話題386 テレビ



最近、テレビ番組〈特に地上波〉はつまらなくなってきたと言われていますが、思い出のテレビ番組など、テレビの話題を話してみましょう。 20/11/10(Sankaku)





***レス(発言は古い順に並んでます)***


俺が歴代で一番夢中になって観てたのは電波少年の猿岩石のヒッチハイクかも。毎週毎週どうなるか、異国の風景も合間って楽しみだった。
まさか有吉弘行が再度ブレイクするなんて思えなかったけどね。ドキュメントバラエティの走りじゃないかな。 20/11/10(石川浩司)

20/11/10の石川さん。
2012年4月、タイのチェンマイからバンコクに引っ越してきて某企業に就職し3~4日経った頃。お昼ごはんを食べに会社の近くを歩いているととんかつ屋さんがあったので入りました。するとどこかで見たことのある店内だなぁ、と感じ記憶をたどっていくと、そこはまさしく猿岩石がユーラシア大陸横断ヒッチハイクでバンコクでアルバイトをしていたとんかつ屋さんだったのです! 驚きました。会社からわずか数分のところにあの猿岩石が通過していった足跡があったなんて。その店はバンコクに住んでから初めての常連の店となりました。 20/11/19(波照間エロマンガ島)

今度連れて行って! あの番組は本当に毎週楽しみで楽しみで。夢中になって見てたなあ。
まさかその後に有吉くんと一緒に「さよなら人類」歌うことになろうとは。
そういうネタの為には、ヒット曲出しておいた方が便利だよ(笑)。 20/11/19(石川浩司)

小学生の頃、熱心に見てた特撮番組は、当時の最新特撮ではなく、70年代に放送してた「行け!グリーンマン」という特撮番組です。
子供向けバラエティ番組の1コーナーのこの作品はチープながら、味のある特撮、そして東宝のゴジラシリーズや幻の突撃!ヒューマンに登場した怪獣が大暴れというもの。
公園でのドンパチは、どこか怪獣ごっこを想起させ、ちびっこには刺さったのではないでしょうか。
ちなみに私がこれを見ていたのは、小学五年生の頃。朝5時という早朝ながら早起きしてみていました。 20/11/19(ズミ天)

うーむ、グリーンマン知らんなあ。
でもヒーローや怪獣ごっこはいつでも楽しいよね!
本当の社会は善と悪が混じり合ってわかんなくなってるから、単純な勧善懲悪は楽しいよね。 20/11/19(石川浩司)

いまは深夜枠の助平な番組、なくなっちゃいましたねぇ。私は高校生の頃ローカル局で夜中の1時頃にやってた「ギルガメッシュないと」が大好きで、よく宿題をするふりして深夜に居間で閲覧しては手淫に励んでいました。ちょくちょく兄貴や親父が起きてきては茶を飲んだりしたので、あわてて電源を切ったり陰茎を仕舞ったりと忙しい思いもしました。今思えばあの程度のソフトな内容でも充分におかずたりえたんですね・・・だって高校生ですもの。憂木瞳さん、飯島愛さんにはたいへんお世話になりました。愛さんのTバックの尻は、今でも私の瞼の裏に焼き付いています〈猥笑〉。 20/11/26(オポムチャン)

俺の頃は深夜じゃなくてもゴールデンタイムの「時間ですよ」とかのホームドラマで舞台が銭湯だったから、毎度入浴シーンはお約束だったなー。 20/11/26(石川浩司)

やっぱり連続ドラマを観ていた頃は、テレビを見るのは楽しかったです。
オダギリジョーさんがやっていたドラマに浅井健一さんや遠藤ミチロウさんが出てきたり、またやはりオダギリさんの別のドラマから面白いコミックスを見つけたこともありました。
VHSビデオでいろんな番組を録画するのも楽しかった。
忌野清志郎さんが「奥の細道」の旅のコースを自転車で行った番組〈2002年頃〉は、同じ自転車乗りとして自転車の旅のバイブルです!20/11/30(Sankaku)

そういえば去年、俺もテレビドラマにちょい役で出たけど、ほとんど噂にならなかったドラマだったなぁ。どうせなら「凪のお暇」に出たかったな。 20/11/30(石川浩司)

「お荷物小荷物」1970~1年 朝日放送製作、TBS系列で放送されていたドラマ。日本のテレビドラマ史上、現在にいたるまででもっともキテレツで実験的なドラマだったと記憶する。小学2年生のわたしはまんまと虜になった。佐々木守の脚本は、大島渚やジャン=リュック・ゴダールなど東西のヌーベルバーグ映画からの影響を受け、「脱構築」の作品を作った。芝居の途中で演技を中断しとつぜん役者がフリートークを始めたり、主役の中山千夏がプロデューサーにインタビューしたり、沖縄問題やアイヌ問題など社会問題を扱ったりして、テレビドラマの枠組を徹底的に破壊していた。成長してから振り返るとこれらの手法はそれほど成功しているとは思わなかったが、当時小学生のわたしは理解の枠外にあるドラマとしてインパクトを受けたのであった。
ただし、数年後に再放送を観た時、それらの脱構築的部分は補正されて、ふつうにテレビドラマとして編集されていたのががっかりしたことを覚えている。
物語は当時まだ日本返還以前の沖縄から日本にやってきた中山千夏が、男ばかり5人兄弟で男尊女卑の家風をもつ運送店にお手伝いさんとして働きはじめ、その家族とのやりとりからいわゆる日本的な家庭制度の問題点をあぶりだし騒動を描いていった。祖父が志村喬、息子が桑山正一、その孫の5人兄弟が河原崎長一郎、浜田光夫、林隆三、渡辺篤史、佐々木剛〔ちょうど仮面ライダー出演で人気が爆発的に出たときとタイミングが重なった〕。佐々木守の脚本、とりわけこの作品と「アイアンキング」は映像化して作品が残っていることが奇跡ではないかというほど、アナーキー〔無政府主義という意味での〕で反体制、反天皇制の心情が作品に結実していた。
テレビの歴史を語るときにぜったいオミットしてはいけない作品だと思います。機会があったらまた観てみたい。 20/12/12(波照間エロマンガ島)

へー、知らなかったけど見てみたいね。
中山千夏は毎週ラジオで即興歌を披露していて、それにも影響を受けた。 20/12/12(石川浩司)

20/12/12の追記。
そういえば、1975年まではテレビ界は通称「腸捻転」と称する状態、関東と関西では系列ネット局、ニュース系列局が現在とは違う状態が続いていました。つまり朝日放送はTBSとネットを組み、毎日放送はNET〔現在のテレビ朝日〕とネットを組んでいたのです。なのでこの「お荷物小荷物」は朝日放送製作でTBS系列で放送されていました。同様に毎日放送製作の「ヤング おー!おー!」は関東圏では最初はNET、ついで東京12チャンネルで放送されていたのが、1975年からTBSで放送されるようになりました。またTBS製作の朝の情報番組「モーニングジャンボ 奥様8時半です」では、朝日放送の玉井孝アナウンサーが1975年の腸捻転解消まで司会の一角で出演していました。ネット局が替わって番組のチャンネルが替わるのは印象的な出来事でした。当時はまだブラウン管テレビジョンとVHFアンテナの性能が悪く、NHKと民放局とで画面の映り方が微妙に違う時代だったのです。これわかる人は少ないでしょうネ。 20/12/26(波照間エロマンガ島)

東京12チャンネルがテレビ東京になったのはなんか印象に残ってるなあ。
友達とサイクリングで群馬から三浦半島をまわった帰りに赤羽の連れ込み旅館にわけ言って泊めてもらった時に観たんだよなー。 20/12/26(石川浩司)

2020年に話題になったのが朝の連ドラ「エール」でした。作曲家古関裕而さんの人生ですね。故志村けんさん最後のTV出演でもありました。
早稲田大学卒業生なら誰でも知っている早稲田大学第一応援歌「紺碧の空」、NHKの「スポーツショー行進曲」、阪神ファンならだれでも歌える「六甲おろし」、そして高校野球ファンなら100人中100人が知っている「栄冠は君に輝く」。
今年度は高校野球がありませんでした。そして2020年NHKの紅白、エールSPでの「栄冠は君に輝く」を聞いた日には、もう涙ぐみましたよ。大学野球に比べてあまり愛着のない高校野球ですが、「栄冠は君に輝く」は名曲中の名曲ですね。私はカラオケでも歌います。 21/1/15(わいわい)

昔は高校野球も見てたから聴けばわかるかな?
曲名だけではピンとこないけど、多分知ってる。 21/1/15(石川浩司)

大晦日 結局見たのはがガキ使。しかも途中まで。
正月特番も、お笑い番組をちょろっと見ただけ。あとはずっとスマホでマンガ読んで、ネットフリックスでアニメみてました。 21/1/15(ズミ天)

そういう人も増えてるんだろうね。テレビが無料で観られる娯楽の王様から転落する日。 21/1/15(石川浩司)

20/11/26関西投稿組のオポムチャンさんへのレス。
関西地方に「大人のえほん」という番組もありましたよね。関東では日曜深夜に放送されていました。黒木香さんとお笑い芸人さんが司会をされてて、ミニコーナーが「もしもしピエロ」というラブホテルで収録されてたのを覚えています。
当時高校生だった自分の中では「東のギルガメ・西の大人のえほん」と勝手に格付けしてました。  21/1/15(もちっこ)

最近はエロい番組もできなくなったよねー。
ネットじゃ無修正が簡単に見られる時代なのにね。 21/1/15(石川浩司)

1990年代終盤のCMに「家庭教師のトライ」のものがありますが、そのCMの俳優さんたちの演技がえらくリアルでした。
母と娘の会話、小学生の男子児童の会話。本当に人ってこんなしゃべり方するよな、というようなリアルな雰囲気でした。
また男子児童編の家庭教師を務めたのは、女優の麻生久美子さん。
この頃から、素敵な女性を演じていられました。 21/2/23(Sankaku)

