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ここは自分のまわりのおバカな奴の行動・言動などを紹介するコーナーだ。
なるべく本人を直接見たり本人から直接聞いたものが良いが、信憑性が高ければその友人ぐらいまではOK。もちろん人間じゃなくてもかまわないぞっ。
さぁ、まだ世間に埋もれている貴重なとっておきのバカを紹介してくれいっ!
メールにて投稿は題名「おバカ」で、末尾に自分の名前を入れてね。
ポイントは3ポイント以上〜ーだっ! ダ〜〜〜ッ!!

怪奇、坊主乳首男

波照間エロマンガ島@バンコクです。毎度ばかばかしい投稿で失礼します。
今を去ること6年前。2011年2月の「チェンマイ逃避組」は、石川さんをはじめとする参加した多くのメンバーがどういうわけか、私の住むチェンマイの某サービスアパートに宿泊しました。その主な理由として、ホテルのオンライン予約サイトが当時まだ整備されておらず、私の住むサービスアパートならばとりあえず私が仲介役となって予約金を立て替えてもらえるということが大きかったようで、1ヶ月にわたりのべ15人以上の人がこのアパートに宿泊しました。

毎度説明してますが、この会は個人旅行者の集まりで、基本的に自由行動、気が向いたら夕食ごいっしょしましょう、日中よかったらイベントしましょう的なゆるいつながりの会であり、縛りはいっさいありません。昼間それぞれあちこち観光したり買物したり、またはホテルのプールでくつろいだり、タイマッサージを受けたり、ホームページの更新作業をしたりという中、皆で夕食を食べるということが多かったです。

ある日のこと、夕食を終えて会は解散しそれぞれ部屋に戻りました。夜がふけるとホームページの更新を終えた石川さんがチャットバーウキュピに入室してきました。たまたま起きていた私もチャットルームに入室し、皆で楽しくおしゃべりしました。

どういう経緯かは忘れましたが誰かが「石川さん、今どんな格好しているんですか?」と質問をしました。石川さん「もちろんパンツ一丁よ」。寒い日本でチャットしている人は皆一様に「へぇ〜」とか「いいなぁ〜」とかレスを入れてきます。わたしは思いついたことがあったので石川さんに提案しました。「マスターすいません、ちょっと部屋の窓のところに立ってもらえないですか? パンツ一丁かどうかこの目で確認したいんで」石川さんは「いいよ、ちょっと待ってね」と言いました。実はこのアパートは建物がコの字をしているので、私の部屋から中庭ごしに石川さんの部屋が見えたのです。そのときに思わず撮影した写真がこちら。



真夜中で戸外は真っ暗くフラッシュが焚かれてしまいました。シルエットですが石川さんが乳首を揉んでいる姿がはっきりわかります。かなりいかがわしい写真です〔笑い〕。
この写真をさっそくチャット上にアップロードすると大反響が巻き起こりました。そんな怪奇、坊主乳首男の巻きでした。(波照間エロマンガ島 17/3/30)

(寸評)まあチェンマイでの日常よねん! 7ポイント。

無毛同好会発足!

波照間エロマンガ島@バンコクです。いつもお世話になります。
わたくし思うところあり、このたび20代以来で陰毛を剃りました。
今年55歳になるのですが、よりアグレッシブに生きたいと希求し、パートナーに勧められたこともあり、このような事態に相成りました。
剃毛して数日、調子は良好です。なぜ今まで剃らなかったのかと後悔するほどです。セックスでの快感は増しましたし、陰茎を股にはさんでパイパン女性遊びをするなどとても楽しいです。
つきましては当ホームページにて勝手に無毛同好会(別名・パイパン倶楽部)を発足しましたので、同好の趣味の方は活動報告をあちこちのコンテンツに投稿お願いします。以上、変態おバカ宣言の巻きでした。(波照間エロマンガ島 17/3/30)

(寸評)おお、この年で!
まだまだ開発されとるとはお見事也!
次は自分のお尻に自分のを突っ込むという荒技、お願いします! 8ポイント。

眠れぬ夜に数えました、羊。さて何匹。

近頃は夜更かしが過ぎて、眠れない夜なんてなものが私にはほぼなく、入眠に苦労するのはよく効くけど塗った夜だけめっちゃ痒くなるプロトピックっちゅうアトピーのお薬を塗ったときくらいのもんです。つまり慢性的寝不足の私は布団に入ればバタンキューが多く、ここのところ不眠に悩むことがほとんどないのです。って眠れはするけど睡眠時間は結局短いわけで、いいんだか悪いんだか・・・。

ですが若い頃はちょいちょいありました。なんっか目が冴えて眠るに眠れない夜が。部活で疲れてるはずなのに脳が眠ってくれない夜が。特に布団と枕が変わると顕著にその症状が現出しました。
そんなとき試してみたのです、タイトルに書いた古来から伝わる睡眠導入の秘術を・・・・・・。

舞台は大阪府・高槻市。高校時代合気道部に所属していた私は、その夏OBとして夏合宿に泊りがけで参加しました。高槻の駅から山の方へ向かった場所に、今はもう無くなりましたが私達の先生の道場があったのです。カルピスなんかを差し入れしてあげると現役生らはたいそう喜びました。可愛い奴らじゃ。
お昼から道着と袴に身を包み飛んだりはねたり関節を極められたり、へとへとになって晩におひとり500円払ってすき焼き。牛の肉はいいなぁ。疲労に加え腹一杯、もう寝るための条件は充分満たしていますよね。

どっこい、私はすっかり目が冴えて眠れなくなってしまったのです。

現役のころは朝にも練習があったし、昼からの練習が終わっても買い出しや洗濯に奔走して休む間もなく、おまけに肝試しまで敢行するってな若気の至りっぷり、そら布団に入れば即睡ものです。
それがOBなんて偉いもんになると、朝練はないわ買い出しからも洗濯からも解放されるわ、でゆるみ放題、思うほど心身が疲れてなかったのでしょう。眠れません。

そして私を眠れなくする要因が何点か。
この部活は男女混合です。道場の畳全面にレンタルした布団を敷いて、全員同じ空間で寝るのです。現役の頃はなにも考える余裕もなく寝てしまいましたが、かわいい後輩の女の子が間近でこれまた可愛い寝間着ですぅすぅ言ってるのです。ちょっとドキドキしちゃうのですよ。童貞やし。
ただ助平な狼藉を計ろうにも周りには沢山の部員に加え我々と同じ立場のOB、それに顧問も寝ています。私はやるかたなく、同じように眠れない同期のK山とグダグダ駄弁っていましたがお互い眠気は発生せず、周りにも迷惑なので黙ることにしました。

すると眠れなくなる要因がもう一丁涌き出ました。
この道場は建物の敷地面積の約8割が稽古場たる畳の間、そのまわりに便所・風呂場・禊室・台所が申し訳程度に付いています。その台所の前で、夜中の12時半頃でしょうか、後輩のY(♀)と I (♂)が小声で立ち話をはじめたのです。 コソコソした中に、うっすら笑い声のようなニュアンスも感じられる会話。こいつら・・・ デキてるな?? そんな想像をしつつ動向を寝たふりして見守っていると、なんとYと I は台所に入り、引き戸を閉めてしまいました!!

きゃぁぁぁぁぁぁぁん!!? 

Yの歓喜の声!? いやこれは私の心の声です。台所からは物音が一切聞こえなくなりました。なんだ。なにをしておるのだ。そんな密室に若い2人が寄り添ってすることなんて雑談だけなもんか。だけでおわるもんか(願望)。なんだか私ひとり鼻息が荒くなってきました。それにしても何の音も聞こえません。サイレントか!? サイレントプレイに挑戦中なのかっ!!?? お互い下腹部から湧き立つ愉悦に漏れそうになる声を殺してのラヴアフェア、もうそんな妄想でちっとも眠れやしません。I めっ、I めっ!!! 羨ましい・・・・・・!!

私は勝手に火照る陰茎を鎮めようと、また眠気を喚起しようと、しずかに脳内で羊を数え始めました。

(羊が1匹、羊が2匹、羊が3匹・・・・・・)

薄暗闇の中、目を閉じて羊が柵を飛びこえてゆくベタな映像を思い浮かべながら、私は数を数えます。

(・・・・・・羊が99、羊が100、・・・・・・111、112、113・・・・・・・・・)

・・・だんだん頭の中で「匹」や長い読み方(ひゃくじゅういち等)の数字を唱えるのがめんどくさくなってきて、数字とジャンプする羊だけを浮かべるようになりました。

(・・・・・・・・・672、673、674、675、676・・・・・・・・・・・・)

おかしい。ぜんぜん眠たくなりません。はや丑三つ時も過ぎています。
そうです。このHP投稿で3年で14000ポイントを叩きだしたことからもお解りでしょうが、私はひとつのことに夢中になるととことんやってしまうタイプの狂人で、もはや眠るということよりどこまで羊を数えられるか、の方に知らず知らずウェイトを置いてしまっていたのです。なんというあほなのでしょう。

そんなこと望んでないのに。私はただ睡眠を摂りたいだけなのに。それでも私はひたすら羊を飛ばせ続けました。

(・・・・・・・・・・・・・1928、1929、1930、1931、1932、1933・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

脳も身体も疲れはピークに達しています。でも眠れない・・・・・・ このあたりで諦めのわるい私はようやくこの伝統的な手法はどうも自分には向いていないようである、と悟ったのでした。
結果、キリのいいところで終わろう、と今一度カウントを続けました。

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・2215、2216、2217、2218、2219、2220、2221・・・・・・ 2222!!)

