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ここは自分のまわりのおバカな奴の行動・言動などを紹介するコーナーだ。
なるべく本人を直接見たり本人から直接聞いたものが良いが、信憑性が高ければその友人ぐらいまではOK。もちろん人間じゃなくてもかまわないぞっ。
さぁ、まだ世間に埋もれている貴重なとっておきのバカを紹介してくれいっ!
メールにて投稿は題名「おバカ」で、末尾に自分の名前を入れてね。
ポイントは3ポイント以上〜ーだっ! ダ〜〜〜ッ!!

わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ良かったね、フンっっっ!!!!!!!

これまた昔の話、脳内ネタサーチをしておると小学校3年生時分の思い出がサルベージされました。

時は図画工作の時間。私ははっきりいって音楽以外の芸術モノの成績は芳しくなく、とくに立体でモノを作ることが大の苦手でした。ノコギリ・とんかちを使うなども。筆はかならず10分と経たないうちに割れ、字も絵も筆先がパックリ割れた状態で書くもんだからべっひょんべっひょんで真面目に書いてるのにもはや文房具屋の試し書きのメモ用紙みたいなありさまになるという体たらく、綺麗な絵を描くクラスメートたちが輝いて見えたものです。

その日は先日描かされた、テーマ『世界平和』の絵ーの入賞者を発表することから始りました。とうぜんそんなもんに、私のいい加減な絵が選ばれるわっきゃありゃしません。小3にしてすでに相当なコンプレックスとひがみっぽさを備えていた私は入賞した連中を茶化してやろうと、該当者が教壇で先生に賞状を渡されて席へ帰って来たところへ拍手をしながら

「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ良かったね、フンっ!!!」

と3小節間の笑顔で祝福ムードから一変、最後に卑屈にそっぽを向いてみせるという拗ねムーヴを執拗に繰り返したところクラスの皆が徐々に私の声に加わりだし、しまいにはほぼ全員が入選したやつに

『わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ良かったね、フンっっ!!!!!』

と24回拍手したところで息ピッタリでそっぽを向く、というわけのわからんグルーヴを生み出してしまっていたのです。時折私はみんなが自分も言ってみたいと思っちゃう言葉を編み出してしまうようなのです(他に便所に行くことを「いざ厠へ」、パン食うやつを「パナー」、第一アルトを「アルトップ」、第二アルトを「シモアルト」と呼び流行らせ、苦情を言われました)。

言われた側はせっかく頑張って絵で賞をもらったというのに私に茶化されて怒っていましたが、あまりのあほさに皆苦笑いして許してくれました。
・・・・・・と、話はここで終わるかと思いきやとんだオチが待っていました。
図工の教科書の作品の着想をほぼまるパクリした私のしょーもない絵(しかも「人類みな兄弟 仲良くしよう」なんて当時流行ってたファミコンソフト「たけしの挑戦状」に出て来るセリフをそのままスローガンに使用し空きスペースを埋めるというやる気のなさ)が、な、な、ななななんと佳作をゲット、教壇で賞状をもらうことになってしまったのです!!! 

私が席に着くまでの間、教室では今までで一番の大音声、すさまじいまでのグルーヴ感でもって

≪わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ良かったね、フンっっっ!!!!!!!≫

の声で全員が私を手痛く祝福したのでした。当然の仕返しへの屈辱とともに、この大きなムーヴを生み出したことがなんだか快感でした。なんじゃそりゃ。(オポムチャン)

(寸評)自分が作ったものが流行るのは嬉しい。
俺もそれはよく知ってるぞ。
オポムチャンに光が「ついたー!」。 8ポイント。

ちゃんつけないで!!

日々のどぉーでもえぇ記憶の淵の探索のさなか今日土曜日はぼうずの幼稚園の夏休み前親子まつり。そこで同じ組のある男の子が園で唯一の男性の先生に呼び捨てで呼ばれたことがとってもうれしかった、というエピソードを聞いて、私の中に眠っていたたしかな記憶が蘇りました。

あれは幼稚園にすでに通っていた頃、おそらく4歳の頃だと思います。
このくらいの歳の子はえてして周りから男女の別なく下の名に「ちゃん」付けで呼ばれる機会が多いと思います。
しかし、私より1年半早く生まれて学年にして2年上の兄貴がすでに名前のみの呼び捨てをされていたこともあってか、なんだか赤ちゃんっぽく男の子らしくもない「ちゃん」付けで呼ばれることを、私は嫌悪していました。たとえば「ポムちゃん」なんて親などから呼ばれた際には、「ちゃんじゃない!! ぽむってよんで!!!」と激昂、訂正を命じる、といったくそ生意気な有り様でした。

ある日のこと。親父の女性兄弟すなわち伯母&叔母らが休みの日に遊びに来ていた際。
天神橋筋と呼ばれる大きな道路に面して働き手がほぼ家族のみの小さな町工場を営んでいたオポム家、しかし家の前の歩道はさして広くなく、子供が遊ぶにはいささか手狭な空間でした。
そんな狭い歩道で日々通行者を妨害しつつ遊び呆けていた私達あほ兄弟、この日もいつもの如く遊んでおったわけですが、いらんことして通行人に迷惑をかけては面倒なので伯母が見張りを買って出てくれていました。

ただまぁそんなことはおかまいなし、危なっかしい私はふらふら其処彼処をうろつきまわり、交通量の多い車道にはみ出しそうになっては伯母をハラハラさせていました。
そんな折、伯母が急に大きな声を上げました。

「ポムちゃん危ない!!!」

しかし私はご案内の通り「ちゃん」付け呼ばわりに激しく反応し、怒りを表明します。
「ちゃんつけないで!! ぽーむ!!!」

そう怒り振り向いた私の横すれすれを走り抜けた、一陣の風。
果たして伯母の叫んだ危険とは、歩道を高速で駆け抜けた自転車でした。今も昔も、大阪市内の自転車のマナーの悪さは変わりません。
しかし伯母に呼び止められた私は怒るばかりで避けようともせず、危うく自転車に跳ね飛ばされたうえ車道に飛び出し跳ね飛ばされたうえ反対車線に飛出し跳ね飛ば・・・ そんなピンボール状態で徐々に肉塊、と成り果てかねなかったのです。

顛末を叔母から聞いた大人たちに、くだらぬ幼いプライドを持ったが故に己が身を危険に晒してしまったことを叱責された私は、余計な自尊心は持つだけ無駄だ、貶められても平然と要られる愚人で在ろう、と心の何処かで思ったかもしれません。以後の私の卑屈に過ぎるこの性格は、このとき発芽したのかもしれません。書きながら、なんとなくそう思いました。
そしてエヴリデイノープライドと成り果てた31年後、私は自分の(ニック)ネームに堂々と「チャン」を付加し、まるで恥を知らぬ体でたしかな自蔑心を持ってこのHPに顕現するのでした(笑)。(オポムチャン)

(寸評)俺は物心ついた頃から親には「浩司」と呼ばれてたな。
弟からは「浩ちゃん」と呼ばれていたが・・・今も呼ばれてる。 8ポイント。

週プロ求めてレイニードライヴ

ある雨の日。私は夏季休暇を頂戴し、ぼうずに絡み付かれながらぼんやり水曜日を過ごしていました。
お昼に食べたお素麺が切れたので、この夏まだまだ出番がありそうだと踏んだ私は素麺with麺つゆを求めんと車を出そうとした刹那、あることに気が付きました。

今日は水曜日。週刊プロレスの発売日やないけ。

週刊プロレス。私が学生の時分から欠かさず買い続けてきた、いまや唯一のプロレス専門雑誌です。
普通なら通勤途上に駅の売店で購入するのですが、今日明日はたまたまお休み。これでは金曜に駅の売店に残っているのを祈るしかありません。
いやいや本屋に買いに行けばええやん? チッチッチ。甘い。週刊プロレスはマニアックな雑誌。あまりにニーズが限定されるため仕入れたところで売れないので、普通の本屋なんかでは置いてくれてないのです。
じゃあコンビニは? それがね、大阪市内に行けばだいたいのセヴンイレヴン・ローソン・ファミリーマートに置いてるのですが、どういうわけか私の住まいたる豊中市のコンビニではほっとんどその姿を見ることができません。

駄目じゃん。いやしかし購入を欠かしたくはない。とはいえそれだけのために駅まで行くのもあほみたいだ。この際お素麺を買うついでに近隣のコンビニで週プロの置いてある店を探しに旅しよう。考えてみりゃ引っ越して以来近所の週プロの置いてる店を調べてなかったしな。これを機にサーチしてみよう。しとど降る雨の中、女房子供を引き連れて私は車を出しました。

まずは関西のディスカウントショップの走り的存在・「さわやかジャパン」にてお素麺・麺つゆストレート・牛乳・除湿剤を購入、さぁ週プロ探しの旅の始まりです。まずはジャパンのすぐそばのローソン豊中熊野四丁目店。車を降り、駐車場からダッシュします。はい、ハズレ。

まぁ一軒目から見つかるなんてことは稀です。しかしこんな雨の日の発売日に休暇なんて、私もタイミングの悪い男です。
ターンして家の方向に向かいます。そういえばこっちにも新しく出来たコンビニがあったな。なんかいつ行っても店員さんが頼りなかった店・・・ ってあんまり書くと営業妨害だな(笑)、というわけで某コンビニ、店名はひみつ。本棚を注意深く見ますが、はい案の定期待外れ〜。もうここには金輪際今来んぞ。プンスカ。いやべつにプロレス雑誌を置いてないのは店員さんの仕業じゃないと思う(笑)。

高校の頃はよくファミマで見つけたなぁ、という印象から次へ、私がよう受験しなかったかしこ公立校・豊中高校を尻目に訪れたファミリーマート豊中上野西店。だいたいいつも探してる時は3、4軒目で見つかるのよ。ファミマだし・・・ という淡い期待もまたハズレ。しっかしこの雨の中、どのコンビニも駐車場の空きがほぼ1台分ばかり。こんな雨の昼間になんでみんなそんなにコンビニに行きたがるんだ。まぁマナーの悪い大阪人、たいてい近所に用事のある人が無断で停めてんでしょうな。

本棚だけ凝視してなにも買わずに店を出る、という行為も精神的に辛くなってきます。そろそろ見つかる頃だ・・・ と4軒目、道沿いにあったファミリーマート豊中本町一丁目店・・・ には入れず。駐車場が少ないうえに納品のトラックが入ってて、空きスペースに駐車できるタイミングではなかったのです。今日はとことんツイてない。後部座席のぼうずは寝てしまいました。

ここはもう一軒ファミマ攻勢だ、と引越前の最寄りのなつかしいファミマ、ファミリーマート豊中本町五丁目店。眼を皿にして本のコーナーを見つめますが・・・ ブブー。いちいち成人雑誌コーナーのパンツと尻が目に入って小癪です。今はそんなものでにこにこ勃起しておる場合ではないのだ。ついでにスポーツ新聞にも目移り、なになにつんく♂(病で声帯を摘出)声出た? メッセンジャー(2015現在阪神タイガース投手)男だG斬り? いやいやいや興味はありますがそれどころじゃないっての。ぼやいて戻ると嫁はん、「だんだんおもろなってきた」とニヤリ。さすが私の嫁です。

