石ヤンのテキトー日記01年1月(2)
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1月31日(水)
メンバー全員で、スタジオの壁塗り、ペタペタ。塗装業者も大変じゃわい、で白ペンキを塗る。
アヤコさんと飲み会があったのだが、明日のすごろく旅行のクジのアイデアが出ていなかったのでパスする。うーん、ネタが出んわい~。
椎名誠「ナラン」読む。
1月30日(火)
西荻窪・ターニングにて「地下紅白歌合戦」ライブ。本当の紅白っぽく、ひとり1曲づつ、8組が出場。司会者や審査員もいる。でも、
「それでは選手の入場行進で~す」
って、行進してみたけど、よく考えたらそりゃ、オリンピックだろう!! 紅白に行進はなかったわいっ!!
ちなみに俺と知久君は11年振り、2回目の紅白だ。やっぱりメジャーとマイナー両方の紅白を制覇しなけりゃ、本当の紅白出場歌手とは、言えないぜ! ホッホッホ。
応援合戦は紅組・石丸だい子が正統派のダンスを披露したのに対し、我等白組は柔道着にわざわざ白帯を付けた応援団長・大谷氏を先頭に、俺と知久君で、
「♪やーいやーい紅組~
チンチンだーれも付いてない
やーいやーい紅組~
こっちは全員付いてるぞー
やーいやーい紅組~
皮もたくさん付いてるが
やーいやーい紅組~
とにかく全員付いてるぞ
やーいやーい紅組~
チンチンだーれも付いてない
やーいやーい紅組~
これで白組大勝利!」
と我等の応援歌を歌った。(注・作詞・・・俺)
青木さんの紙芝居歌、犬のJON、seikoさんのお色気ハワイアンなどいろいろあったが、俺は上半身裸、下半身スパッツの「江頭スタイル」で登場、さらに股間に手袋を仕込み、モッコリセクシーに「ラッタッタ」をテープバックで歌い、踊った。
最後には本当の紅白同様、客全員に紅白の札を上げてもらったところ、なんと一票差の互角。結局審査員の票で紅組が優勝。遊びなのにくやし~。
打ち上げはカラオケボックスを3部屋とり、
「俺は、歌はもういいや~」
と思っていたのに、気づいてみたらメリィさんとまりちゃんずの「尾崎家のババア」を熱唱しているは、モーニング娘はイェイイェイ言っているは、「宇宙戦艦ヤマト」に至っては、全部屋にてマイクを離さず歌唱制覇している自分がいた・・・。
スージー・ベッカー「大事なことはみーんな猫に教わった」読む。
1月29日(月)
半蔵門のP社に行き、打ち合わせ。道に迷ったが、電話をしようにも携帯電話がすっかり普及したおかげで、公衆電話がなく、苦労する。携帯持たずば人にあらず、ということか。くそぉ。
P社には、俺がデビューするまでやっていた病院事務のバイトで一緒だった毎熊君がいるので、インターネットで何か面白い事が一緒に出来ないか話す。途中から場所を飲み屋に移し、終電近くまで。
森村泰昌「芸術家Mのできるまで」読む。
『「オンナ」がパフでなにをするのだろうか。「美」を作りだそうとするのではないか。なんのための美か。鎧や武器を所持する者たちがよだれをたらして、隙を見せる瞬間をねらうためである。』
1月28日(日)
吉祥寺のスターバックスコーヒーのテラスにて、インストアライブならぬアウトストアライブ。ライブに引き続いて行われたサイン会では、道路に100人以上も行列が出来て、きのうとうって変わってカラッと晴れた天気のように、気分良し。ネパールで暴動が起きたので日本に一時避難してきたアヤコさんや、「しょぼたま」の写真を撮ってくれた慶さんも、仙台からわざわざ駆け付けてきてくれた。
