? 話題76 実験用のネズミ

話題76 実験用のネズミ



よくポスターなんかで、「実験でネズミなどの動物を殺すのはいけない」などと言うものがありますが、私はあんまりその意見に賛成しません。人間が長生き出来るのは、このネズミたちのおかげで、もし実験でネズミを殺すのは駄目ということになったら、新しい病原体などに対処出来なくなって、医療技術が発展しなくなると思います。そうすると、人間の寿命は短くなっていくと思います。
海外の動物愛護団体でも、「魚の躍り食いはいけない」「鯨を食べてはいけない」「ペットをいじめてはいけない」と言いますが、動物愛護団体の人で牛肉や魚や卵などを全く食べないと言う人はあまりいないと思います。私は、「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメを見てから命が重いとうい事に気づきあんまり肉を食べなくなりました。実際、そのアニメの監督の庵野秀明という方は動物の肉を全く食べません。
私の友達も実験用のネズミのポスターを見て、実験で殺すのは駄目と言いました。しかし、以前にその友達は牛肉が大好きで、牛肉の油が好きと言っていました。と言うことは牛や豚は殺しても良くて、かわいいネズミなどは殺してはだめということになります。結局、菜食主義でない限り人間の命が一番で、動物の命の価値を人間が決めていると思います。
皆様はどう思われますか?  03/4/7(はんど)


***レス(発言は古い順に並んでます)***


昔から思ってるんだけど、菜食主義の方に聞きたいんだけど、毎年成って落ちる「実」とかは別にして、根っこから取って食べる野菜もあるけど、あれはなんでいいの?
 野菜死ぬけど、声を出さないからいいの? 野菜の命は絶ってもいいの? あ、別に反論とかじゃなくて、単純に聞きたいだけなんだけども。  03/4/7(石川浩司)

動物愛護団体って、各団体によって細かな所で主張の正当性もあるんでしょうけど、やっぱり矛盾もありますよねえ。採取・利用するにはちゃんとした目的があって、それが度を越さない程度ならネズミの実験も、狩猟も許されることと思います。その度を越えた時点で初めて動物愛護団体の出番ですよ。その「度」は今の科学・自然調査技術なら設定も可能でしょうし。
それと食べるための狩猟に関してですが、日本には「いただきます」と手を合わせて言う素晴らしい習慣がありますね。  03/4/14(作戦失敗)

「動物が好きだから獣医師になりたい」という人もいれば「動物が好きだから獣医師にはなりたくない」という人もいます。
さかなくんは魚を見るのも描くのも食べるのも大好きです。
「犬は骨が好きだもんね、わたしのかわいいパピーちゃんにケンタッキーフライドチキンをあげましょう」と言って丸ごとあげ、血を吐いた犬がいます。
(鶏の骨は鋭く割れるからあげてはいけないことくらい、飼育書1冊読めばわかることです。)
愛護とは何でしょう?
 動物関係の学校へ行きましたが私もいまだに答えが見つかりません。 03/4/14(るつ)

ネズミはカワイソウだけど俺の命と人類の栄光のためなのでゴメン…といった気分です。
牛や豚は肉片となったからには食べ物にしか見えない…殺すとこ見てないからイイ…て感じです。
菜食主義の友達は『野菜は別に殺される事を嫌がらないからだいじょーぶ』とか言ってましたよー。
そんな事考えるのーみそは無いからイイらしい。苦しまないからイイらしい。
やっぱ小さい頃から慣れてれば何でも許せちゃいますねー。 03/4/14(勾丞)

僕も以前から石川さんと同じような事を思ってました。植物の芽って日光の方に向かって伸びてくんですよね。光が欲しいから自分の意思で。それをブチッて切ってムシャムシャ食べながら「動物愛護!」って言われても・・・って気はします。僕は肉でも野菜でもおいしければ何でも食べます。罪の意識はほぼゼロです。エヴァンゲリオンの内容はよく知らないけど、命の大切さを意識して食生活を変えていったら最終的に人間は一日たりとも生きてけないんじゃないんでしょうか。   03/4/14(恋女房)

「喋れない」=意志がないとはわからないもんね。サボテンとかには意識がある、という科学的データもあるしね。メキシコでサボテン食ったけど(笑)。 03/4/14 (石川浩司)

草食動物は草を食べるし、肉食動物は肉を食べる、雑食動物はその両方を食べる。人間も生きるためにしていることだからいいと思う。人間はいろんなこと考えるからいろんな意見を持った人がいて当然だと思うけど、菜食主義者が、菜食主義でもない人に押し付けるのはどうだろう。
牛を育てている人は牛が大好きだし、とてもかわいがってると思う。でも食べるために牛を殺してる。ネズミで実験する人は、人間で実験するわけにはいかないから、ネズミや豚などの動物でしているのではないかな。
その実験のおかげで人間は助かっているんだし、動物病院があるように、動物だって助けてる。
今まであまり考えたことはなかったけど、わたしは「実験でネズミを殺してはいけない」ではなくて、「ネズミよありがとう」という考えを持ちました。 03/4/14(めめ)

