石ヤンのテキトー日記01年4月(1)
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4月18日(水)
昼は「インディーズマガジン」の取材、渋谷のルノアールの会議室にて。最初会議室だと知らずに、一階でアイスコーヒーを頼んで、ゆっくり飲もうと思ってほとんど口を付けていなかったら、地下の会議室には持っていけないと言われ、自分が払うわけではないが、「損をしたー」と思う。俺はとにかく損が嫌いなのだー。きっと、すぐに流しにジャアと音たてて捨ててしまうんだろーな。当たり前だが。おぉ、もったいないお化けが出るぞー。
それからNHKに向かって歩いていると「エッグ・サイト」(旧エッグマン)で今日ホフ・ディランのライブがある、と書いてあったので、メンバーで急襲して、リハーサルを覗いていく。ワタナベイビーと挨拶だけして、NHKへ。ゴールデンウィークにやるコンサートの練習の為の録音作業。栗コーダーカルテットもいて、上の階で「ジャム・ザ・ハウスネイル」の特殊撮影をしているというので、みんなで野村さんの作業をこれまた急襲する。精密なクレイアニメの撮影現場は、普段覗けない世界なのでちょいと面白かった。
阿刀田高「響灘」読む。
4月17日(火)
ようやく風邪も直ってきたが、いきなり「ファミ通PS」で鮭のおにぎりの食べ比べの取材。本当は鮭のおにぎりはどちらかというと苦手なのだが、なんとかしたり顔して食べて、批評。やっぱり一番安いのが、一番鮭の量が少ないことを確認。同じ鮭おにぎりでも、食べ比べると違いがいろいろあるんだなー、と思った。詳しくは雑誌を見てね。ところでこんな仕事が来るということは、きっと俺はそーとーのおにぎり好きだと思われているんだろーな。しかしおにぎりが好きなのは、山下清。似て、非なるお人じゃーい!
夜は下北沢QUEでしょぼたまライブ。共演はトモフスキー。トモフスキーといえば、元カステラというバンドで、アマチュア時代何度か共演したことがある。なかなかお気に入りのバンドだ。「取り説がもっと薄ければーっ」とか相変わらずの言語感覚だった。
ところでGさんが、
「俺も風邪を引いた」
というので、なんでかなーと考えてみたら、それも道理。「ハル」という曲で、同じピアニカの吹口を使っているのだ。病原菌充満の、間接キッスだな。すまんな。というか、そりゃうつるわな。事前に気づかない俺たちが馬鹿だな。
ふたりで、ライブ前に喫茶店に行き、何故かふたりともホットケーキを頼んでしまう。ホットケーキなんて一年に一回食べるかどうかのものなのに、ふたりとも揃ってそれを頼んでしまったのは、もう15年も一緒にバンドをやっているせいで、ちょうど「ホットケーキそろそろ食べたいなーの季節」が重なってしまったのか? うーむ、謎だ。
椎名誠「男たちの真剣おもしろ話」読む。
4月16日(月)
朝、ホテルの廊下にある自動販売機で、不本意ながら、缶の水「オロフレ山渓水」を買う。何故不本意かというと、150円だったからだ。他のジュース類も150円。普通は120円だから、ホテル料金30円が加算されているのだ。しかし持っていない缶だし、もしかしたらこの札幌グリーンホテルの7階にしかない物かもしれない。また札幌グリーンホテルの7階に来る確率は低いし、もしも外のどこにも売っていなかったら、悔やんでも悔やみきれない、泣いても泣ききれない、頭をかきむしってもかきむしきれないので、この高い缶を買うしかないのだ。ククーっ。コレクターはつらいわい。
ってなことで、本当は夕方の便だったのだが、仕事があるのを思い出し、昼の便に変更して急いで帰る。空港で丸三日ぶりにざるそばを食うが、たかがざるそばを完食出来ず。ざるそばごとき弱者に負けるとは、我ながらむむむ、情けなし。羽田からさらに2時間かけてやっと家にたどり着くが、今日はすごろく旅行の原稿締めきり日。パソコンまでズルズルとヘビ男のように這っていき、フーフー唸りながらやっと仕上げ、バッタと布団に倒れこむ。
群ようこ「亜細亜ふむふむ紀行」読む。
4月15日(日)
熱はすこし引いたようだが、相変わらずフラフラ。でもライブは休むわけには、いかねえ。フラフラのフラダンスを踊りながら、札幌「シアターZOO」にて、昼・夜2回公演。楽屋に畳が立て掛けてあったので、それを勝手に使わせてもらい、ライブ本番以外は全てそこで横になっている。今日も一切、飯は食えず。マルタ君や、パニャグルミン達が見にきてくれた。
