ドキドキドキリコ初体験(107)

さて、このコンテンツは初体験を告白するページだ!
・・・と言っても、Hな事ばかりが初体験ではないぞ。世の中は、初体験のことで満ち満ちている。それを報告してもらいたい。例えば立ち食いそば屋に初めて入った初体験、母親を初めて背負った初体験、ファンレターを初めて書いた初体験、ビンタをくらった初体験、万引きで捕まった初体験・・・。大きな事でも、些細な事でも、アホアホな事でも何でもいい。
 最近した事、昔の事、とにかく「初体験」にまつわるエピソードを送ってくれい。メールの題名は「初体験」で。ペンネームもな。ポイントは内容によって3ポイント〜∞(無限大)だ。ドキドキしたその時の様子を報告してくれい!

初めてのCardi B〔キャーディービー〕

Cardi Bというアメリカ合衆国で活躍している女性ラッパーがいます。2015年頃からインターネットで活動を開始し、2017年にメジャー契約して出したシングル盤がビルボードHot100の首位を飾り、ドミニカ共和国出身で初めて1位を獲得したアーティストとなりました。
しかし、私はCardi Bが女性ラッパーだということを知ったのはつい最近、2022年7月のことでした。それまで私は2017年くらいからCardi Bをそれが誰かも知らずに何となくTwitterでフォローしていたのですが、いつもものすごく下品な文言を出鱈目にラップしている動画をアップしているので、もしかしたらあっち側の世界の住人ではないかと疑っていたのです。彼女のラップは思ったことをそのまま表現しているだけのストレートなライムを持っていて、「まじ狂人じゃね?!」と思わせる存在だったのです。世界的な人気アーチストとは、どう見ても思えなかったのです。でも人気アーチストなんだな、という方向で彼女を見てみるとそう思えるから不思議だ。
そんな最初は生活のエロい日常をただがなりたててラップしているだけの気狂いだと勘違いしていたが、実は世界的有名な女性ラッパーのCardi Bの話でした。(波照間エロマンガ島 2022/8/15)

(寸評)その人は知らないんだけど、フランク・ザッパみたいなものでしょうかね? 天才は得てして幼稚な下品も好き。ホルモン鉄道もいつか世界を制覇したい! 5ポイント。

初めてのウィーンのマクドナルド

1985年2月〔22歳時〕、ヨーロッパ美術研修旅行の途中、イタリアのローマからバスや鉄道で陸路を北上し訪れた各都市で、神聖ローマ帝国におけるキリスト教美術が歴史的にどのように伝播していったかを実地に見聞しました。
東西統一前の西ドイツの各都市を経て、オーストリアのウィーンに到着しました。ウィーンではこの旅最高の体験のひとつ、グスタフ・クリムトの妖艶世界のタブローを肉眼で邂逅した体験があったわけですが、ヴェルべデーレ宮殿内にあるウィーン国立美術館へ行った帰り、近くのマクドナルドでお茶をした体験も何故か忘れられません。それまでイタリア、西ドイツの各都市では古いカフェばかり行き、最初はよかったのですがしだいに食傷したからか、ウィーンでは最初クラシック様式なコーヒー店には入らず、友人たちとマクドナルドに行こうか、という話になったのだと思います。

そのマクドナルドでは、顔立ちから見てインド・西アジア系の店員たちが切り盛りしていました。小腹がすいていたので夕食まではまだ数時間あったのですが、わたしはハンバーガーとフライドポテト、コーヒーを注文しました。
気がついたのは、できあがったハンバーガーとフライドポテトがインド・西アジア系の味がしたこと!日本で食べているのとは明らかに異なる香辛料が使われていたのです!!カレー風味のフライドポテトだったのです。
この体験はなぜかそれから37年以上経った現在も、強く印象に残っていますね。そのとき感じたのは、アジアとヨーロッパは陸続きで、この何百年のあいだに人間、文化をはじめ、香辛料なども交易の商品としてシルクロードを伝わっていったのだなぁ、と実感しました。この現地で得たファーストイムプレッションってけっこう大事なことだと2022年8月の現在、思い当たります。(波照間エロマンガ島 2022/8/15)

(寸評)マクドナルドの基本は「世界どこでも同じ」はずだけど、フランスはトイレを使うのにレシートを見せないと入れてくれなかったな。6ポイント。

初めてのスペース

Twitterのスマホ版の新機能 スペース
スカイプのグループ通話みたいな感じです

確か一年前 とあるフォロワーさんがテスターに選ばれて 特撮に関する話題でトークするというもの
初心者の私も緊張しながらおしゃべり
私にハードルを合わせてお話してくださいました。
とても楽しい時間でした。
それからもこのフォロワーさんとは何度かお話させていただきました。

他のフォロワーさんともお話したり しまいにゃ自分で部屋を立ててお話することもあります。
やっぱり私はなんだかんだでしゃべることが好きなみたいです。(ズミ天 2022/7/29)

(寸評)スマホ版ということはパソコンではダメなのかな...。4ポイント。

初めてのディープフェイク自作

ディープフェイクとは、ディープラーニング技術を活用して作成された合成メディアです。その人が実際に行っていない動作をしたり、実際口に出していないことを発言したりしているかのように描くことができます。とあります。

私は某所の合成サイトで石川さんの顔写真と某ゲームの挿入歌を混ぜたパロディ動画を作りました。
画像を放り込んで、ボタンを押すだけでインスタントで作れるものです。
作ってみましたが さすがうまくいきました。

しかし公に晒せるものではないので、youtubeの非公開にしてあります。(ズミ天 2022/7/16)

(寸評)なんだー。見せておくれよー。4ポイント。

初めての忌野清志郎

そういえば 初めて清志郎さんを聴いたのはいつだろうと考えると
「ちびまる子ちゃん」のED「宇宙大シャッフル」をLOVEJETS名義で歌ったのを聴いたのがはじめだったと思います。
最初は奇妙な歌い方の人だなぁという程度でしたが、徐々にはまっていきました。

その後、清志郎さんがガンになり死去し、youtubeが生まれたころ、タイマーズの伝説のテレビ放送の動画を見て打ちのめされました。
その後、雨上がりの夜空やサン・トワ・マミー、ヒッピーの捧ぐなどを聴きはまりました。

今はタバコがでてくる「ぼくの好きな先生」がお気に入りです。

やっぱりかっこいいなぁ・・・(ズミ天 2022/7/16)

(寸評)俺が最初に聴いたのは中学生くらいだったかな。まだフォークテイストの時のを深夜ラジオで聴いて「この人、面白いな〜」と思った。その後ロックに転身して大成功し、俺も上京してからライブ観に行ったなあ。
その後、楽屋でふたりきりで2時間過ごすことになろうとは(笑)。
今でも最高にカッコいい先輩っす! 5ポイント。

初めての伊集院光 深夜の馬鹿力

高校生の頃、確か東日本大震災があった前後にラジオを聴くブームが起こりました。
その中で、youtubeにあがってた 伊集院光さんが「さよなら人類」を替え歌で歌ってるのを見てこんな面白いラジオがあるのかと思い聴きました。
radikoの存在も知らなかったので、当然生でラジオに耳を傾けました。

