石ヤンのテキトー日記00年10月(1)

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10月24日(火)

 最近、なんとなく煙草をふかすことが多くなってしまった。「吸う」のではなく「ふかす」のはまさにその通りで、俺の不器用さはこんなところにも露出していて、高校時代くらいから、煙草をもて遊ぶことは何度もあったが、肺にまったく入っていかないのだ。あれ、普通は勝手に入っていくものなんでしょう? なんで俺だけ口から奥に入っていかないんだろー。でもまぁ、なんとなく昂揚した気分を鎮めたい時にだけに吸うので、無理に肺に入れる技術を取得して健康を害することもないので、口の中だけでぷかぷかとふかしているのだ。でも一日せいぜい4,5本なので銘柄はともかく、ボックスのを買っている。何故ならひと箱を持っている時間が長いので、ボックスでないと、煙草を入れた鞄やポケットの中が、いつのまにかこぼれ落ちた煙草の葉っぱだらけになってしまって、グチャグチャになってしまうからなー。そいで本とか手帳とかが「うへぇっ!」ってなことになったことが何回かあったからなー。
 あと、基本的には煙草を吸ってこなかったので、なんとなく煙草を吸っている姿を人に見られるのが恥ずかしい。
「あれッ!? 石川さんって、煙草吸うんですか!?」
 と言われたり、
「あっ、石川さんが煙草なんかふかしてやがらぁ。ふふふふふ。」
 と思われるのが恥ずかしいからさー。

 辺真一「北朝鮮亡命730日ドキュメント」を読む。とある一家が船にて亡命したノンフィクション。しかしこの本が発行されたのは去年。金正日が金大中を飛行場まで出迎えた今となってはなんらかの状況改善はあるのだろうか。でも金大中だけノーベル賞取っちまったから、またジョンイル、むかついてるかもなー。でもとにかく、今だにミサイルの砲筒は、ソウル、ワシントン、そして東京に向いたままの事実は忘れないようにしとかないとなー。

10月23日(月)

 本日は札幌より帰宅すればよいだけだが、ホテルのチェックアウトは朝10時で、飛行機は夜8時の便。時間をつぶさねばならないが、きのう何故か1時間くらいしか眠れず、本など読んで朝を迎えてしまったので、体はフラフラ。まずは本屋に行き、どこか近郊で面白そうなところはないかとガイドブック等を見てみたが、なんだかんだで北海道は結構な回数来ているので、手頃なところが見つからず、結局映画でも見ることに。
 そして、映画館に着くと、5分前に映画は始まったばかり。あー俺の人生、こんなんばっかしやなーと思いながらしかし、映画は最初から見ないと気がすまないタチなので、仕方なく、2時間くらい街をほっつき歩く。札幌の街は東京に似ていて、面白みには少しかける。下町のようなところがもっとあればよいのだが。というかはっきり言えば、なんかもっと薄汚れた感じの町並みが好きなのだが、妙にどこも整然と近代的な町並みだ。屯田兵はちょいとまじめに開拓しすぎたな。
 88円ショップで、「誰が買うんだ」というチープな人魚とブルドックのゴム人形を俺が買う。

 映画は「マルコヴィッチの穴」という作品。ポスターの印象等からバリバリのコメディかと思ったが、意外に心理的な作品だった。が、一度目は寝不足のせいで中盤の記憶がフワァッとなくなっていきなりラストシーンだったので、「こりゃしまったわい」と二度見る。ポケットの中には、ペットボトルのコーヒー。

 千歳空港でR君から「買ってこなかったら、承知しないからね!」と言われた六花亭の2000円ぐらいのお菓子の詰め合わせをいそいそとおつかいしてから、帰郷。

 吉村昭の小説「螢」を読む。「死」の周辺に漂う些細な風景を淡々と描写した短編集。設定がどれも面白く、あっという間に読んでしまった。

10月22日(日)

 ベトナム料理の朝食を食ってから、ライブ会場の「ちゃおず」に行く。昼・夜2回のしょぼたま公演。ゲストに関島岳郎。やりやすい会場で、ライブも楽しかった。サッカーの「コンサドーレ札幌」がこの日J1に昇格した、というニュースがあったので、さぞかし札幌中がそれで盛り上がっていると思い、「あるぴの」という曲で「あるぴのくーん!」と叫ぶところを「コンサドーレ札幌!」と叫んでみたが、反応は今いち。しまった! たまファンにサッカーファンはあまりいなかったようだ。終演後は、ラジオの収録等。打ち上げは「スター食堂」という店。Gさんが、オハジキに燃えていた。

 渋澤龍彦の「狐のだんぶくろ」読む。一連の渋澤作品とは違い、"わたしの少年時代"という副題の通り、チョロギの話とか、替え歌の思い出など、読み易く読めた。

10月21日(土)

