ドキドキドキリコ初体験(92)
さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント?ー(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!
はじめての恐竜焼きをぼうずに古代電話で撮影させる
さて先に投稿したはじめてのオポム家3人一泊二日強行北陸旅行、その最終日に我々は福井の山中にある恐竜博物館へ参りました。いわば旅行の〆のイベントですね。
福井からえちぜん鉄道にがたごと小一時間揺られたのちに勝山駅からコミュニティバスで20分。博物館前に降り立った我々を待っていたのは強烈なよい匂い。小麦粉に卵と砂糖をぶちこんで焼いたなにかの素敵スメルが強襲してきたのです。
先にタイトルに書いたようにそれはどうやら「恐竜焼き」というベタもベタなネィミングの喰い物を商っていることの証左、おおきな幟に売り子さんの声。私は1も2もなく屋台へダッシュする構えに入っていましたが横で嫁はんが「・・・・・・まさか今、食べるとか言わんよな」とぼそり。ハッッそうじゃそうじゃ、先ずは恐竜博物館を閲するのがよい。ほんの2,3時間の館内見物のうちに恐竜焼きもよもや逃げはしまい。私は後ろ髪引かれる思いで博物館へ足を向けました。
大迫力の展示に圧倒され満足した私共。併設のカフェレストランで恐竜バーガー&越前そばという周りの誰もが皆目選択していない気が狂っているような組合せの昼飯を美味しく頂戴して退出、すでに私の腹部はぶくぶくの極みであったのですが・・・・・・
匂いの力とは斯くも強力なものなのか、私は博物館を出た瞬間に件の屋台へすいすい吸い寄せられて行きます。嫁はんは呆れて小高い場所へ白山連峰の写真を撮りに行ってしまいました。
残された私とぼうずはにこにこして恐竜焼きの屋台へ。カスタードとあんこが選択できます。ご察しの通り恐竜焼きとは、ティラノサウルスの頭骨の型に小麦粉と卵、砂糖等を加えた生地を流し込み加熱、その中に餡を投入のうえ別の型(勝山ジオパークのマーク型)とがっちゃんしてさらに焼き上げて提供される、いわゆる鯛焼きのごとき喰い物であったのです。
まぁ食ってしまえば鯛焼きとなんら変わりはしないことは解っていますが、折角のめったにしない旅行の余興にひとつもとめてみるのも良いでしょう。そしてさらに折角だから、恐竜焼きにテンションを上げる不細工極まりない40のおっさんの姿を記録に残してやろう、という想いがむくむくと勃起して来たのです。とはいえカメラは嫁はんが持ってっちゃったし、誰かにこんなもん超古臭い携帯で撮ってもらうなんて恥ずかしくってできゃあしない。
そこで私はこんな古代電話なんぞで画像の撮影などしたこともないぼうずに、「ここ押すだけや、指写したらあかんど」などと指導&鞭撻、ぼうずも心得た、とばかりに「とさーんとるでー、はーいちーーず」と絶叫、ぱしゃり。
といった流れで撮影されたのがご覧の無気味な画像です。あまりの気色悪さに携帯電話が私ではなく恐竜焼きのほうに自動でピントを合わせているのが心憎いですね。
台詞を付けるとするなら、
「おい、こらぁ、何撮っとんねん。埋めて化石にしたろか、われ」
みたいな感じでしょうか。疲労のピークで完全に人殺しの目付きになっているところが私の異常者らしさを如実に表しており、たいへん気に入りました。私は上機嫌でぼうずにも恐竜焼きを購入、2人たのしくティラノサウルスの頭骨を齧ったのでした。
嫁はん「なんやあんたら、親子仲良くベタなもん喰うて」
ぼうず「おいしいでこれ」
オポ「きみも要る?」
嫁はん「要らんわい、さっきあれだけ喰ったのに、どんな胃袋しとんねんな」
オポ「ケーキは入る所が別なの☆」
嫁はん「黙れ」
朝からバイキング2巡。昼はバーガーポテト付とそば一人前&ぼうずの食べ残し、そしてこの恐竜焼き。(ちなみに夜は大阪に帰ってからつけ麺300gとぼうずの食べ残しを頂戴しました)この北陸旅行は景色も最高でしたが個人的には喰い道楽旅行で、どの飯喰っても幸せでした。体重が2日で3kg増加しました。ただ間ンのよろしいことに次の日(3/26)から年度末の繁忙期に入ったので勝手に体重はもとに戻りました。つくづく私は運の良い野郎です。イェイ。恐竜焼きと我が子の古代電話初撮影でした。(オポムチャン 18/4/17)
(寸評)おっ、初めてネットに顔を晒したかな?
ってか、我が子にガンつけてどないすんねん! (笑) 7ポイント。
はじめての家族で北陸旅行
今年に入ってから、嫁はんから全くお前は我々を旅行へ連れていかぬ、そしてぼうずはこの4月から小学校へ進学、一般的な交通機関・宿泊施設では大人の半額程度の運賃・室料が発生するようになるため長旅をするならばこの3月までがラストチャンスやど、と「私達を旅行へ連れていけ」攻勢を受けており、されど出来ることなら大枚はたいてよくある観光地を巡らされる、なんてなことするくらいならお家で日々出鱈目な歌を歌ったり出鱈目に楽器を鳴らして愉快に過ごしたい私、なんだかんだ渋って決断を先伸ばしにしてきましたがとうとう要望の声に耐えられず、春休みに入る前の連休を狙って未踏の地・北陸地方へ1泊2日の強行プランを組むことにしたのです。
んで、ここ最近の私のおもろない投稿にもありましたが2月は記録的豪雪で北陸行きの交通機関が完全停止、しかしキャンセル料がギリギリかからなかったため3月の土日に日程を変更してリベンジを図ることになったのです。
しかし3月に土日込みの連休はありません。それに幼稚園が終わるまでは土日を潰して旅行に行っては嫁はんぼうずが可哀想です。まぁどのみち私は金曜も月曜も仕事なのですが。ただ懸念していた春休み期間に入ってしまったため、2月に予約したお値段も施設も良い感じのお宿はすでに満室、やむを得ず同じ駅近ながらも5,000円アップかつ温泉もないお宿で妥協、ただこの度の大雪で大量キャンセルがあった北陸の宿泊施設を応援しようキャンペーンみたいのが楽天トラベルさんで開催しており、500円だけディスカウントされました(笑)。国鉄北陸乗り放題きっぷと宿代でしめて66,320円、か・・・さらに外食5食分、恐竜博物館入場券付きのえちぜん鉄道往復チケット・・・・・・(白目、口から泡ブクブク) しかしまぁぼうずが小学生になってしまえば半人前分の料金が発生してしまうため、さらに約35,000円程度追徴課税(?)されてしまうことを考えればここはヨシとしましょう。
なにぶん当初の3連休から計画変更を余儀なくされたため、帰って来ても翌日は仕事です、いつものように行き当たりばったりのふらふら旅行ではなく、もう40だし体力的にも無理のない計画をまじめに組まんといけません。私は慣れない旅程プラン作成に夜を費やし、投稿もままならぬ日々が続きました。手淫はさぼらんかったけどね。これ言わなくてもええやつですね。
私は未来電話を持たぬ原始人なので、パソコン上でヤフー路線案内さんとグーグルマップさんを駆使して分刻みでスケジュールを組み立ててゆきます。ワードやらエクセルやらに打ち込んだところで我が家にはプリンタが無いので、チラシの裏にびっしり「7:54 阪急バス上野坂→8:13 地下鉄御堂筋線桃山台→8:44 国鉄新大阪12番線サンダーバード2号車2番AB・・・」などと手ぇで記入、すべて書き上げたところで古代携帯の撮影機能でぱしゃり。紙媒体と撮影データの両方で持っておけばどちらかが破損したときでも慌てないでしょう。それしにても2018年を生きる現代人とは思えぬレヴェルのもたくさっぷりです。とはいえ30年前はパソコンでこんなふうに乗継時間等を簡便に調べることも出来なかったわけで、昔のひとはどうやって旅の予定管理をしておったのか不思議で仕方ありません。やはり昔のひとは偉いなぁ。縄文式土器で飯炊いてたんやもんなぁ。昔が過ぎるわ。
閑話休題、不器用者が必死こいてようよう旅程を組み上げ無事当日の3/24(土)、全員かばん1つの超軽装で準備オッケー。衣類の替えは下着だけ、だって1泊2日だもの。朝8時前のバスでゴー、初回に頓挫した際は滅茶苦茶の大雪でしたがリベンジたる今回は好天に恵まれました。
予定通り新大阪駅に到着、しかし旅券を何度改札に通しても跳ね返されてしまいます。なめとったらいかんど、わしゃ金払とるのやで、なんてよう怒りません、絶対に私側に落ち度があるに決まってます。よう見たら改札を通過できないのも道理で、ここ新幹線改札じゃったわ。ちゃんと見とけ。あほほ。
充分に余裕をもたせた乗継だったのでどうにか無事に金沢行き特急サンダーバード号に乗りこめた私共。停車駅は京都・福井・金沢ですって。これ新幹線か? っちゅうくらいに停車駅が少なくビックリ。車内も快適でしたし新幹線との違いは在来線を走るがゆえの最高速度制限と車内販売がないことくらいでしょうか。物心ついてから特急列車に乗ったことなんて初めてかもしれない。
おうこないだ行った京都の鉄道博物館やんけ。わー知らんかった、北陸行きの特急は琵琶湖の北側を通るのか。おわぁっでかい山。よぅ琵琶湖が見えるなぁ。でかいなぁ闇雲に。あんまりぼうずと2人で「山や」「桜や」「琵琶湖や」「ぎゃぁ」などと車窓を見てはしゃぐもんだから嫁はんに「やかましいわお前らさっきから延々と、ちょっとは静かにせぇ」と叱られてしまいました。
