石ヤンのテキトー日記01年2月(2)

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2月28日(水)

 スタジオにて、リハーサル、打ち合わせ。最近は「たま」と「しょぼたま」のパーカッションセットが違うので、その度にヨイコラ組み立てるのが、ちょい面倒。でもしょうがないなー。

 景山民夫「東京ナイトクラブ」読む。いろんな形式の短編小説集。「サイケデリック航空」「ポングの冒険」のハチャメチャさが特に面白かった。

2月27日(火)

 確定申告の領収書の計算、シコシコ地道にやる。ま、こればかりは逃げたくても逃げられないからなー。100円ショップで買った電卓には、何故か=(イコール)がなく、×(かける)がふたつあった。結局ひとつは=だったのだけど、いくらチープものとはいえ、誰も製造過程で、×がふたつある不自然さに、気がつかんかったのか~い!! それを全く気づかずに買った俺も俺だがなぁ。

 群ようこ「日常生活」読む。
『(精神科の)病院に入院した直後の患者さんは、たとえば絵を描いてもらうと、本当に素晴らしいものを描くんですよ。でもだんだん病状が好転していくと、絵がふつうのつまらないものになっていくんです』
 この言葉は、いろんな意味でちょいと重い。

2月26日(月)

 メンバーとスタッフで新宿「らんぶる」で打ち合わせ。その後、小便横町「鳥園」で飲む。知久君やGさんは「もずく」とか「納豆」とか「おひたし」とかヘルシーな物が好きだ。もっと肉とか油とか、たのもーよー。

 阿刀田高「海の挽歌」読む。カルタゴの歴史を現代にたどる小説。

2月25日(日)

 吉祥寺・スターパインズカフェにてたまのライブ。今日は例の「悪の指令その5」が行われる日だ。そして結果は見事に・・・失敗。でもそれについて、「石川さん、計画失敗してかわいそう」という一部意見は、全くの見当はずれ。何故なら、俺自身、はなから7:3で失敗することはわかっていたからだ。そのぐらい客層のシャイな志向は承知している。そしてその時、俺は演奏しながらも、逆にゆっくりとお客さんを見させてもらった。つまり、演者がみんな―つまりお客さんで、俺はたったひとりの観客だったのだ。「さて、どんな風に見せてくれるかな」と。
 でも、本当のこと言えば、俺が指令を出されても、おそらくやらなかったろうな。つまり、あの状況、雰囲気では「やらない」方が正しかったのだ。というか、正確に言えば「やろうとしたけど、むむむ、でっ、出来ない! 歯がゆい~!!」が正しい選択の道だったのだ。なーんてね。やってくれちゃった人、それはそれでいいんで、ごめんちゃい。
 というか、実は作戦は、本当は、はなから成功していたのだ。だって、指令を知っていた人は、ちょっと「その瞬間」ドキドキしたでしょう。その「ドキドキ」が実は最大の「影の目的」だったのだから。何故なら、バンドを17年も続けていると、どうしても多かれ少なかれライブといえども、マンネリ化してしまうことは避けられない。だから、そこに少しでも「もしかしたら、何か起きるかも!?」とハプニング性を匂わせたこと自体で成功だったのだ。これは決して負け惜しみでもなんでもないぞ。ライブで一番大事なことは広義での「ドキドキ」だからな。ってなことで、「悪の指令結果報告」で『失敗・・・。』(本当はもっと大きいフォントにしたかったけど、あれが最大だった)と書いたけど、あれは楽しんで書いたのだ。本当は『指令を出した時点で成功!』だったのだ。ふふふ、俺の言わんとしていること、わかってくれたかな!?

 石田長生さん、ハシケンさん等見に来てくれる。

 深田祐介「スチュワーデス物語」読む。あの掘ちえみが出て、一世を風靡したテレビドラマの原作だ。しかし「松本千秋」という名前は一応出てくるものの、それは登場人物のひとりに過ぎず、あの有名な言葉「ドジでノロマな亀」という言葉も出てこなければ、教官との恋話も一切ない。ただ、スチュワーデスという職業を描いた小説で、原作といっても、ただのモチーフでしかない。というか、これを「原作」というのは、かなり無理があるなー。

2月24日(土)

 スタジオにてリハーサル。サポートのアキラさんは、どうやら明日の作戦を知っているらしい。しかし、他のふたりは知らない様子。なので、その話題にはお互い一切ふれず、淡々とリハーサルをする。