 ライブの為、北海道へ。コーディネートは原田さんという人がやってくれている。原田さんは、元々イベンターとしての付き合いだったが、イベンターを辞め、今はカメラマンとして一人立ちしているが、たまだけは特別に今でもライブのコーディネートをしてくれているのだ。はっきりいって昔とは規模も違うので、コーディネート料など微々たる物だが、それでも熱心に地元で宣伝活動をしてくれるので、ついつい甘えてしまう。数日前の高知の岡本さんも同様だが、本当にたまの事が好きでいてくれて、仕事にならなくてもがんばってたまを地方に呼んでくれる人には、本当に感謝、感謝。彼らがいなければ実現出来ないライブも多い事は、ぜひお客さんにも知っておいてもらいたいことだ。

 札幌について、「腹へった~」ということで連れていってもらった店は沖縄料理屋。なんでやねん。ラフテーやゴーヤチャンプルなどつついていると、ちょっと変な気分。ちなみに昔、初めて沖縄に行った時の晩飯は札幌ラーメンだったから、おあいこだなー。

 山田詠美の「蝶々の纏足・風葬の教室」読む。忘れていた10代の頃のほとんどその時にしかない「感情」を少しだけ、思いださせてくれた。

10月20日(金)

 すごろく旅行の原稿を書いて、あとはいつもの、整体・漫画喫茶・100円ショップと定番お散歩コースをまわっている途中で雨が強くなり、傘は持っていたものの、自転車だったのでビショビショになって、なーんかカッコ悪く帰宅。
 夜はR君がパチンコで勝ったというので、ちょいと豪勢に、近くのジャズ・バーでふたりで「チーズの盛り合わせ」かなんかオーダーしちゃって、なーんかカッコ良く食事。

 田中ひろみさんの「私がイラストレーターになれた理由」を読む。この本で使った図版の中に、俺のコレクションを取材した時のものが載っているので、本をいただいたのだ。徹底した売り込み努力が、分かりやすく書かれている実用好書。これはなにもイラストレーターだけではなく、すべての芸術・芸能活動をしている物にとって、現実的な事実として直面する問題だ。
 そして彼女がイラストレーターになれた大きな理由のひとつは、絵がうまい、ということではなく、他にいろんな趣味を持っていたことだ、と謙遜もこめて書かれている。これは先日の岡本太郎の「宇宙的な全体として生きる」という事にも合致する。何か物事を表現しようとする人は、ある種、八方美人的に自分の興味のまま目をあちらこちらにキョロキョロと動かすことは「絶対に」とは言えないが、必要なのだ。
 俺も本来不器用なのに、一応こんな仕事についてられるのも、パーカッションならパーカッションのことだけにがんばりすぎなかったからだ、と思う。(もっとも、がんばらなさすぎかもしれないが・・・)もちろん「○○馬鹿」のようにひとつのことを、とことんやりつめてプロになった人もいるだろうが、おそれおおくも言わさせてもらうと、そういう人は技術的には素晴らしくても、概して「面白く」ない。
 それは事実だと思うなー。

10月19日(木)

 吉祥寺・スターパインズカフェにて「アルチューラン」というイベントに出演。これは、ひとつのステージの上で、演奏(俺、ハシケン、ツノ犬他)と、ボディペインティングした女性(橋本美知子)のダンスと、巨大紙切り(ソウルカッター)と、スライドの映像等が同時に起こる、というなかなか刺激的な舞台で、途中には、三代目魚武濱田成夫の飛び入り等もあった。
 ここで俺は濱田さんをはじめ、何人かにお世辞で「良かったよ」の声をもらったが、それは主にパーカッションの演奏の方ではなく、即興で行った「マネキンの首とヨイヨイの老人のダンス」や「古い鏡を使い、ボディペインティングダンサーの姿を彼女の目の前で映し出す下男のダンス」や「自転車のハンドルだけ持って、客席をチリンチリンベルを鳴らしながら、ポプリを巻く男」というパフォーマンスの部分においてだった。「たま」やパスカルズでは、さすがにそこまで徹底してのパフォーマンスは難しいので、こういう機会を与えてもらったことに、感謝。楽しかったな。ゲラゲラ。

10月18日(水)

 事務所にて打ち合わせや、札幌ライブの為の楽器の仕分けや発送等をヒーハー。

 岡本太郎の「挑む/夢と誓い(抄)」読む。
「絵描きは絵を描いてりゃいい、学者は狭い自分の専門分野だけ。商売人は金さえもうけりゃいいという、この時代。そんなコマ切れに分割された存在でなく、宇宙的な全体として生きなければ、生きがいがない」という言葉と、
「もうそろそろ『真面目』と『冗談』の意味が解ってもよさそうなものだと思います。真面目は必ずしも真面目ではなく、冗談がただの冗談で終わるものとは限りません。これは常識ですが。全くナンセンスな冗談が、芸術のうえでは真面目以上に社会的現実を動かして行く力を持っているということ、つまり『真面目冗談』とでも呼んでよいと思いますが、これが芸術の本質となっていることを知らなければなりません」という言葉は、俺が普段から実践していきたいと思っていることとドンピシャで、我が意を得たり、という感じだった。

