(54)

ここは自分のまわりのおバカな奴の行動・言動などを紹介するコーナーだ。
なるべく本人を直接見たり本人から直接聞いたものが良いが、信憑性が高ければその友人ぐらいまではOK。もちろん人間じゃなくてもかまわないぞっ。
さぁ、まだ世間に埋もれている貴重なとっておきのバカを紹介してくれいっ!
メールにて投稿は題名「おバカ」で、末尾に自分の名前を入れてね。
ポイントは3ポイント以上〜ーだっ! ダ〜〜〜ッ!!

左右

数年前、とある会合で、偉い人を含むそれなりの人数の前でお話しさせていただく機会がありました。ふだんは、すっぴん、作業服にスニーカーで暮らしているんですが、気合を入れねば!っていうんで、その日は50メートル離れても目鼻がわかるほどにメイクばっちり、髪もワックスでキメキメに。そして、数年に一度の黒スーツと前日から玄関にみがいて用意しておいたハイヒールに身を固めて、脳内で「炎のファイター」を再生しながら颯爽と登壇し、首尾よくミッションコンプリートいたしました。皆さんの笑顔と拍手に送られていい気分のままエレベーターに足を踏みいれたところで、先ほど同じ部屋にいた知り合いのひとりが追いかけて乗り込んできました。

彼女は、「間に合ってよかった〜今すぐ伝えたいことがあったの!」と私をまっすぐ見ながら言いました。(みんなずっとニコニコ笑っていたし、たくさん拍手してもらえたし、反応はとっても良かったよね〜こりゃほめられちゃうねぇ〜)

「靴、左右別の履いてるよ!」

見れば左足にはピカピカ光る黒のハイヒール、右足には汚れた白のスニーカー。その後、帰宅までの記憶がありません。

自宅玄関ではハイヒールの右側とスニーカーの左側が肩を寄せ合って私を待っていました。(へびのかわ 2023/8/21)

(寸評)こっ、これは・・・せめて靴下なら、最近の若い子はわざと左右で違う色の靴下を履いてそれをファッションにしているが、靴はまだ見かけない・・・。開き直って「えっ、これ今ミラノで流行ってるんだよっ!」と言っても虚しさがますだけか。7ポイント。

第3コーナー

私の通っていた中学校は田舎のおバカな中学校であったが、どういう訳か、行事が異常に盛んであった。勉強そっちのけで、行事に命かけてんじゃないかってくらい全校生徒が行事に集中していた。だからうちの中学校では行事は異様な盛り上がりを見せた。
そんなうちの中学校で一年で最初に迎える行事が春の校内陸上競技大会であった。これは地区の陸上競技大会学校代表選考会も兼ねていた。
私が中学3年の時のクラスは、クラスの年間目標で「全ての行事で優勝する」を掲げるくらいヤバいクラスだった。その年間目標を達成するための第一関門が春の校内陸上競技大会だった。
さて、クラスでそこそこ足が速かった私は校内陸上競技大会大トリのリレーの選手に選ばれた。私は第一走者となった。私は3年1組であったが、このリレーで上位に入れば総合優勝出来るところまで来ていた。
私達3年1組のライバルは3年3組だった。ここにはアンカーに学校最速の陸上部のエースが控えていた。そこで私達はアンカーまでに3組に先行し、セフティーリードで逃げ切る作戦を立てた。
その意味で一走の私の役割は重要であった。ここで3組に先行しなければ作戦はパーになる。しかし3組の一走はバスケ部のエースだった。しかもこれがイケメンで全校生徒のアイドル的な「昭和の少女漫画のキャラですか?」というくらいの奴だった。こいつが滅法足が速かった。今もそうかも知れないが、足が速い奴は必ずしも陸上部に全員入る訳ではなく、他の部活に陸上部より足が速い奴もいたのである。だからこその校内陸上競技大会で、部活フリーで競い学校代表を決める。そしてそいつがその陸上部エース並みに足が速い全校生徒のアイドルだったのだ。
イケメンで足が速くて全校生徒のアイドルなんて、そんな奴は少女漫画の中だけで充分だ。私にもプライドがある。私は全俺をかけてそいつを倒しにかかる事にした。
そこで私はクラスの陸上部の奴と作戦会議を開いた。リレーは各人が決められたレーンを走るセパレートコースではなく、第一走者から走る場所はフリーなオープンコースで行われる(今は一走はセパレートが多いみたいだが)。このオープンコースの場合、位置取りが特に重要との事だった。 となると、第一走者でカギとなるのはスタートだ。オープンコースで一度前に出てしまえば、よほど走力に差がない限り、後ろから抜きにかかるのは難しくなる。走力ではイケメンバスケ部の方が私よりも上かも知れないが、私は綿密に練られた作戦で奴を上回る手段に打って出た。
そしてやってきた最終種目のリレー。全校生徒がそれぞれの応援席で声を張り上げている。うちのクラスも総合優勝がかかっている。私はスタートに全神経を集中させた。
ピストルが鳴った!私は第1コーナー目がけて全力で飛び出した。全俺の力を注いでスタートダッシュをした。スタート後は位置取り争いになるが、私は他のランナーと接触しながらも振り切り強引に先頭に打って出た。そして作戦通り、イケメンバスケ部に先行して第2コーナーを回った。 奴の頭さえ押さえ込んでしまえばこっちのもんだ。コーナーをまわってバックストレート。丁度ここは全校生徒が応援している場所だった。第2コーナーから第3コーナーにかけて、手前から各学年ごとに6組、5組と並んでおり、我が1組は一番奥の第3コーナー手前に陣取っていた(全然関係ないが、私に差し出し人のないラブレターを書いた副会長の女の子は3年6組だった)。
私は良い意味でリラックスしてバックストレートを走る事が出来た。いわゆる中間走だ。イケメンバスケ部は視界に入ってこない。リードを保っている。私は先頭で全校生徒の前を駆け抜けていた。
私はそこそこ足は速かったが、さすがに全校生徒の前を先頭で疾走するという機会は、人生においてなかなか恵まれなかった。たいがい、学校で一番足の速い奴が俺の人生の邪魔をしてきた。しかし、今回、学校で一番速い奴は3組のアンカーで俺と直接マッチアップする事はないのだ。
そして今、俺は先頭を走っている。栄光のスポットライトを一身に浴びているのだ。バックストレートで全校生徒の前を先頭で疾走する間、私は恍惚感に満たされ、まるで映画のワンシーンのようにバックストレートがスローモーションに感じられた。
俺はイケメンバスケ部よりも前を走っている俺はイケメンバスケ部よりも前を走っている俺はイケメンバスケ部よりも前を走っている俺はイケメンバスケ部より・・・
先頭で全校生徒の応援を間近で浴びる恍惚感に浸るうち、俺の中にある邪念が生まれてきた。うちの中学校は行事命だ。勉強そっちのけで行事命だ。そんな環境で邪念が生まれるなど許される事ではなかった。しかし、困った事に、本当に困った事に私は関西人だった。大阪生まれ大阪育ちのバリバリの関西人だった。
関西人にとって、衆人の視線が集中している注目のスポットライトの場所はネタをやる格好の場所だ。関西人は時として、というよりむしろいつも、ネタの為なら自らを犠牲にしてでも、いや、自らを犠牲にすることさえネタの一部に取り込んでくる悪いクセがあった。
ここは走りに集中してリードを保ち、二走にバトンを渡そう。そんな当初の理性あるプランは、人生で二度とないかも知れないスポットライトを浴びた私の関西人根性の前に、脆くも崩れ去った。
バックストレートが終わり、丁度、第3コーナーに差し掛かる頃、我が3年1組の応援席が見えてきた。約束通り、先頭でここまで来たぞ!そしてこの瞬間、私の邪念が脳天を突き破った。何かウケを狙わなければ!
私はあろう事か、校内陸上競技大会最終種目、花のメインレース、大トリのリレーの真剣勝負の真っ最中に於いて、自分のクラスの応援席に向かってピースをするという愚行に出た。
高速で走りながらのネタとしては観客席に向かってピースをするというのが限界ではあったが、そのインパクトは絶大なものがあった。そして、レース中という高速移動の構造上、高速で走りながら前方に見える3年1組の応援席に向かってピースをしたという事は、その地点は、すなわち丁度、俺の真横にあたる場所は、先頭争いをしている3年3組の応援席だったのだ。結果論だが、おバカな私は宿敵3年3組の応援席の目の前で、彼らの神経を逆撫でするパフォーマンスを行った事になったのだ。
歓声と怒号とが校庭中に渦巻いた。目の前で敢行された神経逆撫でパフォーマンスにブチ切れたのだろうか、ここに至ってイケメンバスケ部が俺を抜こうとスパートをかけてきた。
しかし、そんな事はとっくに想定済みだ。俺は、ピースパフォーマンスの最中にイケメンバスケ部が視界に入るのを確認するや否や、第3コーナーからギアを上げてこちらもスパートをかけた。
俺とイケメンバスケ部は熾烈なデッドヒートを繰り広げながら、コーナーをまわり、二走の所までやってきた。私は大幅なリードを作る事は出来なかったが、3組に先着して二走にバトンを渡す事が出来た。イケメンバスケ部に勝ったのだ!
この後、我が1組と3組は一進一退を繰り返し、先頭は譲らなかったものの当初のプラン通りのセフティーリードを作る事は出来なかった。
結局、アンカーの学校最速陸上部のエースに千切られて1組はリレー2位に終わった。しかし、最終種目のリレーで2位になった事で、我が1組は無事校内陸上競技大会総合優勝を果たしたのである。
大会後、私に対する周りの評価は対照的なものとなった。我が1組は男女とも「よくぞあのイケメンバスケ部に勝った!」と絶賛の嵐だった。最後までリレー1位を争った3組の女子は「イケメンバスケ部に勝つなんて足速いんだね!」とこれまた私を称賛してくれた。
問題は3組の男子である。テメエらは総合優勝を逃した腹いせか、リレーでは勝ったくせに私に対して「何だあのピースは!」といつまでも文句を言ってきた。イケメンバスケ部に至ってはスタート後、私の足が当たったと文句を言ってきた。オープンコースのレースで何を寝言を言っているのだ!テメエらはリレーで勝ったから良いじゃないか!それなのに、いつまでもイチャモンつけるとは、ようし、じゃあ秋の体育祭で決着つけてやろーじゃねーか!
こうして我が3年1組男子と3年3組男子は禍根を残す結果となった。
余談だがこの両者は秋の体育祭の花形騎馬戦で再び相見え、この時点で体育祭総合優勝争い首位を走る1組に3組が追い縋ろうとしたのだが、我が1組は3組の騎馬を狙い撃ちして一つ残らず全滅させるという暴挙に打って出て(ちなみに1組の騎馬は無傷)、完膚なきまでに3組を叩き潰し、体育祭を圧勝で総合優勝を果たしたのであった(後に「体育祭の大虐殺」と言われたとか何とか)。
やはりイケメンは少女漫画の中だけで充分なのである。(りんりん 2023/8/21)

