドキものでした。

実はこの「ボニータ友の会」とは、当時住んでいた横浜伊勢佐木町のマンションの近くの電話ボックスで見つけたデリバリーヘルスの店の名前だったのです!!なんか名前の響きが心地よく、頭の片隅に残っていたので、ミーティング中に書いてしまったのですね。もちろんのこと電話してデリヘル嬢は呼びませんでしたが。当時横浜はラテン系美女からロシア系、東南アジア系まで、全世界の女性と友好関係を結ぶことができたので、ラテン系の女性とどんな友好関係ができるのか妄想して楽しんでいたというわけでした。
しかし、Sさんの勘はとても鋭かった。。。わたしの心の中を見透かしているかのような質問攻撃でしたよ。
断じて部屋にラテン系美女を呼んでないことを最後に書いてこの項終わります。そんな「ボニータ友の会」の想い出。(波照間エロマンガ島 20/8/9)

(寸評)変わった店名だねー。新興宗教団体にありそうなネーミングだね。6ポイント。

仏壇の思い出

先日、練馬区製作の「たいこの親分」の動画を見て、自分の幼少期のおバカな体験を思い出したので、投稿させていただきます。

何歳の頃だったか、たしか5歳ぐらいだったと思いますが、母方の祖父母宅に里帰りしていた時のことです。
その家には田舎特有のそこそこ大き目の仏壇があり、祖父母は毎日仏壇の前で祈ったりお供え物を取り替えたりしていました。
しかし当時も今も信仰心の全く無い私は、お祈りをする際におりんを鳴らすのが楽しく、毎回おりん担当をさせてもらっていました。
そんなあるとき、仏壇専用の部屋に誰もいないのを見て、何気なくあることをやってみようと思い立ちます。
人目がないのを確認し、仏壇のおりんを鳴らすスティック(調べたところ「りん棒」というらしい)で並んでいる仏具を打楽器よろしく叩きまくったのです。
仏具というのはどれもこれもバリエーション豊かな良い音色で、叩いているうちにインスピレーションがどんどん湧いてきます。
どれだけの時間が経ったか(実際は数分だったでしょうが)、ひとしきり叩いて締めのおりんを鳴らし終えた後「なかなかいい演奏ができたな」という充実感と共に心の中でしたり顔をしたのを良く覚えています。
幼かったとはいえ仏壇の意味は理解していたので、もし見つかったら怒られるとハラハラしながら叩いていたのですが、幸い部屋には誰も入って来ず事なきを得ました。
あれは我ながらクリエイティビティ溢れる楽しかった思い出です。

しかし幼少期というのはどうしてああもリズム感覚が研ぎ澄まされているのでしょうか。
思えば、子供たちが作り出すオリジナルな遊びの掛け声や口上はリズミカルなものが多い気がします。
リズムを感じたり奏でたりするというのは一種非日常的な感覚だと思うのですが、ああいう感覚は残念ながら大人になるにつれ「やらなくていいこと」「取るに足らないもの」として見向きもされなくなってしまう傾向にあると思います。
そして自分はなるべくそのような感覚をずっと大事にしようと思っているつもりだったのですが、今回石川さんの映像を見て「仏具演奏」というおバカな幼少期の記憶がよみがえると同時に、「ああ、やっぱり自分も『大人』になってしまったのかな…」となんとなく淋しい気持ちになってしまったのでした。

もしかしたら人々が音楽家や芸術家を応援してしまうのは、自分たちが失ってしまった感覚を持ち続ける人たちへの無意識的な憧れから来るのかな、などと今考えたりしています。。(Kth 20/8/9)

(寸評)俺は今でも許されるなら仏具演奏したーい。いい音するものあるものね。
もっともたま時代は友人から譲り受けた仏具の鐘を叩いてたけどね。6ポイント。

何故スープに入ったパンのかけらが食べられないのか

最近、職場でインスタントのカップスープなどが配られました。オーナー企業の商品のあまりものでしょう。
その中にパンのかけらが具のスープがありました。私はこういった類のものが食べられないのです。
小学校5年の時でした。
転校先だったのですが、すぐに遠足があり家が隣の同級生とおやつを買いに行くなど楽しみにしていました。
しかし引越し先の水道水(霞ヶ浦からの水)に当たったのか当日になって下痢がひどく、遠足は欠席になってしまいました。
夜になってもお腹の調子は直らず、固形物は食べられません。つまり遠足に持っていくはずだったおやつも食べられません。
目の前で私以外が食べていきます。この時はじめてボンタンアメというのを買ったのですが、「おっボンタンアメ。これがうめえんだー」と食べられない私の前でムシャムシャする父。
私の夕食は、母が作った食パンと牛乳からの「パンがゆ」。味気のなさと柔らかさで虚しくなりました。
その頃、猫が出産していたのですが、しばらくして乳離れをしたのか母が親猫と同じような餌をあげるようになりました。
そんなある日。
母が作って猫の子供が食べていたのは、私が下痢の時に食べさせられていたパンがゆ!
おれは猫のエサを食べさせられていたのか・・・
私はこの時から、スープのようなものに入ったパンが食べられなくなってしまったのです。(猪熊猛 20/8/9)

