テキトー日記02年9月(1)

文章中の文字の色の違うところをクリックすると、詳細が見られたり、リンクに飛ぶぞ。

9月1日(日)

 昼は、HMVというCDショップで、しょぼたま店頭ライブ、サイン会。その後、メンバーと中州川端のあたりをうろつく。

 午後は時間があったので、ひとりで筑前前原という、地名も聞いたことのない福岡近郊の町にカメラ散歩に行く。
 ここは、町の案内板を見ると、やたら「納骨堂」が多い、納骨堂タウンだった。
 なにか、骨を埋めるのにいい土地なのだろうか!?
 古来から「前原に埋めたお骨は成仏しやすい」とか。
「あそこに骨を埋めてから、残された人々が宝クジに当たりやすくなった」とか。
「その後、やけに牛乳の一気飲みが出来るようになった」とか。

 そこからJRの隣の駅の波多江まで歩く。そしてやはり案内板を見ると、駅裏には特に名所もないようなのに、やたら個人タクシー会社が多い。「伊藤タクシー」(2軒)「田中勇タクシー」「布谷タクシー」「町田金吾タクシー」「岡厳タクシー」「新タクシー」・・・
 そう、今度はここは、個人タクシータウンだったのだ。
 これはもう、全く理由がわからないぞ~。
「個人タクシーマニアの会」の本拠地、と考えるのは、さすがに無理だな・・・。

 それから今宿という駅で降り、海に出る。井上陽水の歌でも有名な、能古島が目の前に見える、なかなかの光景だ。と、ふと眠くなり、海辺の石段のところでゴロッとなる。そしてふと気がついたら、夜になっていて、真っ暗な海の向こうに、福岡の町の観覧車の光が、遠く見えていた。

 夜は町に戻り、恒例の博多ラーメンを食ってから、「ドンキホーテ」で腕時計を買う。
 実は今回の旅行の為に、100円ショップで目覚まし時計を買ったのだが、3時間で30分遅れる為、少々、不便だったのだ・・・。
 で、今回は980円だが「定価10000円」と書いてある。100倍のものをポンと買うとは、俺も豪気なもんよのうー。ワッハッハー。

 大庭みな子「虹の橋づめ」読む。

『澄み渡った青い空に一点の雲もないとき、雲はどこにいるのだろう。海や川の中にもいるが、木の幹に耳を押しつけると水の流れる音がするから、樹木の中にも、夢の中にもいるのだろう』

9月2日(月)

 今日と明日はオフ日だよーん。俺は人の家だろーが、生活習慣は変わらない、ちゅーか変えられないので、午後2時にゆっくりと「ハーイ、グッドモーニング!」言ってみても、もう家には誰もいないニャ。クッスン。
 それから博多から電車に乗って福岡からほど近い、二日市温泉にゴー。いくつか公衆浴場があるのだが、一番風情もあり、なおかつ料金も100円と安い「博多湯」へ。

 ところがこの「博多湯」でひとつ奇妙な光景があった。それは、おそらく主人が「建物は古いが、何か近代化せねば!」と思ってトチ狂ってしまったとしか思えない代物であった。
 つまり、入り口のところに、駅の自動改札機のような機械が、デンと鎮座ましましていて、100円入れて、そこを通って中に入るというものなのだが、不思議なのは、その横が開いていて、そこからすり抜けて入る人がいないかどうか、その向こうでバーサンがじっと見張っているのだ。
 人員削減で、人件費を削ろうとしたのなら機械の意味もわかるが、ずっとバーサンが見張っているなら、なにも機械を通さなくても、そのバーサンに100円手渡せばよいだけのことだ。何故に大金をかけて自動改札機の設置を?・・・。
 ここで考えられるのは、もしかしたら、バーサンには盗癖があり、こっそり100円玉をポッケに入れてしまうことが多いのではないか、という発想だ。
 それをなんとかしようと機械を設置したのではないか、ということだ。
 えっ!? それならバーサンを解雇すればいいって? それがそういうわけにはいかないんだなー。
 そう。
「博多湯」がこのバーサンに何か弱味を握られているのだ。
 伝統のある温泉だ。まだこのバーサンが少女だった頃、主人が手を出して悶着が起きたとか、へたすりゃ三代くらい前に、何か因縁めいたものがあって、どーしても、このバーサンを解雇出来ない。しかしバーサンのネコババ癖も直らない。そこで苦渋の選択として、改札機の導入というスットコドッコイな結論に至ったのではないか、と。
 ちなみに、そのバーサンに盗癖があるのではないかと疑ったのは、改札機を抜け、しかしタオルも石鹸も持っていなかったので、そのバーサンに借りたのだが、そのバーサンは「100円でいいわ」と俺に貸しタオルと貸し石鹸を渡し、それをポケットに入れたのを見たからだ。それに100円の入湯料にしては、貸しタオル・貸し石鹸が同額の100円というのも、ちょっと高い気もするし・・・。
 ってなのはおそらく全部俺のモーソーなので、バーさん、機嫌悪くしないでくれ! 窓から風が入って、とってもいい湯だったぞ!

