話題84 新興宗教
こんにちは。常々疑問なのですが、オウム真理教や、統一教会、エホバなどの新興宗教には、何故かインテリな人が多い気がします。彼らは何故考える力が人よりあると思うのに、新興宗教に走ってしまうのでしょうか。誰か教えて下さい。 03/4/21(とんび)
***レス(発言は古い順に並んでます)***
俺は典型的な無宗教なのだけど、結局、インテリ=まじめで勉強熱心な人ほど、人を疑ったりすることを逆に学んでなくて、簡単に洗脳されてしまうのかなー。もっとも凡人では理解出来ない立派な教義があるんだろーけど、その結果は少なくとも現段階では、社会を乱しているだけだもんね~。どーなんでしょう? 03/4/21(石川浩司)
宗教は他人に危害を加えたり不快感を与えたりしなければいいと思うのですが、親が信仰しているために、子供が学校でこの歌は歌ってはいけない、これしてはいけない、などかわいそうだなあと思います。 03/4/28(めめ)
俺の友達が昔、子供の絵画教室の先生をやっていたのだけど、某宗教に親に入信させられてる子の多い地域で、その宗教は他の宗教を一切認めないので、「さぁ、季節の絵を描きましょう」と言ってもクリスマスや正月物はもちろんのこと、コイノボリすら「これは描いちゃ駄目」と言われたそうです。コイノボリが宗教と関係あることすら知らなかった・・・。
でもそれくらいならまだしも。
昔病院でバイトしていた時、交通事故にあった子供が救急車で運ばれて来て、
「すぐに輸血を!」
と医者が言ったが母親が、
「宗教上、輸血は出来ません!」
と言って、警察まで介入してきて、
「死ぬかもしれないんだぞ!」
と言っても、
「それでも仕方ありません」
・・・生死はわからないが、子供は宗教なんてまだ理解出来る能力もないのに・・・。これって一種の殺人じゃないんだろーか。「宗教の自由」って、どこまで認められてるんだろう。 03/4/28(石川浩司)
「考える力が十分にあること」と、「満足な毎日を送れること」とがイコールではないからだと思います。 03/4/28(わにこ)
つい何ヶ月か前、高校の時の友達に勧誘されましたよ~。びびりっ。
彼女は進路にまよってる時に勧誘されて、その後好きな人がはいったから入信しちゃったらしいデス。
やっぱりせっぱつまってると判断にぶるんですかねぇ。 03/4/28(ちーかま)
選挙が近づくと、ほとんどもう忘れてるよーなつき合いもない友人から、急に電話があったりするよね。(笑) 03/4/28(石川浩司)
何かしらの信念をもってる人は、それを元に考えさえすれば結構ペラペラそれっぽい事しゃべれます。よっぽど口下手でないかぎり。
宗教に入ってれば信念もあるだろーし、人と違った考えをもつから、頭よさそうに見えるだけかも。
それなりに勉強してこそ発言もできるんでしょうし。
ちょっと違うかもしんないけど自分はそう思ってます。 03/5/5 (勾丞)
うちの実家は真宗で、仏壇の前で毎朝祖母が念仏を唱えている姿を見て育ちました。
祖母は、何かにつけて「ありがたいありがたい。なんまいだなんまいだ。」と呟いていました。
これといって特別なことをするわけではなく、政治と結びついているわけでもなく、生活の中に静かな信仰が在る、といった感じでした。
今、自分が何かの宗教と関わろうとは思いませんが、これからいろんな人と出会って、いろんなことを考えさせられるんだろうなあと思います。(漠然とした話ですみません) 03/5/5(わにこ)
そういう生活の中にさり気なく入ってたり(庶民の一種の伝統ということだろうね)のものは俺も別に嫌いじゃないな~。嫌いなのは、「うちの宗教だけが正しい」といって他の宗教を認めず、強引な感じのものかな~。世界にはいろんな風土や文化があり、それに応じて信じる物が違ってくるのは当然だと思うんだけど。 03/5/5(石川浩司)
とんびさんの疑問に対する自分なりの考えです。
人間には誰にでも理論や科学を超えたものを信じたいという心があるんじゃないかと思います。
そしてその傾向は、挫折を感じた時や病気の時になるとより顕著になる気がします。
自分が不治の病にかかったとしたら、医学の理論上不治でも、治せるという人や教えがあればそれに頼りたいと思うんじゃないかと思います。