(寸評)いい思い出だね。ピースと言えば思い出すこと。俺の友達がカートをやっていて、その関係でカード場に遊びに行ったことがある。本格的なレースカートの練習場なので、俺はとても乗ることは出来なかった。小さなカートと言っても相当なスピードで皆走らせている。と、ひとりぶっち切りにスピードを出してイキってる感じの奴がいた。「なんか嫌な感じだなあ」と思ったら、目の前でそいつの彼女でも見ていたのか、キザったらしく余裕を見せて走りながら指でピースを出していた。と、その1秒後、車は何が起きたのか数メートルも跳ね上がった。そして・・・大破した。幸い命には別状ないようだったが、そこそこの怪我はまぬがれなかったろう。本来なら「いい気味だ」と思うところ、あまりの大きな事故にさすがにそれは口に出せなかった。「天罰」そんな言葉が、ふとよぎった。6ポイント。

同じことを何度も聞く人

私が人生で初めてアルバイトに行ったスーパーマーケット。
最悪とも言えない中途半端な雰囲気で、自然と退職を考えるような環境でした。

同じ部署に入った中年の女性。家の中で主婦をずっとやってきて、外に働きに出るのはこれが初めてとの事でした。
最初は特に不都合を感じなかったのですが、ある時点でこの人はおかしい、と思いました。
同じことを何度も聞いてくるのです。さすがに私も辟易して、「きちんと仕事内容を覚えてください」と少し大きめの声を出してしまいました。

部署のチーフも〈この人も尊敬は出来かねる人でしたが〉、「○○さん、あなたが一番年上なんだから、一番しっかりしてなくちゃダメなんだよ」を肩を持って諭していました。
仕事内容はそれほど辛くなかったと記憶していますが、とにかく尊敬できる人がいない職場。私も世の中の仕事場が全てこんなだったら、狂っていたかもしれません。本当に世の中というものにひどく失望しました。
私の町の店舗はなくなりましたが、隣町にはまだこのスーパーは残っています。

これらの事を踏まえれば、今が恵まれているという事にも気付けるのかもしれません。
さらなる未来へ向けて躍進できればと思います。 (Sankaku 2023/8/21)

(寸評)度が過ぎると、ある種の病気かもしれないよね。その境目が難しいよね。本当に覚えられないのか、ただいつも上の空で聞いているだけなのか。後者はやはりその仕事に向いてないからお引き取り願うしかないね。5ポイント。

ロマンストーカー

小学生の頃に一時期よくやっていた事があります。それは、ひとり自転車で海まで行くというだけの話ですが、道中で、当時好きだったクラスメイトの家を舐めるようにジィ~~っと見つめながらゆっくり走り、海に着いたら両手を腰に当ててしばらく物思いにふけながら海を眺めます。そしてまた帰りにその娘の家をジィ~~っと見つめながらゆっくり走る、という、ロマンチストとストーカーが合体したような、「ロマンストーカー」行為であります。
当時はとにかくその娘が好きで好きで、夢でなぜか一緒に温泉に入っていた時はチューしましたね!でもそれ以上の事はできませんでした...知識が無かったから笑。子どもの頃の甘酸っぱい思い出でした。(ひももん 2023/8/21)

(寸評)これは誰でも似たようなことあるかもね。おバカではなく、至極真っ当です。4ポイント。

「ドキドキドキリコ初体験」〔104〕の21/3/13拙投稿、「初めての不思議の国のアリス症候群」の石川さんの寸評を読んで思い出したこと

こんにちは。2年前の拙投稿を読んで思い出したことがあります。
http://ukyup.sr44.info/sy104.html

「初めての不思議の国のアリス症候群」という、乳幼児期によく起こる、知覚された外界のものの大きさや自分の体の大きさが通常とは異なって感じられることを主症状とし、様々な主観的なイメージの変容を引き起こす症候群のことについて書いたのですが、これに対する石川さんの寸評。

>大きくなってからはないのかな?自分の魔羅が異常に大きく見えてほくそ笑むとか...。

これを読んで同じく子供の頃に聞いたある落語家の言葉を思い出したのです。
その落語家とは四代目柳家小せん師匠。五代目柳家小さんの惣領弟子で、私が小学生の頃は日曜午後に放送していたNETテレビの「日曜演芸館」の大喜利コーナーでお馴染みでした。どこかスッとぼけた芸風で大好きな噺家さんでした。
で、小せん師匠が何を言ったかと言うと、魔羅について。
「自分の魔羅はいつも同じ位置から見下ろしているのでその斜めからの角度だと、実際の大きさよりも小さく見える。正面から見るともっと大きいんだ。だから短小を悩んでいる人は気にすることはない」と言ったのです。
それを聞いて私は小せん師匠の一物はかなりの巨根なんだろうな、と根拠もなく想像してしまいました。そして小学生の自分は安心したことも思い出しました。
そんな魔羅の大きさについての一席でありやした。(波照間エロマンガ島 2023/8/21)

(寸評)確かに「見る角度」というのはあるよね。なので時々鏡に映して客観的に見ることも必要かもね。もっともそれで余計に落ち込む可能性もなくはないが...。5ポイント。

I feel Coke

私はこの日(8月3日)も、暑い灼熱の太陽の下、自転車を駆っていた。私は自転車通勤をしているので、会社までの道のりで容赦なく真夏の陽射しに晒された。
他の交通手段を使えば良いではないかと言われそうだが、石川さんより二回り大きい私にとって、自転車通勤は貴重な日々の運動の時間であった。
私は会社に着くと、1.5Lのコーラのペットボトルを取り出した。あまりにも暑いので、通勤途中に購入したのだ。頻繁にではないが、時折、無性にコーラを飲みたくなる時がある。そういう意味で、今日(8月3日)がその無性にコーラを飲みたい日だった。
私が鞄からコーラのペットボトルを取り出そうとすると、疲れていたのだろうか、私はペットボトルを掴み損ねて、コーラはズッテーンと横転した。随分と派手な倒れ方をした。
私は暑さで喉が渇いていたので、すぐにでもコーラで喉を潤したかった。しかし、たった今、ズッテーンと派手な倒れ方をしたコーラの蓋をすぐに開栓すると、大惨事になる事くらい、私も弁えていた。
焦って蓋を開けるとコーラの思うツボだ。そんな手には乗るものか。ここは落ち着いて対処しなければならない。私は、ペットボトルの蓋を少しだけ捻り、少しずつ炭酸を抜いていった。小さな音でシューと言いながら炭酸は抜けていった。やがてペットボトルから音はしなくなった。これでヨシ!そんなコーラの蓋を開けて泡がプシャーと溢れ出てしまうなんて、昭和時代の愚行は繰り返さないのだ。音がしなくなったのを見届けると、私は満を持してコーラの蓋を勢いよく開けた。
私が満を持してコーラの蓋を勢いよく開けた刹那、私が手にしていた1.5Lのコーラのペットボトルから、今まで見た事がない量の泡が溢れ出てきた。コーラは今まで見た事がない量が音を立ててプシャーと飛び散っていった。あたかも、よく成人向け漫画で見るような、夥しい量の射精シーンの如くであった。
あたり一面、みるみる水浸し、いやコーラ浸しになっていった。私は慌ててコーラのペットボトルの蓋を閉めた。閉めたのだが、時既に遅く、かなりの量のコーラがペットボトルから失われていた。
私は周りからの奇異の視線に晒されながら、黙って床の掃除を始めた。何という事だろう。私は確かに炭酸を抜いた。確かに抜いたのに、コーラはプシャーと溢れ出ていったのだ。
私はとても虚しい気持ちになった。良い歳をしてコーラプシャーだ。こんな事は人生で避けなければならないのに、よりによって夏の暑い日、会社で朝イチにコーラプシャーをしてしまった。
私は泣きたくなった。泣きなくなる気持ちを抱えながら、いそいそと会社の床掃除をしていると、ふと私は潮吹きについて考えを巡らせ始めた。コーラプシャーからの潮プシャーだ。ある種の現実逃避かも知れない。何も考えずにただひたすらコーラプシャーの掃除をする事に、私は耐えられなかったのだろう。
私は女性に潮吹きという現象がある事は知識として知っていたが、それが何なのか、全く分からなかった。最初の印象は、ものすごく不思議な現象だな、というものだった。実際に見た事がないので、まあエッチの最中に潮を吹いたら水浸しになって困るだろうな、などと考えていた。
そして今から何十年か前に、ある週刊誌で女性の潮吹きについて科学的に解明しよう、というコーナーがあった。私はものすごく興味を持って熟読したが、結論としては、潮の成分も分析したが、その正体は分からないというものだった。私は愕然とした。科学的に分析して、潮が何か分からないなんて、そんなバカな事があるだろうか。女性は、そんな得体の知れない液体を体内に保持しているというのだろうか?
長らく女性の潮吹きは謎に満ちた存在だったが、最近、その潮吹きについて、当の女性が発言をされた。その方は元セクシー女優の方で、潮はオ○ッコであると、極めてはっきり明言された。それは、ある撮影の時に、栄養ドリンクを飲んで撮影に臨み、潮を吹いたら潮の色が栄養ドリンクの色だった、という事であった。だから潮はオ○ッコだと発言したのだが、その発言に対し、周りから物凄く怒られたという。
私はこの話に触れて、現代日本に於いて、潮吹きというものはあくまで神秘的なものでなければならないのだ、という業界の理念のようなものを感じた。潮吹きとはロマンなのだ。男性から見たら、女性の潮吹きは神秘的なものなのだ。だから、まかり間違っても科学的に解明したり、いわんや潮がオ○ッコであるなどと公言する事は憚られる事なのだ。
その女性の方か、別の方かは覚えていないが、セクシー女優の方は潮を吹くために大量の水を何リットルも事前に飲んで撮影に臨む事もあるという。私はその話を聞いて頭が下がる思いであった。潮を吹くのはそれほど大変な事なのだ。男性は潮吹きを安易に考えてはならないのだ。そして、21世紀に入ってもなお、潮吹きはあくまで神秘的なものとして、大事にしていかなければならないのだ。だからこそ、何十年か前の週刊誌の調査でも、潮の正体について明言しなかったのだと思う。絶対、真実は分かっていたはずなのだ。
私はコーラでベトベトになった会社の床を拭きながら、そんな事を考えていた。コーラプシャーをした事がある方はご存知だとは思うが、コーラは糖分を多く含んでいるため、コーラプシャーをすると、床がベトベトになる。だからしっかり拭かないと、後で大変な事になるのだ。
ここまで読んだ方から、こいつはコーラの話をしていたのに、何で潮吹きの話をしているのだとお叱りを受けるかも知れない。しかし、違うのである。コーラプシャーだからこそなのである。コーラプシャーだからこそ、潮プシャーなのだ。こんな暑い最中に会社で朝一番にコーラプシャーして、潮プシャーの話でもしないとやってられないのである。
私は、コーラでベトベトになった会社の床を、1人寂しく拭きながら「潮」について思いを馳せるのであった。
そんな暑い夏の一日。(りんりん 2023/8/10)

