ドキドキドキリコ初体験(47)
さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント~ー(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!
はじめてのストリップ
地元の近くの温泉街にストリップ小屋があって、昔行った事があるとわしのお父さんが話してた。
それを聞いた女友達がちょうどわしが誕生日だったので、誕生日プレゼントに連れてってくれた。
鄙びた温泉街のストリップってどんなかな?行ってみると、入口は大人のおもちゃを売っていて、あとは普通の古臭い民家みたい。
入口におばちゃんがいて、「女の子2人だね、今ちょうどやってるから」といって入れてくれた。
座の抜けそうな2階の普通の座敷にステージが作ってあって、おばちゃんストリッパー(推定年齢56歳)2人がピンクの照明の中踊っていた。観客は近所のスナックのママらしきおばちゃんとお客のオヤジが2人だけ。
せっかく来たんだからと真ん中で座ってみてると、スナックのママらしきおばちゃんが「おねえさん、パクパクやってみせて」と言った。するとおばちゃんストリッパーが「はい、パクパク~」と言いながら下のお口をパクパクしてみせてくれた。うわーすげー!できそうでできないぞ!
ステージが終了すると、「あんたたちはサービスでもう一度最初から見せてあげるね」と言ってまた2人のおばちゃんストリッパーが入れ替わり立ち代り踊りながら脱いでいく。
そしてまたパクパク。どうもそれがおばちゃんの技らしい。パクパクしながらおばちゃんが一言「お酒とタバコはやめなさい。いいことなんかないからね」
なんて説得力のある言葉!そうとう苦労したに違いないおばちゃんに下のお口をパクパクさせながらそういわれると、「はい」としか言いようがないのでした。(2代目水牛)
(寸評)パクパクしながら人生を語る。しかも古臭い民家みたいなところのストリップ。いいなぁ。ぞくぞくするなあ。しかも客は女性の方が多いとは。ああ、嬉しくなっちゃった。よし、みんなに教えてあげよう。10ポイント。(一部、つげ義春「ヨシボーの犯罪」から引用)
初めての占い体験!
二年前に友達と遊んでたら占い行こうぜ!という冷やかした気持ちでデパートの中にある占いコーナーに入りました。
中には三人の占い師がいてそれぞれジャンルが違う人たちだったんですが、別に誰でもい~や~だったので、順番が空いた人のところに行きました。担当の占い師さんは四柱推命といって生年月日と名前で占う人でした。くるくるパーマでキラキラした眼鏡をかけ、口紅の真っ赤な派手なおばちゃんでした。
まずは私から。占うことは一件1000円。私は将来のことを占ってもらいました。友達が隣にいたので赤裸々な話題は恥ずかしかったのですが「将来、○なことがしたくて、○○になりたいのですが・・・」というと「う~ん、あなたすぐ落ち込んじゃうでしょ、そこが問題ね」・・・グギ!!あたってる・・・それからいろい ろ話していると「ヨガはいいわよ~心にも体にも」といいだし、「お金が必要だったら親に隠し通す自身と覚悟があるなら水商売や援助交際だってしてもいいとおもうわ」といい、占い関係ないじゃん、と人生相談みたいになってきました。
そのあと友人が仕事の適正の話をして「あなた(私のこと)よりこの子(友人)の方が向いてるわ○○の仕事」・・・ガッムムム!!「でもこの子(友人)は何やっても稼げないから早く結婚しなさい」・・・もう私も友人も半笑い。
ありがとうございました、と二人で計2000円払い、おばちゃんは笑って次の人を迎えていました。冷やかしで入ったつもりなのに真面目な話をしてしまってお互い恥ずかしかったのですが、多分一人じゃ入らんかったと思うし、なんだか面白かったのでちょっとテンションが上がりました。 (そのふ~ど)
