(41)

ここは自分のまわりのおバカな奴の行動・言動などを紹介するコーナーだ。
なるべく本人を直接見たり本人から直接聞いたものが良いが、信憑性が高ければその友人ぐらいまではOK。もちろん人間じゃなくてもかまわないぞっ。
さぁ、まだ世間に埋もれている貴重なとっておきのバカを紹介してくれいっ!
メールにて投稿は題名「おバカ」で、末尾に自分の名前を入れてね。
ポイントは3ポイント以上〜ーだっ! ダ〜〜〜ッ!!

イス

最近、ダニに悩まされています。

寝てからでなく、寝る前に机に向かっている時に痒くなり、ポツンという膨らみができ、それがだんだん蚊にさされたように大きくなっていく・・・。

掻いてしまうと痕になる。

イスの話です。

これは、イスの布の部分にダニが潜んでいるのではないかと思ったのです。そこで、休みの日に、隣の駐車場の陽の当たる場所に置いておくことにしました。

用事に出かけて帰ってくると・・・。 無い! 誰かに持って行かれている!

それはそうです。どう考えても不法投棄なのですから、持って行かれても文句は言えません。

いいんです。

私も捨てられていたのを拾ってきたのですから。(猪熊猛 18/4/23)

(寸評)ギャフン。オチがあったのね〜。
椅子は長く使うからそこそこちゃんとしたものを。 7ポイント。

借りるか、普通? & 貸すか、普通?

先に「初体験(92)」に投稿した無駄に長ったらしい北陸旅行の顛末のなかで、2日目朝8:15発の福井行き特急サンダーバード号のなかでなかなかありえない事態に遭遇した、と書いたのでそれを投稿したいと思います。ニーズは無かれども。

自由席を無事にゲットできた我々、福井まで50分かかるのでのんびり車窓を眺めながらうとうとしてたいな・・・ なんて思っていた矢先。
通路を挟んで向かい側の50歳前後の女性、なんだか乗り込んできたときからそわそわしている様子だったのですが、しばらくしてから通路側の嫁はんに聴きなれないアクセントで声をかけてきたのです。

女性「あのすいません、実は私の分のこの電車の切符を持ってるはずの待ち合わせの相手と会えないまま乗車しちゃって、連絡をつけようとしたら電話を忘れて来ちゃったみたいで、申し訳ないんですが携帯電話を貸していただけないでしょうか」

・・・・・・はぇ???

一瞬、車内の公衆電話を使ったらええやんけー、と思いましたがそれがあるのは新幹線だけ。現在国鉄(←古い)の特急車両には電話は付いていません。
ただこの個人情報がうるさいご時世、自分の携帯電話を「ハイどーぞ」と差し出す人間など普通は居らんでしょう。しかも未来電話すなわちスマートフォンなどの場合様々なデータやアプリを入れていてちょっとした操作のミスで秘蔵のエロエロフォルダを間違って開けられてしまう可能性だってあるでしょう。知らんけど(笑)。だから普通の感覚なら、まったく見ず知らずの他人の携帯電話を借りる、という行為自体ありえないことだと私は思うのです。

しかし幸か不幸か私と嫁はんの所有している携帯電話は古代仕様。非スマート電話です。オサレなアプリなど一切はいっていませんし操作は十字ボタンとテンキーでつぶつぶ行います。指でさっさっ、ってできひんやつです。さらに嫁はんはともかく、私の携帯電話には大した情報はこれまた一切はいっていませんし、粗忽で迂闊な私はうっかり落とした時に個人情報が流出しないように全員の名前をでたらめに誤変換したものを登録しています。まぁ見る人が見れば完全にキチガイ扱いされるでしょうが。
ゆえに、貸してあげても別段問題が生じる可能性は少ない、と判断してしまったのです。

でも・・・ ねぇ。貸してあげた結果私の電話番号がこれまた知らぬ誰かの元へ通知されるわけでしょう? その受信した側が私の番号を悪用しないという保証もこれまた一切ないのです。うぐぐぐぐぐぐ・・・

懊悩/呻吟の結果、私はその女性に「こんな古いガラケーで良ければ・・・」と自身の電話を差し出しました。なぜって? ここで断った後のことを想像してみましょう、女性は車内じゅうの乗客に電話を貸してくれないか、と懇願してまわるでしょう。そんなもん、古代電話なんて使ってるのは確実に我々夫婦しか存在しないはずですから上記に述べた理由で普通の人間ならば赤の他人に電話なんて貸すわけがありません。さんざっぱら断られまくっていよいよ窮地に追い込まれ混乱を深める50代女性。そんな見るも憐れなものを私は目にしたくありません。

