話題379 私のなんでもベスト3(2)


有楽町スバル座で鑑賞した思い出の映画ベスト3。

1.ダウンタウン物語〔1976年〕公開初日に早起きして劇場に並び、初回舞台挨拶を観にいった。主演のジョディ・フォスターを生で目撃した。どこかに書いたかもしれないが、当時わたしは中学2年の14歳でジョディも同い歳。可愛かったっすよー。この映画はローティーンの子役たちだけが出演するギャング恋愛ミュージカル映画で、大好きを通り越して一時はこの映画の作品世界に耽溺するほどであった。ポール・ウィリアムスの作る曲が名曲揃いでよかったわ。

2.ビートルズ大会〔1975年〕「レット・イット・ビー」「ヘルプ!4人はアイドル」「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」の3本立て。ビートルズ解散5年後だったが、この頃関連書籍が出たり全てのレコードが再発されたりと、第2次ブームといってよいほどの盛況だった。当時の傾向としてメンバーのアップになると「ジョージ!」とか「ポール!」とか女性ファンが絶叫するのね。これは面白かったです。劇場は入れ替えなしなのですべて2回ずつ鑑賞しました。

3.カメレオンマン〔1984年〕ウディ・アレン監督・主演のモキュメンタリー風コメディ映画。ウディ・アレンの中で好きな作品。変幻自在に変身することができる男の記録映画風に構成されていて、モノクロームのニュース映像を模したショットなど多用して虚構の中の「さもありなん」な感じを上手に出していた。

というわけで、本年10月に閉館となると聞き、思い出の有楽町スバル座について書いてみました。たしか藤村俊二のお父さんが社長だったんじゃなかったかな。 19/4/2(波照間エロマンガ島)

大きな映画館がなくなるの寂しいよね。近年シネコンで小さいところなんて、本当にスクリーン小さくて「家のテレビとさほど変わらない...」(実際はそこそこあるんだけど、イメージとして)というところもあるもんね。 19/4/2(石川浩司)

今年はあまり食べなかったおでん。私の好きな具材ベスト3は
糸こんにゃく
たまご
昆布
いままで友達とおでんペスト3を出し合いっこしても、誰ともかぶったことの無いベスト3です。 19/4/2(美月)

玉子は俺も入るかも。あとちくわぶと餅巾着かなあ。 19/4/2(石川浩司)

好きなボクシング漫画ベスト3
1「はじめの一歩」。最近やたら病気っぽいとか、試合が長いとか気になりますが、今でも連載してますし、いろいろな個性的な選手がいて楽しい。必殺技も普通のボクシングの技ですし、その中でも間柴のフリッカー・ジャブがお気に入りです。
2「あしたのジョー」。中でも「2」が好き。最後のホセ・メンドーサーとの戦いに感動しないやつは男じゃないわっ! 倒されても倒されても立ち上がるジョー。ラスト近くのジョーの目がアップになるコマは鳥肌ものです。
3「リングにかけろ」。最終試合直前の、竜児が春夏秋冬とランニングしているシーンがいいですわー。長い間の努力ですね。「同じ時代を生きていたことに感謝」というセリフもかっこいい。

というわけでここまで書いたら止まらなくなっちまったので、好きな野球漫画ベスト3
1「タッチ」。マネして毎朝ランニングを始めました。和也の準決勝戦もいいし、達也の三年の須見工との決勝戦もいいっ!
2「巨人の星」。精神論漫画ですが、大きなコマでどんどん飛ばしまくる最近のマンガとは大違いです。「幸福は肉体の健康によろしい、だが、精神力を発達させるもは心の悲しみである」とか「死ぬときはどぶの中でも前のめりに死んでいきたい」とか名台詞に感化されました。
3「ジャストミート」。甲子園決勝を見たいがために最終巻だけ買いました。名台詞はボールを取ろうとした捕手に「よけいなことするんじゃねーよ」。
次点「ストッパー毒島」。あの10.19「ロッテvs近鉄」をモチーフにしているので読まないわけにはいきません。

まだまだいくぞー! その他好きだったスポーツ漫画ベスト3
1「スラムダンク」。もう説明不要ですね。シュート、例のごとくマネしましたが決まんない決まんない(笑)。私は海南との戦いが一番好きです。海南大付属vs湘北の17巻。「負けてない !! 牧にだって負けてないぞ !! オレは間違ってはいなかった」というセリフがカッコイイ。あまりの感動ぶりに年下の女の子に「17巻」を貸したら「これだけ貸されても分からない」と言われた(笑)。そりゃそうですね。
2「キャプテン翼」。よく言われているように、小学生編と中学生編のみ読めばいいです。元サッカー部の私はもっとサッカーを続けていれば良かったなあと思わせる作品でした。日向君がいいですね。「俺はまた翼に負けるのか・・・」とか。
3「スプリンター」。元中学陸上部の私としては読まないといけない本。最終巻(なぜか最終巻が多い)のジャック・スペンサーとの対決が見たいために最終巻のみ買った。
次点「ブレイクショット」(スポーツなのか?)。その次「YAWARA」、試合を見ている視聴者の台詞のみのシーンが見開きであるのですがそこが文句なくいい。
・・・と一人で盛り上がっているわいわいでした。 19/4/2(わいわい)

スポーツ関連ということで「嗚呼! 花の応援団」が大好きだったなあ。クェーックエーッ。 19/4/2(石川浩司)

19/4/2の石川さん。どおくまん先生のスポーツ物といえば「怪人ヒイロ」が大好きでした。現代文明から隔絶された忍者の隠れ里から都会に出てきた、驚異的身体能力をもつ主人公ヒイロが陸上競技選手になって、次々と世界新記録を打ち立てていくというストレス発散系漫画。ヒイロはとんでもない破天荒な性格かつ、無類の女好きで「花の応援団」の青田赤道の延長戦上にあるキャラクター設定がされています。笑えます。 19/4/19(波照間エロマンガ島)

あ、読んだ記憶がある。あの絵柄、苦手な人は読めないだろーな。 19/4/19(石川浩司)

わたしの小津安二郎監督作品ベスト3。

1.早春〔1956年〕

東京・蒲田に住んでいる、仲良しグループのごちゃごちゃした人間模様を描いた作品。それまで父と娘、母と娘など、家族の絆をテーマにしてきた戦後の小津作品としては異色の映画となっている。主人公の池辺良と不倫する岸恵子のあだ名が「金魚」といい、その由来が「煮ても焼いても食えない女」という設定からして、当時の進歩的な女性の人物像を描いていて感心した。見ようによっては1980〜90年代のトレンディードラマのように見えなくもない。

2.秋日和〔1960年〕

原節子の亡き夫の親友役で出ている佐分利信。その娘役の桑野みゆきの、内面から湧き出る若さ、圧倒的ニンフェット的魅力にとても惹かれた。桑野みゆきのフィルモグラフィーとしては大島渚監督「青春残酷物語」と「日本の夜と霧」に連続主演したあとにこの作品に出演しているので、キャラクターのギャップに心底驚愕したのだ。このことは映画史的事件ではないかとさえ、認識している。

3.麦秋〔1951年〕

原節子と親友の淡島千景が結婚について語り合うシーン。千景「幸せなんて何さ!単なる楽しい予想じゃないの」。これにシビレタ。

この映画にクレジットはされていないが小津の師匠格の白樺派の作家、里見?〔さとみ・とん〕の1925年の作「縁談窶(えんだんやつれ)」に出てくる以下の科白を引用していると思しい。

「いゝよ、わかつているよ。・・・ところでさ、西洋の諺に、・・・小父さんだつて、かう見えて、洋書の一冊や二冊は読んでいるんだからね、そのつもりでお聞きよ、ハツピイネス・イズ・ハツピイ・エキスペクテイシヨン、―幸福とは、楽しき予想なり、かね、さう云つた意味のことがあつたつけが、全くその通りだね。嫁入り前の人を捕へて云ふのは少し残酷かもしれないけれど、お前さんなんぞ、せめては今のうちに、うんとその『楽しき予想』をやつとくこつたね。どうもさう、いつもくよくよしてちやア仕様がないぢアないか」

映画で聞いた「幸福とは楽しき予想なり」というフレーズは、なんとなく昭和二十年代のユーモアのセンスを感じたものだった。 19/5/12(波照間エロマンガ島)

予想をずーっと続けてればいいのかも!? 19/5/12(石川浩司)

ベスト3でなくベスト10なんですが、ネパールへ持っていって良かったものベスト10。
1・濡れテッシュ・・・とにかくお世話になりました。小さいことは言わずに100枚入りの円柱のを持っていくべし。
2・トイレットペーパー・・・トレッキングやカトマンドゥの街でも売っています。だいたい1ロール70〜100円くらい。芯を抜きましょう。
3・ポカリスエット・・・トレッキング中や下痢になった時ものすごい効果を生み出します。だいたい一リットルなので向こうのミネラルウォーターと同じ量です。
4・紐と洗濯ばさみ・・・エベレストと街道の宿で洗濯したときに部屋の中に干せます。
5・ソーラー式の充電器・・・今の流行りです。リュックサックの後ろに付けます。それをバッテリーにためてスマホやデジカメに充電します。いちいちお金払っていたら大変ですもんね。
6・日本のコイン・・・特に五円玉。穴が空いているコインは世界的に珍しいです。しかも金色だし。五円ならプレゼントしても、ね。
7・日焼け止め・・・男子でも必須です。
8・サンダル・・・スリッパではなくサンダルです。宿についてから外や食堂やレストランやトイレへ行くのにハイカットの山靴ではきついです。
9・ヘッドライト・・・そんなに使いませんでしたが停電時や、夜トイレに行くときは重宝します。山小屋は夜は電気ストップということもありますし。電池は地元で買えるので重い思いは避けましょう。
10・日本の薬・・・ネパールの病気はネパールの薬でしか治らないという説と、日本人はやっぱ勝って知る日本の薬がいいという説があります。酔い止めなんかはマストです。私は使いませんでしたが高山病予防の薬は、現地(ルクラとかナムチェ)でも買えます。正露丸はあっという間になくなった・・・。あと絆創膏が結構使えますよ。 次点・シール・・・日本では名刺を壁にはりますが向こうでは名前や登山隊、グループのシールを窓などに貼る文化があります。

