石ヤンのテキトー日記00年3月(2)
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3月7日
朝は、チャイを何杯もおかわりして、テラスでゆっくり過ごす。眼下では、大人でも仕事をしている人より、圧倒的にただ時間をつぶしている人の方が多い。この気候、この風土には、あくせく働くのは全くもって似合わない。ぼんやりしながら、時間の流れに身をまかせてたゆたうのが、正しい生活の仕方なのかもしれないなぁ、と思う。
お昼に、表彰式があるからステージに来い、と言われる。まだ何もやっていないのに、なにを表彰されるんだろう、と思ったら、「わざわざこんな土地に来てくれた」事だけで表彰に値するのだという。ちなみに、他に表彰されるのは、一台のリキシャで7人の子供を育て上げた老婆(基本的にリキシャは男の仕事。女のリキシャウーマンは一度も見なかった)や、地元からオリンピックに出た女子空手の選手など。壇上で、今回のライブに呼んでくれた農林大臣から、立派な楯をもらう。大臣以外も、警察署長とかがビッシリとした制服で俺の横に座っていて、目の前には、黒人達。野っ原なのに、前の方の席は、どこからかソファとかを持ってきて、やっぱり黒人のお偉いさん達が座っている。なんかつくづく「どこで俺の人生って、こんなネパールの外れで壇上に上がって表彰式に出るような物になっちまったんだろーなー」としばし、感慨にふける。なんか変だよなー、やっぱり俺の人生って。変わってるよなー、とあらためて思ってしまった。
本番まで時間があるので、ビデオを撮ろう、ということになり、しょぼたまのセットを町に持っていき、町の真ん中でいきなり「デキソコナイの行進」という曲を演奏する。あっという間にまわりは黒山の人だかり。黒人なので、本当に黒山の人だかりだ。途中まで一緒に来ていたPAのオマチャンは、その中にまぎれてしまって全く見分けがつかないのは、きのう話したとおりだ。演奏が終わり元気に「ダンニャバード!」(ありがとう)と挨拶。しかし、黒山の人達は誰も拍手もしない。声もあげない。ただ、じっと俺達のことを見ている。それは別に演奏の出来が悪かったとか、何か気分を害するような動きを俺たちがしてしまったとかそういうことではなく、どう反応していいのか誰もわからずに、ただじっと目を見開いてこっちを見ることしか選択できなかったようだ。何故なら、無反応だったのに、俺たちがヤレヤレとホテルに向かって歩き出すと、子供だけでなく、大人達まで、まだ何かやるかもしれないと思ってホテルまで何人もついてきてしまってたのだから。まさに「デキソコナイの行進」の歌詞通りだった。
それからまだ唄いたりなく、俺はひとりで町はずれに行き、牛をバックに「秋の風」という曲を弾き語りで唄い、それをビデオに撮ってもらう。ちなみにこの「秋の風」という曲はなかなか日本の路上では唄いづらい歌詞を持っているので、ここならと大声で唄ったのだ。どんな歌詞か興味のある御仁は、ここをクリックしてくれ給へ。
ライブ本番。セッティングをしている間、司会の人が何やら俺達を紹介してくれているようだ。
「ナントカカントカ、・・・チリマリコー!!」
どうやら、テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」テーマも唄ったことがある、ということを宣伝してくれてるらしいのだが、「チリマリコー! チリマリコー!」と連呼されても・・・他の場所でもそうだったから、多分原稿のスペルが間違えてるのだと思う。直しておけよ。
さて、「ウイ・ケイム・フロム・ジャッパーン。ヒア・イズ・ジャパ! ジャッパーン、ジャパ。ジャッパーン、ジャパ。おぉ、よく似ている!」と日英混合のギャグMCから始めたつもりだったが、残念、お客さんは日本語はおろか、英語も全くわかっていないようでポカンとしていた。うーむ、いたしかたない。