きっと「普通に喋ってください」と指示して、たくさん録画してそこから選んだのかもね。「自然」って意外と難しいからね。 21/2/23(石川浩司)

2020年12月の中旬に「徹子の部屋」に漫才コンビのナイツが出演されていました。
漫才のネタを披露されていましたが、とても感じのいいトークでした。

またこの数日前には、女優の宮本信子さんが出演。ドラえもんの映画に合わせての出演でした。
夫で映画監督の伊丹十三さんや、俳優の津川雅彦さんの思い出を話されていました。
私も伊丹十三 監督の映画はすべて観たと記憶していますが、とても懐かしかったです。 21/2/23(Sankaku)

伊丹十三さんは殺害された説があるけど、真実はどうなんだろう。 21/2/23(石川浩司)

小学生の頃、深夜こっそり起きてみてたのが「究極癒し系戦隊ヴィーナスエンジェル」。
要はグラドルがでてくるコント番組みたいなやつなんですが、テコ入れでグラビア番組に変わりました。 その中で、きこうでんみささんのビデオの中にチラリと乳輪が・・・
あの頃の興奮から今でも好きな女優さんです 21/2/23(ズミ天)

乳首じゃなくて乳輪か。でかかったのかな。 21/2/23(石川浩司)

『美少女仮面ポワトリン』〔1990年1月~12月、フジテレビ系列、日曜午前9時〕。東映特撮変身ドラマにして不思議コメディーシリーズとして放映され人気を得た。当時28歳のサラリーマンだったわたしは、毎日仕事の厳しさと人間関係の難しさに精神的に壊れる寸前まで追い詰められ悩んでいたが、日曜朝のこの番組を見て正気に戻り元気をもらっていた。主演の花島優子はこの作品がデビュー作で、アイドル的に熱狂したものだった。
同時期に日清食品の「中華そばらうめん」のCMにてマキノ雅弘監督の1939年作品「鴛鴦歌合戦」パロディーの時代劇オペレッタの町娘役を演じ、そちらにも熱狂した。 21/3/12(波照間エロマンガ島)

それ、パロディだと分かる人、どれくらいいたろうね。 21/3/12(石川浩司)

「素浪人 月影兵庫」「素浪人 花山大吉」〔1965~1970〕。
NETテレビ〔現在のテレビ朝日〕系列で放送された連続テレビ時代劇。わたしは初回オンエアは間に合わなかった世代ですが、小学校低学年から高学年にかけ平日日中の再放送に触れその面白さにドハマりしました。主役の近衛十四郎の殺陣の凄さは今観返しても歴代の時代劇スターの中で最高水準のものを持っていると確信します。近衛演じる月影兵庫〔次回作では花山大吉〕と品川隆二演じる、お調子者の旅がらす焼津の半次の名コンビが、諸国漫遊旅なかで遭遇する悪の一味をばったばったと斬りまくる、という痛快時代劇。一時は視聴率が35パーセントに達するほどの人気シリーズだったそうです。近衛の豪放磊落な素浪人で剣はめっぽう強いのにいつも酒びたり、女にはだまされるというキャラクターが大人気になり、どんどんコメディー路線に寄っていき、ついには原作者の南條範夫の逆鱗に触れ名前を換えて花山大吉になったという逸話もあり。またその第2シリーズでは猫が怖いというキャラクターを与えられ、劇中猫が出てくると、悲鳴をあげて逃げる、年少の子供でもわかりやすいコミカルな演技に親しみをもちました。半次とのやりとりでも「このバカたれが」とかいくつかのルーティンの決めセリフがあって爆笑したものです。立ち回りの凄さまじさとそのギャップとなるギャグの面白さで小学生のわたしを虜にしたのです。

近衛十四郎はデビュー時はちょい先輩の片岡千恵蔵、市川歌右衛門、阪東妻三郎、月形龍之介、嵐寛寿郎などと並ぶ独立系時代劇スターでしたが、戦争とか時代とかいろいろな偶然が重なって、実力はありながら映画会社のトップスターになれなかった悲運の役者と言われています。第2東映でくすぶっていたところ、昭和40年に東映がテレビ時代劇を製作することが決まってようやくこの作品に主役として登場、大衆的な人気を得ます。そのとき50歳、時代劇スターとしては本当に遅咲きでしたが、わたしはこのテレビ時代劇忘れませんねー。二人の子息、松方弘樹と目黒祐樹はともに映画俳優になり、大活躍するのは皆さんご存知のとおりです。 2021/3/19(波照間エロマンガ島)

よく覚えてるなー。うちはとにかく「テレビは一日一時間」が我が家ルールだったので、時代劇までは到底たどりつけなかったな。 2021/3/19(石川浩司)

気になるタレントや事件の結末はCMのあとで〈チラ見せ〉、なのにCMが明けると別のタレントや別の事件で引っ張る引っ張る。
昔からあれど、この手の手法がここ数年で顕著になっています。そりゃテレビをオンタイムで見なくなる人が増えるわけです。
その点YouTubeは好きな時間に好きな所から見られるのがいい!
もう一度言います。そりゃテレビをオンタイムで見なくなる人が増えるわかめ! 2021/3/19(テングザル)

俺はもうひとりでは全くオンタイムでは観ない。食事時に妻とは録画しておいたのをCM飛ばしながらは観るけどね。 2021/3/19(石川浩司)

中学生の頃、イカ天と同じくらい1990年前後のフジテレビの深夜番組はどれも輝いてました。
カノッサの屈辱、IQエンジン、いまごろテレビ見てるやつ、北野ファンクラブ、全日本ガイジン選手権、KIWI、そっとテロリスト、たまにはキンゴロー、たほいや、寺内ヘンドリックスとか色々ありましたけど、今でも一番好きなのはテレビブックメーカーという番組です。
来週の出来事を予想して賭ける、という内容ですけど、その題材がいちいち面白くて 2021/3/19(例:次週の水戸黄門で由美かおるの入浴シーンは何時頃か?みたいな)、糸井重里さんらが真面目に推理する一部始終も面白かったです。 2021/3/19(KPC)

ああ、そんなのもあったねー。面白かったコンテンツは今もう一度リニューアルしてもいいんじゃないかね。 2021/3/19(石川浩司)

私が小学生の頃にやっていた、その名も「夏休みこどもフェスタ」という番組は特に楽しみでした。

ウルトラマンや仮面ライダーがよくやっていたと記憶しています。
「ウルトラマンタロウ」「仮面ライダーV3」などこれらの特撮番組は、私にとって遠い憧憬になりました。
しかし、2019年から書店で発売の『仮面ライダー DVDコレクション』ではもうそういう特別な気持ちは薄らいでしまいました。 2021/3/31(Sankaku)

大人になったのだね...。 2021/3/31(石川浩司)

NHKで不定期に放送されていた、外国ロックバンドのコンサート中継を行なう番組「ヤング・ミュージック・ショー」〔1971~1986年〕。主に土曜日の昼間放送されていました。当時はレコードとロック雑誌、ラジオ、それにフィルムコンサートくらいしか洋物ロックに接する機会はなかったのですが、外国製作のライブ中継番組をそのままNHKが放送するというのは、なかなかに画期的な番組でした。今やYoutubeで全世界の古今東西のロックの映像や音像は見放題、聞き放題なわけですが、1970年代後半までは動くロックスターを見られる機会はほとんどなかっただけにこれは貴重でした。わたしはこの番組でローリング・ストーンズ、キッス、ベイ・シティー・ローラーズ、イエス、リック・ウェイクマン、クイーン、カンボジア支援コンサート、ポール・マッカートニー、エリック・クラプトン、クラッシュなどを見た記憶があります。ありがたかったです。 2021/4/15(波照間エロマンガ島)

そうそう、今とは映像を観られる環境は全然違ったよね。特にマニアックなバンドなんて絶対観ることが出来なかった。
音だけで知ってたバンドが、意外なビジュアルで驚いたこともあったな。 2021/4/15(石川浩司)

「帰ってきたウルトラマン」〔1971‐2年 TBS/円谷プロ製作〕。
主人公の所属するMAT〔地球防衛軍的な組織〕の同僚に岸田隊員〔西田健〕という人物がいた。彼は叔父がMATの上部組織の長官というエリート軍人の家系に育ち、兵器開発や射撃の技術に秀いでしかも規律に厳しいという、融通性のまったくない職業軍人のような性格で、主人公の郷秀樹〔団次郎〕とは対立ばかりしていた。
ところが、ある日を境にとつぜんフランクな性格に変わり、パトロールの最中など「MATの給料は安いからなぁ」など軽口を言うキャラクターに変貌していた。

わたしはそのシーンをテレビで観たときの衝撃を、50年近く経った今も覚えている。これには9歳の視聴者である私でもわかる、ある理由があったのだ。
それは当時日本テレビで放送していた「ゲバゲバ90分」というお笑い番組にこの岸田隊員役の西田健が出演していて、コメディアン的なコントをやるようになり、そちらでの知名度が上がったものだから、それに影響されこの「帰ってきたウルトラマン」の岸田隊員のキャラが変わってしまったのであった!
わたしはこの事実に激しく失望した。そしてわりと入れ込んで視聴していた「帰ってきたウルトラマン」への熱はするすると冷めていったのだった。あほくさ、と。そんな思い出があります。 2021/4/29(波照間エロマンガ島)

あ〜そういうことってあり得るなあ。メジャーなイメージに合わせることを要求されることね。
俺も稀にバラエティ番組とか出て、いろいろ喋っても結局編集されて使われるところは言い淀んだりするところばかり。「現代版山下清」の需要しかないんだよね。トホホ。 2021/4/29(石川浩司)

「オールナイトフジ」〔1983年4月~1991年3月〕。毎週土曜日深夜にフジテレビで生放送されていた長時間バラエティー番組。素人女子大生が外回りロケで体当たりレポートをし、あるいはスタジオでお下劣ゲームをし、あるいは振り付けつきアイドル歌謡曲をリリースし歌い、しまいには観客あり野外コンサートまでしてしまうという、世に言う「女子大生ブーム」を作ったテレビ番組。片岡鶴太郎、とんねるず、ウッチャンナンチャン、B21スペシャルはじめ、多くのお笑いタレントのブレイクをサポートしたことでも有名で、フジテレビの1980年代バブル時代を代表するテレビ番組として多くの人たちの記憶に残った。わたくし波照間エロマンガ島の大学生時代とほぼ重なり、夜遊びしない週はだいたい部屋でこの番組を見ていた。

