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ここは自分のまわりのおバカな奴の行動・言動などを紹介するコーナーだ。
なるべく本人を直接見たり本人から直接聞いたものが良いが、信憑性が高ければその友人ぐらいまではOK。もちろん人間じゃなくてもかまわないぞっ。
さぁ、まだ世間に埋もれている貴重なとっておきのバカを紹介してくれいっ!
メールにて投稿は題名「おバカ」で、末尾に自分の名前を入れてね。
ポイントは3ポイント以上〜ーだっ! ダ〜〜〜ッ!!

20歳になるまでに・・・…。

波照間エロマンガ島です。今から35年ほど前〔1984年頃〕、わたしが22歳前後のことです。
当時わたしはビデオカメラを購入したばかりで、友人関係のニューウェイブ・パンクバンドのステージを乞われてよく撮影していました。そのバンドの中にのちに有名になるバンドもありました。そのひとつがThe Willard。そのわずか1〜2年後に有頂天、LAUGHIN' NOSEとならび、インディーズ御三家と称され、80年代中期のシーンを牽引していきました。
ビデオを撮影したとき、バックステージで彼らと話す機会も少しあったのですが、ベースギターの某氏は感情が不安定なところがあり、「20歳になるまでに死にたかった」という言葉を遺し、次に会うことなく19歳で自殺してしまい、わたしは衝撃を受けました。

この「20歳になるまでに」というフレーズは、同時期に読んだ、高野悦子「二十歳の原点」という鉄道自殺した女子大学生の手記とともに、20代前半の未成熟な自我形成期の自分に影響を及ぼしました。人生に真正面に正対し直面することは一見格好良いことだが、一面でものすごく格好悪いことでもある。だから俺は格好悪くても自死せずに生き続けたい、という人生訓になっていきました。また数年後に読んだ立川談志の「談志楽屋噺」にも、前座時代の落語家仲間の多くが自殺しているさまをたんたんと記述しているのに章がさかれていて、そこに学んだ談志師匠の人生訓も参考になりました。

でも、自殺は究極のおバカだ、って思います。生きてればこそ、です。(波照間エロマンガ島 20/10/8)

(寸評)俺も「二十歳の原点」はちょっとはまったなあ。精神病での自殺は病死だと思うけど、そうじゃない思想的(?)な自殺はまさに笑えないおバカ。みんなを嫌な気持ちにさせたいならいいと思うけどね。6ポイント。

農道のポルシェ

このトピック、久しぶりの投稿です。ただ、最初にお断りします。車好きでない方や軽四に興味のない方はスルーして下さいまし。

今回の自粛期間中に俺がはまったのが、車関係のユーチューブにアクセスする事。これにアクセスした関連で思い出した、俺や友達が過去にやらかした事を列挙する。

「一人で大通りの右側や左側歩道を歩いてる途中、信号のない小さな交差点を渡ろうとしてポルシェ?の横っ腹に突っ込んだ。」

「友達がポルシェ?を運転中、別の車に横っ腹突っ込まれて横転。ポルシェはそんな簡単に横転するのか?」

「俺が幼稚園から小学校1 2年にかけて、親父が仕事から帰ってきたと、当時乗っていた軽乗用車のエンジン音を聴いて外に出たらポルシェ(トラック 箱バン)やった事多数。」

ここまで読まれた方は、ポルシェと軽四との比較に違和感を感じられた方多数ではないだろうか?しかしこれは軽四好きや軽トラックを運転する機会が多い方(特に農業関係の方)に違和感はないはずだ。

ポルシェの車の特徴は正直よくわからないものの、以前は誰にもわかりやすいと言われたのが、車体後部にエンジンを搭載している事。このタイプ、つまり、車体後部の床下にエンジンを搭載していた日本製の軽トラックや軽箱バンが、10年近く前まで国内で新車として販売されていた事だ。このタイプの軽トラが、「農道のポルシェ」と呼ばれ、よく走る事は勿論、機能性も良い事から今も人気車種のようだ。

では、上に書いた事との関係は?

外の光がやっと見えるかぐらいの視力の俺は、大通りの歩道を歩いていて小さい交差点を渡る時、大通りに出ようとしている車をエンジン音で判断する。つまり、右側を歩いていて右側からエンジン音が聞こえたら渡れ、左側の場合はその逆。ところが農道のポルシェと気づかなかった時は横っ腹に突っ込んだという話である。

友達の事故のケースはと言うと、軽箱バンは横からの衝撃に弱く、新車で買って半年で廃車になってしまったのだ(この友達、この事故で同じ車を新車で買える以上の金を加害者から手に入れたものの大半を風俗に使ってしまったという大バカ)。

これをここまで読まれていて一番わかりにくいと思われるのが親父の車の事であろう。

話題にしている軽箱バンや軽トラと同じエンジンを車体後部に積む1977年製の乗用車に親父が乗っていたため、俺はエンジン音だけで判断して、家から飛び出したという話である。

俺が軽四好きになったのは親父が買った1977年に始まったと思われるが、幼稚園の頃から、「軽四は高額になるかもしれへんけど広くなる。日本が世界に誇れる物になる。」と、漠然とではあるものの思っていた。そして今、どのメーカーの軽四もそうなっていると思うのは俺だけか?

