テキトー日記02年1月

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1月31日(木)

 所用で赤坂に行くが、どーも昔から赤坂、青山、六本木、原宿とか苦手なんだよなー。なんか、町が「お前の来るところじゃない」と言っているようでな・・・。「高級」なのは別に嫌いじゃないんだけど、「きどり」の要素がある物に、拒否反応を起こしてしまうんだよなー。微妙な違いなんだけど。

 鴻上尚史「ドン・キホーテのロンドン」読む。

1月30日(水)

 図書館でグータラ、整体でフニャー。オフの日はこれに限るニャーッ。

 椎名誠「突撃三角ベース団」読む。

1月29日(火)

 藤原紀香「アサヒ十六茶」のテレビCMに、ぜひ俺のパーカッションの音が欲しいというので、代々木のスタジオに入れにいく。演奏は約10分で終了。これでギャラがもらえるとは、ええ仕事じゃて・・・ふふふ。

 寒川猫持「面目ないが」読む。

1月28日(月)

 吉祥寺マンダラ2にて、たまの月例会ファイナルライブ。思えば、長いことやってきたもんだ。と感慨もひとしおだが、別にバンドが解散するわけでもなく、また、ソロなどでは各メンバーとも今後もしょっちゅうこの店を使うことが決まっているので、いつものラフな感じのライブ。
 「南風」の間奏は、センターにあるマイクスタンドを象の鼻に見立て「象さん」を歌ったり、馬の鞍に見立てて「お馬の親子」を歌ったりした。が、恥ずかしかったのが、リハーサルの時、「このスタンドはそういう風に使えるかな」とスタンドを回してみたりしてシュミレーションしてたのを、バッチリGさんに見られて、しかもそれを客に発表されてしまったことだ。・・・俺だって即興とはいっても、多少の用意をしとくことはあるわい。わっ、悪いかっ!!

 池田あきこ「英国とアイルランドの田舎へ行こう」読む。

1月27日(日)

 図書館で野坂昭如、TOMOVSKYのCD借りる。実は俺は高校時代、野坂昭如、小沢昭一、永六輔のいわゆる「中年御三家」のファンだったのだ。当時は、この親父達に燃えたぜ。あと、若かりし頃の愛川欽也、黒柳徹子、中山千夏、野沢那智、白石冬美、かまやつひろしなども好きだった。みんなラジオの深夜放送で知ったんだがな。ま、友達に同じ趣味の人は誰もいなかったがな・・・。誰か、同世代でこの頃のラジオ聞いていた人いたら、ぜひ掲示板に書いてくれーっ。

 東京サザエさん学会「磯野家の謎」読む。実はこの手の本は元々興味があったのだが、あまりに当時話題になってベストセラーになったので、「流行に便乗している」と思われるのが嫌で、読めなかったのだ。今ならもう読んでも、よかろう。

1月26日(土)

 南青山マンダラにて、たまの月例会ライブ。「南風」で俺がオモチャのピストル持って、知久君やGさんの背中に隠れて、客を撃った。Gさんの背中の方が、ちょっといい匂いがしたな。
 知久君がやたらギターのリードを幕間に弾くので、ついつい俺はそれに合わせて踊ってしまう。激しく弾けば激しく、悲しく弾けば悲しく。俺は知久君のギター・マリオネットかっ!!

 柏葉葉子「霧のむこうのふしぎな町」読む。

1月25日(金)

 昼は「たけしの誰でもピカソ」の収録。今田さんに、
「あれっ、ひざ小僧どうしたんですか?」
 と言われる。そう、気づいている人も多いと思うが、俺のひざ小僧は、痣のように黒ずんでいるのだ。で、これが実は職業病なんですねー。ま、「病」というほどではないけれど。つまり、いつもたまのライブの時、立て膝で演奏しているので、それを18年間続けてきた結果が、膝への鬱血なのだ。なので、時々、
「石川さん、膝も洗った方がいいんじゃない・・・」
 と思っている輩がいるかもしれないが、断じてこれは汚れではないからなー。間違えてくれるよなー。ちゃんと風呂には入ってるからなー。嘘だと思うなら、皆も膝立ちで18年間パーカッションを叩いてみなさい。きっと、俺と同じ様な素敵な膝になるから。
 って、誰もしないか・・・。