 さて、きのうの話しだが、ニヒル牛でオーナーであるR君とクニちゃんの打ち合わせが閉店後行われることになっていた。R君が店員をやっており、クニちゃんが別の場所から来る、という段取りになっていたのだが、ちょっと待ち合わせ時間に遅れるということで、閉店時間ちょい過ぎにクニちゃんがニヒル牛のR君のところに電話してきた。
「R君。・・・あたしだけど。ちょっと遅れちゃいそうなんだ。」
 その時、閉店時間はもう過ぎていたのだが、まだ店内にお客さんがいた。その後待ち合わせをしているので、どうせだからその時まで延長して店を開けているつもりだったのだ。なので「もう閉店時間過ぎてるんだから、早くおいでよ!」なんていつもの調子で言うと、小さな店なのでその電話がまだ残っているお客さんにも聞こえてしまい、変にお客さんが遠慮して、そさくさと帰っていってしまうかもしれない。なので、ちょっと声を落としめにして、
「大丈夫だから、なるべく早くおいでよ」
 とR君はつぶやいた。
 そして5分後にもう一度電話。
「R君、どうしたの!? 何かあったの!?」
 口調がいつものように元気がないので、危ぶんだようだ。R君はしつこいなぁとちょっと思いながらも、まだ店内にお客さんが残っていて、しかも買い物をしてくれる雰囲気だったので、
「いいから、早くおいでよ」
 とだけ答えた。
 と、ここからトンマなクニちゃんの妄想がどんどん肥大してきたようだ。
「R君の声がなんだか違う。大きな声を出せない。・・・ということは・・・強盗に入られて、脅されているんだ!」
 と予想ではなく、完全な決定をくだしたクニちゃんは、まず強盗を退治する武器を購入することにした。近くのコンビニエンスに急ぐ。そしてクニちゃんが強盗退治の為に選んだその武器とは・・・500ml入り、水のペットボトル! これで敵の頭を一撃してやろう、ということだ。そして、現場にと急いだ。警察に連絡した方がいいか、迷いながら・・・。
 その頃、R君はちょっと遅くまで店を開けていたおかげで、最後のお客さんが、割と買い物をしていってくれたので、ホクホクしながらクニちゃんを待っていた。
 しばらくして、ドアのところに人の気配。
 みると、クニちゃんが店のドアから目だけ覗かせて、500mlのペットボトルを右手に高く振りかざしていた・・・。
「はっ!? 何やってるの、クニちゃん!?」
「・・・R君、強盗はもういないの!!」
「はぁぁぁーーーっ!?」
 ちょっと電話の口調がおかしかっただけで強盗だと思うのもトンマだが・・・しかしそういう事が絶対にない、とはいいきれないから、それは良しとしよう。
 しかしひとつだけ言っておこう。例え本当の強盗だとしても、500mlのペットボトルじゃ、おそらく相手に一撃を頭とかにくわえても、「・・・ペコッ」もしくは「・・・ポコッ」という情けない音とともに、なんの衝撃も与えられないことだけは、覚えておいた方がいいぞ、クニちゃんよ・・・。

 井上ひさし「餓鬼大将の論理」読む。

2月23日(金)

 起きたら夕方5時。「やっちまった・・・」と言っても、もう遅い。外は暗くなりかけている。ひと昔前なら、豆腐屋のラッパがプォ~と遠くに鳴っているようなそんな夕暮れ時だ。
 漫画喫茶に行き、本宮ひろ志の「サラリーマン金太郎」読んで、ムオォォォーーーーッと元気に一日を始めることにする。古本屋で文庫本20册以上買う。セットで安いのばかり選んだので、それでも消費税込み1050円とお徳。お徳だとそれだけでウヒョヒョヒョヒョと嬉しくなる単純な俺であった。

 オノ・ヨーコ「ただの私」読む。
 高校時代、音楽の授業で何グループかに分かれ、それぞれ自分の好きなレコードを持ってきて、それについて解説をする、というのがあった。俺のグループは、一応俺がリーダーだったので、俺が選んでかけたのがオノ・ヨーコの「キャットマン」という曲だった。ということで俺は結構オノ・ヨーコが好きだったのだ。もちろんビートルズの流れからなんだけど、調べていくうちに、実はダダイストとして、前衛的・実験的なアートをやっていたのが、面白かったのだ。
 まだジョン・レノンと会う以前に、すでに俺の尊敬する赤瀬川原平と交流があったり、ダダイスト達の集まりである「フルクサス」に参加していたりと、面白い活動をしていたのだ。もちろんある種のみんなが感じていると思う「鬱陶しさ」は俺も感じることはある人だけど、それでも「やることはやる」という姿勢は俺にとってはカッコ良かった。結局、アングラであり、マイナーなんだよね。それがメジャーの王様とくっついたりしたから、なんか変な感じがするんだろうけど。ジョンがヨーコの活動に感化を受け過ぎてアングラに走り過ぎそうになって逆にヨーコが心配してたりするところが面白かった。
 またジョンとヨーコのデビューアルバム「トゥー・ヴァージンズ」はふたりの全裸写真がジャケットになっていたので批難を含む話題を振りまいた。そこから「大胆な、フリーセックス主義」と当時のヒッピー文化とあわせて語られたりしたが、実は、ふたりとも恥ずかしがり屋で、写真を撮るのも人に頼めなくて、セルフタイマーで誰もいないところでこっそり撮った、なんて話しも面白かった。そうなんだよなー。「作品」になればどんな物も恥ずかしくないけど、「作品になる過程」では、芸術家と言えども、案外普通なものだからな。へたすりゃ、普通の人よりシャイだったりするかもしれない。だって、芸術なんてものは内向的な性格の産物だからなぁ。
 ヨーコがジョン・レノンに会う少し前に作ったビデオ作品の話しが面白かった。画面全体に、次々と丸裸のお尻だけが縦に横にフリフリと延々揺れるだけのビデオなのだ。
『人間の表は、誰かが攻撃したらすぐ攻撃し返すが、お尻ならやり返すということができない。お尻こそ本当の無抵抗主義じゃないか』

