石ヤンのテキトー日記00年3月

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3月5日

 昼はファンの人たちを空港に見送り。それからタメル地区にあるゲストハウスにうつる。体調がなんとなく良くないので、みんなは温泉&マッサージに行くといっていたが、パスして部屋で眠りこける。

 何時間経ったのか、気づいてみると部屋が真っ暗。電気をつけようと立ち上がるが、反応なし。どうやら停電のようだ。窓の外の家々も真っ暗。トイレが外なので部屋から出るも、階段のところにたよりな気なローソクが一本立っているだけで、当然トイレの中も便器の位置さえ正確につかめない状況。部屋に戻る。確かこの部屋にも停電用のローソクがあったことを思い出したが、肝心の火がない。マッチもライターもない。メンバー達も誰も帰ってきていないのか、外もシンとして、漠とした寂寥感に襲われる。なんだか世界中に俺しかいなくなって、しかもこんなどこの国とも知れないところでポツネンとしている虚無感だ。しばし孤独感を募らせる。

 と、しばらくしてマネージャーの溝端さんが顔を出してくれてホッとする。どちらかというと、意外と思われるかもしれないが、ひとりでいるのが好きな俺が、人がこんなに恋しくなったことは久しくなかった。外国+壁や床がぼろぼろのゲストハウス+体調不良+停電の四重奏は、相当な物だった。

 夜、背中の神経痛がすごく痛くなるが、もちろんマッサージなんてシャレた物が呼べるはずもなく、ちょうど持っていたぶ厚い南伸坊の本でガンガンに己の背中を叩く。

 夢を見る。どうやらこの部屋にいるのだが、よく見てみると、奥にも部屋がふた部屋あり、そこにこたつや古い漫画雑誌がたくさん置いてあり、すごく嬉しくなる。窓の外を覗いてみると、日本の温泉街が広がっていて、レトロな感じのネオンもまばたいている。そんなこんなで、なんだか急にたのしい気分になってきた。

3月4日

 眠い。どーてっことない物しか出ないとわかっている朝飯はパスして、10時過ぎまで眠りこける。起きたら、もう誰もいない。ファンの人たちやメンバーもどっかに各自勝手に観光に行ってしまったようだ。集合時間までしばらくあるので、ホテルの近くをうろつく。映画のポスターが面白いのでビデオを撮ったりして、近くの河原に降りてみると、メインストリートでは見られなかった濃厚な生活空間が漂っていた。まず、得も言われぬ酸えた臭いがそこらじゅうに充満している。おそらく家にトイレがないであろう男たちが、川のいたるところで立ち小便をしているからか。あっちでもこっちでも立ちつくしていると思われる男たちは、皆放尿中だった。変なペンキを顔じゅうに塗りたくったような仙人みたいな老人が上半身裸でうろうろしている。子供たちは川に棒を突き刺して、何かめぼしい物が流れてこないか、必死ですくっている。子供だけかと思ったら大人も混ざってる。
 川から少し入ったところに寺らしきものが見えたので入っていくと、そこは寺を中心に城壁に囲まれた小さな集落のようになっていた。家々はすべて中央の寺に向かって開け放たれ、そこには人々の生活一切があった。井戸から水をくんで髪をすく少女、タイヤのリムを棒でぐるぐる回して走らせて遊んでいる子供、おしゃべりしながら何事か手仕事をしているおばさんたち、所在なさげに座り込んで一点をみつめて動かない男。寺も古い。傾きかけ、一部は朽ちている。彫り物もすっかり摩耗して、何の動物が掘られていたのか、剥落してわからない。だけど毎日の線香や花だけはかかさないで信仰されていて、一体この光景は何百年変わっていないのだろうか、と思ってしまった。こんなところがメインストリートから一歩入っただけであるところが、あぁネパールっていいなぁ、と思ってしまう所以だ。