で、昼間はスターのようなものだったが、夕方からはニヒル牛に行き、今度は一介の店員となって「350円になります」とかの地味な転身。といっても、ここでも俺の商品「糸電話リサイタル」が売れたので、店内でこっそり客相手に歌ったりはしてたのだが。・・・何やってんだ、俺は。
閉店直前、カブラギ現れたので強引に拉致し、我が家へ。こたつで麻雀たのしーなー。
おいおい、だからといって、数え役満2回も上がるな、カブラギよ。
游人舎編「アジアの地獄」読む。
1月27日(土)
東京にしては珍しい大雪。どーせ降るなら、「ウヘエ!」てなほどに降って交通機関もなにもかも止まって大わらわしてしまえば面白いのに、と未だに思ってしまう俺はやっぱり、子供なのかなーっ。
マネージャーが雪道で腰を捻ってカイロプラクティックに駆け込んで行って1万円も取られていたので、俺もおそるおそるアヒルのように歩く。よちよち。
青山マンダラで今年最初のたまの月例会ライブ。こんな天気なので客がいねーんじゃないかとちょいと危惧したが、一応満員になっていてホッとする。
サポートはライオンメリィさん。黒いミニスカートでセクシー。あいかわらず、性別不詳、年令尚不詳。久しぶりに「カニバル」「かなしいずぼん」などをやる。
田島征三「ふしぎのアーティストたち」読む。精薄施設の人達との物づくりの交流。俺もいわゆる「アウトサイダーアート」には関心があるので、興味深く読んだ。
『(作る人にハンディがあっても)「製品にハンディ」があってはならないという考えから、彼らの創る物を職員が手直ししてしまう。または注意を与えて「ちゃんとした」きれいなものに近づけようと努めさせる。その結果、標準とやらに近づいたとしても、彼らしかもっていないすばらしい個性を殺してしまうことにならないか。「標準に近づけ」ても、しょせん標準より上にはなってないことが多い。しかもせっかくの輝いていた宝物は損ねてしまっている。こういうことが全国の授産所で行われているようにぼくには思えてならない。』
また、アーティスト掘慎吉さんが「アール・ブリュ(生の芸術)精神病者と知恵おくれのアート」に寄せた一文では、
『たとえば、現代のように山村での暮らしが成り立ち難くなる前は、子どもやハンディキャップを持つ者、どこからか流れついてきた異形のものも、村の中では神として遇されていた。村人にとって、自然が見せる異形のものはすべて神だったのである。人々はその異形を通して生命の不思議と多様な奥行きを感得しながら、自らの苦難を越える力と英知を育んでいった』
という言葉が記憶に残った。
1月26日(金)
インターネットの「麦米」、雑誌の「Far」と2本の缶ジュース取材、自宅にて。缶の物撮りなどに時間がかかる為、2本で約6時間の長時間取材。
自宅での取材の時は、いつもR君とふたりで一日がかりで家を掃除するので、飛び込みの取材等があると、ふたりで「ウッシェェーッ!!」とあせりまくる。なんせ普段の家は、とても人様に見せられるよーな状態じゃないからなー。ま、缶ジュース以外にも、なんだかんだとコレクションもしているし、俺達夫婦のぐーたら性格からして、整理整頓が出来ているわきゃ、ねーからな。ま、メンバーであるC君のように、物だらけの中、自分の寝るところだけが人型に空いている、てえほどじゃないけども。
さて、インタビューで話していて気づいたのは、俺は結局、何事においても「価値の転換」をしたいんだな~ということだ。缶ジュース蒐集も本来「ゴミ」と呼ばれる物を数を集めることによって、それまで現れなかった「価値」を浮き上がらせるものだし、たまで俺が使っている桶やら鍋やらも「本来楽器でない物でも音楽は作れる」ということをやりたかったのだし、すごろく旅行にしても、何もない町も「クジ」により、新たな視点から本来「観光地」ではないところを「観光」してしまうことだし。「ニヒル牛」という素人作品を無審査で展示販売する店を作ってしまったことも、結局元は全部同じことなのだ。