(寸評)面白いもんなんだねぇ、信憑性はともかく。俺も取材で行ったことあるけど一緒に行った女性編集者は「あんた子供産んだらその子は麻薬とかやるような子になるよ!」と言われてました。麻薬やるような子って・・・。8ポイント。
初めての出会い系
初めての出会い系体験は13歳の頃。
当時千葉県で暮らしていた私は千葉県のタウンページを見てくだらないテレフォンサービスを聞くのが大好きだったのですが(リカちゃん電話とか電話昔話みたいのとかオバケ電話とか)、その中で「伝言テレフォン」みたいな名前だったテレフォンサービスを聞くのが好きでよく聞いていました。ダイヤルQ2などのイカガワシイものではなく、ごくごく普通のテレフォンサービスです。
このテレフォンサービスは録音用電話番号と聞く用と分かれており、録音用に録音すると一ヶ月後くらいに聞く用の方に録音したことがダラダラと勝手に流れるというものだったのですが、 いつものごとく暇つぶしに聞いていると「たまが大好きです」という女の人のメッセージが流れ、何?!と思い私も早速「たま大好きっ子です」などという寒気がするような名を中学生らしく名乗りメッセージを録音。
その後やはり約一月後に私のメッセージが流れ、それを聞いた「たまファンのおねえさん」から私向けにメッセージが流れ・・・・
と、他の人のいろんなメッセージに混じりながらの一ヶ月越しのお姉さんとのたまやり取りは続きました。
もうここまで来るとこのお姉さんに会いたくてたまらなくなりましたが、メッセージは全公開で流れっぱなしなだけなので個人情報を録音するわけにはいかなかったのですが、相手のお姉さんが機転を利かしてくれてたまファンにしかわからぬ暗号にてお姉さんちの電話番号を録音してくれたのです(新しい会報の何ページのどこどこの数字、等)。
私たちは見事会えました。
お姉さんは当時20代で、よく13歳のクソガキと会ってくれてしかも親切にしてくれたなぁと今でも感謝しております。
お姉さんに連れて行ってもらって初めての高円寺へも行き、お姉さん威力で外泊してその日の深夜高円寺の街で知久さんと遭遇し「ファファファファファファファファファンなのです。ああああああああ握手してください!」などと握手してもらったり、3畳一間のお姉さんの友達の家に泊まって初めての恐ろしく狭い部屋泊も体験でき凄く面白かったし、その後もお姉さんちへ遊びに行ったり、一緒にライブ行ったり、本当に楽しかったです。
お姉さんはその後北海道へ引っ越してしまいましたが、初めての出会い系は最高の出会いでした。(ことり)
(寸評)そんなのもあったんだね~。高円寺に行っていきなり知久君に会うのも凄い。確かに一時期奴は毎日高円寺を徘徊していたが。「たま」が好きです、が別の意味に取られて変態オヤヂばかりからメッセージが来なくて良かったな。9ポイント。
初めての大学生からカセットテープ
中3の頃こんな私でも一瞬個人指導の塾へ通ったことがあったのですが、その中の英語を担当してもらっていた先生だけは私の英語に関しての資質のなさもあり毎度毎度英語なぞは勉強せず、音楽かぶれの私とメタル系バンドを組んでいた大学生バイトの先生とで延々とギター演奏テクについてと音楽についての話を繰り広げていたのです。
時には先生の大学祭へ出向いて先生のライブを見たりもして、ややかっこつけたいタイプの先生でもあったので、ある日「これ、すごくいい曲だから聴いてみなよ」とかっこつけてカセットテープを貸してくれたのです。
私は大学生のバンドをやっているお兄さんにカセットテープを貸してもらうことなんて初めてだったのでどんな曲が入っているのだろうかとワクワクしました。
早速聴いてみようとカセットを取り出すと・・・・・
なんとケースの隙間にチン毛が挟まっていたのです!!!!!!