子供脳の私でもわかる話術。これには今でも引き込まれてます。
活字本が読めない私でも、伊集院光さんのお書きになったエッセイ「のはなし」シリーズは読めます。

好きなコーナーは 現行で不定期にやってる「あの歌はこう聞こえたらもうおしまい」。 こう聞こえたらおしまいレベルの聞き間違えを募集するという建前で珍奇な替え歌を送ってもらうコーナーです。
これは外れなしです。特に一時期はやった「忍者ハットリくん」シリーズや「長渕剛の乾杯」シリーズは傑作ぞろいです。
ぜひ聴く機会があったら聞いてみてください。

ちなみに読まれてないけど 今でも投稿は続けてます。(ズミ天 2022/7/16)

(寸評)俺もリアルタイムじゃないけど毎週、聴いてるー。
ズミ天がズミ夫と読まれたりしてるのをクスクス笑いながら。6ポイント。

初めてバックパッカーを外に持ち出した

10年前に買って今でも愛用しているトラベルギター マーチンのバックパッカー。

家で弾いてたのですが、妹からの舌打ち、親父のテレワークが重なりなかなか弾けなかったのです。

我慢できず隣町のカラオケ屋に録音機材とともに持ち込み 歌を録音しようと考えました。

思えば トラベルギターなのに家でばっかり使ってました。今回始めて外に持ち出しました。

そんなこんなでカラオケ屋に到着。

さっそくカラオケのボリュームを下げて録音機材のスイッチをオン

  カラオケ屋だから仕方ないのですが外から漏れる音が微妙に入ります

内蔵マイクを絞り ギターを弾くとそこまで気にならない。

先にギターを録音し その後 ギターの録音を聴きながらボーカル録音。

飽きたらボリュームを戻してカラオケ。

結果 5時間で5曲録音できました。

カラオケ屋で録音する難点はどうしても外部の音が少し入ってしまうこと。

この日はヤンキーがガンガンに歌ってたので負け路とギターをかき鳴らしていました。

5時間歌いっぱなしは疲れますね。流石に。

帰宅後 曲を褒めてくださった方に音源を送って聴いてもらいました。

結果は よくなってる!

嬉しかったです(ズミ天 2022/7/16)

(寸評)俺も持ってる。基本的には家での練習用として使ってるな。小さいから場所を取らず便利だよね。5ポイント。

はじめての搬送

先日、とある家具店でショッピング中に急に具合が悪くなり倒れました。
意識はあったのですが、吐き気と痺れで立てなくなりその場で倒れ込んだのです。立ち上がれずにいたら子連れの女性が声をかけてくださり、店員さんを呼んできてくださいました。店員さんは自分のエプロンを外し、それを枕がわりに私の頭の下に敷き、責任者に連絡を取り、車椅子の手配をしてくれました。
そうこうしているうちに責任者が駆けつけ、車椅子も来たのですがどうにも立ち上がれず。結局救急車を呼ぶことに。その間皆さんが、ずっと背中をさすったり、優しい言葉をかけ続けてくれていました。
もう情けないやら、申し訳ないやら、優しさが滲みて泣けてくるわ。このコロナ禍で、もしかしたらコロナ感染者かもわからない私に手を差し伸べてくださった皆様の優しさに本当に感謝しかありません。
結局、搬送先で血液検査をしたところ、特段血液に異常はなく「過換気症候群」でしょうとのこと。手の痺れは酸素が行き届かなかった為。確かに呼吸が落ち着くと手の痺れも吐き気も治りました。
朝もしっかり食べていつも通りに過ごし、全くそんな予兆もなかったので何故こんな事になったのか自分でもびっくり。
いやー、外出先で倒れるなんて初めてでした。
そして、助けてくださった皆様に心から感謝しております。(ひーちょけり 2022/7/16)

(寸評)それは大変だったね。ひーちょけりさんが何歳かは分からないけど、年齢とともに、今までだったら起きなかったことが起こるよね。気圧の変化などには注意してね! 6ポイント。

初めてのピーポーズに参加

小中時代、たまのアルバムを聴いて育ち、四半世紀。

ライブに高校時代から足を運び、約20年弱。

そんな自分が、石川さんの誕生日ライブのバックに立つ日が来るなんて、全く予想だにしていなかったのです。

きっかけはツイッター。主催者のヒロポさんが「ピーポーズに参加してくださる方を募集します」とツイートしていたので、「まだ募集しているようでしたら、ハンドロールピアノで参加したいです」とメッセージを送ってみました。すると、「ピアノ(キーボード)がいてくれると助かります!」とのお返事があり、2つ返事で参加があれよあれよと決まりました。

2日前のリハを経て、当日は2時間早く会場入り。すると、他の出演者の方々のリハも垣間見ることができました。その場で石川さんには「まだ入ってきちゃ、ダメだよっ」との洗礼を浴びましたが;

音の確認をしたところ、お店のスタッフさんがハンドロールピアノの置き方でいろいろとアイディアを捻りだしてくださって、「出演者が多ければ多いほど、気を遣わせるもんだな…」と、気を揉んでしまいました。一方で、出演者のトモフスキーさんが自分の持ってきたピアノが物珍しかったようで、初対面にもかかわらずフレンドリーに声を掛けてきてくださり、ガチガチだったところで幾分か気がほぐれました。

以前ファイブクエスチョンに「初めてライブに臨むミュージシャンに一声かけるとしたら、何と言いますか?」には「ステージでやろうと思っていたことのうち、10分の1もできれば運がいいと気づけ」と答えていらっしゃいましたが、まさに正鵠。いくら人前に立つ仕事をしていたとしても、すんなりできるかはまた別の問題。いろいろとやろうと思っていることがあっても、いざ本番を迎えるとあがってしまい、飛んでしまうものです。

また、万一ドジってしまえば自分の中でトラウマというか黒歴史になってしまい、それ以降はライブに足を運ぶのが億劫ともなりえたわけです。かつてとあるライブの終演後、客で来ていたフォロワーのAさん(仮名)が会場のピアノを何気なく弾き始め、自分を含めたほかの観客がその歌を合唱、演者だった方も演奏に参加するという一幕があったのです。Aさんは自分なんぞに比べれば音楽には遥かに精通した方で、その際の演奏も若干とちった以外は素人目線では美そのもの。他の方々からも「これからは終演後にAさんの演奏を恒例化しよう」ともてはやされるほどだったのですが、1曲丸ごとではなく1番だけで終えてしまっていました。数年後、ライブ会場にてAさんにこの話を振ったところ、ご本人にとっては黒歴史で、その店には気まずくてしばらく足が向かなかったと、はにかんでいました。(内容が内容なので、ご本人のプライバシーに配慮し、これ以上の詳細は伏せます)

幸い、自分はこの日、目に見えるドジは踏まずに何とか終了(ピーポーズの他の方々に助けられて、あまり負担の大きな演奏にならずに済んだのもありますが)。終演後にヒロポさんからは「あなたにしか出せない音があるから」とのお言葉を頂きました。気になったところと言えば、生誕祭のうたのソロパートで自分の弾けるレパートリー(ハッピーバースデーとラッタッタ)のリズムが違ってたのと、尺が不足気味だったところでした。ハッピーバースデーはちゃんとご本人の耳に届けるのが礼儀だろうとのことで、終演後に再度披露させていただきました。

そのほかは最前列の方々へのクラッカーの配布や鳴らすタイミングの相談など、わずかながら演出の裏方にも携わりました。自分が身を置いてきた業界の性格もありますが、今回の出演者の方々のうち、坂本さんと佐藤さんはステージを直接見ており、それまで見てきたライブでパフォーマンス力にあやかってきたおかげかもしれませんね。