次回は「持っていってもあまり使わなかったものベスト10」に続きます。 19/6/15(わいわい)

トイレットペーパーは俺も常に携帯。紙の無いところ意外と多いんだよね。どこの国でも。 19/6/15(石川浩司)

スポーツ観戦していて実況がこのフレーズを言うと、おおっと思わせるセリフべスト5

1 ラグビー「注目のファーストスクラムです」
2 野球「ピッチャーのモーションと同時に、塁上全てのランナーがスタートを切ります」
3 相撲「ここで、時間です」
4 箱根駅伝「最初の3kmを8分50秒で入ってますね」
5 サッカー「変わった××は、少し下がってボランチの位置へ入ってますね」
6 ラグビー「ここで、ノーサイド!」。※ノーサイドより「ここで」が重要。
7 スピードスケート「内側と外側が入れ替わります」
8 カーリング 「相手に一点取らせる作戦ですね」
9 スキージャンプ「伸びできた!伸びてきた!!伸びてきた!!!」
10 箱根駅伝「ここで無念の繰り上げです」 19/7/2(わいわい)

野球中継でおおっと思わせるセリフ。
「逆転なるか、の場面ですが放送終了時間が来てしまいました。みなさんさようなら」。 19/7/2(石川浩司)

私の好きな海外テレビまんが

1 幽霊城のドボチョン一家

ドヒャドヒャバッキーン!

名古屋弁で話すドラキュラなども名キャラクターもさることながら
歌が素晴らしい!!
CDにはテレビサイズしか入ってないのが残念!

  2 宇宙忍者ゴームズ

ムッシュムラムラーっ(ダチョウ倶楽部ではないよ)

今や日本で大人気のマーベル作品も昔は面白おかしく そしてかっこよく吹き替えられていた。悪の大幹部が名古屋弁で喋り、あのトニー谷も出演、時代ですね。
トンデモ展開の部分がクローズアップされますが、今見ても楽しめる名作です

3 スーパースリー

ラーリホー!(ドラクエの呪文じゃないよ)

ボヨヨンのコイル スイスイのフリー バラバラのマイトという愉快なヒーローのお手本みたいな作品。これも今でも時々見ます。

今思えば あの頃のアニメの名フレーズ
は覚えやすく気持ちいいものが多いですね 19/7/2(本当に何歳なんだ? ズミ天)

懐かしいなあ。同世代、いやもしかしたら、年上? 19/7/2(石川浩司)

ラグビーを見ていて、このセリフを言うと通だな、と思われそうなものベスト10
1・余ってる!
2・ダイレクト
3・(バックスは)揃ってる
4・モールを作りたい
5・おおっDG!
6・ゲインラインを突破した
7・(ボールを)早く出せっ
8・止めろ〜
9・おーせ、おーせ
10・アドバンテージ!
次点・あー取られた(若しくは「おっ、取った」)
ラグビーを知らない人は、なんのこっちゃなんでしょうね(笑)。 19/7/19(わいわい)

すんません、なんのこっちゃだ〜。「キレテル、キレテル」(ボディビルダー)なら...。 19/7/19(石川浩司)

ニューヨークのセントラルパークが舞台になった映画、ベスト3

1.ジェニーの肖像〔1949年、ウィリアム・ディターレ監督、モノクローム〕

1940年代のセントラルパークを舞台にした、売れない画家と謎の少女との純愛を描いた作品。少女役のジェニファー・ジョーンズのソフトフォーカスで「紗をかけた」ようなアップショットが神秘性を増しミステリアスな劇とあいまって効果をあげていた。大学生時代に鑑賞したが30年くらい経った今でも記憶の中で生きている。ウィリアム・ディターレ監督は第2次世界大戦前にドイツからハリウッドに渡ってきた映画監督だが、同じ亡命作家のフリッツ・ラングがドイツでは芸術映画を撮ってきたのにハリウッドではB級西部劇など撮らされたのに対し、ディターレはデビッド・セルズニックのスタジオでメロドラマを撮れて幸せだったのではないかと友人と語り合った青臭い芸術学徒だったころの想い出がよみがえる。


2.マリアンの友だち〔1964年、ジョージ・ロイ・ヒル監督、テクニカラー〕

ヒッピーなどカウンターカルチャーが世の中に現れる前、アメリカがベトナム戦争に参戦する直前のぎりぎり「古きよき時代」のニューヨークをテクニカラーで映像に収めたこの映画は、わたしの記憶の宝箱に入っている小品です。公立小学校のスクールバスの黄色いボディーとか秋のセントラルパークの紅葉の色とか1960年代の女性の衣服の原色とか、テクニカラーに定着されたさまざまな「色」が印象に残っています。こまっしゃくれた女の子2人組がピーター・セラーズ扮するプレイボーイのピアニストをきりきりまいさせるというコメディー映画なのですが、監督のジョージ・ロイ・ヒルはまだキャリア的に未熟で、演出意図がじゅうぶんには表現しきれてないこともなぜか許せてしまいました。


3.ダイハード3〔1995年、ジョン・マクティアナン監督〕

前代未聞のセントラルパークでのカーチェイスに度肝を抜かれたシリーズ三作目。ニューヨークと言うと猛暑の夏、歩道の消火栓を開放して水遊びする子どもたちの図がすぐに目に浮かびますが、この映画ではその消火栓を使ったギャグ的アクションシーンがあって爆笑します。

あと次点として、2016年公開の「ハリー・ポッター」のスピンオフシリーズの新作「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」に1920年代のニューヨークという設定でセントラルパークが出てきて、エドワード・ホッパーの絵画作品のように都会の中の自然がうまく描かれていたような気がします。 19/7/19(波照間エロマンガ島)

ニューヨークではないけど、先日「新宿スワン」という映画を観たら歌舞伎町が舞台でそこを疾走するシーンとかが多く、あんなにいつも人の多い街で、エキストラも入れて一体どんな時間帯で撮ったのだろう?と思って調べてみたら、なんと浜松の商店街を全部歌舞伎町の看板にすり替えてのロケだと分かった。いやあ、よくぞ再現した! 19/7/19(石川浩司)

東京都港区南青山の通称・骨董通りで購入した記憶に残る買物 ベスト3〔記憶による〕

1.嶋田洋書で買った、Tiffany Table setting 〔写真集〕。

学生時代から社会人にかけて、西麻布から六本木方面へ用があるときはたいてい渋谷駅や表参道駅から歩いて移動しました。青山通りと六本木通りを結ぶ通称・骨董通りはよく歩いた道路です。1980〜90年代頃はまだ沿線は静かな佇まいで高級ブティックや美術工芸品店もありましたが、それほど目立っていない印象でした。
その中で嶋田洋書は、青山通りが骨董通りの折れる角に位置し、よくモード系の写真集や画集などを購入しました。ここで行く度に立ち読みしていたのが、ティファニーのテーブルセッティングの写真集で、値段は10000円以上もしました。世界中の有名ホテルの一流レストランのテーブルや調度品、テーブルクロス、食器、シルバー、グラスなどが、最高の照明と最高の写真技術をもって撮影された写真集です。ある日思い切って購入したのですが、本書を手に持って家に帰るまでのドキドキ感は忘れられなかった。一生モノの買物として船便で海を渡り、現在はタイのアパートの書棚に飾られてます。なお嶋田洋書は2015年秋、50年の歴史にピリオドを打ち閉店になりました。

2.パイドパイパーハウスで買った、ヴァン・ダイク・パークス「ソング・サイクル」〔アナログレコード〕。

パイドパイパーハウスは骨董通りの真ん中あたりにあった輸入盤主体のレコード店。1975年開店で1989年閉店というから、ちょうど私が界隈に出没していた時期とほぼ重なります。散歩するときはたいてい嶋田洋書とパイドパイパーハウスには寄っていた記憶があります。ここで買ったレコードで覚えているのは、ムーンライダーズの「マニア・マニエラ」〔1982年〕。最初CDとカセットのみの販売でのちにレコード発売されましたが当時はまったく注目されず、幻のレコードだった記憶があります。パイドパイパーハウスの店先でよく目立つ赤いジャケットを見つけ購入、ソビエトなど社会主義国にロックがあったら、というようなコンセプトを持ち、聴くと大好きな作品となりました。ローランドTR−808リズムボックスにバスドラやスネアドラムを手動で同期させたりしてテクノポップのフレーバーを残したロックであった音像の印象があります。
あとはヴァン・ダイク・パークスのデビューアルバムの「ソング・サイクル」〔1968年〕。これは初め聴いたときは難解すぎてよくわかりませんでした。ポップスのレコードなのに理解不能というのが最高にキテレツな印象だったのですが、聴いているうちにとつぜん好きになりました。ビーチ・ボーイズの発売中止になった幻のアルバム「スマイル」は、ヴァン・ダイク・パークスの協力のもと製作が進められたのはロック史的に有名ですが、ブライアン・ウィルソンがドラッグ使用での情緒不安定から廃人のようになりお蔵入りしてしまった作品にどういう共同作業が行なわれたのかを想像しつつ、このレコードを高校時代はよく聴いていました。

