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ここは自分のまわりのおバカな奴の行動・言動などを紹介するコーナーだ。
なるべく本人を直接見たり本人から直接聞いたものが良いが、信憑性が高ければその友人ぐらいまではOK。もちろん人間じゃなくてもかまわないぞっ。
さぁ、まだ世間に埋もれている貴重なとっておきのバカを紹介してくれいっ!
メールにて投稿は題名「おバカ」で、末尾に自分の名前を入れてね。
ポイントは3ポイント以上〜ーだっ! ダ〜〜〜ッ!!

あほ VS 傷パゥア特殊当て布

過日。私は仕事中課長に「オポ君、そこの段ボールに入った書類こっちまで運んでくれる」と命じられました。
はいはーい、と、ちょいとかさばる箱を両の手で担いだため、私は足許が見えない状態で課長のもとへ歩み出ました。すると。

ドガスッ!!!!

ぐぎゃむ!!!!

左膝に強烈な衝撃。危うく転倒しそうになりましたがそこはどうにか堪えました。なんじゃこりゃ!? って何のことはない、店長がいつものように低い位置の棚の引出しを出しっ放しにしておったのです。
少々説明するとこの店長は己が手で開けたものは基本的に開けっ放しにしておくという実に解放感あふれるおっさんで、各種扉・机や棚の引出し・金庫等は常に解き放たれており、お陰様で我が職場は防犯上危険極まりない上に安全上でも御覧のようにまっこと危険極まりないのです。痛い。痛い。

店長「オポやん鈍臭いのう、ハッハッハッ」
オポ「やぁ全くです、粗忽粗忽。ハッハッハッ(いっぺんどついたろかこのおっさんは)」

課長「ごめん、僕が運ばせたばっかりに・・・」
しばらくは平静を装って仕事を再開しましたがいくらか時間が経ってもまだ痛いわ、ららっ血まで出てきた。なめやがって。しかし悪いのは私です。店長の居るテリトリに踏み込んだ段階で足許が危険に満ちていることなど、予測可能な事案なのですから。「大袈裟やのう」と店長の寄越してくれた絆創膏を張っつけてその日は仕事を終えましたが、ぶつけた膝は帰宅してもじんじん痛んだままでした。畜生め。ブーブー。はいこちら畜生です。人類に至らぬけだものだもの私は。ははは。何の話だ。

風呂に入ってからもまだ血が出ていたため、私は難儀なこっちゃなぁ、と慨嘆しておりました。ら、嫁はんが横から申すには。

嫁はん「そんな傷、絆創膏なんかしてても治れへんで。傷パゥア特殊当て布貼らな」

傷パゥア特殊当て布? いえ、実際はそんな名前じゃないんですけどあんまり商品名を出すとまたステマすなわちステージマネージャー、じゃねぇ、ステルスマーケティングと思われるのも癪ですからね。だいたいご想像はつくと思います(笑)。
この仮に名付けた“傷パゥア特殊当て布”はデンマークからやって来た舶来の品で、先端医療技術を御家庭用にはじめて応用したという素晴らしいアイテムなのだそうです。湿潤治癒方式でカサブタがわりに傷を守り、自己の体液が持つ細胞再生因子を利用して早くキレイに治してくれるという夢のような絆創膏なのです。って。事実嫁はんはこれで数々の切り傷を治癒させてきたのだ、というのです。

そらええわー、なんやようわからんけど。私はひととおり説明書きを呼んだのち、用法のとおりしっかり人肌で1分間あっためたあとぺたりと傷パゥア特殊当て布を左の膝小僧に貼り付け、さらに1分間あっためて確実な粘着を施しました。よっしゃ。これで私の傷口は確実に保護され早くキレイに治っちゃうわ。ウフフッ!

幸せな妄想は長くは続きませんでした。

翌日。傷は思いの外悪かったのか、当て布に納まり切れないくらいの体液が膝から出ています。説明書きによると傷口より大きいサイズの傷パゥア特殊当て布を貼り付けろ、とあるので家に備えてあったもうワンサイズ大きい傷パゥア特殊当て布を取り出し、張り替えることにしました。

―――張り替え。これがいただけませんでした。
私のお膝には無数の毛ーが繁茂しています。
その毛ーがモサモサ繁茂するお膝に傷パゥア特殊当て布を入念に、しっかり、あっためて貼ったもんですからぜぇんぜん剥がれないのです。
無理繰り引っぺがそうとすると傷口がひらいてしまいます。そうっとやるのですが、どうやっても毛ーが強力にくっ付いてきて傷パゥア特殊当て布にギャンギャン引っ張られます。イギョァアアアアアアア!!!!!?????  説明書きに掲載され ている張り替え時の方法をきちんと実行しているにもかかわらず、私の膝から傷パゥア特殊当て布は剥がれようとせず・・・ というか、膝の毛ーから剥がれようとしないのです。痛い! 痛 い! 痛いっ!

私はなす術もなく、ハサミを持ってきて膝と傷パゥア特殊当て布の間に挿し入れ、ちょきちょきやりました。ようやっと、傷パゥア特殊当て布は私の膝から離れたのでした。左膝小僧の毛ーはそこだけまぁるく短髪になりました。なぜこんな目に遭わねばならぬのか。私は己の数奇な運命を呪いました。どうやら傷パゥア特殊当て布はレディーやお子さま向けに作られた商品で、毛ーのモサモサしたおっさんの創部を想定しては作られていないようです。

その後も傷は一向に癒えず、だいたい説明書きには何日間貼れば完全に癒えます、なんてなことは書いちゃいねぇので(とうぜん傷の度合いはその傷それぞれですからね)、こういう物事の判断がそらもう無茶苦茶にへたくそなあほの私はいつまで貼りつづけたら良いものやらさっぱり判らぬまま。それにこの傷パゥア特殊絆創膏は特殊が故にお値段もけっこう張るため、私ひとりでぜぇんぶ使っちゃうのもなんだか他の家族に悪いような気がしてきます。結局、激痛苦痛の張り替えを2回おこなったのち、さらに最後に剥離する際もべりべりダメージを被りつつ、私は傷パゥア特殊絆創膏の使用を止してしまいました。

1ヵ月が経った今。私の膝小僧にはしっかりくっきり、赤い痣が出来たままです。膝は、押すとやや痛いです。
舶来の最新技術は、どうやら未来電話も持たない私のようなけだものには不向きであったようです。けだもの故に毛ーも濃ゆいしね。是非とも傷パゥア特殊絆創膏の製作者様には使用前の注意書きに『しっかり患部まわりの毛ーを剃り落してからご使用ください』の文言を加えていただきたく存じます。まじ半端なく痛かったです。
今日も私は(まるで張本人が意図していない)様々な罠の仕掛けられた職場を駆け廻っています。いぇいいぇいいぇいいぇいいぇいうぉううぉううぉううぉう、さながら毎日がサヴァイヴァル・デァンス。ははは、おもろ。ふつうの絆創膏買うてこーっと。ついでに鈍器も買うてきて店ちょ・・・・・・ ん? いえ何も言うてませんよ、私。空耳空耳。エアイヤー。アハッ。(オポムチャン 17/10/15)

(寸評)獣用のを買うしかないね。動物園の飼育員さんに聞いてご覧。 7ポイント。

指差し会話

波照間エロマンガ島@バンコクです。
ある日の昼休み、わたしは会社のビルの近くの歩道を歩いていました。すると同じフロアに入居している旅行代理店のオネエサンが向こうから歩いてくるので、わたしは会釈しました。通り過ぎるときオネエサンは珍しいハンドサインをしました。人差し指を天に向けてそのあと指を地面に向けたのでわたしは「なに、変なジェスチャーだな」と思いつつ、歩き始めました。すると5歩くらい行ったところに

ドブネズミの死体がありました!!

歩道のど真ん中に横たわっていたのです。わたしはオネエサンのハンドサインの意味がわかりました。「とんでもないものがあるから注意したほうがいいよ」という指差し会話だったのですね。

いっしゅんの出来事でしたが、ドブネズミの死体を介してオネエサンとコミュニケーションできたことにほっとしたわたしでした。(波照間エロマンガ島 17/10/15)

(寸評)「今日はよくドブネズミが空から降ってくる日よ」だったのかも・・・。 6ポイント。

一言も書いていません

以前、僕がよく聴いているラジオ番組で募集していたテーマで、「あなたの名言、あなたが言われた名言」というのがありました。そこで、僕が送ったのが、王様の耳はロボの耳の話題35にも書いてる内容で、前の職場の同僚で僕より12歳上の既婚女性が言ってきた、「子供が子供とつきあったらあかん。あんたみたいな人は、年上のしっかりしたお姉さんでないとしんどいって!」

ここで止めてしまってもインパクトがないと思い、「社会人になって唯一告白した女がこの女性と同学年。僕自身が子供という自覚はありましたが、この事でその同僚の言っていた事がよくわかりました!」と付け足して送りました。

すると、その僕のメールは読まれました。ところが問題はこの後。

「そうですかー。西大路さんは今のその彼女とつきあいだしはった事で、前の職場の同僚の言いはった意味を自覚されたんですねえ」という、メインパーソナリティーからのお言葉。

「いやいや、彼女になったとは一言も書いていませんよ、どうしてそんな変換になるんですか?ねえ、森谷さん!」

ちなみにこの番組、平日の月曜から木曜の午前10時からKBSラジオでやってるので、機会があれば聴いてみて下さいませ。

しかし、ほんまやってしまいましたわ。このメインパーソナリティーとは患者さんの一人と確か仕事仲間なんよなあ!(西大路 17/10/15)

(寸評)勝手に想像しちゃったんだろうね〜。この手の読み間違いは時々あるね。
その場合は速攻「僕は付き合ってません! ちんちんはまだピカピカのままです!」とまたメールしたら良かったかもねえ。 7ポイント。

お前が食え

夏になると、テレビ局が夏フェスと称して敷地内でイベントを行い屋台を出してお祭りをすることがあります。
TBSも夏にやりました。入場は無料、そのうち二日間私は遊びに行き「感謝祭」名物ミニマラソンの心臓破りの坂の写真を撮ったりしていました。
今年は五日間、DDTというプロレス団体が興行を行いました。一日五日間。毎日違うブランド(若手主体とか女子とか)が四試合行いました。
プロレスを見ながら飲んだり食ったりする名物「屋台村プロレス」の番外編ですな。

スポンサーであるいきなりステーキ提供の試合、いきなりマスクという一応プロフィールが不明な選手が登場。煽りVTR。しっかし細いわ弱いわ笑。試合は、まあスポンサーが負けることはできないので、いきなり仮面組が勝ちました。勝つと賞金10万円のほかにリングサイドでいきなりステーキか食べられます。社長自らがナイフを入れてくれて屋台で焼いた分厚いステーキを食べさせてもらえます。
続いての試合は一応悪役ユニットであるダムネーションの二人組が登場。見事勝利。こちらも勝つといきなりステーキが食べられます。すでにリング下本部席にはステーキが用意されています。