いつもカッコよくしていたそうな先生、カッコいい風に音楽を語る先生、カッコよく音楽を紹介してくれた先生、カッコよくカセットテープを渡してきた先生、チン毛・・・・・・・・
私は先生のことが一気に哀れに思え、声にはならぬ笑いに笑い殺されそうになりました。
それ以来、私は人にCDやカセットや本などマン毛が挟まりかねない物を人に貸すときには必ずマン毛チェックをするようになりました。
ちなみに中に入っていた音楽については、チン毛の思い出にかき消され一切覚えておりません。(ことり)
(寸評)もしかしたら、チン毛入れは彼なりの美学だったのかもしれないよ。ほら、戦争に行く人にお守りとしてマン毛を入れるようにね。「俺のやっているのはそんじょそこらの音楽じゃねぇ。チン毛ロックだぁ!」というパンクな先生だったのかもしれないね。・・・九分九厘違うけど。8ポイント。
初めての授業ボイコットに遭遇
小学六年生の頃、クラスのある女子グループが担任の先生を嫌っていてものすごく反発していました。
それがもとで、あるとき女子と男子で授業の時間まるまる使って討論になりました。
発言していたのは決まった生徒だけでしたが、女子と男子が教室で半分に別れて向かい合いクラス全体を巻き込んだものになりました。
『何始めるんだよ~、争いごとは嫌だよ~。』と普通に座っていた私も「こっちこっち」と椅子ごと連れて行かれ、ひどくなっていく言い争いを見守ることになったのです。
先生をかばう男子とそれに反発する女子、結果は女子が負けた感じになりました。でも、それで余計に反発していた子達が怒ってしまい「やってられない」と教室をでていってしまったのです。ほかの女の子達にも呼びかけ図書室にこもってしまいました。
私は教室を出て行くのは違うなと思ったので残りました。教室に残った女子は私を含め5人ほどでした。
女の子達が出て行った後、残った生徒に先生が何か語っていましたが、それよりも「これが学級崩壊というものなのか~。ドラマのようだ。」と考えていました。
二時間ほどして図書室から女子が戻ってきたのですが、少し先生に同情しました。 (若様)
(寸評)へ~学園ドラマみたいだねー。高校の時はボイコットはしなかったけど、完全になめられていた先生がいて、みんな授業中に飯食ったり漫画読んだりどころか相撲取ったりしてた。先生も最初はちょっと怒ったりしてたけど効果がないと分かると見事に諦めた。なのでその時間は先生が入ってきて授業中一度も生徒の方を振り返らず、ぶつぶつ独り言つぶやきながら黒板に何か書いては消し、書いては消しを繰り返していた。あれもある意味異常な光景だったなぁ。7ポイント。
初めての前歯損失
小学生年の時学校の廊下で同級生とふざけて遊んでました。
同級生が僕の背中を押していたのですが、押す力が強すぎて顔面から床に倒れました。
と同時に上顎に衝撃が走り、口の中から何かが飛び散りました。
ノそう、前歯の永久歯2本が砕けてしまったのです!
今思い出しても人生の中で忘れられない瞬間でした。
そのまま泣きながら保健室に連れていかれました。
駆けつけた担任の先生と校長先生が、深刻な表情で泣き叫ぶ自分を見ていたのを覚えています(叱る以外の理由で)。
タクシーが呼ばれ、応急措置として、少し削られました。
泣きながらタクシーの中で童心ながら、「どうやって治療するんだろう?歯に包帯巻くの?」と考えていました。
現在、その前歯はプラスチックの差し歯になっています。(Hi-)
(寸評)俺、前歯二本は二重にはえていて、前の二本は事実上噛み合わせとかには使ってないので、実はただの「見せ歯」なのだ~。良かったら高値で売るよ。8ポイント。
初めての電力停止攻防
一人暮らし時代、私は猛烈に働いたり突然電池が切れたように一切の仕事を放棄してしまいたくなって何もしなくなる、とか色々と極端な生活を送っていたことがあったのですが、光熱費をスルーし続け遂に電力会社が電気を停めに来たのでもうちょっと待ってくれと言うもダメだの一点張りで我らは10分ほど戦い続けました。
私はこれはもうダメだと思い捨て身で最後お色気を放ってみることにしたのです。
「おねがい(はぁと)」
と体をクニャクニャさせて当時の私最大限の媚と色気とエロとぶりっ子をカメハメ波のごとく放ったのです。
すると某電力、「わかりました。」と静かに退散。
なんでもやってみるもんだと思いました。
呆れたのか色気にやられたのかは定かでありませんが、とにかく若くて女でよかったと思った瞬間でした。