きのう見たとおり、竹で出来たステージだったので完全に斜めに傾いていて、スネアなども完全に浮いてしまっているが、そんな細かいこと(本当は細かいことじゃないんだけど・・・)に構ってられる程ネパールは柔じゃない。しかし反応はなかなか良い。途中「どっこいしょ どっこいしょ」という日本ではアンコールでしかやらないアカペラの馬鹿歌を挟んだりして、いい雰囲気のままライブを終えられた。終わってから楽屋に子供達がやってきて握手を求められたり、「たまイズ・NO1バーンド!」とか「グレイト!」とか声もかかってなかなかいい気分。今回、ネパールの全公演の中で、一番の出来だったかもしれない。「ジャッパーン、ジャパよく似てる」はわからなかったようだが、「ダンニャ ダンニャ ダンニャバード!」と言って最後の「バード」のところでバサバサ鳥のマネをしたら、これはわかったと見えて、反応も多少だがあり。よかった、よかった。
夜になり、晩飯でも食おうという段になって、またステージにお呼びがかかる。今度はナントカ協会の面々が表彰したいとのこと。表彰とか、花束贈呈とかがつくづく好きな国だ。何の団体かもわからなかったが「とにかく、来い」と言われて三度ステージへ。今度は市長からククリというネパールの山岳民族が使う短剣をひとりひとり手渡される。あのー、もらうのはいいんですが、税関通れるんでしょーか。こんな危険物。
こちらもそのお礼にと、CDや俺のキャラクターTシャツを市長に渡し、最新アルバム「東京フルーツ」を自らネパールでダビングした海賊版テープを客席に「ほおりゃっ」とバラ撒いたところ、パニックのように客同士で熾烈な奪い合いになった。だから今でも、この町の音の悪いカセットデッキからは、俺達の歌声が流れているかもしれない・・・。歌詞の意味は全くわからないまま・・・。
夜中、蚊が凄い。一応蚊帳はしているのだが、どこからともなくプワ~ンと紛れ込んでくる。そして最も凄いのは、トイレ。なんせ、蚊を捕まえようとしなくても、ただ、パチパチめくら滅法手を打つだけで、蚊が手の平にベッタリの血とともに張り付くのだから。マラリア蚊もいるのかと思うと、ちょっとゾーッとした。こんなところで蚊に刺されておっ死ぬのは嫌だ。おい、頼むぜ~、「町一番のホテル」よっ!!
3月6日
朝は、カトマンズの戸隠そば処「ヒマラヤ」というなんとなくまぎらわしい所に行き、そばを食す。なんでも日本で10ヶ月修行したとか。そばがき等もあり、なかなか本格的。ここだけは壁ひとつ隔てた外界と完全に仕切られていて、カトマンズの雑踏も全く見えず、ポカポカした日だまりで信州そばなんかすすっていると、なんだかとても不思議な空間。一瞬、ネパールにいることを忘れそうになる。
空港へ。どうやらバドラプールという所まで飛び、そこからジャパという町に向かうらしい。しかし、そのバドラプールもジャパも、どちらも日本で発行されている旅行ガイドブックとしては最も詳しいと定評のある「地球の歩き方」にも、地名すら載っていない所。そんなところに行けるなんて、それだけでなんかわくわくする。いやがおうにも奇妙な期待感が生まれるぞ。あぁ、どんなところなんだ、ジャパよ。
途中、窓からヒマラヤの山群が雲の上に見える。雲と山雪はよく似ているので、かすかにむき出しになった岩肌だけがその境の頼りだ。どれが彼の有名なエベレストかは、ちょっとわからなかったが、人間が近づけるところではない、というか「近づいてはならぬぞ!」というような気がその山容にヒシヒシと伝わってきた。
1時間ほどで、プロペラ機は、何もない牧草地帯にヒューッと、不時着するように降りていく。飛行機を降り、預けた荷物を受け取る為、空港ビルの方に歩いていくと、係官らしき人が「ちがう、ちがうこっちだ」と指を差す。おいおい、しかしそこは空港ビルではなく、鉄条網がわずかに途切れただけの、言わば、犬の出口じゃないか、犬の出口を指さしてどーすんだ。あっはっはー、と思っていたら、かったるそうにおっさん達が、ガラガラと荷物を山積みにしたリヤカーでそこにやってきた。
そしてただの草むらに、ポンポンと荷物を放り投げる。それをワッと人が群がって、勝手に自分の荷物を取っていく。まるで救援物資を奪い取るかのようだ。おいおい、ここは難民キャンプか? バゲージチェックも何もあったもんじゃない。
そして結局、その犬の出口のようなところから出てみるが、どーやら迎えの人らしき人は来ていない。というか、人はいることはいるのだが、客引きですらない。ただ飛行機を眺めに来たよーなボーッとした黒い若者や老人が、なんとな~くこっちを見ているだけ。空港の外にはタクシー、バスはおろか、リクシャすらいない。町なんか全然見えないというのに。おいおい俺たちゃこれからどーすりゃいいんだ!
