私の三本指~マイ・ベスト・スリー(2)

このコーナーは、与えられたテーマにおいて自分のベスト3を理由付きで教えてもらうものです。メールのタイトルは「三本指」で。投稿は基本全採用で一回につき10ポイントです。なるべく一週間以内程度に投稿してください。最後に(ペンネーム)忘れないでね。


第7回 好きなお笑い芸人

(ピン、コンビ、トリオ、グループ。既に亡くなってる方でも可。)

石川浩司の三本指



第一位 ダウンタウン

松本人志問題は別として(もちろん週刊誌報道がすべて事実なら逮捕でいいと思う)ありきたりかもしれないけどやはり圧倒的。浜ちゃんのツッコミも芸術。お笑いをやっている人で影響を受けていない人はほぼいないのではないか。とにかく角度のバリエーションが凄い。全方向から笑いに変えられるまさに天才。 

第二位 マルクスブラザーズ

ドリフターズのコントなんてほぼこの人たちのパクリみたいなもんだよねー。3人の実兄弟が織りなす馬鹿馬鹿しさの連続は舞台で鍛えられたものだと言う。映画でしか知らないが舞台も観てみたかったな。

第三位 オードリー

この人たちの安定して確実に面白くしてくれる力は何だろう。特に気張って変なことをしているわけでもなく、実は毒も持ってるのに安心して見ていられる感じは実は稀有かも。

第6回 たまらん中華料理(2024/4/30更新)

(尚、ラーメンとかなら味噌とかトンコツとか細かく書いてください)

ラメール・ローラの三本指



1位 餃子

焼いた餃子のあのパリッとした部分がめちゃくちゃいいです。でもそれより好みなのはパリパリ触感の揚げ餃子です。

2位 八宝菜

様々な具材が旨い餡と混ぜ合わさりとても美味です。
実は得意料理の1つです。

3位 エビチリ

正直エビ好きというのもあります。
辛くない味付けならならより好みです。


テングザルの三本指



第一位 エビの北京風チリソース炒め

白いエビチリこと"エビの北京風チリソース炒め"が大好きで、中華料理店に行く度にメニューの中から探して白飯と一緒に注文します。しかしエビチリといえば赤い"エビの四川風チリソース炒め"のことが多く、なかなか出会うことができません。

第二位 中華風ふわっと卵炒め

カニ玉のように固められたものではなく、熱い中華スープの中に溶き卵を流し入れたようなふわっとした卵炒めです。これもメニューの中から探して注文しますが、定食に付いていることが多く単品で食べたいところです。※鳥インフルエンザの影響で卵の価格が上昇し、一時販売停止になっていました

第三位 炒飯(チャーハン)

中華料理の王道、炒飯。これはどこの中華料理店に入っても注文して食べ比べをしてしまいます。町中華だと"やきめし"が出てくることがあるので「これじゃない」ということも。冷食のニチレイフーズ「本格炒め炒飯」をたまに買うことがあります。※レンゲはスープを飲むための食器なので(食べにくい!)、大きなスプーンを使って食べます


りんりんの三本指



第一位 レバニラ炒め

レバーとニラの織りなすマリアージュがたまりません。元は中国語の「韮菜炒牛肝」で「ニラレバ炒め」だったのに、アニメ「天才バカボン」でバカボンのパパがひっくり返して「レバニラ炒め」を連呼して、それが日本中に広まってしまったエピソードが大好きです。

第二位 味噌ラーメン

外食でラーメンを頼む時は絶対に味噌ラーメンです。そのラーメン屋さんの良し悪しは味噌ラーメンの味で決めます。若い時は「千成ラーメン」の味噌ラーメンが大好物でしたが、閉店に次ぐ閉店で悲しい限りです。

第三位 担々麺

何というか、あの辛さに取り憑かれました。疲れている時には担々麺ですね。各中華料理屋さんでは様々な担々麺の味があり、またそれは市販の担々麺でもそうなのですが、美味しい担々麺を求めて今日も彷徨っています。汁なし担々麺も最高です!


しまけんの三本指



第一位 炒飯

オシャレなやつじゃなくて、「焼飯」って感じのやつが大好きです。具にナルトのきれっぱしとか入ってるとさらに嬉しい。自分でも作るけど、お店のやつの方がおいしいのなんでだろ〜。

第二位 ムースールー

卵と豚肉とキクラゲの炒め物です。
永遠に食べられます。注文するときに、悩んだ挙句に結局コレになることが多いです。
自分で大量に作るとお得感マシマシ。

第三位 餃子

皮を買ってきて、自分で包むようになってからどんどん好きになってきました。外で食べるよりも自分ちで食べるやつが一番好きです。


kobatakaの三本指



第1位 豚肉ときくらげの卵炒め

中華の卵料理って油を大量に含ませる。豚肉も脂身が美味しい。ダイエットの大敵。でも美味しい。美味しいものは体に悪い。ただ卵と豚肉だけでは味と油がつよすぎるところに、それを抑えるきくらげを加える。この料理考えた人はすごい。


第2位 チャーハン

これまた油と化学調味料がたまらん。パラパラのチャーハンにこだわる人が多いようですが、私はそこにこだわらない。むしろ日本米のほくほくした感じを残した感じが好きです。

第3位 担々麺

担々麺っていろんなタイプのものがありますが、白ごまの甘いスープに松の実、パクチーなどいろんなスパイスがはいって混然一体となったこってりと中毒性のあるスープ。麺はスープにからむ細麺。宇都宮の小閣楼というお店の白ごま担々麺が特に好きなんですが、この原稿書いていて調べたところ、東京の大塚にも同じ名前で同じ担々麺を出すことが判明したので今度行ってみたい。


板垣ヨシユキの三本指



第一位 エビチリ

エビマヨもうまいけどコチラが好き。茹でたエビに市販のチリソースをかけて食ってみたけど、なんか違ってた。最も家であまり中華たべないし、たぶん難しい料理だし、たまに食うからいいのです。

第二位 シュウマイ

スーパーで売ってる普通の10個ぐらいで100円前後の。ご飯のおかずに良し、酒のつまみでも良し、冷めてもうまい。たまにはエビ入りもいいな。

第三位 ミソラーメン

小さい頃食べたどさん子ラーメンの味噌味。時々100円ラーメンやってて、自転車こいで遠くまで食べに行ってたな。コンビニなんて無かったし。


ももか777の三本指



第一位 天津飯 

西武池袋線練馬駅南口の中央通りにある小姑娘(ショウクーニャン)の天津飯。ここのが絶品の味がする。
福しんや日高屋の天津飯は論外。ケチャップの味がするのは関東の味付けらしい。

第二位 味玉とんこつラーメン 

日高屋のメニューに実際にある商品で以前はよく食べていました。玉子の値段が上がってからは食べていません。

第三位 チャーハン 

福しんのチャーハンはすぐにできるので急いでいる時によく注文しています。


DOの三本指



第一位 回鍋肉

野菜を一番おいしく食べられる料理だと思っています。

第二位 餃子

肉を包んで焼くという発想、天才だと思います。

第三位 杏仁豆腐

あの食感と甘さが中華料理を食べた後のデザートにぴったりです。


ひももんの三本指



① チャーハン

高校入学前の休みに友達の家の仕事を手伝わさせてもらった時、現場の近くにある古い食堂で食べた甘いチャーハンと味噌汁が凄く美味しかったんです。チャーハンって作る人によって色んな味があるから面白いですね。


② バンバンジー

最近は食べてませんが、子どもの頃よく家族で行った中華料理屋でいつも食べていた鶏ささみのヤツ何だったっけ?とネットで調べたらおそらく『バンバンジー』でした。酢豚もエビチリも好きでしたが、特にこのバンバンジーをモシャモシャ食べていました。かかっているタレが美味しかったのかな?


