(28)
ここは自分のまわりのおバカな奴の行動・言動などを紹介するコーナーだ。
なるべく本人を直接見たり本人から直接聞いたものが良いが、信憑性が高ければその友人ぐらいまではOK。もちろん人間じゃなくてもかまわないぞっ。
さぁ、まだ世間に埋もれている貴重なとっておきのバカを紹介してくれいっ!
メールにて投稿は題名「おバカ」で、末尾に自分の名前を入れてね。
ポイントは3ポイント以上〜ーだっ! ダ〜〜〜ッ!!
何処いくねん、俺。
私が行き当たりばったりストないしはばったラーであることはこのコーナーで重々書き連ねておりますのですが、近頃気がまぐれやすいというか何なのか休みの日にふらっと出掛けるととんでもない場所まで行ってしまうことが多くって困ります。ひとつひとつ拾えばネタとしてうすいので、ここ最近の3つくらいをまとめて挙げてみますね。
2015年9月中旬。お休みのお昼、嫁はんとぼうずを伴って近所のドラッグストアへ買い物に。
とくにすぐ冷蔵庫に入れないといけないものは買わなかったので、ちょいとドライヴしてこまそか、となんとなぁく大阪の大動脈・新御堂筋へ車を走らせ、嫁はんと「昔この先の長いトンネルをK山と越えたなぁ」とか喋ってたらほな行こっか、となり突入、気が付けば家から遠く離れて山中を30kmほど走り回り、お隣の兵庫県の一庫(ひとくら)ダムのある知明湖ほとりの一庫公園の見晴らしの良い駐車場に辿り着いていました。
なんでやねん。
ちょっと買い物帰りに軽くドライヴしようと思ただけやのに、なんで家から山方向へ20kmそこらも離れた自然いっぱいの公園に到着しとるねん。
まぁともかく辺鄙なところにある公園なのである種穴場で、なかなか他にない面白い水遊び場がありぼうずも楽しめたのでよしとしましょう。
同年10月最終日。土曜のこの日、普段からぼうずの相手でくったくたの嫁はんが「ワタシカイモノイク。オマエラドッカアソンデコイ」と心のエネルギーを補給せんがためにこの日を自己解放デーと設定、我々すなわちぼうずと私は家に居ても仕方ないので大阪梅田へ出掛ける嫁はんに追従して阪急梅田駅で嫁はんを解放、そこから何処なりへと放浪することにしました。
オポ「ぼうず、なんか乗りたい電車はあるか」
ぼうず「はんしんでんしゃ」
そう、私ども豊中市民(大阪北部)は阪急電車には馴染みがあるのですが、大阪の中心部梅田から甲子園を経てまっすぐ神戸方面すなわち西へ延びる阪神電車にはあまり接点が無いのです。というわけで、嫁はんが買い物をしている間にちょろっと乗って、ほどよいところで下車、折り返し梅田へ向かえばいいものの。私とぼうずは特急電車に乗り込み、気が付けば神戸さえ通り越して終点須磨浦公園駅の3駅手前の月見山駅で下車、須磨離宮公園でアスレチックに興じた後浜辺へ、海へ沈みゆく夕陽をバックにぼうずの写真を携帯電話で撮影していました。
なんでやねん。
ちょっと乗って梅田へブーメランしたらよろしいものを、なんで梅田から西へ遠く30kmも離れた須磨の地で2人して山中のアトラクションを楽しんだ挙句海を見て黄昏れとるねん。
まぁ現在地を伝えたところ嫁はんが吃驚、ぜんぜん梅田に戻ってこないので痺れを切らして1人で家に帰りかけましたがどうにか合流できたし、ぼうずもはじめてのアスレチックと生涯2度目くらいの海を見て楽しめた様子なのでよしとしましょう。
きのう。かねてから気になっていた近所のラーメン屋さんに車で行ってみよう、とさんざん並んでたらふく喰らってご機嫌な我々、食後にこのまま帰宅するのもつまらぬから、天気もいいし何処かいってみようか、と嫁はんに問うと、「ちょっとだけ行ってみよか」と返事。さてちょっとこの道をまっすぐ進んで行ってみよう、とノリノリで突き進んだ結果。1時間後、気が付けば我々は西宮名塩ニュータウンの斜行エレベーターを昇りきった場所で、スズメバチの羽音に戦慄していました。
なんでやねん。
ちょっとお出かけ気分で車をまっすぐ走らせただけやのに、なんでまた住みもしてない西へ15kmも離れた他県ニュータウンのけったいなエレベーターを楽しんだその上さらに、冒険広場の全長80mのローラー滑り台でケツを摩擦してアヒアヒ言うとるねん。
まぁたまたま通りかかってノリで訪れてはみたもののあの山中に突如現れる一見異様な建築群はいつも中国自動車道から見て気になってたし、珍しいもんも乗れたしぼうずも喜んだのでよしとしましょう。
ひとつ問題があるとすれば、このように休みごとにちょろっと軽ぅくお出かけするつもりがいつもアドリブの遠出と成り果て、自分の体力のキャパ以上に行動してしまうが故に帰り着いた時にはぼうずを除いた我々メオトがほとほと疲れ果ててしまうという点で、ほんだらもっと近場でお手軽に遊んで帰れあほんだら、というお声が聞こえてきますがそれはもちろんごもっともなご意見です。
しかし、わざとやってるんじゃないんですわ。なんかこうなっちゃうんですわ。
折角の休みを、私はむざむざ消耗に使いたいわけじゃありませんのです。でもちょっと車に乗ると、なんでか行ったことも無い場所へとハンドルを切って(ないしは切らずにまっすぐ固定して)しまう傾向があります。
おそらくそれは幼少のころから挑戦や冒険が大嫌いで内籠もりな次男坊だった私の、おっさんになってからの探究心の開花、なのかもしれませんがただ単に物事をよう決めない節度を知らぬあほ、と言い換えた方がきっと正しいのでしょう、ね。
あほであることは生き恥も多く悲しいですが、あほがゆえに楽しめる世界もあると思います。どうせこの歳からあほが改善されるでもなし、あほであることを面白がれるくらいまで開き直れればいいな、と今日もあほあほ生きています。今週末はせめて1日寝てたいですけどね(笑)。(オポムチャン)
(寸評)「おっさんになってからの探究心の開花」と思ってるかもしらんが違うで。
あんたは坊主に操られてるんや。知らんうちに。
坊主にはその才がありあんたはそのただのマリオネットなんや・・・。 8ポイント。
津軽海峡大爆笑
中学1年の冬。幼少の頃から暮らした大阪市を離れ、北隣の豊中市へ転居を余儀なくされたオポム家。それまで見知った連中と狭い狭いコミュニティしか形成してこなかった私は案の定新しい環境にまるで馴染めず、友人を作ることはおろか級友に話しかけられてもろくな受け答えもできず孤立、休み時間はひとり机に顔を伏せて泣いている、といった無様なありさまでした。
そんな中でも、ちょくちょく話かけてくれたのが野球部で坊主頭のヒラノ君でした。後になってちょっとやんちゃなグループに属していると知ったのですが、親しげに接してくれるので私は好感を抱いていました。
ある日の体育の授業。運動神経が通ってないに等しい私はここでも駄目人間っぷりを発揮しますます居場所を失っていきました。校内で笑顔を見せる機会など、もう訪れそうにありません。
ちょっとした笑いの輪ができても一切表情を崩せないほどに心を閉ざしていた私ですが、その体育の時間バスケットボールを倉庫から出しつつ鼻歌を歌うヒラノ君に遭遇し、異変が生じました。
ヒラノ君は長身でスポーツマンらしい体つきの割にまだ声変わりが始まっておらず、女性と同じキーで見事なコブシとビブラートを以てこう歌いました。
ヒラノ「♪上野発の夜行列車降りたらコケた〜〜」
何ら変哲もない、他愛も捻りもない替え歌。しかし「♪〜降りた」まで音程まで完璧なマジ歌いだったところへさしてまさかの新喜劇的なボケに、私の中のなにかが崩壊しました。
オポ「ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっひゃあっはっはっはっはっはっはっははははははははははははははは!!!!!!」
ヒラノ「・・・なっ、なんや!?」
オポ「あっひゃひゃ、うへはひひひひょうゎはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!!」
ヒラノ「なんやこいつ、気っ色悪ぅ・・・・・・」
いやいやいや津軽海峡冬景色て。ほんで音程もコブシも完璧て。しかもボケて終わりて。無理無理無理無理笑わんなんて無理。
それまで張りつめていたものがばりんと破れ、完全にツボに入った私はしばらくそのまま笑い続け、ますます級友が近付きがたい無気味な存在に成り果てたのでした。私がまっとうに級友と呼べる存在を得たのは、それから半年後、学年が上がってからのことでした・・・。それから幾星霜、私のきもさはいっこうに改善される兆しはなく、40前にしてますます悪化の一路をぐんぐん突き進んでいる次第で御座居ます。もうこの際そんなぼくがすき。(オポムチャン)
(寸評)笑いのツボはひょんなところに落ちている。
そしてそれは自分にだけ起こることもままある・・・。 7ポイント。
修学旅行一日目
中学の修学旅行一日目の事。
その前の日まで同級生の一人が熱を出して休んでいたのだが、平熱になったという理由で出発。ところが、新幹線に乗った直後から顔が赤くなっていくどころか、湿疹みたいなんが出だしてきたと先生が騒ぎ出したのだ。これはやばいで。
とりあえず乗り換え駅の広島駅ビル上階にある病院(はっきり覚えてないが)で診察を受けることになったやつ。はーい、診断名は麻疹。
付き添いの先生の一人と新幹線で京都に戻って行ったのだった!(西大路)
(寸評)先生、旅行先で酒飲みたかっただろうな・・・残念! 6ポイント。
急ブレーキ
これも中学の修学旅行中での事。
二泊三日で広島から鳥取にかけて行くという行程だったのだが、二日目の昼から夕方にかけて、広島から岡山駅乗り換えで鳥取へ移動。当時は智頭急行がなかったので、岡山からは津山を通る鳥取行に乗車(実はこの時、上に書いた麻疹のやつに付き添って帰ったはずの先生も乗り込んでいた)。
津山駅に止まったら別の先生の一人、「ここは去年も来て止まってる時間長かったし何か買ってくるわ」と言って降りて行ったのだ。
しかーし、ここまで読まれた段階で皆さん予想できたでしょ?はーい、すぐに出発、ところが俺を含む見えてない者は、出発直後の急ブレーキの意味がわからないのだ。騒ぎ出していたのは先生たち。
はいはい、降りた先生は車両を追いかけ、それに気づいた運転士さんが止めて乗せてくれたという、学校上げての恥ずかしい話になったのであった!(西大路)
(寸評)生徒の前での先生の失敗は恥ずかしいよね。
高校の時海外にホームステイの短期留学があって俺は行ってないが行った奴の話によると飛行機のトイレの扉が揺れでいきなり開いたと思ったら、中で男の先生が自分のチンコ握ってた。
先生は焦ることも無く生徒に「センズリ!」と言ったそうな。 7ポイント。
おー、太平洋綺麗やなあ!
