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ここは自分のまわりのおバカな奴の行動・言動などを紹介するコーナーだ。
なるべく本人を直接見たり本人から直接聞いたものが良いが、信憑性が高ければその友人ぐらいまではOK。もちろん人間じゃなくてもかまわないぞっ。
さぁ、まだ世間に埋もれている貴重なとっておきのバカを紹介してくれいっ!
メールにて投稿は題名「おバカ」で、末尾に自分の名前を入れてね。
ポイントは3ポイント以上〜ーだっ! ダ〜〜〜ッ!!

北陸で雪が見られないなら、大阪で見ればいいじゃない→結果タイムアタックに

さて去る2018年2月10日(土)と11日(祝)。我々オポム家の3人は1月から未踏の地・北陸へ旅行に行く段取りを組んでおったのですが数年に一度の最強寒波とかいう安直な名前の気象異常でそらもう北陸はドシャメシャの状態、大阪発の特急サンダーバードも豪雪のため連日運休となり行く術をなくし、泣く泣く断念せざるを得なくなったのでした。

そこで臍をグイィと曲げたのが、北陸新幹線に乗ることと一面の銀世界を心待ちにしていた、私の豚児すなわちぼうずでした。

ぼうず「ぜったいいやや、ほくりくでゆきみる」

と泣きもっては駄々をこんねこんね捏ねたおすのです。しゃあないがな、と言ってもしゃあないことを納得できないのが子供というものです。
そこで私は一計を案じました。
北陸で雪が見られないなら、大阪で見ればいいじゃない。

私共の住まう大阪は瀬戸内気候に属し、年間を通して比較的温暖で降雪が少ない気候です。ゆえに地べたに積雪を認めることは稀なのですが、山のほうとなれば話は別です。
大阪の北端に位置する、(能勢)妙見山。古より北極星を祀っている霊場です。いくら雪の少ない大阪でも、2月の盛りなら妙見山のてっぺんまで行けば雪は存在しよう、と私は見込み/目星をつけたのです。
我が家から妙見山へ行くもっとも簡便な手段は、阪急電車&能勢電鉄&ケーブルカー&リフト。ところがおちょくったことにこのケーブルカーとリフトは毎年12月の上旬から3月中旬までは寒くて山登る奴も減るからか運休に入ってしまうのです。車でも行けないことはないですが当方の車にはタイヤチェーンが積載されていません。ただでさえ運転能力の低いおっさんがチェーンもなしに雪の山道を登ってゆくなんてファンシーな真似は止したほうが賢明でしょう。

ほなあかんやないかいさ(標準語訳:それでは駄目ではないか)。ちっちっち、私は知っています。毎年2月11日の建国記念日には、妙見山駐車場でお火焚き祭りの法要がおこなわれることを。べつにその宗派を信仰してるわけではありませんよ、毎日乗る阪急電車の広告によく出てますからね。この日はなんと特別に冬季休業中まっただなかのケーブルカー・リフトを臨時運行するのです。そしてその11日はちょうど北陸に行くはずだった日付、なんと出来たお話でしょうか。 私はぼうずを説得し、北陸行きは3月に延期、だけんどももはや3月になれば北陸と言えども都市部では雪も残ってないだろうから11日に大阪で雪を見に行きまーす、と伝えました。どうにか納得してくれました。

さぁて北陸行きも消滅した11日。朝から運だめしに4月15日の京都の元たまのお三方のライヴの予約をおこなったのち妙見山へ・・・ 行きませんでした。そう、日曜日の午前中はいつも家族全員で所属している合唱団の練習に行くのです。前回と前々回は私や嫁はんがインフルエンザでダウンしてて欠席したから、3連続ではお休みしたくなかったので練習が終わってから妙見山を目指すことにしたのです。
練習も終わり牛丼屋に寄ってから家に帰り、鞄にアッツアツのお茶入りの水筒を仕込んでバスに乗ります。乗り込んだのは13時前後、おおむねこれから1時間半でケーブルカー乗り場まで辿り着ける目算ですが、小雨降る中ぼうず連れでどこまで予定通り進めるか・・・

ごっとんごっとん途中から単線に変わった能勢電の先頭車両に張り付いてうれしそうなぼうず、しかし計画者たる私はいささか焦っていました。もうすぐ14時。山の日暮れは早いのです。終点妙見口からケーブルカー乗り場までは大人の足で約20分、ゆるい坂道を果たして文句も言わずに歩き通せるのか・・・ はい、案の定途中からバテやがりました。私はブーたれるぼうずのケツを押しつつ坂路を往きます。すでに登山客/参拝客らがわらわらと帰路に就いています。常識的な行動です。非常に寒い日でしたが眼前に迫る妙見山に、雪が積もっているようには見えません。小雨で視界が悪いからか、それとも・・・。

妙見の森ケーブル・黒川駅に着いたのは14:30。雪よ在れ、と望みを託しつつ20°の勾配をケーブルカーで進みます。こんな時間から登る奴は余程の物好きなのか、貸し切り状態でした。それにしても大人1人往復690円か・・・ ぶつぶつ・・・・・・ あっ!! ゆ、雪!!! 山上駅近くの斜面に、ようやく雪が認められました。よかったぁ。しかし一面の雪景色、とまではいきません、それを見に来たんだから、山頂ちかくまでリフトを使って登るのです。しかしケーブル山上駅からリフト乗り場までの坂道がまたキツイ。しかも舗装された道に雪がうすく積もっているので急げば危険です。そもそも本来この時期は営業期間外で、たまたまお火焚き祭りのために臨時で1日だけ運行しているわけですからね。

どうにかリフト乗り場に辿り着き、往復分の切符、ってケーブルと同じ値段かい、まじでか、を買うと係のお姉さんが心配そうに仰います。

リフト係「お寺まで行かれるんですか?」
オポ「ええ、そのつもりなんですが・・・」
リフト係「いま15:10ですから、かなり急がないと間に合わないかもしれません。上に登った妙見山駅からお寺まで20分くらい、リフトの最終が16:00ですから」

エヴェッサ。そらまずい。つまりお寺まで行って帰れば40分掛かり、15:50に。しかもリフトの所要時間抜きでそれですから、本当にギリギリのところを攻めることになります。さぁボケッとしとらんとみんなリフト乗るど・・・

リフト係「ぼく、何歳? 6歳からは1人で乗れるから、往復350円です」

ぐふっ!! この急いでる時に泣きっ面に蜂。やはり他に乗るものはすでに誰も居ないリフトに3人ぶらさがり8°の斜面をぷーらぷら、それにしても長いな、このリフト・・・ ぜんぜん上に着けへんやないかい。到着して時刻を見ると15:22。12分も乗っとったんかい!!? やばいぞ、ここからは無舗装の山道をお寺まで歩くのですがめんどくさいことにこのぼうずは泥道を歩くことに異常な恐怖心を抱いており、靴が汚染することを激しく峻拒します。あ゛あ゛もう邪魔くさい!!! 時間がないんじゃい時間が!!! 私と嫁はんは嫌がるぼうずの手を引いて無理矢理雪まじりの山道を突き進みます。

ぼうず「ひぃっ、ひぃぃぃぃっ」
オポ「お前が雪見たいからここまで来たんやろがい、さくさく歩けっ」

なかなかお寺の姿は見えません。折角来たんだからお参りしようと思っていましたがこらもう寺はどうでもええわ、元々目的はお寺ではなく雪なのです。寺の手前にあるお火焚き祭りの会場たる駐車場で雪遊びをして、ダッシュでリフトまで戻って来ましょう。足を滑らせれば一巻の終わりな雪で不安定な坂の山道を、ぼうずを叱咤しながら進むこと10分、ようやく辿り着いた駐車場には大阪とはまるで思えないほど、お望みの雪がわんさと残っていました。

よ、よかった、どうにかここまで、来れた・・・・・・。
オポ「よっしゃお前ら、10分間おもいきり雪で遊ぶぞ!!」
ぼうず「おー」
嫁はん「ほーれ雪のかたまり、どーーん!!」
ぼうず・オポ「ぎゃぁぁぁぁぁぁ」

大阪の平地育ちの我々に雪は貴重なものです。深く足を突っ込んでみたり、雪玉をブン投げたり、雪上に寝っ転がったり、午前中のうちに終わったお火焚き祭りで生じた灰まじりの雪で、3人はたった10分のひとときを堪能したのでした。

オポ「よっしゃ帰るぞ!」
ぼうず「いやー」
オポ「お前帰りのリフト乗りそびれたらこの雪の中、しかも日も落ちてきたところを歩いて下山やぞ、死ぬど!!?」

我々は早足でリフト乗り場へ向かいました。興奮冷めやらぬ嫁はんとぼうずは道すがらの雪を投げ合ったりしています。加減を知らぬぼうずが硬めの雪塊を嫁はんの顔面におもいきり投げつけ、しばらく嫁はんの頬は赤いままでした。憐れ。どうにかリフトには15:50に乗ることができました。