韓国に行くと、市場にも犬がいるし、ペットショップにも犬がいる。境界線はよーわからん。 03/4/14(石川浩司)

多くのご意見、ありがとうございます。植物が生きているというので思い出したのですが、中学校の理科で習った植物の葉に気孔というところがあって、
http://www2.hamajima.co.jp/~nisiki/bekkan/hana/muratuyu/kikou1.html)たぶん、ここから余分な水分を出していたと思います。始めてみたときは、人間の口がいっぱいあるように見えたので恐れました。これを見ると、植物も人間と同じように生きている感じがします。しかし、生き物だからと言って宗教にこだわりも全くないので食品を選ぶ気はないです。お菓子売り場で、「あっ!これには、かつお節エキスが入っている!食べちゃ駄目だ!こっちは・・・抹茶が入っている!駄目だ。」と言いながらお菓子売り場に何時間もいられないです。
私も、こうゆう事に関して一人で考えていても答えは出てこないで皆様に聞くことにしました。これだけ意見があると答えは少しずつまとまっていきそうですが、正確な答えという物はなさそうなので、このままずっと曖昧なままかもしれません。でも、いろんな人の意見を聴いて私なりの考えがまとまったらいいと思います。
反論でもいいのでいろんな意見が聴きたいです。 03/4/21(はんど)

考えてみりゃ、「動物愛護団体」というのもわけわかんないとこあるよねー。希少動物の保護、とかいうのはまだわかるけど(しかしそれも人間の感傷的な部分が多く「生物界の自然淘汰」と考えると不自然な部分もあるのだが・・・まぁ、それはおいておこう)、例えば豚に悪戯で石を投げていたら「動物愛護に反する」ということで糾弾されるだろーが、食肉として殺して食べることはしょーがない、ということだ。
 これって、豚にしてみれば「殺されるより石投げられていじめられてる方がまだいいですー」ということにならんのだろーか?  03/4/21(石川浩司)

私は高校の教師です。生物を教えています。ネズミを使った実験を、大学にいた時も教師になってからもたくさんやっています。こんな私のいくつかの経験がご参考になればと思いました。
昨年の3月、ハツカネズミの解剖を同僚がやって、その際の余った(生き残った)ものを引き取って飼っています。指に乗せて、ぐるっと返すと鉄棒の前まわり。手の中に包むとひょこっと顔を出す。かわいいものです。授業にも持っていってやります。
(服におしっこをかけられたりする。)生徒はキャーキャー大騒ぎ。去年の秋ごろからはパンダマウスという白黒模様のハツカネズミを買ってかけ合わせの実験をしています。(いろんな色の子ができる。)今、我が家には40匹のマウスが所狭しと生息しています。もちろん放し飼いではないですが、部屋が臭くなるのが大問題です。
こんなわけで、教え子たちは私がネズミ好きなのをよく知っています。その彼らに、今年の3月、私はハツカネズミの解剖をさせました。「貴重な命を使って、私たちとほぼ同じ体の中身の実物を見る貴重な機会なのだから、真剣に取り組むように。」この私のメッセージは、マウスを麻酔で死なせる頃から生徒たちに次第次第に浸透して行ったようです。普段はやる気を見せない生徒たちも、気持ち悪いだの汚いだの言って手を付けかねていた生徒たちも、作業を進めるにつれて「これってあたしたちの○○(具体的な記述は避けます)と同じなんだよね」などと言うようになっていきました。最後に校庭の片隅に(こっそり)穴を掘って埋め、全員で合掌。生徒にも私自身にも貴重な経験でした。
感傷的に「かわいい」と叫ぶのは楽です。安易です。命と引き換えに大事な何かを得ることができることはあると思います。私達は、命を食べて生きています。食べられてしまう命と引き換えに、それらの命が与えてくれた栄養を私達は十分活かして生きているでしょうか?  03/4/21(かづ)

「実験動物」や本物の人間による「献体」があって、病気の解明になったりしてきた歴史もあるしね。要はやはり気持ちの問題だろうね。  03/4/21(石川浩司)

私の地域で「ひよこから育ててニワトリを食べよう」という授業を提案したところPTAの猛反対で却下されました。
かづさんのおっしゃるとおり、私達は命を食べていますから、そのエネルギーをなるべくいいことに使いたいですね。 03/4/28(るつ)

前に旅行記で書いたけど、マレーシアでは「牛」を教えるのに、3点のイラストがついていて、ひとつは牛が草を食べているところ、ひとつは鞄、ひとつは解体場で肉になっているところ。俺はこの教育の方が正しいよーな気がするな。牛は鞄でもあり肉でもある。事実は事実として冷静に知らなければならないと思うから。 03/4/28(石川浩司)

