ベトナムおとんまツアー

カブラギのすね毛

 ピーーーービビーーーー!!
 パパーーーー!!
「ナントカカントカ!!!」
「カントカナントカ!!!」
 クラクションが、この街のBGMであるかのように飛び交っている。
 怒っているのか普通の会話なのか、人々の話声がその中を交叉する。
 今、俺達はタンソン・ニャット国際空港からタクシーでホーチミンの市街地に向かっているところだ。
 車の窓から見える、家の前でハンモックにくるまってうたた寝をしている人や、台に腰掛けてなんとなくほやーっと、夕方の中にたたずんでいる人とは対照的に、道路の上だけは、
「まだ、ベトナム戦争は終結しとらんかったのかー!!」
 と思わず防空壕を探してしまう程のありさまだ。
 爆音轟くバイクと、自転車と、車と、犬と猫とそして人の、道路はカラフルな一大パレード場なのだ。
 かなり大きな交差点でも、まだほとんど信号は設置されておらず、各自勝手に好きな方向からイヤッホーイと突っ込んでくる。しかも一般の車やバイクに混じって、何人もの子供を無理矢理乗せて小山のようになっているシクロとか、でかい竹竿を何十本も運ぶ自転車とか、鶏が山ほど入った籠を背負った老婆とかがふらふら進んでいる。
 まるでこれじゃチキチキマシン猛レースだ!
 こいつらに「『交通法規』って、知ってるか?」と聞けば、きっと、
「それ、食べ物の名前だろ!? うまそうじゃねーか。俺にも、食わせてけろ、食わせてけろ!!」
 と答えること確実な、秩序とは全く無縁な世界なのだ。

 ベトナムは去年に引き続き、二度めの「こにゃにゃちわー」だ。
「物価が安いのに、食い物激うま。プリン、生春巻き、海産物、肉、フォー(うどん)おぉ・・・狂おしや・・・」
「チープで、ヘンテコで、馬鹿で、意味不明なものいっぱいあるでー っ。」
「だけど旧フランス植民地のなごりで、アジアなのに、どこそこおしゃれ。」
 てなポイントをかせいで、今年もまたこの喧噪沸き立つホーチミンの街に帰ってきてしまった。

 しかし、その素敵な光景の数々を、今回の旅の主人公のひとりであるカブラギは、決して見ることはなかった。
 そう、その時彼が見ていたのは、己の汚いすね毛だったのだ。
 右足と左足の靴下と半ズボンのあいだにごわごわ生えた、彼本人のすね毛だったのだ。
 何故なら、車の中で彼の頭は、彼の股の間に深く深く沈んでいたのだから。
 何故彼は景色を見ずにそんなものを?
 彼の数ある異常部分の今年の最新流行のひとつなのか?
 ・・・否。
 俺もカブラギの時折見せる異常部分は決して嫌いではないが、というかそこが気に入って長年つきあっているようなものだが、異国に来ていきなり股ぐらに己が顔を挟み込み、自分のすね毛を凝視し始める性癖だとしたら、さすがの俺でも一歩ニ歩三歩と後ずさりし、うしろを振り返らずに脱兎のごとく逃げだすだろう。
 そう、実は今回まず空港に降り立ったのは5名。俺、カブラギ、R君、くすみさん、上杉あや。そのうち男は俺とカブラギ。タクシー1台の定員は運転者以外4名まで。
 もちろん、タクシーを2台借り切るなんてえバチアタリな豪勢なことは海老の背筋がピンと伸びてトコトコこちらに歩いてきたとしても出来ないので、強引に1台に乗り込む。
 体の体積の関係から俺は助手席に落ち着き、残り4人が後ろのシートに沈むことに。
 先ほど書いたように交通法規なんてまるで関係ないように見えるこの国だが、何故かタクシーの運ちゃんが定員数にだけはこだわって、ポリスに見つかるとやばいから、隠れろという。
 そこで後ろのシートの唯一の男子であるカブラギが、自分のすね毛を凝視したまま、町まで運ばれていく、という首の痛い図式になったのだ。

  


マッサーとの再会

   とりあえず、安宿街として名を馳せているファム・グー・ラオに車をつけてもらい、今日はとりあえずその中で比較的大きなヴィエン・ドンホテルにと草鞋を脱ぐ。荷物を置くや、本来なら、「旅の汚れを落としましょうや」と、まずはシャワーでも、という提案が出てもおかしくないのだが、「そんなものは食えんわい!」「とにかく俺達ぁベトナムに飯食いにきたんじゃーい!!」「食わせろ、食わせろ!!」と、めしを食いに外にドンガラガッタと転がりでた。