「おかしいわねー。迎えの人を寄越す、って言ってたのに」
アヤコさんも首をかしげる。と、その時俺は気づいてしまった。
「確か、ここの空港って、バドラプールっていうところだよねぇ。ってことはスペルはBかVだと思うんだけど、あの空港に書いてあるスペル、Cで始まってるよ・・・」
「えっ!? ちょっ、ちょっと待ってよ!! まさか飛行機乗り間違えたんじゃないわよね!?」
もしも違う町に着いてしまったとしたら、一体この何もない町は一体どこなんだ?
俺達は一体どーすりゃいいんだ? これからの人生。
慌ててアヤコさんは空港ビルの中に入っていき、ひとつだけある公衆電話に飛びつく。ちなみに公衆電話といっても、コインを入れればすぐ通話、といったものではなく、「電話室」に電話番の人がいて、その人にいちいち繋いでもらうのだ。しばらくして、アヤコさんが出てくる。
「ふーっ、とりあえず場所は間違ってないみたい。なんかこの飛行機が遅れる、という情報があって、迎えに来るの遅れているらしいの」
ちょっと安心、ちょっと残念。乗り間違えたのなら乗り間違えたで、「どこじゃあ、ここはーっ、ワアッハッハッハ」という愉快なハプニングに発展する可能性があったからな。
30分ほどして、ジープが迎えにやってくる。そして歓迎の花束がひとりひとりに贈呈される。でも、花束贈る事よりも、遅刻しないことを選べよ。とネパール人に言っても無駄か。
そもそもこのガイドブックにも載っていない町で何故やる事になったか。それは実は政治力なのだ。ここジャパ出身の農林大臣が「せっかく日本からカトマンズやポカラに演奏しにくるバンドがあるなら、我が町にも来てもらおう」ということから、直前に決まったのだ。まぁ、一種の政治家の「私は国際交流にも力を入れてますよ」てなアピールのネタとして使われたわけだ。でも俺達も辺鄙なところに来るのはちょいと面白そうだったから、お互いの利害が一致した、ということか。
ジャパまでは約30分。狭いジープの後部座席にメンバー3人キュウキュウに詰められて、牧草地帯を走り抜けていく。人家は少ないのに、歩いている人はやたら多い。みんな、家は一体どうしたんだ? と、いらぬ心配までしたくなる。それでもやがてポツポツと家が増え始め、埃っぽくなったと思ったら、ジャパに到着。
この町は今まで俺がみたネパールのどの町よりもインド的だ。何より、人と動物の存在度が同じだ。野ヤギがあちこちにヨタヨタしている。野犬や野水牛や野豚もいる。そして車が止まったその前の人だかりは、まさに「こてこてインドの」コブラ使いだったのだ。若い男がコブラのまわりをグルグル回りながら、何事かアジテーションしている。そしてコブラとは別の袋の中に手を突っ込んで「ギャーッ!!」と言ったと思ったら、彼の手はもう真っ赤に染まっている。そこで取りいだしましたるこの薬をチョチョイと塗ると、アラ不思議、もう傷は御覧の通り、直っておりまする~っ! って、そりゃ結局日本で言うところの「ガマの油売り」っちゅうことなんだね、要は。
さて、ジャパでのホテルは「せっかく遠いところを来ていただくので、町一番のホテルをご用意させていただきます」と聞いていた。いやー、悪いなー。でもネパールで豪華に過ごすのも、悪くないもんだよねーっ。町はちょっと・・・じゃなくて、はっきりと埃っぽくて汚いんだから、ホテルぐらいゆっくりと泊まりたいものだもんね。シャンデリアの灯る部屋でゴージャスにシャンパン、なんてぇのもたまには悪くないもんね。ところで、その町一番の豪華なホテルは、どこ? えっ? 変なところ入っていくねー。