10月17日(火)

 朝、ホテルの前庭でイベンターの岡本さんの娘さんが、知久君がNHKで歌っていた「にっぽんのたぬき」という曲を生で聞きたい、というので知久君がギターひとつで歌ってあげていたが、「聞きたい」はずの子供は実物を前にしてどういうリアクションを取っていいかわからず、横にいながら一度も知久君の方を見ずにジィィィッと、伏目になって地面を見つめていたのが、子供らしくておかしかった。

 高知から自宅に戻ったら、すぐ漫画喫茶のマッサージ席へ直行、旅の疲れを取る。最近はライブそのものより、移動の長い事の方が疲れる。高知から羽田よりも、羽田から自宅の方が時間的には遠いので、変な感じ。

 宇根元由紀の「サーカス放浪記」読む。初舞台の時、パーッとステージに出なくてはならないのに、パーッといったらカーテンがちょうどダマになっているところで、いくら布をめくってもめくってもステージに出られず、あろうことか最後はカーテンに巻かれて身動きが取れなくなってしまった、というエピソードが大いに笑えた。俺もライブに出なくてはならないのだが、なんらかの障害があって上手く出られない、という悪夢をよく見るが、作者はまさにそれを地でいったわけだ。現代のサーカス生活の現実が誇張されることなく記されていて、面白かった。

10月16日(月)

 今日のライブ会場は、今までのたまのライブの歴史の中でもかなり変わった場所。高知県の伊尾木洞という洞窟だ。規模はそんなに大きくなく、地元の人も滅多に訪れない「知る人ぞ知る」といった場所だが、ロケーションが素晴らしい。国道沿いにポッカリ突然、といった感じで洞窟が開いている。天井はそこそこ高いが、下は小さな川のように水が流れていて、遊歩道等もないので、小石を見つけてひょいひょい渡り歩きながら50mほど真っ暗な洞窟を行くと、突如開けた谷に出る。その谷のわずかな隙間が会場だ。両脇は苔むした岩肌むきだしの断崖絶壁。さらに、洞窟の入り口と出口に何故か素人の作った変な石像が点々と並べられている、という不思議な空間だ。せっかくのこれだけの不思議空間なので、さらにローソク等を谷のあちこちに配置し、万全の異空間を作りあげる。洞窟の入り口に、モービルの電源車をつけ、長いコードを洞窟内に這わせ、PA機材と照明を持ち込んでのライブだ。

 ワイドショーのテレビ取材等を受けたあと、陽が落ちてから本番。洞窟内をしたたり落ちてくる水滴を受けながら登場。半分ぬかるんだ土地なので、サンダルがずぶずぶ半分くらい埋まってしまう、という珍しい状況の中、演奏。と、ライブが中盤にさしかかった頃、突如洞窟の方から、何か怒鳴り声みたいな物音が聞こえ、客とともに一斉にそちらを怖ごわと見るが、照明の当っていない洞窟の中は真っ暗で、なおかつ声も洞窟の中でこだまして、何を言っているのか聞き取れない。
 と、どうやら近隣の住民が「何やってんだ~!」ってな事を言っているらしきことが判明。もちろんここの会場でやる事は洞窟の管理人の許可は取っているものの、どこまで公的にOKが出ているかはわからない(この洞窟は、一応文化財に指定されているらしい)ので、一瞬ビビったが、結局ただの酔っぱらいだったらしく、「まぁまぁ」と客席につけたら、ペタコンとそこに座りこんで、あとはニコニコになって赤ら顔のまま、大人しくライブを聞いてくれていて、ホッとひと安心。
 ライブの最後には、「あるぴの」という曲をやった。「~いつか一緒に水の上を歩こう」というような歌詞のある曲なのだが、アンコールでもあったので、ノン・PA(マイクなし)でやろうと持ち場を少し離れたところでやったら、その歌詞に呼応して、俺のパーカッションセットが見事にズズズッと傾いたと思ったら、横の小さな水たまりにダイブしていった。・・・ゲラゲラ笑う客の中、水の中からシンバルだけ引き上げて、悲しく、叩いたのさー。

 泉麻人の「リモコン症候群」読む。フィクションとノンフィクションが交錯した感じの私小説で、ちょっぴり胸キュンな場面もあった。

10月15日(日)