「ありがとうございます!」と女性、早速手帳を取り出してどこかへ電話しています。「もしもし、〇〇さんですか? じつは△△さんと8:15の特急で待ち合わせしてたんですが逢えないまま特急乗っちゃって、でも携帯忘れて来ちゃって△△さんに連絡取れないんです。そう、チケット△△さんが持ったままで私持ってなくて。〇〇さんの電話番号が手帳に書いてたのでお電話したんですが、△△さんにこの電話まで連絡してくれるように伝えてもらえませんか? あの、この電話も乗客の方にお借りして架けてるんです。はい、はい、お手数をお掛けしますがよろしくお願いします」

おいおい、直接待ち合わせ相手に連絡つけられへんのんかい(笑)!! どんだけ私の電話番号が知らん人に通知されていくねん!! そのうえ客室内での通話、というマナー違反に私は加担している事にもなるのです。もうやだ。
女性「あの・・・ またしばらくしたらこの電話に連絡が来ると思うんで・・・ もうしばらくお借りしていてもよろしいでしょうか」
オポ「・・・ええ、じゃあしばらくどうぞ」

この状況でいいえ、と言えるわけがありません。せっかくのんびり福井までくつろごうと思った我々の思惑は破砕、電話が架かってくるまで妙な緊張感に包まれ続けるのでした。

そのうち車掌さんがまわって来ました。特急用の切符を持たないまま新幹線改札から在来線へ進入できてしまった女性は事態を説明し、切符を持っているはずの△△さんといま連絡を取ろうとしているところだ、と述べました。車掌さんも状況を把握し、車内アナウンスで△△さんの呼び出しをしてくれました。・・・しかし、反応はないようです。

その後20分は経ったでしょうか。ブーッブーッ、女性の手元に誘拐(?)された私の古代携帯が震えます。「えと、ここ押したらいいんですか?」電話が古すぎて操作方法も覚束ない様子です。悪かったな古くて(泣)。「左上の受話器を上げてるマークです!」

女性「あ、もしもし、△△さんですか? 8:15のサンダーバード乗ったんですけど、いま同じ電車に乗ってます? え? 乗ってない!? じゃぁえーと次で降りて待ってますから、えーと・・・ すいません、ここは何処ですか!?」
オポ「・・・・・・次は芦原温泉です」
女性「えーとあわら温泉! あわら温泉だそうです、そこで降りて待ってますので、はい、よろしくお願いします、はい、失礼します」

ちゃんとさっき流れていった次の駅名の電光表示を見てて良かった・・・ なんで私がそこまで面倒見たらなあかんねん(呆笑)。ってしかし乗る特急によっては芦原温泉には停車しないんじゃぁ・・・? これ大丈夫か。そして大阪まで行くこの特急、私が福井で降りるまでにこの問題は解決するのか。さすがに電話を預けるわけにはいきませんからね・・・。すると車掌さんがふたたびやって来ました。

車掌「お呼び出ししたのですが車内にいらっしゃらないようですね・・・」
女性「あの、連絡が付きました! 次のあわら温泉で降りようかと・・・」
車掌「いま△△様はどちらにいらっしゃいますか?」
女性「まだ金沢だと思うんですが・・・」
車掌「どの電車に乗るかで降りて頂く駅が変わってきますから、連絡を取っていただいて良いですか?」
女性「はい、(ピッピッピッピ・・・)あっもしもし△△さんですか? いま車掌さんにお話して・・・」
車掌「ここでは他の皆さんのご迷惑になりますから、デッキに移動していただけますか?」

・・・・・・あれ、行っちゃった。

嫁はん「ちょっと、電話もっていかれたままでいいの!? 見に行っときーな!」
オポ「(え、だって車掌さんもおるし盗りはせんやろ・・・でも逆らったらこわいし)う、うん、見てくる」
気の小さい私はデッキの前の扉でやりとりに聴き耳を立てていました。

車掌「この時間だと△△様の乗車される特急はしらさぎ〇〇号ですから、芦原温泉ではなく福井で降りてお待ちください」
女性「ありがとうございます、お手数をお掛けしました」

・・・ほっ、どうにかカタが付きそうですね。がらがら、デッキの扉が開きました。
オポ「すいません、もう電話いただいて大丈夫ですか」
女性「わっ、あ、は、はい、どうもご迷惑をおかけしました」