ちなみに車関係のユーチューブ、エンジン音だけでも俺は楽しめるし、ドライバーの解説がある物はもっと楽しい。隣に見えてる人が居たら最高でしょうな。これまだまだ止められませんわ!(西大路 20/10/8)

(寸評)戦時中、戦闘機の音のレコードがあってそれを聞いて覚えて、敵機かどうか見極めるというのがあったがそんな感じだろうか。聴覚能力を今後も磨いてくれいっ! 7ポイント。

スケスケ明細書

2020年10月4日 「王様の耳はロボの耳」 話題376のレス
私はステルス迷彩と投稿したかったのです。
しかし、よく見たらステルス明細・・・

トレーシングペーパーでできた明細書でしょうか・・・?
それは果たして経理で落ちるのでしょうか・・・?
さぁわからない

以上、誤字も一種の味だろうと開き直ってるズミ天でした(ズミ天 20/10/8)

(寸評)最近はパソコンやスマホの「予測変換」で、昔より誤字が増えたよね〜。
ここへの投稿なら問題ないけど、仕事のメールなどは見返す習慣つけた方がいいかもね。5ポイント。

縦一文字

2020年10月3日 Gさんのライブを見に行きました。
ライブ自体はすごくよいライブで、お客さんともお話ができてすごく楽しかったのです。
しかし、事件は帰りの井の頭線で起こります。
ふと、窓に目をやると
マスクが反対向きでした。
おそらく理髪店で髪を刈ってもらってからずっとそのまま・・・

裏表逆のまま、お話してたのか・・・
裏地の縫い目縦一文字がクッキリうつっていました(ズミ天 20/10/8)

(寸評)もしもクラスターが発生したら...。俺はマスクの表に「おもて」と書いてあるのも使ってるよ〜。5ポイント。

年賀状〔3〕

小5〜小6のときに同級生だった男子から、3年経って中3のとき届いた年賀状の内容をとつぜん思い出した。

彼、Yくんとは住んでいる家のエリアが離れていて違う公立中学にかよったので、小学校卒業以来まったく縁はなくなっていた。下記のような内容だったのであぜんとした。

あけましておめでとうございます。
お元気ですか、もうすぐ高校受験ですね。
ところで、○○(小6のときの同級生の女子)とつきあってるのですか。1年前一緒に歩いているのを見かけましたよ。僕が好きだったの知ってるでしょ。なんで僕にことわりなくつきあうんですか。(・・・以下、わたしへの罵倒の言葉がえんえんと続いた)

これはやばい! なぜか知らないけど、こいつはわたしが○○とつきあっていると勝手に思い込んでいる。もしかしたら勝手にやつの脳内に完成した妄想で、わたしを殺しにくるかもしれない。
わたしは○○なんて小学校卒業以来、会ってないんですよ。狂ってるとしかいいようのない被害妄想の文面だった。

小学校時代、授業中とつぜん立ち上がり、好き勝手に意味不明な言葉を吐き一人で授業を妨害し、学級崩壊させていたYくんの恐ろしさを思い出した。

でもYくんも小5のときはみんなで優しく接して野球部に誘ったときはそれに参加してくれて、うまくコミュニケーションとれてたんだけどな。しかし小6のときはクラス中がギスギスしていた。その中心にYくんはいた。きっと複合的な原因があったのだと思う。

わたしはとめどなく流れてくるYくんへの悪感情をどうすることもできなかった。

結局、その年賀状を最後にわたしへの手紙やはがきは届かなかった。いつしかわたしもYくんのことは忘却していった。が、57歳のいま、とつぜん思い出したのだ。これは何なのだろうか。何らかの予兆か。(波照間エロマンガ島 20/10/8)

(寸評)さっき、彼はタイにようやく到着したよ。君を見つけに...。6ポイント。

あゝ勘違い@アムステルダム 〔2006年6月20日、43歳〕

オランダ・ドイツ一人旅でのおバカ体験を告白します。
その日は疲れて夕方からうたた寝をしてしまい、目が覚めて腕時計を見ると時計の針は9時を指していた。窓の外は明るい。
「やべぇ、寝坊だ!」がばっと、ベッドから飛び起きた。 フランクフルト行きの特急列車ICEに乗り遅れてしまう! しかし、とりあえずフロントへ行っても何か様子がおかしい。となりの朝食専用の食堂は閉まっているし、ホテル前の通りの交通量もほとんどない。日は明るいのだ。そこで意を決してフロントのお兄ちゃんに声をかけると、なんと朝9時ではなく夜の9時とのことだった。アムステルダムはこの時期夜10時過ぎに日が沈むらしいのだ。なんという間抜けな勘違いだろうか。そうか、これが白夜か。さすが北緯52度、わけわからん。でも一時はまじパニクったのですよ。どおりで寝足りないと思ったんだ。
わたしは気を取り直して寝直し、翌朝アムステルダム始発フランクフルト行きの特急列車に無事乗り込みました。 (波照間エロマンガ島 20/9/30)

(寸評)俺も夏場にイギリスでレコーディングしてたら夜10時くらいまで明るかったので、晩飯食った後も庭で遊んだりしたなあ。逆に冬は午後4時で真っ暗だよね。6ポイント。

女殺油地獄〔おんなころし・あぶらのじごく〕とブーイング

先日伊集院光さんがラジオで、歌舞伎「女殺油地獄〔おんなころし・あぶらのじごく〕」について話をしていました。伊集院さんの好きな演目だそうです。わたしも観たことがあります。
近松門左衛門の人形浄瑠璃作品で、明治期になってから歌舞伎に翻訳されて当たり狂言となった作品ですが、ここで伊集院さんが面白い点があることを指摘していたのです。