ちなみに現在そのようなことをしたら殴り殺されるでしょう。(ことり)
(寸評)よおし、俺も今からそのクニャクニャ作戦をやろっと。すんごいクニャクニャするぞ~。
電力会社、かかってきなさい。7ポイント。
初めての去勢
初めて去勢したのは大学2年の時。
豚の去勢からやりました。タマタマのあるであろう位置にカッターで切り込みを入れて、タマタマをポロッとつまみ出しました。
牛の去勢は巨大ビューラーのような器具でタマタマの付け根をぎゅっとはさみ、血の流れを止める。数日後にはタマタマは自然に落ちていくか、しぼんでいくかするらしい。
豚は泣き叫び、馬は腰砕けになっていた。かわいそうに。 (美空ビバリー)
(寸評)さっき豚や牛、馬が結託してビバリーを去勢する相談をそこの駐車場のところでしてたよ。気をつけな。7ポイント。
初めてのチアガール
初めてチアガールとして野球部の応援に行ったのは高校1年の時。高校野球の1回戦の応援に行きました。
ダンス部がチアガールとして応援に行く慣わしになっていたのです。
ひらひらのスコートをはき、大根足をちらつかせながら応援歌に合わせて踊りました。
野球部も応援団もゆるゆるなのに、なぜかチアガールだけは厳しくて、踊っていないときは直立不動でボンボンは背中の後ろに隠し、微動だにしてはいけないというのです。
相手チームが攻撃中も座ることは許されず、そのままの姿勢で立ち続けていなければなりません。
ゆるゆる野球部は弱かったので自分たちの攻撃はすぐに終わってしまうのですが、なかなか相手側の攻撃が終わりません。ずっと立ち続けできつかった。。。熱中症になってしまいそうでした。
結局大量失点でコールド負けしてしまいました。
ほとんど踊らずに終わってしまいました・・・。
今の時代のチアガールたちも、直立不動で立っているのかしら。。。 (美空ビバリー)
(寸評)チアガールも華やかな印象だけど実情は厳しそうだね。浩司、チアガール断念します(涙)。6ポイント。
初めて宝くじが当たったという話を聴いた!
おむつの中に虫が入り込んでいたうちの甥っ子。
「こんな大当たりはほんとに珍しいから、宝くじ買ったら当たるんじゃない?」との主治医の発言を真に受けた妹は早速サマージャンボを3枚購入。
先日換金に行ったら3000円当たっていた!
主治医の発言は本当だった!!! (美空ビバリー)
(寸評)一万円ぐらいまでは当たったというのを聞いたことがあるが、それ以上がいない。本当に宝くじを当てた人はこの世に存在するのだろうか? 5ポイント。
初めての学校にタメ口
僕が通っていた高校は柄が悪く、登下校の際にビクビクせざるを得ない程ひどかったです。
ベンチに座ってると、チンピラ風の生徒が「どきな!」と目で迫って来るわ。放課後、彼らが食べたカップメンがそのまま花壇の中に翌朝まで放置されてるわ。ま、王様の方にも書いた通り、卒業の際に不良連中とも馴染めましたが。
で、1年生の秋のとある朝、登校すると多くの生徒が外の塀や校舎の壁に群がっているのです。何だろう?と思って近づくと、落書きを消していました。
どうやら夜に塀や壁、黒板にペンキスプレーで大規模な落書きをした輩がいたそうです。
朝礼やアンケートが頻繁に行われた末、翌月に1・2年生数十人が処分を受けました。
ちなみに僕はアンケートで対策として「防犯カメラを設置しろ!」とタメ口で書きました。そしたら、学校通信にそのまま掲載され、「マズかったかな?」と少し気になりました。
ま、他の生徒の投書でも、「そんなに嫌な事があるなら直接口で言えばいいのに」というのがありましたが。(Hi-)
(寸評)俺の行ってた小学校は前年の卒業生によって校舎半分燃やされました。あははっ!5ポイント。
夢で初めての石川さんじゃない石川さん
??朝起きたら、夢の中でパスカルズの皆さんを見た事に気づきました。
私は、楽器を持って移動している皆さんの中から「石川さん、石川さん・・・」と、くまなく探し、やっと見つけました。
「あの・・・いつも見てます、王様の・・とか。」
「あ、どうも。」
初対面の人とは喋りにくそうにそう言って背を向けられてしまいました。
??その石川さんときたら、白いポロシャツに茶色のズボン、楕円の眼鏡をかけていて、とりあえず手にはスティックを持っていましたが、なんと、頭を見ると天然パーマ!まるで子門真人さんのようでした。
??私が「石川さんってあぁだっけ?」と考えながら歩いていると、その先の洗面所の鏡の前で、石川さんがバリカンで髪の毛を刈っている!!