 最初の夕食は「ZEN=禅」という店にすでに決定していた。ここは去年来て、お気に入りの店なのだ。店名が示すとおり精進料理の店だが、安くてうまくてヘルシーで、そして何より"彼"にまた会えるかもしれない、という理由から、ともあれ向かったのだ。
 その"彼"とは、名を「マッサー」という。「マッカーサー」ではもちろんない。「マッサー」だ。
 本名は、わからない。ただ、俺達のあいだでそう呼んでいるだけなのだ。
 マッサーは音もなく俺達に近付くと突然俺達の体に飛びつき、羽交い締めにしてくれたり、頭をこづいてくれたり、腕を捻ってくれたりする。
 歯のない口を時に大きく開けながら、俺達の体をまさぐり続ける。 そう、彼は流しのマッサージ師なのだ。

 去年、この「ZEN」で飯を食っていると、彼はふらりとその店に入ってきた。
「マッサージは、いらんかねーーーっ」
 ほとんど英語になっていない英語だが、その意味するところはすぐにわかった。
 たいていの物売りなら、ブツも見ずにも、
「ノオオォォォサンキュー!! グッバイ!! あばよ!!」
 と、けんもほろろに断わる俺達だが、さすがに「マッサージこじき」の名前を持ち、「大きくなったら、道路になってみんなに踏まれたい」と星に願いをかける俺のことだ。期待はせずに、とりあえず値段を聞いてみることにした。
 もちろん「マッサージこじき」故に、すでにいち早く盲人学校のようなところで、ベトナム流マッサージは体験していた。その時の料金が確か300円くらい。でもそこは流石に公共施設のようなところなので安いはずだ。流しのマッサージじゃあそうもいくまいが、だからって足下見やがって、いけしゃあしゃあと1000円とか2000円とかすっとぼけたこと抜かしたら、
「とっとと、母ちゃんの三段腹の元にでも、けえりな!!」
 と言ってやるつもりだった。
「ハウマッチ?」
「・・・テン・サウザンド」
 やっぱりか、この野郎!! だぁーれがこのベトナムの物価の中で1000円出してマッサージやるもんかよ!! おとといきやがれ!!
 ・・・と、ちょい待てよ・・・テン・サウザンドということは10000ドンだよなあ。この国の円換算は簡単で、0を2個取りゃいいんだったな・・・あれっ!? 1000円じゃない!! 100円かあ!! む、むむっ。
「オッケー、オッケー。100円ならトライしてみるよ」
 でもまあ100円なので期待はしていなかった。まあ適当に揉んでくれても、その金額ならマッサージこじきとしては、充分だからだ。なんせ日本じゃ10分1000円見当だもんなあ。まさか100円だからって1分ってことはないだろう。
 ところが、マッサーの手が俺の背中にほんの少し触れた瞬間、ビビビッときた。
「こ・・・これは!!!・・・ほ・ん・も・の・だ!!」
 ガクッ。・・・って、死んじゃしょうがないけど、とにかく滅茶苦茶うまい。指からオーラが出とる。今まで受けたどんなマッサージよりも確実につぼをとらえ、そこをズダダダと突いてくる。
「ぬぬ・・・おぬし・・・なかなか・・・やるな・・・わしゃあもう・・・いきそうじゃわい・・・」
 というか、次の瞬間、俺はいってた。
 狭いその飯屋のプラスチックの椅子の上で、俺はこらえきれず呻き声をあげた。
「うぅぅぅ・・・痛・・・イタキモチいい・・・うぅーっ!!」
 その俺の感極まった声と、随喜の表情に、同席してた友達だけじゃなく、別の席にいた白人金髪ボインボイン女性までもが振り向き、そして激しい興味を示した。
「オォ、アノジャパニーズ、オッサンニカラダモマレテ、カンジテイル・・・オシッコチビリソウナヒョウジョウ・・・」
「オォ、コレゾトウヨウノシンピ、モシクワアジアノオウギ・・・」
 そして、俺が終わるやいなや、
「オォ、ソンナニコーコツニナレルノナラ、ワタシモプリーズ」
 とその白人もまた、10000ドン札を彼に差し出したのである。
 それを見ていた我が友人達もまた、
「そんなにいいのか、俺も試す。」
「あたしもやってみる。」
「なに言ってんの、次はあたしよ! あんたのふっとい体なんて揉んだってしょうがないでしょ!!」
 てな工合にあっというまの大繁盛になってしまったのだ。
 マッサーはしきりに俺の方を指差し、
「あんたの、耳のおかげじゃよ。」
「あんたの福耳のおかげで、今日は儲けさせてもらった。」
とニコニコした。
 マッサーは気効も会得しているらしく、一緒に行った大竹サラという漫画家は、
「あんたは、頭のこのあたりが悪い」
 と入念につむじの中心あたりをツボ押ししてくれたところは、かって彼女が日本で気効の先生に言われていた場所と全く同じだったという。
 なので、人によりマッサーの揉む場所は微妙に変わり、時に悪い箇所があると、それまでへらへら揉んでいたマッサーの顔がパッと真剣になるのだ。
 しかし、話はそれで終わりではなかった。
 そう、カブラギだ。
 カブラギは当初、マッサージにはほとんど興味を示していなかった。
 興味のあるのは目の前のテーブルの上にある、厚揚げの煮物や、アボガドサラダなどだった。
 というか、皆がマッサージに気を取られている隙に「ひとりで、いただきでーす」ってな、ほくそ笑みさえ垣間見せてた。
 ところが腹もパンパンにふくれて、よくよく回りを見渡してみると、自分以外の人間は皆、マッサーの指先によって、幸せの扉を開いて向こうへいってしまった。
 そこで突如、人間の食欲、睡眠欲、排泄欲、麻雀欲に引き続く第五の欲ともいうべき「マッサージ欲」がカブラギの中にもムクムクムクッとその鋭い鎌首をもたげてきたのだ。
 「じゃ、じゃあ、次、俺~!!」
 とカブラギがそのひ弱な手を挙げたその時だ。
「すいませーん、閉店時間です。」
 と、「ZEN」のおかみの声が聞こえた。
「残念だな、カブラギ」
 みんなはさして残念でもなさそうに言った。
 何故なら他の仲間は全員、マッサーによって体がふうわりと、とても軽くなっていたからだ。
「もう、閉店時間じゃここにいるの悪いし、でもマッサージやってもらう場所はねえしな。」
 俺が言った。
 しかし、カブラギの表情は固かった。そして、怖かった。
「俺、やってもらう。」
「いや、やってもらうったって、閉店なんだって。しょうがないじゃないか。あきらめろよ。」
「・・・い・や・だ!!」
 そういうや、カブラギはマッサーの手を引かんばかりに、
「これから、ホテルの俺の部屋でマッサージ、OK?」
「オ、オーケー」
 マッサーも、カブラギの気迫に負け、カブラギの後をつけてトコトコ歩き出した。
「しょうがねえなー、カブラギの欲望にゃ、かなわねえや。」
と、皆苦笑しながらふらふらとその後をついていった。
 ところが、ホテルに着くと、ホテルのフロントマンはガンとしてマッサーをホテルの中に入れようとはしなかった。
「マッサージをやってくれるだけだから・・・・」
と説明しても、しまいにゃ、
「僕らのトモダチなんすけど・・・」
 と言ってみても、頑に入館を拒否。
 俺達が連れてきてしまったのに、ホテルにも入れないおっさんに、
「すまん、おっさん・・・どうしても入れないらしい・・・。」
と言うと、マッサーもわかったとみえて
「いやいや気にするな。また明日にでもあの店に来てくれれば、いいさ。」
 というようなことを言ってた。
 まあ、翌日は別の町に行く予定になっていたので、店にはいけないが、これも時の運だ。 「あきらめな、カブラギ。」
 そう、俺が言った時だった。
「・・・い・や・だ。」
 カブラギのはっきりとした声が聞こえた。
「オ・レ・は・や・る・・・・!!」
 あまりのその欲望に真直ぐなカブラギの視線は、言葉が通じなくても充分マッサーの心を射ぬいたようだった。
「・・・わかった・・・俺の家にくるか・・・。」
 こくん、と強くうなづくカブラギ。そしてふたりは、夜の街に消えていった・・・。ちなみに、カブラギはその時、ホーチミンに到着してからまだ丸一日もたっていなかった。

