石ヤンのテキトー日記01年12月

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12月31日(月)

 ♪ふにゃふにゃふー、大晦日だけどー 今年はなんにもないのさー うきゃきゃきゃきゃー
 今年一年を締めくくってニヒル牛に寄って、店員ともいえないニヤニヤ笑いで店内にしばらくいてから、常磐線でR君と茨城の実家へと帰省。シュッポッポーって、さすがに汽車じゃないわな。

 伊集院静「女神の日曜日」読む。

12月30日(日)

 1年ぶりぐらいに自分の部屋の掃除。あれーっ、いなくなっていたと思った猫のクロ、こんな奥に眠っていたのかー。あっ、犬のジョンもここに。・・・なんてことはさすがにないから安心してくれ給え。

 水上勉「停車場有情」読む。

12月29日(土)

 BUBKA取材で新小岩の商店街めぐり。昭和の風情のいい喫茶店見つける。編集者とイラストレーター、両手に花で町を行くかっこいい俺だよ~ん。

 福沢安夫「ホームレス日記『人生すっとんとん』」読む。

12月28日(金)

 事務所にて掃除。といってもそこらへん雑巾で撫でただけだけどな。

 伊藤比呂美+上野千鶴子「のろとさにわ」読む。

12月27日(木)

 図書館、整体、漫画喫茶。ライブ疲れだ、今日は休ませてくれ。フー。

 長崎快宏「一人旅ドキドキ・アジア」読む。

12月26日(水)

「たまのお歳暮」2日目。本日は5月にNHKの「おかあさんといっしょ」でやった曲などやる。「らんちう」の間奏で斉藤君がはじけてくれて、寝弾きとかやってくれて面白かった。
「夜のおんがく」で「♪さよなら僕はもういなくなるよ~」と歌いながら本当に回転舞台が回って俺達がいなくなる演出が、ベタすぎてまじめな歌なのに客も演っている方もどちらも笑いをプププッとこらえていた。
 アンコールで「夢の中の君」が格好良く決まり、そのまま立て続けに「たまにはかっこいい俺達も見せたるでぇ!」と「オヤスミ」をやったら、Gさん歌詞が宇宙空間にすっ飛んで呼べど叫べど全く帰って来なくって、前代未聞ぐらいメタメタにすべてが崩れ、これぞ「永遠のアマチュア魂、たま」の神髄を見せつける。いくらなんでもこれじゃ終われないので、お客さんに頼み込んで「おやすみいのしし」で締めさせてもらう。

 吉行淳之介「紳士放浪記」読む。

12月25日(火)

 お台場の「トリュビュート・トゥ・ザ・ラブ・ジェネレーション」という長い名前のライブホールで「たまのお歳暮」ライブ。最も、長い名前なら、「マンダラ2」も正式名称は「天使のジョーのシティホールズバー・マンダラ2」だけどな。

 お台場に向かう途中の「ゆりかもめ」の中で、目の前にいた高校生ぐらいのカップルがいちゃついてて、そのうち彼氏が彼女の頭をカリッ、なんて甘かみしていて、
「あっ、今あたしをかんだでしょ!」
「えっ、神田じゃなくてここはお台場だよ」
 とか言っているのを聞いて、ぼろ雑巾のようにふたりを最後の水の一滴まで、絞ってやりたかった。

 ライブは回転舞台を使って「たま」と「しょぼたま」をドリフのセットのように回転させて使い分けた。基本的に「この一年間の総括・名場面集」ということで、7月にやった芝居(室温)の曲をセリフ入りでやったりした。