ゾロ目でフィニッシュ、脳中牧場では2000匹余りの羊に柵越えで脱走され、甚大な被害が生じたでしょう。私の脳世界はニュージーランドにあるのか? なるほど道理で周りのみなさんと話が合わないわけです。合点合点。言うてる場合か。

ポケベル(昔流行った、今で言うとメールの受信機能のみが付いたようなメカ)を見ると、夜中3時半でした。その日は朝から私は生ける屍、虚ろな瞳で後輩に嘘だらけの指導をして顧問におこられました。アハッ。I とYに「夜中にナニしててん?」なんて探りを入れましたが「ちょっと部活について長話を」と平然と言ってのけやがり面白くありませんでした。私の睡眠をかえせ。勃起をかえせ(?)。結局「羊をとことん数えまくった頭おかしい先輩」としてトークに組み込み笑いを誘いました。

今度眠れないことがあったら、5ケタを目指そうと思います。ってかこの投稿も書き終わるまで2回寝落ちしました(笑)。あの頃からもう20年、すっかりのび太化。(オポムチャン 17/3/30)

(寸評)きっとその後輩たちもその羊の数と同じだけ舐められいじられピストンされ・・・。
ああっ、寝られないっ! 8ポイント。

「しもた喰い過ぎてもた、ほんだら」と、あほんだら

すいません日本語訳(笑)すると「しまった、食べ過ぎてしまった。それではこうしよう」と、阿呆陀羅が申した、くらいのタイトルです。初めからそう書け愚者。

さて2017年初頭。相変わらず昨年度に欲望が爆裂した際に行ってみた某ステーキ店にハマってしまってワンワンワワンな某小太り、てか私。

とはいえ白ごはんの摂取量を毎食減らしていきピーク時の約半分にしてから、私の体重はみるみる落ちてゆき、ようやく「コテハン人名事典」に記した73kgまで戻ることが出来ました。こういう痩せ方&リバウンドの仕方をすると肝機能に障害が出ますので良い子の皆様はしっかり日本人の主食である白米を愛でてくださいね(日本のお外においでの皆様はお好みでどうぞ(笑))。そんな絶賛減量中の私が設定したごほうびが、月に2回のステーキデイだったのです。

その日は数量限定で、お値段お手頃でいろんな種類のお肉が食べられるカットステーキが出ていました。
私は小躍りして300gを注文します。焼かれて出て来たステーキは小ぶりながらも芳醇な味わい、きっと普段はオーダーできないえぇお肉も入っているのでしょう。おひょひょ。至悦の極み。
しかし塊肉を厚切りにしてもらういつものステーキに比べれば、小さくカットしてある分よく焼けていてヒョイヒョイいけるせいか何だかあっという間に平らげてしまい、私はちょっぴり物足りなさを感じてしまいました。

せっかくのご褒美デイ、悔いを残すのは悲しいですよね。私は思い切って、300gで1000円のハンバーグを注文しました。
しかしこれがまたデカい!! お肉は挽肉にした方が体積が増えるのでしょうか?? さきほど平らげたカットステーキに比べると随分量が増えたような気になります。てかまぁすでにしっかり食べてるのでフツーに腹一杯になってんでしょうね。あほです。

ガッツリ喰らい、計600g。いままでこんな大量のお肉をいちどきに食べたことはありません。
お会計を済ませ店を出て、私は蒼褪めました。

――――― しもた、喰い過ぎてもた。

いくら減量中のご褒美と言えども夜にこんな馬鹿食いをしてしまっては確実に体重は悪い方向に戻ります。どないしょ。どないしょ。どないしょ。標準語でいうと如何にせむ、じゃねえ、どうしよう。また80kgに逆戻りだ。いやんいやんそれだけは、それだけは。

・・・・・・そうか。ほんだら。
カロリーを摂り過ぎてしまったんなら、カロリーを消費しまくればいいじゃない。

今日は歩いて帰ろう。

私は斎藤和義のシングル曲のような一節を思いつき、それを実行しようと思いました。
当然走って帰ればもっと消費はできますが、普段ろくに運動もしていない太っちょが急に走るとどうなるかご存知でしょうか?
そうです。脚関節を傷めるのです。格闘技でも太っちょを倒すには脚を狙うのが常套手段。そもそも普段から自身の重さに虐げられているため鍛えてない太っちょは脚が脆いのです。そのうえ家まではこのお店から13.2kmの距離、とうてい私に走破できる距離ではありません。

でも歩きならなんとかいけんじゃない? なんてな軽い了見でお店を出たスタート時刻は夜9時30分、私はまずJR天満から大阪環状線沿いの道を歩き大阪駅まで到達、そこから我が家の方向すなわち豊中市すなわち北方向へ針路を変えました。思い描くルートは梅田からほぼ阪急宝塚線沿いに国道176号線を北上し、途中阪急曽根駅付近の長興寺南交差点で右折し府道43号をさらに北上、大阪モノレール少路駅のあたりが私の家です。こんなあほなことやったことありませんが、マラソンの42.195kmに比べると屁みたいなもんです。走ったことないけど。

消費するのだ、この胃中の600gのお肉を。てくてくてくてくてく。私は意気揚々と早足で国道を北上、十三(じゅうそう)駅へ近づくため広い広い淀川を渡ります。自転車で渡ったことはあるけど歩きは初めてで、いくら歩いても向こう岸へ着きません。その間横を神戸・宝塚・京都そして梅田へ向かう阪急電車が大きな音をたてて何本も鉄橋を通るので、私は大声で歌を歌ってやりました。爽快です。

橋を渡り切り、十三に着いた段階で10時15分。思いの外疲労感は希薄です。肉か。肉が私にパワァを与えたもうたのか。上等です、がんがん行きましょう。
ところが三国駅を過ぎたあたり、(かつて工場排水等による圧倒的汚染具合で全国的に有名になった)神崎川を渡ってここまで約1時間15分歩きつづけてきて、脚がきしみを感じはじめました。
信号も小さなものは交通量が少ない為ほとんど無視して早足で歩いてきたものですから、ほぼノンストップで進んでおったのでした。普段から早足な私は意識的に歩調を緩め、後半に備えました。まだ半分も歩いていない筈です。
そこへさして歩道は工事がさかんな区域へ入ります。年度末も近いのでこんな夜中にもせっせと工事を敢行していらっしゃいます。ぼこぼこの足場が脚にダメージを与え、微妙に遠回りさせられることが精神にダメージを与えてきます。

時計を見ると11時前、庄内駅で電車を待てばまだ終電には間に合いますが、もはや道のりは半ば。ここでギブアップしては初志が貫徹できずおもろない中途半端ウォーキングで終わってしまいます。いやだそんなの。それに胃袋には未だ消化しきれていない大量のお肉が蟠っています。歩け。歩くのだ私。
棒のような脚を引きずり国道176号をさらに北へ歩を進めると、ヤクルトの自販機の傍らにベンチがしつらえてありました。私はそこで5分の休憩をとり、50円でカロリーハーフヤクルトを1本もとめて飲みました。ハーフとはいえカロリーの摂取には忸怩たる思いがありましたが、たかだか25kcalならこの長距離歩行で消費した分と比べれば微々たるものだ、と無理矢理自分を納得させてこきゅこきゅいきました。うまかった。

なだらかな登りの坂道を進み、市内から続いてきた大阪平野に別れを告げます。長興寺南の交差点で国道から離脱、府道43号へ。
昔入った懐かしのスケヴィングホテルを尻目に、残り1/3を歩く私は先ほどのヤクルトの影響か喉が渇いてしまいました。気温は5°Cなのに。
ちょうどこの道にローソンの第1号店・桜塚店があるのを思い出し、立ち寄ってトクホの0カロリーの某コーラをもとめました。ああ。寒いけどおいしい。こんなに甘くって美味しいのにカロリー0だなんて絶対おかしい。なにか身体にわるい物質が含まれてるに違いない、ナマンダヴナマンダヴ。飲み干したコーラのペットボトルを打ち捨てたいのに先々で出会う自販機にことごとくゴミ箱が設置されていません。売るだけ売っといて捨てる所がないとはどういうことだ。と身勝手な怒りにぷるぷるしつつ歩を進めると両脚もぷるぷるしてきました。寒いのではありません、もはや限界も近いようです。

なめとった。13.2km、よう歩かん。ハーフマラソンにも満たぬ距離なのに。私はなんと軟弱なおっさんなのでしょう。 しかしここから家へ帰る手段はもはやタクシーか徒歩のみ。バスもなく駅からも遠い場所、残り2kmばかりは意地でも歩き抜かねば。ゴール間近で初めて道沿いに公園が出現、心からほっとして砂っぽいベンチでまた5分ほど休憩しているうちに日付が替わりました。タクシーの運ちゃんが公衆便所に駆け込み一服しています。
胃中のお肉は、だいぶ消化された感があります。
比して両脚は、感覚がなくなってきました。
あとちょっと。ぃえぃ、と気を入れて立ち上がり、道中7店目のローソンを通過、よたよた家に辿り着いたのは0時20分でした。所要時間、2時間50分。後日グーグルマップで忠実に徒歩ルートを入力してみたら、きっかり2時間50分と書かれてありちょっと笑けました。

んで、結局私はどのくらいのカロリーを消費できたのか? 早速ふらふらの心身で運動カロリー計算サイトで調べたら。

運動の種類:散歩 150分(所要時間は170分ですが休憩・信号待ち分を差し引いて)
体重:73kg

計算ボタンをポン!