 昼前に集合し、「たま」という俺たちのバンドと全く同じ名前の日本食屋へ。ここは初日に、ラジオ局からの帰りに立ち寄ったところで、全くロゴも同じなのでファンの人たちを連れてきたらうけるかな、と決めたのだ。きのうも昼が「おにぎり弁当」だったので、ちょっと日本食ばかりだが、なかなかうまかった。しかしそろそろお腹が壊れ始めた人も多いのか、数人、手つかずの人がいたのはちょっとかわいそうだった。名前が同じ、ということが縁で、ポスターも店に貼ってくれたので、CDをプレゼント。ちなみに「たま」はこちらでは「竹の子」という意味だそうだ。

 それからバスでライブ会場へ。遊園地の横の広場のようなスペースに、野外ステージが組まれている。ちなみにこの横の遊園地には、おそらく「世界で一番怖い観覧車」があった。どう怖いのかというと、もの凄く早く回転してるのだ。普通、観覧車というものはのおーんびりと、少しずつ上っていって見晴らしがよくなるのを楽しんで、アラ素敵ネ、なんていう遊具だと思うのだが、ここのは違う。凄い早さでグルングルン回転しているのだ。それはもう景色を楽しむ、とかいう次元ではなく、ジェットコースターにも似た早さなのだ。こんな観覧車、ありか? それにしても近くまでいかなかったのでわからなかったが、乗り降りはどうしているのだろう。あんなに早く回転しているんじゃあ、乗るのだって、スキーリフトに乗るのなんかより数倍早く、自分も凄い勢いで走ってジャンプして飛び乗らなければ到底無理だろう。もう一度言おう。「そんな観覧車、ありか?」

 ライブはひとつ前のバンドが演奏を始めている。俺達はそででそれを見ている。今はなんという名か知らないが、俺達の若い頃(あぁ、こんな表現イヤだーーー! でも他に言葉が見つからない。クソー!!)はハードロックと言われたノリノリの音楽だ。ところが、なんと1曲の間に2回も3回も停電の為、演奏が中断される。たいてい数秒でまた音が徐々に戻ってくるが、これじゃノリたくてもノレないであろう。「そんなロックコンサート、ありか?」

 さて、俺達の出番。ネパールの観客の特徴といえば、「少々、引っ込み思案さん」と言ったところか、ステージ前10mぐらいに何故か誰もお客がいないのだ。みんな少し離れたところから、ぼおんやりのぞきみている、といった感じで、例の前のノリノリロックバンドの時も、ほとんど立つ客もいなければ踊る客もいない、といった風だ。
 そんな中、俺達の登場。と、どうやら俺の「ランニングと短パン」という格好は全世界的に受けるらしく、まだ演奏準備をしている段階からザワザワ反応があった。でも、まだ演奏が始まってもいないので素直に受けたとは喜べないわなー。リハーサルやサウンドチェックもなく、ぶっつけ本番でセッティングからするので、大わらわ。コードが短くて届かなかったり、モニターがぶっ壊れていて出なかったり。でもそこはネパール。注文をちゃんとしていたら、おそらく今年中には演奏が始められないのでスパッとあきらめるところはあきらめて、演奏開始。が、ここで本当に困ったのは床。竹とベニヤみたいなもので作られているので、ベコベコなのだ。ベコベコといっても牛が二匹いるわけではもちろんなく、要はステージ全体が軟弱に設えている為、ちょっと動きながら演奏すると、太鼓はズレて台から落ちるわ、マイクスタンドもズレて関係ない方を向いているわで、一々微調整せねばならず、大変なのだ。もちろん、「らんちう」で俺がジャンプしながら叩く時は、俺が着地した途端、トランポリン状のステージで、俺以外のすべての人は跳ね上がっていた。なんてことまではさすがにないが、とにかくスリルあるステージ。ただし、停電だけは日本から一緒にやってきたPAオマタが前のバンドのひどい状態を見ていたので、絶妙に音圧を全体で下げて、停電しないよう、電力を節約するPAをやってくれたおかげで、一度も途切れることがなかったのが、せめてもの救い、といったところか。客席の反応は先ほども言ったとおり、シャイなお客が多いのか、反応が鈍く、よかったんだか悪かったんだか、今イチわからず。「おーい、どっちなんだーっ!!」

