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ここは自分のまわりのおバカな奴の行動・言動などを紹介するコーナーだ。
なるべく本人を直接見たり本人から直接聞いたものが良いが、信憑性が高ければその友人ぐらいまではOK。もちろん人間じゃなくてもかまわないぞっ。
さぁ、まだ世間に埋もれている貴重なとっておきのバカを紹介してくれいっ!
メールにて投稿は題名「おバカ」で、末尾に自分の名前を入れてね。
ポイントは3ポイント以上〜ーだっ! ダ〜〜〜ッ!!

お客さまは神様です。

大学3年の秋から2年と10ヵ月ほど、コンビニエンスストアでアルバイトをしていました。
つまるところ就職をしくじり、いなくていいひと時代2年目突入の9月11日の早朝(イスラーム過激派のハイジャックした飛行機がアメリカの高い高いビルに突っ込んで大騒ぎになった日です)まで勤めていたのですが、なんでそんな中途半端な時期にやめちゃったのか、というと、前月の8月にある事件が起こったからです。

私は深夜帯の勤務で、21:30から翌6:00まで、朝勤のお姉さんが当日欠勤する時(これがやたらと多かった)は9:00まで働いていました。
そんな時間帯にはまっとうな方ももちろんいらっしゃるのですが、あまりまっとうでない方がお越しになる確率も高くなります。
まぁ立地的に道路向かいに交番があったので強盗に遭ったことも無く比較的万引きも少なかったのですが、いちゃもんを付けられることはしばしばでした。

ある日のこと。店に煙草を吸いながら入っていらっしゃった、少しマナー意識のお低い方。
店内禁煙の文字など関係ないのでしょう、煙草の煙を撒き散らしてお買い物、レジまでお越しになります。
お会計を済ませ、お帰り際。煙草が嫌いな私は少し腹が立ったので、なにも言わずお帰り頂くのも癪だと思いつつも丁寧に、

オポ「お客さま、恐れ入りますが次回からお煙草はご遠慮いただきますよう・・・」

そこまで言った瞬間、お客さまは私の無礼な物言いに激昂なさり、

お客さま「あ゛ぁ!!? 今更言うなやボケェ!!! 店入ってきた段階で言うたらええやんけ!!!!」

とおっしゃったのち、

お客さま「糞っ垂れ!!!!!」

とお叫びのうえ店舗出入口ドアを思い切り蹴り飛ばし、盛大にぶち割られました。ドガシャァァァァンン!!!

目前に散乱するガラスの海。突然の理不尽な仕打ちに呆気にとられた私の元へ、ドアをご破壊いただいたお客さまの母親と思しきお婆さまが私の前へササッと現れ、

お婆さま「(にこやかに)兄ちゃんごめんな、ちょっと酔うとんねん。堪忍したって。えらいすんまへんなァ。どうもー」

なにも言えず、私はしばらく立ち尽くしました。お婆さまとお怒りのお客さまは、夜の闇へ消えてゆきました。

彼らが去って5秒後、ようやく気を取り戻した私は、

オポ「お客さま大変失礼いたしました。お騒がせしまして申し訳ございません」

と店内にアナウンス、レジをもう一人に任せて破壊されたガラスドアの掃除・修繕を始めました。
他のお客さまもお気遣い下さり、

「どないしたん!? すぐそこにお巡りさんおるから言うて来たらええねん」

などとおっしゃってくださいましたが、その時の私の精神状態はもう完全に自分が悪いと思っており、自分が喫煙をご入店の段階でお辞め頂かなければならかったのに帰る段になって文句を言うのはお客さまのプライドを著しく損なう行為で、大事なお客さまに対し私が無礼千万であったと考えるしかなかったのです。

オポ「いえ、私の言い方が失礼でしたので、仕方のないことです。すべて私の責任です、申し訳ございません」

事務日誌に「ガラス扉の破損はすべて私に責任があります。申し訳ありませんでした。オポム」と記入し、真っ暗な気持ちで帰宅、その日のうちに店長から電話が架かってきました。

店長「オポちゃんどういうことなん? 自分が割ってもうたんか」
オポ「いえ、私がお客さまに対して失礼な言葉を吐いたためこのような事態になりました。私が全額弁償します」
店長「そんなことさせられるかいな、16、7万はするで」
オポ「はい。弁償します」
店長「・・・・・・警察に器物破損で連絡して、ドアは保険でなんとかするわ。オポちゃんええか、社会人になってそんな考え方やったら、やって行かれへんで」
オポ「いえそんな弁償させて下さい」
店長「ええわもう、警察に言うしかないわこんなもん」

ちなみに親父にこのことを伝えると、「そんなもん完全にお前が悪いやんけ」とのことでした。やっぱり私は人間として完全に出来損ない、何処にも誰にも必要とされてないのだな。という気持ちが新たに固まり、1ヵ月後、表向きには就職試験勉強を理由にして、自主的にアルバイトを辞めることにしました。就職試験に落ちたら、手持ちの現金10万円を持って南の方へ失踪しよう、と本気で考えました。だって要らんもん、こんな人間。
普通は誰かが辞めるとなると送別会を誰かしらが開いてくれるものですが、誰も開いてくれませんでした。私が勤めてきた2年10ヵ月の中でも初めてのことでした。
そら、そうですわな。

結局のところ就職試験にはなぜか通ってしまい、あまつさえ2年後には結婚までしてしまうという予想外の展開。
でも今でも、自分がこの世界にまるで必要のない邪魔な物体、という思いは、いつまでたっても拭いきれないままです。 ほんとは邪魔も糞もなにも、お前の事なんか誰も気にしちゃいないのにね。自意識過剰のおバカ! (オポムチャン)

(寸評)俺なんて20代とかもっとヒドかったよ。
最低限のバイトだけして後は毎日麻雀、酒盛り。
立派にDNAを残したオポムチャンが必要ないなら俺なんてもっと必要ないよ。
まぁ必要不必要とか関係なく生きていくけどね。 8ポイント。

 

へいパスタ2人前!

・・・なんか過去のかなしい思い出を書き殴って陰陰滅滅とした気分になっちゃったのでちょいと路線をかえましょか。

現在。ぼうずが夜中に咳き込んで苦しそうに肩で息をするもんだから夜が明けて嫁はんと休日こども急病センターへ担いでいくとどうも夜中のうちに連れて来た方が良かったらしく、ちょいと症状が悪いのではじめて入院させることと相成り、女房子供のいない家にさみしく帰って参りました。

今まで長いこと家事から遠ざかって来たので、へどもどしながら洗濯・調理。もう涼しいのにお素麺が残っていたので晩飯にしてこまそ、と思い葱と茗荷を刻んでいる最中、そういや新婚時代は嫁はんの帰りが遅かったのでよく2人分のスパゲティすなわちパスタ(なんか変だな)を私がゆがいてたなぁ、なーんて青春の1ページを思い出してはにこにこしておりました。おいおいぼうずが大変なのに呑気な奴だ。

さてご案内の通り私は不器用なデブ略してデブッキョ、いやべつに略すこともないですが、購入した500gの乾燥パスタのちょうどいい2人前の取り出し方がなかなか掴めずにいました。
このくらいかな? と思って袋から出せばなんかやけに少量でソースがジャブジャブ余る、じゃぁこんだけ入れちゃえ、とばさっと入れたら鍋の中ですさまじい量になり食べきれなくなります。参る。いくら私の食欲が旺盛だからって1人で300g(茹で後)はやり過ぎです。てかちょうどの分量が皆目わっからない。

このまま毎回妙に少量かあほほど大量のパスタを提供し続ければいくら寛大な嫁はんでもしまいに私の頭にフォークを突き刺したうえクルクル巻きたくなるのは必定、これではいかん、と少ない脳味噌をカラカラ回転させ、解決策を探りました。なにか自分の興味のあることと繋げられないだろうか。う〜ん・・・・・・

・・・・・・そうだ!! 私の興味は助平なこと。助平なこと、それは手淫。手淫に使うものは? オカズと手ぇとチンコ。

いっぺん、チンコと同じくらいの太さでパスタの束を握ってみて、その量でゆがいてみよう。チンコは毎日握ってんだからだいたいどんなもんかは分かります。

敢えて直径等は割愛しますが、これがまた完璧な量の2人前でした。
それからというもの私は2人前のパスタをゆがく際には己がチンコを思い浮かべ、じつにジャストな量を茹で上げられるようになったのでした。いやぁ良かったなぁ。チンコ万歳、と思っていたところ、なんと当家にありえないことにやや子が発生、離乳食も終わりスパゲティも喰うようになってしまったため、私のチンコは用済み、ふたたび丁度良い3人前の量を探らねばならなくなったのでしたとさ。なんだこれ最低な投稿だな。ははは。(チンポムチャン)

(寸評)陰茎増大グッズを買って3人分の大きさのチンコにせねばならんな。がんばれ! 7ポイント。

蚊殺

私は虫全般が嫌いですが、夏場に嫌なのはやはり、蚊。
夜中に寝てる最中、耳元で「ぷゎん」といわれたらもう大変、飛び起きて電気を着けて蚊殺モードに入り、完全に犯罪者の顔つきで部屋中を狂ったように徘徊します。たいてい見つからないのですがもう許せないのです、我慢できないのです、くだんの「耳元ぷゎん」が。

私の住んでいた実家でしょっちゅう見かけるのは茶色いイエカで、飛び方ものんびりして打ち据えやすかったのですが、現在の家では義叔父がガーデニングをしており、黒くて小さくて素早いヒトスジシマカがお外にプンコラ飛翔しています。前者に慣れていた私は後者のスピードにまるで付いてゆけず、寸でのところで獲り逃して臍をガシガシ噛む、というパターンがほとんどなのです。
ほしたら蚊取り線香を焚いたらええやんけ、とおっしゃる方もあるでしょうが、私の配偶者は電子・非電子にかかわらずこの蚊取り線香に非常に弱く、咳き込み・頭痛・吐き気などの諸症状を訴える蚊のような嫁はんで、まあたしかに蚊が絶命するくらいだから間違いなく有毒な物質なのでしょうが、そういうものも使えないということはむざむざ刺されるのを甘んじて受け入れるか、どうにか抹殺するしか術がないのです。

ゆえに私は狂人の目つきで蚊を探すのですがご案内の通り茶に比べて黒の蚊の奴と来たら超能力者か、というレベルで出ては消え、を繰り返しやがり、ただでさえ投稿のしすぎで睡眠が足りてないのに倒すまでは眠れない、ほんで見つからない、諦めて寝たら「ぷゎん」、怒り狂い起きてサーチ、ほんで見つからないという絶望ループ、ついにAM4:00をまわったので最終手段、別室に布団を持ち込んで2時間だけ寝る、という屈辱の敗北宣言をした日もありました。

さてある日曜。病院から帰ると、嫁はんが作った朝ごはんのジャムトーストがぼうずの入院のバタバタで作ったまま放置されていました。
嫁はんはぼうずに付き添いなので今家に居るのは私だけ。疲れたから晩御飯に食べようとそのままにしていました。
さてと、溜まった洗濯物を片付けよう・・・としたその時! 奴が! 黒の素早い蚊が! 私の眼前に踊り出て挑発しては姿を消しました。

んに゛ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!