③ とんこつラーメン

今時ラーメンば中華料理とか言わんけどくさ、元々は中国から来たモンやけん一応挙げとくばい。だいたい醤油も味噌もたまには食べたくなるばってん、やっぱ博多んもんなら濃厚な旨味のとんこつラーメンたい。東日本の人らは『うまかっちゃん』知っとうね?九州の食卓では昔からチカッパイ定番ばい。うまかとよ?


Sankakuの三本指



第1位 醤油ラーメン
最近になって、特に王道料理のおいしさが分かってきました。
町中華と呼ばれる店で、食べられる幸せを噛みしめています。

第2位 レバニラ野菜炒め
小学生の頃から親しんでいる味。ご飯と一緒に食べられる美味しさは格別です。
肉と野菜の組み合わせが実にちょうどいいです。

第3位 麻婆豆腐
これも子供の頃から親しんでいる味。
白いご飯の上にかけて、「マーボー丼」にした時は、最初は邪道だといわれましたが、時間が経つにつれて、スタンダードなメニューになってきました。


たちつ亭と~助の三本指



第一位 麻婆春雨

豆腐も茄子ももちろん好きなのですが、特に麻婆春雨は美味しいのに当たると俄然テンションが上がります。春雨の、絶妙に麺類とは言いかねる立ち位置ながら活躍している感じがなんとなく好きなんです。

第二位 よだれ鶏

そこそこ辛い料理が好きなのですが、よだれ鶏はあまり辛すぎなくとも美味しくいただけるという点で、準辛党な自分にピッタリですね。鶏肉の肉肉しさもたまりません。自宅で作る際には、安い鶏胸肉で作ってもそれなりに美味しいのが嬉しいところです。

第三位 エビチリ

元々エビが大好きなところへ、いかにも中華料理然とした辛甘ジョッパタレが絡み、ネギやニンニクの風味を感じながら食べていく。想像しただけでヨダレがじわじわと湧いてきます。


猪熊猛の三本指



第一位 本中華(味不明)

袋ラーメンに統一してたまらんのを挙げたいと思います。

一位は、小学校3年ぐらいの時に食べた、本中華。たしか大橋巨泉氏のCMで、「なんちゅうかほんちゅうか」というセリフが流行った記憶があります。学校で、何かが起こると、「それは、なんちゅうかほんちゅうか だなー」と言うわけです。

人生で一番食べたのは、後述のサッポロ一番みそラーメンですが、インスタントラーメン=サッポロ一番みそラーメンだった家庭に、たまたま本中華が買われてきて、作ってみるとこれがうまい。たまらん。ツヤツヤの麺にコシ。世の中にはこんなにうまいインスタントラーメンがあったのかと感動したのです。でも一つ思ったのは、袋から出した時に固く、サッポロ一番のようにそのままバリバリといけなかったのは勝手なマイナス面でした。

何味を食べたのは全くおぼえていません。サッポロ一番より高かったのか、母が二度目に買ってくることはありませんでした。

第二位 サッポロ一番みそラーメン

物心ついた頃から、常に家にあったオレンジ色の袋=アル中の父が酒の最後に毎日必ず母に作らせて食べていたのがこのサッポロ一番みそラーメンです。小学生くらいになると自分で作って食べるのですが、もう袋ラーメン=サッポロ一番のみそ、というような感覚で、父は酔っ払いながらもニンニクを入れるように言っていましたが、自分は卵を入れていました。日常すぎて食べ慣れてしまったのか、たまらん度は一位ではありませんが、三位以内には必ず入ります。たまに面倒くさい時は作らずにそのままバリバリ食べることもしましたが、これはドラえもんで家族が雪山に旅行に行った時、宿から出かけている間に袋ラーメンが遭難者にバリバリと食べられていたシーンを真似したのだと思います。周囲の多くは麺に粉をかけると言っていましたが、自分はボロボロ落ちるからか、麵だけをかじっていました。

第三位 チキンラーメン

常に我が家にストックされていたのは二位のサッポロ一番みそラーメンでしたが、高校生ぐらいになると時々、サッポロ一番塩ラーメン、ではなく、チキンラーメンが買われていることがありました。たまらんのは何といってもその手頃さ。鍋を使うことも火にかけることもなく、どんぶりに入れてお湯をかければいいだけ。鍋のフタがなかったので国語でめったに使わない厚い図説をかぶせて3分待っていました。当然紙がフニャフニャになり、学校で必要な時は周りはピカピカなのに自分だけよく使い込まれているようになっていました。今はほとんど袋ラーメンもカップラーメンも食べなくなってしまいましたが、子供の頃はなくてはならない、たまらないものでした。


ズミ天の三本指



1位 麻婆豆腐
レトルトではなく一から作ったやつがんまーい!!
ホワジャオとかはいらないシンプルなのがいい

2位 麻婆茄子
こっちも一から作ったやつが美味しい
ネギは多めね

3位 餃子
ただし冷凍はまずいので嫌い
コレも一から作ったやつが美味しい
羽付きとかには興味はないです


波照間エロマンガ島の三本指



第一位 回鍋肉〔ホイコーロー〕

中国四川料理のひとつ。豚バラ肉とキャベツ、長ネギなどを炒め合わせ、豆板醤と甜麺醤とで味を付けたもの。大好物。紹興酒やビールによく合います。バンコクでよく行く店があリます。

第二位 鶏肉のカシューナッツ炒め

これは世界中どこで食べてもほぼ美味しい中華料理ですね。カシューナッツという酒のつまみを鶏肉やピーマンなどの料理に入れてしまったアイディアは素晴らしいものがあります。