高校の生物の先生からのご意見うれしいです。(私の高校には生物の先生がいないのでとても貴重)今でもネズミを使った実験を学校でやっているんですね。小学校の時、理科の教科書にカエルの解剖の写真が出てきたので、生物の分野の授業になったときは、いつ解剖するのかと毎回おびえていました。結局、小学校ではやらなかったのですが、中学校で人間の血を顕微鏡で見るというような実験がありました。生徒が自分の指を切るのです。もちろん臆病な私は指なんて切れません。理科室のその空気が耐えられなくて、気分が悪くなり先生や周りの人に「顔色が悪い」と言われて保健室へ。化学や物理は好きですが、生物はこのような実験があるので好きじゃないです。今行っている高校は生物の授業がないのでうれしいです。 ひよこを育てて鶏にして食べるという授業をもしやったら大変でしょうね。とても良い経験にはなるだろうけど、それで鶏肉が食べられなくなる人が出てきたときなど。PTAが・・・。マレーシアのように、「牛」をイラストで教えるのがいいですね。かわいらしい絵の教科書で見ても、現実を知ったことになるので。最近出来た「総合的な学習の時間」にこういう授業してほしいです。あと、最近知ったのですが、「いただきます」も神様に対する宗教的な言葉で、「いただきます」を言わない宗教もあるということ。ある学校では、いただきますの代わりに笛を吹くそうです。いかにも学校的です。  03/5/5(はんど)

笛・・・。想像すると奇妙な光景だな(笑)。 03/5/5(石川浩司)

私は動物を使って実験することは仕方ないとしても、気持ちが大切だと思います。
動物を実験に使って、その動物の命を奪ってしまったりしても、それを当たり前だと思ってはいけないと思います。
うまく表現できないのですが、どうしても実験動物が必要であるなら、その命を必要以上に無駄にしないよう、また必要以上の苦しみを与えないように努力するべきだと思います。

牛や豚、鳥、魚などを食べるために殺すのならいいかもしれないけど、そのときも必要以上の苦しみを与えないようにしてあげるべきじゃないかなと思います。

でもどんな風に言っても、しょせん偽善かなぁとも思います。
だって私は実験動物のおかげでできた薬や化粧品を使っているし、肉も食べていてそれをやめようとは思っていないのですから・・・。  03/5/5(冷凍みかん)

動物実験は一部条件付で賛成です。病気の解明等、医学の分野で行われる分には正当性がありますが、化粧品の安全検査の為に行われるそれは虐待です。化粧はしなくても生きていけますし、動物実験を行わないで安全を確認しているメーカーもちゃんとあります。

ちなみに自分は肉食そのものは否定していませんが、現在の歪んだ食肉生産システムのままで肉食(含、乳製品、卵)を行う事には反対です。故に現在はその類のものをかなり制限しています。

さて、ここ読んでいる人たちの中で何人くらいが白色レグホンの雄の一生を知っているかな? 03/5/12(票)

命。(ゴルゴ松本風に)
ふたたび高校生物教師です。生き物ってすばらしいと思っています。ただ、どうにもならないのが、生き物どうしには食う・食われるの関係があることです。動物はどうしても他の生物のからだを食べて栄養を手に入れないと生きていけません。植物は自分で栄養(デンプンとか)を作れます。(光合成というやつだ。)人も動物ですから、生きていく限り他の命を犠牲にするのが必然になってしまいます。(シャカの言う「業」なんでしょうか。)栄養が取れるなら、植物でも動物でも、イネでもコムギでも牛でも猿でもアゴヒゲアザラシでもいいのでしょう。もっとも、食われてしまう生物にとって死を意味するという点においても、植物と動物とは同じです。同じように生きているのですから。石川さんのおっしゃる、根こそぎとるか落果を集めるかの違い
も本質的ではないと思います。豆とか栗とか多くの実は種です。次の世代のもとです。つまり、動物なら赤ん坊を集めて食べるようなものです。…菜食主義者の本質的は生活習慣病対策かとさえ思います。
私の感覚では、実験に用いる生命はもちろん必要最低限にし無駄な「死」をさせないことは必要ですが、必要な実験に用いる生命は動物も植物もカビも細菌も同じく貴重な「命」なんだ、とわきまえているつもりです。なにせ、研究すればするほどすべての生物が同じ原理で頑張って生きていることが痛感されるのです。(病原菌たちもね。だから困るともいえるのですがこれは人間中心主義で。)
西洋人の感性で、人間に近いものほど高度な生命だ(から大切だ)、みたいな感覚があるらしいです。きわめて自己中心的で嫌です。彼らの感覚では、鯨と鮫は天と地ほども違う生き物なのでしょう。なにせ哺乳類と魚類ですから。だから捕鯨に異様に反感を持つのでは。(イルカは超音波で交信をしているから高度だそうで。じゃあ紫外線を使って交信をしているモンシロチョウも高度だといわなくてはいけないはず。重力と太陽光を利用して複雑なメッセージを伝えるミツバチはどうなるのか。)