中学の修学旅行三日目は鳥取砂丘。あのような広い所では全盲であっても何も気にせず歩き回れるのだ。一応近くに先生は居たのだが。
さて、波の音の方向に向いて立っていたら、別のおっさんグループが大きな声で海に向かって言ったのだ。
おー、太平洋綺麗やなあ!
先生を含む俺らグループ全員がその場でずっこけた事は言うまでもない!(西大路)
(寸評)どうせならエーゲ海と間違ってほしかったね。 6ポイント。
服って邪魔
連投、失礼致します。
ドキリコの方に投稿した通り、いきなりハンマーダルシマーを始めました。
プロのダルシマーになるべく、スパルタ教育を、他の生徒さんが半年かけて学ぶ分を1時間で詰め込んで帰りあとはひたすら個人練習の日々。
毎日「今日のサリーガーデン」と称し、まだまだどヘタな演奏音源を先生に送りつけるという半分嫌がらせの様な事をしておりましたら、先日、先生のライブを聴きに行った時に
「え〜実は今日はダルシマーの大先生が客席にお見えになっておりまして(笑)」
と先生が私を紹介。
「止めろっ。」
「先生、是非お得意のサリーガーデンを。」
「コロスっっ」
お客様も冗談だと察してくださり、先生も私がマンドリン奏者で新人ダルシマーであることを改めて紹介してくださったので本番中に恥はかかずに済んだのですが打ち上げの時に「はい、じゃあ臨時レッスン。座って弾いてみて」と言われ、初めて先生の前で演奏。
そこそこ上手く行ったので「じゃあ動画撮りますよ〜」とipadを向けられた瞬間萎縮してグッダグタになり、テイク10まで粘ったのですが、結局その日は良いのが撮れませんでした。ああ、弱っちい。
帰り際ヘコんでいると先生から
「いや、実は感動してるんです。まだ始めて4日でしょ。めちゃちゃんと弾いてくれてるのスゲー嬉しい。今度は動画撮りましょうね」
ほめ言葉は100パーセント鵜呑みにするタイプ。
何とか先生のご期待に応えたい。良い動画が撮りたい。
家で色々試してみた結果。私気付いたんですが演奏するのに
『服って邪魔』
ですね!!
石川さんが「本当は裸で叩きたいくらい(笑)だけどそうもいかないので、1枚ずつ服を脱いで最終的にランニングになった」
と以前お話されていたのを思い出し、私もやってみました!!
1枚ずつ脱いで行きました!!
袖の部分がなくなった(ブラ1枚になった)瞬間、打点がしっかり合う様になり打ち間違いがなくなり自由に弾きたい様に弾いている自分がいました。
おーっっ!!これはっっ
ひょっとしたらこれ(ブラ)も取ったらもっと上手く弾けるかも!!
誰が見ているわけでもありません。
自分の部屋で一人ですから、ためらうことなく脱ぎました。
上半身マッパになっての演奏。上手く行ったら勿体ないのでそのまま動画の撮影もしてみました。
安心してください。履いてますよ。じゃなくて、映っているのは楽器と手元だけです!!
そして私の読み通り、ノーミスでそこそこノリも音色も良い、今までの動画の中でも最高の物が撮れたのですっっ
「やったーっっこれを是非先生に〜♡」
早速送ろうと思ったのですが、一応チェックしてみようと再生。
ああ・・・・アカン。
演奏が?いえ、演奏はとても良かったのです。けど。
アカンものが写ってましたわ。。。弦を叩く腕の隙間からチラチラとパイオツがねぇ。。。ふぅー・・・。
これそのまま送ってたら、完全にセクハラで訴えられてましたわ。
いや、ワイセツ物ナントカ罪か。。。
おーヤベーヤベーっっ!!
すごすごと服を着てもう一度撮影。
案の定上手く行きません。結局数か所ミスがあるものの中から一番マシな物を先生に送信しました。
不本意だ。。
ああ、さっきの最高の「今日のサリーガーデン」を聴いてもらいたかった。しくしくしく。。。
まあ裸の時しか上手く弾けないって言うんじゃ、ライブでは使えないんですけどね。
早く服を着ていても上手く弾けるようにならないとなぁ。
もしくは私もダルシマーの時は石川さんとお揃いの衣装に!?
おススメのランニング、教えてくださいっ!!(でゅおめいぷるようこ)
(寸評)薄い紗の布の向こうで全裸で演奏してみたらどうだろう。
見えそうで見えないチラリズムのお色気とダルシマーの華麗な演奏の融合。これぞ「美」也!
良かったら紗の向こうにホルモン鉄道もパンツ一丁でお供しまっせ! 9ポイント。
・・・・・・・・・こっちが持たんわ
過日。嫁はん・ぼうず・私の3人は階下の義叔父の部屋に居りました。その日は有難いことに叔父さんが料理を作ってくださるとのこと、昔から庭いじりや料理の好きな叔父さんは仕事育児に疲弊した休日にしばしば我々に夕食を振る舞ってくださるというたいへん奇特な方で、体力がなく料理もあまり得意ではないオポム夫婦はそれに時々甘えさせてもらっています(光熱費等の生計は別のセミ2世帯スタイルで、基本的に平日は互いに干渉をしません。際限なく頼っちゃうからね)。
そんな夕飯時。叔父さんは調理、嫁はんはぼうずの相手、私はやることが無くなりリビングの隣の部屋で新聞を閲していました。
するとごてんばしゃあ、と何かがひっくり返った物音。
嫁はん「ちょっと父さん、拭いて!!」
どうやらぼうずがお茶の入った湯呑みをこかした様子です。
私はこの嫁はんの声を聴いて、咄嗟に階上へ走りました。
その次の瞬間、嫁はんから
「何処行くねん!! こっちで呼んどんねん、お茶拭いてって言うてるやんか!?」
と叫ばれました。
私の考えはこうでした。
お茶を拭いてと言われた→ぼうずの相手をしているはずの嫁はんが何故か拭けない→つまりその場にタオルが無いまたはぼうずの粗相で叔父さんのタオルをびしゃびしゃにするのは悪い→では2階すなわち我々の居住空間からタオルを持ってきて拭くべきである
と自分のなかではまことに理にかなった行動をとったつもりでしたが、叱られました。
どうも嫁はんは調理の手伝いをしていたらしく、手が離せないので拭いて欲しかったようですが、まさか2階に拭くものを取りに行くなんてわけのわからない行動に出るとは夢にも思わなかったようです。拭くものなんてそこいらに台拭きやティッシュやらいくらでもあるのでそれで拭けば良いだけの簡単な話なのです。
しかし、私にはそれが全く解らないのです。
昔っから「そんなこときっちり説明せんでも前後の状況をちょっと考えたら解るやろ!?」というケースでは毎回このように勝手に暴走して頓珍漢な行動を取ってしまうのです。
1から10まで丁寧に説明されてもそのとおりに出来ないのに、ちょっと聴いて状況を把握して素早く行動を取る、なんて高度な真似が私にどうして出来ましょう?
ゆえに私は業務上の指示やお使いがまるでまともにこなせず、勝手な解釈をして泥沼化してから叱られる、という繰り返しをしながら生きています。
オポ「ごめんね、とにかく具体的に指示されないとテンパってありえない動きをするから気をつけて」
嫁はん「・・・・・・・・・こっちが持たんわ」
結婚してみて、まさか夫にした男がここまですかぽんたんだとはよもや思わなかったことでしょう。しかし治らないのです。頑張ったら治るかなぁ。でももうこれで40年近く生きてきたからなぁ。努力するだけ徒労かなぁ。たはっ。かわいそうな、私の周りの皆様。生きててどーもすいません。てへっ(嗚咽)。(オポムチャン)
(寸評)いや、たいていの男はそう。具体的な指示が無いと動けない。
考えた行動のつもりが裏目に出る。男とはそういう生物。
なので奥さんには常に具体的に注文をしてもらう。「だいたい分かるやろ」は分からない。
俺もそうだし、他の夫婦喧嘩とかも聞いてるとそういう勘違いから始まる喧嘩多いみたいだから注意ね。 6ポイント。
おバカバン
いやいや大谷氏の「伯母の財布」的なやつじゃなくて。鞄にまつわる私の馬鹿話です。しかしほんとに「私のまわりの」じゃなくって「私の」馬鹿話ばっかり書いてるなぁ・・・ いまさらながら反則続きで恐れ入ります。
こないだ。職場の要の課長がお昼から出張に出かけてしまい、店舗に残されたのは店長・58歳後輩・ほんで私。店長ができるのは後方の総務的事務作業がメインで、販売営業窓口はほぼ役に立ちません。58歳後輩はさすが私が指導しただけあってあらゆるスキルが低く、端末機を叩くのが非常に遅いので任せていたらまるで仕事が進んでいないなんてな状況、ややこしいお客さんは全員私が引き受けることとなったうえ書類検査が出来るのも課長だけ、つまり私は自分で引き受けたややこしい仕事を自分で検査して所轄の事務センターへ送付せねばならず、こんなてんてこまいの状況であほの私がミスを犯す可能性は無限大に近いわけでまたじきに給料が下がることでしょう。なんでこんな人員配置なんだ本社よ。課長ひとり居らんかったらぜんぜん回らへんやないかい。なに? 勤続14年の社員がいたら普通は回る? だれそれ? あっっ、私だ。てへっ。
てなわけで終業間際までややこしいお客さまの対応をしたがためにまるで残務処理ができなかった私はなすすべもなく残業、ようやく片付きべっろんべっろんにくたびれてお店を出ようとしました。すると。
店長「オポやん、今日わし車で来てるから乗って行かんか?」
なんと。店長は大阪北部の豊中市の私の家の隣町・車で5分程度のところに住んでいます。これは疲れた心身に有難い。私はお申し出を感謝し、助手席に乗っかって黒の背負い鞄を後部座席に放り込みました。
車は快調に進み45分で私の家の近くまで到着、電車とバスを使うより15分早く着きました。ありがとうございます店長。
さて後部座席を探りますが坂道やカーブで座席下の足元に落っこちたようで、シートには見当たりません。そのうえ夜で車中は真っ暗です。
ようよう鞄を探り当て、よっこいしょっと担ぎ上げ、店長に一礼して家へ歩きます。
オポ「ただいま〜、遅なって申し訳・・・」
嫁はん「(遮って)ちょっと、どないしたんその鞄!!?」
オポ「はゃ」
不明瞭な間抜けな発声をかましたあと己が背負っている重たい鞄を見てびっくり、我が家には無い黒ベースに赤のメッシュ地が付いた背負い鞄だったのです!! こ、これ、店長の背負い鞄やぁぁぁぁ!!! なんということでしょう、店長も車中おんなじ場所におんなじくらいの大きさの背負い鞄を置いておったのです! そのうえ暗い暗い車中、私は疲れもあってまるで疑いもなく手に取った鞄を我がものと疑わなかったのです。
私はあわてて店長に電話、すでに店長はご自宅に帰り着いたところでした。
オポ「すっすいません、私店長の鞄を間違えて持っていきました」
店長「・・・うっそぉ」
私は店長の鞄を担いで表へすっ飛び、30分待ちました。取りに行くと申しましたが来てくださるとおっしゃるので待ちました。ここから車で5分の筈なんだけど待ちました。行き交う車たちのライトが幾度も眩しく過ぎ去りました。
ようやく現れた店長に平謝り、ガッとUターンして去って行く店長を見送った時点で職場を出てから1時間20分経っていました。
・・・・・・電車で帰ればよかった・・・・・・。
鞄には財布と翌日の研修資料も入っており、当日中に奪還しないとどうにもならないところでした。これで携帯電話まで鞄に入れていたら、店長の電話番号などどこにもメモしてないのでゲームセットになるところでした。辛うじて電話はポケットに入れてて良かったです。
ただでさえあほのところへさして疲れ・夜の闇が加わって間抜け度を増した結果の間違い事件。嫁はんも結婚して12年間近で「ここまでとは思ってなかった」と呆れかえった、おしなべて直感で動いてしまうアラフォー頓珍漢のお話でした。ちなみに鞄の重さはぜんぜん違いました。自分のが半分の重さでした。気付けよ。頼むから。俺。ははは。(オポムチャン)
(寸評)ちなみにその結婚して12年の奥さんも時々他のんとすり替わってるけど気づいてないな。 7ポイント。
熱いっ? その1
私はたいがい頭の中がゴッチャゴチャ。
その日も翌日のライブで着る洋服を何にするかのさなかに、やらかしてしまいました。
石川さんが『ランニング』に落ち着いたのは、一番パフォーマンスがしやすいからだと以前伺いましたが
私の中にも「演奏しやすい服」の定義がいくつかあります。
ここで全部を紹介しても「誰が興味あんねーん!」とツッコまれそうなので割愛しますが、その中に「滑らない生地の物」というのがありまして
シルクなどのツルツル生地は苦手で、綿が一番演奏しやすいのです。
ですが、日頃の不精がたたって、その日、演奏に適した服がどれもシワシワなのに気づきました。(洗濯はしてあります、為念)
「久々にアイロンでもかけるかぁ〜」
アイロンを温めている間、翌日の現場への行き方や電車の乗り換え、セトリの事など色々頭の中でぐるぐる考えてしまったのが悪かったんです。
ようやくアイロンが温まったので、洋服を広げてその上をアイロンをスーっと滑らせた途端に太もも前に激痛がっっっ
「んぎゃーっっ!!」
飛び上りました。
熱くて!!