ずいぶん気力も削がれてきました。いま何軒目だ? 入れたのは4軒か。そろそろあるやろ・・・ と入ったローソン豊中上野東一丁目店、いちいち車から入口まで雨に打たれるのが鬱陶しい、またしても置いてない・・・!! なんでなん!!? けっこう大きいローソンで本棚のスペースもなかなか取ってあんのに、なんでプロレスは置かんかなぁ!? うんまぁ置かんよな。はぁ・・・ ゴルフ雑誌やら野球雑誌はふつうに置いてあるのに・・・ とことん現在のプロレスの市民権の無さを噛みしめた私。敗戦後の日本を街頭テレビで景気づけた時代はもはや遠くなりにけり。

ここらでセヴンにもいっぺん寄ってみるか、と中央環状を越え北上、セヴンイレヴン豊中桜の町6丁目店へ。あまりセヴンで週プロを見かけた記憶がないのですが・・・ やはり無し。6軒も回って見つからなかったのは初めてです。なんなん豊中市!? プロレス嫌悪都市宣言でもしたんか!!?
オポ「・・・これ週のあたまが祝日やったから、発売日ずれてしもたんやろか・・・」
嫁はん「いやいやそれはあり得へんで、発売日が祝日でもない限り、水曜に出すやろ・・・ いやーおもろ」
おもろ、やないわい。

こうなりゃ未開拓のコンビニだ、いつものスーパーの近くのサンクス豊中少路店。ラッキーセヴンの7軒目、来い、来い・・・・・・ ハッズレ〜〜。もう限界です。精神力の弱い私はとうとう飲料を購入、珍しい航空会社ブランドの“SKY TIME”シリーズのキウイソーダ。買って車中に戻ったところ・・・ 
ぼうず「あれ、ぼくのぶんは?」
・・・・・・じつにいいタイミングで起きましたね、このぼうず・・・!

もう無理、最後にルート的に通らなかった家からいちばん近いローソンに寄って、無かったら諦めよう・・・。
自分にもなにか買え、なにか買え、とやかましいぼうずをいなし雨の中、自宅最寄りのローソン豊中上野東店のやはり1つしか空いてない駐車スペースにパーク、ぐだぐだ言って車からぼうずが出て来ないので夫婦雨晒し、這う這うの体で諦め気分で店内に入れば・・・・・・
2冊も、置いてやんの。

なんっじゃそりゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!

あほです。ジャパンで素麺なぞ後でもよかったのです。先にこのコンビニへ寄っておればこんな雨の中あほドライヴで徒労感に打ちのめされつつ無駄に7軒もコンビニ巡りするこたぁ無かったのです・・・・・・。

かにぱんを買え、と野獣の如く咆哮するぼうずに折れて週刊プロレスとかにぱんを求め、よぼよぼ帰宅。それにしてもここまでプロレスが世間から迫害されているとは思いもよりませんでした。爆破とか流血とか、そんなのは一部だけなのでいっぺん見てみれば絶対おもしろいのになぁ。ああ今週も週プロおもろいなぁ。ああ疲れた。しかし8軒はないやろなんぼなんでも。8軒目で発見て洒落言うとんちゃうでホンマ。今度から水曜に休みは取らんぞ。まったく豊中市のコンビニめ。・・・なんやこれこのキウイソーダうまいがな。これに免じて水に流そか、雨やし。ははは。(オポムチャン)

(寸評)プロレスファンの人口減ってるのかね?
やはりここはスター選手が必要なのかもね。オポム仮面どうでっか!? 8ポイント。

ファニー・滋賀

さて「初体験」に投稿したいきなり墓参り→琵琶湖行きを敢行したあほ一家の話の続編です。帰路の話。

思わぬ光景に邂逅してしみじみしたのも束の間、琵琶湖大橋から栗東インターへ続く“レインボーロード”はほぼ片側一車線の国道、しかもさまざまな県道などと交差する場所がたくさんあり、ちっとも前に進みません。
渋滞を苦とも思わない嫁はんのおかげで私も気が楽でしたがどうしても運転の仕手は混むとイライラしちゃうもの。まぁここでストレスを感じても感じるだけ無駄、折角ゆっくり走ってるんだしなんか面白いモノでも見つからないかな、と呑気な気構えで運転することにしました。

停車の際に地図で現在位置を確認すると道沿いにおかしな名前のバス停が。
【浮気】・・・・・・!?
ここいらの方々はみんなカラオケに行くとヒロシ&キーボーしか歌わないのか!!? って若い方には何のことか意味が不明ですね。しかも読み方は「ふけ」だそうです。どっちゃにせよあんまりうれしくない地名だな。浮気地区の皆様申し訳ありません。

ふたたび車をとろとろ走らせると左手に食堂が。町の昔からのうどん屋さん、って風情ですが・・・ 
【うどん/丼・定食  えんぜる】
えええええええええええ!!?? うどん・丼・定食屋でその名前!!? しかもかわいさアピールかなんかしらんけど敢えての平仮名!!??
無い・・・ 無いわ・・・・・・ その発想。さすがは琵琶湖で増えすぎたブラックバスの食用化に成功した滋賀。我々の凝り固まった観念を破壊してくれます。

だんだん楽しくなってきた渋滞のレインボーロード、しばらくめぼしいものも無くネタ切れか・・・ と思った矢先、強烈な看板が目に飛び込んできました。
【空前の品揃え  〇△大佛堂】
待て待て待て待て!!! 神聖な法具・仏具を商うに際してその単語使って来るか!!!?? ド〇キホーテと勘違いしてんちゃうで!!? 謹んで!! そこアッピールしたいのわかるけどもっとなんちゅうか俗情を排して!!! 「ご法要のお品各種取り揃えております」くらいのノリちゃうの!!?? “空前”てフレーズ仏具屋さんのキャッチコピーで初めてきいたわ!!!

なんかちょっとツッ込み過ぎて疲れて来たな・・・ おお、やっと栗東インターの近くの道へ出た、んん? ちゃんぽん屋さんの看板、お店、何処にあるって?
【スーパー☆スターさん敷地内】
・・・・・・? 誰? 滋賀のスーパースター? の、家の敷地に入ってんの? 嘉田知事? TMレボルーション?? 道沿いに車を走らせると、果たしてそこは「スター」という名のスーパーマーケットの敷地でした。・・・・・・スーパー・・・ スター・・・・・・・・・

他にもしゃぶしゃぶ屋の看板にだしぬけになんの説明もなく【バームクーヘン/豚】とか書いてあったり、【アウトレット臨時駐車場 直進】と書いた看板がアウトレットと真逆約2kmの方向に示されてあったりと様々な謎に満ちていた、滋賀。

ファニーだ。ファニーに過ぎるぜ。また行くから、ぜひともそのままのお前でいてくれよな。滋賀。ちなみに帰りは名神高速の大津S.A.で晩御飯にブラックバスバーガーと近江牛そぼろ丼とちゃんぽん(滋賀名物なのか??)、と麺麭・飯・麺の三種の炭水化物をモリモリ摂取し翌朝腹をこわしました。年甲斐もなく食べ過ぎた私が結局おバカだった、というお話でした。お粗末。(オポムチャン)

(寸評)珍名地名や変な看板って俺も好きで昔は嬉々として写真を撮っていた。
それで区の施設でそういう展覧会までやったことがある。
だが宝島が始めた「VOW」というおバカ写真が人気になり、ネット上でもちょっと変わった看板などをみんなアップするようになったらなんか覚めちゃった。
まぁ今でも好きなんだけどひねくれ者なのでみんながしてることはもうしなくなっちゃったなー。
只今海外だけど遂にカメラさえ持たなくなっちゃった。 7ポイント。

ほおぉおおぉぉあおぉぉおああぁぁああぉぉぉああおぁ!!!?

先日。度重なる業務上の重大な過失が評価され支店社員全員分の業務手当カットを勝ち取った屑、私。連帯責任と言う名の息苦しい仕打ち。そんなことされてもいよいよ虚脱して勤労意欲が減退するばかりだということをどうして会社はわからないの?
そんな過失を繰り返すあほな社員はもっとあほでも出来る作業に格下げするかとっとと斬首しちまえばいいのです。誰だそんな学習能力のない愚か者は? わちゃあ、私だ。すいませんすいませんすいません。しかし何故か馘を切られない不思議な職場。私にとってはラッキーですが会社にとっては大きなお荷物でしょうに。ご恩情には感謝はしますがつくづく酔狂な会社です。

と相も変わらず卑屈に自虐を垂れ流しつつ出勤、出社したところで業務開始の準備作業などなにをやらせても滅茶苦茶なのでしかたなく店舗前の通りのゴミ拾い・清掃をおこないます。これとて汚れた箇所を捜すのに夢中になっちゃって始業前の朝礼に遅刻するのも毎朝定例の光景です。
そこらのワン公が大小各種便をご提供くださるでんちうにホースで水を撒き、やたらとアワダチソウグンバイムシが寄ってくるヒマワリに水を遣り、拾うそばから車窓からおっさんが投げ捨ててゆく吸い殻をひとつひとつ呪いを込めながら集め、雑巾があまりにもクサいので便所の手洗い場で洗濯ののち店舗カウンター等拭き上げ、ほんとは床掃除もしたいけど時間がないから断念、おかげで今日も当店の床は小汚ないままで御座居ます。たはっ。

ようやくあほの朝の掃除も終了間際、早くしないとまた今日も朝礼に間に合いません。

私はホースを片付けながら、たった2日で各業種において計4件の重大事故を起こした私の脳味噌についていつ見切りを付けようか、と悲しい思念に暮れていました。
べつに落ち込んでなくても基本的に常時うわの空な私、そのうえ考え事なんかしたらもともとおぼつかない手元がさらに不注意になります。

蛇口に繋いだホースのジョイントを外した、その瞬間。
私の股間目掛けて、おびただしい量の水流がビッシャビシャビシャビシャビシャビシャ打ちつけてきました。

ほおぉおおぉぉあおぉぉおああぁぁああぉぉぉああおぁ!!!?