しかし我々がさらに驚いたのは福井に入ってから線路わきにまだ雪が残っていたこと! もう3月の下旬でしかも気温は4月半ばくらいの暖か過ぎる陽気、だのにあの記録的豪雪の名残は未だ消えていなかったのです。そして圧巻は進行方向右側に広がる、雪を纏った白山連峰(たぶん)の巨大さ白さ。ぶわぁ、そら白山っちゅう名前付けるわ。旅が嫌いな私、この歳になるまでこんな景色が日本の北陸で見られるとは知りませんでした。やっぱり自分から行かんと旅は記憶に残らんのやなぁ。誰かに連れられる旅はあかんなぁ。あほのくせに頑張ってよかったなぁ。
北陸乗り放題きっぷの行きしなの指定券は金沢まで。初日の目的地は富山、ここからぼうずお目当ての北陸新幹線W7系に2駅分乗車するのです。ありゃっなんか新幹線乗換改札がやったら混雑してるぞ、どうもこの乗り放題きっぷの仕組みがへんてこらしく、乗り放題区間は帰り券を自動改札へ通せ、とあるものの行きしなの券もいっしょに入れたらがっしゃんブー。嫁はんは対応の駅員さんに行きしな券を回収されましたが私は最後まで持ったまま帰って来ました。謎。
この先の指定区間は国鉄の普通列車・特急・新幹線の自由席が乗り放題になります。そこで迫る不安、ビビりかつ屁垂れの私、新幹線の自由席の争奪戦なんて初めてなのです。春休みだし自由席もパンパンだろうなぁ・・・ と怖れていましたがなんとか2人分並んで空いている席を発見、チャイナの皆様に囲まれつつぼうずを膝にのっけてつるぎ708号で富山へゴー。どわわっ、速い!! 先ほどサンダーバード号が新幹線みたいと申しましたが、やはり特急とは比べ物にならなかった!! 引き続き圧巻の立山連峰に引き続き圧倒されながらたった23分で富山へびゅう。
さぁようやくの北陸旅行スタート地点、富山駅着11:51。早速下調べした富山湾の朝獲れネタが食べられるお寿司屋さんに30分並びます。あまり観光地に関心のない私が今回もっとも期待していたご当地メシです(笑)。氷見のブリ、のどぐろ、生タコの炙り・・・ 私は皿の色も忘れて天然の生簀・富山の海の幸を貪り喰らいました。最高でした。もう帰ってもいい(笑)。3人で8,000円近く食べたなんてこれまた初めて・・・ ってか5,000円分は私が食べたんですけどね(泣笑)。こういう些末なカネの記載までしてしまうのが私のいやらしいところです。でも書いちゃうの。
富山のおたのしみはもう2つ、ぼうず喜ぶちんちん電車(※路面電車の別称)、富山ライトレール(ポートラム)に乗車してよめはん喜ぶ富山湾の岩瀬浜海水浴場へ向かうのです。ライトレールはバスのような運賃箱があり片道200円、富山駅から港まで25分で運びます。眼前の立山がここでも圧倒的。鉄道むすめの岩瀬ゆうこちゃんが駅ごとに描かれていて可愛らしい。いわゆる萌えキャラですがまだこの子は好感が持てるタイプです。なんの話だ。
岩瀬浜に着くとなぜか道路が茶けています。よく見ると路のまん中に穴が開いていることから、なるほどここいらは豪雪地域、ここから融雪水が涌き出るのでしょう。いま調べたところこの融雪パイプは地下水を利用するため鉄分の多い地域では噴出孔の周りが錆びた色になる、のだそうです。知らないことだらけで面白いなぁ。
ちょこっと歩いて海水浴場。もちろん泳いだりなんかしませんよ、嫁はんは砂浜で貝殻を拾うのが大好きなのです。また我々は日本海とは縁が薄いので、湾とはいえ冬の日本海に来た、という事実が新鮮でいい。突堤に1000羽は居ようかという鴎。遠くの大きな雪山を望みながら眼の前の荒々しい波を眺める、これまた初めての体験です。あまりに楽しかったので旅程の時間を15分ずらし、砂浜とたわむれました。
ポートラムで富山駅に帰ると地下道で3時を知らせる仕掛け時計がチンドン騒いでいます。ふたたび新幹線つるぎ719号に乗り込み富山にアデュ。帰りの自由席は独占状態でした。金沢から北陸鉄道バスに乗り込み、兼六園近くにある嫁はんの今回の旅のメイン、「金沢21世紀美術館」を訪れます。しっかし金沢駅のバス乗り場はごっつい広くってどこの乗り場に行けばいちばん早いのかを見極めるのが大変でした。鼓門と呼ばれる大きな建造物、もてなしドームという芸術作品のような天井アーチ。新幹線の開通に合わせて駅全体がアート感あふれる造りにリニューアルされており、“世界で最も美しい駅14選”に国内で唯一選ばれた駅なんですって! いま知りました。
21世紀美術館はさまざまな仕掛けがいっぱいのユニークな美術館。常設展示以外は無料で22時(※土曜日でした)まで見られる親切さ。展覧会ゾーンも大人360円、子供は高校生まで無料! 心くすぐられる展示で溢れていて楽しかったですがぼうずが美術品に触れそうになると係員さんが血相変えて飛んでくることがしばしば、かなり神経質になっていらっしゃいました。よほど小さい子供さんに痛い目に遭ってきた様子が窺えます・・・。まぁこの超良心的料金でやってるから、なにか損害が出た時に責任取るのがマジ大変なんでしょうねぇ。ともかくも託児所・プレイゾーンもあり全体的に行き届いた施設でした。コインロッカーの100円も使用後に帰って来て吝嗇関西人の私もニッコリ(笑)。
旅程はゆとりを持って組んでいたので、ホテルまではバスに乗らず歩いて晩飯処を探しながら向かうことに。でもなんだかめぼしいお店が見つからず、潜った地下街めいてつエムザの「ゴールドカレー」へ。金沢のB級グルメ・金沢カレーが食せるとのこと。ルーはどろりと濃厚、ステンレスの皿に盛られ基本的にソースカツが乗っかっており、白飯がルーとカツに隠匿されて見えないのが特徴なのだそうです。このお店はさらにルーに特産のサツマイモ・五郎島金時を練り込んで独特の甘みを加え、まぼろしのブランド豚・河北潟ポークを使ったメニューも用意。なんかここまできてカレーっちゅうのもどうかとは思いましたが美味しかった!! 私は能登豚カツカレーに河北潟ポークカツをトッピングというカツで飯が見えねぇ大胆不敵なブランド豚三昧、ブヒブヒ満足しました。ごはんの量がキッズサイズも選べたのも好感度UP。
地下道をたくさん潜り再び鼓門を越え金沢駅の反対側へ、予定通り20:30にホテルへチェックイン。大雑把が服着て歩いてる自分の旅程計画の完璧さが信じられません。こんな馬鹿な。私は本気を出すと意外と計画じょうずなのか。いや、単なる偶然でしょう(笑)。ぼうずはベッドの部屋に大騒ぎ(ふだんは布団)、部屋中を跳ね回っています。ほんとは加賀温泉に行きたかったけど宿は金沢駅の近くであることを優先したのでそれはおあずけ、ホテルによくある厠と風呂がセットになった例のやつでぼうずと入浴、なにもかもが珍しいもんだから調子に乗ってバスソルトを湯船にぶちまけ、そこいら中をヌルッヌルにしやがりました。風呂から上がってベッドに寝転がれば即バタンキュー。なにせ旅程を把握してタイムキーパーを担っているのはこの私ひとり、嫁はんもぼうずもそれに従って行動するので常に時間を気にしながらここまで来たのです。普段まったく使わない脳味噌を多分に使役したので、22:00過ぎに私の意識は強制シャットダウンされました。ぷつっ。
こけぽっぽ。朝。6:30起床。おわっ窓からエネーチケーの建物が見える。さてこの日は最後のイベントにしてぼうずのメイン、福井の恐竜博物館行きです。しかしその前に朝飯を喰わないとね。ホテル2階に金沢料理も食べられるバイキングがあるそうな、宿代と別料金で、当日券はお料理がまだ残ってることをフロントで確認してもらってOKなら発券されるんやて。なにしろこの24,25日はめちゃめちゃ混雑するから普段よりバイキングの開始時間/終了時間を30分早めにします、と断り書きがしてあったので、ドキドキしつつフロントへ。オッケーですって!! よかったぁ、古代携帯でどんくさぁく朝から開いてる飯屋を探しまくらないかんところやった。え? 大人ひとり1,500円はしゃぁないとしてこのぼうずも700円かかるの?? よっしゃお前ら、腹はちきれるほど喰うて行けよ(笑)!! もう関西人は貧乏ったらしくって情けない。おっ金沢おでん入れよ、フヮッフヮの車麩に赤巻を刻んだやつ、おほほ美味。のどぐろの焼いたやつ、これは外せません。地元温野菜もたっぷりと。やぁやっぱり私にとっての旅のメインイベントとはすなわち3食の飯であることだなぁ。よし2周目はぜんぜん金沢関係ないけど洋食でいったろ(笑)。これだからバイキングは怖い、毎度のことながらもう40なのに胃のキャパを欲望が凌駕してしまうのだもの。
おなかの膨満した3人はよたよたと朝の金沢駅へ。8:15のサンダーバード自由席をゲット、こっから福井まで50分。その間、なかなかありえない事態に遭遇するのですが・・・ これは別途「おバカ」に後日投稿します。途中、加賀温泉駅前に突如現れた巨大黄金観音さまが車窓を黙って流れてゆき大変シュールでした。やにわにアナザーディメンション。何じゃ、ありゃ。