 結局、次の日の朝、無事帰ってきたカブラギに聞くと、こうだという。
 まず、カブラギとマッサーはバイクタクシーに運転手を入れて3人乗りして、郊外にあるマッサーの家に向かった。家は長家のようになっており、何家族かが一緒に暮らしているような感じだったという。狭い家に何人も子供が寝ていたが、マッサー本人の子供はひとりだけだということで、親戚同士なのかどうかわからないが、とにかく子供を「ほれほれ、どいたどいた!!」と夜中2時過ぎに叩き起こして場所を作り、カブラギが寝転ぶスペースを作ってくれたという。
 ちなみにこれは後から知ったことなのだが、ベトナムでは一般の家の人が勝手に外国人を泊める事は出来ず、みつかった場合はかなり厳しい処罰が課せられるとうことだ。つまり、カブラギがマッサーの家に朝までマッサージを受けてそのまま眠ってしまったことは、実は法律違反だったのだ。
 それを知らないカブラギはマッサージの他に吸盤療法などもやってもらい、背中に巨大な斑点をチャーミング&グロテスクに幾つもつけて朝方、マッサーが仕事に出かけるまで眠りこけ珈琲まで出してもらったという。(追い出された子供はどうなったんだ!) さすがに泊めてもらったので1000円払ったら、喜んで町に戻るバイクタクシーの上でも、運転手とマッサーの間にサンドイッチになったカブラギの背中を走りながらも揉み続けてくれたという。  