そうなんです。アイロン台が目の前にあるのに、正座した自分の膝の上に洋服広げてアイロンでジュッってしちゃったんですよねー(;´Д`)。
いくらスカートを履いている上からだとしても、スカートの生地の厚みなんて大したことありません。
いくら足に肉がたっぷりついていようと熱いものは熱い。
「く〜ッッッ( ;∀;)」
痛みと自分のおバカ加減に落ち込んで暫く立ち直れませんでした。
楽器を乗せる方の足でなかったのが不幸中の幸い。
アイロンは気持ちに余裕のある時にかけよう。
これからは溜めないで、毎回洗濯のあとに即やろう。
と心に決めました。(でゅおめいぷるようこ)
(寸評)昔、喉にいいとアイロンを生首にかけてもらってた。
あ、もちろん火傷しない低温でね。
でもこれってやりがちなミスだよね〜。気持ちは分かる・・・。 7ポイント。
熱いっ? その2
足を負傷しながらライブ当日。
現場はおシャレなアイリッシュパブです。
出演者はドリンクサービスなのに、一滴もアルコールがダメな私はジンジャーエール。にしたいけど歌があるので炭酸はよくないな、と思いウーロン茶をオーダーしました。
自分の席の後ろの棚に「お水」「ウーロン茶」それに現場入り前にコンビニで買ってきた「ホットコーヒー」を並べました。
曲と曲の短い合間に補給するので、ペットボトルだと蓋を開けるのに時間が掛かるしグラスだと持ち上げてかっくらう感じがよろしくないと以前指摘されたので、時間短縮と飲むのが目立たない様にするためにいつも「マイストロー」を持っています。
それをお水にさしたつもりでした。
はい。タイトルからだいたいお察しだと思うんですが、そうです、ホットコーヒーです。
冷まそうと蓋を開けたコーヒーにストロー・・・。
あー恐ろしい、なんてこと。
本番が始まる直前に、自分の中ではお水のつもりで、ホットコーヒーをストローで一気に吸い上げていました。
「Σ(゚Д゚)あっっつ〜っっっ」
はぁはぁ・・・
のどがヒリヒリ。始まる前からグッタリしてしまいました。
共演者Oさんに「えっと、グ、グリーンスリーブス、今日はEmにしようかなぁ、あの喉の調子が今、急にちょっと。。」と訴えようとしたらOさんがもう一人の共演者のIさんに「グリーン・・・F#mでいける?」と訊いている。
Iさんが「あー全然いけますよー。」と答えてる。(普段はEmで弾いておられる)
私が「あのっEmで・・・」
と言ったのを、遠慮していると思われたのかIさん「大丈夫大丈夫、F#mでも弾けますよ!(^^)!」と。
Oさんも「ごめんなー。Emだと歌がちょっと低いみたい」とか。
「いえ!!私がEmで歌いたいんです!!」
Oさん「F#mの方が高音綺麗だからいいよ♡」
Iさん「そうそう。気にしないでF#mで♡」
二人とも優しいね♡
いや、ちゃうねん。二人ともオレの話を聞いてくれ。。。
Emで歌わせろや〜・・・・(;´Д`)
結局は喉のヤケドは歌には直接影響しない事が分かりました。
ヒリヒリはしてるけど声は出るのだなー。
だけどもうコリゴリなので、ホットコーヒーを現場に持ち込むのは止めにしようと思いました。
2日続けてのヤケド。典型的なおバカです。(でゅおめいぷるようこ)
(寸評)確かにおバカだ(笑)。
でもライブハウスによっては「ステージ上はペットボトル以外不可」のところも増えてるね。
多分こぼした時に一気に出ないから被害が最小なのだと思う。 8ポイント。
この曲の名は・・・
宴もたけなわとなり、一番盛り上がるラストの前に、少し時間があったのでしっとりとした曲を急遽やる事になりました。
タイトルは「シーベックシーモア」
「大きな妖精小さな妖精」という意味なので、Oさんはこの曲をやる時にちょいちょいMCで「ようこさんは出会った時から僕の中では妖精で・・・」というのを入れてくるんですが、いまだ誰からの賛同も得られずその日も見事にスベった後、演奏が始まりました。
楽譜は持ってなかったけど多分いけそう・・・だけど
念のために1回目はIさんのソロで始めてもらいました。
(その間に思い出せという意味で)
曲が始まって「あーこの曲か!よしよし」と思ったはずでした。
なのに、2回し目、私が弾き出したのは全く違う曲だったようです(;'∀')
演奏中の会話。
Iさん「おーっっ!?そうかーそうきたかー(笑)!」
私「あれ、こ、この曲じゃないか!?」
Oさん「うん。どっかで戻そう。どっかで戻せる?」
私「無理かも。私これなに弾いてるの?」
Oさん「ファニーパワーですね。同じ作曲者の作品ですね」
Iさん「スゴイっOK!!じゃあ僕が戻しますね〜」
ああ・・・・おバカすぎる・・・・orz
結構本気でヘコみました。
終わったらお二人に、ジャンピング土下座しないとな・・・そう思ってたんですが
Iさん「ん?知らん曲始まったぞ!!なんて鋭い変化球を投げてよこすんだ!!と思ったらまさかの無意識でビックリ(笑)面白かったー」と言ってくださりOさんは「確かに同じジャンルの曲だからね。まあそういう所が『ようこさんは妖精』たるゆえんだからね〜」となぐさめてくださいました。
調子に乗って「あ、じゃあこれ妖精のイタズラじゃない!?」と私。
「ちげーよ!オメーの勘違いだよ!!」とのツッコみ待ちでしたが、普通に「そうかもしれませんね」とか言われてしょぼ〜ん。(ノД`)・゜・。
ああ、、、こんなんで次、仕事くるかなぁ・・・(でゅおめいぷるようこ)
(寸評)完璧に何でも引きこなすのもスゴいけど、ドジは愛される。
どっが得かは分からないよ〜。おバカで良かったね! 7ポイント。
おバカズー
当HPコンテンツ「初体験」へ投稿した、「はじめてのカズー購入」の続きです。こういうコーナーまたがって話するシリーズ、正直鬱陶しいですよね。すいません・・・って誰も読んでないか。夜風が沁みるぜ自意識過剰の秋。
さぁてさて京都の投稿者西大路さんのポイントを使って石川さんの非公開ライヴをやってこます、という計画を昨年末から始動してついにその時が到来したわけですが、その当日大阪駅で待ち合わせした石川さん・西大路さん・関東からはるばるお越しくださったnewguineaさんとともに開場前のお店に入り、リハーサルや簡単な打ち合わせを行っていました。そのうち関西のニヒル牛作家さん達、書デザイナー内藤さんとかえるっ子323ちゃんも到着しました。
そのリハーサルの際、私は2日前に購入しやっつけで練習したカズーをハモニカホルダに《平行に》輪ゴムでくくり付けたものを取り出し、早速ギターと合わせて練習していました。
すると異変を察知した石川さんが、こうおっしゃいました。
石川さん「オポちゃん・・・ カズーって、そうやって吹くのが正しいの・・・?」
オポ「ふぇ?」
いったいぜんたい何をおっしゃられているのか、必死の私には理解が出来ません。
323「オポさん・・・・・・ 咥えるのって、そこなんですか?」
石川さん「筒の端っこを咥えて吹くもんなんじゃないの??」
・・・・・・・・・・・・・・・
カズーの構造。先の細った10cm程度の真鍮製の筒で、中ほどには潜水艦のように出っ張りがあり、その円い出っ張り部分に貼った羊皮紙ないしはビニールの膜を振動させて声をぶっぶー音に変換するというものです。
ではこれを吹き鳴らすには、普通どこに口を付けるでしょう? はい正解、とうぜん筒の先端部分ですね。
つまり筒状のカズーと唇が《平行に》なってる段階でこれすなわち異常な事態なんですね。この先端を咥えるためには、カズーと吹き手の口唇の位置関係は必然、《垂直に》なっているはずなんです。
私は練習を急いだあまり、よく理屈も知らないまま横笛の様にカズーの中腹の円い出っ張り部分に口を当て、ダイレクトに振動膜に声をぶつけて無理矢理ぶっぶー音が鳴るように小器用に吹いていたのでした。
オポ「へぇぇええ〜〜そうなんですか、なんか説明書がぜぇんぶ英語でよくわかんなかったし、ここ吹いたらなんか音出たんでこれで正解と思ってました」
石川さん「・・・・・・なんか変だなと思って。そういう吹き方があるのかと思ったよ」
323「オポさん・・・・・・・・・」
オポ「(ヨコからタテにして吹いてみる)あぁ〜〜すご〜〜い、どうも音の鳴りがもひとつだなぁと思ってたらこれすっごく吹きやす〜い。そっかぁこれがカズーの音か〜〜〜ぁ」
石川さん・323「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
オポ「わぁ〜〜知らないって面白いですねぇ〜〜〜〜」
こうして私は本番間際に他者に依ってはじめてまっとうなカズーの吹き方を啓蒙され、とってもかしこくなりました。本番でもじょうずに吹けたのでよかったです。ただハモニカホルダに輪ゴムで水平にくくってたのにこれがタテになるように輪ゴムで固定する方法がギリギリまでさっぱりわからず、テキトーにグルグル巻いてたら本番中角度がグリって変わっちゃってギター弾きながらでは口が届かなくなり、「東京パピー」の間奏メロディが消滅しちゃったのは痛恨の極みです。えへへ。
でも普段ならこういうことするとめっちゃ恥ずかしがって落ち込むのに不思議とぜんぜん恥ずかしくなくってむしろ知らずにへんな吹き方を掴んでいた自分が面白くて、それはきっと自分のあほさを曝け出せる皆さんと一緒だったからだと思います。ノープライド状態が功を奏しました。あほって、楽しいなぁ。まぁこんなあほと演奏せざるを得なかった石川さんからしたらとんだとばっちりだったでしょうが(笑)。ご指摘ありがとうございました〜! (オポムチャン)