思い出せる範囲での初期の放送の流れ。オープニング、当時流行していた洋楽のビデオクリップ〔カジャ・グーグーだとかゴーゴーズだとか〕に乗せてその日の放送内容がロールテロップで流れる。最後に「放送終了時刻未定」とあるのがお約束。クリップが終わると、MC席に座ったレギュラーの秋本奈緒美〔ジャズ歌手〕、鳥越マリ〔タレント〕、松本伊代〔アイドル歌手〕の3人が挨拶、その日の放送内容を簡単に説明。次に秋本が鶴太郎を呼び進行を振る。するとスタンバイしていた鶴太郎が別カメラの前でアップで登場。登場の下品な一言がツカミになっていた。「石田〔弘。番組プロデューサー〕のはげ」とか「笠井イーリャン〔チーフディレクター、名前が一二だったのを中国語読み〕」とかぼそりとつぶやきスタッフの笑いをとり、その週のゲスト紹介に入っていく。「オールナイトフジ」の笑いはこの番組でブレイクしたとんねるずも同様に「内輪受け」の笑いであり、スタジオスタッフやキャストの空気を和ませ笑いとばすことが基本にあった。このノリを踏み絵にしてこれに乗れるか乗れないかで、視聴者は番組の好き嫌いを判断していった。そしてファンになった視聴者はこの番組が企てた悪ふざけに加担するという放送作家の秋元康がとった戦略にまんまとはまり、番組全体が社会現象になるほど話題になっていった。

振り返ってみると、1980年代前半は洋楽のビデオクリップやアダルトビデオが一般化した時代でもあり、新しいメディアはとりあえずすべて紹介してしまおう、という番組の姿勢があった。「新着アダルトビデオ」情報をコーナー担当の女子大生に紹介させ、言いよどんだりはにかんだりする姿をアップで放送し、同時にセクシーシーンを放送する瞬間に出演タレントの表情をインサートショットつなぎする手法はこの番組ならではの独壇場であった。現在だったらセクシャルハラスメントの放送倫理ぎりぎりの絵が平気で撮られた。そうして番組でバカ受けしたエロ路線はエスカレートの一途をたどり、後発の民放他局の深夜番組でもアダルトビデオや性風俗レポがひんぱんに紹介されるにいたり、ついには国会で問題になり中曽根政権の放送自粛要請の鶴の一声でアダルト路線は消滅するにいたった。

また、生放送ならではのハプニングが毎週のように起こったが、それらは日本のテレビ史サブカルチャー史に残る瞬間だったと確信している。一例をあげると酔っ払って登場した野坂昭如がコーナー司会のとんねるずの頭をこずいたり、とんねるずが「一気!」歌唱中に、調子に乗って何千万円もするテレビカメラを倒して壊してしまったり、女子大生がゲームコーナーで「まんこー!」と絶叫して鶴太郎にはたかれたり、笑福亭鶴光の「オールナイトニッポン」とのジョイント放送で当時新人歌手の松本明子もまた「おまんこー!」と絶叫して一時期芸能界から干されたり、細川隆一郎が自分の自宅の固定電話の番号を大声で叫んでいたずら電話が殺到したり、松本伊代がタイアップのコンビニエンスストアの名前を間違えてアナウンスしたり、等々たいていのハプニングをわたしは「目撃」していた。

とんねるずなどレギュラー陣によるお笑いコーナーや、ライブゲストのコーナー〔なんと売れる前のマドンナがカラオケバックで歌い踊った回を記憶している!〕、その週の特集などをはさみ、深い時間になるとサーフィン情報としてサーフィンスポットの波の高さを紹介しこれからサーフィンにでかけるサーファーへの「波予報」を行なった。これなどは日曜早朝に海に出かけるサーファーへのガイドということでけっこう画期的なアイディアだと思ったものだ。

そう女子大生たちは「オールナイターズ」と呼ばれていた。都内の有名大学の学生が自分の名前を名乗るときに「○○大学のXXです」と自己紹介するのだから、当時同じ大学に通う学生は最初はびっくりしただろう。わたしは辺境にある無名美術大学だったから同窓生にオールナイターズはいなかったように記憶している。

オールナイターズのその後の進路で覚えている例として、アナウンサーになった松山香織や佐野美和〔政治家にまでなった〕、女優になった山崎美貴、同じスタッフが製作していた平日夕方の「夕焼けニャンニャン」に移動し、そちらのレギュラーメンバー「おニャン子クラブ」入りした立見里歌、内海和子ほか、アダルトビデオ女優になった人も何人か、いた。
また武蔵大学の根本千枝古は、わたしの高校同期で武蔵大学からプロのミュージシャンになった五十嵐公太〔Judy&Mary〕くんと結婚したと風のうわさに聞いたな。あと山崎美貴、深谷智子とともに「おかわりシスターズ」で大人気だった松尾羽純は、担当ディレクターだった松田直と結婚したと、フォーライフレコードに就職したわたしの弟が語っていたのを覚えている。

そんなテレビ番組「オールナイトフジ」の思い出でした。 2021/5/25(波照間エロマンガ島)

実はこの番組、数回しか観ていない。20代はそもそもほとんどテレビを見ずに、ずっと麻雀してたからなー(笑)。 2021/5/25(石川浩司)

『日曜8時、笑っていただきます』〔TBSテレビ 1970年、毎週日曜20時から21時放送〕。鴨下信一製作、久世光彦演出。スパイダース解散後、ソロ歌手、コメディアン、俳優として活躍の場をテレビに求めた人気絶頂の堺正章主演のコメディードラマ。このあとTBSでの堺出演のドラマは『時間ですよ』に踏襲一括化していく。
「浣腸、しちゃうから」というギャグが一世を風靡した。

マチャアキこと堺正章は、この頃はドリフターズ、コント55号とならぶテレビバラエティーのトップ芸能人の一角だった。小学生のわたしは3組出演のテレビ番組はどれもおいかけていた。マチャアキの中で覚えているのは、1971年に日本テレビで始まった公開バラエティー番組『ハッチャキ!! マチャアキ』〔白井荘也・演出、のちの『カックラキン大放送』の原型となった番組〕や1975年NETテレビで放送した『マチャアキの森の石松』〔マキノ雅弘・演出の初のVTR撮影時代劇〕など、画期的な企画を次々とものしていき、フジテレビの『スターかくし芸大会』などとともに「芸能界のご意見番」的地位を着々と固める過渡期にあった。1978年の『西遊記』までは誰もが認めるトップスターだったであろう。その後徐々にテレビでの安定期を経て、主役から脇にまわることが多くなる。

喜劇俳優である父の堺駿二は松竹専属で、大船撮影所の近くの鎌倉市に大きな屋敷を構え、正章はそこで幼少期を過ごしたという。同時期近くに住んでいた大学生であったわたしの父は、同級生が正章の家庭教師をしており、学校では「役者の息子」としてひどいいじめに遭っていたことをいつかわたしに語ってくれた。まぁ今から半世紀ほど前は芸能人に対する差別や迫害は普通にあったということなのだろう。
また時代が変わり1990年代頃、田辺エージェンシーでアルバイトをしていたわたしの弟から、当時の堺正章のひととなりを聞いたことがある。その素行についてはここに書くことはできないが、「The 芸能人」というイメージどおりの暮らしぶりだったらしい。そんな堺正章の1970年代のテレビ出演作品について、でした。 2021/6/7(波照間エロマンガ島)

確かに俺たちの子供時代の堺正章の活躍はすごかった。今の若い人は「なんかよくわからない大物」と思ってるのかもね。
そういえばせんだみつおもすごかったんだけどねー。 2021/6/7(石川浩司)

テレビ、見なくなりましたねえ。
見ても週2で特撮やアニメを見るくらい。
バラエティなんてほとんどみません。 2021/6/18(ズミ天)

俺もテレビを生で観ることは大地震でもない限り皆無に近い。
夫婦で好きな番組は録画してCM飛ばして観て、あとは暇な時にネットの後追い配信とかで観るくらいだねー。 2021/6/18(石川浩司)

昔観たテレビドラマで感じた「違和感」、「謎」を解決するために、過去を思い出しながらこの投稿をします。

1980年4月~7月、TBSテレビ毎週木曜日22時「木曜座」のドラマ枠で放送された「離婚ともだち」。大原麗子が主演。共演は田村正和、藤竜也、この作品がデビュー直後の18歳の浅野温子など、豪華キャストが並びました。大原麗子はこの頃いちばん脂ののった時期で、このドラマでは広告業界のキャリアウーマン役を華やかに演じきりましたね。また挿入歌の中村晃子の「恋の綱渡り」は大ヒットして「ザ・ベストテン」にもランクインしました。たしか演出担当ディレクターの服部晴治さんは最初、中村晃子とつきあっていたのに、大竹しのぶが強引に服部を奪い取ったというゴシップ記事を覚えています。まさに略奪愛です。大竹しのぶはその後、服部晴治さんと結婚し一男〔二千翔〕を成したあと死別し、そのあと明石家さんまと再婚することは1980年代の芸能史的な常識として持っています。

さて、わたしが当時抱いていた「違和感」とは、大原麗子が勤める広告制作会社で働く同僚役の林ゆたかという俳優について、です。GS時代ヴィレッジ・シンガーズのドラマーとしてデビューし、グループ解散後は俳優として数々の映画やドラマに出演していました。甘いマスクで女にだらしない優柔不断な男を演じさせたら右に出るものはないというくらいのキャラをもった「脇役」俳優だったのです。その林ゆたか、ドラマ開始後何回かするととつぜん何の説明もなくいきなり「坊主頭」になって登場しました! 華やかな広告業界が舞台でファッショナブルな服装がいっぱい画面に映っていただけに、この坊主頭はやたらインパクトがありました。しかも、そのことについてドラマ内ではいっさい説明はないのです。当時はまだ男性の長髪が多い時代だったので、違和感いっぱいでしたよ。