お話は油問屋の放蕩息子の与兵衛が、遊ぶ金欲しさにほうぼうから金の無心をして遊興にふけっているところから始まります。あまりのだらしなさに与兵衛は親から勘当される始末。ついには近所の油問屋の奥さんに金を借りようとするのですが、ゆすりを嫌がり断ろうとする奥さんのことを殺めてしまいます。殺人の場面でもみ合う内に油壺が倒れてしまったので逃げては転び、追いかけては転び、油まみれになりながらの殺害となり、ここが物語りのクライマックスとなります。

伊集院さんはこのシーンを見ていて面白いと言っていました。ふつう現代的な劇演出だと、この油まみれの殺害シーンは、悲壮な音楽と油で滑りまくる演者のリアリスティックな演技との相乗効果で登場人物たちに観客は感情移入させられていく流れになるのですが、ここにとつぜん「どうかしてる」ような演出が挿入されている、油の壺が倒れて床が油まみれで滑る瞬間、とつぜん演者たちがスローモーションになり音曲が「ちんちんどんどんすっこーん」と鳴り、コントを音響で落とすドリフターズのような笑いの演出に変化していき、想像していたよりもかなり上をいくわけのわからない展開で面白い、と言っていました。
当時はテレビはなかったですが、この話は実話を基にしているので今でいうワイドショーの再現ドラマやドキュメンタリーの要素も含めた演出になっていて、最後は油に滑らないよう殺した奥さんの帯をほどいてそれを床に敷いてそのうえを逃げていくところまでリアリズムで描いていたのです。猟奇+お笑い+ドキュメンタリー+エロスまで同時に描いている。

この伊集院さんの説明を聞いて、わたしはこのシーンの演出をとつぜん思い出しました。高校3年生のときに学校の歌舞伎教室で三宅坂の国立劇場にこの演目を観にいったときのことです。
与兵衛は現在仁左衛門の片岡孝夫で、殺される奥さん役がだれかは失念しましたが、この殺害のシーンのことをくっきり思い出したのです。それは演技についてではなく、そのときの観客、つまり同じ高校の生徒の客席からわきおこったブーイングでした。

わたしの通っていた高校では、教師が気を抜いた授業をすると生徒たちがいっせいに「シーーーーーーー」というブーイングをする風習があったんですね。「シーーーーー」とは「しらけてんだよ、いい加減にしろ」というニュアンスを含む非難のブーイングでした。それを歌舞伎の笑いの演出を見てこともあろうにブーイングした生徒が複数いたんです! これにはわたしはその生徒たちに腹が立ちましたねー。伝統芸能に対するリスペクトはないのか、と怒り心頭になりました。

しかしながら伊集院さんが気になった歌舞伎のちょっと意外な演出について、対談した歌舞伎俳優の尾上松也さんから「そういうんだったら、決定版のような演目ありますよ」と教えられた歌舞伎狂言があるとのことです。その演目の名前は「芋洗い勧進帳」とのことで、いつか機会があれば観てみたいです。(波照間エロマンガ島 20/9/25)

(寸評)俺もそのラジオ聴いてたよーん。身内のノリを外に持ち出すのは確かにいただけないけど、高校生に歌舞伎を見せるということはそういう事態もあるのかもね。
「芋洗い勧進帳」は見てみたいね! 6ポイント。

男は大きいモノに憧れる

前回投稿した元彼の20年前の事です。ヤツは「男性器を輪ゴムで縛りつけたら大きくなる」という明らかなデマを聞きつけて無駄な荒修行をしている時期がありました。
1度見たことありましたが、俗にいうカリの周りに輪ゴムを何重にも縛りつけて、黒に近い紫色になっていて腐って落ちてきそうでした。こいつ本当にバカだなと思いました。別れてよかった。(もちっこ 20/9/25)

(寸評)落ちてたら、ちゃんと供養してあげてね。7ポイント。

年賀状〔1〕

とつぜん中3のときの同級生からの年賀状の文面を思い出しました。

あけましておめでとう。
お互い実験勉強がんばろう。
一九七八年元旦 ○○

実験勉強がんばったおかげで高校合格しました。(波照間エロマンガ島 20/9/25)

(寸評)「お互い呪怨勉強がんばろう」じゃなくて良かった。5ポイント。

年賀状〔2〕

とつぜん小5のときの同級生からの年賀状の文面を思い出しました。

あけましておめでとうバーロー
今年もよろしくなバーロー
一九七四年元旦 △△

これはアンヴィバレンツな気持ちになりましたね。なぜならこの同級生はいちばん仲のよい男の子だったからです。仲良く遊んでいても心の中では嫌われてたんだな、と落ち込みました。こういうことも年賀状ではわかってしまうんですね。あ、「バーロー」というのは「馬鹿野郎」の口語形、もしくは東京弁訛りですね。1973〜4年当時は普通に使っていました。(波照間エロマンガ島 20/9/25)