(寸評)俺も霞ヶ浦の近くに一年間だけ若い頃に住んでいたけど、あの水道水はすごかったよね。
生はもちろんお茶にしても飲めない。
40年前なのに浄水しなければ飲めなかったものなあ。
ところでスープに入ったパンって、クルトンとかも駄目?あれは子供の頃から好きだったけどなあ。6ポイント。

拝み倒し案件

波照間エロマンガ島、タイ国在住です。最近の出来事です。
仕事で取引先の某ショップに行ったときのこと。その日は休日でドライバーが非番だったので自分で運転して店に行きました。駐車場が離れていて日曜で交通量も少ないから大丈夫だろうと路上駐車をしました。
しかし10分ほどで商談を終え店の前に戻ってみると、なんとおまわりさんが青い違反切符にナンバープレートを記入して駐車違反の手続きをしているではないですか!!
わたしは大変あせりました。たしかにわたしは悪いことをしているのですけれども、わずか10分足らずの時間で駐車違反をとられるなんて、日本の感覚からしたら理不尽すぎます。すぐにわたしはタイに来てまもない言葉もおぼつかないおバカな外国人のふりをしておまわりさんに許しを乞いました。「お願いですから今回は許してくださいー!」と頭を下げて土下座をせんばかりに拝み倒しました。
するとおまわりさんはころっと態度を変えて「おめこぼししてやるから現金をくれ」ということを言いはじめました。実はここだけの話ですが、こういった展開はタイではよくあって、交通違反をお金でもみ消すことはよくあるんです。わたしはそれで何度か交通違反を免じてもらったことがあります。〔ほんとにここだけの話ですよ、すみませんです、はいw〕
というわけで、XXXバーツを袖の下に渡して罪を免れるようしてもらいました。拝み倒し作戦成功の瞬間でした。もちろんこれはレアなケースで、一斉検問をやっているときなどは交通違反を賄賂で逃れることはまずありません。そんな拝み倒し案件の巻き、でした。(波照間エロマンガ島 20/8/9)

(寸評)日本でも「点数引かれるより、袖の下で助けて〜」と思っている人も多いんだろうな。6ポイント。

法隆寺の裏

波照間エロマンガ島、タイ国在住です。
高校時代のある日曜日、同級生の家に遊びに行くことになりました。
当日最寄り駅に着くと、公衆電話で彼に架電し家の所在地を確かめました。
彼は「そのまま駅を出て国鉄の線路沿いの道を横浜に向かって歩いて。12〜3分歩くと、法隆寺って寺があってその裏がうちだから。そのあたりで待ってるから」と説明しました。
わたしは「は?法隆寺?」ときょとんとしました。奈良の法隆寺を自動的に想起したんですね。一瞬だけ、ここ菊名駅から奈良まで歩くのかよ、と思ってしまいました。〔ここが今回の投稿のおバカポイント〕
はたして横浜線の線路沿いをとぼとぼ歩くと、法隆寺という寺があって、そのあたりで彼がわたしを待っていました。

1979年頃の出来事でそれから41年ほど経っています。国鉄はJR東日本になり、公衆電話は廃れ携帯電話の時代になり、元号は昭和から平成、令和と2つも変わりました。でも、わたしの心持は17歳のそのころから57歳の現在まで、あまり変化したようには思いません。ニューウェイブやパンク、テクノポップが好きで、その日も渋谷の輸入レコード店でジャケット買いしたレコードをもって彼の家に聴きに行ったことを昨日のことのように覚えています。「法隆寺の裏」というフレーズとともに。(波照間エロマンガ島 20/7/21)

(寸評)「金閣寺の裏」と言われるところばぬさきのつえのアマチュアツアー中、大谷と知久君が野外の草むらでオナニー合戦をしたのを思い出す。どちらが勝ったか(飛ばしたか)は覚えてないが、山下さんや健さんと応援していたことを思い出す。5ポイント。

死んだら本当に驚いた

波照間エロマンガ島、タイ国在住です。日本で働いていたときの話です。
わたしは長いこと仏事返礼品業界の商社で働いていました。関東地方では主にお葬式の返礼品としてお茶とか海苔とかを出しますが、それらの商品を取り扱っていました。包装して袋詰めしたお返しものに礼状を同封して、遺族から参列者へのお礼の言葉を添えます。

あるとき、大御所の映画俳優で有名なT氏のお通夜が某所で営まれました。
彼はハリウッド映画にも何本も出演した日本を代表する名優で、後半生は心霊研究家としても活躍し自ら「霊界の宣伝マン」と称しメディアにて啓蒙活動をしていたので、ご存知の方も多いと思います。でもいちおうイニシャルにて書きますね。

T氏のお葬式での返礼品は弊社が担当しました。そのときの礼状には、なんとT氏の若い頃のブロマイド写真が入っていたそうです!

遺族の配慮で、皆に愛された故人のおおらかな性格が偲ばれるエピソードだとわたしは感心しました。T氏が製作した映画に「丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!」〔あ、言っちゃったw〕という作品がありましたが、「死んだら本当に驚いた」というタイトルでT氏を偲びたいと存じます。(波照間エロマンガ島 20/7/21)

(寸評)捨てるに捨てられぬ・・・俺も「浩ちゃん抱き枕」にでもしてもらうか。6ポイント。



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