(寸評)つい先日、Mont.Barbaraのボーカルのとやまあおいちゃんが自動販売機でコーラを買ったところ、取り出し口から取り出した瞬間、潮吹き・・・否、炭酸が噴き出てスカートがびしょ濡れになったという。見てみるとなんとコーラに太いネジ的なものがぶっ刺さっており、そこから噴き出たとのこと。なんで自動販売機から出てきた缶にネジが? この様子は写真に撮られ彼女がツイートした途端バズってネットニュースにもなったから、見た方もいるかもしれない。
それはさておき、俺も潮吹きは前から気になっていた。まあおしっこだとは思っていたけど、夢をみたいという男心もあるよねー。もちろん俺にはそんなテクニックは無いのでAVで見るだけだが。男なら、例えおしっこでも一度は吹かせてみたいというロマンあるよね...。6ポイント。

エルドラド

私はテレビっ子で昭和のアニメ世代であった。昭和のアニメではしばしば黄金郷エルドラドが取り上げられた。「アンデス少年ぺぺロの冒険」や「太陽の子エステバン」というアニメだ。それらのアニメを見て育った私は、世界のどこかにあるという黄金郷エルドラドへの憧れでいっぱいになった。人は、誰しも黄金に憧れを抱くものだ。黄金の都があるというなら、誰だって行きたくなる。
エルドラドとは、南米にあるとされる黄金郷の事を指す。当時のアニメやテレビでは、黄金郷エルドラドはインカ帝国にある、という描写が多かった。これは厳密には正確ではないが(厳密な意味での黄金郷エルドラドはコロンビアにあったという)、私の頭には黄金郷エルドラド=インカ帝国という刷り込みがなされた。インカ帝国とは南米ペルーにかつて存在した帝国だ。いつかペルーのインカ帝国遺跡に行ってみたい。インカ帝国遺跡に行って、エルドラドを見てみたい(これは正確ではないが)。そんな思いが強くなっていった。
そうして私が高校生になったある日、父の蔵書の中から偶然、岩波文庫の「インカ帝国」を見つけた。私は興奮した!私は「インカ帝国」を貪るように読み耽った。私の目を引いたのは、「インカ帝国」の技術の高さだ。今では有名な話だが、「インカ帝国」の首都クスコに残るインカの石組みは剃刀の刃も通さない精巧なもので、現代の技術でも再現不可能とされる。また有名な「マチュピチュ」という空中都市をあんな所に作れるなんて本当に凄い。行くしかない!
そして次に、私の目は、インカ帝国歴代皇帝の名前に釘付けになった。インカ帝国初代皇帝マンコ・カパック。マンコ・カパック。マンコ・カパック。マンコ・カパックだって?何の間違いかと思ったが、そこには間違いなく、マンコ・カパックと書かれていた。何という事だろう。「インカ帝国」の初代皇帝の名は「マンコ・カパック」というのだ。「マンコ・カパック」とは「素晴らしき礎」の意味という(ちなみにペルーには彼の名を取った「インカ・マンコ・カパック国際空港」がある)。インカの言語と日本語とでは意味や表記が異なるが、何という、ある意味、ロマンあふれる名前なのだろうか!ただの「マンコ」ではない。「マンコ・カパック」なのだ。
この情報に到達した時、これは世界でこの事を知っているのは私だけではないか、と最初思った。思った、ところでそれは言い過ぎである事に気づいた。「インカ帝国」の本を読んで、「インカ帝国」の歴史を調べた人なら分かる事であった。インターネットが発達した現代ではインカ帝国初代皇帝の名前が特徴的なのは知られるところとなったが、インターネットがなかった昭和時代、「マンコ・カパック」は黄金郷を目指す者達のみが到達しうる秘密の知識であった。
この黄金郷の秘密を知った私は、誰かにこの事を話したくなった。さて、誰に話そう。話すのは誰でも良い訳ではなかった。まずもって黄金郷エルドラドに興味を示す者でなければならない。そう考えていると、適任者に思い当たった。高校3年の時、私にはよく悪ふざけをし合う親友がいた。仮に彼の名前を藤沢君としておこう。好奇心旺盛な彼なら「インカ帝国」に興味を持ってくれそうだ。私は藤沢君を黄金郷を目指す旅にいざなう事にした。
さて、私が通っていた高校では3年時に自由研究の時間があった。最初にテーマを決めて、1年間かけて各自がじっくり自由研究を行い、最後にレポートを提出するのだ。この自由研究の時間は教師は教室からいなくなる。その自由研究の時間の最中、黄金郷の旅路にいざなうため、私は藤沢君に「インカ帝国」の歴代皇帝のページを見せた。藤沢君は初代皇帝マンコ・カパックの名前を見るや否や「マンコ・カパック!」と叫び、ゲラゲラと笑い出した。ゲラゲラと笑い続け、さらに身を揺すって笑い始めた。彼は「マンコ・カパック!マンコ・カパック!」と叫びながら飛び上がらんばかりに笑いが止まらなかった。
この藤沢君の反応は想定外だった。「マンコ・カパック」にここまで過剰反応するとは!名前に興味を持ってくれればそれで良かったのに、このエロガキは容赦なく笑い転げた。思春期まっさかりの18歳男子では仕方のない事なのだろうか。
そしてここで、大変困った事態が生じた。藤沢君の斜め前の席に我がクラスで「お嬢」と呼ばれる、深窓の令嬢のような美少女が座っていたのである。彼女は高校2年の時の国語の時間、担任教師から漢詩の朗読を当てられ、「万戸」という字に躓いてギリシャ彫刻のようにピクリとも動かなくなり、大変な目に遭った彼女である(ドキドキドキリコ初体験「はじめての万戸」参照)。
そんな彼女の目の前で「マンコ・カパック!」と初代皇帝の名を連呼するのは、許されざる蛮行であった。しかし、さらに困った事に、藤沢君は高校2年の時は私やお嬢とは違うクラスだった(ちなみに私とお嬢は3年間同じクラスだった)。だから彼は「万戸」事件を知らないのだ。知らないが故に、無邪気にお嬢の目の前で、「マンコ!マンコ!」と連呼出来るのだ。
藤沢君が「マンコ!マンコ!」と連呼した時、お嬢は私達に背を向けていたが、彼女がギリシャ彫刻のようにピクリとも動かなくなったのを私は見逃さなかった。そんな彼女を知ってか知らずか、藤沢君は「マンコ・カパック!マンコ・カパック!」と叫びながら笑い転げていた。
ギリシャ彫刻のようにピクリとも動かない彼女ではあったが、その背中から明らかに「拒絶」のオーラが溢れ出ていた。彼女の背中は怒りに満ちていた。そんな彼女の状態を察する事を放棄した藤沢君は、彼女の前では禁句である「マンコ」をこれでもか、これでもか、と連呼した。
私は不味い、と思った。これ以上、彼の好きにさせては取り返しのつかない事態になる。ここは人として、彼を止める義務がある。そもそも黄金郷の旅路に藤沢君を誘い込んだのは、私なのだ。私が責任を持って、体を張って彼を止めなければならない。
そうこうしているうちに、お嬢の背中からは怒りの沸点に達したオーラがとめどもなく溢れ出した。これ以上は、もう、ダメだ。何かが壊れてしまう。取り返しのつかない、何かが。
私は意を決して、掴みかかってでも彼を止めようと手を伸ばしたその刹那、藤沢君の「マンコ!」連呼はピタリと止んだ。お嬢の背中からほとばしる「次、マンコ!と叫んだら○すからな!お前!」というオーラに彼の生存本能が怖気付いたのだろうか。彼は急に真顔になり、私の顔をまじまじと見つめると、いきなり「決めた!」と叫んだ。
この状況で何を決めたというのだ。私が彼の心中を図りかねていると、彼は「自由研究の題材、『インカ帝国』に変えるわ!」と口にした。は?何だって?何を言っているんだコイツは。すると、藤沢君は私が持っていた「インカ帝国」の本をやおら手に取り、出版社や目次などをメモし始めた。
そうして、彼は本当に、教師に申し出て自由研究の題材を途中で変えるという暴挙に出て、「インカ帝国」の研究に突き進んでしまった。彼もまた、黄金郷に取り憑かれたのだろうか。
それから藤沢君は、お嬢の前で「マンコ!」と叫ぶ事なく、お嬢の席の斜め後ろで、黙々と「インカ帝国」についての研究に励んだ。
そうして、そのまま、歴史学に興味を持った藤沢君はKO義塾大学文学部に進学してしまった。「マンコ!」の叫びから一転してKOボーイ(死語)になってしまったのだ。
高校の卒業旅行でクラスの皆でスキーに行って以来、藤沢君に会っていないが、彼は元気にしているのだろうか。あの後、藤沢君は黄金郷に旅立ったのだろうか。
あれから何十年も経つが、私の黄金郷への憧れが消えてしまった訳ではない。死ぬ前に必ずや初代皇帝「マンコ・カパック」を生んだ地を訪れたい。死ぬ前に必ずや空中都市「マチュピチュ」をこの目で見たい、という情熱は失われていない。(りんりん 2023/8/10)