さて福井駅到着、おぉここは改札が自動の機ではなく人間だ、県庁所在地なのにいいねぇ。もはや逆に新鮮、自律改札人。・・・なんかあっちゃこっちゃのベンチに恐竜の博士が頭蓋骨の化石もって座ってるな、お前そないに押し黙ってずっと座ってんとそこのおばあちゃんに席譲ったれよ(笑)。まぁ日本有数の恐竜化石の発掘地ですから、恐竜推しで行くのもわかるんですけどね・・・。
恐竜博物館方面へ向かうえちぜん鉄道は国鉄ではないので乗り放題きっぷに含まれません、改札前で往復券と終点勝山からのバス乗り放題券、博物館のチケットがセットになったお得なやつをもとめます。ぼうずは無料、ウヒヒ。えちぜん鉄道に2次元萌えキャラの鉄道むすめは居ませんが3次元のかわいい車掌のお姉さんが。無人駅の多い路線なので車掌さんが降り口付近で運賃を貰っています。にこにこいい感じのお姉さんで、途中壮観な景色の案内もしてくれました。「左手に見えますのが日本鉄道百景にも選ばれた、九頭竜川と白山連峰を望む風景でございます・・・」ほんとに雄大だなぁ。ここまで来るとそこいらに雪かきで集めた雪が融けずに沢山残っています。
福井から約1時間で勝山着、ここからコミュニティバスで恐竜博物館へ。さすが地元のコミュニティバスだけあって「誰がこんななんにもないとこで降りるねん」的な周りになにもない場所でもおばあちゃんが降りてゆきます。20分ほど勝山市街をうろついてバスはようやくお目当ての恐竜博物館へ到着。おっといきなり我々の鼻腔をくすぐるものが。なになに恐竜焼き?? 焼けた小麦粉の匂いからだいたいどんなもんかは想像がつきますが今はまず入場しましょう。おぉ・・・ ここもめっちゃ雪が残ってる・・・。3月の北陸をなめてました。気温は14〜16°Cと高めで暑いくらいだったんですけどね。
遠くからも目立つ大きな銀のドーム型の建物。恐竜の卵をイメージして建てられたのだそうです。まずは長いエスカレーターで卵の最底辺へダイヴ。本物の化石にレプリカを交えながら、古代の地球に存在した生命の痕跡が紹介されてゆきます。5億年前のカンブリア紀から大絶滅を経て中生代、三畳紀から恐竜の台頭がはじまります。ここ福井ではその地名フクイを冠した新種の恐竜(ex.フクイサウルス・フクイラプトル・フクイベナートル等)も発見されており、レプリカ中心ながらも結構な数の本物の恐竜の化石が展示されています。なかにはこの1月に新しく展示されたての恐竜も! 2億年の時を経て姿を現した、巨大も巨大な爬虫類たちのあと。ぼうずの異常にくわしい解説を聞き流しながら、私のほうがしずかに興奮していました。ここまでの規模の化石の展示なんて、生まれて初めてですからね。場所が場所だけにそうそう来られないので、私はじっと巨きな獣たちの成れの果てを見つめるのでした。
フロアを上がって地層やさらに昔の生き物のコーナー、植物化石などの展示等、内容もりだくさん。1人で来ていたならば3時間はゆうに過ごせたでしょう。ただぼうずは興味のない箇所はスルーしてゆくので先をせかされます。時間もちょうどお昼時となりました。
とはいえこの建物の外に飯が喰えそうな施設はありません。周りはなーんにもない、市街地のはずれの大きな観覧車も見えない丘の上です。
すこし向こうには化石採掘体験なんてのをやってるのが見えますが要予約だし時間もないのでパス。そんなにようけ(←訳:たくさん)出てくるのか・・・ さすが日本有数の採掘地。えーと昼飯だ昼飯。さすがに恐竜焼きだけではひもじいので施設内のレストランへ。しばらく並んで選んだのは親子3人とも芸のないことに恐竜バーガーセット。私は折角福井に来たから、と越前そばを追加オーダー、よく冷えたおろしそばでした。ちゃんとした不ぞろい(機械でカットした安物でない)のコシのあるいいおそばで大満足。あれだけ朝飯バイキングを腹に詰め込んでおいてまだ喰うか、私。
んでね、もちろんね、外に出て喰うよ、恐竜焼き。どんな代物かはおおむねご想像のとおりですが、またこれも別途投稿しようと思います。
バスを待つあいだ丘に上がり、雄大な雪の連峰を望みます。この景色を見るだけでも来た価値があった、と言えるような光景でした。で、眺めるのに夢中で写真には残してないんでやんの(泣笑)。この旅の主だったイベントもこれで終了、あぁバス来たわ、今度は赤い恐竜が描かれてるフクイラプトル号、勝山駅直行です。全員、もう眠りかかっています。帰りのえちぜん鉄道がまた長いこと、景色はさっき十分に堪能しましたからね。行きと違ってワンマンで運行、かわいい車掌のお姉さんもいないので精神が暇化、全員見事に気を失いました。途中目を醒ますと我々オポム家以外の皆様もだいたい寝てました。ぐぅ。
ふらんふらんの足取りで福井駅へ帰還し、忘れちゃいけないお土産コーナー。家族と職場に買いこんでから缶コーヒーで一服、おっジョージアのふるさと輝き微糖信州北陸限定缶だ、でもこんなありきたりなのは石川さんに差し上げるのも失礼だしそもそもご自身で見つける・出会う喜びも重視していらっしゃるので私がでしゃばる必要もないでしょう。ごくごく、うーん疲れた身体に美味しい。
この2日間でずいぶん歩き回ったので、もう全員グロッギー、しかしそんなところへさして帰りのサンダーバード号大阪行きはなぜか我々の指定席におっさん&おばはん、予約時に10号車の10番ABで取ったから間違いようがない、怪訝フェイスで「すいません、切符合ってます?」と問うとぼんやり切符を見たのちあわてて前の座席に移動、どうやら福井まで間違ったまま乗ってきたようです。するとそれに合わせて周りの乗客もあわてた様子で座席移動、お前ら全員間違えたまま座っとったんかい(笑)。てか私も去年千倉からの帰りの新幹線でやらかしたから人様のことは言えません。しかし疲れた。このひと騒動で拍車がかかったわ。チップスターをひとかじりした後(まだ喰うんかい)、我々3人は自然と眠りに落ちました。膝の上のぼうずが重い・・・ と琵琶湖にさしかかるあたりで目覚め、とうとう北陸とのお別れを実感したのでした。
・・・・・・すいません、無茶苦茶長くなりましたね。
ともあれ初めて尽くしの北陸旅行、くたくたにはなりましたが出不精デブの私もいい体験ができました。とくに白山・立山の連峰は遠くからでも本当に見事だったし、路面の新交通システムや北陸新幹線に特急列車・山間の鈍行列車といった乗りたかった物にもたくさん乗れたし、美術館・博物館も他と一線を画したユニークな施設だったし、飯は全部うまかったし(笑)、ツアー等で全国をあまた旅してこられた石川さんとは異なり旅嫌いの私は“ありきたりの観光地”すらまともに訪れたことがなかった事実を認識できたことが、自分にとっての大きな収穫でした。
旅って・・・ いいものだったんですね。また、いつか旅しよう。泡と消えた金がふたたび貯まってから(笑)。 (オポムチャン 18/4/17)
(寸評)俺はもう旅が仕事の一部になってしまってるが、それでもワクワクは残ってる。
意外なところで思ってもいなかった光景や出来事に出くわすのが旅の醍醐味だよね〜。
息子ちゃんも一生の話の種になると思えばかかった料金以上のものがあるはず。
家族で楽しめて良かったね。 8ポイント。
初めてのドラァグクィーンのメイクでクリスマスパーティーに登場。
波照間エロマンガ島@バンコクです。確か1998年のクリスマスだったか、プロのメイクアップアーチストの女性にドラァグクイーンのメイクしてもらい、自分の主催するクリスマスパーティーに参加したことがあります。その方はその後まもなくニューヨークに渡り、セレブリティー御用達のメイクアップアーチストとして有名になったので出来栄えはすこぶる美しい(?)「オネェ」なわたしが出来上がりました。参加者は70人くらいだったか、パーティーではドラァグクイーンとしてそれらしく振舞ってウケをとりましたが、デジカメ時代直前だったので紙焼きの写真が一枚残っているのみ。残念ですー。
あ、そういえば2011年にチェンマイにて、ニヒル牛マガジン「妖艶ホリデー」撮影セッションで、金髪の外巻きウィッグを石川さんに被せて写真を撮りましたがそのウィッグこそ、このクリスマスパーティーでドラァグクイーンになったとき身に着けたときのもの。また機会があれば女装したいっす。(波照間エロマンガ島 18/4/17)
(寸評)あれが部屋にあった時は一瞬引いたが変態投稿王の面目躍如だね。
いつか完全女装を見せてくださいな! 7ポイント。
初めての女子高文化祭
初めての長野県で訪れた、某女子高の文化祭。高校の時です。
茶道部へ行きました。
一生懸命お茶を立ててくれて、茶請けとして、金平糖を出してくれる予定でした。
小さな瓢箪みたいな容器から出すのですがなぜかくっついてしまい一生懸命底をポンポンと叩いたら一つだけポロッと小さな金平糖が出てきました。
女の子は笑うような恥ずかしいような困ったように笑ってしまい、こちらもつられ笑いしてしまいました。
あとどこかの部活で手作りで作ってくれたハンカチを貰ったのですが、今でも利用しています。
懐かしい青春の思い出です。(わいわい 18/4/17)
(寸評)まだ持ってるの?