オポ「途中で16時を迎えたらがたん、って停まるんじゃないやろな」
嫁はん「そんなアホな事あるかい」

リフトを下りると係のお姉さんが話しかけてくれました。

リフト係「お帰りなさい! お寺には行けましたか?」
オポ「あぁーハハハ、でん(標準語訳:タッチ)して即行帰って来ました」

嘘です。でもまさか、ただ駐車場で雪遊びして帰ってきた、だなんて恥ずかしくって言えやしません。とんだタイムアタックでした。さぁうかうかしてられません、ケーブルも最終は16:30なのです。今回は同乗者も2名だけいました。降りて行く最中に線路のすぐそばで、鹿の親子がケーブルカーにびびりもせずに斜面に生えた草を食んでいました。

やぁギリギリだったけど、どうにかこうにか目的を果たせてよかったなぁ。このほんの一瞬の雪遊びに至るまでに費やした交通費・・・合計3,980円。ハッキリ言ってあほですね。合唱の練習はお休みして早目に行きゃあこんな無謀なタイムアタックにならなかったのです。しかし必死こいて辿り着いた10分だけの親子3人の雪遊びのひととき・・・プライスレス。なんてね(笑)。(オポムチャン 18/3/22)

(寸評)最後のリフトに乗り遅れてたらもっと面白かったのになぁ(笑)。 7ポイント。

初めての日本語

私の夫は外国人で、日本語は喋れません。夫の名前は、仮名ジョニーとしておきます。
初めて夫を日本に連れて行く時に、ちょっとくらいは日本語を知っておいた方がいいよなーと、簡単な日本語を少しだけ教えました。
日本語をちょっとだけ理解出来るようになった夫は、早速嬉しそうに「ジョニーワ チンコ オオキイ!」と言えるようになりました。(マドレーヌ婦人 18/3/22)

(寸評)社交的な言葉を教える素敵な奥様ですね!
今もそういう言葉だけで生活してるのかな? 7ポイント。

「初体験」とタイプしたら…

波照間エロマンガ島@バンコクです。
今さっき2分ほど前のことです。いつものように仕事時間中、このHPへの投稿しようとメーラーに文字を入力しようとしました。

件名:初体験

と入力しようとしたのですが、なぜか「初体験」ではなく「アホ体験」と入力されてしまいました!!
思わず吹き出しそうになりましたよ。

WINDOWSキーボードの日本字入力はローマ字入力にしているので、「初体験」S-H-O-T-A-I-K-E-N と入力しようと思ったわけですが、それが「アホ体験」A-H-O-T-A-I-K-E-N になってしまったのは、キーボードの「S」の左となりが「A」になっていて最初の一文字をミスタイプしてしまったのですね。

「ドキドキドキリコ初体験」を投稿しようと思ったら、「アホ体験」してしまい、「私のまわりのおバカさん」にコンテンツを変更したわたしでした。(波照間エロマンガ島 18/3/22)

(寸評)ああ、ローマ字入力だとそうなるのねん!
俺はかな文字入力だから「何故?」と思ってしまった。
昔は「えー、かな文字入力?ローマ字入力覚えなよ!」と言われたが今はみんなスマホでフリック入力が基本となってしまったなあ。無理してローマ字入力覚えなくて良かった。 6ポイント。

三度目の東京藝術大学卒業&修了展

今年も行ってまいりました。藝大の学部と修士(博士前期)の卒業修了展覧会。毎年一月下旬〜二月上旬の一週間開催される誰でも見学できるイベントです。
前回は中国の留学生の女の子二人と訪れたのですが今年はドクター(ドクターっていったって医者じゃなくD1ね)の男友達と。

昨年は、
・巫女さん恰好をした女の子が天の岩戸に隠れていてお賽銭を上げると岩から出てきてお菓子を開けてくれる。石もくれる。
・裸の男女がお互いペンキを塗りたくる。
・大量の透明ごみ袋にまかれた制作者がホールでのたうちまわる。
・トルティーヤにいろいろなジャムを付けて売る屋台。お題は気持ち程度。
・透明なプールにゴムボールをたくさん入れて観客に入ってもらう。
という前衛的な作品が、ここのコーナーでも絶賛したのですが、今年は全体的に大人しめでした。でもこれ大学祭でなく、卒論、修論作品なんですよ〜〜。
ほおと思ったのは、足の一部の皮膚を切りそれを培養するという生理学というか解剖学の作品。R15指定で「ショッキングな内容が含まれます」との但し書きがありました。

他にも彫刻や絵画、仏像補修などの作品があります。
ショックだったのは、音楽専攻の学食(おおっとここがまたなかなか渋く誰でも入れる学食なのであとで「グルメ」に書くかも)の会計のおじさんが二年前に亡くなっていたことでした。二年間お会いしていなかったのか。。。二周忌という事で写真とか遺影、お供えものがレジ横にありました。いつも610円のスペシャルランチを頼むと10円おまけしてくれたんっだけ。。。合掌。
今年は芸術専攻のキャンパスのほかに、東京都美術館の方の作品展も見学してきました。社会見学か修学旅行の生徒がたくさん見に来ていましたね。

昨年はお話し好きの学生が多く楽しい裏話とか学生院生がいろいろ案内説明してくれたのですが、今年は話下手というかコミュ障というか人見知りというか・・・ばかり当たってしまって残念。教室の展示にもほとんど座ってなかったしなあ。。。年度によって違うのかなあ。

来年も楽しみ♪(わいわい 18/3/22)

(寸評)赤瀬川原平が好きだったのでダダイズムとかフルクサスとか好きだから俺も楽しめるかもなー。
ニヒル牛はアンデパンダンだし、以前ニヒル牛2でやった俺の天使屋もある意味そういうことを目指してやったんだけどね。娯楽的要素を盛り込むと何故か芸術とは呼ばれなくなる日本のアート界。 6ポイント。

わいわいのおバカ

その1
カギをかけて外出しようとすると「あれカギをちゃんとかけたかな」と思い一度家に戻ること。かけ忘れていたことは無いのですが。。。

その2
冬の露天風呂。
雪を固めて湯船に入れて、じゅーっとなるのを楽しむ。(わいわい 18/3/22)

(寸評)まぁこれはおバカというほどではないけどあるよねー。4ポイント。

二度目の利尻富士登攀(前編)

八時間コースの余勢を駆って二度目の利尻富士アタックをすることにしました。
礼文島の盛大なお見送りを経て、利尻島へ上陸。その日は前回泊まった北部山麓のケビンに宿泊です。
未明天気はくずついており、思案した結果、アタックは断念。レンタカーを借りて利尻島一周の観光へ出かけました、 その日の宿泊地は、北部山麓のやや下にあるゆーにーというキャンプ場です。目の前には日帰り温泉があり、宿泊は同じくケビンでした。
天気予報を照らし合わせた結果、大雨でなければ次の日はアタックをかけることにしました。
翌日未明雨は降っていません。しかし星が見えないことから曇っていることは確実です。

前回の利尻富士登山が割合楽だったので油断していました。

朝の三時ごろ起床。準備を整え、登頂口まで歩き、四時ごろ登攀開始です。山麓の湧水をペットボトルへ詰めます。
ヘッドライトを付け、ダテカンバやハイマツの森の中を歩きます。
最初のころは雨もなく普通に山道を登っていきましたが、夜が明ける頃になると、ガスがかり始め、篠付くような霧雨が降ってきました。
本格的な雨ではないので、ゴアの上下の雨具を付け、靴にはスパッツを付けます。
寒い。九月というのに、息を吐くと白くなります。霧雨のような濃霧は徐々に体温を奪っていきます。
山からの景観もほとんど霧で見えません。
九時ごろ、避難小屋へ到着。ここは簡易トイレ(持参のトイレというかオムツみたいなのをするところ)があり、管理人のいない山小屋があります。
同行者 の体力が奪われ、少し休みたいというので一時間ばかり休憩を取ることにしました。
他に登山者はいません。
登頂を諦め下山も考えました。山は引き返すことも大事です。アタックより断念する方が勇気がいります。
同行者の体力が回復したというので再度登攀を開始しました。
こんな霧雨の中、シマリスが目の前を横切ったのには驚きました。こんな上の方まで登ってくるのか。
九合目を過ぎ、沓形コースと合流すると、登山道の浸食が進みガレ場となっています。三歩歩くと二歩下がるような足場で、ずるずる滑ります。ロープを握りながらなんとか持ちこたえます。
午前11時ごろ山頂へ到達。もはや服も髪の毛もびちょぴちょです。

(さあ、どうなるわいわい。待て次号!)(わいわい 18/3/22)

(寸評)俺は崖とかだと自分がふいに飛び降りる妄想が出てしまうので本格的な山登りはしないが山好きの両親だったから子どもの頃はハイキング程度の登山はよくしたなー。
結末が分からないのでとりあえず4ポイント。

なんでぼくの部屋に知らん女の人がおるねん

意味深なタイトルですが今回は助平なお話ではありません。ごめんね。

時は1980年代半ば、私が小学生2、3年の頃かと思われます。スキーに行くのが好きな親父は私と兄貴を伴い、地域のPTAの皆様らとバスを貸し切って新潟の赤倉スキー場へ2泊3日の旅行。寒いのも長時間のバス移動もウィンタースポーツも大っ嫌いな私にしては何らのメリットも感じない苦行でしかありませんでしたが、冬休みに家にいたところで飯ばかり喰らってゴロゴロするだけの鬱陶しい餓鬼をアクティヴ化しよう、という両親の作戦であったのかもしれません。無効だったけどね。

