話題78 思い出の喧嘩
今だから話せる、たまの「いや〜あの時の喧嘩は凄かったな〜。解散寸前だったな〜。」なんてエピソ−ドがあったら教えてください。逆に「俺達はこんなに仲良しだぜ〜!」なんて心温まる逸話があったらそれも知りたいです。 03/4/7(恋女房)
***レス(発言は古い順に並んでます)***
えーと、とあるメンバーがおしぼり投げつけたり、とあるメンバーが机を怒りでドンッと叩いたり、ってえことぐらいはあるけど、「取っ組み合いの喧嘩」みたいなのはないなー。あと、そういうことが原因で「解散」という言葉が出たこともないねー。
あとまぁ、19年も一緒にやってるんだから、仲は悪くはないだろーね。よく地方の打ち上げとかで、最初はスタッフとかも大勢いたはずなのに、いつのまにかメンバー3人だけになっちゃって、「もう一軒、3人だけでいきますか・・・」なんてこともあるし。
但し、オフの日までわざわざ会う、ってなこたーないね。あと、いつか解散したら、案外会わなくなるかもね。
ところでこの「新しい話題」って、俺しか答えられないじゃん! Gさんや知久君はネットやってないし、やってたとしても到底投稿するとは思えないし(笑)。ということで、勝手ながら話題のタイトルを「思い出の喧嘩」にさせてもらいます。
みんなの「思い出の喧嘩」のレス、聞かせてチョ〜。 03/4/7(石川浩司)
なんといっても一番思い出すのは、お姉ちゃんと4才の時に、お風呂の中でけんかした時のこと。
おねえちゃんは、後に、校内早口言葉大会で優勝するくらい口が達者で、かたや自分は年下なうえに口がまわらなく、喧嘩はいつも負けてました。ある日、いつものようにやり込められた後、勝ち誇って後ろを向いたお姉ちゃんの背中にがぶーーーっとかみつきました。
そして、生まれて始めて、お姉ちゃんとの喧嘩に勝ったんだー!
背中なんて、肉がないのにかみつけたのは、それだけ悔しかったからだよね。
教訓、敵に背中をみせるべからず。 03/4/14(りな)
彼氏との喧嘩で一番思い出に残っているのは「チャット中毒事件」です。
学生時代、わたしと彼はお互い実家を離れて下宿していてほぼ同棲状態でした。ある日、わたしは成人式のお祝いに母親からパソコンをもらいました。
ネットもつなぎ、メールやインターネットを楽しむ生活が始まりました。
しかし、わたしよりも彼がパソコンにハマってしまい、毎晩チャットをするようになりました。何時間も。
せまい六畳間に、わたしとチャットをし続ける彼。
話しかけても、テキトーな返事しか返ってこない。
毎晩のチャットで電話料金は莫大な額に。払うのはわたし。
ついに、わたしの我慢の限界がきて「そんなにチャットばっかりしてるなら、いないほうがマシだ!出て行けー!!もう、別れるからね!!」と追い出しました。出て行くとき「ごめん、チャット仲間のメールアドレスだけ控えていかせて」と言われたときには、本当にあきれました。これは中毒だ、と。
しかも、数日もしないうちに「俺もパソコン買ったよー」とのん気にメールをよこしました。
しかし、そのチャット中毒も時が過ぎれば快方にむかい、よりを戻しました。
引越しをしてからは彼はネットにもつないでいません。
となりにいる自分に見向きもしないで、知らない誰かとの話に夢中になっている彼にムショウに腹が立ったのです。ま、それだけ好きだったってことで。
チャット・バー「ウキュピ」に入り浸っている方々も気をつけてね。 03/4/14(ぽんつく)
う〜む確かにあれは時間を忘れる・・・。でもうちはケーブルで定額制なので、繋ぎっぱなしでも料金変わらないのだ。ま、でもなにごともほどほどに、ということっすかな。 03/4/14(石川浩司)
りなさんと同じく私も姉との喧嘩かな。
小4くらいのときにチャンネル争いで取っ組み合いになったんだけど。
どこで覚えたのか「子供の産めない体にしてやる!」と言ってお腹を思いきり蹴りました・・・・・・子供は産んでるけど ごめんねお姉ちゃん。 03/5/12(海老汁)
思い出の喧嘩・・・といえば
私は両親が働いているので、小さい頃は学童保育に通ってまして
その当時はかなりの暴れん坊の女の子でした。
ある日、先生や他の子供達が買い物かなにかに出かけて、私は同じ歳の男の子と
ふたりで留守番をしていたのですが、取っ組み合いの喧嘩になり、
私はその子の腕に思いっきり噛み付きました。
「噛みちぎってやる」とほぼ本気だったのをはっきりと覚えています。
そして、私がその子の腕に、まるですっぽんのように噛み付き
その子は「ぎゃぁぁぁぁぁぁーー!!!」と叫びました。
それはまるで漫画かアニメのような、はっきりと文字にできる“ぎゃぁ”でした。
後にも先にも“ぎゃぁ”という叫び声を聞いたのはこの時だけです。 03/5/12(さっちゃん)