(寸評)本人はただのジョークのつもりだったんだろーな...。5ポイント。

おバカ

これは私が昔付き合っていた彼のお話です。
ある日、朝から私の家にやって来たヤツはいきなり、
「お茶あるよ。飲む?」と頓珍漢な事を言い出しました。なんで自分の家なのにお茶をすすめられる意味がわからないので「いらない。」と答えました。しかしヤツはいらないって言ってるのにカバンからお茶入りペットボトルを出し、私に渡すのでした。
一見お茶のようなペットボトル、しかし良く見ると…。微妙の泡立ちと微妙な濁った黄色さ、そして微妙な生暖かさで液体の正体に気付いてしまいました。ヤツはその日大学の健康診断でペットボトルに沢山入ったアレを出して担当医がどのように驚くかを楽しみにしていたのです。
こいつ本当にバカだなーと思いながら「取り敢えず結果聞かして。」と言い、家から追い出しました。

そうそう、この話のタイトルを先につけると違うコーナーかと思われるのでここでお知らせします。

タイトル
初めての飲尿~未遂で終わってよかった~

その後ヤツは健康診断前に、私にやったことを大学の友人にもやり、友人達の派手なリアクションにこれはいけるぞと思ったようです。
そして健康診断本番。
担当医に尿入りペットボトルを出した時の反応は、
「こんなにいりません。」
冷たくあしらわれて終わったそうです。ざまあみろ。(もちっこ 20/9/11)

(寸評)飲尿は自分のじゃなきゃ駄目だからね〜。
まあ健康医療的な意味じゃなくて性癖としてなら他人のでもいいのかもしれないが・・・。7ポイント。

沈黙の軍艦



タイ国在住の波照間エロマンガ島です。2019年の社員旅行での出来事です。
この年はパタヤから30キロほど南に行った海軍の町、サタヒップにバスをチャーターして行きました。ここは日本でいうと横須賀や呉のような海軍の軍事施設が多く建つ、軍港の町でした。ちょっとでっぱった半島状の土地にたくさんの施設がありました。初日は海の見えるシーフードレストランで昼食をいただいたあと、軍の施設を何箇所か見学しました。最初に向かったのはウミガメを保護して育てている施設。ここは自然環境に配慮した研究施設で、絶滅危惧種のウミガメを人工環境下で育てて海に戻すための試みをしていて、一般にも開放されています。
それから軍港に行き軍艦と空母を見学しました。
ところが、バスを下りる直前、旅行幹事のタイ人女性社員のAさんから聞き捨てならない注意事項が発表されました。
「軍の施設は軍事秘密上タイ人のみ見学OKなので、日本人社員の人はタイ人のふりをして黙っていてくださいー」

突然の注意事項に「ドキドキドキリコ」になってしまいました!!
そして5人ほどいる日本人社員は押し黙り、入り口ゲートを通過して軍艦に乗り込みました。警護の態勢はゆるくて兵士にはチェックされたり質問されたりはしませんでしたが、ちょっとだけ緊張しました。でも、軍艦や空母など軍の兵器に乗っているのに、タイ人社員たちはすごいハイテンションで自分撮りやグループ写真に励んでましたよ。タイ人もインスタ栄え命なのですね。わたしは横須賀の三笠公園に停泊している戦艦三笠に乗ったときのことを思い出してました。
そしてそのあとはコテージ式の宿に着き、夕食はシーフードバーベキューにカラオケ大会。翌日は朝から巣もぐりツアーにでかけて昼食はまた別のシーフードレストラン。そして午後2時すぎに現地を出発し、バンコクへ戻りました。

何回か石川さんのHPでレポートを書いていますが、タイの社員旅行は心が休まってリフレッシュしますねー。今年はさまざまな事情で社員旅行は中止になりましたが、また来年復活を祈願しています。はやく疫病が退散しますように。(波照間エロマンガ島 20/9/11)

(寸評)なんせ会社員になったことがないので社員旅行も経験なし...。昔、中国のとある街で山道をふらふら散歩していたらいつの間にか軍事施設の中に入ってしまい、焦ったことがあるなあ。6ポイント。

被害者は 16歳…ではなく

20年くらい前、新聞にて発見した記事です。

東京都世田谷区桜丘4丁目の路上で25日夕、女性が男に髪を切られた事件で、被害者は16歳の高校1年生ではなく、近くに住む無職女性(44)だったことが26日、警視庁世田谷署の調べでわかった。女性はセーラー服にルーズソックス姿で、事情聴取に「高校1年の16歳」と説明していた。

そこはかとない可笑しさがあり、笑いがこみあげてきました。(波照間エロマンガ島 20/9/11)

(寸評)切なくもあるよね...。5ポイント。

銀座8丁目交番で説教食らうの巻き

波照間エロマンガ島@タイランド在住です。1990年代、東京都銀座の会社で働いていた頃の話です。
ある日の朝、コンビニエンスストアで朝食を購入したあとちょっとした用があって近くの電話ボックスで電話をかけ、会社に出社しました。デスクでおにぎりをほお張り、仕事のセッティングをしていたとき、異常に気がつきました。

「あああぁ、手帳がない!!」

さきほど電話ボックスで電話をかけていたときにビジネス手帳を電話の上に置いて、そのまま会社に来てしまったことにすぐ気づきました。ダッシュでその電話ボックスへ向かいました。
ない!! わたしの手帳はなくなっていました。ガーンとショックを受けるわたし。仕方なく電話ボックスから30メートルくらいのところにある銀座8丁目交番に行ってみました。
おまわりさんに「15分ほど前、ビジネス手帳をそこの電話ボックスに置き忘れて失くしてしまいました」と説明しました。おまわりさんは「これのことですか」といい、A4サイズのちょっと大きめのビジネス手帳を出してくれました。「今少し前に届けられたんですよ」とのこと。
「すみません、この手帳です」とわたしは見つかったことを内心よろこびました。ところが、そのおまわりさんは何かわたしをじろじろ見ています。なにか悪い人間を見るかのように。

