中央線すごろく旅行(フロムA)



 さて、今回の舞台は、俺もなにかと縁の深い中央線だ。新宿でサイコロを振ると、2。快速なので、高円寺。いきなり、馴染み深い町だ。なにせ、俺は20代の8年間、この町で暮らしたからな。

 当時の俺のアパート、風呂無しトイレ共同の2万の部屋には、鍵がなかった。誰でも24時間出入り自由の、メチャクチャなたまり場だった。バイトから帰って来ると、知らない奴が寝てて
「あのー。誰?」
 と聞くと、
「あぁ、××君に、ここだったら自由に寝てていいって。地方から旅してきたもんなんすけど」
 なんてこともざらにあった。四畳半ひと間に、常に5,6人の友達がそれぞれ好き勝手に酒飲んだり、屁こきながら漫画読んでたり、麻雀してたりしていた。そんな中から自然発生したのが、「たま」なのだから、人生、どうやってもなんとかなるものだな。

 ともかく、確かにあれから10年経ってしまったので変わっている所も多いが、まだまだ俺の庭のようなものだ。クジ。

『「牛乳宴会」をやる。ツマミも乳製品で、ひとり1リットルはあけて、背を伸ばす。芸能人の噂話しをする』

 この町の「観光」もかねて、町の名の由来にもなっている、その名も高円寺に向かう。途中、俺が今の妻と始めて入った「ホテルZOO」の横を通ったりと、オホホホと青春を回顧しながら、到着。高円寺に長く住んでいても、実はちゃんと中まで入るのは初めて。しかし惜しくも寺は綺麗に整備されていて、宴会を開けるような雰囲気ではない。

 しかたなく、近くの「高円寺中央公園」へ。残念ながら椅子はすべて昼間自由睡眠生活者達によって占拠されていたので、植木の石段に腰掛けて、
「中谷○○って、レ○なの?」
 とか他愛もない話しをながら、東急ストアで買って来た牛乳を飲み比べてみる。「那須牛乳」「小岩井農場牛乳」「北海道牛乳」「霧降高原牛乳」「岩手奥中山牛乳」2種。
 結果、「量を飲むなら」北海道牛乳。うまいのとまずいのは、なんといづれも岩手奥中山牛乳で、おいしいのは「岩手奥中山高原牛乳」、「クッサー!」と不評だったのが「奥中山高原低音殺菌牛乳」だった。
 ツマミはチーズやヨーグルトなどで、全員で乳臭く、残念ながらはっきりと背がニョキニョキ伸びていく者はいなかったが、赤ん坊の匂いをプンプンさせた。

 しかし、この一見ほのぼのとしたクジが、これからの旅を大きく左右するトンデモナイ事態を巻き起こすとは、この時は想像だにしていなかったのだが・・・。

(総括) 青春の 日々ふり帰りつ 飲む牛乳 1リットルは 事件の予兆

 高円寺からの出目は5。三鷹だ。クジ、

「味わいのある店をみつけ、そこの主人と一緒に写真を撮る」

 中央線沿線は、割と古い商店街が残っていたりもするのだが、ここ三鷹は残念ながら再開発がされていて、あまり駅前を見渡しても、古そうな店は少ない。それでも路地へ、路地へとまぎれ込んで行くすごろく隊。