2月22日(木)

 きのうの小旅行は実はビデオを持って行った。久しぶりにこのホームページに写真でもアップしようと思って。ところが、途中でテープがからまって、それを直して再度カメラの中に入れようとしたら、途中まで入った状態でうんともすんとも動かなくなってしまったのだー。しくしく。ビデオカメラって、Hi-8から3台目で、結構壊れるんだよねー。ってことで修理に電器屋にスタコラ持っていく。テープ、ちゃんと撮れてたら、遡って写真アップするからね。待っててね。

 エチェンヌ・シャティリエ監督「人生は長く静かな河」見る。タイトルから、大河ドラマ的な物を想像していたら、あっさりとエンドロール流れてきて、「あれっ?」という感じだった。

 すごろく旅行原稿書き。原稿を書いてるつもりが、ハッと気づくと「スノッド」「スライムインベーダー」といった、パソコンにダウンロードしたお気楽ゲームに夢中になって「あっ、クソッ!」とか言っている。いつのまにか、1時間くらい遊んでいて「ありゃ・・・やべえ、やべえ!」と仕事に戻る。会社とかに行ってないと、自由なのはいいんだけど、自分で自分を律していかないと、何も終わらないのが怖いぜ。バイトとかなら、なんだかんだやって時間さえ経てば、時給がもらえるんだものなぁ。どっちも一長一短だな。

 清水義範「パスティーシュと透明人間」読む。「パスティーシュ」とは模倣作品の意。

2月21日(水)

 睡眠時間の調整をしているうちに、ひょんなことから朝早く目覚めてしまった。こんなことは滅多にないので、これ幸いと小旅行にひとりで出かけてみることにした。行き先は「八高線」。八王子と高崎を結んでいる、近郊でありながらローカルな線に、ただ、乗りに行こうと思ったのだ。
 この関東の西のはずれをコトコト行く列車は、なんともいえぬ乾いた、平地林の多い、殺伐とした景色を見せる線路なのだ。ちょっと虚無的な匂いのするこの線に、久しぶりにただ、乗りにいこうと思ったのだ。

 まずは西武線で飯能で乗り換えをして、東飯能へ。ここで八高線と接続しているのだ。1時間後の列車に乗ることにし、飯能の町をうろつく。飯能の町は、「こぶ茶バンド」(仲本工事、高木ブー、加藤茶のバンドらしい)の黄色い垂れ幕が、ハタハタと、一色に商店街を染めていた。どうやら近々市民ホールかなんかに来るらしいのだが、所詮、ちょっと田舎に行くとまだまだ「ドリフターズ」は凄いのだ、ということを痛感じゃーっ。ほとんど町をあげての大騒ぎ。俺たちもひと昔前は『「あの」たまがやって来る!!』と町中に看板が立ち並んでいた田舎町などもあったが、そんな比ではないな。やはりドリフターズはまだまだ大看板なんだなーと、再確認。
 歩いているうちに、おや、乗り換えたはずのひとつ前の飯能駅まで来てしまったので、駅前の喫茶店に入ってモーニング。チーズトーストとコーヒーのセットで350円。安い。文庫本を読んでしばしウダウダする。
 また歩いて東飯能まで戻り、八高線へ。まずは小川町、というところに行ってみることにする。ここは中学生時代、群馬に住んでいた俺が、友達のサッチンと高崎の方から逆に「旅」してきたところだ。約25年ぶりの来訪。

