(29)

ここは自分のまわりのおバカな奴の行動・言動などを紹介するコーナーだ。
なるべく本人を直接見たり本人から直接聞いたものが良いが、信憑性が高ければその友人ぐらいまではOK。もちろん人間じゃなくてもかまわないぞっ。
さぁ、まだ世間に埋もれている貴重なとっておきのバカを紹介してくれいっ!
メールにて投稿は題名「おバカ」で、末尾に自分の名前を入れてね。
ポイントは3ポイント以上〜ーだっ! ダ〜〜〜ッ!!

タイのクリスマスにおける不思議な光景

12月25日はクリスマス。ここタイは仏教国ですが、日本人と同じく節操が無い国民性なので、仏教徒でも当たり前のようにクリスマスを祝います。
今日の出来事。わたしは朝一番で現場直行でした。ひと仕事終えて出社するとびっくり! 10人以上いるタイ人女性スタッフが全員トナカイの角をかたどった真っ赤なカチューシャをして、デスクに向かって仕事をしていたのです!!それはそれは異様な風景でした。でも、ナーラック(可愛かった)でしたけどね。そういえば、今日の通勤時間、男性でサンタクロウスの帽子をかぶっているサラリーマンを何人も目撃しました。どういう国民性なんだろう、と在タイ歴7年半のわたしでも不思議に思います。(波照間エロマンガ島)

(寸評)日本以上だね〜。
南国で迎えるクリスマスも楽しそうだねっ! 7ポイント。

モ゛ッ

私の配偶者は、昔から妙なものに好かれます。

こども・じじい・イタい同世代の男・動物・虫がむこうから寄ってくるという特異体質で、街を歩けば見知らぬじじいに「ええ帽子やね」とだしぬけに帽子を誉められたり、なにかの催しごとがあれば幼児から小学生に寄り付かれ、学生時代には同回生の困ったちゃん男子に続々告白され、まぁー私もキモ男ですが中でも比較的波長の合うキモ男だったのでどういう訳か結婚できちゃったわけですがそれはさておき、野山に行けば様々な小動物がむこうから姿を現し、自転車で走れば飛来する虫にガンガン頭突きをされるといった有り様で、さすが私とつがいになるだけあって特殊なスキルを有しているようです。

さてそんな嫁はん、ゆうべのお相手は。

まずお相手ははじめ私に挨拶を仕掛けてきました。
風呂上がり、私が脱衣場にてバスタオルで身体を拭いておったところ、私の左足の甲になにか硬いものが天井から落ちてきて、床に転げました。
その小さな物体は、なんと黒地に小さな赤い斑のあるテントウムシでした。

私は虫の中で特にテントウムシが嫌いで、あの色使いが生理的に受け付けないのです。だって血の赤と闇の黒ですよ!? 完全に死の使いの配色じゃないですか!! そんでこんな時期になんでまた・・・ まぁそれは冬眠に家の屋根下とかにびっしり寄り添ってる、なんて嫌情報を聞いたことがあるので考えたくもないですがうちの何処かを冬眠場にしているのでしょう。どうか死ぬまでにその寄り添う大群を見ないままで居られますように、と祈ったのち、私はしずかにひっくり返ってもごもごしている黒テントウを尻目に脱衣場兼洗面所を後にしたのでした。

居間に戻ると、嫁はんが茶を飲んでいました。
私はいましがた天井から黒テントウに急襲された、と状況を説明すると、嫁はんは面白がってにこにこ洗面所へ駆けていきました。

嫁はん「おいでおいで、こーいこい」

言葉の通じる見込みのない黒の奴に語りかけつつ近付き、指に這わせようと誘導します。嫁はんはどちらかと言うとテントウムシが好きな方なので平気です。
なかなか鈍くさい奴をなんとか捕縛、指の先に付けて窓からぶいっ、と手を振りアデュ、さぁおもうさま夜空を羽ばたくがいい、と一件落着、と思いきや。

洗面所に戻った嫁はんの肩から、奴はテイクオフしがんがん壁に体当たりを繰り返しています。さっき振り払い損ねたようで、外に行ったと思ったら嫁はんに張り付いていたようなのです。

どうにかふたたび黒テントウを捕まえた嫁はん、あんたもうえぇからお外行き、と指先を窓の外の寒空に伸ばしました。したら。

奴は一度中空へ舞ったのち刹那踵を返し、嫁はんの鼻っ柱に張り付きました。

嫁はん「モ゛ッ」

いくら比較的テントウムシが好きという嫁はんも、これには辟易しました。

振り払う嫁はん。懲りもせずガンガンあちこちにぶつかりまくるあほ黒。とうとう業を煮やした嫁はんは足元のマットを一閃、弾き倒されて気絶した奴を、真っ暗な冬空に向かってデコピンの要領でぱちこーーーん、奴はようやく我が家から去ったのでした。

・・・・・・虫、どんだけ嫁はん好きやねん。

2度の解放の機会を与えられたというのに、嫁はんの元へブーメランの如く帰ってくるテントウムシ。
あほだ。あほすぎる。そしてこの嫁はんも虫に愛され過ぎている。なんなのか。
あっ、共通点発見。嫁はんに近付いてくるじじい・幼児・変態・虫などはいずれも知性が低い生命体です。なんかそういうあんまりなにもかんがえてないやつらの好きなフェロモンでも出してるんでしょうかねぇ・・・。

そんな嫁はんは、今日も幼児(ぼうず)・変態(私)・虫各種に寄り付かれながら苦虫をくちゃくちゃ噛み潰して日々暮らしています(笑)。(オポムチャン)

(寸評)そういう人っているんだよねー。
あ、俺もそうかも・・・!?
20代の頃、アパートにいろんな人や猫が出入りしてたなぁ(笑)。 6ポイント。

ヤマトのテーマ

近頃はぼうずが生まれた関係できびきびびしびし系の性格が目立つ私の嫁はんですが、結婚してから子を授かるまではやっとこさ親元を離れた解放感もあり、また誰に見られるでも咎められるでもない自由な空間であったため結構2人でだらんだらんに過ごすことも多々ありました。

そんな2人の特徴は、夜10時頃から趣味のゲームや読書・音楽鑑賞をはじめるとしばしばどちらかが居間で気絶している、というものでした。
お互いないしはせめて片方がきびきびしてしっかりしていればよいのですが当方お互いにけっこうなすかたんで、ともすれば2人して居間でぶっ倒れたまま気が付けばちゅんちゅら小鳥さえずる眩しい朝を迎えて絶望する、といった体たらく、情けなくって涙も出ねぇ。たはは。

まあこの場合どないしょうもないのですが問題は1人が気を確かに保っていた状況で、まず私が寝てしまった場合は嫁はんが何をしようが私を寝床まで運ぶのは不可能なので、あきらめて放置するか掛け布団を掛けてくれるかしてくれます。ただ寝相の悪い私は折角の掛け布団を無意識のうちに蹴りとばし、結果硬い居間の床上で肌を冷やして呻吟しながら朝を迎え風邪をひくというバッドエンドが多いのです。
さて逆のパターン。これは私よりも頻度は少ないのですが、嫁はんのみが居間でくかーくかーしておる場合。私みたいに風邪をひいては可哀想だし、嫁はんの平均体重は43kgと人間の大人としては非常に軽量で、これならどうにか担げるんじゃないか、と貧弱の代表者・私が謀反気を起こしてしまうのです。

オポ「おい狸、12時やど」
狸子「・・・・・・ふが」
オポ「布団で寝ぇよ」
狸子「・・・ほぇ・・・・・・」
オポ「風邪ひくど、ほれ布団はすぐそこやがな」
狸子「・・・・・・・・・ぐぅ・・・・・・・・・」

こうなると私は覚悟を決めます。
オポ「(ひくくひくくちいさい声で)オポキャリー・発動」
狸子「・・・・・・?」

オポ「♪ぽーっぽーっぽーっぽっぽっぽっっぽぽーーーーっ、ぽぽぽっぽっぽっぽっぽっぽーーっぽぽぽっぽーーーーーっ(宇宙戦艦ヤマトのオープニングテーマを口ずさみながら狸子の背中と両足に腕を掛けて抱きかかえる)」
狸子「!!?? おっ、おぽぽぽぽぽ」
オポ「♪ぽーっぽーーっぽっぽっぽーーっぽーーっぽーーっぽっぽっぽーーっぽーーっぽぽぽっぽぽぽっぽぽぽぽーぽぽっぽぽぽっぽぽぽっぽぽぽぽーぽぽっっぽーーーーーーーっ(歌詞に入る手前まで歌った段階で布団に狸子を下ろす)」
狸子「ひーっ、ひーっ、ひーっ」

どさり。
無事に嫁はんは布団に運ばれました。
私は、腰に大きなダメージを受けました。人間の43kgも米俵の43kgも重さは変わりません。仕事場で扱う宅配だって30kg以上のものは引受できない決まりですから、私は仕事でもまず運ばない重さのものを運んでいるわけで、当然その代償は大きいのです。
寝ぼけた状態からいきなり中空を運搬された嫁はんはすっかり目をさまし、はふはふ言うています。逆に運んだ非力な私は力尽きて寝てしまいます。こんなことが年に1、2度ありました。
まぁダメージはたしかにあるのですが私達はこのあほな行為がなんとなく好きで、運ばれてる最中はちょっと怖いけどたのしい嫁はんと、運んでる最中はきついけどたのしい私の、ひとつのメオト遊びでした。

懐かしいなぁ。今ではもっぱら私がパソコン前で寝落ちして叱られてばかりだなぁ。母は、強し。んで、なんでヤマトだったのかしら・・・。(オポムチャン)

(寸評)43kgなら頑張れば運べるよな・・・。
うちも結婚当初はゲームばかりしてた。
なんせ一番最初に買った電気製品がファミコンだったもんな。
そして「もう眠くて駄目だ」というとこまでやり続けた。
よく妻はこたつでそのまま寝てたなあ。
43kgなら頑張れば運べるだろうけどなぁ・・・。 8ポイント。

私の子宮いりませんか?