その刹那いったい何が起こったのか理解できぬまま、私は股間を水に打たれ続けました。

そうです。ホースを蛇口から外すときは、水栓をひねって止めてから外さないとこういった事態が発生するのです。

布地越しながらも継続的な陰部への刺激にだんだん恍惚としてきていた私は我に返り、栓をひねってようやく水を止めます。
まるで失禁したかの如く、私は股間からしとど水を垂らしています。絶望。恥辱。自己消滅願望。替えのズボンなどありません。しかしそんなたわけたことをしている間にも時間の奴はどうにもこうにも容赦がなく、朝礼の時間になりました。
私は虚無的な表情で社員一同に申し上げました。

オポ「小便漏らしたみたいになってますけど、水止めないままホース抜いただけですんで」

もはや誰もツッ込む気力もありません。こいつはどこまでこの調子なのだろう。
呆れを通り越し悟りの境地に達したようなアルカイック・スマイルを湛え、課長が私にこう言いました。
課長「オポさん・・・ 俺のズボン裾上げしてないやつやけど置いてるから、貸したるわ・・・」
そのまま窓口カウンターへ出ても下半身まではほとんどお客さまから見えませんが、お借りすることにしました。
何故ならそんな股間ビッシャビシャのままで私に働かれたら、周りの社員もあまりに痛々しくて見ていられないでしょう。

身長こそ日本人男子平均値ですが足の長さは大幅に平均を下回る、顔面のデカさで173cmをかせいだ私。裾を3重に折り上げて課長の新品の制服スラックスを穿きます。途中何度も元に戻ってつまずきそうになりながらその日1日を過ごしたのでした。クリーニングに出してお返ししました。ここしばらくはもう何をやらかしても、反省もせず笑うことにしています。

無いですね。雇うメリット。無いですね。社会貢献度。無いですね。存在意義。でも生きよう。生まれたからには。愛するもののために。せめて愛するものに、愛想を尽かされるその日まで。ははは。はは。は。(オポムチャン)

(寸評)会社はきっと面白いから雇ってるんだよ。
「今日はあいつどんなドジを。ゾクゾクゾクッ」 8ポイント。

プレゼント

私には幼稚園からの付き合いで、しかもなぜか一度も同じクラスになったことも無いビッグボディの腐れ縁・MJという友人がいます。

彼は昔から我々オポム家あほ4兄弟とつるみ、私が転校してからもしばしば自転車で15km移動した我が家に巨体を揺らして遊びに来てくれる好肥満漢で、よく長い休みには親御さんに菓子折りを持たされて泊まりに来ました。

ある夏休みのこと。いつものようにMJと我々4兄弟は深夜までファミコンに耽り、最終的には親父に拳骨を喰らって強制終了→就寝というパターンが出来上がっていたのですが、そんな折網戸の隙間ををすり抜けて蚊が子供部屋に侵入してきました。
なにぶん工業地帯にぽつんと居住しているオポム家、てか1階はズバリ工場なんですが、周りの工場には廃水処理のためかやたらと側溝っちゅうかどぶ、が多く存在します。したがってどぶに付随して発生するものといえばなんでしょう? そう、蚊です。
このどぶの多さが原因なのか我が実家には年がら年中モスキートの野郎が発生し、酷暑・極寒のピーク、すなわち2月8月以外は休まず営業中、という無駄に元気な奴らなのです。

閑話休題、そんな夜に人の気配がするのはここいら一帯では我が家だけ。しかも今宵はおあつらえにまるまる太った格好の吸いごたえのあるヒト(♂)がいるじゃんかいな。どこの方言だ。蚊も喜んでMJに近寄ります。
が、MJもただのファットマンではありません。格闘技と格闘ゲームをこよなく愛する男、動体視力はなかなかのものです。
襲い来る蚊をぱしんと一閃、見事に一撃で打ち取りました!

さてMJ、仕留めた蚊を掌に、しばらく何事か考えていた様子でしたが、おもむろに6歳下の末弟に、

「・・・・・・ほい」

と、蚊をつまんで差し出しました。

末弟「えっええええええぇぇぇぇぇぇ!!?」

要らん。それは要りません。ほい、ちゃうがなMJよ。
末弟「なに? 何!? 何なん!? それ渡されてどないせえっちゅうん(訳:どうしろと言うのだ)??」
MJ「いや・・・ 捨てて、って・・・・・・」
末弟「蚊ーの手渡しは無いわ!! ゴミ箱何処? って聞いたら仕舞いやんか(笑)!!」

朴訥なMJらしいこの一連の行動に我々兄弟は大爆笑、ますます皆彼を好きになったのでした。そして時はもはや子の刻、馬鹿騒ぎした我々全員に当然鉄拳は降り注ぎ、みな涙目で夜が明けるまで沈黙し目を閉じたのでした。おやすみ、たわけ共。(オポムチャン)

(寸評)蚊の死骸コレクターなら良かったのだろーが・・・。 6ポイント。

ギギギギギ、ギギギギギ

以前も登場している研修会の先輩の話。

今年6月中旬頃別の先輩が、「T君の車、タイヤがかなり減ってるように見えたんや。おまえほぼ毎月一緒に長距離移動してるし、今度言ってみて?」

僕は言われた通りにそれを伝えたところ、「Iさん、人の車のタイヤはええから来年春の俺とおまえが手動でやる討論会、Iさんも一緒や。それの計画の方が大事や。てまあIさんは俺から見たら先輩やからよう言われへんけど!」

確かにI先輩、計画苦手なのはわかるがT先輩が言うのもわかる。

それから2週間近くたった頃、T先輩の車で京都市内の研修会会場へ。ところが駐車場の仕組がよくわかっていないので説明できないのだが、ようは1台ずつ止めて行くタイプの駐車場。

で、俺らの乗った車は前の車が駐車場に入れるのを、前輪だけ段差に乗り上げた状態で待つ事に。すると、ギギギギギ、ギギギギギ、何かいやな音が。

「先輩これ何の音ですか?」と俺。

「あーこれタイヤの音や。実は溝が減っててな、朝の出発時や雨降った時、出だしでよく滑るんや。この前言われた通りや、やばいんや!」とT先輩。

そしてその日から5日後に乗せてもらった時は新しいタイヤでした。そして、俺やI先輩を含むメンバー6人が、一人3000円出す事に。

T先輩、いつもありがとうございます!(西大路)

(寸評)えっ、個人の車のタイヤのお金をみんなで負担?
まぁいつも乗せてもらってるのならしょうがないのか・・・。 6ポイント。

何の根拠もなく富士山にUFOを見に行き、そのあと湘南海岸で泳ぎ、都心に帰ってきて外タレ公演を観に行った。あの日のおバカな行状

あれは1989年6月3日(土)夜のこと。テレビ局に勤める友人から、日本テレビの「木曜スペシャル」取材班が、UFOとコンタクトできる能力をもった人を富士山に連れて行って、UFOを呼びよせるという企画があるという情報を入手、その頃よくつるんでいたW君と一緒に富士山に行くことにしました。といっても、富士山のどこでロケは行われUFOとコンタクトするのか、まったく情報はありません。当時はインターネットなどない時代ですから、情報を手に入れてそれが現実化するのは、とてつもない偶然と運が左右する、という時代 でした。でもなんとなく根拠のない自信があり、私とW君は日テレの撮影隊に出会えてUFOは見られるだろうと、安易な気持ちで富士山を目指したのでした。とりあえず、中央道河口湖インターで下り、富士吉田から富士スバルラインで富士山5合目に登っていきました。

富士山5合目には駐車場があり、そこからは自動車道路はなく、登山道を歩いて登るしかありません。あちこち付近を徘徊し、なんとかオフロードの道を発見し、そこを登っていきました。時刻はすでに夜11時を過ぎ、付近はまったくの暗闇でした。5合目に行けば、日テレの撮影隊に出会えると軽い気持ちでいたのですが、まったくそれらしい気配はありません。私たちは仕方なく、見晴らしのよい場所に車を止め、ライトを消して 、UFOが現れないか、車の中で待つことにしました。
ところが、待てど暮らせど、UFOは現れません。途中1回だけ、富士山の上空をライトが下降してくるのが見えましたが、あとからジープが下りてきたとわかり、がっかりしました。私たちは、次第にテンションが落ち、そのまま仮眠してしまいました。

夜明けが近づき、目が覚めました。さすがにもう日テレの撮影隊には出会えないな、と悟った私たちは、物足りなさを感じ、このまま東京に戻るのではなく、湘南海岸に寄って、海水浴することにしました。富士山を下山し、御殿場から箱根方面へ行き、小田原の西湘バイパスから茅ヶ崎のほうへ向かいました。天気はどピーカンで、私たちは茅ヶ崎の海で肌を焼き、海にちょっとだけ浸かり、そして夕方東京に帰ってきました。

当時恵比寿に住んでいたW君を送ってから帰ろうとしたのですが、私はトイレを借りるためにW君宅に立ち寄りました。W君の部屋でテレビをつけました。すると衝撃的なニュースが。

中国北京で学生デモの100万人以上の大群衆を、軍隊が制圧したというニュースの第一報が流れていました!!!

世に言う「天安門事件」です。私たちは異常に衝撃を受けました。戦車に踏み潰された人もいるとのこと。中国はどうなるのだろう、言葉にならない衝撃でしばし呆然としていました。すると、ふと我に帰ったW君が浮かない顔をしています。私は「どうしたの?」と訊くと、W君いはく、「○○ちゃんと連絡がとれない!電話がつながんないんだよ!どうしたらいいの!?」と言います。詳しく聞くと、今日これからガールフレンドと待ち合わせして、渋谷の西部劇場に、女性ボーカリストのジュリア・フォーダムのコンサートを観に行くとのこと。でも、彼女と連絡がとれないので、チケットが1枚余ってしまう。

ということで、なんの因果か私は夜も暇だったので、W君と一緒にジュリア・フォーダムのコンサートを観に行きました。ジュリア・フォーダムは天使のような歌声で私を魅了しました。きっと女性と一緒に行ったらテンションあがっただろうな、と思わせるようなラブリーなオーラを放っていました。W君はライブの最中、終始不機嫌だったことは言うまでもありません。

というわけで、長い長い週末がこうして終わっていきました。1989年6月第1週の週末というと、富士山にUFOを観に行って、湘南海岸で泳いで、天安門事件があって、ジュリア・フォーダムを観た、という一連の行状が思い出されます。よくこんなおバカなことをしたもんだなー、と思いマスだ。自動車は2回ガソリンを入れてほとんど空になっていました。500キロくらい走ったかしらん。 (波照間エロマンガ島)

(寸評)俺も細かいことは覚えてないが20代のあの頃は今だったら数日かかる遊びを一日でやってたりした。
当時住んでた高円寺には友達が20名くらい居たので昼と夜と真夜中と全然別のメンツだったりすることも。
毎日のように飲んだくれてたけどよくお金が続いたなと今になって考えてみると不思議。 7ポイント。

あの日はしっかり濡らしてくれたもんなあ

高校1年か2年の頃だったと思う。

当時所属していた、視覚障害者と健常者が一緒にキャンプなどに遊びに行くというような団体。この団体、創設者が図書館勤務の全盲で、普段全盲だけでは行かれへん所に行けたらと、大学か何処かに相談に行ってできたのがこの団体。そんな団体でのメンバーの一人と俺との話。

その日は確か料理パーティーか何かで公民館の一部屋を借りての活動だったのだが、その日は生憎の雨。ただ室内の活動のため決行。

かなりな大所帯で運営スタッフが班分けをし俺もその言われた班員の女性(関西の国立大学の理学部の女子学生)と、阪急宝塚線庄内駅を出て歩き始めた。しかし上にも書いたようにその日は雨。でも傘二つ並べて歩くのはし辛いと、なぜか俺が傘を持ってその女性を入れる事に。

しかーし、俺とその女性は身長は同じぐらい(俺の身長159センチ)で、一番気になったのは相手の頭に傘が当たる事。ところがそれを気にしながら国道176号線(通称イナロク)を歩いている内に、「なんか片側が冷たいねんけど」と女性。

「え、濡れてる?」と俺。

「うん、しっかり濡れ始めてるよ」と女性。

「えー、マジで?」と俺。

ところがその状態のまま会場到着。俺が居る側の女性の反対側の肩や腕からはしっかりと雨水がポタポタ。

あのなあ、そんな大学の理学部に入れるぐらいな頭持ってるんやったら、俺の不器用ぐらい見抜けよと思ったのは当然の事。

そしてその日以来その女性と一緒になったら、「あの日はしっかり濡らしてくれたもんなあ」と言われ続けたのであった。

「俺も歩いてる時、濡らさんようにしようと思って体斜めにしてたし腰痛かったわい、えっちゃんさん!」(西大路)