髪の毛伸ばしたら子門真人さんになるのか!
でも、お米星人ではない石川さんは、かなり・・・凄かったです・・・。(秘密の座席)
(寸評)俺の秘密を暴いたな。暴いた者には今夜子門真人の俺が襲いかかります。夜露死苦!4ポイント。
トホホな初めてのキス
周りの友達に次々に彼氏ができたりして、少々焦り気味だった頃。
友達の紹介で、恋愛感情がわいてこなかったのですが「つきあえるのかなノ?」という感触の人が現れました。
そしてその人とデート。彼は某有名大学卒で、社会人で車を持っていました。その頃の私はおろかにもそういう肩書きに幻想を持っていたのです。
何事も起こらず、滞りなく数回のデートをして、まあ、悪くないなあという感想を持っていました。とあるデートの後半に、忘れ物をしたからということで車で彼のアパートの前に行きました。そして、戻ってきた彼に「男の人の部屋って見てみたい?」といわれました。
何かする気だろうと解ってはいたのですが、好奇心の方が強くてのこのこ部屋についていきました。
部屋に入ると「実はさ~オレ会社の先輩が気になるっていうかノわかるでしょ?恋愛じゃないけど何か気になるっていうの?けど脈がないっぽいんだよね~。それでもいい?」といいながら服を脱がしてくるので内心はあ?と思いながらまあコイツがなんと言ってようが私のことを好きになるはずだわ。と思って「いいよ」といいました。
そんな状態なのになぜか感情は落ち着いていてコイツと最後までいってはいけない!という思いがわきあがってきて「次があるからノ今はだめよ」みたいな感じで寸止めでわが身を守りました。
その時のキスがファーストキスです。トホホ。夢見ていたのとは全然違い、全く何も感じなかった。
最悪だったのが、後日彼と会って話すと、彼は「実は先輩とは体の関係だけはあって、先輩と二股かけるけどいいか」というつもりだったということです。そこを先にちゃんと言わんかい!と責める私を「普通の女みたいな事いわないでよ~」だと!私は普通の女です。女のカンで純潔を守ってよかったよ。
肩書き幻想が消え去ったのと、それまで男の人の性欲を冗談だと思っていたところがあったのが直ったのと、好奇心が満たされた(男の人の体がどうなるかが一通り見れた)のが後から考えたらよかった所かな。
けど、本当に好きな人とじゃないと、ああいうことしたらだめですね。ホントに。消耗するだけです。(猫の約束)
(寸評)俺のファースとキスは特にお互い恋愛感情はない女友達とふたりで公園に行って、暗くなってきたので帰ろうとすると「あたし、公園からはおまじないしないと出られないんだ」というので「はぁ」と言うとキスを迫ってきたのでしました。その後聞くと「石川君で5人目」と言ってました。半年後ぐらいに聞いたら「今20人を越えた」と言ってました。単なる「キス千人斬り女」でした・・・。8ポイント。
初めての林間学校
小学生のガキンチョの頃に林間学校に参加しました。山の空気はヒヤリとして清々しかったのですが、なぜか、宿の周辺は『ナナフシ』が大発生していました。あの木の枝みたいなヤツ。昆虫やりたいのか枝やりたいのかハッキリせいや!!といいたかったんだけど、何しろ沢山過ぎて、草むら木の幹に建物の窓にウジャウジャいすぎて、ギャーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!
