ドキドキドキリコ初体験(121)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
 最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント〜∞(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

初めての毒ガス

あれは高校生の頃の暑い夏の日だっただろうか。
私は疲れ切って電車に揺られながら帰宅していた。私は千葉県在住なので、都内から千葉県に向かう電車だったと思うが、どの路線に乗っていたのか記憶が定かではない。しかし都内から千葉県に向かう路線は限られているので、たぶんJR常磐線に乗っていたのではないかと思う。
状況としては、当時、私は確か受験生で、だとしたら高校3年生の時の話だと思うが、夏の暑い日の放課後、都内にある塾に通っていて、その帰りに勉強に疲れ切って電車に揺られていたのだ。
私が乗っていた電車は帰宅ラッシュの通勤のサラリーマンで満員となっていたが、私は幸いにして座席に座る事が出来、ロングシートの一番端の席で、座席の背もたれに寄りかかって身体をシートに沈めて頭を下げ、半ばウトウトしていた。
それはそうだろう。夏の暑い日に学校でひとしきり勉強を終えた後に、また都内の塾なんぞにわざわざ出かけていって、勉強しなくてはならなかったのだから。本当に疲れ切っていて当然なのだ。
私が乗っていた電車には疲れ切った受験生の私と同じように、仕事に疲れ切ったサラリーマンであふれかえっていた。そんな疲れ切った人々でギュウギュウになりながら、帰宅ラッシュの満員電車はガタンゴトンと揺れていたのである。
しかも、今の時代からでは信じがたい事であるが、当時の電車にはまだクーラーというものが設置されていなかった。当時の電車の冷房と言えば扇風機であって、ギュウギュウの満員電車ではほとんど効果のない扇風機が、ガタンゴトンと揺れる電車の車内の天井部分でクルクルと回っていた。
私はロングシートの座席の一番端っこに身体を沈めて頭を下げ、自宅最寄駅までの間、少しでも休もうと浅い眠りについていたように思う。こんな電車での移動時間も貴重な睡眠の機会なのだ。 帰宅ラッシュの電車の中は誰もかれもが疲れ切っていて、どんよりとした空気で満ちあふれていた。天井の扇風機はクルクルと回ってはいたが、いかんせんギュウギュウの満員電車ではほとんど効き目はなかったので、電車の中はモワッとした空気が充満していた。
夏の暑い日のギュウギュウの満員電車で、ギュウギュウ詰めになった人々の体温と体臭が混ざり合った人いきれで、ある意味サウナのような状態であって、その暑さは乗り合わせた皆の顔からは汗がしたたり落ちるほどであった。
それでもただ帰宅ラッシュの電車に乗り合わせた皆、それぞれがそれぞれの住む家に何とかたどり着こうと、身を寄せ合って夏の暑い日のギュウギュウの満員電車に我慢して乗っていたのである。
私はロングシートの座席の一番端っこでシートに身体を沈めて頭を下げてウトウトしていたのだが、ある刹那、突然の強烈な刺激で脳を揺さぶられ、いやがおうでも起きざるを得なかった。
その強烈な刺激とは何かと言えば、文字通り強烈な刺激臭であった。あまりの強烈な刺激臭に、私はむせかえった。
その刺激臭は、これまでの私の人生で嗅いだ事のない、形容のしがたい臭いであった。何というか、この世の腐ったものを全て集めて凝縮したような、吐き気を催さずにはいられない激烈な腐臭であったのだ。
私は思わず辺りを見まわしたが、疲れ切った人々でごったがえしたギュウギュウの満員電車は、特に何の反応もなく、皆はただ、帰宅ラッシュの電車に揺られているだけだった。
どうやら、この、この世のものとは思えない地獄のような激烈な腐臭は、この時点で、私の周りにのみ、漂っているらしかった。
私はこの、この世のものとは思えない地獄のような激烈な腐臭を嗅いだ刹那、すわ毒ガスか?と恐怖した。それくらい凄まじい激烈な腐臭だったのだ。
私は地獄のような激烈な腐臭に顔をゆがめながら、私の脳みそをフル回転させて、一体、今、自分の身に何が起きているのか理解しようとした。
私がいた帰宅ラッシュの電車はギュウギュウの満員であったが、ほとんどの乗客は立っていた。それはそうだ。座席数が限られているのだから、座れない人々は皆、立っていたのだ。その立っている人々にはまだ地獄のような激烈な腐臭に対する反応が見られなかった。という事は、この地獄のような激烈な腐臭は、シートに身体を沈めて頭を下げていた私の顔の高さで展開されていた事になる。
私は、疲れ切った自らの脳みそをフル回転させて、ようやっと、この地獄のような激烈な腐臭の正体について、一つの結論に到達した。
これはオナラである、と。
この、疲れ切った人々でごった返している、夏の暑い日のギュウギュウの満員電車で、冷房もほとんど効かない中、誰かが、オナラをしたのだ。
しかも、それはただのオナラではなかった。
私はロングシートの座席の一番端っこでウトウトしていたとは言え、熟睡していた訳ではないので、音は聞こえている状態だった。私の耳には、その時、電車の「ガタンゴトン」という音しか聞こえていなかったのだ。そこに突然、何の前触れもなく、音もなく、地獄のような激烈な腐臭が襲ってきたのである。
これが意味する事はこうだ。これはすなわち「すかしっ屁」であると。
私はクラクラしてきた。もちろん、今までの人生で嗅いだ事のない、地獄のような激烈な腐臭に頭がクラクラしていた事ももちろんであるが、よりにもよって冷房がほとんど効かない夏の暑い日の帰宅ラッシュのギュウギュウの満員電車で「すかしっ屁」を噴射するとは!
私の当時の知見では、「すかしっ屁」は、通常の音の出るオナラよりも何倍も臭い、という事だった。これが科学的根拠に基づくものであるかどうかは預かり知らぬが、「すかしっ屁」の破壊力は、音の出るオナラより数段上回る、という認識だった。
そんな「すかしっ屁」を、よりにもよって、みんな身動きの取れない、疲れ切った、冷房がほとんど効かない夏の暑い日の帰宅ラッシュのギュウギュウの満員電車で噴射するとは!
これはもはや犯罪行為であった。一日の長い自らのノルマを終えて、疲れ切った身体をただ自らの住処に帰すための安穏なる時間を破壊したのである。徹底的に糾弾されるべき許されざる犯罪行為であった。そんな卑劣な犯罪行為であるならば、一刻も早く犯人を特定せねば!