新興宗教には病気を治したり、願いがかなうなどという科学では説明できなかったり、また現世利益的な特徴が伝統的な宗教より多いと思います。新興宗教に入るインテリと呼ばれる人たちの中には、理系の人が多い気がしますが、科学など理論的なものなどにそれまで執着してきた一方で、どこかその理論を超えたものに出会うとそのぶん衝撃も大きいのではないでしょうか。いろんな理由があるんだとは思うんですが。
うーん、全く想像の域を出ませんね・・・。 03/5/26(かえる)
あっ、それはあるかもしれないね。「溺れる者は藁をもつかむ」とも言うし、実際まだまだ科学で解明できないことも多いしね。 03/5/26(石川浩司)
ある新興宗教の勧誘を、私の職場である高校で数年前、生徒がさかんにしていました。嫌がる生徒に対して信者の生徒がしつこく勧誘するので問題になり、そのうちおさまりました。その宗教は勧誘して信者を増やすのが宗教上正しいことで(いずれは世界中が信者になるはずだとさえ思っているらしい。)、それを今表面上嫌がる人がいるがそれはその人にとってかわいそうなことなのだ、という教義というか信念というかを持っているようです。そういう宗教は、はっきりいって手におえません。日本人全般に「宗教」ときくと少し構えてしまうところがある上に、眼の色を変えて勧誘されたらほとんど違う世界の人のように見えてくるのでしょう。本人たちはそう見られることをわかっていないのか...それだけのことで友達をなくすのは残念です。 03/6/2(かづ)
宗教は「まず信じる」ことから始まってることが多いので、話しても無駄な事が多い。どんなに理論的に言っても「わかってない、かわいそうな人」として向こうは思ってるから困るよね。
つまり「信じる=自分で考える事を放棄する」でもあるわけだからね。 03/6/2(石川浩司)
何かの理由があって、一つのもの(人)を信じることで楽になりたいと思う人にとっては(自覚のない場合もあるかと思いますが)、たまたまそこにあったから新興宗教に入ったという程度ではないかと思ったりもします。それはきっと、信仰とは違うものだと思います。 03/6/30(わにこ)
私の高校時代の友人がある宗教にはまり、普通に話をしていると「それはこの宗教を信じればなくなる事だ」というように話のこしを折られ会話は続かない、勧誘精神がみえみえでした。その宗教は多額の寄付金を要し、新しい信者を増やした人数によって自分の役職が決まるというもの。それじゃあネズミ講と一緒だろ・・・・。
友人はこれで何百万もの借金をつくり、すべてをなくした所でやっと我にかえりました。はっきり言いますが、宗教にはまっている人を説得するのはとても困難なことです。インテリであればインテリであるほど、自分の選択や意思に絶対的な自信を持ち、なおかつ簡単に洗脳されているような気がします。宗教主宰者については、物欲に走る人もいますが、インテリであるがゆえに自分自身のふとした発想から想像が膨らんで想像でうまれた神をまつりたてる・・・・いわゆる「自己陶酔の骨頂」であるのではないでしょうか?
話はかわりますが、短大時代の友人でかえるの解剖実験が宗教上の理由でできず、最後まで拒否し続け、授業を受けれずにその授業の単位が取れず、ある国家資格が取れなかった子がいました。授業中に気持ち悪いからといって解剖に参加せずに見てるだけの子もいたのに、その子は資格が取れて、見るだけなら大丈夫なのに授業自体に出させてもらえずに資格を失った友達。変だと思いませんか?また、その後、解剖実験にでなかったし宗教やってるからという理由だけで差別され、ひとりぼっちで1年以上も学校に通っていたのです。私はその時入院していたので、話を聞いてあげることしかできませんでした。宗教に過敏になるのはいけない事だとは言いません。でも、その友達は勧誘した事は一度もないしみんなその時まで知りませんでした。布教するばかりが宗教ではないと思います。入信は自分の意思なんだから、一人の人間の存在までを否定する事は間違っていると思います。私自身は無宗教ですが、どうしても気になったのでこれを書きました。 03/6/30(たらこそば)
「宗教の自由」ってどこまでなんだろうね。ま、殺人は論外としても「人は本来、地球の土地等何も所有していない」という思想で「つまり逆にいえば何でも自分の物にしても良い」という「泥棒教」があったらどうなんだろう? 03/6/30(石川浩司)
石川さんのおっしゃる「泥棒教」あったらあったで物の取り合いになってしまい、戦争に発展しそうだ。でも、その泥棒教は異性の所有権もなしですか?うわぁ・・・・。すごい世界だけど、少しだけ興味があるかも。