さてマイクバフォーマンス
若手「えー私が北海道から上京してきた理由はいきなりステーキを食べるためです!!!!」(場内大拍手)
リーダー『今日は食わねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ』
「な、なんでですか!」
『俺は昨日の飲みすぎたあー』(場内大爆笑)
「そんなあああああ」
という茶番なやりとりがあって、なんともなんども振り返りさも悔しそうに若手がステーキに手を伸ばし「あああああ」「控室に持ってきてーーーー」と涙目になって花道を引きずられていきます。

ここでの話です。
途中松井レフリーというプロレスオタクには有名なレフリーがいます。練習生に向かって「樋口いるか?」と聞いています。樋口とは元力士のガタイのでっかいホープの選手です。試合の終わった樋口が試合を立ち見しているのを発見。すぐ連れてこいと声を掛けます。
樋口が松井レフリーの側へ寄っていくと、松井さんは樋口の肩を寄せ耳元で、
「あの二人が、本当に食わなかったらお前が食え」
と囁きました。
最前列にいた私はちゃっかり聞こえちゃいました。
そして前述やりとりのあと、とうとう二人が食わなかったため、マイクで「樋口が食います」と言って食しました。
樋口は美味しそうに食べました。

ま、スポンサーの商品を食べないわけにはいきませんから笑。
ここから推測できることです。
勝負は(たぶん)最初から決まっていたが、二人が食べないということまではスタッフは知らなかった。
勝負は台●だが、マイクやり取りは●本ではなく自由。試合を組み立てている松井さんが台●を知らないわけがない。おそらく台●では「勝者が食べる」となっていて用意されていた。
ダムネの二人のやりとりは、若手の表情から決まっていない。但し、リーダーはある程度考えていた。
プロレスはその場その場のアドリブが要求される。
と考察できます。
なぜ食わなかったのか(肉が嫌いとかダイエットとかは考えづらい)はわかりません。たぶん悪役なので美味しそうに食えなかったと思いますが、悪役ったってDDTの悪役なのに。(わいわい 17/10/15)

(寸評)プロレスは例外はあるが基本は肉体を使った即興パフォーマンスだもんね。
プロレスラーと言えども全員が肉好きとは限らないしね〜。 7ポイント。

わいわいのランニング

教育実施月は受け入れ学校によって違いますが私のところは六月でした。
教室にはエアコンは入っているものの「全員が上着を脱いだらエアコンをつける」など先生によってルールが違うのでかなり蒸し暑いです。
そもそも実習生はネクタイ上着着用です。せいぜい許可を得て上着を脱ぐくらいが関の山です。
実習期間は三週間。その年はかなり蒸し暑い年でした。私は朝の五時に起きて夜の九時ころに帰宅するという毎日でした。そして授業の準備や授業案などを製作します。

ある日Vネックの下着の選択が間に合わず、白いランニングを着てその上にワイシャツという格好で登校しました。
上着を脱いで廊下を歩いていると、生徒に指摘されました。
「先生それ・・・あの服ですね」
透けています。
うーむ、生徒はよく見ていますね。(わいわい 17/10/15)

(寸評)乳首がすけてたかもね〜。 6ポイント。

白衣かもしれない

波照間エロマンガ島@バンコク在住です。最近「在住」のことを「〜住み」と言う人がいますがその言葉は大嫌いです。 それはさておき、2年前バンコク近郊の某県の支店に半年くらい出向していたときの話です。

ある日地元在住の駐在員の友人と連れ立ってマッサージパーラーに行きました。夕食をいただいたあと「次どこへ行く?」という話になり、気分は居酒屋でもバービヤでもゴーゴーバーでもカラオケクラブでもなかったので、「じゃあお風呂屋さんに行きますか」ということになり、マッサージパーラーへ行くことにしました。

マッサージパーラーとは、下記のような施設をいいます。
顧客にマッサージを提供する店舗のこと。この場合の「マッサージ」は多くの場合性的なニュアンスを含み、性行為を業とする店舗の隠語として用いられる。こうした表向きはマッサージ店を装った性風俗店は、アメリカ、イギリス、メキシコ、韓国、タイ、フィリピンをはじめとする東南アジア一帯など世界各地に見られる。また、呼称は異なるものの、同種の業態は日本にも『ソープランド』として多数存在する。

友人は性風俗に詳しく自動車で郊外の人気店に連れて行ってくれました。
タイのマッサージパーラーは中に入るとすぐ「金魚鉢」と呼ばれるひな壇があって、何十人ものマッサージ嬢が並んでお客さんの指名を待っています。その店は金魚鉢が特に広く、よく目を凝らさないと女性の姿かたちは分かりにくいほどでした。「あー、オペラグラスもってくればよかった」と思いました。

もちろんわたしはマッサージパーラーに入るのは初めてではありませんでした。でもこのエリアでは初めてだったので、多少バンコクやチェンマイと較べて様子が異なっていることに気がつきました。

それは「白衣」の存在です!

どういうことかというと、ひな壇に座っている女性は胸元の大きく開いたドレスを着て座っているのですが、最上段のほうの女性は、ドレスの上に何か白いコートのような服をひっかけているんですね。「何だろう、あれは?」と友人に訊くと、友人は「あの白い服を着ているのは、いちおう建前はタイ古式マッサージ専門の女性なの」と教えてくれました。おそらく古式マッサージ施術師として登録している女性は、白衣を羽織らなければいけないという条例がこの地では決められているのでしょう。そして、特筆すべきはそのドレスの上に白衣を羽織っている女性は例外なく年齢が五十代がらみの熟女ばかりだったのです!

「おぉ、いいな!」わたしは五十路の女性が大好きなので二十代の女性にはあまりそそられないのです。なので、最上段にいる白衣の熟女たちに目が釘付けでした。結局、わたしは白衣の女性を指名し、個室でその白衣に触れることになりました。せっかくなので白衣を着させてもらいました。熟女女性の白衣姿はセクシーでした。でもドレスの上に白衣を羽織っている姿はいささかお間抜けでしたが…。そのあとの出来事はここには書けないので、またいつかお会いしたときに話したいと存じます。(波照間エロマンガ島 17/10/15)

(寸評)白衣を着たのか・・・トコトン元をとりますなっ! 7ポイント。

男3人の修羅場

波照間エロマンガ島@タイ・バンコク在住です。毎度おバカな行状をカミングアウトしてすみません。今回のお題は『男3人の修羅場』。見るからに恐ろしそうな文字列です。どんな修羅場だったのでしょうか…。(以下、いちおうR-18でお願いします)

2016年年末2017年年始は、わたしはバンコクから150キロ東方にあるビーチリゾート、チョンブリー県パタヤ市に静養に行きました。実はお気に入りのレディーボーイのSちゃんと逢瀬を楽しむために、です。Sちゃんは去年の11月にシラチャに住むタイ人の友人に紹介してもらい知り合いました。最初から気が合いすぐに深い仲になりました。SちゃんはTOPでもBOTTOMでもOK、つまり私と同じで「舘ひろし」でかつ「猫ひろし」であるセクシュアリティを有していました。年末年始休暇はホテルでセックスしまくってました。おもに私がハマッていたのでしょうか、1月も週末になるとパタヤに出向いて逢っていました。ところが事件は1月のある週末に起こりました。

その日は「今日はわたしのアパートに来て」とラインのメッセージがあったので、Sちゃんのアパートに行くことになりました。教えてもらったアパート名と住所をたよりにちょっと郊外の団地みたいなアパートに着きました。アパートのロビーでSちゃんに迎えられた瞬間、なんとなく嫌な予感が走りました。いつもなら抱きついてくるSちゃんが心なしか悲しい表情をしていたからです。そして部屋に入ると嫌な予感は的中しました。わたしの知らないタイ人の男が不機嫌そうな表情でソファーに座っていたのです!わたしはこの男はSちゃんの彼氏だと直感しました。そして「これは修羅場だ、この男にボコボコにされる、殺されるかもしれない」と心臓がばくばくしはじめました。

Sちゃんは言いました。「この人はNくん。わたしの恋人です。実はわたしとエロさんが付き合っていることをNくんに知られてしまったの。ごめんなさい。Nくんはエロさんと会って話をしたいというので今日はここに来てもらいました」

Nさんはその間ずっと黙っていました。わたしのほうをじっと睨んでいます。あー、怖い。わたしは何もしゃべることができませんでした。

Sちゃんはしばらくの沈黙のあと続けました。「今回のことはわたしが悪かったの。Nくんと喧嘩しているときにエロさんと出会って好きになったんだけど、先週Nくんとまたヨリが戻ったの。ごめんなさい。そうしたらラインでのわたしとエロさんの会話の記録をNくんに見られて、すごい責められて。そしてエロさんに来てもらえ、って言われて今日来てもらいました、あ、そこに座って」

わたしは立ったままだったので促されてダイニングチェアに座りました。Nさんを見るとソファーの横のサイドテーブルの上にあるグラスでウィスキーを飲んでいることに気づきました。しばらくの沈黙のあと、Nさんが初めてしゃべりました。

「うん、喧嘩して一時期別れていたことは事実、その間にSがあなたと付き合ったことはしょうがないです。でも、今はSも言うようにわたしとヨリを戻したと言っている。だから、別れてもらえないですか? 今日を最後に」

「はい。…え?今日を最後に、って?」とわたし。

「うん、私も悪かったし、Sもあなたのこと忘れられないと思うから、今日ここで最後のセックスをして帰ってください」とNさん。ちょっと酔っ払っている気がしました。

「えー?!今ここで、ですか?」とわたしが訊ねると、今度はSちゃんが「お願いします。なんなら3人でやってもいいわよ」と。

(えー、まじー?!3Pですかー)と心の中で絶叫するわたし。その瞬間54歳のおっさんの愚息はかつてないエロいシチュエーションにフル勃起してしまいました。

というわけで順番にシャワーを浴びて陰茎と肛門をみっちり洗浄してキレイキレイしたあと、3人でセックスしました。「男3人の修羅場」は「男3人のくんずほぐれつ」の場面に移項したのでした。そして特筆すべきはNくんはなんとバイセクシャルで、わたしのアヌスにも容赦なく攻撃してきたということ。その夜は遅くまで何度も何度も波照間でセックスしましたよ。わたしはあちこち開発されレディーボーイだけでなく、普通の外見の男性ともできるからだになってしまいました……。

そこで3人の関係はいちおうは「終わり」ましたが、私の中では復活を願っている自分がいます。だってあの2人との相性は最高だったんだもの。私はすべてのことが終わったあとは、どういうわけか女言葉になっていました。これはどういうふうに分析すればいいんでしょうね。
という「男3人修羅場」のひと幕でしたー。オソマツですたー。(波照間エロマンガ島 17/10/7)