対して兄貴は雪もスキーも好きだから上機嫌、周りの見知らぬ大人らは久々のスキーツアーにハイテンション、私だけがこのグループの中ただひとりの不機嫌な存在でした。

行きしなのバスからもうブンむくれ、いつまで経ってもバスは目的地に着かないし、大人は酒を飲んで大騒ぎしてるから寝るに寝られないし、おまけに私は乗り物に絶望的に弱いのでしばしば反吐を吐き、さながら生き地獄のようでした。なんで望みもしないのにこんな目に遭わされてるんだ。ガーディナーさんのせいでもなさそうです。理不尽な境遇に私の怒りは募るばかりでした。

やっとの思いで着いたら着いたでめさんこ寒いわ、やりたくもないスキーやらそりやらで雪上にぶっ転んで霜焼けをこさえケツを打撲、手袋にもギチギチのスキー靴にも容赦なく雪片が入り込み冷えっひえのぐずっぐず、どうして大人たちはこんな悲惨な思いをするだけの場所に金と暇を使ってやってきたのだ。ほんでなんでそんなに楽しそうやねん。意味がわからん。それにしても10歳にも満たぬというのになんと偏屈な糞餓鬼でしょうか、私は早くから、すでにこんな感じだったんですね。あらためて戦慄します。

和室で酒と煙草と麻雀に興じる大人たちを尻目に、喧騒に耳をふさぎつつ洋室でバタンキュー。もう厭だ。
翌日。またしてもスキーで遊ぶ、などとわけのわからない大人と兄貴の身勝手さにとうとうキレた私、皆が遊び呆けている最中にこう言い放ちました。

オポ「もういやや! 寒いし痛いし全然おもろない。帰る」
親父「このアホンダラ、皆が楽しんでる最中に水差すようなこと言うな! 勝手にひとりで戻っとけ、どあほ!」

私は親父の怒声にさらに怒りを燃え上がらせ、きびすを返して投宿先のホテルへ戻り、部屋に着きましたが鍵がかかっています。そらそうでしょう、荷物を置いていたら盗人が取り放題チャンスになっちゃいますからね。私は死んだような表情でフロント近くを彷徨っていました。
するとフロントのヒゲの紳士が私に声をかけてきました。

ヒゲ「ぼく、どうしたの?」
オポ「部屋に鍵かかってて入られへん」
ヒゲ「何号室かわかる?」
オポ「532」

フロント紳士は私を部屋に入れてやろうと鍵を用意し、そのあとに何かしらの帳面を確認してから、にわかに怪訝そうな表情を浮かべました。

ヒゲ「・・・ぼく、本当にこの部屋で間違いない?」
オポ「うん」

おっかしいなぁ、という顔のままのフロント紳士。なにもおっかしなこたぁない、私が今朝までいた部屋はまぎれもなくここなのだから。なんら疑義の生じる隙などありゃしません。
結局不安げな顔面のまま鍵を開けるフロント紳士。私はよかった、これであとは一日寝て過ごせるぞ、と早速洋室のベッドへ向かおうとしました。が。
昨日大人たちが遅くまで麻雀や飲酒で盛り上がっていた和室から、4人くらいの若い女性の楽しく談笑する声が聞こえてくるのです。

こりゃ面妖な。鍵は閉まっていたのに、女盗人グループがいつのまにか我々の部屋に侵入してしまったのか。
獲って喰われてはたまりません、私は抜き足差し足で洋室に戻り、ベッドに潜り込んで奴らが去るのを待ちました。しかしいつまで経っても彼女らの談笑の声は止みません。私は掛け布団を深くかぶり、時が経つのをただただぢいっと待っていました。

30分ほど経ったでしょうか。
「ポムくん、ポムくん」
と、呼ぶ声がします。
私はふて腐れているので、大人の声には反応しません。
そのまま布団に隠れていると、洋室にPTAの小母さんが入ってきました。
「よかった、ここに居ったんやな」
と。はぁ? ここに私が居ることは甚だ自然な結果では?
「あのな、この部屋はもう違う人がはいってはるねん。私らの部屋は別のところに替わったんや」

がちょーーーーーん。私はそんなことを一切知らなかったので、あろうことか子供という立場を利用してまったくの他人の部屋に不法に侵入したことになるのです。
フロントヒゲ紳士とPTAの小母さんは若い女性グループに平謝り、そしてゲレンデではオポム君が居なくなった、と大騒ぎになっておったようで、親父と兄貴にはぼろかすに罵倒され、またひとつ私はこの世の理不尽さを知り心を暗黒に染めていったのでした。

嗚呼、今から思えばそんな若い女性の部屋に忍び込めたなんてレアな機会、せめてパンツの1枚でもくすねて帰りゃよかった〈いよいよ本物の犯罪者やないかい〉。(オポムチャン 18/3/10)

(寸評)まぁその女性たちは全員この世にいない人たちだったんだけどね。
もし布団から出て彼女らのいるところに行ってたとしたら・・・ひきずりこまれてただろうね。 7ポイント。

乗り越しおバカさんの話

波照間エロマンガ島@バンコクです。
以前、どなたか電車を乗り越した話を書いてましたが、私にもあります。あれは東京・渋谷の会社でサラリーマンしていた頃の話。

納品で神大(神奈川大学)に行ったときのことです。渋谷始発の東急東横線に乗って白楽で下り、20分ほど歩いて大学まで向かう、…はずだったのですが。

午前中のラッシュアワーの時間帯を過ぎて空いていたのと、前日ほとんど寝てないせいで、電車の振動が心地よく、ついつい眠りに落ちてしまいました。気がつくと白楽を乗り越し、反町(たんまち)まで来てしまっていた。

「やべっ!!」と私は電車を下り、すばやく反対側の上り方面の電車に乗り換えました。すると、またすぐに眠くなり秒殺で眠ってしまい、わずか2駅しかない白楽を乗り越して大倉山まで行ってしまった。「おれはなんてアホなんだろう」と自分に呆れ返ってしまいました。その日はなかなか目的地に着けないアンラッキーデイでした。約束の時間をはるかに過ぎてしまい冷や汗をかきました。(波照間エロマンガ島 18/3/10)

(寸評)あるねー。でも都市圏だからそれが出来るんで田舎だったら一本乗り越したら戻る電車が二時間ないとか普通にあるもんね。
シティランナーで良かったね! 6ポイント。

意外なところで出会った有名人

波照間エロマンガ島@バンコクです。日本に住んでいた時分ですからずいぶん前、2003〜7年頃の話かもしれません。
ある日都内で仕事をして帰宅途中、お腹がすいたので広尾の天現寺交差点近くにあるラーメン屋さんに立ち寄ることにしました。この店は渋谷で働いているとき会社と目黒の家の中間地点にあり、よく行った美味しいお店でした。

店に入ってカウンター席でラーメンを待っていました。するとカウンターの中の調理場で皿洗いをしている外人に目が行きました。あれ、この人どこかで見たことある。誰だっけ?!

あー、数学者で大道芸人のピーター・フランクルさんだー!!

でも、なんでこんなところで皿洗いやってるの?

すでにテレビにも多く出てるし、数学者でも有名だし、大道芸人でもお金は稼いでいるだろうに。わたしは無表情で皿を洗っているピーターさんに疑いの目を向けていると、もしかしたらこの人はピーターさん瓜二つの別人かもしれないという考えがむくむく大きくなっていきました。あるいは漫画「パーマン」に出てくるコピーロボットかも…、いろいろな考えがわいてくると無性に笑いがこみ上げてきて、笑いをこらえるのに必死になりました。

はたしてあれはピーター・フランクルさんだったのかなー。。無表情な表情はクラフトワークのメンバーも想起しましたよ。(波照間エロマンガ島 18/3/10)

(寸評)本物だったら、数学者と大道芸人では意外にも収入はたいしたことないのかもしれない。
テレビとかでもレギュラーで出てるんじゃなければギャラはたいしたことないからね。 6ポイント。

愛とロマンの八時間コース

礼文島の名物コースで、このコースを歩くと「最初は名前すら知らなかった旅人の間に恋が芽生え愛に発展しロマンが生まれる」というところから名付けられたトレッキングコースです。
以前「グルメ」にも書きましたが、車道もない携帯も繋がらない日本とは思えないまるでスコットランドのような風景の中(行ったことないけど)、レブンウスユキソウ(エーデルワイス)やレブンアツモリソウなどの高山植物が咲き乱れるルートを歩きます。

途中砂走りという箇所があります。昼食を取るはげ山を抜けた直後の、一気に海岸までガレ場を降りる難所です。
前日のYHでのツアー注意で毎回言われることがあります。

「女性の方は怖ーいと言ってください。怖くなくても必ず『きゃーどうしよう! 一人で降りられなーい!』と身をくねくねしてください。すると男性が『大丈夫かい? 僕が一緒に降りてあげよう(きりっ)』と手を取って一緒に下れば、バシッ(机をたたく音)、愛が芽生えます!!! やったあー!」