私は小さい頃、女ガキ大将だったのでケンカは本当によくしました(笑)思い出のケンカというと一つにしぼれず困ってしまいます(汗)
思い出のケンカとは少し違うのですが、私は怒ると無言になる人は苦手です。自分がぎゃーぎゃー言うほうなので、黙られるとどう対応していいのかわかりません。黙ることで勝負を放棄されたみたいでよけいに腹がたちます。無言怒りタイプの人は、電話でクレームをつけられて冷静に対応してよけいに客を逆上させるテレホンアポインターのお姉さんみたいですね(笑) 03/6/16(たらこそば)
喧嘩といって思い付くのは、子供の時に兄と口げんかをしていつも言い負かされていたことくらいで、その他には喧嘩といってもあまり思い付きません。
相手が感情的にものを言ってきても、感情に巻き込まれることはなく、へえ、この人は怒っているんだ、何でこんなに怒っているのだろうと考えるので、たいてい黙ってしまいます。その上で必要であれば、自分の考えをまとめてから相手に説明し、相手の考えも聞くので、喧嘩という形にならないのです。言ってもわからないだろう相手や、言ってもしょうがないことなどは、そのまま放っておきます。
また相手に不満あるいは要望があり、何とかしてもらいたいときは、自分の気持ちを伝える、あるいは提案をするという形をとり、感情的にものを言うわけではないので、喧嘩にはなりません。
たらこそばさんの苦手な相手そのものなのでしょうね。
喧嘩をしてまで人と深く付き合おうと思わないのかもしれません。私の気持ちや生活に踏み込んで来ない限りは、人のことは人のことなのであまり関心がないし、世の中にはいろいろな人がいるのだなあと思うだけです。
また、いやな気持ちをひきずることはあまりないので、私自身は結構気楽に過ごしています。
まもなく結婚20年を迎えますが、夫婦ゲンカもしたことはありません。別に言いたいことを我慢をしているというわけではなく、とても穏やかに仲良く暮らしています。 03/7/7(冷凍バナナ)
思い出に残っている喧嘩というか、変な喧嘩を思いだしたので書きます。小学校の頃、集団登校をしていたのですが登校中にその子と喧嘩をしてしまいました。ちょうど間の悪いことにその子とは隣同士の席だったので合わせる顔がありません(いや、合わせまくってるがな!(笑))その日の1時限目から帰りの会まで私達は一言もしゃべらないかわりに、手紙で文句の言い合いをしていました。そしてその手紙は今でもたんすの中によき思い出として残っています(笑)しかし、怖い小学生2人だよなー(笑) 03/7/14(たらこそば)
やっぱりたんすは開けようっと。 03/7/14(石川浩司)
たんす開けてどないすんねん(笑)一度、修学旅行かなんかの時に母にたんすの中身を破棄されて泣き暮らしたこともあった。信じられん事する母親じゃ!!(怒) 03/8/4(たらこそば)
うん○付きぱんちゅ入ってませんよーに。 03/8/4(石川浩司)
ぱんちゅの話題からそれましょうよー!!(笑)あれは一生の不覚というものじゃあ。さいきんはたんすも溢れかえり、そこら中に手紙のまとめたものがごろごろ転がっている。でも、請求書類の手紙はあんまり見ても楽しくないのでパッキンケースに封印。 03/8/18(たらこそば)
高校の時、いつも自慢ばかりする子がいた。私が聞き役で。
ある日、とうとうブチ切れて5センチ四方の紙に1000文字以上の不満や嫉妬や怒りの感情をぶつけたことを書いた手紙を渡しました。
それ以来絶交。我ながら幼稚です。
今思えば、その子の自慢話は、自分の持ち物(ブランド物)とか、家族の話とかばっかで、逆に自分に自信がないから自慢ばっかしてたのかなと、ふと勝手な憶測をしてしまいます。 03/9/8(たにし係長)
幼稚園の頃、近所の家に遊びに来ていたナヨナヨの男の子と木登りをして遊んでいるうちに喧嘩になり、その男の子を木から引きずりおろして泣かせてしまったことがありましたっけ03/11/04(遠い目)。原因?そんなもの覚えちゃいませんて。03/11/04(のん)
でもその子、木からずるずると引きずり落とされる時、下半身に得も言われぬ快感を得て、性の目覚めになってたりして。 03/11/04(石川浩司)
つい最近、親友と喧嘩しました。
そいつからいろんな不満が書かれた手紙となぜかガムがポストに入っていました。 04/1/5(さっちゃん)
ガムは仲直りの意味か? それとも嫌がらせか? 04/1/5(石川浩司)
小さい頃、近所にある姉妹が住んでいて、わたしはその妹と同い年だったのですが、そのお姉さんのほうが気が合って仲良くしていたら、いつも妹のほうがやきもち焼いてわたしに攻撃をしかけてきてましたね。喧嘩というよりは一方的にされたってかんじですが…。わたしは穏やかな性格だったので、そのはげしい妬みを持った妹になんどとなく階段から突き落とされてました。 04/1/19(杏)