(寸評)「うん、しっかり濡れ始めてるよ」は別の意味だったのでは・・・? 7ポイント。

2015.6.28石川浩司&ビッグロウにまつわる投稿の最終編・・・  というほど大層な話でもないですが、こんなエピソードがありました。

終演後、私達関西石川組(?)が談笑していると、後片付けに奔走するベース/三味線のムキムキ君が我々に近寄ってきました。

ムキ「つまらないものと言っては何ですが・・・」
と石川さんが「カニバル」の終盤で御自身をグルグル巻きになさったガムテープを剥がして丸めてグシャグシャにしたものを差し出して来ました。
妙にデカいし微妙に粘着力が残ってるもんだから始末に困るのでしょう。しかしこれはある意味レアアイテムです。数年後「あの石川浩司&ビッグロウの御披露目ライヴでVo.のKOH-JIが身に巻き付けたガムテ!?」なんて騒がれもてはやされる可能性もあるじゃないですか?  ね。

おそらくお茶目なムキムキ君がネタ的に差し出したであろうガムテ塊を私は喜んで受け取り、物販で買ったものを入れようと思ったらすでに全部購入済みだったのでからっぽの背負い鞄に放り込みました。

私がその夜家に辿り着いたのは0時過ぎ。既に配偶者もぼうずも眠っており、ライヴの興奮を伝えきれず残念でした。 私はこの無料でGETしたレアグッズを嫁はんにゴミと間違えて葬り去られないように石川さん関連のCDを入れている戸棚に仕舞い、レポートを途中まで書き上げてから烏の行水、前日の天王寺のライヴで生じた筋肉痛もあってぱたんと寝てしまいました。

翌朝。私が出勤する段階ではまだぼうずと嫁はんは眠っていました。ひとり夜遊びに耽ったあほ父ちゃんを許せ、と寝顔に詫びを入れ家を出ます。

ライヴの余韻に浸って業務上の過失を連発しめでたくわが店舗の営業手当と店長の賞与を私ひとりの手で減額させ、泥のように落ち込んで帰宅、気がかりなのは今後の職場での業務手順の見直し・・・なぞは省みず、昨日のガムテです。

帰宅して早速戸棚を開けてびっくりビッグロウ、夜のうちに仕舞っていたガムテが跡形もなく消え失せていたのです!!

オポ「あばっおぼぽ、が、がががむてない」
嫁はん「いっつも戸棚の中きったなくしてるから、片付けといたで。はぁ?  ガムテ??  アマゾンかなんかの梱包のゴミそのままにしとったやつやろ?」

違うわーーーーーい!!!!

なんということでしょう、私の中では整然と整えられているという認識だった戸棚は、人様から見ればゴミに満ちたカオスにしか見えなかったのです!
訳を話し半泣きで落胆する私を呆れを通り越して憐憫の眼差しで見つめる配偶者。私が愚かでした。「これ大事!  ステルベカラズ」とか紙にでも書いて張ってりゃよかったのです。それはそれでついに本格的に気が狂った、と受け取られかねませんが・・・。

かくしてムキムキ君から頂戴した私の宝物は1日と持たずして塵芥と化したのでした。ムキムキ君ごめんなさい、石川さんごめんなさい、ファンの皆様ごめんなさい・・・  

てかその辺のフツーのガムテ丸めて「これがそのガムテです」って言うてもたぶんばれへんけどね。(オポムチャン)

(寸評)いや、DNA鑑定すれば・・・数百万円を捨ててしまいましたなあ。御愁傷様。 6ポイント。

えらいもん忘れよったなあ

あれは2007年1月上旬の事。正月は終わっていたので仕事にも行っていたのだが、土曜の夜に俺が急遽三重県伊勢方面に友達からドライブに誘われたのだ。でその時は当時つきあっていた全盲(ここ重要ですよ)の彼女と居たため、二人で参加する事に。

ただ出発は深夜0時頃。それであの時は京都市内から南部の木津川市を通って国道163号線で三重県へ。まあここにルートを書く必要はないのだが、朝方になって「何処か店寄るか?大丈夫か?」と運転してる友達。

「あーすんません、コンビニ寄っていただけますか?」と俺のおバカな彼女。

「あんたえらいもん忘れよったなあ」と、ここは男ばかりなグループだったので口から出そうなのをぐっと堪え、でもコンビニから戻ってきた彼女はその時俺しか乗っていない事に気づいて箱に入った状態の物を触らせたのだ。

「おーおまえ、えらいもん忘れよったなあ思たわ。昨夜、腹がはって治療してと言って鍼したからなあ。しかも一緒に行ってくれたのが助手席のWで良かったなあ!」と俺。

「ほんまや。三日後にTチャンを紹介するWさんやったから頼みやすかったわ。これが運転してるFさんやったら気使ったわ!」とおバカ。

「まあ俺が見えてたら勿論しゅっととったるけどな。まあこんな物は彼氏か同性でないと触りにくいから気つけてくれ。わかってるとは思うけど!」と俺。

実はそのおバカにその時付き添った俺の友達Wに紹介したのが元カノの友達Tちゃん。このTちゃんとW、本当に良いやつなんです。紹介した次の日にTちゃんつきあう事を決断、今しっかりWの嫁さんとなっとります!(西大路)

(寸評)見えてたらおきなかった笑い話だね。幸せひとつ産んだね! 7ポイント。

Gooooood!!!

中学時代。私は転校してから友達がなかなか出来ず、おおむね一学期中クラスでは1人で机にうつ伏せて半泣きになっていたのですが、周りのあたたかな対応もあり徐々に本来の個性(おもに気色悪さ)を発露していくようになりました。くねっ。

そんな変人性をまだ小出しにしていた最中の二学期の中間テスト。私はだんだん付いていけなくなる英語に苦手意識を抱きはじめていました。試験も終わり翌週、ドキドキの結果が一人一人名前を呼ばれて教壇で手渡されます。

どっこい、うまい具合にヤマ勘が当たったのか帰ってきた答案は私の思う点数より高めだったのです。思わず興奮した私は、前の席の優等生・オザキ君に向かってサムアップしつつこう言い放ちました。

“Gooooood!!!”

次の瞬間、ふっ、と教室に静寂が訪れたと感じた刹那、次いで爆笑が起こりました。

なっなななななっななっ!? 気が付きました。
普段おとなしくて滅多に自己主張しない私が不意に大きな声を上げたもんだから、みなその意外性に笑いを上げたのです。

どうも近頃自分の素のおかしさ(もちろん当の本人はおかしさだとはこの時点では気づけていない)をちょいちょい解放することができるようになってきましたが、どうもそのせいで精神のタガがちょいと緩くなり過ぎて声まで大きくなってしまったようなのです。

地味な存在の授業中の突然の奇声に教室は笑いの渦、しかもそれを英語教師が大層ツボってしまい、そのあと私は同じシチュエーションを2回リプレイさせられ、恥辱に充ちて“Gooooood(紅潮)!!!”と繰り返しました。

この1件のあとから私は完全なる奇人の称号を中学在籍の間保ち続けたのでした。まあいいです。どのみちクラスに慣れていくほどに私の生まれ持っての異様性は滲み出てきたでしょう。変態は1日にして成らず。

にしても今生まれ持っての異常者、と書きながらまさか乳呑み子の段階から変態であったわけでもなかろうし、一体いつ頃から私はこんなあられもない物体に成り果てたのでしょう。さらに遡って、もう1つ私の奇行を(誰も望んでもないので独りで)見ていこうと思います。(オポムチャン)

(寸評)いや君はそもそも自分の肛門にチンチンが突き刺さった姿で産道から出てきたんだよ。不思議なイ・キ・モ・ノ。 7ポイント。

ドラえもん

時は1980年代の後半、たしか小4の頃だったと思います。世間ではファミコンブームが燃え盛っていました。

先程と状況をほぼ同じくした教室・授業中。なんの授業かは忘れましたが、先生の口からふと零れた、「ドラえもん」という単語。
それを聞いた私がまったくの無意識で取った行動とは、以下のようなものでした。

①「ドラえもん!!!」と突如大声を上げる

②ハドソンのファミコンソフト「ドラえもん」の2面(魔境編・シューティング面)のBGMを大音声で叫びながら時折ダメージ音を織り交ぜつつ教室内を走り回る

③いきなり「♪ほゎんほゎほゎ〜〜んほゎ、ほゎっほゎっ」と自機(ここではドラえもん)がやられた効果音を手足をバタバタさせながら歌い、何事もなかったように着席

この間、約10秒。まったく脳を介さず、私が自動的におこなった一連のムーヴです。

およそ2秒ほど皆は呆気にとられていましたが、その後教室中が大笑い。「なんやねん、それ!!」と。とんだ学級崩壊のありさまですが先生もバカ負けして、一緒に笑っていました。

私は皆の反応ににやにやしていましたが、心の内では何らの動機もない突拍子な自らの行動に動揺・戦慄していました。 なんの準備もなく。なんの企みもなく。衝動的に。なんでそんな行動をとったのか。

しかもあとから思うと皆の反応も、「コイツならやりかねない」というものだったのです。もはや記憶の奥底に沈み込んでしまった、さらなる過去の奇行が存在するおそれが生じました。

まずいなぁ、いよいよ乳呑み子以前に子種の段階ですでに変態であったような気分になってきた。

今の私がこんな開き直ったキチガイに成り下がったのは、そうしないと自分を保てなかったのだと思います。まともに生きようとしてもベースがこれでは如何ともできません。そら2年ちょいで投稿ポイント10000を稼ぐほどの偏執・偏向的な性質も納得できますね。

まあ今さらどうにもならないしこの際面白がって、より一層奇人道に邁進したい所存で御座居ます。キモい+おもろい=きもろい、を目指して・・・なんやねん、それ(泣笑)。(オポムチャン)

(寸評)おぉ、きもろいいいなっ!
初代きもろい王としてどこかの小島を買い取って王国を作るのだ!
家来のひとりもいない・・・。 9ポイント。

親父の車

俺が高校3年ぐらいの時に世話になっていた、2歳上の男子大学生の話。

この大学生、最寄り駅が阪急烏丸という、京都の中心街の実家から大学へは電車通学だったようだが、知り合いか誰かからもらったという旧型の軽四も所有していた。そんな中心街で車がいるのかという話になるのだが、まあここまでは良いとしよう。

俺が高校3年の大晦日、その大学生が車で家にやって来たのだ。ところがその時乗っていた車は、お父さんが最近買ったという確か1800ぐらいの新車。で、この車で来たという理由が笑うよ。この後女と神戸にドライブに行くからと言うのだ。

ええ?あんた自分で車持ってるやんと思ったのだが、

「俺の車やと走らんからなあ、実家の車で来たんやけど親父と喧嘩になってなあ、なかなか大変やったわ!」

いやあんたそりゃ喧嘩になるも何も、自分で車持ってるんやからソレデ良いやん。確かに神戸の上り坂を軽四では大変かもしれへんけどやなあ、俺には実家の車で来る理由がわからん。

勿論わかってはいるのだが、それを言ってしまうと今度は俺と喧嘩になると思いぐっと堪えたのだが、軽四好きな上現実は電車派(公共交通利用派)の俺は、良い車でないとついて来ない女とつきあう気はありましぇーん。