私は犯罪捜査の刑事のような眼差しで辺りを見まわした。この段階になって、ようやっとこの地獄のような激烈な腐臭は、冷房がほとんど効かない夏の暑い日のギュウギュウの満員の車内に拡散しはじめていた。ところが、企業に飼い慣らされた社畜の人々は、私がむせかえるほどの地獄のような激烈な腐臭であったにも関わらず、何ら騒ぐ事もなく、ただただじっと耐え難い臭いに耐えて立っていたのだ。
皆、「すかしっ屁」を噴射したのは自分ではない、と言いたいのだろうか。ここで変に物音を立てるとあらぬ容疑をかけられると思っているのだろうか。夏の暑い日に地獄のような激烈な「すかしっ屁」が充満するギュウギュウの満員電車に乗り合わせたにも関わらず、人々は、音も立てずにただただじっと、立っていたのだ。
この、何とも言えぬ、緊張が張り詰めた、否、腐臭が張り詰めた空気感の中、私は必死になって容疑者の特定に勤しんでいた。
「許さない!こんな夏の暑い日にギュウギュウの満員電車で臭いオナラを噴射するなんて許さない!」
こんな気持ちでいっぱいだったように思う。
さて、私はただ許さない気持ちでいっぱいだっただけではなく、容疑者特定に向けて、状況をしっかり確認していた。地獄のような激烈な腐臭は、シートに身体を沈めて頭を下げていた私の顔の高さで展開されていたので、この「すかしっ屁」を噴射した犯人は、座席に座っていた人でなく、満員電車で立っていた人々の中にいる、という事だ。
つまり、この「すかしっ屁」という毒ガスは、立っている人のお尻の肛門の位置、それはズバリ、シートに身体を沈めて頭を下げていた私の顔の高さにあたるのだが、そこから噴射された、という事で間違いなかった。
私は、私の周囲に立っている容疑者達に疑いの眼差しを投げかけた。しかし、皆、一様に「すかしっ屁」を噴射したのは自分ではない、という顔で、地獄のような激烈な腐臭に耐えつつも、平然とした面持ちで立っていたのだ。
私はだんだんイライラしてきた。私は、疲れ切って帰宅ラッシュの満員電車でようやっと座ってウトウトしながら休んでいる、という平穏を「すかしっ屁」という毒ガスによって破壊されたのだ。しかも夏の暑い日のギュウギュウの満員電車の中で「すかしっ屁」を噴射するという人間にあるまじき蛮行によって!
そんな酷い奴は許す訳にはいかない!絶対に許さない!必ず毒ガスの犯人を見つけ出してやる!白日のもとに晒してやる!
私はもはや怒りに燃えて毒ガスの発生源を特定しようとしていた。私は、地獄のような激烈な腐臭の発生状況から、毒ガス犯は、私の座っている場所から半径1メートル以内にいると断定した。そうなれば、容疑者の数はおのずと絞られてくる。
私は、私の正面に立っているサラリーマン達に疑いの目を次々に向けていった。
「お前か!お前か!お前か!」
しかし、私の正面に立っているサラリーマン達は、私の怒りに満ちた疑いの目に気付いたのだろうか、「俺じゃない」という感じで、私の怒りの眼差しから視線を次々に逸らしていった。
私は逆上した。何だこいつら。この期に及んでシラを切るつもりか!そうはいかないぞ!ここから逃げられると思うなよ!ここまで証拠はそろってるんだからな!
私はさらに逆上したが、いや、落ち着け!落ち着くんだ。私は逆上しながらも、頭の中は冷静になってさらなる毒ガスの発生源の特定に努めた。毒ガスの発生状況から、つまり、地獄のような激烈な腐臭の発生状況から、容疑者は私の右方向の人物で間違いない、という結論に達した。冷静になって、よくよく考えてみると、「すかしっ屁」は私の右の方向から臭ってきたのだ。
私はそれまで正面にのみ向けていた顔を右に向けてみた。すると、まさに、その位置に、最重要容疑者が存在していたのであった!私は、ロングシートの座席の一番端っこに座っていたのだが、その座席の端のすぐ右の真横に、シートに身体を沈めて頭を下げていた私の顔に尻を、毒ガスを噴射した肛門を向けて立っている人物がいたのだ!
こいつで間違いない!私は容疑者の特定に至ると「お前かあ!」といった感じで容疑者を怒りに満ちた眼差しで見上げた。
果たして、そこに立っていたのは女子高生の美少女であった。
女子高生の美少女は、まるでギリシャ彫刻のように、ピクリとも動かず立っていた。その視線は、車内の空中のある一点を見つめて、全く動いていないように見えた。夏の暑い日のギュウギュウの満員電車の中で、女子高生の美少女がいるその場所だけが、不自然に時間が止まっているように見えた。
この女子高生の美少女は、学校からの帰り道なのであろうか。はたまた、私と同じように受験生で、塾から自宅に帰ろうとしているのであろうか。
ただ、残念ながら、そこに存在する、あらゆる状況証拠から、この「すかしっ屁」という毒ガスは、地獄のような激烈な腐臭は、私の顔のわずか数センチ先に存在していた、女子高生の美少女の肛門から噴射された、という事で間違いなかった。そして、残念ながら、その地獄のような激烈な腐臭の噴出口は、いまだに私の顔のわずか数センチ先に健在で、残り香を漂わせていた。私は、この私の顔のわずか数センチ先の噴出口から、女子高生の美少女の「すかしっ屁」を直撃で浴びたのだ。
私は困惑した。先程まで、あんなに逆上して燃え盛っていた怒りのやり場が虚空を彷徨っていった。
そして、なぜ、夏の暑い日のギュウギュウの満員の車内であるにも関わらず、地獄のような激烈な腐臭の「すかしっ屁」であったにも関わらず、妙に皆、騒ぐ事もなく、静かにしていたのかを理解した。
おそらくは、女子高生の美少女が「すかしっ屁」をした直後に私がむせかえって、周囲の人々は「何だ何だ?」となったはずであるが、その原因が女子高生の美少女であると察すると、ただただ静かに臭いが鎮静化するのを待っていたのだと思う。私がむせかえらなければ、ギュウギュウの満員電車で「すかしっ屁」を誰が噴射したかの特定など出来る訳ないのだから、そのままウヤムヤで済んだはずなのであった。
おそらくは、女子高生の美少女は、どうしてもオナラをしたくなり、ギュウギュウの満員電車で誰にも気付かれないように、頑張って音の出ない「すかしっ屁」をしたはずなのに、私がいきなりむせかえったものだから、いきなりバレてしまったと、そのショックで硬直して、ギリシャ彫刻のように動けなくなってしまっていたのかも知れない。
帰宅ラッシュのギュウギュウの満員電車はそんな人々を乗せながら、夏の暑い日の夜、変わらずガタンゴトンと揺れていた。
私はただただ「何を食べたらあんなに臭いオナラが出るのか」と考えを巡らせながら、再び満員の電車に揺られるのに身を任せていった。
これが私が初めて毒ガスレベルの地獄のような激烈な腐臭の「すかしっ屁」に襲われた話である。(りんりん 2026/7/31)