 しっかしこの日はメンバー全員忘れ物が多かった。まずGさんが「おるがん」で「♪しずかな音楽をー」のコーラスが入らなくて本当に歌詞通りに静かになってしまったので「?」と思って見てみると、コーラスが取れないのも道理、この曲はコーラスをつける為、ピアニカに風船を仕込む曲だったのに、堂々と口で吹いていたのだ。ピアニカとコーラスは同時には出来ないからな。
 それからアンコールでサンタ・モジャラーズで景気良く出てきたのはいいが、くだらないお喋りをして、さて曲に行こうとしてハッと見てみたら、俺は手ぶらだった。唯一の打楽器、タンバリンがなくては、俺はこの空いた両手で♪アラエッサッサーと、どじょうすくいを踊れというのか。
 そして二回目のアンコールは、格好良く終わろうと思ったが、今度は知久君ハーモニカホルダーがなく、曲中断。わっはっはー・・・お客さん、はっきり言って、これは注意したから直るという類のものではありません。気持ちの上では万全の準備をしているつもりが、脳味噌の容量をオーバーしているのです。みんな痴呆性老人ということですわー。なので、せめて暖かい目で見守ってやってくだせえー。お願いしますだー。

 ちなみに懸案のサンタの帽子は、Gさんの奥さんがサンタのズボンだけ見つけて来たので、それをむりやり切って縫って帽子に仕立て上げて、無事、事なきを得た。糟糠の妻のおかげですだー。

 斉藤茂太「人生、愉しみは旅にあり」読む。

12月24日(月)

 ニヒル牛へ。写真撮影等。後、R君とせっかくのクリスマスイブなので、西荻の回転寿司に入って、俺がでかい声で、
「メリー・クリスマス!!」
 と言ったらまわりの人に見られてR君が顔を真っ赤にして、
「でかい声出すんじゃない!!」
 とたしなめられる。

 菅野昭正編「九鬼周造随筆集」読む。
 
12月23日(日)

 八王子でもまだサンタの帽子探しするが、やはりないよーん。むーーーーーん。
 しょぼたまリハーサル。

 吉村達也「『巴里の恋人』殺人事件」読む。

12月22日(土)

 「たまのお歳暮」で使おうと思った小道具のサンタの帽子が、町中の100円ショップを自転車でガシガシ探しまわったがない。む~ん、先週までありふれていたのにい~。直前に欲しい人だっているだろーに、全部お正月用品に変わってるなんて、ひどいわ、ひどいわ。サンタの帽子さーん! ファーストフードの店員のを、「ほおりゃっ!」と強奪するかな。そして最も情けない犯人になって、年の瀬を監獄で迎えるかな。

 妻の実家に遅蒔きながらフランス土産のチーズ持っていく。臭いのほど、旨いんだよねー。

 伊勢英子「気分はおすわりの日」読む。

12月21日(金)

 しょぼたまリハーサル。Gさんのインスト「ガタンゴトン」アレンジ。太鼓を叩きながら、瞬間的にトイピアノに移るところがあり、スティックの持ち方に苦心する。

 内田百聞「凸凹道」読む。

12月20日(木)

 たまリハーサル。斉藤君と。

 ねじめ正一「輝け! ご近所の星」読む。

12月19日(水)

 事務所にて打ち合わせ。「お歳暮」の曲順決め等。

 水木楊「拒税同盟」読む。

12月18日(火)

 ビデオで映画「リトル・ダンサー」見る。
 通販で買ったマッサージ座椅子来るが、ブルブルやたら振動するだけで、これじゃマッサージの前に酔ってゲロゲロゲローッと吐いてしまうわい。ゲロ座椅子か。

 玉村豊男「パリ旅の雑学ノート」読む。

12月17日(月)

 空港で博多ラーメン食べて、帰京。

 高校時代のクラスメートの女の子から突然メールが来て嬉しい。高三を筆頭に3人の子供のお母さんだそうだ。20数年間会ってないけど、きっと全然俺とは違う人生を歩んでいるんだろーな。

 泉麻人「僕がはじめてグループデートをした日」読む。

12月16日(日)

「たまの温故知新」福岡編二日目。今日も「ウララ」の間奏でアダチさんやってくれました。昨日の笛皿回しに、さらにジャグリング、一輪車ピアニカ。凄すぎる・・・。
 さぁ、今日はやっと飲むでー。モスバーガーには行かんでー。「野球鳥」という変わった居酒屋で芋焼酎でウィー。福岡にアジア雑貨屋を開店した泯比抄子さん(ミン &クリナメンというバンド覚えてるかな?)も来てくれる。

 小沢昭一・宮越太郎「イケイケどんどん・小沢昭一的こころ」読む。

12月15日(土)

