話題55 戦争
イラクや北朝鮮など、また世界はきな臭い感じになってきましたね。
みんな「戦争反対」なのに、何故戦争って起こってしまうのでしょう。
解決策はあるのでしょうか。03/2/20(プヨ)
***レス(発言は古い順に並んでます)***
でも、歴史が始まって以来、戦争がない時代、ってなかったよね。ということは、やはり潜在的に「戦争をしたい」というものが、ヒトのDNAに書かれているのだろうか・・・。難しいな。03/2/20(石川浩司)
戦争がどうして起こるのかを見るとき、当事者間の「利害」をみるべきだと思います。厳密には当事国家の「元首」の利害。「国家」の名において、「国益」や「正義」の為という「大義名分」を以って始まる戦争。しかし、国民の中には望まない人も多いはずです。何故なら、戦争をして得をするのは“一部の人”だけですからね。そしてその“一部の人”は戦争で傷つかない、死なない安全な所にいる。逆に言えば戦争が始まっても安全な所にいる事が保障された人が戦争を仕掛けるのです。
有事法制を整えはじめた「日本」も、この先に来るであろう本格的な不況の際に、抱えきれ無くなった赤字国債の「帳消し」と失業者対策の為に戦争を考えているのではないかと考えたりもします。景気対策の特効薬は戦争かインフレ施策だといわれますからね。アメリカのアフガニスタンへの空爆、イラク・北朝鮮への示威行為も、アメリカバブルの崩壊の建て直し政策と見ることもできますしね。
日本国内は北朝鮮との緊張が毎日の様にマスコミで流されていますが、北朝鮮の隣の韓国はというと、韓国通によれば、ずっと楽観的な捉え方をしているようです。逆に同じ民族ですから、毎日の様に悪口を言う日本のマスコミに対し、兄弟の悪口を言われているような気分になってきていると聞きました。
誰が何の為に…。そこを抑えれば戦争は防げるのではないでしょうか。もっとも、戦争を起こそうとする人は、もっと狡猾でしょうけど…。 03/2/24(T.E.E.)
端的に言えば、そーいうことでしょーな。でも、ほとんどの国では選挙で政治家を選んでいるわけだから、
「あの人、私の遠い親戚だから」
とか
「あの人、この町に鉄道の駅作ってくれるって」
という最初は人々の小さな一票が、まとまって化け物になって「戦争をする政治家を育てる」ことにもなってるんだよねー。 03/2/24(石川浩司)
きっと利益を得る人がいるから戦争があるんだと思います。石油とかさ。利益を得る人はたいてい権力をもっていて、大衆を扇動する。大衆は戦争に勝てば利益になるとすりこまれている。
ひとりひとりちゃんと考えれば、なくなると思う。
なくならないとしても、なくす努力を怠ってはいけないと思う。 03/2/24(ちーかま)
明らかに利益のみの戦争は批判がたやすいが、宗教の違いの戦争は難しい。
どちらも「自分達が正しい」と盲信しているからだ。
そして誰も「どちらが間違ってる」と決定を下せないからだ。ジハード(聖戦)とかね。 03/2/24(石川浩司)
どんな動物も生存競争がありますよね・・・
ただ人間は頭がいいゆえに、普通の動物の動物ができる範囲の戦い以上の事ができるようになってしまったのが問題ですよね。
武器も鉄砲くらいしかなかった時代の頃までの戦争と、科学兵器を交えた現代の戦争は、どう考えても種類が違います。戦争で人が死ぬ事だけではなく、それ以外にもたくさんの害が生じるだろうし、世界のバランスがますます狂ってしまうでしょう。
だから戦争が起こってもしかたがない、というのはやはりおかしいし、なんとか避けなければとても危険だと思います。
ところで・・・
わたしはバルセロナにすんでいるのですが、先日世界で一斉に行われたデモ行進に参加したので、いくつか写真添付しますね。では 03/2/24(りな)
戦争ちゅうのは、みなが優しくなればなくなるものだとおもう。
優しくなるってムヅカシイことだけどね。 03/3/3(な。)
戦争ちゅうのは、みなが競争心がなくなればなくなるものだとおもう。