 それから、長崎方面に鈍行を乗り継いでいく。夜も9時近くになり、ひと車両にも客は5、6人程度。特急待ちの為、しばらくどこかの駅で停車する、というのでホームにボーッと出た。と、やっぱりもうひとり、ホームでボーットしている男の人がいる。と、彼は急にこちらを振り向くや、
「石川さん・・・」
 と蚊の鳴くような声をかけてきた。
 よく見ると、コンポステラの中尾さんじゃないか! セッションもかつてしたことのあるクラリネット・サックス奏者だ。
「えっ!? どこ行くんですか?」
 と聞くと、
「実家の大村に帰るんです・・・」
 との事。実は俺もまさにその大村に友達がいて、そこに向かっているところだったのだ。
 ということで、そこからはふたりで大村に向かう。
 しかし実は俺の方は少し賭けの、大村行きだったのだ。
 その大村の友達というのは古賀さんといって、やっぱりミュージシャン仲間なのだが、大村で鉄板焼屋をやっているのだ。しかし定休日もわからず、ひとりで経営しているので、きまぐれに臨時休業、なんてえことも全然考えられないわけじゃない。なおかつ、その店の場所はわかっているが、彼の家も電話も知らないので、もしもその店がやっていなかったら、たちまち路頭に迷い、おそらくは大村湾に身を投げて魚の餌になるぐらいしか、やることがないのだ。

 夜10時。中尾さんと大村の商店街の途中で別れ、俺はその店を目指した。と、電気がついている!
 というか、古賀さん自身が店の外の看板を拭いている。おっ、閉店時間だったのか。ギリギリギリヤーク尼崎セーフ!
「マスター、元気かい」
 俺が渋く後ろから声をかけると、古賀さんは相好を崩し、
「おいおいおい、どうしたんだよー」
 というので、
「閉店時間に間に合って良かったよ」
 と言うと、
「何言ってるんだい。今から店を開けるところだよ。」
 ・・・って、夜の10時だぞー!!
 ちなみに、きのうは「寝過ごして」開店は夜12時だったという・・・。
 だからもしも普通に、8時頃ふらっと現れたら、休業だと思ってすごすご駅前のしょぼくれたビジネスホテルでも探して、そのまま帰ったかもしれない。やべえ、やべえ。

 古賀さんとの付き合いは、20年になる。
 まだ「たま」ももちろん始まっておらず、江古田のマーキーという店で友部正人の前座として、ソロでライブをした時のことだ。確かプロの人と共演するのは始めてで、緊張して自分の演奏を終え、客席に戻ってきた時だった。隣にいた知らない男の人が声をかけてきた。
「いやぁ、ライブ良かったですよ」
しかも自分のビールまで注いでくれる。俺はすっかり有頂天になって、彼と話しをした。
 すると、彼は鈍行列車で長崎から東京まで、ライブをいくつかはしごする為にやってきたという。
「へえー。で、東京ではどこに泊まっているんですか?」
 と、彼は少々口ごもりながら、
「いやー、ハハハ。・・・今日、泊まるところないんすよねー」
 ・・・もちろんその日、彼が俺の部屋で、同じひとつの布団に潜り込んだのは、言うまでもない。
 その後、本格的に東京に出て来て、10年くらい同じ高円寺に住み、毎日のように遊んでいた友達だ。