 アダチさん、今朝も病院に行ったら、きのうとは違う医者が担当で、
「あっ!! 誰だ!! 鼻にホチキスなんか打ったのは!!」
 と叫ばれたそうだ。
「そんなぁ・・・(涙)」
 まぁ、医者によって見立てが違うんだろうけど、この医者に当たってたら、鼻ホチキス地獄は味わわなくて済んだわけか。ご愁傷様です・・・。

「たまの温故知新」福岡編初日。さすがチンドン屋さんが本業のアダチさんだけあって、「らんちう」の間奏では、笛を吹きながらその笛の先に棒を立て、皿回しをするという曲芸を披露、拍手喝采。たまにもいろんなサポートキーボードがいるけど、曲芸が出来るのはアダチさんだけだからな。アダチ宣伝社の女の子達も途中チンドンにセッションで参加。ほとんどサーカスライブだな。
 
 夜中、メンバーはみんな飲みに行ったが俺は飲酒節制の為、モスバーガーで4時間読書。

 林真理子「美食倶楽部」読む。

12月14日(金)

 本日も一日リハーサル。なんといってもアダチさんは2日間で30曲以上、いちからリハーサルしなければならないので大あわて。実はたまのキーボードはいわゆる「決め」のブレイク、フレーズが案外多く、見た目より複雑で大変なのだ。
 そういえば、アダチさんが例の怪我の件で医者に行ったら、
「鼻の骨のくっつきがイマイチ悪いので、ホチキスうっちゃいましょう」
 と言われ、
「えっ!? えっ!?」
 と言っているうちに麻酔なしでデカイホチキスをやおらガシャンと打たれ、激痛に涙したという。・・・聞くだけで痛そうだな。鼻にホチキス。
 
 夜中、メンバーはみんな飲みに行ったが俺は飲酒節制の為、モスバーガーで4時間読書。

 佐伯一麦「ア・ルース・ボーイ」読む。

12月13日(木)

 初めて福岡のアダチさんをサポートキーボードに迎える、ということでリハーサル。アダチさん顔に怪我をしてる。鼻の絆創膏が痛々しい。聞くと、自転車でつい数日前すっころんだそうで、左腕も打撲したので、一時はサポート降板も考えたらしいが、なんとかなりそうで安心。
 
 夜中、メンバーはみんな飲みに行ったが俺は飲酒節制の為、モスバーガーで4時間読書。

 城山三郎「アメリカ細密バス旅行」読む。

12月12日(水)

 飛行機で福岡へ。雨の中、ひとりで「弓の馬場名店街」というマイナーな商店街を観光。
 うらぶれた食堂で「チャンポン定食」で晩飯。
 
 夜中、メンバーはみんな飲みに行ったが俺は飲酒節制の為、モスバーガーで4時間読書。

 樹下太郎「サラリーマンの勲章」読む。

12月11日(火)

 事務所にてファンクラブ会報作り、打ち合わせなど。

 源氏鶏太「不惑にして惑う」読む。

12月10日(月)

 「24時間4万回の奇跡」という、24時間で4万回ドアを出入り出来るかチャレンジするという映画をビデオで見る。カブラギ君みたいなインセクト、じゃなくてイノセントな人が出てきて面白かった。

 中丸明「スペインひるね暮らし」読む。

12月9日(日)

 図書館の帰りに、吉本興業総出演といった感じの「ジョージア『明日があるさ』缶」買う。こーいうのは見つけた時、速攻で買っとかんとなー。「そーいえば昔こんなのあったあった缶」になるのは必至だからなー。

 末永直海「百円シンガー極楽天使」読む。

12月8日(土)

 事務所へ。来年発売予定の「温故知新」ビデオの、札幌でのラフをメンバーで見て確認作業。ライブ2回分なので4時間も見てへとへと。でも、たまにビデオで客観的に自分たちのことを見るのは、ステージングの勉強にもなるのだ~。おっ、ここの歌の表情は暗すぎるな、とか。やっぱり太り過ぎてるな、とか。さすがにズラだとわかるだろうな、とか。・・・まぁ、3日で忘れるけどな。