そして競争心がなくなったら、社会はつまらなくなる。ここが問題だけどね。 03/3/3(石川浩司)
小説や映画の中で、「ほんの少数の特別な人間が、私たちの生きているこの社会を人
知れず操作して莫大な富を得ている」といった話がよくあります。
それらは、政治家や国家をまきこんでいたりして、現実の世界とは到底思えないよう
な描かれ方をしていますが、実は全く虚構のことでもないのかな、と考える時がありま
す。
今、世界中で起こりかけたりしている戦争も、そんなまるで嘘にしか思えない世界の
延長線上にあるのではないか、とぼんやりと感じています。
それが本当に歴史の一部として明らかになるのは、ずっとずっと先のことでしょう。
社会を意のままに動かしている人たちがいるとして、それに対して個人の力はとても小
さいと思いますが、それだからこそ、目に見える形で戦争には反対し続けなければなら
ないのだと思います。 03/3/3(わにこ)
「実際にミサイルが日本に向けて発射されれば、到達時間は10分程度。自衛隊は、イージス艦や地上レーダー、それに米軍情報などからミサイルの軌道を確認する。ただ、領土、領海への着弾が確実だとわかっても、ミサイル防衛(MD)はまだ研究段階で、着弾を防ぐ手段は今のところない。
時間的に切迫しているため、住民の避難などもほぼ不可能だ。」
北朝鮮が東京を標的にしているというニュース。今日起こるかもしれない事。2/26 朝日新聞ネットニュースより。 03/3/3(石川浩司)
人間が人間である限り戦争はなくならないと思います。
人間は知能が高く、欲望の固まりだと思うから。
もっといいほうにエネルギー使えばばいいのになあ。 03/3/3(めめ22歳)
俺の自著「すごろく旅行日和」の「おわりに」から、抜粋して自己引用してみるね〜。
『俺は、おマヌケが好きだ。
おマヌケは、いいぞー。
ちょっと「間」が抜けただけで、日常が360度くるりっと回る。 もとい、360度回転したら元の位置だから、180度回転する。
こんな安上がりなエンターテイメントはない。
おマヌケは、意図してはできない。意図した途端に、するりとそれはおマヌケでなくなってしまう。
本人すら予想しない、予定しない「間」を抜くからこそ、おマヌケが存在する。
ほっとするのに、ドキリとする。
安心と興奮が、同時に存在する。
おマヌケは、潜在的な才能である。
だから、俺の妻もとびっきりのおマヌケだし、俺の友だちは、今となっては結局おマヌケ偏差値の高い者ばかりが残った。
まぁかくいう俺の仕事も、ランニングを着て、踊りながら桶や缶カラ叩いてんだから、こんなおマヌケな商売も、珍しいよなー。
おマヌケのおマヌケたるゆえんは、だいたいにおいて、「劣っている」ことだとか「欠けている」ことだとか「出来ない」ことだとかだ。
しかし人はよく、それを恥として、努力して直すことを盲目的に良しとしているふしがある。
本当にそうだろうか?
おマヌケは、常に「笑い」の元だ。そして「笑い」は幸福の大元だ。つまり幸福を生むこれらおマヌケの要素が、何故あまり価値が認められないのか?
なぜ、「劣っている」ことだとか「欠けている」ことだとか「出来ない」ことだとかをマイナス要素としてしかみられないのか?
そしてむしろいろんなことにおいて「優秀」であることが、本当にどれだけ価値があるというのだろう。
だって優秀なものは、たいがいつまらないじゃないか。
自分の自慢ばっかりしやがって。
さらに言えば、「他よりいろんな意味で優秀であること」つまり、金を持っているだの、力が強いだの、頭がいいだの、こっちの宗教の方がすばらしいだのばかり目指すから、戦争も起きて人も死んじまう、ってなもんだ。
もしも、おマヌケベクトルの価値にみんながもっと気づいて、
「くっそー、愉快なドジを連発させやがって。よおし、俺ももっとヘッポコピーなことしでかして、笑わせてくれるわ!」
という社会になったら、世界がもっと馬鹿馬鹿しく、幸せになるかもしれないのに。
本当は人にとって、おマヌケということは相当に必要で、重要なことなんじゃないか?