鍼の研修会中、当時20歳代前半女子に聞かれた事。
「西大路さーん。私の子宮いりませんか?」と女子。
「いやー、俺はそんなんいらんわ!」と俺。
「今なら漏れなく生理痛つきですよー!」と女子。
「そんなもん余計いらんわい!」と俺。
「いやーそんなん言わずにもらって下さいよー。ほんまに痛いんですよー!」と女子。
「実技で台になって治してもらったらええやん!」と俺。
この日から1年か2年後、この会員は母親になったのだった。しかし、身体は無事でも頭はどないやろ?(西大路)

(寸評)その子に「陰嚢もらってくださーい 陰金田虫付きですけどー」と言ってみたら? 6ポイント。

ウンコ大菩薩

前の職場を運営していた、社会福祉法人の理事長(当時)の話。
「ワシはなあ。宗教の勧誘が来た時はこう言うんや!」と理事長。
「理事長何て言いはるんですか?」と俺。
「あのなあ。ワシには信仰してる宗教があるんや。で、何教ですかて聞かれたら、T教やて。そしたらなあ、お題目は何やて必ず聞きよるんや。そしたら答えたるんや。「ナムダイジ ウンコ 大菩薩」。そう言うたったらなあ、「えー?真面目に答えろやー」て言って帰って行きよるんや。おもろいで!」と理事長。
この職場、本業以外に理事長のこんなどうでも良い話を聞くというのが重要な役だったのだ。この理事長、今もあちらの世界でお題目唱えてる事でしょう。
ちなみに、T教のTとは、理事長の名前の最初が「タ」なのでTと表現!(西大路)

(寸評)うちの実家も無宗教だがいつも新興宗教の勧誘が来ると「我が家は特殊な宗教を信仰してまして」とニヤッと笑うと帰ってくれると言ってたな・・・。 6ポイント。

砂卸

砂卸、つまり、体内の老廃物を出すという目的で蒟蒻を食べると言われているようだが、俺が行った鍼の学校は高校普通科と校舎が同じで、部活なども彼らと一緒にやっていたのだ。
で、俺が購買部に居た時の普通科1年の女子の校内放送、
「今日の昼休みの販売は、砂卸のためありません!」
棚卸中の部屋が大爆笑になったのは言うまでもない!(西大路)

(寸評)購買部に蒟蒻がたくさん売っていたのかな?
彼女のいない男子学生にいつも飛ぶように売れてる人気商品か・・・。 6ポイント。

頼むわ!

以前に書いた、破れたズボンで仕事をしていたという、研修会の先輩の話。

これを書いている一週間ちょっと前より、ストレスが原因と思われる体調不良のため、12月の会全ての欠席が認められ、京都の会長の治療を受ける事に。ところが、この先輩は会当日に実技指導用に使う鍼セットなど、会の備品係も担当しているのだ。

で、12月第三日曜の研修会前に、後輩の車で行くという会長にその備品を預けるという話になっていたはずなのだが、

ピーンポーン

「おはようさん!これ今度の日曜に使う鍼セットが入ってる。当日見てもらったらわかるし持って行って欲しいねん。頼むわ!」と、俺の治療院に現れた先輩。

確かにこの先輩には会当日や四国研修の往復移動では、自ら運転を担当。大変お世話になっているのは事実。

ところが、会の備品を入れた物はそれなりの大きさがある上、俺は会で配るCD係を担当。会当日はそのケース付きのCDR24枚を持って行かなければならないのだ。そして当然ながら会当日俺は公共交通機関で移動。

「わかりました。持って行きますよー。あんまり無理せえへんように、ため込めへんようにして早く良くなってくださいよ。仕事はできてるという事やから安心しましたけど!」

勿論そこまでしか言えず。

一人で持って行けないわけではないものの、会の物という事もあって、大阪から環状線と東海道線を乗り継いでくる後輩に京都駅で合流を頼んだのであった。

ただ後輩とは言え俺よりはかなり年上。でもそんな事気にはしとりません。合流した瞬間何か持たすぞ!(西大路)

(寸評)持てば持つほど女にもモテる・・・という具合にいけばいいですなっ! 5ポイント。

巾着袋

研修会の京都の学術部長の話。

先月の四国研修が終わって帰ろうとしていた時、「鍼ケースの入った巾着袋がおいたままやけど誰?」と、地元の指導部の先生からの叫び声。

それを繰り返すように、「鍼ケースが入った巾着袋誰や誰や!」と叫ぶ、京都の学術部長。

ところが、帰りの車で大阪と京都の府境の天王山トンネルまで戻ってきた所で、

「あーそうや、さっきm先生が言ってはった巾着袋ワシのんかもしれへん!」と学術部長。

「はあ?またおまえか!」と京都の会長。

「学術部長、普段わがままばっかり言ってる人がまたやってくれましたねえ、困ったもんややれやれ!」と俺。

「あーほんまや。鞄ガサガサガサ、あーやっぱりワシのんや、やってしもたわ!」と学術部長。

俺がこの研修会に入る切っ掛けを作ってくれたのがこの学術部長なのだが、本当にどうしようもない先輩です(笑)!(西大路)

(寸評)でも巾着袋で良かったじゃない。
金玉袋忘れてたらエライコッチャ! 5ポイント。

慣れた道

奈良県香芝市を通る近鉄大阪線に、「関屋」という駅があるのだが、この駅が最寄りの研修会の後輩に、個人的勉強会と言ってよく呼ばれるのだ。

先日、別の目的で行った同じ近鉄大阪線の八尾駅を出てすぐ、その日お世話になり迎えにきていただいた女性との会話。

「遠い所からありがとうございます。一人と聞いてたのでどうやって来られるかなあて思ってたんです!」と女性。

「いやいや、こちらこそ迎えに来ていただきありがとうございます。八尾はなれたら近いですよ!」と俺。

「いやそんなん言いはるけどねえ!」と女性。

「同じ近鉄大阪線に関屋という駅があるでしょ。そこに、鍼の研修会の後輩が居るんですわ!」と俺。

「鍼の研修会ですか!」と女性。

「この後輩がねえ。僕の治療院に「指導をお願いします」と言って来るのではなく、「指導をお願いします」と言って僕を関屋まで呼びつけよるんですわ!」と俺。

「うわー」と女性。

「何回も行ってたら鶴橋での乗り換えもなれましたし、JRの東海道線から環状線に乗り換えるんもなれましたよ!」と俺。

続けて、

「八尾駅は去年は友達と一緒でしたけど、確か鶴橋で階段下りてすぐの所から乗ったら、八尾で降りた右側に階段あった記憶があったのでそのまま来たらありましたわ!」と俺。

「それはすごいですねえ!」と女性。

「ものは考えようで、その後輩のおかげで今日もすんなり来れましたわ。関屋が八尾になっただけの事です(笑)!」と俺。

こんなん書いてるものの、以前鶴橋駅で乗り間違えた事あり。いつ頃の投稿やったかなあ、確かここに書いてます。いつもすんなりとは行きまへん!(西大路)

(寸評)鶴橋は焼肉旨いしなあ。
煙に誘われたら乗り間違えまっせ! 5ポイント。

千羽鶴

忘れもしない中3の修学旅行のこと。
行き先は九州、事件は長崎で。平和公園にて、本校修学旅行生全員で平和を祈る式典を行うという旅程が組まれておりました。全員が整列し、黙祷を捧げ、生徒会長が代表で平和宣言文を読み、祈念像にその文書とお花と千羽鶴を捧げるというものです。
修学旅行に先立ち、旅行に行かない1・2年生にも2枚ずつ、また3年生は1人3枚ずつの千代紙が配られ、各人が折り鶴を折ってこれを集め、生徒会始め代表委員の皆で足りない分を折りキチンと一羽ずつ縫い通してアノ立派な千羽鶴に仕上げて、長崎まではるばる持ち込んだものでした。
当時、なんの因果か生徒会副会長なるのもをさせられていた私は、その旅程の日の朝、宿泊先のホテルを出る際に学級担任兼生徒会顧問の先生から「これ平和公園の式典でオメーが捧げる分(役割)のヤツやけん」と千羽鶴の入った紙袋を渡されたのでした。
何せ普段から忘れ物の多い自分、とはいえ午後の式典までそれなりに頑張って気をつけて、管理していたつもりでした。
アレなんですよね、ああいう旅行ってバス降りれの次ここに集合だのと繰り返し繰り返しあるんです。
で、ご想像の通り、ええ、肝心の平和公園着時にバスから持って降りるの忘れましたー。
それに気がついたのが式典が始まってからのこと。
ヤベェ!!!!!!!!!!
…いやコレはまじでヤバい…
私はなす術もなく、隣に立っていた担任の先生にヒソヒソ声で「先生、、、忘れた」と伝えました。
先生「は? 何を?」
私「…千羽鶴」
先生「(小声だけど激昂)はぁっっ⁉︎ どこに忘れたんなぁ!!??」
私「ばっ、ば、バスの上の棚」
次の瞬間、先生は駆け出して行きました。
式典は順調に1つずつ式次第をこなしていきます。私は冷や汗です。どんどん汗が吹き出てきます。頼む、もっとゆっくり進んでくれ!生徒会長のお調子者君!お願いだから今日はゆっくりゆっくりスピーチ読んで!!(半ベソ)
さぁそして次はいよいよお花と千羽鶴の奉納です。
その時、先生が千羽鶴を持って戻って来られました。
先生「おらぁ!(言葉は粗いけど両手で優しくパス)」
私「ハイィっっ(半泣きだけど両手で優しくゲット)」
受け取った瞬間「献花、及び千羽鶴の奉納」のアナウンス。左に受け取り即右へ出る。
でも殆どの生徒はその様子には気づいておらず、結局式典は無事終了することがでしました。
日体大出身の先生…長崎の街をバスを追いかけ激走してくださったのでしょう。そして舞い戻って来られた。あの時ほど先生が体育大出身の体育の先生でよかったと思ったことはありません。それにしても今思えばあの頃先生四十前でしたね…、、、ご、ごめんなざいぃぃぃ
長崎といえば、千羽鶴といえばいまだに思い出す、どうしようもないおバカな思い出です。(ジェレ美)