「ところで」とおまわりさん。「この手帳なんですが、失礼ですが中身を見させていただきました。すると、これはいったい何なんですか?」と手帳を開きました。

あちゃー、当時わたしがコレクションしてスクラップしていたデリバリーヘルスのチラシが10何ページにもわたって貼っているページを指差されたんです! 「これはなんですか!」いきなり詰問調になるおまわりさん。わたしはいきなりしどろもどろになりました。消え入るような大きさで「こ、これは、ちょっと魔が差して電話ボックスからはがして貼ってしまったんです・・・」しかし、魔が差したというにはかなりな量のチラシがスクラップされていました。

それからおまわりさんの説教とも脅しともとれる攻撃が始まりました。当時はまだデリバリーヘルスが合法という法律はまだ施行される前だったと思います。つまり非合法なチラシをもって、あんたはそういうところに行ってるんですか!と攻め立てられたんですね。
わたしは必死に否定しました。「チラシのデザインが面白いのでつい出来心ではがしてしまいました。けして行ってはいません」とかなんとか言い訳しましたかね。もうわきの下、汗いっぱいでしたよ。

10分くらい説教されて解放されましたが、いやぁ大変な目に遭いました。時代はまだ携帯電話時代に入る直前で、わたしもポケットベルからPHSを持ちはじめた頃かな。まだまだ電話ボックスで電話はしょっちゅうかけていました、そして電話ボックスにはその手のいかがわしいピンクチラシがたくさん貼られてる、そんな時代でした。

*ちなみに前回投稿した「ボニータ友の会」も同種のピンクチラシでした。(波照間エロマンガ島 20/8/28)

(寸評)当時の電話ボックスはすごかったよねー。もうミニサイズのチラシだらけ。今はネットで事足りるものね。時代ですな〜。7ポイント。

えーっと、今日はやめとくわー。

波照間エロマンガ島です。大学生の頃の話です。友人Kくんと待ち合わせして新宿3丁目の大手画材店で買物をしたあと、近くの飲み屋で食事をしました。Kくんは予備校時代の友人で2浪して東京藝大に入学した頑張りやさんで、で「ゲイ」でした。わたしはなんとなく彼から好かれていることを知っていて、「そういうこと」を求められたときは、できるだけえん曲的に「そういうこと」を断ることにしていました。なぜならわたしはそのときは「ゲイ」ではなかったから。その日は久々に会ったのでわたしが「藝大はどうなの?○○先生の授業とってるんでしょ」とか、共通の知人の話とか、藝大とわたしの通うT美大の校風の比較をしたりとか、いろいろ談笑してもりあがりました。で、いい時間になったので帰ることにしました。

新宿駅に向かう途中、新宿2丁目のゲイサウナで有名な某店の前を通りかかりました。するとKくんはとつぜん立ち止まり、「ごめん、今日はあなたとここに来たいと思ってたんだ。ここどういうところか知ってるでしょ。すっごく気持ちいいの。一緒に入らない?」と言ってきたのです! そう、この店は乱交サウナとして有名でここでわたしをホモセクシャルな世界に誘おうとしたんですね。わたしは内心引き攣りました。そしてKくんを傷つけないようにできるだけ平静を装い「えーっと、今日はやめとくわー」と言って、逃げるように帰りました。その夜はけっこうショックを受けて頭の中ぐるんぐるんしましたよ。「普通こんな口説き方するか、Kの馬鹿野郎」ってね。

その後数十年経ち、結局わたしはそちらの世界も知ることになりましたが、この夜のことは妙に懐かしい想い出であります。(波照間エロマンガ島 20/8/28)

(寸評)あー、俺も友達の家に泊まったら「たまには一緒に寝ようよ!」と言われてなんとか誤魔化したことあったな。
向こうもそれを言った後で「しまった」と思ったらしく、ふたりでなんとか冗談にもっていったけど、ドキドキしたなあ。9ポイント。

変態性癖

波照間エロマンガ島@タイランド在住です。
わたしは2008年4月に日本からタイに引っ越してきました。その直前2007年年末、日本に置いていく荷物をマンションから実家に移動すると同時に部屋を引き払い、4月までの数ヶ月のあいだだけ実家に戻ることにしました。その引越し準備をしていたときのこと。

わたしは仕事が忙しく、なかなか荷物をまとめることができませんでした。すると母と叔母が親切心から、わたしの部屋に来て荷物のパッキングをしてくれることになりました。ところが、当初約束した日の1日前に二人は来てしまったのです。見られて恥ずかしいものは、あらかじめ捨てるか厳重に箱詰めしておこうとしたのですが、その目論見が崩れてしまったわけでした。
わたしは「明日二人が来る前に荷造り終わらせなくちゃ」という気持ちで夜7時頃帰宅しました。すると、部屋はきれいに掃除された上に、たくさんの段ボール箱がふたをガムテープしないまま種類別に並べられていました。捨てるかパッキングするかは決めてくださいという意味ですね。わたしは絶句しました。

見られたくないものとは、すなはち変態グッズの数々です。当時懇意にしてもらっていた緊縛師匠から譲り受けた荒縄。SM用の低温ロウソク。副業で行なっていた大人のおもちゃ販売でよく出荷することが多く在庫として置いていたローターやローションなどの商品。同じく副業で行なっていたAVアシスタントの仕事で撮影用に使っていたピーチジョンの女性用セクシー下着。趣味の女装用の化粧箱とガーターストッキングなどの女性下着。おまけに以前つきあっていた恋人が置いていった女性用補正下着まで、全部きれいに小分けされて段ボール箱に入れられていたのです!!