早速私は疲れを忘れて蚊殺モードに入りましたが今回も虚しく、まるで見つけることができません。
諦めて炊事洗濯、パンだけでは物足りないのでお素麺もゆがいて喰っちゃお。もうすっかり蚊の事も忘れていっただっきまー・・・・・・

蚊は、自然界では動物の血だけでなく花の蜜も吸います。
嫁はんの置き去ったトーストのジャムの上に、奴は居ました。梅ジャムです。
刹那、脳を通さず、身体が勝手に皿を叩きました。

大きくへこんだ蚊ジャムトーストができました。
手ぇがべっとべとになりました。
蚊はいなくなりました。
よかった。
よかった。
よかった。
よかっでゅをげびゅあぁぁぁぇえぇえあぁぁゎぁぁぁかああぁあぁぁのヴぉけぇぇぇゃわああおおおえあああおおオオォォオポムチャン

(寸評)おいしかった?
特に蚊の目玉は最高に美食グルメらしいからね。
今後も食材としての蚊の活用をお薦め致しま・・・せん。 7ポイント。

フレーフレー、○○○!!

長らく続く不況と少子化現象により、大学の定員数に対して受験生の総数が下回るという「大学全入」時代を迎えるようになりました。私立大学はもとより国公立大学も学科人員を縮小していっています。
そんな中、大学予備校の経営も苦しくなってきています。受験生が少なくなっているのですからそれは当然のことでしょう。しかし今から30年ほど前は予備校は隆盛を誇っていました。各予備校とも大学受験のスペシャリストとも言うべき人気講師が次々と輩出していき、芸能人のようなスター性をもつ教師が何人も生まれました。私、波照間エロマンガ島も受験生時代は予備校に通い、名物教師の講義をよく受けたものです。ある先生は講義を始める前に教卓に置かれたファンレターを読むのが常となっていました。その先生はのちにバラエティー番組に出るほど有名になりました。
時は1月最終週、受験前のその先生の最終講義に出席したときのこと。講義が終わると、先生の挨拶となりました。先生は、応援団ふうに大きな声でエールを送り始めました。「フレーフレー、現役!!」「フレーフレー、一浪!!」ここまではよかった。つぎに「フレーフレー、二浪!!」と叫ぶと、大きな笑い声が起こりました。(二浪はしたくないよな)というため息が聞こえるようでした。そして、最後に先生が叫んだのが「フレーフレー、モグリ!!」。これはさらに大きな笑いが起こりました。つまりその人気教師の講義は、予備校内試験を合格した人しか受講できないのですが、その教室でモグリで入ってきている人にもエールを送っていたのです。私は、そのモグリの生徒でした(笑い)。モグリで受 講している自分にエールを送ってくれる先生の厚情に、おバカなわたしは感動しました。(波照間エロマンガ島)

(寸評)そういうのいいね。
昔は大学も天ぷら学生が結構いたよね。今はどうなのかな。
まあ俺は大学は籍があっただけでまともに行ったのは演劇のゼミだけだったからなぁ。 7ポイント。

スーツを着た男@湘南海岸

大学1年生の頃の話です。午後の講義が休講になったので、クラスメートと連れ立って湘南海岸に遊びに行くことになりました。その日わたしは理由もなくただのファッションでスーツを着て大学に行っていたのですが、スーツで湘南の海に行くと、それが場違いの極致で悪目立ちし、サーファーや海水浴に来ていた若者からゲラゲラ笑われる始末。水辺を歩くさまは、まるで借金苦で入水自殺するサラリーマンのようだ、と皆に笑われました。今となってはなぜその日スーツを着ていたのかも記憶に薄いのですが、そんな19歳の頃の思い出です。(波照間エロマンガ島)

(寸評)まぁお笑いネタでもないのに下着姿を公然とステージ衣装にしてテレビとか出てる俺は何も言えません・・・。
やっぱりTPOってあるんだろね。 5ポイント。

目隠し

今の仕事とは全く関係のない、京都市南部にある短大2年の時の話。社会福祉学科だったため、「障害者福祉論」という授業があり、その授業中で出された課題が、「各自グループを作って目隠しをして学内を歩いてこい」というものだった。俺の周りに集まったと言うか、集まっていたのは、兵庫県明石のk(男)、岐阜県各務原のs(男)、愛媛県宇和島のy(男)、神戸垂水のe(女)、和歌山県東牟婁郡のt(女)、滋賀県甲賀市(当時は甲賀郡)のy(女)、そして俺の7人で教室を出発。

「このグループ、全く普段道理やんか」という声が、出発直前から聞こえたが、全員そんな事は気にしていない。しかし俺が気になったのは、滋賀甲賀のy。同じゼミのyとは前の年の11月に合同レポートを3人で発表した中の一人な上、レポート発表直後から好きだったのだ。ところが俺は以前から書いているような性格な上大の電話嫌い。そして、自宅生だったyは今のように新名神はなかったので、短大までかなりの距離があり、授業の後飲みに行くなどという事が一苦労だったようだ。
こりゃええわー、教室に戻ってくるまでには必ずyと歩いて喋るぞ。
そんな事を考えながら出発した時、俺の介助者は岐阜各務原s。
「先生実践してます、実践してまーす!」と言いながら歩く岐阜各務原sに対し、
「これ普段通りじゃ」と返す、兵庫明石kと神戸垂水e。
「先生が思ってはるような体験には俺のグループにはなれへんな」と俺。
「ところで浜っ子mは授業さぼって何してるんや?」と岐阜各務原sと兵庫明石k。
「あーまた点訳サークルのボックスで寝てるんとちがうか?学内やったら何処歩いてもええ言ってはったから途中で見に行こうや!」と俺。
まあそんな事話しながら、実践になっていないのを実践と言い、キャンパス内を歩き続ける7人組。
「おーこれが神戸垂水eの彼氏の400のバイクか」と兵庫明石k。
「駐輪場初めて来たわ」と俺。
「確かになあ、おまえが来る事はないわな」と男子組。
歩いている間には俺が「替わって」と言って一応実践という形で介助者チェンジ。二人目の兵庫明石kから神戸垂水e。
「西大路君とは帰りによく会うんよ。点訳と手話、ボックス隣やろ。JR奈良線で京都で東海道線に乗るねん!」と神戸垂水e。
「京都駅で10番線から5番線まで必ず走るねん(笑)」と俺。
「京都駅から新快速に乗りたくてそれがぎりぎりやから西大路君に走ってもらうねん。で、西大路君は4番線から普通やもんなあ!」と神戸垂水e。
「距離はちょっとやけどありゃええ運動になるわ!」と俺。
そんな事話しながら次の介助チェンジでついにやってきてくれたよ、滋賀甲賀y。
ところがこのyの性格か何なのか、お世辞にもおとなしい性格とは言えないものの、俺を除くおバカ男子の間ではおとなしいと言われていたのだ。そんなおとなしいと言われる部分が、俺が存在に気づかないという事多数。
「あれ、yちゃんいつから居た?」と俺。
「いやさっきからずっと隣に居たで」と滋賀甲賀y。
この部分を、俺を除く男子組はおとなしいと勘違いしてたようだ。
そんなyとの会話。
「和歌山東牟婁のtちゃん、愛媛宇和島のy君と自動販売機の前で本当に目隠しして何かやってるで!」と滋賀甲賀y。
「tちゃん実践してるんや、信じられへんなあて言うたら怒るか(笑)。て言うかここ点訳のボックスの前やん!」とおれ。
「電気ついてるよ!」と滋賀甲賀y。
「浜っ子m居るやろ」と俺。
そしてボックス開けたら
「おはようさん、おまえら何してるんや?」と浜っ子m。
「何してるんやておまえこれ授業じゃ。目隠し体験の授業じゃ!」と一斉。
「目隠し体験てか、西大路居たら授業になれへんやろ!」と浜っ子m。
「まあ介助に関しては普段道理じゃ!」と男子組。
「まあがんばってくれたまえ」と浜っ子m。
「やっぱりおまえは出えへんのか!」と男子組。
そしてそんな浜っ子mに別れを告げボックスを退室。俺はと言うと、滋賀甲賀yが介助者になったためまだ一緒に歩いてない愛媛宇和島yと和歌山東牟婁tはどうでも良い。そのまま元の教室に戻ったのであった。
社会福祉学科、勿論真面目な学生は多いが俺を含むこんな学生も存在したのだ!(西大路)

(寸評)俺もすごろく旅行のクジで「ふたり一組になりひとりは目隠しをしてもうひとりの指示で一緒に散歩する」というのをやったことあるなー。
なんてこと無い場所が怖い怖い。ちょっとした段差につまづく。
外を歩くのって大変だということを身を以て知りました。 8ポイント。

座りなおし

それは昔わたしがライダーだった頃の話。いや、乗り始めの頃ですね。有難いご縁で、元レーサーの方達も混ざっているようなツーリング仲間に入れて頂き、二十歳ソコソコで危なっかしくバイクに乗り始めたばかりの自分を、皆さん優しく厳しく細々とご指導くださりながら時折の休日のツーリングを楽しんでおりました。
自分はとにかく初心者なので皆さんのやることを見ては真似て、交通マナーやライディングの基礎をなんとなく身体で覚えていくのに必死、そんなある日のツーリングにて。
古株だけれど最近はあまり顔を出されていなかった、元レーサーの御常連さんがその日は久々にご参加。私は後ろにつかせてもらって、色々とそのオジサマの真似をしていく中で、新しい発見もあり刺激的なツーリングをいい感じで楽しんでいっている途中のことでした。
休憩から発進してすぐ、長い信号待ちの後、その方はステップに足を置いたまま立ち上がるような姿勢を取り(ウィリーに入る前のような体勢)、お尻をブルブルっと左右に振って座りなおしたのです。
その前から、その方がその動きを発進後走行が落ち着いてきた頃にやっているのは見ていました。
ふむ、なんだろう、やってみよう。
、、、
やって気付いた。これ意味ない。
それはチンポジションを直している動作だったのです。
後ろに居てた人達、苦笑やったやろうなー。2回目以降せんかったから、皆もたぶん気付いて「ジェレ美ちゃん、あれはせんでもええのんよ」とは敢えて誰も仰らなかったんだろうなぁ。
今だに思い出して時々独り赤面します。
あの動き、、、せんでよかった。(ジェレ美)

(寸評)男は時々チンポジ直すけど女性はビラポジは直さないのだろうか・・・。 8ポイント。

乗せてあげるよ

今日も今日とて朝ヨガの帰り。
お腹減った〜と家路へと急ぐ私。
近道をしようと、ほそっこい道を入ったところで、リクルートスーツ姿の女の子に呼び止められました。
「すみません。駅はどこでしょう?」

私はそこから10分ほどの最寄り駅への行き方を教えました。
すると

「いえ、近鉄ではなく、JRの方の駅を・・・」

えっ!?

そこは、JRの駅からは、かなーりかけ離れた場所。
予想外の事で思わず

「遠いよ!!」と言ったら

「はい。行きも歩いてきたので、それ(遠い事)は知ってます。」

訊くと、ある会社での面接が終わって、来た道を戻ったつもりが反対側に歩き出しちゃったのか
いつまで経っても、見覚えのある道に出てこない。あ〜私もよくやるやつやー。
そうなんだよ、そうなんだよ。方向音痴ってのは、一旦建物に入っちゃうと今度出る時にはもう分かんないんだよね。

見れば、履きなれないパンプスで靴擦れもしている様子。
あんまりにも可哀想だったので、思わず

「駅まで乗せてあげるよ」と私。

言ってしまってから気付いたんだよ。自分が『自転車』だって事に。しかも後ろカゴ付きの。

「えっ!? 」
女の子、一瞬絶句。
私も「しまった!!」と絶句。

その後、二人で爆笑。

「ありがとうございます!なんか元気出ました。大丈夫です。歩けます」

と女の子が言ってくれた。
私は自分のおバカ発言が恥ずかしくって

「き・・・気を付けてね。じゃぁ」と言い残して、マイカー(自転車)で逃げるように帰ってきました。

あー恥ずかしや〜(;´Д`) (でゅおめいぷるようこ)

(寸評)その子がE.Tならカゴの中に乗れたかもね。
その姿を想像するだけで爆笑! 10ポイント。

鳴らない!!