私が幼稚園に入る前のことなのですが、ある日、近所の子と取っ組み合いのけんかになり、その子が私の腕に噛み付いてきました。どこか噛み返してやろうと思ったけど、腕を噛まれているので動きが取れない。噛めるところは・・・どうやっても頭のみ。
ということで頭に思いっきり噛み付きました。
頭って、すごい血が出るんですね・・・子どもながらにすごい焦りました。私の腕も出血していたけど、彼女の頭はもっと出てた。顔面伝ってタラタラ出てた。でも次の日にはまた一緒に遊んでた。
でも考えると、当時はこれくらいのことなら親なんて出てこなかったんですよね。
今はほんのちょっとかすり傷でも親が飛んでくる時代で、良し悪しな感じがします・・。 04/3/29(ピン)
俺も子供の頃は喧嘩なんて毎日のようにやっててその度に血を流してたなー。でもそのおかげで「この程度は大丈夫」という匙加減を覚えていった。最近の子は喧嘩しなくなった分だけその匙加減がわからなくて、いきなり相手が死んでしまうようなことをしてしまうことがある気がする。子供の喧嘩は絶対必要悪。04/3/29(石川浩司)
前の職場で、職員みんなから嫌われていた上司がいました。部下が誰もついて来ないような人格の持ち主です。
優しさの欠片もないし、挨拶さえしないのです。でも本人は自分が嫌われてる事分かってなかったのかな?
ある日些細な事で口論となり、僕は切れてしまい大声で、
「あんたの事を慕っている人間はこの職場には一人もいねぇんだよ!」
と言ってしまったところ、職場中から拍手が起こりました。
その時の奴の表情を写真に収めたかったです。(笑)
でも僕は、転職先が決まってたので言えたので〜す。ひひひ。 04/5/4(ペロ)
私中学・姉高校生の頃の喧嘩が印象的です。些細なことから取っ組み合いの喧嘩になり、羽交い絞めにされました。全く身動きが取れなくなり「悪いのはそっちなんだ、あやまれっ!」といわれ、でも悔しくて謝りませんでした。その後も数分はその格好のままでしたが、姉のほうが先に手を緩め放してくれました。謝らない限り、口きかないからねと捨て台詞を残して。
喧嘩もするけど仲も良かった私達。しかし姉は相当怒っていたらしく本当に口をきいてくれなくなりました。そんなことは初めてでした。3日くらいたったある日、私はついに悲しくてしょうがなくなり姉に謝ることにしました。ごめんなさいと言ったとたん涙があふれて止まりませんでした。
本当に何がきっかけだったか。
取っ組み合いの喧嘩は姉妹でしかしたことがありません。04/9/6(きぃ)
中学の時、学校で取っ組み合いの喧嘩したなぁ。でもその後、そいつとは以前より仲良くなったなぁ。 04/9/6(石川浩司)
保育園のお昼寝の時間に、となりに寝てた友達とけんかになり、私がその子の布団の中まで忍び込んで噛んだ。
そしたらめっちゃ怒られて、ふたりとも明るい他の部屋に呼び出されて「ま、まぶしぃ〜〜っ」と思った記憶がある。
喧嘩よりまぶしさのほうが印象強かった、というお話。 04/10/11(さっちゃん)
幼稚園の時、女の子の取り合いで喧嘩しましたね〜。幾つになっても変わらぬ性格・・・。04/12/6(ペロ)
高校生の時、何かあるととにかく喧嘩をする友達がいて、ある日そいつの言動への苛立ちがつもりつもって爆発し、休み時間の廊下で喧嘩になった。そばにいた男子までもがオロオロしだすしまつで、取っ組み合いになりかけたときに、教師に止められた。
授業中に喧嘩になったこともあった(笑)。
「あぁ?」「あぁ?」とお互いに険悪な空気が漂い、隣の席の男子が「お、おい、やめろよ・・」と仲裁に入り、それでもやめず、挙句教壇にいる先生から「おーいい、2人とも喧嘩やめろー!」と止められた。
授業中に喧嘩って・・しかも女子ですよ。ま、一般的概念でいえば、そのくらいの年の女子ってあからさまには喧嘩しないですよね。するんなら陰口とか、無視とか。
ちなみに大人になった今も、そいつとはしょちゅう遊んでいます。04/12/20(さっちゃん)
この間芝居の打ち上げで久々に若者の喧嘩をみた。止める人が大勢いたのでたいしたことにはならなかったが、年配の人達は誰も動揺せず。というか俺にしても「喧嘩なんて懐かしいなぁ……。もっとやれやれ!」という気分で逆にほのぼのしてしまった。あぁ年か……。 04/12/20(石川浩司)
私が高熱を出して寝込んでいるのに、ダンナは逃げるように友達とスノボーへ・・・。
後日、それがきれいなおねいちゃんと行ったのが発覚して、ダンナと大喧嘩しました!