なにがやったーなのか分かりませんが、30年くらい言い続けられているネタです。
まあ現実は、男同士で悲しく降りていくんですけどね(笑)・・・。
富士山のようなガレ場で、危険で、以前一緒に八時間を歩いた男子が転落、はがきに切れたジーンズの切れ端を張り付けて旅先から手紙をくれたことがありました。
八時間と言いながら十一時間くらいかかってへとへとになりながらYHへたどり着くと、桃のヘルパーの連中が屋根の上に乗って歌を唄いながら旗を振って出迎えてくれます。
「歩こうー歩こうー僕らは元気ー。歩くの大好きー。どんどんいーこーう」
「おかえりなさいおかえりなさい〜。早く、中へお入りー、僕が温めてあげようー。おかえりなさい(パパヤ♪)、おかえりなさいっ(パパヤ♪)、おーかえりなーさーいーっ」



僕たちは最後の力を振り絞って、見返り坂を下っていきます。

そして点呼(人数が増えたり減ったりすることがあるそうだ笑)、ごみの処理。泥だらけになっている服装の処理、季節によっては落陽の儀式を経てYHへ入っていきます。(わいわい 18/3/10)

(寸評)人数が増えたり減ったり・・・?
増えるのは途中で出産したりとか!? 6ポイント。

モダンガール危機一髪

波照間エロマンガ島@バンコクです。
先日、淺井カヨさん〔日本モダンガール協會代表〕のトークショーをバンコクのライブハウスに観に行きました。オープニングアクトは、なんとわれらが石川さん!同じ時期タイに来ていたので旧知のカヨさんのためにわざわざチェンマイから駆けつけて共演されました。

カヨさんは日本からもってきた、大正から昭和初期に作られた、モダンガールが実際に着ていた本物の洋服(大変貴重なものです)や、タイでその実物から採寸して作り上げたレプリカなど、10点近い洋服をステージに展示しました。そしてモダンガールの歴史を紐解き、最後に昨年完成した文化住宅スタイルで建設された新居の写真のスライド上映をしました。カヨさんの説明はていねいでわかりやすく、タイ語の同時通訳がついていたこともあり、タイ人の観客は魅了されているようでした。事実、ライブ終了後は、著書の「モダンガールのスヽメ」を買い求めたお客さんがカヨさんにサインをもらうのと同時に質問攻めする光景も見られ、タイの好事家の方々にも大きなイムパクトを与えていました。素晴らし い文化交流の一場面と感じ入りました。

さて、時間軸は数時間戻りますが、夜始まるライブの前にタイ人のモデルさんにモダンガールの衣裳を着せ、近くのローカル市場でカメラマンに写真を撮ってもらうことになりました。カヨさんは「撮影が終了したら展示する洋服にアイロンをかけたいので準備しておいてください」とスタッフの人に依頼しました。そして撮影が終わりライブハウスに戻ってくると、そこで事件が。

ハンガーにかかっていた展示用の洋服が一着もないのです!!

スタッフに確認すると、近くにある洗濯屋さんがアイロンを持ってきたが、つるしてあった洋服を見て、親切心からアイロンをかけてあげようと、全部持っていってしまったのとのこと!!

90年前の洋服にアイロンをかけるにはとても気を使わなくてはならず、当て布をしたり布の繊維の方向に合わせなければならないので、いきなりシワシワの洋服にアイロンを直にあてたら洋服がビリビリに破れてしまう最悪の事態も考えられ、カヨさんはおろおろしてしまいました。同じものは世の中に一着もないという値段のつかない宝物が、単純な指示ミスで永遠に失われるかもしれないのです!

すぐさま事情を説明し洗濯屋さんに電話してもらうと、間一髪で90年前のビンテージ洋服のほうはまだアイロンしてないとのことで、われわれはほっと胸を撫で下ろしました。そして「アイロンをもってきてくれ」という指示が、どういうわけか「洋服を勝手にもっていってアイロンをかけられそうになっ」たという事態に驚愕しました。「良かれ」と思い指示を勝手に解釈しねじまげてしまうのは、タイ人気質なのかもしれないなー、と言って笑いあいました。が、笑い事で済まない局面もあったわけで「おバカ」と「ドッキリドキリコ初体験」が同時に来たような話でした。でも洋服は無事で本当に何よりでした。一時期はまじでどうなるかと思いましただー。外国人にものを頼むというのはむずかしいです。( 波照間エロマンガ島 18/2/24)

(寸評)なんせ俺もその現場にいたからね。カヨさんの顔が青くなってくのが分かった。
一般市場ではただのボロ切れでも世界にふたつとないもの。
俺の30年前のもうどこにもない空き缶が捨てられそうになったようなものだもんね。
無事でホッと胸をなでおろしてたね。 7ポイント。

2018年2月25日のテレビ

やっぱ見ちゃう冬季五輪。スポーツ大好きっ子のわいわいです。
日曜日の夜。関東はこんな感じでした。
NHK・・・西郷どん
日本テレビ・・・イモトの南極
TBS・・・冬季五輪スケート女子500m
フジ・・・古い家を壊す
テレ朝・・・冬季五輪カーリング
テレ東・・・冬のヒーロー

まずフジとテレ東は脱落(笑)。初回からずっと見続けていた大河ドラマ「西郷どん」も泣く泣くカット。残るは南極と女子500とカーリング。
イッテQは最初は出川のマジック。普段であれば普通に見るものの今回は五輪へザッピング。
そして夜八時。とりあえず南極。懐かしい なー。チリから飛行機かあ。金かかっているなあ。うらやましいなあ。ちなみにわいわいが南極へ行った時は、アルゼンチンのウシュワイアから船でした。わずか1000tの砕氷船で。

イッテQを見ながらTBSとカーリング。日本負けそうじゃん。でもカーリングは面白いなあ。今回ずーっと見てる。氷上のチェスかぁ。女子のお菓子タイム面白すぎ(笑)。
イモト登頂寸前のCMで、TBSはちょうど見事なまでに小平の500m。小平はスタートでピクっとしたもののオリンピックレコードで暫定一位。
再びイモトへ。高山病か懸念される中、石崎Dを泣く泣く切ってアタック。再度TBS。二連覇中の韓国のリ選手が37秒を切れず。ここで小平のメダルは確定。
後はメダルの色です。この「メダルは確定!あとはメダルの色です」という表現大好き♪
再びイモトへ。10秒くらいずつザッピングして、女子最終滑走。最後の二人のレースを見終わり小平の金が確定したのを確認してイモトへ。
イモト見事にヴィンソン・マシフ登頂成功。かの植村直己さんが登りたくて登りたくて仕方なくて、結局どうしてもアタックできなかったヴィンソン・マシフ。なんだか涙が出そうでした。

まるで小学生のようにテレビを変えていました。なんだか子供みたい。ひさびさにテレビで見るのを迷った夜でした。 しかし登山といい、スケートといい、スポーツはなんでこんなに人を感動させるのでしょうか・・・。(わいわい  18/2/24)

(寸評)その頃タイではオリンピックの放送はもちろん話題にする人も誰もおらず。
特に冬季オリンピックだとおそらくタイから参加している選手もいないと思われるしね。
そういえば冬季に限らず普通のオリンピックでもあんまりタイの選手って聞いたことないもんな。
ムエタイが競技に加われば変わるんだろうけどね。 6ポイント。

そう来たか

昨年(2017)の暮れの、滋賀県のホルモン鉄道&よしこストンペアのライヴ会場すぐ隣のコンヴィーニエンスストーァでの話です。

石山駅から日の暮れた寒空の下を15分程度歩いてきた、大阪より来たる奇人。グーグルさんでストリートヴューを閲しておりましたために問題なく会場へ到着できましたことをまずはことほぎ、その会場へ入る前に少しお腹を満たしておくのと同時にお手洗いを拝借しておこう、と思ったのです。

ヒレかつおにぎりと何かしらのコンヴィニ揚げ物、ホットの缶コーヒー(微糖)をもとめて店舗前でガツガツごぎゅごぎゅ、私のライヴ前のお決まりの食事スタイルです。40のおっさんのくせに独りでまともなお食事のお店に入るのが苦手なのです。The・不細工。
好きなものを好きなだけ食べる(傍目には気味の悪い)幸せな立ち喰いひとり夕食も済み、あらためてレジでお手洗いをお借りしたい旨申し出、快い返事を頂戴した私は店舗奥の何方様でもご利用いただけるトイレに歩を進めました。

扉の前で、私は少しく感動しました。
ご利用方法が解らない方のために、洋式便器の使用方法の書いた紙が扉に貼られていたのです。こういうの昔、洋式よりも和式のほうが幅を効かせていた時代にはよく見ました。しかし洋式便器が和式にとって代わって久しいこのご時世に、何故? 答えは、その貼り紙の言語を見れば明白でした。

イラストとともに使用法に記載されている言語は、中国語だったのです。
中国の公衆トイレ。よく話題にもなりますが、扉も仕切りも無い一本の溝に人々が跨ってニィハォなんてご挨拶しながら用をお足しになる、てな感じの。習近平さんがトイレ革命を宣言して都市部はずいぶん日本に近い形になってきているそうですが。お国が変われば文化も変わる、公共のお手洗いは住民の方々のコミュニティスペースなんですね。
そんなお手洗い文化で暮らしてきた中国の皆さんがお越しになった際にも安心してお使いいただけるように、店舗側は配慮をされたのでしょう。事実最近は(とりわけ私の暮らす大阪では、かも知れませんが)観光地でなくっても中・韓の皆様は日常的にそこここで歩いていらっしゃるのをお見かけしますからね。きっと滋賀にもたくさんおいでになっているのでしょう。