(寸評)人によっては「へへへっ、女子高生の毒ガス、いっただきま〜す!」とスーハーしていた趣味の人もいたかもしれない。
もしくは女子高生の毒ガスだと思ってたら、女子高生の具が噴出されてたら...。趣味の人は至福の時を迎えるかもしれないね。6ポイント。

はじめての地区のお祭り☆カラオケ大会

たった今、地区のお祭りではじめてカラオケ大会に参加してきました。今、ベンチで休憩しながら、記事を書いています。
ジッタリン・ジンの『夏祭り』を歌おうと思って、カラオケにも通って練習したのに、機械に歌がありませんでした。おじいちゃんたちからの代のカラオケマシーンだったから昔の曲ばかり。
急遽『学園天国』を歌いました。練習なしのぶっつけ本番だったから、曲と歌のタイミングがズレたりして恥ずかしかったです。 しかし、気にせず突っ走りました。
地区の人たちはノッてくれていたみたいで、嬉しかったです。
来年も頑張ろうかなぁヽ(`▽´)/(インディゴ青山 2026/7/31)

(寸評)フィンガー5だったら「恋のダイヤル6700」をラジオ番組で知久君とふたりで熱唱した思い出があるな。確か静岡のラジオだったから、聴いた人は少ないだろうけど。4ポイント。

初めての救急搬送

救急車で初めて搬送されたのは25歳の時。仕事中にシャンパンの空き瓶で頭を殴られ流血(詳細略)、周りにいた人が119通報してくれて車中の人となりました。そして初めて救急隊員にかけられた言葉は「頭ってたくさん血が出るんだよね〜」確かにその通りで出血量の割に傷は浅く、チャッチャと縫われてサッサと家に帰りました。傷跡は小さなハゲになっており、今も時々触って当時を懐かしんでいます。(わにこ 2026/7/18)

(寸評)詳細を知りたい...。一体何故殴られたのだ!? しかも仕事中にシャンパンの空き瓶!? そっちが気になり過ぎる〜。 6ポイント。

初めてのマジックショーのアシスタント

大学時代、ボランティアをしていた子供の施設で、クリスマス会のマジックショーのアシスタントを頼まれました。「わかりました!」と元気に返答し、「何すればいいですか?」「あ、取り敢えずここに入って」と指さされた先には正方形の箱。
よく見ると四方の壁と蓋に細長い穴がたくさんついている。マジックショー定番の剣をぶっ刺すあの箱でした。
(え、私刺される?)と狼狽えながら箱に入ると、「あ、しゃがんて座ってください。えーと、横から剣を入れるので、中で引っ張って反対側の穴に通してください」の指示。
(え、引っ張る?通す??)反芻してる間に横から剣が差し込まれてきたので慌てて摘んで対角の穴に誘導する。それを何度も繰り返すが、剣を全部刺しても体には当たらないようになっており、私は剣に囲まれて身を縮め箱から出られる時を待ちました。そのリハーサルは問題なく行われ、いよいよクリスマス会本番。マジックショーが始まると、箱の中で私が刺されたと思い動揺する子供たちもいたが、最後に箱から飛び出すと歓声と拍手を浴びて大成功。忘れられない初体験でした。
あの箱、ほんまよくできてます。(わにこ 2026/7/18)