(寸評)おおっ、スゴい! 
殺されなくて良かったがこの深み・・・流石投稿王。
是非「3人提案」をしてまた随時報告してくだされっ! 13ポイント。

桃岩時間

前回からの続きです。
残念でしたー。
飛行機に遅れたのは当時40過ぎの係長の女性。私が歌っているのを見て泣いていたのは嘱託の50過ぎのおばちゃんでしたー。
さてさてあまり石川さんがお気に召さない旅人宿桃岩荘ユースホステルですが、おバカなことが二つあります。
一つは「桃岩トンネル」という島を横断するトンネルで「知性教養羞恥心」を捨て、旅人宿に入らなければならないということです。帰りはきちんと桃岩トンネルで「知性教養羞恥心」を回収しないと、社会復帰した時にとても困るというものです。「知性教養羞恥心」を拾わなかったのが現在でも桃岩荘で働いているヘルパーたちなんだそうです(笑)。

次いで桃岩荘には桃岩時間と言うものが存在し30分の時差があるというものです。宿に入ると時計を30分ませます。館内時計も電話での応対も一日のスケジュール(朝の出発時間や夕食朝食、起床消灯etc)すべて桃岩時間で行います。もう30年以上の伝統で、公的には「礼文島は日本の最北に位置している。明石の日本標準時とは軽度緯度で時差がある。それを正式な時間としたい」と分かったような分からないような説明を受けます。オーナーも受け付けもヘルパーも普通に桃岩時間で生活しています。

では島の外から来た人や、フェリー、バスなどの時間は・・・? 
港(香深港)着発のフェリーや島内バスの時間は日本時間、現地時間と呼びます。
<例1>
「何時着のフェリーですか」『1655-着です』『1655ですねー』
日本時間なんですね。
<例2>
「お風呂は2100までお願いします」(桃岩時間の2100-、日本時間の2030になる)。というめんどくさいというかバカというかこんな感じで進んでいきます。
宿の「香深発鴛泊行き0855-発」と書いてあるのは日本時間なんですね(ああややこしい)。

最初は、ヘルパーの言っている時間がピンと来ず「そ、それは桃岩の時間ですか?」とか「日本時間で何時ですか」と聞き返したりします(笑)。若い人はネタですぐになじみますが、おじさんやおばさんはあたふたしてますねー。私も頭の中で、-30分で計算します。こっちに帰ってきて「今何時かな-、ああ2030-か。えっと礼文島では・・・プラス30分で」と計算して思い出を整理します(笑)。

桃岩荘にとって「アホ」は誉め言葉です。8時間コースも「桃組」「アホ」組です。「もーもいわそっ『あほっ』」という歌も存在します。(わいわい 17/10/7)

(寸評)はまれば楽しいんだろうなあ〜。
俺も高校生くらいの時までならはまってたかも。
サイクリングでユースホステルとかもよく泊まってたしね。
でも18の時に芸能山城組というコーラスグループで稽古とかしていて「集団で同じ行動をするのがどうやら俺は苦手らしいぞ」と気づいちゃったんだよねー。
でも時差を作るって発想は面白いね! 7ポイント。

食べ物のおバカ二題

わたしがずっと勘違いしていたもの。

1・ラーメンライス
「銀河鉄道777」の作中哲郎が食堂で「ラーメンライス!」というシーンがたびたび出てくるので、ラーメンの汁の中にご飯を入れるものだと思い、同じことをしたら・・・。

2・みがきにしん
北海道宗谷地方では「みがきにしん」というものが売店で売られています。手に取ると、鰹節のようにカチコチに硬い。固いので表面がつるつるしている。磨きに磨いてあるので「磨きニシン」なんだろう、と思っていました。実は内臓などを取って干している保存食「身欠きにしん」でした。(わいわい 17/10/7)

(寸評)あ、でも俺ラーメンライスは最後にラーメンの汁の中にライス入れてお茶漬けのように食べるなあ。
同様に味噌汁かけご飯も好き〜。 6ポイント。

男は裸で走り続けなければならない時がある

20年以上前のことです。

風呂なしアパート住まいの銭湯通い。

銭湯が一斉休業の日や、帰宅が銭湯が閉まってしまったあとだった場合、24時間営業のコインシャワーに行くしかありませんでした。

ある日。帰ってきたのは午前2時。当然銭湯はどこもやっていないので、小銭を持ってコインシャワーに向かいました。

自転車で行けばいいのに何故か歩いてテクテクと向かい、最寄駅の隣の駅前の商店街のコインシャワーに入りました。使った人はわかると思いますが、このコインシャワーというもの、お金を入れると扉が開き、中に入ると着替えるスペース、その奥にシャワールームがあります。シャワーの制限時間が来て何分かすると自動で電気が消えてシャワールームの自動洗浄が始まるのです。

さてシャワーを使い、時間が終わって隣に行ってダラダラと手ぬぐいで体を拭き、トランクスをはきました。次の瞬間、パッと電気が消え、隣のシャワールームの天井から自動洗浄が始まりました。

システムはわかっていたのですが久しぶりだったので真っ暗になったことにビックリしてしまい、そのまま扉の外に出てしまいました。

「ふうビックリした」と、ノブを握ってガチャンと閉めます。 「ん?」この状況は・・・

私は、深夜のコインシャワーのシャワールームの扉の前で、トランクス一丁と手ぬぐいを持ったまま、立ち尽くさねばならなくなってしまったのです。

再度、ズボンと靴下とTシャツとトレーナーと家の鍵の残されたシャワールームに入るには200円が必要です。しかし家に戻らなければお金はありません。しかしトランクス姿、さらに裸足で家に戻るのか。真夏ならまだしも、季節は秋。

ここは商店街のコインシャワー。しかもこの日は金曜日、深夜2時すぎでも人通りは多少あります。途中には屋台のおでん屋、踏み切り、コンビニが2軒。絶対に誰かに見られるでしょう。

持っているのは手ぬぐい。これがバスタオルだったら腰に巻けば多少は・・・なんて思っても何も変わりません。

通りかかった人に「すみません、これこれこうで200円貸してください」と言おうか・・・

でも、トランクス一丁の男に声をかけられた通りすがりの人が、話を最後まで聞いてくれるだろうか・・・


私は意を決しました。

このままで家まで走るしかない。

裸足にトランクス姿でコインシャワーを出て、手ぬぐいを首にかけます。コソコソしていたらかえって(さらに?)怪しい。ここは開き直って、日々のトレーニングで走ってるんだ、的に行こう!

背筋を伸ばしてしっかり前を見て走り始めます。すぐに大学生風数人が。彼らに聞こえるように、「ホッホッホッ、」とトレーニング何ですよ的な声を出します。「おいおいあれ見ろよ!」の声を背中で聞きながらホッホッホッと走り続けます。一目散に走る、ではかえって(さらに?)怪しいと思い、リズムよく適度なスピードを意識します。裸足で踏切を渡り、最後の関門コンビニの前。見られてるかな、なんてコンビニの中に視線をやってはいけません。前を向いて走り続けます。それでも見られているのはわかるのですが・・・

それから3人ぐらいに「何だあれ?」的なリアクションをされましたが、決して振り向かずにホッホッホッを発声し、家までたどり着くことができました。鍵はコインシャワーの中でしたが下駄箱に合鍵を隠していたので入ることができ、きちんと服を着て財布を持って自転車でコインシャワーに戻りました。

使っていたシャワー室は誰も使っておらず、お金を入れて靴とズボンとTシャツとトレーナーと靴下と鍵を取り戻すことができました。


時々思います。もし、途中にお巡りさんに出くわしていたらどうなっていたか。もし、トランクスをはく前に出てきてしまったら、全裸と手ぬぐいだったらどうなっていただろうかと。(猪熊猛 17/9/29)

(寸評) もし、途中にお巡りさんに出くわしていたらどうなっていたか。もし、トランクスをはく前に出てきてしまったら、全裸と手ぬぐいだったらプラス10ポイントだったかも!? 10ポイント。

「おいお前、9/20試験やど」「知らん。連休は遊ぶ」→結果

8月あたま。私は会社で分厚い冊子を2冊、店長から手渡されました。
なんじゃこりゃ、この40歳無能平社員を追ん出すがために転職情報誌でも呉れたんかいさ、と思いきやその冊子は「損害保険募集人一般試験教育テキスト(基礎単位/自動車保険単位)」というものでした。

どうも我が社は一体何をしたいのかがよくわからない会社で、スウィーツを売ったりお中元お歳暮をやったりはたまた18金や防災グッズを商ったり荷物の引き受けをしたかと思うと使いもしないのにファイナンシャルプランナーやら年金アドバイザーの資格を取らせたり、果てには人手も足らんというのに近所のおとっしょりの見回りをやったりとザ・迷走の見本市みたいになっておるのですが、この損保の資格試験だってそうです。
「あのー、いつかその分野も参入するし、ってかする気なんやけどぉ、いちお、さきに資格だけ、取っとってくれるぅ? みたいな」的なノリで、損保の商品なんか扱ってないくせに5年前に資格を習得させられたのです。それがなめたことにこの5年間損保のソの字も聞かなかった私に5年の資格の更新をするために、この9/20に、もっぺん試験、受けぇ、との命令が来たのです。はにゃにゃ。意味が不明でおーいはに丸にもなるわ。ひんべえは何処いった。

まぁ一度は合格してんだから、楽勝楽勝、なーんてこたありません、だって使いもしない、そのうえ興味も何もない知識を5年間も保持していられますか? え? できる? そんな少数派は置いといて(笑)私にゃぁ無理です、無理。そもそもこんなもんおっさんになればなるほど憶えたところで片っぱしから忘れてゆくもので、年々試験対策は困難の度合いを高めてゆくのです。
ほなどないすんねん。そこで私は発想を転換しました。
あと試験まで1ヵ月以上ある。今からしっかり対策を練って学習したところで、日々の負担が増えるだけだ。それじゃ日課の投稿や手淫がままならなくなるじゃないか。やだそんなの。だいたい早目に憶えてもあーもう俺勉強したもんねーって油断して、どうせ9月になれば楽し楽しいたま会等にかまけてぜぇんぶ忘れてると相場が決まってます。

試験前には連休があるじゃないか。そこで詰め込んじゃえばいいじゃんよ。

そうです。愉快な九州たま会の遠征が終わったあとの9/16〜9/18は土・日・祝の3連休です。試験は9/20ですから、直前に憶えれば本番までに忘れることもないでしょう。これや。これでいったろ。
そう決め込んで私は分厚いテキストのことなど忘却の彼方に消し去り、腹の不調をはさみつつ8月と9月上旬をそれはそれは愉快放蕩・自由闊達にふざけたおしたのです。
そのうえ課長が「9/19は人数余ってるねん。オポ君試験前やし、休みとって4連休で試験対策したら?」なんて気を利かしてくれたもんだから私の奔放ライフはそらもう拍車がかかるかかる、損保のソの字もない素敵な日々を送ったのでした。

さて9月中旬の3連休を迎えました、さぁさぁ勉強しなくっちゃね。しなくっちゃ・・・・・・ね。

土曜。日本列島には台風の気配。出掛けるにも気鬱な感じ、だが明後日は敬老の日ではありませんか。私は台風が来る前に実家の両親に会っておこうと思い、嫁はんぼうずを伴い車で15分、里帰りしてうーんと羽根を伸ばしました。あれっ?