消費カロリー:670kcal (てりやきバーガー1.3個分)
燃焼した脂肪:95g

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私が食べたお肉は600g。
ぜぇんぜん、あかんやん。ザ・焼け石に、水じゃん。焼肉に、無駄徒歩じゃん。

すさまじい徒労感に打ちひしがれた私は翌土曜日はまるで立ち上がれず一日寝て過ごしました。太りました。
こんな喰い過ぎ→焦る→とにかく歩く→思いの外消費できてない→憔悴して寝込む→結果太る、を、この3月までに計3回繰り返しました。

どうやら私は死ぬまでこんな調子の反省しないあほのようです。いざさらば、自主的ラマダン、ワンスモァ。(オポムチャン 17/3/30)

(寸評)はは、でも充実した時間を得られたじゃないか! 8ポイント。

天橋立は突然に

2017年の1月中旬。我々オポム一家は日曜の朝恒例の合唱の練習に参加、12時に終了しさぁ昼飯どないしょうか、という話を帰りの車中でしておりました。
ふと私と嫁はんは自宅近くのラーメン店に行きたくなり、久々に中華もええなぁ、なんて盛り上がっておったのですが、そこへ異を唱えたのが誰あろうぼうずでした。

ぼうず「らーめんはいやや。らーめんじゃないところにいく」

こうなるとぼうずは意地でも折れません。完全にラーメン気分になっていた私はテンションだだ下がり、なんだか捨て鉢な気分になりました。

オポ「嗚呼心に寂寥の風吹き止まぬなあ。私は今から冬の日本海でも見に行こうか知らん」

そう口走った瞬間、あ、本当に今から日本海まで行ってみたらちょっとおもろいんじゃないか、という考えが私の脳中にむくむくと勃起しました。
よくよく考えたら私は冬の日本海を見た記憶がまるで無いし、これは良い機会かもしれません。おまけにここ(大阪府豊中市)からもっとも近い日本海となると舞鶴湾か宮津湾ですが、宮津湾といえば松島・宮島に並ぶ日本三景、天橋立がある場所です。私は近畿地方に40年近く棲息していますが天橋立を来訪した記憶も一切ないのです。あいにく今日は小雨でロケーションは不良ですが、いちどそう思ってしまったからにはもはや引っ込みがつきません。

嫁はん「んで、どうするの、お昼」
オポ「では今から本当に日本海すなわち天橋立へ向かうので道中でなにか食べようね」
嫁はん「・・・まじでか」
ぼうず「わーい」

誰も止めようとしないのが我が家の面々の素晴らしいところです。

さてここから日本海となると北方向へ100km以上ありますから地道では日が暮れてしまいます。しかし幸いなことに私は毎日の阪急電車による通勤時に「阪急高速バスで天橋立へ! 約2時間で行けます!」みたいな広告をちょくちょく見ておったので、こないだ石川さんの京北のおっそろしい山中でおこなわれたライヴの際に利用した京都縦貫自動車道を使えば意外と早く着けることを知識として得ていたので御座居ます。

なんにも考えずに新御堂筋を北上、箕面の有料トンネルを抜けて山ん中、たまたま見つけた食堂「ふるさと」で食べたお昼がウマいのなんの、嫁はんは冬期限定の「ししうどん(猪肉入りの白味噌うどん)」を掻っ喰らい、私は昔ながらの洋食Bランチで満悦。いまどきファミレスの跋扈する大阪の市街地では食べられない味です。中華を諦めてよかった。ここは結果的にぼうずに感謝しましょう。

食べ終わって13時半。よくわからんまま国道423号を京都方面に突っ込み、山道を越えてようやく亀岡で京都縦貫道へ。前回ライヴで降りた園部ICからさらに北へ、未知のゾーンへ突入します。トンネルの多い京都の山道をひたすら走り続け、スタートから116km、ようやく目的の日本海へ到達しました。15時半になっていました。雨の中知らん道をがんばって飛ばした甲斐があったなぁ。

私は橋立部分には道路が通っていてふつうに車で通れるものだと勘違いしておりましたがなんか無理っぽいので、天橋立駅最寄りの駐車場にパーク、こっちは南側のようですね。なになに、天橋立ヴューランド、なぁんていかにもな名前のランドが山の上にあるやおまへんか。40人乗りのちっちゃいモノレールは20分おき、リフトは随時乗れるみたい。もう16時近いので雨を厭わず、ぼうずを膝にのっけてリフトにライドオン。小雨だったのが幸いしてお客も少なめ、観覧車や汽車を独占して楽しみました。

そして天橋立といえば股のぞき。ちゃあんとよく見えるように専用の台がしつらえてあります。私はわざとらしくべったべたに「おおー、さながら空に橋が架かっとるみたいでんなー」とほざくと真横でぼうずが「おおー、さながらそらにはしがかかっとるみたいでんなー」と完コピ、我々は爆笑しました。天候にもかかわらず自然が海に架けた橋はくっきりと見え、傘を差しながらの股のぞきは良い思い出になりました。

帰りは小型モノレールで下山、ここからも天橋立は綺麗に見えました。折角なので橋立へ足を踏み入れてみましょう、実際は微妙に陸続きになっておらず、橋を渡って橋立へ行くという(笑)。浜辺に出て、しばらく冬の日本海の波を堪能しました。わー初めてだなぁ。というか宮津湾内なのでべつに荒波って感じでもなかったんですけどね(笑)。雰囲気雰囲気。

辺りはすっかり薄暗くなりもはや17時。お土産屋で地元の海産ふりかけを購入しアディオス、帰りの道もよくわかりませんがノリで進んだらたぶん高速道路への道案内が出てるだろう、とヤマを張り進めば案の定緑色の案内表示が。帰りはパーキングエリアで丹波牛の入ったなんか(おぼえてない)をいただき、真っ暗な縦貫道を抜けて京都の街が見えた時はまるで陽が昇って来たかのように明るかったからへんに感動、無事21時頃に帰宅を果たしたのでした。やー思いつきで昼から往復230km旅してしもうた。観光より車の中に居る時間のほうがはるかに長かった(笑)。これからもいきなり直感的に無茶苦茶なことをして生きていきたいです・・・ヘビードライヴァーの方にはこれくらいふつうか(笑)。(オポムチャン 17/3/30)

(寸評)天橋立はすごろく旅行をしてたら偶然着いたことがある。
東京を出て一週間、北海道へ行くか九州へ行くかも分からぬ道中・・・。 6ポイント。

まんぎょう

中学生の時。年上の大学生の従兄(前橋)が長期休暇で帰省してくると、車で遊びに連れて行ってもらうのが楽しみでした。

ある日の遊びの帰り、従兄が「まんぎょうって所に連れてってやる」と言い、到着すると、そこは小さな餃子専門店でした。

てっきり『萬田餃子店』とかの略だと思っていたのですが、看板には、ある色の英語読みに餃子店が付いているだけです。

この日は早目に品切れになってしまったようで、入ることができなかったのですが、私は車の中で従兄に「ねえ、なんでまんぎょうなの?」と、まるで小さな子供のように聞きました。

すぐには答えてくれず、何度目かの問いで、「まん●餃子の略だよ。同級生と呼んでたんだよ」と教えてくれました。

次の機会では、初めてまんぎょうに入ることができました。通常の4倍ぐらいのジャンボ餃子。従兄か友達が、これを「まん●餃子」と名付け、店名よりもそのニックネームで呼ぶようになったのでしょう。

この話を同級生にすると、「まんぎょう」、と言った時点で、「あっ何の略かわかった」と言います。オチを言うと、「やっぱりな(まん●餃子)」

略をすぐに連想できなかった私、名付けた人、どちらがおバカでしょうか。(猪熊猛 17/3/30)

(寸評)ん?我が埼玉誇りのまん州餃子にジャンボ餃子なんてあったっけかなあ・・・? 7ポイント。

冬の日本海

高校生の時の小樽から新潟までの冬のフェリー。
酔い止めも飲まずに乗り込みました。
甘く見ていました。
旅の疲れ、ロクに食べていないお腹、お風呂のお湯も飛び出すような悪天候。
私は船酔いし、二等船室どころか、トイレの個室に倒れ込み、何時間もうーうー唸っていました。
吐くものもなくなって苦しいのなんのって。
あと×時間で着く、あと△時間で着く・・・それだけを考えていました。
冬の日本海を舐めちゃいけませんね。(わいわい 17/3/30)

(寸評)それはタイミングが悪かったのかもね。
俺もその航路は何度も乗ってるけど麻雀ルームで麻雀してるうちに着いた・・・。6ポイント。

学生プロレス

学生プロレスというと素人が「うぇーい」と言ってただ暴れているだけのイメージがありますが、今の学生レスラーはジムでトレーニングを行い、身体もマッチョ、そのままプロレスラーになる人もいます。ガタイが凄い人が多いです。
ある年の秋、大学祭で学生プロレスをやっていたので見に行きました。各大学のレスラーが集まって団体を作り、大学や地域祭や自主興行などを打ち、試合を行っているのです。
今回はその中でいくつか面白い話を書きたいと思います。

悪役のタッグチーム。ロープ際で反則を犯し、悪人そのもの。椅子や凶器を使います。客からはブーイングの嵐。カラフルな色で染めた髪の毛を立て、正に悪役。試合では「うへへへへ」と反則の限りを尽くします。
ん・・・よく見ると、選手全員で大学構内を練り歩き回り「**時よりプロレスをやりまーす。みんな見に来てくださーい」とチラシを配っていた人ではありませんか。
自分の試合が終わると、セコンドに回り、場外乱闘では「危ないですよ、危ないですよ」と観客を警備。試合中にはリングを叩いて「**さん! 頑張ってください!!!」と先輩を鼓舞します。
本当はいい人なんです。

プロレスラーのリングネームは下ネタ中心です。
ヌレヨン○んちゃんは、首を振りながら手を高く上げて行進し、リングパンツを脱がされると、丸く穴の開いたアンダーパンツをはいており、尻を使って攻撃します。
他にも、○ェラナンテ・ドーデス とか、ホテルニューハーフオータニ とか、もうどうしょもないものばかり。デンジャラスにーちゃん 、 カンニングばれ山なんていう選手もいます。
一説には先輩が付けたリングネームは絶対に変えられないそうです。