(寸評)なるほど。「マンコ・カパック」とは「素晴らしき礎」の意味だということは、マンコは素晴らしいという意味なのか、それとも礎という意味なのか。どちらにしろ素晴らしいか、物事の基礎か。うん、意味は合ってる。世界は繋がってる。素敵な話だ。
そして高校時代の俺はほぼ藤沢くんライクだったことも付け加えておこう...。7ポイント。

喘ぎ声

子どもの頃、姉と二人でいとこの家に泊まりに行きました。夜は、姉とY子ちゃんが2段ベッドの上に、下にはS君と自分が寝ます。
その夜、布団の中でS君と話をしている時、私が「イヤ~ン、アハ~ン」と喘ぎ声をふざけて言うと、S君がケタケタ笑って異常にウケるので、私は調子に乗って延々と続けてしまいました。
そして次の日の朝...姉が「アンタ!昨日全部聞いとったけんね!」とカンカンで、後ろでY子ちゃんが何とも言えない顔をしていました。
そりゃすぐ上に姉たちがいたので聞こえて当然だったのですが...バカです。この時はそれはもう顔から火が出るくらい猛烈に恥ずかしかったです。
...でも、ちょっと待ってください。決して私が悪いのではありません!当時のテレビといったら、子どもが起きている時間でもベッドシーンを放送しまくっていたのです!大人が悪いんです!私は被害者!!...なのであった。(ひももん 2023/8/10)

(寸評)まだ幼稚園くらいの時、家に泊まりに来た同い年の女の子と、寝る前に同じベッドでキャアキャア言ってたのに、朝になると別の場所で寝ていて不思議に思ったことがあるなあ。今では海外で暮らしているその女の子とは、もう半世紀以上会ってないなあ。5ポイント。

北品川・原美術館の某展覧会のオープニングパーティーでの出来事

2021年に閉館した原美術館。わたくし波照間エロマンガ島のお気に入りの美術館で、学生時代より足繁く通った懐かしの場所です。品川駅から車で5分くらい。1862年に高杉晋作ら長州藩士が焼き討ちにした、建設中の英国公使館のあった御殿山の至近に位置し、高級住宅街の中、個人宅を改装した美術館でした。

大学2年の頃だったか、当時フランス語を習っていた美術評論家の I先生に誘われ、原美術館で開かれた外国人アーチストの個展のオープニングパーティーに行ったことがありました。八王子の大学からクラスメイトとゾロゾロ行ったのか、現地集合だったのかは全く覚えていません。おそらく後者でなかったかと思います。とにかく5〜6人の同級生を引率する形でI先生と館内に入りました。
昔も今もこういうオープニングパーティーというのは居心地が悪くあまり好きではないのですが、新進の美術評論家だったI先生は妙に張り切っていて、中庭に立食パーティー形式で談笑していた美術業界の関係者たちに「彼らは私の教え子です」とほうぼうに紹介してました。その日の主役の外国人アーチストもその中にいたはずですが、全く記憶にないんです。I先生の「いいとこ見せよう」感だけが印象に残っているんです。
そんな中、私も知っていた外国人のアーチスト兼デザイナーの某氏が通りかかったのですが、I先生は「あ、どうも」と声をかけたんです。すると、某氏は I先生をガン無視しました。沈黙が10秒近く続き、ぷいと某氏はどこかへ行ってしまいました。
「おかしいなー、彼は私を知っているはずなんだけどなー」とI先生はちょっと言い訳めいた弁解をしました。そのことが40年くらい経った現在も、明確に記憶に残っています。私はどちらかというとその某氏の気持ち側に立っていましたから、そういう時は社交辞令なんてどうでもいい、嫌いな奴に話しかけられたら無視していいんだ、ということを人生訓として学びました。それ以来、私は人生でそういう場面があったらそう振る舞っています。
というわけで、生徒にいいとこ見せたかったのだが、思わず一本とられたおバカな I先生の思い出でした。I先生は存命中で日本の美術業界で「お偉く」なられました。(波照間エロマンガ島 2023/8/10)

(寸評)ああー、学生の前でいいとこ見せようとして、こりゃまた恥ずかしい〜。それに近いことは日常に潜んでるよね。コワイコワイ。
原美術館は友達と梱包アートのクリストの講演会に行ったっけ。今調べたらもうお亡くなりになっていた。これは芸術か論争もあったようだけど、「人と違うことを継続する」人はとりあえず評価したいんだよね。6ポイント。

マグロカツ

妻は旅行が好きだ。妻がどれくらい旅行が好きかと問われると「20歳の時、英語もロクに話せないのにツアーではなく単身カンボジアに渡って1人で宿をとり、アンコールワットを見て、生きて帰ってきた人間」と答えれば、妻の旅行好きの説明になるだろうか。
そんな妻はよく1人で旅行に出かけた。遠出の旅行も然る事ながら、近場の旅は頻繁に行っていた。特に妻は箱根が大好きだった。私が油断すると、私の知らぬ間に箱根の金時山に1人で登って帰ってきたりもしていた(一応説明しておくと、バスで登山口まで行くのではなく、小田原駅から登るのだ。妻は、そういう人間だ)。
そしてそんな妻は旅行と同じくらい、いやそれ以上に食べ物が大好きだった。美味しい食べ物を常に求めていた。そんな妻はある時、美味しい食べ物屋さんを見つけた、と私に教えてくれた。それは千葉から箱根に行く道中にある、根府川(ねぶかわ)のマグロカツのお店であった。妻が箱根からの帰りに見つけたのだ。今から10年ほど前の事だ。
それからというもの、妻はよく、根府川のマグロカツの話をしてくれた。今まで食べた事のない、絶品の味だと絶賛した。そして今度一緒に食べに行こうといつも言っていた。
私も妻がそんなに言うなら一度根府川のマグロカツを食べてみたかった。が、我々の住む千葉から根府川まで電車で3時間近くかかる。いくらマグロカツが美味しいからと言って、マグロカツを食べるためだけに電車で3時間近くもかけるのは躊躇われるところであった。
そんな訳で、妻が最初に私を誘ってから、なかなか根府川のマグロカツを食べに行く機会は訪れなかった。ところがそれから数年後、このエリアにある廃線の東海道隧道を探索しようという話になり、良い機会なので根府川のマグロカツを食べに行ってみる事になった。
神奈川県小田原市に位置する根府川駅は小田原駅と熱海駅の丁度真ん中くらいにあり、約60メートルの高台にあるホームからは駿河湾を一望出来る眺めの良い駅としても有名だ。
我々は電車で3時間近く揺られて、ついに根府川駅にやってきた。この日は天気がとても良かった。快晴の空が、我々を迎えてくれた。駅からは真っ青の太平洋が眼前に広がって見えた。
マグロカツのお店は、駅から海に向かって降りていった海岸沿いにあるという。根府川駅から海にかけての急斜面の道を我々は降りていった。私は、何だかワクワクしてきた。妻が、何時間もかけて連れてきてくれたのだ。美味しくない訳がない。しかも風光明媚な場所だ。そんな素敵な場所で、海を眺めながら食べるマグロカツは、さぞかし美味なことだろう。
そんな事を考えながら、我々は駅から何十メートルも下り、海沿いの国道135号線まで降りてきた。お店までもうすぐだ。
妻が「あそこを曲がった所だよ」と教えてくれた。ついに、妻が1人で堪能したマグロカツに、私もありつけるのだ。私は、このために今日はしっかりお腹を空かせてきた。私の空腹は、この遥々やってきたマグロカツによって、存分に満たされるはずだ。そんな事を考えながら歩みを進め、我々は「あそこを曲がった所」にやってきた。
私が「あそこを曲がった所」に目をやると、本来そこにあるはずの、空間的に占めているはずの「何か」が私の視線に入ってこなかった。私は少し違和感を感じた。いや、かなり、相当、違和感を感じた。何だろう。時空を歪められたような、時間を捻じ曲げられたような、そんな違和感だった。「あそこを曲がった所」は、ガランとした空間になっていた。不自然に広々とした空間になっていた。海沿いの国道135号線の脇で、そこだけポッカリ穴が空いていた。
「そこ」にあったはずの、マグロカツのお店は、跡形もなく、キレイさっぱり、地上から姿を消していた。礎石とか土台とか建物とか、とにかくそこにマグロカツのお店がかつて地球上に存在していたという痕跡の一切が、そこから消えていた。
妻は「あれ?ここに、あったはずなのに!ここに、確かにあったはずなのに!」と道端の石ころに目を落としながら、何かがそこにあった痕跡を探し求めて彷徨っていた。
妻は決して虚偽を述べている訳ではなかった。白日夢を見ていた訳でもなかった。確かに何かがそこにあったのだ。ただ、我々は(というよりむしろ私が)運悪く、何かがそこにあった時に、辿りつけなかっただけなのだ。
妻が必死に、何かがそこにあった痕跡を求めて彷徨っている横を、ひっきりなしに何台もの自動車が国道135号線を駆け抜けていった。
私は、思わず後ろを振り返った。私の視線の先には、根府川駅が遥か高く聳えており、我々を、何事もなかったかのように、悠然と見下ろしていた。私は、ここまで何時間もかけて来た道程と、私の空腹と、そして何より、駅まで急斜面を何十メートルも登って戻らなければならない「これから」について思いを馳せながら、吹きつける潮風に身を任せていた。
真夏の眩しい西日が、海面にギラギラと照りつけていた。(りんりん 2023/7/28)