私がすぐ近くで待っているとは思いもしなかった様子でややビビりつつ、女性は電話を返還してくれました。
どうも仕事で他の会社の人と京都へ行く予定をしていて、金沢で新幹線から在来線へ乗り換える段階で待ち合わせに失敗、しかも今日に限って携帯を家に忘れてきた、という愉快な事態であったようです。

私ならどうしただろうか? いや、絶対に他の乗客に電話なんて、借りれっこない。それが請えたこの方は、ある種ものすごい根性の持ち主といえるかもしれません。

座席に戻ってから。
女性「あの、いろいろご迷惑をおかけしました。いま電話の相場がよくわからないので・・・」
と、100円玉を差し出してきました。
オポ「いや、もうそんなんいいですよ」
女性「いえいえ、相場はわからないですが受け取ってください」
オポ「・・・はい、じゃぁ頂いておきます」

かくして私は使用料として100円をゲットしたのでした。わーい。・・・・・・わーい?
嫁はん「よう貸したな、私は絶対貸さんわ」
オポ「・・・まぁ別にスマホでもないし何の機密もはいってないしな、困ってはったし・・・」

その後、私の古代携帯に見知らぬ番号から電話が架かってくることはいまのところありません。ただこのお人よしもいい加減にしとかないとそのうち生命や財産に係わる事態になりそうです。でもきっと、治らないでしょう。それで一生を棒に振っても、後の世に誰かが笑うだけ。大したことではありませんね。ぼくの未来は悪人の餌食。ははは。はは。(オポムチャン 18/4/23)

(寸評)俺はそもそも持ってないけど持ってたらやっぱり貸しちゃうな、その感じだと。
問題は怖そうなオッさんが同じようなことょ言ってきた時だ。・・・やっぱ貸すな。 8ポイント。

初期の頃のここのHPを調べてみました。

まず栄えある偉大なるおバカな投稿王です。
・2003年
※たらこそばさん(確認取れず)

T.E.E.さん

めめさん

かえるさん

のんさん

・2004年
ぽんつくさん

勾丞さん

ペロさん(以下長期政権が続く)。

続いて、豆知識です。
1・現在は「日常クイズ」「日替わりコンテンツ」の二つだが、昔は一日1つだけ更新の時代から一日3つ更新していたことがあった。
2・ニヒル牛のコンテンツが充実しており、通信販売から、「ニヒル牛全箱紹介」という今では考えられないコーナーがあった。
3・「ザ・レポート」が「レポートでおしゃまんべ」という名前だった。なぜつまらないタイトルになってしまったのか。ちなみに納豆は「ねば〜エンディングストーリー」。現在のレトロかるたコレクションのページをクリックすると「おマヌケかるたコレクション」となっているがそれが当時のコーナー名だった。
4・すべてのポイント交換に「バーステーソングプレゼント」「サインノート」が、それぞれ付いていた。
5・ほとんどのコーナーが存続しているが消えたコーナーとして「もったいないおばけ」(物々更新の前身)、「なんでもアンケート」(インディアンケートの前身で「好きな曲」などをランキング形式にして発表)などがあった。
6・現在では「ツイッター」「インフォメーション」など一部を除きほとんど投稿者がポイントを稼げるコーナーだが、昔は石川さんのコレクションやたまファンクラブ、CDのコンテンツ、ボイスコレクション、今日の一言などが多く更新されていた。あるさんの日誌も日替わりコンテンツとして絶えずupされていた。
7・王様は、以前は投稿制限なしだが、そのあと一度につき5個までとなっていた。それがいつしか10個までとなった。

・・・いろいろ面白い!(わいわい 18/4/23)

(寸評)ほー、そういうの調べられるんだね。
投稿王、確かにたらこそばだった。今は42位かぁ。他にもポイント使って今は100位以内にも入ってる人も多いな。
コンテンツも、ニヒル牛のホームページが出来るまではこのホームページの中で展開してたんだよね。
当時はポイントもそんなに貯まらなかったし「バースデーソングプレゼント」はカセットでしてたけど、今はデッキを持ってない人も多いもんな。
ほとんどのことは忘れてるな。なんせ15年前だもんなー。10ポイント。

ホームページ更新バカ一代、石川浩司

「ホームページ1999年より毎日更新」を謳う、我等がマスター石川浩司のある日のホームページ更新風景です。親しみをこめ、あえて「私のまわりのおバカさん」に投稿します!