 宮脇俊三「豪華列車はケープタウン行き」読む。定価は400円くらいの本だが、パリで読む本がなくなり、日本書籍屋で1500円くらいで買った本。「豪華文庫はパリ帰り」だな。

12月7日(金)

 韓国で乗り換え。空港でこの時期しかない「日韓共同ワールドカップ」のジュースなど仕入れて、帰国。

 東海林さだお「平成元年のオードブル」読む。

12月6日(木)

 昨日が少々欲求不満気味だったので、今度は昼間、再度3人でポンピドゥーセンターの前で、ストリート即興演奏にチャレンジ。と、子供がたくさん集まってくるが、子供は金を持っていない。俺達は、小銭が欲しいんじゃーい。あっ、こらガキ! 演奏を聞かずに勝手に俺のパーカッションや音の出るおもちゃで遊ぶんじゃなーい! おじさんは、こんなおもちゃの笛をピーヒョロ吹くのが本業なんだからね! わかってるのか、フランスのガキよ。でも「レンヌのフェスティバルで見た」とかいう若者が来たり、徐々に人も集まってきて、おおっ、これからじゃーい! というところでまたもや昨日のおまーり来て「また、やっとるんかー、おまえらー!!」で終了。残念なりー。でも今日もきのうと同じくらいの稼ぎあり。

 時間があったので、立ち止まって見てくれていた、日本人の若者カップルと カフェへ。話を聞くと、どうやら美術留学しているらしいのだが、なんと日本での先生が、俺の昔の知り合いだったりして、奇遇。オオノサキコさん、お元気ですか? 「毒マンコ」はもう解散しましたか?

 夜、パリから帰国の途へ。俺のおみやげは空港で買ったチーズの詰め合わせと、あとは地下鉄の入り口で「ご自由にお持ち下さい」のフランスの新聞だ。これはニヒル牛の詰め物に使えるから、大量にもらってきたぞ。陶器とかを包む時「東スポ」より、フランスの新聞の方がかっこいいからな。・・・安易か?

 山田太一「異人たちとの夏」読む。

12月5日(水)

 昼間はエッフェル塔の近くで無塩バター探し。R君と昔ここらあたりを歩いていた時、おいしい無塩バターの店を見つけ、たいそー喜んでいたので、妻思いの俺は、それをみやげに買っていってやろうと思ったのだ。
 しかし、歩けど歩けどそれらしい店は見つからず、結局断念。
 ちなみに帰国してから聞いてみたら、おいしかったのは無塩バターではなく、発酵バターで、しかもエッフェル塔の近所でもなんでもなかったということで、全くの俺のお脳の勘違い。またまた意味なし散歩をしてしまった。コンコルド広場でサンドイッチ頬張る。公衆便所で小便するのに、2.5フラン(50円)も取られて悲しい。

  夜は川口君、風人さんと3人でポンピドゥーセンターの前で、ストリート即興演奏にチャレンジ。だが、寒い季節ということもあり、客足はイマイチ。そのうち酔っぱらいにからまれ、おまーりさんもやってきて「そろそろやめなさい」と言われ、チョン。あれー、ここは大道芸人の聖地で、誰でも自由にパフォーマンスをしていいのだと思ったのだが、違うみたいだ。それでも88.5フラン(約1700円)ぐらい稼いだ。

 ケバブ屋で晩飯。パリは食堂が高いので、ケバブ屋が一番のお奨め。マクドナルドより安くて(500円位)結構お腹いっぱいになるぞ。
 親父が俺達の楽器を見て、
「ミュージシャンか?」
 と聞くので
「そうだ」
 と答えると、
「俺は音楽が大好きだ。乾杯しよう!」
 と言って、ウゾーというギリシャの酒を奢ってくれた。

 永井荷風「墨東綺譚」読む。(墨はサンズイあり。ワープロに文字なし)

12月4日(火)

 今日も暇。パリといっても、あらかたの観光地は以前すでに見てしまったしな~。ということで、何の予備知識もない「地下鉄の終着駅へ意味もなく行ってただそこらをうろうろして帰ってくるだけの旅」をひとりで立案し、実行する。地下鉄5号線と7号線のそれぞれ南北の終着駅まで行って、住宅街や、スーパーや、運河や、公園などをうろついて、パリのフツーの日常に身を置いてみたぞ。