 さて、その大村の鉄板焼屋「HOWL」(大村市東本町334-2 TEL0957-52-9488 大村駅より、7,8分)だが、このページの読者プレゼントがある。店に行って、マスターに「このHPを見て来た」と一言言えば、なんと、なんでもドリンク一杯無料サービスしてくれるそうだ! ちなみに焼そばが凄くうまい。「ゆでピーナッツ 200円」もいいぞ。カウンターだけの小さな店だが、大村で夜を迎える人は是非訪ねてくれいっ!!  

 犬丸りん「んまんま」読む。

9月3日(火)

 そのまま「HOWL」の閉店の朝5時までいて、その後、コーヒーとか飲みに行って、徹夜のまま、大村をあとにする。せっかくなので、知らない町でも散歩してから福岡に戻ろうと、テキトーに「肥前鹿島」というところまで切符を買って、また鈍行列車に乗り込む。
 と、なんとなく外の景色を見ていたら、ふいに藁葺き屋根などが並ぶ集落が線路沿いに現れた。切符は次の駅まで買っていたが、とっさに「ここだ!」と、飛び下りた。

 その駅「肥前浜」は素晴らしかった。古い民家や商店が、懐かしのホーロー看板が、そのまま自然に残っていた。俺はこういう集落が何より好きなのだ。で、俺が「古い町が好き」と言うと、たいがい誤解されて、例えば倉敷や川越のように、生活からかけ離された「美観地区」と呼ばれるレトロな建築物が集まった、
「ほらっ、お客さん、古いままの町が残ってますよー。しかも気持ちよく観光出来る為に、きれいに掃除して、整えてお待ちしていますよー」
 というところを紹介してくれる人がいるが、それは大きな間違いだ。
 俺はあくまで、「現在も淡々と生活が行われていて、知らず知らずのうちに時が経ち、朽ち果てていくものの美」が好きなのだ。だから、観光ガイドブックに載っているような「小京都」とかはほとんど駄目。
 但し、案外穴場なのは、「その隣の町」。集落はやはり古いままなのに、由緒ある寺社等がなかったおかげで、「観光化」がまぬがれ、いい風情を醸し出しているところが結構あるのだ。なので「肥前浜」はとても俺的には良かったが、ガイドブックに載らない事を祈る・・・。

 それから当初の肥前鹿島に行くが、ここの駅前は何の変哲もなかったので、タクシーで近くの「祐徳温泉」へ。最近掘られた温泉らしく、まだガイドブックにもほとんど載っていないとの事。温泉は、最近流行の「健康ランド」式だったが、寝不足でボーッとした中、岩風呂等気持ち良かった。
 ちょうど畳敷きの食堂があったので、カレーライスにビールをつけて、ひと息。
「どこからこらしたとですか?」
「東京・・・いや、埼玉です」
 などと隣のおっさんとちょっと会話した後、座布団を枕がわりにして、ゴロッと横になる。
 と、11時だったはずなのに、気づくと3時になっている。なんと、4時間も寝てしまった。起き上がると、
「よく寝てらしゃったね。ワッハッハー」
 とさっきのおっさん。俺は男らしい鼾かきなので、もしかしたら、食堂中が4時間の間、轟音と地響きに包まれていた可能性も高い。というか、ほとんど包まれていたろうな。なんせ、徹夜明けでクタクタだったからな。
 しかし、よく考えてみると・・・その、自分の家から漬物を持ち込んでボリボリやっている隣のおっさん!
 あんたも4時間、俺の寝顔を見てたんかい・・・。

 肥前鹿島の駅近くで「佐賀の天然水を使った」サンレイという小さなメーカーのジュースいくつか発見して、ひとりニンマリ。  

 渡辺浩弐「1999年のゲーム・キッズ」読む。

9月4日(水)

 たまリハーサル。アダチさんと。アダチさんは、2日間のライブの為、一気に40曲近くを覚えなければならないので必死。たまは微妙な「間」が多いので、教える方も必死。
 会場の下にあるパン屋の、お気に入りの「タコ焼きパン」を食べてガムバルゾー。