・・・なんか、怖い(あの時の女子高生より)。 6ポイント。
初めての新潟県
最古の記憶では家族で訪れた鯨波への海水浴。電車で行きました。小学校低学年の時ですね。
特急「はくたか」がとれず、急行型のボックスの急行「くじらなみ」で行った記憶が。
群馬県民の海水浴は、新潟か茨城へ行くのがデフォなんですねえ。
その電車はほぼ満員。はくたかも満員、海水浴列車は満員という古き良き時代でした。
小6では、学校の臨海学校で出雲埼へ行きました。(わいわい 18/4/17)
(寸評)俺も初めての新潟は鯨波の海水浴場だった気がする。
まだ当然新幹線などもなく、結構時間がかかった記憶がある。
もっと幼い頃にいた湘南に比べてやはり日本海はどんよりしてる感じがしたのは勝手なイメージかな? 6ポイント。
初めての山梨県
最古の記憶は、クルマで山梨の友達の所へ行った時かな。
秩父を通って、山梨へ。
仕事で知り合った人の所へ。みんなが集まり、おいしいほうとうの店へ連れて行ってもらった。
そして甲府市や郊外の新築の家へ泊まらせてもらったっけ。
もう年賀状も出していないけど、仕事も辞めず元気でやっているかなあ。(わいわい 18/4/17)
(寸評)山梨県に最初に行ったのは覚えてないが「食い物が意外にうまい県」というのが俺の評価。
海なし県なのに何故か寿司がうまかったり。不思議だねえ。 6ポイント。
初めての長野県
一人旅では高校の時訪れた松本市。
県庁所在地を除き活気のある日本の都市ではおそらく1、2を争う街です。
遠くにはアルプスの山々が望め、人もたくさん歩いています。観光客も多く、とても元気な街で、住みたいとさえ思える気持ち良い街でした。
中心部には国宝の松本城。高校や大学も多く、上高地があり、温泉も多く、すぐに気にいっちゃいました。
近年街のど真ん中にとてつもないでかさのイオンモールが出来てしまい、ショッピングモールは大好きなのですが複雑な気分です。私も行きました。
個人店が多く、全国チェーン店が多い松本市。これからも頑張って欲しいなあ(わいわい 18/4/17)
(寸評)俺は実家が一時期松本に二年間くらいだけあったことがあった。
もっとも俺が上京した後の親父の転勤だったので俺は住んだことは無いのだが。
自転車で温泉とかも行けて俺も全国屈指の好きな町だなあ。6ポイント。
はじめての暴走老人
近頃、ニュースなどで「暴走老人」なる言葉を耳にすることが多くなってきました。
ささいなことでキレて、周りの人たちに怒鳴りかかったりする人たちの事を言うそうです。
少し前、この「暴走老人」を目撃しました。その顛末を以下に記します。
その日、僕はとあるイベントに行きました。百人くらいのホールを貸し切ってやるイベントです。
開演時間の30分くらい前に会場入りして、会場内をぶらぶらしていたところ、
「$%#%$#$!」と、高齢男性(?)が大声で怒鳴っているのが聞こえました。
言葉が聞き取れなかったので、何事だ?、と思って声がした方を見ると、60〜70代くらいの男性と30代くらいの女性が口論をしているようでした。
どうやら、高齢男性が、「飲食・撮影禁止」の会場でお茶を飲んだり、カメラを構えたりしたので、女性が注意し、それで男性が逆ギレしたようです。
急いで会場の係の人も仲裁に入ったのですが、男性は女性に「お前に何の権限が有るんだ!」
「警察に通報するぞクソババア!」等々、聞くに堪えない暴言を浴びせていました。
しばらくして、警察の人が来て、怒れる老人を外に連れ出したのですが、会場の雰囲気はずっと気まずいままでした。
僕はかなり臆病な方なので、とても怖かったです。そして、善意から注意したその女性や、主催者の方がとても可哀想でした。
もう二度と経験したくはない、いやな出来事でした。(未成年 18/4/17)
(寸評)ああ、それは嫌だね。横暴な年寄りっているんだよね。
・・・ただ、最近微妙な問題にも気づいて来た。
本当の年寄りで痴呆症などがあると、脳の一部に損傷が起き、感情のセーブが出来なくなる人がいるのだ。
それまで大人しい性格で有名だった人が全く豹変し汚い言葉で人を罵り、暴力さえも振るう。
しかしこれは病気の症状。老人介護の仕事をしている人からはよく聞く話だ。
この場合、脳の障害で自己制御が出来なくなってるので難しい問題だ・・・。 7ポイント。
初めてのヒッチハイク
学生時代に友人と沖縄に貧乏旅行に行きました。
あまりお金を持たずテントを担いで予定を特に決めず気の向くまま旅をしました。
石垣島、与那国島、波照間島、竹富島など行きました。
とある島ではバスを使い、とある島ではレンタサイクルをして、そしてとある島では徒歩で移動をしました。
徒歩での移動は結構つらかったのですが、バスなどもなかったので、よしじゃぁヒッチハイクをしようという事になりました。
まぁ電波少年の真似ですよね。
意外とあっさりと止まってくれて、本当はいけないのでしょうが地方によく走っているオープンカーに乗せてくれました。
おかげで島の端から端まで移動できました。
とっても風が心地よかったのを覚えています。
沖縄の方々はとても暖かく、水をもらいに行ったら餅をくれたり、飲み物の差し入れをくれたり。
いい経験ができました。(天然水 18/3/31)
(寸評)ヒッチハイクはしたことないんだよなー。
電波少年でアフリカから北欧まで行った伊藤くんとはその後一緒に演劇公演したので話を聞いたが、アフリカより断然ヨーロッパの方が気温も人も冷たくて辛かったとのこと。 6ポイント。
初めての「遺構」のような日比谷線銀座駅ホーム(2006年)
2006年のある日の東京メトロ日比谷線銀座駅のホーム。壁の取替え工事を行なっていて、ふだんは光沢のある内装壁になっているのがコンクリートむき出しになっています。廃駅や遺構のような風情があり、ちょっと不気味でした。タイに引っ越してくる前は13年間あまり銀座勤務だったのですがそのときは銀座線を利用していたので、日比谷線はあまり乗ることはありませんでした。住居に近い中目黒や恵比寿から銀座築地方面に来ようとすると、妙に迂回して時間がかかるのが嫌で銀座線を使っていました。20代の頃六本木でよく夜遊びしていたころは、日比谷線よりかは渋谷から都営バスに乗って繰り出していたことが多かったです。(波照間エロマンガ島 18/3/31)
(寸評)日常の中にふいに放り込まれる非日常にはドキリとさせられることあるよね。 5ポイント。
初めてのイオンレイクタウン
日本最大のショッピングモール、イオンレイクタウン。
店舗数は710。タダでさえどでかいイオンが三つくっついてできており、31アイスクリームが三店、スタバが三店、ゲームセンター三件、スーパーが二店、ペットショップ二件、など喧嘩を売っているんじゃないかというくらいとてつもない規模です。
一日の来場者数はディズニーランドと同じ。
初めてレイクタウンへ訪れたのは群馬に住んでいた時で、朝早く起き高速を使って訪れました。力が入ってましたねえ。
その頃はまだアウトレットも出来ておらず、全ての店に入ったわけではないのにウィンドウショッピングのみで11時間掛かりました。
駐車場は五時間まで無料。駐車場代金を浮かすために、三度出入りしました笑。
最初に訪れた時は、あまりの広さに遭難するかと思いました(笑)。(わいわい 18/3/31)。
(寸評)俺はわいわいも来てくれた営業で一回行ったきりだなあ。
でもバンコクのショッピングモールとかイメージではもっと大きかったような気もする。 5ポイント。
初めての栃木県
家族では何度も訪れているので、個人の記憶として。昔から私は一日に一度は外出しないとダメな身体でして、日曜日東武線で足利市へ行ったことかな。
別にどこへ行くという訳でもないのですが、駅前の今は無き「キンカ堂」へ遊びへ行きました。
部活の友達4人と足利市のJTBへ行ったこともある。冬の強い風のさなか。
当時は種村直樹さんがやっていた郵便局貯金で市内の郵便局もかなり回った。一つの郵便局に100円程度の定額or訪れた局数分の貯金、例えば56局目なら56円を貯金します。右の空いている欄へ局のスタンプを押してもらうという趣味が流行っていて、感化されていたのでやってました。
当時はスマホなんてなかったから、ひたすら地図を見て郵便局マークを探してたっけ。(わいわい 18/3/31)
(寸評)俺の友達は「公共料金の支払いを全部違う郵便局でする」という全国行脚をしてたな・・・。 6ポイント。
初めての千葉県
家族で行った行川アイランドですねえ。あと勝浦周辺。小学生の時かな。
あまり覚えていない。
確か電車で行きました。
仕事場の社員旅行でも同じところへ行きました。その時はホテル三日月だった。
ラジオで高校野球をやっていたから八月に行ったのかな。(わいわい 18/3/31)
(寸評)関東はどこも数限りなく行ってるから最初というのは俺もハッキリしないなあ。
4月末に二日間南房総市千倉で無料ライブやるよー。 4ポイント。
初めての神奈川県
埼玉県と神奈川は多すぎて家族or一人でいつ行ったのか完全にあやふやなのでpass。同じく群馬も除外。
神奈川はおそらく油壷ですね。
てことはマリンパークか?
私と一つ下のいとこの女の子家族と行きました。やつの家族は外交官だったのであまり日本にいなかった。でも帰ってきたときにはよく喧嘩したりよく遊んだりしたなあ。(わいわい 18/3/31)
(寸評)東京生まれだが一歳の誕生日前に藤沢に引っ越したので俺の最初の記憶は神奈川県。
よくテレビに映る片瀬海岸まで子供の足でも歩いていける距離だったな。 4ポイント。
初めてのキュウリ味ペプシコーラ(2004年6月13日)
初体験のバックナンバーをさかのぼって読んでいると、興味深い投稿発見。http://ukyup.sr44.info/sy42.html
「ドキドキドキリコ初体験(42)」で山里バンビさんが「初めてのキュウリ味のコーラ」を投稿していたのです!
これ、わたしも飲んだことあります!! 2006年6月13日(水)のことでした。飲んだときの感想が日記に書いてありました。以下のとおり。
(ばっすいここから)新発売のペプシ アイスキューカンバーを飲んでみました!!確かにキュウリの香りがするー!!さて、これは売れるのでしょうか。
成分はというと、品名:炭酸飲料 原材料名:果糖ぶどう糖液糖、香料、酸味料、保安料(安息香酸Na)、カフェイン、着色料(青1、黄4)
内容量:500ml のペットボトルでした。(ばっすいここまで)
石川さんは缶の発売を待っているとコメントしてましたが、その後発売されなかったのかな?
ちなみに山里バンビさんはお会いしたことはないのですが、ニッポン放送で平日お昼に放送されている「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」のヘビーリスナーに同じ名前の方を存じ上げていたので、石川さんに「同じ方ですか?」と質問したところ「わからない」とのことでした。たしか埼玉県のほうの方だと記憶しているのですが。もしご存知の方がいらっしゃったら情報ご一報ください。(波照間エロマンガ島 18/3/31)
(寸評)缶は発売されなかったね。
山里バンビさんは何度か昔にお会いした記憶はあるものの詳細は忘れちゃったなあ。
髪を団子にしてたような気はするのだが・・・。 6ポイント。
初めての地下鉄サリン事件(2度とこういう悲惨な事件が起きませんように…)
1995年3月20日の日記より。
その日は寝坊した。
前の晩、夜中1時すぎまで女ともだちと五反田の飲み屋で飲んでいて、寝過ごしてしまったのだ。当時わたしは目黒の元競馬場、彼女は祐天寺に住んでいて、タクシーで帰るとき目黒通り経由で先にわたしが下りた。「明日の朝、先に起きたほうがモーニングコールすることにしようね」と言ってさよならした。
起きたのは朝9時ちょっと前。すぐに彼女に電話をする。「ごめん、寝坊しちゃった」「うん、いいよ」「じゃあね」とすぐに電話を切る。
わたしは飛び起き、朝食もとらずにタクシーで渋谷の並木橋にある会社に向かった。
会社に着くとさっそく仕事が待っていた。霞ヶ関の某官庁に書類を届けて欲しいという内容だった。急ぎだったので会社のライトバンを借りて霞ヶ関に向かった。
六本木通りに入ると、いつになく渋滞している。どうしたのかな?と思った。そしてすぐにこれはおかしいぞ、と異変を感じた。目の前を何台もの救急車がサイレンを鳴らして猛スピードで通過していったのだ。何台、というよりも何十台という形容がぴったりするくらいひっきりなしだった。パトカーの姿を見るにいたり、これは緊急事態だ、と確信した。
AMラジオをつけると、なにか異常な事態が地下鉄の駅で起こっている、というような報道がされていた。しかし、どこで何が起こっているのかさえ、まだはっきりしていない。ただ、これらの緊急車両が前方の霞ヶ関方面に向かっていることだけは確かだった。
六本木の交差点を過ぎ下り坂になり、全日空ホテルの前あたりに行くとあたりは騒然とした雰囲気になっていた。報道用の車輌も目立ちはじめていた。そして霞ヶ関地区の入口である溜池交差点から先は交通規制をしていて前に進めず、仕方なく外堀通りを迂回して虎ノ門経由でその官庁に行った。
何かが地下鉄で起こっている。爆発事故だろうか。それにしては駅からは煙は出ていない。そうこうしているうちにだんだん事態の様子がラジオを通じて明らかになっていった。地下鉄日比谷線の中で異臭がし、多くの人が気分が悪くなり運び出されているとの由。
「!!!!!!!」
言葉にならない衝撃がわたしを襲った。ともだちの女性は東急東横線の祐天寺から中目黒のりかえで日比谷線で小伝馬町の会社に通勤しているのだ!!!