沢木耕太郎「地図を燃やす」読む。
4月14日(土)
朝、起きたら・・・ドッシェー、全然直ってないっ!! でもすぐに仕事だ。昼から札幌のレコード屋さんの店頭ライブ&サイン会。ランニング姿でニコニコも、顔が引きつってうまく笑えない。でも、客の前でつらい顔は見せたくないんじゃーっ。くるしーのー。
移動して、夕方からは小樽の「ぐるぐる」という店でライブ。しかし、本当にボロボロで、悪寒はするわ、手足はずっと痺れてるわ、関節は痛くなって、歩くのすらやっとこさ。リハーサルも最低限で勘弁してもらって、あとは楽屋でストーブの前でブルブル布に巻かれて震えている。17年間「たま」をやっていて最悪の体調に、ついにライブ前、知久君とGさんに暗号を出した。
「もし、途中で俺が『ちょっとここで休憩します』と入れたら、それが限界の印だから」
ということで、万一そうなった場合は、そこからふたりのソロライブへと急遽変更してもらう段取りまでつけていた。そして、ステージに出たら・・・
「小樽で、オッパイ、タルタル~!」
と下品に雄叫んでいるカラ元気の俺がいた。ということで、なんとか無事ライブだけは済ませて、皆が打ち上げをしている時はまた、ただの病人に戻って二階でウーウー唸っていた。
札幌のホテルに戻るが、熱の為、足の関節がむくんで痛くて眠れない。マッサージをたのんで、息も絶え絶え、眠りについた。結局、この日は何も食べられず。
山本昌代「緑色の濁ったお茶あるいは幸福の散歩道」読む。なに気絶しそうになりながらも、俺は読書してるんだ。馬鹿だな。
4月13日(金)
朝起きると・・・ガビ~ン、風邪をひいとるーーーー!!
おとといまで髪の毛とヒゲで覆われていたのに、その毛で守られていた顔暖房をすっかり刈り取り、尚かつ一気に北海道に飛んだことと、撮影の疲れが出てしまったのか!?
今日から3日間で5公演、しかも移動付き、というハードスケジュールなのに! まさに13日の金曜日じゃーい! とほほほほ。
でも、ライブばかりは休むわけにはいかない。取りあえず、今回のツアーマネージャーの原田さんの車に乗り、旭川まで走る。今日はアーリータイムズという古いアメリカンな感じの小屋。車の中でも、面白いほど熱がブクブク湯気立てて上がっていくわーい。わっはっは!
しかも午前中に時間指定で届くはずの楽器が来てない! 「どっこいしょ」を2時間延々やるしかないというのか・・・。さすがに客の口はポカンと開くだろうな。が、なんとか5時頃届いてあわただしくサウンド・チェックとリハーサル。
そして本番前、全員で旭川名物の「蜂屋」というラーメン屋に行くも、もはや味なんて、なーんもわからん状態。おそらく38~9度の熱でライブ開始! 不思議なことに、お客さんを前にすると、テンションがあがるせいか、ちょっと調子がいい。ところが、ステージドリンクを飲んだり、次の曲の準備の為にちょいと後ろを振り向くと、振り向いた途端、顔がさーっと青ざめていくのがわかる。とにかく、お客さんには体調の悪いところを見せたくないので、必死で演奏に入りこみ、おどける。フラフラだけど、足を軽やかに「ハイハイハーイ」とステップしてみせたりする。うぅ~、馬鹿だ~。
楽屋が屋根裏部屋のようになっていて、ベッドがあったので、終演後はそこで2時間ぐらいバッタリと倒れさせてもらう。うぅ~。苦しい~。明日は直っとるのか~!?
玉村豊男「晴耕雨読ときどきワイン」読む。
4月12日(木)
今年初めての北海道へ。しょぼたまツアーの為、前のり。道を歩いていると、ライオンメリィさんと「おや!」とすれ違う。ちょうどエコーユナイトやパニャグルミンの出るイベントがベッシーホールというところであったので、見にいく。自分が一切出ないライブに行くのは本当に久しぶりだ。ノイズ系のバンドが多く、20才ぐらいの頃はその手のライブばかり毎日のように飽きることなく見てたので、なんか懐かしかった。
さすがに夜などまだ結構サブイ。東京ではコートはもういらないが、ここではコート+セーターが必要だニャー。打ち上げは同じチェーン店でも何故か北海道のは旨い、という噂の「つぼ八」へ。そういわれると、素材が新鮮な気がするなー。・・・気のせいか!?