日曜。大阪には朝から大雨暴風警報がじゃんじゃん、の割にお天気はおだやか。なんじゃこれ。警報の所為で合唱の練習もなくなっちゃったし暇です。よーしそれじゃ、昨日の晩寝落ちしながらあれこれ投稿して眠いから、寝よっ。おやっ?? 勉強しなくっちゃね、どころか別の喰っちゃ寝、になってるやんけ。ぼうずの相手もせんとひねもすダラダラしやがって、と嫁はんの視線が超冷たい。あかんぞ、これはあかん。

月曜。豪雨暴風は未明のうちに去り、台風一過の近畿圏はいいお天気。挽回はここからだ! 昨日はお外に行けなかったから、家族サーヴィスで今日は滋賀県のアスレチックのある希望ヶ丘公園にでも遠出するか! と張り切って名神高速でびゅん。雨もすっかり乾いててハッスルハッスル、ちっさい時は出来んかったコースもおっさんになってみたら意外とやれるもんやなぁ。帰りに道間違えたうえにごっつい渋滞巻き込まれたけど大津SAで美味い飯も喰うたし、あー楽しかった。・・・・・・・・・はりゃっ??? なんか違うもんを挽回してしまった。

結果として、9/19(火)が休みになったことで余計に油断が生じてしまい、この3連休、もののみごとになぁんにも勉強しませんでした。

これはクライシスです。これほどまで試験前に無策で挑んだことはそうそうありません。もうこの際ノー準備試験チャレンジでもしてこますか。いやいやそれは駄目だ、こんな自分の仕事に無意味であろう資格だがしくじると再試験なんてことになる。ヘタすりゃ馘が、フライアウェイだ。
やろう。一昼夜漬けだ。

火曜。朝から布団を片付け食器を洗い掃除機をかけたよい子の夫、10時から勉強を開始しました。これはつまりもう今日は一切家事をしませんよ、という意思表示です。やるぞ。私はテキストを開きました。
・・・おいおいちょっと待て各1冊、150ページもあるやんけ!!? わっちゃぁぁ。計300ページ分を1日でぜんぶ学習て、間に合うのかこれ。完全な自業自得ですが、やる。間に合わす。しゃぁぁぁぁぁぁ。

1時間後。根を詰め過ぎた私は居間の床で休憩、嫁はんに昼飯だと叩き起こされるまでそのまま1時間半眠りに落ちました。
・・・・・・自分の屑っぷりにいよいよ嫌気がさしてきました。わしゃ1時間勉強したら1時間半寝んといかんのんかい。歳は取りたくないですね、ってか昔からそんな傾向はありますが・・・。
そもそも私はこういった試験勉強の要領がおっそろしく悪く、昔から周りのみんなに「それ無駄やろ、もっと効率的に・・・」と言われ続けましたが仕方ない、“自分のやりかた”に異常にこだわってしまうのは私の心の癖なのです。こればかりはなかなか矯正できません、私が異常者たる所以のひとつでしょう。
本来ならここまで時間がなければ練習問題や模擬試験を先にババッとこなしていって間違えたところのみをテキストで確認するスタイルが良いのでしょうが、私はそれでは憶えられないのです。テキストを、とにかく読む。読む。読む。脳味噌にせめて2日は忘れない程度に、染み込ませる。しかし時間がない。私はヤマを張り、重要そうな部分だけをピックアップして読み込みました。どうにか晩飯までに基礎単位のテキストを練習問題まで終わらせることができました。

残り1冊。私は晩飯後ぼうずを風呂にぶち込み歯を磨いてやり布団にぼいっ、そこから先は、もうお前が何を言おうが聞こえない。ウラランラ。
自動車保険単位はややこしい。されど眠気がまじすごい。頭ふらふら肘ガクガク、もうどうにもならん。私はちくわ・二十世紀梨・バナナ・プリングルスサワークリーム味・パリッと朝食ウインナー等を続々と胃中に放り込み脳味噌に活力を巡らせようとしますがあえなく昏倒、11時から12時まで仮眠を取り再開。嗚呼・・・ 腹の不調で減ってた体重があっちゅう間に元通りだ・・・。
それでもどうにか無理矢理2時までに練習問題を終わらせ、3時間寝て朝5時からパソコンで実施できる模擬試験に挑みました。凄いぜ、私。ばたん。
朝飯をどうにか平らげ時間の許す限り布団でグッタリ、で久々に仕事に行けば行ったでややこしい相続案件で60歳同僚がパニパニ混乱している。もう試験勉強どころではありません、ヘルプに専念します。もうこうなったら休憩1時間で控室で昼飯を喰いながら最後の追い込みをするしかない。ところが今日に限って何を思ったのか課長が私のお昼を1時からに設定、試験は2時15分なんば駅から15分のビルに集合、職場からなんばまで30分はかかるので逆算すると私は30分しか休憩をとれない計算になり、もう猛然と飯を喰いながらテキストを開き右手に箸、左手にボールペンで模擬問題を解き続けました。火事場の馬鹿力か実質20分で飯を喰いつつ50問を回答、ダッシュで着替えて阪神九条駅へ汗だくでダイヴ、車内でひたすら汗を拭きつづけ会場入り。

なんで、なんで私はこんな目に遭ってるのでしょう。はい、すべて見事に自分のせいですね。わかってます。わかっちゃぁいるんですが・・・・・・
試験時間めいっぱいまで悪足掻きした私は疲労困憊コンコンパイパイ、うまいこと言って会社をサボりそのまま退社、憂さ晴らしに独りカラオケ2時間と牛のお肉を半キロ掻っ喰らい今に至ります。結果は言わぬが花でしょう。次回投稿のタイトルが「試験にしくじりグッバイ職業/ハロー職安」でないことを祈ります。アーメン。(オポムチャン 17/9/29)

(寸評)俺も学生の時はそうだったなぁ。もっとヒドかったかも。自由業はテストが無くて良いよ。
続編、期待しておりマッスル。 7ポイント。

あれっ・・・ じいちゃん? じいちゃんは!!?

夏の盛りも過ぎました。そんな秋風の気配を感じる9月半ば、ふと今はなき父方の祖父の夏のエピソードを思い出しました。

例の如く家族で潮干狩りに海へ出かけたのんきなオポム一家7人。このときは最大人数でしたね、じいちゃん、おとんおかん、あほ兄弟4人。
たぶん兵庫と岡山の県境にある赤穂の海水浴場兼潮干狩り場みたいなところだったと思います。大阪から車で3時間ほど揺られて車に弱い私はゲンゲンゲロゲロゲゲゲロロ、ハムカツなんて気持ち悪くて喰えないような胃袋状態にされて到着です。

しばらくは吐き気を治めるために海の家的なとこで休憩、ようよう復活した私は海パンを装備のうえ海にちゃぷちゃぷしに浮き輪かかえて走り出しました。海を見てはしゃいでいるのではありません、誰にも干渉されたくないから独り波間に邪魔されずに浮かんでいたかったのです。

さてさて瀬戸内の凪いだ水面にたゆとうのにも飽いたし、そろそろ浜辺で貝を掘っくりかえして焼いて喰ってこましたろ。私は浜辺に帰還し、皆と一緒に観光客用に撒き散らかされたアサリかハマグリかなんやよう知らん貝を、あのなんちゅうのハンディタイプの金属の熊手でがすがすやっていました。
その時、兄貴がある異変に気が付きました。

「あれ? じいちゃんは??」

・・・・・・おんや?
そういえば、先程から一緒に来ていたはずのじいちゃんの姿が見当たりません。
白の肌着の胸ポケットにセブンスターをねじ込んでふらふらしておったのですが、いつのまにか居なくなっています。
じいちゃんと言えば、酒です。この日も浜辺に来たとたんに日本酒をグビグビやってました。
酒を飲んで海、といえば、連想するものは不吉な事態ばかり。

途端に皆の顔が蒼褪めました。
「じいちゃん!? じいちゃーーーん!!!」
「じーぃちゃぁーーーーーん!!!!!」

呼べど叫べど、じいちゃんは現れません。もはや、赤穂の海に・・・・・・

その時です。じいちゃんの失踪に気付いてからおおよそ2分は経っていたでしょう。
海中からザバァッッ、と、勢いよくジンガならぬじいちゃんが顔出しました。

ぎょわぁぁぁあああああぁぁぁぁああぁ!!!
全員が驚愕しました。
その左手には、ありえない量のアサリが詰められた、網袋。

なんと浜辺でちまちま放たれた貝をほじくるのに物足りなさを感じたじいちゃんは、ある意味穴場である海の底の泥を掻き分け、驚異の潜水能力を以て貝の大量収獲に精を出しておったのです!!! これには皆も呆れるばかりでした。この爺さん、ガチや・・・・・・。なんでそんな3分近くも海の中に潜れるねん・・・。爺さん世代の身体能力には戦後生まれの人間からしたら目を見張るものがあります。この時点で80近くだったというのに。

さぁ皆が騒いでるのをよそに大漁大漁、と上機嫌のじいちゃん、満足そうに胸ポケットからタバコとライターを取り出そうとしました。

海水でライターは壊れ、セブンスターは箱ごとフニャフニャになっていました。(オポムチャン 17/9/29)

(寸評)昔の人はスゴかった。女性でも米俵を軽く持ち上げるのなんて普通だったという話も聞くし。
タバコは乾かしたらまた吸えるのだろうか・・・。 8ポイント。

WIG

波照間エロマンガ島です、こんにちは。
ふとしたきっかけで入手した増毛部分カツラを、いろいろなところに置いてみました。生き物のように見えなくもないですね。おバカな佇まいでありんす。



(1)会社のスーツかけハンガー
(2)ビジネスバッグの中
(3)ゴザの上
(4)床の上

ウィッグといえば、以前わたしの所有する女装用ロン毛かつらを石川さんにかぶってもらい「妖艶ホリデー」の小道具で使ったことがあります。
(第十九回「チェンマイ 北方の薔薇 前編」「後編」http://nihirugyubook.but.jp/youen4.html ) 

*2017年9月現在、わたしは頭髪は剥げていません、念のため。(波照間エロマンガ島)

(寸評)蜘蛛や!蜘蛛や!蜘蛛人間やっ! 6ポイント。

やっこさん

波照間エロマンガ島@54歳です。小学3年生の時の出来事です。
わたしの通っていた小学校は、掃除の時間になると全校生徒が数人ずつ他の学年の教室や図書室、理科室などに割り振りされてそこで掃除するシステムになっていました。つまり掃除の時間は他の学年の児童や先生と交流がもつことができて面白い時間だったのです。小学校の時は1学年でも上の学年だとものすごい年の差を感じました。
ある日3歳年上の小学6年生の掃除班長の言葉で印象的なものがありました。


そのときわたしは怪我で足を骨折してギプスをつけてました。松葉杖を使わなくては移動できないので、掃除は免除してくれました。掃除の時間は自分の教室の隅っこに座り、じっとしていました。

掃除時間が始まり三々五々児童が集まってくると最初に6年生の班長さんが教室のうしろで簡単なミーティングを始めました。その言葉がいちいち大人びていました。「今日は風が強くて校庭の砂ぼこりが窓のあいだから入ってきているので、砂を重点的にとるように。それから見てもわかるように教壇のところに『やっこさん』がいるから気をつけて掃除するように…」とかなんとか言ったのです。

『やっこさん』!!