たいへん長くなり申し訳ありませんでした。  03/5/19(かづ)

ちょっと違うかもしれないけど、うちの親父がそういう研究をしているので、良かったら見てやって下さいな〜。 03/5/19(石川浩司)

私は動物実験については新薬の開発や教育のために行うのであれば、かまわないと思います。でも、どんな生命も尊いもの。それを理解していない人には、動物実験を行う資格がないと思います。
 でも一つだけ納得がいかないものがあります。それは、化粧品の開発にネズミ・犬・猫などを使って動物実験を行うこと。化粧品は人間の肌につけるものです。それを開発するのにどうして動物実験が必要なのでしょう?答えは簡単です。人間にとって害になるものを使って化粧品を製造しているからです。その人間にとって害になるものというのは石油由来製品です。石油というとガソリンですよ?なぜ石油を使うのかというと、原価単価が安いから。企業は私利私欲のために単価の安い石油を利用し、普通に使うと危険だから動物を利用して実験して異常のなかったものを製品化するという状況です。化粧品の原料すべてが天然のものならば、動物実験は必要ありません。実際に天然成分のみで作られていて、動物実験を行っていない会社はありますが世界中でも数社しかありません。私はこの話を聞いて必要のない動物実験を行う企業に対して憤慨し、同時に化粧品の現実というものに落胆しました。今では、天然成分のみで作られた化粧品しか使っていません。
 話が長くなってしまいましたが、私が言いたいのは『実験が必要でないもののために犠牲になる動物たちの例は、他にもいろいろあるんじゃないか?』という事です。また、それは人間のこころの持ちようでなくす事もできるんだということ。みなさんもよく考えてみてください。  03/6/30(たらこそば)

私は動物実験をしている側の人間です。詳しく言うと、大学院の研究室で毎日なんらかの命を犠牲にしながらデーターを集めています。
 学校側の体制としては、慰霊碑を設け、毎年慰霊祭を行い、学生実習の際に文部省から配布された、動物実験を始めるにあたっての心構えのビデオを見る、といったところです。ちなみに動物を飼っている建物は生体材料センターと呼ばれています。
 実際に毎日真夜中まで作業をしていると、ついその作業がとても単純なものに感じられて命を奪っているということを忘れている瞬間があります。
 初めてそういう瞬間に出会ったときには自己嫌悪になりましたが、いまでは命を食べて毎日生きているのと同じでで感謝の心を忘れないでいたいという気持ちでいます。 03/6/30(ぷちこ)

はじめまして。こちらのレスを眺めていて、ふと感じたことをつづらせていただきたいと思います。
生き物を殺して食べることでヒトは生きるためのエネルギーを得ています。なので、ヒトは自然なしでは生きてゆけないのは当たり前のことです。
けれど、今までヒトが自然(動植物すべて)に対してやってきたことは?
薬剤、乱獲、汚染など、上げればきりが無い横暴の数々。そしてそれは今も行われています。
そんなヒトが自然を『守る』だなんて。
むしろ、『守られている』ことに気づけないのでしょうか。
若造が長々と偉そうなこと言って申し訳ありませんでした。
また、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。03/6/30 (パド)

パドさんの意見、よくわかります。この世界は弱肉強食。いわゆる食物連鎖が成り立っていて、人間はその頂上に立っています。頂上に立つためには他の下層の存在が必要です。私達人間は下層に存在するものがあるからこそ、頂点でいられる=生きていられるということを忘れないで欲しいですね。守る以前に私達は守られているんです。守られているからこそ生活していけるというわけですね。 03/7/14(たらこそば)

でも、もっとも下層と思われるプランクトンは滅亡しないよね。食物連鎖って不思議だねーん。 03/7/14(石川浩司)

地球上の人間以外の全ての生き物にとって、一番の愛護となるのは「地球上から人間が一人残らずいなくなること」だそうです。
中途半端な動物愛護なんてやめちゃおうよ。お肉や野菜も感謝していただいてます。  03/7/21(のん)

生物実験というものが世界中にどれだけの種類があるかわからないです。
もしそのウチの他愛もないような実験の一つが中止になったとしても、そのせいでどんな被害が人類に及ぶのか。
そんな知識を持たない俺には「やめてくれ」「反対だ」なんて言い出す勇気がありません。
でも、ただ一つだけいえることは、遊びで蛙の爆発とかミミズを花火で殺す「昔よくやったなぁ、田舎の遊びだな、懐かしい」という考えに納得できません。
釣りでミミズを餌にして、やっと釣った魚を逃がす。これも意味がわかりません。
俺は生まれてこの方、解剖なんてみた事ありません。
と、いう事はそういう大学までの間に解剖実験なんてやる意味はなかったのでは?
それらはどう考えても全く意味がないものではないですか・・・。03/7/21(勾丞)