 思っていたとおり、記憶の面影はほとんどない。駅前に何件か店があるだけの、寂しい集落というイメージだったのだが、小さいながらエスカレーターのあるデパートまである町になっているとは。そのデパートに入ってみると、日本酒売り場のところに、地元小川町の酒として「社長の酒」と「部長の宝」というのがあった。もちろん「社長」の方が高い。で、「社長」の方はまだ分かるんだけど「部長」って・・・しかも「の宝」って・・・その中途半端さがなんだかおかしい。誰が買うんだ!? 課長か、係長か。
「いつかわしも、社長は無理でも、部長くらいは・・・」
 と夢みて飲んでいるとしたら、なんか侘びしい酒だな。
 小川町は紙漉きで有名なので、紙屋をのぞいたり、「そんなうなぎの種類あったのか!?」という「女郎うなぎ」という老舗のうなぎ屋の前をうろうろしたりと、散歩する。

 さて、ここ小川町は東武線もあるのだけれど、ふと駅名表を見ていたら、気になる駅名を発見。その名も「男衾」。「衾」といえば、「同衾」という言葉があるが、それはひとつ布団でふたりが寝ること。転じて、男女の関係になること。で、「男衾」ということは・・・ずばりっ、ホッ、ホモの町かいーーーっ!! ということで「奇妙な地名探検隊」のたったひとりの隊員である俺は即座にそこに急行した。と言っても、急行通過駅らしかったので、各駅停車で行ったのだが・・・。  ちなみに「男衾」は「オブスマ」と読むらしい。少々びくつきながら、その田舎然とした駅に降り立って見る。特に男だらけ、という印象はないが、その正体を隠しているのかも知れぬ。慎重に駅前通りに出てみる。と、そこにはいきなりこんな立て看が。
「子どもに教えよう 大人の愛」
 いっ、いかーーーーーんっ!! 子供のうちからそんなもんを教えちゃ。は、早すぎるぅぅぅぅ。
そして、その向側には、こんな看板も。
「断る勇気が、友達をつくる」
 そうだ、そうだぞ。そういう趣味がなければ、友達だからって、断っていいんだぞ。この町では、ホモダチにならないのは、逆に差別を受けるのかもしれないが、断る勇気を持つことは、大切だぞ。
 町に出てみる。
「居酒屋 大関」
 きっとデブ専の人たちが夜毎、饗宴を繰り広げる場所なのだろう。ドスコイ、ドスコイ。裸の男たちが集うのだろうか。汗が飛び散りそうだ。
「雀荘 椿」
 もちろんこれは、ツバキではなく、ずばり「チン」と読むのであろう。ストレートな店名だ。
「美容室 見返り美人」
 おっ、女の人の為の店もあるじゃないか、と思ったら、さにあらず。ちゃんと店名の横に「男女理髪店」と書かれてあり、なおかつ、「男」の方が先で、しかも色まで変えて強調してある。むむーっ。つまり「美人」と言っても、男のことなのね。
 そして俺は極め付けの物件を発見した。それは、
「コーポ ホリグチ」
 というものだ。一見、何の変哲もない名前のように思えるが、よおく冷静に考えてみよう。「ホリグチ」の「ホリ」は「カマを掘る」の「掘り」ではないだろうか。そして、カマを掘る口、と言えば・・・ウギヤーーーッ、ずばり肛門。つまり、「コーポ ホリグチ」は「コーポ 肛門」ということなのだ。なんてえこったい。男だけのホモの館、ここに在り、ということかいっ!! 一体、中ではどんなホモホモライフが繰り広げられているんじゃーい。元・名古屋にあった「ホモの殿堂・ドンバラ会館」みたいなものだろうかっ!?
 こんな町に長居したら、とんでもない目に会うかもしれない。ちなみに隣の駅は「鉢形」だが、これももちろん「張り型」のことだろう。
 ということで、何故か缶ジュースも10本以上見つかってバッグがパンパンになってしまったので、「痴漢に注意」の看板を横目に見ながら、あわてて帰宅した。何事もなくて、良かった、良かった。
(・・・ちなみにシャレです。男衾に実際住んでいる人、怒らないでねー)

三島由紀夫「外遊日記」読む。
『われわれの(作家という)精神の仕事も、もし人より一センチ高く飛ぶとか、一秒早く走るかという問題をバカにすれば、殆どその存在理由を失うであろう』
『この国(インド)へ来て感じることは、問題そのものにとって、解決がすべてではない、ということだ。問題を解決することが問題を消滅させることだとすれば、インド自体が、本当のところ、そのような解決をのぞんでいないということだ。インドでは問題がすべてなのであり、そうなれば問題は一つもないのと同じである。彼らは問題と一緒に何千年住んできた。問題とは「自然」なのだ。ヒンズー教神学における、あのような創造と破壊を併せ持った、豊富で苛烈な自然なのだ。』


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