(寸評)いや本当にその吹き方は見たこと無かったけど俺がカズーをやらないので「ん?そこを吹くというやり方もあるのか?平成はそこなのか?昭和は遠くなりにけりか?」と思った・・・。
ちなみに今だから言うけど、ハーモニカホルダーを調節すれば輪ゴム付けなくても吹けるよ・・・。9ポイント。
イッツァシュンギングターイム
2015/10/5の西大路さん主催・関西石川組のシークレットなんじゃライヴの打ち上げで。「ザ・レポート」へ投稿した左記ライヴ終演以降のお話でーす。
アンコール前に私の古代電話がぶるぶる戦慄、どうしたお前機械の分際で風邪かいな、と開いてみればでゅおめいぷるようこさん(投稿王41位:2015/10/5時点)からメールが。今日は出前ライヴ自体はお仕事で行けないけど、打ち上げだけでも参加したいな〜、とのことだったので、少々ややこしい立地のお店なので「ネムイ」が終わってからちょっと出て来ます、と断って急角度の階段を駆け下り、北浜駅前でようこさんをゲット。関西石川組に欠かせない存在でいらっしゃるので、今宵もお逢いできてうれしいなぁ。ちょっと寄ってすぐお帰りになるご予定だったのに、楽し過ぎて終電近くまで残ってしまわれました。どれだけ楽しかったかというと岩下の新生姜(ペンライト・極太・突起有)で石川さんを【以下自粛】、明日もお仕事なのにすいません、ありがとうございます。
そんなちょっぴりアダルトな夜は賑やかに膜を、もとい幕を上げます。あ、中学生(ムーゲ:ハーブティーさんご子息)がいるから性器とかは出しませんよ。いやいやいつも出してるみたいな書き方だけど出したことないです私も誰も(笑)。
ようこさんを同伴して帰って来たら、石川さんTシャツのそよ子ちゃんが居ません。彼女は翌日お休みを取って今日の夜帰る気が毛頭ないモードで臨んでいます。絶対帰ったわけではないと思ってたらなんとお店の3階からスリットの深い鮮やかなブルーのミニですよ、、ミニチャイナ服を着て、眼福にあまりある姿で降りてきたのです。しまったそれを知ってたら抜き足で着替えを覗きに行ったのに!! ・・・・・・わかってるでしょ? 根性無いからほんとはそんなこと出来ひんって(泣笑)。そのセクシーそよ子を正視できない恥ずかしがり屋の男性陣とは裏腹に、ガン見してるのは若い女子だから面白い。某さんは完全に目つきが知〇さんだ、と言われて心外そうにしていました。
マスターはせっせと大皿料理をこしらえ、腹が減ったと叫ぶムーゲの腹を満たさんとおにぎり・おでん・パスタ・ピッツァ等を続々提供。それを甲斐甲斐しく運ぶ臨時店員のたまアーカイブ内藤さん。この日も貴重なたま関連の資料、雑誌の切り抜きなどを重たいのにご持参くださり、若かりし頃の石川さんを見てみんなでうっとり。「足長い」「ピチピチ」「可愛い」今日のライヴの女子率が高いわけです。彼女たちのアイドルなのですよ石川さんは。モチロン私にとってもネ♡(←うれしくない)
幸せだなぁ。おなかパンパントモダチダラケ。とそういえば前回こちらの会場たる画廊喫茶へ下見にうかがった際、ご自身も画家でいらっしゃるマスターの絵画的資料として・・・ かどうかは知らねども、それはそれは沢山の現代字体訳付き春画集を発見し、はじめて観た私はそのあまりの露骨っぷりに衝撃&爆笑、一緒に来ていたそよ子ちゃん達も大いに楽しんだのでした。
オポ「ありゃっ春画は!? 春画が見当たらない!!!」
運転のため酒を一滴も呑んでいない私がいちばん酔っ払いのごときテンションで騒ぎます。マスターがライヴの妨げになるといけないので3階に仕舞っちゃったって。じゃあ取ってこなくっちゃネ☆ ご機嫌な私は3階へダッシュ、完全に同じテンションのそよ子ちゃんも追随してダッシュ。本音は私に着替えた服(3階に置いたまま)をクンクンされたら厭だから心配で付いてきたのが正解でしょうか(笑)。書くなそんなこと(笑)。ごめんなさいこれ書いてんの午前3時なんです。
無事に春画の山をサルベージできた2人はニコニコ階下へ、私は高らかに宣言しました。
“It’s a Shunging Ti〜〜〜〜〜〜〜〜me!!!!!”
10数冊の春画集。どこを開いても嗚呼っ! たいへんなことになっています。ド直球です。江戸のエロです。
春画はそういった性的描写の隣にセリフや状況説明の文が古典的な字体で記してあるのですがそんなもの読めるようなおつむは私にゃありません。国語学科出てるから習ったはずなんだけど忘れちゃった。まあ私に限らず現代人には少々読むのが難しいので、この春画集が優れているのは古典的字体を現代の字体に直して掲載してくれているという点です。ただ文体は古文調なのでやはり少々読むのには難があります。
それでも読ませちゃえ、と比較的現代語に近い部分を某女性がピックアップし、石川さんに読んでいただきます。なんかすこすこって書いてます。それが何を意味するかは容易に知れ、みんな爆笑。しかもやったらすこすこすこすこ書いてある(笑)。しまいにまともに読むのを諦めた石川さんがストーリーを創作しだし、すこすこ連呼、みんなは爆笑。私も解説付きで一部を読み下し。「あ、これは陰核のことね」とか注釈を入れながら熱読、一部の方々から好評をいただきました。おもしれえ春画。学校で習った古文よりはまだわかりやすく、ちょっと本腰入れてストーリー部分を読んでみたい。本体のエロ絵の部分はなんか浮世絵調だしずっぽり過ぎで逆にリアルすぎて惣菜にできない気がします(笑)。なにが惣菜だ。
たのしい春画イングタイム(←やたらと323ちゃんがこの言い回しを喜んでいた)もそろそろ終幕、もうすぐ終電です。今宵はムーゲもまたひとつ大人になったことでしょう(笑)。後日この春画朗読の一部がにゅーさんから送ってこられ録ってたんかい、と秋空へツッ込みましたがそれほどきわどい部分はなくヘルシーなもので安心しました。まぁもっとヤバい部分はにゅーさんがひとり保管して愉しんでいらっしゃるでしょう(笑)。大半の皆さんとはお別れさよなら来てくださってありがとう。内藤さんと私から、石川さんへロマンポルノをパロディ化して現代の(じつは有名な)監督さんが蘇らせた超レア本「パロマンポルノポスター写真集」をプレゼント。どこまでもアダルト感を追求した夜でした。この場に残るは西大路さん・にゅーさん・そよ子ちゃん・323ちゃん・そして私。私は今日一日大活躍してくださった石川さんをホテルにお届けするため一時会場を離れます。
そんで、私のおバカはさらに続きます・・・。(オポムチャン)
(寸評)春画、面白かったね。
最も読むのをいきなり振られたのであまりジックリは見られなかったけど。
これからはこれでひとりスコスコするのが江戸の粋なのかもしれんねぇ。 7ポイント。
万事がこの調子でして
2015/10/5、大阪・北浜で石川さんを呼んじゃう身内イベントの打ち上げあと。私はホテルまで石川さんをお届けするために会場近くのコインパーキングを借り駐車していました。しっかし大阪市内のコインパーキングは高い。私の住む大阪北部の豊中では場所にもよりますが一日最大料金みたいなのが設定されてて、24時までは何時間停めても1000円、みたいなことが多いのです。しかしさすがは関西の中心部、ちゃんと見ておかないと金額上限設定なし、というパーキングも多々、1時間で軽く1000円は持っていかれるため14時に車を停めた私がそんなパーキングに入庫するとどうなります? 約10時間の駐車で10000円ぶん取られるのです。やくざです。「もうちょっとどないかまかりまへんか」ってな文句は冷徹非情な精算機には通用しません。どうにかそこは豊中よりは高いものの、比較的安い上限設定のパーキングを見つけることが出来ました。下見って大事。
いやそんなことはどうでもいい、パーカッションセットを抱えた私はお店から100メートルほどの駐車場まで石川さんに歩いていただき、トランクにパーカッションを置いてさぁ出発・・・ ガガガバキバキバキ。
えっあっなになにええとあぼばべばばばば。
私は金を支払わず車を発進させようとしていたのでした。このパーキングは車体下に車止めのボードが斜めに立ち上がるタイプのやつで、精算機で金を払ってはじめてボードが下がり発車可能になるのです。つまり図らずも停め逃げをしようとした形になったのですね。
そのことにようよう気付いた間抜けな私はあわてて車を戻し、脱兎のごとく精算機へ駆け寄り支払。辛うじて犯罪察知ブザーは大阪の夜に鳴り響かず、無事に駐車場を脱しました。
オポ「すいません金払わんと出ようとしてました。恐れ入ります万事がこの調子でして」
石川さん「ははは、大丈夫だよ」
笑って誤魔化す私をお叱りにならない優しい石川さんに救われ、ホテルへ向かいます。車で5分程度の比較的近い場所に宿を取りましたが、お疲れの中、大きなパーカッションセットを抱えて歩いていただくのも失礼な話なので、今回の判断は正しかったと思います。しかしどこかで好判断をすれば必ずどこかでチョンボをかます私。嗚呼っ! 車中のBGMがたま関連じゃないっ!! あろうことか嫁はんがいつも聴いてるいきものがかりの「ハジマリノウタ」が入っているではないか! こんな対極の楽曲をお聞かせしては石川さんに対するリスペクトが低いと見做されるではないか!