 「愛媛子供の城」でたまライブ。イベントで俺たちの出番はアンパンマンショーの次。子供たちよ、はーい、ランニングマンショーですよ~。
 聴覚障害の方の為に、ステージの横では手話の人が歌詞を訳してくれている。音の聴こえない人に、アンパンマンショーはともかく、「音楽」の俺たちのステージを見せるのはよくわからないでもなかったが、まぁ、それでも何らかで楽しんでもらえればよいか。
 Gさんの歌う「星を食べる」という曲の時、手話の人を横目で覗いてみたら、「君の首をしめたくなる」という歌詞のところでは、ちゃんと自分の首をギュウギュウ絞めていた。わりとほのぼのとした曲調なのでわかりづらいが、手話でやると、アブナイ歌だということが、モロワカリ。

 ライブのあとは、高知に移動。高速の出口で、イベンターの岡本さんと待ち合わせの為、携帯電話に何度も電話するがつながらず。ホテルで落ち合った時、事情を聞いてみると、「夕方、先週2万ぐらい出して買った最新機種の携帯電話を、手をすべらしてドブの中に落としちゃったんすよー。たまとかかわると、何故かハプニングが起きるんですよねー」と嘆いていた。

 リゾートホテル調の宿で、マネージャーの溝端さんとPAのおまちゃんとメンバー3人の計5人がひとつの部屋。ひとつの部屋が中で二階建てになっていて、下の階にベッドがふたつ、上の階に布団が3組みという構造だ。いびきのうるさい俺とマネージャーが下のベッド。いびきが上から降り注いでくるより、下からの地響きの方がまだ良い、という結論になったのだ。

 夜は全員でNHKでやっていた30年ぐらい前のテレビ映画を見る。友川かずき、遠藤賢司、栗田ひろみ等が出ているちょっぴりアングラ青春物。ロードムービー的なところもあり、一時「どこでもツアー」というタイトルで、全国の辺境の地を行脚ライブをやっていた俺たちに通じるところがあり、面白く最後まで全員で見てしまう。

 東海林さだおの「東京ブチブチ日記」を読む。この人のレトリックは本当にベンキョーになる。これぞ「面白エッセー」の俺の最大のお手本だ。ついつい知っていると使いたくなってしまうような「知ったかぶりの言葉」をすべて排除し、些末なことをこれでもか、と感情的デフォルメを加えて楽しませてくれる。漫画家、ということも関係しているのだろうが、「何が『面白い』ということか」ということを本当に分かっている数少ないエッセイストだ。こんな文章がスラスラと書けるようになりたいなー。でもスラスラ書いているように見せて、実は相当に推敲されているとみた。うーん、俺の心の師匠のひとりだ。

10月14日(土)

 まだ腰がちょいと痛いので、家で使っている小型のマッサージ機をエッチラオッチラかついで、四国・松山へ飛行機でいく。松山の町は、都会でもないが、かといって、古い感じもあまりない。まぁ、俺達が泊まっいた松山市駅近くだけの印象だが、なんとなく中途半端な、悪く言えばパッとしない印象を受けた。でも、パッとしないものにも、パッとしない魅力、というのもあるからな。パッとしない食堂に入り、パッとしない肉丼をGさん、マツさんと食べ、中途半端にビールを一本だけ飲む。

 他のメンバーと合流して、夕方からは明日公演のある「子供の城」でリハーサル。あとで聞いた話だが、俺たちが演奏し始めたら、その音に反応して、隣の動物園の象が突然ンパォーーーーと暴れ出したそうだ。アフリカを思い出させる、原初の音だったのかもな。
 夜は、駅前に出ていたトラックを改造したラーメン屋でラーメンとおでん。

 嵐山光三郎の「夕焼け少年」を読む。戦後をヤンチャに駆け抜けた子供時代の話し。俺は「戦争を知らない子供たち」どころか「戦後も知らない子供たち」だが、その雰囲気は充分に伝わって来た。子供時代は、少しぐらい逆境があった方が充実しているのかもしれないなー。

10月13日(金)

 腰痛未だおさまらず、整体に行ったあと、漫画喫茶のマッサージ椅子を延長。明日から四国でまた、ジャンプとかしなくちゃならないからな。って、俺は音楽やりに行くのに、なぜジャンプなんだ!? って、自分が勝手にやってるだけか・・・。

 玉村豊男の「農園からの手紙」読む。田舎生活も本で読んでいると楽しそうだけど、俺には絶対無理だな。朝早く起きて、寒い中、泥まみれになって・・・ぐーたらな俺には都会と田舎の中間の今住んでいるあたりがちょうど良い。都会は都会で、疲れるところがあるからな。20代の頃8年間高円寺に住んでいたので、都会暮しは満喫した。今でもどうせ仕事で週何度かは東京に出ていくので、都会とはそのぐらいの付き合いがちょーどいいな。あとはうちのあるT市名物のダイオキシンさえなければ尚、良いのだが・・・。

10月12日(木)