これは2018年2月17日、モダンガール研究の第一人者の淺井カヨさんとのジョイントライブ楽屋でのヒトコマ。ちょっとでも空き時間があるとすぐにバッグからノートパソコンを取り出し、更新準備をする。その瞬間はもはや話しかけるのも憚られるほどの集中度です。このこだわり、ひつこさは大いに学ぶべきところあります。わたしも負けじと同じ場所でその日のクイズを解答しました。が、しばらく経って石川さんがニヤニヤしながら「エロさん、クイズ不正解です」ですって!! 当然ながらクイズの答えを教えてくれるためヒントを出すこともなく、公平にジャッジしています。素晴らしい!! わたしもなんだかんだで投稿者生活10年目になりました。今後も一歳年上の人生の大先輩について行こうと思います! (波照間エロマンガ島 18/4/14)

(寸評)普段は旅行先でも宿の部屋に帰ってから更新するのだが、この日のバンコクのホテルは豪華だったがなんとネットが繋がらない!
なのでwifiがあるライブ会場で焦って更新せざるを得なかったのだ。
なんと言っても俺のライフワークだから是が非でも更新したいんだよねっ! 8ポイント。

わいわい遭難シリーズ・西表島編

何が遭難シリーズなのかよくわかりませんが(笑)。
私は西表島へ三度訪れたことがあります。
沖縄にある西表島は、日本で唯一といってもいいジャングル島です。
マングローブ林の中を東南アジアのような川が何本も流れており、例えば島を縦断するには入山届けが必要で熱帯雨林のような林の中をヒルなどに囲まれながら歩かなければなりません。
島の一周道路もなく、道が通じていない地域には、いまだにヒッピーみたいなコミューンが作られ、人々が自由気ままな生活をしている地域があります。

ピナイサーラの滝へ向かおうと、わいわいは広大な干潟を超えマングローブの林を抜け、川を渡っていきました。幸い下は水着で上はTシャツといういで立ちでした。
しかし、どこでどう間違ったのか、人道どころかけもの道もなくなってきました。
私はとまどいながらも荷物を頭の上へ乗せて、腰辺りまで川につかりながら、じゃぶじゃぶと上流を目指していきました。

途中でカヤックに乗ったツアーに会うと、
「だめだため! なにやってんだ! こっちじゃない! 向こう岸に渡れ!」
とガイドに怒鳴られました。「遭難するぞ!」
私は這う這うの体で川岸に上がりました。

そしてやっと森を抜け、対岸へ渡り、トレッキングを続行しました。

ちなみにピナイサーラとはこんな滝です。

https://d18gmz9e98r8v5.cloudfront.net/ptr/20130619232757_1574156898_10145_9.jpg (2018.4.2アクセス)

もしあのまま登攀していたら、遭難していたかも・・・。恐ろしい(わいわい 18/4/14)

(寸評)俺も西表島には行ったことあるけど、夫婦での旅行だったので至って呑気なもんだったな。
夜に民宿のオヤジさんが海に連れて行ってくれ、海を懐中電灯で照らすとその光通りに大量の魚が水上を飛び跳ねるという光景を見させてくれた。
あれは幻想的だったな〜。 8ポイント。

理科の先生

僕の中学2年の時の担任の先生は、理科の先生(女性)でした。
とても教えるのが上手く、しかもかわいいとあって、生徒からの支持も絶大でした。
しかし、玉に瑕というか、その先生にも欠点があったのです。
それは、漢字が読めないこと。
「防人(さきもり)」を「ぼうじん」と読んで、生徒の失笑を買ったりしていたのですが、極めつけは、
「理科」を「理化」と書いたことです。
「自分の担当科目も間違えるか…」と、皆啞然としていました。(未成年 18/4/14)

(寸評)それはスゴい・・・。
ちなみにうちの妻の本名は理香。普段そう呼ばないので忘れそうになるけど・・・。7ポイント。

(石川浩司)