9月4日「大阪880万人訓練」がありました。
この訓練の内容は、この日大阪にいたら、たとえマナーモードにしていたとしても携帯に『音付きの緊急速報メール』が届くというものです。

昨年の事。
初めてこのメールが届くというので、バイト先の事務長は朝からソワソワ心待ちにしていました。

「院内だし、うるさいから電源を切っておきましょうよ」
という看護師長の言葉を遮り
「いや、初めてだし、どんな音が聞いておかないと、いざという時対処できないからv」
と携帯の電源をOnにし、デスクに置いて、今か今かと待っていました。

そして9時過ぎ。。。

待合いの患者さんのスマホ、スタッフのスマホが一斉に鳴り出しました。
結構大きな音で、鳴ると分かっていたのにビックリしました。

事前に訓練がある事を知らなかった患者さん達が騒然とし始めたので「訓練ですよ」と説明に回りました。
暫くして音が止み、事務長に「結構大きい音で、ビックリしましたねー!!」と話しかけたらポツリと

「実は俺のだけ鳴れへんかってん・・・」

「え?なんでですか!?」

「・・・・なんか寂しいわぁ。こんなんほんまやったら俺だけ逃げ遅れるやん」

いや、あんだけ一斉に鳴ったら、気付くでしょうが。

「取り残されるやん・・・」

ちょっと前まであんなりワクワクしてたのに(笑)。
どうやら、事務長の携帯。かなり古いガラケーだったらしく、非対応の様でした。残念。

それを機に(かどうか知らないけど)今年は事務長、スマホ購入!!

4日の朝、張り切って「さあ、もうすぐ鳴るな!!」と嬉しそうでした。
「さあ、どんな音が鳴るのかな〜!!」
去年と同じだよ。。。

そして9時過ぎ。。。

無事鳴りました!!事務長のスマホだけが(笑)!!

今年は前もって訓練の連絡が行ってたので、皆電源をオフにしていたのです。
「ちゃんと鳴りましたね。よかったですね。」と話しかけたら

「・・・なんでみんな止めてるん?なんか寂しいわぁ」(でゅおめいぷるようこ)

(寸評)ハハハ、みんなと同じじゃないと嫌なのねー。
スマホはおろかケータイも持たずの俺は目の前に津波が迫っていてもシンとしたものです・・・。 8ポイント。

ポジティブvsネガティブ

昨日は、あるドクターのお誕生日でした。
朝に医局から降りてこられた時に「先生、今日お誕生日ですね。おめでとうございます」と声をかけたら
「この年(63)になったら全然嬉しくないよ。年はとりたくないねぇ」
と答えが。

そしたらまた別のドクター(65)が言いました。

「年をとるのは悪くないぞ。なんてったって周りの誰を見ても『若くて美しい』と感じるからなー」

と言うのです。

「開業当初を思い出してみろ。俺達みんな30代で、50代の患者さんの事をババアと思ってただろ?(オイ!!)
それがどうだ、最近僕なんて、わー綺麗な人だなー♡と思ってカルテ見たら75歳だったよ」

ですって。

「年とってよかったよ〜。開業当時はナースも事務もババア(年上)ばっかりだったけど(コラ!!)
今は全員ピチピチギャルに見えるし(20代〜60代まで)ありとあらゆるタイプの美人に囲まれて仕事してるんだからな!!」

物は考えようですね。

先生に『ピチピチギャル』と言われた看護師長(60)もまんざらでもない様子でした。

話を聞いていた誕生日の先生が

「でもババアはババアだけどな」

と言い残して診察室に入っていきました。

それ、言うたらアカンやつ!!(でゅおめいぷるようこ)

(寸評)いや〜実際少なくとも同い年は女性として見られる。
なので50代も魅力的な人がいっぱい。
もっとも本当に最近の40代、50代って人によっては若者とあんまり変わらないよね。
・・・人によっては確かにジジイだが(笑)。 8ポイント。

飛び受け身

高校1年の頃の、部活動のお話です。

中学校では転校前はぜんぜん興味が無かった写真部(動物園でアライグマのケツばかり撮って顧問からやめてまえ、と言われた)、転校してからは結局なんの部活もせずにダラダラ気楽に過ごしてきた私にとって、高校での部活動なんて考えもしてなかったのですが、案の定クラスにまるでなじめず日がな一日机に伏して半泣きのまま過ごすのにも飽きて、たまたま同じ高校に受かった中学からの友人・K山とS井に誘われるがまま、合気道部なんてな珍妙な部活に入ることになってしまいました。

もちろん形(かた)を中心に演武を見せる、という非格闘系の穏健な部活なのですが、文化部とも言えず、運動部にしては激しくない、みたいな実に中途半端なポジションの部でした。ちなみに文化祭にはいつも講堂の舞台に畳を敷いて演武+ミニコントを見せていました。
じゃぁ運動音痴どころか運動をつかさどる脳の基本的な部分が欠如している可能性さえ疑われるレベルの私にでも務まりますか? というと答えはノー。相手の仕掛けた技の見た目をより鮮やかにするために、受け身の練習が非常に重要なのです。いささかプロレス的な部分がありますね。

背中からのオーソドックスな受け身、前回り受け身、後ろ回り受け身、とにかく受け身を仕込まれますが、素人の私達に難しかったのが「飛び受け身」。いったん空中に我が身を預け、回転して背中から落ちる、というものです。
夏休みの練習時間。自由練習になったので私とK山はなかなかコツを掴めない前回り受け身をマスターせんと飛び受け身を繰り返すことにしました。

・・・50回連続で。

ジャンプ→回転→落下、その衝撃を腕でばしんと叩き払う。K山とふたり、休憩すりゃいいのになぜか連続でやることに意義を見出したのか二人並んで意地の張り合いのようにばしんばしん。
一定のリズムで飛び続けていたので最後の方は気持に身体が付いて行かなくなり、頭が畳にすれすれの低空飛行で飛んでいたようです。先輩がこのアホ2人大丈夫か、と心配そうに見ていたのが印象的でした。

御察しの通り筋肉獣のK山は「余裕」などと嘯いてぴんぴんしていますが、対照的に超軟弱な小太りの私は疲労困憊、その後の練習はほとんど何もおぼえていません。
しかしこの経験が活きてか、私は飛び受け身のコツを身体で憶え込み、部内屈指の投げられ上手と相成ったのでした。なんせ練習相手も身長が似ていることからほとんどK山だったから投げも強烈だし、飛び受け身をしないとダメージを逃がせないので飛ばざるを得なかったのです。

まぁそして大人になって日常生活の中で飛び受け身を取る機会はいっさい訪れていないのですが(笑)。先日合気道部創設35年の記念の演武をK山とやらされた時、15年振りくらいなのになんの違和感もなくほいっ、と飛び受け身を取れたのには我ながら驚きました。身体で憶えたものはなかなか忘れないんですねえ。50回やってみるもんだなぁ。なんかの役に立つ気はしないけど(笑)。(オポムチャン)

(寸評)一見無駄なようなことでも続けると意味が出てくるものあるよね。
俺は柔道習っていてうさぎ跳びばかりやらされていた。
後年「子供にうさぎ跳びは膝を悪くする」という医学的見地が発表されるとは露知らずに・・・。 7ポイント。

猿とK山

高校2年の夏休みの話です。

中学からの腐れ縁で高校に入ってからも部活を同じくする豊中の3馬鹿、K山、S井、そして私。3人は特段示し合わせたわけでもないのですが、理系科目は地学を選択していました。私とK山は文系、S井は理系でしたがめずらしく一致したのです。

さて地学選択者の夏休みの課題は、温泉と猿で有名な箕面の滝周辺の地層をスケッチし、場所と特徴を記録する、というものでした。
この課題、数年に一度あほのわが校の輩が野生の猿にちょっかいを出してはガンガン引っ掻かれ血だるまになるという間抜けな事故が起きていました。そんな課題やめたらええのに学校側は性懲りもなく、我々もあほほど暑い夏のさなか阪急電車に乗り箕面へ赴かざるを得ませんでした。

困ったのはK山のことです。
彼奴は背は171cmとそれほど大柄ではありませんが握力は100kgを超え、50mを5秒9で走る人外で、どちらかというと我々より猿の側にカテゴライズした方が良いのではないか、と思う野人です。
そんな彼奴が、山の猿との邂逅を楽しみにしない筈がありましょうか。いや、ない。
課題ついでに箕面の滝を閲すると、あらあらおばはんが背後から狡猾に忍び寄った猿に饅頭を奪われています。猿はそのパワー・スピードでそれぞれに劣る我々を嘲弄し、滝周りで次の獲物を待ちわびて跳梁跋扈しています。

・・・・・・やばい。K山の目が輝きだした!!

なんとかその場は誤魔化して移動、さくっと課題たる断層のスケッチを終えた我々。どうか帰路に猿が顕現しませんように・・・ との私の願いも虚しく、滝道から少し外れた山道で、偉そうに座っている目付きの悪い猿に出くわしました。

わちゃあ。私が諫める隙も与えず、K山は猿に向かって<わざと>お菓子を差し出しました。

猿が手を出します。
K山はすっ、とお菓子の手を引きます。

猿、イラっ。

K山は、またも挑発的にお菓子を差し出します。
猿もふたたび、手を出します。
K山がお約束で手を引っ込めようとしたその刹那!