 ニヒル牛にて、新作の「らくがきトランプ」を納品。トランプ一枚一枚にただ落書きしたものだ。そのままだな。それから、店内で「SPA!」の取材。日本茶の試飲。10種類の最近売られているお茶の中で一番俺の口に合ったのは・・・10/25発売の本誌にて。

 それからリッキー・ディンク・スタジオで「アルチューラン」のリハーサルだったのだが、きのうあたりから腰痛が激しく、しゃがんだりするのが辛いので、打ち合わせだけしてお先に失礼。といっても、どうせ本番は即興だから、あまりリハーサルしても意味ないっちゃ、意味なくなっちまう、ということもあった。予備知識が入っちまうと、即興本来の「その場」の力がかえって失せるからな。
 帰りは上石神井の「岩虎」でR君と軟骨炒めなど食べて帰宅。

 川端裕介、るり子の「ちゃりんこ西方見聞録」読む。俺も高校時代はサイクリストだったからなー。群馬から四国まで行って、途中で事故にあって、股間を強打して「玉」が3つになったぐらいに腫れ上がったこともあったしなー。それはともかく、シルクロードを夫婦で自転車で行く旅。旅行記も面白かったが、弥勒も観音様も男だって知ってた!? あと、イランの戒律はやっぱり厳しく、イスラム的でない踊りを踊ること、人前で衣服を脱ぐことはともかく、髪が曲がっていたり、身内以外の異性に声をかけたりしただけでムチ打ち刑だという。日本人がイランに住んでいたら、毎日ムチ打ち刑だな。そして飲酒は死刑。あぁ、イランに生まれなくてよかったー。イラン人の精子じゃなくて良かったぜ。あぶねえ、あぶねえ。

10月11日(水)

 関川夏央他編「ソウルAtoZ」読む。韓国の伝統の踊りに病身踊り(ビョンシンチュム)というのがあるという。これは所謂、身体障害者の動きや様子をこっけいに再現して、踊りにまで昇華したものだ。日本で韓国伝統芸能の公演があった時、この演目には日本人はみな何とコメントしたらいいのか、困惑したという。
 俺がステージで踊ったり、変な合の手を入れたりするのは、実はまさにこの「病身踊り」である。だって身体障害者(この呼び名は好きではないー「身体特徴者」というのはどうだろう)には、何か原初的なパワーがあるもの。原初的な「おかしみ」があるもの。
 でもそれを「差別」と考える人はあくまでそれを「(かわいそうな)他人」だと思っているのだからだと思う。そこに正義の感情が入り交じり、「そういう人のマネをするのは、その人達を卑下していることになり、悪いことだ」という理屈になっているんだと思う。
 違うもん。
 身体障害は誰のからだの中にも内包されているものなんだもん。
 そして俺は、他人ではなく、自分の中の「身体障害(特徴)」を誇張して表現しているんだもん。
 身体障害はマイナスなものなんかでは決してない。むしろ、「ある物を失うことによって、他の部分の器官がより鋭敏になった、学ぶべきところの多い人」なのだ。馬鹿にしたり劣っていると思う「気持ち」だけがおかしいのだ。だから面白がれるところは面白がっていいのだ。だって、おもしろいのは事実なんだから。
「王様の耳はロバの耳」で、ロバの耳の王様の事は、穴にでも叫びたいほど、面白いことなのだから。
 それに身体障害というのは結局、体や頭の特徴だ。それを面白がるのがいけないなら、デブもノッポも、鼻ペチャも、全部ダメなはずだ。「身体障害者のマネをしてはいけません」というのならあらゆる物まねは禁止すべきなのだ。コロッケや清水アキラは失業するな。
 でも物まねは禁止しなくて良い。何故なら物まねは人の特徴を捕まえることで、そして人はそれぞれ特徴があるから面白いのだから。それが、人なのだから。
 俺は自分の身体特徴に、ますます磨きをかけて人に笑ってもらいたいと思っている。そして人の身体特徴も笑いたいと思っている。
 だって俺は、そんなことでクスクス、時にはゲラゲラ笑う為に、生まれてきたんだから。

10月10日(火)

 昼から夕方まではロケットマツさんと「たま」のリハーサル、吉野家の牛丼食って夕方から夜までは関島さんと「しょぼたま」のリハーサルと、リハーサル・ダブルヘッダー。「たま」と「しょぼたま」では何曲か重複しているのだが、アレンジや間奏が違ったりするので頭のパイプがこんがらがってみんなでわけわかんなくなって演奏がとんでもないことになってウーウー言いあっている。ま、自分達で決めたことなんだが・・・。

 青木雄二の「ナニワ青春道」読む。「ナニワ金融道」でひと花咲かせた漫画家の自伝半生記だ。 「僕は死というものが全く怖くない。生まれる前の状態に戻るだけだからね」というコメントは、死生観を変える言葉かもしれない。

10月9日(月)