 しかし、実は俺は途中から、くじどころではなくなっていた。そう、前回の高円寺でのクジ「ひとり牛乳1リットル宴会」の効果が、体に徐々に現れ始めていたのだ。最初は「うんっ!?」という感じだったのだが、そのうち「うんっ!? ちっ!」という感じになり、町を彷徨いながらもさり気なく冷や汗が出て来た。そして思った。
「今は、オナラをしては絶対にいけない。何故なら、それは、オナラだけでは決して終わらない、すざまじいドラマの序曲になるからだ・・・」
 そして、
「もう味のあるボロ家を探している場合じゃないよ~」
 と思った頃、ちょうど市役所の派出所のような公共施設があらわれた。
「よしっ。ここで古い町並みが残っているか聞くふりをして、便所を借りよう!」
 そう決心して、慎重に一歩一歩重大事にならないように便所に向かっていった、と、その時だ。足早に俺を追い抜く男がいる。上野君だ! しっ、しまった。先に個室に入られた。しかもここの男子便所には、個室はひとつしかない。やられた! そうか、彼もまた涼しい顔をしていたが、相当せっぱつまっていたのか・・・。便所の前で、係りの人に
「このあたりで古い商店街とか残っていないですかねぇ」
 などと聞きながら、実は話しは上の空で、足を皆にばれないようにもぞもぞ組みかえたりの苦悶。と、やっと上野君が出て来た。俺は心の中で「バトンタッチ!」と言って個室へ。そして間髪おかず、遂行。ふーっ、とひと息ついて、ふと便器を見てみると・・・
「アギャーーー!!」
 なんと牛乳の威力は、ブツの発射を、まるでロケット砲にでもしてしまったかのようだ。そう、別に特にその和式便器後方に座ったわけでもないのに、そのブツは完全にはみ出し、便器の後ろに見事なインドカレーを製造していた。しかも皿の上にでも置いたかのようにきれいにまん丸な形で。
「や、やばい!」
 俺はあわててペーパーを何mもカラカラと使って、その水気の多いインドカレーを始末したのだった・・・。クジの事は次週に持ち越し。とにかく、読者に俺は一言だけ言おう。
「牛乳力を、甘くみるな!!」

(総括) 下痢という 言葉じゃ甘い 噴射力 牛乳様の なせる技かな

さて、前回は「牛乳パワーで緊急事態」で、クジ話ができなかった。三鷹での
「味わいのある店をみつけ、そこの主人と一緒に写真を撮る」を報告じゃー。

 そのクジの前に、俺が長年疑問に思っていたことを伝えよう。実は今年の6月、俺は西荻に店を一件オープンさせた。「ニヒル牛」という店で、一応『アートギャラリー雑貨店』ということになっている。どういう店かというと、店内に木で作った小さな箱が沢山あって、その箱をひと月単位で貸し、その箱の中には、自主製作の物(オブジェ、ポストカード、CDその他)なら無審査でなんでも置いて売っていい、という混沌の形態の店だ。で、店はおかげ様でそこそこ繁盛しているのだが、それでも家賃と店員の日当を払ったら、ほぼ、トントンだ。
 しかるに世の中には、開店しているものの客が入っているのを見たこともないような店が結構ゴロゴロしている。そういうお店は一体、どーやってやっていってるのだろうか、というのが俺のおーいなる疑問だ。だけれどもそんな冴えない店が何故か俺のココロをくすぐるのよねーっ。ワビサビなのよねーっ。ということでそんな「味わい=ボロい店」を探すクジだ。

 しかし先週も書いたが、三鷹は再開発が進んでしまって意外と古い物件が少ない。でもなんとか南口の「ごきゅう書店」という何故か雑誌しか売ってない本屋の近くの路地を入り、ちょうどお昼時だったので「丸華」という味わい深そうなラーメン屋に入ってみた。のれんがへたな手書きなのも、ちょいといい。常連らしいおっさんがひとりラーメンをすすっている。そのラーメンも400円と、値段も手頃。と、メニューの中に「ハム焼き」500円というのがあり、マニが目をランランと輝かせ、
「あたし、これ!」
 と頼む。と、店のおばさんは、
「それっ!? つまんないわよーっ」
 と店主にあるまじきお言葉。それでも強引に頼むと、出て来たのは薄いハムが何切れか焼いてあり、横に申し訳程度にキャベツが添えてあるだけの、本当につまらない物でした~。
 でもここは創業42年で、真ん前にある「ベル荘」というアパートが、太宰治が住んでいた所だったり、心中した彼女が何軒か先の将棋屋の2階に住んでいた事なども教えてくれた。一緒に写真に写ってもらいたい、と申し出るとOKしてくれたが、なんで撮るのと聞かれたので、答えた。
「実は僕達、旅してるんです」
「どこから?」
「新宿です」
「そんなのなしよ!」
・・・ごもっともです。

(総括) ラーメンは 400円と 安いけど 味噌ラーメンは 何故700円?