わたしはこのとき感じた「違和感」を1980年以来約40年ぶりに想起し、検証してみようと思い立ちました。早速インターネットで林ゆたかのフィルモグラフィーをあたってみると、すぐにそれらしいヒントは見つかりました。

1981年公開の松竹映画「子どものころ戦争があった」という映画に林ゆたかは出演していたのです。題名から想像するに戦時中の日本を描いた映画ではないかと思いました。そしてこの映画の撮影のために「離婚ともだち」で広告業界のイケてるクリエーター社員の役柄にもかかわらず、林は坊主刈りにしたのではないかと推理しました。
だとするならば、ずいぶんこの「離婚ともだち」は舐められたもんだな、と思います。テレビは映画に較べて後発のメディアなので、1980年当時でさえも無意識に「映画のほうが上でテレビは下」という階級意識があったのかどうか。そんなことに思いをめぐらせてしまいました。

同時に別のエピソードも思い出しました。1974年東映映画「ああ決戦航空隊」というオールスター映画があり、これに西城秀樹がパイロットの役で出演していたのですが、当時長髪のトップアイドルだったヒデキはなんと戦闘機に乗ってない地上でのシーンで長髪を隠すために飛行帽をかぶっていたのです。これははたから見ていて間抜けでしたね。そして見ていて怒りがこみ上げてきました。西城秀樹さんが亡くなった現在でも「ふざけんなー!」と叫びたいほど怒りがあります。長髪切らないんだったら映画に出るな、と当時小学生のわたしは思いましたもの。

ちょっと脱線しましたがそんな1980年のドラマ「離婚ともだち」で設定とは無関係にとつぜん丸坊主になった俳優、林ゆたかについて、でした。 2021/7/4(波照間エロマンガ島)

逆ならカツラがあるけどねー。坊主頭は一番難しいね。 2021/7/4(石川浩司)

しかしてれびをほとんど視ないのであまり知った口はきけませんが、昔に比べて助平な番組が打てない割にはなんとか40なんぼ、っていうお嬢さん方のグループはいやっちゅうほど太ももを見せつけて歌ランキング番組とかで流れるミュージックヴィデオなんぞでは水着でぷりぷり乳や尻を揺らす、なんておかしな現象が起こっていますね。昔アイドルって、ここまで肌露出しまくってましたっけ??
てれびにおいてアイドルの太ももや水着はOKで助平専門の女優さんの露骨な助平はNG、こんなもん肌面積ならぬメディアへの露出の多いアイドルさんの方が男どもの性的なシンボルたりえ、助平専門の女優さんはますます地下へ追いやられ不当に搾取されることの一因になるのではないか、とか少ない脳味噌であれこれ考えたりしますが、よくよく思えばインターネットの登場によって最早てれびに助平を求めるひともいなくなり、性産業大国ジャパンが国際的に非難される要因をすこし摘んでおく意味でも公共放送での助平が消えたのだろうか、とか休むに似たるあほの思考は今宵もループ。
でもねでもね、自分から能動的に専門の場所へエロスをもとめにゆくのと、みんなも見れちゃうてれびなのにこんなことまで!? という感動がある助平番組を視聴するのとでは後者のほうが確実にソソるナニかがある気がするんです! と、時代に逆行した男本位の投稿、大変失礼いたしました。 2021/7/4(オポムチャン)

でも子供も一緒に見ていると、なんとも言えない空気にならない? 2021/7/4(石川浩司)

  「8時だョ!出発進行」
1971年4月から9月までTBS土曜日夜8時生放送されたバラエティー番組。土曜夜8時というと1969年から1985年までずーっと「8時だョ!全員集合」が放送されていたと思っている人が大多数だと思いますが、その中1971年のわずか半年のみ「全員集合」はお休みをし、渡辺プロダクションの先輩のハナ肇とクレージーキャッツが出演したバラエティー番組を放送していた時期があったのです。番組フォーマットは「全員集合」と酷似した公開生放送で、コントや歌をフィーチャーしたバラエティーショーでした。スタッフもほとんど同じでした。このたった半年間のみの「出発進行」、わたしは当時小学3年生で毎週見ていたはずですが、まったく覚えていません。ただ放送第1回のみ、ドリフターズがゲストで出演していたことだけは記憶にあります。「全員集合」後半のミニコントコーナーで人気のあった、いかりや長介に似せたゴリラの長介人形をいたぶる生意気なガキ役の仲本工事のパートは大笑いしました。

当時平均視聴率が30%以上あったTBSの看板番組が半年だけ放送を休止したことには、ドリフターズの所属していた渡辺プロダクションとTBSと日本テレビの三つ巴のドロドロしたタレントをめぐっての面妖な綱引きがあったといいますが、子供の自分にはもちろんそんな事情などわかるはずもありませんでした。ただ大好きだった「全員集合」が突然終わってしまうことで激しく失望したことだけは覚えています。ドリフは日本テレビで冠番組をもちましたが、すぐに打ち切りになってしまいます。そして半年後「全員集合」は復活し、ドリフターズはまた土曜の夜8時にTBSに戻ってきたという経緯がありました。 2021/8/12(波照間エロマンガ島)

へー、俺も全く覚えてないな。意外と知られていない大きなテレビ事情なのかもね。 2021/8/12(石川浩司)

2001年ごろ、沢田研二〈ジュリー〉がテレビに再登場し始めたころに、当時の人気番組「SMAP×SMAP」に歌のコーナーでゲスト出演されました。

香取慎吾「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」、稲垣吾郎「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」、木村拓哉「カサブランカ・ダンディ」、中居正広「勝手にしやがれ」、草彅剛「恋のバッド・チューニング」、そして全員で「TOKIO」

70年代を代表するアイドルと、90年代を代表するアイドルの共演で、キムタクも「この人〈ジュリー〉合うなー」と感銘を受けていたようです。
石川あるさんにこのキムタクのセリフをお教えしたら「キムタク生意気!」と言われました。 ジュリーの全盛期を知っている方は、決まって「キムタクなんかメじゃないくらいに、ジュリーはすごかった‼」とおっしゃります。

当時は他の音楽番組でも、昔の歌謡曲を取り上げるものが放送されていて、そこで沢田研二の楽曲に触れることができました。
昔のカラオケの無い時代での生演奏は、なかなか迫力があったと思います。  2021/9/3(Sankaku)

カブキロックスの「お江戸」って「TOKIO」の単純な替え歌なのに、よくヒットしたなあ。 2021/9/3(石川浩司)

「とことんやれ大奮戦!」
日本テレビ系列毎週水曜19時30分~20時に放送〔1973年10月~1974年3月〕。
朝日放送製作の「てなもんや三度笠」で最高視聴率64%をとり、一世を風靡した演出家の澤田隆治を日本テレビに迎え、「てなもんや」と同一フォーマットで製作した公開コメディードラマ。当時人気絶頂のフォーリーブスが主演。関東関西のオールスター喜劇陣が助演した。
筋立ては現代の若者であるフォーリーブスの4人が京都見物中、突然タイムワープして幕末維新期の鳥羽伏見の戦いに巻き込まれてしまい、官軍と幕府軍のあいだを右往左往するコメディードラマだった。当時から大河ドラマをよく見て歴史好きだったわたしは熱狂して毎週観ていた。

中でもいちばん印象的だったのが、上方漫才師の「唄子・啓助」の鳳啓助が同姓同名の幕臣である大鳥圭介を演じ毎週登場していたこと。大鳥は鳥羽伏見の戦いから江戸無血開城、東北の戦いを経て、函館五稜郭の戦いまで幕府軍を率いて戦ったわけで、これは小学5年生のわたしでもじゅうぶん理解し楽しめた。けれども中学高校と歳を重ねていくうちに「いくらなんでも大鳥圭介はこんなふざけた人物ではなかっただろう」とその人物像を修正していきましたが〔笑い〕、そんな思い出のあるドラマでした。しかしながら1973年製作のドラマなんてこのHPの読者の人はほとんど視聴してないと思いますがね。 2021/9/12(波照間エロマンガ島)

時代劇のドラマで観た記憶のあるのは「天下御免」くらいかな。 2021/9/12(石川浩司)

ねむれナイトコルポグロッソ

イタリアのお色気クイズ番組。小学生の頃見てもよくわからないのですがチンチン<乾杯>ガールという響きだけが好きで見てました。 2021/9/24(ズミ天)

チンチンガールズっていうバンドやりたいな。既にありそうな気もするが。 2021/9/24(石川浩司)

2021/9/12の石川さん。
「天下御免」見てました!相当好きな時代劇ドラマでしたよ!1971年10月から1972年9月までのOAとあるから、わたしの小学3年から4年にかけての放送。早坂暁さん脚本のこのドラマは歴史を扱っているのだけれどかなり虚構性の強いドラマで、平賀源内〔山口崇〕、杉田玄白〔坂本九〕、田沼意次〔仲谷昇〕ほか歴史上の人物が実名で登場し、実際あった歴史エピソードをネタに構成してました。また現代社会への風刺もきいていて、かなり実験的でぶっとんだ内容でした。
印象に残っているのは杉田玄白と前野良沢〔内藤武敏〕らが「解体新書」を苦労して翻訳するシーンが描かれていたことで、最初の単語から悪戦苦闘して翻訳するさまは幼いながら感動した記憶があります。それでその医学全書に図表として記されていた人体の解剖図が正しいかどうか小塚向原の刑場まで行って処刑されたばかりの罪人の腹部を切って解剖したシーンは思い出に残っています。江戸時代から現代までつながる科学の発展をドラマで描いたのはすごいと思いました。
ところが、このドラマはNHKに映像資料がほとんど残ってないそうで、視聴者の記憶にのみ存在する作品なんですね。1973年当時はまだ放送局では放送用2インチのビデオテープは高価すぎて1話1話テープを上書きして使用していたらしく残ってないとの由。もちろん民生用のビデオテープレコーダーも発売されるずっと前の時代でした。
最後に、このドラマにまだ20歳前の山田隆夫〔Ex-ずうとるび、現在「笑点」の座布団配り〕が出演していたのですが、数年後山田と結婚するアイドル歌手の吉川桂子さんも恋人役で共演していた記憶があるのです〔のちに離婚〕。しかし、Wikipediaには吉川さんが配役されたという記述がないので、わたしの記憶違いかとも思い、ほかの資料もあたっていきたいと思います。 2021/9/24(波照間エロマンガ島)

よく覚えてるね~。俺は「面白かった」「歴史上の人物が実名で出てくるギャグドラマ」ということくらいしか覚えてない。
そして映像残ってないのかあ。かなりの名作だったのに残念だねえ。 2021/9/24(石川浩司)

MADTV!