 朝10時頃帰ってきたので、起きたらもう夕方。ビデオに録っておいた「電波少年」とかを見てR君とダラダラする。
 あとはすごろく旅行の原稿をフニャフニャ書いて、甲斐崎圭「羅臼ー知床の人々」を読む。知床というと、極寒の地というイメージで、実際にもそうなんだけど、緯度はパリよりも南なんだな。でも、流氷から海水に落ちると、数秒で血管が凍り付いて死んでしまうそうだから、気をつけた方がいいな。昔、網走に行った時、海辺に流れ着いていた流氷に乗って、たまのメンバー全員でヒャーヒャー言って遊んでみたことがあるけど、結構、危険な遊技だったんだな・・・。

10月8日(日)

 夕方ニヒル牛にて作品の並び状況など見る。なんかアクセサリーとぬいぐるみが最近ちょっと多いかな。もう少しデタラメアートっぽい物が増えるといいな。でもデタラメアートは見るのは楽しいけど、あまり売れないからなー。うー忸怩、忸怩。夜は吉祥寺の「東風」という店で大谷のライブがある、というので見に行く。と、
「3曲目で飛び入りで出てくれよ」
 と言うので、
「あいよっ」
 ってなもんで多少準備して客席の隅で突如奇妙な踊りを踊りだした方がいいかな、とか「キェェェェェ!!」と奇声をあげながら登場する方が面白いかな、と出方を考えながらも待っていると、3曲目は俺の知らない曲だ。あれっ、4曲目になったのかな、と思ったが、4曲目も飛び入りするような曲ではない。ってなこと言っているうちに、
「今日はどうもありがとうございましたっ!」
 ニコッって、半分、服脱ぎかけている俺の立場はよっ!

 ライブが終わってから、大谷夫婦とうちの夫婦とたまのマネージャーの5人で、さくらももこの仕事場に遊びにいく。仕事場の3階が応接間になっていて、レトロ・フィーチャー調にまとめてあって、さすがにカッコ良い。ワインなぞごちそうになりながら、さくらさんはパワフルに喋りまくる。おまぬけなコレクションなども見せてもらいながら、なんと朝の8時過ぎまで。途中バタバタと長ソファーに倒れていく大谷夫婦などを尻目に、全くさくらさんは疲れ知らず。いやー、さすがに天下のさくらももこ、パワーが違うぜ。しかも数日前は取材の為、四国と本州の間の「しまなみ街道」を自転車で縦断したというし、あさってからは中国の広州に取材旅行だという。やっぱ天才と呼ばれる人は常人じゃない生活と仕事をしてるねー。ちなみにさくらさんが編集しているMook版雑誌「富士山」の次号には、ニヒル牛の事も載るらしい。
 朝方、さくらさんの実家にもお邪魔する。ちなみに息子は未だ実の母が「さくらももこ」だということを知らされていないので、実家ではみんな気づかって「さくらさん」ではなく、本名で呼ぶ。いったいいつ自分の母が「さくらももこ」だと気づくのだろうか。サンタクロースがいないことを知るのと、どっちが早いだろうか。ちなみにこの息子は大変出来の良い息子で、俺の顔を見るなり、たまのCDをかけてくれた。なかなかの気の使い屋さんだな。さくらさんのお母さんにも、手作りの小物入れ等のおみやげをいただく。

10月7日(土)

 読書の秋なので本三昧じゃーい。まずは九里徳泰・林美砂の「ブータン自転車旅行」を読む。ブータンは貧しい国だが、ウォンチュック国王の「大切なのはGNP(国民総生産)ではなく、GNH(国民総幸福量)だ」という言葉に納得。ブータンには行ったことはないが、すぐ近くのネパールもなんかそんな感じだもんなー。確かに物質的には日本やその他の先進国にかなわないんだろうけれど、どーもみんな貧しくても幸せそうなんだよなー。特に子供にそれが顕著で、なんかやっぱりキッタネーけど、この笑顔の方が正しいよなー、と思ってしまうのだ。

 それから「粟津潔の仕事1949-1989」を読む。見る。粟津潔は俺のベスト邦画、寺山修司の「田園に死す」の美術をやった人。舞台美術だけでなく、絵画作品なども色使いが素晴らしい。というか楽しい。俺のお気に入りの美術家である。

10月6日(金)