 夜は例のごとくみんなは飲みに行くが、俺だけアルコールセーブの為、参加せず。しかし何もないとそれはそれでストレスがたまって首くくってしまっても良くないので、せめてアイスに走る。
 さすが九州、「白熊」シリーズのヴァリエーションが多い。が、結局迷った末に、「ガリガリ君 洋梨味」に。

 東海林さだお「食後のライスは大盛りで」読む。

9月5日(木)

 本日もたまリハーサル。昼から夜まで。1曲につき、本番も合わせると6、7回はやるので、300曲近い演奏。最後は立ちくらみがしてきた。そーいや、俺も41。ジョン・レノンは40才で死んだので、もう「ジョン・レノンにとっては、生涯未知だった年」に突入してるんだものなー。
 ちなみに、この日の朝、知久君に、
「どうしたの石川さん、膝が真っ黒だよ」
 と言われたが、9時間も膝立ちで演奏してりゃ、鬱血して、膝も真っ黒になるわいなー。膝黒少年の大冒険!!

 宮本輝「幻の光」読む。

9月6日(金)

 福岡・甘トウ館小劇場にて「たまの温故知新 きゃべつ編」ライブ。
 アンコールの「おやすみいのしし」や「あるぴの」は、アダチさん本業のチンドン太鼓でチャンチキやってもらう。

 本番前、ひとりで近くの銭湯に行ったのだが、客は俺ひとりで、ピチャンとお湯の音以外何もせず、なんとなく異次元に迷い込んだ気分になる。銭湯から出ると、あたりは一面の砂漠で、風だけがビュービュー吹いていて、人の気配すら感じられないという妄想で、ひとりワクワクしてしまう。
 この銭湯には、体重計だけではなく、昔懐かしい木の身長計もあった。これからやっぱり、少しずつ縮んでいくのかなー。いっそのこと、人は40ぐらいを境にどんどん小さくなっていって、見えなくなるほど小さくなったら、「おしまい」ということになればいいのにな。

 嵐山光三郎「コンセント抜いたか!」読む。

9月7日(土)

 「たまの温故知新 犬の約束編」ライブ。
 今日は途中でアダチさんに「注文の多い料理店」の紙芝居をやってもらい、その後ろでしょぼたまがインストメドレーをやる、という試みをいきなりやってみる。
 「南風」の間奏では、劇場の下の文房具屋で500円で買ったおもちゃのレーザー音の鳴る鉄砲で、Gさんの後ろに隠れて客を撃つ。始めは背中あたりからパッと鉄砲を出して撃っていたのだが、ハッと気づくと、Gさんの股間から鉄砲を出して撃っていた・・・。知久君が笑いころげてた。

 群ようこ「でも女」読む。

9月8日(日)

 11日ぶりに帰郷。飛行機の時間まで、喫茶店や電車の中などで、ついついiBookを広げてしまう私。うーむ。エグゼクティブー。

 東海林さだお「アイウエオの陰謀」読む。東海林文学の新境地。

9月9日(月)

 久しぶりにダラー。整体行って、漫画喫茶でパソコン関係の本読む。
 今月の北京、来月のバリについての本などもひもといて夢を膨らます。
 旅って、楽しみの半分は、計画段階なのよねー。あそこに行こうか、これを食おうか、っていう。インターネットでもいろいろ調べちゃうもんねー。で、楽しくて今夜も徹夜。

 泉麻人「ホームページ秘宝館」読む。

9月10日(火)

 たま企画室にて打ち合わせ。家を出ようとしたら、図書館の返却日だということに気づき、2時間遅刻で「やっべー!」と思って駅を降りる。
 と、なんとリュックを背負った知久君も、同じくあわてて改札を抜けているところ。中央線は列車の本数も多いので、そうそう同じになるはずがない。しかも、時間通りならともかく・・・。
 実は3、4回に1回ぐらいの割合いで、何故か知久君とは同じ列車になってしまい、ふたりで同時に事務所に現れることが多いので、今、Gさんやマネージャーから、ひそかに「知久・石川ホモ説」が流れている。
 あーん、知久君って、胸板が厚くて、素敵だわー。