やれやれ、こんなやつこそださい男どす!(西大路)

(寸評)ま、若いうちの見栄ではいいかもしれんが、結婚はお薦め出来ませんな(笑)。6ポイント。

リアル小便小僧

毎日のぼうずの丸洗い、それが私の日課のひとつです。
当方の息子は3歳半ば、もう幼稚園に通い始めたというのに自分からトイレに行く、という行為を一切せず、先生に促されてようやく用便、我々親は完全になめられてる様子で漏らしたまま恬然としているといった有り様です。先日なぞは便所へ行きたがらず下半身丸出しで泣き続けるのを腹立ち紛れに放置した結果畳の上にブツを放出するという大サービスっぷりに我々は茫然自失、虚無的な表情で清掃活動を遂行するのでした。

そんな便意ごときには動じない大物、のはずのぼうずを洗うには奴の定めた細かいルールに則(のっと)らねばならず、日によって遊んでから・湯船を張ってから・身体を先にして頭を後、など気紛れで、少しでも正当な手続きに反すればギャン泣き、下手をすればもう30分はわめいて暴れて何も出来ません。なにこの小物感。

そんな私の息子に間違いないめんどくささを誇る奴を毎日洗うのは正直こたえます。しかしこの父子フロタイムは嫁はんの唯一の自由時間、私は昼間仕事に行っていますが嫁はんは午後1時以降は昼寝のひとつも寝やしないこの暴れん坊の相手をしつつ掃除洗濯炊事をこなしているのです(ぼうずが寝た後は泥のように眠ります)。せめてぼうずウォッシュくらい立派に務めあげないと・・・

とか考え事をして油断していてはいけません、服を脱がせてからもぼうっとしていると何をされるか判りません。
その日も気が付くとぼうずは浴室のプラスティックの椅子の上に丸裸で起立していました。そしておもむろに小さな股元のホースをつまみ、

「しっこでるぅぅぅーーー」

と高らかに宣言するや否や、浴槽に向けて鮮やかな放物線を描いて小便を放ちました。

一瞬のうちに私の中を諦念・放心・憤怒・悲哀・落胆などさまざまな感情が通り過ぎたあと、ある種の感動を覚えました。

台。身長。小腹の出た体格。色白さ。表情。両足をピッタリ揃えて少し曲げた膝。放たれた小便の軌跡。

リアル小便小僧の、降臨です。流れ出るのは水なんかじゃありません、ガチの小便です。

公園にそのまま置いても通用するであろう見事なまでの具現化に、私は小便を浴槽へ放たれているというとんでもねぇ事実を忘れてぼうずに見入っていました。
その日の風呂はわやになりましたが、このぼうずがこの先どこまで自由用便を続けていくのか、どこまでこのようなアレンジメント用便をかましてくるのか、ちょっとおもしろくなってきたあほ父の私でした。この際とことんまで私達をおちょくってみればいいと思います。変態と偏屈は残念ながら遺伝するようですので皆様もどうぞお気を付けて(笑)! (オポムチャン)

(寸評)怪奇糞尿垂れ流し少年!
傍観者はカッカッカッと哄笑するのみ! 8ポイント。

指輪

ある日。実家の3歳下の弟がにやにやしながら自分の中指をこちらにアッピールしてきます。なんじゃいな、と思って見てみると、指の第一関節から第二関節にかけて大きな楕円の黄色い物体が確認できます。

オポ「なにそれ、指輪? 変わった色してんなぁ」
弟「せやろ、触ってみ」

言われるがままに触れてみたところ、予想外の感触が返ってきました。

ぶにん。

びょはっ!!?

親父「こいつアホやろ、おとといしこたま飲んで帰ってそのまま床で寝よって、ガスヒーターの前で寝っ転がったから火傷して指に水脹れこさえとんねん」

げげっ!! 大きな宝石なんか身に付けない奴なのに馬券でも当たったのか? と思たらそれは巨大な火傷による水脹れだったのです。

オポ「お前、人にえげつないもん触らせて・・・ 痛いやろそんなばかでかい脹れ方したら」

弟「いや全然痛ないねん、見た目がおもろいだけで」

インターネットで調べて見たら放っておけ、水を抜け、素人判断では化膿するから皮膚科行け、など意見は様々です。明日でも医者行って来いや、と促しますが「ええんちゃう?」とさして気にも留めていない様子。大した神経です。

というかこの男は昔から教わらなくても大概のことはある程度出来てしまう妙に器用な奴で、直感的にこの指も放っておいて問題ない、と悟ったのでしょうか。

結局指輪状態の中指のまま仕事場に行ってしまい、売り場でご婦人らに「お兄ちゃんえらいエエ指輪してるやんか」と話題になり、その日の売上は上々だったそうです。なんて奴・・・

ただ2、3日もすると飽きてしまい、自分で穴をあけて水を抜いてテキトーに消毒し、医者にも行かずに治してしまいました。要領のいいこと・・・ 私はこの弟と親父には一生敵う気がしないです。(オポムチャン)

(寸評)大谷も股間に巨大なスイカを持ってるよ。
今度食べてみて。 7ポイント。

どふっ

朝の痛勤ラッシュ時。私の乗る時間帯の電車は3月のダイヤ改正で急行が一本減じたために学生・新社会人らが稼働しだす4月からはそらもう滅茶苦茶な乗車率と成り果て、5月の連休明けにやっと少しは落ち着いたものの日によってはまったくバランスが取れない状態で片足を浮かしながら常に誰かにもたれて10分間耐えなければならない、みたいな事態もしばしばです。

こういう状況下で気を遣うのが女性と隣接した場合です。すでにおばはまと相成られた皆様はまだ多少の我慢を知っていらっしゃる上にこちらも接触したところでいたずらに欲情を催さないのでまだ安心なのですが、おとなしそうな女学生さんなんかと背中合わせにでもなろうもんなら大変、なるべく鞄でガードしてお尻同士がぶつからないように努力はするのですがどうにもならない時もままあり、朝からこんな気色の悪いおっさんに密着されて可哀想にごめんね、と同情したりとかなすすべもなく立ち上がった愚息をどう誤魔化そうかとか心は千々に乱れ、出社前から身も心もへとへとになってしまうのです。

さて上記のパターンに当てはまらないのが、気の強いOLさん。顔付きからしてこの人と口喧嘩したら絶対負けるな、って人、居ますよね?
そういう方が近くに来た場合は完全に顔を背け、身体の少しでも当たらぬよう狭いなか得意のクネリで身をよじり必死で接触を避けるようにしているのですが、皆がみんな私のような変態軟体動物ではありません。

そして、電車の中で男はどんな形であれ女性にぶつかってしまえば負けなのです。

女性の持っていた尖った荷物が、すし詰め車内で3、40代の男に当たってしまいました。どふっ。
男「痛ったあ」
女性「・・・」
男「なんやねん、ホンマ」
女性「はぁ?」
男「はぁちゃうわぼけ、当たっとんねん」
女性「何なんですか!?」
男「むっかつくわぁ、ふざけんなや」
女性「ホンマやめてください! 警察呼びますか」
男「俺は痴漢か!? コラ、ぶつけといて何やねんその態度は!!」
女性「しょうがないじゃないですが! いい加減にしてください!!」
男「しゃーないにしても、こんだけぶつけといて謝るとかないんけ!?」
女性「ハイハイ、すみませんねー」
男「・・・・・・腹立つわぁ」
女性「・・・ホンマ何なんですか? 鬱陶しい・・・」
密閉空間でこんなやり取りを聞かされる側も相当鬱陶しいぞ。暫しの沈黙、そして停車駅。男は降車する際に捨て台詞。 男「なめとったらあかんどぼけ! お前が男やったらしばいてるぞ!!!!」
女性「何なんですか最後まで!! 最悪!!!!」

・・・・・・・・・先程も申し上げましたが、この場合もうどっちが悪い/悪ない、の話じゃないんですね。
ぶつかった/ぶつかられた時点で、これ男の負けなんですね。なんらの弁解の余地もなく、はじめから、負け。

ようやく車内には平和が訪れましたが、周り全員が朝からどんより重たいテンションになってしまいました。
こういった悲劇を解消するためには、いよいよ日本人の労働(通勤)人口を激減させるかおっさん専用車両を新設するしかありません。前者はJTがたばこのかわりにマリファナでも販売すれば簡単に達成できそうですがたぶんしないので、男臭さ満載のおっさんオンリー車両の検討を求めようとしましたがそうなったらそうなったでおっさん同士本物の殴り合いに発展したりホモの痴漢が顕現するなど結局なにかしらのトラブルは間違いなく発生するのでもういいや。(オポムチャン)

(寸評)真性Mなら「もっと突いて〜ん あ〜ん」となるのだがな・・・。 8ポイント。

す、すごく美味しいですね・・・

10年以上も前のことですが、会社の先輩数人と喫茶店までランチを食べに行きました。
そこのマスターが自家製カレーにこだわっているらしく、ランチメニューもカレーがメイン。
一口食べると・・・
「(辛っ!)」
その辛さときたら、昼休み中に食べ終えることができるか不安になるほど。
確かにコクが深くて美味しいんですが、まるで罰ゲームを受けているかのような辛さ・・・というか辛(つら)さです。 こうなったら、白飯との配分も考えて食べなくてはなりません(滝汗)。
白飯を先に食べ終えてしまったら、ギブアップは目に見えています・・・てか、カウンター席に座ったために笑顔のマスターが目の前に。
とても残せる状況ではありません(苦笑)。
カレーをスプーンで2杯、その直後に白飯を1杯・・・(繰り返し)。
この作戦が功を奏してか、白飯を半分残してのカレー部分完食!
勝った・・・あとは白飯を・・・
「いやー、判ってもらえましたか。嬉しいなー。カレーだけでも十分いけたでしょ(満面の笑顔)?」
と目の前のマスター。
「(へ?)す、すごく美味しいですね・・・(めっちゃ辛いけど)」
「ありがとうございます。まだご飯が残ってますね。それじゃ」
「あ、いや・・・(お皿を返して!)」
「はい。追加のカレーをサービスさせてください。今日はいい日だな〜(笑顔)」
「(あ゛っ! 何ちゅー事を!)あ、ありがとうございますぅ〜・・・(汗涙)」
計算間違いと言うか、サービスなので嬉しい誤算と言うか(苦笑)。
人の苦労をよそ目に先輩たちも汗を拭き拭き会社に戻って行きます。
「んじゃ、先に戻ってっから(含笑)」
「あ、すみません(苦・・・辛笑)」
途中でマスターが香辛料の種類や24時間煮込むだのと講義をしてくれていましたが、頭の中は真っ黄色・・・真っ白でした。
「ごちそうさまでした(達成感)! 美味しかったです(ヒリヒリ)!」
引きつった笑顔でマスターに挨拶し会社に戻ると
「お、君たちゃ昼はカレーやったとね。俺はくさ、あそこん喫茶店のカレーは辛すぎて食いきらんやったもんね。ありゃマスターの口がバカんなっとーとやろーな。行くときゃ他の物ば注文せんといかんばい」
と匂いを嗅ぎつけた部長が一言。
「(ちょうど行って来たところですってば!)あ、はい。気を付けます・・・(苦笑)」
華麗なるカレー(言いたかっただけ)に魅せられたおバカなマスターの話・・・って、誰も「辛すぎる」って教えてあげてないの(笑)?(デクノボー)