 下北沢・クラブ251でしょぼたまライブ。「ぼけ」という曲で客席に乱入し、今売れているという「ムースポッキー」を配り歩いたりして、時代に敏感なバンドということを完全に立証した。
 ところでアンコールのMCで俺が、最近はまっている『白熊アイス』について話したのだが、俺はその前に知久君が最近はまっている物の話しか、甘い物の話しか、もしくは白熊の話しをしていて、その流れで白熊アイスの話しをした、という記憶があるのだが、楽屋に帰ってみると、知久君やGさんが、
「なんでトートツに白熊アイスの話しなんてしたの!? まぁ、面白かったけどさぁ」
 というので、
「違う!! 俺は知久君の話しの流れからしたんだよ!」
 というと、知久君は、
「俺、そんな話ししてねーよ、石川さん、突然白熊アイスについて喋りだしたんだよ」
 というので、
「んな馬鹿な!! それじゃキ○ガイじゃないか!!」
 ということで、記録用に撮ってあるビデオで検証しよう、ということになった。ところが・・・なんとライブの時間が多少長くなってしまったので、マネージャーがMCの部分をカットして録画していたのだ。ちょうどその部分もやはりカットになっていた。さぁー、これで迷宮入りか!? と思ったが、念のため、会場に残っていた顔見知りのお客さんに聞いてみたところ、みんな俺がトートツに白熊アイスの話をしたという。んな馬鹿なー。もしかしてみんなグルになって俺を騙そうとしてるんじゃなかんべなー。俺は流れを大切に生きている人間だ。というか、常に流れの中で物事を提示していくタイプなのだ。何の前触れもなく、白熊アイスの話をするかー!!
 と思ったが味方は誰もいず。くっ、くそー。
 もしこの日のライブを隠し録りしている人がいたら、この日だけは見のがしてあげるから、俺の無実、いや俺の前に知久君が白熊アイスに至るなんらかの関係のあった話しをしていた事を証言してくれっ。たっ、たのむ!!

10月5日(木)

 高尾山にアーティスト写真の撮影に行く。アーティスト写真はギョーカイ用語で「アー写」と言って、主に雑誌やその他のメディアで使う写真のことだ。かつて大谷は、俺との共演ライブでたまのマネージャーが『アー写あったらお願いします』と言われ、本当は全く意味はわからなかったのだが、「えっ、あーしゃ!?・・・あっ、あーはいはい、わっ、わかりました!!」とつい知ったかぶりして答えるや、すぐ返す刀で俺の家に電話してきて、「おいっ、石、『あーしゃ』って、な、なんだ!?」ってオロオロうろたえていたことがあったな。なので「てきとーに顔のわかる写真があればそれでいいんだよ」と言ったら、「やっぱり背広とネクタイかのう!?」って、パスポートやビザの申請じゃねえんだよっ!!

 今回のカメラマン、もといカメラウーマンは仙台からわざわざ来てくれた慶さん。といっても、実は俺たちのデビュー前からの友達なので、その時は「小田さん」と呼んでいたのでそのまま小田さんで通す。実際は結婚しているのでもう小田さんじゃないし、カメラネームも慶さんなのだけど、今さら呼び名は恥ずかしくて変えられないぜーっ。ほっぺが真っ赤になりやがるぜーっ。その小田さんだが、俺たちと遊んでいた頃はカメラなんて持ってもいなかったのだが、結婚してだんなさんにカメラを買ってもらったら、次々と写真コンクールで賞を取ってしまい、あのアラーキーからも特別賞をもらってしまったという。現在「ニヒル牛」に作品を置いているのだが、その作品を見てマネージャーが気に入って、今回撮ってもらうことになったのだ。さわやかなエロスの写真を得意としているので、おそらくそんなエロスな俺たちが見られるのも、もうすぐだぜっ!!

 高尾山は都内から近いのに、実は今回始めて訪れた。ケーブルカーの運転席やリフトに、そこの鉄道会社のおっさんにきさくに許可をもらって撮影したり、山の中や吊り橋の上で「森の妖精さん・中年版」になって太鼓をかかえてランニング姿で踊ったりして写真を撮ってもらった。ところでその時ふと思ったのだが、俺は一体いくつまでランニングを着るのだろうか・・・。ここまで来たら60でも70でもそれで通すしかないか。もはや俺の一生の制服だもんな・・・。「一生の制服」を自ら背負っちまった数少ない人間だもんな・・・。

 ひろさちやの「昔話にはウラがある」を読む。気になった一節は、自然な事実である老・病・死を、現代はなにかとポンコツ・故障・殺というマイナスイメージでもって「悪」としている、という事だ。そうだよな、老・病・死はナチュラルなものなんだもんな。それはちょっと悲しいことかもしれないけど、誰も避けられない事実だもんな。多少の抵抗はもちろんしょうがないことだけど、否定はできないことだもんな。ポンコツ・故障・殺じゃ、かえって悲しくなっちまうもんな。受け入れるべきことは寛容な気持ちで受け入れて、できれば少しでも『楽しむ』ぐらいの方向に持っていかないとな。難しいけど・・・。

10月4日(水)