ボーダレス。グローバル。ワールドワイド。なんとなくそんなぼんやりしたニュアンスの単語が矮小な脳味噌に浮かんで来ては、私は中国語はおろか英語のひとつもまともに喋れなくってますます不細工だなぁ。と己のボーダフル、ノングローバル、ローカルナロゥさを恥じました(左記の対義語はすべて出鱈目です、念のため。せやから喋られへん言うてますやんか)。
さぁぼけっと感動してないで、さっさと扉を開けて小便を垂れましょう。幸いただいま未使用です。がちゃり。

私はふたたび感動しました。
洋式便器使用方法が個室内でも解るように、扉に貼られていたものとまったく同じものが壁に貼られていたのです。
そうです。扉の外側に貼られていては、用便中に使用方法を失念すれば用便したまま扉の外側を確認せねばならないという重大インシデントが発生してしまいます。入室前に確認のうえ、入室後にも安心して不慣れな洋式便器の利用方法を確かめられるという、この行き届いたおもてなし。ああ。私は日本に生まれてよかった。そして異国の方々への配慮に暇のない、この店舗のトイレ担当者を誇りに思いました。

私は洋式便所では家でも外でも、お掃除なさる方のことを考えて座り小便を励行しています。どうしても立ちでは飛沫で床等便器周辺を汚してしまいますからね。温かい気持ちで、そっと便座に腰を下ろそうと、視線を落としました。


和式便器でした。(オポムチャン 18/2/24)

(寸評)ワッハッハー!
ちなみにその「洋式便器の使い方」のシール、何故か我が家に現在も貼られている。家を借りた時からあった。
古い家だなあ・・・。 7ポイント。

有刺鉄線バット男

20年ぐらい前のことです。

その頃の私は、ソロでおバカなパフォーマーをしていました。二人組でたまの曲をやったこともあります。

ある時、次のライブでは有刺鉄線バットを使おうと思いました。有刺鉄線バットとは、今は亡き悪役プロレスラー、ミスター・ポーゴの凶器で、
バットに有刺鉄線を巻きつけたものです。

仕事が夜勤だったので買い物は仕事の前しかできず、デパートに行ってバットと有刺鉄線を買って職場に向かいました。当然同僚に「何それ?」と言われ、

「バットと有刺鉄線ですよ。これで有刺鉄線バットを作ってライブで使うんですよ」と答えました。それだけです。

その数ヶ月後。
職場が支部同士で合併することになりました。そこで今まで別で働いていた人と一緒になったのですが、自己紹介した途端、「おお、君が噂の・・・」
と言うのです。

聞けば、『向こうの部署の奴は、バットに有刺鉄線巻きつけたのを持って駅前うろうろしてて、それをパートさんが見て所長に言いつけ、こんこんと怒られた』

何がどうなるとこんな話に変化するのでしょうか。

もちろん、真実を話しましたが、脚色されすぎた有刺鉄線バット男の話を聞いた人間全員に伝わったわけではないでしょう。

いまだに私のことを有刺鉄線バット男だと思っている人がいるはずです。(猪熊猛 18/2/24)

(寸評)警察・・・早く猪熊猛を捕らえてくれい・・・。 7ポイント。

サムイ島行き夜行バスで出遭った男

波照間エロマンガ島@バンコクです。
何年か前かタイ南部のリゾート地であるサムイ島へ遊びに行ったときのことです。そのときは飛行機を使わずに夜行バスと船で行きました。バスはバンコク南ターミナル発の公共長距離バスではなく、バックパッカーが多く滞在するカオサンロードのツアー会社がチャーターしたバスでカオサン発でした。サムイ島の対岸のスラーターニーまで12時間かけて行き、船に乗り換えてサムイ島へ向かいました。夕方6時頃出てサムイ島に着いたのは翌朝10時くらい。

最初に集合場所のカオサンの旅行代理店に行くと、早くも怪しげな雰囲気が漂っていました。ここはタイの首府のバンコクなのに、すでにリゾート地仕様にできあがった壊れた白人の若者たちがたくさんいたのです。どういうことかというと、身体中にタトゥーをし半裸で短パンに裸足でそこらをうろうろしている野蛮な輩たちです。わたしはひそかに嫌な予感がしました。このイカレた連中と関わりたくないぞ、と。しかし安ツアーだったのに何故かアジア人はわたし以外には一人も見かけず、ほとんどすべての乗客は非アジア人ばかりでした。

バスでわたしの隣に座ったのは長髪のヒッピー風の若者。最初に名簿を作るのでひとりひとり名前と国籍を乗客名簿に書いていったのですが、彼はイスラエル人であることをそのときに知りました。「どこから?」と聞かれ「ジャパン」と答えると、「おー、行ったことあるよ。わたしはイスラエルです!」と普通のやりとりをしました。彼は一人旅だったのと性格も悪くなさそうで、さっきバスに乗る前に見たイカレタグループの奴らとは関係ないようなので安心しました。

バスは発車し南を目指しました。南部へは国道4号線をずーっと進んでいきます。わたしは何度もプーケットやクラビへバスで旅しているのでだいたいのルートを把握していました。たぶんあそこのサービスエリアにトイレ休憩するだろうな、とか。そんななか、車内で映画上映が始まりました。かかったのは「ディファイアンス」〔2008年〕というダニエル・クレイグ主演の第二次世界大戦時のユダヤ人パルチザンの抗独闘争を描いた映画。物語の冒頭、ナチスドイツによるユダヤ人狩りがえんえんろ描かれており、ハラハラドキドキの連続で物語が進行していきます。わたしは隣のイスラエル人の反応が気になって仕方ありませんでしたが、たまに横を向いて様子を伺うと物語に没入しているようでユダヤ人としての民族のつらい記憶を喚起している、というよりかは、純粋に映画のエンターテイメントを楽しんでいるようでした。まぁ本心はわかりませんが。

そのあと、しばらくすると2本目の映画が始まりました。「ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」〔2006年〕。これがトンでもないモキュメンタリー映画で、民族差別など微妙な話題を笑い飛ばすことをテーマにしているので、だいじょうぶか?とまたしても隣に座ったイスラエル人の反応が気になっていられなかったのですが、彼は映画を観てげらげら笑っているので安心しました。この2本の映画ともわたしは大好きな映画で劇場で観た後何回もリピートして鑑賞しているので、興味のある方はぜひどうぞ。

まぁイスラエル人も普通の人なんだな、と必要以上に気をつかっていた彼の印象がどんでん返しでくつがえったのは、バスがトイレ休憩でサービスインに止まったときでした。
トイレのすぐ前でイスラエルの彼は、さっきの上半身裸タトゥー軍団と一服しながら何やら談笑していたんですね。それをわたしは見るとはなしに見ていました。すると、とつぜん驚くべき光景を見てしまいました。

おもむろに彼は短パンをずりさげ、自分のおちんちんをそのグループの面々に見せているのです!するとそれを見てイカレタグループの連中が「クレージー!!」と言ってゲラゲラ笑っています!!

凝視するとようやく事情がわかってきました。そのイスラエル人の彼は内股のところにガネーシャのタトゥーをしていておちんちんを象の鼻に見立てるボディーペイティングしていたのです!ちんぽこにタトゥーしている男の人は初めて見たので衝撃的でした。

それ以来、サムイ島に着くまで彼はこのツアー旅行のプチ人気者になり、船に乗っても「おい見せてくれよ」と皆にリクエストされてちんこを見せびらかしていました。ツアー客は男も女もみな彼を見て「グレイト!!」と言って盛り上がっていました。

そんなサムイ島行きのバスで出会った男が実はとんでもないタトゥー野郎だった、の巻きでした。世界はまだまだ広い…。(波照間エロマンガ島 2018/2/11)

(寸評)俺のミュージシャンの知り合いにもチンチンにタトゥーを入れているのがいるが、彼も「日本ではこれは決して公開されない。でもアメリカでは俺よりも俺のチンチンの方が(雑誌などで紹介されて)有名だ」と言ってたなー。
でもいきなり波照間エロマンガ島には見せなかったんだね。最適だったのにね・・・。 8ポイント。

母親の呼称が変ったしゅんかん

小学低学年のときです。かなりあやふやな記憶なのですが、なにかの機会に教室で先生に呼びかけるとき「ねぇ、ママー」って言ってしまい、あわててつづいて「まーまーまーまーまー」と誤魔化したことがあります。間違えたのもそうなのですが、自分が発した「ママ」という言葉の響きが耳から聞こえるとなんかたまらなく恥ずかしく感じてしまったのですね。そのしゅんかん、母親の呼称が「ママ」から「お母さん」に変りました。

実は身近に、当時のわたしくらいの年齢の日本人の男の子がいるのですが、彼は物心つく頃から母親のことを「お母さん」と呼んでいました。それは傍から聞いても恥ずかしくないです。個人的な感覚ですが。そんな母親の呼び方が変ったしゅんかんの話でした。(波照間エロマンガ島)