(寸評)おお、そんなこともやったのねー。チャイナドレスかなんか着たのかな?
でも俺だったら閉所恐怖症だから耐えきれずに途中で「オギャー」って飛び出てしまうかも...。6ポイント。

はじめての人間の死に際

2026年4月27日の昼過ぎの事。人間の死に際を観るという初体験だ。

実は前日の夕方から病室に泊まり込んではいたものの、27日朝に一回自宅に戻る。ところが、午後1時半頃に、血圧低下という連絡を受けて病室へ。

「まだちょっと早いかなあとは思ったんですけど」という看護師さんの言葉に、「いや大丈夫ですよ。今夜も泊まり込むつもりで来たので。」と言ったのだが。

その時点で俺の指で手首の脈拍を診ようとするも、ほぼ触れられなかったのだ。

1時間ぐらいが過ぎたころ、「心臓は動いてるけど呼吸はしてないですねえ」という看護師さんの言葉に、「逆に今夜は家で寝られる」と思った数分後、

「ピピピーピピピー」という警告音と同時に、「うわ止まった」と、俺と看護師さんの二人が同時に叫ぶ。

後で母親に、「あんたええかげんにしいや」と怒られる事になるのだが、悲しいとか逝くなという感情ではなく、「終わった」という思いだった。

そしてその夜は自宅で母親と二人で寝る事になる。つまり、母親との二人生活が始まったのである。(西大路 2026/7/18)

(寸評)お父様かな?徐々に亡くなっていく人の感想はそんな感じなのかもしれないね。
うちの母は当日まで普通に飯食ってて、夜中に嘔吐を喉に詰まらせての窒息死だったからなあ。まあもう体が弱っていて吐き出す力も無かったということで、老衰の一種の大往生だとは思っているのだけど、やっぱり突然だとちょっとビックリするよね。
母は自分の死期も「ぼちぼちだな」と分かっていたようで、数週間前には息子に葬式代渡すくらい用意周到な人だったけどね。7ポイント。

はじめてのコンタクトレンズ

うら若き10代の頃、せっかくのイケメン顔〔自称〕なのにメガネ着用ではもったいな~いと、コンタクトレンズを買いに行きました。お店の人にアナタはハードレンズが良いと言われてハードコンタクトレンズを作りました。ハードレンズは、柔らかいソフトレンズに比べて硬くプラスチックみたいなレンズです。ゴミが入ったら痛い..!

そのコンタクトを買ってすぐの頃に行ったBON JOVIのドーム公演では、「コンタクトで目がゴロゴロするな~」と思いながら観た記憶があります。そんな正直チョット苦手な初めてのコンタクトレンズとのお別れは、すぐにやって来るのであります。

日本列島に超大型台風が近づいていたある日、コンタクトを付けて友達と隣町の本屋さんへ自転車で出かけました。その本屋さんはCDの品揃えが良かったので、近所の店には置いていない洋楽アルバムがあるはずだと思ったのです。ということでルンルンで自転車を走らせていたら、「痛たたた!」..風が強いせいか目にゴミが入ってしまいました。おバカな私が、何も考えずにコンタクトを外してしまったその時です。指先に付いていたレンズが強風でぴゅ~~~っと飛んで行ったのです。しばらく地面を探し回りましたが、ナカナカ見つからないし友達も待たせているので、私は片目のコンタクトを諦めてお店に向かい、見える片目だけでCDを物色して購入したのでした..。

その後2回、付け心地が快適なソフトコンタクトレンズを買いましたが、コンタクトって付け外しや手入れが面倒くさいので結局メガネ楽ちんち~んとなって、コンタクト生活が定着することはありませんでした。おしまい。(ひももん 2026/7/18)

(寸評)俺は目だけは良くて数年前に測った時も両目1.2だった(ちなみに元たまのメンバーは全員目がいいという共通点があった)。
まあ、文庫本で小さい文字を読む時だけは老眼鏡かけるけど、今や老眼鏡って100円ショップでも売ってるから、気軽に失くせるよね(笑)。でもコンタクトも眼鏡も、慣れるまでは大変そうだよね。ご苦労様。5ポイント。

はじめてのレコード

私が生まれて初めて買ったのは、CD ではなく レコードです。
私が小学生の頃は、CD はまだ売られておらず、レコードかカセットテープが主流でした。お小遣いもわずかな額しからえないので、聴きたい音楽があっても、安価なカセットテープにテレビから流れる音楽を録音して聞くのが せいぜいでした。
昔ながらのテレビのスピーカー 部分に、ラジカセをべたっとくっつけるようにして音楽を録音したのよく覚えています。
そんな私が生まれて初めて買ったレコードは、実は光GENJIの『ガラスの十代』でした。小学校4年生の頃のことです。
テレビの画面でローラースケートでステージを駆け回る光GENJIをとても格好良く思ったものです。
その時の私の推しはもっぱら カー君こと 諸星和己くんでしたが、まさかカー 君がジャニーズに盾ついて 独り立ちを試みて、芸能界から干されてしまうとは思いもしていませんでした。
芸能界に闇があることも知らなかった子供時代の、ささやかな記憶です。
そんなジャニーズ音楽にハマっていた私が、その翌年には全く別の類と思われるたまさんたちにハマったのも、ミラクルな出来事だったかも知れません。(インディゴ青山 2026/7/3)