「宗教の自由」って自由があるようでいて、実は何の自由も約束されていないような気がしますね。自由だから選ぶ人にとってはいいと思うんだけど、世間の目が厳しい宗教も多いですからね。難しいですね。 03/7/14(たらこそば)
そのアンチテーゼで俺が作ったのがこの歌。聴いてくだせえ、歌ってくだせえ。→「泥棒」 03/7/14(石川浩司)
ある日、幼馴染が新興宗教にはまりました。それ以来彼女の話すことはすべて教義に絡めたことばかりになり、話が勧誘っぽくなっていきます。
幼い頃はわがままばかり言っていた子で、幼稚園のバスが来ると泣いて嫌がって、ほとんど幼稚園には行かなかったその頃の話をしていたら、「私が幼稚園にほとんど行かなかったのは、あの幼稚園はキリスト教系だったから。あれは邪教だから行きたくなかった理由が今になってよく分かる」なんて言い出して、「それは違うんじゃないの」なんて返しちゃったものだから、もうダメ。
彼女の言葉の端々には「選民思想」がプンプンと匂います。自分の価値観が絶対のものだと思い込んでいることが体の周りに滲み出ています。「こんなに素晴らしい宗教を選んだ私は、素晴らしい人間だ」ってな感じです。
ここまでいっちゃうと本人は幸せなんだろうなーと思います。
宗教自体は悪いことだとは思いません。教義を守ることで心の平穏を保つことができて、幸せに暮らせるならとてもよいことだと思います。でも、どうして団体を作るんだろう?つるまないと信仰ができないの?個人レベルで続けていけば何も問題ないのにね。 03/7/21(のん)
そーなんだよ。俺もそれが最大の疑問。なんでつるむの? 元々ひとりひとりの人間としての問題なんだから、つるむほーが変なよーな気が。
どーしても、つるむ→宗教法人→税金免除→金とか、もしくはつるむ→みんなもこれで幸せになれる→○○のお守りを買ってもっと幸せに→金とかの方に考えがいっちゃう。そうじゃないのもあるんだろうけどね~。
とにかく何度も言っているけど、宗教に限らず「団体」になった時点で最初の意図とは違う変質していくものの多さに、気づかない人が多すぎると思うなー。 03/7/21(石川浩司)
「泥棒」拝見させていただきました!「ワカラナイ」を購入しないとメロディがわからないですね。突然段ボールさんとの共作CD「ワカラナイ」絶賛発売中!!
・・・・。宣伝しておきましたのでなんかちょうだい、石川さん♪(笑) 03/8/4(たらこそば)
まずオメーが買ってからだ。ニヒル牛には少なくとも置いてあるぞ。03/8/4(石川浩司)
買ったー!!買ったぞー!!「ワカラナイ」だけじゃなくて「管轄外」もちゃあ~~~んと買ったぞ!!わーい、わーい、なんかちょうだい(笑)ところで「管轄外」はいつ発売されたものなのですか? 03/8/18(たらこそば)
ワハハ、覚えてない。録音の日は確か「テキトー日記目次」にあったよーな気がするから、それから1,2ヶ月後かなー。CDとかって制作状況とかは覚えてても「発売日」とかって、自分でCD屋で売るわけじゃないんで、全然印象にないんだよね。 03/8/18(石川浩司)
石川さんの曲の歌詞でいうと、「お肌ツルツル老人」に「すべての団体」という歌詞がありますが、石川さんの苦手なものをどっさり並べたのでしょうか。マキシシングル『ゆめみているよ』に入っています。
ここで声を大にして言います。たまのアルバムを揃えただけで安心しちゃいけません。たまファンならマキシシングルも買わなくちゃ。渋い曲や、アルバムと別アレンジの曲が入っていたりします。是非どうぞ。たま企画室の通販や、ニヒル牛で買えます。
しかしここで大声でいっても、見ている人はどのくらいいるのでしょうか。話題が増えすぎて、毎週必ず全部チェックしている人は、石川さん、たらこそばさんの他は2,3人しかいないような気もします。
それからたらこそばさん、突然ダンボールと石川さんの共作「ワカラナイ」「管轄外」を買ったのなら、大谷シロヒトリさん(現、大谷氏)と石川さんの共作「ホルモン鉄道」も買わないと片手落ちというものです。一度これを聴いたら、大谷ワールドから抜けられなくなること間違いなしです。・・多少の好き嫌いはあるでしょうが。
うーん、なんだか、話題の趣旨からはずれて、CDの宣伝コーナーみたいになってしまいました。すいません。