がっ。

猿の手が、K山の手首を捕えました。
野生のパワーをなめてはいけません。凄い力で掴まれたK山が一瞬、たじろぎました。

しかし、猿サイドにも誤算がありました。
このK山という男は、スピードといいパワーといい、人間よりも猿に近いレベルの身体能力を持っているのです。

引っ張ろうとしても、K山は動きません。
それどころか、やっと宿敵と出会えた、とばかりにニヤリと笑みを浮かべたK山、猿の手に掴まれたお菓子を持つみずからの手首を自分の方へ引き寄せます。
猿の赤い顔が、一瞬蒼褪めたように見えた・・・ というのは言い過ぎですが、あきらかに戸惑っている様子。
おおよそ互角の引き合いの中、じりじりと我が元へ相手を引っ張るK山。ついに猿が観念しました。

ぱっ、と手を離すと、猿はこれまでの闘いがなにも起きていなかった、という風情の顔で、道の脇へふたたび座り込みました。

怒って暴れて引っ掻きに来なかったことは幸いでしたが、動物として、本能的にこいつには敵わない、と猿がK山を認めたのでしょう。
「余裕」
掴まれた場所は相当痛かったろうに虚勢を張り、しずかに微笑み勝利を喜ぶK山。こいつを敵に回さなくてほんとうに良かったです。一瞬全身を持っていかれそうな強烈なパワーだったそうですが、負けん、と引き返してやったのだそうです。いやいや無理無理無理。良い子は絶対に真似しないでね。

そして帰りの電車、なんかへんなにおいがするなぁ、とは思っていましたが、それはまさかまさかの猿のにおいで、K山の掴まれた手首からは約一週間、強烈なケモノ臭さがいっくら洗っても取れなかった、というオチが付いたのでした。

1994年。少し前にどっかの誰かが歌っていましたが、一部の人類は、すでに猿になっていました(笑)。きゃきゃ。(オポムチャン)

(寸評)猿は素早いよね。
俺もバリ島でカメラ盗まれそうになった。
一体何を撮ろうとしていたのだろう・・・。 7ポイント。

ゴールデンボール

後輩がバンドのゴールデンボンバーのことをずっとゴールデンボールと言い間違っていた。(多摩川)

そう言えば昔「金玉」という漫才コンビいたなあ。
あ、読みは「こんぎょく」です。 4ポイント。

スポーツ使用

今まであちこちで書いてるように、俺は大の軽四(特にワゴン)好きだ。しかし、同車種のグレード(例、タントとタントカスタム・サンバーとサンバースーパーデラックス)のような違いは何処が違うのかはっきり言ってわかっていない。ノーマルエンジン搭載車とターボチャージャーつきエンジン搭載車、前輪・後輪駆動と四輪駆動の違いは知識としてはわかるものの、車種だけを言われて実際に乗って同じ車種のどのグレードかはわからないのだ。今回は石川さんにははっきり言ってわけわからないだろう話だ。すんません、でももし知っておられたらごめんなさい!
昨年9月頃、親父が年齢による衰えを感じ、「自営の工場を閉めガレージに戻す」と言い出し、「この幅やと今の車入れにくいから軽四にしてくれ」と言う母親の要求に、急遽3年落ち、走行距離12000キロの中古の軽四を80何万円で購入する事に。リタイヤ家庭な上軽四好きな俺には理想の形となるはずだった。
しかしこのレベルの車で80万越えるか?でも今の軽四高いからこんなもんか?勿論車種は聞いていたのだが前にも書いたように、「カスタム」とか「スーパーデラックス」のような事は聞かされてなかったため、標準グレードを買ったと、これを書いてる2時間ぐらい前まで思っていたのだ。
ところが買った当初から、「軽四にしたら振動きついな!」「後部座席に乗ってたら腰にきてきついわ!」などと、特に長距離移動の度に両親は言っていたのだ。それに対し、商用バンやスポーツグレード、増してや日常移動の路線バスにならされている俺には、「こんなもんじゃ」と返すのがやっとだったのだ。
しかし、昨日4年目(新規登録後3年それ以後の二年毎の車検ではありません)に出した後返ってきてから、「いやーoさん、ようこんな車買いはりましたなあ思てたんですわ。これスポーツ使用で足まわりがしっかりしてるから振動きますねん。僕でもなかなかきつい車ですわ!」と、業者さんに言われたと言うのだ。
前に買った車はその業者を通して購入したのに対し、今の軽四は新聞の折り込み広告を見て買ったという大きな違いがあったのだ。
「そうそう、車種の後に何かついとるわ今の車」と親父。
「それがスポーツグレードの意味や。あまりにも振動振動言うし今日の昼間にネットで見てたらスポーツ使用あるは思たけどまさにそれやんけ。まあ、爺婆二人やし車だけでも若い人用で良かったな」と俺。
「あんたほんまに腰にきてきついんやからちゃんと腰治してや」と母親。
こんな要求してくる母親の求めに応じて今の車買ったはずだが、実際に運転した回数は数回だけだわ。やれやれ!(西大路)

(寸評)へえ、スポーツ使用ということはスポーツカーか!かっこいい! ランボルギーニでっか?(これしか知らない) 6ポイント。

元カノリュック

鍼の宿泊研修や旅行などで使ってる、普段使用の物より大きめのリュックを持ってるのだが、2007年最初に買った物は当時つきあっていた彼女に金を渡して頼んで買ってきてもらった物だ。ところが、2009年にその彼女とは自然消滅、しかしリュックは何処も大丈夫がしかし売って金に換えられる物ではなかったのでそのまま使う事に。
そして、2010年6月、今の研修会発足10周年記念旅行で北海道に。勿論そのリュックを持って行ったのだが、当時の学会副会長、
「西大路、そのリュックは何処でどうやって買ったんや?」
と尋ねてくるではないか。
「あーこれ、先生にも言ってた元カノに金渡して買ってきてもらったんですわ」と俺。
「そうか、大きいしっかりしてるリュックやなあ」と当時の学会副会長。
「「旅行の時私の荷物も入れてもらえるように」と言って大きいのんにしよったんですわ。リュックだけが残りましたわ!」と俺。
この副会長がそんなつもりで尋ねたのではないと思うがやれやれ。
ちなみにこの副会長、年齢もあって本年7月に相談役に、そして俺のリュックは今月上旬に研修会の後輩男に頼んで新しい物を一緒に買いに行ったのであった!(西大路)

(寸評)今度はその後輩男と別れたら・・・。 5ポイント。

グンバイムシとぼく

はじめに、このひとりでアッハッハーに投こうしていた、すこんぶさんにあやまります。王様の耳はロボの耳で、
「意味もなく虫をころす人がきらい。ころすことはない。自分の来世が虫になったらどうするんだ。」
と、投こうしていたからです。ごめんなさい。ぼくは、すこんぶさんにきらわれる悪いやつです。
まず、ぼくは花の世話をまかされています。それは、ひまわりの花です。朝に、水をあげていると、道を通る人が、きれいなひまわりやね、とほめる、まん中にたねがあるふつうのひまわりとはちがう、花びらばっかりの、めずらしいひまわりです。
このひまわりに、茶色のはん点がある、1、2ミリの虫がついているのに気がついたのは、3年ほど前でした。
夏の終わりになると、花びらはかれて、うす茶色になって、かさかさになります。そのかさかさのかれた花びらに、びっしりその虫がすずなりになっていたのです。
ぼくは、頭がおかしくなりそうでした。なぜなら、虫がきらいだからです。
せっかく近所の人も、きれいやね、と言っているひまわりに、そのうすぎたない虫がたくさんついていて、ぼくは我まんができませんでした。ホースを使って、水りゅうをさい強にして、水をかけました。でも、虫はとび回ると、元の場所にもどるだけで、平気でした。
よく見ると、葉っぱにも、そのきたない虫が一ぱいいました。ぼくはげん界でした。虫はきらいだけど、これ以上ひまわりが、虫にたかられるのが、いやだったのです。ぼくはおこって、片っぱしから虫をたいじしはじめました。でも、ちょっと押しただけではたおせません。力をこめてつぶさないと、平気にしています。ぼくは、半なきで、虫がいなくなるまで、戦いました。いやな気もちで、体がかゆくなりました。戦いは、何日もつづきましたが、む中だったので、何日だったかもうおぼえていません。鼻のあなをそうじしたら、その虫が鼻のおくから出てきた時は、何もかもがいやになってなきました。
次の年から、ぼくはあんないやなひまわりは、もう見たくないと思って、対さくを考えることにしました。パソコンで調べてみると、あの虫はやっぱりがい虫で、グンバイムシという虫の中の、アワダチソウグンバイという名前のやつということが分かりました。ひまわりに付いて葉っぱの中に玉子を生み、たくさんふえると書いていました。
かんじんの対さくは、さっ虫ざいをまくと書いていましたが、このひまわりは、おとなりのにし井さん(か名)がぼくに世話をまかせたので、勝手にさっ虫ざいを使うと、おこられるかもしれません。でも、一生けん命水やりをしている自まんのひまわりが、葉っぱの色が悪くなったり、花が早くかれたり、黒い点点がついているのは、このグンバイムシと玉子が葉っぱや花のえいようをうばってそだっているからだと知って、ぼくはやはりほっておけないと思いました。でもさっ虫ざいはひまわりにも良くないと思って、こまめに見つけてやっつけるようにしました。
でも、時どき、水やりであせを一ぱいかいて、しばらく虫のことをわすれてしまった時がありました。すると、1週間たてばあれだけやっつけた虫が、ひまわりじゅうにとび回っていたのです。その年は、ひまわりの世話をやめてしまいました。近づくのも、いやでした。
次の年は、もうあきらめて、人をかむわけでもないし、自然のことだから、しょうがないんだと思い、水やりだけに集中して世話をしました。でもやっぱり、すごいいきおいでグンバイムシはふえて、ぼくは、ないて世話をしなくなりました。にし井さんのおじいさんは、虫なんか気にしなくてもいいと言いましたが、おじいさんには見えていないから、気にならないのだと思います。水をやると、ひまわり全体から、みすぼらしい色の小さい虫が、わっととびちり、ぼくの服にも顔にもつきます。
ぼくは、いやでいやでなきそうになって、体中をたたいて、はらいます。しっかりたたかないとやっつけられないので、体も痛くなって、かなしくなりました。それに、花を見ている人の中で、グンバイムシに気がついているのは、ぼくだけでした。名前も、だれも知りませんでした。パソコンにもちゃんと書いていたのに、だれもわかってくれません。お母さんだけが、ぼくと同じ気もちになって、対さくを考えてくれました。パソコンで一ぱいグンバイムシを見たので、気もち悪くなったと言っていました。
けっきょくこまめにやっつけるしかないけど、ふえる前にできるだけ数をへらすようにしよう、ということになりました。黒い点がついた葉っぱは玉子を生みつけられているので、すぐにちぎってすてる。にし井さんにおこられないように、すてすぎないこと。見つけにくいところ(葉っぱのうらやかさなったところ、花と葉の間のせまいところ)にふえるので、毎朝チェックすること。
そうして次の年をむかえました。またにし井さんがひまわりを門の前におきます。本当のことを言うと、このひまわりの花は、めずらしくてとてもきれいだけど、もう今年はおいてほしくないな、と思いました。でもみんな毎年よろこぶし、にし井さんもそれがうれしいみたいでした。おかないで下さいとは、言えませんでした。
ぼくは本気になりました。今年はスタートから、ぼくとグンバイムシのしんけん勝負だ。

黒いはん点のついた葉っぱはようしゃなくすてる。親虫を見つけたらすぐたおす。全部の葉っぱのうらを毎朝見る。
そのうち、葉っぱの上やうらに茶色のつぶつぶを見つけるようになりました。何かと思って良く見たら、それはきょ年までは気づいていなかった、玉子からかえった小さい小さいよう虫の集だんだったのです。
ぼくはたおれそうになりましたが、もう負けたくありません。お母さんがくれたビニール手ぶくろをして、葉っぱごとまとめてやっつけます。また朝に全部の葉っぱをチェックしたつもりでも、見のがしていることもあって、次の朝ふえていたこともあるので、夕方にもチェックをするようになりました。
おかげで、今年はグンバイムシは、いつもにくらべてとても少ないです。でも油だんすると、すぐたくさんふえるから、今も毎日が戦いです。もうぼくもグンバイムシたいじのベテランです。近所の人が、あんまりむ中で虫をつぶしているぼくを見て、大へんやねと言って、心ぱいそうな顔をします。
でも、本当はグンバイムシは悪くなくて、ぼくが、たかられるのがいやだという理由だけで、毎日毎日たくさんころしているのです。
本当は、にし井さんがひまわりをおかなければ、こんなつらい気もちにならなくてすむのに、と思います。
それでもぼくは、きれいなひまわりを見て、みんながよろこぶのがうれしいので、今日も悪いことをつづけます。ごめんなさい。きっとぼくは、地ごくに落ちるでしょう。えんまさまに、今からファンレターを書いて、少しでもかるいけいにしてもらおうと思います。(おぽ虫)