(寸評)俺が最初に買ってもらったのは、そのレコードですらなくて、ソノシートという簡易レコードのようなものだったな。「宇宙少年ソラン」だったかな。
光GENJIは実はちょっと付き合いがある。佐藤アツヒロくん、大沢樹生くんとは、別の演劇で一緒になった。特に佐藤アツヒロくんとは長期公演だったので一ヶ月くらいは毎日会ってたな。楽屋では下ネタが得意だった(笑)。俺がアイドルと縁が出来るなんて思ってもいなかったけどね。人生何があるかわからない。5ポイント。

はじめてのハピライン

先日、福井県にある縁あってお世話になっているお寺に、母親と電車とタクシーを乗り継いで行った。昨年まで車で30年以上行っていたのだが、運転役が今年4月に死んだための初体験だ。

一日分の体力を温存するため、行きは自宅にタクシーを呼んで京都駅まで、京都から敦賀まではサンダーバード、敦賀から先、武生まではハピライン(旧JR北陸線)、武生からお寺までは駅前からタクシーに乗って行ったのだ。

一連の儀式を終えた後、住職にタクシーを呼んでもらい、帰りはハピライン武生まで行き、敦賀駅西口から一回駅を出て昼食のためたまたま見つけたお店へ。その後は、サンダーバードではなく新快速で京都駅まで戻ってきたのだ。

何の面白みもない初体験のように思われたであろうが、俺が良いと思ったのは、ハピラインの敦賀から福井駅までの本数が、思っていたよりあったという事だ。

JR北陸線時代、特急で京都から芦原温泉まで行った事はあるものの、普通電車に乗った事は無かったのだ。しかも、途中乗り換え案内を聴いていて思ったのが、「普通少ないよなあ」だったのだ。そして今回、敦賀駅下車もハピラインも初体験だったのだ。

地元の方に聞くと、「北陸新幹線ができて逆に不便になった。敦賀で絶対降ろされる事になるし、タピライン武生と新幹線の越前たけふとは場所が違うからねえ!」

たしかにそうだ。今まで便利だった事が変わってしまえば、人によってはダメージが大きいという事は、バカな俺でも想像できる。しかし今回の初体験は、運転役が居なくなって公共交通利用が必須になった俺にとっては便利だと感じた体験になったのであった。(西大路 2026/7/3)

(寸評)俺もなんか印象で、北陸のその辺りは特急ばかりで、日常の足になる普通列車が少ないと感じてた。それが改善されたならいいのかもね。
今後、地方生活者に取って公共交通手段は必須。年を取って免許返納とかなると、本当に命に関わるからね。これからの日本の交通インフラはどうなっていくんだろうね。5ポイント。

はじめてのハイトワゴン

以前、軽自動車ネタで盛り上がったという話を書いたが、今回は軽四ではないものの、使い勝手の良い人気の小型車の話だ。
今回取り上げる車の乗車初体験は昨年9月下旬で、大阪豊中から新御堂や中央環状(中環)などを通って、名神京都南まで走り、僕の自宅まで送ってもらったという走行だ。乗車定員は5人だがその日は4人乗車で僕は助手席に乗せてもらったのだ。

さすがだと感じたのが、660の軽四のエンジンと1000のこの車との違いだ。やはり静かで加速も良く、ハイトワゴンと呼ばれるタイプの車だけあって圧迫感もない。ただ、同乗専門で生まれつき外の光がやっと見えるかぐらいの僕は、こんな表現しかできない。

ところでこの車、車体本体を製造しているのはダイハツだが三社から販売されていて、どの部分からそのメーカーの物になっているかは調べていないのでわからない。またこのような兄弟車と呼ばれる車は、こんな会話で楽しむ事ができるのだ。

「トヨタルーミー乗った事あるか?」

「ルーミーはないけど、スバルジャスティやったら昨年9月に乗せてもらったで。勿論今のジャスティ。でも、鍼の患者さんが昨年12月にダイハツトール買ったし、俺の周りはこれで二台や!」

「40年ぐらい前か、ジャスティ懐かしいな。でもそれやったら俺がルーミー買ったらおまえの周り三兄弟そろうなあ」

この場合、長男(長女)に当たる車は、製造メーカーの車になるのか?最も売れている車になるのか?(西大路 2026/7/3)

(寸評)車には疎いので分からないけど、視力がほとんど無いと、逆に乗り心地とか音とかに敏感になるかもしれないね。今度、車はともかく目をつぶって歩いてみようかな。事前に危険が無いことを確認した上でね。5ポイント。

初めての変態お漏らし体験

たまにインターナショナルなフレンドからEメールが届きます。
「Hi!変態野郎!オレはすんごいハッカーだよん!ユーの歓喜に震える姿を録画したった、世界中にばら撒くぜOK?...(中略)...つきましてはビットコイン800$(高ぇな!)で手を打とう!」ってな取り引きを持ちかけられたりするんですが......今回初めて、その文中にリアルなパスワードが盛り込まれていて一瞬、oh my gosh !!ヘナヘナ〜ってなりかけました。
 チェックしたところ、そのパスワードを使っていたサービスはもう存在していないものでした。存在しない理由が前代未聞の約480万件の顧客情報の漏洩で廃業ってことで......漏れた理由もわかり実害もありませんでしたが、その事件は今から7年くらい前のこと。今頃になって影響があるとは、なんとも恐ろしい時代になったものです。(へびのかわ 2026/6/19)

(寸評)ネットはまだまだ発展途上のところがあるから気をつけないとね。と言っても何を気をつけていいのかもサッパリわからんのだが。いろんな注意事項はネットで調べよう!? 6ポイント。