(寸評)わかるねえ。
逆にお母さんに「先生」と言ってしまうこともあるとか。 6ポイント。

阿呆でよかった2・雪中フリーフォールすべり台の奇人

過去に「初体験(86)」にも投稿した、大阪府北部の彩都「なないろ公園」にある関西初のフリーフォールすべり台(高さ3.5mと5.5mの2基)。車でおおよそ25分のこの公園にはぼうずとドライヴがてらよく遊びにやって来ます。

ぼうずは相変わらず怖がって滑らないので、もっぱら私があほのおっさんの代表として子供さんらに混じって落下するのですが、どうもこのすべり台は構造上の欠陥があり、皆が楽しめない状態であることが多いのです。
それは雨上がりのあと、窪み(このすべり台は横から見て「し」と、「ん」の右下部分、を繋げたようなかたちで、その「し」の底部分)に水が溜まったままになってなかなか捌けないのです。
気温の低い冬場などその症状は長引くようで、もうずいぶん前の雨が溜まったままで、低い方のすべり台が永らくの間使用不可になっている感じなのです。なぜか高い方(5.5m)のほうは水がなくなっています。

この遊具は関西にここしか無いから、これを目当てに遊びに来たご家族や子供さんはどんな気持ちになったことでしょう。もちろん高い方は無事なのでそちらで遊べばええやん、というご意見もありますがいかんせん5.5mです。大人でさえ怯んで滑れない方も多いです。いわんや小さなお子様に於いてをや。古文調になってる場合か、つまりは私はそんな折角のおもしろレア遊具がずっと使用停止に陥っているのを、公園にくるたんびにすごく歯がゆい気持ちで見つめていたのでした。まぁ夏場はそれでも構うかい、と頭の悪い高校生/大学生がパンイチになって落下してビッシャビシャになってましたけどね・・・。

私がぼうずと2人訪れた2018.1.13の土曜日も、やはり低い方だけ水びたしで遊べない状態のままでした。腹いせにかゴミが投げ込まれ、段ボール・大きな石まで水底に見え隠れしています。
やはり高い方では怖くて遊べない子供さんがちらほら、泣いたり震えたり。みんな残念そうにしています。
こんなの勿体無い。誰かが、なんとか出来ないだろうか。そうじゃ、さいわい私は、あほだ。頭は悪いかわりに行動力はある。この水を、無謀ながらもあほなりに除去する方法を考えればよいのだ。

私はぼうずに、みんなが楽しくこのフリーフォールすべり台で遊んでほしい、という自分の思いの丈を平易な言葉を用いて伝えました。
オポ「なぁぼうず、今からとさん、あのすべり台に溜まった水を日暮れまでにどうにか無くせないか頑張ってみる。無理かもしれんけど、やってみてええかな?」
ぼうず「ええとおもう」

そうと決まれば善は急げ、私とぼうずは駐車場までダッシュし、なにか役に立ちそうなものを探しに出かけました。

私が最初に立ち寄ったのはコンヴィニ。そう、ここ彩都は新興住宅地で極端にお店が少なく、ホームセンターなんてものが存在しないのです。みんなどうやって生活してんの?? そんな疑問は一旦おいといて、ここで役に立ちそうなもの・・・・・・ 私はタオル3枚入りとゴミ袋をとりあえず入手、さすがにバケツは置いてません。いちばん欲しい物なのにな。

オポ「この辺にバケツ売ってそうなとこ、ご存知ないですか?」
店員さん「・・・バケツですか・・・・・・ 100均にならあるかもしれません」

お兄さんにお礼を述べ、私はスーパーとその他お店がいっしょくたになったモノレール彩都西駅そばのショッピングモールへ車で入ろうとしましたが・・・ なんと駅のロータリーからすぐ見えるのに入り口が無い!! 私は憮然と入り口を探し、交差点でむりくそUターン、どうにか駐車スペースへ潜り込みました。
スーパーにバケツは・・・ 無い。この敷地内にコンヴィニのお兄さんの言ってた100均があると踏んでいたのですが、それすら無い。諦めてもう帰ろっかな、と思いかけたら2階にドラッグストアがある模様。これだ! もうここで無かったら私の負けだ、帰ろう。しかし無情にもバケツは置いていません。一体彩都西のご連中は何処でバケツを買ってるんだ。その時私の目に入って来たのは、台所の食器を漬けておくような洗い桶。取っ手はないけど、もうこれでええわ。

私は公園に立ち戻り、寒空の下ボア付コートを遊具に引っかけ、現場近くにゴミ袋とタオルを設置のうえ、袖をまくって洗い桶を構えました。
なんだかおかしなおっさんが来たなぁと、すべり台付近の人々に緊張が走ります。

私はそんな視線は想定済みだ、と、ざんぶと泥水を洗い桶で汲み取り、ダッシュの上すべり台から10m離れた地面に空いた排水口へぶち流します。
今日はこんなにアクティヴに動き回ると思っていなかったから、ズボンにベルトを巻くのを失念してきたので走る度にジーパンが摺り下がるというますますの不審者っぷり。でも私は負けません。フリーフォールすべり台を元に戻すんだ。やると決めたら、とことんまでやってみる。それでだめなら仕方ない。見知らぬ女の子が話しかけて来ます。
女の子「こんなん無理ちゃうん?」
オポ「うん、あかんかも知れんけどちょっとやってみるわ」

日はもはや沈み、なめたことに雪が降り出しました。北摂は山の方だと大阪と言えども雪が降ります。
時刻は16時半を回り、帰る人も増えて来ました。でも私は、諦めない。せめてぼうずと私だけでも、このすべり台を滑ってやるんだ。ざんぶ。だだだっ。ばしゃぁ。だだだっ。ざんぶ。だだだっ。ばしゃぁ。もう50往復はしたろうか。目にみえて水嵩は減じて来ました。ぼうずがすべり台の上から応援しています。
底に投げ込まれたゴミ・ペットボトル・びしゃびしゃのダンボール等をゴミ袋へ。これ、俺が持って帰って始末せなあかん、よね・・・。この公園にはゴミ捨て場などありません、今流行りの「ゴミは持ち帰りましょう方式」です。嫁はんの怒りの形相が浮かびますが構うもんか。
大きな石小さな石を空地へぶん投げ、底の汚泥をタオルで拭い去ります。洗い桶で洗おうと思いましたがまた水道がすべり台からやたらと遠い。私は摺り落ちるズボンを片手で抑えつつ水道へ走り、きれいな水を汲んできました。バケツじゃないからめっさ運びにくい。

すると、そんな気をおかしくしているおっさんを見て、一組のご家族が「なにか手伝いましょうか?」と、あたたかいお声をくださったのです! これは心強い。いかんせん私はただでさえたった一人だけでの作業であることに加えて極めつけのあほゆえに作業効率の悪いこと甚だしく、ここにまともなお方の力を借りられれば作業は一気に進みます。「やー変なことに巻きこんじゃってすいません」とか言いつつ拭き上げを手伝ってもらい、私がもう一度洗い桶に水を汲んで帰ってきたときには、もうすでに子供らはついに使えるようになった低い方のフリーフォールすべり台で遊びを始めていたのです。

日も落ちて5時前、雪のちらつく中でしたが、子供たちは皆一様に、嬉しそうでした。高い方がダメな子も、こちらなら安心なのでしょう。
ああ。よかった。
普通の神経ならば諦めるというか、手も出さないような水溜り。しかもこのクソ寒い中。だいいちそのうち雨がまた降ればたちどころにまた遊べなくなるであろうに。
それでも私は自分があほであることを誇りに思いました。この子供たちの笑顔が見られた。それだけで、この大馬鹿まるだしの奇行は意味を持ったのです。折角なので、まだ滑ったことがないぼうずを抱きかかえて一緒に滑ってやりました。ウホッ! 爽快でした。ぼうずは半ビビりでしたが(笑)。

近くに住んでいる子供たちが未だ滑りつづけるのを目を細めて眺めながら全身どろどろの私は、大きなゴミ袋、ずべずべの雑巾と化したおニューのタオル、大きな洗い桶を手に、ぼうずと夕闇迫る彩都を後にしたのでした。(オポムチャン 2018/2/11)

(寸評)善人かっ!
あとはそれが何日持つかだね。ちゅうか単なる設計ミスやんけ・・・。ごくろーさま! 8ポイント。

カッペエ

10年以上前のことです。

女性が接客する店で働いていたのですが、この店は、実際の店名と違う領収書を用意していました。

居酒屋、割烹、会社名。

フロントでお客様に「領収書ください」と言われると、「居酒屋、割烹、会社名 がございますが」と選んでもらうわけです。

ある日の私、「居酒屋、割烹、会社名」を、「居酒屋、割烹、会社員、いや、会社名、」なんて言い間違いをしてフロントに笑われました。お客様は笑っていませんでした。

またある日、電話がかかってきて、「領収書の宛名は何になりますか」と聞かれたので、いつものように、ゆっくりとハッキリとした声で、

「イザカヤ、カッポウ、カイシャメイ、 」

というはずが、

「イザカヤ、カッペエ、いや、カッポウ、カイシャメイと・・・」

電話の向こうのお客様はカッペエの部分で笑いをこらえる声。フロント内は大笑い。

電話を切ったあと、フロントの奥の部屋にいた社長も笑いながら、「おい、カッペエってなんだよ?」

それから職場は、「カッペエの領収書少なくなりましたね」「カッペエの印鑑どこですか?」などの会話が飛び交うようになり、割烹=カッペエ になってしまいました。

それから数年後、この話を女性にしたところ、「私、不動産屋で「印鑑、シャチハタしかないんですけど・・・」って言うのを、「尺八しかないんですど・・・」って言っちゃって笑いをこらえられたことある」と聞きました。(猪熊猛 2018/2/11)