(寸ぴょう)それは大へんだったね。虫はかずが多いからね。小さいのがたくさんいるとぼくもそっとうするよ。
虫のいない地ごくだといいね。 9ポイント。

ぼうず左右セレクトドライヴでGo! Go! → 意外な展開に

2015年8月。出前ライヴで身の丈に合わぬ大枚をはたいたところへ13年乗ってる車のクーラーが臍を曲げ、このクソ暑い時期にぜぇんぜん冷えなくなり見積もりを依頼したところ5万3千円也、私は女房子供を連れた買物の帰り、ちょっと郵便局寄ってえぇ? と窺い、半泣きで5万円を下ろしに行きました。
ATMでお金を出し、いよいよ空しくなる残高を見つめて虚無的な気分になりつつ冷房の効かぬマイカーへ帰還、そこからが今回の旅のはじまりでした。

ふつうなら駐車場を出て左へ曲がれば私共の住まう家方面。しかれどもこの日ぼうずは、
「ちがうよ、こっちっ」
と家とは逆方向を指差しました。まぁ単純に車に乗るのが好きなぼうずなので、帰りたくなかったのでしょう。
車は行ったことも無い右の道へ、いったいどんなわけのわからん場所へ誘われるのでしょう。そこで私のいつもの行き当たりばったり癖がにょきりと勃起しました。

オポ「じゃぁぼうず、交差点のたびに右か左か選んでみて。それでどこに行くかわからんドライヴにしてみよう」
ぼうず「うん」
嫁はん「またそんなんやるんか! 望むところや」

つくづく私は家族に恵まれています。こんないきなりのあほな提案があっさり通ってしまうのです。ちなみにカーナヴィなんぞ付いていません。ゆえに楽しめる先の見えないランダムドライヴ。
(お暇な方はグーグルマップで「豊中東豊中郵便局」から南下して辿ってみても面白い・・・かどうかは責任もてません。)
見たこともない団地を横目に南下、ほう、こんなところに出るのね。交差点「東豊中団地南」。ぼうずの選択は左。東へ。
しかしこの先まだまだ出て来る交差点。この調子ではすぐにめんどくさくなりそうです。

そこで急遽ルール改変、突き当たるまで(つまり真っ直ぐ進めない右か左かを選ばなければいけない交差点に差しかかるまで)直進、そこではじめて左右を選ぶのはどうか? となりました。さすがに信号ごとに選ばせるのは大変です。選択の機会は大幅に減りましたがまぁどっかですぐに突き当りが現れるでしょう。

大きな道路をゆるやかにカーヴし名もなき交差点を直進、急坂を登りきり東泉丘の郵便局を過ぎて大きな道は右へ曲がり下り坂、パスカルズの野外でもお馴染みの服部緑地公園に差しかかります。ここでようやく待望の初突き当り、ぼうずの選択はまたもや「ひだり」。

・・・・・・ここからが意外でした。
服部緑地の東縁を南下ってずっとさっきから南にばっかり進んでるな、この道は狭めなわりに府道で、あっ県道の京都・大阪版ね、じゃぁ北海道では道道になるのかしらん、と調べたらほんとにそうで衝撃、閑話休題、府道134号、という道だそうです。どこへ繋がってるか知りませんが、つまり府道ってことは、けっこう先まで突き当らないんじゃないの・・・・・・? すでに豊中市を逸脱、お隣の吹田市に入っています。

名神高速道路の下、道幅はかなり狭くなってきます。車どうしのすれ違いも大変なレベルです。あっこれはもうすぐ突き当るぞ。しかし内環状線という大通りを交差したあとも細いながら道はまっすぐ南へ伸びています。もちろんこんな道、通ったことありません。いよいよ怪しくなってきました、これ・・・ 本当にぜんぜん突き当らないんじゃ・・・・・・? 
あんまり直進が続くので選択の楽しみがないぼうずは眠りかけてしまっています。次に突き当った時のために一応聴いておきます。「みぎー」。

選択させたはいいがまるで道は突き当りません。ついに神崎川を越え、大阪市に入ってしまいました。わっちゃ、道、広なってきたがな。進行方向左側には新御堂筋、並走する地下鉄御堂筋線の高架を見てぼうずが覚醒します。それでもなお直進する道。
ここでふっと私の頭に、この道の終着がよぎりました。
これ・・・ 新幹線の線路にぶち当たるな? 
そう、この先は新幹線・新大阪駅です。もちろん新幹線は高架ですがJRも並走している場所であり、大きな線路がたくさん地上にあるため跨線橋かトンネルがないと直進はできないはず! この道幅では両者とも・・・無いはず! メルパルク大阪の横を抜け、ようやく突き当り!! なんと豊中市の服部緑地からからえんえん直進して南下、新大阪の駅まで到達するとは思っていませんでした(もちろん、カーナヴィをお持ちの方には一目瞭然なのでしょうが)。この歳までまるで地理やものごとを知らずに生きて来たので、新しいことを知る機会がたくさんあって愉しいです。あほ得。

ちなみに続きはもういいでしょうが、右行って4つ目の交差点がへんな作りになってて強制的に北向きに、ロイホの有る大きな道路を越えたところでだしぬけに道がめちゃくちゃ狭くなり、これ以上北に進むともはや私道レベルの超細道に迷い込むところで泣く泣く強制右折、知らぬ間にさっきの府道134号に進入しJRにぶつかるまで東へ直進、その先のトンネルが微妙に直進・・・ ではなかったので道なりに左折し北へ、神崎川に当たってぼうずは左セレクト、とうとう寝てしまったぼうず。最後は私が新御堂筋に突き当ったところで右を選んで試合終了、北上し豊中に帰りましたとさ。なんか説明だらけでようわからん投稿だったな。おもんなくて失礼しました。(オポムチャン)

(寸評)これって俺の「すごろく旅行」の車版みたいなものだね。
どこに行くのか分からない旅。でもそれこそ旅の醍醐味なんだよね。良い家族でよかったね! 9ポイント。

夏休み終わり

学生時代、図書館でアルバイトをしていました。
そこで毎年恒例の風景、それは夏休み終わり際の子ども図書の悲喜交々です。
何年か勤めた経験から、私の観察をまとめますと、
8月20日頃から→ぼちぼち机スペースが宿題持って友達同士連れ立った子どもたちで埋まるようになる。
8月25日頃から→「だからサッサとやっときなさいって言ったでしょ‼︎」と怒る親に引っ張られてくる子どもたちが増える。
ここでカウンターに来るのは大抵「もやしの栽培の本を探してるんですが」で、表に出てるのはあっという間に貸出されてしまうのでバイトが閉架に走る走る。
8月28日頃→図書館の子ども図書スペースの騒然さ及びもやしの本の需要がピークに。とはいえさすがに本が尽きる。司書さん達も慣れていらっしゃるので、「カイワレならありますけどね」。親御さん「あっそれで!!○ちゃん、もしくは無いんだって、カイワレにしなさい、カイワレっっね!」。でまたまたバイトが閉架と開架を行ったり来たり。
8月30日・31日→にわかに子ども図書スペースが静まり返る。
昨日までは親御さんの怒号や泣き出す子ども達であふれていたけれど、最後の2日間ともなると一転、必死の形相で親子黙々と机スペースで宿題を片付ける姿ばかりに。。。
と、以上がほぼ毎年繰り返されるパターンでした。因みにバイトが一番大変なのはその後の9月の第一週末。夏休みの最後に借りられた本がごっっそり返却されるのです。
かくいう私自身が小中高とマッタクもって○休みの宿題というものを終わる直前までやらなかったダメ生徒でしたもんですから、毎年繰り広げられるそんな風景はどちらかというと胸が苦しく、、、いつも「ガンバれガンバれ!」と応援目線でその光景を見ていたのでした。(ジェレ美)

(寸評)ああ、そうだったねー。
まぁ俺もテキトーな物提出してたな。
興味のあることはいっぱいあって夢中になってやっていたがどれも教科とは関係の無いものばかりだったもんなー。 6ポイント。

小猿サイズの

小学校時代、給食の時間にクラスの男子が始めたアソビ。
ビニールパックのソフト麺を握りしめ、拳からパンパンになってはみ出してきたブツを、周りに見せびらかして一言。

「白い脳みそ!!」

グニャグニャに絡まったソフト麺がビニールの中で丸く押し固められて、なるほどそれはシワシワの脳みそによく似ていました。
これを受けて他の男子達も真似し始め、あちこちの机に小猿サイズの脳みそが出現。(オフコース、僕もやりました) あまりにも、あまりにも男子的な…。女子の皆さんはきっと呆れていたことでしょう。(イーダ健二)

(寸評)あ〜、そういうことやったよね。すげえ楽しかった。
本当は大人になった今でもやりたい(笑)。 6ポイント。

20年前の地図

王様の話題173で紀伊半島に友達と車で行った事を書いたが、この友達が乗っている車は実家の物とは言え20年前の物だとか。で、これ当然と言うべきなのかはわからないがナビはない。勿論地図を見ながら走るのだが、二日目和歌山県と奈良県境にある瀞峡から下北山村までどの道を通るかという話になったのだ。
「国道169号線瀞峡トンネルから北に向いて一瞬十津川村に入るけど、ここからの169は新宮熊野川と違ってずっと走りやすいとネットで読んだ事あるで」と俺。
「あー今十津川村に入ったけど169号にそのまま入って次のトンネル抜けてしもたわ」と友達。
「ええ?そのまま走ってたらええんとちゃうん!」と俺。
「いやいや、この道地図でさっき見たんやけど、かなり東にふられるんよ、つまりはな、熊野市方面に寄ってから下北山に入って行くから遠いんやって!」と友達。
「と言う事は、そのまま十津川村を北に行くと下北山には早く着くという事か」と俺。
「そう言う事やわ。そやからさっきのトンネル戻って入り直すわ!」と友達。
てなわけで友達が言う奈良県道に入り、何処からこの道になったのか、国道425号線。
「この国道、えらいグニャグニャで離合しにくい道やわ」と友達。
「425号線か、最悪な道に入ったな!」と俺。
「ええ?こんな感じで下北山まで永遠続くんか?」と友達。
「俺はこの道初体験やけど、ツーリング族に言わせると最悪やと、この前MBSラジオに投稿してはったで!」と俺。
「おー今ブレーキきいてへんかったなあ!」と友達。
「うん、左のタイヤが滑ってたな!」と俺。
「下北山10何キロ。てこの10何キロが遠いって!」と友達。
「そやから169号走ってた方が永かったかもしれへんけど走りやすかったと思うで。ネットの情報やから何ともわからんが!」と俺。
「いやーこの道は強烈やわ、ぜんぜん距離稼げてへんわ!」と友達。
「まあ確かに奈良県十津川村から三重県尾鷲市まで最短ルートに思えるけど実状はこれじゃ!」と俺。
まあこんな事を話しながら酷道425号線は無事に抜けられたのだが帰った後で、
「あの地図何年前のやつ?」と俺。
「あーあれ20年前の関西マップル!」と友達。