第三位 天津麺

かに玉を麺の上に乗せたしょうゆラーメン。日本発祥とのことですが、タイでもよく食べられています。麺の代わりにご飯を使った天津丼も大好きです。


へびのかわの三本指



第一位 叉焼飯

炙り焼きしたお肉を大きめにざく切りして、青菜にオイスターソースをちょろっとかけたのと一緒にほかほかご飯にのっけたシンプルなやつ。横浜中華街の皮付きカリカリ叉焼がいいなあ。

第二位 崎陽軒のシウマイ

焼売や饅頭(神戸の老詳記、皇蘭、一貫楼がおいしいよぅ)や小籠包(鼎泰豊系のお店のが安定のおいしさだけど冷凍食品にもいいのがあって嬉しい)みたいな小麦粉の皮プラス豚肉団子の食べ物が好きです。中でも焼売が好きなのですが、とりわけ崎陽軒のシウマイは味、食べ応え、お値段ともにちょうどいいです。

第三位 スープ類

コースに出てくるきちんとしたスープだけじゃなくて、ランチやテイクアウトのおまけのスープも好きです。とろみのあるスープにクタクタ野菜や豆腐、たまごがふわふわ浮いているのがいいですね。何の出汁なのかなーって考えながら味わうのが楽しいです。まあ味覇とか味の素かも...っていうのもあるけど好き。


石川浩司の三本指



第一位 酢豚

酸っぱくてちょっと甘いものが好きなのかも。中華料理屋の定食であると必ず頼んでしまう〜。カリカリに揚げた豚肉とシャキシャキの玉ねぎの相性も抜群。 

第二位 麻婆豆腐

これもたまらんね。延々ご飯と一緒に食べていたい。ご飯と合わさってより光る料理だと思う。麻婆茄子も好きだけど、やはり豆腐に軍配。

第三位 餃子

これもいくらでもいけちゃうねー。去年宮崎で食べた餃子は衝撃的だったなあ。あれ食べるためだけにまた宮﨑行きたい。冷凍餃子も最近は水も油も要らないので重宝してます!

第5回 人生の分岐点(2024/4/18更新)

(誰かとの出会い、音楽、本、学校、部活、趣味、就職、結婚、出産、病気、事故、知人の死亡など「これが違ってたらおそらく人生変わっていた」というもの何でも)

kobatakaの三本指




第一位 結婚からのマリッジブルー

お見合い結婚でしたが、もう俺なんかのところに嫁に来てくれるだけでもありがたい。今も幸せ。でも結婚当初は、カミさんのためにがんばるぞ!と、仕事を根詰めすぎたのと、環境の変化が相まってメンタル不調になってしまった。何しろ月100時間残業している中で、デート、プロポーズ、両親へのあいさつ、結納、式、新生活と、正直よく覚えていないくらいこれまた忙しかったから心がすごく弱ってしまった。結婚したことの幸せ感と勢いがあったから、心身の消耗に気づかなかったのかなあ。その後、カミさんの支えと理解があって回復したけど、人生万事塞翁が馬だなあ…ということも実感した。

第二位 就職

自分で稼いだお金でライブに行けるようになった転機。
就職氷河期でなんとか引っかかった職場。俺のようなダメ人間でも上司、同僚にめぐまれてなんとかなんとか社会人やれてしまうものだ。この春の新社会人の皆様にも「大丈夫、何とかなる!何とかならなくても周りが何とかしてくれる!不安は禁物!未来は明るい!」と伝えたい。

第三位 ネコを飼う

44歳にしてネコをもらって飼い始めた。その日から、かったるい日常が多幸感に満ちあふれ、家庭も円満に。まさに僕の人生はバラ色に変わったー!!って感じで、結婚したとき以上に転機だった。(kobataka)

たちつ亭と~助の三本指




第一位 2008年のしょぼたま瞬間的復活ライブ参戦

石川さん初めたまメンバーのみならず、当時存在したチャットバーで仲良くさせてもらっていた皆様と会うための、そして東京までの1人旅行を計画するきっかけとなったライブでした。それまでの僕は旅行に対し後ろ向きなところもあったのですが、このライブがきっかけとなり、すっかり旅好きとなったのでした。

第二位 大学入学

実は、通った大学は滑り止めの滑り止めみたいに思っていたところで、決して目的の場所ではありませんでした。結果的にそこしか合格できず、やむを得ずそこに入ったという感じです。そのため、入学直後は少し陰鬱としていました。が、結果的に未だ付き合いのある友人ができ、なんだかんだで一人暮らしを謳歌し、在学中の目的だった試験への合格も果たせたので、その学校に入学して良かったんだと思います。そこに入学してなければ、また全然違う人生を歩んでいたのかもしれません。

第三位 楽器を始めたこと

先のお題「一生手放したく無いCD」でも少し触れましたが、ギターとかウクレレを学生時代から弾き始めました。始めた理由は実に明快で、「モテたいから」となります。
今のところ劇的にモテた経験はありませんが、職場で演奏する機会はあったので、モテはしなくとも少しは人様のお役に立てたのかなあと思っています。

ラメール・ローラの三本指




1位 入院

親知らずの抜歯で入院しました。
そこで提供された病院食がきっかけで栄養士になろうと決意しました。(この辺ドキドキドキリコでまた詳しく書こうかなと)

2位 専門学校の入学

大学を卒業した私でしたが紆余曲折を経て栄養系の専門学校に入り直しました。
そこで食事や栄養に関する新たなことを知り、今後の食生活に役立つことができるようになりました。
そして現在では食に関する仕事をしております。

3位 友人との出会い

推し活のきっかけとか色々悩みましたが、これにしました。
なぜなら数少ない友人の出会いは嬉しいものだからです。
私は結構年取ってから専門学校に入学し、周りはかなり年下の子ばかりなので、まあ最悪友達できなくてもいいやと思い過ごしていましたが、ある日授業が終わりいつものように帰ろうとしたところ、後に友人となる女の子に話しかけられ会話が弾みました。
その会話の中で私の好きなアーティストのことを覚えていてくれた(自己紹介の授業の時にその辺のことを紹介した)のが嬉しくて、心の中でめちゃくちゃ感激し、そのままの勢いで自らLINE交換しようかと言い無事LINE交換することができました。
それからカラオケ、ご飯、隣県旅行と楽しく過ごしましたが実は自分が一方的に友人だと思い込んでるのではないかとずっと不安に抱えてました。
しかし、去年のスキーでふとしたきっかけで「友達だから~」と言ってるのを見てその不安は払拭されたと同時に涙が出そうになるほど嬉しかったです。
というわけでこれからも数少ないその友達を大切にしていきたいですね。

ズミ天の三本指




第1位 たまと出会ったこと

もうこれ以外考えられない
音楽に興味を持ったきっかけです

第2位 ギターを買った

バックパッカーをバイトして買った
以後メインギターとしてバリバリ酷使しております

第3位 たま周辺アーティストとの出会い

大谷夫妻などの共演者からはいつも刺激をいただいておりまーす!!