数日後、段ボールを実家に運び入れました。が、母はこの変態グッズの件に関しては何も言いませんでした。母なりの気遣いを感じましたが、母がショックを受けたのかどうかは、亡くなった現在はわかりません。でもたぶんうすうすは息子の性癖は知っていたとは思いますが。
そんな引越し準備中に親に知られてしまった変態性癖の巻き、でした。(波照間エロマンガ島 20/8/28)

(寸評)うわー、こいつはツラい〜。お母さんと叔母さんもその時一体どんな会話をしたのだろう...。
ま、大人だし犯罪じゃないしね、と慰めるしかない...。8ポイント。

おバカ、それは私。

王様の投稿で
話題376 しりとり
ルンペルシュテルツキン
海外ドラマ「ワンス・アポン・ア・タイム」で知ったグリム童話。ドラマも面白かったけどルンペルシュテルツキンの役者さんが個性的で気になった。

というのを打ち終わり読み返したら「ん」で終わってるじゃん!と気がついて投稿をやめました

(寸評)うん、でもその間違いをする人は時々いるから、それほどのおバカじゃない。
それより、この投稿にペンネームがなかったことの方が、一度ゴミ箱に捨てた過去のメールアドレスから誰だか調べることにとても時間がかかりましたよ、美月さん(笑)。5ポイント。

聞き間違い

新型コロナウイルスが流行する前はスポーツジム仲間での飲み会を頻繁にしていました。
飲み会メンバーは大体同じスタジオレッスンに参加している人の集まりで、スタジオで話している内に飲み会メンバーに入っていくのが流れになっています。
うちの場合はSさんと言うおじさんがリーダー格で、Sさんが参加されるエアロビクスレッスンの常連メンバーが大体飲み会メンバーになります。

表題の「聞き間違い」は数年前の事。
飲み会の新メンバーにHさん夫婦が参加されました。話を聞いてるうちにHさん夫婦が阪神タイガースファンということがわかり、リーダー格のSさん大喜び。
Sさん実は熱烈な阪神タイガースファン(トラキチ)で、声を掛ける際にタイガースのTシャツを着てレッスンに参加した人は必ずチェックしています。HさんもTシャツを着ている時があるので声をかけたのでしょう。そしてHさん夫婦もご家族で応援する程のタイガースファン(トラキチ)、こうなるとこの日の話題は虎一色になります。(我が家は母がタイガースファン(トラキチ)で、それが理由かどうかわかりませんが飲み会の場で私はタイガースファン(トラキチ)扱いされてます。まぁどうでもいいか。阪神が勝った時の観客の盛り上がりは見てておもしろいし。)
Sさん
「じゃあ、今日の飲み会は阪神つながりだねえ。」
H奥さん
「うちは阪神つながりの関係で結婚したのよ。」
Sさん
「もちっこのとこも親子で阪神つながりだからなー(勝手に断言)。今日は阪神つながりが多いなー。」
もちっこ
「違うっちゅうに!(どうでもいいけど)」
なんて会話の中、どこの球団ファンでもないTさん(酔っ払い)がいきなり、
「えっ!下半身のつながり!?」と他のお客さんに聞こえる程に叫んでしまい、
球団つながりから一気にエロつながりになってしまった飲み会でした。
因みにこの日に下半身タイガース、下半身の奥さま等と言う言葉が生まれ、しばらく飲み会のネタで取り上げられることになります。(もちっこ 20/8/17)

(寸評)「ぼちぼち私の股間の巨人でも出しますかな」という人はいなかった? 6ポイント。

言い間違い

朝食の食パンを袋から出してトースターに入れようとした時の事です。母が私に向かって「パン洗っといて!」と。 「パン洗うってなんですかー?」と言いつつ食パン2枚をトースターに入れて焼きました。
以上、今朝の平和な出来事でした。(もちっこ 20/8/17)

(寸評)パンツの間違いだったりして。汚れたパンツが落ちてなかった?5ポイント。

ボニータ友の会

波照間エロマンガ島です。今から15年ほど前、日本で働いていた頃の話です。あるボランティア団体の会合中、わたしはメモをとりながらとりとめもなく落書きやら思いつきのフレーズをレポート用紙の余白に書いていました。これはわたしの癖で、人の意見を聞きながらそこからインスパイアされた言葉やイメージをボールペンであちこち無意識に書くことをよくしていたのです。
ミーティングが終わり、プロジェクトの関係者2、3人でだべりながら話を続けました。わたしの相方の女性Sさんがわたしのメモをじっと凝視しているのに気づきました。「え、なに?」とわたし。Sさんは言いました。「この『ボニータ友の会』ってなんですか?」わたしはびっくり! そこにはものすごい小さく書いたメモ断片、しかも書いた後に上からぐちゃぐちゃ線を書いて消した言葉をSさんは読み上げたのです。
わたしは「な、なんでもないよ」としどろもどろ気味に否定しました。しかしSさんはわたしの変化に敏感にみてとったのか、「なんなの、これ?教えなさいよー」と攻めこんできました。これはまずいぞ。結局は適当にごまかして真相はうやむやにしましたが本当にドキドキものでした。