私はその言葉は初めて聞いたわけではありませんが、妙に印象に残りました。そして自分が小学6年生になって掃除の班長になっても『やっこさん』なんて言葉は使わなかったし、それから45年くらい経った現在でも日常会話で使ったことは一度もありません。

辞書を引くと、
[代]三人称の人代名詞。同等以下の人を軽んじたり、親しみを込めたりしていう語。あいつ。やつ。「奴さん、最近元気がないね」と出ています。
プラスの意味で使うのとマイナスの意味で使うのと両方あるようです。

「やっこさん」と言われて悪い気分はしませんでしたが、今から振り返れば相当に気取った班長だな、と思います。今その場所にいたら、かっこつけている様子に吹き出していたかもしれません。これは自分の中では「おバカ体験」として記憶に残っています。(波照間エロマンガ島 17/9/16)

(寸評)一本足なので「やじろべえ」を略してヤッコさんと言ったような気がしてならない・・・。 6ポイント。

はじめての合奏におけるベース弾き・・・と思いきや

あれ? このあほのオポムのおっさん投稿するコーナー間違えてるやんけ。天誅。早速ウイルス付メールでも送付したれ、とかやめてくださいそういうの(何もされてない)。そう、私はほんとは「ドキドキドキリコ初体験」で今回の件を投稿したかったんですよっ!! でもねっ!! 私があほやからそうならなかったんですっっ!!! わーーーーーーん!!!!

・・・・・・40の小太り中年の分際で冒頭から泣き叫んでても誰も何の得をしませんので話を進めます。
さて去る2017年9月10日の日曜日。私は早起きして新大阪7:52発のみずほ号に単身乗り込み博多へ赴きました。何しに? そら決まってまんがな、っつったって知るかいな、九州のたまファンの皆様が集い、お互いのたまグッズ・映像等を見せっこしたり楽器を持ち寄ってたま曲をゆるーく演奏する(といっても当人たちは結構本気)というステキ過ぎるイベント・「九州たま会」が行われるのであります。

もともとこちらのHPの投稿仲間のジェレ美さんが音頭をとったりなさっていましたが最近は気鋭の若手独学ギタリスト学生さん・NHくんがTwitter等で人を募り、熊本から重い楽器をかついで福岡までやってきては超絶技巧を必要とする知久さんのギターをとことん音質にこだわりつつばりばり弾いてくれるのです(曲によってはマンドリン・ベースも担当。ひとりたま演奏動画をアップしているのでおおむね何でもこなせる努力の人)。彼のたま曲演奏の熱情とそれに付随した技術があってこそ成り立っている部分が大きいですね。ギター忙しいからかヴォーカルは執ってくれませんが(笑)。
ちなみに楽器を演奏なさらない方も歌ったりにこにこ聴いていたりとたま好きなら誰でもウェルカムな比較的ハードルの低い会なので福岡近辺のたま好きの方は次回開催をお見逃しなく! ってなんで大阪のおっさんが宣伝しとんねん(笑)。いいんです私熊本と大阪のハーフだもん。

他の楽器メンバーは石川さんともセッション経験豊富なバンド「ちくわ定食」でベースを弾いていらした森嶋さん、いわば音楽的総監督です。他にもマンドリンやリコーダー、もちろんコーラスもこなす本格派(あえてみんなに譲っていらっしゃるけど実は知久さんヴォーカルもお得意)、今回パーカッションに石川さん風ミニシンバルを導入しさらにたまらしさを向上させてくださいました。
最近積極的に参加してくださるOTMさんはなんと石川さんの移動式パーカッションセットをご自身で作っちゃったツワモノ! ギター・ヴォーカル・コーラスもこなせるマルチプレイヤーです。紐付きのちいさなかわいいギターが知久さんラヴを表しています。
歌のコアになってるのはジェレ美さん。声質がしっかりしてて低音がよく鳴るので男声ヴォーカルもお手のもの、皆をリードしてくれます。コーラスも得意分野、よく私とかぶるそうです。そして貴重な貴重なキーボード担当、お忙しい中いつも大きな鍵盤を背負って来てくださいます。
いつもニコニコ聴いてくださるたま会大好きVMさん、歌詞カード等細かい手配もしてくださる高音担当RYKさん、前回から参加してくださり私の石川さんモノマネを大層気に入っていただいた(笑)AKさん。あと毎回ギターを持ってくる割に一切まともに弾けないので消去法で習ったことも無いいんちきなパーカッションを行き掛かり上毎回担当することが多い(笑)、超劣化版石川さん・私。今回はこの8人、バランスよく男女4名ずつで行われました。当日や前回の様子を知りたい方はTwitterのはっしゅたぐ「#九州たま会」で見てみてね。

会はとっても楽しかったんです。持ち寄った貴重な映像や資料、それに普段絶対出来ないたま曲セッション!! これがもう病み付きになるくらい愉しい!!! 周りの音楽好きの友人でもここまでのクオリティでたま曲を歌える&演奏できるメンバーは集まりません。てかそもそも周りにほぼいません(笑)。だから私も翌日仕事が忙しいにもかかわらず弾丸で大阪から参加したのです。それだけ幸せな会なのです!!!

・・・さてここで、ようやくタイトルの出来事の話に辿り着きました(笑)。
そのセッションの最中のこと、次の曲は「はこにわ」。もっぱらベースを担当してくださっていた森嶋さんが「この曲はパーカッションを重視したい」ということでオポムさん、やることがなくなりました(笑)。ギターはNHくんとOTMさんがいらっしゃるので邪魔になっちゃう、ただベースが空いている・・・。
これは、弾いたことないけどベースを担当すればいいんじゃないか。なんとなぁく、はこにわのベースラインは頭に残っています。たしかテクニカルな早弾きは出てこなかったはず。
試しに冒頭のドのシャープからレに上がる「どぅーぉ、どぅーぉ、どぅーぉ、どぅーお」っていうのをやってみました。おお。これは多分、いけるぞ。
調子に乗った私はベースを拝借し、いざ合奏。私は超不器用でピックが使えない(弦をはじいた勢いに負けて落とす、アップストロークが出来ない等)ので、親指で弦をはじきます。途中「♪ひっきだっしのっなかっに・・・」の部分で脳味噌がこんがらかり苦戦しましたが、なんの練習も無く初めて弾いた割りにはなかなかいい感じに弾けた、という自信はありました、珍しく。

演奏し終わり気が付くと、親指のサイドに水膨れが出来ていました。いたぁい。太い弦を力加減も知らず出鱈目に弾いたので無駄な力がかかりまくっていたのでしょう。あへぁ。まぁ以後の他の楽器の演奏には影響ありませんでした。

私は「はじめて合奏でベースを担当した」という新鮮な事実に興奮、顔には出さずして内心非常に興奮しておりました。えへ、えへへへへへへ。
13時から18時までたっぷり遊んで打ち上げ、皆さんに再会を誓って時速100億新幹線ではない尋常なさくら号で新大阪へバック、車内では40の分際で身の程をわきまえずあまりにもはしゃぎすぎたツケが来て口をダッラーーッッと開けてあほまるだしで虚脱しておりました。あぁ、今回も最高だったなぁ。幸せだなぁ。
帰り着いた頃、皆さんがこの日の動画をTwitterにアップしていました。
ありがたいことにAKさんがその「はこにわ」の動画を上げていらっしゃり、私は誇らしいベースデヴューをこの耳に聴こうとヘッドホンをかむりました。

動画の音声からはベースの音だけが一切聴こえませんでした。

私は演奏している手前ベースの近くにいたので自分の音がよく聴こえましたが、ベースっちゅうのは基本的にアンプやエフェクターを通して音を増幅させたうえ聴衆に聴かせるもので、そうしないとほぼ聴こえないのです。
つまり、私のベースはアンプの調整がされていなかったか、電源が入っていなかったために、まわりに音が届いておらず、録音したものを聴いてもさながら弾いていないような感じになったのです。あほなのでそういう諸設定が必要であることを全然知らなかったのです。

親指の水膨れがじんじんします。
動画ではベースを除いた楽器と声が、愉しげに響きます。

はじめてのベースプレイになり損ね、虚無的な表情で画面と親指を交互に眺め、調子に乗った割になかったことになったベースデヴューを惜しみ私は少し泣いたのでした。あほほほほほ。でもいいの。楽しかったから・・・・・・タノシカッタンダカラ・・・・・・・・・(嗚咽)。(オポムチャン 17/9/16)

(寸評)ということは現場に居た人にもその音はほぼ聴こえず、でも嬉しそうに弾くオポムチャンを見て誰も何も言えずということだね・・・。
御愁傷様。8ポイント。

よりにもよってこんな時に……。

波照間エロマンガ島@バンコクです。毎度どうもです。
今から15年ほど前、まだ日本に住んでいる時分の話です。そのころは親しい友人6〜7人とよく旅行に行ってました。ベトナム、タイ、ハワイ、京都、伊豆半島…など、国内国外おりまぜあちこち足を運んでおりました。

最初は国内旅行へ何回か行くうち、どこからともなく「今度は海外に行きたいね」という話になりました。その頃わたしはタイに嵌まりだした頃でタイを提案し、友人たちも賛同してくれて、タイ南部のビーチリゾート地のクラビーに行くことになりました。

ところが主要メンバーのKくんという男性がとつぜん旅行に行かれなくなってしまいました。
なんとリストラに遭ってしまったのです。真面目に働いているのに何故この時期に仕事を辞めさせられるのか、私たち皆びっくりしました。
私は「仕事を辞めることになったって、次の就職までの小休暇と思えばいいじゃん、行こうよ」と誘ったのですが、Kくんはかなりショックを受けているようで、旅行はキャンセルしてしまいました。申し込みまでしていたのに残念でした。