車が20年前の物はまあ良いとして、地図も20年まえか。今月(9月)20日には天川村に軽いハイキングに行く予定があるのだが、出発地点までは車だとか。無事に着けるのか?しかもこの日はもう一人合流してくるのだが、この人があの以前投稿した、大阪から京都に来ようとして兵庫に行きかけた人でっせ(笑)(西大路)

(寸評)道が迂回してるのはそれなりに理由があるんだよね。
地図だけは新しいものが常に必要。今はネットがベストかもね。 6ポイント。

このお客さんはタイ人? それとも日本人? 見分けがつかないおバカ

職場がオフィスタワーの高層階フロアから路面店に変わり早2ヶ月。未だに慣れないことがあります。お店に来るのは日本人とタイ人が半々くらいなのですが、タイ人が入ってきて「いらっしゃいませ!」と言ったり、日本人が入って来て「サワディークラップ!」と声をかけてしまったり。とにかく人種を間違えることがしょっちゅうなのです。いわば50%の確率なのですが、それでもよく間違えます。アシスタントの女性は私がわざと間違えているんじゃないか、とゲラゲラ笑う始末。いや、わたしには本当にそう見えるんですってば。というわけで、在タイ歴8年目になるのに、いまだにタイ人と日本人の見分けがつかないおバカさんの話題でした。(波照間エロマンガ島)

(寸評)まぁ似てる人はいるけどやっぱり基本的には違うように俺は見えるが・・・。
何かの才能かも!? 6ポイント。

コンビニ唐揚げ・ブルース

私はコンヴィニエンスストーァの揚げ物馘首、じゃねえよこれじゃ首チョンパだ、もとい各種が大好きです。
ハムカツ。フライドチキン。ポテト。鶏唐揚げ。フランクフルト。メンチカツ。カニコロッケ。揚げたこ焼き。犬も歩けば当たる勢いでそこかしこに軒を連ねるコンビニ各店、そこに鎮座まします放っとけと言われても決して放っておけないホットケース内の魅力的なラインナップが今日も仕事帰りの私の食欲中枢をかどわかしに来ます(いや来てねぇし。お前が向かってるだけだし)。

私は血中脂肪が異常値を示しており、このような悪質な油が大量に含有された食品は努めて避けるべきではあるのですが、どうせ私の如き愚鈍な人間未満の小動物、と言うと小動物の皆様にご迷惑が掛かるのでまぁ生ける恥垢みたいな物体は、なるべく早い時期にこの世界から消滅するのが望ましく、それ故に身体に悪いことは皆様にとってプラスにしかなり得ないのだ。ははは。よかったぁ。

と毎度お馴染みの卑屈な自己不要感に浸りつつ半ば自棄気味に今日も求める揚げ物たち。さて上記のうちで私が特に好む品はどれでしょう、なんて問いに意味はなく、そもそもぜぇんぶ好きなわけですが、そのうちで思い出深い唐揚げについてお話しましょう。

①。某コンビニの唐揚げは袋詰めがテキトーで、セロテープをぴっ、と申し訳程度に張っただけの状態で置かれていました。
私は会計をしようとレジへ赴き、金銭を支払いさあ喰らわん、と勢いよく唐揚げの袋をレジから引いた途端、袋から4つの唐揚げが勢いよく飛び出し、レジカウンタに2つ、床に2つ転がりました。

店員の兄ちゃんは蔑んだ瞳で私を一瞥し、はっ、愚鈍め、床もレジも油まみれにしやがって。この愚図。他のお客様のご迷惑だ、はよ往ね、という顔をして次の接客に移りました。
私は卑屈な所作で唐揚げたちを拾い集め、店外で涙目ですべて頬張っていました。性格上、お金を出した食べ物を簡単に打ち捨てることができないのです。たとえ床に落ちたとしても・・・。おいし。嗚呼、おいし・・・・・・(涙)

②。仕事でへろへろになって帰宅の途中。ああ畜生、お盆はなんで毎年こんなややこしいお客ばっかり来やがるんだ大便失禁者、もといくそったれ。
こんな時私の心と胃袋を慰撫するのはコンビニ揚げ物だけ。JR西九条駅周りに多数蝟集するコンビニのうち、今日はどこにしようかな。業界No,1の某店にしてこまそ。とウキウキ店内に突入したところさすがは業界No,1、2つあるレジは長蛇の列を成しています。雙龍の如く。
いつものようにカフェオレビターショットを手にし、唐揚げ5ヶ入りを注文。ハムカツも食べたかったのですが流石に身体が心配になってやめました。ここで私は何故ハムカツだけにしておかなかったのか、と悔いることになります。そして何故袋をもらっておかなかったのか、とも・・・。

環境に配慮してるつもりでシールだけにしてもらい、店舗ドアを出たすぐの場所で私は唐揚げを小脇に抱え、カフェオレの持ち方を調整します。すぐに喰えるようにです。
肉達の入った箱を開くと、そこには油でぎとぎとになった硬くて黒い唐揚げ、揚げられてから時間が経って染み出た質が悪いであろう油は底に液体として滴っています。
疲れのピークにこの唐揚げを与えられたという衝撃、落胆。しかしレジのお姉ちゃん達は休む暇なく雙龍のお客を捌き続けています。文句など言えましょうか、いえ、言えまい。私とて接客業で今日はえらい目に遭ったのです。同志を、責めはしまい。

小脇の唐揚げの紙箱を左掌に乗せ、ガリバリと喰らい付きます。かたい。でもしかたない。底面の油溜まりになるべく浸さないようにして、虚無的な表情で、がりり、ばりり。
切ない気持ちで喰い終わり、気が付くと私の左手は油地獄、そのうえ袖口に巨きな油染みをこさえてしまっています。 慌てて箱を始末しようとすると右手のカフェオレが邪魔で手元がおぼつかずさらに被害は拡大、こんなことなら袋を貰っておいてどちらかを手首に提げておけばこんなあほみたいな事態にはならなかったのに・・・ 手首・腹・左脇にかなしく黒い油染みを作った私は爪先で辛うじて鞄からティシューを取り出し、手を拭います。大阪にはティッシュ配り兄さんが多数彷徨しており、不幸中の幸いながら私の鞄には常時たくさんティッシュが入っています。突然野外でもよおした時も安心・・・ ってせんわいそんなこと。今はそんな冗談を言う余裕などありません。

油は完全には拭いきれず、私はぬるついた両手でカフェオレを飲み干しました。いつものビターショットがいつも以上にビターなテイストに感じたのは何故でしょうか。やり切れない気持ちのぶつけ所が、何処にも存在しないから? うふふ、きっとそうね。そう、悪いのは袋を貰わなかった、そんな身体に悪いものを注文した、私のほかに誰もいないのです。嗚呼。

以上、夏の夜に泣き泣き歌うコンビニ唐揚げ・ブルース2曲でした。♪それでも揚げ物ぁや〜めら〜れな〜〜ぃ・・・。お粗末。(オポムチャン)

(寸評)食いもんでいっちゃん旨いものは結局アブラかもしれない。
♪アブラブラブラアブラブラ〜 アラブにアブラが多いというのも何かの縁か。 7ポイント。

海はどちらでしょう

入社したての頃、奈良で夜に歩いて大阪まで行きたい、と言う困ったおっさんに1000円を恵んでやったという愚が骨頂な話を投稿したところですが、なんと嫁はんも似たようなことがあった、などと申すではありませんか。ひとつここはネタも切れてきて苦しいので配偶者のふんどしで相撲をとりましょう。

奇しくも舞台は現在私達が住んでいる場所の最寄りのバス停近く、現在我々の住む家には当時嫁はんのお祖母ちゃんとその息子たる叔父さんが住んでおり、嫁はんは2人にちょくちょく顔見せに行ってました。まだ息子も生まれておらず、駅前の古代マンションに2人でイチャイチャウフフしていた頃です。

夏の日。嫁はんはバスに乗ってマンションへ帰らんと停留所へ向かって徒歩しておりましたら、不意に見知らぬおっさんに声を掛けられました。
この女房、昔から不思議と虫・おっさん・子供によくまとわりつかれる傾向があり、そんな面妖なスキルのせいで私みたいな既知外と結婚する羽目になった不幸な娘なのですが、それはさておきまぁなんちゅうか道端でだしぬけにおっさんに語りかけられるのには慣れっこなのです。

おっさんというものはいつも大概突飛なことを吐かすものなのですが、しかしその日のおっさんは殊更頓痴気でした。
おっ「あのう・・・ 海はどちらでしょう?」
嫁「!!?」
嫁はんの予想の斜め上を行く想定外の質問でした。

おおまかに見ると地図の上では大阪は海に面しているように見えます。しかしこの場所から海へ行こうとすると、車で速くても1時間はかかるでしょう。逆に猿と温泉で有名な箕面の山の方がすぐそばに見えるくらいです。何故こんな街中で海への行き方を聞かれたのか。嫁はんの脳内に疑問符が満ち満ちます。

嫁「あっ、えっ、と、車ですか!?」
おっ「いえ、歩いて行きたいんですが・・・」
嫁「・・・・・・・・・」

海まで、直線距離でもゆうに20km以上はあります。そのうえ嫁はんは地理感覚が覚束無く、そんな事実さえ把握していません。
繰り返します。夏の日です。昼です。もひとつ言うと晴れています。

東西南北は判る土地、嫁はんは南西を指差し、

おっ「あっ、ありがとうございます」

おっさんは嫁はんに礼を申し述べると、指差された方角へ、汗を拭き拭き歩いて行った、のだそうです。 真夏の昼の夢見人。傍目にも気を違えている感じもなく、尋常な様子であったことが逆に不気味だった、と話しています。

さて、おっさんは無事、海に辿り着けたのでしょうか?? 辿り着けたとして、海で、何をしたのでしょうか・・・!?

答えは海とおっさんだけが知っています。(オポムチャン)

(寸評)普通に考えればセンズリ。
もしくはマンズリかのう。。。? 6ポイント。(石川浩司)

キクチカラ

何年か前、ポッドキャストでラジオを聴いていたときのことです。
ある番組に阿川佐和子さんがゲストで出演していました。当時ベストセラーだったご自身の本についてのインタビューでした。
司会者がろくろく本の説明もせずに本の名前を紹介しました。
「文芸春秋から発売された、阿川さんの新刊『菊池から』です。この本はうんぬんかんぬん・・・・・・。」

私は2008年から海外で生活しているので、いくらインターネット時代とは言え、テレビやラジオで新刊本の情報を常に追いかけているわけではないので、自然と何が流行っているかについて疎くなるわけです。なので、この本についての前情報もいっさいなく、司会者の発した言葉「キクチカラ」を、文芸春秋ということから、その初代社長の菊池寛から連想して、自然に「菊池から」と理解してしまったのですね。その後5分間くらい、この本についてトークが進みましたが、内容はちんぷんかんぷんでした。そして突然あることを気がついたのです。

「あー、この本の名前は『菊池から』ではなく、『聞く力』だー!!!!」

自分のおバカさかげんにウケてしまいました。日本語って本当に面白いですね。でも、日本に暮らしてないと、耳からだけの情報だと「聞く力」も「菊池から」に勘違いしてしまうよなー、と妙にしみじみ思ってしまいました。(波照間エロマンガ島)

(寸評)ああ、それはそこだけ聴いたら勘違いするね〜。
対談の名手ということで書いた本なのかな?
ベストセラーはみんなが買ってると思うとひねくれものなので読みたくても何かが邪魔して読めない俺・・・。7ポイント。

王様の話題173で予告した、大阪市内在住で僕の家(JR西大路が最寄り駅)まで来ようとしてた女性の話。

実は王様の話題173で書いた路線派「鉄子」とは、治療終了後に近くのファミレスに二人で行ったのだ。その帰り、「そうか、明日の昼同じ時間に西大路まで往復せなあかんねんや」と言うと、「え?その人自力で家まで来てくれへんのん?明日は仕事やないとは言え、西大路ちゃんの治療院地図出るやん」「うーん、確かに出るけどなあ」

実はこの路線派のように、開院中に自力で来てくれる方は多いものの、開院以外の時間帯に自力で家(治療院含む)まで来てくれる人はまず居ない。と言うより、自身が知れへん家(治療院含む)に行こうとする時は基本的に迎えに来てもらうか、知ってる者と合流して行くため、家まで来た事のない知り合いを呼ぶ時は、最寄りの駅やバス停まで俺が迎えに行く事はある意味普通の事なのだ。しかーし、ファミレスまで往復した時の京都の気温は38度、次の日の最高気温予想は37度。

さてここからは、京阪神とその周辺エリアの鉄道路線図を見つつお読みくだされ!