りんりんの三本指




第一位 2023年4月15日の石川さんのYahoo!ニュース(「たま」メンバーが「イカ天」に出る出ないで揉めた話)

以前「ドキドキドキリコ初体験」にも投稿しましたが、この石川さんの記事を読んで元「たま」の皆さんのライブに行くようになったので、ある意味人生最大の分岐点ですね。私の人生がライブを中心に回るようになったので。それまで人生で月に何回もライブに行くなんて事はあり得ませんでした。数えてみたら、この1年で60回以上ライブに行ったので月平均毎月5回はライブに通っていました。これは人生の分岐点第一位に挙げて良いのではないでしょうか。こうして毎日のように元「たま」の皆さん達の素晴らしい音楽に囲まれて暮らしています。幸せな人生だと思います。石川さんありがとうございます。

第二位 妻との出会い

これは同率一位にしても良いくらい、まあ人生最大級の分岐点ですね。私が25歳の時に立てた「俺は人生で絶対に結婚しない」という誓い(私が甲斐性なしであるが故に)を打ち破った女性なので。一緒に長距離旅行したり、一緒にマラソン大会に出たり、一緒に元「たま」の皆さんやパスカルズや原マスミさんのライブを観に行ったり、趣味が同じなのでハッピーだと思います。

第三位 運命の女性とのニアミス事件

これは全部書くと長くなるので詳細は省きますが、「王様の耳はロバの耳」の「話題120 赤い糸」に投稿した運命のオレンジ色の糸の彼女の事です。オレンジ色の彼女は、キャンパスイチの絶世の美女で、私とは同じ学部の同期で隣の学科の女のコでした。まず在学中に彼女がいるサークルに入ろうとして(これはオレンジ色の彼女目当てではなく、サークルの活動内容で入りたかった。うちの大学の超強豪サークル)、講義終わりに同じ学科の女のコ(オレンジ色の彼女と同じサークルで彼女の親友)に声をかける50センチ手前で私が同じ学科の悪友に他のサークルに連れ去られる事件が起こりニアミス(悪友に押し切られ、そのままそっちのサークルに入ってしまった。ハードなので掛け持ちが出来るようなサークルではなかった。だから学生時代にオレンジ色の彼女と会話した事はありません。存在は認知していました。キャンパスイチの絶世の美女でしたから)。
卒業後は不思議な縁でお世話になっている方の奥様のお兄様の所にそのオレンジ色の彼女が勤めている事が分かり、お世話になっている方の奥様が気を利かせて権力を行使して(双方、頭の上がらない相手なので、その権力を行使されたら私とオレンジ色の彼女は100%結婚していた)、私とオレンジ色の彼女の縁談を進めようとして縁談一歩手前まで行った(奥様がお兄様に話を通して縁談セッティングしさえすれば成立する状況ではあった。要は私が妻と結婚したために縁談まで行かなかった。同時進行の二股とかではなく、お世話になっている方の奥様が「同じ学部の同期の2人なんて素敵な縁じゃない」と個人的に気を利かせて独立して話を進めようとしていた。最終的に奥様が「オレンジ色の彼女との縁談は進めなくていいの?」と私に意思確認をしてきた。この件は、私ではなく完全に周りが盛り上がっていた)。
そして私と縁談寸前まで行ったそのキャンパスイチの絶世の美女は、なぜか今も独身です。これはお互いに人生の分岐点だったのかも知れません(彼女はあまりにも絶世の美女で、良いとこのお嬢さんでもあったので、とてもではないが私から個人的にアプローチする勇気はありませんでした。なので周りがこれは良縁だとして盛り上がって縁談を進めようとしたのです)。話を大幅に省略しているので分かりづらいと思いますが、経緯の流れはこんな感じです。
もし、あの時、オレンジ色の彼女がいるサークルに入っていたら。もし、私が妻と結婚まで行く前に奥様が速攻で縁談をセッティングしていたら(奥様がオレンジ色の彼女の存在を知ってから私が結婚するまでの間にタイムラグがあった)。色んな意味でニアミス過ぎる人生の分岐点でした。彼女も私に少なからず好意を持っていてくれたみたいで、会社関連のイベントで私が受け付けをしていた時に(私の所と彼女の所は姉妹会社みたいなもので、合同でお祭りイベントを開催していた)、他にも受け付けはたくさんあるのに、彼女はわざわざ私のところに来て、受け付けしてくれました。その時に初めて会話を交わしたように思います。
もしかしたらオレンジ色の彼女と結婚していた世界線もあったのでしょうか。ただ、その時は一緒に長距離旅行したり、一緒にマラソン大会に出たり、一緒に元「たま」の皆さんやパスカルズや原マスミさんのライブを観に行ったりという事はなかったと思います。これはオレンジ色の彼女と趣味が合わないという事ではなく、彼女が超絶インドア派の女性だからです。その時は今とはまた別の結婚ライフを送っていたかも知れません。ちなみに妻はオレンジ色の彼女の事は知っていて、一度だけ会った事もあります(会って話をした、ではなく至近距離で見かけた、が正確な表現でしょうか)。これはおそらく映画みたいに何回人生をやり直しても、この結果になった運命のようなものかも知れません。その意味で、運命の赤い糸は妻に繋がっており、オレンジ色の彼女の糸は赤色ではなかったという事なんだと思います。奇しくも今日は、お世話になっている方の奥様の誕生日なので、思い出して書いてみました。ちなみに奥様は、私と妻の結婚式にはちゃんと来てくれましたよ。

Sankakuの三本指




第1位 今の通い先との出会い

本当に人生を立て直していただきました。仕事における考え方、ゆったりとくつろげる場所の提供、年に1,2回の楽しい旅行。
全てが心の糧になり、心豊かな生き方の指南所だったと思います。本当に自信というものを取り戻せました。

第2位 たまとの出会い

私の人生の楽しみを世話していただきました。
CDだけでも楽しめるのに、さらにライブでは楽曲がグレードアップし、本当にトキメキの連続!!
その感激・感動を、ライブの後そのままメンバーに伝えられることも、本当に楽しかったです。
自分の足でライブ会場まで行き、感動そのまま家路につく。何とも言えない素晴らしい思い出です。

第3位 東京都青梅市との出会い

初めて、自分の住んでいる街とは違う、という感銘を受けた場所でした。
東京都でもこんなに自然の豊かな場所があるのか、と感銘を受ける方もいることでしょう。
自分の住んでいるところとは確実に違うところにいる、いう感銘は今でも続いているところです。

へびのかわの三本指




第一位 この世に生まれてきた

高度経済成長期後にしては珍しく母体のひどい栄養不足で、たぶん不育で流れる予想(すでにそれで亡くした第一子がいた)で、そうでなければ中絶が決まっていたそうです。しかし、時期を逸してしまい一か八かで、母子ともになんとか生き延びちゃったので結果ALL RIGHT YEAH!