つまり、人から言われた「これには価値があって、これには価値がない」ということに対する、反抗心ということか。価値は他人が決めることではなく、本来、自分にとってどうなのか、ということだけなのだ。それを徹底してやっていきたいのだ。「価値」さえ転換すれば、お金なんてかけなくても楽しいことは出来る。それがどうやら俺の永遠のテーマだ、ということに帰納的に気がついたのだ。みんなも、もっとそれにきちんと気づけば世の中楽しいぞーいっ。
泉麻人「B級ニュースの旅」読む。
1月25日(木)
スタジオにてたまのリハーサル。ライオンメリィさんと。それから延々自宅に帰ってバグ作業の続き。ひー。
髪を風呂場でR君に刈ってもらう。実は、今までは3週間にいっぺんぐらいの割合で髪をボーズにしていたのだが、今回を最後に、春過ぎまでしばらく髪を伸ばすことに。何故かというと・・・映画に出るんだよ~ん。その役作りの為に、しばらく伸ばさねばならないことになっちまったんだよ~ん。
新進気鋭の塩田明彦監督(代表作「月光の囁き」「どこまでもいこう」)の新作に抜擢されたんだよ~ん。もちろん主役ではないが、そこそこ重要な役。まだ題名もはっきりしていないので詳しくは書けないが、俺以外は知名度のある役者さん達が出る予定。クランク・インは3月中旬頃らしいが、まだ公開時期等は未定。これで今年から俺も「ムービー・スター」だぜ。うおっふぉっふぉっふぉっ。ってなことでこれから髪の毛、中途半端になるけど、そーいう事情なのでそこんとこよろしくっ! えっ!? 何の役だって!? そっ、そんなことはどうだっていいじゃないかっ!! 失敬だな、君は!
嵐山光三郎「自宅の妾宅」読む。
1月24日(水)
自宅にて作業。すごろく旅行の原稿2本執筆。ホームページの画像バグ修正予備作業。どうやら、このホームページのサーバが、数カ月前にシステムを変えてしまったらしく、画像がほぼ全部、表示できなくなってしまったのだ。細かく言うと、俺はマックを使っているのでウインドウズのように「拡張子」という概念がなく、画像ファイルにも、ただの名前で登録していたところ、別に問題なく画像が表示されていたのに、突如、拡張子がついてないファイルは、全部表示されなくなってしまったのだ。なので、画像ファイル(おそらく数100ある)の全部を、名称変更して拡張子を付け、さらにページのプログラミングもそれに沿うように書き換えをしなければならなくなってしまったのだ。コレクション関係のページ等が多いので、画像が出ないとお手上げだからなー。ジミーッに直していくのさーっ。トホホホホーッ。でもTripodさんよ、システム変えるなら、事前に連絡くれよ~。
水木しげる「のんのんばあとオレ」読む。「のこクソ場」での生き生きとした少年時代の合戦の様子が書かれている。もう俺の世代でも「ガキ大将」というのはあまりいなくなっていたからな。戦争前後というのは、時代背景の影響のメリットの部分で、子供が、一番子供らしい時代だったのかもしれないな。
1月23日(火)
妻の実家にて、義姉の亜古ヤンの「中国・雲南省スライド上映会」兼新年会。面白かったのは、とある雲南省の町では、女の人だけが働いていて、男は一切仕事をしない、という。重そうな薪を背負った女の人が写っている。じゃあ男は何をしているのか、というと「文化を作っている」のだという。つまり、鳥かごに鳥を入れてそれを愛でつつ散歩して、日がな一日、詩を読んでいるのだという。う~む、極楽のような町が世界にはあるのだな・・・。