俺はときどき、まじめにそう思ってしまうことがある。』 03/3/3(石川浩司)
チープなSF的妄想が浮かんだのでネタとして…。先ずは以下の生態学のサイトからの引用をお読みください。
> >生物の増殖の基本的な傾向は多産・多損性である。生育条件が良ければ生物は無限に増えようとし、その結果、食糧の不足や天敵の増加などにより生育条件は悪化する。このような自然の調節機構が生態系を安定化させている。
> >少産・小損性は生態系における生物の安定性の指標であり、生態的地位の高い生物に見られるが、特に人類では小損性の徹底により著しい人口の増加をもたらした。
これ読んでも判るとおり、人類は増えすぎなわけです。天敵となる動物もなく、自然界では死んでしまうような弱い個体も医学の進歩のおかげで生き延びています。戦争ってのは要は、人類の遺伝子にあらかじめに組み込まれた余剰な個体数削減のための最終プログラム。解決方法は…むやみに人間数を増やすなって事ですか?な〜む〜 03/3/10(蛇男劇場)
理由はなんにせよ、戦争が一端起こると、戦場は無法地帯になります。
人殺しはもちろん、略奪やレイプもあるでしょう。
重要な世界的遺産ももちろん破壊されるでしょう。
戦争の理由がなんにしろ、とにかく無法地帯になるわけです。
皆がけだものになるわけです。
武器をもっていれば、もう法律など関係なくなってしまう。
常識と思われる事が消え去ってしまう。それが戦争だと思う。
わたしは戦争を知らない世代です。
でも私のすんでいる所は、とても治安が悪く、人種差別的な言葉を言われたり、とおりすがりに頭を叩かれたこともあります。
こういう人を見下す気持を持った人が戦争にいったら、誰にもとがめられずにリンチできますよね。
先日わたしは通りでどろぼうにあいました。
鞄をつかまれてひきずりまわされ、信じられないような声で叫んで助けをよんだけど、周りで傍観していた沢山の人々は、何も、何もしてくれませんでした。たぶん、できなかった、といったほうがいいのかも知れない。
戦争で、誰かが目の前で殺されかけても、たぶん同じことが起きるでしょう。
そして、そういう時に感じる感情は、実際にその場で体験してみないと決してわからないものだろうなあ、と思います。
じゃあ、それを避けるにはどうしたらいいのか。
私には難しすぎる問題だけど、その解決の一つの鍵は、教育にあると思います。
教育、といっても、何かを教え込むということだけをいいたいんじゃないのです。
人は無知から、色んな罪をおかすことがあります。
真実を知る事は、人をたすけると思います。
人間は間違いを沢山おかすけど、学んでもいる。
物事を曲った目で見ない事ができるようになるには、やはり教育はとても重要だと思うのです。
学ぶのは自分でしかできないけど、どうやって学んだらいいか、そういうヒントを教えること、それが教育だと思うんです。
もちろん、世界にはいつも悪が存在します。真実を知っても悪をおかす人もいます。
だからこそ、悪でない人が真実から目をそらさないこと、それが大事だと思うのです。 03/3/17(りな)
永山則夫の「無知の涙」なんて本もあったけど(読んでないんだけど)確かに、教育は戦争意識に大きな力を及ぼすと思う。但し「真実を教える教育」ね。北朝鮮なんかでは、「日本は残虐な国民」と今でも教えていて、反日感情を国が煽動してるからね。同じ「教育」でもこれじゃ逆効果。ま、日本も戦争中は「鬼畜米英」という教育だったから、単純非難は出来ないけどね。
例えば、俺が子供の頃って「朝鮮」って、なんだかわからないけど、怖いものだと思ってた。ところが自分が韓国に何度も旅行に行ったり、韓国を知るテレビなどが増えるにつれ、親近感が増し「漠然とした敵意識」は、ほぼなくなったと思う。よーは「相手を知る」ことが重要だと思う。「知らない物=怖い、敵」という図式はいろんなことに当てはまると思うからね。 03/3/17(石川浩司)