そのとき、生まれて初めて人を「グーパンチ」で顔面を思いっきりなぐってしまいました。・・・そしてすぐ、逆切れしたダンナにグーで顔面をなぐられました。 04/12/20(ゴン)
「女性に手を上げない」これが僕のモットーです!05/1/17(ペロ)
緑のおばさんの前でも・・・反抗期だな。 05/1/17(石川浩司)
私の卒業した高校の名物は、秋の文化祭で3年生だけの特権として許されていた、中庭で繰り広げられる歌え踊れのお祭り騒ぎでした。若干時代に乗り遅れた「竹の子族」という体でもありましたが。で、私が3年生だった年の出来事。
その乱痴気騒ぎの最中、日ごろからちょっと尖った行動を取っていたA(仮称)を中心とする一派が、悪乗りした挙句、屋上から中庭にバケツの水をぶちまけるという挙に出ました。ウケると思っていたのでしょうか。まあ、博多祇園山笠など、男の祭りに「勢い水」は似合いはしますが、しかし、水を被った中にはうら若き乙女も。髪がびしょ濡れになって泣きべそかく子も出始めました。そして、繰り返し水を撒いてくる屋上の一派に向かって、自然発生的に…、だったと記憶しているのですが、「帰れコール(※)」が沸き起こりました。屋上の連中はバツが悪くなったのか、中庭には下りてはきませんでした。
数日後、Aが私を廊下に呼び出しました。そして、突然、「お前が「帰れコール」を煽ったのだろう」と言いがかりをつけてきました。「確かに「賛同」はしたが「扇動」したという意識はなかったのだが…」という返答にAは納得しません。うーん、しかし、仮に私が「言い出しっぺ」だったとしても、その一人のみに因縁をつけるというのは筋違い。アンフェアじゃ。民衆の叛乱を押さえ込むために革命指導者をスケープゴートにする独裁者のようなもの。などというような正論を繰り広げたり、あるいは、ガチンコで決着をつける、という余裕は二人にはありませんでした。共通一次試験を控えた2学期末に、進学校はそのような舞台を許してくれない雰囲気でした。なんとなくウヤムヤのまま、関係断絶状態へ。
あっという間に歳が明け、いよいよ明日は共通一次試験という日。3年生は体育館に集められ、ガイダンスだか、決起集会だか、集団催眠暗示だか分からない、高揚した教師陣の説法を聞かされておりました。それでも、まあ、生徒の間には不思議な連帯感が漂っていました。その最中、ふと、斜め後ろから声がするので振り返ると、そこにはAが。「ペン、貸してくれや」「おう」「サンキュー」。たったこれだけの会話。これが最後の講和交渉でした。
果たして和解できたと思ってよいものなのか…。もし同窓会などで顔を合わすことがあれば、ことの真相を突き詰めるべきなのでしょうか。いや、やめておきましょう。「水かけ論」で酒が不味くなるだけです。
※ 「帰れコール」:プロレス用語(たぶん)。当時、所属団体が崩壊したため、アントニオ猪木率いる新日本プロレスのリングに闘いの場を求めて漂着したラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇らに対して、新日プロのファンが容赦なく浴びせかけた「帰れ!帰れ!」という大合唱。この当時、アニマル浜口は「気合だぁ〜!」などと叫ぶこともなく、黙ってその屈辱に耐えていた。その後、ラッシャー木村は全日本プロレスに移り、老いて益々いぶし銀の滋味を発揮。晩年の故・ジャイアント馬場が理想とした「明るく楽しい」プロレスの名バイ・プレイヤーとして、また、絶妙のマイク・パフォーマーとして、温かいファンの心を掴んだ。アニマル浜口は長州力との邂逅により再生。新日本プロレス内の一派「維新軍」の参謀兼切り込み隊長として、猪木ら「正規軍」と激闘を演じる。本当に輝いていた…、って、もしかして、この解説もレスラーの「喧嘩」にまつわる一本の投稿になり得〜る!? 3ポイントいただけますかい? 05/3/7「Fuck−Dah」
みなさんのケンカすごいさわやかですね。ぼくはケンカで首と腹を刺されてアパートの床が血だらけになったことあるんですが、それはそれとして入院した時の顔ぶれがすごかったです。4人部屋で横に覆面の通り魔に刺されたおっさん(おっさんは犯人に思い当たるふしがあり知人ではないかということで毎日刑事が来てた)、斜め前に泥酔して日野駅の線路で寝てたら電車にはねられた青年、そして真正面には全身骨折&記憶喪失のオウム信者。まだ松本サリン直前のことだったので怖くはなかったんですが。いま思うとベストメンバーですね。05/3/7(正)
「それはそれとして」って、それ殺人未遂じゃねえか・・・。 05/3/7(石川浩司)