3.ジョン・クローラのブティックで買った、コーデュロイ・スーツ。

クローラはイギリスのファッションデザイナーで1980年代後半、社会人になりたてのわたしはよくこの店でスーツやシャツを購入しました。1980年代後半はもう青山へは自動車を運転して来ることがほとんどになっていました。自宅からは青山通りか六本木通り、駒沢通りのどれかを通って骨董通りにやってきて、近くにあったコム・デ・ギャルソンのショップアトリエなどによく足を運びました。

そんな、東京都港区南青山5丁目の骨董通りで買った想い出の買物、ベスト3でした。 19/7/30(波照間エロマンガ島)

ううっ、オシャレだ。中央線からほぼ出なかった俺の二十代とは随分違う...。 19/7/30(石川浩司)

ネパールへ持って行ったけどあまり使わなかったもの。

1電池 大量に日本から持って行ったら全く使わずじまい。しゃくなのでそのまま持ち帰ってきた。単四20個くらい持って行ったなあ。そもそもカトマンドゥでも売っているし、トレッキングの町々でも見かけます。電池を使ったのはヘッドライトだけだった。他のものは全て太陽光発電からのバッテリー充電だった。

2アイゼン プレモンスーン時期だったので全く使用せず。地元のガイドが、BCに行くとき残雪があるかもしれないからと無料で貸してくれましたが、全く使用しませんでした。もちろん雪が残っている時期は必要ですよ。ゴーキョピークあたりを縦走する人は、氷河を横断するので必需です。

3寝袋 テント泊の人は必需ですが、私は現地で借りたものの一度も開けずじまいでそのままツアー会社へ返してしまいました。宿では言えば毛布貸してくれるし、ゴラクシェプではかなり凄いダウンジャケットを着たままベットの上で横になっていましたし。そんなに重量はないものの場所を取ってしまった。まあシェルパさんが持ってくれたんですけどね。トレッカーやシェルパーはほぼ携帯し、バックに括りつけたりしてみんな持って言ってました

4マスク カトマンドゥ市内は舗装されていないので砂と排気ガスが。トレッキング中は砂と役の乾いた糞が・・・。ブログなどでは大絶賛されていまして、ぜひ持っていくべきもののトップでしたが、私は見事なまで使いませんでした。こういものには強いんですね。日本でもほぼマスクしないし。

5宿でもらったクッキー 朝の三時ごろ出発だったのでお弁当を作ってもらったら、パンとバナナとまあおかずと・・・まあいろいろなものを貰いましたが、20個くらいのクッキーがビニールでコーティングされているものを二つ・・・。さすがに一袋はホテルへ置いておきましたが・・・美味しかったんですけどね。持って行った分は結構粉になってしまった。

6傘 まあ傘さして登山するわけにはいきませんから。カトマンドゥやナムチェで使うかなーと思ってわざと骨の折れている折り畳み傘を持って行って現地の人へあげるか捨ててこようかなと思ったけど一度も使わずそのまま持って帰って来てしまった。カトマンドゥでも普通に売っていました。

7スパッツ 女性のズボンではなく、登山靴とトレッキングパンツの間に付ける装具です。登山では砂地やガレ場を歩くことが多いので、砂が入らないように装着します。登山靴って砂や小石が入ると大変なんですよ・・・。持って行ったけど使わずじまいでした。 19/7/30(わいわい)

こういう現地情報はとても役に立つね。そういう専門のサイトにも是非投稿を。 19/7/30(石川浩司)

夏は帰省や旅行でいろいろなお土産をいただくシーズンですね。
私が好きなお土産ベスト3は
1.赤福
あんこの具合がたまらなく好き。
2.ゆかり
名古屋のえび煎餅。海老が濃厚で美味しいです。
3.泰作さん
高知土産のお菓子。会社の同僚が帰省する度に買ってきてくれるので嬉しい。 19/8/16(美月)

あ〜ゆかりはうまいよねっ! おつまみにも最高だね。 19/8/16(石川浩司)

ここへ来て三年が経ちました。石川さんを見て意外だったことベスト10。
1・歴史が苦手。旅好きで雑学が好きな人は得てして歴史好きが多いんですけど。
2・たま再結成の意思がない。
3・混雑、ブーム、流行り物、メジャーな所、人込み、人気の観光地、人と同じことが嫌いなこと。石川さんの社交性から意外でした。
4・楽譜が読めない書けない。プロは全て読めるものだと思っていました。
5・スポーツが嫌い・でも小中と部活をやっていたこと。
6・思った以上にライブが多く、かつ他の仕事も精力的にこなされていること。
7・校正の鬼と言われていること。ざっくばらんで小さい事は気にしないおおざっぱな性格かと思っていました。
8・石川さんが意外とリア充だったこと。
9・障害者や放送禁止用語の唄、歌詞が多かったこと。
10・初めてお会いした時、私のHNを憶えていてくれたこと。今はもう顔は忘れていらっしゃるでしょうけど(笑)。別日、石川さんの本職であるライブ後に、ここのHPの投稿の質問をしてもしっかりと答えてくれたこと。 19/9/1(わいわい)

わ〜全部にいろいろ理由を説明したいのだが、今週忙しくてただいま満員電車に乗りながらこれを書いているので長文が書けない〜。
今度「これはなんで?」とファイブクエスチョンで質問してくだされ〜。 19/9/1(石川浩司)

京急北品川駅周辺を舞台にしたフィクション、あるいはわたくしの同一地点上にある記憶の事柄、ベスト3

1.落語・古今亭志ん朝「居残り佐平次」

最後のシーンで佐平次が品川宿をあとにし八ツ山橋へ向かう坂の「斜面」が、志ん朝の語り口から唐突に映像として現れだしてくる。これは本当にすごい話芸だと感動した。つい最近同じく志ん朝の「品川心中」も改めて聴いたのだけれども、映画「幕末太陽傳」 19/9/12(1957)を想起しながら夢見心地で江戸の世にタイムスリップしてみることのできる最高の落語体験也。

2.映画「シン・ゴジラ」〔2016年〕

ゴジラ第二形態から第三形態にメタモルフォゼする瞬間、北品川駅付近にあった京浜急行車両をゴジラは蹴散らし、赤い車両は京急と併走する国道15号線の道路にまで吹き飛ばされてしまう。近くの品川神社の参道の階段に避難していた人々はそれを見て衝撃で声を失う。

3.広末涼子の母校、品川女子学院中等部・高等部

北品川駅下車すぐのところに立地する1929年創立の私立の女子中高一貫校。1959年頃、わたしの母は大学在学中この学校で教育実習を行なったと幼い頃聞いたことがある。わたくしの少年時代は「品川中学、品川高校」という名称だったが、確か山口百恵と桜田淳子が品川中学出身で高校は別の私立に進学したということを覚えています。 19/9/12(波照間エロマンガ島)

中三トリオってアイドル御用達の堀越じゃなかったっけ。ただの思い込みかな。
ちなみに俺の祖母(俺が生まれて数ヶ月で亡くなったので俺の記憶には無し)は堀越の教員だったらしいす〜。 19/9/12(石川浩司)

19/9/12の石川さん。山口百恵は品川中学から日出女子学園に進学し、桜田淳子は同じく品川中学から国本女子高等学校に進学しました。当時月刊明星で制服姿の桜田淳子が掲載されていたのですが、「おさげ」髪をしていました。現在はどうかわかりませんが「おさげ」にしなければならない校則があったと書いてありました。そんな花の中3トリオで石川さんが「勃起した」ほうの2人の進路について、でした。 19/9/17(波照間エロマンガ島)

でも森昌子も勃起はしないけど、決して嫌いじゃなかったな。
今年引退だそうだけど、結果的に芸能活動も一番長かったしね。 19/9/17(石川浩司)

19/9/17の石川さん。森進一・森昌子夫妻〔現在離婚〕の子息のTakaさんは、現在ロックバンドONE OK ROCKのボーカルとして活躍しています。海外で人気が高いようで、バンコクの日本人カラオケ屋で森進一の曲を歌ったあとカラオケ嬢に「これ、ONE OK ROCKのTakaのお父さんだよ」と教えてあげるとびっくりされたことがあります。そんな石川さんのかつて勃起しなかった女性歌手のご子息がタイで人気があるという話でした。 19/9/26(波照間エロマンガ島)

今は息子の方が若い世代には知名度高いよね。
双方とも実力派の夫婦の子供は流石だねえ。 19/9/26(石川浩司)

メイドカフェが市民権を獲得したみたいなので、こういうカフェを作ったら行ってみたいものベスト3

1応援団カフェ
店へ入ると学ランを着た選手が「失礼しますっ、ありがとうございますっ」と出迎えてくれて、チアがステージで踊っています。
中ではマーチとかエールをしていて、帰る時には団員と肩を組んで校歌を歌う。
あったらわいわいは毎日行っちゃいます。
応援団と言うと「押忍」というイメージがあると思いますが、今の応援団は「失礼しますっ」なんですね。

2悪代官カフェ
「いらっしゃいませ・・・、これをお代官(客)様に・・・」『ほう黄金色のお菓子じゃな』「お代官様のお口に合うかと・・・」『越後屋、そちも悪よのぉ』「いえいえお代官様ほどでは・・・ぐふふふふふっ」

3アメリカンカフェ
全てアメリカみたいな言葉で話すことが義務付けられる。
「へーい今度俺とデートしないかい?」『ごめんねー来年までスケジュール埋まっているのよ』「じゃあの次の年は?」『残念ね結婚しているわ』
「この店で隠れたメニューってなんだい」『このコーヒーをお勧めしますわ』「へー有名なの?」『そうよ一度注文したら誰も二回目は頼まないの』 19/9/26(わいわい)