(寸評)時々極端な辛いもの好きな人いるからなー。
俺の友達でも目の前に七味とかがあれば何にでも半瓶くらい平気でかけてしまう人もいる。
まぁカレー食う人も好きずき・・・。 8ポイント。

ああ痒

こないだ。2015年の5月22日すなわちゴフーフ = ご夫婦の日は、私達つがいの11回目の結婚記念日。昼休みに嫁はんにメールをかまし、今晩は晩飯をこさえずに待機しておき給え、と調子をこき、仕事をテキトーに放擲して家路を急ぎました。

カッコ付けくさって、おまはん何処ぞの高級ホテルを予約しとんねん? なんて声にはこう返します。なぁんも決めてまへ〜ん。

そう、私は計画を立てて物事を考えるのが超苦手な行き当たりばったラー、ないしはばったリスト。だいいち思い出したのが当日朝のの職場の朝礼で、こんだけ憶えやすい日付にしながらもすっかりさっぱりこの日を忘却してこましてけつかっていたのです。
しかし計画を厭うのは嫁はんも同じ。さらに嫁はんは私以上に記念日に無頓着で、いっつも結婚記念日に飯を喰いに行こう、と申すと「え゛っ?」という顔をしてバツが悪そうにするのです(笑)。

てなわけで行き当たりばったりは望むところである嫁はんと、たまの外食にはいつも「すしろーいく」とろくに寿司も喰えないくせに回転寿司屋の名前を挙げるぼうずと計3人、なんとなくノリで近所の『ステーキのどん』へ車を運ぶ運びとなりました。低アレルゲンのキッズメニューがあるから助かるのよね。

果たしていつも空いていて待ち時間がほぼない筈の近くのステーキのどんは、平日の夜というのにまさかの8組待ち、一体これは如何なる禍事か。
席も待ち合いもごったがえしており、見たことない数のスタッフが焼いた肉を必死こいて運んでいます。なんだこりゃ、まさかどいつもこいつも結婚記念日、ってこたぁなかろう、ひょっとしていつもあんまりお客が入ってなかったからついに今日でサヨナラ閉店大特価!? とか思って辺りを見ると、思いがけない文言が外のノボリに。

【本日限定!! ステーキ食べ放題】

びょええぇぇぇ!! ごくごくまれに開催される店舗限定2時間ステーキ食べ放題、噂には聞いてはおったがまさか今日がその日だったとは!!! なんの考えもなしに久々に牛の肉たべたいなぁ、いつも空いてるし、と呑気にやって来た私があほだった!! しかもこの日はどうやら大阪ではこのお店のみの開催だったようです。そら人も集中しますわな。

ここで店を替えるのは簡単です。ですが、滅多とないこの機会、そしてもう私も40間近。胃袋が食べ放題を歓ぶ若さは過ぎました。今日諦めたら、挑戦のチャンスはおそらくもう、やって来ません。

オポ「ここで、ええか・・・?」
嫁「ええけど・・・・・・ やるんか?」
オポ「逃すと次はない」
嫁「大丈夫か・・・」

別の投稿でも書きましたがその週のあたまの日曜に、私は京都でえげっつないパフェを掻っ食らったばかりなのです。 歳を考えて胃袋をいたわってやればどうだ? という嫁はんの気遣いも空しく、約40分の待ち時間を耐えた私は120分食べ放題2500円也、をニヤリと注文しました。このコースはステーキは一番安いカットステーキとベーコン巻ミニステーキしか注文できず、サーロインとかのまっとうなステーキはもっと高いコースを注文する必要があります(他にハンバーグ3種、チキングリル2種も注文可)。が、もはや質など関係ありません。いま私が欲しているのは、久々の、牛の肉。それでさえあれば、なんだって構やしないのです。それにこのコースはカットステーキとハンバーグ、チキングリルが最初に出て来る上にパンと飯とスープも食べ放題でドリンクバーさえ付いて2500円なのです。ふつうに注文してもこれだけあれば2500円くらいはますこれを全部食ったうえでさらに「おかわり」に挑めるという仕組みです。

ドリンクバーでカフェオレをこさえて飲みつつ更に待つこと15分、ようやく始めの3品がやって来ました! 喜び勇んで喰う私を呆れた眼差しで見つめる、もう記念日なんだかアラフォーバカのチャレンジ大会なんだかわからなくなった嫁はん。皿には付け合わせが炒めた玉葱くらいしかなく、ほとんど野菜が摂取できません。でもいいの。今はただ、肉、肉が喰いたいの、私。

カットステーキは調理場の苛烈な環境を思わせるぬるさ、しかし私はアツアツの食べ物が苦手なのでむしろOK、ハンバーグも食べ放題用の大味なやつじゃないの? と思いきや私好みの挽き具合! そして曲者はチキングリル、A,B,Cすべてのコースに付いてくるニワトリさん。単価が安くてサイズもやたらとデカいので、思う存分牛の肉を貪りたいデブには邪魔な存在ですがどっこい私は大のチキングリル好き。ぺろりと平らげてスープとカフェオレのおかわりを取りに行き、心配する嫁を尻目にベーコン巻ミニステーキ3個セットとチーズインハンバーグを追加オーダー。ライスも初めに来ていますが、ついつい手が伸びがちなライスをおかわりしては負けです。肉とともに少しずつ少しづずつ。

お肉の皿をすでに3皿空けているわけですから満腹感も相当のものです。しかしお肉のおかわりをしないと、何のために食べ放題に挑戦したのかわかりません。しかもこのチーズインハンバーグとガーリックチキングリルは食べ放題限定、とあるじゃないですか! 是非これは注文しないと・・・・・・ ってあれ? よく見ると、両方普通にメニューに載ってんじゃん。

はっはぁん・・・ 狙いが読めたぞ。そうやって煽ってこの商品を注文させれば、店側の出費が抑えられるようになってるわけだ・・・。付け合わせも乏しいハンバーグにチーズなんて濃ゆいことこの上ないし、安くて馬鹿でかいチキンでお腹を満たせば高価なお肉のおかわりを防げるというもの。店側め、なかなかよく考えてやがる・・・ ふっ、しかしこのミートバカ・オポムにはそんな魂胆お見通しよ・・・ 「お待たせいたしました、チーズインハンバーグで御座います」ってすでに注文してた俺の馬鹿!!!

ミニステーキで気を取り直し、おそらく私の胃袋に収めることが可能な最後のお皿であろうチーズインハンバーグにナイフを入れます。どぅぷぁ。チーズの海が鉄板に拡がります。フィニッシュにこれはなかなか・・・ と怖気づきなが ら流れ出るチーズとともにバーグをもっしゃもしゃ、むむっ、イイネ! 想像したより濃すぎないじゃんか。しかも食べ放題メニューの中でデミグラスソースはこのチーズハンバーグだけ、デミグラスっ子の私にはうれしい仕様です。

お肉料理5皿・オニオンスープ1カップ・ライス1皿・カフェオレ2杯・ココア1杯・パン2ヶ。食べ放題にしてはあまりたくさんの品数をこなせませんでしたが、2500円でこの量は上等でしょう。40前のおっさんにしては頑張ったほうです。貧乏舌の私にとっては、しゃらくさいおフレンチに1人5000円使うよりは、こういった大衆的レストランで腹いっぱい食べる方が幸せなのです。だいたい大衆的とは言いながら我々にとってこのステーキのどんは年に1、2回のご褒美的高級料理の部類に入るのです。

いやぁ喰った喰った。呆れていた嫁はんもドリンクバーでたいへんおいしい烏龍茶を飲んでご機嫌(なにげにお茶が充実)、ぼうずもお子様ゼリーとガチャガチャでニッコニコ、素晴らしい結婚記念日飯になりました。良かったなぁ。野菜ぜんぜん摂取できなんだなぁ。翌朝になっても一切腹が減らんなぁ。栄養バランスが大幅に偏った晩飯のためかアトピーが全身に出ておるなぁ。痒いなぁ。そして何が一番馬鹿かというとここで長々とステーキ食べ放題の話なんか書かれても誰も読んでておもろないという事実に気付かずここまで書いてしまった自分であることよなぁ。痒いなぁ。腹減らんなぁ。あほだなぁ。ボリボリ。でも挑戦したことに悔いはありません。せめて腹を壊さなかったことに誇りを持つことにしました。されど残業続でせっかく減った2kgが瞬時で元の木阿弥、脱衣所で独り涙目。たはっ。ああ痒。(オポムチャン)

(寸評)牛丼屋のステーキなら普通に腹一杯食っても2500円にならないんじゃ・・・アババ、よくやった。
俺はもう食い放題は卒業した。 8ポイント。

ブクブクブク

バカステーキの1週間後の土曜。ご想像通り社会不適応者の私は案の定営業成績が冗談みたいに酷悪で、ほぼほぼ罰ゲーム的に休日出勤を命じられて朝8時から店内の清掃と在庫点検、また営業活動を余儀なくされました。
来週末までに〇〇〇〇万数字を上げないと、支社からまた休日出勤命令が・・・ ははははは、すいませんすいません私が貴社に就職したばかりにご迷惑をお掛けしてほんとすいません。よくいんちき社会人として13年も持ったなぁ。潮時かなぁ。

しかし恐ろしいことに人間生きていくためには飯を摂取せねばならず、あろうことか飯を食うためには銭をどっかから調達せねばならんのです。すれすれ社会に適応できてないくせに適合してるふりを、せめてぼうずが自分で銭を拾ってこれるようになるまでは続けねばなりません。雇用主が積極的にこちらの馘をチョンしに来るまで、休日出勤してでも皮一枚でしがみつくことが女房子供への義務を果たすことなのです。さわやかな土曜の朝から心に打ち鳴らす無能者のブルース。

あほな愚痴を垂れてても仕方ありません、さてその日私は職場へ自家用車で赴きました。普段は鬱陶しい満員電車に揺られての通勤なのですが、この土曜は入院している同居の義叔父がようやく退院の目途がつきそうなため、先んじて荷物の大半を持って帰ろうと車で出勤したのです。もちろん職場のお店には駐車場なぞありゃしないので近所の工場地帯の一日最大400円コインパーキングにイン。ははは、パーのキングがパーキングに入っとるわ。言うてる場合か。

義叔父は両親を早くになくした妻の数少ない縁者で当人にも親兄弟妻子は無く、面会も私の妻以外には来てほしくない(出来れば嫁はんにも来てほしくないようなのですが他に誰も居ないのでやむを得ず)ようなので、病室に荷物を取りに入れるのは私の妻だけ、しかしそれをぼうずを連れながら電車で持って帰るにはあまりにハードなので、私の仕事が終わり次第職場近くまで電車で来て合流してから病院へ行こう、という流れになったのです(嫁はんは家の近所しか運転が出来ない)。

なんとかお昼時までに仕事は片付き、女房子供と待ち合わせ、無事病院で荷物を回収してきました。嫁はんいわく義叔父の回復具合もほどほどの様子で、一安心です。
さて時刻はお昼の2時。石川さんの名曲タイトルの時刻とはいえ歌詞どおり親子3人でオナニーするのも妙ですからやりませんが荷物回収のあとの予定は誰も一切考えてなかったのです。
そこでさっき病院に着くまでに見た「右方向 和歌山」を示す道路標識。病院は大阪市内なのですが、そんな場所から和歌山を目指そうという人間が果たしてどれくらい居るものなのか・・・ と嫁はんとくっちゃべっていたのですが、用事も済んで予定なしの今、私の中の行き当たりばったり精神がむくむくと湧き立ちました。