オポ「あぼばばばばすいません音楽がたま関連じゃなくって」
石川さん「そんなのいいよ、ここにきてたまの曲なんか聴きたくないって(笑)」
そらそうだ。だいいちたま時代の曲を聴いたらしんどかったあの頃を思い出すから普段は聴かない、っていつもこのページでおっしゃってるじゃないか。ははは。万事この調子。
言うてる間に宿の近くまで来ました。チェックイン前にすぐにでもパーカッションセットを次のライヴ先に送ってしまいたいとのご意向で、ホテル直近のファミリーマート前に車を停めます。レジで配送の手続きをなさっている間にコーヒーを買う私。この夜は長くなりそうだから・・・
パーカッションを預けて身軽になられた石川さん。もうホテルは目と鼻の先です。
オポ「もう歩いてすぐそばですから、このままホテルまで徒歩でご案内しますよ」
石川さん「いや、でも鞄が車の中に・・・・・・」
オポ「・・・・・・すみませ〜〜ん、万事がこの調子なもんですから」
私はどこまでも間抜けなおっさんです。
しかしホテル前でのお別れ際、「今日はいい仕事したね」と握手してくださったことで、すべての愚行をお赦しいただけたような気分になり、とびきりの笑顔でホテルを辞去しました。明日も名古屋でライヴというのに、遅くまでありがとうございました、石川さん・・・!
幸せ満面で帰路、ライヴ会場近くの駐車場にまたパークし、ふと汗を拭こうと首周りの手拭いを手繰ると・・・・・・
ない。
石川さんのパーカッション柄の、ファンの方にいただいた大事な大事なオレンジの手拭いが、なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!!!
私は急ぎの用事があるとすぐになにも考えず走り回るすかたんで、後先や現在の状況を冷静に判断することが非常に苦手です。ライヴ中から引っかけていた手拭い、走れば容易に音もなく首元から外れるなんてことは3歳の童子にも理解できる話です。私の脳味噌は嬰児なみのようです。
鞄にもポッケにもない。車の中にもない。さっきの駐車場にもない。ファミマにもない。会場にもない・・・・・・
このあとは、深夜の居残り組によるさらにディープなタイムです。
そこへしょぼくれて戻るのも、なんかやな感じです。
私は何事もなかったようなテンションで会場の階段を駆け上がり、ただいま〜と言ったのでした。
・・・・・・万事がこの調子でございまして。
午前1時前、そろそろお店にも悪いので、梅田まで出て8/2に相談会(&ドッキリなんじゃ)をおこなったジャンカラで朝までたまカラだ! と西大路さん・newguineaさん・そよ子ちゃん・323ちゃん・私の放蕩5人組は深夜の大阪梅田へ車で移動(8/2と同じ部屋を案内され感動)、たのしく歌ったりチャイナ服のそよちゃんのふとももに釘付けになったり323ちゃんのモーコックの精度のよさに感動したりにゅーさんのシモトークに爆笑したり西大路さんのビールを飲む勢いに圧倒されたりして朝を迎えたのでした。さらにしつこく続く。 (オポムチャン)
(寸評)ようこさんのとこでも言ったけど天然ドジは大好物でございまして。
他人のドジは社会の最大の潤滑油でございまして。
あっしも幸せでございまして。 7ポイント。
ひみつミッション:にゅーさんブーメラン
2015/10/5に石川さんをお招きした関西石川組withにゅーの精鋭5名はライヴ終了後朝まで大阪は梅田で徹カラ、早朝5時に店を追ん出されたものの電車はまだ走っていません。仕方がないので私の車を停めてあるコインパーキングまで戻り、始発が動くのを待ちました。
newguineaさんは8時半梅田発の高速バスで今日の名古屋の石川さんライヴへ赴かれるとのこと、ここで去ろうとされますがさみしがり屋のそよ子ちゃんが慰留、しばらく一緒に車の中で過ごしてくださることになりました。・・・がさすがカラオケの間中ビールをしこたま呑み続けていらっしゃったためか、早々に目を閉じてしまわれました。
そして時間が気になるのは西大路さん。今日は朝から京都のご自宅でお仕事なのです!! できるだけ早く家に帰って風呂に入りたいと。てかよく朝まで残ってくださいましたね(笑)!
にゅーさん寝てる。西大路さんは早く帰りたい。そよ子ちゃんは皆と居たい。323ちゃんは様子をみている(笑)。
そんな状況を見て、オポムはこう提案しました。
オポ「じゃぁさ、にゅーさんは梅田に持って帰るとして西大路さんをお家までお送りして、そよ子323は京都駅から帰る。その方が早いでしょ? それで行こっか。にゅーさんが寝てる間にみんなを京都に届けて梅田へ帰ってくる、ひみつミッション:にゅーさんブーメラン敢行だ」
そよ子「いいいですね面白そう!! ドライヴドライヴ!!」
323「ん〜〜、私は大阪からの方が帰りやすいんですよね。私もにゅーさんとブーメランで戻ります」
そよ子「私も戻る!! 人の運転する車に乗るの大好き!!」
西大路「ホンマに送ってくれるん!?」
オポ「やりましょう。この際勢いです」
徹夜明けで一睡もしないまま高速道路を走るなんて危険なことをするのは生まれてはじめてです。しかしみんな楽しそうだし、なにより西大路さんの仕事に影響が出ては大変です。323ちゃんも学校らしいし、なにもせず始発を待つよりはとにかく動きたかったのです。
車は新御堂筋を駆け抜け、千里中央で中央環状を東へ折れます。吹田ICから名神高速道路へ入り、京都南ICを目指します。
そよ子「この新御堂を走る感覚って好きですね、深夜バスで遠征するときの景色。あっもうすぐ万博やん」
323「私太陽の塔、まだ見たことないんですよね〜」
オポ「こっから見えるんちゃう? ・・・あらー近すぎて隠れてるわ」
2人の嫁入り前のお嬢さん。そこへ挟まれて西大路さん。隣には目を閉じて微動だにしないにゅーさんフロム千葉。そんな4人を載せて走る夜明け近くの名神高速。なかなかないシチュエーションです。
早朝の名神は空いており、京都まで25分程度で着ける模様。しかしスピードの出し過ぎは金モツもとい禁物です。大好きなみなさんを無事にお返しするのだ。ネムイ脳味噌にムチを入れ、私はほどほどに車を飛ばしました。高槻の山を抜ける高速、この辺にそよ子ちゃんの家があるとか。降ろしてあげたくても出口がねぇ(笑)。そんなそよ子の庭たる山々をトンネルで突き抜け、たびたび現れるスケヴィングホテルにきゃぁきゃぁほたえ、桂川のPAで小便休憩ののちすぐに出口、京都南IC到着。すでににゅーさんは起きています(笑)。
オポ「現在ひみつミッション:にゅーさんブーメランを敢行中です」
にゅー「はい、承知しました」
寝てるのか起きてらっしゃるのかどっちだかわかんない反応でしたがとくに異論もないようです。そしてすでにひみつでも何でもなくなっています(笑)。京都の市街に降りると、にゅーさんは地名が京都らしさを帯びていることに面白さを見出していらっしゃるご様子でした。
車は西大路さんの完璧なナヴィゲイトで高速を降りてから20分ほどで西大路宅へ到着。何度もお礼をして我々を見送ってくださった西大路さん。あなたの一声でこんなに楽しい夜が実現できました。ポイントから諸費用からたくさんご負担いただいて、本当にありがとうございました! あ、次回の主催代行はだれか頭と手際のいい人を見つけておいて下さいね(笑)!!
京都で降りるよりは大阪のほうがいいというお嬢さん2人とにゅーさんを載せてブーメラン帰路。このへんから私の記憶は曖昧です。疲労はピークを迎え、千里中央(私の家付近)で全員下ろして地下鉄に乗ってもらい自分は帰った方が命の為じゃないか・・・ とかの考えがよぎりましたが、なんかそれって冷たいやつですよねここまで来て。がんばりました。寝落ちしちゃった323ちゃんは残念、帰路では太陽の塔がはっきり見えました。必然へろへろの私も口数が減り、にゅーさんとそよちゃんの原マスミさん、あがた森魚さんトークを「元気やなこの人たち」と感心しながら聞き流していました。
どうにか梅田まで辿り着き、名残は尽きねどここでお別れです。にゅーさんと握手、そよちゃんからハグ(きゃっ)、323ちゃんとハイタッチ。三者三様のさよならの儀式を交わし、私は寂しくなった車内ひとり気合を入れ直して北へ走ります。皆さん、ほんとにありがとうございました! 最後ふらふらで愛想なくってごめんなさいでした! 新御堂筋で一瞬死神に鎌で首元をチョンチョンされましたがどうにか持ち直し、桃山台でようやく一般道へ。信号のある道路へ出ればまだスピードが出ないので安心です。家に辿り着く前にローソンで自分へのご褒美にエビかつバーガーとダブルかつバーガーとあったかいカフェラッテを掻っ喰らうとなぜか眠気はマシになりました。でも家まであと300mだけど(笑)。そんなくたびれた私の状態を察してかローソンくじでエナジードリンクが当たりました(笑)。家に辿り着いた私は晩まで泥のように眠ったことは書くまでもありませんね。ケースから取り出したギターは、石川さんの匂いがしました(笑)。
ほぉぉ・・・・・・ やっとこの投稿で今回のライヴのすべてが終わった感じです。またなんか思い出したら書くかもしれませんが。濃厚な時間を過ごさせていただいた皆様に、要らんでしょうが今一度愛をこめて御礼を。ダラダラ長い拙文をお読みいただき、誠にありがとうございました! (オポムチャン)
(寸評)これたった一日のことなんだよね。
きっと一生記憶に残る一日。ジジイになった時に思い出して目を細めてくだせえ。
お疲れさん! 8ポイント。
2年生から1年生へ落第したおバカさん
学生時代、学科の助手だった大学職員から直接聞いた話です。
彼は東京大学大学院修士課程修了後、わたしの通っていた大学に助手として就職しました。私の在学中は教授の宮仕えとしてアシスタント業務に専心し、4年間うんざりするほど深く関わりました。
その後講師になり退職。ある大学の講師を経て母校の東大に戻り、講師、助教授、教授と出世し最近定年退職しました。芸術学研究一筋の道を歩んだ先生です。
彼は1968年に東大に入学したのですが、2年生の時、単位を落として落第してしまったそうです。通常落第というのは留年のことを指し、翌年も同じ学年で単位を取り直すという意味なのですが、彼は違いました。実は東大は1969年に入学試験が中止になったために1年下の学年の生徒がおらず、なんと2年生から1年生に落第したのです!!これは超レアなケースだと思います。
東大のおバカさんとして取り上げてみました。まぁ当時は学園紛争の時代ですから、単純に頭が悪くて落第したのではないであろうことは容易に想像がつきますが、それでも2年生から落第して、翌年1年生になったというのは最初に話を聞いたとき爆笑しました。(波照間エロマンガ島)
(寸評)ええっ、東大の入試の話は知っているけどそんな人が?