ただ、最後のセッションの際、石川さんが坂本さんから養生テープを張って出演者全員で大団円を巻こうとしたところ、自分の所でテープが尽きてしまった瞬間がちょい気がかりでした。「アンタはこういうのは今年1回こっきりにしておけ」ということでしょうかね…?(Hi- 2022/7/16)

(寸評)事前に話を聞いてなかったので、リハーサル時にHi-が店内にいるのを見て、咄嗟に「開場時間を間違えて入ってきちゃったのか!」と思ったんだよね。まさか共演者とは思わなかった!
初めてのステージにしては上出来だったんじゃないかな。「全裸で〜」の頭のピピピピッは重要でバッチリ聴こえて気分良かったよ〜。7ポイント。

初めてのスタジオリハ

さて、前述のようにライブハウスのステージへ上がるということは、ほかのピーポーズの方々とのリハーサルがあるわけです。都内のとあるスタジオでリハーサルが予定されており、来られるかとの旨のメッセージが届き、足を運びました。

ただ、そもそもの話、スタジオという空間自体、足を踏み入れたことのないエリア。ライブを控えたミュージシャンという、今まで数十年間目にしてきた方々の裏方が見られる場所でもあるわけです。当初は自分なんぞが場違いな存在に思え、若干緊張しましたが、約束の時間より若干早めに赴いて受付で名前とスタジオ番号を言ったところ、すぐに通してもらえました。入ってみると、一部屋ごとの練習スペースが狭めな以外は、公民館と似ているなとの印象でした。

そしてほかのピーポーズの皆様がお見えになり、ジュークボックスやギターに合わせてリハに加わりました。自分はこの中で一番音楽に疎く、楽譜も読めなければ耳コピもままならない状態だったので、お荷物にならないよう、せめて動画のある曲で音階ぐらいは手に覚えさせておこうと考えて、当日を迎えました。ほかの方々は演奏予定曲のコード進行や難しさを熟知していて「簡単なのから練習をやろう」という雰囲気でした。ド素人な分、他の方が「あ、ドジった!もう一回!」との声の際、「あれ、完璧だったんじゃない?どこがマズかったの…?」というモヤモヤに何度か襲われました。ライブを終えた演者のツイッターで「ドジを踏んでも、言わなきゃバレないものだよ」とのお声がけもあったとのツイートを目にしたこともあり、これが演者の心理なのかとも気づかされました。

そして、いざ始まると皆様が自分に配慮してくださってるのか、いろいろと音のアドバイスやら感じやらで「こうしましょう」とのお言葉が。音感云々では自分も素人なため、ここは自我にこだわらずに全体の音を作り上げるのに資するのが賢明と判断して、終始借りてきた猫モードに。終わってから譜面をLINEで送ってくださった方もいて、全員でいいものを完成させようとの心意気が伝わってきて、当日は自分もドジれないなと、気を引き締めました。

一方で、たま時代の曲の構成については自分のほうが詳しいと思われたようで、「ここはどんなコーラスが入りますか?」との質問を受ける場面も。また、当初は3曲目と4曲目の2曲のみの参加のつもりでしたが、その前の「2曲目にも参加してくださいよ」とのお声がけまでされたのです。「えっ、いいんですか?」との感じになりましたが、「同じ音を出しててくれればいいです」とのことですんなり決定。1曲目にも「参加しますか?」と振られたのですが、流石に当日、自分のメンタルが持つか心配になってきたので、「この曲は皆様の完成度が高くて、自分の入り込む隙はないですよ」と、辞退しておきました。

そんなこんなであっという間に3時間が経過。自分の楽器はコード1本を差せば済むものだったので、他の方々の配線の片付けも進んで少し手伝いました。帰宅後は緊張のせいか、爆睡。来年も参加できるようならば、少しは耳コピ力と体を慣らしておきたいものですね。(Hi- 2022/7/16)

(寸評)俺は「リハーサルに出ない男」だからなー。常に「即興でいいよ」と、パスカルズもMont.Barbaraも、他の人はきっちりライブと別日にリハーサルしてるのに、俺にはその日程すら連絡来ない。グータラな俺は楽させてもらってる〜。6ポイント。

初めての授業

初めてのころの授業ってどんなんだと思いますか?

多くの人は「時間が足りない」か「時間が余る」のどっちかだと思います。

私は「時間が余る」方でした。とにかくレジュメとか教科書進めても終わってしまう。

じゃあ「ここで終わってあとは雑談」が一番いいのでしょうが、一度「終わり」というと生徒はもう聞いちゃくれません。なので授業のまま終わるのがベストです。

学生の場合はそれなりに大人になっているので静かにしてくれます。

ワタクシはネタもそれなりに持っている方だと思うんですけどねえー。

50分も90分(100分)も大変だと思いますよ。

今まで星の数ほど50分(45分)も90分(100分)も受けているはずなのに、さすが先生たちは凄かったんだなあと思ってしまう。もう一度授業を聞きいたくらい。自分が受けた授業や講義はそんなに時間が余ったような感じじゃなかったものなあ。上手くいかないものですね。

広報・ガイドの時は持ちネタとか行くところとかどんどん追加できるし逆に足りなくてネタを飛ばしたり歩く場所をカットしたりできるのに。(わいわい 2022/7/1)

(寸評)ライブだと、曲はだいたい「この曲は4分」とか分かるので時間計れるのだけど、間のMCや即興演奏は熱が入ると全然時間がわからなくなる。
なので最近は時計を置いて、後半は押してたら一曲飛ばすとかもやってる。もっとも事前にスタッフに演奏曲を提出しておかなければならないこともあるので、そんな時は(時間によりこの曲は飛ばす可能性があります)とかリスト表に書かなければならないこともあるねー。5ポイント。

はじめてのダブルクラッチ

2022/6/17の五十嵐アキラさんの「はじめてのダブルデート」からインスパイアされ、想起した初体験を投稿します。
1986年、大学3年から4年にかけての春休みに美術研修旅行でヨーロッパ一周旅行から帰国して数ヶ月、旅行に参加したメンバーでスライド&ビデオ上映会を友人の実家の焼肉屋さんで行なうことになりました。この焼肉屋さんは東京新宿歌舞伎町にあり、テレビで歌舞伎町を紹介するとき必ず資料映像で映る「歌舞伎町一番街」と書いた看板のすぐ横にある店でした。
個室のお座敷宴会場には20人近くの仲間が集まり、たらふく焼き肉を食らい、1ヶ月もの間一緒に旅行した仲間たちとの楽しい想い出を振り返って超盛り上がりました。

会が終わり、私は自宅が同じ方向の友人に車で送ってもらうことになりました。グラフィックデザイン科のMさん〔女性〕です。今回の旅行で知り合い、旅先でも結構一緒に行動した可愛い女性でした。私は淡い恋心を抱いていたこともあり、送ってもらえるという申し出に心の中で小躍りしたい気分でした。
酒を飲まないMさんは駐車場から車を取ってきました。それはトヨタのカローラレビンでAE86というタイプのスポーツカーでした。私は彼女のキャラだともっとキャピキャピした車を想像していたので、カローラレビンが登場した時はちょっと意外でした。そして微かな不安が出てきました。その不安は間もなく適中することになります。