はじめてのN-ONE話

この話を読んで「何が初体験やねん」と思われるであろう方に、先に記述しておく。軽自動車の話で女性と一番盛り上がったという初体験だ。

男で生まれて、好きになる対象も女でありながら、男の気持ちや感覚が理解できない事に苦しめられてきた。そんな中、俺の言いたい事を書いてくれていると思った本の一つに、
片山修著 奇跡の軽自動車
がある。車の開発に関する部分は専門性のある話なのでうなずくしかないのだが、使い勝手から販売方法そして、特に夫婦の客同士の会話など、まさに女になった感覚で読めてしまうのだ。俺は基本、車は軽自動車からスポーツカーから高級セダン トラックバスまで何でも好きなのだが、自身が運転手を雇って車を買うなら軽四しか考えられず、家族に乗って欲しいのも理想は軽四だ(これを書いてる時点で車は無し)。

そんな中、今年4月に78歳で死んだ親父が最後に乗っていた車が、2015年式のホンダN-ONEだったのだ。3年前の7月に中古で買い、今年3月まで乗っていたのだ。その一台前にもN-ONEを中古で買おうとしたものの、広告で出ていた物が先に売れてしまい、別の軽四を買ったという経緯があり、俺としては最後がN-ONEになって良かったと思っている。

ここでやっと本題に入るのだ。

これを書いている1週間ぐらい前つまり、6月8日の夕方、雨の中京都市内を自宅に帰ろうと歩いていたら、一人の女性に声をかけられたのだ。「買い物しようとしてたんですけどどのあたりまで行かれますか?京都市内に先月越してきたばかりでよくわからないんですけどねえ!」

と言われて連れて行ってもらう事にした。よく聞いてみると、それまで四国で働いていて実家は滋賀県彦根市、でも彦根から京都の職場に通勤するのは距離があるので京都に住み始めたと言うのだ。

そんな話の内容から車は必須と思いネタをふってみたところ、「N-ONEに乗ってます。最初にローンを組んで買ったのが今の車です。」と言われたので、上に書いた親父の話をしたところ、「そうだったんですね。めっちゃ嬉しいです。周り、N BOXに乗ってる人は多いですけどN-ONEめっちゃ嬉しい」

ちなみにこの女性のお母さんの車が、親父の前の車と同じ車種だとわかってこれまた嬉しそうだったのだ。

こんな話からわかっていただけると思うのだが、車好き同士はこんな話になる。それだけでなく、俺はかなりの距離をその女性に連れて行ってもらっていたのだ。

「西大路四条、西大路松原、西大路五条、西大路七条。この道、西大路という名前の通りですか?六条はないんですか?」

「六条通はあるけど西大路六条はないなあ」

楽しいそして、大変有り難いひとときであった。(西大路 2026/6/19)

(寸評)趣味が同じ人とする会話って本当に楽しいよね〜。俺の周りにももっと空き缶コレクターが欲しい...。5ポイント。

はじめての女子寮

これは、私が生まれてはじめて実家を出て女子寮に入ったときの話です。
既にご存知のことと思いますが、私は看護師をしていましたが、准看護学校→高等看護師の道を進んできました。
准看護師というのは、都道府県の医師会が立ち上げた資格で、即戦力として働けるように仕事をしながら学校に通い、資格を取るシステムになっています。
准看護師学生として職場に勤めるさいに、病院に備えていた女子寮に入ることにしました。
その女子寮が、なんとなんとにゃんとにゃんと、病院を大きく建て変えるまえの元病院……。なんと、1室開かずの間がありまして、そこは霊安室になっていたそうです。それどころか、風呂場の入口には、『手術室』のライトがついていました。入浴時に電気をつけると、『手術中』のランプが赤々と点灯するのです。
部屋は、一年生は和室の相部屋を割り当てられました。十畳ほどの広い部屋だったので、ふたりで利用するには充分な広さでした。同室者も、わりとさっぱりした感じの子だったので、気が楽で助かりました。
私のひとり暮らしのはじまりは、そんな女子寮からでした。(インディゴ青山 2026/5/30)

(寸評)俺も病院の受付のバイトを長期間やってたから、なんか雰囲気わかる。途中で建物が新築になったけど、それまでの古い病院の霊安室の前はやはりちょっと不気味だったなあ。霊感は無い俺だけど、一番なんか変なオーラを感じたのは、実際は死亡するケースも多い外科とかじゃなくて、何故か産婦人科だった。6ポイント。

はじめての高熱

私は石川さんとは反対で、菌にも嫌われているのか、ほとんど感染症にかかりません。37℃前後の微熱が続いているので、けだるい毎日ですが、高熱にはなりません。一度だけ40℃以上の高熱を出したことがあります。子ども達がもらってきた水疱瘡にかかったのです。みんな子ども時代に発症しているので、軽症ですんでいますが、おとなになると大変です。真夏なのに、寒くて寒くて、電気毛布と電気アンカを引っ張り出してきました。意識朦朧、夢うつつの中で、寒い寒いと震えながら、高熱に耐えていました。たった一度だけの高熱にうなされた体験です。娘の旦那さんもよく熱を出しています。娘は「おとなの知恵熱」だと言っていますが、繊細な男の人は大変ですね。(nanzan27 2026/5/18)

(寸評)40度以上の熱は今でも年に3回ぐらいは出すなあ。子供の頃は水銀の体温計のメモリ42度を超えて出ちゃって、医者に「この子は今夜が峠かも・・・もし生き残っても脳障害が残るでしょう」と言われた。
その脳障害の結果がこんなのになっちゃいましたー(笑)。5ポイント。