話題とは、多少ズレるかもしれませんが…
今、小中学校では「総合的な学習の時間」というものがあるんですが、わたしの勤めている小学校では今年、異文化交流ということで、在日韓国人の人を学校に招いて、韓国のことばや音楽、民族衣装、食べ物などを
紹介してもらい、体験するという活動をしました。
こんな感じのことは、最近どこの学校でも似たようなことをやっています。
こういう活動が、今後どれだけ良い影響を与えるかはわかりませんが小さいうちに、違う文化に触れておけば少しは偏見が少なくなるんじゃないかなと期待しています。
ある女の子は「韓国いいな〜、わたし韓国人になりたい!」
とまで言っていましたから。
ただ、子どもたちは過去の日本との関係などはよく知らないので、いい所だけ見せておいて、本当の国際理解にはなっていないんじゃないかという気もしています。
でも、すくなくとも、以前あった(最近もあるかもしれませんが)日本人が朝鮮学校の生徒さんの制服を切り裂くといったようなことは、この子たちはしないだろうな、と思います。
子どもの心は、大人が作ると思います。
だから、大人には責任があると思います。 03/3/24(ぽんつく)
そーだね。もちろん歴史のことを教えることもいずれは必要かもしれないけど、子供の頃は、とにかく一緒に遊ばせて「なんだ、俺達とおんなじジャン」も「へー、こういうとこ、感覚違うんだなー」でも自然に感じさせて、要は相手を知って親近感を持つことが、平和への第一歩と思うなー。
今回の戦争だって、アメリカ人に、イラク人の友達がいっぱい普通にいたら、戦争参加に対する認識も変わっていたと思うから。 03/3/24(石川浩司)
さきほどブッシュ大統領がイラクに対して最後通告を行いました。いーよね、ブッシュやフセインは。一番死ぬのは民衆だもの。アメリカはフセインだけ宇宙からレーザーでもなんでも使って殺せばいーのに。
ほんと、どんなに科学が発達しても戦争がおこって、たくさん民衆が殺されるんだな。
すごく憤りを感じます。ここで問題を投げ捨てずに、考えつづけなければいけないですよね。 03/3/24(ちーかま)
誰かのコピーで「まず総理から前線へ」とゆーよーなのがあった気がするが、本当、そうだよね。というか、小泉さん「ブッシュに賛成」を発言した途端、いきなり警察がやって来て「殺人幇助罪」で逮捕されれば良かったのに。 03/3/24(石川浩司)
今回のアメリカによる攻撃、最新技術を駆使した兵器でイラクの主要箇所をピンポイントで攻撃してるらしいけど、それでいくらイラク国民の犠牲者が最小限に食い止められるとしても、または仮に犠牲者が皆無だとしても、「私達の国で戦争が始まった」「隣町の軍事施設が攻撃されて毎夜轟音が鳴り響く」「上空を戦闘機が絶えず飛んでいる」etc.ということを国民が感じただけで、その国民は「犠牲者」な気がするなあ。一生拭えない心的外傷だもんね。 03/3/31(作戦失敗)
結局「戦争反対」なんて垂れ幕作って行進したって、それが戦争を阻止出来た事って皆無でしょ。
本当に「戦争反対」を考えるなら、心理学とかから考えなきゃ駄目な気がする。何故なら人には「他人より優れたい」「他の人に勝ちたい」という闘争本能があるんだから。逆にそれがなければ、誰も「努力」なんてことをしなくなるし、社会の発展もないともいえる。
つまり人間の基本的欲求を否定することは、他のあらゆる「がんばりなさい」も否定することと同義。
だから、いわゆる「昇華」(精神分析で、社会的に認められない衝動や欲求を、芸術活動・宗教活動など社会的・精神的価値をもつものに置き換えて充足すること)をする方法を考えなければ駄目だと思うんだよねー。それが本当に「反戦」を考える人がまずしなくちゃいけないことだと思うんだけど、どうなんでしょう?