Mさんはめちゃくちゃな走り屋だったのです!!ペダルを見るとブレーキパッドが改造してあり、アクセルを踵で踏み、同時にブレーキをつま先で踏むことのできる、いわゆる「ダブルクラッチ」仕様になっていたのです!
アクセルを踏むと急激なトルクの加速感、スピードを落とす時にはシフトをニュートラルにしたまま回転数を落とさず、ブレーキとアクセルを同時に踏んでシフトダウンを高速で実現、またドリフト走行も当たり前で、キリキリキリとカーブに突っ込んでいきました。私はMさんへの恋心は吹っ飛び、「今目の前にある危機」をどうしようかで頭がいっぱいになりました。思わず声を出しそうになりましたもの。でもMさんは平気の平左で、危険走行をしている意識はまったくありません。私は自宅に着くまで怖くて怖くて仕方ありませんでした。
そして、ようやく自宅に到着して車を降り、彼女とバイバイした時には、へなへなと崩れ落ちそうに足が震えていました。恋心は完全に冷めました〔笑い〕。そんな「はじめてのダブルクラッチ」体験でした。(波照間エロマンガ島 2022/7/1)

(寸評)ほー、俺も18歳で原付に乗ってた時、原付って30kmしか出しちゃいけないのに、いつも80kmでかっ飛ばしていて、一度路面凍結でセーダイにすっ転んで「あ、こりゃ俺、運転に向いてないやー」で免許捨てちゃったんだね。
あと友達の運転で東京から静岡県の三島まで一時間切ってドライブしたこともあり、あれも相当ギリギリだったなー。6ポイント。

はじめてのダブルデート

初めてダブルデートをしました。
相手はおバカや初体験で度々書いている友達(以下、彼女)とその彼氏です。(お時間許す方は、おバカ「恋愛応援隊長」「パンツが一瞬見えた」初体験「布団が血塗れ」をご覧ください…)

きっかけは「彼女の恋人であるそいつはどんな男だ?」「ろくでもないやつなら許さない」という気持ちが私と私の彼氏の間で高まったことです。
もちろん、他の友達の彼氏がどれだけしょうがなくても、今まで4人で会ったことはありません。

まず、彼女経由で話を持ちかけると「別にいいよ」とのこと。別にってなんやねん。一言余計だな。
どんな男だか、最悪のパターン(半グレのようなやつが来る、会話が不可能なレベルのコミュ障等)を想定しつつ、当日会うと彼女から聞いていた通りまさに「普通の男」が来ました。

意外と会話に困ることなく、サラッと優しい発言が出たことがあり、「ああ、私は優しい言葉をこういう風にサラッと言えてないんだろうな」「ふざけんなって言葉ならすぐ言えるんだけどな。」といい意味で反省することすらありました。

しかし、移動の途中で後部座席に座る二人は、私たちの目を盗んで(?)頭を撫で撫でしていることに気づいてしまいました。普通にルームミラーに映るんじゃ!運転手として気が散りまくりなんじゃ!
私はそれを見て胸の奥がキュッとするような何とも言えない嫌な気持ちになり、途中で自分の彼氏にだけ断ってトイレに駆け込みました。
そこで気づいたことは、ただ嫌だっただけでなく嫌な気持ちの奥底に謎のムラムラが確実にいたことでした。
二人を旅館に送ると、奴らは私たちに手を振って後ろを向いた瞬間に手を繋いで入っていきました。
私の彼氏は「きっとずっと触りたかったんだね」と言い、私は「見せつけてるだろ!w」と言いました。
後部座席で私が確認できたこと以外もしてたのか、とか、絶対旅館でそういうことするだろとか改めて思い、何とも言えない気持ちが爆発しそうでした。

彼女の言動も、去年は「海は行きたくない」と行っていたのに海を見て「水着を買うのが楽しみ」と言っていたこと、いつもはバンバン私の写真を撮ってくれるのに今日は彼氏の写真ばっか撮ってること、やっぱ何とも言えない気持ちになります。どんだけ好きなんだ。そして、勝手に友達に変な感情を抱いて彼氏のことどんだけ好きなんだってうんざりしてる自分の畜生っぷりにも悲しくなります。こりゃ友達少ないわ。でもこれも自分だなと割り切って生きていこうと思います。

今夜は訳あって義実家(彼氏の実家なので明確には違いますが)にて寝た後カップル二人を駅まで送り届けます。それにしても義実家でオナニーすることになるなんて。

あ、石川さんに「恋愛応援隊長」でコメントいただいた「彼氏の方を好きになる」フラグですが、あり得ません!
迎えに行った時、改札を出た二人から彼女を引っぺがして(?)ハグして確信しました。やっぱ私は女好きです!w (五十嵐アキラ 2022/6/17)

(寸評)いろんな感情が渦巻く場面ってあるよね。自分でもわからなくて「これは今、私はどういう状態だ???」ってこと。
そういうのも、やがていい思い出になればいいね。7ポイント。

初めて高級香水を買った話

ここ最近、ものすごく香水にハマるようになりました。
それまで何個か持っていたことは持っていたのですが、三千円以上するものは高いと思い、手を出しませんでした。
しかし、メルカリというものを始めてあぶく銭が手に入り…。

私は以前からディプティックというフランスのメーカーの香水が欲しくて欲しくてたまりませんでした。オシャレで憧れている知人女性が付けていたからです。しかし彼女の付けている香りは私には合わなそう。なので、せめて同じメーカーで、失敗しない香りは無いものか…と検索。
オイエド、と名のつく品を公式サイトより注文。一万三千円也。
「お江戸」をもじって名付けられた香水で、調香師も日本人。柚子を基調とした香りです。
買う前に色々調べたのですが、「これバスクリンの匂いだ!」という人がチラホラいました。
ならば、バスクリンを水で溶かしてぶっかければいいじゃないか。
いや、それじゃあ駄目なんです。どうしてもオイエドがいい。

注文して数日後、届きました。
仰々しく包装されたおフランスのお香水。一生こういうものに縁がないと思っていました。
ドキドキしながら手首に一吹き。
  これは!確かにバスクリン!しかし、バスクリンに色気と高級感を足した、なんとも言えない香りです。まるで貴族の風呂上がりのようです。
ボサボサ頭に変なTシャツ、色気もクソもないのに、香りだけは貴婦人。
いいんです。寝る前に付けて自分で楽しむだけですから。(こういう文化を寝香水といいます。)朝には香りが消えています。
香害に苦しむ人が多い昨今、自分のためだけに香水をつける密やかな楽しみ。当分辞められません。

そういえば、石川さんは長髪時代にオーデコロンを付けておられたそうですが、どんなものでしたか?(くっすん 2022/6/17)

(寸評)高校時代はオーデコロン付けてたね〜。というか周りの友達も付けていたので、なんとなく付けるものだと思ってた。
上京してライブハウスに通うようになって出来た友達には、誰もオーデコロンなんて付けてる奴はいなくて「そうだよな〜。この見栄えでオーデコロンはないわな」と辞めた。
でも、自分の為のちょっとした贅沢は気分がいいよね〜。是非楽しんでねっ! 6ポイント。

初めて記憶を失うまで飲んだ

新松田のホルモン鉄道の終演後、みなさんと一緒にお酒を飲んでいました。
マスターが気前よく 濃いめに作ってくれたのでベロベロにできあがっていました。
そして気が付くと、目の前は見知らぬ道路。
また夢を見ているのだなと思って振り向くと感覚がある。
どうやら酔っ払ったまま歩いていたようです。
グーグルマップを見ると最寄り駅は辻堂。
それでも歩いて三時間。
タクシーを拾うお金もないし、気が付けば深夜2時。
しかたなくあてもなくまっすぐ歩くことにしました。
するとやっとこ見えました。辻堂駅。
液の中でグースカ居眠りして始発を待ち、藤沢経由でお家に帰りました。

しかし気になるのは、私はライブ会場で迷惑をかけてなかっただろうか。
そしてどうしてあそこまで歩いて行けたのだろうか。
その二点が今でも気になります。

ちなみに歩き疲れた結果、3日ほど腿が痛かったです。(ズミ天 2022/6/7)

(寸評)新松田から辻堂って、普通に歩ける距離じゃない(笑)。
でも安心して。帰り店を出るまで一緒だったけど、いつものズミ天で、別にシラフの時と変わらなかったよ。もちろん何の迷惑もかかってない。
それだけライブが盛り上がって楽しんでくれたのかと思うと、嬉しいよ!
その後電車に乗ったと思ってたのに、驚異の展開に、8ポイント!