行ってみたい・・・悪代官カフェ。 19/9/26(石川浩司)

19/9/21の石川さん。森昌子といえばいつだったか祖父母の家で紅白歌合戦を観ていたとき、毒舌の祖母が森昌子に対してぼそっと言った一言が今も記憶に残っています。

「森進一は何で大原麗子のようなベッピンさんと離婚して、こんな不美人と再婚したんだろうね。でも歌はいちばん上手いけどね」

不美人ってストレート過ぎるだろww。でも私も首肯するところありました。森昌子の曲では「翔んでけ青春」という曲が好きだったな。ラジオの公開放送で生で観たことあります。https://www.youtube.com/watch?v=2F4sr7MgDu0 検索すると1979年、わたしの高校2年のときリリースのようです。 19/9/30(波照間エロマンガ島)

まあいわゆる美人じゃないし、中三トリオにいるとどう考えても3番手だけど、俺は嫌いじゃなかったなー。
そして大原麗子の最後と、あの年齢でバラエティ番組でも現役で活躍して今年で引退する森昌子、どっちの人生が良かったかと言われると・・・。 19/9/30(石川浩司)

休止したまま終わらなく、それでいて早く続きを書けと言いたくなる漫画ベスト3

1 ガラスの仮面
2 バスタード
3 NANA 19/9/30(わいわい)

ガラスの仮面は有名だよね〜。 19/9/30(石川浩司)

たま以外で、オリジナルメンバーで再結成してもらいたいグループベスト5

1サザンオールスターズ
2TOKIO
3ラッツ&スター
4オフコース
5SMAP
次点…ドリカム 19/10/8(わいわい)

たいていメンバーに犯罪を犯した者がいるという理由かぁ〜。切ないね。 19/10/8(石川浩司)

パスカルズで好きな曲ベスト3
1.Taking Dog Fields
2.のはら
3.リボン4拍子
本当は順位なんかつけられないぐらい全部好き 19/10/8(美月)

リボン4拍子は割と最近の曲だね。あとの2曲は昔からやってる代表曲かもね。 19/10/8(石川浩司)

玉川高島屋にある紀伊国屋書店にて目撃した有名人ベスト3

1.大平正芳元首相〔1974年頃〕

大平正芳さんはわたしが小学生の頃、紀伊国屋書店の中で本を物色していると、よく見かけました。たしか世田谷区瀬田にご自宅があったので玉川高島屋は散歩コースだったのかな。遠くからみてもオーラが強くて「あーうーの太平さんだ」とすぐにわかりました。

2.景山民夫 〔1987年頃〕

ある日わたしが紀伊国屋書店で小説の新刊コーナーにて村上龍の「愛と幻想のファシズム」を立ち読みしていたときのこと。ふと人の気配を感じふりかえると、景山さんがいました。ガタイのでかさにびっくりしてしまいました! おそらく村上龍の本のとなりに景山さんの著書が平積みになっていたんですね。作家って自分の本の売れ行きを確かめに本屋さんにくるんだな、と感心しました。あ、そのときは景山さんの本は購入せず、くだんの村上龍の本を購入しました。

3.小野ヤスシ一家〔1990年頃〕

元ドリフターズ、元ドンキーカルテットにして元「スターどっきり(秘)報告」のキャップでもあった小野ヤスシさんも、二子玉川界隈でよく目撃しました。わたしがよく見かけた頃は、すでに40代のおっさんでしたが、歳の離れた若い奥さんをもらってベビーカーで赤ちゃん連れて歩いていました。
あ、そういえば1983年にフジテレビで最初に映画「ブルース・ブラザース」が放映されたときに、小野さんは弟のエルウッド〔ダン・エイクロイド〕の声を吹き替えてましたね。兄のジェイク〔ジョン・ベルーシ〕はせんだみつお。「こりゃ、オリジナルのブルース・ブラザースに似た人間をキャスティングしたんやろ!」と大爆笑でした。 19/10/18(波照間エロマンガ島)

確かにジョン・ベルーシはせんだみつおだな。ナハナハ。 19/10/18(石川浩司)

ちょっと面白いラグビーのウンチクベスト3
1・ラグビー場には風呂場が一つしかない(試合後は敵味方が無いという考えから)
2・雨が降っても雪が降っても試合はやるが雷のときはやらない(まあ最近はいろいろうるさくなってので休止になりますが)
3・大の男が号泣しながらグランドへ飛びだしてきて、号泣しながら去っていった(昔はね)
次点・プレスキックの時、子供が使う小さなバケツに砂を入れてお山を作った。 19/10/18(わいわい)

えっ、号泣見たい〜。そこだけ見たい〜(笑)。 19/10/18(石川浩司)

19/10/8のわいわいさん、SMAPのオリジナルメンバーということは、森君も入れての6人ということですね…!

札幌出身の私が職場で配って好評だった帰省のお土産ベスト3
1生キャラメルポップコーン(花畑牧場)
2じゃがポックル(カルビー)
3バーチョコレート(ロイズ)
道産子のプライドから、地元で愛されている銘菓や隠れた逸品を厳選して配っていたのですが、結局評判が良かったのはド定番の上記3品でした… 19/10/18(ANA)

俺はマルセイのバターサンドが好き〜。 19/10/18(石川浩司)

札幌へ行くと必ず寄る店ベスト6
1ダルマ(ジンギスカン、何店もあるけどサッポロクラシックがある店がおすすめ)
2くるみ屋(ポールタウンにある時代から行っていた。今でも山鼻店は雪の中市電駅から歩いても行く)
3千秋庵
4六花亭(数年前に札幌に大きな店が出来た)
5北大の学食
6アリオ札幌
次点・・・中島公園通りのセイコーマート。そこのイートインで、函館のハセガワストアーのやきとり弁当が売っていていつも行っていたけど無くなってしまった。 19/11/2(わいわい)

札幌、いろんなお店行ったけど、東急ホテルの裏側にあるラーメン屋、なんていったかなー。店名は忘れたけどおいしい店あるんだよなー。 19/11/2(石川浩司)

好きな季節ベスト3(日本)
子供の頃
1.夏(夏休み中に好きなだけ遊ぶ)
2.秋(自分の誕生日があるから)
3.春(ゴールデンウィーク中に好きなだけ遊ぶ)


1.秋(自分の誕生日があるから)
2.冬(1月の夜空見るのが好き)
3.春(ゴールデンウィーク中な好きなだけ遊ぶ)

そして年々嫌いになる夏。
近年の夏の暑さおかしい、企業も義務的に夏休み入れればいいのに。 19/11/14(もちっこ)

確かにここ最近、暑さうなぎのぼり。
昔は夏の「暑い日」は30度くらいだったもんなあ。 19/11/14(石川浩司)

19/11/2の石川さん。ラーメン屋さんの名前、芳蘭じゃないでしょうか?昔、「ここおいしいんだよ」って恋人に連れてってもらったの。札幌ラーメンの王道を行くおいしさでした。幸せな思い出。 19/11/14(ANA)

あ、そんな名前だった気もする。小道の角に面していた。 19/11/14(石川浩司)

わたしが2016年に初めてここへ来てびっくりした石川浩司ベスト5(パート2)

1 たまが解散してからも音楽で生計を立てていること。
2 著作物が、ゴーストライターや口述筆記でないこと。
3 奥様と仲が良い事。
4 たまが解散してからも、ユニットやバンドなどを沢山組んでいること。
5 空き缶を集めていること(笑)。

前回に続いてのぱーと2です 19/11/24(わいわい)

まぁ世間のほとんどの人はテレビに出なくなったら「もうやめてるんだろー」とか思ってるだろうからね。
クセのあるミュージシャンはほとんど形は変わっても活動を続けている人が多いね。 19/11/24(石川浩司)

バンコクの日本人カラオケクラブで歌うクレージーケンバンド楽曲ベスト3

1.金龍酒家
2.タイガー&ドラゴン
3.長者町ブルース
次点、男の滑走路、GT

わたくし波照間エロマンガ島は、クレージーケンバンドの大ファンであります。1990年代後半から2000年代前半にかけて横浜市中区長者町に住んでいたので、横山剣先生が作詞作曲するところの横浜発信の世界観、視界というものは本当に本当に大好きで影響を受けました。

1の「金龍酒家」は、世界各地にある中華街のエキゾチックな風景情緒を想い描いた曲で、横山剣先生いはく、ハワイの中華街を歩いていたときに詩のインスピレーションを得たそうな。ハワイの中華街はわたしも大好きで、オアフ島に行くとたいてい一度は訪れます。なんか世界中の中華街が「どこでもドア」でつながっているような錯覚を抱くんですよネー。
2の「タイガー&ドラゴン」ご存知、宮藤官九郎作の同名ドラマの主題曲。このドラマは好きだったー!!歌詞に横須賀のトンネルとか戦艦三笠とか出てきますが、横浜から国道16号を南下して横須賀に着いたときにまず見える印象的な風景なんですね。カラオケクラブでお酌してくれるオネエサンの肩に手をまわして「俺の話を聞けー、5分だけでもいい」なんてシャウトすると気持ちよいのなんのって、仕事のうさも吹っ飛んでおちんちん半勃起ですわ。
そして3の「長者町ブルース」。前述したように、長者町に住んでいたわたくしの心のテーマ曲みたいな歌です。最近はよく「昭和歌謡」と過去のカテゴリーで扱われることが多いムード歌謡ですが、わたしにとっては精通を過ぎ愛と性のアヴァンチュールの世界を知ってから今までずっとクレージーケンバンドの楽曲の世界が「現在形」で流れているような感じなんです。 19/11/24(波照間エロマンガ島)

