? 話題58 最初の記憶(2)

話題58 最初の記憶(2)

***レス(発言は古い順に並んでます)***


お母さんのお腹から出てくる時の記憶がある、という人の話を聞きました!言葉も分からないのにホントかなぁ?とにかく苦しかったそうです。 07/8/26 (Rio)

時々聞くよね。「光が差し込んで来るのが見えた」とかね。本当かどうかは誰も確かめようがないけどねー。 07/8/26 (石川浩司)

一度「キッチンでンコ」の記憶で投稿していますが、もっと薄い記憶でもうひとつ。
専門学校時代の遠足で青木が原樹海探検と洞窟探検をさせられ、観光整備されているほうでない本気のほうの深い地下へ伸びる氷穴へ降りらされ結構な怖い思いしながら降りて出てきたのですが、 洞窟の出口が出てきて光が差し、温度がふわっと変わった瞬間、私はこの感じ知ってるぞ!!!!と興奮したのです。
そう、生まれた瞬間の感覚だこれは!!と思い出したのです。
このことはその場で興奮して話したのですが、誰にも相手にされず笑われてしまいましたが、頭で考えたのではなく感覚が襲ってきたので、絶対に思い出したんだと思っています。普段は思い出せぬ記憶です。 07/8/26 (ことり)

産まれた時って目は見えてないはずなんだけど、光は感じるのかなぁ。 07/8/26 (石川浩司)

たしか2、3歳か4歳かな。まだ幼稚園にあがるもっと前、母親が洗濯してる時よじ登って洗濯機の水流、渦をみていて 頭からそのまま洗濯機の中に入ってしまった。というのがあります。死ぬかと思いました。すぐ母親が足をひっぱりあげてくれました。
あと その頃親父の職場は同時期に生まれたのが、僕と他に二人いて、日曜日かな。
ぽかぽか晴れた陽気の中、幼児三人で親と一緒に家の前近所の坂で座って、おやつに、カッパエビセンをぽちぽりぽりとほおばって食べていて、「ああ〜この幸せ、いいな〜ずっと続けば〜いいな〜」なんて思った記憶があります。もちその時の気分で、幸せなんて日本語は知らなかっただろうに。その時の写真は親のアルバムにあります。 08/12/29(新宿)

洗濯機で顔が渦を巻かなくて良かったね。  08/12/29(石川浩司)

2歳か3歳くらいの頃、乗ってたバギーごと倒れて地面(多分コンクリート)に顎を強打しました。
病院で、台に乗せられて傷を縫われたとき、痛くて叫んでたのを覚えてます。 でも、痛み自体は覚えてないので良かったです。。 09/3/1(ふう)

咽喉元過ぎれば熱さ忘れるからね。痛みとかは時間とともに忘れるようにに人のシステムとして出来てるんだよね。
神様、なかなか良いシステムを作ったな。いい子いい子。  09/3/1(石川浩司)

2、3歳くらいだったと思います。ベランダでヒヨコと遊んでいました。「ヒヨコはイタチに食べられちゃった。」と親から聞いた覚えがありつい最近聞いてみたら「あのヒヨコが育ってニワトリになったんじゃないの。うるさいって近所から苦情がきたから、離れた家の人にあげちゃったけど。」と言われました。都合の悪いことは覚えていない・・・ん?まるで年寄りじゃん! 09/3/1(秘密の座席)

隣の家の人が「板地さん」だったりして。  09/3/1(石川浩司)

きちんとした記憶で一番古いものは、なぜかお母さんに怒られた場面です。
そのときは怒られても何が悪いのかわかんなかった。
…今はわかる。笑 09/3/13(きよ)

そうそう「怒られた」という記憶はあっても、まだ善悪が本当には分かってないから怒られた記憶だけがポカンと残るんだよね。
俺もあったな〜。  09/3/13(石川浩司)

1歳のときひきつけを起こし入院しました。その時、病院で隣のベッドにいた男の子を覚えています。自分よりは年上で、水色のよだれかけをしていてそのキャラクターまで記憶にあります。よだれかけだけでなく、その男の子の顔もちゃんと覚えてます。 09/4/24(可南)

写真で後で見てそれで覚えてる気になっているんじゃなければ、なかなか凄いことだな。
ただ、その男の子の方は覚えてないだろうな・・・。  09/4/24(石川浩司)

おいらの最初の記憶は白い服をやたらに嫌がったことです。
あと、45という数字の入った服が大好きだったことです。
でもなんで白い服が大嫌いだったんだろう? 10/11/15(ぼくたち玉二郎)