アメリカの雑誌MADのテレビ版。パロディ、時事ネタ、エログロありのトンデモ番組。
無修正で血が流れるなんて当たり前、
しかし、小学生の私にはよくわからない世界でした。 2021/9/24(ズミ天)

そんなのあったのか。もう俺は大人になってた年代だな。大人になってからは限られたお笑い番組以外、テレビをほとんど観ない生活になっちゃったからなー。麻雀と酒に忙しくて(笑)。 2021/9/24(石川浩司)

昔NHKで放送していた「連想ゲーム」の録画を久しぶりに観ました。
当時はそこまで好きな番組では無かったですが、今観るとシンプルで面白いんですよね。
あれをやっていると言葉選びのセンスが磨かれる気がします。
正しい日本語で、品のあるクイズ番組。
こんな番組をNHKはまた作って欲しいものです。 2021/10/15(邑楽)

この番組が縁で大和田漠と岡江久美子は結婚したんだよね~。よく見てた。懐かしい。 2021/10/15(石川浩司)

小学生のころ、テレビゲームをプレイしていたころは、新しいゲームソフトのTVCMを観るのが楽しみでした。
「ヨッシーアイランド」「スーパーマリオRPG」「スーパーマリオ64」など
今のテレビゲームはちょっと複雑になって、なかなか分かりにくくなりました。〈笑〉  2021/11/14(Sankaku)

うん、今はシステムや最初のコマンドなどを覚えるのがかったるくて、全然新製品やってない。ジジイだからのう...。 2021/11/14(石川浩司)

2021/10/15の石川さん、邑楽さん。
NHKの「連想ゲーム」は、家族団らんで観られるバラエティー番組でしたね。今から振り返っても本当によくできていると思います。
わたしが好きだったのは「ワンワンコーナー」。「わんわん」「にゃんにゃん」の様に繰り返しの言葉の答えをあてるコーナーです。あるときこんな出来事がありました。男性チームの3枠に座っていた田崎潤さんという東宝専属の壮年の俳優が頭の切り替えがうまくできず、「ワンワンコーナー」が終わって一般問題に戻っているのに、「XXXX!!」というわんわん言葉を絶叫して解答したこと。あれは心底ゲラゲラ笑いました。
あと、1981年頃レギュラーだった田山雅充さんというシンガーソングライター〔真っ黄色のサングラスをしていた。「春うらら」という大ヒットあり〕はそれほど売れてるわけでないのに、なぜかレギュラーだったのを訝しんでいたのですが、それは田山さんの身内にNHK職員がいてその有力なコネがあったからだと、まことしやかに伝わってきた裏情報があり、それを酒の肴にしてたことをふと思い出しました。
そんな「連想ゲーム」の想い出。 2021/12/4(波照間エロマンガ島)

我が家は民放をほとんど見せてくれない家庭だったので、この番組はよく観たな。 2021/12/4(石川浩司)

SNS上で、TBS「〇曜日のDウンタウン」の"落とし穴企画"に関して穴に落とされた「パ〇サーO形さんに感動した」や「あの企画は人権侵害だ」などと盛り上がっていたので見逃し配信で確認してみました。
あくまで個人の感想ですけど、O形さんが凄いのは脱出できたことではなく逸早く企画の意図を汲んだところだと思います。日没後に煌々と穴の底を照らす強い照明、銃声がしたのに〈猟師=人がいる証拠なのに〉助けも呼ばず隠れるなど、正直見ていて感情移入するには無理がありました。
もう一人、オーバーアクションに走ったチャ〇スO城さんの存在も大きかったです。
それより冷静な態度の蛙〇N野さん〈本当は落ちる前に穴の存在を足で確かめたのでアウト〉とニ〇ポンの社長Kツさん、カメラで見ているであろうスタッフに悪態を吐くコ〇チキNダルさんの方が自然で面白かったです……冷めた見方をしてすみませ↓↓↓ア゛ーッ!↓↓↓ 2021/12/4(テ〇グZル)

俺も観た。それぞれ反応が違ったり、企画の意図を踏んだり、それを超える人間性が出たりして面白かった。
でもこんなのも、そのうちコンプラ違反でできなくなっちゃうのかもね。 2021/12/4(石川浩司)

「アニメンタリー 決断」〔竜ノ子プロ制作、1971年4月~9月、日本テレビ系列 土曜19時30分放送〕
太平洋戦争中の大日本帝国軍が遂行した軍事作戦を描いたアニメンタリー〔アニメーションとドキュメンタリーを合わせた造語〕作品。それ以前も以後もこういう戦争を扱った実録アニメーションが制作され放映されたことは皆無だったので、当時小学3年生だったわたくしは非常に印象に残った。特に第18話の「山本五十六の死」の回は、今でも記憶に残っている。つい数日前に動画サイトにアップされているのを見つけ約50年ぶりに鑑賞したが、記憶に残っているおもだった構成は同じであった。
するとこの年末、香取慎吾主演で「倫敦ノ山本五十六」というドラマが放映されることを今朝知り、びっくりしたしだい。1929年ロンドン軍縮会議に日本代表として随行していた山本五十六を描いているという。
そういえば石川さんが山下清を演じた大林宣彦監督作品「この空の花 長岡花火物語」〔2012年〕に、長岡市出身の山本五十六について引用されていたのを思い出す。 2021/12/14(波照間エロマンガ島)

ロンドンに行った時は、やはり「56」と表記されたのだろうか? 2021/12/14(石川浩司)

私の自宅にはテレビがないので分かりかねる事ではありますが、もしかしたら今でもU局のテレビ局ではやっているかもしれません。
1970年代や’80年代のテレビドラマが再放送されていたことがあり、「俺たちの旅」「西部警察」はちょっとだけ見たことがあります。

「俺たちの旅」だったでしょうか。今の時代からみると信じられない場面がありました。
話の終わりのシーン、会社のデスクの中で、頭の禿げた中年の上司が部下のOLの服の下をまくって胸を見る〈結構スピード技〉というシーンがありました。
そのOLも叫んで嫌がりましたが、なんとそれはほのぼのとしたギャグシーンとして描かれていた様子でした。

こんなことは今の時代から見たら、セクハラなどではなく性犯罪になってしまいます。
それぞれの時代にも、良いところも悪いところもあり、このシーンは大らかな時代だったとの解釈ができるのかもしれませんが、これに限らず今の年代と違う映画やテレビなどには、何かしらの発見があるように思います。  2021/12/31(Sankaku)

実は志村けんのものでも、今セクハラで流せないものも結構あるよね~。 2021/12/31(石川浩司)

今年一番印象に残ったTVの一言は、箱根駅伝予選の時ですね。8位が駿河台大学[初]になったのですが、実況が「ついに初出場! 44校目!」と叫んでいたやつが印象に残っています。

まだ44校しか出場していないんですね。 2021/12/31(わいわい)

やっぱり予選とか厳しいのかね。シード校もあるんだろうね。 2021/12/31(石川浩司)

ここ最近テレビで見るのは 仮面ライダーと戦隊だけ
昔は毎日やってた深夜アニメを眠い目こすってみてたのになぁ と老いを感じます 2021/12/31(ズミ天)

最近はネットで好きな時間に観られるからなあ。リアルタイムでテレビは全然観ないな。もっとも仕事のメインは夜だからそもそもリアルタイム難しいのも一因だけどね。 2021/12/31(石川浩司)

最近テレ東の「孤独のグルメ」をよく見ます。youtubeが多いですが、12/31の特番も見ました。 2022/1/14(わいわい)

俺も時々見る。事件が起きないので安心して観られるしね。
原作者の久住さんは、俺の誕生日ライブにもゲストで出てくれて、俺のことを歌った曲なんかもやってくれて、嬉しかったなあ。 2022/1/14(石川浩司)

20/11/19の石川さん。
最近バンコクのシーロム・パッポンエリアを散歩していると、なんと猿岩石がアルバイトしたこのトンカツ屋さん、閉店しておりました!おそらくですがコロナ不況を乗り越えられずに店を閉めたものと思われます。残念です。スクムビットにたしか支店があったので、今度そちらも確認してまいりますね。 2022/1/29(波照間エロマンガ島)

コロナ禍もそうだし、タイは日本より店舗の開店、閉店の周期が早い気がする。 2022/1/29(石川浩司)

ラグビーワールドカップだったかな、ラグビーではモールという攻撃方法があるのですが、ボールを持っている選手をみんなで押すんですね。ラインアウトからモールを作るのが一般的なんですが、Wカップで、日本のフェイズ(連続攻撃)中に、実況が、
「ん・・・これはモールを作ろうとしてますね。(モールが出来て)モール モール」。場内大歓声。
「バックスまで加わっている!」というシーンで涙しました。
モールはFWのみんなで押すのですが、普段モールやスクラムに加わらないバックスの選手までも加わって一丸となって押す、というプレーに涙したんですね。
モールっていいなあ。
モールなんて誰も分からなくてもいいです[笑]。 2022/2/14(わいわい)

「観客まで加わっている!」だったら、珍プレー。 2022/2/14(石川浩司)