(寸評)「いさかいや、カッペエ、ヒガイシャメエ」になったら、事件だったね。 6ポイント。

2017年の大損失

温泉施設などで100円ロッカーがあって使用後コインが戻ってくるのがあるじゃないですか。
今年度2回取り忘れました。。。
一度目は久喜の日帰り温泉。100円入れたまま中座したらなくなっていました。おそらく誰かにとられたのでしょう。
二度目は上諏訪の片倉館の日帰り。100円玉を取り忘れたまま脱衣所を出て慌てて戻ってみたらもう誰かがロッカーを使っていました。
まだ三月まであるので気を付けなくっちゃ。(わいわい 2018/2/11)

(寸評)あれ絶対浴場の作戦だよね。塵も積もれば百円玉で大儲け。 6ポイント。

ひとり定期観光バス

高校生の時、九州高千穂を旅しました。当時は高千穂線が生きていた時代で、古き良き時代でした。
普通免許を持っておらず、レンタカーは使えません。
高千穂は天岩戸神社等、名所史跡が散在しています。
そこで私は定期観光バスを利用しました。
ブルートレイン→高千穂線始発→高千穂駅というルートで、朝一の定期観光バスへ乗りました。

その時客はなんと私一人だったのですねえ(笑)。
私は運転手の後ろへ一人でポツンと座りました。
バスガイドのお姉さんは、
「皆さま、本日は高千穂定期観光バス××ルートにご乗車いただき・・・」
と始まり、楽しかったです。
途中暇を持て余すのか、私と普通に会話をしてました。

高千穂は、ポッカ酒という、割った竹の中へお酒を入れて炙る飲み物が名物なのですか、高校生というのに貰って飲み・・・これ旨かったなあ・・・日本酒でこれほど美味しい酒は現在まで飲んだことありません。ポッカ酒は土産物店や旅館などで観光客相手に出している酒で、現在では市民は普通にレストランでは飲まず、お祝い事とか田舎の風習で残っているだけだそうです。数年前高千穂を再訪したとき、ドライブインでも見つかりませんでした。

午後からは、途中乗車の観光客も乗ってきて、10人くらいでツアーをしたのですが、大型バスで一人だけでガイドを受けるというものはなかなか体験できませんぞ。(わいわい 2018/2/11)

(寸評)高校生じゃなかったらもっと大人の誘いもあったかも・・・? 6ポイント。

ぎゃー!こりゃあ喰えねえわ!

私の家は山奥にあるのですが、夜になると窓の灯りに引かれて色んな虫やカエルなどの生き物がたくさん集まって来ます。
ある夜、ゲンゴロウが飛んで来て、ひっくり返ってモゾモゾと動いてました。それを見た大きなカエルが、ゲンゴロウをパクッと食べました。
しかしゲンゴロウの足か何かが引っかかるのか、呑み込めずに「ぎゃー!こりゃあ喰えねえわ!」という感じで吐き出していました。
吐き出されたゲンゴロウはまたモゾモゾ動き出しました。しばらくすると、カエルはまたモゾモゾ動くゲンゴロウを見て、「あ、虫だ!」と、パクッと食べました。そして同じように「ぎゃー!こりゃ喰えねえわ!」と吐き出していました。
観察していると、カエルはずっとそれを繰り返しているのです!
ゲンゴロウを食べる→呑み込めず吐き出す→忘れる→ゲンゴロウを見て「あ、虫だ!」と食べる→呑み込めず吐き出す→忘れる→「あ、虫だ!」・・・・
いい加減ゲンゴロウは呑み込めないって学べよ!と思いました。
きっとカエルは、「動く物=食べもの」というような、とてもシンプルなプログラムだけで動いてるんだろうな、と思いました。(マドレーヌ婦人 2018/1/28)

(寸評)ヌハハハッ! おもろい。
でも俺だったらその光景を一回見ただけで失神するかも・・・。 8ポイント。

阿呆でよかった

その秋は理解に苦しみ、行方不明のとあるものの話で持ちきりでした。

私の職場は近所に他のお店がまるでない大阪の僻地で、近隣の利用者の皆様の利便性向上のため切手・印紙・大阪市粗大ごみ処理手数料券なども取り扱っています。16年も勤めている私ですら本当に一体何屋なのかよくわからない謎の職種です。

ある日のこと。近くの支店に本社から各種取り扱い商品の在庫点検等抜き打ちの監査が入った、との噂を受けて、我々の店舗も金庫に保管している切手や印紙などをチェックすることにしました。
課長が不穏なトーンで店長に言いました。

課長「店長、どっかに資産管理部から来た切手、しまい込んだままにしてるでしょう」
店長「えぇ? なんや、何枚か足らんのかいな」
課長「・・・・・・120円切手700枚と、310円切手200枚が足りないです」
店長「そんなアホな!?」

これは大ごとです。もし見つからなければ146,000円の損害、とうぜん我々は処分を受けることになります。困る。こうなった原因を考えましょう。

可能性1:課長がいましがた述べたように資産管理部から送ってきた切手を店長あるいは他の社員がほかの書類と一緒にどっかに収納して紛れ込んでしまった。
可能性2:資産管理部から送ってきた切手の入れ物を中身を取り出さないまま送り返してしまった。
可能性3:資産管理部から来た切手が請求した数よりも少なく、在庫管理システム登録時にもとの請求数のまま登録してしまった。
可能性4:切手の入れ物を誤廃棄した。
可能性5:在庫管理システムにエラーが生じ、それゆえに実数との差異が生じた。
可能性6:社員の誰かがネコババした。

まず可能性6、うちの社員は基本的にお人よしで全員普段から金に困った様子はなく、しかもそんな即バレるような泥棒行為は行わないでしょう。やるなら高々15万程度じゃなくって金庫の有り金全部持ち去って失踪する方がまだ割に・・・ って、するかいなそんなこと(笑)。
次に可能性2、3、5。もしそんな事態があればすぐにでも資産管理部から連絡が入るはずです。該当の切手を受け入れてから最早1週間以上が経過していますから、おそらくこれも無いでしょう。
となるとありそうなのは1か4。でもいままで資産管理部の入れ物を廃棄したことなんてありません。シュレッダーできるようなサイズじゃないし、チャック付の大きなケースですから可燃ごみとして捨てることもなさそうです。

と、いうことで濃厚なのはやはり可能性1。我々は本社からの監察が入る前に、なんとしてでも行方の知れない120円&310円の切手を探し出さねばならないのです。机の上。あらゆる引き出し。綴じ物のキャビネット。文房具の棚。店長の書類入れ。お客様ルーム。控え室。ロッカーの中。営業用鞄。個人の鞄。便所。またあらゆる角度から防犯カメラを全時間分チェックするなど毎日残れる者で居残りして必死で家探ししたものの、計900枚もの大量の切手はどこにも見当たりませんでした。

監査は抜き打ちですから、いつこの事態が会社上部に発覚するかはわかりませんが、10日間捜し続けてもう全員疲れてしまいました。
店長はこんな不祥事が発覚して周りの支店に迷惑がかかるくらいなら俺が立て替えて隠蔽しようかな・・・ などと弱気になっています。ですがそんなことバレたら余計に後から大ごとになってしまいます。
そして在庫不足が判明してから2週間。私はお客様から大阪市敬老優待乗車証の更新書類を受け付けました。これまた粗大ごみ券と併せて委託業務として取り扱ってるんですね。
私は受付けした書類の出入り監査簿を付けようとして、監査簿の入ったケースをまさぐりました。

あれっ? おっかしいなぁ、ぜんぜん監査簿がケースから出てけぇへんやんか。なんか見たことない書類も入ってるし・・・・・・・・・

オポ「(大声で)これ、何すかねぇ〜〜〜〜」

果たして私が掴んだ見たこともない書類とは、クリアファイルに納められた切手900枚でした。
そして監査簿が出てこないのも当然で、私がまさぐっていたケースは敬老乗車証関連書類のケースの横に置いてあった、大阪市粗大ごみ処理手数料券のケースだったのです。こちらは月に1枚程度しか売れないので、完全にノーマークだったのです。

なぜ、そうなったか。

1:切手が資産管理部から来た日、課長は早速販売窓口に在庫を補充しようと切手900枚をクリアファイルに入れて作業台に置いた。
2:その後すぐに珍しく粗大ごみ処理手数料券が売れ、担当がケースを作業台の上に置いた。
3:担当が粗大ごみ処理手数料券の監査簿を付けたところで別のお客さんを受付け、監査簿をクリアファイルの上に置いた。
4:誰かが切手の入ったクリアファイルごと、ごみ券監査簿をケースに入れて所定の場所へしまい込んだ。
5:あほの私が同じ大阪市の委託業務であることを理由に敬老乗車証のケースと思い込んでごみ処理券のケースを間違えて持ってきて、監査簿ないわーないわーとほざいてほじくりかえしたところ、発見。

なんということでしょう、金額にして146,000円分の切手は、私があほであることを主たる理由として発見されたのでした!!!