 そんなマッサーとの再会を期待して、今回もまず「ZEN」に向かったのだった。
 「ZEN」は席数が20くらいの、ドアのない食堂で、欧米の若い旅行者が主な客層だ。天井には大きなファンがかたかたと回っている。ちなみにビールの大瓶が100円くらい。単品料理は50円くらいから。何人かでわいわい飲み食いしても、ひとり2~300円ぐらいでおさまる。この日は「スペシャル・ワイン」なんてえのがあってベトナムでワインとはこれ珍しやと試してみたが、やたら酸っぱくて、
「どこで作ったんじゃい!」という代物だった。
 と、飯とビールをちらかし食いし始めて、まだ間も無い頃だった。前の道の方から「オォ~~~!!」という声が俺達に飛び込んできた。
 そう、まごうことなきマッサーが、1年前と同じ歯の抜けた顔で、嬉しそうに走ってきたのだ。
 こっちが探すまでもなく、マッサーは相変わらず流しのマッサージで、このあたりをショバにしていたのだ。
 「オォ、オォ!!」
 カブラギと抱き合って喜ぶマッサー。さすがに、自分の長いマッサージ業の中でも、自分の家までやってきて子供蹴散らかして泊まっていった日本人は、そうはいないだろう。  カブラギも「俺、ほとんど泣きそうだよ。」と言っていた。
 ベトナムに再度来た半分の目的はマッサーに会うことだったので、いきなり夢が叶ってしまった。・・・まぁ、おっさんに体を揉まれ倒すという、悲しいほど小さな夢だけど。


札束で頬を叩け!

 次の日。
 朝飯はルームチャージについているので、みんなで10階の食堂に集合。と、パンやおかゆの横にインスタントラーメンが高級食材よろしく鎮座ましましているではないか。しかも料理人がその後ろにひかえていて、「ちゃんと」調理してくれるのだ。皿の上に何種類かのインスタントラーメンが載っかっているので、銘柄を指定すると、うやうやしく袋を鋏で切り落とす。たかがインスタントラーメンとはいうものの、市場では普通の生麺や乾麺よりも確かに高いから、まぁ、ホテルで出しても不思議じゃないということか・・・。しかしよく考えてみろ、インスタントラーメンだぞ、インスタントラーメン。チープな牛の絵柄が笑ってるぞ。で、さぞや何か特別な具を入れたり、きちんと調理するのだろうと思っていると、コックはラーメン容器に麺と調味料を入れるや、お湯を入れて蓋をしてこちらを向いて、はい、ニッコリ。
「じっと3分間我慢するんだぞ」
 って、煮込まんのかい!! チキンラーメン方式にお湯だけ入れて麺がほぐれるのをただただじっと待つだけなんかい!! 

 午前中はとりあえず、近くのスーパーに行って物の値段を確かめることから始める。どうも物の値段の感覚が掴めないと、ボラレまくってやられまくって、ニッポンハラキリだからなー。ちなみに、きのう「ZEN」でやっぱり流しのタバコ売りの少年が来て、上杉あやはメンソールばかり3箱買った。で、本人はボラれちゃなんねえと、さんざ値切って最初の言い値の半額くらい、つまり3箱で400円くらいで買って、「やっぱり、値切らなくちゃあね。日本で買うより大分安いわ、ふふ」なんてほくそ笑んでいたが、町中で見てビックリ、そのタバコはひと箱20円。3箱で60円でしたー。で、すでに7倍くらいボラレていたのだ。ものすごい馬鹿。「くっそー!!」上杉あやが呻く。

 スーパーを出ると、突然のスコール。しばらく店の前でみんな並んで「ジャパニーズ名物うんこ座りでござーい」とかして待ってみたが、全然埒があかない。
 と、いきなりこけし頭のくす美さんがばばっと道の向こうにと駆け出した。続いてR君も飛び出した。ドシャ降りの中だ。しかもR君は完全に水たまりの中に、その、人より少し太い足まで突っ込んでる。
「うっひゃーっ!!」
 とか言いながら。
 気でも違ったか!! と思ったら、30円ぐらいでビニールの合羽、というか「こりゃ黄色いゴミ袋にただ、紐をつけただけじゃなかとねー」というような代物を売っている店を道の向こう側にみつけたのだ。
 そう、この町では傘をさしている人は誰もいない。みんな雨合羽なのだ。何故なら、雨の勢いや風が強すぎて、傘は何の役にも立たないからだ。そう、ここじゃ、相々傘も存在しないのだ。