わー代表曲しか知らないや。同姓同名の別のミュージシャンと共演したことはあるんだけどねー。 19/11/24(石川浩司)

まだ実現してなさそうな石川さんとセッションで共演してほしいイカ天出身ミュージシャンベスト3

1位 佐藤研二(マルコシアスバンプ ベース)
2位 浜崎貴司(フライングキッズ ボーカル)
3位 人間椅子(KPC)

いやいや、佐藤研二君とはライオンメリィさんがメインのユニットでツアーまで一緒にまわってセッションしたよ。ステージ中、俺が彼の帽子をふざけて被ったりもした。
浜崎さん、和嶋さんも去年イベントで一緒になってちょっと話したりしたな。 19/12/3(石川浩司)

「伝説のバンド」という言葉が良く使われる場合のベスト3

1.既に解散しているバンドをメディアが回顧して取り上げる時。

2.長年活動中のバンドをメディアが結成○十周年等で取り上げる時。

3.世の中に無い言葉のしりとりで投稿者の皆さまが解説する時。 19/12/3(もちっこ)

はははっ、3(笑)。 19/12/3(石川浩司)

1980年代、明治通り表参道交差点付近で深夜遊んだ店ベスト3〔記憶による〕

1.ムーブ
2.フールズ・パラダイス
3.ゼスト

波照間エロマンガ島@タイランド在です。20代前半、人生でもっとも夜遊びした時期、新宿、西麻布、六本木などどこかのディスコかクラブではっちゃけたあと、最後の締めに原宿界隈に戻ってきて遊ぶことが多かったことをふと思い出しました。たいがい午前2時頃にこの辺りのお店にて飲んで始発で帰宅、ないしは大学へ、という退廃的生活をしていました。フェリーニの『甘い生活』を観るたび、当時のことを想起しますね。そんな明治通り表参道交差点付近で遊んだ店を思い出してみました。

1のムーブは1980年代中期に発生した「クラブ」の元祖ともいうべき店で、浅い時間帯はバーという形態で営業していたのですが、深夜2時3時頃からダンスタイムが唐突に始まるのが印象的なお店でした。原宿や渋谷界隈の飲食店従業員やブティック従業員、服飾系専門学校学生などが集まってきていました。同じような客層をもつ店がもう1軒新宿2丁目にもあったけど名前は失念したなー。美大の同級生が在学時にここで個展を開いたこともあり、文化発信の場所としてひそかに若者のあいだで注目されていたような。

2のフールズ・パラダイスは終電を逃がすととりあえず行ってしまう店でした。フードのアラカルトメニューが充実していた気がしますが、30年以上経つので記憶があいまいです。

3のゼストは、キディーランド本店の裏にあった店で、ビリヤードやダーツなどがあるちょっとアメリカ西海岸のイメージのゆったりとした雰囲気をもつラウンジバーでした。ここでよく待ち合わせして六本木、西麻布、港区海岸方面に繰り出したような記憶があります。ピチカート・ファイブの楽曲『万事快調』の歌詞で「タクシーをひろって遊びに行こうよ」というフレーズを聴くと、ゼスト近くからタクシーをひろって遊びに行った記憶がよみがえります。

以上、1980年代に深夜に原宿界隈で遊んだ店ベスト3でした。 19/12/26(波照間エロマンガ島)

波照間エロマンガ島とは同世代だけど、まったく違う時間を生きているよう。西麻布、六本木に遊びに行ったことなどなく、クラブにも全く興味がなかった。中央線からほとんど出ず、高円寺の居酒屋と俺のアパートでの麻雀の日々。タクシーなど遊びで乗ったこともまったくなかった。
まぁ、遊び方も人それぞれですなー。 19/12/26(石川浩司)

グウィネス・パルトロウ ベスト3

1.スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー〔2004〕
2.恋に落ちたシェークスピア〔1998〕
3.スライディング・ドア〔1998〕

次点:アイアンマンシリーズのペッパーポッツ。

俳優の顔を比較的覚えられないわたしでも1990年代からハリウッドメジャー映画にたてつづけに出演し、すっかりファンになった女優さんです。
どこかに書きましたが、「アイアンマン」〔2008年〕のペッパー・ポッツ役に出演したときは、「どうしてこの人はこんなB級作品に出演するのだろう」と疑問視していたのですが、映画がメガヒットを記録しシリーズ化され、マネーメーキングスターたちが多数出るようになると、映画の格があがりまったく気にならなくなりました。

1位の「スカイキャプテン・・・」はスチームパンクSFアドベンチャーもので、1939年が舞台になっています。プロペラ式戦闘機や飛行船などレトロデザインの乗り物がたくさん出てきて、その意匠にうっとりさせられます。「こんな展開ありえるかよ!」とツッコミどころ満載なのですが、世界観に取り込まれて許せます。
2位の「恋におちた・・・」は大好きな作品。シェークスピアが活躍していたエリザベス1世期のロンドンが舞台でグウィネスの男装の麗人のコスチュームには見事ヤラレマシタ。
3位の「スライディング・ドア」はパラレル・ワールドを扱ったロマンチックコメディー作品で、「もしもこのとき○○だったら」という2通りの選択をしたときの人生が描かれています。 20/2/24(波照間エロマンガ島)

アイアンマンは見たなあ。面白かった。あとは知らないや。アマゾンプライムに上がったりしたら観てみよう。 20/2/24(石川浩司)

私の心の琴線に触れた「王様」の投稿ベスト3。
1 19/7/30・波照間エロマンガ島さんの「話題373 想い出のライブ」
見ることのなかったバーンスタインの演奏会の想い出。なかったことが却って心に残り続けるというのはわかる気がします。
その次に投稿された全く期待外れだったライブの想い出も奇妙に印象的でした。
2 20/2/4・KPCさんの「話題145 不思議な話」
UFOにさらわれたおじさんの話。不思議な話を不思議なままにしておくゆとりみたいなのがすごく好きです。
3 20/3/24・テングザルさんの「話題376 しりとり(2)」
「AKIRA」と東京オリンピックの符合について。オチのつけ方のクールさにぐっときました。 20/3/31(ANA)

こういうのいいねっ!
投稿者の人の励みにもなる。他の人もそれぞれ感想を書いてくれたら嬉しいなあ。 20/3/31(石川浩司)

20/3/31のANAさん。わたしの投稿したものに感想をお寄せいただきありがとうございました。バーンスタインは観られなくて残念でしたが、でも観られないことによって覚えている記憶があったので、こういう想い出のかたちもあるんだな、と思いました。 20/4/18(波照間エロマンガ島)

こういう交流いいね~。 20/4/18(石川浩司)

20/3/31〈ANA〉さんへのレス

ANAさんのベスト3に選んでいただけて光栄です!
♪オチ無いで~ オチ無いで~ のぼせちゃいけねえぜ~
 オチ無いで~ オチ無いで~ 油断はならないぜ~
 気を付けて~ 気を付けて~ 気を付けて~ 気を付けて~
  と歌われないようにオチには気を付けています〈苦笑〉。 20/4/18(テングザル)

ははは、俺と柳ちゃんが即興担当だったなー。 20/4/18(石川浩司)

川島雄三作品で印象的なシーン人物エピソード、ベスト3

(1)「風船」〔1956年 日活〕の都築正隆〔二本柳 寛〕。

自殺未遂する薄幸の愛人、山名久美子〔新珠三千代〕を介抱する二本柳寛のクールな演技に強い印象を受けた。これは川島の演出というよりも原作の大佛次郎のキャラクター造型を忠実に再現しているように見えなくもない。
なんなんだろう。よくこういうシーンのときありがちな過剰な「おい、死ぬなー」とか絶叫する類いの臭い芝居ではなく、たんたんと介抱する姿かたちと演技が、その奥に戦前大陸浪人として中国や満州を放浪したような影を感じさせたりする。

(2)「愛のお荷物」〔1955年 日活〕の菅井きん。

菅井きんは川島雄三監督作品「愛のお荷物」で市川房枝がモデルと思われる野党の国会議員役を演じている。当時、齢(よわい)29歳。どう見ても29歳には見えない。老け役の女優は息が長いということがわかる。

(3)「洲崎パラダイス 赤信号」〔1956年 日活〕の洲崎特飲店街。

芝木好子の原作を映画化した川島雄三の「洲崎パラダイス 赤信号」。売春防止法発令直前の東京深川にある洲崎特飲店街(洲崎遊郭)が舞台となっている。
深川生まれの年長の友人Fさんの洲崎の話が面白かった。
子供の頃、富岡八幡宮のお祭りで御神輿を担いで近所を練り歩いていると、各町会の詰め所でお酒を振舞われるのだが、洲崎に御神輿が着くと、男衆たちは皆、特飲店街に走りこんでしばらく出て来なかったんだって。Fさんは子供ごころに大人になったらあそこに行くんだろうな、と漠然と思っていたのだが、1958年の売春防止法制定で赤線が非合法なものになり、夢は潰えた、と笑って話してくれたのだった。何年か前、洲崎辺りを歩いてみたが、遊郭街の匂いはもうほとんど消えていた。 20/5/2(波照間エロマンガ島)

「洲崎パラダイス 赤信号」は観た。行ったことないのに懐かしい感じだったな~。 20/5/2(石川浩司)

1.ウンジャラゲ
2.焼きまんじゅう
3.宇治金時
以上、王様の耳はロボの耳の話題376「しりとり」で石川さんが何回も使われる言葉でした。
もうこーなったらエピソード違ってたら何回使ってもいいんじゃないかしらん。 20/6/2(もちっこ)