 楽屋に戻ると、クマさんが、
「その余ってる弁当持ってけや」
 と言うので、
「いやー、いいですよ」
 と言うと、
「馬鹿、俺はこの楽屋のヌシなんだ。その俺が持ってけ、ってんだから、持ってけ。余ったのは、捨てられるだけだからな!」
 と言うので有り難く頂戴する。で、それはいいのだが、その弁当があまりきちんと蓋が閉まるタイプではなかったので、カバンの中でタレが染みだし、せっかくクマさんにもらった絵本まで一部汚れてしまった・・・ま、思い出にはなるけれど・・・。

 夜はたまのリハーサル。メリィさんと。

 篠原勝之「鉄のおもいで」読む。

1月24日(木)

 夜中、R君とゴミ捨て。グータラ夫婦なので、ためにためてから出すので、ポリ袋20個ぐらいになって、毎回、引っ越しのような量だ。近所にばれないように、こそこそ出す。

 小林聡美「東京100発ガール」読む。

1月23日(水)

 たまリハーサル。アキラさんと。Gさんの新曲「雨のイキモノ」のアレンジ等する。知久君より「紅いもジュース」もらう。

 新田次郎「風の遺産」読む。

1月22日(火)

 たまリハーサル。アキラさんと。アキラさんのホームページのコラムで、「Dr.ペッパー」のまがい物飲料がアメリカでいっぱい出ているという話から、昔飲んでた奇妙な飲み物の話になったところ、知久君は「コーラの牛乳割り」が好きだったという。
「だって、牛乳が好きだったから、なんとでも割ってみたんだけど、コーラが一番、いけたよっ!」
 って、まじかいな・・・。

 中島らも「水に似た感情」読む。

1月21日(月)

 大雨の中、名古屋より帰京。

 渡辺淳一「北国通信」読む。

1月20日(日)

 名古屋での「温故知新」2日目。ライブ本番中デジカメ撮影会とか、口琴に合わせて俺がモップの先をチアリーダーのように持って踊るとか、またわけわかんないこともやりつつ、盛況のうちに今回のシリーズ終了。
 しかし名古屋は実は本当はあせっていた。前売りチケットが、他の会場の3分の1ぐらいしか売れていなかったのだ。で、この「温故知新」シリーズは今回を第一回として、何回か続くシリーズものとして考えていたのだが、「この状況では、名古屋だけは、2回目以降外すか!?」と真剣に討議がなされたのだ。
 結局、当日券が出て他の会場と変わらないくらいお客さんが来てくれてホッとひと安心だったが、名古屋の人たちよ、あんまり俺達をビビラセルなよなー。なるたけ前売り買ってくれよなー。

 天野(天街)さんらと打ち上げ。なんでも今度、つげ義春の「必殺するめ固め」の映画監督をするらしい。で、出たいっ!!

 乃南アサ「幸福な朝食」読む。

1月19日(土)

 大須でラジオに1本出てから、TOKUZOにて「たまの温故知新」ライブ。俺達・・・いや少なくとも俺は、いわゆる客全員が心がひとつになって合唱したり、ウェーブをしたり、同じ振り付けで踊ったりというのが何より恥ずかしい性格なのだが、「嫌すぎるが故にあえてそれをやってしまう」というひねくれた性格も持っており、つい「らんちう」の「イョー!」を客全員にやらせてしまった。ただ、そういう理由だから、次回ライブがあっても、
「あっ、たまの人たちが好きそうだから、あたしも演奏やコーラスに積極的に参加しよう!」
 とは思ってくれるなよ。でももちろん、テンポのある曲で勝手にひとりで激しく踊ったりするのはかまわないからね。とにかく、「みんなが同じ反応」というのが、何か盲目的な宗教っぽくて嫌なだけなのだ。わかってくれたかな?