 スタジオにてロケットマツさんとリハーサル。来週の松山でのライブの為だが、松山は「子供の城」というところでやるのでお客さんはほとんど親子連れ。「あっけにとられた時のうた」はかかせない。でも実は「あっけにとられた時のうた」はたまの曲の中ではアニメソングということもあって、かなり異質。一応、他は子供にも比較的分かりやすい曲を選んでみるが、子供ってわかりやすいから必ずしも喜ぶとは限らないからなー。なかなかに選曲が難しい。いっそ怖い顔でオドロオドロしい歌ばかりMCもなくやって、子供にトラウマ植え付けたろかー。

 南伸坊「笑う科学」読む。やっぱりこの人は天才だなー。なにしろ文章がむずかしくなく、ユーモアレトリック満載で、バッチシ哲学だからなー。世の哲学者たちよ、少しは南伸坊先生を見習う方がよいぞ。だいたいにおいて、哲学書とかは難しい言葉が多すぎる。難しい言葉を使わなければ物事を伝えられない、という時点ですでにお馬鹿さん、ということだからな。お馬鹿さんの本をわざわざ苦労して読むくらいなら、阿波踊り踊っていた方が良い。だから俺は難しい本は一切読めない、いや、読まないよーだっ!

  10月3日(火)

 今日はオフ。市立図書館に行って、ただで本を5册とCD2枚借り、整体に行って保険きくので400円で電気治療とマッサージしてもらって、マクドナルドで平日半額セールでチーズバーガーとフィレオフィッシュバーガー消費税込み210円を、持ち込みお断りだけどこっそり個室のある漫画喫茶で食べる。漫画喫茶は飲み物飲み放題なのでコーラ2杯、コーヒー、ココア、コーンスープを飲み、『ご自由にお持ちください』の古雑誌4册もらって割引券使って1時間消費税込み189円。締めて799円でチープ生活を満喫。金を使わないで満足すると、嬉しさ倍増だからな。節約には頭使うぜ。

 本橋信宏「にくいあんちくしょう 異端カリスマ列伝」読む。テリー伊藤、梶原一騎、村西とおる、佐川一政などの裏のカリスマ達に焦点をあてた本だ。その中には硬派芸能評論家としての竹中労も入っていて、その章のイラストには「最後はたま」というキャプションがつけられていた。

10月2日(月)

 「ハーパーズ・ミル」にてゆっくりしてから、車で八王子のスタジオに楽器を戻しにいってから、帰宅。後、整体へ。最近はライブ終わったらすぐ整体。何はなくともすぐ整体。自転車こいですぐ整体。歪んだ鉄になってしまった体を真人間に戻してから、明日に向かって撃つんじゃー。・・・腰、イテー。

 前川健一「アジア・旅の五十音」読む。今年はネパールしか行ってないからなー。アジアに行きたいよー。って、日本も100%アジアだっ、ちゅうの。

10月1日(日)

 甲府・「ハーパーズミル」にて。ログハウスにて、昼間はそこの家の少年とオセロとかして遊んで、それからメンバー全員で温泉に出かけた。笛吹川温泉というところで、最近できたらしく、小奇麗な建物だった。俺はどうしても温泉にはその効能云々より、情緒というか風情を求めてしまうので、その小奇麗な所がかえってちょっと物足りなかった。あとで聞くとそのあたりに「ほったらかし温泉」という名前の温泉が山の上にあるらしく、そちらの方が名前だけで大いに興味をそそられた。今度はぜひそっちに行ってみたいなー。それから、マネージャーの知り合いがやっているアジア民芸喫茶のようなところ(惠林寺境内『惠雲堂』)に行き、チャイなど飲んでうだうだしてたら、すっかりくつろぎモード100%になってしまって、つい「これからライブだったなー」と皆で言ってしまった。

 夜はしょぼたまのライブ。始まる前、リハーサルをやっていると店の少年が俺の楽器を見て、 「あっ、鍋だっ! あっ、桶もあるっ! あっ、音の出るおもちゃだっ!」  といちいち喜んでいて、俺も嬉しかった。少年よ、その素直な気持ちを忘れるでないぞ。大人になると、みんな見て見ぬふりして、なかなか素直に驚いたりはしてくれないからな。

 俺がそんな物を楽器にしているのは、もちろん「見ている人が面白がってくれればいい」という単純な事でもあるが、
「いつから楽器が奏でる物だけが『音楽』になってしまったの?」
 という素朴な疑問もあるのだ。それが俺の反抗心(?)に火をつけて、結果、こんな形になったのだ。本来、音の出る物なんてたくさんあって、その組み合わせで「音」が「楽しめる」なら、なにも音楽は楽器だけに独占させておく必要はないはずだ。もちろん楽器は音楽を演奏するのにそれを効率的にした物だから、その存在は素晴らしいが、楽器じゃない音楽だってあっていい。楽譜に書けない音楽があったっていい。そして・・・石川浩司の歌う歌があったっていい! この世はなんでもありありさー。あっはっはー。

 ライブ終了後は、マスターの奥さん手作りの豪勢なイタリアン料理で、ワインも旨し。


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