 夜はファンの人たちとパーティ。「自己紹介トークショー」をやったり、ソロでギターの弾き語りを3人それぞれがやったりした。

3月3日

 朝、むせかえるような長靴の底の臭い(注・部屋のバスルームの臭い)の中でシャワーを浴びる。ちっともさわやかじゃないよー。めそめそ。
 今日は、ファンの人たちとナガルコットというヒマラヤがよく見えるところまでバスで行き、そこでトレッキング(ハイキングのようなもの)の予定。と、バスの中が、きのうのネパール到着時より、2名増えている。「あっ、あのヒゲの人は、シェルパ(山の荷物運びの現地人)の人か。でもシェルパが必要な程のたいそーな山には登らないはずだが・・・」と思ったら、シェルパの人によく似た栗コーダーカルテットの川口君と、その彼女だった。川口君はミュージシャン仲間でも旅好きとして有名で、ライブのない時はいつでもアジアをさまよっているような人なのだ。そして昨年の11月にたまのライブにゲストで出てもらった時、楽屋で「来年は、たまはネパールに行くんだー」と何気なしに話したところ、彼の顔が一変したのだ。「ネ、ネパール? 面白そうじゃん。いいなーいいなーいついくの?」そこで「3月頃だよ」と言ったら、それから数日後にはこちらがまだなーんの準備もしていないというのに、「ネパールのチケット、もう取っちゃいましたぁっ!」と元気な川口君の声が聞こえてきたのだ。なんでやねん。ということで、本日の特別ゲストとして、一緒に山に登りに行くことにした。

 バスが山にさしかかると、いくつかのゲートがあった。木で作った大きな遮断機のようなもので、一種の有料道路扱いとなっているらしい。と、道の真ん中に、それより随分細い木がしなっているので何かと思ったら、子供達のいたずらだ。どうやら「ゲート屋さんごっこ」をして遊んでいるらしい。それもしょーがないよなー。ここいらの主要産業といえば、農業を除けばこの「ゲート屋さん」しかないもんなぁ。「俺も、父ちゃんみたいに立派なゲートを開け閉めして車からお金を取る、かっこいいゲート屋さんになるんだっ!!」なんて目をランランに輝かせて夢を膨らましているのだろーか。

 さて、ナガルコットに到着し、歩き始めると「ヒマラヤが見える!」の声。ほほぉ、それはそれはとそちらの方を見るが、雲だけで何もない。「えっ、何も見えないじゃ・・・」といいかけた時、ドキリとした。なんとヒマラヤの山々は、その雲の遙か上に、その雪の頂を垣間見せていたのだ。それは日本で「山が見えるぞ」と言った時に見る角度と、まるで違う角度なのだった。日本なら言われた方を単純に見れば山なんて物は見えるもんだが、ここではそこから信じられないほど高く首を持ち上げねばならないのだ。
「ヒョエーッ」
 月並みだが、「世界一の高さ」という物をまざまざと見せつけられ、正直ビックリ仰天したのだ。だって、雲で隠れて途中が見えないので、あたかも空中遙かに、大地が浮かんでるように見えるんだぜーっ。誰だってビックリするよ。ニヒルなスパイが例えここにいたとしても、口には出さなくても心の中では「ヒョエーッ、たっ、高ぇー!!」というはずだよ。絶対にな。

 それから展望台のところで、製作予定のネパールビデオの為の撮影。「安心」と「ゆめみているよ」を撮る。気圧でポテトチップスがパンパンに膨らんでしまっている山の雑貨屋の前でも「あるぴの」を撮る。