う〜ん。子供が虫や爬虫類を殺す遊びって、殺生には違いないんだけど、必要悪というか、そんな気もする。うまく言えないけど、「全く意味のないこと」というのは世の中には存在しないと思うんだよね。二次的な意味での影響とか思想に反映してくると思う。それは必ずしも悪いことじゃない気がする。  03/7/21(石川浩司)

るつさん達のやろうとしていた事を実践している高校がありました。今はどうかわからないけどテレビでやってました。
 その現場たるや、凄まじいものでした。女の子は泣き叫び、しまいには気分が悪くなって倒れる子もいました。
 絞める時も眼をそむける生徒に先生は”よそ見をするな!手元がくるったらどうする。にわとりが楽に死ねん”と言ってました。その鶏で水煮を作り生徒は残さず食べてました。この時初めて”いただきます”の意味を知ったような気がします。
 動物愛護団体の人が見たらなんて言うんでしょうね。とりあえずこの人達の仕事は当面、ピエロと白い眼鏡じいさんの説得でしょうね。   03/7/21 (そもさんせっぱ)

そもさんせっぱさんのおっしゃる高校の教育についてですが、それは正しいことだと思う。食料として動物を殺すということは人間が生きていく上で必要不可欠の行動であるが、店に並べられている商品としての動物肉しか知らない人達と、動物をさばくところを知っている人では後者のほうが動物に対する感謝の心が大きいと思う。 (たらこそば)

ちなみにマレーシアの小学校の教科書の「牛」のページには3点のイラストがそえられてあって、ひとつは放牧されてる牛、ひとつは鞄、ひとつは食肉に解体されているところだった。この3点を合わせて「どれも牛である」と認識させる。この教育は正しいと思う。 03/8/4(石川浩司)

鶏を飼って解体させて食べさせる授業。正気の沙汰ではありませんね。あまりにも今の時代にそぐわないやりかたで、ただ残酷な行為に慣れさせるだけの意味のない授業です。

食べ物の大切さを教え込むのが目的なら、肉を生産するためにどの位穀物を消費し、その穀物を育てるためにどれだけの手間をかけているか、または環境にどう影響を与えているかを理解させないと意味がありません。ただ飼育して殺して食べたってだけでは狭い範囲でしか物を見てないという結果になってかえってマイナスです。

「なんでもありがたく」食べた結果が、環境汚染や肥満、地球温暖化につながっている事をよーく考えて欲しいです。 03/8/11(票)

私は票さんの意見にも同意いたしますが、「肉を生産するためにどの位穀物を消費し、その穀物を育てるためにどれだけの手間をかけているか、または環境にどう影響を与えているかを理解」させた上でのさばく授業はマイナスにはならないのではないかと思います。なぜそう思うのかというと、それを理解させた上でのさばく授業でないと、それは無意味なものでしかならないと思ったからです。
また「なんでもありがたく」いただいた結果ではなくて、票さんのおっしゃる「肉を生産するためにどの位穀物を消費し、その穀物を育てるためにどれだけの手間をかけているか、または環境にどう影響を与えているかを理解」していないから環境汚染や肥満、地球温暖化などに対しての危機感や実感があまりないのではないでしょうか。 03/8/18(たらこそば)

研究用のネズミは否定できない自分です。しかし、無為な殺生であるなら反対です。そして、無為に野良猫やハトに餌を与えることにも反対です。餌付けされた動物達は、自然界での適応力が低下してしまうのですから。でも、あくまでも無為な場合のみ。生涯にわたり餌を与え続け、人に害を及ぼした際は、それら動物に代わり対処・謝罪し、死んだ際には埋葬するなら、反対しません。また、少々の無為な殺生は必要悪であると考えます。たとえば、「アリを潰す」などという子供心に行う行為は、死という概念を子供ながらに理解する為に必要だと思うのです。テレビゲームで攻撃ばかりを繰り返し、負ければリセットしてやり直す環境で育つと、「永遠の無」を生む恐ろしさは知りえないでしょうからね。簡単に人を殺せる人は、他の死を自己の死に置き換えて考える発想が無いから、考えた事が無いからなのでしょうからね…。
なによりも、完全な自給自足となれば、食肉獣たちの無駄な殺生は発生しない事でしょう。貨幣経済に於いて、商売になる限りは、無駄な殺生は無くならないでしょう。鯨も食べる分だけ獲る事を追求できていれば良かったのでしょうけれどね…。 03/8/18(T.E.E.)