 アンコールは本当にいつも曲が決まっていないのだが、楽屋に戻ったら斉藤君が急に、
「『空の下』を久しぶりにやってみない?」
 と言うので「いいよー」と俺と知久君は言ったが、Gさんは、
「歌詞がわからないかも」
 ということで、急遽売り物だった「空の下」のCDを物販所からマネージャーに持ってきてもらい、ビリビリと封を破って用意した。ところが、そもそも曲を提案した斉藤君が、
「楽譜が見つからない。先にステージに出てて!」
 と言うので3人先に出てMCなどでつないでいた。それにしても遅いので、ふとステージの入り口を見てみると、暗幕から斉藤君が手だけ出して、大きな×マーク。おいおい、おめーが「やろう!」と言ったんじゃねえか。どうやら狂ったように探したが、楽譜が見つからなかったらしい。ということで、急遽、曲を「あるぴの」に代えて演奏したとさ。

 城山三郎「男たちの経営」読む。

1月18日(金)

 また小俣号に乗って、今度は中央高速を名古屋へゴゴゴのゴー。最近のサービスエリアは変に立派になって、立ち食いソバごときが650円もする。いかんな。
 名古屋到着後、町をひとりでウロウロ。東京のメーカーでありながら、何故か東京ではあまり自販機を見ない明治屋とチェリオの自販機を見つけ、まとめ買い。

 田辺聖子「大阪弁ちゃらんぽらん」読む。

1月17日(木)

 朝5時起きして、銚子にテレビのロケに行く。昨年舞台でやったケラリーノ・サンドロヴィッチ演出の「室温」がテレビドラマ化するので、その劇中バンドとして6週に渡って出演するのだ。
 電車内、駅のベンチ、雑貨屋の店先、崖の上、草むらの中、海沿い、浜辺などで音楽に合わせてプロモーションビデオ的、口パク演奏。
 で、これは夏の話なのだけど、断崖なども多く、風ビュービューで寒いのなんの。もちろん俺はランニングだし、知久君も季節を考慮してTシャツだ。もっともGさんだけはそんな協調性は全くないので、コートを羽織っていたのが、また、たまらしくバラバラでそれもよかろうということになった。
 しかし本当に寒い。そして! 遂に寒さに耐えきれず、たま結成以来18年、はじめて3人でギュウと抱き合ってしまった。知久君を真ん中にサンドイッチにして、前から俺、後ろからGさん。人肌は、暖かくていいぞ~。こんな快感から、別の感情が芽生えてホモバンドになる日も近い・・・わけねーだろっ!!
 夜はアンコウ鍋などごちそうになる。

 林望「イギリスは愉快だ」読む。

1月16日(水)

 事務所にて打ち合わせ。年間計画立てる。しかし年が明けてから年間計画・・・「今年はのんびり、たま企画室」がモットー。

 中国の奥地に、「歯なし村」を見つけた、という三面記事に驚く。なんでも、その村の人は誰ひとりとして永久歯が生えてこず、一生物を噛むことが出来ず、お粥だけしか食べられないそうなのだ。この現代に、まだそんな村が新たに「発見」されるとは・・・中国、恐るべし!!

 萱野葵「ダンボールハウスガール」読む。

1月15日(火)

 狂牛病の為、半年間我慢していた牛丼を、遂に解禁にして食う! 食う! 食う! やっぱ、ウメェェェェ!!

 チチ松村「旅ゆけ茶人」読む。去年までたまのマネージャーだった溝端さんが松村さんと友達なので、ふたりで間違ってホモ映画館に入ってしまい、他の人に声をかけられないように、カップルのふりをするエッセイが面白かった。

1月14日(月)

 大阪から、車10時間はかったるいので、自腹で新幹線で帰京。やっぱりこの年になると、ライブ自体よりも、移動が疲れるんだよねー。帰ったらすぐ整体へと急行。

 ニヒル牛で最近、万引きが続発。基本的には安い作品が多いニヒル牛だが、いくつか銀細工等の値のはる物があり、それが2,3個盗まれただけで、約1週間分の売り上げがパーになってしまうのだ。つまり、1週間店を開けていたことが、全く無駄になってしまうぐらいの被害なのだ。小さな店なので、そんなことが原因で店が潰れることだって、あり得ないことではない。現に、同じ様な規模の店で、万引きが原因で潰れた店も意外に多いという。だから、たのむで~、万引きするなら、是非大きな店でしてくれやっ! 