太刀打ちできませんでした。
なので、林間学校で何をしたのか全然覚えてません。付き添いの伯父さんに怖い怖いーー!!と訴えた覚えしかない。
そんななか二日目には、お外に出てレクレーションをしたかと思います。あのナナフシの森でノ。奴等はやはりウジャウジャいました。
わたしは椅子に座ってました。何を思ったか、何匹かのナナフシさん、わたしの足に這い上がってきました。
ナナフシさん、頼むからわたしの足を木と間違えないで下さい。わたしは木ではありません。
もちろん!!叫びながら、振り払い逃げ惑いました。
うおぉーん、アウトドアなんて、嫌いです~~(泣)(おっく)
(寸評)俺の一番苦手な虫、それがナナフシだ。木の枝だと思ったら虫だった時のあのドッキリ感。
ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!
たぶん俺がその状況に陥ったら舌がぐりっと噛み切って死んでます。6ポイント。
初めてのバレンタインデー
小学校一年生のとき、仲のよかった男友達に渡すため、
母にチョコレートを買ってもらいました。
でも当日、その友達は風邪をひいてしまい渡せなかったので、
元気になったら渡そうと、冷凍庫にしまっておきました。
すぐにその友達は学校に出てきたので、
早速持って行こうと冷凍庫を開けると、ない。
母に訊ねると、
『ごめぇ~~ん!たべちゃったーーー!!!』
友達には正直に「おかあさんに食べられちゃった、ごめんね」と告げました。 (桃玉)
(寸評)その後チョコレートの効果が効いて桃玉がお母さんとレズビアン近親相姦の恋に落ちたらすんごく怖いな。4ポイント。
東京での初バイト。
上京してすぐ居酒屋でアルバイトを始めたのですが、 そこは働く人の7割が中国人でした。
一応日本語は喋れるものの、カタコトの人が多く、 店では中国語が標準語。どこのに迷い込んだかと思いましたよ。
私はホールスタッフだったのですが、厨房もほとんど中国人。
ある日、日本人男性が「俺にもわかるように、日本語で喋ってよ!」
と言っていました。すると一人の中国人男性に
「日本語デ話シテモ解ラナイヨ!政治ノ話題トカ興味ナイデショ!」
と言われていました・・・・。むごい・・・。
みなさん優秀で、日本人の私が一番グズでしたよ・・・。 (桃玉)
(寸評)外国人はだいたい政治の話が好きなんだよね。たぶん直接響くことが多いんだろうな。日本はなんか政治って遠いところで行われている気がしてピンと来ないって感じしない? 4ポイント。
初めての宗教勧誘の人とご対面
今日社宅の草引き当番で、一人草むしりをしていたときの事です。
愛想のよいお婆さんと娘さんが来て親しげに話しかけてきました。
社宅の人かな?と思って愛想よく答えていると、そのうちお婆さんの話の内容が「神の存在」などの怪しげな方向にノ。手元からはとある宗教のパンフレットが出掛かっていました。
慌てて「そういうの、信じてないんでいいです」というと「信じる、信じないの問題ではなく、事実なんです!」とつめよられました。「興味ないです」と何回か繰り返しつつ視線も合わさないようにしたら、あきらめてくれました。
実は月イチくらいで、ここの宗教の勧誘の人が尋ねてくるんですが、いつもドアを開けずに断っていたのです。
今日初めて対面したノ。こわかった。(ぴよまる)
(寸評)うちの母親はいつも「うちは特別の宗教に入ってるもので・・・」と断ってたな。本当は家族全員神棚さえ家にあったことのない無宗教で~す。5ポイント。
ゲイバー志願