 さて、結局、全員ゴミ袋レインコートに身を包み、大通りを歩く。ちなみに小柄な体型のベトナム人用なので、俺は5秒で腹から破れ、まさにただのゴミ袋を体にひっかけている状態になった。
 お昼になったので、小汚い食堂で、ぶっかけ飯の昼飯をガッツンガッツン食ってから、午後からはブンタウ、という近郊の町に向かうことにした。
 取りあえず当座の資金として、銀行に5万円ほど両替に行った。
 すると、窓口のおねーさんは一瞬、緊張した面もちをして、俺達に「ちよっと奥へ。」と促した。おいおい、こりゃニセ札じゃねーよ、正真正銘の日本銀行券だよー、不当逮捕はヤメロ、冤罪だぁー! と思ったが、そうではなかった。ベトナムではそれはそこそこの高額なお金だったのだ。先程も書いたが、0を2個つけるとほぼベトナムドンになるので、5万円は5000000ドンになるのであった。ちなみに、最も大きな紙幣が5万ドンである。それだけで、ずっしりと札束になった。取りあえずのお約束で、みな、札束で頬をペシペシと激しく叩きあった。他の国では、一生出来ない儀式だからな。
   尚、この国にはコインは存在しない。紙幣だけなのだ。たかだか5万円なのに、財布にも入りきらないほどギュウギュウのお金を用心深く持って、何故か泥棒になった気分で、こそこそと銀行を出る。

 ブンタウの町は、ホーチミン近郊の海水浴場。まぁ、日本で言えば江ノ島みたいなもんで、どちらかというと、地元の人達が「海だ海だ、あはははーっ」と、遊びにいくところだ。バスだと3時間ぐらいかかるが、ホーチミンの町中を通っているサイゴン川から船に乗ると、その半分の1時間半ぐらいで着く。その分料金は若干割高ではあるが、船に乗ることも旅の目的のひとつと考えれば、迷うことはない。俺達はフェリー乗り場に向かった。と、やけに愛想のいい若者が、乗り場のドアをにこにこ、ギィーッと開けてくれた。オー、サンキュー!! と思ったが、その後がうるさい。
「ここでチケットを買うといいよー」
 そりゃあ、チケット売り場だからな。あんたがチケット売り、ってえことじゃないんだね。
「何人?5人?へーえ、どこから来たの?ジャパン?オーワンダフル。」
 感心するほどのこたぁ、ないだろう。
「ジャパンって、ジャパンって・・・ホンダ、マツダ!」
 それしか知らんくせに。
「ひとりだけ並んで、あとはこのベンチに座ってるといいよ」
 いや、そのベンチには座りたくないなあ。何故なら、泥とかついてるから、けつが真っ黒にってしまうよ。
「えーと、発車時刻は1時間後です。あっ、時間があるねー。」
 っときたところで、黄色い歯を見せてひとこと。
「待ってる間、このあたりをクルーズしたらどうだろう!」
「ほら、対岸にも行ってあげるよ!!」
「偶然にも、俺、観光ボートを持っていたよ!!」
 やっぱりそういうことかい!
 これだから、観光地のにこにこは決して信用がならん。
「いや、いい。町で水でも買ってくるから」
 とチケット売り場から外に出ようとすると、表情が一変。
「なんだって!! じゃあ、チケット案内料として、マネープリーズ!」
 アホかー!!
 おめえがしてくれたサービスはドアを開けたことだけなんだよ!
 しかも俺達がくるまで、門をわざと閉めてたってこともお見通しなんたよ!
  「そんなもんで、金はやらん!!」
 と、言いたかったが、もしも逆襲されて、目の前の、真っ黒で病原菌の巣窟みたいなサイゴン川に放り投げられて、プカプカ海まで漂っていく末路は嫌だったので、
「オォ! 英語ワッカリマセーン。サイナーラ。」
 と言ってその場を離れた。

 さて、町を一周してフェリーに乗り込む。ちょっと割高なだけあって、地元民でも、どこそこおしゃまさんが乗り込んでいる。船内も、あまり汚くはない。もちろんきれいでは全然ないが・・・。
 しっかし、このフェリー、ものすごく早い。っていうか、なんかやばい感じのスピードだ。
 もしかして、乗客は気づいてないけど、実は船長の気が触れて、他の乗務員は皆殺しにされていて、
「わしはイルカさんなのだ。最高スピード100万光年なのだー。うははははーっ!!」
 ってな感じで操縦捍握ってるんじゃねえか、という程だ。
 とにかく「おい、船にはスピード違反はないんかい!」と関西人じゃなくても突っ込みを入れたくなるほど、飛ばす。
 これじゃ、道路を行くより断然早いはずだ。渋滞もないし、川がまだまだこの国では重要な交通路だということが実感できる。
 川の両側はすぐにジャングルのようになってきた。でもその合間にポツリポツリと小屋が見えたり小さな工場のようなものが見えたりと、荒涼とした感じはない。
 時折、相撲取りがひとり乗ったらその場で沈没してしまいそうな小さな木造の船に、たくさんの人と、自転車と、なんだか名前も知らない野菜をたんと載せて過ぎる小舟がある。そして、そっちの方をちらりと見ると、必ずみんな、手を振ってくれるのだ。こちらが別に手を振ってるわけでもないのに。
 普通に考えると「こっちは一所懸命働いてるのに、おめえら外国人はレジャーかよ。お気楽なもんだな!」とかひねくれて、こちらが手を振っても「このクソ野郎が!」という気持ちでケツ振られても当然なのに、こちらに思いっきりの笑顔で返してくれるのである。
 なんだか旅先のこんなことで、気持ちがパーッと晴れやかになってしまう。確かに町にはうるさくつきまとうシクロ(人力車)や物売りも多いけれど、自分の商売と関係ない時は、決して根が悪いわけではないのだ。