 三浦哲郎「踊子ノラ」読む。

1月13日(日)

 本日もバナナホールにて「たまの温故知新」ライブ2日目。はっきりいって、今回は2日とも客が前回ここでやった時の倍ちかく入って嬉しい。久しぶりに懐かしい曲をやる、という企画もあったのだろうが、去年の秋に大阪で「はじめにきよし」というグループと共演して、そこから流れてきたと思われるお客さんが、かなりいたようだ。今後も「このバンドと共演したら、ファンの趣向が近くて、客を盗めるぞ!」というバンドがあったら、是非教えてくれ給へ。・・・って、俺達は強盗か。
 打ち上げはタイレストランで「メコン」飲む。

 山田詠美「ぼくは勉強ができない」読む。

1月12日(土)

 大阪・バナナホールにて、「たまの温故知新」ライブ。あのねのねのパロディをやったが、もはや若いファンの子には「誰それ?」状態。時の経つのは、早いでんなー。「即興エンヤトットソング」などもやる。

 ライブ終了後、ファンの人達と話していると、なんと俺のホームページのチャットで意気投合して、直接会って3日で結婚を決めた、というカップルがいた。フヒェーッ、チャットがふたりの人間の人生を決定してしまうこともあるんだなーっ。それはいい話なのだが、大阪のファンはとにかく濃ゆい。
「一緒に写真撮ってください」
 はいいけど、普通は照れながら横にちょこんとピースぐらいして並ぶ、てなものだろーが、大阪人はいきなり、ほっぺにブチュとキスをしてくる。おいおい、これじゃ逆レイプだよ~。

 谷村志穂「ナチュラル」読む。

1月11日(金)

 小俣号(バン)に乗って、たまで大阪へ。約10時間。「私は誰でしょう」とかやりながら行く。メンバーは友人の内田のマンションにお世話になりにいく。内田の「誰が買うんやねん、このデッサンの狂ったアニメの茶碗」や「ゴミ捨て場に捨てられていた北海道の鮭を食べている木彫り熊」や「落ちていた子供の夏休みの宿題の工作ゲーム」等のコレクションを見せてもらう。

 連城三紀彦「たそがれ色の微笑」読む。

1月10日(木)

 たま、リハーサル。サポートの斉藤君と。休憩時間は麻雀。俺が国士無双十三面のダブル役万をストレートであがって、「なにーっ!!」と、みんなの顔がパキパキと凍り付く。ふふふ、今年はいい年になりそうだぜ。

 中島らも「獏の食べのこし」読む。

1月9日(水)

 事務所似て打ち合わせ。「温故知新」ビデオチェック。

 荒木スミン「チョコレート・ヘヴン・ミント」読む。

1月8日(火)

 たま、今年初のリハーサル。サポートの斉藤君と。休憩時間は麻雀。Gさん勝つ。

 リリー・フランキー「誰も知らない名言集」読む。

1月7日(月)

 漫画喫茶に5時間。

 池澤夏樹「南の島のティオ」読む。

1月6日(日)

 「ジョージア」のエンブレムシリーズを買う。これはセブンイレブンにしか卸していないという缶コーヒーなのだ。常に情報をキャッチして、買い洩れのないようにしないとな。ふーっ、最近はこの手の「限定発売品」も多いので、コレクターは苦労するぜっ。ま、それも喜びなんだけどな。・・・って、コレクター以外には、「何が嬉しいねーん」だろーが、「俺が嬉しいねーん!」だな。

 ニヒル牛の「福袋フェア」が好評。なんせ、作家の作った一点物が格安で手に入るんだからな。うちも、店をやっている者の特権として、美術家くす美の福袋を開店と同時に買った。なにせ、客が入るより、店員が入る方が先に手を出せるからな。・・・って、これってもしかして、ズル!?
 くす美さんの作品は基本的に路上に落ちていた物をくっつけ合わせて作品に仕立て上げている。しかも今回はめでたい新年ということで、わざわざ地図で「福」の付く地名を探して、その町まで行き、そこで拾った物だけで作品を作るという念の懲りよう。
 ちなみに、うちの買った福袋には、金のしゃちほこをくくりつけた貯金箱(さらに、お金を入れると中で鈴が鳴る)、真鍮で出来たニセ懐中時計で、裏側には本物のデジタル時計がついている物、いろんな素材で虫の形に仕立て上げている小物入れなどが入っていた。しかし、金のしゃちほこって、普通路上に落ちているか!?
 きっと神様がくす美さんの歩く前に、素敵なゴミを次々、捨てていってくださってるんでしょうなぁ。

 野田知佑「雲よ」読む。

1月5日(土)