あ、石川さんのソロアルバムも楽しみにしています。(冷凍バナナ)
「お肌ツルツル老人」の「すべての団体」だけは、ちょっと意識して書いたんだよね。ま、気づく人は少ないと思うけど。
あと大谷は「Hな話題の更新だけは必ず見てる」と言ってたな(笑) 03/8/25(石川浩司)
同級生に勧誘されたことがあります。ノルマがあったりいろんなものと絡んでる生臭い宗教なんてゴメンだよ。ペッ!「たにしちゃんが辛いのは前世の因縁だよ。○○先生の元へいけば幸せになれるよ。たにしちゃんの為を思って・・・」と。余計なお世話だべ。目がいっちゃってるよアンタ。
あと、駅前で「あなたの幸せをお祈りさせて下さい」とかいう怪しい奴も何なんだ?そういう奴の方がかなり薄幸そうなのが多いのは気のせいですかね? 03/9/8(たにし係長)
何も言わずにどんどん目をみつめながら顔を近付けていったら「ごめんなさい」と言われた。 03/9/8(石川浩司)
無宗教です。勧誘も受けた事ありますがとにかく自分の信じてる宗教以外NO!と言うのが気になってしょうがありません(しかも100%他の宗教に関しては悪口を言う)そんな人の信じてる物は信じれません。やはり勧誘(客引き)してくる宗教はダメですなぁ…。 03/9/29(あきたけ)
「盲目的に信じる」のが宗教、とか言われるとパラドックスだから困るよね。 03/9/29(石川浩司)
去年通ってた塾に、某新興宗教の熱心な信者さん(高校生)がいました。休憩時間に「これ書いて」とかってアンケートまがいの紙をよく渡されかけて焦ったなぁ。ペンケースにその宗教のバッジもつけてたし、自分が信者であることを誇りにすら思っているようでした。でも、私が落ち込んでる時に元気よく挨拶をしてくれたりする子だったので、決して嫌いではありませんでした。
ただ、ちょっと気になることがあったので書いておきます。
携帯電話で同じ文面を何十人にも一度に送る癖がよくあったみたいで(つまりグループメール機能を使っているのですが)、携帯料金もかなりのものだったそうです。彼は、いつも元気そうにしてたけど、本当はどこかで寂しかったのかもしれないな。暇つぶしとかじゃなくて、純粋にみんなからの返事がほしかったのかも。「話題94」とかぶっちゃいそうですが、宗教が心のよりどころになりきれるとは言い切れないみたいですね。 03/10/21(くにゅ)
あと高校生ぐらいだと、ちゃんと考えて自分の意志で入ったならまー人それぞれだから・・・と思うけど、親に無理矢理生まれた時から洗脳されてる場合もあるからね・・・。03/10/21(石川浩司)
これを信じないと罰があたるなどと言って勧誘する宗教がありますが、そう聞くとあんたのところは了見の狭い神様(仏様)を祀ってるんだなあと思ってしまいます。
大学の勉強のために、1度わりと昔からある新興宗教のセミナーに出てみたことがありました。
信者ではない人々を自分たちの神様は救うか?と彼らはふと考え出しましたが、結局明確な答えは出ませんでした。信者じゃなくても救われるなら誰も信者にならないし、かといって非信者は救われないよと偏狭な断言もできないなあと困惑している様子でした。その光景は少し滑稽で面白かったです。
ただどんなセミナーにも洗脳の要素があると思うので、興味本位だけでの参加はすべきではないと思います。 03/10/21(かえる)
そう、洗脳は深層心理だからね。深層心理は自分の意志では基本的にコントロール出来ないよ。ボールが飛んできた時、咄嗟に避ける条件反射みたいなものだからね。 03/10/21(石川浩司)
私はある宗教の信者です。多分、皆さんの中にはこの宗教について書いておられる方もいらっしゃると思います。
「信者」と書きましたが、自分のことを「信者」ということにかなり抵抗があります。何故なら、具体的に何の活動もしていないからです。
その宗教は自分が信心することはもちろんですが、布教することも大切だと説いているんです。
簡単に言うと、その宗教を信心すれば幸せになれる。だから周りの人にも勧めてあげて、みんなで幸せになりましょう。
・・・みたいな感じです。
でも、私はそれが嫌で嫌でたまらないんです。
自分が信心するのは勝手だと思うし、その人たちを責めるつもりも、バカにするつもりもありません。そんなに一所懸命になれることがあり、幸せだとも思います。
でも、人にそれを押し付けることが許せません。
それぞれが信心し、一人一人がその人なりに頑張ればいいと思うんです。