知久さんとヤナちゃんのライブが重なってどっちのライブにいくかで、ちょっともめたことがあったなぁ。それ以前に複線はあったのですが。
なかなか妙な思い出に残る喧嘩だった・・・。05/4/13(kyuuri)
いやあたいしたことなかったです。使い慣れてないと刃物持ってるヤツの方がびびるもんなんですよ。てことで傷は浅かったです。カアッときてて刺されたのもわからないくらいだったんですが、病院で傷口にドレーン入れられた時の方がめちゃくちゃ痛かった。叫びました。尿道に管入れられたり、点滴も血管はずれて腕が腫れる事よくあったし。治療の方が痛かった。05/4/13(正)
尿道の管を取る時はギャー!ですよね。05/4/18(ペロ)
いや、グエッ、ゲボボボーッ!だな。05/4/18(石川浩司)
尿道に管は、意図してかせずかわかんないけどそれほどでもない(失礼)看護婦さんにまかせてますよね。ところで点滴はよく血管はずすことあるんでしょうか。あいつわざとやってたような気がするんだけどw 05/5/9(ぽち)
看護婦は(医者も?)かなり人によって技術の差はあるからな〜。不器用な俺がナースになったらどえりゃ〜ことになるでー。ヌフフフ、ナース浩司。 05/5/9(石川浩司)
二十歳位の時に当時つきあってた彼とささいな事で喧嘩をしました。内容は覚えていませんが、いつも私がギャーギャー騒いで、彼は黙り込んだ挙げ句切れられて終わる喧嘩でした。中でも面白かったのが、ギャーギャー騒ぐ私に「てめーはうるせんだよ!!ちっと黙ってろ!」とマスク(普通の白いやつです)を掛けられた事です。ドレミファドンで不正解した人がバツ印のついたマスクを掛けられている所を想像して、可笑しくて可笑しくて、、でも喧嘩中だったので必死に笑いをこらえたのを覚えています。05/5/16(にゃりこ)
普通の白いやつで良かったな。ルチャリブレのマスクとかじゃなくて。 05/5/16(石川浩司)
嬉し恥ずかし、初恋の男の子とした喧嘩。
彼とは、時々冗談を言ったり、ノートを貸したり、なかなかいい関係だった。
最後まで私の片思いだったが、「好き」ということがばれるのが恐くて、相手に対して必要以上に冷たく接してしまった、不器用この上ない思い出。
彼が内ばきで、クラスメイトの机を叩いてた。何故そんなことをしていたのかは忘れたが、ただふざけていたように記憶している。それに対し私が「やめなよ、汚い!!」
とか、みもふたもなく罵ったのであった。
それ以来、彼は私と口をきかなくなった・・・。卒業までもう殆ど口をきくことが無
かった。思い出すと今でも胸が痛い思い出・・・。 05/6/20(かなめ彦)
そして運命の再会。ここからドラマは第二章! 05/6/20(石川浩司)
かなめ彦さん、結婚式には呼んでおくれ〜。05/7/4(ペロ)
ペロさん、その後私は現在の夫と出会い、結婚してしまいました・・・。
もしも離婚し、彼も離婚し(彼も現在は既婚者です)その彼と運命の再会を果たし、再婚!なんてことになったら、その時には是非来て頂きたい!披露宴! 05/7/11(かなめ彦)
妹とよく昔はビデオ・チャンネル争いで喧嘩しました。大概、妹と見たいチャンネルが被る→双方共に徐々にTVに近づき、本体のボタンを押したり、リモコンを使ってチャンネル争いに発進→どちらかが相手の体を押さえてチャンネルを変え始め、乱闘に→大概は僕が勝ち、TVを独占するも後味が悪くなり、妹は泣いて退散というパターンです。最近はこういうのは大人げないので、被ったらCMの間は相手のチャンネルに譲る事にしてます。ただ、変えたらタイミングの問題で、自分のもCM中だったり、いいシーンで変えられたり、ヤマ場を見逃したりと、喧嘩にならない代わりに空気が冷え込んだものです。05/9/5( Hi-)
もうずいぶん昔の話ですが、友達と2人、所持金500円で神戸から東京にヒッチハイクで行ったとき、吹田のパーキングエリアで、150円くらいのとん汁を食べるか食べないかで大ゲンカになった覚えがあります。
きっとお腹が空いていたのでしょうね。
その時にゲラゲラ笑いながら仲裁に来てくれて、さらに京都まで送ってくれたおじさんありがとう。
色んな意味で思い出に残るケンカになりました。05/11/29(べーしっ君)
俺も高校のときサイクリングで長野の駅前で友人と牛丼の肉のひとかけで喧嘩したことある。金のない旅行で食い物はインポータントだからねぇ。05/11/29(石川浩司)
まだ中学生でお金をちょびっとしか持っていなかった頃、なけなしのお金で公園で友人とお酒とサラミを買い宴会をしていたのですが、そんな必死に買った大事なサラミの残り一枚を友人が先に食べてしまい、本気で腹が立って口を無理やりこじ開け、グチャグチャに噛み砕かれたサラミを穿り出し奪い取って食べたという思い出があります。食べ物の恨みは恐ろしいです。 07/9/23(ことり)