(寸評)俺も結婚前の妻と初めての「すごろく旅行」を敢行した時、賽の目が出て根府川に降りたことがある。ちょうど夕刻で宿を探そうと思ったが、あるのは駅前の瀟洒な日本旅館だけ。一応聞いてみたが、やはりそこそこのお値段で泊まることは断念。小田原まで行ってビジネスホテルに泊まりましたとさ。6ポイント。

SDGsな犬

子どもの時に古い平屋の庭で飼っていたメス犬のお話です。彼女は、窓を開ければ走り寄って来ては毎回喜びお漏らし〔嬉ション〕するし、昆布でもお菓子でもあげれば何でも食べる、ちょっとおバカで食欲旺盛な犬でした。
ある日、彼女を父の車に乗せて移動中、彼女は朝食べた味噌汁ご飯を、こんもりたっぷり吐いてしまいました。...すると、またソレをパクパクと食べはじめたではありませんか。そして結局、全部平らげてしまいました。
これは、現代の世界的な食糧危機の解決に、大きなヒントとなりそうです。以上です。(ひももん 2023/7/28)

(寸評)先日読んだ椎名誠の本に、モンゴルの遊牧民族が犬を連れている理由の一つに「人間がした排泄物を全部うまそうに食う」というのがあった。昔から犬はSDGsなのかもしれない...。6ポイント。

メガネ着脱一日何百回のおバカの領分

こんにちは。還暦を過ぎ老齢を迎え、身体のあちこちの機能がガタピシ衰え始めてきています。生活している中でもっとも困ることの一つが老眼の進行。もともと近視だったので、パソコンや書物など近くのものを見る時に老眼でメガネの度が合わず、メガネをいちいち外して裸眼で対象物を目視します。それでそのまま遠くのものに目をやると今度は対象がぼやけてしまい、急いでメガネをかけます。つまり、1日のうちに何百回何千回となくメガネの着脱を行なっているのです。外出中にたとえば電車の中でスマートフォンを扱っているときには、メガネをバッグに仕舞うのは面倒くさいので頭の後ろにかけて、裸眼で作業をします。
ところが、集中してくると、メガネを後頭部にかけていることを忘れてしまうんです。「あれ?メガネどこ?メガネ?」という往年の天才漫才師の横山やすしさんのギャグみたいな〈メガネをかけているのにメガネが見つからないパニック〉が起こってしまうのです。これはシャレにならないツラさがありますねー。そんな、メガネの着脱一日何百回なおバカな私でした。(波照間エロマンガ島 2023/7/28)

(寸評)メガネの人って本当に大変だよね。特に近視と老眼は相反するらしいしね。俺はありがたいことに、よほど小さい文字を見る時に一瞬老眼鏡をかける程度で、まだ日常生活で恒常的にメガネをかけなくてはいけない状態にはなってない。でもメガネ生活の人の方が歳を取ればより増えるわけだから、この辺の改革ももっと進んでもいい気がするけど、なかなか変わらないね。メガネ業界と眼科の間に何か陰で取り決めでもあるのかもしれないね。6ポイント。

真夏の夜の夢

7月の或る、暑い夜。その日はとても暑い夜だった。
私はキャンパスの研究室の一室で、パソコンに向かいレポートと悪戦苦闘していた。明日までにこのレポートを仕上げなければならないのだ。
私はパソコンのキーボードから手を離すと、「ふう」と溜め息をついた。これは徹夜になりそうだ。研究室の時計の針は、既に午前0時をまわっていた。
私がいた研究棟には、人の気配はなかった。窓の外は真っ暗だったが、どこからか落語研究会の稽古の声と、劇団員の発声練習の声が聞こえてきた。
夜のキャンパスを歩いていて、出会うのは落語研究会と劇団員と、そしてキャンパスに住みついている犬だ。暑くて喉が渇いて仕方ないので、近くのコンビニエンスストアに夜食と飲み物を買い出しに行き、また研究棟に戻ってきた。
研究棟は夜間は暗証番号を打ち込まないと建物に入れない仕組みになっていた。セキュリティの関係だ。まあ研究棟だけではなく、学部棟も暗証番号がないと入れない。研究室に用がある学生以外は皆、出入り自由のサークル会館にいて、徹夜麻雀などをやっていた。
この日はとにかく暑かった。研究室には冷房なんて金のかかる豪華なブツは存在しない。古びた扇風機が、いわば熱風機となって、カタカタと音を立てていた。
レポートは明日までに必ず仕上げなければならないのだが、とにかく暑過ぎた。これでは暑くて頭が回らない。私は少し仮眠を取る事にした。
仮眠を取る事にしたのだが、とにかく暑くて眠れない。何なんだこの暑さは。私は暑さでだんだん苛々してきた。暑くて仕方ないので、私は着ている上着を脱いだ。上着を脱いでも暑かった。そうして、私はズボンも脱いだ。何ならパンツも脱いだ。私はスッポンポンになっていた。もう時計は午前1時をまわっていた。こんな深夜、どうせ誰も来やしない。入り口の暗証番号を打ち込まないと中に入れないのだ。私は、扇風機を風力最大にすると、さすがにスッポンポンなので研究室の入り口のドアを閉め、椅子を三つ並べてそこに横たわり、電気はつけたままにして、何とか少しでも仮眠を取ろうと努力した。
どれくらい時間が経ったのだろう。何か物音がしたので、私はふと目が覚めた。研究室は変わらず電気がついたままだった。時計に目をやると、午前2時30分を指していた。努力のかいがあったのだろうか、私は少し眠る事が出来たようだ。そして、その時、私は初めて気づいたのだが、研究室の入り口のドアが開いていたのだ。私は、研究室の入り口のドアは閉めたが、鍵まではかけなかった。そして、そのドアの所に、誰かが立っていた。
私はその時、仰向けになって、ドアに頭を向けて椅子に横たわっていた。だから、電気がついたままの研究室に於いて、丁度私のささやかなイチモツは、ドアの所にいる人に、丸見えになる形となっていた。私は「ヤッベー!誰か来ちゃったよ!不味いよ!スッポンポンだよ!チ○チ○丸見えだよ!何でこんな時間に来るんだよ!ヤベエよ!」と少し寝ぼけながら、頭の中でぼんやりと焦っていた。
私は頭をドアの方に向けて、仰向けに寝ていたので、誰がドアを開けたのか私の位置からは見えなかった。私はこんな痴態を人様に晒してしまって申し訳ない、という思いでいたが、いかんせんスッポンポンなので、どうする事も出来ず、そのまま寝たフリをしていた。
私は、本当に申し訳ないのだが、私の全裸を見てしまった真夜中の訪問客は、私の全裸を見て、すぐドアを閉めて、どこかに行ってくれるものと思っていた。
ところが、その真夜中の訪問客は、なかなかその場を動こうとしなかった。私は全裸で狸寝入りをしながら「早くどっかに行ってくれないかな〜」と全裸で内心焦っていた。
そうして、どれくらいの時間が経ったか分からないが、漸く、真夜中の訪問客は、ドアを閉めると、その場からいなくなった。私は、人の気配が消えると、すぐさま起き上がり、脱いであった服を全部身につけた。
私は心の底から反省した。人様に全裸を晒してしまった。目の毒だ。キャンパスは公共施設(?)なのだ。そんな所で、全裸で寝てはならないのだ。私は二度と全裸になるまい、と心の底から誓った。
私は本当に申し訳ない気持ちでレポートを仕上げ、翌日のゼミに出席した。あの深夜の時間に研究棟に入る事が出来る、というのはこのゼミの中の誰かに違いないのだが、私の全裸をマジマジと見つめて去っていったのが誰なのか、さっぱり分からなかった。まあ、わざわざ「お前のチ○チ○見たよ」と申告してくる人もいないだろう。
いや、それともあれは真夏の夜の夢だったのだろうか?いや、そんなはずはない。私は全裸を見られて冷や汗をかきながら狸寝入りをした、あの、生々しい感覚を覚えていた。
何十年も前の事であるが、本当に申し訳ないが、どうか、私の全裸を見てしまった人は、私のチ○チ○の事は忘れて下さい。そんな事を痛切に思わずにはいられない、真夏の夜の出来事であった。(りんりん 2023/7/16)

(寸評)ホントに途中まで「夢の話か!?」と思った。夢にならありそうなシチュエーションだから。だけどこれは事実なんだね。
その人はチ○チ○をハッキリ覚えているよ。何故なら、そこにいた人こそ、君の横にいる、君の奥さんなんだから...。8ポイント。

左右対称の・・・。

いつも尾籠な話題で恐縮です。〔本当ハ恐縮トモ何トモ、思ッテナイデスガ〕
先日のこと、バンコク中心部の駅近の道を歩いていると突然お腹がぎゅるぎゅると鳴り出し、差し込む痛さを感じました。「やべっ、こんなところでモヨウ死ちまっタか!」と運命のいたずらに一瞬だけ怯みましたが、すぐに心を入れ替え、すかさず肛門に力を全集中、最も近いトイレに千鳥足で直行しました。そのときたまたまスカイウォークを歩いていたのですが、幸いにして目の前に巨大なショッピングコンプレックスがあったので2階のエントランスからトイレを目指すことにしました。館内に入りトイレまであと10メートルという時、脳内に警戒警報が鳴りました。肛門付近をオナラ状の空気がぷぷぷぷと出始めやがったのです。私は肛門をさらにキュッと締め、内股で止まりつ歩きつしながらトイレに近づきました。そして、トイレにたどり着いた私は「あー、間に合ったー!」と個室トイレに入りました。と・こ・ろ・が。〔ココカラハ、イツモノ展開ニナリマスw〕