だから私は周りの人を勧誘したりはしていません。
自分がその宗教の信者だということもわざわざ公言していません。言う必要がないからです。
自分自身が心からいいと思えて、なおかつ、友達が苦しんでいたり、悩んでいたりしたら、その時は一つの道として、教えてあげるかもしれませんが・・・。
じゃ、何故、入信しているかというと、主人との結婚の条件がそれだったからです。私が入信することで、親戚関係がうまくいくなら別に構わないかなと思い、入信しました。
ちなみに主人は物心付く前からの信者です。
長々と書きましたが、この宗教自体は決して悪いものではないと思っています。ただ、信者の中には、強引な人や盲目的に信仰している人、ちょっと勘違いしている人もいるというだけです。03/10/27(RM)
うん。その宗教に限らず親がそうだと子供も物心ついた時から「これが正しいのよ」と言われれば「テレビは1m以上離れて見なさい」というのと変わらず、盲目的に信用して正しいことだと疑う余地がなくなってしまうよね。
だからせめてある程度自分で物が考えられるようになってから考えさせてあげたい。
といっても選挙と同じで「ひとりでも多くの人を」が教義なんだから、物心つく前からの入信させた方が教義にかなってるんだよね。
でもそれは「思想の自由」を奪ってるんだよね・・・。 03/10/27(石川浩司)
実は、私も家族の影響下である宗教の「信者」でした。実家を出るまでは確実にそうでしたし、いまでも登録されているのかな?その宗教は他の宗教に対して激しく排他的で、たとえばキリスト教の教会や神社にできるだけ行かないように、行っても決して参拝しないように、と教えられています。
だから、私の深層心理には気楽に神社仏閣に詣でることを許さない何かが今でもあります。(観光で行くのはとても好きですが。)
物心ついてからは、この宗教の政治性が非常にイヤで、「つきあいきれない」と思っています。
公的な活動は一切していません。団体の政治的立場を強制されるのが全く不愉快です。(選挙とか。)
しかし、この宗教のおかげで(だとおもうのですが)私に見えてきたことがたしかにあります。
たとえば、日本人の大勢は、自分の宗教に無意識だということ。逆に外国人などが日本人の信仰をどう見ているかが日本人には見えてないこと。神社でなぜ手を合わせないの?
と聞かれて宗教上の理由によると答えるととても意外な顔をされます。韓国の年配の人は神社と聞くとひどく嫌悪するそうです。信仰を強要されることがどういうことかについて、戦前、たいした考えもなく信仰を強制したことに問題があるわけで。また、ある知り合いのキリスト教信者日本人)がやっぱり神社に行くのを嫌っていました。(観光地のでも。)私にもある抵抗感と同じものがきっとあるでしょう。
ただ、その宗教はきわめて礼儀正しい。葬式もその宗教の方式でするそうですが、読経をするのが僧侶ではなく(その宗教には僧侶がいない。最近いなくなった。)、団体の何かの地位(地区の長か?)の人だそうで、多くの僧侶のように威張りくさって多額の報酬を要求したりしないそうです。(普通の仏教で金額で戒名のランクが違うというのも噴飯物ですが。)根拠地は町並みもそれなりにきれいにしているし。どの宗教でもだいたいそうですね。奈良で宗教名が市名にすらなっている宗教の本拠地に行った時も整然としていました。また、個々人の宗教行為そのものは悪くないと思っています。日本の伝統的な宗教と違う宗教が、多くの日本人には「なんか血走っていて強引でヘン」みたいに感じられるのも日本人の「信仰」のせいなんだとおもいます。この宗教がやっていることは、強引な勧誘行為(私はそれもどうにもいやなんですが)を除いては、外国で他の多くの宗教がやっているごく普通のことなんじゃない?と思っています。
そうはいっても、私はそのことを公言しません。(ここに宗教名すら書きたくない。)それほどまでに、この宗教が白眼視されていることと、日本で自分が(「普通」でない)特定の宗教の信者と名乗ることが周囲から異常視されるかを知っているからです。自分の「信仰」が、「普通」でないと知った時のショックは、それはそれはとても大きかったのです。03/11/04(かづ)