いっこ じゅっこ の先にあるもの

前回、中学2年にもなって、あるフレーズがエロ用語であることを知らなかったばかりに日常生活で普通に使ってしまった、というネタを投稿しました。

その翌年のことです。

転校先だったのですが、同じクラスのお調子者タイプが、「違うクラスに、エロいことをまだ知らない奴がいて、キスをすると子供ができると思ってるんだ」と言います。

まだ知らないというか、誰かに嘘を教えられて信じているのでしょう。

さらに、昨年の私がペニスの意味を知らなかったように、あの定番の用語もまだ意味を知らず、普通に発しているのだとか。

「今度見せてやるよ」とお調子者。

ある日、校庭で学年が集まる時、お調子者が私を連れて、例のその人のところに行きました。

座りながら、「なあ、いっこ、じゅっこ・・・ って言い合っていく遊びしようよ」と、その人に言うお調子者。

「俺からな いっこ!」

「じゅっこ」

あれ? これではお調子者がアレに当たってしまわないか? と思った瞬間、

「あ、そういえば、・・・・」と話をそらしました。

その話が終わると、「再開だよ。(お前は)ひゃっこ! だろ?」

「ひゃっこ!」

「せんこ!」

「ま・・!」

なんのためらいもなく、普通に発しました。

私を見て、ほらな、と目で合図するお調子者。

あれから31年。当時言わされて誰も教えてあげないで裏で面白がられていた用語の意味や、子供の生まれる仕組みは知ることができただろうか、と、時々思います。(猪熊猛 18/4/14)

(寸評)その次は、自由まん・・・。 7ポイント。

研修会の話。

俺が所属する鍼の学会は、人数こそ少ないものの、北は宮城から南は沖縄まで会員が居る。で、毎年夏になると全国合同研修会というものがあり、これには新人からベテランまで参加できるのだが、これに向けての指導部員対象の研修会が一泊二日で、毎年春にある。俺も4年前に補欠で出席した事があるのだが、今年はついに逃げられず最初から選ばれてしまい、4月始めに高知県で行われた。で、以前にもここに出した事がある京都の会員wの話。

俺が泊まる部屋は3人部屋で、俺 その会員w(いずれもほぼ全盲)と高知県から出席の先輩会員k(健常者)で、畳部屋にはその高知の先輩会員kを真ん中に挟む形で、左側に俺、右側にwが寝た。

「鼾は気にはならんから安心して寝えやー。朝は5時50分起床で3人で風呂行こ!」という先輩kの言葉を了解して寝たはずだった。

ところが、何回か起きては寝てを繰り返した朝5時半。

「wの携帯のアラームが朝4時半からなりだして、wと西大路は起きんのに俺だけ起きて寝られん」というkの言葉。

「えー?僕はそのアラームで目覚める予定やったんですけど起きませんでしたねえ(笑)」とw。

「俺は鼾は気にならんとは言った。でもアラームは気になる。しかもそのアラームは鳥の鳴き声。何処に居る鳥か気になって仕方ない!」とk。

そうなんです。この先輩kというのが、王様の耳はロボの耳の話題19や38に少しだけ書いている、以前動物研究をやっていた人なのだ。今もその時の友達や先輩後輩とは続いているらしく、動物園や水族館に行ったら一日出て来ないという、筋金入りの動物好きなのである。

「それは辛いわ。僕も起きませんでしたのでえらそうには言えませんけどkさんに何処にいるかわからない鳥の声のアラームは拷問ですね!」と俺。

「ほんまよ。西大路がアラームで起きなかったのは良いよ。でもおまえの時計を見る音がしたので、わざと鼻かむ時に音させたのはそのまま起きてくれと言いたかったんよ。そしたらまだ時間早いとわかって西大路も寝よった。一人で寂しかったわ!」と先輩k。

「あの音はそういう事やったんですか。次同じ部屋になった時は起きますわ!」と俺。

「ほんまよー、頼むわ!」と先輩k。

「しかしwも前の日に次の日朝5時50分起床と言ってるんやから何でアラーム止めへん?」と俺。

「wはいつも朝4時半に起きてるん?」と先輩k。

「そうなんですよ。仕事行く日は朝4時半にアラームなるんですよ。日曜日はならないんですけどね!」とw。

「kさん最悪な部屋と日に当たってしまいましたね。wと同じ部屋で今日は月曜日やがな!」と俺。

「ほんまや。もうwと一緒の部屋はいや!」と先輩k。

「夏の合同合宿の二日目も月曜やで。wと同じ部屋の人かわいそう!」と俺。

「起きんかなあと思って尻蹴ってやったけど、「ポリポリポリ」とそこかいて寝よったもんにゃー!」と先輩k。

「いやー、ぜんぜん覚えてないですよ」とw。

その日一日、先輩kが眠そうだった事は言うまでもない。

そして、反省の色が全く感じられないw。このwと俺は小学生の時から数えて36年のつきあいなのだが、実は俺の4年先輩である。本当に困ったもんです!(西大路 18/4/14)

(寸評)今度はそのwに早朝、本物の鶏を部屋に放つと良い。コケーコッコ!! 6ポイント。

バンコクの大戸屋にて目撃した前期高齢者日本人男性

波照間エロマンガ島です。先日バンコクの某ショッピングモールにある、鎖系日本料理屋の大戸屋で目撃した日本人男性の話です。
ちょうど隣の席にいたのでその人のたたずまいを観察することができました。年の頃は60歳を越え仕事はリタイヤした感じで、テーブルに一人で座っていました。タイの居住者なのか旅行者なのかと問われると、なんとなく後者の雰囲気を感じました。その理由は、

タイの風俗情報誌のG誌の「バンコク最強マップ」(地図に風俗店の所在地がマークされてある下品な地図)を切り取ってあちこちラインマークと付箋紙にメモをつけてあり、それを人目はばからず凝視していたからです!!