後ろ向きに個室に入り、ズボンとパンツを脱ぐのとレイコンマ何秒のタイミングの差で、うんちを漏らしてしまいました!
しかも悲惨だったのはそのときたまたまTバックを履いていたので、Tバックの1.5センチほどの布の両側から左右対称にうんちが飛散、ズボンの臀部と共に、両足の膝の部分、そして便器脇の床に、約3センチ四方の同じくらいのボリュームの大便が見事に左右並んで配置されたのです! これはTバックゆえになせる技だと感心しました。
「こ、これは綺麗だナ」「否、綺麗じゃない。俺はこんな時に何てことを思ってるんだ」と二つの感想が同時に頭の中で言葉となって放たれました、うんちだけに。

がしかし、「事」が起こってしまってからは、それはそれは淡々としたモンです。汚物を手持ちのティッシュで拭き取り、常備してる替えの下着に着替え、ズボンだけは替えがないので念入りに汚れを落としました。
〔また、クリーニングしなくちゃ、今月はクリーニング代かかるなー〕と心の中のつぶやき。実は今月2度目の粗相でした〔2023年6月〕。こいつばかりはもうどうしようもありませんね。
そんな60歳、外国在住の投稿者Hの恥ずかしい独白でございやした。(波照間エロマンガ島 2023/7/16)

(寸評)やっぱり還暦過ぎると日常的に起こるよね。これを読んでる、まだ還暦まで時間がある諸君、この先輩は決して特殊じゃない。これが「よくある」ことになる世界は諸君のすぐ近くまでヒタヒタとやってきている。安心せい、それが人が歳を取るということじゃい! 10ポイント。

カワイイ言い間違い

以前、大相撲で大関などが一定数以上存在した場合は、「張出大関」<はりだし大関>といった呼び方をしていました。
中学生の頃、両親とテレビを見ながらこの話をしようとしたら、エロで頭がいっぱいの私は、なぜか「前貼り大関」<まえばり大関>と言ってしまいました笑。
母が「あんたそれ...」と言って笑い、父は黙っていました。私はアッ!と思って、何となく笑ってごまかしたと思います。
前貼りってベッドシーンなんかで股間に貼るヤツですよね?当時友達とそんな話をしていたのでしょう。少年時代の微笑ましい思い出でありました(ひももん 2023/7/16)

(寸評)関取もみんな前貼りしてたりして。ポロ〜ンしても大丈夫なように。まわしを激しく取ってる時など「あれ、や、やばいんじゃないの・・・!?」っていう瞬間あるよね。5ポイント。

社員証

ある日 会社の倉庫でグースカ寝て ふと目が覚めてタバコでも吸いに行くかと立ち上がると オフィスの入退室に必要な社員証がない!! いつも首からぶる下げてたのに…

あちこち探していると 上司が
「ズミ天くん 背中に社員証あるよ…」

ふと手をやると社員証
というより首にぶる下げてる時点で気がつけやー

非常に情けないおバカてした(ズミ天 2023/7/16)

(寸評)背中ならまだいいが、頭の上、尻で挟む、果ては「食ってるよ」にはならないように。5ポイント。

カレンダー

早いもので2023年もあっという間に半分が過ぎてしまった。今日から7月だ。私は朝起きて、コーヒーを淹れるためにキッチンへ行くと、まだカレンダーを変えていない事に気がついた。
私はカレンダーが好きだ。カレンダーには様々な種類がある。1年12ヶ月全部載っているワンシートタイプのものや、めくって後ろにまわすタイプのカレンダー、カード式の月別カレンダー、そして月ごとに破いていくタイプのカレンダーなどなど。
本当に様々なタイプのカレンダーがある。またカレンダーは地図が載っていたり、美しい風景の写真だったり、何かのキャラクターだったり、スポーツ選手や芸能人が載っているカレンダーもある。
私は朝起きたら、必ずカレンダーを見て、今日が何月何日なのかを確認する。そして、今週あと何日仕事しなければならないか、あと何日寝たらライブなどの楽しみがあるか、確認作業を行い、日にちを頭に叩き込んで、今日、どんなモチベーションで過ごすべきか認識するのだ。
月別カレンダーで、載っているのがスポーツ選手や芸能人の場合、今月1ヶ月よろしくお願いします、という感じだ。毎朝、カレンダーに載っている人に挨拶するようなものである。そして、その月が終わると、その月に載っていた人ともお別れになるのが少し寂しい。
だから私は、月別カレンダーの場合、破いてしまうタイプよりも、めくって後ろにまわすタイプの方が好きだ。破いてしまうタイプだと、1ヶ月お世話になったカレンダーの人と完全にお別れになってしまう感じがして嫌なのだ。めくって後ろにまわすタイプだと、めくればまたその人に会う事が出来る。お気に入りの写真だった場合、尚更だ。 我が家のキッチンにあるカレンダーは、破いて次の月に行くタイプのカレンダーだった。私は好きではないが、仕方がない。我が家は昨年末に多くのカレンダーを入手し、各部屋に振り分けた。もちろん破かないタイプのカレンダーもあったが、それはリビング等に飾られた。キッチンはどうしても破るタイプのカレンダーになってしまったのだ。
私が文句を言っても仕方がない。そのカレンダーを作っている企業に電話して、破るタイプじゃなくて、めくって後ろにまわすタイプのカレンダーにしてくれ!と言う訳にもいかない。とにかく今日は7月1日で、キッチンには破るタイプのカレンダーがあったので、私は7月にするために6月を破らなければならなかった。
キッチンのカレンダーは健康カレンダーになっており、各月ごとに健康のためのアドバイスが書かれていた。6月は歯磨きについてのアドバイスだった。真ん中には可愛い女の子が花束を手に笑顔で写っている。とても癒される笑顔だ。ずっと眺めていたい気もするが、6月は終わってしまった。仕方がない。今日から7月なのだ。私も頭を7月に切り替えていかなければならない。
そんな事をぼんやりと考えながら、私は6月のカレンダーを破るとゴミ箱に捨てた。さあ、今日から7月だ!下半期の始まりだ!また気合いを入れ直して、暮らしていかなければならない。
私は早速、今月の予定を確認する事にした。2023年7月1日は土曜日なので、カレンダー上は一番右端に表記される。私はカレンダーの右端を見た。そこには「5日」と記載されていた。
私は一瞬、困惑した。あれ?今日は7月1日の土曜日じゃないのか?いつの間に5日になったのだ?私は寝ぼけているのか?
しかし、私が何度見てもそこには「5日」と記載されていた。そんな馬鹿な事があるか!今日は7月1日だ!だって昨日は6月30日だったじゃないか!6月30日の次の日は7月1日じゃないのか?なんでいきなり7月5日に飛ぶんだ!そんな訳ない!7月5日に飛ぶなんて!7月5日な訳がない。7月5日?
私は、まさか、と思って、カレンダーを見た。そこには6月とはまた別の可愛い女の子が虫取り網を持って笑顔をこちらに向けていた。おかしい。このカレンダーはひと月ごとに男の子と女の子が交互に載っているはずだった。私は女の子の下の月の表記を確認した。「8」と書かれてあった。
私はゴミ箱を振り返った。恐る恐るゴミ箱からカレンダーを取り出してみると、6月に重なって、7月の男の子がバドミントンラケットを手に、悲しそうにこちらを見ていた。今までの人生で、カレンダーを2ヶ月いっぺんに破いてしまうなんて事は、ただの一度もなかった。
私は無言で7月のカレンダーをゴミ箱から掬い出すと、シワを伸ばし、もう破いてしまったので、仕方なく、画鋲で8月のカレンダーの上から留めた。
7月の男の子が、バドミントンラケットを手に、笑顔でこちらを睨んでいるような気がした。7月の健康アドバイスは水分補給についてだった。(りんりん 2023/7/4)

(寸評)地球上で歴史的に一体どのくらいのカレンダーが葬り去られたのだろう。膨大な時間とともに。その破片たちがいつか私たちを襲ってくることはないのだろうか。時の逆襲として。もしもそんなことがあっても、私たちは粛々とそれを受け止めて時に抹殺されるのを受け止めるしかないかもしれない。5ポイント。

宝くじ

以前、父がナンバーズ4を一回だけ一発勝負で買ったのですが、番号を考える時、10枚の紙に0から9の数字を書いてテーブルの上に並べ、ウ~ム..と言いながらひらめきを頼りに4つの数字を選び出していました。
しかし〔詳しい数字は忘れましたが〕父の選んだ数字が「2047」ならば、結果は「2048」!と、最後の数字が1つだけズレて外れでした。
あと一歩のようでバカにされてるような何とも不思議で意地悪な結果で、「もう神様が一獲千金を諦めろって言ってるんじゃね?」と言って家族で笑いましたが、70代中盤になった父は今、お馬さんに夢中です。しかし、同郷の蛭子さんのように父も当たらないギャンブルは卒業した方がいいようです。(ひももん 2023/7/4)

(寸評)確率的に言えば胴元が絶対に儲かるのは間違いないんだから、ギャンブルは勝てない。唯一、賭け麻雀は胴元がいないからメンバーでプラスマイナスゼロになる。しかしこれは違法。結局、国がウシシッと笑うようにできてる。5ポイント。

コワモテ体育教師のKさんのバイク

高校時代の体育教師のことをふと思い出した。
K先生は柔道部の顧問で、国民体育大会で県代表になるほどの柔道家であった。めっさコワモテの体格風貌をしており、生徒たちに恐れられていた。学校から2キロほど離れたところにある民家を改造した柔道部員専用の寮に寮監として住んでいた。
ある日の登校時間、学校に向かって歩いていると、ミニバイクに乗ったK先生が道路の脇を通り過ぎていくのに出くわした。そのK先生の姿に爆笑した。
K先生はHONDAのミニバイク「ゴリラ」に乗っていたのだ!
「ゴリラがゴリラに乗ってるー!」と心の中で絶叫した。1978年に発売されたばかりのゴリラは、同社の「モンキー」のボディーに大きな燃料タンクを搭載したバイクとして、話題になっていたのだ。