俺も高校時代、牛丼屋で肉ひとかけら隣の友人に盗まれた時怒りが爆発して胸ぐらつかみそうになり、「なっ、なにマジで怒ってるんだよぉ」と言われた経験あるな・・・。 07/9/23(石川浩司)
思い出というか、今までで一番マヌケな大喧嘩といえば、超暑がりの元彼と「ストーブを置くか置かないか」で本気のケンカをしたこと(笑)
いくら寒さに耐性があるからって、相棒の私が部屋の中でコートを着ないと過ごせないような環境はいかがなものか!?って話ですよ〜。
寒いからって必死こいて哀願してるのにもかかわらず却下(泣)
この他にも「ぼくのすきなものはきみのきらいなもの」な勢いで、私の趣味嗜好をことごとく否定されたことから、結婚の話も出ていたけど別れを決断。まさに「いなくていい人」になってしまった。
これまでの腹いせってわけじゃないけど私が無理やりケンカのあと持ち込んだストーブをそのまま置いてきてやりました(爆)
今のダンナも暑がりではありますが、お互いが調整して同じ温度で暮らせるようにしています。趣味も音楽なんかは特にかすりもしないけれどそれぞれの世界観を否定しない、結婚ってこういうところが大事なんですよね。 07/11/17(梅桃ひよ子)
どういう部分を共有したいか、どういう部分は違っても許容出来るかと、そのバランスだよね。 07/11/17(石川浩司)
旅行時、彼がお風呂を溜めてくれて「入ってきなよ」って言ってくれたのに、その時、どうしても観たいアニメ番組があり、「後で」と駄々をこねて。
あんまりしつこいので、つい強い口調で「見たら入るって言ってるでしょ!」と言うと、彼は無言でお風呂場に行き、お湯を流してしまいました…。
ふたりとも無言のまま帰り支度して、車で10分くらい走った所で、泣いて謝りました。
6,7年付き合ってますけど、ケンカというのはこれだけかもです。 08/4/8(グミ)
ま、けんかなんてたいてい原因は些細なことで。その時たまたま感情の流れやタイミングが悪かったりすると起きるんだよね。
6,7年でそれだけなら、思い出として取っておけばいいんじゃない? 08/4/8(石川浩司)
高校時代、「こいつ、同い年か???」という程、細目で、顔が老けて見える奴がいました。
いつも何かに付けて、絡んできたので、対抗手段として、「何歳年ごまかしてんの?」などと、嫌味を言い返してきましたが、それから先がいつも怖いことになりましたね。
言葉の暴力と身体の暴力、この場合はどちらが程度が過ぎた方でしょうかね?11/2/21(Hi-)
どっちもどっち〜。
肉体的に痛めるか、精神的に痛めるか。
もちろんそのふたつは密接に関係しているので完全には分けられないけど。
俺は少なくとも殴られた方が強い言葉よりダメージは少ない。 11/2/21(石川浩司)
21の誕生日に私の誕生日より有馬記念を優先した当時の彼氏にブチ切れ。
付き合って4カ月くらいで、初めての人だったのもあって、なんか知らんけど泣きながら怒りました。と言っても誕生日だからデートしようって約束はあって、その前にちょっと馬券買いに行っていい?って言われた程度のことで別にデートすっぽかされたとかじゃないのに、今思うと超めんどくさい彼女だったな(笑)
今だったら全然笑い飛ばせるレベルの事なのに。なんか、今となってはその時すごいきまずい空気にしてしまったから、逆にごめんって思います。だって、彼のことめちゃくちゃ好きだったんだもの 11/3/22(ねこ)
まぁその時その時の年齢で変わる感覚ってあるよね。
それはしょーがないことだね。 11/3/22(石川浩司)
両親が共働きだったせいで、小学校の放課後は「留守家庭子ども会」(児童保護施設)で過ごしていました。
引っ込み思案の子供がトラブルを避け親に心配を掛けない方法はただ一つ、施設の端で無口に小さく丸まっていること。
ところが、その様子が恰好のイジメの標的となってしまったのです。毎日のように「ダンゴむし」とからかわれ蹴りを入れられていました。
そんな状況が2年も続いた頃、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまいました。
砂場で大人しくしていると、いつものようにイジメっ子のリーダーがやって来てしつこく「ダンゴむし」と連呼しています。もういい・・・。
今までの押し沈めた怒りが爆発するかのように、一気にイジメっ子のリーダーまで走って行くとそのまま両手を突き出しました。ドーンッ!