学生プロレスの醍醐味は、学生実況と学生解説がめちゃくちゃ面白いという点があります。
場外乱闘が始まると、
実況「おーっと鉄柱攻撃、これはあぶなーい。出血だけはやめてくださいね」
解説「こういうご時世ですからね。大学祭で血が出ちゃうと、もう今後試合禁止になってしまいます」
実況「もし血が出たら、あーこれはトマトケチッャプですう〜。なんでもないです〜。大丈夫です〜。血のりです〜、とばらしちゃいましょう」

リングアナ「青コーナー、慶応大学4年、○○○○!!!」
実況「彼は2浪、2留で今年26ですよ」
解説「26にもなって何をやってるんですかね」
実況「学歴の無駄遣いですね」
解説「しかもまだ10月というのに就職が決まってないらしいですよ」
実況「親は泣いてますね」

リングアナ「レフリー、サラリーマン伊藤」
実況「彼は昨年までハローワーク伊藤だったのですが、今年50過ぎにして見事就職が決まったそうです」
解説「我々、就活生の鏡ですね」

引退式では、
実況「○○選手にマネージャーから花束が贈られます」
解説「もう4年生で卒業ですからね」
実況「しかし二人の間にはいろいろありましたからね」
解説「事実、ここでは言えないようなことがありましたね」

実況も解説も観客のほとんども学生なので、みんな大笑いです。
試合は普通のプロレスと遜色のない、激しく、スピーディで、なかなかの空中戦もあり、学生プロレスの概念を覆してくれました。
あーこれを書いていたらまた見に行きたくなった。(わいわい 17/3/21)

(寸評)プロレスってプロレスリングの略だからそれで食ってない学生の「プロレス」というのは矛盾でもあるが(笑)。
肉体パフォーマンスとしては面白いよね。下手すると本当に怪我してしまうギリギリを攻めるのもおもしろいよね。 7ポイント。

笑点

波照間エロマンガ島@バンコクです。日本に住んでいる時分ですから今から10年ほど前の出来事でしょうか。ある日のこと、友人女性Tさんから電話が入りました。

「もしもしエロさん? 突然だけど今度の日曜日時間ある?」
「うん、時間あるよ。どこかで食事でもする?」
「ううん、そうじゃなくて。もし時間あったら夕方5時半に日本テレビ観てくれないかな?」
「えっ?やぶからぼうに何? 夕方5時半の日本テレビって『笑点』?誰か面白い芸人が出るの?」

Tさんはマイナー芸人好きで、よくプロダクション主催のお笑いライブや寄席などにご一緒する友人だったのです。なので、Tさんが見つけた芸人が「笑点」に出るのかな、と類推したのでした。

「それは見てのお楽しみ。途中から観ないでね、最初の圓楽師匠の挨拶のところからちゃんと観てね」と言うと、電話を切りました。

当日、私は暇だったのできっちり番組の冒頭の「笑点」のアニメーションタイトルのところからテレビの前で待ち構えていました。中村八大作曲のインストゥルメンタルのテーマ曲が終わり「製作著作・日本テレビ」と出て、拍手とともに後楽園ホールの客席に座った圓楽師匠のおなじみの挨拶に切り替わります。

その瞬間「おぉぉぉぉ!!!」わたしはテレビを観て声を上げました。

「笑点」のオープニングはお客さんがいっぱい座った客席の席に司会者の三遊亭圓楽師匠が一緒に座り、時候の挨拶をしてすぐに最初の演者を紹介するのが昔からの恒例になってますが、圓楽師匠のとなりになんとTさんが座っていたのです!!これには本当にびっくりしました。
夕方5時半に日本テレビを見ろと言ったのは、自分が圓楽師匠のとなりに座ってテレビに映っているからだったんですね!!!

番組終了後、さっそくTさんに電話をしてみました。するとTさんいはく、後楽園ホールに収録を観に行くとどういうわけかとなりの席が空いていて、しばらくすると圓楽師匠がその空いてる席に座ったんですって。Tさんの興奮ぶりが伝わってくるようでした。
この話はかっこうの酒の肴になり、身近な友人に会うとしばらくはこの話題で盛り上がりました。(波照間エロマンガ島 17/3/21)

(寸評)その時いきなり圓楽師匠の股間に顔を埋めたら・・・いけねぇ、放送できねぇ。6ポイント。

ちっぽけな自我

高校生の頃。同級生の家に泊まり遊びに行った時。同級生が風呂に入って出てきました。すると、シャンプーとリンスを拭いて棚に置いています。そうか、このぐらいの年はシャンプーとかは自分用を持つものなんだな、と思い、自分もそうしようと思いました。
アルバイト代で、まずは体を洗うボディーソープを買ってみました。当時はまだ石鹸が多く、珍しかったのです。
家族に、「これは俺が稼いだお金で買った、専用のものだ」と威張り、親が買ってきたものに頼らないぞ、という意気を感じながら使っていました。しかし、なんだか思ったより容量が少ないなあと感じます。少ないので、数日で切れてしまいました。

捨てる時。 容器には、小さく「ハンドソープ」とありました。(猪熊猛 17/3/21)

(寸評) 全身が手だったら良かったのにね! 6ポイント。

正しい女性の言葉

仕事などで、「●●やって」、と指示されて、「ハイ」と答えて、全然違うことをする奴とか、「それは今やんなくていいよ」、と指示されて、「ハイ」と答えたそばからそれをやり始める奴っていませんでしたか。
自分はその代表と言っていいでしょう。
悪気はないんです。一生懸命さが空回りして焦って真っ白になってしまう、といいますか。

15年ぐらい前。女性が個室で接客する店で働いていた時。
お客さんが続くと、従業員が片づけの手伝いに入ることになっていました。
人気ナンバー2の高学歴で知的な女性コンパニオンの手伝いに入った時。
「●●やって」と言われ、「ハイ」と答えて全然違うことを始めていました。
女性は「あれ? ●●って言ったのに。 私の言い方が悪かったかなあ」

いや違います。あなたは正しいんです。と思い、
「いや、私がバカなだけです!」 

大体の女性はここで、笑ってくれて終わるのですが、この女性は違いました。

私がバカなだけです! に、

「そうよねえ?」

そりゃあそうなんですけど・・・(猪熊猛 17/3/21)

(寸評)同意が本意じゃない例だね。今後も俺以外には「はい」と言って違うこと始めてください。 6ポイント。

女性患者さんの話

この人、昨年(2016年)12月に初めて鍼治療に来られ、健康管理が目的で毎週土曜日の最終時間に来られているのだが、何回目かの土曜の事。
「今日は疲れましたよ」と患者。
「何で?」と俺。
「最近主人が登山によく誘ってくるんよ。で、今日は比叡山に滋賀県側から登って京都側に下りようとしたんやけど!」と患者。
「どないしたん?」と俺。
「ロープウエーの乗り場に着いたら冬季休業て書いてて」と患者。
「ほな、その下のケーブルカーも止まってるワナ」と俺。
「はい。予定外に歩かされましたよ」と患者。
「2時間ぐらい下ったんとちがうん。修学院までな!」と俺。
「そうですそうです。歩きはった事あります?」と患者。
「いやないけどネットで登山口と所用時間見た事あるで。お疲れさん!」と俺。
「ほんまに疲れました。なので、一回帰宅後ここまで車でしっかり送ってもらったわ!」と患者。

以上、初体験の投稿文を読んで思い出したネタでした。なお、滋賀県側のケーブルカーは通年営業だそうです!(西大路 17/3/21)

(寸評)あると思ってなかった時の落ち込みって疲れてる時はことさらあるよねー。
それとも京都は他所からの侵入者には厳しいのか? 6ポイント。

ぎょう虫けんさ!

学校時代、蟯虫検査ってありませんでしたか。肛門に押し付けたセロファンを提出するというものです。

転校1年目、小学校5年の時。その蟯虫検査がありました。これまでと違ったのは、検尿や検便のように朝起きてトイレに行って採るのではなく、朝起きたら、起きあがらずに、寝たままの姿勢でやりなさいということでした。そうしないと蟯虫がいた場合に体内に逃げてしまい採れなくなるそうなのです。

私は、これは忘れそうだ、起きたら起きあがってしまうかもしれない、と思い、今思うと非常におバカな対策を考え出しました。

朝起きて、まず見るのは何か。天井ですね。そこにメッセージを貼っておけばいいのです。

私は早速、寝る部屋の天井に、メモ用紙にマジックで『ぎょう虫けんさ!』と書いて貼りつけました。

寝た姿勢でも読めるように、用紙いっぱいに大きい字で。

ぎょう虫けんさ当日。起きたら視線は天井ではなくて横でした。それでも起きあがってはいけないことは忘れず、無事に正しいぎょう虫けんさをすることができました。

数日後。家庭訪問がありました。

三者面談ではないので生徒はいなくてもいいのですが、担任が、転校生の私の家を知らないので、学校の帰りに車に乗せるから案内してほしいと言います。このため、同席しなければならなくなりました。この日は、小6の姉の担任も家庭訪問で来ることになっていましたが、時間は私の担任の時間よりも遅めの予定で、被らないことになっていました。

しかし、担任と私が家に着くと、姉と担任がいたのです。予定が変わって時間が早まったそうなのです。姉の担任も、家を知らないので姉を車に乗せて案内をさせていました。このため、私と姉、私の担任、姉の担任、という合同での家庭訪問になってしまいました。