 大槻ケンヂ「のほほん日記ソリッド」読む。

9月11日(水)

 吉祥寺・スターパインズカフェにて、パスカルズの2ndアルバム「パスカルズが行く」発売記念ライブ。満員。友部さんもゲストで出てくれ、バックの演奏やコーラスする。
 アンコールの「ラララ」という曲は俺が結構熱唱する歌で、前に出てハンドマイクで歌っていたのに、何故か客席の視線は後方に・・・。「パスカルズ部外者レギュラー」の山下由が、着物に覆面を被って、扇子をふりふり踊っていた。さすが「ころばぬさきのつえ」(俺が「たま」の前に彼とふたりでやっていたパフォーマンス音楽ユニット)メンバー!

 中場利一「一生、遊んで暮らしたい」読む。やっぱ、岸和田の少年は、怖いわ・・・。

9月12日(木)

 たまリハーサル、斉藤君と。

 パトリス・ジュリアン「いんげん豆がおしえてくれたこと」読む。

9月13日(金)

 車で大阪へ。3人だったので、俺はバンの後部座席を全部使ってグーグー寝てたら、着いた。
 晩飯は回転寿司で、仕上げにはもちろん、特別オーダーでパフェを流してもらうぜ。

 ライオン・メリィ「ソガイカン」読む。
 おなじみメリィさんの初めてのエッセイ集。いつも「たま」のバックで淡々とキーボードを弾いている姿しか見ていない人、必読ですぞ! 結構こゆーい内容となっております。哲学者メリィ也。裏表紙裏には悩ましき下着姿も拝めるしな! 「ニヒル牛」にて、絶賛発売中でーす。

9月14日(土)

 朝起きたら、片目がモノモライになっている。目の下がブヨブヨして痛いでガンスーッ。モノモライってなんとなく、子供の頃しかなったことなかったので、突然の目の腫れは、何ごとかと思った。
 しかし「モノモライ」って、よく考えると凄いネーミングだよなー。こじきそのものってな感じ。昔、永井豪の漫画で「オモライ君」ってあったの知ってる? あんなような感じだなー。まー、「菌をもらった」ということなんだろーけど、それなら風邪でも淋病でも、なんでも「モノモライ」のよーな気がするが・・・。

 大阪・バナナホールにて「たまの温故知新 犬の約束編」
 「南風」の間奏では、直前に楽屋で知久君の知り合いからもらったベトナムの横笛を、プヒョーと吹いて前に出て即興をしたが、楽屋では鳴っていたのに、ステージ上で力が入り過ぎたのか「スカー スカー」という音しかしなくて、かなしくマイクの前でこだましたな~。

 友人の内田の息子は、保育園児だというのにたまファンで、車ではたまのCD、家ではたまのビデオを見続けているという、立派なお子さんだ。
 ちなみに、この日も「ゆめみているよ」「夢の中の君」なんていう、比較的大人向けとも思える曲の時、ひとりトランス状態になってゆうらりゆうらりと、踊っていたそうだ。将来ノーベル賞ものだな。何の賞かはイマイチ不明だが・・・。

 話は変わるが、某音楽雑誌で「たま」のこの前の「エゾ・ロック・フェス」のライブ評が出ていたが、ひとつだけ、バンド側を代表して、訂正させてもらいまーす。それはその文章中に、
「7年ほど前、柳原が脱退し、その後メンバーは『いなくてもいい人』というアルバムを出した」
 というような記述があるが、これでは、他のメンバーが柳原を追い出したかのように読む人もいるだろう。
 もちろんファンの人は先刻ご承知の通り、柳ちゃんはソロ活動に専念する為、「たま」を脱退した。
 が、まず第一にタイトルが『いなくてもいい人』ではなく『いなくていい人』であり、なおかつ歌詞は、
「♪僕のお仕事は いなくていいひと」
 というもので、全然他人の事を歌ったものではない。これはCDを聞いてもらえれば、一聴瞭然だ。
 なおかつ、柳原脱退直後に出したのなら、タイトルだけ見られてそう誤解をされても仕方ないが、このアルバムは、柳原脱退後、すでに3作目の作品で、時期的にも全く関係ないのは、はっきりしている。一応、たま及び柳原君の名誉の為にも書いておく。
 しかし、ライブレビューそのものは絶賛されていて、
「たまのライブを見る為だけにでも、エゾ・ロックに行ってよかった」
 ってな感じで結ばれており、嬉しい。いくつになっても、誉められると嬉しいんもんだニャーッ。