 夜、川口君(栗コーダーカルテット)来仏、部屋をシェアする。川口君といえば、知っている人はその髭姿が思い浮かぶだろうが、なんとすっかり剃り落としてる。
「どうしたの?」
 と聞くと、
「テロのせいで、空港で中東の人と間違われないように剃ってきた」
 との事。
 こんなところにもテロの影響はあるんですなー。
 別のホテルに泊まってる風人さんと合流、中華料理。後、カフェでビール。

 ホテルに帰り眠ろうとすると、部屋の中で明らかにポップコーンの弾ける、
「ポンッポンッ」
 という威勢のいい音が聞こえてきた。
「こんな夜中に何故、部屋の中にポップコーン売りが・・・?」
 と思ってあたりを見渡したら、それは川口君の寝音だった。
 もしも貴方の今後の人生において、布団に入ったら、いびきでもない、寝言でもない、不思議な「ポンッポンッ」というポップコーンの弾ける音がしてきたら、ただ川口君がそばにいるだけなので、安心して眠るがよい。

 清水義範「秘湯中の秘湯」読む。

12月3日(月)

 モントレイユという町の、蚤の市へ。片っ方の靴とかを堂々と売っている、なかなかに労働者階級な蚤の市だ。5フラン(100円)のセーターやら、20フラン(400円)の帽子やら買う。それからオペラ座のあたりで、日本の無印良品のパリ店に行き、レンヌでなくしたパーカッションセットの紙筒買う。日本食の「きんたろう」についふらふらと入り、チャーシューメン食う。さらに雑貨の大きなデパートに入り、太いネジとか、じーっと見る。

 そのデパートの上の階のセルフサービス食堂で、チーズとチョコレートケーキでお茶。で、このチョコレートケーキが見た目ゴテゴテなのに、甘さ控えめで、んまーい!! ちなみに俺の生涯のベストケーキは、やっぱり初めてパリに来た時食べた、チョコレートケーキだ。冷えたケーキにフォークを刺すと、中から、暖かいチョコレートがトロ~トロロロロ~と出てくるもので、普通ならその時横にいたはずのR君に「一口食ってみなよ!」というところを、あまりの激おいしさに頭がぼーっと地球外に飛び、ハッと意識が戻った時は完全に食べ尽くしており、その後、随分R君に恨まれたものだ。とにかく、こと甘い物に関しては、思わずおフランスかぶれになっちまうザンス!

 原田宗典「吾輩ハ苦手デアル」読む。

12月2日(日)

 メンバーと別れ、ひとりでナンシーの町をうろつく。「ナンシー派美術館」は、派手な装飾で知られるアール・ヌーヴォーの美術館。富士山の前で江戸っ子が酒をくみかわす絵柄をあしらったピアノが面白かった。

 夕方になると、今日は日曜なので、ほとんどの店が閉まっているのに、やけに町に人通りが多いと思ったら、突如ディズニーランドのような大規模なパレードが始まり、驚く。あとで知ったところ、セント・ニコラスのパレードだそうで、異国情緒たっぷりに楽しむ。突然の遭遇は、まるでライブ成功のご褒美のようだった。

 ひとり夜汽車に乗ってパリに戻る。目の前ではずっとカップルがキス。恋愛の国・・・か。

 中島らも「ぷるぷる・ぴいぷる」読む。

12月1日(土)

 パリから電車で東へ約3時間、アール・ヌーヴォー発祥の地、ナンシーへ。ホテルにチェック・イン後、ひとりで町をうろつく。墓地があったので入ってみると、エミュール・ガレの墓があった。何故か石棺状の窪みの中は、草がぼうぼうだった。ビデオカメラを回していると、管理人に撮るなと言われた。後、町をぶらついていると、同じくうろうろしている他のメンバーとも会って、「小腹が減ったねー」とか言ってパン屋に入ってキッシュなど買ってパクつく。