 かって、ネパールに行った時も、ひとりホテルの客引きでうるさいのがいた。うっとうしかったがホテルを一応見に行ったら、工事中で削岩機がダダダダッ、とうなっていて、
「ホテルまだ半分しか完成してねーじゃねーか!」
「いや・・・出来てる部屋も、あるよ。」
「・・・おい。」
 で宿泊は断わった。
 しかしその後同じ食堂で飯を食ってたので雑談をしてみると、急にそいつはそれまでの商談とは違うシャイな面をみせ始め「がんばって金をためていつか日本に留学したいんだ」とカタコトの日本語で言ってきた。さらに話を聞いてみると、とてもまじめでしっかりとした考えも持っていることがわかった。
 つまり彼の「仕事をがんばる」ということは「客引きをする」ということなのだ。うるさがれてもうっとうしがられても怒鳴られても胸ぐらつかまれても尚、しつこく声をかけ続けることが彼の仕事なのだ。むしろそれは彼等にとってのまじめな営業努力なのだ。
 だから何もうるさい客引きの人間が「悪い」のではなく、その仕事のやり方が「悪い」だけなのだ。
 そこは理解してあげないといけないのかもしれない。

 船の中で俺がスーパーで買った20円のゴマ菓子を「これ、うまいじゃんかーっ!!」と取り合いをした。直径20cmぐいのゴマがびっしりはりついた、甘さ控えめのお菓子だ。その後、みんなおみやげに買っていったが、日本で食べるとなんかピンとこなくて「あれ?」って思ったら、ここは南国なので、薄いそのお菓子はなんだかぺなぺなしているのだ。ぺなぺなのおかしをフニャフニャ食うのがなんともいえん歯応えで、たまらん魅力だったのが、日本は寒いので固くなってしまい、その素敵な歯応えがなくなっしまうのだ。ちなみに、上杉あやが、
「よしっ、決まった。」
 と言っているので、「えっ、何が?」と聞くと、
「自分会議の末、これを20枚買うことに決まりました。」
 という。
 好きにしてくれ。

 しばらくふがふが、よだれ垂らして居眠りをしてたら、あっという間に船はブンタウに到着。でもここは町外れなのか、ただの工場の脇のようなところに着いた。「こんなところでリゾートは嫌じゃー!! 」と吠えたら、目の前にフェリー会社のサービスバスがあったので乗り込む。でもどうやらガイドブックに書いてあったフェリー乗降場とは違うところに着いたようで、バスがどこを走っているのか地図を見ても皆目わからない。一応目星をつけているホテルはあるのだが、そこに近いかどうかもわからない。
 なんとなくたくさん人が降りるところで一緒に降りてみる。
 と、ここはどこだとみんなで地図を見始めると、すぐにわらわらとどこからともなくシクロのおっさん達が生まれ出てきて、囲まれた。俺が目星をつけてたホテルでいいのか、みんなと相談する暇もない。
「うるせえ、乗らないんじゃー!!」とニラミを効かすと、何故かシクロ乗りのおっさんは砂に棒で淋しそうに文字を描き始めた。
「J」
「A」
「P」
「A」
「N」
 そしてじっとこちらの顔を淋しそうに見る。
 ・・・そんなわけのわからん感傷に訴え出ても、無駄なんじゃーっ!!
   まぁ料金的にも、シクロではでかい日本人はひとり一台ずつになるので、タクシーよりかえって割高になってしまうのだ。
 現地の人は、「そりゃ無謀だろーっ、おまえーっ!!」てな3人乗り、4人乗りをしている豪の者もいるが・・・おい、落ち着いてよく考えてみろ。前にでかい車輪付きの籠をつけただけの、ただの自転車だぞ! 


廃虚ホテルの哀しみ

   結局、タクシーを呼んで目星を付けたホテルに行ってもらう。ちなみにガイドブックでのホテルの謳い文句は、こうだ。
 「海辺に近く、料金格安な上に、各種施設が整っているので、ホテルの中だけでも充分楽しめる。プール、テニス、ゴーカートetc・・・」
「うほっ! いいじゃないか!」
 俺達は滅法子供なので、ゴーカートを乗りまわす青春もいいじゃないか! そんなベトナムでのホリデーもありなんじゃないか、と思っていたのだ。
 ただし、昔、R君と熱海の初島のゴーカートに一緒に行った時は、R君が信じられないような無謀な運転をして、コースを作っているタイヤに一直線に高速で突っ込んでいき、ボンッという鈍い音とともにタイヤからゴーカートが抜けなくなり、ゴーカート乗り場のおっちゃんに、
「こんなへたくそな人、初めて見たわ!」
 といわしめたので、R君だけは見学しててほしいが・・・。