昔からときどき「おかまっぽい。」「笑い方が気持ち悪い。」「男が好きなん?」「お前はゲイだ!」などと人に言われることがあった僕は、開き直っていっそのことゲイバーで働いてみようかと思いました。
ちょうど無茶して借金100万円あったのでお金が欲しかったし、友人のおばちゃんの強い薦めもあったので、タウンページでお店を調べて、電話してみました。
「はい、もしもし~。」(甲高いおかまの声)
「あのノそちらで働かせて頂きたいんですけどノ。」(弱気な僕)
「ああ、今人足りとるけぇ。」(急にドスのきいた低い声に)
ノあっけなく不採用。
その後、電話で普通に喋ったのがいけなかったのかと思い、友人と「ゲイ会話教室」を開いて、しばらくゲイ言葉を練習したりもしましたが、今はハンバーグとステーキのお店で肉を焼くバイトをしています。 (うきうき)
(寸評)すげいなぁ。「笑い方が気持ち悪い」と言われて「じゃあゲイバーで働こう!」と思う思考回路自体が。
是非もう一度チャレンジしてゲイバーの内側をレポートしてくれっ! ポイントも稼げるでぇ~っ。9ポイント。
初めてのやりすぎた悪戯
体育で整列しているとき、前に立っている女の子のジャージを冗談半分で引っ張ったら、
半ケツ状態になってしまい、泣かせてしまった・・・・
半ケツだったのが、せめてもの救いです。 (桃玉)
(寸評)今度やる時は俺も呼んでねっ! 4ポイント。
初めての、引越し手伝い
父と二人で、知人の古本屋さんの自宅の引越しを手伝いに行った。
小学校低学年の頃だっただろうか。
ドアを開けると、ムッとホコリのにおい。
そこには無数のダンボールが積みあがり、
床にはバラバラになった本がミルフィーユ状になっている。
数年がかりで、そうなったようだ。鼠のフンまで散乱している。
土足でも上がりたくないようなその家に、主はハダシで立っていた。
1センチほど伸ばしたままになっている、足の指の爪が印象的だった。
引越しの作業のことはほとんど記憶にないが、
その家に似つかわしくない、子どものおもちゃが床に散乱していて、
「あげる」
と言われたのを覚えている。帰り際に、
家の主は床に落ちていた細川ふみえのうちわをくれようとしたが、
全然いらなかった。いらないとは言えないので貰った。
不潔感溢れる引越しの手伝いだった。
喘息持ちの父は、その家から離れた瞬間緊張が解けたのか、
死ぬほど咳をしていた・・・。 (桃玉)
(寸評)そして数十年後、桃玉の家がその時の呪いで全く同じような家に。鼠のフンまで散乱して・・・。5ポイント。
初めてのスノーボード
一度だけ、友人に誘われてスノーボードをしたことがあります。
元々運動音痴なので、初心者用の一番安全な所で、滑ってはこけ、滑ってはこけ、滑ってはこけしてたんですが(このままじゃラチがあかないなノ)と思った僕は、友人が止めるのも無視して、上級者がスイスイビュンビュン滑ってる山のてっぺんまで行きました。
ノノノノノノ絶句。
そこは坂というより崖でした。いやいやいや、これは滑らずに歩いても降りられんでしょ!ほぼ垂直じゃんか!
でも逆にテンションがあがった僕は、なるべく上手な方たちの邪魔にならないように、何回も漫画のような転がり方をしたり、コースから外れて山に突っ込んだりしながら、小一時間かけてふもとまで滑りきりました!すごい達成感でした。
その後は、修羅場を一つくぐり抜けた僕にとっては、初心者用のコースなんておならみたいなもんでした。
ス~イス~イと余裕でスピードを出して滑ってたらノ
ガン!ゴン!ガン!ゴロゴロゴロノべチャ!