このままじゃ、この戦争が終わっても、またどこかで始まってそのうち日本にも当然火の粉は飛んできて、みんな犬死にするだけだ。まじで燃えるぞ! いいのか? 黒コゲ死体の最期で。 03/3/31(石川浩司)
「人的被害最小限な戦争をする」と言っているのをテレビで聞きましたが、人一人だろうが何万人だろうが、人を殺したには変わりないですよね。なんかおかしいですよ。
思ったのですが、戦争って世界をひとつにしようとして最終的に戦争になってしまうのではないかしら。『うちの国では皆こういう考えなのに、お前の国は違う考えばかりだ。おかしいぞ』『いやいやこっちの国のほうが正しいじゃないか』『こっちに従え』『いやこっちだ』ということでないのかな?いっそ鎖国しちゃえば戦争なんてなくなるよ。そうなるとつまらない世界になると思うけど・・・。こんなこと考えるなんてなんだか淋しいですね。 03/4/7(めめ)
ある意味で「世界はひとつ」は正しいし、別の意味で「様々な文化を持つ国がある」も正しいし、大事なこと。その点をふまえて、考えなければならないよね。
でもこれだけグローバルな社会で「鎖国」はちょっと現実的じゃないかな。鎖国したら絶対安全、ってわけでもないしねー。 03/4/7(石川浩司)
戦争に行きたい人もいるのは事実で。戦争に行くことをビジネスにしてる人もいるし。
でも、反戦を訴えるのには、ほかにどうすればいい?反戦の署名をしたり、デモしたり、「人間の盾」になるくらいしかないじゃないですか。
結局、アメリカも、イラクと同じで、独裁政治に近いんじゃないかと思う。
私は他の人に勝ちたいとは思わない。
すべてのことを、がんばろうとは思わない。 03/4/7(ともこ)
ともこさんは、3つの重要な事を言ってるね。ひとつは「戦争ビジネス」が存在する、ということ。
特にそれは貧しい国に顕著で「兵器」が大きな輸出産業物になっている国があるということ。こういう国に住んでいて、実際仕事に従事して食べている「一般市民」をどうするのか。
さらに凄いのは貧民国ともいえるネパールには「グルカ兵」という訓練された兵隊がいて、イギリスだったか、そこから「兵隊を買っている」事。つまり、自国民を危険にさらさなくても「金で兵隊が買える」のだ。
戦争をなくす、ということは兵器や兵隊を収入の糧としている人達の仕事を奪う、ということもあるのだ。
だから、戦争をなくす為には、それで生活してきた人達(好きでやっているとは思えない)に別の仕事を与えて生活を安定させるなどのフォローも必要なのだ。
例えばこれは日本だって他人事じゃない。沖縄には広大な米軍基地があるが、「基地をなくそう」という運動がある反面、米軍の人達でもっている歓楽街の人達は「基地がなくなったら、私たちは、飢え死にじゃ」という人もいる、という現実があるということだ。
ま、他にも「戦争によって」の株の上下や、輸出物の変化で儲けている人もいるしね。
ふたつめは「反戦」をどうするか、ということ。これは俺が前にも書いたけど、本当に戦争をなくそうとするなら「人は何故、戦争を起こしてしまうのか」を科学的に解明し、根本的に考える必要がある、と思うのだ。「戦争を起こしてしまう」メカニズムを科学的、心理学的に分析する機関が国連か何かに必要だと思うのだ。もうそろそろそういう機関が出来ないと、地球は確実に自分達の手で破滅する。
なにせ「署名」や「デモ」のおかげで、「じゃあ戦争するのやめました!」というの聞いたことないからな。
ということは、はっきり言うと「署名」や「デモ」は戦争に対してほとんど効果がない、ということだ。戦争が起きそうになってから慌てて行動しても、既に遅い、ということだ。
むしろ言い方が冷たくて非難を覚悟で言えば「それをしたことによって、自分も反戦運動をした」という自己満足の為だけの行動のように俺には思えてしまう。・・・言い過ぎかもしれないが。
もちろん「人間の楯」までやるなら、ちょっと話は別だけど、なんかもっとみんなでアイデア出して庶民の反戦方法は考えた方がいいと思う。署名やデモ以外にも、何か新しくて効果的な反戦方法はある気がするな。
みっつめのアメリカ独裁政治、これはまったくその通り。とにかくアメリカは単純。言い方かえれば馬鹿。「我が国こそ世界一の国」であることを誇示したいだけの子供の国。ま、その単純さ故に、ある意味世界一の部分を持った所もあることは確かなんだけど、たかが建国200年。歴史がないから、他の国がもっともっと長い時間をかけて培ってきた「文化」や「宗教」を理解する頭がないのだ。
ただひとつ誉められるべきは、「言論の自由」だけは基本的に守られていること。それは評価したい。 03/4/7(石川浩司)