Kくんはしばらくすると次の仕事を運良く見つけ、再就職しました。ところが、私たちの遊びグループからはその一件で疎遠になってしまい、以後旅行イベントには参加しなくなってしまいました。そのあとよく話に出たのは、Kくんはリストラされたから私たちとの旅行をキャンセルしたのではなくて、元から行きたくなかったんじゃないか、という疑惑が大きくなっていました。「会社をリストラされた」と言えばいちおうもっともらしい言い訳になりますから。本当の理由はKくんのみぞ知るですが、よりにもよって酷いタイミングで仕事をかく首された友人の話でした。これをおバカというのも気の毒ですが、人生を肯定的に考えれば、そんな機会でもそれを馬鹿笑いしてプラスのエネルギーに転化すれば面白い のにな、と思います。ま、彼の人生なのでどうこう言っても仕方ありませんが。でもそういうハプニングも含めて友人と行く旅行は考えることが多く奥深いです。(波照間エロマンガ島 17/9/16)

(寸評)ああ、そういうこともあり得るかもね。
つい勢いで行くと言ったもののどんどんそれがプレッシャーになったりね。
人も、人との付き合いも流れていくものだからね。 6ポイント。

記念撮影

私の夫は九州出身。水の如く酒を呑んでいます。いや、呑まれている。
夜中、台所から ドサっ!!!
と大きな音がして見に行くと
Tシャツに膝までトランクスを下げた夫が、丸まって横たわっていた。
何故トランクスを膝まで下げていたのかは不明だが、下げて横たわっているだけに、金タマが丸見えなのだ。 しかも裏から。
しっかりスマホで記念撮影したよ。(上履きで回転寿司 17/9/16)

(寸評)それを発表する場所はあるのだろうか・・・。 5ポイント。

「大 それとも小?」ではなく、「100%大」だと断定され・・・

こんにちは、波照間エロマンガ島@バンコクです。
別のコンテンツにも書いた先日の社員旅行。大型バスをチャーターして旅行したのですが、移動中のトイレ休憩での出来事です。
バスがドライブインに到着したので、同僚社員たちは次々と降りていきました。そのときバスの扉のところでタイ人の女性社員が立ってひとりひとりの社員に声をかけています。何だろうと思って自分の番がやってきてバスから表へ出ると、彼女はティッシュの箱からティッシュを何枚も取り出し、私に渡そうとするんですね。「エロさん、トイレでどうぞ」と。あらかじめこのドライブインのトイレはトイレットペーパーがないことを見越して「お使いください」というわけでした。確かに彼女の気遣いはうれしかったのですが、何か引っかかるものがありました。それはこんな気持ちでした。

あのー、わたくし、うんちはしませんからーー!!おしっこだけですからー!!

と言いたくなりました、はい。たとえうんちがしたくなって大便所に入るにしても、それは個人的な事柄でなるべく人には伝えたくないことなのですね。しかも、彼女は「大 それとも小?」ではなく、「100%大」だと断定してわたしに「ケツふき紙」を渡そうとしたのですね。そのタイ人女性スタッフは親切心からだったのでしょうけれど、日本人男性としてはとても恥ずかしかったですねー。
いちおう紙はもらわずにトイレに行って小用のみ済ませてバスに戻りました。

日本とタイの文化の差をこんなところからも垣間見た思いでした。という、タイの会社の社員旅行で便所紙を渡されそうになったという話でした。いつもいつも尾篭ネタですみません。(波照間エロマンガ島 17/9/16)

(寸評)いや、彼女は「エロさん、またしこるんでしょ、はい。」と優しく渡してくれたのに・・・。 6ポイント。

夏のRide on 図からの要救助

かつてこのコンテンツの(19)へ「小1とは思えぬ剛毛」というタイトルで、私の3歳下の弟1が初めてのスキーで調子に乗って直滑降をかまして見事転倒&骨折、という話題を投稿しましたが、この男とにかくスポーツはなんでもすぐに出来ちゃう要領良しだったのでその後もしばしば調子や図にライドオンしては失敗しえらい目に遭う、ということを繰り返していました。

さて皆さん夏ですね。毎日のように海や湖川・プール等でのリゾート模様および水難事故が報道されています。 なんてったって水中、それは苦しい。驚くべきことに水中という場所は我々人間が呼吸して酸素をサプライすることが能わぬとんでもねぇゾーンで、その上たまげたことに酸素がサプライされなければ我々人間はたちどころに滅却してしまうのであります。戦慄の事実。怖えぇ、水中。

されどどれだけ私が水辺を忌避しても家族が行く、となれば従わざるを得ません。とりあえず少しばかりは泳げるようになった小6の小太りの私はおかん・兄貴とその友達・弟1と2の6人で大阪北部の猿の生息地・箕面市にある箕面温泉スパーガーデンに併設された高原プールへ阪急電車に乗り込んで向かったのでした。10年後このスパーガーデンでしこたま泥酔し半死半生の状態で家に帰ってくることなど想像もせずに(笑)(同(20)「母親がポカリスエットを3本」:参照しなくていいです)。

ああ。晴れてるのう。高原やのう。自分のでっぷり腹が醜いのう。気鬱だのう。
そうすねて水際でちゃぷちゃぷしてても仕方ない、この晴れ方では水にでも入らないと叉焼にされてしまう。あきらめた私は彼氏等ときゃっきゃ騒いでいる妙齢のお嬢さんの第二次性徴のおびただしい部位を密やかに鑑賞して愉しむ、という卑猥極まりない行為に終始していました。

それにしてもこのプールは深いな、私でも足が底に届かない場所があります。当時おおむね160cmだった私は前の年の水泳落ちこぼれ居残り特訓で距離だけは泳げるようになっていたので、まぁどうにかなるレベルではありました。見てみるとだいたい2mの深さがあるようです。
わちゃぁ惜しいな、水中メガネでも持っていれば水底からお姉さんの股元をガン見し放題だったのに。とまたぞろ邪悪で桃色な思考に耽っていると、例の調子/図にライドオンしがちな弟1がこちらのプールへやって来ました。

オポ「おいおいお前大丈夫か、ぜんぜん足届けへんぞここ」
弟1「いけるいける、泳げるもん」

くそぅ腹立つ。こいつ案の定私より泳ぎも達者なのだな。知らんけど。小3で背は130cmも無かったはずですが、泳げるんなら放っといてもいいかな? あれっ、だけどこいつこんな深い所って来たことあったっけ??

じゃぶじゃぶ。弟1はこんな深い所でも余裕余裕、と調子よく泳いでいました。
畜生、どこまでも運動音痴の豚兄を見下しやがって。ふんだ、私だって泳ぐのは遅くて下手だけど距離だけは長く泳げるんだもんね。
と、しばらくすると、なんだか泳ぎ方が怪しくなってきています。どうも、ちゃんと息継ぎができていないような・・・

弟1「ポム兄ちゃん、助けて」

Oh!!? やはり奴は見事にRide on 図であった!!! 奴は上記の如く叫び、私に救助を要請しています。
しかし私とて超絶運動音痴の白豚饅頭。ミイラを取りに行く前から既にはじめからミイラになってるようなもんです。さりとてへらへら笑ってる兄貴&友人はアテになりません、なんぼ生意気だとはいえ実の弟を目の前で溺死させるなんて目覚めの悪い事態はまっぴらです。

私はバタバタもがついている弟1の下へ潜り込み、完全に自分が水没した状態で奴を肩車、息が続く限りプールサイドに近づき、弟1をぶん投げました。しかしプールサイドにはまだ距離があります。

オポ「お前、あとは泳げ!!」
弟1「無理!!!」

なにが「いけるいける」だ。もともとスポーツ万能であるが故にしくじるイメージが湧きづらいのでしょう。私には生涯理解し得ぬ感覚でしょうね。
私は毎年の夏休み中水泳落ちこぼれ特訓のおかげで肺活量だけは豊かでした。おおきく息を吸い込んで、再び奴の足下に潜り込み肩車でプールサイド側へ、限界来たらぼいっ、三たび水中へじゃぶり、肩車&ぼいっ、ようやく弟1は岸辺に生還しました。

皮肉なことにまともに泳げないが故に培われた肺活量を有する私に、ふだんはまともに泳げる奴が助けられた形になったのです。

あの日の箕面高原プールの青い水底は忘れられません。もう水中メガネなんてなくても目ぇ開いてないとプールサイドの方向とかわかんないから無我夢中でした。
それから幾星霜が流れたでしょう、奴は未だに調子/図に乗りやすい反省のない男で、基本的に要領は良いのですが肝心なところでいつもの癖が出て失敗する、ということをやってます。私に助けられたことなんて、これっぽっちも憶えてないでしょうが。まぁ、得な性格ですね。そんな奴の面倒を見る人生もまた一興、とたいがい貧乏くじを引くタイプの自分を慰めたりしてみるのでした。・・・ってよく考えたら私もええかげん調子に乗って失敗するタイプではた迷惑な野郎でしたね、ごめんなさい。兄弟やなぁ、てへっ。(オポムチャン 17/8/28)

(寸評)ほぼカナヅチの俺だったら弟が沈み行くのを呆然と見送っていたかも・・・ブルブルブル。10ポイント。

夏の救助要請 → 救助来ず

ほいで思い出しました、これは私が弟1のように調子にRide onした、さらにさらに昔の記憶です。
それは小学校・・・ およそ3年生くらいでしょうか、場所は・・・・・・ おぼろげですが瀬戸内海の赤穂ではなかったかと思います。なにぶんオポム家は夏になると渋滞を厭わず家族総出で海水浴に行きたがるというとち狂った連中でもう何処の海に行ったかなんて多すぎて憶えきれず、親父などは嫌がる私を水面にバックドロップ・ブレーンバスターなどで放り込みいよいよ水辺が心から嫌いになったものでした。

親父から逃れた私は浮き輪にすっぽり入り、ぷぅかぷかと夏の海を満喫していました。浮き輪はいい。なにもしなくっても勝手に海に我が身を浮かべてくれる。カナヅチ同然だった私はこの浮き輪の魅力をさらに堪能せんとばかりに、沖へ沖へと足をばしゃばしゃさせました。
おそらく誰かが私の名を呼んだ気がしますが、案の定夢中になった私は誰の声とて耳には入りやしません。私は嫌がらせをしてくる鬱陶しい兄や親父から遠く離れ、雄大な海にその身を浸し優雅な気分になっておりました。

そして。
気が付くと、なんだかさっきより浜辺が遠くなっています。
あれっ?
もしかして、これ、流されてる??

ひょえぇぇぇぇぇぇぇええええぇぇぇぇえええ!!!!!