うん・・・。教義云々より、本来個人のものの宗教が「団体活動」に使われてしまい、たとえ自分の考えとちょっと違うなーという点があってもそれに強制的に従わざるを得ない、ある意味での個人思考を停止させる「仲間意識」が俺はちょっと問題な気がするんだよね。素人考えで怒る人もいるだろうけど。03/11/04(石川浩司)
山崎幹夫さんという主に自主制作映画(1本だけ佐藤浩市主演で緒川たまきのデビュー作の「プ」というメジャー作品がありますが。)を主に作っている監督さんの作品に「食パンへぼ詩人」という30分ほどの短編ドキュメントが有ります。映画は山崎さんが学生時代に撮影した、同窓生で詩人を自称している友人(杉浦茂)を主人公に始まります。面白いのは、何故かこの人、普通の紙には詩を書かない。食パンにチョコレートクリームで詩を書くのが、この人流の自己表現方法なのです。詩を書いた食パンは、山崎さん等の学生仲間に送られて、トーストにされて焼かれて食べられてしまうので、詩の寿命は食べられるまでの短い時間しかありません。詩作というより、韻文の手紙に近い。しかも、この詩が山崎さんの解説でも分かりますが、とっても「へぼ」なんですな。喰われて消えて当然という感じな訳です。杉浦茂の名前で気が付いた方もおられるかもしれませんが、後にオウム真理教の文部大臣として麻原彰晃の片腕になって活躍(?)して逮捕された、あの男です。
映画は、学生時代の映像が終わると、次に参議院選挙の政見放送映像、逮捕のニュース映像を引用して、最後に山崎さんが彼の詩を朗読するところで終わります。
これを見ていると、現代の日本の社会環境の中で、自分を作ることの難しさをつくづく感じます。一歩間違えばカルト入信に繋がる不安定さを、私自身も自己探索の過程の中で常に抱えている様な気がします。おもしろい映画ですから、一見あれ。(以下は山崎氏のHPです。)
http://www.ne.jp/asahi/muen/press/yamazaki_html/ymframe.html 03/12/29(笹井吾朗)
小学3年の頃、京都から群馬へ、女の子が転校してきた。彼女はいじめにあい、転校を繰り返してきたらしいが、うちの学校でもいじめられることになる。それに耐えながら次の年を迎え、やがて4年生になった。その12月、クリスマス会をクラスでやることになった。学級会でその予定はどんどん組まれ、みんなが待ち望んでいたある日、そのいじめられていた彼女の母から「うちはクリスマスをやらない宗教を信仰してるのでやめてほしい」と学校に連絡が入った。担任からそれを聞かされ、またもやクラスメイトの非難の目をあびる彼女。「クリスマス会」は「お楽しみ会」と名目を変更され、とり行われたが、いじめを理由にまた市内の別の小学校に転校して行った。そちらの小学校でもまた同じことがくりかえされたらしいが…。 04/3/1(杏)
確かにクリスマスは完全な宗教行事だものね。新興宗教じゃなくてもやらない自由はあった方がいい気もするね。 04/3/1(石川浩司)
私は中学の時の友人の相談にずっとのっていました。
彼女は小学校の時からずっとイジメを受けていて(主に女子から)、高校も結局1年の時に中退してしまいました。
その後大学に行きたいと、いくつかバイトをしましたがどのバイト先でもイジメられ、結局どれも長続きしませんでした。その頃から彼女は、自分に起こる嫌なことのすべてを霊だの呪だののせいにし始めました。例えば彼氏にふられたら、『彼氏に悪霊がとりついてる。除霊すれば彼氏は自分のもとに戻ってくる。』だとか、笑ってしまいそうなことですが、当の本人は本気で言っていました。
もとから彼女は現実が見えていないところがありました。確かにイジメはイジメる側が悪いのですが、彼女の性格にもあきらかに問題はありました。しかしそれを決して認めませんでした。被害妄想が強く、自分の能力を過信しすぎているところがあり、最後には自分は能力者になりたいと言い出しました。
それまで私は彼女の意見を否定しないように、出来るだけ聞き役に徹して相談を受けていました。しかしこのときばかりは『そんなものになる必要がどこにあるの?いい加減現実見て生きなよ。』と、正直な意見を言いました。
それを最後に彼女から頻繁にきていた連絡がなくなりました。
私から連絡をとることもしませんでした。
たぶん彼女は今何かの宗教にいると思います。
話題にあってなかったらすいません。 04/3/29はる
確かにそういう人が新興宗教の勧誘の人に優しい声かけられたら、ちょっと危ないかも。04/3/29(石川浩司)