それはね。
白いランニングを着たとある男が君が寝ている時、君の首をそっと絞めたからだよ。
そこで君は死後(45)の世界を見たけど、運良く戻って来られたんだよ。
そのランニングを着た男とは・・・。  10/11/15(石川浩司)

ふたつあります。2歳くらいのとき洋服ダンスの扉の鏡に映る自分に向かって話しかけている風景と、同じ頃住んでいた東京都大田区北千束の坂道の風景。よく遊んでくれた近所のオネエサンと散歩をよくしていたことを覚えています。 11/3/29(波照間エロマンガ島)

少なくとも俺は1歳まで住んでいたという東京都目黒区の記憶は一切ないな〜。
それでも出身・東京になるんだよなー。 11/3/29(石川浩司)

チェコで生まれアメリカに亡命した精神科医のスタニスラフ・グロフ博士という人が開発した「ホロトロニック・セラピー・セッション」というのを20代の頃に受けたことがあります。これは一種の催眠療法とでも言えばよいのでしょうか、瞑想をしながらどんどん自分の過去に退行していき、ついには自分が母の胎内にいてそこから出生の瞬間を再体験するというものです。
どんなことをするかというと、部屋を暗くしてマットレスに横たわり目をつぶります。スピーカーの人のリードにのって瞑想しながら、呼吸法(ブリージング)という深い呼吸と音響を合わせた独特の方法で脳の古皮質という部位を刺激していきます。以前はLSDを使ってこのマトリックスを再現していたそうですが、1970年代に全世界的にLSDの使用は禁止されたのでこの呼吸法が開発されたとのこと。これをしていると、まるで催眠術にかかったかのように自分が母胎にいたときの状態がよみがえってくるのです。現実の意識はあるのですが、それとは別にそのときに何をしたのか身体が自然に再現していくのを体験しました。私は産道を旋回しながら這い這いして自らの意志で生まれようとしていることは自覚できました。あとから自然分娩について調べていると、胎児は母体の陣痛のリズムに沿って旋回しながら産道を通り生まれてくると知り、同じ体験をしたんだということを確信しました。とにかく不思議な体験でした。
このホロトニック・セラピーによって得られた膨大な臨床データをもとに構築されたトランスパーソナル心理学は、21世紀の今日ではまだ学問的な評価が定まっていず、疑似科学であるとか神秘主義とかオカルトとか宗教とか批判的に捉えられている向きもあります。私も信奉するほどに専門的に勉強したわけではないので何も言えませんが、このセッション自体はとても興味深いものだった、とだけ言っておきます。 11/11/12(波照間エロマンガ島)

へえ、それは俺も体験してみたいな。
でも逆子だったから苦しいかもなあ。 11/11/12(石川浩司)

おおこんな話題が。鮮明なのは3歳まで住んでたマンションで、あお向けに寝転がってお皿に100円玉を乗せて眺めていた事。母親が「飲み込みなや」と注意した矢先に100円がポカンと開けた口にスルリ、気管に入って何だか苦しくなった、という記憶です。そこからは記憶がおぼろげで、大騒ぎで母親が救急車を呼んで大きな病院に連れて行かれたそうですが覚えてません。ぼんやりとした気持ちで車の中で横たわっていた気がします。
無事に100円は取り除かれ今生きているのですが、後日母が「お医者があの100円返してくれなかった」とぼやいてた時は笑いました。 13/6/23(オポムチャン)

何故なら医者はその100円玉を飲んだからね。 13/6/23(石川浩司)

私が覚えているのは、3歳ごろで、一人でお留守番をしたことです。と言っても30分程度のことですが(笑)
母が買い物か何かで、私に家に居るように言って家を出ました。でも私は一人になったことがなかったので、電源のついていないテレビとか静まり返った家の中は記憶に鮮明に残っていて、留守番中、怖かったのを覚えています。
  母が帰ってきた時の安心感と言ったらなかったです。泣いたかどうかは覚えていないのですが、一番最初の記憶は怖くて不安な記憶でした。 14/1/15(ハーブティー)

子供の頃は怖いものがあちこちにあったよね。
今も怖いものはあるけど種類が違う・・・老後が怖いよう。 14/1/15(石川浩司)

私のおそらく最初の記憶は、まだ埼玉に住んでいた3歳ぐらいのころ、水泳教室の体験に連れて行かれて、泳ぐのはおろか顔もつけられないのにコーチのお姉さんに抱えられて水の中にぶん投げられたことです。  あ、これが人生初の「水中、それは苦しい」ですね!!  14/5/3(すこんぶ)