オポ「おがあざーーーん!!!!」
私は声の限り、母親を呼びました。

返答、なし。

命にかかわる事態です。叫べば誰かが助けに来てくれる、そう信じていました。
オポ「おがああざーーーーーーーーーんんん!!!!!!!!」

おかん「自分で戻ってきーーーー!!!」

ぐゎぁぁぁぁぁぁぁぁん。

母親からの言葉は無情でした。そう、私は男4人兄弟の中で一等できそこない、まだ幼い弟も居るというのに私ごときに命を賭しては無駄なのです。
私は力の限り、バタ足を続けました。
戻る。浜辺へ。生きる。まだ。溺れるのは、厭だ。
必死のパッチで前進し、私はどうにか砂浜まで辿り着きました。ぜぇぜぇ。早速おかんに抗議しました。

オポ「おかあさん、何で助けに来てくれへんかったん!!?」
おかん「あんたが沖に行ったらアカン、言うてるのに行くからでしょうが!!!」

へ? 言われてたっけ、そんなこと。いやこれたぶん言われてますね。ぷかぷかするのに夢中で全然聴いてへんパターンね。

こうして惜しくも私は海の藻屑になれませんでした。なってたら今頃こんなにいろんな方々に迷惑掛けることも恥かくこともなかったのになぁ、といささか残念ですがその時は生きたかったのだから仕方ない、折角拾った命、大事にしましょう。ひょっとすると先の投稿にて箕面高原プールで弟を助けたのは、無意識裡に同じような思いをさせたくなかったのかもしれません。ただ今となってはあの状況で母親が助けに行けばミイラになる可能性が高かったと解ります。離岸流、とか最近よく言うしね。愛されていないわけはないのです。親になってそのことは身に沁みて解りました。

皆様もどうか水辺のレジャーにはお気を付けて。なにぶん水中の奴と来たら、息が出来なくて苦しいってな恐ろしい場所ですからね! 着衣では思うように泳げません! 溺れる者には空のペットボトルも立派な救命具ですが、すこし水を入れた方が目的に向かって投げやすくなります。海上緊急事故はTEL118番へ! 自分がヤバい時は仰向けで浮いて待て! 今や「UITEMATE」は世界の共通の水難時の合言葉になりつつあるとか。
ともあれ私は相も変わらずおっさんになっても水辺が嫌い、今日も家族でオウチニイルヨ。家、最高。(オポムチャン 17/8/28)

(寸評)この夏もたくさんの「溺れた人を助けに行ってふたりとも還らぬ人に」のニュースを見た。
なので俺は絶対足のつくところ以外はいかない。 7ポイント。

長い長い夕方

先日のある日。その日の用事は、午前中、夕方、夜、とありました。

午前中は集合時間が決められていましたが、ほかはある程度は何時に始めてもよかったので、午前中のが終わって12時すぎに帰宅して13時ぐらいから夕方までのを始めて17時半に切りあげて移動して夜のを18時半から始めて帰れば21時すぎに帰れて22時すぎに帰ってくる家族よりも先に帰ってられるな、と計画しました。

夕方の用事ははかどりませんでしたが、腕時計を見ながら、「まだ16時すぎか」しばらくして「まだ16時すぎたばっかりか」 またしばらくして「まだ17時になってないのか」と余裕を感じていました。 途中、夕方を知らせる地域のチャイムが鳴り、そこでも時計を見て、「16時すぎか。この地域は16時すぎに鳴るのか。よそよりも早いんだな」と思っていました。

余裕のあまり、途中で見つけたイートインのあるコンビニで弁当を買って食べ、さていくか、と腕時計を見ます。 「まだ16時すぎか。 ん??? さっきもそんなこと思ったぞ?」 外は薄暗くなっています。

腕時計を良く見ます。止まってる! あわててスマホを見ると、18時半! 腕時計は壊れたのではなく横のボタンが何かの拍子で引っ張られてしまっていたようでした。

急いで次の用事に急ぎます。定期券のルートではさらに遅くなってしまうので途中で自転車を停めて自腹を切って地下鉄に飛び乗りました。結局計画よりも1時間遅れで始めなくてはならないうえに、帰りは自宅の最寄り駅の先で降りて自転車を取りにいかなくてはならなくなってしまいました。

帰ってきて家族に遅くなった言い訳をすると、

「普通は2回目ぐらいの『まだ4時すぎか』で気付きそうなもんだけどねえ」(猪熊猛 17/8/28)

(寸評)ああ、俺もたまにあるな。
100円ショップの時計は止まりやすい・・・。6ポイント。

稚内直行

おバカというには失礼なのですが、わいわいがまだ公務員時代のある年、課員旅行がありました。
公務員の旅行は、部署全体で行くものと、小さなグループに分かれて日付をずらして行くパターンと2つあります。
後者の場合、団体旅行に混じっちゃうんですよね。JTBとか近ツーとか。身分を隠して。

その年は10人くらいでわいわい大好き稚内、利尻、礼文二泊三日の旅でした。公務員、6月から9月末まで夏季休暇を取れます。お盆というものがありませんから。
6月の花の季節なので旅行代金は高いのですが、それでもなんとか安く上げようとツアーを選びました。
飛行機の便がギリギリまで決まらなく、最終的には、
初日/羽田(飛行機)新千歳(バス)稚内泊 二日目/稚内(フェリー)利尻(フェリー)礼文 三日目/礼文(フェリー)稚内(飛行機)羽田
というものでした。初日、羽田-稚内というのがすさまじいですね。

所属から借りたバスに乗り、群馬から一路羽田へ向かいます。しかし一人女性がいません。
課員旅行は正職員の他、利尻・礼文という人気から女性や嘱託も参加しました。男は3人だけでした。その遅れた女性は寝過ごしたらしいのです。
いつまでも待ってられないので、一行は0700発のフライトで新千歳へ。そして7時間くらいかけ宗谷岬を経て稚内へ。

その女性はなんと自腹で正規の羽田-稚内の片道切符を購入し、稚内のホテルへ先回りして待っていました。 凄いですね。そして稚内からツアーに参加。

礼文でのホテルは三井観光でした。いつも西海岸の桃岩荘に宿泊しているので東海岸に泊まるのは初めてでした。
東海岸のため落陽は見られなかったものの、青から紫、そして赤色に染まっていく奇跡のような利尻富士を見ることが出来ました。たぶんツアーにでも参加しない限り見ることが出来ない利尻山の姿でした。

最終日は利礼航路で、甲板に出て、礼文島の0便お見送りに参加したのは言うまでもありません。
この年は2度目の礼文だったので、知っているヘルパーも多く「なんでお前がここにいるんだよー」「なんで桃に止まらないんだよ!」と小突かれながら船に乗り込み、お見送り、いや見送られの儀式に参加。「島を愛す」「遠い世界に」を歌い上げました。
私と島抜けのホステラーがギターで踊っていると、一緒に参加した女性が、私が歌をうたっている姿を見て泣いたとのことです。

あ今回のおバカは、私でなく、稚内直行の女性のことですからね(笑)。(わいわい 17/8/28)

(寸評)そしてそれが今の私の奥さんである・・・というオチじゃないのか(笑)。 6ポイント。

江東区

短く行くぞー。
昔、電話で「江東区」を「えとうく」と呼んだこと。
はずかしい。。。
田舎者でした。(わいわい 17/8/28)

(寸評)いや〜地名の間違いはよっぽどじゃないと。地理が好きな俺でも読めない地名や同じ漢字で読み方が違う土地は無数にあるしね。
旧中山道を「いちにちじゅうやまみち」と読んだアナウンサーぐらいじゃないとね。4ポイント。

見ず知らずの人から声を掛けられた話

初めて投稿させていただきます。
自分の母親から聞いた話です。
「おバカ」かどうか、ちょっと微妙ですし、あんまり笑える話でもないんですが・・・

母は浴衣を着て、盆踊りに出かけたそうです。
すると、見ず知らずのおばあさんが、
「あなた、お胸が小さいから、着物がよく似あうねえ〜。私はほら、Eカップだから、着物が似合わないのよ〜。」 と言って、笑いながら去っていったそうです。
母曰く、「よそ様からAカップの事を言われたことは無かった・・・」

いくら何でも、そのような場所で、見ず知らずの相手に、そんなことを言うなんて・・・

ちょっと、この人勘違いしている、と思ったんですけど、どうでしょうか。(未成年 17/8/28)

(寸評)これは判定が微妙だな。
イヤミとも取れるし本当に胸が小さい方が着物には合うのも確かだからなー。どっちだろうね? 5ポイント。

同姓同名の悲劇

以前、サンデー毎日という週刊誌で有力国立大学の合格者の高校名と氏名を掲載していたことを覚えているでしょうか。西暦2000年前後まではこの企画は毎年続いていたような記憶があります。今の時代だと個人情報保護の観点から何かと問題になるので、高校別の合格者数だけの発表しか掲載してないのですが、今から35〜40年前のわたしの受験生時代は平気で個人名を載せていた気がします。そこでおきた悲劇、というか笑い話があります。

わたしが通っていた高校はちょっとした進学校だったのですが、国公立の共通一次試験が終わり私立大学の受験が始めるまでのあいだに卒業式を行なっていました。すべては受験スケジュールが優先されるので、受験のない1月下旬に卒業式を行なうという学校の方針でした。でもって、そのあとの生徒の消息については、個人的なつながりがない限り、同じクラスでもわからなくなってしまうのが常でした。
受験シーズンが終わり3月下旬、くだんの国公立大学合格者の氏名が載るサンデー毎日をなにげなく読んでいました。

すると、びっくりしたことがありました。ほかのクラスの知人だった某君が、難易度No.1の某国立大学の合格者欄に名前が出ていたのです!!

おー!! 国立文系クラスでしゃべったことのあるあいつがT大に受かったんだー。その週刊誌が出て数日のうちに噂は友人たちのあいだにたちまち駆け巡りました。

ところが。数日経って、また友人から電話がありました。T大に合格した某君についての新情報でした。なんとT大に受かったのは某君ではなくて、同姓同名の1学年先輩の人だったことが分かったのです!
なんということでしょう、同じ高校に同姓同名の生徒がもう一人いて、彼は浪人して合格したというわけでした。「そうだよな、よくよく考えたらあいつの学力でT大なんて受かるわけないんだよ。共通一次だって1000点満点中、700点くらいしか取れなかったって言ってたし」とうわさ話は尾ひれがついて伝わり、しまいには彼は受験した大学すべて不合格で浪人が決まったという話まで伝わってきました。彼の消息はその後とれませんでした。たぶんどこかの大学に入ったのだと思いますが。しかし、彼は一生このエピソードはついてまわるでしょう。サンデー毎日なんてけっこう読まれているから親戚や昔の同級生に誤解させてしまったんだろうな、と。そんな同姓同名の悲劇、の巻きでした。(波照間エロマンガ 島 17/8/28)

(寸評)絵本作家の石川浩二さんが「いしかわこうじ」と平仮名表記に改名したのはもしかしたら俺と混同されることが多かったからかも・・・。
実際、同じ雑誌に連載してた頃、支払調書がよくテレコになって俺の元に届いてたもんなー。 6ポイント。

お願い、最後まで

最近長文系投稿が書けてなくって恐れ入ります(べつに誰も困ってない)。
じつはこないだから某動画サイトで「RPGツクール」の動画を見るのにハマっちゃってて、ぼぉっと閲覧しておったらあっという間に自由時間が消滅しちゃうんですね。