肉屋が殺した動物にいちいち墓立ててたら、世界中墓だらけになるからね。03/8/18(石川浩司)

動物愛護団体って、嫌な言い方すると、ただの自己満足集団だと思うんです。そんなに動物が殺されるのが嫌だったらあんたが実験台になれば?と言いたくなるのですが。
動物も植物も生きていることに変わりはないんだから、それを喰ったり実験台に使う時に感謝すればいい。上のほうにも出てきましたが、「いただきます」とかいう言葉はまさにそのためにあるのに。 03/9/8(たにし係長)

猫や鯨はなんかカワイイから愛護するけど、見た目がカワイクナイ生き物については結構無視してるもんね。ゆーなれば生物は平等じゃない、って主張してるよーなもんだよね。 よくもまーいけシャアシャアと意見なんて述べてるもんだよね。 03/9/8(石川浩司)

ネズミ実験にクレームつけても、殺虫剤研究でハエ、カ、ゴキブリ殺しまくっても誰も文句言わねーよな。大腸菌の大量虐殺しても誰も気にとめすらしないね。天然痘ウィルスなんて積極的に絶滅させているし。不思議な物だ。命って何だろう。ところでウィルスは生命か?あとコンピューターウィルスは定義によっては生命と言えるのではないか?
あと自分は、命、特に人の命は何物にも代え難い最も尊い物だと思っていたのだけど、世の中では思った以上に軽く扱われているよな。すみません。少し話がずれました。 03/9/22(VEGA)

自分の命は自分で守るしかない。なんせ世界の人口60億。神様だってその命ひとつひとつ見ている暇なんてあると思えないもんな〜。でもインドとか軽いというか、死生観が違うからね。「死んでも、またどーせ輪廻転生するんだしな〜。ま、いいか〜」てな考えだからなー。 03/9/22(石川浩司)

私の学部では、主にネズミを使った生物学的・科学的実験を常時行っています。実験準備室に入るとすごい臭いがして、おびただしい数の小さな檻が所狭しと並んでいます。その中には、やはりおびただしい数のネズミが・・・。見慣れているといえ、いい気はしません。実験するのもそれを見るのも悲しいです。 03/10/21(くにゅ)

でもそのおかげで、人間の病気の解明や治療法とかに寄与してるからね。自分勝手だけど、しょーがないのかねー。03/10/21(石川浩司)

オリビア・ニュートン・ジョンさんがこのあいだ来日したみたいですけど、昔ご本人が「かわいいイルカを殺すような野蛮な国には行かない」と来日を拒否したことをもうお忘れになったようです。中途半端なエコロジーってやだわ。 03/12/22(のん)

でもまぁ、自分の単純さに気がついて改心したのかもしれないしね。 03/12/22(石川浩司)

実験でネズミを大量に死なせた経歴がある私が言うのもなんですが、ネズミはかわいいです。今ではペットにして飼っています。いろいろな色や模様の仔ができます。
(贖罪意識もあるのでしょうか?)ともかくかわいいです。よく慣れてくれます。そんなわたしの最近一番目をひいたニュースは、
「インフルエンザ鶏の地中処分」
です。やりきれない。いずれは殺されて食べられる運命か、あるいはインフルエンザにかかって死ぬ運命なのかもしれませんが、........自分の中に納得できる理屈を見つけることができないです。 04/1/19(かづ)

牛、鳥がヤバイとなった今、注目されているのが「ダチョウ」らしい。「ダチョウ丼」がポピュラーになる日も近い。 04/1/19(石川浩司)

これは難しい問題ですが、私も必要悪だと思います。生きていくために動物を殺して食べるのも不可欠なことです。かといってライオンが生きたままの獲物にかぶりつくように、食べたいときに動物に食いつくわけにはいきませんから、そのために予め加工しておくのでしょうし…。ただ、その分、必要最低限に抑えてほしいです。踊り食いや、生き造りなども私は食欲が失せてしまいます。それこそ不要なことだと思うし。実験用のネズミも、遊びで死なせているわけではないですし、それなら、ボーガンの矢で鳥や猫などをゲーム感覚で打ったり、学校のうさぎを虐殺するような馬鹿野郎にどのような教育をして行くかということも大事だと思います。 04/3/1(杏)

生き物は生きる為に何かを殺さねばならない。そしてそれはゲームと紙一重でもある……。 04/3/1(石川浩司)

食物連鎖の一環と捉えています。僕も例えば、ライオンやワニに食べられて死んでしまっても、文句は言いません。言いませんともさ!
でも僕の好きな人は菜食主義者が多い・・・。04/5/4(ペロ)

ラフレシアに食われて下さい。04/5/4(石川浩司)