それから、ミャンマー国境の町では、ホテルの裏側が広場になっていて、昼間、窓の外から見るとなにやら点々と物が置いてある。ゴミ置き場にしてはやけに整然としているなぁ、と思い、夜中になったら、なんだか物凄く騒々しい音が聞こえるので、「えっ!?」と窓から覗いてみると、そこには、鳥かごに入った生きた鶏だの、色んな雑貨だのを標的にした、大輪投げ大会が開かれていて、町中の若者が集っていたという。しかも、その騒ぎは朝までやまなかったそうだ。中国のミャンマー国境なんていう辺境の地で、こんな騒ぎが毎夜行われているなんて、と唖然としたという。
金井重「地球ほいほい見聞録」読む。年金暮らしのおばさんの、バックパック旅行。視点が普通のおばさんのところがおかしかった。
作者は「(いい年をして)まだ旅をしているの?」とよく聞かれるそうだが、『なにしろ、去年の私と今年の私が同じではないし、相手の国も世界も、どんどん変わっているのですから』はその通りだと思う。だから旅はやめられない。
1月22日(月)
スタジオにて、NTV「速報! 歌の大辞テン!」(1/31放送予定)のコメント収録。3人であれこれデビュー当時のエピソード等10個ぐらい語ったが、使われるのはひとつかふたつなんだろーな。
夜、妻が唐突にこんな童謡を歌いだした。
♪キンタマ大きさ どんくらい
オケラが言うには こんくらい(両手を頭の上で輪っかにする)
「えっ!? そんなの聞いたことないよ」
と言うと、
「うそーっ。子供なら誰でも知っている童謡だよーっ!!」
と言う。
ちなみに次の日義母や義姉に聞いてみたら、案の定、そんな下品な歌は知らない、と言う。
ということは、妻は無意識のうちに作詞・作曲・振り付けまでしていたのかっ!? うーむ、謎だ。
この歌についてもしも知っている人がいたら、是非連絡くれっ!!
大槻ケンヂ「くるぐる使い」読む。大槻君はデビューの頃、事務所が一緒だったので、なんやかんや会っているが、本当に小説家にもなっちまったんだなー。ちょっとカッコイイなー。
1月21日(日)
朝7時に起き、日帰りで大阪・名古屋のインストアライブ。
東京駅では、駅弁は高いのでいつも駅のコンビニエンスストアー(あぁ、今でも『コンビニ』と略して言えない。でも世間じゃもう『コンビニ』は標準語になりつつある。「略語嫌い」の俺には、くっ、苦しい~! )でパンを買う。「ごまチーズパン」「ジューシーサンドイッチ」「ホワイトデニッシュショコラ」のいつもの、辛パン2甘パン1、の割合だ。ちなみに辛パンは別に辛いパン、という意味ではなく、「甘くないパン」の意味だ。そしてもちろん列車が走り出すまでは、決して食ってはいけない。確かそれは国会で決まっていたはずだな。
「汝、列車が発車するまで、食物を口にすること、なかれ」と。
しばらくじぃぃぃっと席でその時を待ち、ようやく列車がホームをすべり出し、パンを口に放りこんだた途端、俺は心の中で叫んだ。
「だっ、騙された!!」
そう。辛パンだと思った「ごまチーズパン」は、なんとなんと甘パンだったのだ!!
「・・・終わったな・・・」
ひとりニヒルにつぶやく俺の声を聞く者は、どこにもいなかった。
大阪で「タコセン」という駄菓子の平べったいせんべいの中にタコ焼きをつぶして入れたけったいな物を楽屋で食ってから、インストアライブ、サイン会をやり、タクシーですぐ新大阪駅に逆戻り、名古屋では会場の天井が高かったので、シンバルを「名古屋シャチホコスペシャル」として豪華に「紙筒6段重ね」(約3m)の所に設え、ものすごいジャンプをしなければ叩けないようにした。ライブをしながら同時に苦行の修行をしているようなものだな。カッカッカ。・・・意味ないかっ!?