高樹のぶ子「白い光の午後」読む。
4月11日(水)
映画ロケ、最終日。最後の「カット」がかかると、スタッフから花束を頂いた。浮浪者に花束。ちなみにテレビ用の宣伝コメントは、主役のあおいちゃんと、その男友達役の沢木哲君と俺の3人で撮ったから、一応主要役者という扱いで、始めての撮影を終われて嬉しい。
さて、映画初体験だった俺だが、一応これで、(音楽の)ライブ、演劇公演、テレビといろんな表現ジャンルにひととおり参加できたことになる。そこで、俺が見た「映画」というものの特徴。
その1・スタッフが多い
演劇とかでは、役者がなんらかのスタッフ(小道具製作等)も兼ねていることが多いが、映画は完全に分業制。それぞれのプロフェッショナルによって作られる。今回の場合、30人ほどいただろうか。ロケでは、近辺の交通整理だけでも、10人ちかく人が必要なこともある。
その2・時間は厳守
人数が多いせいか、「8時集合」とかだと、5分前にはほぼ全員揃っていて、遅刻する人は皆無の状態。そーじゃないと、やっていけないんだろーな。ライブでは、メンバーがリハーサルに30分や1時間遅れて来るのなんて日常茶飯事なので、ちょっと見習わねば・・・。
その3・「出演者」の割合が少ない
例えば、小さなライブハウスでライブをやる場合、ほぼ100%近くが自分の物である。若干の音響、照明効果を除いて、演奏するのも歌うのも自分、その曲を作るのもアレンジするのも自分。曲順を考えるのも、MC(トーク)も自分。それに比べて映画は、確かに観客の目に見えるのは出演者だが、セリフも動きも人の考えたもの。セットや小道具、照明や音響の割合も大きい。なので、演者は、その「良き素材」になることが求められる。つまり、良くも悪くもより多くの人のものであり、出演者はその一端を担っているに過ぎない。
その4・待ち時間が長い
カットごとにカメラを移動したり(同じカットでも、別の方向から撮るとかの作業の度に重いカメラを移動させ、光量を計測し、レフ板をあてる)、またロケの場合、小道具準備待ち、天気待ち、車待ちなどいろいろな「待ち」が入る為、実際の撮影は30秒でも1時間待ちなどはざらだ。
その5・共演者と会えるとは限らない
シーンごとに出演者を集め、そのシーンの撮影が終わった人は基本的にそこでその日「お疲れさま~」なので、出演シーンが噛み合わない人とは、同じ映画に出ていても会うことがない。ちなみに今回の場合、田辺誠一さんにも、りょうさんにも一度もお会い出来なかった。
俺が気がついた撮影の特徴といったら、こんなとこだろーか。それにしても、今回は監督の塩田さんが優しい方だったので、現場の雰囲気は終始なごやかで、とても気分よくやらさせてもらった。これは監督によって、全然雰囲気は違うんだろーな。怖い現場には、なるたけ行きたくないなー。
とにかくこれから編集作業があり、映画として完成するのは6月頃らしいが、プロモーションに半年以上かけるのが常識とかで、公開は来年だそうだ。CDの録音が、発売の一ヶ月前の時点でまだやっていることもあるのと比べても、スパンが長いな。それも特徴かも。そーいや、演劇なんてもっと凄いもんなー。かつて少年王者館というとこで芝居をやった時は、幕が開いてるのにまだエンディングが出来てなくて、芝居の後半では、演出脚本の天野さんが、セリフをその場で書いた紙を、そでに戻って来た役者に、次々渡して、役者はそれをそのままそこで丸暗記して、動きの指示を受けて、なんとか芝居を成立させていたもんなぁ。さすがにあれは凄かった。
夜、数カ月ぶりに髪の毛を丸め、ヒゲも剃り、すっきり「たまの人」に戻る。
宮沢章夫「わからなくなってきました」読む。よく老人が「子供に戻る」とかいうが、そうじゃなくて、人はずっと子供で、ある途中の時期だけ、その「子供」の上に常識とか知識とか礼儀とかの「大人」の服を着るのではないか、というような感じのことが書かれてあり、その通りと思う。
4月10日(火)
スタジオにて、リハーサルと打ち合わせ。メンバー3人、2週間ほどバラバラになっていたので、久しぶりの再会。ちなみに俺は映画の撮影だったが、知久君はカンボジアに虫採りに出かけていて、Gさんはエコーユナイトというバンドのツアーと、やっていることもバラバラ。