 その山の雑貨屋の前でお昼。日本食レストランで作ってもらった見事な「おにぎり弁当」だったので、そんなものをムシャムシャ頬張っていると、ここがどこだかわからなくなってくる。ここで、この雑貨屋の子供達と仲良くなる。ネパールの子供達は人なつっこくて、とてもかわいい。リンゴをあげると、自分の汚い服でキュッキュッ磨いている。もっと汚くなるっ、ちゅうに。
 トイレはなく、男はみな立ち小便に旅立つ。女の人達は、もっと遠い草むらの中まで旅立つ。
 1時間ほどのんびりし、子供や照れ屋の犬と写真を撮ったりして、別れを惜しむ。
 と、バスが発車し、5分ほど経った頃、窓際の席の人たちから「キャーッ!!」の声。そちらを見てみると、さきほど仲良くなった子供たちが、車道ではなく近道の山道を転げるように走って俺たちの前に立ち、バスにバイバイしにきていたのだ。「かっ、かわいいっ!」みんなネパールの子供たちのかわいさには、ハートをわしづかみにされた。

 夕方からは会場の下見に行ったり、バックパッカー達が集まるタメルという地区に行ってみやげ物屋をひやかしたりした。

3月2日

 朝、起きると、同室の知久君がずーっとトイレに入ってると思い、我慢していた。「まだ、奴は出ないのか」「むむむっ。もう30分は軽く越えているぞ」「世界一長いうんこをしているとでもいうのか!!」「もう、我慢ならんっ、たたっ切る!」そういって、「知久く~ん、俺もトイレ入りたいんだからさー」と言ってドアをノックするも返答なし。「ぬぬぬ、こしゃくな。ならば、開けるまでじゃいっ!! ・・・ほおりゃあっ!!」しかしそこに長糞をしているはずの知久君の姿はなく、何もない空気に向かって俺は雄叫びをゼイゼイあげていたのだった。そう、奴は早起きして、虫採りに出かけてもぬけのからだったのだ。トイレだと思って我慢していたボーコーちゃん、ごめんね。でもいっつも知久君は朝のトイレが長いので、あぁまた今日もか、と思ったのだ。これだから相部屋は大変だ。

 バンコクからカトマンズへ移動。空路およそ3時間。途中、ミャンマーやバングラディシュを越えていく。幾筋もの、巨大な河が流れているのが眼下にダイナミックに見える。確かバングラディシュは今や日本と同じくらいの人口がいるはずだが、集落らしきものはほとんど見えない。一体どこに人は息づいているのだろうか。ここからでは、計りしれない。

 カトマンズ空港に到着。主催のアヤコさんが迎えにきてくれていた。アヤコさんはこちらで「ナマステバンド」というバンドを持ち、同時に音響・照明の会社を持ち、さらにはブティックまで持つ、バリバリのやり手日本女性だ。しかし、迎えにきてくれていたのは、アヤコさんだけではなかった。「WELCOME TAMA FROM JAPAN」の大きな垂れ幕と、花輪をかけてくれるオネーサンと、額に赤い粉を強引になすりつけてくれるオニーサンと、テレビ局だった。でもそこはネパール。テレビ局といっても、報道のカメラが一台だけだ。しかし海外公演でしょっぱなからこんなに空港で歓迎されたことはなかったので、ちょっぴり一緒に行ったファンの手前、鼻ターカダカだった。

 バスに乗る。カトマンズは4年振りだが、随分車やバイクが増えた気がする。なんとなく薄汚れたホテルへ到着。旅行会社の小野さんが、ちょっと首を捻っている。「一応、四ツ星ホテルのはずなんだけど・・・」ファンの人と一緒のツアーの為、最初の5日間だけは、よいホテルのはずなのだ。だからきのうのバンコクも「えっ!? 俺達みてえな下品な者がこんないいホテルに寝泊まりしてもいいんでげすかい?」ってなそこそこ高級ホテルだった。しかしここは・・・。
 なんといっても、部屋に入った途端、下水の臭い。下水というか、俺には「湿った長靴の中の臭い」に感じられた。さらには、トイレもほとんど流れない。部屋も陰気くさい。とりあえず、他の部屋よりもひどそうだったので文句を言うと、「ノープロブレム」の返事。
 と思ったらいきなりシューッ、シューッとトイレの消臭剤を部屋に撒き始めやがった。おかげで、トイレだけだったのが、部屋中がトイレの消臭剤の臭いで充満してしまった。さらには、トイレのあの例の「スッポン」を持ってきて、よく流れるように「スッポンスッポン」始めた。おっさんは汗だくになっているが、努力だけ見せても駄目なんじゃーっ。「もー、ノープロブレムネ」とか言ってたけど、調子よく流れたのは、その後2,3回だけだったぞ。
 ということで、同じ4ッ星ホテルでも、国によってまったく基準が違う、ということを見せつけられた。この国の1っ星とかっていうのは一体どんなことになっているのだろうか・・・。