う〜ん、あたしは戦争っていうのは純粋な闘争心から行われるモノじゃなくなってる気がするなぁ。最初はマンモスとか追いかけてイェー!!ってそのノリでケンカの延長で戦争に発展したのかもしれないけど。
いまウソついて始まるじゃない?でっちあげして攻めていくでしょう、特に大国の戦争は。具体的な例はベトナム戦争しか思いつかないんだけど。それでどうして国民は政府を支持するのかっていうと、情報操作と不安感だと思うの。情緒不安定なときに宗教はいっちゃうのと一緒かなぁ、と思う。
んーと、つまり、もちろん本能からなしくずし的に戦争に発展する場合もあるけど、近代の戦争はもっと政治的な側面から考えるべきでは?と思う。
いろんな視点からの分析が必要だと思うの〜。
そいで、正当性のある戦争ってみなさんあると思いますか?? 03/4/7(ちーかま)
話はちょっとずれるけど、今、世界中で餓死している子供がたくさんいるけど、本当は別に世界的にみて、食料が足りないわけじゃないんだよね。よーするに、本当に飢えている人に行き渡らないだけ。つまり政治の問題なんだよね。
だからといって餓死しそうな人達が集まっている所に、食料を空中から落として渡すというのも調査が難しいし、なにより「内政干渉」になってしまうからね。
確かに政治的な側面が今は最も強いだろうね。 03/4/7(石川浩司)
「デモや署名は自己満足」の石川さんへ。
あんなもんで自己満足はできないとあたしゃ思います。
だって、戦争、中止されてないから。
あくまで推測ですが、大きな国家の思惑で動いている今の事態を、声を上げて街を歩くことで本当に阻止できるなんて思っている人は少ないと思います。
でも、わかってても何かしたい、何かせずにはいられないという衝動がああいう運動につながっているのではないでしょーか。
結果に反映されないのだから、行動すればするほど、無力感に襲われて辛くなることもあると思います。
だとしたら、自己満足にすらならないのではないでしょうか。
私は小心者かつ不精者なので、みんなと一緒に歩いたり署名を集めたりということはできません。
実行しているのは、マクドナルドとコカコーラの商品を買わないということだけです。 03/4/14(わにこ)
そー思いたいけど「自己満足」しちゃう人、いると思うんだよねー。
でもその国の製品の不買、それが最も現在てっとり早い反戦方法かもね。わにこさん正しいと思う。
金目的の喧嘩には、金を渡さないのが一番。(石川浩司)
戦国時代とかの戦争(いくさ)は、何百年後の私たちには、「家康はすごい」とか、戦い方のうまさなどを、テレビで特集したりしてるけど、そういう時代の戦争は、今となっては「武勇伝」として語り継がれてるけど、今の時代を、未来の人が、「おもしろいもの」として、見るのかな?
1時期だけでもいいから、「平和な時代があったんだね」と言われる時代に住んでいたい。 03/4/14(ともこ)
平和な時代は教科書では無視される。そんな「無視される時代」にずっと遊んでいたいね・・・。
ところで、戦争がとりあえず終結したようだ。そこで気になることがひとつ。妻から聞いたので俺は直接見ていないのだが、テレビのニュースで、イラクの一般市民が「アメリカ万歳!」と歓喜の声をあげている、というのだ。
もちろんテレビのニュースとはいえ、そのニュースソースや、編集もあるだろうから、そういう市民ばかりではないだろう。しかし、そういう市民がいることは事実だ。つまり、フセインによって「自由に物もいえない社会」から解放された、というわけだ。
これを聞くと、実に複雑な気分だ。ということは、もちろん戦争で亡くなった一般市民やその家族の哀しみはあるにせよ、結果的に「戦争によって国がいい状態になった」ということもあり得るわけだ。
そこで思い出したのがカンボジアでの「ポルポト政権」の支配。知識人を中心に、国民の4分の1にもあたる人達が虐殺されたのだ。これこそ「内政干渉」と言われようとも、国連(それともやはりアメリカとかなのだろうか・・・)なりがその主導者を、早いうちに捕らえるべきではなかったのか。そして確かにもしフセインという人物がポルポトと同じような事をしでかす恐れがあったとしたら、アメリカの判断を単純に非難するのは、違うとも言える可能性はある・・・。そのあたり、国際情勢に疎いので、俺ははっきりわからんが。
「反戦」は分かりやすく、共感も得易いが、独裁者とそのグループを取り押さえることで、100万人殺されるところが、100人の死者ですみ、99万9千900人の命が助かる、ということもあり得るわけだ。ヒットラーやポルポトのように。
難しいパズルだ・・・。 03/4/14(石川浩司)
デモや署名が自己満足かどうか、ってこと、結構みな考えることですよね。きっと。
今回の戦争のぼっ発時に、国連が集めてるというふれこみのチェーンメールにひっかかってしまった人、私以外にもいるのでは?