僕は無宗派なので、知人から勧誘された事が数回あります。
「ゴメンね。僕は無宗派だから入るつもりは無いんだ。」と言ってもしつこく勧誘されます。
そういう時僕は、目をカッと見開き、「内緒だが、僕が神なのだ」と言うと、そそくさと話をそらせてくれますが、逆に僕が偽の宗教論を語り始めると帰っていきます。04/5/4(ペロ)
俺もそういう手はよく使ってる。04/5/4(石川浩司)
私もこの手のことは全く嫌いでかかわりたくありません。一時、うちにもよくその手の勧誘みたいなのが来ていました。インターホンごしで「今忙しいから」で簡単に断れましたが。
中にはパンフレットみたいなものを郵便受けに入れていく人もいましたが、ろくに目に通さずすぐに捨ててました。バチあたらないかとドキドキしましたが。。。
さすがにあの手の人たちはあつかましいセールスとかと違っておとなしめというか礼儀正しいというかすぐに引き下がってくれるのはいいけど、、、
町で声をかけられるのはさらにイヤですね。
いつだったかバス停で、その手の活動の人と思われる二人組みのおばちゃんから「今からすごくためになる講演が近くであるのだけど聞きにきませんか?今、問題になっている自然破壊や犯罪や、なんたらかんたら、、、」って声かけられた時、はっきり言って気持ち悪かった。同時になんか暇人に見られてたみたいで腹が立ってきました。
「今、忙しいですから」って、言い残して一つ先のバス停まで歩きましたよ。そしたらそのおばちゃんたち「私たち悪いことしてないのにね~」って、、、丸聞こえ。。。それがますます怪しいっての!!
最近、大学教授の講演会等と見せかけているのもあるらしいですからねぇ。ちがってたらすみませんが 04/5/24(あるみりゅう)
中学生の頃、とある駅前のアーケードを友人と通った時、突然男の人に「あなたの幸せのために祈らせてください」と言われて祈られたことがあります。目をつぶるように言われたので、その隙に何か盗られやしないか、もしくは目をつぶっている間にその人がソーッと逃げて、ただ目をつぶって突っ立っている人になりやしないかと、絶えず薄目を開けていました。幸いその人は本当に祈りたかった人らしく何も起こりませんでしたが、後日またその道を通った時、行きと帰り、1回ずつその手の「祈り」に捕まってしまいました・・。中には"通せんぼ"するように寄って来る人もいるので断りきれなかったんです。。でもそれ以降は強行突破してます。 04/6/14(作戦失敗)
確かにドッキリで「ただ目をつぶって突っ立っている人」になってたら間抜けだな。04/6/14(石川浩司)
これって、信じるのは、その人の自由だからどんどん信じていいと思うのですがそれを人に巻き散らかすのがたち悪いですよねぇ。
前に中学の同級生から勧誘がかかってきたときは、むかつくのと同時にちょっと悲しかったです。
「じごくがどうたらこうたらで、人間は業が深いからみんな地獄へ落ちるの。すくわれるには仏様が・・・」とかいうから
「地獄ってどこにあるの?地下何キロ?50キロくらい?」「そのへん。」
「いや、そこまでいったら、マグマとかそういうのしかないんじゃないの?」といったら
「そんな問題じゃないのっ!」ってマジ切れされるし。怖いです 04/10/18(kyuuri)
でもこれ読んでる人の中にも確実にその宗教の人いるからね。自分から言わないからわからないけど、意外な人が入信しているから、滅多な場所では話題に出来ない。でも自信を持ってその宗教を信じているなら、何故何年も付き合っててもいわないんだろう。勧誘は正直困るけど、自分がその宗教であることは話してくれてもいいのになぁ。それで選挙の時だけ言い出す、ってのはあまりにも姑息にみえて逆効果だと思うんだけど・・・。 04/10/18(石川浩司)
本当に、選挙からみのは勘弁ですね!公明党系は、選挙のときになるといきなり連絡してきますもの。絶対逆効果だと言っても、「これ(電話勧誘)をやめたら選挙活動にならない」といわれました。これからもまたくるに違いない04/10/26(kyuuri)
諸事情によりノーコメントにしときます。 04/10/26(石川浩司)
先のレスにありましたが、宗教の教えが学校行事・生活にも影響を及ぼしています。
学校によってはクリスマス会や七夕などは「お楽しみ会」として実施しています。
ある宗教の子を受け持ったことがありますが、その子は小学校低学年だったのでまだそういう教えに対して自由で、「わー、七夕だー!クリスマス会だー!」と言って喜んでいました…