ぎゃ〜〜〜!
とにかく「う」には注意だな。 20/6/2(石川浩司)

20/6/2の石川さんへのレス
すいません。
丑の刻参りも2回言ってますのでベスト4です。
やっぱりエピソード違ってらカブッてもいいような…。 20/6/19(もちっこ)

にゃ~~~!
記憶容量がフロッピーディスク一枚分しか無いの。 20/6/19(石川浩司)

田村高廣ベスト3

亡き父が日本映画往年の大スター阪東妻三郎の大ファンだったので、彼の遺児である「田村三兄弟」、すなわち高廣、正和、亮の出演作品はテレビ、映画、舞台を問わず大好きでよく鑑賞していました。正和主演の「古畑任三郎」シリーズは大好きだったようで実家に帰るとよくビデオで観ていましたね。
父の影響で、わたしもテレビで田村高廣の出演作品を幼少の頃から楽しんでました。そのなかでのベスト3。

1.映画「兵隊やくざ」シリーズ〔大映 1965-72〕の有田上等兵。
2.映画「泥の河」〔1981 小栗康平監督〕の主人公。
3.テレビドラマ「遠い夏の日」〔関西テレビ、1971〕の主人公。

1は勝新太郎とのコンビで大ヒットした痛快戦争アクション映画。勝演じるちょっと頭は弱いが喧嘩はめっぽう強い大宮二等兵と、田村演じる頭がキレるインテリの有田上等兵が、中国大陸の戦線での大日本帝国陸軍の悪の行状を暴き、暴力で解決してすかーっとするのが基本パターンの作品で大ヒット、シリーズ化された。

2は昭和30年頃の大阪安治川河口に繋留されている船上生活者の子供と、河端で食堂を営んでいる家族の子供の交流を描いた作品で、初めて鑑賞した当時あまりにも衝撃的で記憶を封印しようとして、今では主演の高廣が子供と遊んでやるシーンしか覚えていない。と言っても殺人シーンがあるわけでもなくスキャンダルな設定がしているわけでもない。ただただとてもショックを受けた作品だった。子供目線で大人のどうしようもない事情を描くのは本当にせつな過ぎるのです。

3は戦時中から高度経済成長期まで、こつこつと小学校教諭を勤め上げた男と家族の物語。日本の庶民が戦時中から戦後にかけて暮らしが変わっていくなかで家族愛、人間愛を松山善三脚本により朴訥と描いていた。典型的なメロドラマ設定のマドンナ役の小山明子とは結婚せず、別の不美人な役者と平凡な結婚をし人生を選択したあらすじがなぜか記憶に残っている。1971年、小学3年生のときに観たテレビ映画でした。 20/6/19(波照間エロマンガ島)

最近はまってる安藤サクラや、松田優作や柄本明の息子たちもいい役者だよね。
俳優ってやはり受け継ぐものがあるんだろーなー。
実はうちの親父も大学時代に俳優座だったかどこだか忘れたけど、どこかの劇団の研究生やっていて、大学を出た後に役者を目指すか公務員になるかで迷って、結局公務員になったんだよね。 20/6/19(石川浩司)

20/6/19の石川さん。
石川さんのお父様は学生時代、劇団の研究生をされていたのですね! これは貴重な情報を知りました。

わたしの父も劇団ではないですが、大学時代に松竹大船撮影所で裏方のアルバイトをしていたらしいです。ある日、撮影所を歩いていたら当時の松竹のトップスター佐田啓二さんに声をかけられて、同じアルバイト仲間とともに撮影所前の食堂でご馳走になったと言っていました。

あ、それから20/6/19に書いた「遠い夏の日」について、

>別の不美人な役者と平凡な結婚をし

という表現は酷いですね、すみません訂正します。

>別の目立たない役柄の女性俳優と結婚する設定で

みたいな感じです。 20/6/26(波照間エロマンガ島)

親父の若い頃の話はあまり聞かないのだけど、そんなこともやったり、バイトに行ったら街での「募金集め」のバイトで、そのお金はボランティアの名前を借りた詐欺。
それ以来、市中の募金には自然と疑いの目を向けてしまう。 20/6/26(石川浩司)

吸ってきたタバコの中でおいしかったものベスト3
3位 わかば
辛味は強いが、安い割にはおいしい。類似タバコにエコーがあるが、そっちはいまいち。しかし、今度の増税で高くなる・・・
ちなみにわかば、エコーは厳密にはタバコではなく、葉巻。
値段維持のための工夫。

2位ショートホープ
昔、Gさんも吸ってたタバコ。量は少ないが、甘みがおいしい一本。
短いのですぐなくなるのが難点。

不動の第1位 ハイライト
味、値段、共にすんなりくるのがこの銘柄。一本で充分満足できるので、チェーンスモークしなくても楽しめます。
濃いめの味がクセになる。 20/8/11(ズミ天)

俺は一時期、ガラムにはまったな~。
まあ以前から言ってるけど、不器用ゆえに吸わずにふかすだけだけど。 20/8/11(石川浩司)

発祥の店で飲んで味わったカクテルベスト3

1.マイタイ〔ワイキキ、ロイヤルハワイアンホテル〕
厳密な意味ではハワイではなくサンフランシスコで造られたラムベースのカクテルらしいが、世界的に有名になったのがここロイヤルハワイアンホテルのビーチサイドバー「ロイヤルマイタイ」で、ここから世界に発信されました。2004年ロイヤルハワイアンに宿泊したときに毎晩友人と飲みに行きました。「マイタイ〔Mai Tai〕」とはポリネシア語で「最高」の意味とのこと。タイ国とは関係ないようです。

2.シンガポールスリング〔シンガポール、ラッフルズホテル〕

シンガポールの高級リゾート、ラッフルズホテルで1915年に考案されたカクテル。わたくしラッフルズホテルに宿泊したことはありませんが、ロングバーというバーでシンガポールスリングを飲んだことはあります。ジンベースの甘さのあるカクテルで大好きです。ほかの国で出されるのとはレシピが違うようで、オリジナル感は格別でした。

3.いぶりがっこサワー 〔西荻窪、秋田ばる七尾〕

一時期はニヒル牛マガジンでも連載をもっていた秋田出身のシェフオーナー七尾氏の経営するバーレストランのオリジナルカクテル。サワーに秋田名物の燻製漬物のいぶりがっこが入っている。でもってアイディアはなんと石川浩司さんが考案! わたくし日本に帰国すると必ずこちらへ立ち寄り、いぶりがっこサワーを注文します。酒よし、料理よし、お客さんよし、の最高のお店であります。 20/8/11(波照間エロマンガ島)

ははは、いぶりがっこサワーは梅干しの入った梅サワーから考案。独特のスモーキーな味わいに、中のいぶりがっこはそのまま箸を突っ込んでツマミとしても食べられるという、ビンボー人の発想から生まれました〜。 20/8/11(石川浩司)

極私的 赤ちゃん映画 ベスト3

1.三人の名付親〔1948年 ジョン・フォード監督〕
モハベ砂漠を舞台とした西部劇で、逃亡中の荒くれ男たちがふとしたきっかけで瀕死の夫人から赤ちゃんを託され、物語が展開していく異色の西部劇傑作。新約聖書の「マタイからの福音書」にて、イエス・キリスト誕生時にやってきてイエスを拝んだ「東方の三博士」の話に材をとり創作されている。荒くれ男と赤ちゃんの組み合わせは本当にフォトジェニックで気持ちがよく、後世いろいろな映画作家がこの題材を用いて作品を製作していることでも明らか。

2.底抜け楽じゃないデス〔1958年 フランク・タシュリン監督〕
ジェリー・ルイス主演のコメディー映画。ロックンロール黎明期でジェリー・ルイスがコンボスタイルのバンドマンの演奏にのって歌って踊るシーンがあり、その驚異的足技遣いを観ることができる。友人の産んだ三つ子の赤ちゃんのベビーシッターをすることから巻き起こるスラップスティック喜劇で面白かった。

3.赤ちゃんのおでかけ〔1994年 パトリック・リード・ジョンソン監督〕
誘拐された赤ちゃんが逆に誘拐犯たちを切りきり舞いさせるコメディー映画。安心して見られる映画でケーブルテレビで観るのにふさわしい映画。おまぬけ悪党役のひとりジョー・マンテーニャは、個人的にローワン・アトキンソンに一番似ていると思う俳優で、この映画やNBC「クリミナル・マインズ」のFBI捜査官役を観るといつもローワン・アトキンソンを想起する。 20/8/29(波照間エロマンガ島)

先日観た「地獄」という映画では赤ちゃんがずっとグルグル回されていたなあ。今だとクレーム来るかも。 20/8/29(石川浩司)

美術の成績が1になる理由ベスト3〈もちっこ調べ〉
1.作品未提出。
2.絵が極端に下手。
3.美術教員に迫られ抵抗して嫌われる。 20/9/12(もちっこ)

まあ俺は1の作品未提出だったけど。絵心が無いので、興味のないことには一切手をつけられない性格なのよねん。社会不適応者。 20/9/12(石川浩司)

加山麗子、出演作ベスト3

1.ハワイアンラブ 危険なハネムーン〔1978年 日活〕主演
2.肉体の門〔1977年 日活〕主演
3.「江戸川乱歩『黒蜥蜴』より 悪魔のような美女」〔1979年 テレビ朝日〕テレビドラマ

加山麗子は1977年、4度目の映画化となった「肉体の門」〔田村泰次郎・原作〕で主役のボルネオ・マヤ役に抜擢されデビューしたポルノ女優。当時「清純派ポルノ女優」という謳い文句で、清純な顔立ちでセックスシーンを演じられる女優ということで日活ロマンポルノのエースに駆け上がった。当時22歳くらいでベビーフェイスだったが、娼婦から水商売のマダム、エロ社長の女秘書まで幅広く演じた。わたしの中では今なお永遠のオナペットの一人です。ちょうど高校生でしたが、年齢を偽って映画館に彼女の出演作をよく観にいってました。