その日の昼休み、友人たちと学食で話していた。「しかし、なんでK先生はゴリラ買ったんだろうね」「笑わせたいからじゃないの?」「で、笑ったやつには、バイクを止めて、シバいたりしてな」と言って、またひとしきりバカ笑いをした。
そんな、コワモテ体育教師のKさんのバイクの話でした。(波照間エロマンガ島 2023/7/4)

(寸評)ああ、あったねー。車バイクわからない俺でもゴリラは知っている。ちょうどどうしてもバイクが必要な18歳の時の一年間があったのだが、その時ちょうどゴリラも売っていて「なんだこれちいせぇ〜」と笑った記憶があるから。今でもマニアは好きなのかな?5ポイント。

泥酔したO先生にウザ絡みされた思い出

「ゆきゆきて、神軍」で有名な原一男監督のドキュメンタリー映画作品「全身小説家」で印象的なシーンがありました。小説家の井上光晴さんの家に井上さんに心酔する文学好きな男女が集い、そこで宴会をしていたのですが、その中の一人が突然井上さんの逆鱗に触れ、しつこくいたぶられたのです。原監督のカメラはそれをいっさいカットすることなく、長回し撮影し続けました。映画を観ている側はいたたまれなくなるような時間が流れてました。

実はそれによく似たことをわたくし、体験したことがあったのです。 大学時代、ゼミ恩師の文芸評論家のO先生や級友たちと食事していた時のことです。お酒も入り、先生も良い気分で昔話を話していた最中に、わたしのうった相槌だか言葉だったかが気に入らなかったのでしょうか、突然態度が豹変し、私を罵倒し始めたのです。その時は何故先生が私を攻撃したのかはわかりませんでした。何となくの予想なのですが、私がにやにやしながら話を聞いているのを、先生は嘲笑された〔馬鹿にされた〕と思ったのかもしれません。私はけして嘲笑などしたつもりはなく、先生の話を興味深く聞いていただけなのです。ただし、ここであまりに先生をおだててゴマを擦って茶坊主みたいに振る舞うのもどうかと思い、できるだけ中立な立場でいようと気をつけていた記憶はあります。けれど、この場面ではくだんの映画で井上光晴に心酔している若者たちのように振舞わなければいけなかったのかな、と今となっては思います。先生の私への罵倒は、周りの級友がフォローしてくれておさまりましたが、何か後味の悪い食事会になったことを思い出しました。
まぁ、お酒が入ると心の奥底にある感情が意識上に浮上してきて感情を発露してしまうのも仕方ないとは思うので、私は平身低頭の態度はとっていましたがね。文壇バーにはほとんど行ったことはありませんが、理不尽に喧嘩をふっかけられるというのはこういうことなのかな、とも思いました。
そんな、恩師の何かの勘気に触れて怒らせてしまった話でした。ここでは誰がおバカだったかは書きません。(波照間エロマンガ島 2023/7/4)

(寸評)誰がどういう地雷を持ってるかわからないからねー。もしその時フムフムと聞いていたとしても、そのフムフムが逆鱗に触れる場合もあるからね。
ただ、俺は人が怒っている現場が本当に嫌いで悲しくなって、いっそ大災害でも起こって何もかもなくなってしまえと瞬間で思うくらい。なので人が怒る状況にはなるべくいたくないのだけど、ついつい言ってしまうブラックジョークで過去に何度も人を怒らせてもきた矛盾...。5ポイント。

ものまね

あれは高校2年の冬だっただろうか。私は国語の授業の準備をしていた。私の担任教師は国語の教師でもあったので、次の授業で教壇に立つのは担任教師であった。
担任教師は少し変わった人で、極めて真面目で極めて実直で極めて厳格な人であった。そして、極めて真面目で、極めて実直で、極めて厳格過ぎて、冗談や洒落が一切通じない人でもあった。
大阪生まれ大阪育ちのバリバリの関西人だった私にとって、そんな担任教師は極めて御し難い人物であった。関西人にとって、ボケとツッコミは生命線である。ボケとツッコミを奪われては、関西人は生きてはいけない。
しかし、担任教師の前では私のボケはブラックホールのように次々に吸い込まれていってそのまま跡形もなく消え失せ、私のツッコミは鉄壁の論理の牙城に容赦なく跳ね返されていった。
そんな担任教師に完膚なきまでに心をへし折られた私は、活路をものまねに見出した。私は幼少の折からものまねが得意だった。特に動物のものまねは自画自賛するほど得意で、小学生の時など道を歩いていてカラスの鳴き真似をしたら、見ず知らずの女性に「ものまね上手だね!」と絶賛されたほどだ。
担任教師は少し変わった人であるが故に、ものまねに適した方であった。特徴のある口調と、特徴のある口癖で、担任教師は私の得意なものまねのレパートリーになった。担任教師がいない安全地帯での、自己完結したものまねであれば、絶対に担任教師に跳ね返される事はないからだ。
その日も私は国語の授業の準備をしながら、隣の席の男子に担任教師のものまねを披露していた。生来、人を笑わせるのが好きな私は、担任教師のものまねで皆が笑ってくれるのを好んだ。ものまねはつまらない学校生活の一抹の清涼剤となった。
国語の授業が始まるまでの時間を利用して、私は隣の男子を担任教師のものまねで笑わせる事に夢中になっていた。隣の男子はゲラゲラと笑ってくれた。
ところが、あるネタの途中からどんどん隣の男子の表情が曇っていった。隣の男子は次第に笑わなくなっていった。私は心配になった。私のものまねがつまらないのだろうか?
私の関西人としてのプライドにかけて、それは決して許されない事であった。私は隣の男子を笑わせるために自慢の担任教師のものまねネタを次々に披露していった。
しかし、私が担任教師のものまねネタを披露すれば披露するほど、隣の男子の表情は暗くなり、次第にこわばっていった。
これはいけない。関西人にとって、相手の表情を暗くするなんて事は絶対に許されない事であった。私はとっておきの秘蔵の担任教師のものまねネタを披露した。
もはや隣の男子は泣きそうな顔をして、目で何かを訴えているような気がしたが、私は笑いこそが全て、笑いが全部を解決する、と言わんばかりに担任教師のものまねを熱演した。
そして私の渾身の担任教師のものまねが最高潮に達した刹那、私は自分の左肩にズシリと重みを感じた。全然痛くはないが、極めて違和感のある重みだった。
私は自分の左肩を見た。そこには人間の手が、ある重みをもって置かれていた。私は隣の男子の顔を見た。隣の男子の表情はもはや完全に怯え切っていた。
私はもう一度、自分の左肩を見た。そこには相変わらず人間の手が、ある重みをもって置かれていた。そして、その人間の手は、ものすごく見覚えのあるスーツの袖に繋がっていた。そのスーツは、ものすごく教壇でよく見かけるスーツの柄であった。
ここにきて、ようやく私は全てを悟った。
私の真後ろには、担任教師が音もなくずうっと立っていたのである。(りんりん 2023/6/23)

(寸評)そして今ではりんりんの家に住み着いて、音もなくずうっと左肩に手を置いたまま朽ち果てているのであった。・・・だったら、すげー怖い! 7ポイント。

四つ葉のおっさんの乙女的思考

私は既知外のおっさんで1つのことに異常に固執するきらいがあるのですが、その1つに四つ葉探し、というものがあります。

何を隠そう隠しませんが、私は草むらでシロツメグサの群れを見つけた際に、本気になればほぼ確実に四つ葉のクローバーを見つけることが出来るのです。
数年前に右眼が悪くなってからは控えていましたが、例えば今なんて日課のルーティンであるところの散歩すなわちルーティンポの最中、ちょっと視界の端にシロツメグサが入ったので本気モードになってみましょう、はい。





とご覧の通り、ものの5分で発見出来ました。しかし突然団地のそばの公園の端っこで立ち止まりぢぃっと草むらを凝視している中年のおっさん、傍から見れば完全に不審者の極みですね。手の中年感・四つ葉の小汚さからも余所から転載したものではないとお判り戴けるかと存じます。2023/6/11豊中市にて撮影。おぽぽ。

さてこの四つ葉発見スキルは何故か母親も持ち合わせており私は兄弟の中で唯一この特に生きる上で必要ない技を遺伝したのですが、コツはたったの2つ。

①群れの全体を眺め、葉っぱが中心から90度で広がってるものを感覚的に探す。三つ葉なら120度だから。
②見つかるまで探す〈笑〉。

そもそも今どき四つ葉なんて見つけようとする暇人がどれだけ居るか知りゃしませんが、見つからない人は恐らく②をやる根性がないだけの話だと思います。幸い私は気が狂っているのでこういった1つのことに執念深く取り組むのが苦ではないゆえ、よほど少ししか生えてないとかでない限りは探す気スイッチさえ入ればほとんどの場所で見つけて来られたのであります。

しょーもないこだわりとして、私は見つけた四つ葉のクローバーを摘まない、というものがあります。
え? お前普通四つ葉見つけたら摘んで押し花にして持っとかんと意味ないやん、阿呆ちゃう? そんなんやから永遠に人生の敗残者やねん間抜けめ、とか言う人もいらっしゃいましょうがじゃかまっしゃい、四つ葉程度の幸福で人生左右されてたまるかぁ。
ほななんで摘んで帰らんのじゃい、と申さば、幸運を独り占めするなんて器ちっさい、と思うからです。モロチン個人的な意見ですのでふつうのひとは摘んで帰るのがあたりまえなのでお気を悪くされないで下さいね。ただしかし私が摘んじゃえば、他の人が見つける機会が減るわけでしょう? 見つけてささやかに幸せになれるんなら、独り占めしないで分かち合えた方がみんながハッピーになれるじゃないですか。…あほですね。乙女おっさんですね。