話の途中、姉が私を嫌そうな目で見てきました。何だよ、という感じで目を合わせると、目玉を上にやり、顎をしゃくって、「上を見なよ」みたいなポーズを取ったのです。

上を見ると、そこには、天井には、あの日の、『ぎょう虫けんさ!』のメモが貼られたままだったです。

一階建の狭い社宅、家庭訪問に使われているこの居間は、家族の寝室でもあったのです。

担任二人は、気付かなかったのでしょうか。気付いていたけど黙っていたのでしょうか。(猪熊猛 17/3/12)

(寸評)担任たちは(私と同じことをしている・・・)と思ったでしょう。 8ポイント。

ちょうつがい

私が結婚式場でウエディングプランナーをしていた時のことです。
そこにいた、かなり天然の先輩の話です。

その式場は、結婚指輪や婚約指輪、披露宴の演出で母親にサプライズでプレゼントするペンダントなどのジュエリーも扱っていました。
先輩の担当するカップルは、母親へのペンダントを選んでいて、

先輩「こちらは、貝殻でできたペンダントなんですよ」
カップル「へぇ、なんの貝ですか?」
先輩「たしか…ちょうつがい…です!」
カップル「えっ!ち、ち、ちょうつがい‼」
先輩「はい、…えーと、少々お待ちください」

先輩は、カップルのただならぬ雰囲気から、自分の回答に自信がなくなり、私に聞きにきました。

先輩「あれって、なんていう貝だっけ?」
私「ああ、あのペンダント。たしか白蝶貝ですよ。」
先輩「ありがと!」

で、顔真っ赤で訂正しに行きましたとさ。
「ちょう」だけ合ってましたね、先輩!笑(マイ公 17/3/12)

(寸評)ドハハハ〜ッ! 蝶番(ちょうつがい)ってドアを留める・・・。
あれは貝じゃないっ! 8ポイント。

スポ根アニメに思いっきり感化されてる現実のシーンを目撃

わたしが小学生だった昭和40年代後半は「巨人の星」「あしたのジョー」「アタックNo.1」「柔道一直線」「サインはV」はじめとする「スポーツ根性物」と言われるアニメやテレビドラマが世の中を席捲していました。

小学校1、2年生くらいの頃です。家の近所の児童公園で遊んでいると、年長の小学6年生か中学1年生くらいの野球のユニフォームを着た少年がひとりで練習していました。その姿が異様であぜんとしました。まだ少年なのに大きなダンベルをもって筋トレをしたり、古タイヤを綱で縛ってそれを引きづりランニングしたりしていたのです!!

どう考えても「巨人の星」などに感化され、自分が超人であるかのような錯覚をもってる感じでした。今同じ光景を見たら大爆笑すると思います。でも当時は笑えない雰囲気がありました。その少年は本気で星飛雄馬になろうとしているようでした。その姿は「おバカ」としかいいようのないh純粋な姿でした。(波照間エロマンガ島 17/3/12)

(寸評)おそらく全身にバネも付けてたろーな。
今じゃスポ根もリアルなやつだといろいろ問題になって描けないから超人モノとかになってるのかもね。 8ポイント。

遺物

遺跡発掘のお話
ある程度まで土を掘り進めると、スコップで薄く表面を剥ぐように土を切り取ります。
地面を剥いでいると「カチッ」という音がします。音がしたらそこに遺物が埋まっている証拠です。
そして少しずつ周りを掘り、埋まっている遺物を取り出します。
最初のころは、土器の破片を見つけただけで
「うぉぉぉぉすげー」とハァハァするのですが、堀出したものを学芸員へ見せても、
「はいはい、そこの籠の中へ入れといてね」
で終わりになります。土器なんてそんなに珍しい物でもあれません。熟練のおばちゃんや学芸員は見向きも・・・見向きはしますが、それだけです。
ほおっとなるのは、せいぜい銭とか、小刀とか、それ以上の珍しいものですね。カワラケとか、エナ程度では・・・。 このことを考古学の先生へ話すと、「そりゃそうだよ。そんなもの珍しくもないもん。それだけ集めていたら大変だよ」とのお言葉でした。(わいわい 17/3/12)

(寸評)俺もよく山に矢じりとか取りに行ったな。
畑の中によく埋まってるんだよね。 6ポイント。

短すぎだろっ!!

バンコクのプラトゥナムという繁華街を散歩して目撃した「おバカ」案件。
このエスカレーター、短すぎっ!!



さすが常夏の国だけあって暑くて歩きたくない怠惰な国民のために、こんな短い段差にもエスカレーターをつけてしまっています。(波照間エロマンガ島 17/3/12)

(寸評)東京駅の新幹線の中央口のところも6段ぐらいしか無いのあるね。5ポイント。

イェーイ

先日とあるレンタルショップにて、これは一晩ですぐ見て返せるな、とレジ待ち中に算段した借り物を、まんまと翌々日に返却してしまいました。
あろうことか返した時点では「1週間レンタルのところを2泊で返せるとは上々」と何故だか満悦気味ですらあったのです。
ところがその晩から毎日のようにレンタルショップから電話が掛かってくるようになりました。たまたま仕事中で全く電話に出られず、仕事上がりに着信を確認するものの、初日に「あ!そう言えば調子に乗って一泊で借りてたな、延滞料金の知らせだわヤッテマッター」と気付いて以降、特に留守電も無い為に毎度「あー、すんません。近々必ず行くんで御勘弁」と無礼にも数日間見過ごしておりました昨日、そのレンタル屋さんの近くに向かう用事のついでに「そうだ、延滞料払わにゃな」とお店のレジに赴きました。
ジェ「すみません、延滞料金のお知らせを戴いたにも関わらず来店が遅くなりまして…(会員カードを差し出す)」
レジの人「あ!そうでしたか、わざわざどうも、ありがとうございます!!」
とやり取り有り、手続き戴いた上一泊延滞料金の100円弱を支払ったところ、レシートに続いて出てきたクーポン券を持ってレジの人がマジマジをわたくしの風体を確認しつつ言うには、
レジの人「只今キャンペーンで、新発売の発泡酒のお試しをお配りしております。お酒、呑まれますか?」
ジェ「………ええ、はい」
というわけで、何やら新商品の発泡酒を丸ごと一缶戴いてしまいました。
延滞した上にお支払い先先延ばしにしてしまい、しかもその料金の恐らく云倍のお酒を頂戴してしまいました。イェーイ。
珍しく馬鹿世に憚りました。次回は無いこと重々承知しておりますので、必ずや余裕を持って1週間レンタルといたします。はい。(ジェレ美 17/3/12)

(寸評)今度は7本来たらいいねっ! 5ポイント。

男湯

学校で、進級したばかりの頃、間違えて違う教室に入って行く奴っていませんでしたか。
前年度まで1年間、階段を上がって曲がってすぐの教室だったのが、進級したら階段を上がって曲がって次の次の教室になった、だったりすると、曲がってすぐのクセが抜けず、そこは隣のクラスだった、という。
自分は代表的にしていました。

さて、教室を間違える話ではありません。男湯の話です。

東京へ出てきて25年、うち、19年を、かつての石川さんのように風呂なしアパートに住みました。はじめは近所の銭湯だけ行っていましたが、
時には違う銭湯に行ってみたりして、お気に入りを見つけて通っていた頃。
その銭湯は、男湯と女湯が週ごとにチェンジするようになっていました。

私はいつものように意気揚々と銭湯に到着し、いつものように男湯に入っていきました。いつものように階段を下り、曇ったドアを開きます。
目の前にいつもの光景がありません。

あったのは、自分をチラリを見つめて、「あらあ、気をつけてよお」とつぶやいた全裸のおばさんの姿だったのです。 「あっすいません」と言い残し、夢中で階段を上りました。

こんな自分ですから、何度かは間違えて女湯の暖簾をくぐろうとしたことはありますが、その度に番台さんに必死で「違います」と止められていました。
この日は受付がたまたま席を外していて、入浴券をポンと置いて先週までの感覚で女湯の暖簾に気付かず男湯だと思って入って行ってしまったのです。
番台に戻るとまだ人はいず、自分は何事もなかったかのように男湯に入り直しました。

それにしても、女湯を開けてしまった、ということより、「キャー!」と叫ぶわけでも、体を隠すわけでもない、おばさんの冷静さが一番印象に残りました。
自分のようなおバカがたまに現れて、もう慣れっこになっていたのかもしれませんね。(猪熊猛 17/2/28)

(寸評)俺もとある温泉に入ろうとしたらいきなり女性の背中が!
しかしオッさんもいるし子供もいる。
家族風呂に間違って入ってしまった・・・。 8ポイント。

卒業式と花火

中学校3年の時のことです。
卒業式が終わって帰宅し、まだ誰も帰っていない家に入って中学校が終わった解放感を感じて何かがしたくなり、もう必要のない学校のジャージを着て片づけものをしようと思い立ちました。

物置に入ってみると、前から気になっていた、大量の花火が目につきました。
かつて我が家は駄菓子屋で売られるような物の問屋をやっていたそうで、そのころの古い商品があったのです。
裏庭には、もう使えなくなったニ槽式の洗濯機が横倒しになっているので、この中に花火を全部入れて焼き払ってしまおうと思いました。袋に入っているのではなく裸で置いてあったので、湿気てるかもしれず、大きな炎にはならないだろうと思いました。

丸太を持つように束にして両手ですべての花火を持ち、洗濯機にぶちこみました。
そしてその中から1本を取り出して着火し、「ほらほら、みんな点け!」みたいに束に近づけました。(着火できた時点でほかのも湿気てないと気付くべきですね。これだからおバカは・・・)

『 ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーー 』

軽い気持ちでこの行動をした私の上半身を、炎が襲いました。

私は慌てて顔をそむけ、何歩か逃げました。

振り返ると、洗濯機からは人間の背丈ぐらいの火柱が立っていました。
ジャージの右腕の部分は黒くなって固まり、前髪が少し焼けた私は、ゴオゴオとうなる炎を茫然と見つめていました。
ヤケドもなく片づけは無事に(?)終わりました。