1.は全編ハワイロケを行なったコメディータッチのサスペンス映画。新婚旅行に訪れたハワイで新婚夫婦が殺人事件に巻き込まれる。新婚でとにかくセックスしたい!という若妻のフェロモンが画面によくでていた。
2.は戦後の混乱期の進駐軍の兵士相手の娼婦グループの派閥争いで女同士の血肉の争いを背景に、グループでのしあがっていくボルネオ・マヤの半生を描いていた。
3.は土曜ワイド劇場で放送された「江戸川乱歩の…」シリーズにて放送。洋館の中でトップレスで拘束され被虐される加山麗子の美しい肢体に目を見張った。これがテレビでゴールデンタイムに放送されていた、という事実に2020年の現代から振り返ると驚愕する。 20/9/22(波照間エロマンガ島)

「肉体の門」は観たけど相貌失認なのでもちろん全く顔は覚えてないな。池袋文芸坐で観た。 20/9/22(石川浩司)

加山雄三、個人的ベスト3

加山麗子が出たので、同じ「加山」つながりで加山雄三のベスト3。

1.エレキの若大将〔1965〕東宝若大将シリーズの代表作。
2.  大追跡〔1978〕 日本テレビ製作のテレビドラマ。
3.メッセンジャー〔1999〕馬場康夫監督、草なぎ剛、飯島直子主演。

1はなんといっても「勝ち抜きエレキ合戦」出場シーンのかっこよさ。プラスチックスの立花ハジメは創作に行き詰るとこの映画を観ると語っていた。「蒼い星くず」のオープニングのギターリフはプラスチックスの某曲でパクリ・・・、もとい踏襲している。

2は「大都会」シリーズから「プロハンター」「あぶない刑事」シリーズへと連なる日本テレビのアクション刑事ドラマ路線の1本。日活や東映出身のアクションスターが出演者に多いこのシリーズで、東宝出身の加山が堂々主役を張った。加山、藤竜也、沖雅也、柴田恭兵、長谷直美というチームは、ドラマ後半独自の俳優のアドリブも多く出てきてバランスがよく、コミカルな演技の個性はとても好きだった。

3はホイチョイプロダクションズ作品。ここでは加山雄三は脇役にまわり、自転車の書類デリバリー会社を作る草なぎ剛、飯島直子を後方でサポートする元警察官のスタッフ役で好演している。あまりに面白いので劇場公開時に2度映画館に足を運んだ数少ない映画。ホイチョイはこの映画と次回作の「バブルへGo!!タイムマシンはドラム式」が好きだな。 20/10/17(波照間エロマンガ島)

加山雄三映画、加山雄三よりどうしても田中邦衛を見てしまう...。田中邦衛は「北の国から」以外で代表作ってあるのかな? 20/10/17(石川浩司)

1980年代に吸っていた煙草ベスト3

1.PERLIAMENT〔パーラメント〕
2.PROMNADE〔プロムナード〕
3.GUDANG GARAM 〔グダン・ガラム〕

波照間エロマンガ島です。1980年代〔20代前半〕は煙草を嗜んでいました。おもな理由としては当時はディスコティックやクラブなどで夜遊びしていて、そのとき間が持てないので口寂しさから煙草を吸っていたしだい。ちょっとライターで火をもらうことからコミュニケーションが生まれたりしていました。でも石川さんと同じで深く吸いこめず、ふかしているだけだったんですけどね。それを指摘されたのは風俗嬢のオネエサンからだったんですけど〔笑い〕。

1のパーラメントはいちばん長く吸ってました。フィルターの紙巻部分が凹んでいるのが特徴でクールな味がしました。初めてヨーロッパに行ったとき成田空港で1カートン買いました。関係ないですが、ジョージ・クリントンというアメリカのアフリカ系ミュージシャンが作ったパーラメントというバンドはファンカデリックとも名乗っていましたが大好きでした。1976年頃シングルヒットした「ティア・ザ・ルーフ・オフ・サッカー」という曲を覚えています。
2のプロムナードはパイプ煙草で甘い香りが好みでした。2000年代に入りタイに旅するようになってから、バンコクのアラブカフェでパイプ煙草を吸える店があってよく行きました。
3のガラム。これは強烈に癖がある煙草で、これもクラブ時代は本当によく吸ってました。精油がしみこんでいる丁子は甘い香りがして火をつけるとパチパチと火花が出るのが風情がありました。

今は煙草は止めてます。煙草を止めてもう30年くらい。 20/10/24(波照間エロマンガ島)

俺もガラムは一時ふかしてたなあ。強烈だよね。今もパスカルズの龍太郎さんは愛煙していて、龍太郎さんが側に来たのが見なくてもわかる(笑)。 20/10/24(石川浩司)

運転して乗り心地のよかった乗用車ベスト3

1.日産シーマ〔3代目FY33型〕
2.フォルクスワーゲン・ゴルフ
3.GM ビュイック・リビエラ

1は西暦2000年頃に父が購入して、わたしがよく遠乗りするときに貸してもらって運転した車。それまでずっとトヨタクラウンのオーナーだった父が、どういうわけか日産車を買ったのだが、乗り心地はすごく快くて、メルセデスベンツの300番台セダンと遜色ないエンジン性能と走りのよさ、室内の静寂さですべて気に入った。
2は弟が1990年代後半から乗っていて、現在も乗り継いでいる。ドイツの大衆車だと馬鹿にしていたが運転してみると、なによりその重厚感にやられた。日本車よりも鉄板がひとまわり厚くなっており、ドアの開閉は気持ちよい。あとタイヤが地面を捉えて離さない走りのよさは気に入った。東京の住宅街を走るときに気持ちの良い車だと思った。
3は20代の頃、知り合いのアンティークショップ店長から買わないかと勧められて、試乗しただけで購入はしなかったいわゆる「アメ車」。これは車内にいるとアメリカ西海岸の中流階層になったような錯覚を抱いた。まぁ1970年代のアメリカな雰囲気、オールディーズなムードが横溢していたクラシック・クーペだったなー。あのとき買っていたら俺の人生どうなったんだろう。まず今現在タイに住んでないだろうな。

そんな感じの自動車たちでした。 20/11/1(波照間エロマンガ島)

車のことは全くわからないが、車内で立ち上がりも可能なバンが好き。 20/11/1(石川浩司)

助手席に乗って乗り心地が印象的だった乗用車ベスト3

1.ジャガーXJ6〔1980年代モデル〕
2.フィアットパンダ45〔初代モデル 1980年代〕
3.オペル・オメガ〔1980年代モデル〕

1のジャガーは同い歳の不動産屋の友人に自宅まで送ってもらったときに乗ったんですけど、片側のサスペンションが壊れていてものっそい衝撃が座席に直撃!まったくショックアブソーブしてくれないという。「ざけんなこのやろう」と終始不機嫌になってしまったドライブ体験でした。見てくれは非常によいのですが乗り心地は最悪のおんぼろ車でした。
2のフィアットパンダは美大時代の友人がヨーロッパに留学するので車を譲りたいとのことで試乗しました。外観のデザインはかっこよかったが、乗り心地の点はあんまり印象はよくなかった。個人的感想ですが小型車はやはり日本車が素晴らしいです。左ハンドルだったので助手席が右側なのが気持ちよかったくらいで。
3のオペルは知り合いの女性が都心から横浜の自宅まで送ってくれたときに乗ったのですが、これはさすがドイツ車で乗り心地は素晴らしかったです!自動車メーカーの離合集散の再編というのはいろいろ事情があるようで、親会社のGMが破綻してオペルは一時期日本から撤退したんですか?!それは知らなかった。

わたしが所有していたのが三菱デリカか日産ホーミーなど、ワゴンタイプの車が多かったので、外国産の乗用車にたまに乗るといろいろなことを考えさせられましたね。自動車に乗る体験については日本車よりもヨーロッパ車のほうが奥が深いような気がします。 20/11/19(波照間エロマンガ島)

向こうの方が歴史もあるからかもね。アメ車ってどうなんだろ? 20/11/19(石川浩司)

原田眞人監督の3本

原田眞人監督はよくも悪くも1980年代以降の日本映画の娯楽面でのイニシアチブをとり、業界を牽引していった映画監督のひとりだと思います。その中で印象的な3本を。

1.『突入せよ!あさま山荘事件』〔2002年〕
2.『おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!』〔1986年〕
3.『関ヶ原』〔2017年〕

1は1972年2月に起きた、連合赤軍・あさま山荘事件を警察の立場から描いた映画作品。娯楽作品としてよくできていました。元警察OBで評論家の佐々淳行ほか、事件当時警察庁長官だった後藤田正晴、のちに警察庁長官になりオウム真理教による狙撃事件を経験する、当時警視庁広報課長だった国松孝次ら、実在の人物がたくさん実名で出てきます。一部フィクションを加えていますが、事件当時の空気感は表現できていたと思います。

2はフジテレビ製作のアイドル映画。併映がとんねるず主演、森田芳光監督の『そろばんずく』。
この作品は映画館に観に行きましたよ。『そろばんずく』が超悲惨な出来栄えだったので、おニャン子映画のほうがまだ鑑賞に堪えられた記憶があります。関根勤がスナイパー役で横浜スタジアムのおニャン子コンサートで狙撃の攻防、そして脅迫をめぐるサスペンス映画でした。