イジメっ子のリーダーは、まるで気孔砲を食らったように吹っ飛ぶと地面を転がりました。あまりの予想外の反撃だったためか地面にはオシッコの水溜りが出来ていました。立ち上がりヒィーヒィー逃げる「奴」を無言のまま追い掛け回しました。
すぐに施設の職員が駆けつけましたが、制止するどころか笑って応援してくれました。
次の日からイジメもなくなり、いつの間にか英雄扱いになっていました。
自分の身を守るためには、時にはアクションも必要なんだと学んだ小学3年生でした。 11/8/13(スーパーダンゴ虫・孫悟虫)
そうなんだよね、やる時はやらなくちゃね。
俺も小中学校の時はよく喧嘩した。
あ、でももちろん素手でね。
物を使ったら本当に取り返しのつかない怪我とかになることも多いからな。
最近の子供は喧嘩をしなさ過ぎて加減が分からず、一気に殺人までいってしまう・・・。
そうならない為にも、子供の時は適度の痛みを伴う喧嘩はしておいたほーがいいと思うな。 11/8/13(石川浩司)
小学生の頃、冷蔵庫にあった弟のヤクルトミルミルを欲望に負けて飲んでしまい、発覚して取っ組み合いの喧嘩になりました。3歳も上の私が本気で殴り返すのも躊躇われるのである程度殴られて休戦しましたが、真っ赤に目を泣き腫らして弟が放った言葉。『一生恨んだるからな!!!』
あの表情と子供ながらもドスの効いた恫喝、今でもありありと脳裏に浮かびます。こないだ当人に聞いたら忘れてました(笑)。 14/3/4(オポムチャン)
俺もGさんとイギリスのレコーディングの時、晩飯後のトランプ大会の大貧民で「は〜い大革命!」と言って大逆転で勝ったら「もう石川さんとは一生遊ばねえ!!」と言われた。
翌日には一緒に遊んでたが(笑) 14/3/4(石川浩司)
大学3年の頃、合唱団の指揮者と運営委員長が口論から取っ組み合いになりました。
先輩方は笑ってるだけで止めようともしてくれないし、私は居合わせた立場上めんどくせえけど必死で止めにかかりました。
4階から階段を揉み合いながら降りて行き、振り払って突き飛ばしたりして帰ろうとする指揮者と引き留めて話をつけたい運長。あまりにも双方が意地を張り続けててしかも危ないので、私は自分でもビックリするくらい大きな声で
「お前らええ加減にせえ!!!」
と叫んでいました。
オポ「指揮者も明日になったら話聴く言うてるやろ! おい間違いないな!?」
指揮「・・・おう、明日なら聴くわ」
オポ「ほなもう今日はこれでええやろ!? 離れて頭冷やして仕切り直せや!!!」
面倒事にこれ以上巻き込まれたくない一心で止めにかかった喧嘩ですが、その後何故か運長と指揮者の両方から妙に懇意にされるようになりました。めんどくさい野郎ふたりに慕われ、よけい面倒なことになりましたとさ。私は誰にでもできるだけ平等に接したい偏屈なので、変な奴によく慕われる傾向にあるのです。おおめんどくさ・・・ という私もめんどくさい奴。 14/8/2(オポムチャン)
その性格、俺と全く同じや・・・。
誰にでもできるだけ平等に接したい偏屈なので、変な奴によく慕われる傾向。
ま、変な奴面白いことも多いんだけどね。時々疲れることもある・・・。 14/8/2(石川浩司)
ケンカするほど仲がいい、という感覚が分かりません。僕にとって喧嘩=殲滅戦なので、おかげで今でもひどい人見知りなのかもしれません。 14/12/26(Sankaku)
まぁケンカにもいろいろあるからね。
あくまで小さなケンカの意味だよ。もー、プンッっていう。 14/12/26(石川浩司)
小六の時、バスで席を譲るかどうかで爺と蹴り合いになってバス止めさせかけたりとか、てこれ相手から「ガキは退かんかい!」みたいな感じで言われて喧嘩になったんすけど、「爺さんてわかれば退きますがな!」
中三の時は丹波橋駅の京阪と近鉄を繋ぐ通路で肩が当たった相手に僕が飛びかかりそうになったのを母親が必死で止めて何事もなく終わったりなど。