第二位 「たま」に出会う

「壊れかけのRadio」のCDを買う先輩にくっついて入ったお店で同時期に発売されていた「さんだる」に出会い購入、自分の好きな物(音楽のみならず芸術全般)ってこういう世界なのだ!!と初めて具体的に認識することになりました。世界の解像度が格段に上がりました。そして「壊れかけのRadio」は後に意外な事に繋がっていたのです。

第三位 夫と出会うの三本指

母を友人宅に送っていったら、そこに届け物に来ていた甥という人に出会いました。おしゃべりで盛り上がってしまった母とその友人に取り残されて、しかたなく甥と世間話をすることにして「どんな音楽を聴いているの?」なんて流れになり、「たま」と答えると濃すぎるような気がするし、どうせ次会うこともないからてェんで「『壊れかけのRadio』とかかな・・・」とテキトーにかましたら、甥は「壊れかけのRadio」が主題歌になっているドラマのスタッフで、会話がそれなりに楽しく成り立ってしまったのでした。それでもそのときはかなり年上のおじさんに仕事辞めてついて行くという考えは皆無でしたが。なんだかんだあってその人の妻。自分を食べさせることだけはできる仕事に就いたからもう結婚はしなくていいやと、かなり強く思っていたので出会わなかったら、まだ地元でまじめに働いて、実家を改築して住んで、お一人様旅行とかしてたのかな。

しまけんの三本指




第一位 出産

産んだのは妻ですが、生まれたばかりの我が子を抱いた時の感動は忘れません。
話では何度も何度も聞いていたのに、やっぱり感動しました。自分の親のその親のそのまた親の、、、という繋がりを感じて今までに無い感情が芽生えました。

第二位 転校

人生で一度だけの経験でしたが、全てが変わったので、今思うと凄い変化だと思います。
住む家も、隣人も変わる。知り合いはゼロになる。新しい友達たちとは、お互いに、共有できない過去しかない。
まあすぐ馴染みましたけど、最初は「全員敵だ」くらいから始まりました。転校していなければ全く違う人生だったのは間違いありません。

第三位 1990年の巨人独走優勝

分岐点というか自分の嗜好に気づいた瞬間です。元々巨人ファンの原ファンで素直に応援していたのですが、この年の巨人がまあ強くて。そうしたらクラスメイトの中に巨人ファンがどんどん増えるんです。強いチームを応援する。強いから応援する。負けたら見放す。なんなんだこいつら。そんなんで楽しいのか。
それからずっと、この価値観は変わっていません。

オポムチャンの三本指




第一位 合唱をはじめたこと

大学に入るまで、すべてが親や他人の言うがままに生きてきた私が、生まれて初めて自分の意思でやってみようと思ったこと。これが無ければ今ほど歌が好きにならなかったし、妻との出逢いもなかったので。

第二位 結婚

こんな何の取り柄もないクネクネした陰気な変態が結婚できるなんて、親戚一同誰一人として想像していなかったようです。大学の合唱部で出逢った頃にはお互い別の相手がいたのですが、社会人になって仲間と合唱団を立ち上げた際に再会、この人のお陰でなんにもできない私は今生かされています。尊敬できる大切な人です。

第三位 「ひとりでアッハッハー」との邂逅

さらに言うと仕事帰りに立ち寄った本屋で「『たま』という船に乗っていた」との邂逅。ちらっと立ち読みして即購入、昔好きだった石川さんの面白い文章の中にこのHPの存在が示されており、覗いたらばそらもう愉快の極み、8年間の傍観者を経て2013年に投稿に参加するとあれよあれよとステージで石川さんの隣でギター弾いてハモったりパーカッションまで叩かせて頂いたり、憧れの石川さんとこんなに近い距離でお付き合い出来るなんて夢にも思いませんでした。また関わらなければ決して出逢えなかった大切な仲間もたくさん増えました。

ひももんの三本指




① 手術と二度の入院

一度目の入院・手術と退院後にも色々あって精神的にボロボロになり二回目の入院〔強制〕。それまでとその後で人生が大きく変わったのはこの時期で、周囲との人間関係も悲惨な状態になってしまいました。今も尾を引いていますが、凄く辛い経験でした。

② 中学1年生の時

中1の頃は自尊心を踏みにじられるバイオレンスな毎日でした。この頃のトラウマで元々臆病だったのが更に臆病になりました。


③ 初めての射精・エロとの出会い

①と②がネガティブな話だったので、③は音楽にどっぷりハマッた話にしようかと思いましたが、人生に影響を与えたのは、やっぱりエロが大きいですね。

中1の夏休みに初めてオナニーをしました。当時仲の良かったクラスメイトに教えてもらったのです。あと2、3年遅く教えてもらっていれば、もっとまともな人生を送ったかもしれません笑。私の人生はエロと共にあると言っていい位エロと女性の事ばっかり考えてる人生でした。皆さんどーもスミマセン。

波照間エロマンガ島の三本指




第一位 タイチェンマイ移住(現在はバンコク住み)

2008年3月15日。それまで15年間勤めた会社を退職した日。その1ヶ月後、タイのチェンマイに移住した。タイ語を学び、これからこの国にて生活しようと決意した瞬間である。45年間生きてきた中で「命懸けの跳躍」(by カール・マルクス)を初めて試みた刹那で、私の人生の一番のターニングポイントだった。
実はこの年2月、第1回目の「チェンマイ逃避組」にて、すでにチェンマイ移住のための準備は始めていた。語学学校やアパートを探し、タイ人警察官僚と結婚した親戚女性に頼みチェンマイの地勢もろもろを確認してもらった。そして、それから1年半ばかりチェンマイで学生生活を送った。
自分の後半生が始まったのはまさにこの時であったと言える。それから紆余曲折を経て16年余り。現在61歳。途中バンコクに引っ越したが、私はしつこくまだタイの国にて生きながらえている。

第二位 大学生時代、出会った師匠と友人たち

大学は一浪してT美術大学に進学した。ここで学んだ先生たちには本当に深い影響を受けた。このHPの「コテハン人名辞典」にも書いているが、現代美術の手ほどきを「もの派」の中心的作家の菅木志雄に受けたこと。「もの派」の可能性の中心を現代美術の「げ」の字も知らぬ全くの素人大学生にゼロから学ばせてくれたことは一生の宝物だった。
また入学のオリエンテーション時、学科長で美術評論家の東野芳明が語った、20世紀初頭のフランス&ニューヨーク・ダダの芸術家マルセル・デュシャンの造語で極薄超薄を意味する「アンフラマンス」という知覚概念法は、それ以来の自分の考え方の拠り所の一つとなっている。そして卒業時には自分は世界で一番へなちょこな「デュシャンピアン」かつ「もの派」の最後の成員であることを勝手に名乗ることを決めた。制作課題違反ばかり犯した4年間だったが、影響を受けた先生は李禹煥(実技)、奥野健男(文学)、萩原朔美(映像)、秋山邦晴(映画音楽評論)、中山公男(西洋美術史)、吉増剛造(詩人)・・・等々、枚挙にいとまが無い。皆私にとってのかけがえのない人生の師匠だった。
また、同時に学外ではTSUBAKIHOUSE(新宿のディスコティック)時代があり、そちらでできた友人とも大いに友情を育んだ。文化服装学院、武蔵野美術大学、女子美術大学、東京藝術大学などに友達ができてキャンパスに遊びに行ったのは良い思い出だ。