そのままどんどん落第して今は幼稚園児だったりして・・・。 6ポイント。
あ、動いたやーん
中学2年ぐらいだったと思う。リコーダーとシンセサイザー、打楽器などでグループを作って演奏会に出ようと音楽の先生に言われて出場。俺がリコーダーを担当したという事と会場が京都市内だったという事以外、全て忘れてしまったのだが、これだけは覚えているという事がある。
演奏会の前の日の学校での練習後、「さあ今から自分らの楽器持ってついてきてや。私は大きめの楽器は持って行くし!」と先生。
「えー今から何処?」と俺。
「駐車場の私の車や!」と先生。
そんな会話をしながら車の前到着。
「明日はH先生の車と私の車とで行くし。で、私の車は私とあと3人と楽器積んで行くしな!」と先生。
「おー俺らも楽器と一緒に積まれるんかいなあ(笑)」と一斉。
「さああんたら早よう乗りや。この車後部座席側にはドアないし前からやで!」と先生。
「先生今乗ってなにするん?」と俺。
「あんたらと楽器を積んだ状態でちゃんと走れるか確かめるんや。さあ早よ乗ってや!」と先生。
「どんな車や!これ、レックスコンビ(車名)でしょ。軽四やけど大丈夫やって!」と俺。
「そんなんやってみなわかれへんやないか。当日になってあんたらと楽器積んだんはええけどやなあ、重とうて走れへんかったら会場いかれへんねんで!」と先生。
まあここまで言われると何も返せなくなった俺。そして当日持って行く全ての楽器と俺を含む三人の生徒を積んで先生運転席へ。
キーガチャガチャガチャー、ブーン、クラッチ操作しローギヤ、ブーン。
「あ、動いたやーん」と先生。
「先生もうこれでええん?」と俺。
「かめへんかめへん、これで明日は会場行けるわ。さあみんな楽器持って音楽室戻ってや」と先生。
この先生の、「レックスコンビ」という車は、「軽ボンネットバン」という類に分類される車で、後部座席はあるものの、貨物使用登録車です!(西大路)
(寸評)その頃の西大路の体重が200キロあったんと違うか? 6ポイント。
ボトルバトン
バイト先でのお昼は、全員が一緒に休憩はとれないので、バラバラに食べるのですが
最近、食器乾燥機の中を見て、不思議な事に気付きました。
お弁当にはお味噌汁がつきます。
お茶はペットボトルのお茶からコップに移し替えて飲みます。
なので、使い終わったお味噌汁のお椀とコップの数は同じはずなのですが
コップが1つ少ない事に疑問を持ちました。BR>
最初は「誰かお茶を飲まない人がいるのかな?マイ水筒の人がいるのかもね」と特に気にしてなかったのですが
ある日知ってしまったのです。
たまたま同僚3人が同じ時間帯になり、ペットボトルのお茶が私達で空になってしまいました。
最後にあるドクターのお弁当だけが食堂に残っていました。
翌日、食堂に入ると、コップはなくお椀だけが置きっぱなしに。
「あー、○○ドクターだ、お茶飲まない人って」
と同僚と話しながら冷蔵庫を開けると、新しいペットボトルの封が開いており、中身が減っていました。
「え〜〜っっ」
飲んどるやん。
コップ使わんと飲んどるやん。
口飲みしてるやん。
今までもそうしてたんや。
ウチら毎日間接キスやんっ。
でも相手はドクター。
「そういう事は止めてください!!」とも言えず我々が考えた苦肉の策が「ボトルバトン」です。
お昼を食べ終わったら、残りのお茶の入ったペットボトルを次に食事をする人に直接バトンの様に渡していきます。
そして、あと一杯分くらいまで減ったら、それをドクター用に冷蔵庫に戻し、また新しいお茶のペットボトルをバトンしていきます。
なんかバカバカしいし、そこまでする意味あるのか?とも思うのですが、みんな真面目にやっています。
今日は間違えて最後の1杯分を私が飲んでしまったので、怒られました。
どーでもえーわ(笑)(でゅおめいぷるようこ)
(寸評)みんなそれぞれMyお茶を持って来て冷蔵庫に貯めるというのは?
・・・あっ、そのドクターが全部に口つけるか。
もしそのドクターが確信犯だったら・・・。 7ポイント。
ふりかえゆそうってなんですの
月末。上半期末の中間決算の関係事務作業と社内規定の変更に伴う式紙・様式の差し替えでずったらべったらになった私は、大阪の阪急梅田駅売店で見かけたミルクカフェオレとビターカフェオレを両方購入し両方一気飲みしてデブ力を養い、もとい体力・気力をいささか回復させ、ホームにバックするために駅のホームへの階段をふらふら昇りましたところ、ただいま運転をいっさい見合わせているとのこと、なんじゃいこの疲れてる時に、と思うて聞いたらばナンマイディッシュな出来事、帰宅ラッシュ時は踏切がぜぇんぜん開かない踏切のあるとある駅間でまたしても(しょっちゅうある事件)開くのを待ちきれない関西人にありがちなせっかち君が被轢、ポリスもやって来て現場検証中あと1時間は動きませーん。とアナウンス。腹は立つけど尊い人命がまたひとつ失われたのは残念なことです。神は信じてませんが形だけアーメン。
滓しかのこっていない脳味噌で考えました。私の降りる駅は他の電車がいっさい通っていません。でもお肉等を片付けるのにはまだまだ時間がかかりそうです。そういうお仕事には絶対就けないなぁ。と目も当てられぬであろう現場の光景や遺族に対する鉄道会社からの賠償請求とか鬱々とした想像に戦慄していると、「ただいまからJR・地下鉄御堂筋線・北大阪急行で振替輸送をおこないます」とのアナウンス。ふぇ。なんだそれ。だから私の降りる豊中には他の電車はいっさい通ってな・・・・・・
そうか。御堂筋線で北上、北大阪急行の桃山台からバスで帰れるじゃん。昨年に豊中駅近くの古代マンションから義叔父の家に転居したオポム一家、新しい家は阪急豊中駅と北大阪急行桃山台駅のちょうど中間なのです。バスの定期は市内北部ほぼ全域で使えます。そうしようそうしよう。
せめてアッチではのんびりやりなよ、と被轢者へライトに祈り、阪急電車のホームから退出、3F → B1Fへだうんだうん、大阪市営地下鉄御堂筋線梅田駅改札では係員のいる入り口に列が出来ていました。
なんかあったんかいな、となにも考えずIC乗車券をぴこっとかざし、改札を通ったところで気が付きました。あの人たちはどうもふりかえゆそうとやらの必要書類をもらっている感じなのです。えっなにちょっとまって、これもしかしてフツーに改札通ったらアカンやつなんちゃうん・・・?
でも疲れてて並ぶのもめんどくさくてそのままホームに降りていきました。
阪急の急行なら11分で到着するところ地下鉄には各駅停車しかないので16分、豊中とおんなじくらい北の桃山台駅に到着。
よくわかってないまま改札に向かうと、何人かが改札の係員に券を見せたりトークしてから改札機を通らずに退出していきます。
えーとつまりアレだ、定期券持ってんのにいつもの電車に乗れんから別の会社の電車を利用しろ、そのかわり本来は掛からなかった筈の電車賃だからこっちが面倒見るんで無料で乗っていいよ、っていう制度が振替輸送、っちゅうやつなのか。はっはーーん。
じゃあ私は梅田でその書類をもらってなかったから、振り替えてもらえないんじゃん。あぱっ。
普段なら大人しく引き下がりIC乗車券から所定の運賃を引き去られてしまう気弱な私ですが、ここまで草臥れてその仕打ちはイヤだ、と思いめずらしく食い下がりました。
なにも知らない体で阪急電車の定期を見せつつ、
オポ「あのぅ・・・・・・ 阪急の人身事故でふりかえゆそう、って聞いたんですけど」
駅係「乗車券はもらってます?」
オポ「・・・えっ、なんか乗る時に貰わないといけなかったんですか。ICカード通しちゃいました」
駅係「・・・(このすかたん、という目で)ICの入場記録取り消しますので」
オポ「おそれいります(あほのフリ成功)」
たぶん私が梅田で列に並ぶのがめんどくさくてもらわなかった乗車証は、振替輸送をした人数をカウントして阪急がわに運賃を請求する際に必要なのでしょう。悪いことをしましたがやむなし、クサいおっさんに難儀しながらバスで家まで帰れたのでした。
翌日。電車は平常運転していました。
景色はなめらかに滑り、昨日の晩に大惨事があったなんてまるで感じさせない、あまりにいつもどおりすぎる車窓からの風景に少しく感傷的になったりしましたが、すし詰めの車中にそんな想いはかき消され、私はいつものように梅田駅までぎゅうぎゅうと辟易するのでした。おかげでこのあほは振替輸送のなんたるかを憶えましたよ、ナマンダブ。(オポムチャン)
(寸評)地縛霊いーーーーーっぱいの上を今日も通勤ご苦労さん! 7ポイント。
アパートか職場の前で暴れよか?
昔友達の家で遊んでいた時の事。
家の電話が鳴り、友達が出ると彼女のダンナ様から。
「悪いー。今日携帯持って出るのを忘れたから、電源切っといてー。
それと今日会議で遅くなるからご飯要らない」
それだけ言って電話は切れたらしい。
「電源切っといて。だって・・・」
「ふーん。。。」
「・・・・ね〜え。誰が切るか。」
「ふふふ。」
女二人、ピンときました。
「かかってきたことがバレると困る電話が掛かってくるんだー」
夕方、ダンナ様の携帯が鳴りました。
友達、冷静に番号をひかえる。その間に電話切れる。
暫くしてまた同じ番号から。
友達、出る。
「あーっやっと出てくれたー♡ねえねえ、○○君(ダンナ様の名前)今日何時ごろこっちに来るー!?」
と女性の声がしたのを録音し、切る。
もう一度かかる。
「急に切れた。びっくりしたー(笑)あのねー・・・」
そこで友達、ドスのきいた声で返す。
「おい、コラァ。お前、何処の誰やねん。」
「Σ(゚Д゚)す、すみません。間違えました!!」
相手、慌てて切る。
友達、掛け直す。
「間違えてへんで。」
「いえ、間違いですっっ」
「合ってるよ。○○君の携帯やで、これ。今更しらばっくれんなや。
慰謝料子供一人当たり300万。ウチ子供3人おるんやん。ダンナからも取るけどアンタからも取れるんやで。どうする?