水中分娩というのもあるしね。
あれってどうなってんだろ!? 
エラとか生えてくるのかな? 14/5/3(石川浩司)

子育てをしていると、遠い遠い昔自分が親らにどう扱われていたかを断片的に思い出すことがあるのですが、近頃になってさらにさらに昔の、なんだか薄緑色の世界の中で混沌とした思考と呼ぶにも呼びがたいような気持ちで、けれども多幸感に満ちてまどろんでいた記憶がよみがえってきました。幼いころの夢か、朝の光を寝起きのまぶたの中から見ていたのか、それとも羊水の中の景色か・・・ 小さい頃はもっと鮮明に憶えていたのですが。 14/8/22(オポムチャン)

そう遠く無い未来、またその景色は見られるから今は今の景色を楽しもーな! 14/8/22(石川浩司)

ベビーベッドに寝かされて、「何で自由に動けないんだぁ〜?」って記憶が最初かな?母が言うには、全然寝ないし、暴れるし、育てるのが大変だったようなので、まんざら間違ってないと思います。ちなみに、9カ月頃にはもう歩いていたらしいです。  14/8/31(きゅう)

すげえ〜。
俺は病弱だったので「今日も熱が40度超えた・・・」って記憶ばかり。
悲しいのう。 14/8/31(石川浩司)

今で言う医院の待合室みたいな所で母親と座っていたと言うか飛び跳ねていたと言うか、 その時僕の順番になって呼ばれ、寝かされました。
そしたら右目に突然強烈な熱感を感じて「熱い」と叫びました。
  それがたぶん最初の記憶です。
これを母親に話したところ、1歳になる少し前に行った東京の気功の先生の治療室で、僕が喋った最初の言葉だったようです。
じゃあなぜそんな所に行ったのかを聞いたところ、生後3ヶ月の時に家の近くの医院に風邪で行きました。ところがその院長 (当時)、「この子風邪とか言う前に目何とかせえ。これたぶん余命1年あるかどうかや」と言われたらしく、いろんな医療施設に行ってたようです。
  その一つの記憶のようですが、結果的には東京の病院でそのような病気でないと判明。39歳になる現在もまだ生きとります(笑)
ちなみにその余命1年あるかどうかと言われる原因の一つになった頚部にあるしこりが今でもあるので、興味のある方は触ってもらってオーケーですよん。まあこんなおっさんの頚触りたいとは誰も思えへんでしょうけどね(笑)  14/12/31(西大路)

「余命100年あるかどうかや」の間違いだったのかもね(笑)。 14/12/31(石川浩司)

  確かに「おまえはぜったい長生きしそうや」とよく言われます(笑)   15/1/11(西大路)

  死んでても気づかなかったりして。  15/1/11(石川浩司)

ザリガニの入ったバケツに手を突っ込んで、ハサミで挟まれて泣いた。という3、4歳の頃に見た夢。不意に挟まれた指の痛さに、パニックになって泣きわめいたのが最初の記憶。夢だったけど。 15/2/15(イーダ健二)

夢でも「痛い」と思うことあるよね。不思議なな〜。 15/2/15(石川浩司)

夢で「熱い」と泣いた記憶もありますよ。
火事で焼かれそうになった夢。
その熱で目覚め、何もなかった事で安心したけど何かの警告だったんでしょうかね? 15/2/19(西大路)

性の芽生え? 燃えるような・・・。 15/2/19(石川浩司)

性の芽生え?うーん、確かにそんな夢から覚めた時チンチン立ってた頃が懐かしい! 15/2/21(西大路)

性夢、観なくなったなー。
「あ、これ夢だっ」と気づいた途端いろんなことやりまくってたなー(笑)。 15/2/21(石川浩司)

まだ夢は見ますよ。ただ目覚めても勃起祭りに参加できず! 15/2/24(西大路)

うなだれ祭りですか・・・。 15/2/24(石川浩司)