第三位 初めての同性愛。一生添い遂げたいと思ったニューハーフBさんとの出逢いと別れ、そしてCさんと・・・。

1990年代に入る頃から色々な活動を始めて、寝る間がないほどの忙しさを経験したが、そんなある時期に知り合ったニューハーフBさんと深い深い性愛の「トリコ仕掛けの明け暮れ」期は忘れられない。彼女とは死ぬほどsexをし、死ぬほど喧嘩をし、そしてふとしたきっかけで別離した。しかし、その後すぐに私は友人に誘われタイを頻繁に旅行するようになり、タイ人のニューハーフCと付き合い始めフェーン(恋人)になった。いわば私の現在があるのはCのおかげでもあるのだ。詳しくは書かないが、BとCによって自分の後半生のタイ生活の端緒が切られたと言っても過言ではない。(波照間エロマンガ島)

石川浩司の三本指



第一位 妻との出会い

自分は一生結婚しないタイプだと思ってた。自分のしたいこと以外は何もしたくないグータラだったから。妻以外だったらたぶん結婚してないし、その後の人生もおそらく本当にクズみたいなものだったかも。もちろんニヒル牛を作ることも無かったろうし。一番大きな自分の転換。

第二位 ゴミ捨て場で太鼓を拾った

「打楽器をやりたい」なんて発想が元々まったく無かった。高円寺のゴミ捨て場で太鼓を拾わなければ「ころばぬさきのつえ」そして「たま」、現在のパスカルズやその他の活動のほとんどは生まれなかった。ゴミを拾うような人間で良かった!

第三位 イカ天

まあ、これはね。音楽はやっていたとしてもそれで食えるなんて考えもしなかったのが、このおかげでこの歳までほぼ好きなことだけでやってこれてる。ラッキーだったなあ!

第4回 昔やっていたテレビで新作が出たら絶対見たい番組(2024/4/6)

(出演者や脚本家が既に亡くなっているなどの場合も、同じクオリティのものが出来ると想定)

DOの三本指



第一位 ジョージ・ポットマンの平成史

くだらないテーマをアカデミックに考えるとても面白い番組でした。童貞の社会的地位について歴史的に考察していく「童貞史」の回なんかは名作だと思っています。

第二位 ウンナンの気分は上々。

今思えば、「バカルディ→さまぁ~ず」「海砂利水魚→くりいむしちゅー」の改名もこの番組でした。

第三位 ウゴウゴルーガ

ナンセンスな番組で、何も考えずに見ていられました。無意味であることの意味を子どもながらに知れたような気がします。

kobatakaの三本指



第一位 8時だョ!全員集合

今回のお題ではこれがトップに来るんじゃないかしら?今のテレビでは同じことをや るのは無理だろうけど。コンプライアンス云々というよりは、公開生放送で大掛かり なセットを汲んでそれを壊してという物理的・技術的なこと。それにあわせてタレン ト5人が息を合わせて体を張って演技できる状況にもっていくのがまず難しい。収録 ならともかく生放送でですよ。

第二位 テレビ探偵団

毎回ゲストが印象に残ってる昔のテレビを紹介する。今回のお題のような番組。ただ ビデオを流すだけでなくて、三宅裕司さんの司会、こぶ平(現正蔵)さん、山瀬まみ さんと毎回のゲストのトークが楽しかった。wikipediaみるとレギュラー放送が終 わった後もたびたび特番をやってるけどそれも2001年で途絶えている。当時のレ ギュラーは皆さん元気で現役なんだし、TBSさんボチボチどうでしょうか?

第三位 あまちゃん

朝ドラの続編ってほとんどなくて単発のスピンオフドラマはよくやられていますが「あまちゃん」は無かったな。紅白内でのドラマがそれに代わるものだったんかな。のん演じる天野アキだけでなく、せっかく魅力的なキャラクターがドラマの中でたくさん生まれていて、そのキャラクターを活かして、キャラクターどうしの掛け合いで短くて面白いドラマを作り続けていくことできると思うんだよなあ‥‥すごく期待しているんですが…

しまけんの三本指



第一位 IQエンジン

深夜にやってたクイズ番組。友人とハマって問題を出し合ったり、自作の問題を考えたりしていました。
基本的に俳優さんには疎いのだけど、これに出てた筧さんは強烈に印象に残ったなあ。

第二位 ビートたけしの番組

うろ覚えだし幾つかの番組がごちゃ混ぜになってる気がするけど、生着替えからの熱湯コマーシャルとか、高田純次のすげー適当な街レポとかが無茶苦茶面白かった記憶あり。

第三位 ザ・ガマン

これもうろ覚えですが、相当ゲスな内容だった気が。断食中の挑戦者の前でご馳走を食べて、、、、みたいなシーンは覚えてます。

というわけで、このお題のおかげで、自分がテレビっ子じゃなかったことに気付かされましたー。

ラメール・ローラの三本指



1位 トリビアの泉

知って今後の人生で得する雑学や、得はしないが今後話のネタになりそうな雑学など様々な雑学を知ることのできる番組。
この番組でバナナについている黒い点の名称をシュガースポットというのを初めて知り、それと同時にシュガースポットが付いていると甘みが強くなり美味しく食べられるというのも初めて知ったので以後、バナナを食べる時はシュガースポットがついてるかどうか確認して食べるようになりました。
また、全ネタ視聴者投稿型で「へぇ」の数に応じてお金が貰えるのも子供心に魅力を感じました。 私もネタを沢山貯めたら応募して採用されたいという思いを持ってましたが、それより前に番組が終了したので願いが叶わず、未だに復活して欲しいという気持ちを持ち続けてます。

2位 33分探偵

KinKi Kidsの堂本剛が主演のミステリードラマ・・・・・という名のコメディドラマ。
事件が発生し、犯人はアッサリと分かってしまいそのまま事件終了と思いきや、主人公の探偵、鞍馬六郎が「この事件、終わらせて良いんですか?」と割って入り、「この簡単な事件、俺が33分もたせてやる!」と宣言して、そこから豊かな想像力で事件に関わっている人達を振り回すというカオスなストーリー展開に毎週笑いながら見てました。 新作が作られないのは分かりつつも、早く新作作って欲しいと未だに諦めきれないですね。