 三鷹から5が出て、西国分寺。クジ、

「この町の俳句・短歌・川柳のいづれかを詠む」

 さぁ、すごろく隊の文学的センスや如何に!? と、駅前に出てみるが、わずかな商店街と、あとは団地が延々立ち並ぶだけの、ちょいと句は詠みづらそうな町だが、小粋に詠んでもらいまひょっ。町をひとまわりしてきて、さて発表会。まずは相馬さん。
『もう駄目です もうわかりません ギブアップ』
 って、はなっから放棄かいっ! 続いて上野君。
『ぼんやりと 眼がかしいでいく 住宅街』
 そうだよな、なあんか眠くなっていくような刺激のない町なんだよな。アンズさん。
『木の実でも 取ったらそれは 泥棒だ 聞いていますか マニ大先生』
 そういやー、マニはなんか人の家の庭からぶら下がってる木の実を「かっわいいーっ」とか言って平気でバリバリむしり取っていたからな。そしてそのマニ。
『派手なセーターを着て・・・』
 ちょっと待ったあ! 俳句か短歌なんだから5・7・5かもしくは5・7・5・7・7なんだよっ! 誰も小説を書け、なんて言ってないぞ!
「そっか。全然知らなかったよ!」
 って、おめー学生時代そうとうアホだったのがバレバレだな。しばらくして「出来たっ! えーと」
『青年の トサカ頭に 大笑い 西国あたりの 流行り哉』
 どーやらトサカ頭の青年が歩いていたので、「これは句になるっ!」と思ってジィィィッと見ていたら、目がバッチリあってちょっとヤバかったらしい。句を詠もうとして、ブン殴られるなよ。そして俺は三句詠んだ。
『Tシャツを 干する団地の 数あれど パンティだけは 部屋の中也』
 そーなんだよー、下着はやっぱりみんな外に干さないんだよなー。日光を浴びせた方がパンティも喜ぶぞー。
『国分寺 四中指定の いずみシューズ 上履きならば ここにおまかせ』
 ちなみに、いずみシューズではジャージも取り扱っている。四中御用達だな。
『萬来軒 古びたサンプル オムライス ケチャップの色は うんこ色也』
 もしも本物がサンプルと同じ色で出て来たら、はっきりいって、ダッシュで逃げるな。さて、みんなに最も絶賛されたのは、原さんの作品。
「十年前 燃えたファミコン ですけれど 今となっては 燃えないゴミ」
 これは、途中のゴミ捨て場に、ファミコン(しかも懐かしいディスクシステム付き!)が捨てられていたことを詠んだ句。「燃えた」と「燃えない」を対比させている。うまい! ザブトン3枚、食べて下さい。

(総括) このクジを 作った真意を バラすなら 人の句並べて エッセー完成

 西国分寺からの出目は6。がんがん進んで、西八王子。ここは昔、デビュー前にインディーズの「ナゴム」というところから初めて出したアルバム(まだアナログレコードだった!)のジャケットやプロモーション用の写真を撮った所だ。懐かしいな。さて、クジは、