難しいところだとは思いますが、仕方ないのではないでしょうか。人間で実験はできないだろうし・・・。おかげで進歩した医療技術はたくさんあるでしょうし、これからも必要なものだと思います。
でもこう言うと、人間は偉いんだから何してもいいんじゃーっていうのと紙一重な意見のようで、頭がこんがらがってきます。
生きるために食べるだけ以外に、他の生き物を殺すのは人間くらいじゃないかと思えてなりません。
そして自分たちにとって可愛い動物は保護し、可愛くない動物は排除していく・・・。
最近は、山の熊が民家に出没すると言うニュースをよく聞くのですが、これも山の餌が無くなってきているからだろうし、そうやって山を減らして木を切り倒しているのは人間。追い詰められた熊が食べ物を求めて、山から下りてきては射殺される。
これと似たようなことを私もやっていると気が付きました。部屋に蟻が出没した時、全然おおらかな気持ちになんてなれずに潰しまくって、すぐに外に行って殺虫剤まいてきました。
部屋に蟻が出ては、寝ることも食べることも落ち着いてできません(汗)!!!
現代人だからなのかなぁ・・・・ 04/10/11(きぃ)

う〜ん。熊も今年は特によく出たようだけど、人為的な面もあるけど気候的(まぁ、これも一部は人為的に変えられたとこも多いよーだけど)な面もあるし、蟻も放っておけば白蟻とかは家を壊すからね。衛生的に病原菌を媒介する生き物や、毒を持った生き物もいるし・・・。「どこまで殺すか」の線引きが難しいね。 04/10/11(石川浩司)

ゴキブリが中々殺せません。怖くって・・・。 04/10/26(ペロ)

別にそれなら殺さなければいいんじゃない? 04/10/26(石川浩司)



そしたら家中にゴキが増える・・・。ぎゃ〜〜〜〜〜〜!!! 04/11/1(ペロ)

いいじゃん。ペットとしてかわいがってやれ。いざという時、助けてくれるかもしれないぞ。どんな「いざ」かはわからんがな・・・。 04/11/1(石川浩司)

でも、人間を怖がらなくなった熊をできるだけ殺さずに、今後も殺されずに済むように、一所懸命取り組んでる人たちもいるよね。04/12/20(さっちゃん)

ゴキが冷蔵庫の裏にビッシリくっついてたら、マスタもビビルぜ!05/1/17(ペロ)

何がビッシリついててもビビル自信満々。 05/1/17(石川浩司)

葉の裏に等間隔に卵がびっしりついているのはいやですね。
あれだけはやめてください!
・・・って誰かが前に言っていたような。05/4/13(kyuuri)

俺じゃいっ! ゾゾゾ象。 05/4/13(石川浩司)

マスタの誕生日プレゼントには小さいものがビッシリくっ付いた物にしましょ。05/4/18(ペロ)

500円玉がビッシリで。05/4/18(石川浩司)

500円玉、財布見たら1枚しかなかった・・・。05/7/4(ペロ)

知人の話し。実験用のネズミさん達を実験の為、どんどん増やさなくちゃいけなくて、近親相姦させたそうです。父ネズミはやる気満々で娘ネズミに襲いかかるけど、娘ネズミはまだ成熟してなくってキイキイ言ってたそうです・・・。
そして実験の為に安楽死させるそうなんですが、ここを捻るといいよ、という場所をキュッとするんだそうです。知人はそれが下手で、何度も何度もキュッとしたそうです。全然安楽じゃなかったみたいです、ネズミさん・・・。  05/7/11(かなめ彦)

気持ち的にはアホみたいに動物が好きないわゆる「どうぶつちゃん」なので食肉用動物がさばかれるところなんて見られないし、実験で利用されて苦痛を強いる実験に使われている動物の記事とか読むと心が痛むのですが、しかし、理論的に考えて自然を広い目で見ると、どんな動物でも自分が生き抜くために持っている特性を最大限生かし弱点を補い、何かしらの生命あるものを捕食して生きているので、残虐と思えることも必ず通らねばならぬことで生き物が生きていくうえで仕方のないことだと思います。
人間は捕食もされず土に還らない人間も多いので食物連鎖の枠に入っていないケースが多いですが、動物だって天敵のいぬ死亡して土に還るくらいの連鎖の動物は多々いるわけで、人間は身体能力的に劣る分文明や知能を駆使して生き延びているのだから、私は人間のそれも自然の摂理なんじゃないかなぁっていつも思います。どんな生き物だってシンプルに生きたいって本能のことで能力をあらゆる手を使ってでも遂行するんだと思います。  07/9/23(ことり)

そうだね! 実は自然のように見えることでもその場その場でいろんな選択をしていて、それがまた自然の摂理とも言える、パラドックスのような生物の掟。  07/9/23(石川浩司)

20年以上前の話ですが、大学で教員をしていた親がハムスターを二匹もらって帰ってきたことがありました。動物好きの私たち一家は安易に「かわいー」と喜びましたが、鼠算の恐怖を知るまでそう長く時く間はかからなかったのを今微笑ましく思い出しました。 08/8/28 (Sabina)

まるで一粒の砂から砂漠が広がるようにね。 08/8/28 (石川浩司)