彼女は無事だった。まったくの偶然なのだがわたしが寝坊したことによって、彼女は地下鉄サリン事件には遭わなかった。しかし通常通り出勤していたら、かなりの確率でサリン電車に乗っていた可能性が強かった。
この日のことはたぶん、一生忘れないと思う。爆発もなければ銃声もしない静かなテロ。あの日の午前中の街の静けさが、かえって事件の第一印象として残っている。マスコミ報道され事件の全容がわかるにつれ、過度な装飾や演出で「地下鉄サリン事件」という名前の史上最悪の犯罪事件が彩られていったと思った。(波照間エロマンガ島 18/3/24)
(寸評)音のしない犯罪。ただただ人が意味もわからないまま死んでいく恐怖。
俺の知り合いも危機一髪で助かった人がいる。
タイミングが悪かった、という言葉では片付けられない事件だった。 8ポイント。
初めてのオウム真理教
地下鉄サリン事件が起き、連日テレビではオウム真理教関連のニュースばかりが取り沙汰されていた頃、私は中学生でした。
中学生の頃と言ったら、社会の事には全然感心がありませんでしたが、毎日テレビに出てくるオウム関連の人々にはとても興味が湧きました。
いつも一緒に居た仲良し3人組の友達の間で、「上祐さんってかっこいいよね」というハナシになりました。
私は最初は青山弁護士派だったのですが、徐々に上祐さんへと心が変わって行きました。
上祐さんファンの「上祐ギャル」なんて居たじゃないですか。あれほどではありませんでしたが、毎日友達と上祐さんについてキャッキャと語り合ったりしていました。
その後、私達の住む町にも、オウム真理教の支部がある事を知った私達は、早速偵察に行ってみる事にしました。
そこは小ぢんまりとした小さなビルのような建物で、オウムのユニフォームを着てヘッドギアを着けた信者さんが出入りしたりしていました。
何度か偵察に訪れた後、ある日友達と2人で、思い切って中に入ってみよう!という事にしました。もう一人の子は、中に入るのは嫌だったようです。なのでその日は2人で訪れました。
すごくドキドキしながら中に入ってみると、初老の女性が優しく迎えてくれました。その女性は、特にユニフォームも着てなくて、普通の服装だったように記憶しています。
あまり詳しくは覚えていませんが、階段を上って、部屋へ入れてくれて、オウムのビデオを見せてくれました。確か、上祐ファンクラブの女の子達が、上祐さんにインタビューしているビデオや、オウムの修行のビデオだったと思います。
初老の女性は、私達に「サットヴァ・レモン」というオウムの飲み物をいれてくれました。それは温かい飲み物で、普通の「ホットレモン」のような味でした。
何を話したか全然覚えていませんが、机の上に小さいチャバネゴキブリが這ってて、女性がそれをサッとティッシュで取って殺していたのが印象的でした。
ん?オウムでは殺生は禁止なんじゃなかったっけ?と思いました。
さて、夕方だったし、門限もあったしで、あまり長く居る事はできなかったので、ビデオも途中でしたが、おいとまさせて貰う事にしました。
その頃は本当に「オウムブーム」だったので、そこの支部の入り口の所には、色んなオウムグッズが販売されていました。私は上祐さんのプロマイドと、上祐ノートを買って帰りました。上祐ノートは、ノートの裏表紙の内側に、上祐さんの写真が入ってるノートです。表紙は緑色で、麻原彰晃の影絵みたいなのが付いてたと思います。
そしてオウムの色んな会報みたいなのや、オウムの漫画なんかもあって、それらは無料だったので、いっぱい貰って帰りました。
以上がオウム真理教の支部を訪れた時の体験記です。
私達をもてなしてくれた女性は、本当に普通の初老の女性という感じで、全然「オウムの信者!」という感じはありませんでした。
因みに、今でも上祐さんを見ると、ちょっとキュンときます。青山弁護士は今何をしているんだろう。(マドレーヌ婦人 18/3/24)
(寸評)俺も事件が起きる数年前に高円寺の駅前でオウム真理教の人たちが象の帽子を被って楽しそうに踊ってるのを見たり、麻原彰晃もとんねるずのバラエティ番組に普通に出てたりしたよねー。
三浦和義もそうだけどテレビに良く出てタレントみたいになっちゃう犯罪者(?)って不思議だよね。
まぁ本人たちも教祖以外は洗脳被害者とも言えるんだけど最低でも人殺しは犯罪にしないと世の中に犯罪という概念がなくなっちゃうもんね。
なので俺は戦争だけは犯罪だと思うんだよな。 9ポイント。
はじめてのチケット争奪戦
こないだの「おバカ(40)」にも書きましたが、この2018.2.11、私は嫁はんぼうずを伴って妙見山に登る前に、運だめしをおこないました。
そう。それは今年(2018年ね)4月15日に京都にて開催される元たまのお三方の出演する弾き語りライヴの予約行為でした!
もちろん3人さんのソロ弾き語りですから千倉のようにセッションを行うという確証は一切ありません。それに去年千倉のレポートを書いた際に、もう私は充分に心を満たされたので千倉に行くことはないでしょう、と書いた(気がする)のですがしかし会場は千倉と違い近畿圏の京都。折角大阪在住の私にとってまたとない大チャンスが訪れたのだから、これにチャレンジしない手はない! と、石川さんのTwitterをあかうんとも持ってないくせにいやらしく覗き見させていただいてこの情報を知った瞬間から、鼻息をフンスカフンスカ荒くしておったのです。よ。ところが。
予約の方法は、2月11日の午前10時から、主催者のSole CafeさんのHPのライヴ予約専用メールフォームからのみ受付け。フライングはアウト。電話も駄目。さぁ頑張るぞ。っとその前に予定を確認しとかなくっちゃ、えーと2月の11日の日曜ちゅうたら・・・・・・ ゲゲゲゲゲルググッ!!? 嫁はんぼうずと北陸旅行で電車に乗ってる最中やないかいな!!! あかん。もう私の争奪戦は、不戦敗決定や・・・・・・。ぐっすん。
はぁ? お前なに寝ぼけたこと吐かしとんねん。お前のスマホで電車の中からぴぴっとメール送信したらええだけの話やないかい。メール1つもよう送らんのか、この社会不適合者が、と、おっしゃるお声も聞こえて来そうですが、あかんのんじゃい!!! 私は未来電話すなわちすまーとふぉんを所有しておらぬ、このご時世に反逆している(悪い意味で)レアな存在なんじゃい!! また石川さんみたいに出先にノートパソコンを持っていける環境にも無いし、私の古代携帯電話ではSole Cafeさんのメールフォームがうまく作動せぇへんのじゃーーーーーぃ!!!!! はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・ あ、社会不適合者は合うてます、否定しません。すんません。
というわけで私の春は戦わずして去って行きました。チケット取りの競争なんて初めての経験だったのになぁ。さよなら春の京都たま。私は北陸の風に吹かれてあなたのことを忘れます。などとメルヒェンなことをほざいておったらば2月上旬、当の北陸に激烈な大雪が上空より投下され国道8号は1300台の車が立ち往生、特急サンダーバード号も運休続き、といったアジャパーな事態、急遽私は旅券と宿をキャンセルする羽目になったのです。
しかし! 災い転じてなんとやら、おかげでチケットバトルに参加できる! 北陸は3月にぼうずが春休みに入ってからリベンジだ。だがチケットゲットのチャンスはこの日のみ!! 会場のキャパもそれほど多くないため、こんなもん絶対に開始1分以内には確実に完売となるでしょう。経験ないからわかんないんですけどね、おそらく。さほどに全国のたまファンの皆様の熱量は凄まじいものなのです。
Sole CafeさんのHPやTwitterをつぶさに観察し、ぬかりのないように準備します。パソコンで開いたメールフォームは必要事項を前日からすべて埋めて開きっぱなしにしておき、10時きっかりに送信できるようにします。ほんとは日曜はいつも10時から家族3人で所属している合唱団の練習なんですが、嫁はんにお願いしてこの日は遅刻させてもらうことにしました。
そして当日、自分のパソコンの時計が狂っていたらフライングと見做されて受付してもらえない可能性も考え、古代携帯電話で時報まで鳴らしました。
「クジ・ゴジュウ・キュウフン・ゴジュウ・ビョウヲ・オシラセシマス・・・」
ドキドキドキドキ。みんなこんなことして大好きなアーティストのコンサートの席をゲットしていたのか。40にして青春の1ページを初めて体験している気分。
・・・10時0分3秒前!!!
「♪ プ・プ・プ・・・」
送信したものが到着するごく微細なタイムラグを考えて、フライングを恐れず10時より0.01秒早く「送信する」ボタンをクリックだ!! セイッ!! 「♪ ポーン・・・」来た、絶妙!!!
・・・・・・・・・あでっ?
−以下の内容でよろしければ送信ボタンを押して下さい−
なまえ・メール・でんわ・予約したいライヴ・枚数・・・?