お前の家行こうか?それとも謝りにくるか?」
「・・・・」
「オカンとこ行こか。そんなもんすぐ調べられるぞ。それかお前のアパートか職場の前で暴れよか?」
「えっ親は関係ないですっっっ。会社とか止めてくださいっ。許してください( ;∀;)私が謝りに行きますっっ」
何やら待ち合わせ場所を決めている様子。
その後、いつもの優しい微笑みで私に
「ようこちゃんごめんね♡私、ちょーっと行ってくるから、娘達の事お願いね♡」
数時間後、友達とダンナ様が帰ってきました。
彼女の右手の拳が、真っ赤に腫れ上がっており、ダンナ様はもう誰だか分からないくらいの形相で。
相手の女性には全く手は出さず、その前で、ただひたすらダンナ様を殴り続けたようです。
「もう〜やめてあげてくださいっっ二度と会いませんっ。二度と会いませんからっっっ( ;∀;)」
と彼女の口から出たので、自分も手が痛くなってきたし、ようこちゃんに子供預けてる事思い出して帰ってきたの、ごめんね〜うふふ。と笑う友達。
「だ、大丈夫ですか?」
と私が声を掛けると、ダンナ様が
「いや、俺が悪いんで・・・」らしき事を言った。何しろ口がほぼ開かない状態にまでされていたので定かではないけど、なんかそんな感じの事を。
そんな事はあったけど、いまだにラブラブな友達夫婦。
今ではすっかり笑い話です。(でゅおめいぷるようこ)
(寸評)わ、笑い話かなぁ。
関西の女性、やっぱ強いのねん。 8ポイント。
あほの腰痛治療法
大阪に他の人の投稿ポイントで石川さんをお招きしちゃうという卑怯千万な真似をしでかそうとしている腐れ外道の私、っつうと語弊がありますがまぁ似たようなもんです、という悪辣なことをするもんだから、べつに信じてもいない神の野郎が私の腰に天罰を与えたもうた。神のぼけ。
ライヴ開催を10日前に控えた9月下旬、営業窓口に事務作業にてんてこてんてこ舞いまくっていた日。ようやく終業し、椅子から立ち上がった瞬間、腰がギリリと痛みました。
ぎっくり腰のまだ多少動けるヴァージョン? みたいな症状で、歩き方をしくじったり腰を伸ばしたり捻ったりすると激痛が走ります。な、何ということだ! 私はくそ間抜けの分際で10月の石川さん招聘ひみつライヴのとりまとめを担当しておるのです。この痛さだと当日まで治らないんじゃないか・・・? というくらい、ちょっとした角度の歩みそこねでも厳しいありさま、寝る/起き上がるがもう恐怖恐怖、みたいな状態。その日は必死の思いで家まで辿り着き、風呂にさえ入れず寝転びっぱなし。何ら家事も手伝えずこれではThe・いなくていい父親/亭主。邪魔でしかたありません。
うあうあ呻りつつぼってり寝っ転がる鬱陶しさMAXの私を慮り、ベッドのある空き部屋に普段寝てる掛け布団とお茶を用意してくれる嫁はん。毎日のぼうず相手に疲れ切っているのに健気に動いてくれます。済まぬ。私はなんて出来た配偶者を騙して嫁に貰ったのだろうか。罰が当たります。あ、当たってた(笑)。笑てる場合か。笑ても腰に響くわい。あだだだだ。ベッドに這い這い辿り着きどうにか就寝、淡い期待を抱きましたが朝になってもまるで痛みは回復しませんでした。
そして空けてこの日、私は仕事帰りにライヴ参加者2名と会場の下見に行く約束をしていたのです!!
嫁はん「もうこんな痛いねんから、今日はやめとき」
オポ「い、いや・・・・・・ 今日を逃したら、もう日がない・・・・・・ あだだだだ」
嫁はん「無理しなや、ほんまに」
腰の痛みを抱えつつもこのまま職場に行ってはクサい。ヒゲもあり過ぎる暮らし。朝飯をよろよろ喰うたのちどうにか風呂に入りシャンプイング&シェーヴィング、ロボットのような歩き方でなんとかバスにも乗れました。この通勤、バス → 電車 → 高低激しい徒歩乗り換え → 電車 → 徒歩 → 自転車と歩行者が満杯のエレヴェーター → 徒歩というヴァラエティに富んだ行程が呪わしい。立っても痛い、座っても痛い。満員だとちゃんと重心を両足に掛けて立てないのでまた腰が悲鳴。なんか歩いてるのが一番マシです。
蒼い顔で職場に到着、どうも話を聞くと今日はたまたま午後からアルバイトさんが来てくださる日だったようです。
オポ「あっ、ほな僕帰っていいですか」
もうなりふりかまってられません。今日の下見には意地でも行かなければなりません。私の辛そうな様子が伝わったか、いきなりの早退宣言も店長のOKが出て、晴れて私は10:00から弁当を喰い12:30に職場をアデュ、JR最寄り駅へ向かいました。また弁当の合間に家から最寄りの整骨院に電話しましたが今日は予約いっぱいで診てもらえないとのこと、やむを得ず明日の朝一番に行くことにしました。職場周辺の治療所だと何度も通うことになると逆に不便な気がしたので避けました。
さて・・・ どうにか仕事からは逃れました。しかし整骨院は明日だしこのまま家に帰っても嫁はんは今日の下見に行くのを意地でも止めるでしょう。でも私は当日ドタキャンなんて真似はしたくない。ただでさえ人間性に著しく問題がある無能小太りなのに、約束まで反故にするとなるともう誰にも相手にしてもらえません。ひとさまのポイントをお預かりしてイベントを執り行うのです。せめてこのイベントが終わるまではその責務を全うしなければ。
ふと、駅のホームからカラオケ屋の大きな看板が目に入りました。私も会員登録しているお店です。
これだ! このお店は平日のフリータイムが19:00までOK、待ち合わせの18:00近くまでここで休んでおけばいいじゃないか! いったん家に帰るよりも移動が少ないし、優しい嫁はんに止められることもありません。
よろぼい改札に戻り、「すんません出掛ける用事がなくなったので・・・」とIC定期券の入場記録を抹消してもらい、私はまっすぐよたよたカラオケ店に向かいます。しかもちょうど会員特別携帯電話クーポン20%引き、みたいなのが使えるじゃあーりませんか。「あのう、1人って大丈夫ですかぁ?」お姉さんはニッコリ「いいですよー」ホッ。これで13:00から17:30までゆっくり休めるぞ。
・・・・・・私はカラオケが大好きなのでした。結果、ちっとも休みゃあしなかったのです。
以前の投稿では私はひとりカラオケでは虚しさが募るばかりでしんどかった、と書きましたが、今回は勝手知ったるカラオケ店しかもフリータイムでソフトドリンク飲み放題、そのうえ私の好きな機種が入っています。私は13時から17時半までほぼぶっ通しで、大好きなたま、ブルーハーツ、C&A、MOON CHILD、高橋ひろ、The Gospellers、KAN、の、ぜんぜんシングルカットされてない、どマニアックなアルバム収録曲をこれでもかと歌い続けました。
もちろん途中で便所へ赴いたり、無料ドリンクのおかわりを入れに行くのですが、ん・・・・・・? どうも普通に、歩けるぞ・・・・・・?
なんと驚くべきことに、誰にも気を遣わず自我を開放して好き放題歌いまくった結果、ストレスの大幅な解消が全身にヒーリング効果をもたらしたためか、腰の痛みが大幅に快癒したのです!!!!!
・・・ってかまぁずぅっと痛みの出ないリラックスしたおんなじ格好で歌い続けるもんだから、どっか変にずれてた腰の骨が元の痛くないポイントにハマっただけかもしれませんが、これには驚きました。多少の捻りや足の角度に気を遣わなくても、ほとんど痛みが出ないのです。
私は大いに感動してお店を出ました。会員証とクーポンを駆使して4時間半歌いまくって570円(税込)でした。安っっ!!