(寸評)おぉ、なんかその先生カックイイねっ!
「おらぁ!」と投げたのが先生も間違えて砲丸とかじゃなくて良かった・・・。 8ポイント。

奥さんの目の前で他の女性を口説く旦那さん?!

先日、タイのチェンマイに遊びに行ったときのことです。

昼食後にちょっと郊外のぼろ市に行くことになりました。メンバーは石川浩司&あるさんご夫妻、ニヒル牛女性スタッフのKさん、ヨーロッパで個展を終えたばかりの新進気鋭の切り絵作家Mさん、そして私。ピックアップトラックの荷台を改造して2列の席をつくったソンテオという乗り合いタクシーに乗って目的地に向かいます。その車中にて。

Mさんは足を蚊に刺されて痒いのか、スカートの上から患部を掻いていました。すると石川浩司さんがこう言いました。 「あれM、スカートなんか掻き揚げて、俺のこと誘惑してるの?」
Mさんは「石川さん何、言ってるんですかー!痒いんですよ」と答えます。ソンテオ内、大爆笑。あるさんは呆れて何言ってるんだか、という表情をしています。

私はそのとき直感しました。これは石川浩司さん一流の「ボケ」だ。普段はそこをあるさんが「ツッコむ」んだ。そういう夫婦漫才みたいな夫婦なんだナ、と。

私はタイに住んでいるせいもありますが、石川さん夫妻が揃っている場面にご一緒したことは数えるほどしかありません。日本に帰国してニヒル牛を訪ねるときはあるさんだけだし、ライブに行ったり、2月にチェンマイで会うときは浩司さんだけだし。というわけで、石川さん夫妻の生態をとらえる数少ない機会だったわけです。

浩司さんはあるさんの前では、旦那さんというよりは息子のような「甘えん坊」の一面を見せたかと思うと、「ここ、俺のテリトリーだから」と、チェンマイの馴染みの風景を得意げに説明するところなどは、奥さんにいいところを見せようとする旦那さんの姿を感じたりもしました。

それらの様は言葉は悪いですが「おバカ」であり、そして長年連れ添った仲睦まじい夫婦のありようそのものでした。とても、ほっこりした気分になりました。石川さん夫妻が多くの人に愛される理由が少しだけわかったような気がしました。というチェンマイでおバカさんを目撃した話でした。 (波照間エロマンガ島)

(寸評)ははは、Mさんが膝を掻いてるのは分かったんだけどそれがスカートをちょっと持ち上げてる様にも見えて思わずその言葉が。
でも家の中ではもっとくだらないこと延々してるけどね。
これじゃ子供なんて出来るはずない・・・。 7ポイント。

おまえのチンチン

これを書いてる日の前の日の夜の事。
自宅1階でピザを食べようとして右手で持ち上げた瞬間、すぐ側に居た親父、
「そのピザ、ダラーンて、おまえのチンチンみたいになっとるがな!」
確かにな、例えはおもろい。実際に俺は朝立ちはない。しかーし、おまえのではなく「ワシのチンチン」とか、「母さんの胸」とか言われへんか?このくそ親父!(西大路)

(寸評)いつも息子の息子を見ている変態なお父上、バンザーイ! 6ポイント。

料理

高校3年の文化祭の時のお話です。

私のクラスでは講堂でしょーもない劇(ルパン三世)をやることになり、私は合気道部所属で袴を持っているから、という超安直な理由で五ェ門をやらされました(以降またしても安直に、クラスでのニックネームが五ェ門になりました)。部室に木刀もあったのでアルミホイルを張っ付けていんちき斬鉄剣まで用意しました。

私自身は決められた台本に添って演じるだけなので超かんたん、しかしそこは素人の脚本のかなしさ、どうしても既定の時間に対して劇が短すぎて尺が余って余って仕方ありません。クラスのろくに話したことも無い台本チームは、何かしら劇の合間にコント的なものを挟んで時間を稼ごう、という高校生らしい誤魔化しに走り出しました。

お前なんかできる? なんか面白いネタない? 案の出ない台本チームは藁にもすがる想いでクラスでも目立たない奴にまで声をかけて回ります。
そこでクラス内ネタスカウトキャラバンをしていた台本チームが辿り着いたのは、吹奏楽部の寡黙な半笑い・T光くんでした。

台本T「なんか劇の途中でできるネタない?」
T光「あ、じゃぁ料理とか」
台本T「料理ネタ!? なんか面白そうやん!! 頼むでT光!!」

決定えらい速いな。

そんなこんなでどうにか寄せ集めで尺を確保した台本チーム。月日は矢の如くぴゅっぴゅと流れ、文化祭本番の10日前となりました。
放課後、クラスで本番さながらの通し練習が行われ、それまでテキトーに流していた私が本気の狂人モードに入り五ェ門っぷりに拍車がかかるとクラスは喝采、悪い気はしませんでした。でへへ。私は石川と名の付くものを演じるのは得意のようです(笑)。
さて誰もがその全容を知らない、T光くんの料理コント? も今日初公開になるのでしょうか。

台本チームのN田さんが、T光くんに聞きます。
N田「T光、料理ってどんなコントなん?」
T光「いや、普通に料理をするねんけど」
N田「どんな?」
T光「肉切って、衣つけて、揚げて」
N田「オチはどんな?」
T光「いや、普通に料理をするねんけど」

・・・・・・・・・?
どうも雲行きが怪しくなってきました。
N田「・・・なにその、特にネタとかじゃなくって、舞台でふっつーに料理をする、っちゅうこと??」
T光「うん」
N田「なんで料理をしようと思ったん??」
T光「いや、面白いかなと思って」

・・・・・・・・・・・・・・・

クラスの全員が固まりました。
シュールだ。あまりにもシュール過ぎる。ルパン三世の出し物の途中で、話の筋に何の関係も無い料理がいきなり始まり、終わり、また劇が再開する・・・・・・。こうして台本チームは本番10日前にしてふたたび空いた尺を別のなにかで埋めることを余儀なくされ、毎日遅くまでネタを捜してそこいらを彷徨したのでした。

いや確かにT光くんははじめから料理としか言ってなかったからなんら嘘はついていないんですが、ただ舞台上でリアルに料理をするだけ、というその突飛な発想には誰も至らなかったのです。すげえ。凄すぎるぜ。ほんで内容もろくに聞かずに即採用した台本チームも、浅はかでしたね。もう代替ネタが何だったかさえ忘れましたが、私の五ェ門はちょいウケに終わりました(笑)。(オポムチャン)

(寸評)たまをやる前にやっていたころばぬさきのつえというユニットでは「ステージ上でただ延々と飯を食う」というライブをやったことがあるよ。お客さんはただそれを観てるだけ。
でも30分でその状況に耐えられなくなり、結局即興で歌を歌い始めてしまった・・・。負け戦。 7ポイント。

レオナルド熊

兄貴に隷属させられていた幼少期のトラウマからもう一丁。

私と1歳半だけ離れた兄貴は、なにかにつけて珠のように愛らしい赤子/幼児であった私に嫉妬し、どつく、言葉で貶める、などの行為を繰り返し、私を虚無的な感情が支配する木偶に仕立て上げました。まぁ1歳半の赤ちゃんに弟が出来てこれがまた自分より可愛がられるもんだからそうなるのも無理はないな、と今になっては思えますが。

そんな兄貴から、私が幼稚園の頃からやらされていた遊びが逆おんぶで、弟の私が兄貴をおぶって近所を徘徊する『おんぶ電車』など様々なシーンで乗り物にされていました。もう物心付くころにはそれが普通で当たり前のように兄貴をおぶっておりました。被虐感とか疑問とか持つ余地はなかったです。

さてその日の無理難題は『モノマネおんぶ』でした。
私が兄貴をおんぶしながら、兄貴の指示した人物等の真似をする、というおんぶの必然性が皆目見当たらない前衛的な遊びです。
私は命じられるがまま、豚・猿・アラレちゃん・ドラえもん等の真似をしつつ兄貴をおんぶして室内を歩き回りました。 そしてただモノマネさせながらおんぶするだけではつまらない(らしい)ので、モノマネが及第点に達しない場合には、私の大嫌いな梅干しに砂糖をまぶしたものを喰わせる、という絶望的な罰ゲームまで用意してくれました。