そしていっしょに見ていたレポート用紙にはタイムテーブルのようなものが書いてあり、店の名前→店の名前→・・・と、綿密なプランニングがされていたのです。

これには吹き出しましたねー。老いてますます盛ん、バンコクの性風俗めぐりを計画してタイに旅行に来たんだと直観しました。タイに住んでいる人なら、こんなプランニングメモはぜったい作成しないですよ。彼は日本で雑誌やインターネットから詳細に情報を収集して、そしてバンコクにやってきたのだろうな、と想像しました。
そんなバンコクにエロエロ旅行に来ている、鼻息荒い高齢者日本人男性を目撃したという話でした。(波照間エロマンガ島 18/3/30)

(寸評)ああ、そういう人いそうだね。
おバカだけどこの年になると「元気でいいですなぁ」とも思っちゃう。
もう俺の方が枯れているかも・・・。ショボン。 6ポイント。

ヘッドバッギングセルフィーショット、フランシス・ベーコン風(西暦2000年)

波照間エロマンガ島@バンコクです。
わたしが最初のデジタルカメラを購入したのが西暦2000年7月。最初のうちはいろいろな写真を撮りましたが、よく試したのが明け方のまだ暗い時間帯に身体を激しく動かしてセルフタイマーで自分撮りすると残像が不定形に現われる。画素数が低いのでこのような効果が出ました。20世紀の現代美術作家のフランシス・ベーコンのような効果が出たりするので楽しかったです。



この写真は第三京浜の都筑サービスエリアの駐車場にて試みたヘッドバッギングショット。激しく頭を前後に振動しました。日の出まで数時間前、草木も眠る丑三つ時にこのような写真を撮影しました。傍から見ると完全に「おバカ」でイッチャっている人ですね。(波照間エロマンガ島 18/3/30)

(寸評)通りかかった人はみんな足早に通り過ぎたろうね。
俺が真夜中の環七の歩道橋の上でギター抱えて叫び歌っていた二十歳の時のように・・・。 7ポイント。

オウム事件のどさくさに紛れて…。

波照間エロマンガ島@バンコクです。
先日「初体験」でオウム真理教による地下鉄サリン事件のことを書いて、思い出したことがあります。1995年4月23日に教団幹部の村井秀夫氏が、東京青山の教団本部前でマスコミの取材陣がいる衆人環視のなかで刺殺される事件が起こりました。

あのとき、一時的に教団本部周辺(東京都港区南青山7丁目)の地価が下がったんです。カルト集団本部が都心のど真ん中にあり、殺人事件が発生したり、細菌兵器やら兵器なども運び込んでいるのではないかという疑惑がもちあがり、近隣住民の恐怖が地価に反映したんですね。

そのどさくさに紛れて、平時では億の単位で売買され「億ション」と言われる高級マンションが、いっしゅん価格の下がったところを見計らい、わたしの友人〔当時33歳、大手メーカー勤務〕はこの教団本部のすぐ近くにマンションを購入したのでした!! オウム事件は収束して元の平和な世の中に戻るということを予想して賭けに出たんですね、ちと大げさですが。

そして彼の読みは的中し、オウム真理教の青山本部はまもなく閉鎖され、平和な世の中は戻りました。さらに彼の目論見どおり、一時期下落していたオウム真理教教団本部周辺の地価はもとの価格に戻りました。

オウム本部のすぐ近くにマンションを買った行動が「おバカ」なことなのか、そうでないのかはわかりません。しかし1995年当時、たしかに世の中全体「どうかしている」空気がまん延していました。
地下鉄サリン事件数年前から連続して起こった、オウム真理教の関与が疑われた公証人役場事務長逮捕監禁致死事件、坂本弁護士家族殺人事件、松本サリン事件、国松警察庁長官狙撃事件、コインロッカー異臭事件…、等々の事件が起こるたび、もしかしたら日本の秩序が覆されるのではないかという不安な気持ちになりましたもの。あの時代の空気は本当に異常でした。当時を思い出すと恐ろしさがよみがえってきます。(波照間エロマンガ島 18/3/30)