朝とは打って変わって駅の階段もスイスイ、待ち合わせにもスムーズに辿り着き、無事に終電まで下見&打ち合わせを行ったのでした。よかったぁ。あ、ちゃんと翌日は整骨院で診てもらい、いま腰は随分良くなりましたのでご心配なく。
というわけで、あほ限定! 腰痛にはカラオケの歌い放題が効果的です(笑)!! 皆様もお試しあれ!? (オポムチャン)
(寸評)俺もそこまでじゃないが腰痛は時々ある。
「今、急に動いたら絶対にいっちまう」てな時が。
そして完全なギックリ腰の妻がトイレにホラー映画の新種の生物のようにナメクジ歩きをしているサマも見ている。
死にはしないが人間の尊厳さえ失いかねない病気。
気をつけて。とりあえず30年間はセックス禁止ね。 8ポイント。
日付の横に曜日を入れる( )欄に…
会社の仕事がOA化されるちょっと前、1990年代の話です。
毎日夕方その日の会社の売り上げを集計し、営業所ごとに手書きで帳簿にまとめる仕事をしていました。パソコンの表計算ソフトを使わず手書き作業なので最低でも3時間ほどかかる作業を相棒と2人で行なっていました。
ある日のこと、その前日に別の大きな仕事が入り、件の売り上げ集計の仕事が後回しになってしまいました。かなり心はくじけそうだったのですが、なんとか二つの仕事をやり遂げました。終了時刻は終電ぎりぎりになっていました。
最後の最後、もう一度売り上げのチェックを計算機で行なおうとしたとき、とんでもないケアレスミスを発見してしまいました。
売り上げを記入するシートの上部にある作業日を記載する日付欄、その横に曜日を入れる( )の空欄があるのですが、その空欄に、その相棒は「X野△夫」と自分の名前を書いていたのです!!( )の空欄は、月とか火とか一文字書くだけのスペースしかないのですが、あまりに仕事で疲れて判断が鈍っていたのでしょう、相棒はその一文字分のスペースに自分の名前を書いてしまったのでした。(本来、自分の名前を書く欄は別の位置にある)
私はそれを見て、椅子から転げ落ちるほど笑ってしまいました。仕事で疲れきっていて、脳内麻薬がガンガンに出ていたのでしょう。ちょっとしたおバカなミスなのだけど、可笑しくて可笑しくて腹筋が崩壊しそうでした。そのあと帰宅するまでへらへらにやにやしっぱなしでした。相棒のX野さんは私より一回り年上なのですが、たまにそういう天然ボケをするので一緒に仕事して楽しい先輩でした。
でも毎日やっている作業なのに、どうしてそんなことが起こったのか、まったくもって謎です。X野さんも苦笑してましたが、それもいい思い出です。(波照間エロマンガ島)
(寸評)疲れてるとどこかの神経が麻痺してて普段なら考えられない間違いするよね。
そんで疲れてるとどこかの神経が麻痺してて抱腹絶倒するよね。
疲れててどこかの神経が麻痺してなければどちらも起こり得ないから面白い。 7ポイント。
増量
おやおやオポム氏、最近太ったようじゃないか。コテハンに書いた73kgから76.2kgに増量だって? シャツの上からも判る出腹のラインが無様だねぇ、ははは。って誰だお前。私だ。
というのもここ最近1ヵ月で職場の暑気払いがなぜか3回もあり、しかも全部食べ放題というわけのわからなさ、そのうえ自店でそのすべてに参加したのは私だけという意味の不明さ。出されたものは絶対に残せない性格の私は食欲のさしてない上司連中の余りものを回され無理矢理詰め込んだもんだから腹のタガが完全崩壊、結果腹のキャパが異様に拡張せられ、飯がたくさん入る身体にされてしまったのです。くすん。こんな私に誰がした。てか自制せぇ。いや上司命令で出されて拒んだら「なんやこいつ酒も呑めんし酌もしに来んし仕事はすかたんやしおまけにわしの飯まで喰わんと来たらいっちょ馘にしたろか」とか思われるのもかなわんじゃないですか。
ファーストステージ。近隣店どうしで。
私の会社には近隣の支店3〜4店で集まり、合同の防犯研修を行うという妙な風習があり、ほぼ形ばかりの研修が済むや否や飲み会に突入するというパターンが恒例です。てかね、20代1名、30代3名、40代4名、50代3名って中華の食べ放題やるメンツか?? どう考えても20代がメインの行事やろそれって。
案の定上司の皆様がお任せでバカスカ料理を注文し、若いもん食べ食べぇって若いもんって20代の新人と30なりたての子と実質2人だけでしかも両方細身の女性、残りの30代ふたりは40間近です。私もそのひとりです。・・・アレッ? どんどん食べる若い子って、誰? ひょっとして私? 若ない若ないおかしおかし、麻辣豆腐の海。のびてまずいクラゲの山。残したらあかんど、食べ食べぇ。これはクラゲハラスメントです。私は目を白黒させつつ口の中に麻辣を流し込みクラゲを投入し這う這うの体で帰宅、翌日は朝飯を喰う気にいっさいなりませんでした。はいまず73→74.2kg。
セカンドステージ。前勤務店の集い。
久し振りに前支店のKさんからお呼びがかかり今度は梅田のバイキングへ。ここは50種類よりどりの惣菜・ご飯・汁物・カレー・デザート・ソフトドリンクに酒精が2時間食べ放題の3000円、こういう形式なら上司が注文しすぎて余りが回ってくることはないもんね。
私は9種の惣菜・デザートを乗っけられる取り皿を2度、皿一杯おかわりしました。
あれっなんで? あほなの? そうです。私はこういう自分で取ってくるビュッフェ式って言うん? のやつにめっぽう弱く、自分の嫌いな食材以外は少しずつでもぜぇんぶ喰わないと気が済まない性質で、まるでセーブが出来なくなるのです。誰だまたこんなウマいものだらけのバイキングを選んだのは。はーい74.2→75.6kg。
サードステージ。組合の総会。
役員の交代にともない組合で総会、地区の13支店から25名が集まり来期の執行役を決定、モチロンそんな会の後には懇親会が付き物ですよねー。やめてんかホンマに。会場は何処じゃいな、と思たらこないだの中華と同じ店やないかい!!
餃子。炒飯。油淋鶏。炸鶏。玉米湯。ハオチー。アイヤー。若いのがたくさん居たから助かったがまたしても食べ放題なので残すのは禁止、嗚呼またもや残飯処理に必死こくのでした。ねぇ誰? 食える量を考えないでポンポンオーダーしちゃうのは? 仕上がりました、75.6→76.2kg。
馬鹿は誰だ。「とりあえずオポムが食べるやろ」とかもうやめてくださいわたし38。もうそんなに食べたくない。でもみんな「いっぱい食べる君がスキ」なんですよね〜・・・・・・。大食いのイメージはいつまで経っても払拭されないものですね。
あでも、ビュッフェは完全に私のせいだな。貧乏性って悲しい、絶対に元は取るぜ、って狂人になって全制覇を狙いたがるんだもの。
無駄な馬鹿喰いは食糧資源への冒涜です。いまさら私の贅肉になったって、ねぇ・・・。なんだ私のまわり、私も含めて結局全員おバカじゃねぇか。ははは、こりゃ愉快だね。あー鏡正視できない(泣)。がんばれ私! 去年コテハンで体重を投稿した12月までには元に戻すんだぞ、このアホっ!! というかたまには理由でっちあげて飲み会サボれ、お人好しな不器用王よ。って誰やねん。私だってば。もうええっちゅうねん。(オポムチャン)
(寸評)今度の大阪秘密ライブの打ち上げも食べ飲み放題いこっか!
大丈夫。二桁はまだデブじゃない。ちょいポッチャリ系で〜す。 8ポイント。
絶叫
俺が小学5年の時の話。
3歳下の女の子(弱視)とそのお母さんと3人で、京都市内の西大路通を車で金閣寺方面から西大路駅の方向に向かって走行中、渋滞に巻き込まれた。
車は3ドアの軽四で後部座席の窓も少ししか開かないタイプ。
すると、女の子がお母さんに向かって、「運転席の窓開けて?」と言った。
単に風を入れたいだけと思ったお母さんは躊躇する事なく開けたのだが、女の子は窓から顔を出し、
「あんなあ、渋滞の原因をつくってるんは先頭の車の運転が下手やからじゃー!」と絶叫。
びっくりしたお母さんは勿論怒って止めたのだが、俺もこんな事するとは予想できなかったのだ。
残念ながらこの親子二人とも、病気のため亡くなってしまってるのだが、家が近かった事もありよく遊びに行き、世話になってました!(西大路)
(寸評)本当は大人でも叫びたい時あるよね。
車だと性格激変する人っているよね。 4ポイント。
ワメス
王様の話題2で、「この料金所の入り口は何処?」と俺に聞いてきた友達の事を書いたが、当時やつが乗っていた車は軽ワゴンの「バモス」という車だったのだ。
この友達、何かイベントをやる時は企画をしたり車出したりといろいろ動いてくれるのだが、何かが抜けていたり車移動の時は途中事故渋滞にはまったりと、本当についてないやつだったのだ。
で、名字の最初が「和」なのと、車がバモスだったので、やつが乗っている車は「ワモス」、そしてその車の助手席に乗る女は「ワメス」と言われてよくいじられていたのだ。
しかしそんな事を言われていた時から10年ぐらい、やつはそのようにからかわれなくても良いようなしっかりしている女性をゲットしたのであった。2013年11月の事。勿論今も良い夫婦です!(西大路)
(寸評)西大路も早くワレメスをゲットしてくださいな〜。4ポイント。
吐くほどウマ〜い!!!!
高校2年の秋。合気道部に入っていた大阪は豊中の3馬鹿・K山・S井・私は仲良く神戸の某大学に向かっていました。
まぁ高2から受験先の大学を見学? あほが雁首揃えてそんな殊勝な真似なぞいたしませんがな。合気道部のOBのO先輩が、自分の学園祭の屋台の手伝いに頭の悪そうな我々3人をチョイスし呼びつけたのです。
その神戸の大学は豊中から阪急電車に乗り、さらに神戸電鉄で北上するというなかなかの遠方(ひとくちに神戸と言っても神戸市は滅茶苦茶広大なのです)、その上電車賃は自費だし何の報酬も出ない、先輩に逆らうという選択肢がない運動系部活の目下の者の悲しい隷属行為でした。
たまに練習を見に来たときもなんか偉そうで感じの悪い先輩で、私はまるで乗り気ではありませんでしたが、“なんか遠くの知らん所へ遊びに行ける”とK山はひとりウキウキ、S井は平生から文句ばかり言ってるのでいつもどおりでした。
さて片道700円の大枚をはたいてやって来ました、港と山の街・神戸。ほんで名前も忘れた神戸なんちゃら大学に3人、降り立ちました。
初めて見る大学の構内。初めて感じる学園祭の雰囲気。いささか新鮮ではありましたがさして感動もしませんでした。舞台では名も知らぬ女性ヴォーカリストがリハーサル、誰もステージに寄り付いていないのが切ない。キーの高い部分で咳払いをしたのが詫びしさの頂点、思わず落涙しそうになりました。
門を入ってから左へどうのこうの、と説明された場所へダラダラ歩くと、数ある出店の中にO先輩の顔面が見えました。
O「遅っそいやんけお前ら!」
予想どおり先輩は偉っそうでした。うわっO後輩連れてきたんか、まぁ俺が声かけたらすぐ飛んでくるわ、的なやりとりを友人らと交わしている間、私は殊更虚無的な表情でその場に佇んでいました。
ひとりやる気になっとるのがK山です。
さぁお店の客寄せを張り切らないと、と燃えていますが、燃えるもなにも先輩の屋台はジュース屋、なんら特徴もないソフトドリンクをちっさい紙コップに注いで200円という暴力喫茶です。
しかし来たからにはその責務を果たさんと、我々はノリノリのK山と共に声を上げました。
オポ「ジュースいががっすかぁ〜」
S井「フードのお供に飲み物はいかがですか〜ぁ」
されど酒を置いているわけでもないので、叫んだとて集客はそう伸びません。
O「お前らやる気無いんか! もっと客の気を引くやり方せぇや!」
やる気が出る方がおかしいシチュエーションですが、ここでK山が間違ったやる気を出してくれました。
屋台に置いていたジュース入りの紙コップをやおら掴み取り、勢いよく喉に投入したのです。
しかしあまりにも勢いが付きすぎて、噎せかえったK山は口中から盛大にジュースを屋台前にぶちまけました。
グォフォッ! ブヘァッ! バシャアァッ!!
K山とO先輩を除く全員が、爆笑しました。
K山はO先輩に悪いと思ったのか、続けてこうフォロー(?)しました。
K山「吐くほどウマ〜い!!!!」
まったく意味がわかりません。吐くほどウマい飲み物、それはもはやウマいものではありません。
K山とO先輩を除く全員が、爆笑しました。
O「お前ら、帰れ」
こうしてK山の意図とは反するナイスプレーで我々はめでたく放免、小高い場所から神戸の港を一望し、S井の辛辣なO先輩への罵倒を耳に、さわやかな午後を満喫して帰路に着いたのでした。じっさいはK山も先輩にムカついてて、敢えてやったのかもしれませんね。ナイスおバカ、K山! (オポムチャン)
(寸評)大学の学園祭も何度か呼ばれてライブやったけど行く度に「大学生ってこんなに子供なんだ・・・」と思う。
俺は二十歳くらいから精神年齢変わってないつもりだがやっぱり社会性が無い人が多いと思っちゃう。
もちろん中にはそうじゃない人もいるんだろうけどね。なんかね。やっぱりこっちがジジイになったんだろうな。 7ポイント。
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