 林真理子「踊って歌って大合戦」読む。
 まー、どーでもいいことだけど、そしてエッセイの作品数が多いからしょーがないんだろーけど、この本のタイトルは・・・。そんな題名のエッセイが入っているわけでもなく、ただ、勢いで決めた感じ。いや、俺は嫌いじゃないけどね。馬鹿っぽくて。

9月15日(日)

 大阪から名古屋まで、ひとりでブラブラ移動日。
 まずは降りたことのない滋賀県の草津へ。関東の人間は「草津」と言えば、即座に群馬県の草津温泉を思い出すことであろう。
 ♪草津よいとーこー 一度わぁぁ おいでー チョイナ チョイナ
 という、例のあれである。だが、ここの草津はそことは何の関係もない。
 と思ったら、駅からちょっと歩いたところにいきなり「草津温泉」の看板が!
 この辺に温泉が湧いたという話も聞いたことないし、んな馬鹿なー、と思いながらも、突撃して入湯。
 すると・・・確かに「草津温泉」はあった。しかしそれは・・・
「群馬県草津の、温泉の素を入れました」
 って、そりゃあ、家庭でも手軽に楽しめる「温泉の素」を入れただけでねーの! これで「草津温泉」を名乗っていいのか?
 それなら、うちだって、温泉の素は結構好きで入れるので「別府温泉」になったり「熱海温泉」になったりするぞ。

 それから不思議だったのが、地蔵。普通は石に掘ってあったりするものが、ここでは辻々に「地蔵堂」があるのだが、その地蔵がフェルトかなんかで出来ているのだ。
 しかも、その地蔵堂の脇にはゴミ箱があり、
「地蔵専門のゴミ入れです。地蔵以外は入れないで下さい」
 なんて書いてある。地蔵は、気軽に捨てるものなのか!? うーむ、謎だ。

 しかし草津の町は全体的にいい感じで古い家並みが残っており、好感が持てた。信楽が近いせいか、タヌキの置き物も町中のいたるところにあった。

 さらに列車に乗って、今度は彦根で降りてみる。ここも近江路の古い街道町なので、楽しみにしていたのだが・・・俺の目の前に「夢京橋キャッスルロード」という、俺の最も嫌いな、「整備された古い町並み」が。
 その途端、
「ウンゲロゲローー」 
 と、俺の口から外露が吐き出された。そしてその外露は留まることを知らず、町中に流れこんだ。
「ウワー!」
「キャーーー!!」
 の声とともに、外露は道をふさぎ、さらに家々に流れこんだ。
「お、お、お、お助けー」
 ふと気づくと、「夢京橋キャッスルロード」は外露によって、全て琵琶湖に流されていた・・・。

 しょうがないので、さらに郊外に散歩に行くと、「喫茶スイス」という蔦のからまる古い喫茶店が。突入。と、ここは思った通りの素晴らしい喫茶店であった。トナカイの首や、でかい亀の剥製を始めとして、シャンデリアがともり、さり気ないアンティークものが、いやらしくない程度におかれ「昔の高級喫茶」そのものであった。なのに、おそらくお値段は据え置きと思われる、コーヒー一杯250円。こここそ、真の俺にとっての「観光地」である。ちなみに、そこそこの広さがあるが、客は満席。こういうレトロ調の店にありがちな「俺は面白いけど、潰れるのは時間の問題だな」の心配もほとんどなさそうだ。
 彦根のみなさん、「喫茶スイス」こそ、彦根の宝ですぞ。

 灰谷健次郎「アメリカ嫌い」読む。
前回の日記を見る
振り返り人生(もっと過去の日記を見る)
石川浩司のひとりでアッハッハーに戻る