そのついでにもう一つ想うことは、最近四つ葉のクローバーを見つけるまでに掛かる時間が増えた、ということで、これすなわち四つ葉の数が全体的に減っているのではないか、と思うのです。
もしかして世界で最近ろくなことが無いのは、四つ葉の幸福のパワーが減じた所為なのかしら。じゃあなんで四つ葉は減ったか。みんなが自分ひとりが幸せになれれば良いや、と、あらかた四つ葉を摘みさらえちゃったからじゃないかしら。四つ葉の発生率は約1万分の1、ひとたび摘み尽くしたらなかなか見つからなくなります。ささいな幸運を分け合えなくなります。人々の他者を思い遣る心持ちが減衰したが為に、世界が不幸せに傾いてきたんじゃないかしら。

……ここまで来ればもはや乙女的を通り越して既知外宗教家ですね。この辺でやめときます。今までより見つけるのに時間が掛かるのは単に視力の低下の仕業でしょうよ、あほの夢想は果てしがありません。
私は写真を撮ると器の小さいおっさんらしく嫁はんにメールで見せびらかし、ご機嫌で四つ葉に別れを告げてルーティンポを続行したのでした。(オポムチャン 2023/6/23)

(寸評)四つ葉の発生率は約1万分の1なのかっ! それを見つけることを生き甲斐にするとは。
お金をかけずに夢中になるものを見つけるその時間こそ幸福の時間。無意識のうちに幸福を掴み取ってるオポムチャンに拍手! 8ポイント。

自動販売機

あれは学生時代の事だ。学校からの帰り道、周りに何もない道の途中にポツンと、一台の自動販売機が置いてあった。なんでそんな所に置いてあるか分からない自動販売機ではあったが、私の帰り道の途中にあり、私の好きなドリンクのラインナップだったので、よく利用していた。
その日も私は、いつものようにその自動販売機にやってきて、いつものように、好物のカフェオレのボタンを押した。ガタンと音がして、カフェオレが出てきた。私は自動販売機の取り出し口からカフェオレを取り出すと、その場を立ち去ろうとした。
立ち去ろうとしたところ、私は自動販売機がいつもと雰囲気が違う事に気がついた。いつもと違う光が自動販売機から放たれていた。全てのボタンが光輝き、自動販売機の電光掲示ボードには「おめでとう!当たりだよ!」と表示されていた。その自動販売機で、その光景は初めて見るものであった。
私は当たったのだ。自動販売機で、当たったのだ。私の人生では、極めて稀な出来事だった。私は、人生に於いて、当たり等に遭遇する事はほとんどなかった。
私は興奮した。さあ、もう一本、好きなドリンクを選べるぞ!私は既にカフェオレを手にしていたので、違うジャンルのドリンクを選ぶ事にした。
その自動販売機の中で、候補はコーラとエナジードリンクであった。どちらも魅力的なドリンクだ。私にとって甲乙つけがたい。私は、どちらのドリンクにすべきか長考した。
今や、私の前では自動販売機のボタンはキラキラと光輝き、私に押されるのを今か今かと待っていた。
私は迷った。コーラにすべきか。エナジードリンクにすべきか。どちらかを選んで、やっぱりあっちが良かった、なんて事は絶対に許されなかった。これは人生で天が与えてくれた、貴重な、貴重な、自動販売機の当たりなのである。
私は後悔したくなかった。絶対に後悔したくなかった。せっかくの貴重な自動販売機の当たりは、私の人生で決して後悔しない、納得のいくものでなければならなかった。
私は熟慮した。コーラか、コーラでないか。それが問題であった。
私は自分自身に問いかけた。今、汝が欲しているのは何であるか、と。汝自身を知れ。
私は後悔のないよう、熟慮に熟慮を重ね、そうして、熟慮の結果、エナジードリンクを選択した。今、私が欲しているのは、エナジードリンクなのだ。
そして、押し間違える事のないよう、しっかりボタンを確認すると、ふう、と深呼吸した。さあ、いよいよ、私の元に当たりドリンクがやってくるのだ。
私は熟慮を重ねた納得の選択に基づくボタンに向かって指を伸ばした。このボタンを押せば、私の人生のいちページに新たな勲章が加わるのだ。私は興奮をやっとの事で抑えながら、右手を伸ばし、ボタンを慎重に押そうとした。
押そうとした、その瞬間。私の前から、光がフッと消えた。今まであんなにキラキラと輝いていたエナジードリンクのボタンの光がフッと消えた。エナジードリンクのボタンだけではない。他の全ての自動販売機の商品のボタンの光が、消えていた。今や、自動販売機は完全に沈黙した。
何が起こったのだ?私は目の前で起こった事をすぐには理解出来なかった。いや、理解したくなかった、と言うべきか。厳密に言えば、自動販売機は全ての光を失った訳ではなかった。自動販売機自体はしっかり作動していた。確かに動いていた。ただ、押しさえすれば、商品が出てくるはずのボタンの光が失われていたのだった。
どうやら、自動販売機の当たりボタンの光には限りがあったようなのだ。自動販売機は、私の選択に無限の刻を与えてはくれなかったようなのだ。自動販売機は、当たりを出した者に対し、好きなドリンクを選ぶチャンスを与えてくれた。でもそれは、自動販売機が定めた時間内での事だったようなのだ。そうして、限りある時間の中で、私が必要な決断を下さなかった事に対して、どうやら自動販売機は沈黙という罰を与えたようなのだ。
自動販売機で当たりが出るなんて、今現在50年を超える人生でも何回もなかった。いや、3回くらいしかなかったはずだ。
その、人生で貴重な、貴重な、たった3回くらいの1回の燈が、今、消えた。
私はどこで間違ったのだろう。私はどこで過ちを犯したのだろう。私は、ただ、後悔したくなかったのだ。後悔したくなかっただけなのだ。

押すボタンのなくなってしまった私の右手はしばらく宙を彷徨っていた。しばらく宙を彷徨って、仕様がなくなって、私の右手は光を失ったエナジードリンクのボタンを押してみた。
何も起こらなかった。
もう一度、押してみた。
何も起こらなかった。
さらにもう一度、押そうとして、やめた。
私の前には虚無が広がっていた。
どこにも行けないまま、私はしばらくその場に立ち尽くしていた。
どこかで鳥の鳴き声がしていた。(りんりん 2023/6/23)

(寸評)序盤で「これだけジラすということは、こういうオチだな」は分かってしまったが(笑)よく書きました。今後も投稿で文章力をさらに磨き、物書きになってください(本当にプロになった場合、もちろんこの投稿を自分の書籍に載せるのは問題ないです)。6ポイント。

ムケチン

小4の頃、一人の友達が「ひももんのチンコ、ムケてる~!」と言い出して、数人の友達から「ムケチンや!」「おいムケチン!」と、からかわれだしました。
たしかに私のチンコは、他の子のように皮が先まで被って細くなっておらず、大人のように亀頭が皮から出ていました。
また、別に赤くもないのに、「真っ赤だな~♪真っ赤だな~♪ひももんのチンコは真っ赤だな~♪」と童謡の替え歌でもからかわれました。当時の私は意味が分からなかったのですが、ませた友達が、私がチンコを自分でコスって赤くなっていると言いたかったのでしょう。
その時期は嫌な気持ちになりましたが、今となってみればムケていることは男として誇らしい事なので、フルチンで、某ボクサーのように「どんなもんじゃ~い!」と叫びながら町内を走り回ってやればよかったです。...いや、今からでも町内を走り回れば、自分の中で何かが目覚めるかもしれません。(ひももん 2023/6/23)

(寸評)目覚めてみいっ! そして捕まってみぃっ! その様子をまた投稿してみいっ! 高ポイント確実っ! 6ポイント。

敬愛すべきクレージー天才詩人、私の心の師匠

20歳頃、かよっていた大学に日本の先鋭的詩人として有名な吉増剛造さんが赴任し、「詩論」の授業を持たれました。私は高校時代に現代美術の世界を知った頃、雑誌「美術手帖」で吉増さんが彫刻家の若林奮〔わかばやし・いさむ〕氏と共同制作した金属彫刻の作品を観て衝撃を受けたので、どんな先生か興味津々で授業を受講したのでした。吉増剛造さんは相当にイカれた感性の持ち主で、授業は面白く大きな影響を受けました。
そのひとつが、吉増さんはいつもトートバッグ2個に大量の本を入れて、それを両肩に背負って大学に来ていたこと。何であんなに本を持ち歩いていたのだろうと思いましたが、常に読みかけの本とともに自分でアイディアを啓発するための読了済みの本を携えてAnytime Output OKの姿勢でいたと授業で聞いたことがありました。この態度に私は影響を受け、デヴィッド・サーレやフランシス・ピカビアの画集や岩波文庫を大量に持って海外旅行に行ったりしていました。会社への通勤時も同様に大きなスポーツバッグを背負っていたので、会社の同僚にはいつも「そんな大きなバッグ持って旅行でも行くのですか」と呆れられていました。それは全て吉増剛造先生の影響です。あ、画集を持って旅行したのは横尾忠則さんの影響も少しあります。

講談社現代新書から上梓された吉増さんの自伝「我が詩的自伝素手で焔をつかみとれ!」は、我がバイブルとしてバッグの中に入っており繰り返し読んでいます。私のかよっていた大学に奉職していた時代のことも詳細に書かれていました。私が空海へ興味を持ったのも元々は吉増先生の授業からでした。
「現代日本には詩人と呼べる存在は3人しかいない。田村隆一、谷川俊太郎、そして吉増剛造だ!」という吉本隆明の言葉を最後に紹介してこの項終ります。(波照間エロマンガ島 2023/6/23)

(寸評)画集を持って旅行! そんなに影響力のある恩師を持ってみたかったなあ。まあ、大学はほとんど行ってないけど。もっとも、竹中労さん「たまの本」の中で「大学は3日しか行かず」と書かれていたのは誇張です。実際は演劇のゼミに入って河口湖でゼミ合宿などにも行ったし、大学内で演劇の公演もしたので、もうちょっとは行ってます(笑)。6ポイント。



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