ぎ、ぎぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!??? まだ確認画面やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!! わしが甘かった!!「送信する」を押したらオールオッケー、ではなかった!!! 入力内容を再確認の上「上記内容で送信」をクリックしてはじめて送信完了なのかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! あほっ! 私の、あほっ!! 呆気にとられて5秒ロスした!! カチっ! こ、今度こそ送信できたぞ・・・。こりゃもう、駄目かもな。いったいこの5秒の間に果たして何十人何百人のメールが京都へ(?)すっ飛んで行ったのだろうか。えーと受付けたからね、いけとったら返事するから待っとってね。やって。はいはい。もう疲れたわ。練習行ーこうっと。
そして私はもはや送信・返信のことを忘れ、合唱を楽しみ、妙見山へ赴き雪まみれでへとへとになって帰って来たのでした。
さーてメールは来てるかな、まぁ無理やろなー、なんてろくに期待もせずに晩、ヤフーメールを開けたらば。
「(要約)店主です。予約ありがとね。ひとり分6000円、1週間以内にここに振り込んでね。よろしくね」
的な内容のメールが、11:38に来ていたではあーりませんか!!! 嗚呼!! あの5秒で、どうにか間に合ったのかっ!!! よかった。私は運の良さだけは自信があるのです(思い込み)。早速古代電話で送金、3日後に着金の確認と整理番号の書いたメールが到着しました。67番でした。どうやら他の皆様も確認画面に狼狽して出遅れたもよう、幸運なことに滑り込むことができました。期待してないときに限って、嬉しいことは舞い込んできます。
・・・ただ、私が喜んでいるそばで残念ながら間に合わなかった方々がいらっしゃるのも事実。私の少ない交友関係のまわりでも2名の方が惜しくも締切られてしまったようです。そのうちのお1人は私が北陸行きになっていたら替わりに予約に挑戦してみる、とまで言ってくださったお方だったので、非常に申し訳ない気持ちにもなりました。でもこれが、チケット争奪戦。誰がチケットを手に出来てもそれは時の運、恨みっこなしなのです。
ライヴに目覚めたのが36だった遅咲きの私、ファンのみんなはこんな気持ちを何度も繰り返し経験してきたんだろうなぁ、と思うと少し切なくなりました。私に出来ることは、せめて石川さんのご登場なさるシーンだけでも、憶えていられた限りのことをつぶさにレポートとして投稿することのみです。
4月15日、無事に開催されますように。どうぞ石川さんも、身も心もお健やかで京都へお越しになられることを心よりお祈り申し上げます。(オポムチャン 18/3/24)
(寸評)まぁその前に来週も京都でライブあるんだが、4月に集中して誰も来ない予感・・・。
でもとりあえずおめでと! 7ポイント。
初めての原マスミさんライブ
自由の身となった現在、時間に余裕ができたため、ライブ通いを再開しました。
かつて、元たまのファンの人達へのアンケートで、どんなアーティストを聞くかとの問いに対し、トップが「原マスミさん」という結果となったことがありました。
ライブで会う他のファンの人達で、結構聞いているという方々が多いということもあり、先月末の誕生日ライブに足を運びました。
会場には顔見知りの方が4人ほどいて、10分遅れで本編スタート。
波の音をバックにステージに上がって、現れ方には今までの人達とはちょっと違うように思えました。
印象としては、立ったままで、かつマイクに口を密着させて歌うタイプでした。
結構観客の方々と目が合う頻度が多く、1曲目の準備中、自分とも目が合いました。
周囲を見渡すと、涙をぬぐう方もちらほら。
歌詞やコード表もなしに歌えてると思いきや、こっそり隠して見ながら歌ってました(笑)
しかし、自分は原さんのCDを持っておらず、楽曲も4,5曲程度しか把握していないため、あまり感情移入できなかったのが正直なところでした。
なので選曲一覧は当然ツイートできず、下手に感想を書いたら、その場にいた人達の気分をぶち壊しにしてしまいそうにも思えて、突っ込んだことはつぶやきませんでした。
終演後に顔見知りの方々と一言二言交わし、原さんに誕生日プレゼントとして、旅行で買ってきたお酒を渡し、その場を後にしました。
次回はバンドライブもあり、そちらもおススメだと言われたものの、アウェイ感はまだ拭えるかがわからないですね。(Hi- 18/3/24)
(寸評)ああ、一回目だとそういう人も多いかもね。
CDもライブとはまた違った感じだけどクオリティ高いからそれを聴いてみて良かったらまたライブに行けばいいんじゃないかな。
たまもパスカルズも原さんもハマる人はハマるけど、万人受けの音楽とは言い難いので分からなくても単に趣味が合わなかったというだけの話で優劣ではないからねー。 7ポイント。
初めてのエコーユナイトライブ
原マスミさんに続き、Gさんがベースで参加しているエコーユナイトのライブが2デイズで行なわれ、CDは既に3枚持っていて(このライブの後で廃盤となった作品を追加で1枚購入)、興味が芽生えつつあったので、両日に足を運びました。
他のメンバーはパスカルズでおなじみの坂本さん、3たまでサポートメンバーだったライオンメリィさん、Gさんのソロアルバムに3曲ほど参加していた松本正さん、そしてマルタさんの5人でしたが、マルタさんと松本さんは初めてでした。
初めてではあるものの、原さんとは違い、楽曲を把握していたためか、あまりアウェイ感は抱かずに過ごせました。
両日とも無事に座れましたが、この会場は狭く、厚着で来ると汗ばんでしまったこともありました。
なので、初日の仕事上がりはあえてスーツ姿でかつ薄着。
そして、ほぼ定刻通りにライブはスタート。
アップテンポの曲が多く、とある顔見知りファンの方は、「動きすぎで筋肉痛になった」とも言っていました(笑)
その分、Gさんもベースのコードが速い曲が多かったため、途中で手が痙攣したとの話もツイッターで耳にしました。
中にはGさんが加入前の曲もベース付きバージョンでやっていて、新鮮味がありました。(加入前は坂本さんが指でチェロの弦を弾く演奏で、アレンジも音源とは相当違いました)
メリィさんはたまの最期の2日目以来、初めて見るライブでしたが、その時以上にメイクが濃い目。
演奏で手が空いている時は、両手と腰をクイクイと動かしつつ、変な顔を作って踊っていたのが面白かったです。
マルタさんは過去の音源やDVDでは高い声を張り上げるタイプの歌い方でしたが、いずれも90年代の作品。
実際にボーカルソングが続くと、喉に負担になるようで、1日目は後半でガラガラ声になっていました。
松本さんは結成時のエピソードや音源の再プレスなど、ユーモアのあるMCをしていました。
2日目は坂本さんがとある曲のエンディングでグラインダーを出しましたが、客席から近かったこともあり、床に向けて、わずか5秒ほどで終了。
焦げ臭い臭いが自分のいた席まで漂ってきましたが、あまりちゃんと見えなかったこともあり(他の席の人達もよく見えなかったという人達が大多数だったと思いますが)、どこかでソロがあれば、見に行こうと思った次第です。
終演後に初対面だったマルタさんと松本さんとも話す場があり、「最近動画や音源を見つけて、見に来た」と言って、労をねぎらいました。
ただ、本格的に活動していた90年代に見られなかったのが少し残念でもありました。そもそもその頃の自分はライブハウスにも足を運べる身分でもなかったのですが。
「(会場のマルタさんの)お店の開業4周年にまたやりましょう!」とのMCがあったので、また来年に期待したいところです。(Hi- 18/3/24)
(寸評)「最近動画や音源を見つけて、見に来た」よりは「CDは既に3枚持っています」と言った方が本人は嬉しいかも。
もちろんライブに来てくれた時点で嬉しいんだけど「動画で観た」はたいてい無料で観られるYouTubeとかのことでCDを買ったの方が実際に自分たちにお金を払ってくれてるお客さんなんだ、という感じは強くなるからね。
ともあれベースを弾くGさんが観られるのは今のところエコーユナイトだけだから貴重だね。 7ポイント。
初めての大谷氏&とっちゃんライブ
ホルモン鉄道のライブこそ11年前に見て以来、8回見ていましたが、大谷さんのソロも未経験でした。
またも仕事上がりのライブ通いとなりましたが、CDは1枚購入していて、知っている曲はあったため、アウェイ度は軽いだろうと考え、足を運ぶこととしました。
会場は自宅からは近い位置でしたが、職場からは所要時間がかかる場所でした。
帰宅ラッシュ時は人身事故などでの遅延、運転見合わせが一番怖く、仕事上がりはきっちり合わせた時間にすることにしました。
さて、無事に会場へ着いてみると、先に並んでいた顔見知りのファンの方はたった1人。
と、大谷さんが現れ、「今日は原マスミさんのライブと被ってしまったため、いつものメンツが来てくれてないんだよ…」と、こぼしていました。
何とも答えられず、早めに開場となり、カウンター席の一番マイクに近い所に陣取り、じっくり堪能することとしました。
最初に5曲ほど、奥さんのとっちゃんの歌。そしてその後は大谷さんという順番でした。
とっちゃんはホルモン鉄道のライブでも歌っていますが、その時の歌に加え、違った曲調の歌も披露。
そして大谷さんはこの冬、雪が多くて引きこもっていた間に作った新曲を歌っていました。
高1の時にホルモン鉄道を聞いて以来、大谷さんにはパンクかつアバンギャルドな印象があったのですが、最近の曲を聞く限りは穏やかな印象のものが多かったです。
発表した時期にもよるんでしょうけど、やはりCDを発表した時とライブとじゃ、案外ギャップもあるものだなと、実感しました。
激しいリズムの曲などをリクエストした際は、結構バンド編成などの関係上、断られてしまうのが残念でしたが。
終演後は健さんも来ていたため、ライブや音楽についてのお話にお邪魔させていただきました。
来月のライブについて、こぼれ話も聞くことができたため、コンパクトではありましたが、来た甲斐があったなと思いつつ、帰り道に着きました。
今回はワンマンソロ(正式にはツーマン?)でしたが、誰かとジョイントなり何なりのスタイルなら、また違った感じの曲目に接することができるかと、密かに期待したいところです。(Hi- 18/3/24)
(寸評)まぁ俺もそうだけどひとりでやる時と誰かと一緒にやる時では微妙に空気感も変わってくるので歌う歌も変わってくるよね。
だから元たまのメンバーたちも今でもソロ以外にいろんな人たちとのセッションで全くのひとりの時とは違う自分を発見することもあって(またその逆にいつもバンドでやっている人はひとりになることでしか出ない雰囲気もあって)、それが音楽の面白いところなんだろうね。 7ポイント。
初めての睾丸マッサージ(2003年5月24日)
波照間エロマンガ島@バンコクです。
わたしが初めて睾丸マッサージ(チャッカサーイ)を体験したのは2003年5月24日。タイ南部を旅行中ハジャイという都市に宿泊したときのことでした。
夕食を終えホテルに戻ると、ホテルの2階に古式按摩の店があったので中に入りました。そこは金魚鉢方式になっており、マッサージの女性を選べるシステムになっていました。その日はマレーシア国境の町べトンから320kmを走りきり、疲労のきわみで身体が萎えきっていたので、いかにも按摩の上手そうな中年増の女性を指名しました。するとここにはマッサージルームがなく部屋で施術するので部屋で待っていてくださいと言われました。部屋に戻り5分もしないうちにその女性は現われました。
そこで初めて体験しました、タイ南部やマレーシアで伝統的マッサージ方法として有名な睾丸マッサージを。
睾丸マッサージは射精を目的とした手コキ系性風俗ではなく、あくまで健康増進のための按摩方法ですので誤解なきよう。それはかなり高度なマッサージテクニックでした。基本的に「寸止め」の指圧で、掴んだり揉んだり引っ張ったりしない。痛くなるぎりぎり手前のところで指圧をストップさせる、ということを20分くらい続けました。どうして女性にそのポイントがわかるのか不思議でした。施術終了後は妙に身体が火照るように感じ、精力回復を感じました。射精するよりも気持ちいいかも!と大満足でした。以来、タイ各地で睾丸マッサージをやってもらう機会がありましたが、このときを超える体験は残念ながらまだありません。
そんな初めての睾丸マッサージ体験の巻きでした。(波照間エロマンガ島 18/3/24)
(寸評)何、射精より気持ちいいとな。それは・・・!