ところで、Gさんがタクシーの中から見た、ひとつの疑問。名古屋駅前の「大名古屋ビルヂング」の上の球形の広告塔がコカ・コーラの物になっていたが、以前は違ったと思う。俺は「森永キャラメル」だと思ったのだが、違うだろーか。誰かなんだったか正解を知っている人、教えてくんろーっ。
東海林さだお「ワニの丸かじり」読む。
1月20日(土)
朝、起きようとしたが、全く起きられず。「起きよう、起きよう」と意識の片隅では思っているのだが、1分おきに睡眠と覚醒を繰り返し、すげー変な感じ。手とか足とかも思いっきり力を入れなければ意のままには動かず、まるで「金縛り感のない金縛り」にあっているかのようだった。睡眠時間は充分なはずなのに。そんなこんなで結局起きられたのは最初に「起きよう」と思ってから数時間後。もちろんどうしても出かけなければならない用事があれば起きられるんだろーけど、今日は家での作業なので、どーしても体が「いいじゃん、起きなくってさー。もっと寝ようぜー、気っもちいいぜー。な、ダンナ!」
と言ってきかないのだ。俺の体の「趣味」はなんといっても「休憩」だからなーっ。
すごろく旅行原稿書き、「羊のポー」に関する原稿書き、とパソコンに半日向かう。
さて、明日は朝早いので、本当は薬はあんまり使いたくないのだが、徹夜で出かけるのはきつい仕事なので、医者にもらった睡眠薬を1錠、1時頃飲んで布団に入るが、結局眠れたのは5時。どーしていつまでも起きれず、尚かついつまでも眠れないんだろー。井上陽水の、
「昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういうわけだ」
の歌詞は、全くその通りだな。
そーいえば、そもそも学校時代の修学旅行とかでも、クラスで常に一番最後まで眠れなかった。
夜、電気を消してからも誰かがくだらない事言ったり、枕がすっ飛んできたり、クスクス笑ったり、「プゥ」と屁をする奴がいたりでハシャイデいたのが段々人数が減り、いつも最後は、俺が、
「・・・まだ、誰か起きてる!?」
と言っても、ついにどこからも何の返事も返ってこなかった夜ばかりだったもんなー。
あれは寂しかったなーっ。
コントロールがろくすっぽ効かない、デキソコナイの、体。
ナンシー関「何をいまさら」読む。
1月19日(金)
きのうニヒル牛で撮影した写真をアップしてみたら、その時はOKだと思ったのに、光量が足りずに、暗くて全部駄目。やっぱフラッシュ付きのデジタルカメラ買わなきゃ駄目かーっ、ということになった。なので、「全箱紹介」の中で30人ぐらいの人は、写真がアップされていないけれど、もうしばらく待ってておくれー。
朝早く起きたが、睡眠時間はたっぷりでも、まぶたは重い。何故なら、デビュー前の深夜の病院の受け付けのアルバイトも含めると、20年近く「朝寝て、昼起きる」生活をしているからなー。午前中に起きると、体内時計君が、
「オイオイ、マダマダ、マヨナカダヨー、ナニオキテヤガルンダヨー」
と勘違いしてしまうのだ。
ってな流れで「疲れると酒が飲みたくなる」という人類不朽の法則から、昼間っから定食屋に入り、レバニラ炒めでビールをングングいってしまった。かあっ! うめえ。そして一日はあっという間に終わっていく。あちゃちゃちゃーっ。
香都有穂「昭和超人奇人カタログ」読む。小説家や政治家などの著名人の奇妙な振る舞いのエピソード集。でも読んでみると3分の2は、よーするにアル中か精神病で、俺もいつ何時そーいう風にすっころぶかわからないので、笑えなかった。
ただ、無口な川端康成が何故か講演会に出るはめになって「私は、ただここに来てお客さんに顔だけ見せていればいい、と主催者の方に言われたので、そうさせていただきます」と言ったきり、その言葉を真に受けてほぼ1時間、あのミミズクの驚いたような顔のまま、ほとんど喋らずに演壇に突っ立っていた話しや、尾崎士郎が知り合いに胃腸の薬をもらって、「おかげでこんなに元気な物が出せるようになりました」と、喜んで相手にうんこを郵送した話しなどは、面白かった。
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