吉野屋の牛丼が今日まで290円だ、ということで、この時ばかりは時流にヒュルルーンと乗る俺たちは、晩飯にと「うおおおおっ!!」とガッツく。
曽野綾子、伊集院静他の「中吊り小説」読む。電車の中吊り広告に載せていた短編小説のアンソロジー。
4月9日(月)
映画ロケ。今日はやたら走ったりするシーンが多かった。ロングで撮る部分も多く、テストや本番で何度も遠くまで走っていった。しかも俺は結構服をたくさん着込んでる役なので、暑い、暑い。俺の出番は昼過ぎに終わったが、まずロケ先でお茶をゴクゴク飲んで、近くの駅まで車で送ってもらって、その駅前でドクターペッパーを買ってゴクゴク飲んで、さらに乗り換えの駅でもコーラの500mlペットボトルを買ってゴクゴク飲んだ。ゴクゴク人生だな。
三好京三「分校日記」読む。
4月8日(日)
映画ロケ。早朝から夜までの撮影だが、あおいちゃんは元気がいい。俺は出番以外はすぐデレクターズ・チェアとかに座りこんでヘタリこんでしまうのだが、あおいちゃんは、若いスタッフと鬼ごっことかやってずっとキャーキャー駆けずりまわっていて、それによって逆に自分の年を再確認してしまう。人は、やっぱり老いぼれるもんじゃのう。ホフ~。もっとも監督と同い年の俺が一緒に真剣に鬼ごっこしてたら、それはそれで怖いものがあるが・・・。
そして中年な俺は、帰りにひとりで新宿の小便横町に低空飛行でシューッと降り立つ。煮込みをホジホジやりながらビールを飲んでいると、やはり隣でひとりで飲んでいた酔っ払いのおっさんが、俺に話しかけてきた。
「いやー、さっきこの前に座っていた人、欽ちゃんだよね。萩本欽一だよね。まいったよなー、ふひぇひぇひぇっ。」
おっさん、嬉しそうなところ水を差して悪いが、欽ちゃんはいなかったよ。っていうか、そもそもおっさんの前には、おっさんが入ってきた時から今まで、誰も人はいなかったよ・・・。
島田雅彦「そして、アンジュは眠りにつく」読む。
4月7日(土)
映画ロケ。主演の宮崎あおいちゃんが、ちょっと小高い所に座っているシーンで、あおいちゃんは制服姿なので、ミニスカートが少し気になる様子で、時々手でさり気なく押さえたりしていた。そして本番。塩田監督は、ギャグではなく、つい口走ってしまった。
「それじゃ、本番。用意、ス、スカート!!」
・・・本番なので、みんな必死で笑いをこらえた。
ロケ地は工場地帯だが、その工場におそらく地方から長期で出稼ぎに来る人が泊まるような旅館があり、そこを控え室がわりに使っていた。待ち時間に、そこの窓を開けて春の風を感じながら、畳に足を伸ばして、壁にもたれて本を読んでいると、なんともいえず幸福な気分になった。
荒木経・・・あ、漢字がない! よーするにアラーキーのインタビュー集「天才になる!」読む。文章に「行間」があるように、この人は生活の「行間」をカメラで捕まえる事の、本当の天才だなー。
4月6日(金)
久しぶりに精をつけようということで、R君とうなぎを食いに行く。ところが、うなぎと一緒にタレみたいな物がついてきて、ひと口食べたらちょっと味が薄めだったので「ははぁ。ちょっと上品に薄めにタレをしみ込ませてあって、足りない人はこれを足すのだな」と解釈して、下品な俺は早速、そのタレをドバッとかけた。なんといっても、ウナギはウナギ本体より、このタレがうまいんだからな~。ヤッホーイ! と思ったら、ン、ンゲゲ!! そのタレだと思ったのは、醤油だった。どうやら添え物の漬け物に付ける為にあったらしい。せっかくのウナギが醤油でビショビショじゃーい。ガビビビーン。ちょっと、泣いた。
1週間振りに風呂につかる。なんせリアリティを追求する為に、垢を溜め、体全体から、プ~ンと異臭を発する努力をしてドロドロになっていた。・・・わけじゃないわーい。いくら浮浪者の役だからって。ちゃんとシャワーは浴びてたワイ! ただ、整形外科の医者に、「1週間は(捻挫の腫れがひくまで)風呂に入ってはいけません」と言われたので、ここんとこずっと、右足首をビニールでぐるぐるに巻いて、不器用に片足ケンケンでシャワーを浴びてたんじゃー。しっかし、久しぶりの風呂は気持ちいいなー。やっぱ、シャワーだけじゃ、ヘニャヘニャの白人みたいで(人種差別)なんか、ピーンとこねーんだよな。やはり日本男子たるもの、風呂にダップーンと漬からなきゃな!