まぁなんちゅうかもうこれ、罰ゲームを用意した段階でどっかにいちゃもんつけてやらせる気満々ですよね。

少し疲れてきた遊びのなか、私は兄貴の口から放たれた人物が何者なのか判らず、テキトーに演じてみたのでした。
その人物とは、「レオナルド熊」でした。
・・・・・・だれ、それ?
インパクトのある名前はテレビで聴いたことがありますが、どんな人かなんて私は知りません。それでも真似をしないと砂糖まぶし梅干しを喰わされてしまいます。私はわけもわからず、とりあえずにこやかに低い声で

「レオナルド・熊です。レオナルド・熊です。レオナルド・熊です。レオ・・・・・・」

と、兄貴をおぶりながら見たことも無い熊の真似に挑戦しました。無茶もいいところです。はい、背中の兄貴が宣告しました。

「ブブーーー、レオナルド熊はそんなんちゃうわ! はい罰ゲーム決定〜〜〜」

敢え無く砂糖まぶし梅干しを無理矢理口に投入された私は一瞬で臨界点へ、猛ダッシュで便所へゴー、その時出たものは「王様の耳はロボの耳」話題3 吐瀉物自慢(2)の15/4/16に書いています。

この腐れ外道に遠い未来から「おバカ」の称号を贈ります。ってかなぜにレオナルド熊??? まぁどうせ熊を完コピ出来ても別の理不尽要求で結局砂糖梅干しは捩じ込まれたんでしょうけどね。皆さんも弟/妹ができた子供さん(上の子)には寂しい心をケアしてあげる気遣いを忘れないで下さいね! (オポムチャン)

(寸評)レオナルド熊が売れてた時代もあったんだよねぇ。懐かしい。
結局相方の石倉三郎の方が生き残って売れたね。 7ポイント。

勘違い女子

男は勘違いをする生き物だとよく言われますが、私は勘違い女子に最近困っています。

ライブとかオフ会のような、予め日の決まっているものは良いとして、単にドライブみたいな漠然とした事の日を二人で決めようとした時、なかなか日が決まらないのです。

最初は何月何日、ところが「何日に移動させてくれる?」と言われて移動。しかしまたこれが、「うーん、最低3週間後にして欲しいわ」と言われたため、「じゃあもうちょっと落ち着いた時にしようよ」と提案。

するとね、この女子、「気をつかってくれてありがとうね!」と言うのだわ。

あのねえ、気つかったんじゃないのよ、単に面倒になっただけなのよ。て言うか、相談してるわけではないですよ(笑)!(由美子さん好き男)

(寸評)女には分からないこともある。
そしてその倍、男には分からないことがあるらしい・・・。5ポイント。

結婚したい

同じ勘違い女子の話です。

「ユミちゃんとノリちゃんは結婚したいのかなあ?」

「この前ノリちゃんは結婚したいと言ってたよ。ユミちゃんは仕事で会うから正直聞きにくいんだけど今度タイミング見て聞いてみようかな?」

実はこの女子、由美子さんとはまだ一回も会ってないのです。しかし、私がよく由美子さんネタを喋るのでどうなのか聞いて欲しいのだそう。

そして、由美子さんも結婚したい事を確認。聞きづらかった事を見事に聞ける方向に持って行ってくれた女子でした。これでつきあう事になれば、この女子は神様ですね!(由美子さん好き男)

(寸評)ユミちゃんとノリちゃんが結婚したりして。 5ポイント。

本当に勘違いなのか?

勘違い女子の話を書いたつもりでしたが、本当に勘違いなのか?私自身が勘違いしてるのか?
私の勘違いであって欲しいです。そして、そんな私は今後も独り身で行くんでしょうね。私はおバカです!(由美子さん好き男)

(寸評)駄目で元々、押してみな。人生そんなに長くない! 4ポイント。

1周年

友人と会話をしていた時のこと。
友人「もうすぐ旦那のお父さんが亡くなって1周年だからさー。お姑さんとこ行って色々手伝わないといけない」
ジェ「…い、1周忌じゃないかしら?」
友人「えっ私なんて言った?」
ジェ「いっしゅうねん、て言ったよ。お陰様でありがとうみたいになってたよ」
友人「やばい。お姑さんにそのまま言っちゃうことだった」
ジェ「おうッ、、、きっと、そこはあまり間違わない方がいいとこだと思ウヨ。信心するものとかにもよって違うのかもしれないけど、タブン、うん。」
友人「ありがとう!!帰省する前に気付けてよかったわー!!」
どういたしまして。(ジェレ美)

(寸評)メールで「一周喜に伺います」と書いちゃったりして・・・。5ポイント。

問題

中学に入って一番最初の中間考査。外国語たる英語を義務教育で習う初めということで、英語のテストの問題はゴクゴク簡単なものばかりでした。
問1 アルファベットを全て大文字で書け
問2 アルファベットを全て小文字で書け
から始まり、
問3 以下の英語を日本語に訳せ
犬 _____
教科書 _____
商店 _____
問4 以下の日本語を英語に訳せ
apple _____
school _____
pencil _____
と、まあ終始こんな調子。当時まだ学校の先生もExcelやらWordやらは駆使する時代になく、問題用紙も回答用紙も先生の手書きで、文字書いて定規で回答部分に下線引いて、藁半紙に刷ったものでした。
英語の先生は去年まで三年生を担任していて、今年持ち回りで新一年生の担任になった方でしたが、そのテストの回答用紙の最後にはこう書いてありました。

No. ______
name _____

テストが終わった時、一番後ろの席だった私はその列のみんなの回答用紙を集めて前へ。そこで一番前に座っていた男の子の回答用紙を受け取る際に、その紙面が見なくていいのに目に飛び込んできたのです。なぜなら彼は、最後のところに

No. __いいえ__
name __名前__

と回答を書いていたのですから…!!
わーっっ、それたぶん違うでえ!出席番号と名前を書くんよ、きっと!!!と、声に出して言いたいものの、テストなだけに言えません。
黙って提出しました。
彼の採点結果がどうであったかは知りません、が、次の期末考査から配られた回答用紙の最後には

出席番号 _____
名前 _______

と書かれていました。(ジェレ美)

(寸評)俺はそれより問3と問4が全く解けないが・・・!? 5ポイント。

じゃじゃ丸じゃじゃ丸じゃじゃ丸・・・・・・

小3の頃のトラウマ話でーす。
私と当時5年生の兄貴は、当時最盛期だったファミコンの攻略雑誌「ファミリーコンピュータ〇ガジン」略してファミ〇ガ、を小遣いを出し合って購入していました。ファミ〇ガには最新ゲームソフトの情報や攻略法、また当時よく意図的ないしは偶発的に仕込まれていた「裏技」を紹介するコーナーもありました。読者や編集部が発見したソフトの裏技を投稿・掲載し、その内容の凄さに応じて賞金かおもちゃ券か忘れましたが5000円か10000円相当貰えた、ような気がします。

そんなゲーム雑誌をある日閲しておると、我々すかたん兄弟にとって大変難易度の高いジャレコのゲームソフト「忍者じゃじゃ丸くん」のかつてない裏技が掲載されているではありませんか!!!
どんな裏技かっちゅうと、なんとある秘密の操作をすると主人公/操作対象であるじゃじゃ丸くんが恒常的に敵の攻撃を無効化する状態になる、いわゆる全アクションゲームにおける憧れの状態すなわち「無敵」になる、というものです。

なになに具体的な操作方法は、II コントローラーのマイク(当時のファミコンには、2人プレイ用のコントローラにほとんど用途のないマイクが装備されていました)に向かって、BGMに合わせて「じゃじゃ丸じゃじゃ丸じゃじゃ丸・・・・・・」とえんえん歌い続ける、というものでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

はい、ここで皆様同様私の脳裏に疑念が生じました。
そんなけったいなコマンドで、本当に裏技が発動すんのんかい。

実はこのファミ〇ガという雑誌は悪辣な雑誌で、毎号裏技コーナーには「ウソテク」というガセネタがひとつ忍ばせてあり、それを見つけてハガキを送ればおもちゃ券、みたいなことをやってやがったのでした。これによりピュアな小学生が何人泣かされてきたか、編集部は知っててやってやがったのでしょうか。なめた真似しとったらあかんどあほん・・・ いやいや今はとりあえず話を進めましょう。

私はただちにこのいんちきくさい裏技をウソテクと見做しましたが、納得しないのが兄貴です。
私よりアクションゲームの腕が若干劣る兄貴は、この「忍者じゃじゃ丸くん」が好きではあるのですがぜんぜん先の面に進めず、いつも序盤で3機(プレイ続行回数を当時は〇機、という単位で呼びました)やられてしまうので怒って本体ごと蹴飛ばしたりしていたので、無敵になるなんて願ったり叶ったりの一大事件、もう無敵になってじゃんじゃんステージを進めることを夢想してウキウキしてしまっています。

そしてその延々マイクで「じゃじゃ丸じゃじゃ丸じゃじゃ丸・・・・・・」とBGMの8ビートのベース音「♪ドドファソドドファソドドファソ・・・・・・」に合わせて歌う、という間抜けな役は、当然私に回ってきます。