もし、とっさの時に身動きの取れない場所で燃やしていたら、間違いなく火だるまになっていたことでしょう。卒業式から帰って火だるまになって死亡。事故でなく自殺にされていたかもしれません。(猪熊猛 17/2/28)

(寸評)むおーっ、花火とともに散る。
美しいようにも見えるがただのおバカじゃ!
ははは、燃えなくて良かったな。8ポイント。

CDの収録時間の調べ方

高校生の時。
当時、レコードからCDの転換期を過ぎ、レンタル店は完全にCDのみになっていました。そんな頃の話です。
学校の帰りに、中退して引きこもり中の友達の家に行くことになっていたのですが、来る時に何々のCDを借りて、それが入るカセットテープを買ってきてほしいと頼まれました。
借りたのは周囲ではポピュラーだったTSUTAYAではなく、オープンしたばかりのヤマダ電機内のレンタル店だったのですが、ここのレンタルCDは、TSUTAYAと違い、カセットテープに録る参考になる収録時間が書いてありませんでした。

そこで私は、借りたあと、CDプレイヤーの売っている階へ行き、勝手にトレイを開けてレンタルCDを入れ、分数をチェックして、その分数に合ったカセットテープを買って友達の家に向かいました。

そこから自転車で40分かけて友達の家に到着。

友達はさっそくレンタルCDを取り出します。

「あれ? 入ってねえぞ?」

「あっ、ヤマダのCDプレイヤーに入れて分数調べて、取り出すの忘れた!」

友達は怒る言葉も無くして無言です。

また40分かけ、ヤマダ電機に戻ります。

幸いにも、分数をチェックしたCDプレイヤーの中に、あのCDは入ったままでした。
さすがに、展示されているCDプレイヤーの中に、分数チェックのためのレンタルCDが入りっぱなしで忘れられているとはお客や店員も思わないでしょう。

そこからまた40分かけて友達の家に。
計80分。おバカをしなければ、CDニ枚組がテープに録れる時間を無駄にしました。(猪熊猛 17/2/28)

(寸評)俺も昔は「同じ値段なら分数いっぱい入ってる方がお得」と思ってたいして好きでもないレコードとか長さで買って後悔とかしてた。
貧乏根性が根っから染み付いてる・・・。8ポイント。

男のシャツ

学校、塾、友達の家、に行き、間違えて人の靴を履いて帰ってしまう奴っていましたよね。
自分は小さい頃から代表的にやっていました。中学で足のサイズが23.5なのに、26の野球部のクラスメイトの家に遊びに行って、その26を履いて帰ってきてしまったことも。
さて、靴の話ではありません。男のワイシャツの話です。

中学校1年の時のことです。
いつものようにワイシャツを着て、学校に行きました。

休み時間、中庭で、違うクラスの顔見知りが、私のワイシャツの襟を見ながら、「あれ? お前の、なんか丸くなってねえ?」

ここで気付きました。1学年上の姉のブラウスを着て来てしまったことを。逃げるように教室に戻り、その日は体操着で過ごしました。
顔見知りは別に言い触らしたりはしない人だったので広まることはありませんでした。

家に帰ると・・・

朝、私よりあとに登校した姉はカンカン。「ごめん間違えてブラウス着て学校行っちゃったよ」と言うよりも前に、
「アンタのせいで乾いてないのを着たんだからね!」(猪熊猛 17/2/14)

(寸評)ハハハ、スカートも履いていれば完璧だったのにね! 8ポイント。

夜の池

東京に出てきてから1年目か2年目、実家に行った時に、高校の時の同級生の家に泊まり遊びに行きました。(八木原駅前)
同級生の家は庭が広く、植木だらけ、門の横には大きい石というか岩があり、入ると池があり、小さい橋を渡って玄関に向かいます。
夜中、近くでジュースを買ってくることにしました。同級生は「その間に風呂入ってくるわ」

私は家の門に向かいます。
夕方から夜には池のほとりに照明がついているのですが、深夜には消えているので暗いです。

『ドボン!』 

大方の予想通り、片足が池に落ちてしまいました。しかし、俺はジュースを買いに行くんだと、アクシデントにもめげずに門を目指します。

『バリバリバリバリバリ!」

今度は植木に突っ込みバランスを崩して門の横の岩にぶつかりそうになりました。

両手を着いて転倒を避けた私でしたが、なんだかブルーになってしまい、一度同級生の部屋に戻って落ち着いてからにしようと、来た道を戻ることにしました。

来た道を戻ると言う事は・・・

『ドボン!』 

ニ度目の池落ちです。

私は、ブルーを通り越して自分に笑ってしまい、今度こそ玄関に戻り、風呂場の同級生に、

「あのさあ」
「あ?」
「池に足入れちゃってさあ」
「ああ(笑った声)」
「帰ることにするわ」
「ああ(笑いをこらえた声)」

このあと、同級生は1人で風呂に入りながら、しばらく声を出して笑い続けていたと後日聞きました。(猪熊猛 17/2/14)

(寸評)地味なドジも続くと本人は凹み、まわりは盛り上がる。 7ポイント。

飲み会でのおバカ事案

つい先週のことです。チェンマイにて石川さんをはじめとする友人数人とタイ料理食堂へ行きました。でもって、ソムタムやラープなどタイ東北部料理に舌鼓を打っておりました。何しろ料理が辛くて喉が渇くせいで、皆ぐびぐびとビールを喉に流し込んでいました。すると、ふと目の前に瓶ビールがあったに気づき、わたしは石川さんにビールを注ごうとしました。そのしゅんかん。

そのビール瓶は栓が開いてなかったのです!!

瓶を手に取り傾けてグラスに注ぐ直前まで栓が開いてないことに気がつきませんでした。皆ゲラゲラ笑っていました。石川さんは「こいつなにやってるんだろう」と思いながら黙ってわたしの行動を見ていたそうです。わたしは特に酩酊していたというわけではないのですが、なんか大ボケかましてしまいました。というタイ料理食堂でのおバカのひと幕。(波照間エロマンガ島 17/2/14)

(寸評)直前に気づいたけど黙ってドジを見届けました・・・。6ポイント。

教育実習中の給食

前回に引き続き、教育実習のお話。
実習生の昼食は、給食を頂きます。
生徒が給食を配ります。懐かしい風景です。

さてお替りです。クラスのルールとして、食べ終わった人からもらえるというものらしいです。
「いたたきます」
のあと一気に飲み込み、並ぶ人が続出。
担任からは、
「飲むな! 飲むな!」
と言われている始末。
我々の時代も最初はわざと小盛にしてもらい一気に食べ尽くしてお替りを貰うなんてやってましたねー。

尚、実習時も私も、牛乳やゼリー類はジャンケンでした。(わいわい 17/2/14)

(寸評)学生は育ち盛りだし特におバカな男子はたくさん食ってやった自慢をしたい年頃だからなー。
当時はそれでも太らなかった不思議・・・。 6ポイント。

女性下着の博物館?

今回は石川さんが好きな話題です。
私は学芸員の資格を持っています。学芸員資格を取得するには博物館での実習が必要になります。博物館は大学の博物館でも、自分で博物館に交渉して実習してもOKです。今後、石川さんが「空き缶博物館」を作るとそこへ実習生が来るかもしれませぬ。

大学4年生の夏休み時の課題がありました。自分で企画展を企画するというものです。企画内容は何でも可でした。そして、
・平面図を制作する。長さとかもキチンと計画する。
・「ハレパネ」と「題せん」を一つずつ制作する。「ハレパネ」の材料は大学の実習室で用意。
・目的等を書いた企画書を制作する。
を提出します。
私は、王様でもおなじみの「映画名台詞企画展」というものを企画しました。映画には「君の瞳に乾杯」「明日は明日の風が吹くわ」「太陽がまぶしすぎる」など数々の名台詞があります。その台詞と意味、状況、日本語と原語の比較、写真などを印刷し、大きなハレパネにして展示します。同時に室内に「カサブランカのリックの酒場」「ローマの休日の真実の口」など模型を展示します。
秀作は夏休み明けに発表し、優秀作は年報で発表されます。私は年報には出ませんでしたが、授業中100人くらいの学生の前で発表しました。資格を取りに来ている60歳くらいの会社のお偉い人とか、先生方には好評でした。

さてさて本題です。
同じ秀作として発表されたのは、文学部の女の子三人組、作品制作は一人でも複数でも良いのですが、その三人組が制作した「女性下着の展示」というものでした。世界や昔の女性の下着を展示します。入口には、ブラジャーを上から吊り下げて、暖簾みたいにして入って行くというなかなかユニークなアイデアでした。ご高齢の教授はひたすらうーむと唸ってました。

先生方と話すと、面白いことに毎年必ずこういう下着作品が出るそうです。
私の卒業年の前年、同じ専攻の先輩の卒論がやはり『女性下着の歴史』を調べたものでした。

どちらも女性の制作、作品です。男性がやると、ちょっと「おーーーーーい」の世界かもしれませんね。
しかしながら毎年同じことを考える人がいるんですねえ。(わいわい 17/2/14)

(寸評)あと美術大生の作品だと必ずコンドームに水を入れて作ったものとか出がちだよね(笑)。 6ポイント。

あんたは船員になったのかい?