「ドキドキドキリコ初体験(78)」にて「はじめてのRPGツクール」という投稿をずいぶん昔にさせていただきましたが(探すの大変でした)、ようはドラクエやファイナルファンタジーみたいな剣と魔法の世界で魔物等をとっちめて姫とか平和とかを取り戻してこます、みたいな系統のゲームをロールプレイングゲーム、と呼び、その頭文字をとってさらにRPG、と略しとるわけですね。ってかこの説明一体何人に必要なんだろう。ほとんど誰も読んでないのにね。まぁ次いきましょう。
要するにそういった剣と魔法の世界のお話を自分で作って、友達に遊んでもらうことを主目的としているのがこの「RPGツクール」シリーズなんです。

スーパーファミコンで出た1作目では容量が少ないため制作時間もおのずと短くなり、3作くらい仕上げました。2作目からはソフトの容量が飛躍的に増えた為できることが大幅にアップ、その分最後まで仕上げるのにも莫大な時間が必要となり、この時点で私のまわりでこのソフトで最後まで物語を完結させるものは存在しなくなりました。しかし粘着小太りの私は大学時代に半年掛けて作品を完成させ、数少ない友人に遊ばせてみたものの「ふーん、まぁまぁやな」とか「全然おもろないしめっちゃ短かった」などのまるで報われないコメントを頂き終了、という悲しい顛末を繰り返していました。 3作目はプレイステーション(初代)にハードが変更となりましたがこれまた無職時代に根詰めて半年かけてメモリーカードぱんぱんになるまで容量を使用して最後まで完成、しかし遊んでもらおうにも友人共はすでにいい社会人、結局最後まで遊んでくれたのは2名という悲しさ、しかもアイテムの設定を間違えてある安っすい道具を使えば体力が滅茶苦茶回復してしまうという痛恨のミスが発覚、ゲームのバランスがぶち崩れてさらにおもろなくなるという始末、費やした289時間が徒労に終わり枕をしとど濡らしたものでした。
4作目以降やパソコンのものは複雑すぎて作れる気がしないので、私は3作目にてこのゲームシリーズ作成を引退してしまいました。なんかラッキーで就職・結婚もしちゃってそんな時間もなくなっちゃったからね。

つまるところ何が言いたいかというと、私はこの「RPGツクール」シリーズに深い愛着を持っており、そのうえ誰かが作ったRPGツクール作品を是非プレイしてみたかった、ということなのです。はい、ここまで前回の「初体験」のあらすじね(笑)。

時は流れ2017年。私が最後に「RPGツクール」シリーズを作り上げてから17年の歳月が経ちました。
気晴らしに某動画サイトを眺めているうち、そういえば、この動画サイトならRPGツクールの自作作品をアップしてる人も居るんじゃないか、と思い立ち、検索してみたらば出てくる出てくる、あの頃は叶わなかった他の人が作ったRPGツクールが楽しめる、という夢がここに実現したのであります。嬉しいなぁ。まぁプレイしてる動画を見るだけで実際には遊べないのが残念なんですけどね。

早速面白そうなものをクリックして閲覧していきます。すぐに終わっちゃうものはつまんないので、なるべく長いのを探そうっと。おぉっ、この作品の動画はpart15まで投稿されてる!! こりゃ期待大です。ちなみに私は本格派、というかベタな勇者が平和ないしはヒロインを取り戻すため魔王に挑む、みたいなお話が好きな単純なおっさんなので、ちょっとストーリーが凝っているだけでも嬉しくなる簡単な奴です。そもそも作っているのはほぼ素人の皆さんなので、幾分かボロは出てても敢えて目を瞑るくらいが丁度いい塩梅なのです。

それにしてもこの作品はキャラ付けもストーリーも面白いなぁ・・・ 容量足りるのか、ってなくらいお話を詰め込んでるもんなぁ・・・。凄いなぁ。さて永いこと掛かってpart14まで見終わったし、次が15か。どんなラストを迎えるんだろう? ドキドキ。
・・・・・・あれっ??
新たに登場したライバルが恩人の爺さんを襲って、それに気づかず主人公一行が始まりの村へ戻ったところでお話が終わってしまいました。

おろろ。ここからがいいところなのに。ああ、じゃぁ私が見のがしてるだけでpart16がどっかに上げられてんだろうな。さぁさぁ検索検索。

・・・・・・・・・

どこをどう探しても、part16は発見されませんでした。

ぅわっちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! こっ・・・こいつ、途中で力尽きよったぁぁぁぁぁ(泣)!!!!!

そうです。よくある話なのです。快調にお話を作り続けてきたのに急にめんどくさくなって飽きちゃうとか、容量が足りなくなったとか、ストーリーの辻褄が合わなくなってきてギブアップとか、ちょっと友達とか家族に作りかけを遊ばせてみたら予想以上にぼろかすに言われてだだへこみしてやめたとかの、「RPGツクールあるある」に捕まり中途半端なところで制作をやめちゃうことは・・・・・・。
ってかここまで楽しんできた私の気持ちは何処へ!!? っておいよく見たら2012年にアップしたのが最後やん!! 動画に上げるんやったら最後まで作ってから上げてーーなーーーーーーー!!!!! 途中で終わっちゃうなんてイヤッ!! アタシの火照った身体を如何してくれるの!!?? みたいな気持ちになってしもうたではありませんか!!! うわーーーーん!!!!!

・・・・・・っていうか、たくさん動画を上げてるからってエンディングまできっちり作ってる、と勝手に思い込んでた私が馬鹿ですね、この場合(泣笑)。

未完の物語ほど私をモンヤモンヤさせるものはありません。これまでの閲覧時間が完全に無意味なものに思えてしまう・・・・・・。これに懲りた私は、以降は投稿されている動画がエンディングまで作られているかをつぶさに確認してから動画の閲覧を始めることにし、いろんな人の作ったRPGツクール作品を堪能したのでした、が・・・ やはり作品には個人差があり、ひとつの動画が2時間くらいあって途中で視るのをやめにくい超ロングなやつだったりとか、長々とストーリーを追って行った挙句結局内容はあんまし無かったりとか(泣笑)、表現が残酷で見てて辛かったりとか、ものすごくくだらない下ネタに終始してたりとか(笑)、そもそも製作者は基本的に素人さんなので私的当たり外れも大きいんですね。

ともあれ、やっぱりこのRPGツクールをまともに最後まで作れる方はなかなか居ないようです。ストーリーだけじゃなくってマップや仕掛けや敵武器町城金道具経験値など各種バランス/名前まで考えないといけないですからね、余程のスキモノでないとエンディングまで作り上げるのは困難なのでしょう。面白そうなのはひととおり視てしまったので、また投稿ライフに戻ります(笑)。
ちなみに私が最後に作ったのは魔王に挑み破れた剣士が呪いでじじいにされて故郷の村までぶっ飛ばされ、誰にも自分だと分かってもらえないまま若還りの秘術を探しに犬連れで失意の旅に出る、という作品です。プレステ1か2がまだ動いてるという奇特な方、だれか遊んでください(笑)。(オポムチャン 17/8/14)

(寸評)なんかこのホームページのリレー物語のことを思い出した。
すぐにSFに走ってしまい話の整合性がなくなり途中で力尽きる・・・。 8ポイント。

「恐怖の報酬」の感想についておバカ発言

波照間エロマンガ島です。子供の頃テレビの洋画劇場で観た映画についてのおバカ体験を思い出しました。その名は「恐怖の報酬」〔1953年 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督、イヴ・モンタン主演〕。祖父母宅で鑑賞しました。

べネズエラの奥地の油田で火事が起き、石油会社は火を消し止めるためにニトログリセリンをその現場までトラックで運ぶことに決めた。安全装置のないトラックでニトロを運ぶのは命がけ、そこで街の2組4人の食い詰め者に2000ドルの報酬で運ばせることにした。その道中、危険な山道を進む2組のトラックの姿を描いていく・・・。

単純なストーリーで小学校低学年の私でもドキドキハラハラの連続でじゅうぶん堪能できる内容でした。

映画のラストシーン(以下、ネタバレ注意)
イヴ・モンタン演じる主人公のマリオはニトロを油田基地に無事届け、ニトログリセリンを爆発させ火災を食い止めます。報酬をもらったマリオは恋人のいる街まで意気揚々とひき返します。行きはスロースピードでおそるおそる走っていた崖っぷちの道路を、帰りはすごいスピードで走り下りていく。すると、マリオはハンドル操作を誤り、崖からトラックごと転落してあっけなく死んでしまいます。その瞬間、街のダンスホールではダンスしていた恋人もどういうわけか急に気分が悪くなってスローモーションでダンスフロアに横たわり眠るように息絶える描写が平行して描かれます。唐突にエンドマークが出て映画は終わる。幼い私はこの編集は素晴らしいと思いました。なんていうか、ものすごいサスペンス を見せられたあとの映画の句読点のつけ方として、落語の「下げ」のような機能が効いているな、という感想をもちました。

ところが、一緒に映画を観ていた祖母の感想は違いました。こんなことを言ったんですね。「あー、安全運転しないと死んじゃうから。調子に乗っちゃ駄目なんだよ、最後まで用心して運転しなくちゃ」と。

お祖母さんのこの感想を聞いてゲラゲラ笑ってしまいました。確かにそのとおりなんだけど、映画は虚構なんだから、街に戻って恋人と結ばれるエンディングでもいいし、このように主人公を死なせて映画を終わらせる方法もありじゃないの、と思いました。私はそのときは論理的な言葉はもちろん知らなかったですが、なんとなくは映画のもつ「余韻」みたいなものを自分なりに「理解」したようです。

そんな幼い時分の想い出でした。(波照間エロマンガ島 17/8/14)

(寸評)同じ映画や舞台でも記憶に残ってるシーンが人と違うこともよくあるな・・・。 6ポイント。

早慶戦ポスター

前回は明治大学を中心に六大学野球のポスターを紹介しましたが今回はその元祖ともいえる2015年春季の早慶戦ポスターです。六大学野球はプロ野球より歴史があります。

まずは吹奏楽部員対決
慶應「トラウマになるまで吹いてやる、若き血を」
早稲田「思うぞんぶん吹かせてもらうよ、紺碧の空を」



応援団長対決
早稲田「早稲田の勝利しか、見えない」
慶應「それは視野せまい」



なぜかマスコット対決
慶應「一塁側のため息が、イチバンのごちそうだよ」
早稲田「敗戦後の三塁側は冷え込むので、ご自愛するのである」

野球部員対決
慶應 「早稲田から勝ち取る優勝に、意味がある」
早稲田「慶應に負けた優勝など、したくない」



そしてツイッターやFacebookを中心に出回り、話題となったのがチアガール対決です。
慶應「ハンカチ以来パッとしないわね、早稲田さん」
早稲田「ビリギャルって言葉がお似合いよ、慶應さん」


うおおおおおー。すごいセンスだあ。
制作したのは慶應応援団だそうです。(わいわい 17/8/14)

(寸評)こういう遊びの精神大好き。
さすが偏差値が高いだけあってウイットが効いてるね。 6ポイント。



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