 ファンの人たちと半日ツアーへ。でかい目玉で有名なスワヤンブナートというところへ。ここで急遽、俺の「すごろく旅行」のクジの部分だけ取り出し遊ぼうということになり、俺とGさんで作ったクジを引く。「人の鼻の頭をすきを見て触る」が出て、みな、観光をしながら人のすきを狙い、お互いの鼻の頭を触りまくる。きゃあきゃあいって、若いぞ、僕等は。愉快な仲間だぞ、僕等は。うーむ。これぞ親睦だな。と余裕をかましていると、誰かに鼻をぐいっとひねられる。ここは小高い丘の上にあるので、カトマンズの景色がよく見える。すべてが土色。すべてがレンガ色だ。
 それから旧市街へ。ここは俺も前回来て、おすすめの場所だ。リキシャと人と牛しかいない小道を、彷徨い歩くのだ。どちらを見てもいつの時代のものかわからない古い建築物が、雑踏の中に霞む。・・・と思ってたら、この4年間という時間は、町を一変させていた。おちおち歩いていられないほど、バイクや車が狭い道に分け入ってくる。舗装されていない泥道に埃が舞い散り、人々は肩をすくめてマスクをして通り過ぎる。「こんなんやないーっ!! 俺の好きなカトマンズはっ!!」と言ってもこれが現実なんだからしょうがない。あと100年は変わらない様なふりをして、町っていう奴は突然変貌してしまうものだ。今回ネパールに来て、最もショックで、がっかりしたのはこのことだった。どこもかしこもクラクションの音に人の話し声がかき消される。「のんびり人や牛を避けて散歩する」のが魅力だった町が、そのもっとも大きな魅力を失ってしまった。といっても、現地の人にとっては車やバイクが入って便利になったんだからとやかくいう権利は何もないかもしれんが、俺は心底、残念だった。みんなに「カトマンズはいいぞーっ」って言っていたのが、嘘になっちゃった。

 「クマリの館」というところに行く。ここには生き神様がいるのだ。その生き神様とは、少女。初潮を迎える前の、また怪我もしたことのない、つまり体からまだ血を流したことのない少女が選ばれ、時には国王がひれ伏すこともあるらしい。前回、個人で来た時はその姿が見られなかったが、さすが団体観光では、顔を出してくれるというので、楽しみに待った。しかしもちろん写真撮影は厳禁で、その間は拝んでいなければならない。数分間後、「建物の上の真ん中の窓をよくごらんになっててください」というところから、生意気そうな感じの少女が、「チッ」という舌打ちが聞こえてきそうな感じでけだるく顔を1,2秒だけ出して、引っ込んだ。そりゃ、性格もねじ曲がるわな、こんなところに「神だ。あんたは生き神だ」なんて言われて子供の時から親とも引き離されて育てられりゃ。しかも初潮を迎えた途端、放り出されるんだからなー。なかなか辛いっすね。生き神も。