波照間エロマンガ島@バンコクです。2009年正月に日本に一時帰国した時、介護付き施設にて生活している当時95歳になる祖母をお見舞いに行きました。2008年4月にチェンマイに語学留学してから約8か月ぶりの再会でした。びっくりしたのは前回会ったときには私の名前を思い出せなかったのにこの日は「○○ちゃん」と最初に愛称で呼んだくれたこと(祖母はぼけがかなり進行している)。これはびっくりしたのと同時に感動しました。

祖母は60歳くらいのときに大病をして死線をさまよったことがあるのですがそれが治癒してからはたいそう健康になり、95歳にいたるも食欲旺盛で足腰と脳の働きは弱くなったがそれ以外はすこぶる元気な老人なのです。

ただ私が留学していることを話しても理解できなかったようで、長く日本にいないという説明のほうを勘違いして「今、あんたは船員なのかい?」と、とんちんかんな逆質問をされて母と爆笑してしまいました。俺が船乗りに転職って……、でも船員なんて想像するとかっこええなぁ(笑)。

祖母は言葉が出てこずに言いたいことが言えないことをしきりに気にしていました。そして「ごめんね、あんたのことを褒めようとしても、言葉が出てこないんだよ」と言ったとき、私は心の中で泣きました。ありがとう。長生きしてくださいね、おばあちゃん。また帰国したら会いに来ますよ。

と思いましたが祖母は100歳を前にして亡くなりました。
戦時中は出征していた祖父の不在時は家を守り、特に1945年3月10日の東京大空襲のときは幼い母を連れて戦禍を生き延びたりと波乱万丈の人生でしたが、本当に大往生だったと言ってよいでしょう。合掌。(波照間エロマンガ島 17/2/3)

(寸評)もしかして孫が船乗りになって七つの海を駆け巡っている姿を想像したのかもね。
あちらでも次の人生でまた楽しいことがありますように。 7ポイント。

舞え、踊れ、シュレカスの吹雪の中

私は毎朝、勤務先の支店の前の通りを始業前に掃除しています。

これまでも幾度か投稿させて頂いたように私の宿敵は煙草の吸殻で、拾っても拾っても毎日毎日繰り返し捨てられ続ける大量の吸い殻に呪詛の言葉を吐きかけつつゴミ拾いを続けているわけですが、この年末、私に新たなる凶悪・邪悪な敵が到来しました。

12月下旬のある朝。職場の通りに差しかかると、私はその光景に目を疑いました。
勤務先の西側約100mのとある会社の前に、袋の破れた廃棄シュレッダー屑がぶちまけられていたのです。
冬の木枯しに、シュレッダーのカスは高々と舞い上がっていました。

その会社のものならば文句のひとつでも言えばよいかもしれませんが、いかんせん時刻は7:55、文句を言うにもだれも出勤しちゃいません(それにその会社の前に不法投棄された可能性もあるので、一概にその会社のせいにも出来ませんからね)。
これから我が身に起こりうる絶望的な未来に戦慄しつつ、私はそれを尻目に職場へ足を進めることしか出来ませんでした。
は? なにが? べつに100mも離れとったらお前になんの影響もないやろが、とおっしゃるなかれ。
私の勤務先の前の道路は東西に伸びています。
そして当支店はその北側に位置します。
したがって当店寄りに走る車は西から東へ走り、港が近い関係上通行する車は巨大なものが多いのです。
大きな車が急いでたくさん通ると、風は西から東へ吹きます。
つまりゆうたら西にある細かいゴミはぜぇんぶわしとこの店の前に飛んでくる、っちゅうことじゃい!!! 説明が回りくどいわ書き手、どあほっ!!!
はぁ、はぁ・・・・・・ すいません、自制できなくなってきました。ともかく放置されたシュレッダーカスは、時間を経るにつれ、案の定東へ、東へと拡がって行きました。

翌日。職場の前の通りは、シュレカスで満たされていました。
破けた袋はどこにもありません。誰かが始末したか、中身すべてをぶちまけてから風に消えたか。
しかれども誰もそれを拾おうとはしません。あまりに細かいうえに、あまりに大量だからです。
その日から、私の朝の日課には吸い殻殲滅のほかにシュレカス抹殺が加わりました。

2、3日の間は自分とこのお店の前をいくら掃き清めても西からシュレカスが飛んできて、たちどころに支店の前は汚染されました。
1週間して、ようやく西から飛来する分量は減りましたが、問題は私の勤務店の前だけではなくさらに東の道路・歩道です。もはやどの家も会社もシュレカスの始末を放棄し、風まかせに減じるのを待っている様子。これはいけません。
なんでか。それは私の勤務店にお越しになるお客様の7割方が東側からいらっしゃるのです。その7割の皆さんがご来店いただく前にシュレカスだらけの道を通ってきたらどう思われますか? 不愉快なのはもちろんのこと、そうです、「ああ、あの店がぶちまけよったんやな」。これに尽きるでしょう。

ただでさえ私は朝の店舗前清掃に時間が掛かり過ぎる、といつも課長から叱られているというのに、これでは余計に時間が掛かってしまいます。しかもあまりの使用頻度に箒は徐々に崩壊し、掃けば掃くほど今度は箒カスが発生するという転倒した本末、気が狂いそうになるのを必死でこらえて私は煙草を拾うトングで細かぁい細かぁいシュレカスを一枚ひとひら摘まんでいくのでした。ライクア賽の河原。無間地獄。

以前からちょいちょい西からシュレッダーのカスが風に乗って流れて来ていたのに腹を立ててはいたのですが、今回はあまりにも悪質です。すべてを回収できないにせよ、通りの目立つところくらいは捨てた人間やその者が属する会社がせめて綺麗にするべきでしょう。そして世間はより業種的に紙を大量に裁断していそうな我が社に疑いの目を向けます。ほんでその会社の制服着た私が、寒空のもと血眼でシュレカスを執拗に拾い続けているんだもの。パッと見、完全に「ああ、あっこの支店のアホの兄ちゃんがぶちまけよったんやな。くそ迷惑なやっちゃ」ですよね。

私はこの街で働かせていただいているよそ者です。せめていつもお世話になってる地域の方々に、当店を気持ちよく使って頂きたい。不快な思いをさせたくないだけなのです。
だのに現実は違います。私が必死になってシュレカスを始末すれば始末するほど、疑念の目は私に向けられるばかりなのです。かといって放置が出来ますか? 課長はもちろん店長も同僚もこのシュレカスを放置しましたが私にはそんな真似できません。

1月もはや下旬、日々の積み重ねで相当量を駆逐したとはいえ、今日も私は大量のシュレカスと吸い殻をかき集め、自店のゴミ箱に打ち捨てました。店長が厭な顔をしました。「うちのんとちゃうゴミ拾ってくんなや・・・」客商売してる人間として、目の前の屑を放棄してかまわない、との考え方、アリなんでしょうかね。もう私は何のため、誰のためにシュレカスを始末しているのかわからなくなってきました。

あらためて、ほんっとにゴミは捨てたもの勝ち、ですね。なーんの責任も問われないんだもの。警察に言ったって無駄、「じゃあそのゴミ持ってきて」とか言われる始末ですからね。はは。はははは。はははははははは。今度シュレカスが西から飛んできたら、私は左記のように虚無的な笑いを延々と笑いながら、舞い踊るシュレカスの吹雪の中、自身も舞い踊りつづけるでしょう。ゴミです。私もゴミです。ははははははははははははははははははは。とか言うて。

結論。呪われよ、捨てた奴。(黒オポム 17/2/3)

(寸評)実は夢遊病があり、夜中に自らが撒き散らかしているのに気づいた時・・・。
ははははははははははははははははははは。 7ポイント。

教育実習中のワールドカップ

最近教育実習の投稿が続いているので今回はそのお話です。
私が教育実習したのは、母校の中学でした。中・高と両方の免許を取る場合、どちらで実習してもいいんですね。実習科目も一つでOKです(ちな拙者は中学社会、国語。高校地理歴史、公民、国語の免許を持っております)。

実習月は、受け入れて下さる学校によって違うのですが多いのは6月です。
6月と言えば、そう全世界が熱狂するワールドカップの月です。

その年はちょうどワールドカップが開催されていた年で、時間の都合上、日本戦は日本時間の朝試合が行われていました。
わたしも試合が気になってい たので、電車とかバスの中とかでずっと携帯で経過を見ていたのですが、学校ではそんなわけにもいかず、残念ながらしょんぼりと職員室へ入って行きました。

すると職員室は生徒が大勢集まっています。
なんだなんだと入って行くと、みんなサッカー中継を見ているのですね。
中学では携帯電話の使用は禁止されています。情報が得られない生徒たちは唯一の情報提供地である職員室へ集まってきて、わっと先生のパソコンで中継を見ていたのです。
用もないのに職員室へ行くと普通は怒られますが、さすがにワールドカップ時は先生方も「しょうがねぇなあ」という感じで見させています。校長先生も苦笑しています。
朝の職員会議の時は「さあ教室へ戻った戻った」と追い返しますが、職員会議が終わると、また「わっ」と集まってきてしまうんですね。

集まってくるやつらは、スポーツ好きの男子というまあ活動的で明るく元気なやんちゃな連中ばかりで、教室へ行くと「しょうがないわねえ」という感じで女子が笑っていました。
その日は、我が日本は残念ながら負けてしまったのですが、その後生徒たちとサッカーの話題で盛り上がったのは言うまでもありません。
ちなみにワタクシは、学生控室でこそこそとパソコンで情報を追っていました。
元サッカー少年だったわいわいでした。(わいわい 17/2/3)

(寸評)そのくらいのユルイ学校がちょうどいいよね。
最近は規則に厳し過ぎて本質を見誤っている教育者も多い気がする・・・。6ポイント。

新しいおバカプロジェクト

わたし気がついたんです。昨年12月にチェンマイで道に迷い、その状況を潔く受け入れることは偶然を呼び寄せること=おバカを誘い入れることなんだ。つまりジョンケージの言うところの「チャンスオペレーション(偶然性の音楽)」はここに存在するのだ、と。というわけで日常生活の中に偶然を呼び寄せて「アート」することにしました。ケージは易の教えで筮竹やらコインやらを使ってました。石川さんはすごろくですね。それに対し私は夜のバンコクの中華街を散歩することを思いつきました。