産まれてくる時の記憶は無いが、産まれて一週間後くらいの、まだ目が見えていないであろう頃の記憶があります。産湯の匂いなど感覚的な事だけでなく、どの人が親戚の誰かとか、その頃誰に抱っこされたくて、誰に抱っこされたくなかったかなど、ハッキリと記憶にあります。なので、一歳になる前の記憶とかもハッキリとあります。ただ、あまり信じてもらえませんが…。僕自身小さい頃から記憶がある事が普通だと思っていたため、人に幼い頃の思い出の一つとして、当たり前のように話していたのですが、ほとんどの人が「そんな小さい頃の事なんか覚えてるほうがおかしい」と言われるようになり、僕が変なのかなと思うようになりました。親とかにもまだ歩けなかった頃に行った旅行先の状況を事細かく話すと「よく覚えてるなぁ」と感心されます。なので、産まれたての赤ちゃんの目が見えにくいという事が、正直いまだに信じられません。といった感じなんですが、ただ一つ僕にとって不思議なのは、一歳頃まで父母と祖父母と同居だったのですが、一歳の時に亡くなった祖母と過ごしたはずの記憶だけが、一緒に写った写真もたくさんあるのですが全く有りません。ただ、祖母の葬式のときの記憶は残っています。余程、ショックだったのかもしれませんが、それだけが謎です。 15/10/9(猫叉)

多分人によってかなり差があるんだろうね。
俺なんて小学校のクラスメイトですら思い出せる人はかなり少ない・・・。 15/10/9(石川浩司)

私は3歳くらいの記憶が最初です。雨の日に、2個上の姉が通ってた幼稚園で園児が作った絵やおもちゃの展示をしていて、母と姉はそれを見に行き自分は父と留守番をしてました。なのに父は昼寝をしていて私はつまんなかったので自分で着替えてかっぱを着て幼稚園まで向かってました。途中で帰ってくる2人と会いその後はどうなったか覚えてないです。 16/3/19(たまちゃん)

その後は大人になりましたとさ。 16/3/19(石川浩司)

祖母の家でハイハイしようとしているところを親か誰かに取り押さえられている記憶が最初の記憶です。 16/6/19(猫のチップ)

親じゃなくてとんだ悪事を働く赤ん坊で警官に取り押さえられてたりして(笑)。 16/6/19(石川浩司)

しかしほんとに子供を持つと自分の小さい頃の遠い遠い記憶がふっと鍵を開いて飛び出してくることがあります。
ぼうずの通う幼稚園はキリスト教系でごはんの前に長ったらしいお祈りの言葉をみんなで唱えるのですが、不意に「とさんのようちえんではどんなおいのりした?」などと問われて思い出したのが「おとうさん、おかあさん、ありがとうございます、いただきます!」という掛け声。そんなもん、今の今まですっかり忘れていたというのに、当時聴いた、発した声がありありと脳裏によみがえり勝手にビックリしていました。記憶っておもしろい。 16/7/7(オポム)

子どもがいるとそういう機会も増えるんだろうね。教わることも。
結婚したって子どもがいないのはずっと半人前だと自覚してる。 16/7/7(石川浩司)

あれこの話題答えてなかったのかな。
どこかで話してた気もしますが、幼稚園から帰ってきたら、小さな犬に追いかけられたことです。犬はじゃれあってただけなんでしょうけど、母親に言わせると泣きながら逃げ回っていたそうです。 18/2/27(わいわい)

いや、奴は「あいつ、うまそうだな」と言ってたよ。 18/2/27(石川浩司)

生まれた家=今は祖父母の家(渋川市)、での記憶が最初なのですが、皆のいるお茶の間でオモチャのバスに乗って遊んでいた記憶1つだけしかありません。その時、祖父が、「そうやって乗って遊ぶものじゃないぞ」みたいなことを少し怒りながら言い、周りの人が、「まあいいじゃん」、と軽い討論になりました。周りが優勢だったので、かまわず乗り続けました。

ちなみにそのシーンは、自分から見た視点はもちろん、周りから自分を見ている風景もなぜか記憶の中にあります。3歳ぐらいで父母と自分含む子供2人が榛東村の官舎に引っ越したので、1、2歳の頃でしょうか。

余談ですが、この頃、父が8ミリに凝っていたそうで、保育園ぐらいになってから毎晩家で上映していました。あるシーンでは、家の中の母が赤ん坊の私を両手で持ったまま外に向けて手を伸ばします。私の下は庭。そして私の下からウンコがボトボトと。それを父が外から撮っているのです。

この記憶はありません。

テープを巻き戻す時に逆回転になりますよね。その時は、ウンコが私に入っていく映像になるのです。これがのちのちまで一家の笑いのネタになりました。 18/7/1(猪熊猛)

記憶というのも年月とともに脳内で微妙に補正されるからね。
すべての記憶が事実とは限らないんだよね。 18/7/1(石川浩司)


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