(こっちの気苦労も知らないで・・・まぁ、いいか)。
その子の姉が高学年にいて、彼女は宗教の教えを守ろうとしていました。彼女も担任も苦労したそうです。 04/10/26(匿名希望)
格闘技が一切駄目な宗教もあるので、柔道・剣道なども出来ないんだよね。でも例えば「学校の勉強を受けては駄目。教育は宗教施設でやる」とかいう宗教があったらどーするんだろう。というか「万引き教」みたいなのがあったら? 輸血を教義で禁止して実質的に子供を殺してしまう宗教が認められてるんだから、それにくらべればたいしたことない。「宗教の自由」の線引きって決まってるのかなぁ? 04/10/26(石川浩司)
九州の実家から結婚式をあげるとわざわざ東京に上京して来た小学校からの友人が居ました。
「なんでわざわざ?」と聞いても教えてくれないのでとりあえず会う事にしたのですが、
東京に本部があったので其処で式を挙げたらしいのです。
身内で式に出席したのは友達の妹だけだったみたいでした。
挙句、会って話し出したら二時間以上も其の宗教に勧誘されこの話を他の人に話したら災いが起きると云う様な事まで云われました。
何年も会ってなかったので懐かしい話ができるかなと楽しみにしていたのもあってとてもがっかりさせられ、今でも時々上京してきて居るらしくメールが来たりしますが返事すらしていません。
そろそろ縁の切り時かとも思うのですが。
信者になった経緯は其の子の精神状態が弱っていたところに話を持ちかけられたと云う感じです。
宗教が悪いとは云わないけど...。 04/10/26 yu-ki
勧誘されたことを人に話しただけで災いが起きるって……。その時点で根本的におかしいよね。 04/10/26(石川浩司)
むーーーん。まったくの無宗教なのでなにも考えが浮かばない・・・・・。
何かを信じるのはその人の自由だが、そこに殺人や犯罪が絡んでくる場合もあるから、「宗教」と聞くと拒否反応が出る。オウムがいい例ですけど。04/12/20(さっちゃん)
俺もこの前とある(俺は殺人もしていると思う)嫌いな宗教の人が勧誘で立っていたので無言で5分くらい黙って顔面20cmのところで睨み付けて差し上げました。すっごいオドオドしていたな。 04/12/20(石川浩司)
あ~いう人達に、逆にツボとか売れることが出来そう。気が弱そうだし。05/1/17(ペロ)
言えてるね。根はピュアな人達だから。 05/1/17(石川浩司)
へえあそこの宗教ってやっぱ人殺してるんですか。やっぱりな。05/3/7正
いや誤解になるから言っておくけど直接には殺してないと思うよ。ただ病院に勤めていた時、子供が交通事故かなんかで運ばれて来て、でも親がその信者だったのでその宗教の教義である「輸血拒否」をしたおかげでその子は死んだ。輸血していればたぶん助かった。まだ幼稚園ぐらいだったから、自分の意志で輸血を拒否するようなことはないから間接的にはそれって「殺人」だと俺は思う。 05/3/7(石川浩司)
ウチは誰が死んでも戒名は付けません。勿論僕もいらないです。05/7/4(ペロ)
クリスマスはイエス様の誕生日。しかし、12月25日という具体的な日にちは聖書に書いていませんのであまり日にちは気にしなくてもよいでしょう。
約2000年前、神様は人間が天国に来れるように「天国切符」をプレゼントしてくださいました。そう、イエス様です。
イエス様は罪人を裁くためにきたのではなく、罪人を救うためにきたのです。ですから刑務所などにも聖書が置いてあるのです。
聖書や教会に触れることは日本人には少し抵抗があるかもしれません。
「外国の宗教だから」と思っている人がいましたら、仏教も外国からきた宗教だということを知っていただきたいです。
抵抗のある方はクリスチャン有名人の言動を見て神様の愛・救いを感じてください。
三浦綾子・光世さん夫妻、日野原重明先生、星野富弘さん、ペヨンジュンさん、チェジウさん。05/11/29(るつ)
本来は平和を標榜するはずの宗教が原因の戦争は悲しいね。例えばキリスト教とイスラム教は元々は同じ宗教だった。でもその後の人の解釈の違いで今は地球規模の戦争原因に・・・。なんだかなぁ。 05/11/29(石川浩司)
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