 景色のいい岬をぐうるりと回ってホテルに着いた。確かに海は目の前だ。でもなんだかやけに人がいないぞ・・・。まぁ、シーズン・オフだから仕方ないか・・・って、常夏の国で海水浴のシーズン・オフはあるんかい!?
 チェック・インする。ひと部屋2500円くらい。一応リゾートホテルなので、こんなものか。建物は全部平屋で、長屋のようにダダーッと繋がっている。
 早速、ホテル内の整った各種施設を見てまわることにする。
 まずはなんといってもゴーカート。おっ、コースがあったぞ! しかしやけに草に侵食されているようにお見受けするが・・・。もしかして、「ジャングル・コース」っていうやつか!? 途中でライオンやゾウの仕掛けが動いて「キャーッ」っていう。こりゃ、楽しみじゃわい。
 ・・・って、そうじゃないだろう!
   こりゃもう誰が見たって何年も営業してねえじゃねえか! コースのアスファルトが完全に乾涸びて、パリパリ割れてるじゃねえか! これじゃあオフ・ロードだっつうの!
 案の定フロントに聞いてみると、
 「只今、ちょっとゴーカート場は閉鎖しておりまして・・・」
 おいおい、それが目的で町から離れてるのにこのホテル選んだんだぞー! どうしてくれるんだ!
・・・って俺達も子供じゃねえ。ゴーカートがないからって、ビービー泣いたりその場にへたりこんだりは、しねえよ。もちろん心の中じゃ、完全にへたりこんでるけどな。
「よしっ、しょうがねえ! プールでひとっ泳ぎ、するっかぁ!」
 ・・・おっ、ここかぁ! プールっいうやつは! おほっ! ビキニのかわい娘ちゃんがわんさかか!? うはうはうはは!
 ・・・って、ここは水はけが悪くて荒れ地にたまった水たまりに、ボーフラわんさかじゃねーか!
 おいっ! ここのホテルにはプールもないんかい! どないなっとるんじゃい!! 
 さらにずんずん行く。
 ・・・ととと、おっ、でっかい建物発見! こりゃ10階以上はあるし、横にもずどどんっと長くてこりゃ、かなりの巨大な建物だぞ。これが全部客室なら、何百室もあるぞ。なあんだ、ここに整った施設が沢山あるのか。これだけでかけりゃ、期待値120%じゃて! 
 ・・・って、こりゃ、建設途中で挫折した、巨大廃虚じゃなかとねーっ!! 
 そう。
 建物の外壁は完全に完成し、あとは中身だけ、というところで、どんな計画の失敗か、見事なまでのがらんどうな建築物なのだ。
 ここまで作っておいて、あとは全室向こうの山、丸見えでこりゃ風光明媚!!
 ただその風が通り易すぎるんじゃ!! 何も遮る物がなかとねーっ!! そして部屋から「あらあらいい景色」と身を乗り出した途端、完全に落下するんじゃあぁぁ!!
 こりゃあ、ゴーカートも、しまうわな。そりゃあ、プールも、埋めるわな。さすがに従業員一同、へこむわな。
 でも本当のこといえば、俺やくす美さんはこういった、心に隙間風ピューと吹きます的な、廃虚とか、ボロ屋とか、スラムとかの「侘び物」物件が好きなので、
「あー、ここもさびれてる。あー、あっちも虚しそうだぞーっ。」
 とかいいながら妙にわくわくしてしまうのだ。