 夜はラジオに出演に、隣町のパタンの方に車を走らせる。ラジオ局は、アンテナが立っていなけりゃただのでかい民家かと思うようなところ。スタジオで生演奏もあり、ということで、俺の楽器ともいえないような音の出るおもちゃの笛だのガラガラだの出すと、すっかりそこにいたDJガ気に入り、俺の許可も得ず、ピーヒャラ始める。すんげえ調子にのってピーヒャラ無邪気に遊んでいるので、「俺たちの出番はいつだい?」と聞くと、「あぁ、彼らは前の番組だよ」って、人のネタを最初に全部使っちまうんじゃねぇーー!! 「カブる」っていうネパール語は、ないんかい!!
 NHKのネパール支局の人に通訳に入ってもらい、生で数曲演奏。と、どうやら「知久」という名前はこちらでは放送禁止用語(よーするに女性のアレね)だったらしいが、名前じゃしょーがねーもんな。「知久」という度、女性アナウンサーは冷静に応対していたが、ガラスの向こうのスタッフルームでは馬鹿受けだった。

 3月1日

 朝5時まで、「2月分をまとめにゃ、あかんわー」とホームページのコンテンツの更新などアタタフタタやっていると、PAのオマちゃんが車で迎えに来たので、成田へ。メンバーや、一緒にツアーに参加するファンの人たちと合流。まずはバンコクへ。機内では、明和電気のお兄さんの方が偶然ふたつ前の席。タイに遊びにいくとのこと。あの例の「明和電気作業着」じゃなくてラフなシャツなど着ているので普段と違うさわやかな印象が、ちょっとおかしかった(まぁ、俺もランニングは着ていないので向こうも違和感バリバリのお互い様だったろーが)。ネパールへは、週一回の大阪からの直行便を除けば、バンコクなどで一泊して乗り継がないと行けないので、なかなかにまだ遠い国だ。

 約6時間のフライトでバンコク到着。俺はここは3度目だが、どんどん近代化されて、ビルはさらにさらに高くなっている。空港からホテルまでの間はあいかわらず、日本企業の看板ばかりが目につく。SANYO、MITSUBISHI、SONY、BRIGESTONE・・・。高速を降りると、途端にアジアが目に飛び込んでくる。この日本と違う「アジア的」なもの(まぁ、もちろん日本がアジアなのはわかってるけど、それはおいといて)が、なんなんじゃろか? と思った時、気が付いたことがある。気候のせいが多分にあるのだろうけれど、日本なら当然家の中でしか行われない、いわば「公開されない」部分の「おめえ、少しはベールに包めよ」的日常生活が、路上で一大パフォーマンスのようにウッシャッシャーッと繰り広げられている、ということだ。鼻くそほじくってピーンと指で弾いたり、てきとーに道の端でグースカ寝たり、ガツガツ焼きトーモロコシ食って歯をシーシー言わせてたり、薄汚れた子供が意味もなくさらに薄汚れた犬をギャンギャン追いかけまわしてたり、痰をペッペカ吐いたり、その横を掃除してたり、ただ路上を見つめて訳もなく突っ立ってたり、つかみあいのケンカをしてたり、でかい竹を運んでたりと、日本より遙かに「路上でしていることの種類」が多い。真っ昼間、暗い家の中にいるよりは、外に出てウダウダしてる方がいい、ということか。でもみんな、仕事とかはどーなってるんだ? まぁ、こちとら観光客で見ている分にはなかなか飽きない光景だけど。

 ホテルに着いて、晩飯の集合まで1時間ぐらいあったので、ビデオ片手にひとり町をうろつく。ぶつぶつコメントとかを喋りながらカメラを回しているので、ギョッとした顔で振り返られることも多いが、しょうがない。まぁ、携帯電話だと思ってくれい。ちょうど選挙シーズンなのか、選挙ポスターが町の電柱やら木やらにムゾーサに貼り付けられていてパタパタ風になびき、さらに町を混沌とさせている。危ないドラえもんの看板もある。