初めての国民年金一括払い

前回の旅行の投稿でも述べたのですが、今年は脱サラして、貯金を切り崩しながら在宅ワークを開始しました。

旅行のほか、まだ貯金に余裕のあるうちに、一度やりたいことがあったのです。

それは、国民年金の一括払い。


サラリーマンをやっている間は毎月の月給から年金なり健康保険料なりの社会保険料が差し引かれているのですが、それが自己負担になりました。

健康保険はともかく、国民年金は将来自分が受給できるかがわからないため、どちらかと言えば払いたくないというのが正直なところでした。

ただ、財産や収入がある状態で払わない場合、動産などの差し押さえもあるため、せめて払うならちょっとでも安く上げたいものでした。


そう思っていたところに、払込書が到着。

毎月分とまとめ払い分のが入っていましたが、1か月分の支払いを安上がりにするには、1年分をまとめてポンと支払ったほうがお得だとのことでした。

最大でこれからの2年分、まとめて払うことができるとありましたが、確定申告などの点も考え、1年分の支払いを決定。

ただ、その一括払いができるのは5月の上旬までという、ちょっと性急にも思える期限がありました…。


ひとまず、口座を持っている銀行の支店に向かい、手続きへ。

ATMで現金を引き出して、窓口で払うのかと思いきや、入って直の所に行員のお姉さんに声をかけられ、年金の支払いをしに来たと行ったところ、自動支払機での手続きに誘導されました。金融機関も振り込め詐欺防止のため、極力支店を訪れる人間には声がけをしてるのかとも思われましたが。

払い込み用紙の番号を機械に入力し、キャッシュカードを機械に入れて操作しただけですぐ終わり、払い込み用紙は使わずじまいでした。

こんな感じで、あっさり終了。


ただ、これから正社員にならない限り、また払い込み用紙が来年届き続けるわけで、それまでにまとまった収入が入るようになりたいものだな、とも思いました。

願わくば来年度も、今の水準の貯金を維持して、ポンと払って肩の荷を下ろしたくもありますね。

それに年金の金額も毎年変動するわけで、2年分まとめて払うのも一種のギャンブル。

毎月払うよりかは1か月分の負担額は安いものの、もし来年度の額が下がったら、悔しくて地団駄踏むことでしょう…。

せめて、自分の払った分が親世代以上の方々に役立ててほしいものでもありますね。(Hi- 2022/5/29)

(寸評)詳しくは言えないが・・・逃げ通せた・・・。6ポイント。

初めての動く歩道

私が生まれて初めて「動く歩道」に乗ったのは、1970年の大阪万博の会場ででした。
点在する各国のパビリオンの間に屋根付きの歩行者通路があり、そこにエスカレーターのような段差のない動く金属板に乗って水平に平行移動することのできるそれがあったのです!初めて見た瞬間、小学2年生の自分は衝撃を受けたのだろうな、と今となっては想像するしかないのですが、おそらくは衝撃を受けつつもすぐにこの現実を受け入れて平行移動していたのだと思います。
覚えているのは、動く歩道は地上2階か3階かの高さにあり、ガラスばりの窓の外が見渡せたこと。人工川が見えてそれに沿って地上にも遊歩道があったような映像が思い浮かびます。当時は日本中を巻き込んでの一大イベントだったので、たくさんの日本人がいましたわ。その人工川は本当は人が入ってはいけないはずなんだけど、どういうわけだかたくさんの人たちが水に入ってきゃっきゃとはしゃいでましたね。あれはなんだったのだろうな。
そんな初めて大阪万博で動く歩道に乗った想い出でした。(波照間エロマンガ島 2022/5/29)

(寸評)うごく歩道は「歩道」だから歩いてもいいんだよね。エスカレーターは歩行は禁止。埼玉県では条例で禁止もされてるんだよね。5ポイント。

騒いでいたら大事になっていたであろう初体験

小学6年生の頃、吹奏楽クラブでトランペットを担当していました。
顧問は60代の厳しい男の先生でした。

放課後練習中、「きちんと腹式呼吸ができているかチェックをするから来なさい」と先生に呼ばれそちらに向かうと突然手を引っ張られ身体を押さえられました。その後パンツの中にスルスルと手が。

もちろん違和感はありましたが、誰に言えるわけでもなく小学校生活を終えました。


私が今ノンセクシャルなのは、この出来事も関係しているのかなぁなんて考えます。(しのぶ 2022/5/13)

(寸評)そういう人を「先生」として仰がねばならないなんてチャンチャラおかしいよね。もちろん尊敬できる先生もいたけど、ごくわずか。あとは「大人という生物」の見本として、こちらが考える素材としての人間だよね。
今でももしその人が教職に留まっているなら、告発もありだと思う。8ポイント。

はじめての「怪しい探検隊」的焚火

つい先ほどあった出来事です。

「パーン」と「ポーン」の間くらいの軽いけれど抉るような音(阪神淡路や東日本の震災の揺れの前に感じた異音にそっくりでした)に驚いて家の外に出ると、塀越しの隣家の畑で焚火大炎上中でした。

そばに呆然と立っているおばあさんに事情を聴くと「小さいから大丈夫だと思って、カセットガスボンベを燃やした」って……すぐに消火して事なきを得ましたが、むちゃくちゃドキドキドキリコ体験でした。田舎って禁止されているのになんでもゴミ燃やしちゃうんですよね〜

椎名誠の「怪しい探検隊」で焚火にガス ボンベを投入するシーンを思いだして、これか!とわずかに感動してしまいました。椎名さんの場合は無人島だからよかったけれど…よくはないか…(へびのかわ 2022/5/13)

(寸評)若者がマネしそう。ボンベは怖いよね〜。5ポイント。

初めての家族に旅行をプレゼント

私事ながら昨年末で約3年勤めた職場を退職し、現在は勤務中の時期の節約で築いた貯金を切り崩しながら脱サラ状態で生活しています。

半年のうちにオンラインで始めた仕事が軌道に乗らなければ非正規でまた働くことを計画していますが、それまでの間に自分としても色々とやっておきたいことがありました。

その1つが家族に旅行をプレゼントするというもので、今年のゴールデンウィーク中に1泊2日で遠出をする計画を立て、両親と妹に 声をかけて、日程調整の末、家族総出が 決まりました。


行先は坂本九さんらが犠牲となった、日航機墜落事故の墜落現場の御巣鷹の尾根。

なぜここを選んだかというと、親類縁者で犠牲者がいるわけでこそないものの、自分の誕生日の1か月前の事故で、母の胎内越しにこの大事故のニュースを聞いたからか、飛行機がコントロールできなくなって迷走した上に山奥に落ちるという話が10代の頃に聞いた時は衝撃的で、かつ他人ごとに思えなかったのです。