こんなもん絶対成功するかい、ってかウソテクじゃい、と思っている私ですが兄貴には逆らえません。I コントローラーを握ってゲームを通常通りプレイする兄貴の横で、私はII コントローラーのマイクに向かって頬を染めて「じゃじゃ丸じゃじゃ丸じゃじゃ丸・・・・・・」と、歌い続けました。必死で息継ぎをして、途切れないように。

恥辱の果て、じゃじゃ丸くんは無敵になりませんでした。兄貴は怒りました。ファミ〇ガではなく、私に。
兄貴「お前が下手糞やから無敵になれへんかったやないか。なにがじゃじゃ丸じゃじゃ丸や、このぼけ」
兄貴は私の歌真似をした挙句鉄拳を行使、私は中指を折り曲げた鉄菱で頭頂部を殴られ、蹴り飛ばされた本体とヴーーーーーーーーと言って止まったままのTV画面を見つめてただひたすら悲しかった、です。

翌号。ファミ〇ガを見ると、くだんの「じゃじゃ丸じゃじゃ丸じゃじゃ丸・・・・・・」はご想像のとおりウソテクでした。

こらぼけファミ〇ガ、おどれのしょうもない企画のせいで無辜の色白小太り小学生が屈辱のじゃじゃ丸連呼のすえ鉄拳制裁されとるやないかどないしてくれんねんこの(以下自粛)、と喚き散らしてもあとの祭り。おちょくったウソテク企画をかました雑誌とそれを鵜呑みにして私にナックルを落とした兄貴に、30年越しの呪いを込めて叫びます、「おバカ!!!」ほんでそれ以降私はフ○ミ通派に転向し、気が付けばファミ〇ガは廃刊になってました(笑)。(オポムチャン)

(寸評)でもやっちゃうのよねー。ほとんど嘘と分かっててもやらないと気がすまないのよねー。
お兄ちゃんに対して無敵になればいいのにね。 8ポイント。

悪逆非道

さてゲームの話をもう一丁、今度はいささかおっさんになってからのお話。
最近でこそぼうずの世話で忙しくゲームをする暇なんて皆無な私ですが(嫁はんもゲームはそこそこ好きですがぼうずにプレイさせることはまだ4歳ということもあり禁じています。ゆえに私もしません)、ぼうずをこしらえる前は夫婦そろってプレイステーション(以下PS)、ニンテンドーDS、ファミコンに2人して興じることもしばしばありました。

そんな2人の元へ遊びに来る私の友人も揃ってゲーム好き。中学からの腐れ縁・大阪は豊中の3バカたるK山とS井です。 なかでもS井が当家のゲームソフトで気に入っていたのは、PS2のZ指定(18歳未満購入禁止/有害図書扱い)ゲーム「グランド・セフト・オート」シリーズです。和訳すると大車泥棒、って感じでしょうか。
このアメリカからやって来たゲームの特徴は大きな箱庭の中を比較的自由に行動できるという点で、主人公はチンピラで鍵のかかっていない乗り物なら人が乗っていようが即時で強奪できるというさすがは大車泥棒、盗んだバイクで夜のハイウェイを逆走したり戦車で街を破壊しつつ彼女とデートしたりバーガーショップでラージセットを10回連続でオーダーしゲロを吐くなどとやりたい放題、またストーリーはチンピラがボスの指示を受けたり仲間の復讐をするなどが主なので必然銃火器を操ります。なのでやりようによってはその辺を歩いている善良な市民をパァンしちゃうことまで出来てしまうという、有害図書指定は伊達じゃない問題のゲームなのです(当然ゲーム内の指名手配度が上がりポリスや軍隊に追い掛け回されどつき回された挙句投獄されます)。

そしてこのゲーム内でお金を稼ぐのにはなにもミッションを攻略しなくったっていいんです、ストーリーを無視して気ままにアルバイト、ってな遊び方も可能で、バイクでピザ配達、消防車を盗めば火事を消しまくる消火活動、タクシーを強奪すればなんとタクシー屋をいきなり開業できるわけで、街で手を挙げている市民を乗っけて望みの行先へ届けてやる、というバイトが出来ます。
S井が気に入ったのがこのタクシーミッションで、手頃なタクシーを通りで強奪して(あ、あくまでもゲーム内でのお話ですからね)兄ちゃんをスタジアムへ婆さんを病院へおっさんを助平クラブへ、と届けるのですが、S井が普通じゃないのは顧客を送り届けて運賃を貰ってから降りた客を追いかけてどつき、さらに金銭をせしめるというかつてない効率的かつ悪逆非道なプレイをやってのけたのでした。さすがは私の友人、気が狂っています。

といったたわけに興じていたのがおおよそ10年前。40前にしてS井は我が家に遊びに来る機会も減りましたが、今年も私の仕事場の商品を例年の如く購入してくれました。先日も仕事終わりに待ち合わせて、商品の引き渡しと代金の徴収を兼ねて飯屋で談笑しました。
するとS井が、思いがけないことを申しました。

S井「昔オポムの家に行ったとき、よく『グランド・セフト・オート』のタクシーミッションで遊んだよな」
オポ「おうおうやってた、客から運賃もらって降ろしてからどついて二重にお金獲るっていう悪逆なやつ(しつこいようですがゲーム内での話です)」
S井「俺こないだ、仕事が遅くなって終電無くなって、タクシーで家まで帰ったんやけどな」
オポ「ほんほん(ミックスフライ定食を喰いつつ頷く)」
S井「家の前に着いて金払う段になって、ふとオポムの家でやった行為が思い出されてな」
オポ「・・・・・・?」
S井「これ金払って、降りたところで運転手が殴りかかってきたら俺二重に金とられることになるな、って」
オポ「・・・・・・・・・・・・はゃ?」
S井「あの日オポムの家でやったことってこういうことやったんか、って、本気であの日の行為を後悔したわ」

なんとS井は10年も前のゲームプレイを現実世界と照らし合わせ、後悔した、とのたまうのです。

S井「ゲームとはいえ俺のしたことは酷いことやった。いや今回はオポムにそれを伝えたくてな」
オポ「・・・・・・めちゃめちゃ今更な話やないか・・・・・・ お前その当時の段階で悪いことって思うやろ? だいたい現実世界で出来んことをやるからゲームはおもろいんやないか」
S井「いや、実際深夜にタクシー使ってみてわかった。あれはアカン」

・・・・・・・・・

こいつはピュアなのか、ふざけてるのか、と一瞬悩みましたがどうも本気で言ってるようです。
まぁこいつも社会に揉まれてようやくまっとうな人格を獲得したのだな、と思えばいいのですが、そんな昔のゲームでの話に拘泥している、ということはそれほどS井にとって印象的な体験だったのでしょう。まさかこのクレイジーな男が過去のゲーム内の悪行を悔いる日が来るとは・・・・・・ なんともおバカと言おうかくそ真面目と言おうか・・・・・・ 私としてはこれからもクレイジーなS井で居てくれた方が面白かったんですけどね。ともあれゲームも現実世界に影響を及ぼすほどハマってしまっては危険ですね。S井は特殊な例ですが(笑)。

古い友人との付き合いも徐々に減り、この男S井が一番長い腐れ縁になりましたが、少々狂人とはいえ昔からの友達ってのはいつでも馬鹿話ができて、有難いもんですね。(オポムチャン)

(寸評)あとね、亀を蹴飛ばしたりキノコを上から踏んづけるのも駄目だからね。覚えといて。 8ポイント。

野菜炒め

今日嫁はんとトークしてて思い出した、食い物の恨み? の話です。
8〜9年ほど前のある日。自宅からちょっと南へ歩いたところにある商店街の中華料理屋がテレヴィジョンで紹介され、へんな名前と看板が前から気になってもいたし、ちょっと面白そうなのでメオトでてっくらぽっこと行ってみることにしました。

入ってみるとたいへん大柄な店主さんがらっしゃい、と大きな中華鍋を振るっています。おおっTVでみたまんまの横にデカいおっちゃんだ。
メニューを閲すると中華料理屋さんなのになぜか酎ハイのヴァリエーションが豊富で、コーヒー酎ハイなどあまり余所では見かけない珍しいものも。しかし私は腹を空かして脂こい中華を食べに来たので、特段酒精は欲さずサーヴィスの叉焼麺と野菜炒めのセットをオーダーしました。
ここまでは何の問題もなかったのです。

さて店内、私の横には私より少々肥満の度合いを深めたおっさんが飯の来るのを待っていて、したがってこの場には鍋を振る店主さん、左横のおっさん、私の3人の肉人間が蝟集しており、右側の嫁はんが違う動物ではないかと思われるような光景でありました。私に少し遅れてお店に入ってきたそのおっさんも、同じく野菜炒めのセットをご注文。
肉人間の私、野菜炒めはお肉多めが好みです。隣のおっさんもきっとそうさ。果たしてウキウキする私にやって来た野菜炒めには、ほっとんど豚肉が入っておらず、あっても2、3ミリ片で目視も厳しいレベルという肉感のなさでした。

いや・・・ その・・・・・・ まぁ、ネ。野菜炒めでげすから、野菜が炒めてあれば・・・ そら野菜炒めとして成立、成立はするんでげすけどもソノアノウヌヌヌヌ・・・・・・
シォック。あまりに動揺してなんか綴りもおかしくなるくらいに打ちひしがれている私の横のおっさんに、同時に運ばれてきた野菜炒めには、これでもかっちゅうぐらいに豚肉がモリモリ乗っかっていました。

なんでやねんなんでやねんなんでやねん(残響音)。

アレか!? この店は一見には野菜炒めの肉を入れてくれへんのんか!!? そして常連化すれば横のおっさんの如き野菜炒めならぬ肉炒めwith野菜みたいなステキなやつを出してもらえるのか!? そういうシステムなのか!!??