実はこの「ボニータ友の会」とは、当時住んでいた横浜伊勢佐木町のマンションの近くの電話ボックスで見つけたデリバリーヘルスの店の名前だったのです!!なんか名前の響きが心地よく、頭の片隅に残っていたので、ミーティング中に書いてしまったのですね。もちろんのこと電話してデリヘル嬢は呼びませんでしたが。当時横浜はラテン系美女からロシア系、東南アジア系まで、全世界の女性と友好関係を結ぶことができたので、ラテン系の女性とどんな友好関係ができるのか妄想して楽しんでいたというわけでした。
しかし、Sさんの勘はとても鋭かった。。。わたしの心の中を見透かしているかのような質問攻撃でしたよ。
断じて部屋にラテン系美女を呼んでないことを最後に書いてこの項終わります。そんな「ボニータ友の会」の想い出。(波照間エロマンガ島 20/8/9)

(寸評)変わった店名だねー。新興宗教団体にありそうなネーミングだね。6ポイント。

仏壇の思い出

先日、練馬区製作の「たいこの親分」の動画を見て、自分の幼少期のおバカな体験を思い出したので、投稿させていただきます。

何歳の頃だったか、たしか5歳ぐらいだったと思いますが、母方の祖父母宅に里帰りしていた時のことです。
その家には田舎特有のそこそこ大き目の仏壇があり、祖父母は毎日仏壇の前で祈ったりお供え物を取り替えたりしていました。
しかし当時も今も信仰心の全く無い私は、お祈りをする際におりんを鳴らすのが楽しく、毎回おりん担当をさせてもらっていました。
そんなあるとき、仏壇専用の部屋に誰もいないのを見て、何気なくあることをやってみようと思い立ちます。
人目がないのを確認し、仏壇のおりんを鳴らすスティック(調べたところ「りん棒」というらしい)で並んでいる仏具を打楽器よろしく叩きまくったのです。
仏具というのはどれもこれもバリエーション豊かな良い音色で、叩いているうちにインスピレーションがどんどん湧いてきます。
どれだけの時間が経ったか(実際は数分だったでしょうが)、ひとしきり叩いて締めのおりんを鳴らし終えた後「なかなかいい演奏ができたな」という充実感と共に心の中でしたり顔をしたのを良く覚えています。
幼かったとはいえ仏壇の意味は理解していたので、もし見つかったら怒られるとハラハラしながら叩いていたのですが、幸い部屋には誰も入って来ず事なきを得ました。
あれは我ながらクリエイティビティ溢れる楽しかった思い出です。

しかし幼少期というのはどうしてああもリズム感覚が研ぎ澄まされているのでしょうか。
思えば、子供たちが作り出すオリジナルな遊びの掛け声や口上はリズミカルなものが多い気がします。
リズムを感じたり奏でたりするというのは一種非日常的な感覚だと思うのですが、ああいう感覚は残念ながら大人になるにつれ「やらなくていいこと」「取るに足らないもの」として見向きもされなくなってしまう傾向にあると思います。
そして自分はなるべくそのような感覚をずっと大事にしようと思っているつもりだったのですが、今回石川さんの映像を見て「仏具演奏」というおバカな幼少期の記憶がよみがえると同時に、「ああ、やっぱり自分も『大人』になってしまったのかな…」となんとなく淋しい気持ちになってしまったのでした。

もしかしたら人々が音楽家や芸術家を応援してしまうのは、自分たちが失ってしまった感覚を持ち続ける人たちへの無意識的な憧れから来るのかな、などと今考えたりしています。。(Kth 20/8/9)

(寸評)俺は今でも許されるなら仏具演奏したーい。いい音するものあるものね。
もっともたま時代は友人から譲り受けた仏具の鐘を叩いてたけどね。6ポイント。

何故スープに入ったパンのかけらが食べられないのか

最近、職場でインスタントのカップスープなどが配られました。オーナー企業の商品のあまりものでしょう。
その中にパンのかけらが具のスープがありました。私はこういった類のものが食べられないのです。
小学校5年の時でした。
転校先だったのですが、すぐに遠足があり家が隣の同級生とおやつを買いに行くなど楽しみにしていました。
しかし引越し先の水道水(霞ヶ浦からの水)に当たったのか当日になって下痢がひどく、遠足は欠席になってしまいました。
夜になってもお腹の調子は直らず、固形物は食べられません。つまり遠足に持っていくはずだったおやつも食べられません。
目の前で私以外が食べていきます。この時はじめてボンタンアメというのを買ったのですが、「おっボンタンアメ。これがうめえんだー」と食べられない私の前でムシャムシャする父。
私の夕食は、母が作った食パンと牛乳からの「パンがゆ」。味気のなさと柔らかさで虚しくなりました。
その頃、猫が出産していたのですが、しばらくして乳離れをしたのか母が親猫と同じような餌をあげるようになりました。
そんなある日。
母が作って猫の子供が食べていたのは、私が下痢の時に食べさせられていたパンがゆ!
おれは猫のエサを食べさせられていたのか・・・
私はこの時から、スープのようなものに入ったパンが食べられなくなってしまったのです。(猪熊猛 20/8/9)