韓国に来てみると犬鍋があるので、食べれるかと思いきや、韓国人ですら食べた事がないという人もいました。食べた事のある人は、鶏肉とあまり変わらない食感だったそうですが、いずれにせよ、怖すぎるのとかわいそすぎるのとで、まだ食べるには至っていません。
つい先日も、必ず犬鍋を食べる習慣のある、末伏という日がありましたが、新聞の記事を見たら、食用犬は食品衛生法と動物愛護法、家畜法それぞれの扱いで、微妙な扱いになっているとの事です。韓国人の友人に聞いたら、犬鍋も辛いので、日本人が食べるには向かないとか。 08/10/12(Hi-)

食の風習というのは各国によってあるからね。伝統を大事にするか、世界的な世論を大事にするかだよね。 08/10/12(石川浩司)

よくテレビでネズミを使った実験の様子が映されますが、そのたびに私はミッキーマウスの声真似で「ま〜た僕の仲間で実験か〜、いやんなっちゃうよ〜、ハハッ!」なんて言ってます。 09/8/19(可南)

初めに「よし、ネズミを主人公にしようっ!」と思ったディズニー(かな?)も凄い決断だったよね。  09/8/19(石川浩司)

僕は動物を食べるのは悪いことだとはおもいません。
たとえば人間とその他の生き物が魚を全く食べなくなったらどうなるのでしょうか?海が魚であふれかえってしまうのではないかと思います。
そうなると肉食の魚が主食としている魚が減ってしまうと思います。だから、動物というのはよっぽど絶滅危惧種でもないかぎり食べても問題ないと思います。でも、実用的(食べる、最低限の衣服、必要な実験用など)でないことで生き物を殺すのはいけないと思います。 11/8/7(加藤陸)

人間を食べることについてはどう思う?
戦時中フィリピンで日本軍が食べ物がなくて仕方なく現地人を殺して食べた。
ところがその後食料が来ても、人の方がおいしかったので殺して食べ続けた。 11/8/7(石川浩司)

人を殺して食べることについては意見を述べるのは難しいです。
人間はおいしく食べられるかというと僕は気持ち悪くて食べられないと思います。(今の状況では) 豚肉や牛肉や鶏肉や魚などは平気で食べられるのに不思議です。 11/8/25(加藤陸)

ただ、ハンバーグとかに混ざってたら分からないよねー。 11/8/25(石川浩司)

現在、ある薬の治験を受けています。
はじめはネズミから開始された実験も、発売直前には同じ人間で試験がされるのです。もちろん安全が確認されてからの話ですが、許容範囲内の副作用で酷い目に遭っています。
もしも動物での実験が不可能になると、いきなり人間(おそらく死刑囚や中国政府が・・・)から始めることになってしまいますね。 11/8/30(マウスマン)

中国とかマジでもうやってそう。
ありとあらゆることをあそこはやってるからね。 11/8/30(石川浩司)

まさに「人体の不思議展」の“標本”扱いの人の遺体を思い出します。もう人間はあらゆる生き物の命の尊厳とかを語る資格はないと思います。自分勝手に健康になりたい、ウマいもの食べたい、とか思ってるだけ。でもそれだけの脳味噌を持ってしまったが故の疑問でしょう。
野生の生き物はそんなわけのわからんこと考えずに、天然自然に動物植物を食って種を保存してきているわけですから、あまり深く考えずにせっかく生まれたからには好きな事して生き切ってやればいいと思います。どれだけかしこくなっても、生き延びよう、種を守っていこうとする遺伝子レベルの指令にはどっかで逆らえないでしょうから他の生き物やはたまた同種族のものさえもあやめたり食べたりするんでしょう。皆が思ってるほど、人間はかしこい生き物ではありません。きっと。 14/12/22(オポムチャン)

うん、同意。
変に生物として賢いと勘違いしてるからおかしくなる。
せいぜいがホモ・ルーデンス(遊ぶ人)。 14/12/22(石川浩司)

僧侶の講話集を聴いた中で、「お願い切らないでとまな板の上で言われたら料理はできないよ。何も言わずに食べられてくれるのだから感謝をして食べよう!」という意味の事を言っておられて納得しました。動物だけでなく植物も生き物だという事も! 16/1/29(西大路)

生物じゃない石とか砂とかを食べられるように誰かしてくれないだろうか。
そうしたら食料問題も一気に解決するのになあ! 16/1/29(石川浩司)

ダニエル・キイス「あるジャーノンに花束を」ですね。 これは日本語の凄さも感じられます。これに感動しない人とは、一緒になれない気がします。 16/8/23(わいわい)

ああ、それ読んでないや。そういう話だったのか!
何となく単純な恋愛小説かと思ってた。お恥ずかしい・・・。 16/8/23((石川浩司)

おバカな人が手術を受けて天才になる話です。あとはネタバレになるので言いません。
人によっては「これを読んで感動しない人とは一緒になれない」と言わせた小説です(出典・ダビンチ「百人書評」)。 18/2/27(わいわい)

まぁ天才になって本当に幸せかどうかは全くわからないんだけどね。 18/2/27(石川浩司)



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