オポ「そういや和歌山市街って行ったことなかったよな」
嫁「おいおいちょっと、まさか・・・」
オポ「近畿自動車道乗ればたしか一発やったな・・・ 何時間かかるかな」
嫁「やんのか」
オポ「止めるんやったら今のうちやど」
嫁「・・・・・・大丈夫か、って気持ちが半分やけど、ちょっとおもろいな」

その言葉を聞いた私は、ただひたすらに東へ向かいました。近畿自動車道は大阪府の東部を南北に走っており、堺・松原・岸和田などを経て和歌山まで続く阪和自動車道に接続しているのです。ガソリンもほどほどに充ちています。これはやるしかない、とひたすら東へ走る私(実際のところ阪神高速を使えばもっと速いのですが、ルートが複雑なうえに本線への合流走路も短く利用者の走行マナーも出鱈目なので怖くて乗らないようにしています)。

しかしさすがに行ったこともない場所へ行くがゆえに私の運転も不案内で、いきなり近畿道に乗りそびれました。大きな道路が交差してるうえに阪神高速の入り口と標識が見分けが付きにくく、道路案内表示の側も混乱してるような始末なのです。
そこで完全に乗り気になった嫁はんが地図を取り出し、ナビゲートを始めました。普段地図が苦手なのに、こういう時には妙に役に立つ奴です。恩に着るぜ配偶者。
嫁「ここから戻ればうまいこと高速の下道に入れるわ・・・ んん?」
オポ「どないした」
嫁「これ、和歌山までの間に海側に大きい橋がある」
オポ「そうそう、関空(関西国際空港)まで行く橋や。・・・そっか、和歌山がハードル高かったら、関空行ってみよか? 若干近くなるで」
嫁「それもええな、ぼうず、和歌山と空港とどっちに行ってみたい?」
ぼうず「くうこういってみよ」
嫁「よかったぁ、風呂の時間までには帰れる目途ついたわ」
チーム行き当たりばったりはここへ来てさらなる行先変更を決定しました。

さて道をちゃんと知らない私がもっちゃら手こずったため近畿道に乗っかれたのは3時。土曜ですが比較的空いています。100km/hそこそこで快調に飛ばしていくと、景色がビル群から徐々に山の中へシフトしていきます。堺を過ぎればなかなか緑も多いところを走っているのだなあ。地図の上だけではわからない事実に心躍らせながら、私は分岐の泉佐野ジャンクションを見逃さないよう目を配りながら疾走しました。
途中謎の城っぽい形をした岸和田のサービスエリアで小休憩を取り、ご当地とは何の関連もないホルモン(ミノ)串焼きを頬張ったのち再出発、さああと少し。それにつけてもだんじりならともかくなんだ城って。
スピード違反取締りと和泉ナンバーの爆走車両に怯えつつ、ようやくジャンクションを経て大きな橋、3750mを誇る世界最長のトラス橋・・・ って何だ、まぁともかくスカイゲートブリッジとかいうのを渡ります。うーん曇ってて景色がパッとしねぇ。もうちょっと見晴らしが良ければなぁ。左右は一面の海であろうはずが曇りに加えてもう4時半近いし車外の色彩が全体的にグレーで残念。
空港の搭乗口・ターミナルビルには用事はないのではなれにある展望ホールへ。とくに目的も皆無でノリでやって来たため別段施設等に期待も何も寄せていないので気楽なものです。呑気に記念撮影、お子さんプリクラ的なものを珍しく3人でぱしゃり、売店では飛行機グッズには目も呉れず北海道・沖縄から空輸のご当地ドリンクを購入。見たこともない異国のジェット機の離着陸を(来たわりにさして興味がないので)見るでもなく見ないでもなく形だけ展望し、雨が降って来たので階下のレストランへ、だぁれも居やしません。まぁ時間も時間だし帰りのサービスエリアも混むだろうから、5時ちょい過ぎの早めの夕飯、しかし暗くなりゆく空を見て焦燥、ぼうずを急かして退出。眺めもいいのにほんとうに我々以外に誰も入って来ませんでした。

レストランで飯を食ったので駐車券提示で1時間分割引に。飛行機も見たし写真も撮ったしまったく関係ないけどレアな飲料もゲットしたしさあ帰ろ。海を4km近く横断するわりにあまり眺めの良くない橋をふたたび渡り、何考えてんのかわからんくらいスピードを上げてこちらを威嚇してくる南大阪カーをかわしつつもと来た高速をノンストップで飛ばします。私達の家に最寄りの吹田インターチェンジへは約1時間。関空を出たのが6時20分だったので7時半に帰宅。こりゃ和歌山攻略は近いな。

夫婦お互い計画を立てるのは苦手、しかし突然のプラン立案にも問答無用で突き進める精神のフレキシブルさ。短所は考えようで長所に転じられる、石川さんの教えそのものですね。いやぁ思いつきの割にはなかなか面白い旅程だったなぁ。それっぽいものなんにも買わんかったけど。そういうグッズって高いしね・・・

・・・・・・ちょっと待て。グッズは買わんかったとして、なんかやたらと料金所通った気がするけど一体ナンボ使ったんや・・・・・・?

にわかに私は戦慄し始めました。料金所のおっさんに貰ったレシートなんてすぐクシャクシャになってどっかやっちゃったので、あわててパソコンで高速料金計算のシミュレートを試みます。チーン。往復交通費計5690円ナーリ。そして交通費以外でも展望ホールでの写真料500円・飲料代710円・夕食代2580円・駐車代310円、締めて4100円。げぇぇぇぇぇ!!! ほとんど1万円使うとるやないかいな!!! 

ふだん旅行にまったくといっていいほど行かない家族想わずな私、こういう相場がわからずテキトーに会計してしまうため、このように後から蒼褪めるという事態になるのでした。ブクブクブク・・・・・・ 
口から吐いた泡と涙を拭い、思い付きであんまり遠くへ行くもんじゃないな、と一瞬思った私ですが今度もまたたぶんなんとなぁくで突然旅行をやってから後悔するのでしょう。だってもうそのころには今日のことなんてとっくに忘れてるでしょうから! はは、ははははは・・・・・・。しかし長いうえに内容無いな今回も。たびたび失礼してます。(オポムチャン)

(寸評)でも一万円でしょーもない物買うより少なくとも子供が飛行機見に行ったという記憶を買ったと思えば安いものかもよ。
旅ってそんなもの。 8ポイント。

どっこいしょ

オールウェイズ・ワーカホリック、波照間エロマンガ島@バンコクです。
昨夜の出来事です。いつものように遅くまで残業し、帰りの電車の中、ぼーっと座っていました。
ふと気がつくと、正面に座っている若い女性が読んでいる本の表紙がわたしの位置から見えました。「花ざかりの森/憂国」三島由紀夫 〔新潮文庫〕と印刷されてあります。「おー、なんだ日本人じゃないかー!!」と心の中で叫びました。
わたしはバンコクのトンブリーという、東京でいえば北千住、大阪でいえば十三のようなローカルエリアに住んでいるので、もうめったなことでは同胞には出会わないのです。電車に乗っているのはタイ人がほとんどなので、顔立ちから当然その女性もタイ人だと思ってました。でも、もしかしたら日本語の読み書き堪能なタイ人かもしれないな、そんな疑念をもちつつも、しばらくすると私の降車駅である某駅に電車は到着しました。
次の瞬間です。ホームに降りようと席を立とうとした私は、思わずある言葉が口をついて喉から小さく出てしまいました。「どっこいしょ」と。
その声をその目の前の女性に聞かれてしまったのです! その女性はニヤニヤしてこちらを見ているではないですか!
「あ、やっぱりこの女性、日本人だ、そしでわたしのことを日本人だとわかってるー!」と私は確信しました。 そこから恋が始ま・・・るわけもなく、私は駅に下り、彼女はさらに郊外の方向へ去って行きました。

以上、油断して「どっこいしょ」と思わず日本語でつぶやいてしまった、おバカな私の話でした。(波照間エロマンガ島)

(寸評)いい年の一人暮らしの人はひとりごとが多くなる。
俺の友達関係で立証。 6ポイント。

兵庫県南部の人やろ?

よく「関西弁」と一括りで言うが、これは短大入学直後の話。
同級生の女の子の一人と話していて、
「何処から来てるん?」と俺。
「大阪市の旭区」と同級生。
「それやったら短大は京阪が一番近いからええよなあ」と俺。
「そうやなあ、滝井と千林の間やねん」と同級生。
ところが関西の方ならわかっていただけると思うのだが、喋り続けているとどう聞いても兵庫県南部の言葉なのだ。
「家大阪市て言ってるけど元々は兵庫県南部の人やろ?」と俺。
「そうそう、神戸の東灘区で阪神高速が倒れた近くやねん。て、大阪と神戸ってそんな違うん?」と同級生。
「関西人が聞いたら違いはめっちゃわかるで!」と俺。
「私ぜんぜんわからへん。住んでたマンションがつぶれて三日間避難所に居た後今の所に来てん」と同級生。
「何や?バリバリの神戸っ子やんか。でも無事で良かったなあ!」と俺。
「それはほんまやわ。一階の人は亡くなった人居たんやけど三階の私や家族はどうもなかったわ。避難所もすぐに出られたしねえ!」と同級生。
阪神淡路大震災の年に短大に入学してるのでこんな話になったのだが、阪神間の関西弁の違いは短大卒業までわからなかったようだ。ただ俺とちがって、その同級生は現役で短大入学であった。
そう言えば、「大阪の何処?」てよく聞かれる俺はどないやねん!(西大路)

(寸評)関東人から見ると関西弁なんてみな同じに聞こえるが現地だと違い分かるんだねー。
でも関東も茨城や群馬とか方言が強過ぎて年寄りとか何言ってるのか全然分かりましぇ〜ん。 6ポイント。

整備不良車

最近アイドリングストップ車が多く出てきてるが、あれは10年ちょっとぐらい前の事。
所属の研修会の先輩がアイドリングストップ車(軽ワゴン)に乗っていたのだ。ところが今のアイドリングストップ車と決定的に違う所。
以前は止まらなかったのと、一回止まってしまったら手動でキーを回してかけなければ動かないという事。つまりは完全な整備不良車なのだ。
電子制御の一部分がやられているようなのだが、修理には出すもののまたすぐに止まるといった状況だったのだ。
ただ走らないわけではないのでその状態で1年ぐらいかな?乗り続けていたようなのだが、信号待ちの時は右足でアクセル、左足でブレーキを踏まなければならなかったので大変だったようだ。
そんな車でよく送ってもらったし、一人の時は高速道路も普通に走ってたらしい。
またその先輩、ミラーをぶつけてはずれたらしく、ガムテープで張り付けていたとか。
正直、乗せてもらってる俺は恐かったなあ!(西大路)