とか思いはしますがきがちいさいきちがいさんなのでそんなこと口には出せません。もはや目にうっすら涙さえ浮かべて屈辱に耐えていると(←アホ)、横の席のおっさんは信じがたい行動に出ました。

なんと、豚肉を次々と避けて皿の端へ追いやり、野菜部分のみを喰らっているのです!!!
あわわわそんなあほな私とおんなじような体格してんのにおんなじ肉人間なのに肉喰わねえこの方。どういうこと嫌がらせかこの店にはじめてくる人間に対する定例的な洗礼なんかこれ。
私が声にならない叫びを上げて口をパクパクしているあいだにおっさんは皿に大量の豚肉を残したままお勘定を済ませ店を後にし、私の眼の前には口を付けられなかった野菜炒めの肉がこんもり虚しく鎮座ましましていました。

なんでやねんなんでやねんなんでやねんなんでやねんなんでやねん(大残響音)。

・・・・・・単に店主さんが皿に盛る時に肉と野菜のバランスを考えずちゃちゃっと盛り付けたもんだから、質量の多い肉は後の皿の方に集中しちゃっただけの話なんですね。
そして肉を大変欲している者の皿には肉はまるで盛られず、肉を非常に望んでいない者の皿に肉が山と盛られ、結果私の愛して止まない肉は私の口には入らぬまま残飯として葬り去られ、店主さんはその事実に気付かず、私だけが溢れんばかりの屈辱に身を焦がしていたのでした。

あほっ! あほっ! なんで私の皿のほうに肉を盛らんかったんじゃい! っとここまで書いてあまりの豚根性に恥ずかしくなってきましたが今更です。これ、ここまで豚肉に執拗にこだわる肉意地の張った私が、一番のあほですね。たはは。それにしても腹の立つ一件でした(立つんなら抗議せぇ)。以降、その中華屋さんにはトラウマで行ってません(笑)。あまりに衝撃的だったので・・・ しかしひどい投稿だなこれ。豚人間でした。(オポムチャン)

(寸評)その男って大谷?
いつも野菜炒めを頼み、肉片を丁寧に取り除き、無言で俺の食っている物の中にぶち込む。
大谷も今回は流石にそこまではしなかったか・・・。
きっとオポムチャンに気づかなかったんだね。気づいたら今度はちゃんと入れてくれるよ! 6ポイント。

おぼぼぼぼぼぼぼ。

中華の豚肉なんでなんで事件の投稿をした翌日。そんな話書くもんだから単純な私はたいへん豚肉を食したくなり、仕事帰りに酒精ならぬ豚肉を引っかけて帰ることにしました。

週末のうえに課長が会議で出てったので現金責任者と検査者と窓口要員を兼ねて大回転、目玉をぐりんぐりん回して半ば発狂しつつ仕事を終え、嫁はんに「遅いから晩御飯片付けといて。明日食べるから、御免ね」と古代フォンで連絡、2時間の残業に腹をぺっこぺこにした私は自宅最寄り駅まで戻ったのち、ひっさしぶりに昔(新婚当時から2年前まで)住んでいたマンションのそばにあるこだわりのラーメン店・豊中麺哲へ赴き、席へ座るや否や「肉醤油」とオーダー、このお店の肉すなわち叉焼は非常にでかく喰っても喰ってもまだ肉、といった調子で豚肉に飢えている今の私にとって最適なメニュウと申せるでしょう。

麺の量に対し肉があまりに膨大なので、いつもなら私は替え玉100円を追加するでしょう。しかし私は豚肉。豚肉の化身にならんとさらなる豚への執着を示したのでした。
店内中吊りを閲すると、【本日の丼】が3種。
・ブタマヨ丼   300円
・チャンジャ丼  400円
・ネギブタ丼   500円  

かつて私は300円のブタマヨ丼をよく注文していました。しかし500円のネギブタ丼の存在を私は見逃していませんでした。これは今までに見たことのないメニュウです。500円なら、より豚肉が豊富に乗っかった、私をさらなる目くるめく豚肉パラダイスへと誘う逸品なのではあるまいか。

豪快に肉を盛られた肉醤油をにこにこしつつ2/3平らげた段階で、私はよく通る声で「すいません、ネギブタ丼お願いします」と厨房へコール、豚祭りのクライマックスに向かってうきうきと肉醤油をフィニッシュ、すると。

やって来たネギブタ丼は、まんが日本昔話か、っちゅうぐらいに丼山盛りの飯の上に、海苔と細かくダイスカットされた叉焼と大量のネギをおもいきり乗っけたデブごはんでした。

おぼぼぼぼぼぼぼ。私はその量のあほさに狼狽かつ戦慄しました。

ふつうに肉がやたら乗っかったラーメンを1杯食べきったあとに出て来る量ではありません。いや、これ空腹でお店にきてラーメン頼まずこれだけ注文したとしても途中でギブアップしてもおかしくない山盛りっぷりです。飯だけでも一般的なお茶碗4杯分はあるでしょうか。
たしかに、私の望んだとおり豚肉はたくさん乗っかっています。乗っかってるんですけど、この量は・・・ 俺べつにフードファイトしに来たんとちゃうねんけど・・・・・・

そんな胃袋破壊丼を怯えた目でしばらく見つめたのち、私は意を決してネギと豚と飯の山に顔をうずめてガツガツ掻っ喰らいはじめました。
ウマい。豚もあほほど喰える。でもなんかおかしい。喰っても喰ってもぜぇんぜん減らない。おかしい。あれほどまで焦がれた豚肉パラダイスのただなかに居るというのに、なぜか込みあげてくるこの罰ゲーム感は、なに???

相当な量を喰ったにもかかわらず、まだ丼にはすき家の牛丼の特盛以上の量の肉と飯とネギが残っています。
麦茶を飲んで考えます。これ持って帰っていいですかぁ? とか言ってみようかな。だってこれ無茶だもの。単品で喰っても充分腹一杯になる代物だもの。でもここは硬派・豊中麺哲、店内には所狭しと「麺硬めお断り」「具を一定量以上食べてからの替え玉お断り」「煙草お断り」「限定メニュー 好き嫌いのある方お断り」とやたらといろんなことをお断りまくるこだわりのお店で、そんなもんお持ち帰りなんて当然お断りされるに決まっています。
満席だった店内はもはや私ひとり。それでも私は出された物は絶対に食べきる、というコジキッシュ・プライドを発揮し、息も絶え絶え丼をキレイにしたのでした。

かつてない膨満感。
また、やってもうた。
なんでもやりすぎちゃう私、ぱっつんぱっつんになった腹をこなすため、駅前からいつものバスには乗らず、40分かけて家まで歩いて帰りました。
調子こかないで、コンビニのやっすい角煮でも買って帰りゃあよかったのにね。うんでもいいの。ウマいのはウマかったんです、抜群に。ただね、量がね、ちょっとね、予想をはるかに超える、あほさだったの。とはいえ、「この丼は何グラム程ですか?」なんてあほっぽくて聞けない。

現在夜中の1時、食べ終わったのは夜8時45分くらいでしたが未だ腹はパンパンです。風呂に入るとき鏡を見てあまりの腹の出っ張り具合にちょっとひきました。当面豚肉に恋い焦がれることはなくなりそうです。遠い記憶の豚リベンジ達成、よかったね、私。よかったね、どあほ。(オポムチャン)

(寸評)人間はどれだけの豚肉を食べたらその豚量が人間量を超えて豚になれるんだろう。
今度是非試してみてください。
もっとも豚になったらもうここへの投稿も出来ないか・・・。 7ポイント。

白いものがヒラヒラ

オフィスにて。お昼休みを外で終えて戻り、ビル1階のエレベーターホールでエレベーターを待っていると後ろからもう1人、背広の男の人がやってきました。見たことある人だ…って、社長さんやん!
そうです、ウチの社長さんです。誰か他にも来ておくれ、このままじゃ社長と2人っきりでエレベーターに乗るですよ、と心の中で念じるものの虚しくエレベーターは1階にやってきて、社長と私、2人で乗り込むことになりました。
いくら無礼者で社会人としてナッてない私でもここでの立ち居振る舞いは知っている!なんとかなる!と意気込み、チンとドアが開いて誰も乗っていない事を確認するや、ササっと先に乗り込んで目的階をポチし「開」ボタンをグッと押します。社長さんは「ありがとう」とか仰りながら悠々と入ってこられます。ふぅ、このくらいはできますばい。
エレベーターが上がっていく間は会話なんてありません。私は操作盤係。社長は後ろで立っておられる。お互い顔も見れません。いいんだけどやっぱり気まづい。早く着いてくれ。うちのオフィス最上階なんだよな〜長い…などと思っている内に漸く「チーン」目的階に、ついたーっ!
にこやかに「開」ボタンをプッシュして社長さんに降りて戴き、やっとこさこのミッションは完了したと肩の荷をおろそうとしたところ、目の前を通り過ぎる社長さんの後腰部分に白いものがヒラヒラしているのを発見。たぶん、ワイシャツがズボンに入りきっていなくてベルトの上にはみ出している?とにかく上下ダークカラーのスーツの真ん中でそれは大変に目立つ白。
嗚呼そして、、、よく目を凝らせば見えてきた、それはワイシャツじゃなくてトイレットペーパーですね社長…!!
オーマイゴッド
平成の指示待ち平社員ぶって放っておく事も出来ますが、周りを見ても幸か不幸か誰もいない2人だけの廊下。エレベーターの横にはお手洗い。
ここはやっぱりお伝えすべきか。と腹を括って、早くしないとそのまま大勢の社員がいる執務室に元気に入っていってしまう社長さんを引き留めるべく意を決してお声掛けしました。
私「あ、あら…!しゃ、シャツがはみ出していらっしゃるような、、、」
社長「えっ⁉︎本当?入れ損ねちゃってたかな…ワイシャツ??」
私「え、ええ!あっあのっ(トイレを手で指し示しながら)お手洗いでなおされた方が、きっと…いいです(だんだん小声)」
社長さんは無事トイレに入っていかれました。ほーーーっっ
まさかのトイレットペーパー引きずってはないけどぶら下げ事件、こんなベタなネタが社長さんというオオモノ登場人物で私の前に展開されるとは。
席に戻っても誰にも言えないよ。。。面白すぎるのに。社長、わたしは社員達におけるあなたの名誉を守りぬきました。でも言いたい!誰か聞いて!!というわけでここでブチまけ。ぶっひっひーっ(ジェレ美)