バンコクの都市構造はタイ人が造った街と中華系移民が造った街とでは明確に違うことが歴然としています。タイ人は幹線道路にソイという行き止まりの小路を作るだけの単純な街造りをするのですが、中華系移民は複雑怪奇な魔宮の迷路のような街を造ってしまうことはバンコクの中華街を歩いてよーくわかります。
そんなわけで私は基本的に毎晩会社の帰りに中華街を散歩して帰ることにしました。太い道、細い道関係なくいろんな道を歩いて行きます。夜鷹がいる道、ジモティーが軒先で食事している道も突進します。そして知っている場所にたどり着いたらその日のゲームは終了、公共交通を使って帰ります。
ちなみに中華街から私のアパートまでは歩いても1時間くらいの距離なので行き倒れにはならないと思います。
という遊びを始めました。また面白い出来事に遭遇したらここに投稿しますね。ではでは。(昼のバンコクは炎天下でこんな遊びはできない、だから夜歩くの、波照間エロマンガ島 17/2/3)

(寸評)おぉ、それはいい遊びを発見したね。
もしかしたら何らかの大発見につながるかもしれない。写真や文章にしても面白いかも。
その趣味、応援しまっさ! 7ポイント。

自然治癒のおバカさん

波照間エロマンガ島です。タイに移住してきてから知り合った日本人の友人男性の話です。
Mくんはもって生まれた調子の良さから勤める先で有力なコネを得て、そのコネが大輪になるまでどんどん転職を繰り返し、ついには現地採用の最高峰と言われる某有名会社に就職し現在その会社に勤めています。Mくんは大型バイクを転がし、どこへ行くにもバイクで移動していました。

私の勤める会社を辞めたMくんはしばらく連絡がとれなくなっていました。「どうしたのかな、日本に帰国したのかな」と元同僚の何人かで噂していると、何ヶ月かしてMくんから連絡があり一緒に食事することになりました。そしてその空白期間の話を聞いてびっくり!

Mくんはなんとバイクで事故って骨折の重傷を負ったが、海外旅行保険に入ってなく会社にも所属してないため、病院に行かずに自然治癒で骨がつながるまで、家でじっと静養していたんですって!!

Mくんは以前同じ部位を事故で骨折をして、自分の骨がつながっているか折れてるかはレントゲンを撮らなくてもわかる、と豪語していました。

私はそんな人間、初めて見ました。まさしく「自然治癒のおバカ」です。私も少年時代、腕や足首を骨折したことはありますが、激痛だった記憶があるんだけどな……。もちろんギプスをして治療しましたけど。というわけで、骨は折れても自然にしておくとつながって治るという話でした。(波照間エロマンガ島 17/2/3)

(寸評)うわぁ、剛の者だなぁ。
でも必ずしも全てが自然治癒するとは限らないからねぇ。
だけどおそらく「これは大丈夫」が自分で分かるんだろうねぇ。昭和の人間やっ! 7ポイント。

バンコクのロータリー交差点はクセモノだ

こんにちは、波照間エロマンガ島です。タイのバンコクに暮らすようになってもうすぐ5年になりますが、それまで住んでいたチェンマイや東京、横浜などと比較して都市構造上、大きく異なる点があります。それはロータリー交差点の存在。

バンコクはヨーロッパの都市と同じように街中あちこちに記念モニュメントがあり、そのモニュメントを中心に円形交差点があり放射状に道路が伸びてる箇所がいくつもあるのです。日本ではほとんどこういう交差点は見られないですね。

実はこのロータリー交差点がクセモノなのです。自動車やオートバイや自転車を運転していると、しばしば選択を誤り、間違った方向へ行ってしまうからです。
バンコクに引っ越してきてまもなくの頃、私はチャイナタウン界隈を自転車で走っていました。すると「ジュライロータリー」というロータリー交差点にさしかかりました。私はホアランポーン駅に行きたかったので、このロータリーからホアランポーン駅方面への道を選択した「つもり」でした。そこから500メートルほど行くと着くはずなのですが、一向に駅には着きません。石川さんのように景気よく「ついたー!!」と叫びたかったのですが、知らない道、知らない風景を進んでいくばかりでした。どんどん不安になっていきます。30分以上走って駅にはたどりつきませんでした。あとで地図で確認すると、なんと90度進路を間違っていました。私は方向感覚については自信があるほうなのですが、この結果には愕然としました。ロータリー交差点を間違った方向に進入すると、どんどん目的地から離れていくのです。しかも進入当初は、自分が道を間違っているとは露ほども思ってないですから途中で自分の謝りを認めるのに時間がかかればかかるほど、目的地から離れてしまうという次第。道に迷う=勘違いする=おバカ、という等式がたやすくできてしまうというわけです。日本では道を間違えることはほとんどなかったので、このおバカ体験は鮮烈な印象を残しました。
以上、バンコクのロータリー交差点がクセモノだ、という話でした。(波照間エロマンガ島 17/2/3)

(寸評)サークルは本当気を付けないとね。ヨーロッパでもグルグルまわっているうちに方向感覚がおかしくなってきちゃうので必ず目印や看板などに最大の注意を払っていたな。
でも基本的には信号で止まるよりこの方式の方が好き。
日本ももっと導入しないかなあ。 6ポイント。

旅人は端っこが好き

桃岩荘でのミーティング。ヘルパーが巨大なイラストボードを使って礼文島の観光地や美味しいグルメなどを面白おかしく宿泊者に案内します。
お笑いを取りながら情報提供をしないとならないので腕の見せどころでもあります。
そこで、ヘルパーのマネキン(桃ネーム)というのネタ。

「旅人は、日本最△△端のような端っこに群がる習性があります」

といいました。これには笑ってしまいました。
確かに、**岬とか、日本最△△端のような端っこを旅人は目指しますよね。(わいわい 17/2/3)

(寸評)まぁそれは観光のひとつの売りになるからねー。
でもみんな隅っこで無言で体育座りしているサマを想像すると笑っちゃうね。 5ポイント。

桃ネーム

昔のミュージシャン、特にフォークソンガーってよくニックネームを付けましたよね。
ぺーやんとか、ジュリーとか。
桃岩荘でもヘルパーや常連は、ニックネーム通称桃ネームを付けてもらえ通常でもそれで呼び合います。なので本名を知らないなんてしょっちゅうです。
ただし条件が合って1・自分では付けられない、2・下品ではないが上品ではない
というもがあります。
例えば「ベルボトム」とか「武蔵丸」のような分かりやすいものから「ピリオド(黒くて小さいから)」「マイカル(冷蔵庫にいつもMyカルピスの原液を入れていたから)」、他に「二着(服2着で日本一周をしているから)」「955(955着の船で来たから)」みたいなものもあります。
女の子も「こぶし(最初の顔合わせでコブシを口に入れる芸をしたから)」「おにく(酒好きで「鬼ころし」が好きなので)」「チャック(船から降りてきたときチャックが開いていたから)」「しそ(しそが好きだから)」などで、決してかわいいものではありません。

私の場合、桃ネームはありませんでした。本名が結構強烈なので、そのまま■■さんと呼ばれていました。
他にも「自由」という本名のヘルパーがいてかつて「ブルボン」という桃ネームがあったもののそのまま「自由」になったそうです。(わいわい 17/2/3)

(寸評)俺が行ったらやはりランニングか清だろうな・・・。6ポイント。

Tバック

さっきのこと。会社に電話がかかってきました。「もしもし、Tバック商事のAですが、Bさんはいらっしゃいますか?」「すみません、あいにく席をはずしております。折り返しますのでお電話番号をお願いできますでしょうか?」と言って電話番号を訊ねました。

同僚のBさんにLineでメッセージを送ります。数十分後、Bさんが戻ってくるや私に言いました。

「AさんってTバック商事じゃないですよ。そんな会社名あるわけないじゃないですか。Tマップです(T自動車の現地法人の商事会社)」

それから「普段からエロいことばっかしてるからそんな勘違いをするんですよ」とかさんざんからかわれたことは言うまでもありません。そんなおバカな勤務時間中のわたしでした。(波照間エロマンガ島@バンコク  17/2/3)

(寸評)ティーバッグ商事ならありそうだが・・・。6ポイント。

サルの今日の忠告(トイレのスリッパを履いて帰るな)を読んで思い出したこと

小学生の時のことです。

病院に通っていたある日、待合室からトイレに行って戻ってきました。
座って漫画雑誌を読み始めると、隣に座っていたおじさんがブツブツと話しかけてきました。

はっきり聞き取れなかったのと、知らない大人には付いて行ってはいけないと教えられていたことから、怪しい大人だと思ったのでしょう、目を合わさずに漫画を読み続けながら、「ハイ、ハイ」と適当に相槌を打ってやりすごしていました。診察が終わったら速攻で出て怪しい大人から離れようと思っていました。
しかし、少しすると、気付いてしまいました。

トイレのスリッパのまま待合室に戻ってきたことを。
私はスーッと再びトイレに行き、履き替えて戻ってきました。怪しい大人と決めつけていたおじさんは、笑いながら、また聞き取れない声でブツブツと言っています。「やっと気付いた? 教えてあげたのに何も聞いてないんだもの」なんて言っていたのでしょう。

おじさんは怪しい大人ではなく、人の話を聞かない小学生がおバカなだけだったのです。(猪熊猛 17/2/3)

(寸評)俺は自分のサンダルと前乗りして入った地方の居酒屋の便所のスリッパを間違えて履いてきてしまい、そのまま所スリッパでステージに出て叩き踊ったことがある。
昼のイベントだったので取り返そうにも居酒屋がまだやってなかったからな・・・。 5ポイント。



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