とその日一番の転び方をしてしまいました。油断してたところに後頭部から思いっきり固い雪の上に突っ込みました。走馬灯が見えました。本当に。ああ、走馬灯ってあーゆうふうに見えるんだな、ということを知りました。
何でもやれば出来るということと、調子にのったら痛い目にあう、ということを学びました。 (うきうき)
(寸評)同時に両極端を学んだんだね。俺もスキー出来ないのに友達に騙されて上級者用のコースに連れていかれた。すんごいスピードが出て「もういかん!」と思って必死にわざと転んで止めた。あの時止まらなかったら、今頃地球の裏側まで滑って行ってしまったでしょう。5ポイント。
初めての夜行バス
友達3人と計画していた沖縄旅行が中止になってしまったとき、急遽『夜行バスでディズニーに行こう』作戦に変更になりました。
急なことだったので、取れた席は一番後ろ。
高知から東京まで約13時間、地獄のようでした。
一番後ろの席なので座席を十分に下げられないけど、前の人はギリギリまで下げてくるので狭いこと!
眠れないし、体は動かせないし東京に着いた頃には体力は限界でした。
バスでの時間が辛すぎて、行ったのがディズニーランドだったのかシーだったのかも覚えていません。
少しはディズニーマジックにかかってバンビの耳をつけて過ごしましたが、どのアトラクションに乗ったのかも覚えていません。
帰りのバスの時間が近づくとひどい頭痛と吐き気に襲われて死ぬかと思いました。
なんとか生きて帰れましたが、二度と東京行きの夜行バスに乗るまいと誓いました。 (若様)
(寸評)ちょっと違うかもしれないけど、ツアーとかに行くとライブ自体より移動の方が体力消耗する。若い時は平気のへーざだったのだが。あっ、若様は「若」というぐらいだからそんなことはないと思うけどね。7ポイント。
初めてのナンパ
中学三年生の時でした。
学校からの帰り道、友達と別れる場所まで来たところで話していると、二人の高校生が前を通り過ぎていきました。
それから数分してその高校生が戻ってきて話しかけてきました。
「これから遊びに行かない?」と。
『こ、これはナンパというものか!?』と驚きました。
しかし、知らない人についていくなんて危ないことはしません。
「行きません。」とはっきり断りました。
それでも相手は「行こうよ。」と言ってきました。
「行こうよ。」「行きません。」のやり取りを3、40分してやっと高校生は去っていきました。
そしてまたしばらく友達と話をしていたら戻ってきて、また「行こうよ。」「行きません。」のやり取りを10分くらいして今度こそ帰ってくれました。
男の人にしつこくされるのも軟派も嫌いなのです。
自分が恋をすると暴走しますが。 (若様)
(寸評)実は「行こうよ」と言っていたのではなく「遺稿よ」とあと半年の命と宣告された若者が最期に書いた小説を読んでもらいたかっただけだったりして。5ポイント。
初めてのパターゴルフ
私の祖父はたくさんの人とわいわい騒ぐのが大好きな人でした。
カラオケ大会に参加したり、老人ホームに慰問に行ったり。
祖父の家は田舎にあって裏には山があるのですが、少し上ったところにあった畑をパターゴルフ場に改造したのです。
祖父の家に行ったとき、急にパターゴルフ場ができていたのでいたので驚きました。そのとき初めてパターゴルフをしたのですが、とても楽しかったです。すでに二十歳を過ぎていた私でしたが、ものすごくはしゃぎました。
田舎に帰ったときは毎回、祖父母と私達孫とで遊びました。
普段は近所のお年寄り達を集めてパターゴルフ大会をして過ごしていたようです。優勝者にはちゃんとトロフィーなども用意して。
祖父が亡くなって二年経ちますが、今でも近所の人たちの憩いの場となっているので祖父も喜んでいると思います。 (若様)
(寸評)そりゃあいいことをしたね、おじいちゃん。俺もゴルフは全くやらないがパターゴルフは好き。そうやって実用的な物を残していくのっていいなぁ。5ポイント。
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