「言葉の最後に必ず『ガンス』をつける。そして変わった甘味を見つけて食べる」だ。

 ちなみにこの「甘味」の部分は、この旅行に必ず参加している我がたま企画室のおとぼけ事務員・マニが、
「石川さん、クジを作る時には、必ずひとつは『甘い物を食べる』というのを入れといてよね。どーせ必要経費としてフロム・エーが出してくれるんだから、甘い物食べなきゃ、損、損!」
 って、おめーは、せこすぎるんだよ! と言ってそのままその言葉を真に受けてクジに書いてしまう俺もまた、甘味好きで、
「生クリームのお風呂に入りたいわ、イチゴもまぶしてね。おーっほほほほ!」
 ってな、スイートマンだけどな。ってなことで「甘味を見つける旅に出発でガンスーッ」と、町を歩き回り始めた時、マニの携帯が鳴った。事務員はマニしかいないので、事務所の電話をマニの携帯に転送になっているのでガンス。どんな重要な仕事の依頼かもしれないでガンス。だが、俺は例えそれが自分の仕事をひとつ減らす事になっても、クジの重要さをマニに伝える為に、電話を受けているマニの横で悪魔の囁きをしたでガンス。
「ちゃんと、言葉の最後には、ガンスをつけるでガンスよ!」
 マニは真剣に電話で話していたが、最後にまじめな声で相手に伝えていた。
「それでは、よろしくお願い致します。で、ガンス!」
 相手は「へっ!?」と思ったろうな。さて、甘味だが、さほど大きい町でもないので、これといった変わった甘味が見つからないでガンス。と、なんと偶然にもこの町に住んでいるマニが、声をあげたでガンス。
「あたし、この先にクレープ屋を知っているでガンス。もしかしたら、こっちが頼めばオリジナルのクレープを作ってくれるかもしれないでガンスから、生の鯖とか買っていって『鯖クレープ』とか作ってもらうのはどうでガンスか? 変わった甘味でガンスよ!」
 って、確かに変わっているけど、いくらなんでも「鯖クレープ」はちょっとでガンスーッ! と思って取りあえず店の前まで行ってみると「定休日」の札が。「あぁーっ」といいながら、道路に本当にへたりこむマニ。
「おめーは、小学生でガンスかーっ!」

(総括) 結局は カフェオレ大福 とろろ万頭 などでお茶を 濁したガンス 

 西八王子からの出目は6。なんと、今回の旅行では最初に2が出ただけで、5、5、6、6、とウガーッと超特急で進んでいる。これもすごろくの運命の為せる業だな。あっという間に東京を越え、神奈川もバイバイして、山梨県の梁川という山の中の無人駅にウヒャアと降り立った。ぼちぼち暗くなりかけているので、ここが今回のゴール地点だ。クジをひく。

「全員でマスクと眼帯をして、町の人達に『このあたりで、ゲルマニウムラジオを売っている場所を知りませんか?』と聞いてまわる」

 という、なかなかホラーのニオイの怪しい江戸川乱歩調無気味クジだったが、残念、駅近くには雑貨屋が一軒しかなく、とてもマスクや眼帯は売っていそうもない。というかそれよりなにより、「町の人」自体がほとんどいないんじゃーっ。ということでしょうがないので、クジを引き直す。

「平べったい石を拾って『すごろく旅行記念』の石碑を作り、町のどこかに建立する」

 今日の最後の記念には、ピッタリのクジだ。駅近くに川が流れているようなので、川に降りる道をマジックインキを買いがてら雑貨屋のおばさんに聞くと
「下の集落の、ピラミッドの横の道を行きなされ」
 と言う。
「ピラミッド!?」
 と思ったが行ってみると確かに何かのちょいと怪し気な「瞑想センター」のピラミッドが、山間の集落にそぐわない感じで光っていて、ちょっと無気味だった。それはともかく籠を背負った純農村のおばさんにさらに道を聞き、獣道みたいな寂しい細道を草をかき分けかき分け川に向かった。途中で夕方の犬にワオーンと吠えられながら、ようやく河原にたどり着くと、大きな平べったい石を見つけ、マジックでそれぞれの名前と似顔絵を書く。
 山の夕方はあっという間で、帰り道はすでに夜の気配。風もヒュウヒュウ冷たい。ほとんど足元しか見えない細道を大きな石を、うんとこどっこいしょと持って戻り、駅近くの「梁川駅前」というバス停の横に建立することにする。

 ちなみにこのバス停は、世の中に数あるバス停の中でも最も寂しいバス停だ。なにしろ、ちゃんと時刻表の罫線が書いてあるのだが、平日は大月行きが朝の9時33分にたった一本あるだけ。休日にいたっては、カタカナででっかく「ナシ」と書かれていたのが、寂しさをいっそうつのらせている。ということで、もしも何かの縁でこの駅に降りる事のある人(いるのか!?)は、すごろく隊の記念石碑を是非見つけてくんろーっ。

(総括) 金曜日 もしもバスに 遅れたら 次に来るのは 月曜日也




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