 晩飯はファンの人らと一緒に、屋台村のようなところで。おきまりのトムヤムクンや蟹のカレーあえやらチャーハンやらなんかの草の炒め物とか。日本人向きにされちゃったのか、辛さが抑えられていて、ちょっいと残念。晩飯後は、各自自由行動なので、俺はもちろんタイ式マッサージへ。他にも事務員マニと、ファンの子ひとりの計3人で、ガイドのおっさんに連れられていく。と、おっさんはすたすたと、怪しげな地下に降りていく。「おいっ、ちょっと待った。普通のマッサージでいいんだからな。俺以外は女の子ふたり、ということからも、わかってるよなぁ」と思うが声には出せず。
「ここです。」
 連れられて来たところは、突然ケバケバしいライトが点滅していた。しかもガラス越しには、雛壇のようなところに数十人の女性が並んでいる。化粧をパタパタ直している子もいる。
「こっ、これは・・・!」
 まあこれが、俺だけだったり、男ばかりで来たのなら、「風俗チェリー」と呼ばれる俺も観念するしかないが、女の子ふたり、しかも自分の会社の事務員とファンの子では・・・
 俺たちが躊躇しているも、ガイドのおっさんは全く意に介さず、
「さささ、中へ、中へ。」
 と俺たちをおしやる。このおっさんボーッとしたような顔をしているが、とんでもねえやり手ジジイなんじゃあ!? 
「ここで服を脱ぐ。一緒でいいですか?」
 いや、俺は構わんけど、彼女らは構うだろう。
「じゃあ、あんた着替えはとなりで。マッサージは同じ部屋でいいですか!?」
 そりゃ、再三言うが、俺は一向に構わんが・・・って、一体これからどんなことが行われるんだ!?  へんなダボダボの、すぐにチンコが露出してしまいそうな危ういパジャマのようなものに着替えさせられる。そして、ベッドに3人横たわる。化粧の匂いがムンとして、お姉さん達3人が入ってくる。
「あらぁー、男ひとりに女ふたり。変な組み合わせねー」ってな感じだ。
 ・・・そして!!!
 普通のタイ式マッサージを受けた俺達は、1時間後ひとりチップ込み700バーツ(約2000円)を払ってそこを出た。ということで、何事も別になかったのだが、壁越しにどうやら別の日本人の若者が来ているらしく、そいつらが何故かキャーッキャーッ言って喜んでいる声がやたら耳についた。・・・あいつらは、絶対に俺たちと同じマッサージではないっ!!! 3人で首をコクンとうなずきあった。

 途中100円ショップならぬ10バーツ(30円)ショップを覗いたり、セブンイレブンをひやかしたりしながらホテルに戻る。今回は最初の5日間ほどファンの人たちと一緒なのだが、今までと違い人数もそう多くない(15人ほど)なので、へたなイベントはあまり企画せず、「フレンドリー作戦」でいきましょうや、ということで、Gさんの部屋にほぼ全員が揃って、友達感覚で酒など飲みかわしている。と、ここで酔っぱらったサイトー君(たまのサポートキーボーディスト)がいい調子になってきた。このサイトー君、普段ステージ上ではシャイを絵に描いたような男で、「サイトー君、なんかあったらライブ告知でも、どうぞ」とかいうと、蚊の鳴くような声で「・・・いえ・・・別に・・・いいです・・・」ってなもんなんだが、酒が入るや、途端に人が180度クルリッと変わり、場をしきる、しきる。
「つまみを買おうと思って歩いていたらさぁ、象が普通に小道に入ってきてすれ違ったんだよっ!!!」
「えー、象がぁ?」
「しかも2匹。最初子象で、『なんだなんだ』って思ったら次のがでっかくてさ。道の真ん中でさ。俺たち『おいおいおいおい』ってやっとよけて通ってさ。」
 まぁ、タイだから象が歩いてても本当はそれほど不思議じゃないんだけど、酔っぱらった時のサイトー君はとにかくほら吹きになるので、誰も信用していない。
「その象ってさ、ピンク色だった!?」
「違うってば、ほんとうに、すんげえ象が、象が小道を!」
「足は何本? 10本?」
「違うってば! 一緒に行った小俣さんも見てんだから」
「あ、じゃあ本当だ。」
 見事に、酔った時のサイトー君と、オマちゃんの信用度の違いを見せつけられた瞬間である。
 サイトー君は「おいおいおいおい」「おいおいおいおい」とその後、2時間くらい自分にひとりで突っ込みを入れていた。




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