(寸評)俺も霞ヶ浦の近くに一年間だけ若い頃に住んでいたけど、あの水道水はすごかったよね。
生はもちろんお茶にしても飲めない。
40年前なのに浄水しなければ飲めなかったものなあ。
ところでスープに入ったパンって、クルトンとかも駄目?あれは子供の頃から好きだったけどなあ。6ポイント。

拝み倒し案件

波照間エロマンガ島、タイ国在住です。最近の出来事です。
仕事で取引先の某ショップに行ったときのこと。その日は休日でドライバーが非番だったので自分で運転して店に行きました。駐車場が離れていて日曜で交通量も少ないから大丈夫だろうと路上駐車をしました。
しかし10分ほどで商談を終え店の前に戻ってみると、なんとおまわりさんが青い違反切符にナンバープレートを記入して駐車違反の手続きをしているではないですか!!
わたしは大変あせりました。たしかにわたしは悪いことをしているのですけれども、わずか10分足らずの時間で駐車違反をとられるなんて、日本の感覚からしたら理不尽すぎます。すぐにわたしはタイに来てまもない言葉もおぼつかないおバカな外国人のふりをしておまわりさんに許しを乞いました。「お願いですから今回は許してくださいー!」と頭を下げて土下座をせんばかりに拝み倒しました。
するとおまわりさんはころっと態度を変えて「おめこぼししてやるから現金をくれ」ということを言いはじめました。実はここだけの話ですが、こういった展開はタイではよくあって、交通違反をお金でもみ消すことはよくあるんです。わたしはそれで何度か交通違反を免じてもらったことがあります。〔ほんとにここだけの話ですよ、すみませんです、はいw〕
というわけで、XXXバーツを袖の下に渡して罪を免れるようしてもらいました。拝み倒し作戦成功の瞬間でした。もちろんこれはレアなケースで、一斉検問をやっているときなどは交通違反を賄賂で逃れることはまずありません。そんな拝み倒し案件の巻き、でした。(波照間エロマンガ島 20/8/9)

(寸評)日本でも「点数引かれるより、袖の下で助けて〜」と思っている人も多いんだろうな。6ポイント。

法隆寺の裏

波照間エロマンガ島、タイ国在住です。
高校時代のある日曜日、同級生の家に遊びに行くことになりました。
当日最寄り駅に着くと、公衆電話で彼に架電し家の所在地を確かめました。
彼は「そのまま駅を出て国鉄の線路沿いの道を横浜に向かって歩いて。12〜3分歩くと、法隆寺って寺があってその裏がうちだから。そのあたりで待ってるから」と説明しました。
わたしは「は?法隆寺?」ときょとんとしました。奈良の法隆寺を自動的に想起したんですね。一瞬だけ、ここ菊名駅から奈良まで歩くのかよ、と思ってしまいました。〔ここが今回の投稿のおバカポイント〕
はたして横浜線の線路沿いをとぼとぼ歩くと、法隆寺という寺があって、そのあたりで彼がわたしを待っていました。

1979年頃の出来事でそれから41年ほど経っています。国鉄はJR東日本になり、公衆電話は廃れ携帯電話の時代になり、元号は昭和から平成、令和と2つも変わりました。でも、わたしの心持は17歳のそのころから57歳の現在まで、あまり変化したようには思いません。ニューウェイブやパンク、テクノポップが好きで、その日も渋谷の輸入レコード店でジャケット買いしたレコードをもって彼の家に聴きに行ったことを昨日のことのように覚えています。「法隆寺の裏」というフレーズとともに。(波照間エロマンガ島 20/7/21)

(寸評)「金閣寺の裏」と言われるところばぬさきのつえのアマチュアツアー中、大谷と知久君が野外の草むらでオナニー合戦をしたのを思い出す。どちらが勝ったか(飛ばしたか)は覚えてないが、山下さんや健さんと応援していたことを思い出す。5ポイント。

死んだら本当に驚いた

波照間エロマンガ島、タイ国在住です。日本で働いていたときの話です。
わたしは長いこと仏事返礼品業界の商社で働いていました。関東地方では主にお葬式の返礼品としてお茶とか海苔とかを出しますが、それらの商品を取り扱っていました。包装して袋詰めしたお返しものに礼状を同封して、遺族から参列者へのお礼の言葉を添えます。

あるとき、大御所の映画俳優で有名なT氏のお通夜が某所で営まれました。
彼はハリウッド映画にも何本も出演した日本を代表する名優で、後半生は心霊研究家としても活躍し自ら「霊界の宣伝マン」と称しメディアにて啓蒙活動をしていたので、ご存知の方も多いと思います。でもいちおうイニシャルにて書きますね。

T氏のお葬式での返礼品は弊社が担当しました。そのときの礼状には、なんとT氏の若い頃のブロマイド写真が入っていたそうです!

遺族の配慮で、皆に愛された故人のおおらかな性格が偲ばれるエピソードだとわたしは感心しました。T氏が製作した映画に「丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!」〔あ、言っちゃったw〕という作品がありましたが、「死んだら本当に驚いた」というタイトルでT氏を偲びたいと存じます。(波照間エロマンガ島 20/7/21)

(寸評)捨てるに捨てられぬ・・・俺も「浩ちゃん抱き枕」にでもしてもらうか。6ポイント。



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