群馬県民男子の心に刻まれているであろう番組を思い出しました。 内容は夜の相談室と称したエロ関係のQ&Aとか、ギャルの温泉紹介と銘打ったAV女優による温泉レポ。当然乳首なんざ丸出しでありました。
あと毎回じゃないけど、AV新作紹介とかもやってた気がします。
その番組は「ミッドナイトかわら版」。
土曜の夜にやっておりましたが、放送時間が23時からだったので、モテる奴は「ねるとん紅鯨団」を、自分のような童貞は「ミッドナイトかわら版」という棲み分けが出来てたように思います。
で、スッキリしてからイカ天が始まるという、中学生にとっては夢のような週末でありました。 2022/2/14(KPC)

イカ天の前番組だったか! それじゃあ俺も観てるな。もう大人だったから、堂々。 2022/2/14(石川浩司)

やはり思い出すのは土曜8時のドリフとひょうきん族ですね。ドリフ派、ひょうきん族派、両方派といて、うちは両方派で、チャンネルをカチャカチャ 2022/2/14(押しボタン式)替えながら見てました。安定のドリフと新しい笑いのひょうきん族という感じでどちらも好きでしたが、大人になってDVD買ったり愛着があるのは断然ドリフです。 2022/2/14(まじ子)

ネットでもドリフはたまに上がるけど、ひょうきん族ってほとんど上がらないね。なんでだろ? 2022/2/14(石川浩司)

「田勢康弘の週刊ニュース新書」
テレビ東京系列で2008年4月から2016年3月まで毎週土曜日午前11時30分から放送されていたニュース番組。元日本経済新聞記者の田勢康弘〔たせ・やすひろ〕をメインコメンテーターに起用、女性アナウンサーがニュースを読み上げ田勢が解説するのだが、この番組の最大の特徴はスタジオ〔ちょっとリビングルーム風な家具調度品を置き、くつろいだ雰囲気を出していた〕に猫を自由に歩かせる演出をしたことだろう。
これは自分の中の感動激流を刺激しましたねー。ふつう猫が出演するテレビ番組は、猫をいかに被写体として可愛く映すかということに主眼がおかれるが、この番組では人間はニュースを放送しているのに、猫は我関せず、部屋の中でごろんと寝転んだり、歩いてアナウンサーの膝の上に乗ったり、本当に自由な生態を見せてくれるのだ。なんて画期的な番組だろう!とわたしは膝をうった。しかし2016年に残念ながら番組は終了してしまった。

それはそうと同じテレビ東京系列のBSテレビ東京では2月22日の「猫の日」にちなみ、この日は例年通り猫だらけの番組編成を行なうという。局名も一日限り「テレビキャッ東」と改名し、猫ドラマやテレビ東京で過去放送した猫番組のスペシャル番組を放送するなど、クレージーすぎる番組編成を企画中とのことで楽しみだ。猫好き芸能人として有名な中川翔子や岩井勇気〔ハライチ〕がメインパーソナリティーを務めるとのこと。 2022/2/19(波照間エロマンガ島)

そういうちょっとしたアイデアって大事なんだよね。意外と気付いてない人多いけど。
ハライチのラジオでは、冒頭に毎回「今週のネコちゃんニュース」やってるね。 2022/2/19(石川浩司)

「モーレツ‼︎しごき教室」。1973年から1984年まで毎日放送と吉本興業が共同製作で全国ネットしていたテレビ番組。横山やすし西川きよしが司会で、吉本の若手お笑い芸人たちを「モーレツにしごき」まくるお笑い番組。わたしは東京首都圏出身であるが、なぜかテレビ神奈川でネットしていたのを毎週視聴していた。同時期同じく毎日放送で製作していた「ヤングおー!おー!」でも桂三枝〔現・文枝〕がコーナー司会をして若手タレントを鍛える「SOS」や「ザ・パンダ」など同種のコーナーがあったことも覚えている。基本的なフォーマットとしては司会のやすしきよしが数々の身体ネタにチャレンジする若手芸人を叱咤するためにハリセンで叩いて暴力で笑いをとる、現在だったらコンプライアンスに引っかかるような内容。しかし、関西芸人の生み出すハプニング性の笑いはハマると中毒的に面白く、それから半世紀近く経った2020年代の現在においてもこの番組から創造されたお笑い番組のベーシックな構成を担っている部分があると思しい。 2022/5/7(波照間エロマンガ島)

今後そういうものも消えていくんだろうね。コンプライアンス行きすぎると何もできなくなる。線引きは難しいけどね。 2022/5/7(石川浩司)

2022年度のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。最初はあまり本気で観ていなかったが、観ているうちにぐんぐん今の言葉で言うと「刺さる」展開に心持って行かれている。三谷幸喜3本目の大河だが、前代未聞のとんでもない傑作を生み出しているのではないか、と毎週驚嘆しつつ視聴するようになった。5月8日放送回は壇ノ浦の戦いで平家滅亡の段に入った。三種の神器が海の底に沈む様と安徳天皇の入水自殺、侍女が小舟から飛び込む場面を正面からカメラに撮影したこと、源義経が軍神とも言えるサイコパスそのものの狂気の天才の表現には心底畏怖したっけよ。菅田将暉、今まで演じられてきた源義経の中で最高水準の演技をしていると個人的に思う。これからの展開も楽しみ。 2022/5/26(波照間エロマンガ島)

妻は観てるぽいけど、俺は歴史ドラマは特に駄目なんだよなー。 2022/5/26(石川浩司)

タイ在住の甘木です。
タイでインターネット回線を使って、日本の地上波、BS、CS放送が視聴できることは別のトピックにも投稿したことがありますが、最近は日本のテレビドラマをよく観ています。
その中でマイブームなのが、フジテレビ系列の関西テレビで日本時間午後3時45分から再放送されているドラマ。ハマって観てますねぇ。2008年から海外暮らしで日本のテレビドラマはほとんど観てないこともあり、どのドラマも新鮮なのであります。
最近のラインナップとしては深田恭子主演「東京エアポート~東京空港管制保安部」〔2012年〕、江口洋介主演「救命病棟24時」シリーズ〔1999~2013年〕、松嶋菜々子・福山雅治主演「美女か野獣」〔2003年〕などが面白かった。まぁウィークデイに連続視聴できるのは適度な気分転換と暇つぶしになって、精神衛生上とても良いと思います。しかしTBSの宮藤官九郎脚本ドラマの再放送はなかなか放送されないのでそれは残念なのですが。 2022/7/15(波照間エロマンガ島)

ドラマ、妻はいろいろ観てるけど、俺はせいぜい一話完結の「孤独のグルメ」くらいだなあ。
あ、パスカルズ音楽の「凪のお暇」が最近だと唯一観た連続ドラマかも。 2022/7/15(石川浩司)

ドラマの話題を書きたかったのですが書く場所がないのでここへ。他にあったらごめんなさい。最近インスタ等で、大大大好き「北の国から」に出ていた役者さんお3人とお知り合いになりまして、ドラマの質問に答えていただけて、大変嬉しかったです。 2022/8/4(わいわい)

誰だろう?田中邦衛だったら偽物。 2022/8/4(石川浩司)

でもこの方たちに「北京冬季五輪お疲れさまでした! 男子団体複合ラージヒル・・アルパインコンバインド・スーパースプリントクオリフィケイションファイナル・クワドアクセル・フロントサイドトリプルコーク 1440・フルツイスト&コーク10でカムアラウンドになり相手がコンシードしましたが、コメントをください!」とか「夏の炎天下の中、一日飲まず食わずで歩き続け所持金は僅か150円。やっと見つけた砂漠の自動販売機。そこにはコレクションで持っていない幻の一品「温かいおしるこ」ともう一つコレクション済みのありふれた「冷たいウーロン茶」しかありません。さてさてどちらを選びますか」てな質問したら即ブロックされるんだろなあ・・・。 2022/8/4(わいわい)

「温かいおしるこ」を冷まして飲むかな。 2022/8/4(石川浩司)

子供の頃は、割とテレビっ子だった。 「ザ・ガマン」や「世界ビックリ大賞」が当時、小学生だった自分には衝撃的で大好きだった。
「世界には、こんなに大きなオッパイの人がいるのか!世界は広いなー!」と思ったものです。 2022/8/4(7月4日の蟻)

昔はテレビもそうだったけど、漫画雑誌なんかでも最初のグラビアで「世界のビックリ人間」とか結構やってたよね。
今はコンプライアンス的に難しいんだろーね。 2022/8/4(石川浩司)

1977年度のNHK大河ドラマは司馬遼太郎原作の「花神」でした。私の中学3年時に放映しており、リアルタイムで観た大河ドラマの中で最も好きな一本でした。最近ふとしたことから再視聴する機会に恵まれました。
ところが45年ぶりに観た「花神」の感想ですが、満足いくものだとはどうしても思えなかったのです。1977年当時の縦横画面比率は「4対3」のスタンダードサイズで、現在のように「16対9」のワイドサイズではなかった。主に室内シーンがやけに狭苦しく感じたのです。長州藩の首脳が会議をしているシーンが6畳くらいの和室で行われるのがえらく貧弱な画面にしか見えない。
ワイドスクリーンの現在よりも空間がうまく表現されていず何倍もダメダメな感じ、お分かりになりますか。長州藩家老の周布政之助〔田村高廣〕と桂小五郎〔米倉斉加年〕が謀議を凝らす和室は、3畳間くらいの広さの「次の間」としか思えなかったもの。でも、これを1977年の放映当時は何の疑問も持たず、良しとしていたんですね。
この空間感覚の変化というのは、今回初めて感じたことです。しかし、テレビドラマではなく日本映画ではスタンダードサイズでもセットの大きさを表現することはできたのに、この狭苦しい室内画面の表現の限界露呈は、何か別のところに要因があるような気もします。そのことについてこれから考えていきたいと思います。 2022/8/13(波照間エロマンガ島)

ああ、そういうことってあるなあ。想定外の...。 2022/8/13(石川浩司)