どんな感じだろう。是非俺もチャレンジしてみたいっ! 7ポイント。
初めてメコン川をフェリーで横断してカンボジアからベトナムへバスの旅をする(2011年7月11日)
波照間エロマンガ島@バンコクです。2011年7月にタイ、カンボジア、ベトナム、ラオスの4カ国を陸路で一筆書きのように旅行した話はここでも以前書きましたが、細かいエピソードはいっさい書いてなかったので思い出してぼちぼち書いていきます。今回はカンボジアのプノンペンからバスに乗りベトナムのホーチミンまでの移動で、初めてメコン川をフェリーで渡河したときの話など。
丸一日プノンペンでのんびりしたあと、国際長距離バスでホーチミンを目指すことにしました。朝8時すぎ、あらかじめ予約していた旅行代理店でピックアップしてもらい、バスターミナルに行きバスに乗り込みました。2人かけのシートは前から2列目で、さいわいなことに隣は誰もアサインされず一人で二人分の席を占領することができました。わたしは「これは朝から縁起がいいぜ」と喜びました。が、それはぬか喜びとなってしまいます。しばらくするとすぐ前の席に二人連れの日本人男性が乗り込んできたのですが、この二人がとんでもないエロ親父たちで、ホーチミンに着くまでの8時間くらいのあいだ、ずーーーっと下品なセックス話をし続けていたんですね。わたしもそちらのほうは嫌いではないですが、それでも朝8時から中年親父たちがどんなセックスしたかなんて聞きたくないですよ(笑い)。私はヘッドフォンステレオで音楽を聴いて、できるだけ親父たちの会話を聞こえないようノイズを遮断しました。
発車して数時間経ったところでバスは道路の本線をそれ、メコン川の河原におり船着場に到着しました。中国に源を発し、ラオスに入りタイ国境と接したあとカンボジア国内に入ったメコン川は、このあたりからどんどん川幅が広がり、対岸まで600〜1000メートルほどの川幅から、そして河口エリアでは三角州の島が増え、大河というよりも内海の趣きをもつようになります。標高差があまりないのでダムも無く、雨季と乾季では陸地面積が変ってしまうカンボジアでは、橋をかけるよりも水運のほうがまだ効率が良いようで、フェリーで渡河していたのでした。
わたしにとっては初めてのメコン川のフェリー横断です。並んでいる車の順番にしたがいバスはフェリーに乗り込み、乗客はバスから降りることもなく川渡りしました。フェリーは特に振動することもなく、15分くらいで対岸で渡りきりました。でもさすがに景色は素晴らしく、対岸は植物がたくさん群生している密林になっていて、たいへん旅情をそそりました。10年ほど前のベトナム旅行時にミトーという街からメコン川をクルーズしたことがあるのですが、そのときの体験を思い出しましたよ。そこで得たテーゼ「対岸がジャングルになっている船に乗るのは気持ちよい」ということ。余談ですが、最近開高健さんの「オーパ!」というアマゾン川で釣りを楽しむエッセイを読んだばかりなので、アマゾン川の船
の旅はいつかしてみたいですね。あ、西原理恵子さんらの「鳥頭紀行 ジャングル編」ももちろん読んでおりやす。
メコン川を渡りしばらくすると食事休憩。そしてまた出発してしばらくするとバベット=モクバイ国境に到着しました。ベトナムの入国手続きは時間がかかるかと心配していたのですが、拍子抜けするほどあっさりと入国できました。そしてそこから2時間ほど走り、16時ころにはホーチミンに到着。それほど大変な旅ではなかった印象でした。バスターミナル近くでホテルを探しチェックイン、同じく本日到着した石川さん夫妻と待ち合わせし、夕食をご一緒しました。
カンボジアからベトナムに来て感じた印象は、やはり活気が違うということでしょうか。カンボジアは人がのんびりしているのですが、ベトナムはあらゆる点でせっかちなんですね。どちらの国も好きですが、この2011年当時はホーチミンは都市開発真っ最中で、あれから7年近く経った現在はベトナムはだいぶん変っていると思います。たぶん仕事で近いうちに行くことになることが予想されるのですが(取引先の会社がホーチミンにあるので)。
そんな初めてメコン川をフェリーで渡り、カンボジアからべトナムまでバス旅行した話でした。 (波照間エロマンガ島 18/3/24)
(寸評)異国の地で会うのはまた違った面白さがあるよね。しかもどちらも旅行者で東と西から。
アジアは怖ろしい速さで変化してるからね。
行ってみたい人は少しでも早く世界中が均一化される前に行っておいた方が吉だよん。 7ポイント。
初めてのドラゴンドラ体験、でも余裕なしで景色まったく楽しめず。。
スノーボードを始めて2回目に行ったのが、新潟県湯沢地区にあるかぐらスキー場でした。かぐらスキー場は、かぐら・みつまたスキー場とたしろスキー場が合体した、林間コースありファミリーゲレンデありの巨大スキー場で、最初に最高標高地点までリフトであがると一日リフトに乗って上がったり下がったりをして滑降して下界の駐車場までくだってくることができます。そして隣の苗場スキー場とは「ドラゴンドラ」という世界最長5000メートルのゴンドラで結んであります。
しかし、この2回目というのがあれでして、わたしは所沢の西武スタジアムのとなりにある西武園狭山スキー場という室内人工スキー場の超緩斜面でスノーボードデビューだったので、いきなり2回目に本格スキー場を滑降するのはいくらなんでも無理がありすぎました。それでも当時よく遊んだ年下の友人2人に誘われ「ええ、ままよっ」とチャレンジしたわけですが、結果はさんざんなものでした。転倒に次ぐ転倒ですっかり及び腰になり、急斜面を避けて緩斜面ばかり滑るため、時間ばかり取ってしまいました。途中ドラゴンドラに乗り苗場スキー場へ往復をしたのですが、余裕が無さすぎのわたしは腕に巻いたはずの往復チケットをどこかに落として失くしてしまう失態を犯すしまつ。ドラゴンドラの中では景色
などまったく楽しめず「もうだめだー!」と泣き言ばかり言って友人を呆れさせていました(笑)。たかがスノーボードごときで、という説があるのもごもっともですが、この日はほとほと動転しまくりましたねー。
しかも午後4時くらいになると、場内アナウンスが流れ「このスキー場は午後5時で閉鎖されますのでそれまでに駐車場まで下りてきてください」と連呼するので、ますます余裕がなくなってしまいました。それでもなんとかかんとか時間内に下山できましたがあたりが薄暗くなり、しかも人の気配も消えたスキー場はさすがに怖かったです。
それでも懲りずにそのシーズンは毎週のように週末スノーボードをしていたら、いつのまにか身体の使い方も覚え恐怖心もなくなり、速く滑れるようになったのが不思議でした。よく行ったのが東京から近い関越道の水上沼田地区のスキー場。終わったあとに入る温泉が最高に気持ちよかったです。
タイに引っ越してからは当然のことながらスノーボードはまったくしなくなりましたが、死ぬまでにいつかやってみたいスポーツであります。(波照間エロマンガ島 18/3/24)
(寸評)スキーもスケートも学校で無理やりやらされたがてんでダメだった俺はスノーボードには手が出なかったけど、出来たら面白いんだろうなぁ。
子供の頃の土手を段ボールで滑り降りるの楽しかったもんなあ。 6ポイント。
初めてのビジネスクラスに乗って海外へ〔2003年4月11日〕
波照間エロマンガ島です。
わたしが生まれて初めてビジネスクラスの座席に搭乗し海外旅行したのは2003年4月11日のことでした。
2001年以来スターアライアンスグループのマイレージを貯めていたのですが、主にタイ経由ヨーロッパばかり往復していたので、わずか2年で無料特典旅行で成田〜バンコク〜プノンペン往復飛行をできるだけのマイルが貯まりました。そしてついでにビジネスクラスを奮発したのでした。午前11時成田発のタイ国際航空TG641便に乗り、バンコクでTG698便に乗り換え、夕方6時すぎにプノンペンに到着しました。
ビジネスクラスというとメリットがいくつもあります。
(1)優先チェックイン。2018年現在は空港の航空会社窓口に行かなくてもオンライン上の手続きでチェックインできますが、2003年当時はまだそこまで進歩はしていず、空港のチェックインカウンターで受付しなければならなかったのです。長い行列を尻目にしながら自分は優先者専用カウンターで受け付けしてもらえるのは気持ちよかったですね。そして預け荷物に「Priority」タグをつけてもらい、到着空港では最初に荷物を受けとることができます。
(2)航空会社専用のラウンジを無料で使うことができます。ラウンジでは軽食やコーヒー、ジュースなど準備されているほか、インターネットサービスもあります。これも2003年当時はまだスマートフォンはほとんど発達してなかったので、備え付けのデスクトップコンピューターやノートブックコンピュータを無料で利用できるサービスがありました。
(3)優先搭乗。搭乗ゲートに入り時間が来ると、最初に搭乗させてもらえます。
とにかく空港に着いて飛行機に乗り離陸してから着陸し荷物を受け取り空港から外に出るまで、できるだけ待たずに優先的に配慮してもらえるのがうれしかったです。わたしは翌2004年から3年連続で年間50000マイル以上飛行し、スターアライアンスグループのゴールドメンバーのステータスを得ていました。まさに「大空の貴族」(?)だったのですが、それから10年以上経った現在では年に数回飛行機に乗るだけでジャンボ旅客機の後方にバランスをとるために詰め込まれるだけの「空中平民」に成り下がっています。
成田〜バンコクではシートはビジネスクラス最前列の11Bをアサインされました。搭乗時、前方コックピットのドアが開いていて中が見えました。ボーイング機の操縦席は案外狭いものだと思いました。
成田からバンコク間の機内食(ビジネスクラス)は以下のとおり。
タラコの中巻き、フォアグラのテリーヌ、海老のマリネ、海藻サラダ
ミックスグリーンサラダ、イタリアンドレッシング
白身魚のカレータイ風、ライスインゲン パンの取り合わせ、
クラッカー、バターチーズの取り合わせ、フルーツバスケット
ストロベリータルトチョコレート、コーヒー
次にビジネスクラスの居住空間についてですが、初めてのビジネスクラスは居住性、サービス、食事を含めあらゆるレベルで快適で満足しました。もうエコノミークラスの狭い空間は絶対嫌って思いましたよ。できるかぎりマイレージのアップグレード特典で予約したいと思いました。航空会社発券のエコノミーのチケット料金+マイル使用で、エコノミーからビジネスクラスにアップグレードできる特典があるんです。バンコク路線の正規料金だと20万円以上かかるビジネスクラスも、こんなに手軽に乗れることがわかりました。以来、この方式でエコノミー料金でビジネスクラスにアップグレードして飛行機に乗ることが増えました。(波照間エロマンガ島 18/3/24)
(寸評)飛行機に乗る時ってたいていビジネスとかファーストの座席を通ってさんざそのゆったりぶりを見せつけられてからエコノミーの自分の座席に行くよね。
一万円くらいの差額で乗れるのなら考えるけど倍額どころじゃない料金差だもんね。
なので「ここは王様だけが座る席。一般人民は無理無理」と題目のように唱えながら乗っている。 7ポイント。
初めてのフランス式キーボード配列
2007年にフランス旅行したとき、インターネットカフェにて初体験しました。キーボード配列が日本と異なるのでとても難儀しました。「@マーク」を表示するのにどうしたらよいのかわからないのです!