はじめて会った有名人

私は群馬生まれ 群馬育ちで、早々に有名な人に会うことはありませんでした。
私が生まれて初めて会った有名人は、加納典明です。私が千葉県で働いていた頃、勤務先の病院の人間ドックに来られました。毎年その病院で人間ドックを受けられているようです。
どこでどうやってつけてしまったのか、大きな傷跡を肩から胸元にかけてつけていました。「トラにひっかかれたんだよ」と本人は笑っていましたが、実際どうだったかは不明です。
毎年病棟のうちの誰かがサインをもらうことになっていて、私も一度書いてもらったことがあるのですが、どこかへやってしまいました。加納典明さん、ごめんなさーい。
だって私、 グラビア写真集なんて興味ないし。(インディゴ青山 2026/5/18)

(寸評)俺は誰だろう・・・コンサート以外だとレコード屋さんに挨拶回りに来たところを偶然見た、岩崎宏美さんかな。すんごく小さくて驚いたな。アイドルは小さいぞ。5ポイント。

はじめてのヤーさんからキスを迫られた

それはまだ、私が純朴な看護学生の頃でした。
当時はまだ少しも 取り締まりなどをしていなかったので、当時 私が住んでいた 群馬県にはそこら中にヤクザさんがいました。
この話は、以前お話しした、私がまだヤクザさんとの言い争いをするより前のお話です。
当時は極道の女たち という映画が流行っていたこともあり、私もヤクザという存在は知っていましたが 具体的にどんなものかは 知りませんでした。
私は病院で働くようになってから、背中に入れ墨の入ったヤクザさん達がポツリポツリ 入院することがありました。ヤクザさんとは言っても、やはり人間ですから 病気もすれば 怪我もします。
看護師の仕事のうちに、動けなくなった患者さんの体を蒸しタオルで拭くという作業があって、各病棟に割り当てられた看護学生さんは全部で4人ぐらいずついたのですが、誰もヤクザさんの背中を拭こうとは思いませんでした。
仕方がないので、大体において 私が拭きに行っていました。当時は金曜ロードショーを日テレで毎週やっていて、忠臣蔵 なども配信されることがありました。私は歴史について 大して知らなかったんですが、ヤクザさんの背中を拭いている時に そうした忠臣蔵や侍の師弟関係についてなど聞いたりすることもありました。
それで、私の方も 初めは緊張してたのですが、何度か顔を合わせているうちに、大して怖いとも感じなくなっていきました。
そしたら ある朝、トイレで患者さんの検尿のカップを集めている時に、いきなり顔馴染みのヤクザさんに声をかけられ、「チュウしようや」と迫られました。
当時の私は、まるっきり 恋愛に関しても経験値がありませんでしたし、ふざけてるのだろうと思って「こんなトイレで何を言っているんですか。私は仕事中ですよ」と適当に笑ってあしらいました。
そのヤクザさんとは、それ以降何の関係も持ちませんでしたが、うっかりキスしてたら私は人生の足を踏み違えていたかもしれません。(インディゴ青山 2026/4/30)

(寸評)「チュウしようや」が実は聞き間違えで「チュウシャしようや」(覚醒剤を打とうや)だったら、もっと怖かったかも...。6ポイント。

はじめての突発性難聴

2026年3月16日深夜お風呂から上がった後に気付いた。「あれ?左耳が聞こえないな」

そのまま気にせず夜のコインランドリーに行きました。

3月18日いつもの病院コースで整形外科に行き、H先生にその旨を伝えました。

駅近くの耳鼻咽喉科の診察券をなくしたと言ったところ、

「K先生は3月31日いっぱいでおやめになるから。」

そう聞いたので他の耳鼻咽喉科を探しました。その日の午後練馬区役所近くのM医院を受診しました。

診察で左耳をほじくられ、

「痛い痛い」と言ったところ、耳垢が詰まっていると診断され、耳垢水を処方されました。

左耳に薬を入れると、綿棒で大量の耳垢が取れました。

3月24日再びM医院を午前中に受診しました。そこで聴力検査を受けました。

M先生は仮面ライダー響鬼が使うような音叉を左耳に近付けました。でも左耳は音を聞き取れませんでした。

診察の結果「突発性難聴」。紹介状をもらったものの、板橋区の大学病院に2時間以内で行くミッションは大変でした。

大学病院で処方箋をもらい大量の薬を手に入れました。ちょっとしたオーバードーズの状態です。

4月7日再び大学病院に行き、まず聴力検査を受け、脳のMRIを撮りました。

次に処方された薬は3食後に飲む量で済みました。

4月8日今度は右足の太ももが痛くなり、4月10日整形外科に行きました。

レントゲンを撮ったところ骨に異常はなく痛み止めの薬と湿布をもらいました。

問題なのは4月12日のホルモン鉄道のライブです。朝「名探偵プリキュア」を見た後、都営大江戸線で東中野で降り、

吉祥寺に向かいました。そして吉祥寺の商店街を回りました。ヨドバシカメラに行った後、mandala2に向かいました。

入口の看板のスマホで撮り一度mandala2を離れました。再びmandala2に行くと、ズミ天さんに会い「秘密のプレゼント」を渡しました。newguineaさんにはヤシの実サイダーを2本渡しました。

午後4時開場したのでいつものコーヒーフロートを注文しました。激辛メキシカンピザを食べた後、開演。

演奏が始まったものの、石川さんと大谷氏の歌声が右耳では8割左耳が4割しか聞き取れませんでした。

ライブ後超熟ホルモン鉄道のCDに大谷氏と石川さんからサインをもらった時、実は左耳も聞こえなければ右足の太ももも痛かったのです。今回のライブは結構苦痛でした。

5月に板橋区の大学病院でMRIの結果が出ます。脳に異常ななければいいのですが・・・。 (ももか777 2026/4/30)