2年前のお盆にも1人でレンタカーを借りて訪問したのですが、その際は父は「自衛隊機のミサイルに誤射されて尾翼が破壊されたために迷走が始まった」との都市伝説の1つの陰謀説を信じていて、前日になってついて行こうと申し出てきたほどでした(少なくとも自分は当時の自衛隊の関与が疑わしく思ってますが)。

最近は福知山線の脱線、関越道の居眠り運転でのバスの事故、そして知床半島沖での遊覧船の沈没など、公共交通での事故や、それから何年経過という見出しがニュースを飛び交う日々。

つくづく気をつけてほしいと、考えさせられるものですね。


かく言う自分も車の運転は10か月ぶりで、さらに高速道路での運転が約5年ぶり(海ほたるで鉢合わせた千倉での道中以来です)。

この翌月には家族の都合で車を売却して、ペーパードライバーと化していたのです。

なので、Youtubeのドラレコの映像で高速道路での注意事項をチェック(中国、韓国、アメリカでのものもありました)。

学生時代にはもらい事故の経験もあるだけに、慎重に慎重を重ねていきたいものだと思っていました。


結果、往復の道中のうち、行きの高速道路上で車線変更をしようとした際、左隣に別の車がいて、ぶつかりそうになるというヒヤリハットが1回ありました。

それだけとは言え、万が一接触していたら明らかにこちらが10:0で全額保障せねばならないだろうとのことで、その後少し精神的に引きずってしまいましたね…。


そして、墜落現場の山間の村に着き、事故の犠牲者の遺体が収容された体育館跡、慰霊碑が築かれた施設と資料館、墜落現場を1泊2日かけて回りました。

御巣鷹の尾根は携帯の電波も通じず、車以外の交通手段もない上、途中の道も深い木々に覆われ、台風による土砂崩れで川のへりが補修工事中だったり、トンネルの中で電気もついていなかったり、尾根のふもとに事故の再調査を求める署名活動の車が止まっていたりで、家族の所感も阿鼻叫喚でした。

そのふもとから30分ほどかけて歩いて登り、墜落現場へ。途中、案内で来ていた日航の職員や登山好きなトラックドライバーの方など、前回に1人で来た時よりも、多くの方との話ができました。

犠牲者全員の名前が刻まれた慰霊碑を見ていたところ、横で遺族らしき中年女性が鼻をすすりつつ「じゃあね、また来るね」とつぶやいている場面にも出くわし、心の傷が癒えていない方が今現在もいらっしゃるんだなと、身をもって感じました。


余談ですが、父は20代中盤で家業を引き継がないと言い出したために一度祖父に勘当された経緯があり、親戚と比べて金銭面で厳しかったことからあまり家族で海外旅行に行けず、自分の息子や娘に「広い世界」を見せられなかったのが悔やまれるとこぼしていたそうです。そのため、両親ともに「国際」志向が強く、自分も留学など、海外への分野に振り回されたところがありました。

ただ、それを聞いた自分としてはそんなどこを定義するかわからない曖昧模糊な「世界」よりも、身近に足を運べる国内のあちこちにもっと連れて行ってくれればな、という意識のズレを感じました。

今回のようにわざわざ国外まで足を伸ばさずとも、人生の振り返りや社会見学の一環として足を運ぶべき史跡(遺族の方々にこのような表現が相応しいかは悩みますが)もあるわけで、親ではなく子がこういう場に率先して案内するのも、何だか皮肉に思えましたね。(Hi- 2022/5/13)

(寸評)俺が両親に旅行をプレゼントしたのは、山好きだったのでスイスだったな。母は初めての海外。それまで「外国なんて行かなくていいわよ」と言ってたのが、この旅行で一変。それから体があまり言うことをきかなくなるまでの20年間、毎年海外に出るようになって「人生変わった」と言ってた。
200万ほどかかったけど、良いプレゼントだったかな。6ポイント。

初めての教習車助手席

タイ在住のHです。
先日のこと。仕事で自動車学校に行く機会がありました。その時たまたま会社の社用車が車検で使えなかったので、往き帰りとも自動車学校の車で送迎してもらいました。往路はエスティマ〔サロンカー〕の後部座席に座ったのですが、所用を終え復路はピックアップトラックの助手席に座ることになりました。車に乗ると足元右側に何やらぺダルがあります。私は「これは何ですか?」と質問しました。すると送迎ドライバーは慌てた様子で答えました。
「あ、それフットブレーキです。危険ですから踏まないでくださいね。教習車で練習中の生徒が危ないときそれ踏んで車停めるんで」
なんと!わたしは教習車で送られたというわけでした。何も事情を知らず間違えてフットブレーキ踏んでたらやばかったな、と冷や汗かいた瞬間でした。しかし教習車を平気で送迎に使ってしまうアバウトさ加減がタイなのですが。ピックアップトラックの荷台に人が乗ることなんて当たり前ですしね。そういえば何年か前タイ北部チェンライ県に住むタイ人の友人宅にチェンマイから一泊旅行した帰りに、バスステーションまではピックアップトラックで送ってもらったのですが、前方の座席に乗り切れなかった某モダンガールとご主人は荷台に乗らされたっけなぁ〔笑〕。(波照間エロマンガ島 2022/5/13)

(寸評)免許も持っていず、まったく車の運転ができないのだけど、ある時インディーズ映画の撮影で車の運転席に乗るシーンがあり、何気なく足を置いたらエンジンかかっていて、アクセルで車が走り出しそうになって焦った思い出があるなー。5ポイント。

はじめてのパンク

こんにちは。2022/4/25のひーちょけりさんの「はじめてのパンク」を読み、ある初体験を想起したので投稿します。わたくしのは「はじめてのパンク」と言っても自動車のパンクではなく、PUNK ROCKのほうの初体験。
あれは1978年3月だったと記憶していますが、わたしは高校入学までの春休み期間中で毎日あちこちをほっつき歩いていました。その日は銀座界隈に繰り出していました。すると通りかかった音響機器メーカーのショールームであるテクニクス銀座がなにやら騒然とした雰囲気となっていました。人だらけでドアが開きっぱなし、通路にまで人が溢れていたのです。そこに来ていた人たちはみな髪の毛を立ててレザー系のパンクファッションを決めていました。なんと、その日は日本でも流行の兆しを迎えていた英国のパンク・ロックグループのSEX PISTOLSのファンクラブの結団式だったのです!!その前年1977年にピストルズの話題を中学でしたのは記憶にあったので、名前を知ってからもう半年以上は経っていたのだと思います。わたしはなんとなく来ている人たちをもっとよく観察したいという誘惑に抗しきれずに会場の中に吸い込まれるように入っていきました。会場のテクニクス銀座の中ではでは大音量でSEX PISTOLSの「GOD SAVE THE QUEEN」がかかり、代表の女性がなにやら大きな声でお客さんを扇動するような荒っぽい言葉で説明していました。「へぇ、ピストルズも日本で有名になったなぁ」と感心しました。その数週間後に始まるわたしの高校時代は、今から振り返ると陰々滅々とした暗い日々で、英国発のパンク&ニューウェイブ音楽にはかなり刺激を受けまくったので、この日の体験はわたしにとっての「はじめてのパンク」記念日だったと言えるのではないか、と思います。セックス・ピストルズは好きでしたが、あとからそれが仕掛け人のマルコム・マクラレンやビビアン・ウェストウッドなどのマーケティングの上に成立しているのを知り、かなりがっかりしたものでした。あ、別のトピックに書きましたが、ピストルズ解散後にジョン・ライドンが結成したPILは本当に好きで1983年に中野サンプラザにライブを見に行ったほどでした。そんな「はじめてのパンク」の話。(波照間エロマンガ島 2022/5/13)