3位 VS嵐

アイドルグループ嵐がメインMCを務めるゲーム形式の番組。
ボールを積み上げられた缶に目掛けて蹴り、倒れた缶の数に応じてポイントが得られるゲームや、ロッククライミングをしながら壁についてあるボタンを押して得点を稼いでいくゲームなど様々な種類のゲームがあり、嵐チームVSゲストチームの戦いが毎週繰り広げられていきました。
もし新作が作られたら私の推しグループと戦って、かっこよくゲームに取り組む姿を見せたり嵐と絡んでめちゃくちゃに弄られたりして欲しいですね。

板垣ヨシユキの三本指



第一位 タモリ倶楽部

ひとり暮らしの金曜深夜にはコレ。東京トワイライトゾーンが好き。

第二位 木曜スペシャル UFO特集に引田天功、ムーみたいな番組。中野ブロードウェイみたい?(違うか)

第三位 世界まるごとHOWマッチ

「1万ペソ」 この単語、今でも通じるかしらん?

ズミ天の三本指



1位 ウゴウゴルーガ

ちびっこ向けバラエティ番組 最深CGを使った映像が魅力
ちょっと前まで「じゃじゃじゃじゃーん!」はやってたけどね
勿論 ノンタンといっしょもリバイバルで放送よろしく

2位 クイズ☆タレント名鑑

水曜日のダウンタウンのプロデューサーが作った番組
検索ワード連想クイズは今でも腹抱えて笑える
正解は1年後もおもしろいけど やっぱり毎週やってほしいこの番組を選びます

3位 平成初期に粗製濫造されたエロドラマ

青年誌なんかに連載してた漫画が色んな局でドラマ化されてました
  生で一度みてみたいっ!

よこよこの三本指



第一位 8時だよ全員集合

生放送で大規模、予定調和があまりなく、悪ふざけするカトケンやその対応に困り果てるチョーさんは特に楽しかったです。

第二位 電波少年

良い意味でも悪い意味でも参加する芸人の人生や人格が狂うほどパンチ力のある番組。
少年の冒険心をくすぐり、かつ売れない芸人がたちまち大人気芸人になるシンデレラストーリーも非常に楽しかったです。
こちらはもう少しやらせがあっても許せるくらいかと思います。

第三位 イカ天

ダイレクトでは見ていなかったので、えびす温泉と迷いましたが…。
知られてない人が一晩で有名人に。たまやBEGINが出ていたのもすごいです。
今で言うM-1のはしりかと思います。
自分には予定調和がないものが好みのようです。

寿甘の三本指



第一位「人間椅子倶楽部」

青森朝日放送でやっていた深夜番組。推し達がダラダラ喋ってる‼たまに演奏もする‼生まれる前の番組ですが、絶対観たいです。たぶん今なら見逃し配信とかもあるから、青森県に住んでなくても平気。とにかく低予算ということがはっきりとわかる、ゆる〜い空気の番組でした。もう一度放送してくれたらと願っています。

第二位「ガキの使いやあらへんで」

私の家庭では紅白よりも年末という感じが強かったので。しかし、松本さんのスキャンダルで復活は難しいかもしれませんね。

第三位「でんじろうのthe実験」

でんじろう先生がぶっ飛んでいて、面白かったです。番組内でどなたかが負傷して打ち切りになったとききましたが、それも「まあ、そうだよなあ」と納得できるような危険な実験を数多く行っている番組でした。   

オポムチャンの三本指



第一位 ダウンタウンのごっつええ感じ

これは石川さんと同じく一番笑った番組。テレヴィ嫌いの嫌いの私も夢中になって観た珍しい番組でした。松本さん扮する怪しいおっさん/おばはんが最高に面白かった。あと板尾さんのシュールな笑いもツボでした。

第二位 水曜どうでしょう

大泉さんとヒゲのディレクターの罵り合いがひたすら面白い。傍らで無茶なこともひたすら完遂させる鈴井社長、黙々と役目を貫徹するカメラ役の嬉野ディレクターも何気にいい味出していてまた良いです。

第三位 シャキーン!

Eテレの朝の番組にしてはやたらと攻めた内容の子供向け放送。なんと朝っぱらからホルモン鉄道の2人の腹太鼓を全国に流したという伝説のNHK番組。センスがぶっ飛んでて大好きでした。

テングザルの三本指



第一位 三宅裕司のいかすバンド天国(通称:イカ天)

1989年~1990年、バンド「たま」を筆頭に多くの人気バンドを輩出した伝説の音楽番組。
令和の現在に復活し、再び面白いバンドの発掘に貢献してほしい。一番のオススメはバンド「ゼーゼーハーハー」だいっ!

第二位 8時だョ!全員集合(通称:全員集合)

1969年~1985年、コントと音楽のステージで構成された伝説の公開バラエティ番組。
もちろんザ・ドリフターズでの再スタートは不可能ですけど、あの会場と一体化した異様な盛り上がりをもう一度見てみたい!

第三位 ギルガメッシュないと(通称:ギルガメ)

1991年~1998年、お色気の要素が突出した(男性視聴者にとって)伝説の情報番組。
現在のコンプライアンス的には難しいでしょうけど、男女問わずエロい目線で楽しめる番組があったっていいじゃ、なななないっ!

たちつ亭と~助の三本指



第一位 8時だョ!全員集合

出演者を誰にするか、昨今のコンプライアンスをどう乗り越えるかなどなど、復活までは問題が山積しそうですが、生放送であれだけ大掛かりなドタバタコントを再びやってくれるなら、是非とも観てみたいです。
過去の作品を後から観ても面白いですが、リアルタイムだとさらに面白かったんだろうなと思うと、当時生まれてなかったことを悔やむばかりです。

第二位 小林賢太郎テレビ

演出家やパフォーマーとして活動する小林賢太郎という方が、脚本や演出や小道具の作成を務め1時間のコント番組に仕上げる。そんな番組をNHKでやっていた時期がありました。年にいっぺんくらいだったと思います。
現在、小林氏は表立った活動からは引退しているため、ご本人の出演は難しいでしょうが、彼の関係者が出演するコント番組として復活するだけでも嬉しいですね。

第三位 THE夜もヒッパレ

当時の流行歌を名うての歌手達が歌う、今にして思うとなかなか贅沢な番組でした。例えば、Mr.Childrenを歌うデュークエイセス、スピッツを歌う尾崎紀世彦、GLAYを歌う柳ジョージなどなど。
一度特番の企画として復活したことはありますが、一番組として放送されるならちょっと見てみたいです。