次の日の昼前になってその女性から、「今日は宜しくです、では2時に西大路で」とメール。よっしゃよっしゃと安心しつつ、少し早く着く事もあるかと1時半には家を出発。すると、「事前に加古川行の電車を調べてたんやけど、大阪駅まで来て京都方面のホームに着いたら電車ない。とりあえず米原行の快速があったのでそれに乗る。いつ着くかわかれへん!」とメール。

はい?なんて?横浜から東京に行くのに小田原行の電車調べるようなもんやんけこれ。

何回も読み直したもののやはりそうとしか読まれへんのだ。

ところがよく考えたら、乗った電車はそれで良いのだ。その時間帯は、高槻まで快速でそこから先は普通電車になるのだ。結果的に一番乗って欲しい電車に乗っていたのだ。

そうか、笑ってると言うか、呆れかえってる時間はない。「乗った電車、頼むから降りるな。そのまま西大路駅に着くから!」と、少し文を変えて二回メール。そして、2時過ぎには無事に西大路に着いてくれたのだが、

「熱中症で頭やられたかと思ったわ」と、合流した瞬間言ってしまったのは言うまでもない。

ちなみにこの人、「日本酒でつぶれるって何?」みたいな事を言ったりしたりしてるのだが、その日の夜は「今までこの量でつぶれた事ないんやって、うー!」とまあ本当に大変だったのだ。

俺より11歳上の女性の話でした!(西大路)

(寸評)鉄道って複雑だよねー。
ネットで路線検索してもしばしば「もっといい答え」がある時がある。
奥が深いのねーん。 6ポイント。

見た目はおとな、頭脳はこども!

電車移動のために地元の駅(快速も停車する中規模の駅)に行くと、券売機の前に「〇〇小学校〇〇クラブ」と書かれたバッグを持った体操服姿の男子小学生(5年生?)が10人程たむろしていました。
どうやら遠征試合に向かっているようです。
「なあ。オレたちって、おとな(料金)なん? こども(料金)なん?」
「知らんよ。自分でキップやら買ったことないもん」
「ちょ、誰か聞いてきてよ」
「田中、お前が聞いて来い」
「え〜? 何でボクが〜?」
「お前が一番背が高いけんたい」
理不尽な理由ながらも、結局この田中君が聞きに行きました(笑)。
「あの、すみません」
「はい? 何ですか?」
田中君が聞きに行ったのが、よりにもよって駅員ではなくご年配の小柄な女性。
「ボクたちって、おとなですか? こどもですか?」
「そうねえ。立派な大人じゃないかしらねえ」
(いや、そう意味じゃないんだけど・・・)
「ありがとうございます!」
「どっちって?」
「ボクたち、おとな料金だって」
「じゃあ、博多駅まで〇〇〇円やね」
(ありゃ、目的駅まで一緒か・・・)
とりあえず、券売機の前を陣取っていた「こども」がいなくなったのは良かったです。
そしてホームに上がってみると、さっきの小学生軍団が居ました。
到着した電車に田中君を乗せないように中から邪魔しているのか、扉が何度も開閉しています。
・・・反対側(博多駅行きとは逆)のホームで(笑)。(デクノボー)

(寸評)ギャハハハッ!あるねー、そゆこと。しかもオチまでついてる。
笑った! 10ポイント。

凄ぇ打ち上げ

私の仕掛けたたまカラ&石川さん出前ライヴ相談会にご本人サプライズご登場〜なんじゃの後。石川さんのご希望で、私は事前にカラオケ店のすぐそばの串カツ屋を押さえていました。

総勢8名でお店の一番奥へなだれ込み、みんな自由にカツやら酒精をオーダーします。まずここでおバカ①。席をテキトーに座ってしまったので西大路さんの隣に石川さんが着かれ、結果石川さんが西大路さんの食事のお世話をなさるというスペシャルゲストの扱い方。私が担当すべき所を・・・ 石川さんも西大路さんも気を遣われたでしょう、ごめんなさい。

場は楽しく盛り上がり、メニューにハムカツを見つけて全員分注文します。1本80円のリーズナブルさ。口の周りに粉を付着させながら話はパスカルズの高齢化とあかねさんが介護施設で働いてたことへ、そこで大きな声で「お婆ちゃんが化粧のつもりで大便を顔に塗りたくってて、あら〜ちょっと今日はお化粧のノリが悪いからいっぺん洗い流しましょうか〜、なんて言って連れて行くんだって。だからメンバーのオムツ替えなら私に任せろ! だって」と、頼もしいあかねさんのお話を頂戴したのですが・・・ ここ、飲食店なんですね・・・・・・ 我々の隣のテーブルのご家族は、しずかに別の席へ去って行きました。おバカ②。ごめんなさ〜い・・・・・・

酒精が進むとこのメンバーでのトークは必然卑猥に傾きがち。あっっ、ここでは女性陣はプライバシー保護のためAさん、Bさん、Cさん、Eさん、としておきます。ほんでそのEさんがやったらとエロトークを回りに仕掛け、ヤンヤの盛り上がり。

E「Cさん! 何か猥褻な体験談を御教授願います」
C「エロい話ぃ〜?? なんかあるかなぁ・・・」
オポ「あれあれ、M男の彼に〇〇〇〇を装着して」
E「えっえ〜〜(大喜び)!?」
A「(真剣に耳を傾けている)」
B「やっぱりEはいっぺん〇〇ちゃわないと。化けるよ」
オポ「モロだ!!」
西大路「今日はムーゲ(ハーブティーさんご子息)は留守番?」
にゅー「もう中1ですか。ならユーゲ(有毛)ですね」(みな爆笑)
E「石川さ〜ん?(抱きつく)」
B「(某男性の後頭部に胸部を押し付ける)」
E「Cさん身体つきエロい!! 何カップですか!?」
C「んん〜? 一応、〇やけど」
B「もっとあるんじゃないですか?」
A「・・・・・・(自らの胸元をしずかに覗き込む)」
石川さん「俺はおっぱいはそんなに重視しないから大丈夫」
B「そ〜ぉ?(肩を露出し挑発)」(場内歓喜の声)
E「Bパイセン!」
B「(さらに興が乗りすれすれのところまで前からパ〇ツをずらす)」(会場大歓喜、家族連れから冷ややかな目)
オポ「この人ガチだ!!」
にゅー「僕らのエロはファンタジーだからね」
石川さん「もう童貞みたいなもんだよ、俺達」
C「あっもう帰らなきゃ」
E「Cさ〜〜ん(Cの胸部を名残惜しいとばかりに揉みしだく)」
A「(しずかに揉みに参加)」

・・・・・・キリが無いからこの辺で。なんて集いだ。最高じゃないか(笑)。公衆の面前ですれすれ破廉恥パーティー集団、これおバカ③。

そしておバカ④、お会計。この人達こんなに飲むんだったら飲み放題にすりゃあ良かった・・・。トホホ。半数が女性だからって敢えてプランを決めなかったのですが、私の読みが浅かった・・・。恐るべし関西女子!! まぁ飲み放題なら2時間で出なきゃいけないから、この日はこれでも良かったかもね。しかし次から出入禁止喰らうかも・・・ とハラハラしました(笑)。お店の方、馬鹿騒ぎして本当にごめんなさい・・・。

まぁ全責任は、ここまでメンバーのテンションを上げるような催しを開いた私にあります(笑)。ホントに楽しかった!! そして目の保養になりました(笑)。Bさん・・・ 凄ぇぜ。(オポムチャン)

(寸評)俺も密かにちょっと勃・・・。
とにかく楽しい打ち上げだったね。関西人は流石ノリがいいぜ〜っ!
今度はどこか個室を貸し切って思う存分やりまひょ〜。 8ポイント。

割り切れない割り箸

「王様の耳はロボの耳」より「話題126 給食(2)」を読んでいて思い出したことがあります。

小学5年生の頃に、初めてご飯給食が始まりました。
そこで困ったのが、これまで「箸」を持参するという習慣がなかったことへの順応です。
ご飯給食の日には「箸」持参が前提のため、先割れスプーンさえ配膳されません。
忘れた児童は鉛筆2本を箸代わりにしたり、手掴みで食べたりと不衛生でした。
そこで見かねた担任の発案で、クラスでは「割り箸レンタル」制度がスタートしました。
要は簡単。忘れた児童はノートに名前を書いて割り箸立てから1膳レンタル。次の日に自宅から新しい割り箸2膳(1膳は利子)を持参し返却。ノートには「済」のスタンプが押されます。
この制度用に新しく「割り箸係」も設けられました。
しかし所詮は小学生。箸を忘れるヤツに箸の返却を忘れるなと言ったところで無理な相談。
あっという間に、割り箸立てが元本割れを起こし・・・底を突きました。
そんなある日、授業参観直後の帰りの会で事件が起こりました。
業を煮やした割り箸係から、
「A君が、借りた割り箸を、返さないせいで、みんなが困ってま〜す。すぐに、割り箸を、返却してくださ〜い」
とのお達しがありました。
母親の前で名指しされたA君も黙ってはいられません。
「だ、誰が困ってるんですか〜? 言ってくださ〜い」
小学生レベルの論点のすげ替えです(笑)。
「あんたが借りっぱなしで返さんけんイカンちゃろーもん!」
「聞こえませ〜ん。それに『あんた』じゃありませ〜ん」
授業参観で来られていた父兄(ほぼ母親)の間からはクスクスと笑い声が漏れます。
A君の母親は・・・顔真っ赤(苦笑)。
そしてキレた・・・のは担任でした。
「いい加減にしなさいっ! 人から借りた物を返さないようじゃ、先が思いやられますねっ!」
「それはどういう意味ですか!? たかだか割り箸数本で、うちの息子の将来がどうなるってゆーんですか!?」
担任は黙り、A君の母親は教室を出ていきました。
後で知ったんですが、この二人は元々仲が悪かったらしいです(苦笑)。
次の日、A君の母親が大きなダンボールを抱えて教室に現れました。
子供ながらに「何かお詫びの品(お菓子)を持ってきたんだ」と内心嬉しくなりました(笑)。
結局、無言のままA君の母親は帰っていったのですが、置き土産のダンボールを開けてみると中には・・・