店長「いや〜〜オポやんようやった!! これでわしも弁償せんで済んだし、いい夢見られるわ」
オポ「やーはっはっはっは、頭悪くってラッキーでしたわ」
課長「こいつ、何関係ない書類のケース持って行ってんのかな、って怪しんどったら単に間違えてたんやな・・・」
オポ「やーでも私があほじゃなかったら、見つかるのまだだいぶ先でしたよ! わーいあほ万歳」

こうして我々は本社監察の指摘や罰則を受けることなく、無事に切手900枚を奪還(?)したのでした。その日私はヒーローでした。
あほがあほであるが故に役に立ったという、珍しい1件でした。これからも永遠にあほでいます。よかった。よかった。イェィ。(オポムチャン 2018/1/28)

(寸評)その切手を販売前にペロペロ舐め、女性にのみ販売し、その様子を想像して会社で自慰。
はい、逮捕。 7ポイント。

無駄に細部にこだわり過ぎてよう憶えきらん自業自得のあほ

さてTVゲームのEDIT機能で異常に細部にこだわってしまう、という投稿を先にしましたが、こういった妙なところのディテールに凝ってしまうのはどうも私の脳味噌の悪癖のようです。ぼうずを寝かしつける際のお話。

とにかくうちのぼうずは機関車トーマスやらトミカプラレールの主人公のTくんてっちゃんやら昔話の桃太郎やらいろんなキャラクターを自分流にアレンジしてお話を展開して他人を付き合わせるのですが、その夜は馬場のぼるさんの童話「11ぴきのねこ」の猫たちが野球をして遊ぶ、という話になりました。
しかし私は元のお話をさっぱり知りません。おそらく幼稚園などで読んでもらったのでしょう。仕方がないので私は勝手に登場人物の名前と個性をかんたんにでっち上げてお話を進めることにしました。

11人の内訳は9人が兄弟であとは両親で11人。リーダーは長男のニャン太郎。ニャン太郎一家チームの相手はノラネコ野球団で、キャプテンのミケ五郎はニャン太郎の良きライバルで友達、という設定でお話を創りだしていきました。
しかしものが野球なだけに各選手の個性をもっと出さないとお話が単調になりすぎてしまいます。ぼうずからも他の兄弟の名前をおしえて、なんて言われたのでさらに仕方なく考えてやることにしました。以下。

長男・ニャン太郎。頼れるリーダーでピッチャーはもちろん全ポジションをこなす4番バッター。
次男・ニャン次郎。頭の切れる戦隊もののブルー的存在。足が速くミートが巧い。
三男・ニャン三郎。力自慢のカレー好き。イエロー的。キャッチャーやファーストが得意。メガネキャラ。
長女・ニャン子。料理上手の優しいお姉さん。力は弱いが当てるのはうまい。堅実なセカンド。
次女・ニャー美。明るく活発ではねっかえりのやんちゃ娘。足が抜群に速いが守備はヘタ。
三女・ニャム。静かな策士。意外と気が強い面も。変化球が得意なクールなリリーフ投手。
四女・ミュウ。元気娘。お姉ちゃんが大好き。まだまだ甘えん坊の控え外野手。
四男・ニャン吉。歳が離れてるからか「ニャン四郎」にはならなかった。一番のクセ者でこっそり反則も使う卑怯者。
五男・ちびすけ。まだ幼いので正式な名前がつけられていない〈ぼうずの作った設定〉。でも野球はできるくらいの歳。控え内野手。

・・・・・・私は一体何をしているのだろうか。子供を寝かしつけるためのお話の中の設定を、ここまで事細かにやる必要はあるのだろうか。様々な疑問が立ち上がりましたが、こうなったらとことんやってしまうのが私の困った脳味噌です。ついにははじめは「おとうさん」「おかあさん」で済んでいたニャン太郎の両親にも名前が付き、ある日からふらっとおじいちゃんおばあちゃんが一緒に住みだしてこれまた特徴を設定し、敵チームのキャラクターもミケ五郎とクロ助だけであとは子分、にしてたものも請われて名前と個性を付け、などともうたいへんなことになってきました。なにしろ野球をやるにはひとチーム最低9人(匹?)は必要なわけですから、敵チームの連中にも9人分の名前と個性を決めてやらねばならないのです。テキトーに誤魔化して5人くらいで済ませてしまえば早いのですが、ほんとうの野球に触れた時に混乱を生じてはいけない、というわけのわからない使命感に燃えた私は設定に手を抜きませんでした。

結果、自分で編み出した猫たちの名前・能力が多すぎて、てんで把握できなくなりました。
ほんで夜寝るごとにぼうずから話をせがまれては「ちがう、おばあちゃんのなまえはミヤコ」とか「くろすけはまがるボールがじょうずやで」とか私がその場でパッと考えた設定を妙に憶えてやがったりするので、いよいよ困り果てた時。ぼうずはこう言いました。

「きょうはノラネコやきゅうだんとはべつのチームとしあいする」

私はさらに新しいチームの9人の名前と能力を創りだす羽目になりました。もう憶えられん。無理。40のおっさんの限界。私は広告のウラに各猫野球チームの選手の名前、背番号、ポジション、あてるうまさ、パワー、足の速さ、ボールの速さ、コントロール、守り、曲がるボールの能力値を10段階で設定し記入、その資料をもとに寝かしつけのお話をすることになりました。なんだ、これ。どうもデジャヴの香りがするぞ。ああ・・・ あの日々だ。「熱スタ 2006」のEDITチームの選手の能力値をノートに書き留め続けたあの日と似てるんだ・・・。

そして今。チームは4チームに増え、金持ちでキザな白伯爵、巨漢の怪力キャッチャー黒大将、中国から来たナックルボーラ―猫上香〈マオシャンシャン〉など、個性豊かな猫連中が毎晩お話を飾るようになりました。肝心の寝かしつけは? はい、お話が面白すぎて、22時を迎えてもまったく寝てくれません(泣)。嗚呼、これぞ骨折り損なうえに本末が転倒、スエモトやぁ。わちゃぁ。だめだこりゃ。(オポムチャン 2018/1/28)

(寸評)ぬはははは。来年はサッカーチームだ! 8ポイント。

とつぜんの結婚報告

サワディー・クラップ、波照間エロマンガ島@バンコクです。
先日のことです。片言の日本語を話せるタイ人スタッフ含む数人とランチに行きました。
近所のおそば屋さんでおそばをいただきました。料理が来るまでのあいだ、他愛もない話をタイ語日本語おりまぜしていると…。

タイ人女性スタッフSさんがとつぜん意外なことを言いました。

「わたし、せんしゅうけっこんしました!」

えーーー??!! まじっすかー!! わたしは内心動揺しました。Sさんは20代前半で、大学を卒業してまだ1年くらいの女性です。とても気立てが良く頭もよいのでちょっとだけ好いていたのです。その彼女が結婚するとは…。みるみると気持ちが落ち込んでいきました。するとSさんはすぐに前言を撤回しました。

「あーまちがえた、わたし、せんしゅうけんこうしんだんしました!」

その場にいたわたしともう一人の日本人スタッフはそれを聞いて大爆笑。「なんだ、健康診断か。結婚とぜんぜん違うじゃんか」と。日本語のわからないタイ人スタッフにも今の間違えを伝えると、時間差で大爆笑が伝染しました。タイ人の若者ってそういう言葉の言い間違えは過剰に笑いますね。よく箸が転がっても笑う年頃なんて言うじゃないですか、あんな感じ。そのあと数分間はSさんの「おバカ」言い間違い発言で盛り上がりましたとさ。(波照間エロマンガ島 2018/1/28)

(寸評)さらに「あーまちがえた、わたし、戦争血痕死んだしました!」だと怖いね・・・。6ポイント。

きのこ弁当

大学時代の友人S
うちの大学は昼休みに弁当屋がお弁当を売りに来ます。
Sはそこのきのこ弁当がお気に入り。
「わいわいキノコ食える?」
「食えるよ」
「じゃあキノコあげる」
「じゃあなんで買ったんだよ」
「おかずの彩(いろどり)が好きなんだよ」
友人のはただの幕の内弁当となりました。(わいわい 2018/1/28)

(寸評)食紅弁当とかあったら買いそうだね。 6ポイント。

半チャーハン大盛り

レストランではライス大盛り無料とか麺増量無料とかたまにありますよね。
私は某ショッピングモールのフードコートにある中華料理屋で「半チャーハンの大盛り」を頼みました。
お姉さん、そのまま厨房に下がり、再び現れ、笑顔で、
「できません」
と一言。
そりゃそうですよね(笑)(わいわい 2018/1/28)

(寸評)「ハンバーガーのバンズ、肉、レタス抜き!」でピクルスだけもらうのは出来るのだろーか。 6ポイント。



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