(寸評)それはおバカではなく結果的にはおリコウだったね。
当時は教団がパソコン作って販売とかもしてたよね。今、その修理とかはどうするんだろう・・・。7ポイント。

送っちゃった

東京の友達が私の住んでいる仙台に遊びに来た時のお話です。
友達は、初めて仙台に来たので、せっかくだから名物を食べたいと言ったので、蒲鉾やら萩の月やらを食べさせた所、大変気に入り、結果、お土産で両手がいっぱいになりました。
移動が大変だから、それを全部東京に送ると言うので、ちょっと離れたところで待っていた所、来る時に持っていた紙袋もなかったので、
あれ?おかしいな?とは思ったのですが、あえて指摘はしませんでした。
それから30分が過ぎ、そろそろ家に行こうかという流れになり向かっていた所、友達が
「あっ!?東京駅で買ってきたお土産もさっき間違って家に送っちゃった」と言ってきました。
何やってんだか…。(エンジョーイ 18/3/30)

(寸評)ははは、それなら笑い話になるが、俺の友達で海外の旅行先から国際郵便で荷物送ったらパスポートもその中に入れちゃった、という笑えない話もあったなー。 7ポイント。

アイ ライク ペ・・

中学2年の時のことだったと思います。

お調子者で知られるクラスメイトと廊下を歩いていたところ、そのクラスメイトと前年度に同じクラスだったテニス部の人とすれ違いました。この時にお調子者が、

「おっ、お前、ペニスだっぺ!」と言いました。言われた方は苦笑いをしていましたが、私はこの時、ペニスが何を意味するか知らなかったのです。言葉を少し変えて、テニスをバカにする言い方だと思いました。

それからしばらくして、家で、姉がいる時に、英語の問題集を開きながら、例のクラスメイトを真似して「アイ ライク ペニス・・・」

すると姉は、ギロッと私を睨みました。私は、ただの言葉遊びなのに何で睨むの? と思ってヘラヘラしていました。

まあ、何年後かには、ぺ・・の意味を知ったのではありますが。(猪熊猛 18/3/30)

(寸評)中学2年でペニスを知らない・・・英語の成績悪かったろ(笑)。 7ポイント。

相撲流柔道

波照間エロマンガ島@バンコクです。以前もどこかに書きましたが、ロックミュージシャンでタレント、コメンテーターのデーモン閣下は高校の同期でした。ホームルームのクラスは違いましたが、ともに併設の付属中学からではなく高校からの入学組だったので、勉強のクラスはカリキュラムの関係でよく同じクラスになりました。小暮くんは学園祭で相撲の展示をやっていたので、当時から相撲好きだということは知られていました。

高校2年時、体育で柔道の授業のときのこと。この高校は文武両道を謳った校風で柔道部は全国大会にもよく出場していたので柔道場は大きく、担当教員も国体代表の先生が教えていました。準備運動から始まり、受身の練習のあと、自由に技をかけあう乱取りの時間になったときだったか、小暮くんが先生に怒られていたのを覚えています。あとから卒業アルバムなどでアルバム委員の小暮くん自ら「相撲流柔道」とうそぶいていましたが、相手と対するとき襟をつかまず、帯をつかんで組み手をやっていたのです。そして倒れるときも受身をとらなかったので、その場面を先生に見つかり大目玉を食らっていました。わたしは(ちょっと真剣さが足りないな、武道を舐めてるのか)と彼の態度に疑問をもちましたが 、まぁ同じクラスでもなく、その光景は遠くで見ていただけなので、そのことで口論になったわけではありません。でも一学年600人からいる生徒の中で目立っていたことは確かで、後年世の中に出る「萌芽」のようなものはたくさんあったことは言えると思います。そんなデーモン閣下のエピソードでした。(波照間エロマンガ島 18/3/30)

(寸評)その時すでに10万歳を超えてたのだから、先生より年上だしな・・・。 7ポイント。

二度目の利尻富士登攀(後編)

頂上へ着きました。
記念写真を撮っても辺りは真っ白。食事をする気力もなく、10分くらいで下山開始です。

途中、下から登ってきた登山者は日本人の単独行の人が一人、外国人が一人だけでした。
わいわい「ユー・アー・チャンピオン」
何がチャンピオンなんだか分かりませんが、外国人登山者は、疲れ果てた顔をして笑っていました。