1000膳の割り箸(業務用)が入っていました(苦笑)。

教室の前で保管されていたそのダンボールは、よくひっくり返っては割り箸が流出していたのを覚えています。
勝手に割り箸鉄砲を作って怒られた事もありました。
そして3学期の終業式の日、一人で20膳ほど持って帰らされて(地味に迷惑)一件落着しました(笑)。(デクノボー)

(寸評)今で言うモンスターペアレントだね。
その子にしてその親ありということかな。面白いけどなんか悲しいね。 9ポイント。

ジュースに魚油

ゆんべ。残業仕事で大きな成約のアシストをして1割だけ手当をせしめた私は祝いに店長社員と痛飲、ふらんふらんになって自宅最寄りの鉄道駅に着きました。
もういちばん家に近いバスは来ません。しかし家の最寄り停留所3つほど手前の豊中高校前までは運んでくれるやつがありました。

この豊中高校前が曲者なのです。

学生さんがたくさんいらっしゃるので自販機が、私の大好きな清涼飲料水の自動販売機がこのバス停周りにあほほど在るのです。
近頃は定期検診の血液検査の結果もよくないので、あまり毒々しい飲み物は控えようとは思うのですが・・・ このクソ暑い熱帯夜の大阪、しかも酔っぱらってると来ればついつい今まで飲んだことのない怪しげなドリンクに手を出したくなるものです。ものですじゃねえよ歳を考えろおっさん。

しかしこれを書いているおっさんは酒精により正当な判断ができておらず、100円入れてがたん、と出てきたもの。チェ〇オの500mlの炭酸飲料、「BRAIN POWER ‐DHA‐ シトラスヨーグルト風味」というあかぁい飲み物です。

酔った私は、まず「シトラスヨーグルト風味の炭酸」といういままで飲んだ記憶のない、味が想像しがたい品、という理由でこれをチョイスしました。
そしてここんところ脳がおかしいので、ちょっとDHAでも摂取してかしこなったろかしらん、という淡すぎるあほすぎる期待を抱いたのです。手遅れじゃっちゅうの。
高温かつ霧雨の鬱陶しい23時、家路を歩きつつ、ぐびり。ふっ、これはなんじゃい、確かに飲んだことのない味。しかしどこがシトラスでどこがヨーグルトなのかさっぱりわからない。
徐々に口中になーんか、乳性な後味がじとっ、とやってきたかと思った直後。

さらに遅れて、ぬっとぉぉぉっっ、と、魚くさいヌドヨベドヨ感が舌に絡んできました。

おっ、おぇえぇぇぇぇっぇええええぇぇぇぇ。

いやこれは何かの間違いだ。酒に酔ってるから、なんか味覚がおかしくなってるんだ。しかしこれ何が入ってるんだ?
原材料名をチェックした私は、あはーん、と合点しました。
おもいきり「DHA含有精製魚油加工食品」って書いてやがんの。
そう。DHAって、たしか青魚に豊富に含まれてんのよね。それを手軽に摂取できるように、チェ〇オさんたらドリンクに魚味が認識できちゃうレベルで大量に入れて下さったのね。さっすがぁ。やめてくださいホンマ。

私は雨の中、サイケなデザインのあかぁい炭酸飲料を我慢して頑張って半分飲んだところで側溝に打ち捨てました。私がジュースを途中で捨てることは稀ですがこりゃしゃあないわ。ジュースに魚油はきついわ。またそれを買う私もあほだ。38にして私は迷い倒しの人生です。(オポムチャン)

(寸評)ま、待て。それ缶か!?
持ってない。
「BRAIN POWER」は持ってるが「BRAIN POWER ‐DHA‐ シトラスヨーグルト風味」は。
だったらどんなにまずくても飲まなければ!
チェリオは大阪メインなので時々関東に流れてこない商品があるのよね。
どうかペットボトルでありますように! 7ポイント。

144番

私の大学えーと・・・ あっ調べたら2回生のときみたいです、の、くそ暑い日の出来事。

はぁ? 自分の過去の記憶の出来事の日付をなにをもって調べたというねんこの年中正月頭、とのご罵倒もごもっとも、なんで調べてわかったかっちゅうと、それはとある出版物の発売日だったからでーす。

ある8月の夜。私は深刻そうな顔をした兄貴から相談を持ちかけられました。
この男からの相談というものは得てしてろくなものが無いのですが、果たして私が奴から持ちかけられたのは本の発売日購入でした。
該当日の朝、兄貴は早くからアルバイトに行ってるので買いに行けない、と。だからヒマな大学生たる私に、ぜひとも大阪は梅田の大型書店に並びに行って欲しい、と申すのです。

私も夜勤のアルバイトをしているうえその日は部活もあったのですが、あまりに懇願が執拗なためしぶしぶその役目を仰せ付かることにしました。
その本の被写体は、当時の私と同じ20歳。その誕生日・8月22日に記念として写真集を出したようなのです。へぇちょうど私の12日あとにお生まれになったのね。今調べてわかりました。

さぁて成人の記念に写真集を出すなんてことはだいたいどんな内容か御察しが付きますでしょうかしら。はい、当時流行りの陰毛お写真で御座います。それをば弟に買いに行かせるなんて、どんだけ陰毛写真見たいねんこの淫欲の権化、と思いましたがしかたない、その女優さんは大変人気のある清純派でいらっしゃり、そんなお嬢さんが突如陰毛を開放なさるということでりえちゃん以来の衝撃、世の男どもは激しくいきり勃ったわけです。
私とて淫欲の権化っぷりには定評がありますがどうもこうも乗り気でない。何というんでしょう、あんまり私的にタイプじゃなかったんですね。
そのうえ朝っぱらから陰毛写真欲しさに行列に並ぶ、という行為の屈辱感。恥辱。「わたくしはこのご婦人の陰毛を見たいがために朝早くから暑い中こうしてやって参りました」という思惑が傍目にもまるわかりの状況。行く気がいよいよ失せます。
今も昔も私はテレビをほとんど見ない偏屈で、そのお嬢さんの魅力はそこまでわからないし、どうせ見るんならもっと非合法なものがみたい。当時どういうわけか運良くすでにさくらんぼを投げ捨てていた私には陰毛写真では物足りなかったのです。

「お前も見せたるから」とか言ってご機嫌を取ろうとする兄貴。私は終始不貞腐れたまま承諾、当日を迎えました。
9時からの発売ということで、8時には家を出なければなりません。暑い。くそ暑い。曇っちゃいるが蒸し暑い。駅まで自転車を飛ばし梅田へ、ようやく憶えた地下街の道順を思い出し、旭屋書店の前へ出ます。時刻は8:45。

地上に出た私が見た光景は、おんなじような顔でなんだかそわそわしているおっさんの群れ、群れ、群れ。
壮観でした。
しかし私とて不本意ながらもこの不細工な集団の一員です。まずは店の入り口に・・・ と思いましたが通常入口はこの時間まだ閉まっています。
こりゃどうしたもんかとうろついてると、店のお兄さんらしき方が
「NUDITYのご購入ですか?」
などと聞いてくるので、は、はいといつものように挙動不審に答えると、
「本日は臨時で裏側の搬入口前にて販売致します。整理券をお配りしていますので順番でお待ちください」
と、私に整理券を呉れました。見ると・・・ 144番! この時間で!! もう私の前に143人も!!! いちはやく陰毛見たさに(しつこい)!!!

私は呆れ果ててしまいました。世の男どもは、あほです。しかも兄貴がバイトに行ってる事からも、この日は土日祝日ではないはず。
きみら、仕事はどないしてん、仕事はぃ。

ほどなくしてトラックが現れ、扉が開いたそばから封が切られてつり銭の用意されたテーブルへ次々と積み上げられゆく陰毛写真集。
日陰ながらも夏、私の前の143人に売り終わるまで、ここで暑さと恥辱に耐えながら虚脱していないといけないのか。嗚呼。嗚呼。
生気をなくした私ようやくに順番が回ってきました。2、3000円かそこらを支払いまっすぐ帰宅、兄貴の部屋のベッドに放り投げ、投げ遣りな気持ちで自室に戻り虚脱していました。

兄貴は帰宅後、「もう見たか?」「見したるから見ろや」とか言ってきますが、おっそろしいほど見る気がしませんでした。
しかもなんか記者会見で当のご本人が泣きよったとかケチも付いてるらしく、このお嬢さんの不本意? な裸を今頃世間の淫欲じじい連中が舌なめずりして閲覧していることを思うと、余計に虚しくなりました・・・。当時なら飯島愛さんのTバック写真集だったら喜んで買いに行ったかもしれませんが(笑)。
けっきょくまともにその写真集を見た記憶は、ありません。ともあれこんな写真集騒ぎを起こしながらも、今でも確固たる地位を保ち続けているこの女優さんはご立派なものです。今後も陰ながらご活躍を期待してます。テレビ観ないけどね(笑)。

男の馬鹿さ加減を思い知った、18年前の夏のやるせない行列の思い出でした。(オポムチャン)

(寸評)俺もきれいな女優さんのヌードにはあまり興味ない。
普通のおばちゃんがちょっと照れながら見せてるのが一番興奮する。ご苦労様。 7ポイント。

じゃあ運転気をつけてね!

初体験で話題にしている、短大の時の同級生Y。まああまり書くのもそのYが何処からここへたどり着いてるかわかれへんので、これで止めときますか。

初体験の画像ネタから2から3ヶ月後の事。研修会のメンバー数人で、先輩運転の車で、奈良県の大神(オオミワ)神社参拝に朝から向かっていた。

ところがその日は南岸低気圧通過のため雨、いや、2月11日だったため、雪になっていたのだ。しかも、冬型の雪ではなく先にも書いたように南岸低気圧による雪のため、京都より南の奈良県ほど影響は受けやすいのだ。

で、奈良県橿原市内の研修会の先輩が、「私車運転いやというより、雪道走った事ないので、チェーン巻いて走ってくるんやったら迎えにきて?」と、俺らが乗る車のドライバーにメール。

まあしゃあないなあという事で迎えに行く事になったのだが、俺が乗り込んだ後はその橿原市の先輩とのやりとりは俺に任されたのだ。まあこんな事はよくある事なのだがでも本当に雪の状況が気になったので、研修会とは何の関係もないYにメール。

「今桜井の大神神社に先輩の車で向かってる。雪どないなってる?」と俺。

「うわなにこれ、起きて外見たらめっちゃ雪積もってるって」とY。

「やっぱそうなんや、て今朝8時半すぎてるけど今起きたんか。俺おまえ、7時半西大路集合に遅れるんが怖いから4時ぐらいに目覚めてから寝られへんかったんじゃ」と俺。

「寝てる間にこんなに雪積もったんや」とY。

まあYらしいなあとは思ったのだが、飲みかけの缶コーヒーを右手で持って左手に持った携帯の音声機能で聞くYからのメール。その後の何回かのやりとりの後

「じゃあ運転気をつけてね!」とY。

「うん、その言葉を「短大の時の同級生で桜井市に住んでる「Y美」と言うのが居るんですけど、先輩にこんな言葉くれました」と前置きして伝えとくわ」と俺。

大神神社を含む奈良県観光は雪の中無事にできたのだが、Yからのこのメールに、持った携帯と缶コーヒーを落としそうになったのは言うまでもない!(西大路)

(寸評)でもその気持ちも分かる・・・。
西大路があまりに普通にメールするものだから俺も時々視覚に障害があること忘れてることよくある。 7ポイント。



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