五木寛之「浅の川暮色」読む。なんとなく、金沢の町をそぞろ歩きたくなる。
4月5日(木)
すごろく旅行原稿書き。捻挫はだいぶ良くなったが、なんだかちょっと疲れやすくなり、ふと気づいたら、というか気づかないうちに布団にもぐってグーグー昼寝してしまう。昼寝っていっても、夜の9時から12時で、バリバリの「夜寝」なんだけど、朝まで起きている俺の生活時間の中では、あくまで「昼寝」なんじゃー。
「赤瀬川原平のブータン目撃」読む。明るいビンボーな国は何故か懐かしいのー。
4月4日(水)
映画ロケ。ここまで実は全部違う場所でロケしているのだが、映画ではきっとひとつの同じ町の中として扱われるのだろう。映像のマジックのひとつだな。そしてどこのロケ地も、ちょうど桜が満開。ところが、映画の設定が晩秋ということで、桜は一切撮せない。こんなに咲いてるのに、なんとなくもったいないよーな気になってしまうなー。
宮田珠己「わたしの旅に何をする」読む。
4月3日(火)
図書館とか整体とか自転車でシャコシャコ走ってたら、近所の「しめめん」という店名の、うまいウドン屋が潰れていて、ちょっと悲しかった。ここの麺は、特許を取ったという、しめ縄を模した形の不思議な捻り麺だったけど、旨かった。何年間かは、その「しめめん」を作る特製包丁が壊れていて、「当店は『しめめん』ですが、今は包丁が直っていないので、ただのウドンです」という、ちょっとわけわからん張り紙がしてあって、それでも頑張っていた。でも去年くらいから、やっとその包丁が復活して、見事な『しめめん』を食わせてくれていたのになー。
看板も取り外されて、その裏の電球だけ残っている姿が、風に晒されていて、うら寂しい。そこそこ繁盛していたから、きっと麺を打っていた老夫婦のどちらかがきっと逝かれてしまったのだろう。贔屓の店がなくなって、ちょっと残念。
たまのインフォメーション、ホームページにUPする為、いつもはメールで情報を送ってもらうのだが、たま企画室のメールが壊れている為、全部手作業で打ち直す。今日も今日とて、地道な企業努力じゃーい。
赤瀬川原平「ベルリン正体不明」読む。
4月2日(月)
明け方、寝言で俺が何事かべらべら喋っていて、最後に「泣きっ面に蜂!」と叫んでいたと、R君の報告。どういう夢を見ていたのかは思い出せないが、よっぽどひどい目に会っていたのだろーな。かわいそうな、俺。
たまってたこのホームページの日記をUPしたり、ニヒル牛のトップページのデザインを変えたりする。地道な企業努力じゃーい。
北杜夫「神々の消えた土地」読む。
4月1日(日)
映画ロケ。ある場所でただ寝転んだまま、じっと動かないシーン。
かつて子供の頃見た本の中で「世界で一番楽な職業」ということで、オーストラリアの「昼寝をする仕事」というのがあった。これは観光地の芝生の上かなにかでで一日中、ゴロッと寝転び「誰でも昼寝したくなるほど、良い場所ですよ」と宣伝する観光局の仕事のことだった。今日の俺は、限り無くそれに近かったなー。楽を極めれば、すなわち極楽也。ずっとこのシーンの撮影なら良いのになー。(・・・どんな映画になるんだ!!)
高田馬場「秋吉」でビール、「マクドナルド」でコーヒー飲みながら、読書。
家に帰って、ニヒル牛の写真ホームページにUP作業。チャットで知らない人ともお話。
秋山ちえ子「十年目の訪問」読む。世界や日本の各地を十年目に再訪したルポルタージュ。大きく変化しているところも、表面的にはあまり変わらないところも、どちらにしても十年前と同じ、ということはあり得ない。塵も積もれば山となるで、1日1日のわずかな変化が、結局、その人の一生ということなんだよなー。
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