アメリカ製品のボイコットは、一見名案に思えるけど、実際にはとてもかたよったものになるように思えます。しかもそれをボイコットして、影響を受けるのは誰でしょう?どこか決まった一社にたいするボイコットとは種を異するので、このやり方はあまりいいとは言えないように思えます・・・
なにか自分にできる事はないか、と考えた末にやる事が、筋違いであること、私自身、何度も経験しています。正直にいいますけど。えへへ。
デモ行進で戦争をとめる事は、勿論不可能だけど、わたしは、その意思表示がとても意味のある事だと思う。それをやらなかった場合との違いを考えると、それはかなり分かりやすいと思う。
自己満足に終わる人は勿論いるのは事実だろうけど、それにこだわりすぎる必要はないと思うな。失敗の中からも、沢山の成功やチャンスは生まれるものだし。
わたしは、そういう考えは気にせず、デモに行くなら、自分の考えに自信をもって平和的にデモに行きたいと思います。
言ってる事のいみ、つたわったかな??
最後に・・・
私のすんでる町では、戦争が始まった日から、人々が、毎日夜の10時にバルコニーに出て、お鍋をカンカンならす抗議行動を続けています。
想像してみて下さい。町中、お鍋の音が、響きわたってる様子。ものすごい、ものすごい音なんです。
それに合わせて、道行く車も、クラクションをならします。
これこそ、自己満足以外の何ものでもないかも知れませんね。
でもね、このやり方は、へんなチェーンメールの署名よりも、よっぽど意味のある事に思えるんです。 03/4/21(りな)
その抗議行動はいいねー。音による抗議。怒りが直接伝わってくるね。
俺はとにかく誰かに統率される「団体行動」が嫌いなので、デモには参加しないけど、それぞれの方法でやればいいと思う。例えば、まさにこのコーナーで「戦争について語る」でも、戦争について考えるきっかけや、いろんな考え方があるとわかるしね。そういえば、うちにも来たな〜、チェーンメール。 03/4/21(石川浩司)
僕の意見は、反戦行動などデモ行動などは自己満足でいいと思います。満足は全て自己満足だと考える人間なんで、僕は。結局人間は自分以上でも自分以下でもないわけですし、一人の人間の力は微量ですが、その力をどの方向へ持っていくかが、その人にとって全てだと思うんです。戦争は最悪です。歴史をみても争い(戦争)は確実に減ってきています。石川さんは人間の根本的な欲求が無くならないかぎり戦争は無くならないとおっしゃいましたが、実際戦争を支持する人達(市民)は正義の鉄拳を下すのだー!!的な欲求、思想で動いています。国連との違いは武力行使をするかしないかの違いです。正しい事をしようとするという所は同じです。競争心から戦争というものはこないと思うんです。
アメリカ国民の大多数は戦争を手段として考えてます、戦争に対する負のイメージがありません。戦争の被害を受けた事がない国だからでしょう。アメリカが本当にイラクの事を考えれば戦争などせずに内密にフセインを暗殺すればいいと思います。戦争という手段は無差別大量殺人です。関係の無い人が被害を受けない戦争はないわけですし。
アメリカは言論の自由が守られてるという意見にはかなり反対です。9.11の時はジョンレノンの愛や平和をうたういくつかの曲が放送自粛になり、反戦がプリントされたTシャツを着ていた大学生が退学処分になり、裁判をしても、結果はくつがえりませんでした。また、新聞にアフガニスタンの怪我をした子供の写真を載せた記者もクビになりました。授業で戦争以外にも手段があると言った教授もクビになりました、他にも戦争に反対しているという理由で仕事を解雇され、さまざまな嫌がらせをうけている人達がいるんです(仕事につけない、家に投石、放火)。また、アメリカの公立小学校ではアメリカへの忠誠歌を毎朝うたう事が最近義務ずけられました。 アメリカは少数派の意見を認めない国になってきています。あー恐ろしい、、
んーー パスカルズとか聞けば戦争なんてどーーでもいいやって気になるとおもうんですけどね、、ブッシュ聞けよ、「全ての武器を楽器に」って言葉、実際、突然武器が楽器になったらもうセッションするしかやることないから 大人数で大演奏、渋さ知らズみたいになって、、戦車とか超重低音!、サバイバルナイフなんてどんな音出るんだろう、魔法つかえたらやってみたいわ 団体は嫌いだけど楽団は大人数で良いなー やっぱ音楽って良いな、理屈じゃないし、「意味」がないし、意味って危険だと思う。物事の広がりせばめる だいたい意味あるもんってつまらん、アホだ、意味も無意味もどちらもガムの包み紙、それでどー遊ぶかが重要だ!! 03/4/28(松本晴朗)