(寸評)俺もあのファーストアルバムはかなり聴き込んだ。でも確かにアレンジとか、かなり綿密に組まれてるよね。ピストルズ以外のパンクバンドはどれもピンと来なかったけど。もちろんPILもサイコー。6ポイント。

はじめてのパンク

先日、夫のお迎えに行こうと車で走り出したところ、なんだか変な音がする。そしてハンドルが妙に左にもっていかれる。「もしかしてパンクしてる!?」と思い、Uターンして家に戻りました。そして、車から降りて確認すると案の定タイヤがパンクしていました。急いでJAFを呼び、近くのオートバックスまでレッカーしてもらうことに。オートバックスまでの道のり、レッカー車の助手席に乗せてもらったのですが、見晴らしが良くてなかなか楽しかったです。初めてのパンク、初めてのレッカー車でした。そういえば、前回も車トラブルの投稿をした気がする…!!(ひーちょけり 2022/4/25)

(寸評)パンクに気づかなかったら、ずっと左に回転してたのだろうか。レッカー車とかトラックって見晴らし良くて、なんか優越感あるよね。5ポイント。

はじめての事故

遡る事十数年前。運転免許を取って半年くらいの事です。運転中、私の前を走っていたバスがバス停で停車したので、追い抜こうと思いました。まず、後方からの車が来ないか確認のうえ、右にハンドルを切り、追い抜こうとしました。しかしその時に私の車の左前方がバスの右後方にガリガリガリガリ!!!と、接触。私の車は左サイドミラーがパタリと畳まれ、左側面に長い擦り傷。助手席に座っていた母親が絶叫。バスには損傷ありませんでした。しかしバスに乗っていたお客さんは全員降ろされ、私のせいで次のバスを待つ羽目に。降ろされた方一人一人に「申し訳ありません」と順番に謝りました。夕方だった事もあり、急いでる方もいらっしゃらなかったようで、怒鳴られる事もありませんでした。なにより怪我をされた方がいなかったのは不幸中の幸いで。そんな心臓バクバクの事故の初体験でした。バスは硬かったです。(ひーちょけり 2022/4/25)

(寸評)不幸中の幸いだったねー。もし怪我人が多かったりしたら、大事故になってたもんね。大型の車には特に注意だね。6ポイント。

初めての(という自覚はないが)同じ時期同じ場所で時空間を共有していたはずだが、まったく存在を認識しなかった、のちの有名人ミュージシャン

私は1990年代の後半から2000年代前半にかけて、神奈川県横浜市中区長者町というところに住んでいました。通勤ではJR根岸線の関内駅を利用することが多かったです。駅を下車すると歩行者専用道のイセザキモールを通り、オデオン座ビルのある長者町通りを左折し国道16号線交差点と横浜大通り公園の緑地帯を横断し自宅マンションまで徒歩8分弱の道のり。イセザキモールには大型書店の有隣堂や百貨店のマツザカヤなど点在しており、早い時間だと寄り道したりしました。

同時期、閉店後のマツザカヤ前にてアコースティックギター2本でストリートライブをやっている2人組の若者が人気を集め、プロになった噂を聞いたのはそれから何年も経った後のことでした。彼らは「ゆず」という名前のグループで大人気を博し紅白歌合戦にも出場しました。コンビの一人はフジテレビの女性アナウンサーと結婚したとも聞きました。しかし、私は同じ時期に同じ場所を毎日のように歩いて通過していたものの、ただの一度もそこでストリートライブをしている若者など意識したことはありませんでした。そして2022年の現在に至るまで、私はゆずの音楽を一度も主体的に聴いたことはありません。そういう縁なのかもしれないですね。

長者町に住んでいた頃の音楽の想い出というと、横浜スタジアムで行われたLUNA SEAのライブコンサートの大音響が浜風に乗って私の部屋まで聴こえてきたこと。今調べてみると1998年8月9日10日とありました。なぜLUNA SEAのライブかわかったかというと、その日関内駅に黒づくめのマントを着た集団を目撃し、マスコミで喧伝されていたLUNA SEAの熱狂的ファンであることを認識したからです。8月9日にあの装束はさぞ暑いだろうな、と思ったものです。
そんな私の人生とはまったくクロスしませんでしたが、同時期同場所にて遭遇していたらしい、のちの有名人ミュージシャンのゆずについて、でした。(波照間エロマンガ島 2022/4/25)

(寸評)俺も布袋寅泰さんとは同い年で、高崎の別の高校に通ってた。
高崎の町はそんなに大きくないから、道やレコード屋さんなどで絶対すれ違っていたろうけど全く記憶にない。もっともコワモテだったら絶対目を合わせなかっただろうけどね。5ポイント。

初めての運転中に仲間意識を感じる

運転免許を取得してまもない頃の出来事です。私は横浜市緑区藤が丘から市ヶ尾にかけての国道246号線の上り線を走行してました。すると対面の下り線をすれ違う自動車が何台もヘッドライトを点滅してくるではないですか。夜でもないのにどういうことなんだろう、と私は訝しみました。しかしまもなくその意味が判明しました。しばらく行ったところにある市ヶ尾の交差点近くで警察がスピード違反の検問をおこなっていたのです! 対面車両がライトを点滅していたのは「検問あるから気をつけろよ」という合図だったのでした。この場所は青葉台からずーっと長い直線の下り坂になっており、ついスピードを出してしまいがちな加速レーンだったのですね。そこを警察も知っていて違反車両を摘発していようと待ち構えていたわけでした。私は用心して制限速度まで減速したので、スピード違反でお縄にはつきませんでした。そんなわけで運転中に他のドライバーから「警察が検問やってるぞ、注意しろ」とシグナルを送られ、初めて仲間意識を感じたの巻き、でした。(波照間エロマンガ島 2022/4/25)

(寸評)それよくあるみたいね。俺も友達の車に乗っていて「対向車が点滅させた。この先に検問あるぞ」と。そして本当に検問があったなー。6ポイント。

視界ゼロメートル!濃霧で走行不能初体験

今から15年ほど前、私は夜間東富士五湖道路を御殿場市の須走に向かい走行していました。
東富士五湖道路というのは山梨県富士吉田市から富士山の麓の東側を周回し、静岡県御殿場市の須走まで通じている有料自動車道です。そのルート上には富士五湖が点在し、行楽シーズンには人出で賑わうエリアでした。その日は富士吉田市で所用を済まし、普段だったら河口湖インターから中央自動車道を上って東京に帰るところ、気まぐれで御殿場インターから東名高速を通って東京に帰ろうと思いつき、進路を南に取ったのでした。また、いつもは御殿場へは一般道の国道138号線を利用し、山中湖の沿岸を左に見て旭丘交差点を右折し籠坂峠を越えて須走に行くのですが、何の気まぐれかこの日は東富士五湖道路に乗ることにしてしまったのです。後から振り返るとこの選択は大失敗で後悔しました。