 さて、俺達は夕暮れまでしばし海をぼーっと眺めたり、そこにうろつく汚い犬をぼーっと眺めたり、砂浜をぼーっと眺めたり、カニをみつけてぼーっと眺めたり、落ちてる紙屑をぼーっと眺めたり、不審な歩き方でひょこひょこ歩くカブラギをぼーっと眺めたりした。
 というか他に何もすることがないんじゃーい!! 
 で、そうして時間をつぶしたけど、せめて夜はニギヤカな町へ晩飯を食いにいくことにした。
 タクシーを呼び、またカブラギには自分のすね毛見物をしてもらって乗り込む。ガイドブックに載っていた「ロータス」というレストランにいってくれ、というと、運ちゃんは英語がわからないようでしばし悩んでいたが、「このレストラン、このレストラン!」とガイドブックの写真を指差すと、「オォ・・・レストラン!!」とわかったようなわからないような応対で出発。ところがこのあたりかなーというところをタクシーは猛スピードでふっとばし、でもみんなはっきり場所がわかってはいないので、止めてくれともいえず、
「おいおい、どこに行くんだよー」
「俺達は本当はみやげ物屋がみたいんだよー」
「このあたりで降ろしてくれんかなー」
と小声で訴えた。
 そう、本当は俺達はレストランで飯も食いたかったが、チープな地元のみやげ物屋がみたい、という目的もあったのだ。みんな、しょーもなさの限りを尽くした「苦笑する以外にどうしろというんだ、こんなもん!!」というみやげ物が大好きだったのだ。
   だけど運ちゃんに「みやげ物屋に連れていっくれ」などというと、絶対に運ちゃんが提携してる店に連れていかれ、逃げられないように鍵をかけられ監禁され、でかい亀の置き物かなんを無理矢理買わせられ、運ちゃんマージンほっくほく、俺達、尻の毛まで抜かれて涙ビッショビショ、という構図はアジア各地の常識である。
 そこで、ガイドブックでみやげ物屋が近そうで、なおかつ目印になるようなレストランを口にしたのだ。
 ところが、町を遥かに離れ、タクシーがキキキーッと入ってきたのは、山の中の、全く知らない名前のレストラン。
 「レストラン・・・。」
 運ちゃんがつぶやく。
 俺達はすっかりはめられたと思い、
「ノー!!」
「こんなとこ、入らない、入らない!!」
 と強く拒否をした。
 ったりめーだ。こちとら、アジアの旅は始めてじゃねーんだ。大方、この店とマージン契約でもしてるんだろう、馬鹿たれめ。ビール一本飲んだら一体、幾らおまえさんの懐に入るんだ? 
 そんな初歩的な手にひっかかってなるもんかよ!! 
 てめえ、早く車を戻しやがれ!! あのみやげ物屋の近くの「ロータス」というレストランに行くんだよ!! もちろん金はそこまでの分しか払わねえからな!! ったりめーだろ!! このどたわけが!!
 とりあえず降りる前に逆ギレされて、
「オヒョヒョヒョヒョーイッ!!」
 ってな奇声とともに刃物でも持ち出されて虐殺ダンスとか踊られたらやばいので、そのセリフは心の中でいって、それでも低い声でつぶやくように、
「ここじゃないだろ、おっさん。」
と凄みをきかせてやった。
 すると運ちゃんは「は、はぁ・・・」という顔をして車を町の方に戻した。そうだ、わかったか、おっさん。
 「このあたりじゃねえのか」
 そういってみやげ物屋のあたりを低速運転してもらうが、肝心の「ロータス」というレストランはどこにもない。
 おっさんもきょろきょろ見回して、探している。
 その時、ふいにそれまでろくに見てなかったおっさんの顔を見て気がついた。
 ・・・このおっさん、善人じゃん。
 どうやら、わけのわからない日本人にウォーッと乗られて、わからない英語でウォーッとまくしたてられて、しかも彼等が口にしているレストランは潰れてしまったのか、どこを探しても、もうない。
 でもとりあえずこいつら腹減ってるんだろうから「レストラン」にさえ連れていけばいいんだろう。まぁ、店の名前は違うけど、ちょいと評判の店も知ってるしな。かわいそうに。ひもじそうな顔をして。
 で、とりあえずレストランに連れていったら、一斉に
 「ノー!!ノー!!」の嵐。
 おっさんは、探してもみつからないので、適当な場所で俺達が「ここでいいっすよ」といって降りたあとも、きょろきょろそのあたりを見渡して、人にあのレストランがどうなったか、聞こうとしていた。
 ・・・悪いな、おっさん。でも観光客には、地元の商売人はとりあえず疑いからはいっちまうんだよ。でも実際、アジア観光業従事者の80%は「すきをみせたら、もちろん、かもらしてもらいまっせー、ちょろまかせてもらいまっせー、ごまかせてもらいまっせー、まいどーっ!!」
 てなのも確かだから、しょうがねぇーんだよなー。

 それからもちろん、くっだらねえみやげ物屋で、しょうもねえ偽ドラえもんや偽キティちゃんの駄おもちゃを上杉あやがいつのまにか両手いっぱいにうほほほほーっとかかえてたり、屋台の揚げ立てあっつあつの5円の饅頭を女性陣が「安いぞうまいぞ幸せだー」とぐわおーっと火も吹かんばかりにむしゃぶりついたりして、町を踊るように徘徊する。
 でも、今いちこの町全体が「ちょっと前に流行った、さえない観光地でござーい、トホホホホ」という感じで、シクロのおっさん達も「客、いねえよー」という、ため息ありありで、俺達が「いらん、いらん」といっても、俺達が歩いている横をずーっと並走して「気がかわったら、いつでも乗れるかんね。」と恋人のようについてくるので、うっとうしくなって、まいたりする。

 せっかく海辺に来たんだからと海鮮中華レストランに入る。カニアスパラガススープがうまい。だけどさすがに本物のエビはグラム売りで、でもここはベトナム。豪気にいこうじゃないかと俺達は声も高らかに、注文した。
 「スモール、スモールワンね。スモールですよ、ス・モ・オ・ル!!」
 ・・・でーんとした丸テーブルの上に、小エビが一匹盛られて、それを5人で、ちぎって、食べた。


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