(寸評)ありゃ、そんな症状だったのね。全然気が付かなかった。歳を取るとどうしてもいろんなところに不調が出るのは俺も経験済み。無理が祟ったり、効かなくなったりね。どうか快癒しますように。6ポイント。

初めての昔々のデモ

最近、「戦争・改憲反対」のデモの映像をよくみかけます。ペンライトや可愛く装飾を施したプラカードを手に、自分達の主張を訴えています。まるでライブのようです。シラケ世代の私は半世紀前に一度だけ、デモに参加したことがあります。大学に入学した時にはTVで見ていた激しい学生運動は終わっていました。あるサークルの部屋に顔を出した時、他の大学から来ていた学生に誘われて、東京でのデモに数人の女子と一緒に行くことになりました。いったいどんな主義主張のデモだったか覚えていません。名古屋から夜行列車に乗って翌朝、東京駅に着き、そのまま日比谷公園に向かいました。春なのに夏のような日差しが降り注ぐ暑い日でした。いつ終わるかわからない長い長い演説を聞かされてから、次に向かったのは新宿。そこにはジェラルミンの盾とこん棒を持った機動隊の人々がズラーと並んでいました。そこでジグザグ行進をすると言われ、女子が真ん中に集められ、男子が女子を挟むような形でスクラムを組み、ジグザグ行進が始まりました。私の体は宙に浮き、アッチに行きコッチに行き、機動隊に近付き、あまりの恐怖でパニックになりました。いつ終わったのか、どうやって東京駅に戻ったのか全く記憶がありません。夜行列車の固いボックスシートで死んだように眠り、目が覚めたら名古屋に着いていました。私の人生で一番長くて恐ろしい一日が終わりました。(nanzan27 2026/4/21)

(寸評)俺はデモ駄目なんだよなー。例えその主張が同調するものであっても。集団で行動することが苦手。集団になると、いつの間にか自分の主張と微妙に意思が乖離して、それでも従わなくちゃいけないところが。なので俺は個人でやりまーす。6ポイント。

はじめての発表会

以前、初めての習い事でエレクトーンを習っていたことを書いたのですが、今回は、発表会でのことを書いてみようと思います。
私がエレクトーンの発表会に出たのは小学校1年生の頃のことでした。
小学校1年生というのは、人にもよるのでしょうが、緊張するという感覚がほとんどないものです。練習もろくすっぽ やらなかった私の発表会での課題曲は、曲名も内容も覚えていないのですが、少しも難しくない簡単な内容だったということはおぼろげに記憶に残っています。
ところが、生徒さん みんなで合唱した時のお面についてだけは 鮮明に覚えています。何の歌を合唱したかも 覚えていないのに。
その合唱のために 先生から鹿のお面を用意するように言われておりました。私以外のみんなは、可愛らしい バンビのお面をつけていました。私はと言うと……。何を考えたのか、父親がシートン動物記の鹿の絵を参考に、かなり いかつい 本格的な雄鹿のお面を作ってくれたのでした。しかし ぼんやりしている私は、その 鹿のお面が他のみんなと違っていて恥ずかしいとかそういうことも特に考えなかったと思います。
ともかく 周りのみんなは 可愛らしい バンビのお面で、私だけが恐ろしい形相の雄鹿のお面をかぶっていたことだけはよく覚えているのです。
せっかくのエレクトーンの発表会の思い出だというのに、音楽については何ひとつを思い出せず、そうしたお面の記憶だけが鮮明に残っているのでした。(インディゴ青山 2026/4/21)

(寸評)ははっ、ファンタジーの中にひとりだけリアルな怖い鹿。見てみたかったなー。そういうの大好き。6ポイント。

はじめてのルゥを使わないカレー

さて 王様にも書きましたが ここ最近 小麦や油の料理が体に合わない
かといって カレーは食べたい(ルゥのカレー食べたらおなか壊した)

というわけで赤缶のカレー粉を使ってカレーを作ってみようという塩梅です

材料は
豚肉 少し多め
カットタマネギ(冷凍) みじん切りとスライス 適量
チキンスープの素 適量
豆板醤 甜面醤 オイスターソース 各適量
にんにく しょうがチューブ ちょこっと
ごま油 ちょっと
カレー粉 多め
水溶き片栗粉 大匙二を同量の水で伸ばす
何?適量が多すぎるって? いいじゃん

とはいっても作り方は ごま油でにんにく しょうがを熱して 二種の玉ねぎを放り込んで炒め いい塩梅になったら肉入れて  これも焼けたらカレー粉を多めに入れて炒める

いい塩梅に炒めたら 水を入れ チキンスープの素を溶かし沸かす 味付けに 豆板醤 甜面醤(甜面醤は砂糖でもよし) オイスターソースを加えさらに煮る

混ぜて煮込んだら とろみ付けに水溶き片栗粉を入れ とろみがついたら完成
実はこの工程で包丁は一切使ってません
フライパンでできます

しかも時間も10分かかるかどうか

好みで野菜をプラスしたり 肉を大豆とかに変えてもおいしいかも

一度お試しあれ(ズミ天 2026/4/21)

(寸評)おっ、マメだねー。俺はその材料揃えるだけで頭がクラクラする(笑)。まあ、妻はやっているのだけれどね。そこまで俺は料理に興味が無いんだろうね。作れる人は作ってみたらどうでしょう。5ポイント。


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