だんだんと体が冷えてきます。足は痛いわ体は冷えるわ、二度目の利尻富士はえらい登山となりました。
その日の予定は、鴛泊発17:35分の稚内行きフェリーで稚内へ。市内のホテルを予約しています。
15:00ごろスタートの登頂口へ到着。タクシーを呼ぼうと思ったのですが、来るのに40分かかるというので、足を引きずりながら、キャンプ場へ向かいます。
この時わたしは完全に身体をやられていました。咳は重く、体はだるく完全に風邪の症状でした。いや肺炎の一歩手前かもしれない。
登りの避難小屋までは全く何ともなくいたって元気だったため、休憩をしたときに身体が完全に冷えきってしまったみたいです。

私は休み休み登る、というよりゆっくりでもいいから休まずに少しずつ登るというスタイルのようです。

利尻島にもう一泊しようかとも考えましたが・・・とりあえず服を着替えて荷物をまとめ疲れ切った体でへろへろになりながら一時間かけて鴛泊の港へ向かいました。
フェリーには乗ったものの、酔い止めと風邪薬を飲んで、休憩所でバタンキュー(表現が古い)。
フェリーに乗り込むといつも子供のようにはしゃぎながら甲板を出たり入ったりするものの、写真を数枚撮っただけでぜーこぜーこしながら桟敷席で大の字になっていました。

稚内港へ着くと、ビジネスホテルへ。こういう時に限って稚内はお祭りをやっているんですね(涙)。ゲホゲホむせながら、重い体を引きずって街中を散策します。とこまでもお祭り人間なのです。
夜、ホテルでは風邪薬をのんで就寝。

またまたまたまたまたまたこういうときに限って2、ビジネスホテルの朝食が、イクラやタラコ、ほっけなど北海道の幸がどーんと食べ放題・・・。うぇーん食欲ないよー。
そしてレンタカーを借りて一路札幌へ向かったのでありました。死んでいる頭、重い咳、大儀な身体に鞭打ってなんとかその日のうちに札幌へ着くことが出来ました。途中、朱鞠内と、札幌市内のモエレ沼公園へ立ち寄りました。
幸い肺炎にはならずに済み(たぶん)、足の痛みも少しずつ回復しました。しっかし近年まれにみる大変な旅でした。

前回の利尻登山が楽だったからと言って、山を甘く見ちゃいけませんね。(わいわい 18/3/30)

(寸評)俺も高尾山をナメて登ってたら途中でドンドン暗くなって道が見えないわ寒いわでエライ思いしたことある。
ローカルな下山道だったので人にも誰も会わなかったし。
山はやはり念には念を入れた方がいいね。 7ポイント。

先日訪れた猿ヶ京温泉

先日群馬県の猿ヶ京温泉へ泊まった時の話をお送りします。
その宿では、夕食後、囲炉裏で宿泊者を集めて。女将が一時間ばかり地元の伝説を話してくれます。三味線を弾いて民謡も歌ってくれます。

みんな楽しみで、宿泊者は続々集まってきます。
私は早く着きすぎたので囲炉裏端で地元の『猿ヶ京の歴史』という本を読んでいました。よくある市史みたいな箱に入ったハードカバーの本です。
なかなか面白く、一時史資料から通史的にまとめたなかなか読み応えのある書籍です。筆者は慶應義塾大学文学部を卒業した女性の方。この時代、女性が慶應に進学するとは珍しい。

女将が「何を読んでいらっしゃるの?」
と聞かれたのでこの本ですと説明しました。
「この本の作者はまだご存命なんですかね」と私は聞きました。
女将「これ私です・・・」

うえええええええええええええええ。
だって書誌を見るとかなり昔に生まれた・・・いやなんでもありません。
確かに館内にたくさん本があった。。。

後で話を聞くと、ホテルの隣に「三国路与謝野晶子紀行文学館」を作るためあとから学芸員資格まで取ったとのこと。すごい努力ですね。
さてさて学芸員の有資格者であるわいわいからトリビア。
別に博物館には学芸員有資格者を置かなくてもよい(努力義務)。
また東京国立博物館、国立西洋美術館、国立科学博物館は博物館法による博物館ではない。登録博物館ではなく博物館相当施設なのですね。もちろん学芸員はいますよ。

昔話は一時間でした。旅先でこういうお話を聞けるのは旅の醍醐味ですね。
死んだなんて言ってごめんなさいっ!!!(わいわい 18/3/30)

(寸評)じゃあ俺が将来空き缶やラーメンやレトルトカレーのパッケージを展示するゴミ博物館を作ったとしても、学芸員はいらないんだな。ひとつ勉強になった! 6ポイント。



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