 夕方、本日ライブの行われるナンシー郊外のモーゼルという町へ。会場は、煉瓦造りの古い工場かなにかを改装して作った、レトロ感たっぷりの場所だった。「いいぞ、いいぞ」とぞくぞくする。中に入ると、特に楽屋が素晴らしかった。ボロボロの綿がはみ出た椅子、テーブルには時代物の笠のついた電気スタンド。傾いた天井。まるっきり、ホラー映画のセットの、幽霊屋敷の一室のようだ。どこから顔が覗いても、何かが突然飛び回ってもおかしくないような部屋。これぞ古いヨーロッパ。

 ライブ前には、まず軽食パーティ。キッシュ、チーズ、サラダ、フルーツなど。もちろんワインもある。そしてライブ終了後は、本格的なディナーがコースで出た。前菜、メインの肉料理に、食後のデザートまで。フランスではこの会場だけではなく、どこでも少なからずこういうシステムのようだ。リハーサルの時間を削ってでも、食事はゆったりとる(笑) こんなの日本のライブハウスじゃとても考えられないよなー。うーん、フランス、やるな!

 ライブもなんとなくアットホームな会場だった為、リラックスして楽しめた。俺は滑車のついたパーカッションをゴロゴロひきずって移動しながら叩いていたら、突如パーカッションセットがバラバラに崩壊して、それでも叩き続けたり、バナナをスティック代わりにして演奏したり、チェロのふたりによる即興演奏の時は単なるビデオカメラマンになって、客席に陣取り、その演奏に合わせて馬鹿馬鹿しい百面相をする知久君をアップで撮ったり、逆にギター &ウクレレソロの時は、さっとステージ後ろにある黒いカーテンの裏に隠れ、事前に確認しておいた台に登って、あたかも巨人がカーテンの裏にいるが如く、2m以上あるカーテンの上から首だけだして妙な踊りを踊ったりした。ということで、客席も大盛り上がり。何度目かのアンコールを終えてもまだ拍手は鳴りやまず、プロデューサーのジェラール氏が「ムーン・リバー、ムーン・リバー!」と顔を紅潮させて楽屋に入ってきたので、最後は「ムーン・リバー」でしっとり決めた。

 帰国後、主催してくれたジェラール氏より、メール。

『親愛なるマツ、サラ、そしてパスカルズのみなさん、

ラジオ放送のための曲を選んでくれてありがとう・・・
貴方達と過ごせた1週間はとても素敵でした。去年の三月に小さなバーで貴方達の演奏を見た時には、9ヶ月後にレンヌ、パリ、ナンシーであのように素晴らしい観客の反応を受けることになるなど想像もつきませんでした。

みんなパスカルズについては素晴らしいことを言い、フランスでの貴方達の評判は大きくなっています。貴方達のショーは大変プロフェッショナルであり、音楽を聴く、演奏する姿を見るという両面においてとても素敵でした。

トランスミュージカルズからは、今回の出演者の中では貴方達が一番だったという声がたくさん届いています。フランスで最も大きな夏の音楽祭(6月末)EUROCKEENNESフェスティバルのプロモーターからの電話を受け、彼がレンヌで見た中で、貴方達が一番だと話してくれました。これは、再び貴方達がフランスで演奏するための素晴らしい機会だと思います。

あるいはスイスのモントレージャズフェスティバルでもいいかもしれません。(彼もまたレンヌに来ていました、実現したら素晴らしいと思います。もちろん、これらについてはわかりしだいすぐに連絡をします。
 次回の貴方達のヨーロッパでのコンサートは、もっと簡単にいくでしょう。私はすでに事務的なことに必要な書類、パスポートのコピーなどはもう持っていますし)ツアーとCDの明細については、来週早々にファックスします。
みなさんが疲労と時差ぼけから早く回復することを祈ります。
そして早く四月が来て貴方達にまた会えたらと思います。なにもかもありがとう。

貴方達はすごいよ!!
感謝を込めて
         ジェラール』

 また、フランスでの新聞評の翻訳はこちら。へへへ、誉められてるデショ。

 阿佐田哲也「ヤバ市ヤバ町雀鬼伝1」読む。
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