でも一番おもろかったのは、小六の時1年先輩の皮膚を引っ張って綱引き代わりにして両方から体引きずった事かなあ。
当時通っていた学校は小学と中学の校舎が同じだったため、よく中学のやつにからかわれたんっすよね。
その内の一人(全盲)を黙らせようとクラスのやつ3(全盲)と計画し、体育館から出てきた先輩を捕まえて、「おいこらー、わしら小学生や思てなめとったらあかんぞこら!」て言ったと同時に両腕の皮膚はがして体引っ張ってやったんですね。
で、静かにはなって喜ぶもちょっとやりすぎたようで、後で職員室にしっかり呼び出されるも、「体の傷は時間がたてば直る。言葉で受けた傷はそう簡単には直らん!」などと思いつつ、形だけ二人で頭下げて帰った記憶が。
あー、おもろいという表現は適切ではないですね! 15/3/13(西大路)
子供の頃は本当に心から悪いなんてまず思わなかったなあ。
いつも何かしても形だけで謝ってた。 15/3/13(石川浩司)
ケンカというかむしろのろけ話ですが、通い先の日帰り旅行のことが話題となり、朝の朝礼で上司の女性が「(笑)Sankakuさん自転車で行くんですか、切符の買い方わかるんですか〜?」と失礼なこと(笑)を聞いてきたので軽く肩をひっぱたきました。笑いながら「痛~い」と言う上司の顔が今でも忘れられません。
ちなみに仕事でも大変なことを一緒にこなしているので、頼りになる方です。 15/11/24(Sankaku)
今度は強く尻をひっぱたいてみてください。「痛〜い」と笑顔で言ったら変態さんです♡ 15/11/24(石川浩司)
本当に強い人はけんかをしないそうです。坂本竜馬も、街でのいざこざなどでは、とっとと逃げ出してしまったそうです。金持ち喧嘩せずとも言いますしね。 16/8/23(わいわい)
剣の達人という人の必勝法を観たら「まず敵の前から一目散に逃げること」だった・・・。 16/8/23(石川浩司)
金持ち喧嘩せずです。 18/2/27(わいわい)
この言葉微妙。金持ちはいざとなったら金で解決するという余裕もあるから喧嘩しないという考え方も出来る。
貧乏に生まれたらどこかで喧嘩していかないと生きていけないということもあるかもしれない。 18/2/27(石川浩司)
昔恋人とマックにするかバーガーキングにするかでケンカしたことがあります。あまりにも下らない喧嘩でした 19/1/24(笑)。 19/1/24(着の身着のまま木の実ナナ)
喧嘩の原因なんてたいていくだらねえもんよ〜。 19/1/24(石川浩司)
子どもの頃は姉とよく喧嘩をしていました。昭和のやけに角が鋭角なテレビリモコンを姉に投げつけられて頭から出血したとか、夜に姉と留守番中に姉から出ていけと言われた私が本当に出ていくフリをし、姉が心配して私を探しに出て行った隙に家に戻り隠れていて、帰ってきた姉がテレビを見ている所に私が姿を現すと姉が泣き出した〔勝った!〕とか。
一番印象に残っているのが、姉に何か意地の悪い事を言われて口では勝てない私が、姉の音楽カセットテープをドライバーでグサッと串刺しにしたら、怒った姉がテレビの上に並べてあった私の聖闘士星矢のプラモデル数体を、水平チョップでバーン!とした喧嘩です。プラモデルが無残に飛び散っていく光景は今でも覚えています。
まあ、大人になったらたまに話題に出る笑い話ですけど笑。 2024/8/10(ひももん)
二歳違いの次男とは喧嘩したなあ。でもどうしても俺の方が勝っちゃうから悪いことしたなあと今でも思う。三男は歳が離れ過ぎていて喧嘩したことはないな。でも次男とも小学校低学年まで。それ以降は他の友達と遊ぶことが多くて、弟とはそんなに遊ばなかったからね。 2024/8/10(石川浩司)
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