1970年代前半までは日本のハンディビデオカメラは性能が非常に悪く、屋外撮影では中継車を使い、スポーツ中継と同じく電波をロケ地から本局の中央制御室まで送らなければならなかったという、歴史的事実があります。これは経費が莫大にかかりました。それ以外はキネコスコープという、8ミリないしは16ミリのフィルムで撮影したフィルムをテレビ画面用に再撮影するシステムと、スタジオ撮影で2インチビデオと併用してドラマを製作していました。TBSでは「TBS映画社」という子会社がフィルム部門を担当していました。が、よくよく振り返ってみると「テレビドラマ」と謳っていましたが、実は1960年代から70年代にかけての青春ドラマや刑事物ドラマ、時代劇などの大半は、全編フィルム撮影で製作されていたことは意外に忘れられている歴史的事実だと思います。

1970年代の名作テレビドラマを振り返ってみましょう。1975年に製作された「前略おふくろ様」は倉本聰脚本、萩原健一主演で、都心下町の伝統割烹を舞台にしたドラマでしたが、神奈川県の生田スタジオで撮影され、屋外シーンはカメラのケーブルが届く範囲、つまり夜間のスタジオの大道具倉庫の前などに限られていました。
また、TBSで1976年に製作された「高原へいらっしゃい」は山田太一脚本、田宮二郎主演の八ヶ岳の高原のレストランを舞台にしたドラマでしたが、スタジオシーンは赤坂のTBSスタジオで撮影、メインである高原のロケーションシーンは中継車を使い、当時としては破格の予算を使いビデオにて撮影、シーンを描いていました。そのほか、キネコのフィルム撮影シーンも併用していました。
全編フィルム撮影だったTBS・東映撮影所製作の「水戸黄門」が全編ビデオ撮影に変わったのは、1980年代に入ってからだと記憶しています。それほどテレビにおける野外撮影は、先行する映画メディアに比べて遅れをとっており、初期のテレビは「電気紙芝居」と馬鹿にされたことがわかります。

それが月日を経て、今や商業映画がiPhoneで撮影される時代〔「麻雀放浪記2020」白石和彌監督など〕になってしまいました。ここ10数年足らずでの技術的革新はものすごいものがありますね。でも、私が思うにその最先端技術を使って製作された画期的な映像というのは、映像美学的にまだ現れてないような気がします。1960年代にビデオシンセサイザーを世界で初めて発明し、現代美術のフィールドで発表したナムジュン・パイクとTBSのエンジニア阿部修也のような天才的芸術家&エンジニアの登場を待つしかないのか、と気を揉んでヤキモキしている今日この頃です。 2022/8/27(波照間エロマンガ島)

ハードは格段に良くなってるけど、やはりソフトだよね。アイデアの力が最も重要かもね。 2022/8/27(石川浩司)

DVDの話題で申し訳ないのですが、倉本聰「北の国から」の流れでフジテレビでやっていた倉本聰「優しい時間」という富良野が舞台のドラマを見終わりました。富良野三部作の「風のガーデン」を見ようかどうか思案中。 2022/12/4(わいわい)

そんな三部作あったんだね。他の土地でもそういうのあるのかな。京都などではなくて、マイナーな土地のがあったら見てみたい。 2022/12/4(石川浩司)

年末年始、視聴を決めて見た番組。TBS「クイズ正解は一年後」、テレビ東京「孤独のグルメ大晦日SP」、テレ朝「格付け」、NTV「第99回箱根駅伝往路・復路」 2023/1/7(わいわい)

ネットでお笑い番組はいくつか観たな。今年はお笑いを極めようかな。 2023/1/7(石川浩司)

「モーニングジャンボ 奥様8時半です」〔TBS系列1972ー1984年放送〕

TBS制作のワイドショー&生活情報番組のハシリというべき生放送帯番組。
どうでもいいことを覚えています。アシスタントの藤田和弘アナウンサーが、何かの企画で朝から酒を飲むことになってしまったが、お酒に弱い藤田はコップ半杯ほどで酔っ払ってしまい、それに続く年末の大掃除特集で洗剤の効き目をテストするコーナーにて、台所を模したセットで冷蔵庫のドアを乱暴に閉めたり、スタジオ内を走り回ったりと醜態を晒し、視聴者からの抗議が殺到しました。しかし苦情に対して、アシスタントの宮崎総子アナウンサーしか謝罪せず、司会の鈴木治彦アナウンサーは「我関せず」の顔をしてニヤニヤしていたことを覚えています。多分1971年頃、9歳の私は「馬鹿だなぁ」と呆れて観ていました。
わたしは記憶の底辺にあるこのような瑣末なことをできるだけ想起したいと、ここ10数年投稿してきましたが、普段眠っているこの記憶が取り出せて嬉しいです。 2023/1/7(波照間エロマンガ島)

ホント、その記憶力はおそるべき才能だと思う。俺は真逆で過去のことなんか「点」でぐらいしか思い出せないもの。スゴい。 2023/1/7(石川浩司)

2006年のドラマ「時効警察」〈主演・オダギリジョー、麻生久美子〉
初めて自分で見つけたドラマという事もあり、とても楽しんで鑑賞できました。

2007年には続編「帰ってきた時効警察」が放送されました。
これを放送するに当たって第1話の前に、深夜番組で特集が組まれました。
レギュラーキャスト陣が演じるミニドラマ、更には前作を3話分放送するなど、盛りだくさんの内容でした。
この頃は、私も深夜起きているという悪い人間だったので、このドラマは本当に楽しみのツボでした。〈笑〉

「時効になった事件を趣味で捜査する」というユルイ感じのテイストで、それでも主人公の推理のキレは見事でした。
オダギリジョーさんも、「仮面ライダークウガ」から僅か6年ほどで自分の新しい演技を見つけられ、観ている方としても感銘を受けたものでした。  2023/2/3(Sankaku)

確かKERAさんが脚本書いたやつもあったはず。それは観てみたいなー。 2023/2/3(石川浩司)

小さい頃は「スーパー戦隊シリーズ」「日本昔ばなし」「あばれはっちゃく」「全員集合」といった土曜の夜のテレビが楽しみでした。
他の曜日も、例えば水曜は「アラレちゃん」「うる星やつら」とか見てましたが、平日の夜はなんだか憂鬱で、やっぱり土曜が一番楽しかったです。 2023/2/9(ひももん)

テレビに限らず「明日は休みだ」という土曜日が、本当の休みの日曜よりテンションあがるよね。
もっとも今の仕事は土日の方が忙しいけどね。 2023/2/9(石川浩司)

テレビ東京「TVチャンピオン」〈1992~2006〉
様々なジャンルの職人、プレーヤー、知識人たちが、王の座をかけて技を競い合うという番組でした。

私が印象深く覚えているのは、特撮ヒーローの知識を競い合う会、特撮キャラクターの悪役〈ハカイダー、シャドームーン など〉の知識を競い合う会、更には模型職人の工芸を競う会など。
特撮悪役の会は非常にマニアックでその当時中学生くらいだった私としては、本当に嬉しかったです。
今でも、「ホビージャパン」などの雑誌に時々登場される、模型職人の山田卓司さんはこの番組の出身者で、この回も非常に燃えていました。

しかし、いつの頃からか、「大食い選手権」のようなワンパターンに陥り、面白味をなくしてこの番組も終わってしまいました。
また、石川さんも言われていたと思いますが、Pascalsの故・三木黄太さんも家具職人として何かの選手権に出られたと聞きましたが、この番組だったでしょうか。面白い時はそのジャンルに興味がなくても見入ってしまう程のものがありました。本当に地上波もノッていた頃があったものです‼  2023/2/9(Sankaku)

そうそう、三木さんもこの番組だったよ。あと去年パスカルズが音楽やった「さかなのこ」の原作のさかなクンもこの番組から売れっ子になったんだよね。 2023/2/9(石川浩司)

蛭子さんが出ていた頃の『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』は、父が好きで、見ていました。父が蛭子さんと、同じ高校だった事もあり、親近感もあったようです。
私も、蛭子さんの、良く言えばマイペースな人柄が面白くて好きでした。太川陽介さんの、リーダーとして必死でやっているからこその、カッカする性格が、蛭子さんとぶつかる時なんかが、この番組の見どころでした。そこにマドンナ役の女性ゲストが加わって、蛭子さんとのやりとりや、これまた太川さんに怒られたり、ぶつかったりするところも楽しいです。今もBSで再放送してるので、太川・蛭子コンビの頃は人気があったのでしょう。
テレビ東京は、お金がないと聞きますが、その分、様々なアイデアで面白い番組を作り、他局にパクられる事もありますね。 2023/2/16(ひももん)

俺もだいたい観てたなあ。蛭子さん、さすがに最近はちょっと観るのツラくなっちゃったけど。一緒に昼飯食ったこともあったのにな。 2023/2/16(石川浩司)

『バス旅』の話の続きですが、マドンナ役の女性タレントや女優さんの、蛭子さんに対する態度や言葉遣いなどが、気になる時があります。
この番組に限った話ではなく、蛭子さんが、昔からいじられキャラなのが有名だからといって、蛭子さんの子ども位か、更に下の年齢のタレントさんなんかが、蛭子さんに対して強めのタメ口だったり上から物を言ったりするのは、やっぱり見ていて気持ちのいい物ではありません。
もちろん、蛭子さんはツッコミを入れたくなる言動をする人ですし、それが蛭子さんの出演する番組の面白い所ではありますが、目上の人だという、それなりの配慮も感じられるタレントさんの方が、好感が持てます。 2023/2/19(ひももん)

ツッコミでもリスペクトのあるツッコミと、下に見たツッコミがあるからね。
人をすぐ下に見るような人が、一番下。 2023/2/19(石川浩司)