(寸評)それはぶちまけるしかないね!
本当、社長は助かったと思うよ。
でもまさかペーパーにう○こは付いてなかったよね・・・。 9ポイント。

Jigoku

こないだ。職場の休憩室で昼飯をもそもそ喰らっていると、戯れに電源を投入したテレヴィジョンのニュース番組で「小4教師を処分 算数の授業で18782(いやなやつ)+18782(いやなやつ)=37564(みなごろし)と発言、教育委員会が不適切と判断」なんて事件? が紹介されていました。

はぁ・・・ 世間はかくも冗談の通じない時代に成り果てたのですねぇ。
私は先生がこういうブラックな語呂遊びをするのが大好きで、もっとやって欲しい、という真っ当な社会人の風上にも置けぬ腐れ外道なのですが、たしかに教育上は不適切とはいえたかだかこの程度の言葉遊びを槍玉にあげて処罰するなんて、親御さんや周りの先生も心がせっばいのぅ、と思わざるを得ませんでした(異常者の戯言だ、と聞き流してくださいね)。

そんな私の子供時代。教師は木の棒で出来の悪い児童をバシバシ殴り、私など「1+1はなんで2になるか理由を答えろ」なんて禅問答を仕掛けられ泣きベソかくまで詰問の上1時間立たされた、なんてことも経験しました。

その難問で以前にも投稿した4年生の担任N野は、それこそ37564、みたいな誰を指したものでもない言葉遊びを越えて、いち児童を標的にして暴言を吐いた、もとい黒板に記したのです。

私と並んで肥満体だった、いつも徒競走でデブチームでひとくくりにされていたニシマル(蔑称ニクマル)くん。太っている、という事実だけでおちょくりの対象になるのは今も昔も不変ですが、N野はローマ字の授業で「お前らこれ読めるか?」とチョークでこう 書き殴りました。

“Nikumaru wa itta Tengoku e!”

読める私は、小学生特有の残虐さで爆笑しました。が、読めないニシマルくんはきょとん、としています。教室の半分くらいはケタケタ笑っていました。私に至っては「これ読まれへんひとが可哀想や!!」と狂喜して笑いまくるという魂の底まで腐敗したくそ下衆な餓鬼でした。

調子に乗ったN野は、さらにTengokuの部分をJigokuに書き換えて読める子大爆笑、ニシマルくんを含めた読めない子チームはますますきょとん、とするのでした。

当時は爆笑していた最低の子供・私でしたが、あらためて思うとこれこそ教育者がやってはいけない問題行為ではないでしょうか? あきらかにいち児童を特定して貶めており、しかも当人に理解できない手法を使うという陰湿さ。大人になって振り返れば、このN野が本当に酷い教師だったことが解ります。

石川さんの時代の、本人が居ないところで「よそ者の石川君とは遊ばないように」なんて言い放ったそれこそ地獄へ落ちるべき畜生教師に比べればかわいいものかもしれませんが、はっきり言ってかつて先生とは絶対の存在だったのです。親や生徒など逆らう余地すらなかったのです。ゆえに非道もまかり通ったのですね。

どちらの時代が良いか、なんて答えは一概に出せませんが、かほどに教育とおふざけは折り合いをつけるのが難しいものです。誰しも傷付かない、楽しい冗談だけを生み出すなんて大変ですからね。そんなことに時間を費やすくらいなら芸人やれ、って話になりますからね(笑)。

なんにせよ、「教育する」って大変! と、新米父親の私は思った事件? でした。(オポムチャン)

(寸評)まぁ今だったらニュースものだよね。
でも冒頭の話も俺は初めて聞いたがこれが問題になるのか・・・。
俺のようなブラックジョーク好きにはこんなので怒られるなんて表現も何もあったもんじゃないな。
見た目の良い口触りの良いものだけが正とされ広まっていくなんてまさに表層的洗脳。
俺は断固反対ですな。 7ポイント。

10押したら10倍!!!

小学3年くらいのころ。近所の漬物屋のカワキタくんやら4人くらいと遊んでいて、日も次第に暮れかかってきた、そんな時間帯でした。

カワキタくんのおばちゃんが商っている漬物屋さんの通りに、古びた自動販売機が置いてあるお好み焼き屋がありました。
このお話は1986年くらいのことですから、私もおっさんに成り果てたなぁ、と感慨を深くするところですがその時点で古びた自販機ということはもう70年代に設置されたと思しき古めかしさで、果たしてちゃぁんと押した通りの商品が出て来るのかも不安な存在でした。

小遣いの50円は駄菓子屋で使っちゃって、私の嚢中つっても財布なんざ無いのでポケットですが、にはもはや10円しか残っていませんでした。100円の缶ジュースは、私にとって何よりの贅沢で、いつも色とりどりの缶々たちをぢっと眺めるばかりでした。が。
その日私はその古びた自販機に、なんとなく10円を投入し、「これで出てけぇへんんかなぁ」と無駄な願いを込めて、いちばん低い位置にあった10番のボタンを押しました。ほしたら。

ジュースこそ出ませんでしたが、つり銭口から、な、な、なんと100円硬貨がチャリンコンと落下してきたのです!!!

一緒に居たカワキタくん達と私は大騒ぎ、

誰か(忘れた)「すげーすげー、これ魔法の販売機や!!」
カワキタ「ほんまや、増えて却って来るやん!!」
オポ「10倍や! 10のところ押したら10倍になって却ってくるんや!!!」

10円を持っているあほ餓鬼たちはこぞって自販機の前で狂喜乱舞、しかしそれだけ騒いでいたらどうなるか。がらっ。

お好みのおばちゃん「これ壊れてるみたいやな。その100円はお店のお金やからな。返してや」

おばちゃんは硬貨投入口に“故障中”の簡単な紙を貼っ付け、お好みを焼きに戻りました。

・・・・・・・・・・・・
全員、一気にテンションを下げて、散り散り家に帰りました。
大きくなって国語の時間に「沈黙は金」という言葉を聴いて、この時のことを思い出したりしました。黙っとったらすごい錬金術の発見やったのになぁ・・・・・・

って、これ販売機の故障とはいえ犯罪ですよね。バレてよかったー、ってことにしておきます(笑)。(オポムチャン)

(寸評)俺も高校の時サイクリングして友達と自販機でジュース買おうとしたら何と自販機がちゃんと閉まっていなくてジュース取り放題!しかも山の中なので近所に目も無し!
はい、犯罪を犯したことをここに認めます・・・。 8ポイント。

なかなかの引きの悪さやな

今日。課長が、奥様が今日はお家へ帰らないので晩飯は外食だ、と申すので私ものこのこ付いていくことにしました。

課長「オポさん、どっか行きたいとこある?」
オポ「そうですね〜、最近駅の高架下に出来た中華屋さんなんて如何ですか」

ちょうど昨日テレヴィジョンで炒飯特集を視たばかりの課長は即座に賛同、小雨パラつくなか小太りおっさん2名はそこそこ有名な中華料理チェーン店に入りました。

雨の日なので比較的空いておりこりゃ幸い、と店内へ入った途端に我々2名より体格のよろしい無表情なレイディ店員さんが席を案内、この時点ではまぁそんな人も居るよね、程度にしか感想はありませんでした。
課長は炒飯にミニ塩拉麺、私は叉焼麺にミニ炒飯とちぐはぐなオーダーをかまし待ちました。
腹へったなぁ、そっすね、などと雨でヒマだったくせに腑抜けたセリフを吐き合うおっさん達すなわち我々は、体格ラージな店員さんが無造作に放置していったお箸をふと見て、ある種の感動を覚えました。

箸袋に、2本で1セットが基本である筈のお箸が1本しか入っていないのです。
ワォ。アヴァンギャルド。

ちょっとおもろなってきたぞ、と別のお姉さんをぢぃっと見つめると私の視線のきもさに反応したお姉さんがすぐにやって来て、無事にお箸は尋常の2本に復旧しました。

ここまでならまだ良かったのです。次の刹那。
じゅわぁ、という盛大な音と共に店内が真っ白な蒸気? 煙? で満たされました。
わわっ、火事か!? と狼狽した私と課長、しかし厨房はなんら慌てる様子もなく、真っ白な景色の中ふっつうに業務をこなしています。
その後も我々が飯を喰らっている間、餃子を焼く度に店内はもくもくとミスティ&スモーキーな感じに変化するのでした。これ完全に換気がおかしいよね。