富士吉田からこの有料道に乗ると車の影はいっさいなく、イージードライブでスムーズに走れました。ところが、本当にあっという間の出来事だったのですが、ほんの30秒から1分くらいの間に突然前方に霧が発生し、視界がなくなってしまったのです。あらかじめ濃霧注意の情報はなかったのでこれは内心ひどく焦りました。ヘッドライトを照らされる前方風景が濃霧によってまったく見えなくなってしまったのです。道路沿いに立っているハロゲン灯もいっさい役に立っていませんでした。私の車にはフォグランプを装備してなかったのでこれは運転ができない状況であると判断し、路肩に車を停めてハザードランプを点け、その場で霧が晴れるのを待ちました。いやぁ、この瞬間は本当に怖かったですねぇ。富士山の麓とはいえ高度は1000メートル近くあったのでしょう、山の急変する天候を体験したのでした。
そこで30分近く停車して霧が晴れてきたのを見て、ようやく出発しました。そして心臓バクバク状態で高テンションのまま御殿場インターから東名高速に乗り換え、帰宅したというわけでした。それから以後は怖いので、私は東富士五湖道路は利用していません。用心深く国道138号線を使っているというわけでした。そんな生まれて初めて濃霧で視界ゼロになった恐怖体験でした。(波照間エロマンガ島 2022/4/25)

(寸評)俺も昔ハイキングでどこだか忘れたけど山に登っていたら、すごい濃霧。なんせ、前に出した自分の手の先が見えない!そんな状態で山道を歩くのは本当にビビったなあ。6ポイント。

高校同期で初めて海外赴任になった悪友を見送りに成田空港へ〔1990年頃〕

古い話で恐縮ですが1986年放送し大ヒットしたTBSドラマ「男女7人夏物語」のラストシーンで、アメリカに取材旅行に旅立つ大竹しのぶを成田空港に明石家さんまが見送るシーンがあったことをふと思い出しました。あの頃はまだ成田空港にはターミナルビルが1つしかなく、出発ロビーからエスカレーターで階下の乗客専用の出国ゲートにくだって行く設計になっていて、そのエスカレーターは乗客と見送り者の別れの場所であり、そこではさまざまなドラマが描かれていたんです。
あれは1990年頃だから27〜8歳くらいのときかな。その場所に高校同期の友人を見送りに行ったことを思い出しました。Hくんは優秀なサラリーマンで、旧財閥系大手商社に入社し数年でアメリカに赴任することになったのでした。高校時代からよく遊んだ悪友の中で初めて海外に転勤していくことになりました。そこには同僚や上司も多く来ていて、Hくんが会社から期待されていることをじゅうぶん伺わせるものでした。「海外赴任ってこんなに見送ってもらえるの?」と中小企業に勤めていたわたしはとても驚いたことを覚えています。時間が来ると皆さんの万歳に見送られて、Hくんはエスカレーターをくだって旅立っていきました。

ところが、です。Hくんは赴任したアメリカで啓示を受け一生の道を見つけるとさっさと会社を辞めてしまい、そのまま現地で家具職人に転職してしまいました。これには友人たちは皆驚きました。期待のエースとしてアメリカに行かせた会社の上層部はさぞや落胆したでしょうね。それから30余年、Hくんは相変わらずわが道を歩んで家具を作り続けています。
そんな初めて成田空港へ友人を見送ったときの話でした。(波照間エロマンガ島 2022/4/12)

(寸評)俺が子供の頃は海外に行くのって大変なことだったよね。親戚や知人などが皆、餞別を送ったもの。そして空港に見送り。餞別をもらった人には、もちろんお土産を買ってこなくてはならず大荷物だった。
今はひとりで行って、よほどの知人以外にはお土産も買わずフラッと帰ってくることも多い。感覚、変わったね。6ポイント。

初めての濃縮モンスターエナジー

会社の自販機に見慣れぬ飲み物が
それが三倍濃縮モンスターエナジー。
一口飲むと味が濃い。
ミニ缶じゃなければ飲みきれなかったでしょう・・・
しかし中毒になるくらい飲んでしまう。
一日3缶は飲みすぎだなぁ・・・と感じてしまいます。

石川さんはもう買いましたか?(ズミ天 2022/4/1)

(寸評)もちろん買ったが「ここぞ」という時まで飲むのは待っている。4ポイント。

初めてのコロナ検査

諸事情により、PCRか抗原検査を受けなければならなくなりました。違いが全く分からないので、適当に無料抗原検査をネットで予約、ドラッグストアーへ向かいました。このドラッグストアーが首都圏の私鉄のごちゃごちゃした急行も止まらない小さな駅前の道で駐車場もどこにあるのかわからないというよくありがちな場所でした。三回行ったり来たり、一方通行があったり、ぐーるぐる。交番に聞いたりしてやっと到着。受付時間ギリギリ。難しい説明を受け、鼻に綿棒を入れて、なんやかんやとキッド検査。やってみると単純じゃないか。CだったかTだったか、陰性! 陰性証明書をもらいました。

ってここまでは別に何ともないのですが、この陰性証明書の有効期限が明日まで。ええええっ、たった一日だけぇぇぇ? 確かに次の日には感染する可能性があるとはいえ、うーんこの・・・。

たとえば土曜に必要なら金曜に受けなきゃならんのか・・・。前日に予約が取れるかどうか分からないし仕事などで受けられない人だっているじゃないですかねえ。

うーむうーむ。(わいわい 2022/4/1)

(寸評)なんなら明日どころか検査の一時間後に感染することだってあるということだよね。意味があるのだろうか...。うーむうーむ。6ポイント。

初めてのスキー

北京冬季五輪も終わり、私が最初にスキーをやったのはどこか振り返ってみました。

それは群馬ではなく、北海道でした。

場所は「羊ケ丘展望台」という観光地で、夏行ってもよし、冬行ってもよし、素晴らしい景色の所なんですね。

クラークさんの像があり、その向こうにはポプラ並木があり、夏は羊が群れ遊び、冬は一面の銀世界になる。遠くに札幌の町並みが見えます。

時期は札幌雪祭りの時期ですから2月ですな。

雪祭りのときは牧場が歩くスキーのコースとなっており、記憶が定かではないのですが確か無料で、板とステックを貸し出していて、んー有料だったかなあ・・・、でそこで歩くスキーをしたのが最初でした。

一度もコケることなく見事完走。なおスノボはこれまで一度もやったことがありません。(わいわい 2022/4/1)

(寸評)小学生の時スキーやった。滑れたけど止まることが出来ず、転んで止まって足を捻った思い出。5ポイント。

初めてのスケート

北京冬季五輪も終わり、私が最初にスケートをやったのはどこか振り返ってみました。

それは中学の時、桐生市のスケート場でした。友達のお父さんに連れられて三人で行きました。

最初の時は足(エッジ)が内側に向いてしまい、上手く立てないのですね。刃が表面に対して垂直に立てずにインサイドで滑ってしまっているのです。

しばらくスケートにはまり、足利や桐生のスケート場に出かけていたのですが、ややしてまったくやらなくなり、社会人になって無料券を頂いたので高崎のスケートに久しぶりに出かけて見たら、昔取ったなんとかやらで結構滑れました。

最近はやらなくなってしまいましたが、またやってみたいなー。(わいわい 2022/4/1)

(寸評)小学生の時にやってみたけど、さすが不器用王、一度もまともに立つことも出来ず断念。スポーツ断念人生。5ポイント。


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