ここはそのホテルの従業員の宿舎? ホテルは豪華といっても、さすがネパール、従業員宿舎はやっぱり汚いね。で、なんでドアを開けて、従業員の部屋を俺達に見せるわけぇ? うわっ、さすが従業員の部屋は洗面台すら付いてないやぁ。顔も手も洗わないのかーっ。もちろんタオルもなければシャンプーどころか石鹸すらない。歯磨きなんてするわけないから、歯ブラシセットもないよね。で、ははあ、ベッドは完全に蚊帳で覆われているわけね。まぁ窓も一部壊れてるし、これじゃマラリア蚊が押し寄せてくるだろうから、完全防備しとかないとね。でも、この蚊帳の一部破けてるけど、従業員宿舎だからって、あんまりだよねぇ。これじゃ、マラリア蚊に入られて、刺されて死んでしまうよ。で、まぁ、従業員宿舎の見学はもういいから、そろそろ俺達のホテルに案内してくれよっ、って、鍵を置いて「はい、さようなら」って・・・ここかい!! ここが町一番のホテルなんかい!! おーーーーーいっ!!
会場の下見に行く。ちなみに「会場はどこ?」と聞くと「あの大きな木を曲がったところだよ」というのがこの土地が都会じゃないことをよく表している。
大きな木を曲がり、会場へ。うんこの臭いのする元野菜市場という場所の横に、だだっ広い草むらが広がっている。その端っこに舞台が今まさに設えているが、基本は全部竹で組み立てられている。巨大なスピーカーと、それを支える細い竹がアンバランスだ。
よっこらせ、とそのステージに登ると、ちょうどでかい夕日がジャパの町の向こうの地平線にトロトロと溶けていくところだった。
夜になると、それまで通りにあれほどいた人々がパッタリといなくなり、怖ろしいほどの落差。まるで振り向いたらいきなりゴースト・タウンになっていたかのようだ。風にゴミがピューッとさびしく舞っている。
晩飯を頼む。インド国境に近いので、やはりカレーがおいしそうだ。さすが「町一番」のホテルだけあって、中学生ぐらいの少年がひとり、俺達につきっきりで、給仕をしている。
少年に聞いてみる。
「この中で、一番ネパール人っぽいのは、だれだと思う?」
少年は即座にGさんを差した。なるほど、やっばり地黒だからな。
「でも、オマチャン(PAの小俣)もネパール人っぽくない?」
と聞くと、
「えっ!? この人も日本人だったの!?」
と仰天された。
で、結局日本人とすら思われなかった、現地の通訳かなんかだと思われていたオマチャンだったが、その話はここだけで終わりではなく、実際、ライブの時に楽屋に入ろうとしたらオマチャンだけが、
「こらっ、無断で金も払わずにこんなとこ立ち入っちゃ、いかん!!」
と、つまみ出させられそうになったり、変な顔で見られたりの自体が頻発した。なのでそれまでもらったものの、みんなまともに付けていなかったスタッフカードに、オマチャンだけはでっかく「JAPAN」と書いて首からよく見えるように、ひとりぶら下げていたのが、ちょっと悲しかった。
ちなみに、この日の晩飯は頼んだのが7時、メインが来たのが9時半。えらく時間がかかるが、この町ではこのホテル以外、俺たちが普通に飯を食えそうなところはない。明日の朝食も頼んでから2時間半もかかっては、昼になってしまう。少年に聞く。
「明日の朝食は、頼んでからどのくらいかかるんだ!?」
すると悪びれもせず、
「1時間くらいかな~」
すると、ちょうどそこに片づけにきていた少年のお姉さんらしき人が、
「馬鹿ね! 5分か10分って、言っておきなさい!」
と少年を叱りつける。あの~、丸聞こえなので、今日のうちに頼んでおきます、明日の朝食。
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