もはや半笑いを通り越して表情が硬化してきた我々に、とどめがやって来ました。
先刻から厨房に向かってすいません、と繰り返していた40半ばくらいの兄ちゃんが、いきなりピアノのど真ん中のドから1オクターブ高いドの音で地声で

『すいませぇぇぇん!!!!!!』

と絶叫、X JAPANか、と気をおかしくしていたら、
「さっきから何回呼んでると思てんねん!! もぉええわ、アホンダラ!!!!」
と大激怒、ドアを蹴飛ばして退出してしまいました。
私のときは声すら発さずに見つめただけで飛んで来たのに、何回も呼んでるのに“はーい”も“少々お待ち下さい”もなくただただ放置、ではキレられてもやむを得ません。

飯はちゃんと旨かった(ただ麺は固まってくっついていた)のに気分はじつに不味いことになった我々は、その後黙って飯&麺を平らげ、お会計を済ませて退出、雨の日限定の餃子サービス券がもらえる筈でしたが、レジスターのこれまた愛想の乏しい兄ちゃんはサービス券を出す素振りすらしませんでした。

黙して駅まで歩いた課長と私、別れ際に。

課長「オポさん・・・・・・ なかなかの引きの悪さやな・・・・・・・・・」
オポ「・・・・・・すんません・・・ えらいババ引いちゃいました・・・・・・・・・」

大きなチェーン店と言えども油断は禁物、という教訓を思い知ったレイニーチャイニー飯でした。当該店舗は恐らく早晩滅ぶでしょうがよい経験でした。たはは。(オポムチャン)

(寸評)いや、憎まれっ子世に憚るという言葉もあるからねぇ・・・。 7ポイント。

今まで俺はおまえに何してたんや

友達であり患者でもある、同い年の男の話。

この友達、腰痛と電車内などで15分以上立っていると足が痺れるという症状で治療に来だしたのだが、来る前には病院で手術を薦められていたようだ。それで、週二回から三回の治療で2ヶ月ぐらいで痺れは改善し、その後は腰痛と健康管理のため何ヶ月かに一回、症状が強い時は週二回を数週間といったペースで来ているのだ。

前置きが長くなったが本題はここから。

実はこの患者の実家は静岡県で、やはり腰下肢に症状があるお母さんが京都のこの患者(長男)の家に泊まり込んで治療に来られる事があったのだが、昨年末から鬱症状が出たため最近になって往診を頼まれたのだ。それで、休診日の月曜日を利用してこの患者の車で静岡県の実家へ。思ってたよりはお元気だったのだがやはり鬱症状はあって、京都まですんなりと来られる状況ではなかったのだ。

で、その日の治療を終えて帰った数週間後、やつの知り合いのギャラリーカフェに俺が呼ばれ、オーナーさんにこんな話をし出したのだ。

「あー、この先生が静岡県まで治療に行ってくれはる人?」とオーナーさん。

「そうですそうです」と友達(患者)。

「おーそうなんや、それはすごいなあ」とオーナーさん。

「実はねえ、僕は鍼今まで受けてばっかでしょ。治療してる所は見た事なかったんですけど、母親の治療初めて見ましたわ!」と友達。

「あーそうか、おまえそうやなあ、嫁さん居れへんし人の治療見る事確かになかったなあ。わざわざオカンの治療は見んよな!」と俺。

「そうそう。俺の症状が治ってるからちゃんと鍼さしてるんやろとは思ってたけど、母親の治療でそれがしっかりわかったわ!」と友達。

「おーそりゃそうや、今まで俺はおまえに何してたんや(笑)」と俺。

できるだけ軽い刺激で痛みが出ないような治療方法でやっているし、研修会の実技指導もそのような事ばかり。とは言うものの、鍼治療に違いはない。しかし、現実はこんな鈍感な人も居てはります!(西大路)

(寸評)俺も昔やったけどイメージだとどうしても「鍼を刺す」と言ったら注射を思い出しちゃうからね。
それよりは痛く無いとしてもちょっとはチクッと来ると思うが実際はほとんど感じなかったので驚いた。
でも人が刺してるところ見るとやっぱり痛そうに見えちゃうんだよね。あんなに刺して大丈夫?と。
どうしても刺さってる印象イコール痛いと思っちゃうのは長年の経験からしょうがないのかもね〜。 6ポイント。

やってみよう! オリジナルビアカクテル

先日から他のコンテンツに投稿させて頂いている、2015年11月14日に東京新宿にて開催された「第4回たま鑑賞会」に参加した際のこと、遠方からお越しになった投稿者にしてニヒル牛作家のジェレ美さんがちょっと前に石川さんが日常クイズで問題にしていた青色のビール・網走ビールを都内にて発見、珍しいのでオポさんもどうぞ、とプレゼントしてくださったのです。

ワォ。なんとも面白そうな酒精を頂戴したものです。基本来るものは拒まない遠慮のかけらもない私は青色あざやかな流氷ドラフトを有り難く頂戴し、大阪へと持ち帰ったのでした。

ほんで2日後。お風呂上がりに、私は配偶者を呼び寄せ言いました。

オポ「やい狸子、愉快なビアをもろたから飲まぬか」
嫁はん「へぇぇ、青いビールとな。しかし私もオポムもビールはさして得意ではないだろうが」

・・・・・・そうです。私も嫁はんもまったくの下戸というわけではありませんが、飲み会で付き合い程度に呑むだけで家呑みの習慣はないのです。

まぁしかし大変珍しい飲み物であるので、まずヴィジュアルを楽しむことにしました。
結婚記念にもらってからほとんど使用していないシャンパングラスを取り出し、流氷ドラフトを注ぎます。ほぉぉっ、見たこともない美しいブルーのお酒がろくに酒を嗜まない我が家に顕現しました。ちょっと面白いので古代電話でパシャパシャ撮影しますがなかなかこの青は写真に映すのが難しかったです。
しぱしぱ発泡する綺麗なビールを嫁はんとこくり。う〜んこれが網走ビール。あくまで味は一般的な発泡酒でした(笑)。

3口くらい呑んだ嫁はんはもう満足、残りは私が頂戴するわけですが、前述のとおりあまりビール系酒精の味が得意でない私、せっかくジェレ美さんに頂いたのに美味しく頂戴しないと勿体無いような気になってきたのです。
・・・そうだ、私はビールそのものは得手ではないが、ビアカクテルのあのほれジンジャーエールで割るやっちゃ、そうそうシャンディガフ。こどもビールみたいなやっちゃね。が好きなのだった。
ではこの素敵ビールも私好みのビアカクテル化してしまえば良いではないか。そうしようそうしよう。

とはいえ当家にジンジャーエールは常備していません。買いに行くったって嫁はんは私が帰宅後何処かへ出掛けることを異常に嫌悪しているため、いまあるものでこさえる必要があります。
我が家に常備しているカクテル化に活用できそうなもの・・・ それはカルピス。いやちょっとちゃんとしたカルピスですよ、やだもうへんな想像しないで下さい。

私は約半分になった流氷ドラフトに、原液と炭酸水を1:3で混ぜて作った濃ゆめのカルピスソーダを合わせ、それはそれは卑猥に白濁させました。網走ブルーが台無しです。私は侵された青を悼んで、この新しいビアカクテルを「オホーツク・ハラスメント」と命名しました。あっ「オポーツク〜」、の方がいいかな? どっちゃでもええわい、たわけ。

私の配合の読みは見事に当たり、ビアのほろ苦さを残しつつも程よい甘酸っぱさが好ましい中坊の好きそうな味わいに仕上がりました。エクセレント! 爽快に飲み干し、私はたいへんご機嫌で日課の投稿に取り掛かったのでした。

ただ問題なのは見栄えが実に台無しになるのと果たしてこんな狼藉を働いて提供者のジェレ美さんがお怒りにならないか、という点で、あまり得意でないんなら貰うなあほんだら、といったご指摘も寄せられそうなのであほな己れを戒めるために「おバカ」に投稿させて頂きました。網走ビールさんならびにジェレ美さん、ごめんネ☆(反省の色なし) (オポムチャン)

(寸評)ちなみにジェレ美さんはホテルにビール忘れて来たそうです・・・。7ポイント。

熱海

鍼の研修で高知県によく行く事は時々話題にしてるが、所属の研修学会長を含む指導部数人を高知から呼んで一泊二日で研修会をやるという、京都合宿と言われるものが年1回あるのだ。

この時の高知からの交通手段は伊丹までが飛行機、伊丹から会場までは会員の車かジャンボタクシー。

ところが、今月行った研修会の二日目、高知の指導部の一人、

「連休最終日やから渋滞してるか?ここから熱海までどれぐらいや?」

「おー、熱海ですかー。今日この後伊豆半島旅行ですか?(笑)」と俺。

「あー、熱海は伊豆やなあ、まあそれも良いけど伊丹や伊丹!」と指導部の一人。

「まあ熱海までやとどれぐらいかかりますかねえ?」と俺。

「おまえまだ言うか」と指導部の一人。

今回の会場からやと、伊丹までは1時間ぐらい、熱海までは直で行った事はないものの、5から6時間ぐらいかなあ。ちなみに京都主催ではあったのだが今月の会場所在地は大津市でした!(西大路)

(寸評)流石に関西から熱海はないか。
有馬温泉ぐらいで妥協しなはれ! 6ポイント。



トップに戻る