ひももんの三本指



① 8時だョ!全員集合

真っ先に思い浮かんだのは、ありがちですがドリフです。ドリフの番組は、後続の芸人のコント作りだけに留まらず様々な分野の人たちに大きな影響を与えた歴史に残る番組だったと思います。
私が子どもの頃は親が夜家にいないことが多く、姉と二人でテレビを見ていました。土曜の夜はスーパー戦隊ものや日本昔ばなしなどのあと、シメは全員集合を見てケタケタ笑ってから寝ていましたね。
私が見ていたのは志村けんがすでに人気者になっていた時代のドリフですが、色んなコーナーがあり5人のキャラがしっかり立っていて凄く楽しかったです。もうその5人のうち3人が亡くなってしまいましたが、またあの5人のコントなどを見て理屈抜きで笑いたいです。

② 夢で逢えたら

土曜の夜に家族で『ねるとん紅鯨団』を見て、その後に『夢で逢えたら』を見るのが楽しみでした。そして月曜に学校で友達とその話をしていました。
当時は特にダウンタウン松ちゃんの言う事が凄く面白くて、ある回で松ちゃんが「食べる前に、飲む!」とCMのセリフを言ったのがツボにはまり姉と大爆笑をしていたら、父に「何が面白いんや?」と冷ややかな目で見られました笑。
私はウッチャンナンチャンが好きだったので、この豪華な組み合わせでまた面白い番組を見られたらな~と思いますが、当時だからこそ面白かったのかも...今この二組が一緒に番組をやってもあまり楽しめないような気がします。

③ 太川陽介&蛭子能収が出演する『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』

父が蛭子さんと同郷〔同じ高校の同学年〕という事で親近感があるらしく、当時この番組をよく見ていて私も見るようになりました。今でもBSなどで再放送していますが、やっぱりまた見てしまいますね。
蛭子さんの飾らないある意味自己中な性格と、太川さんのリーダーとしてバス旅を成功させなくちゃというピリピリ感とが好対照で〔お二人とも人柄に好感が持てます〕、そこにマドンナ役の女性が良いアクセントとなり、いつまでも見ていたいと思わせる番組です。
テレビで見た最近の蛭子さんは、認知症がかなり進行していて凄く淋しい気持ちになりました。蛭子さんの漫画はあまり詳しくありませんが、タレント・俳優としても味のあるたくさんの人から愛されるキャラだったと思います。

波照間エロマンガ島の三本指



第一位 人工衛星クイズ

1984年3月22日と29日、日本テレビで2週間のみ「木曜スペシャル」の枠で放送されたクイズ番組。日本のスタジオで早押しクイズを勝ち上がった解答者が、決勝問題として人工衛星を使い、海外のポイントを指定時間内にお宝を見つけ出すという、ダイナミックなフォーマットを持ったクイズ番組。
司会が児玉清で、ヘリコプターに乗り解答者と協力してお宝を探しに行くチャレンジャーが当時26歳の山下真司。製作陣は「ウルトラクイズ」のスタッフが全面的に関わっていて非常にお金がかかっていることが窺いしれた。
それとここが決定的なポイントだと思うが、当時のクイズ番組で優秀な成績をおさめ、「ベシャリ」も結構こなすことのできる素人を解答者に起用し、司会の児玉清や山下真司との意思の疎通がうまくでき、視聴者が感情移入できるように解答者を選んだことが挙げられると思う。それは「アメリカ横断ウルトラクイズ」で番組スタッフが自家薬量中のものにしたテクニックがあるとも確信する。

第1回目のアフリカのチュニジア編、第2回目のスイスのアルプス・レマン湖編ともに、抜群の面白さを体感した。
この番組をまた観てみたい。でもこの放送が成立するには難しい条件がいくつもあることが想像される。

(1)制作費用の高騰について。1984年ではこの番組が制作できたかもしれないが、2024年の現在においては果たして成立するのだろうか。
(2)世界の政治情勢に依存した状況下での番組制作。現在の世界は非常に危うい政治バランスがあると言うこと。しかも、開発途上国にて地図情報を開示してテレビ番組を制作するには相当な困難が予想される。

第二位 完全走破!上野~札幌寝台特急北斗星の旅

1988年9月20日深夜、フジテレビで放送された、寝台特急北斗星の運転台から全線前面展望でビデオ撮影し早回しで再生した番組。音声多重放送のBGMとして主音声では洋楽ロック曲を、副音声では歌謡曲をかけまくる番組であった。この番組を偶然視聴した。最近は同趣のフォーマットの番組はYouTubeではいくらでも存在するが、1988年時点では本当に画期的だったことを読者の皆さんはわかってもらえるだろうか。特に印象に残っているのは青函トンネルを超え、北海道に入ってしばらくすると薄暗闇からだんだん夜が明けてくる模様が映像に定着されていたこと。これはなんとも言えない感動を受けた。

現在だったら当然国内唯一の寝台特急の「サンライズ出雲・瀬戸」で同様の番組を制作することはできると思うが、インターネットでやり尽くされたコンテンツなので、新鮮味はあまり感じられないであろう。

第三位 ツービート 笑ってごまかせ

1981年4月から9月までTBSテレビで毎週日曜日14時30分から15時まで放送。
今日に至るまでビートたけしの最高傑作と信じて疑わないバラエティ番組。
とにかく全てのフリートーク、全てのボケ、全てのギャグが高速でジャストミートして笑いに昇華していた。視聴者はたけしを見て「笑うぞ」と待ち構えていたような空気感が溢れていた。つまりここがピーク。個人的な見解だがこれ以降たけしは勢いを落としていく。それくらいこの番組でのたけしは凄かった。
私の記憶ではこの番組にゲスト出演した大島渚がたけしを「戦場のメリークリスマス」でのハラ軍曹役をオファーしたと思っている。
死ぬ前にもう一度観たいなー。(波照間エロマンガ島)

石川浩司の三本指



第一位 進め!電波少年

特に猿岩石のヒッチハイクの旅は毎週夢中になって見た。他の旅ものシリーズも良かったなあ。まあ今ではコンプライアンス的に難しいものも多いかもしれないけど、それは考えないものとして。なかなか見られない海外の日常が見られるのが面白かったな。まあ、命に関わることでの多少のヤラセは目をつぶりましょう。


第二位 ゲバゲバ90分

今のTiktokの先駆けとも言えるショートコントを延々繋げる番組。アニメとのコラボなど当時としては最先端なセンスのあることをやっていたのでは。意外な大物俳優・女優がくだらないことをするのも、より愉快だったなあ。


第三位 ダウンタウンのごっつええ感じ

クレイジーキャッツ、ドリフターズ、オレたちひょうきん族などなど歴代のお笑い番組はいろいろ楽しませてもらったが、その視点の面白さや多様性などで群を抜いていたのがこの番組。昨今の松本問題と関係なく、お笑い番組としてこれ以上笑った番組はない。




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