(寸評)俺もドアがガムテープで固定されてる友達の車に乗せてもらった時はちょっと怖かったなあ。 6ポイント。

おバカ幼児、おぼえたての隠語を連呼

私が幼児か小1の頃の行状でどうにもおバカな出来事の記憶がありますので、ここに投稿したいと存じます。
幼児の頃、親戚の家へ遊びに行きました。同じ年くらいの従兄弟5人くらいで子供だけで雑魚寝しました。男2人、女3人くらいいたでしょうか。親戚の子供同士、興奮してキャッキャ言いながらいろいろな話をしました。そのうちちょっと落ち着いてきたので、私は書棚にあったエロ本を漁り始めました〔当時から早熟でした〕。するとちょっと厚手の総合文芸雑誌の「宝石」を見つけました。「ほら、ねぇこれ見て」と私は宝石の巻頭の金髪女性のヌードグラビアを他の子供たちに見せました。「なんでこの人、はだかなの?」「なんでこの人、はだかで外に立ってるの?」ほかの子供たちは興味しんしんでこの写真を見回していました。私はそんな光景にまんざらでもなく、「これはヌードっていうんだよ。ここにタイトルが書いてあるでしょ。『ビバ・ヌード』って」と説明しました。すると、今まで寝てるかと思っていた弟が突然目を覚まし、次の言葉を言いました。

「男のヌードと、女のヌードと、ビバ・ヌード」

このフレーズが妙にツボに入ったのでしょう。そこにいた全員お腹が痛くなるほど笑いころげ、そのあときちがいのようにそのフレーズをおのおの口走ってました。あれから40年以上経った現在、あの場所にいた人たちは全員中年のおっさんおばさんになっているはずですが、このときのことを覚えているのかな、と思います。そのころ私はまだ精通はありませんでしたが、マスターベーションはよくしていました。(波照間エロマンガ島)

(寸評)俺もその中にいたら笑い転げてたと思う。「男のヌードと、女のヌードと、ビバ・ヌード」いいセンスだね〜。
そういうのってツボにはまるとおかしくてたまらなくなるよね。分かる分かる。 8ポイント。

ハザマユゲ

思春期まっさかり性欲の権化、男子が一生涯のうちでとくにあほになると言われる中学2年生のころのお話です。

とはいえ今回はいつものエロ系自爆投稿ではなく、体毛の話です。
ご存知の通り、ヒトは11〜15歳のあたりで第二次性徴期をむかえ、各々の性別的特徴が顕著になり出します。そのうちの1つとしていままで存在しなかった体毛がにょっきりにょっきり生えてくる、という事態にわくわくしたり戦慄したり、皆様にもいろんな思い出がお有りかと存じます。

まあ陰毛は性行為の前準備として男女等しく発生してくるわけですが(局部をぶつけ合う際のクッションではないかという説があります)、おっとついいつもの癖で卑猥になってしまった、そこではなく男子には胸・脛・そして頬・顎などにも発毛が見られるようになります(どうでもいいですが男女ともに腋毛の発生・存在の理由がいまひとつ謎ですね)。
私の濃ゆい顔面にヒゲが生え出したのもちょうど中学2年の時で、それに伴い風呂場にある親父の剃刀を勝手に拝借し、入浴時にジョリジョリと手入れをしてこましたのでした。しだいに刺激を受けたことで顔面中の毛根が活性化しだしたのか、左右の眉毛の間にも毛が発生してさながらこち亀の両津巡査の如き様相を呈して参ったのです。

兄貴にそのことをおちょくられた私はこれは屈辱的だ、この間眉毛、ハザマユゲを早急に始末せんならん(訳:始末しないといけない)、と思い立ち、またぞろ風呂場で親父の剃刀を手にしつつ、石鹸を泡立て眉毛の間に塗ったくりました。

実家の風呂場には大きな鏡があります。ですからそれを見つつ作業をすればなんら問題なくハザマユゲを始末できたでしょう。
しかし生粋のあほの私、剃るべき部分はしゃぼんの泡と曇りがちの鏡でなんだかよくわからないので、なにも考えずに剃刀を、上から下、すなわち縦方向にゾリッと剃り下ろしました。

さてここに鏡と定規があります。私の眉間の幅を測ってみましょう、1.5cm。対して一般的T字剃刀の刃の幅も測りましょう、3.5cm。つまり私は左右1cm分、余計に眉毛を剃り落としてしまったのです。

鏡を見た私は、その顔面の珍奇さに蒼白になり、一緒に入浴していた3歳下の弟は爆笑し、6歳下の弟は本気で気持ち悪がりました。「(怯えた声のトーンで)ポム兄ちゃん、めっちゃ変な顔やぁ!!!」

風呂上りに親に申し上げると母親には呆れられ親父には爆笑され、ふつう毛の分だけ横に剃るやろ、横に、と言われて初めてアッそうかそういう手があったのか、もうそれやったらそうと早よ言うてくれんと、と納得・得心したのでした。むきだしの、あほです。
まぁしかれども手先の不器用さには定評のある私、初めての眉剃りに緊張して手を滑らせ一気に横一文字剃り落としてしまうよりはある意味リスクの少ない手段ではあったかもしれません。眉間が妙に広がってるのと、片眉つるんと無いのとでは前者の方がだいぶましですから、ね。

翌日、各方面からどんなツッコみをされるか半ば絶望し半ば期待しながら登校したわけですが、思った以上に他人は自分の顔のパーツを真剣に見ていないもので、だれからも軽侮・誹りの言葉は飛んできませんでした。勝手にしびれを切らした私が昼飯時に告白してようやく友人連中は「あっホンマや!! オポやん今日はめっちゃ眉間広いやん!!」と笑われるに至ったのでした。家族はともかく他の奴らからしたら、言われないと気付かないレベルのことだったのですね・・・。当人からしたら《両眉毛1cmずつ消失》はかなりの衝撃だったのですが・・・。

とか言って昔話に精を出してたらいましがた鏡を見て気付きました、左眉が1cm余計に剃れてしまっています。24年経っても相変わらずいい加減で感覚派な私はまたぞろ懲りもせず目分量でテキトーにハザマユゲを処理したためにアシンメトリーな眉毛でしばらく接客窓口に佇むことがここに決定したようです。馬鹿は死ななきゃ治らない。私の場合死んだところでも怪しいな。ははは。(オポムチャン)

(寸評)確かに眉毛濃いイメージ。
やっぱりいっそ眉毛繋がりの両津勘吉になってるの見た〜い!
その方がインパクトあるので絶対売れるって! 8ポイント。

ミッキョおじさんの空中浮揚

高校3年の頃の小話です。
時は1995年、阪神淡路大震災と宗教団体の地下鉄劇薬事件などで世間が騒がしくしていました。
後者の事件では毎日のようにテレヴィジョンで流されていた教団の特殊に過ぎる実態が脳裏に焼き付き、滑稽さと悍ましさが同居した奇妙な感覚をおぼえたものでした。

その教団の奇妙な修行は、大きな水槽の中でぶくぶくやったりへんてこな歌を歌い踊ったりびりびりヘッドギアをかむったりといろいろあったわけですが、中でもいちばん興味深かったのは「空中浮揚」。
信者さんが座禅を組み、両膝をばったんばったんさせてちょこっとだけ地面から浮く、といういんちきくさい浮揚で、その一瞬地べたから離れた瞬間をお写真に撮影して「ほうらうちの教祖は空中を浮揚なさるのでっせ」と宣伝していらっしゃったものです。
それを窮めれば座禅を組んだままぷかぷか中空をたゆたったり壁をすり抜けたりできる、みたいな布教ヴィデオもテレビで見ましたがなかなかおもろかったです。

さてそんな騒ぎの中、ある日の宵の口実家の食卓から階上の子供部屋へとんとん階段をのぼっていた最中、両親の寝床たる和室からばったんばったん、と奇妙な物音がします。
まだ寝るような時間帯ではありません。おかんは台所で洗い物、兄弟は風呂に入っています。じゃあ一体、誰が何してる・・・?
いささか怯えつつ和室を覗き込むと、親父が座禅を組んで両膝をばったんばったんさせていました。

オポ「・・・・・・なにしてんの」
親父「おお、いま空中浮揚の練習してたとこや」

自分の44になる父親が誰も見ていない自室で空中浮揚の練習をしているという事実とそのシュールな光景に、一周回って私はおかしくなってにわかに爆笑しました。

一体、なにを思って親父は空中浮揚に挑んでいたのでしょうか。私の足音を聴きつけてウケ狙いでかましてきたのでしょうか。本気で入信を考えていたのでしょうか(宗教はおしなべて大嫌いな親父なのでまずそれはあり得ませんが)。行きつけの飲み屋でネタにでもするつもりだったのでしょうか。

昔から口先というか屁理屈が達者な親父は「俺教祖やったら自信あるど、お前うまいこと信者集められへんか」などと軽口を叩いていました。本名からミッキョ、ミッキョと親兄弟に呼ばれていた親父ですが、まさかネタにせよ密教の修行を取り入れて来るとはこちらの想定外でした。何度も言いますが、私はこんな出鱈目な親父が大好きです。(オポムチャン)

(寸評)空中浮揚、すげー修行して必死の思いでやって30cmジャンプ出来るかどうか。
例えそれが50cmになろうがまた数秒じゃなく一分浮き上がれたとしてすら一体それが何になるのだと当時から思ってたな。
昔から超能力のスプーン曲げもそうだが「それはスゴいが、それが出来て一体誰が何の得をするのだ」と不思議でしょうがなかったなー。 8ポイント。

内回り

大阪府泉南郡熊取町。JR阪和線沿線にあるという事は知っていたのだが、具体的にどのあたりにあるかは知らなかった(気にせず通り過ぎてた)。ところが、昨年末から年始にかけて、阪和線沿線の友達とそんな話になったので教えてもらった。
そこで聞いたからには観光地に行ってみたいと思うのが俺。ただ、町内の観光地を聞かなかった上思い浮かばなかったので、すぐ側で思いついたのが関西空港。そこで、この友達とは何の関係もない京都のやつと関空に乗り込む事に。
本年2月の第一日曜だったと思う。うまくそいつを関空へ誘導したい(いや勿論誘導していただいてるんです)と思い京都を出発。踏切安全確認かなんやかんやで新快速電車が遅れたものの、大阪駅には無事到着。
京阪神エリアから関空までは鉄道を含めいくつかルートはあるのだが、俺らはJRの「関空快速」に乗りたかったので、大阪駅からはそれに乗車の予定。
ところが、
「西大路君、おまえが言うのは俺が見る限り天王寺乗り換えなんよ!」
「いや、大阪からは一本で関空には着けるんやって!」
「いやそんなん言われても関空快速天王寺行としか出てへんねんて!」
「あーそれ環状外回りか?」
「外回りて何?」
「京橋・鶴橋方面見てるやろ!」
「あーそうや。ここに関空快速て書いてあるもん!」
「いや、内回り見て欲しい。それが関空に一本で行ける電車やねん!」
「あーわかったわかった、行き先見てくれって言ってたのはこの事か。俺、「関空快速」としか見とらんかったわ、すまん!」
「そういうことっす。まあ気にはするな!」
「いやーしかし京都人には大阪環状線というのは難しいのう!」
その後無事に関西空港には到着したのだが、俺はそいつの飛行機撮影に永遠つきあう事になったのであった!(西大路)

(寸評)なるほど〜内回りの方しか直通で行かないのね。
そりゃあ関東者にも難しいね。
ちゅうか山手線にも内回り・外回りあるけどどっちがどっちか未だにわからん。
時計回り、ならすぐに分かるのになー。 6ポイント。



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