 杉並商店会の人達が、ニヒル牛に来店。
「牛肉関係の業者の方へ。昨今の狂牛病騒動により、被害のあった方に、申請で援助金が出る場合があります」
 と言うので、
「あの~うちは確かに『ニヒル牛』という店名ですけど、牛肉は扱ってないんです」
 と、店内を一目見ればわかりそうなものだが、商店会の人達は、
「いやいや、とりあえず何かあったら困るから、用紙を置いていきます」
 と言って去っていった。
 ・・・「ニヒル牛」は牛丼屋じゃないです。つゆだくは、ありません。

 藤原新也「風のフリュート」読む。

1月4日(金)

 100円ショップで、ボールペン、セロテープ、風呂用三角コーナーを買う。ミュージシャンといっても、これが日常生活ってもんさっ!!

 群ようこ「無印OL物語」読む。

1月3日(木)

 R君の実家に新年会に行く。俺は何故か、きのうからみんなと家に泊まっていたマニ(元たま企画室事務員)を自転車のうしろに乗っけていく。マニは無邪気に、
「あちしを後ろに乗っけてってよー」
 と言うから乗せたが、よく考えてみると40才の元会社の上司と、25才の元部下のOLがふたりのりで自転車で走ってくのって、おかしいよなー。中学生のカップルじゃないんだから。しかも行き先は妻の実家。なんか変だよな、やっぱり・・・。

 R君の実家には、甥の大樹が来ていた。まだ生まれて5ヶ月だが、結構俺になついてきて、嬉しい。
 ところで、俺は以前、R君に大樹のことでひとつの話しを聞かされていたのだ。
「赤ん坊でも、ムケてる子っているんだね。大樹、産まれた時から、ちんちんズルムケだよ」
「・・・えっ!? そ、そうなの(汗) そ、そりゃ、そ、そういう子もいるかもね・・・」
 そして、それを確認できるチャンスが訪れた。大樹が、おしめを代える時だ。
 俺はさり気なく近づき、目をそっとその股間にやった。
 と・・・、ム、ムケてないっ!!
「あれっ!?」
 と思って妻の方を見ると、なんとニヤニヤ笑ってやがる。
 (こいつ、俺を騙しやがった!!)

 帰り、「ムケてねーじゃねーかっ!!」
 と俺が言うと、R君はいけしゃあしゃあと、
「赤ん坊がムケてるわけないでしょっ!! あの時のダンナの驚いた顔、マヌケだった!」
 と、すっかりはめられた! なんせ俺は今でもムケて・・・いや、何でもないっ、何でもないぞいっ!!!!!!

 さくらももこ・土屋賢二「ツチケンモモコラーゲン」読む。対談集だが、さくらさんの方が一枚上手だな。

1月2日(水)

 自宅に帰宅、夕方からは友達10人ぐらい来てこれまた恒例麻雀大会。2卓囲む。坂本さんは、はじめガンガンに勝っていたが、途中で来た雀鬼・山下由にみるみる叩きのめされて、ショボショボショボーッとしぼんでいったのがかわいそうだった。しかーし!! 結局俺が一番勝ったザンス。でも負けた馬場君(たまのライブ時スタッフ)は金がないので、俺へのマッサージで負け分を払う。
「もっと強く揉みやがれぃっ!! ふほぉっほぉっほぉっ!!」

 宮塚利雄「北朝鮮ツアー報告」読む。

1月1日(火)

 茨城の実家にて正月。恒例の家族麻雀。俺はそもそも麻雀は親にしこまれたからなー。妻も、結婚する時、うちの母親に、
「石川家に嫁に来る、ということは麻雀を覚える、ということですからね。うちの家訓よ!」
 とまで言われ、つきっきりで享受を受け、
「そこでポンでしょ! 馬鹿っ!」
 とスパルタ教育されたからなー。
 おかげで今では、
「お母様、それロンですわ。よくそんな牌をお切りになること。ボケが入ってるのかしら、オホホホ」
 とやり返すほどになってる。
 女は怖いな。

 親のところには、あいかわらず年賀状がたくさん来てるなー。うちはもう何十年も誰にも出していないので、来たのはさくらももこと、妻が使っているメガネ屋だけさ。そんなものさ。

 藤堂志津子「マドンナのごとく」読む。
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