は~い、たまの石川です。この春、たまはネパールで3カ所4公演のツアーを行ったので、その報告で~す。たまの海外公演はこれが3度目。95年のニューヨーク公演は「たまライブ・イン・ニューヨーク」というCDになっており、パリ公演は96年、地元のノンヌ・トロッポという男3人が尼僧の格好をしたアイロニカルなバンドとのジョイントで、観客総立ちとなり、なかなかの反応。そして今年ネパールで公演が決定。これは昨年、地元で毎年コンサートを企画・主催している「ナマステバンド」という人達が俺達の公演を見に来てくれ、気に入ってもらえたところから話がトントン拍子に決まっていったのだ。ということで3月頭、僕等はネパールに降り立った。今回は、その3カ所の中で最も濃かった「ジャパ」という町でのライブの事を書くぞ。
そもそも首都カトマンズとリゾート地ポカラでのみの公演予定だったのが、「地球の歩き方・ネパール」を見ても町の説明はおろか、地図に地名すらぜーんぜん載っていないジャパという町でやる事になったのは、「せっかく日本からミュージッシャンが来るなら、ぜひ我が町でもやってもらいたい!」という地元出身の農林大臣の一言からだという。ま、政治力ちゅうことだね。でも俺達もそんな辺境の地でやるのも面白そうだとふたつ返事で引き受ける。カトマンズから小型飛行機で約1時間。飛行機は何もない牧草地帯のようなところに不時着のように降ちていく。一応空港の掘っ建て小屋みたいなのはあるが、荷物もただの草むらに「ほらよっ!」ってな感じで投げ出されるような空港。しかも迎えは来ない。空港の前には、タクシーはおろか、リクシャすらいないただの草むら。「もしかしたら、飛行機乗り間違えたんじゃ? ここは一体どこなんだー!!」と広大な牧場に雄叫びをあげようとした頃、やっと迎えのジープが登場。舗装されていないガタボコ道を約30分、埃まみれになってようやくジャパという町へ。ネパールといってもこの辺はインド国境で、本当にコブラ使いとかが町に出ていた。「この町一番のホテルを予約してあるから」と言われたが、部屋には洗面台すらついておらんのじゃー!! しかも夜には怖ろしいマラリア蚊が大挙して飛び交っている。ただ拍手をすれば、手の中にいっぱい蚊の死骸、という凄まじい光景。
さて、次の日はライブの前に表彰式。どうやら、「こんな辺境の地まで日本人が演奏しに来てくれた」というだけで表彰されるようだ。音楽性とかは何も関係がない。地元出身のオリンピック選手や、一台のリキシャで7人の子供を育て上げた未亡人などとともに、真っ黒な群衆の前で立派な楯をうやうやしくもらっていると「俺の人生、どっからこんな風になっちまったんだ?」という感慨にふけった。
ライブステージは、竹の上に厚手のベニヤを貼ったような野外ステージ。なので床はベッコベコ。俺がちょっと元気に踊り叩くと、トランポリン状のステージでは、楽器もマイクスタンドも波打ち、あっちにいったりこっちにきたりで、もう笑うしかない。そして俺は「よしっ、ひとつジョークでネパール人たちのハートを鷲掴みにしたるかっ!!」と思い「ダンニャバード(ありがとう)」という言葉を使い「ダンニャ、ダンニャ、ダンニャバード!」と言って「バード」のところでバッサバッサ鳥のまねをしてみた。95%ぐらいの人にはポカンとされたが、5%ぐらいの人は笑ってくれたので良し。
ライブが終わり、町に出ると30分遅れぐらいで、もうステージの様子がテレビ中継されていた。おかげで、「テレビに映っている奴が何故ここにっ!?」と目をまん丸くされたり、「たまバンドの人じゃないか! うちで茶でも飲んでけ!」とチャイをごちそうになったりと、愉快な日々を送った。ちなみに、最新アルバム「東京フルーツ」を自らダビングした海賊版テープをステージから「ほおりゃっ!」とばらまいてきたので、今でもあの町のどこかの音質の悪いカセットデッキから、俺達の歌が、歌詞の意味もわからず流されていることだろう。そう考えると、ちょっと馬鹿馬鹿しくて愉快な気持ちになるなー。
(クイック・ジャパン)