確かにパスカルズはそんな効果ある音楽かもね。もしそれで本当に戦争が少なくなったら、ミュージシャン冥利に尽きるね。 03/4/28(石川浩司)
戦争ってほんとにしょうもない事から起こるよなぁといつも思います。戦争に直面していない国の、一般市民の私だからそう思うのかもしれないのだけれど・・・。人間が存在しつづける限り、「戦争」というものはなくならないのでしょうね。なぜならば人には喜怒哀楽があり、『憎しみ・恨み』の感情が誰にでもあるから。平和主義の反戦主義の人でも、この感情は持っているはず。要はその感情を表に出すか出さないかの違いだと思う。もちろん私にも憎しみや恨みの感情はあるわけで、その対象が何にせよ戦争や暴力を使って感情表現をしないのは「理性」が働いているからだと思う。
生まれてから大きくなるまでずっと、憎しみや恨みを大人達から教えられて育ったら戦争賛成の子供が育つのは当たり前だろう。少年軍隊とかはその象徴のように思える。「理性」以前に『憎しみ・悲しみ』の感情ばかりを教えこんだ結果があれなのだから、言葉でどうのこうのというよりも心理学的な部門で、一生かけて治療していっても治らないのかもしれないなぁ。そういう子供たちがいる限り、戦争はなくならないんだろうなぁ、悲しい事実なんだけど。 03/6/30(たらこそば)
現在でも北朝鮮は日本の事を「悪魔のような国」と教育してるからね。まだそれについて疑問を持つ年齢にも達してない子供に。それも国家による一種の洗脳だよね。 03/6/30(石川浩司)
国会できなくさい法案が無理矢理通されようとしていますね。
サーベルの音がジャラジャラと〜町の空気を・・・汚す日が近い気がします。 03/6/30(わにこ)
「人間はどこでも戦争している、そういう生き物なんだー」みたいな事言ってる人いっぱいいました。
誰かに勝ちたいなー、とか誰かより出世したいなー、とか。
自分を育てるための競争心と殺し合いを一緒にしないでホシイです。 03/7/7 (勾丞)
子供を育てていて「どうして戦争をしちゃいけないの?どうして人を殺しちゃいけないの?」もしもそう聞かれたらみなさんは何と答えますか?戦争だけじゃくて人を殺す行為は子供でもする時代。精神面の問題だとかいろいろな原因はあると思いますが「なぜ人を殺すのが悪いことなのか?」とそういう疑問を抱いている子が多く、それをきちんと教えてもらっていないから犯罪をおかすのではないだろうか。物のありがたみがわからない、命のありがたみがわからない。子供ができたら堕ろせばチャラになる。本気でそう思っている人間がいる限り、戦争や人殺しはなくならないでしょう。 03/7/14 (たらこそば)
本当に人生に「リセットボタン」があると思ってる子供も多いかもね。03/7/14(石川浩司)
どんなに語ってもなくならないんだろうなぁ。ともこさんや石川さんの言うとおり軍事産業やそれに付随する産業があるし・・・・。戦争はなくなりそうもないのでやり方を変えればいいと思います。ひとつはスポーツ。オリンピックだって平和の祭典とか言ってるけどあれはルールのある戦争だと思います。特にワールドカップなんかはひどかった。”因縁の対決”と煽るマスコミも悪い。純粋にサッカーを楽しめませんでした。もう一つは・・・じゃんけん。たった3つの要素で誰も傷つくことなく勝敗を決するすばらしい対決方法。イマジン・・・・野球拳をするブッシュとフセイン。せ〜んそう〜〜〜す〜るなら〜。
03/7/21 (そもさんせっぱ)
じゃんけんですべての勝負が決まったらすごいですよね(笑)選挙もジャンケン。バンドコンテストの優勝者もじゃんけんで・・・・ああっ、それは困る!
受験がジャンケンの勝敗で決まったらえらい事になりそうだが、楽しそうだなぁとも思ってしまった(汗) 03/8/4(たらこそば)
石川さんがおっしゃるようにもしも「人生のリセットボタン」があったならば・・・・。人生のリセットボタンを一回だけ押せるとしたら、あなたは押しますか?私はきっと押さないでしょう。いや、今の自分を失いたくなくてきっと押せないでしょう・・・・。 03/8/18(たらこそば)
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