蛭子能収さんが出演していた頃の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」シリーズは、伊集院光さんが放送するたびに毎回ラジオで紹介しているのに興味を持ち、貪るように動画サイトでバックナンバーを探して観ていました。海外在住で日本の地上波テレビが視聴できなくなっていた私は、一時期この番組が唯一の楽しみで生きているところがありました。もちろん興味は蛭子さんの「どうかしてる」キテレツな言動の数々です。最近は日本の地上波テレビが鑑賞できる環境になったので、最後期のシリーズは高画質で観ることが出来ました。

ところで、最近驚くべき発見をしまして、この番組で蛭子さんとコンビを組んでいるタレントの太川陽介さんが、なんと特殊漫画家の根本敬さんの高校の同級生だったという事実が判明! なんと言うことでしょう。「月刊漫画ガロ」で蛭子さんとほぼ同時期にデビューし、以来マイナー漫画界の極北として蛭子さんとともにこの40年間疾走してきた天才漫画家であり、また蛭子さんが認知症を発症する直前までは「蛭子劇画プロダクション」のチーフアシスタントとして漫画の共作も行なってきた「漫画界」での盟友の根本さんが、なんと「テレビ界」での蛭子さんの共演者の太川陽介さんと繋がっていたのです!この事実はなかなかに凄いな、と引き寄せの業の深さを思わせました。太川さんは、蛭子さんや根本さんの作品宇宙に存在する「因果者」の系譜からはまったく外れた「ザ・芸能人」のような、陽キャの代表みたいな人だと思ってましたが、まさか根本敬と繋がっていたとは! いやはや本当に驚きました。 2023/2/25(波照間エロマンガ島)

へー、それは俺も驚いた。根本さんとはイベントなどで何度か話したことあるけど、太川陽介さんと繋がってるとは思ってなかったなー。なんかあまりにもイメージ違い過ぎるし、根本さんの方が年上な気がしてた。 2023/2/25(石川浩司)

昔の歌手や俳優なんかの古い映像を見ていると、髪型とか化粧の違いのせいか、当時20代~30代だった人が、今の30代~50代に見える時があります。
今は、60代でも第一線で活躍してる芸能人がいますし、年齢の割にすごく若いと思います。 2023/2/25(ひももん)

そうそう昭和の大御所の美空ひばりも石原裕次郎も52歳で亡くなってるんだよねー。あの貫禄で還暦まで生きられなかったんだなー。
比べて俺は...顔や体はともかく、精神年齢は若造のまま...。 2023/2/25(石川浩司)

2023/2/25の石川さん。
私、最近びっくりしたことの一つは、仕事でお会いしたタイ駐在員男性の見栄えがけっこう老けていたので、私と同じく60歳くらいの年齢かなと思っていたら、なんとひとまわり下の48歳だったということ!これはショックでした。50歳前で60過ぎのおじいさんに見えてしまう人もいれば、60歳過ぎても40代のように若々しい人もいる。この10年くらいの年代の人は本当に見た目は分かりません。 2023/2/28(波照間エロマンガ島)

あるある。完全にお爺さん、という人が自分より年下ということ。その逆も時には。何が原因で分岐点なんだろーね? 2023/2/28(石川浩司)

子どもの頃は、毎晩のように巨人戦がテレビで放送されていたので、その影響で、まんまと巨人ファンにされてしまい、よく試合を見ていました。
とある日の巨人戦で、CMに行く度に、ミッキー・ローク〔だったかな?〕の映画の宣伝が流れたのですが、それが、おっぱいが映って凄くエロいシーンなんです。
子どもが見ている巨人戦で、何回も何回もエロい映像を流す当時の大人たちは、頭が狂っているとしか思えません。エロ以外にも昔は、人が飛び降りて死ぬシーンだとか普通に放送していて、子どもたちはそれを見ていました。
今では逆に、過剰に自主規制する部分があるのも、昔のやりたい放題の反動が、要因の一つとしてあるのではと思います。.....でもね、深夜帯くらいは、おっぱい見せてくれても良くってよ? 2023/3/24(ひももん)

昭和の時代と今はコンプライアンス随分変わったねー。まあディープなのはネットで見られる分、まだマシかあ。 2023/3/24(石川浩司)

『激レアさんを連れてきた。』という、登場した出演者の面白い人生話や、経験談を紹介する番組があるのですが、最初の頃は面白くてよく見てたけど、途中からマンネリというかネタ切れ感があって、ほとんど見なくなりました。石川さんが出演されて、色んな話をされたら、絶対に面白い回になると思います。 2023/4/15(ひももん)

俺のモガの友達が出てたな。 2023/4/15(石川浩司)

休養していた中居くんが復帰して元気そうですね。最初の休養は虫垂炎とか言ってたけど、その後は病名を伏せていたので、正直重い病気では?と、ファンじゃなくとも少し心配しました。復帰した今となっては、飲み過ぎて体壊して、仕事に穴をあけたのはカッコ悪いから病名伏せたのかな?とか思いました笑。 2023/4/15(ひももん)

一度中居くんの番組出たことあるけど、本番直前まで台本を読み込んでいて、真面目だな~というイメージ。 2023/4/15(石川浩司)

1970年代の深夜テレビについて。日本テレビ系列「11PM〔イレブンピーエム〕」。平日深夜11時15分から1時間ほど放送。
月曜日と金曜日の司会が大橋巨泉。水曜日が愛川欽也。火曜と木曜が大阪のよみうりテレビ製作で司会が藤本義一だった。
月曜日はテレビマンにとって挑戦的で過激な内容が並び、社会・政治から性風俗まで清濁併せ呑む幅広いジャンルを特集で取り上げた。女性の乳首が出るのは当たり前で、ストリップダンスをダンサーに踊らせて、ダンサーはドレスをだんだん脱いでいき、局部以外開陳したところで終了するという趣向が男性視聴者を興奮させた。当時は「11PM」の裏番組のTBS「テレサG」、NET「23時ショー」、時期は前後するが東京12チャンネル「独占!男の時間」など各局エロを競って取り上げ、小学生の自分にとって性の目覚めをこれらの深夜番組で知り得たことはその後の自分の人となりの形成の一助となったことは絶対に間違いない。
だが、大阪発の火木「11PM」は、藤本義一の独善的な関西ローカルな話題ばかりでほとんど記憶に残っていない。
水曜日の愛川欽也司会版は、秋川リサ、今野雄二とのトリオで、サブカルチャーに特化した内容だったかな。これも今となっては月曜日に比べて記憶が薄い。
また金曜イレブンはエロ要素は全くなく、競馬や麻雀、将棋、釣りなど趣味やレジャーに特化した内容となっていて、それは前任司会者で急逝した多趣味だった小島正雄の趣味やレジャーそのものをテレビにて紹介したらどうか、という後任司会者の大橋巨泉のアイディアから始まったという話を聞いたことがある。
「11PM」で最も興奮した回は、1973年頃水曜ロードショーで「風と共に去りぬ」を前後編で放送した時のこと。その日の「11PM」は、スウェーデンポルノ映画「熟れすぎた少女Bibi16歳」の主演女優マリー・フォルサが来日し、都内の銭湯でフルヌードを披露したのであった。今日までの私の人生の中で、テレビを観てあれ以上に興奮した瞬間ってなかったなーと思う。どこかの週刊誌でこの銭湯シーンがグラビアで紹介されていて、湯船に浸かった落語家の3代目三遊亭円右師匠〔つるっぱげで有名〕がマリー・フォルサのフルヌードを見て、目をひん剥いてる写真は今でも脳裏に焼き付いているもの。
子供の頃観たテレビの話はいくらでもすることができる。このトピックでもっと色々思い出していきたい。よろすくお願いします。 2023/5/13(波照間エロマンガ島)

凄い記憶力だなー。子供の頃の記憶が既にぼんやり、その中のテレビはさらにぼんやりとしか覚えてない。その才能、是非活かしたら、何かトンデモナイことができるのでは!? 2023/5/13(石川浩司)

堺正章さんがメインMCの、カラオケの点数を競う『カラオケバトル』をよく見ています。その番組に小学生の頃から出演している、今中学生の男の子がいますが、初めてその子を見たのは、人間が審査員を務める別のカラオケ番組でした。その番組を見た時の感想です。
小学生のその子が大人に交じって出場した予選では、私は、その子と対決した男性の歌唱の方が良かったかな?と思いましたが、決勝へはその子が進みました。そして決勝ではその子を含む数人の対決だったと思うのですが、結果は他の人の優勝だったと記憶しています。
その決勝の戦いの中で、審査員のとある女性音楽評論家が「人生経験のある大人と子どもの違い」みたいな事を言い、もう一人の審査員のミュージシャンが「自分が歌いたい曲と、そうじゃない曲の差が出た」というような事を言いました。〔その子は親が好きな曲を決勝で選んで歌いました〕その子の顔が引きつっていたのを覚えています。
年齢制限のない大会にして、話題作りのためなのか知りませんが小学生を参加させ、決勝まで残し、最後の最後に「子どもだから」という言葉を投げつける、こういう業界の大人たちの心無さを感じました。それなら最初から大人だけの大会にすればいいのに。結局、音楽評論家の一言が余計だっただけの話ですけど。 2023/5/13(ひももん)

人の琴線に触れるかどうかは、経験だけではないのだけどね。「黒ネコのタンゴ」は大人が歌ったらヒットしなかっただろうし。 2023/5/13(石川浩司)

もうネットでいくらでも見られるのだから地上波でもおっぱいくらい解禁してくれてもいいじゃないか!!と思う今日この頃でございます 2023/5/13(カルロスイベリコ豚)

昔は見られたからね、コンプライアンスという名目で退化させられてるぅぅぅ。 2023/5/13(石川浩司)

ホントに深夜でいいからオッパイをテレビで再解禁してほしいですよね~。昔はNHKでも〔教育テレビだったかな?〕子どもが起きている時間に、ヌードデッサンの様子を流してた時がありました。名目さえ真面目な物にすれば、NHKすら何でもありって時代でした。深夜に再放送プリ~ズ! 2023/6/2(ひももん)

ほんと、ヌードくらいいいのにね。ネットじゃ無修正が子供でも簡単に見られるこの時代なのにね。 2023/6/2(石川浩司)


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