店の人に尋ねると以下の方法を教えてもらいました。
@マークを出すには、[Alt Gr + 0 ]を同時に押さなければなりません。MやAやQも位置が違うので慣れるまで大変でした。
その後スマートフォン時代になったので外国のインターネットカフェに行くこともなくなり、今現在はキーボード配列に悩むことはありません。そんな初めてのフランス式キーボード配列体験でした。(波照間エロマンガ島 18/3/24)
(寸評)それは聞かなければ絶対わからないねー。
俺もパソコンを始めた当初コマンド+Qでそのソフト終了なんて教わらなければ絶対わからなかったものなー。
もっと「このソフト終了」とか老人でも分かりやすいボタンが欲しいと心底思ったね。 5ポイント。
はじめての頑張ってオンラインの英会話を始めたときのお話
始めるきっかけは、友達からスカイプができれば毎日自宅で英会話ができるサービスがあってかなり安いよって教えてもらった事で、英語話せたらかっこいいなと思ってたので試してみることにしました。
その英会話サービスは生徒側が先生を選ぶシステムで、30分ごとに区切られたタイムシフトに「予約可」というアイコンが出ていてそこを押すと予約画面になります。先生の都合が悪い時間はタイムシフトが空白になっています。ちなみに先生は英語教師のバイトをオンラインでできるよって言われてる外国人なので日本語が一切通じません。
まず先生を顔で選び、先生の評価を見て、タイムシフト画面を開く…というような流れです。
今でこそ何も考えずにできますが、最初はとても勇気が必要だったので「予約可」を押すまでに覚悟の時間が一か月ぐらいかかりました。
一人で何を話すか練習したりもしたけど、いざやるぞと思うと怖い怖い!となってブラウザを閉じてしまうのです。
ついにある日、この人なら優しそうだというフィリピン人の女性を見つけたので「予約可」を押すことができました。
始まってみるとあんなにいろいろ予行練習したのに、先生の言ってることが1ミリも聞き取れませんでした。パニックになってぽかーんとしてしまいました。
多分、「私を選んでくれてありがとう!あなたとのレッスンが良い物になるように頑張るわ!自己紹介をしましょう!」みたいな感じだったんだろうけど、そういうノリも流れも定型の言葉も分らなくて私はひたすら「トゥデイファーストタイム!アイドンノウ!アイドンノウ!」を繰り返していました。
そうしたら先生はスカイプのチャットボックスにURLを送ってくれました。開くとその英会話サービスが提供してる例文とか載ってるページで、日本語で「レッスン1、先生と自己紹介をしましょう」と書いてありました。
すこし冷静になってきて、先生が英語の部分を1行目からゆっくり読み上げていることに気付きました。交互に読むとお互いの自己紹介ができる構成になっていて、「My name is 〜」の「〜」を自分の名前にすればいい感じで、「職業は〜」、「趣味は〜」などいろいろあって最後までやり遂げることができました。
25分で終わりなのですが、すごく長く感じました。汗もダラダラでした。
その最初の人以外は教材ページを選ばせてくる先生がほとんどで、英会話の前に吟味して予習してURLを相手に送って読んでもらって緊張でガチガチの25分を過ごすというのを二か月くらい毎日やりました。
二か月経つと英語力がちょっと上がって自己紹介が少し聞き取れるようになりました。それまでは自己紹介をしているなってことは分かるぐらいで内容は分かりませんでした。
本当に少しずつ少しずつ段階を踏んで上達してきた感じがします。
あれから二年たって、今では友達みたいな人もできました。冗談も通じます。言葉つっかえまくりですが。
最近忙しくて毎日はやってないけど英会話楽しいです。(マジョライト 18/3/24)
(寸評)おぉ、英会話。
未だに相手の言ってることがわからないんだよねー。
返信は簡単な単語とかでちょっと考えてポツポツと言えてもまず質問が理解出来ないのでただただ微笑んでやり過ごすだけ。
30歳を過ぎて外国でライブをすることも増えたので一念発起、毎日英会話のテープを聞いたり単語帳で単語覚えたりの勉強を始めたが学生の頃と違って一晩寝るとすべて忘れていて愕然としたもの。
タイに毎年行くようになって十数年が経つけど未だに「こんにちは」と「ありがとう」しか言えず、そのふたつの単語ですらテレコになってしまうことがあるくらいヒドイ語学力。
外国語習得がホント向いてないんだと実感したんだよね〜。 6ポイント。
初めてのアルバイト
私が初めて行ったアルバイトは富士重工(現スバル)の日曜日の一日バイトでした。
富士重工の一日アルバイトは、中学でもその名が知れ渡っていて、中学生でもできるとか、誰でもその日に雇ってくれるとか噂があり、高校へ合格した三月のとある日曜、暇でやることもなかったので友達と二人富士重工へ向かいました。
東本町という所に走行コースもあるどでかい工場があるのですが、そこの門へ0800-へ集合。作業着なんて貸してくれないので汚れても良い恰好です。
当日は若い人はほとんどおらず、まあいわゆる日雇いの人ばかりです。若人は誰もおらず、30代や40以上の人ばかり・・・。つまり、その・・・・という人相手の仕事なんですね。
作業は、クルマが乗るらしき工程のどこかの一部で、移動コンベア下部の金網板みたいなものを外し台車へ乗せて移動するというもの。空いたらその箇所を清掃し新しい鉄板を再び戻すというものでした。
重さは50kgくらいあったんじゃないでしょうか(知らんけど)。とにかく重い。一つ一つ必死になって根性を入れないと持ち上がりません。体力が有り余っている15歳の時でさえ身体がヒーヒー悲鳴を上げていました。
お昼は1200-1300。昼食何で出ないのでカップラーメンとおにぎりを持っていきました。休憩所みたいなところで食べ、いつも見ているバラエティ番組が見たかったのですが、おじさんたちはNHKののど自慢大会を見ています。こんなことはしっかり記憶していねんですねえ(しみじみ)。
午後仕事開始。工場の廃液というかなんか知らない液体があり、匂いが強烈でそれがピンク色なんです。トレーナーについてしまい二度と落ちなかったです。
根性で午後もお仕事。歯を食いしばって持ち上げ、動かします。
-1700ごろ作業終了。茶色の封筒に入っていたバイト代はわずか3000円! その日は人が多かったので3000円で人が少ない時は3500円だそうです。時給換算して370円!!!! なんじゃこりゃあ。完全に日雇い労働者を見下していますね。私はその3000円を握りしめてとぼとぼ帰宅しました。
家族に話すと、わたくしの初めての労働ということで大興奮でした。「働くという事がどれだけ大変か分かっただろう」と言われ、力もなく頷くだけでした。
もう二度とやらなかったけど(笑)(わいわい 18/3/24)
(寸評)俺の初めてのアルバイトはガードレール工場。重いものを何の指導もなく運ぶ危険作業も嫌だったけどなんといっても流れ作業が精神状態がおかしくなるほど辛かった。たった10分が永遠のように思えた。
その時、どんなことをしてもこういう仕事にだけは就けないと身を以て知ったんだよね。
その後は給料が安くても単純労働だけはすまいと心に誓ったのだった。 7ポイント。
初めての宮城県
GWに松島へ。よくGWなんていう時期に行く気になったなあ。
未明に地元を出発。駐車場は満車。
松島でうろうろ。観光船にも乗らず、ソフトクリームとかまぼこを食べた。
その後、青葉城城址を見学。隣接していた博物館にも行って、なかなか歴史関係が詳しかった博物館でした。
---帰りも渋滞でした。(わいわい 18/3/24)
(寸評)初めての宮城は子供の頃に仙台に親戚がいて八木山ベニーランドという遊園地に連れていってもらった時かな。
なんだかんだで仙台はよく行く。今年も一月にソロライブしたなー。 5ポイント。
初めての福島県
家の車(軽)を借りて、日帰りで会津若松に行きました。多分これが最初。
しかも行きは渋滞を避けて全て下道で。あの頃は若かったなあ。
これもGWのとき。未明に出発。中学の時の友達との二人旅。
猪苗代湖、会津若松城、日新館を周った。
日帰りだけど、いろいろと見学した中身の濃い旅でした。(わいわい 18/3/24)
(寸評)福島は原発事故後に小学校をいくつか周るライブツアーをした。
海辺にも連れていってもらった。
「ここに町があったんですよ」何も無い茫漠とした野原に、僅かに道の記憶だけが残っていた。 5ポイント。
初めての茨城県
恐らく家族とクルマで訪れた大洗海水浴場か阿字ヶ浦海水浴場。小学生の時。
当時は北関東道などなく、R50をひたすら走っていきました。群馬には海はありませんからねー。
朝早く出て、夕方帰ります。お父さんご苦労様でした。当時の私の家の車は、暖房はあっても冷房が無かった。そういう時代。
未明、お母さんがおにぎり作ってくれるため、さらに早く起きて台所へ立っていたり・・・あ今突然思い出した。懐かしい。
前日車の中で遊ぶ携帯型ゲームを近くの店で買ったり、夏の一大イベントでした。
クラゲが出るからと言って、7月に行くことが多かった。(わいわい 18/3/24)
(寸評)俺も初茨城は大洗に小学生の時に友達と両毛線、水戸線と電車を乗り継いで行った思い出。
同じようにおにぎりを作ってもらったのだが、夏休みで暑い日だったのだろう。昼に開けてみたらもう腐って糸引いてた衝撃の記憶。 5ポイント。
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