3は2017年製作の時代劇映画で、岡田准一が石田三成、役所広司が徳川家康を演じ、そのほか日本のオールスターキャストが戦国武将を演じ、大合戦を描き戦国絵巻を絢爛に見せてくれた作品でした。
わたしがこの映画に「X」〔ペケ〕を出すのは以下の一点。徳川家康四男の松平忠吉の「松平」のアクセントを、「ま・つだいら」と「ま」にアクセントを置かず、「まつ・だいら」と、「つ」にアクセントを置いて、出演者に呼ばせていたこと。ふざけるな、と思いましたね。それくらいの時代考証はしろよ、と。松平家の末裔であるNHKのアナウンサー松平定知さんもけして後者のアクセントで挨拶はしなかったです。
ただ秀吉役の滝頭賢一さんは、尾張弁で秀吉を演じていて、そこはリアリティーがあってよかったですが。

そんな原田眞人監督の3本でした。今回は必ずしも「ベスト3」ではありませんでした。 20/11/26(波照間エロマンガ島)

「思い出ベスト3」だからいいんじゃな~い。
おニャン子はアマゾンプライムに入って来たら観よう。 20/11/26(石川浩司)

わたしの幼児時の自動車の想い出3題

1.母が右折交差点で信号無視して白バイに捕まり違反切符を切られた。世田谷区駒沢の真中交差点だったか。後部座席に乗っていた4~5歳のわたしは母が重罪を犯したかのような気持ちになり、泣きそうになった。とてもスリリングだった記憶が残っている。
2.父に毎晩のように玉川通り〔国道246号線〕を下りドライブに連れて行ってもらったこと。旧二子橋を渡り厚木方面まで行った夜のことを覚えている。
3.母が祖父宅にあったコロナマーク2を運転したとき、変速機の入れ方を間違えてサードからファーストギアに入れて「ぎぎぎぎぎー」と爆音を発生させた。1968年頃はまだマーク2は「コロナマーク2」と呼ばれコロナブランドの中にあったと記憶している。

以上、幼少期から自動車に乗るのが大好きだったわたしの思い出でした。 20/12/12(波照間エロマンガ島)

両親ともに免許も持たず。なのでもちろん自家用車に乗った記憶がない...。 20/12/12(石川浩司)

今までの人生で遭遇したペットの死、3題

1.ひよこの死
2.イングリッシュポインターの死
3.樺太犬の死

1は小学2年生のとき、小学校の校門前で売っていたひよこを買ってきて育てていたときのこと。何ヶ月か経ち、まだ身体は大きくなっていなかったが、ふと魔がさして庭を散歩させることにした。すると庭にあった犬小屋のほうへひょこひょこ歩いていった。いっしゅんの出来事であった。秋田犬がたぶん好奇心から前足でひよこをちょっと触ったしゅんかん、ひよこはつぶれて死んだ。本当にいっしゅんの出来事だったが、とても衝撃を受けた。
わたしと同時にひよこを買った友人は、それを育ててニワトリまで成育させた。何年か経ったのちまた彼の家に行くと、ニワトリ小屋にたくさんのニワトリがいて、そちらにもびっくりした。いつのまにか軍鶏みたいな別の品種もいてさらにびっくりした。彼はたくさんのニワトリを育てて、性に合っているのだろうと思った。

2は中学高校大学のとき飼っていた猟犬のイングリッシュポインター。父の友人の狩人の人から貰い受けた。子犬のときはとても可愛く家族で可愛がったが、成長するにつれ力が並外れて強いので、ややもてあますようになった。でも家族で交替して毎日散歩に行って世話をした。あるときくだんの父の友人から狩猟に行くので犬を貸してくれないかという申し出があり貸したのだが、その途中にピックアップトラックの荷台から落下して骨折し死にそうになった。獣医はもうひと晩もたないと告げたのだが、見舞いにかけつけると、目が開かずうずくまって虫の息だった犬がわたしたち家族が来たことに気づき、小さなかぼそい声で「ううぇーーーーーん」と鳴いたのだった。わたしは感動して涙した。そして犬は奇跡的に復活した。そしてそれから数年後のある日、彼女は10歳くらいで病気で亡くなった。わたしの家は幼少時分から常に犬や猫を飼っていたが、なぜかわたしはその第一発見者となってしまう。彼女の亡骸を手厚く葬ってあげた。でもこの犬種は育てるのが本当にむずかしかった、もっと自然の近くで伸び伸び育てたかった。そのときの後悔の気持ちは今もなくなっていない。

3は小学校のとき、上記の秋田犬が死んでそのあとに飼いはじめた樺太犬。最初は父は秋田犬を飼おうとしたのだが、毛並みが黄色っぽくて「なんじゃこりゃ、秋田犬じゃないぞ」と疑惑の展開になり、最終的には「これは樺太犬だ」と認定、がっかりさせられたのだった。でもわたしもわたしの兄弟も、あと近所に住んでいた親戚たちもこいつのことは可愛がり、ずいぶんと遊びました。
10年以上経ったある日、こいつは実家から別の場所〔父と叔父が共同で使用している事務所〕で飼われていた。老犬となってよぼよぼしているのが傍目にもわかった。だがこいつは、不法侵入者によって鉄パイプのようなもので撲殺されてしまったのだった。その一報をわたしは大学にいるときに電話で知った。まだ携帯電話の時代ではなかったが実家に電話をする用があり、家族から聞いたのだった。殴られて死んだってあまりにも可哀想でわたしは泣きましたよ。どうしてそんな酷いことをするんだ、と。だが心当たりがないわけではなく、もしかしたら恨みを買っていたのではないか、とも想像した。犯人はわからなかった。

そんな印象的だったペットの死、3題でした。 20/12/26(波照間エロマンガ島)

うちで産まれた子猫が次々病気で亡くなって庭に埋めた。あれはきつかったなー。 20/12/26(石川浩司)

「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の好きな名言
1・ 21/2/8(小学校ではエリートだった暴力団員のクラスメイトに対して)「何がお前を変えたのか知らんが、人生を投げた時点でお前の負けだ」! 21/2/8(と投げ飛ばす)
2・「人間!つまずくのは恥ずかしいことじゃない!立ち上がらない事が…恥ずかしいんだぞ!」
3・ 21/2/8(レストランなどを経営しているおばあちゃんが)「外食産業が盛んなのはいいとも言えないんだよ 世の中で一番おいしいのは、家で家族と一緒に食べるご飯なんだよ。本当はね」
次点・「日本人は余裕がない何か悩むとすぐ生きるべきか死ぬべきかだからな!。何か悩むとすぐ生きるべきか死ぬべきかだからな!目の前がすぐ真っ暗になり二者択一だ!悩んだら、まず『生きる』モードに切り替えてからスタートだ!それから“どう生きるか”を探せばいい!悩むと悪い方向にしか考えないからな! まずその方向を潰してから明るい方向へと進んで行かねばいかん! 死んじゃったらゲームができなくなるんだぞ 悲しいぞ! 未来はバラ色だぞ 楽しい事が山盛りだ! マイナスな事がたくさん集まるとするだろ マイナスとマイナスをかけるとなんとプラスになるんだな!これが!」 21/2/8(マイペースに生きる、図々しく生きる、人のために生きる、しぶとく生きる等) 21/2/8(わいわい)

そうそう、ひょんな時に名言が出てくるんだよね~。 21/2/8(石川浩司)

石川さんを羨ましいと思うことベスト3
1・沢山の有名人・芸能人とお会いしていること
2・自分の連載、レギュラーを持っていたこ、舞台出演経験 21/2/23(わいわい)

ベスト3と言いながらふたつしかない...。 21/2/23(石川浩司)

あーーーまたやってしまったかなとメールを振り返ったら、今回はちゃんと送っていましたよ笑。このように送っています。
石川さんを羨ましいと思うことベスト3
1・沢山の有名人・芸能人とお会いしていること
2・自分の連載、レギュラーを持っていたこと
3・映画出演、舞台出演経験

ー これだけれじゃあんまりなので、新しい投稿をしたいと思います。
テレビの前で嗚咽し大号泣したスポーツシーンベスト3
1・長野五輪の男子団体ジャンプ金 21/3/1(1998年)
2・1995年の社会人ラグビー準決勝 21/3/1(神戸製鋼vs三洋電機)
3・2018年平昌冬季五輪女子カーリング3決 21/3/1(日本vsイギリス) 21/3/1(わいわい)

あれ~、俺の方にはそこで終わってるメールが届いてるよ。どちらかのバグかな。 21/3/1(石川浩司)

アルフレッド・ヒッチコックが発明したドリー+ズーム使用の「めまい効果」特選ベスト3

これは説明が必要ですが、世界の映画作家の中で誰よりも映画の説話論的持続の意味について考え抜いてきたアルフレッド・ヒッチコック。彼は映画工学的技術を1秒24コマX上映時間のフィルム上にすべて焼き付け、それをスクリーンに映写したときの影を物語として観客に刷り込む技法について長年探究してきました。

そこで映画手法として発明したのが映画「めまい」〔1958年〕の中で、主人公の高所恐怖症を心理的と同時に光学的に表現した「めまい」技法。これは世界中の映画作家に影響を与えました。簡単に説明すると、ドリー〔キャメラを軌道上のトロッコないしはクレーンに載せて移動撮影すること〕で後退移動しながら、キャメラのレンズをズームし、被写体のサイズを変化させないままに撮影すると、その結果背景が急激に変化し、めまいのようなクラクラした効果を得るというものです。ところが最近ではこの技法が当たり前になりすぎて、映画的効果を発揮しないことがあるのも事実です。何事もやりすぎは効果を殺いでしまうからです。

1.アルフレッド・ヒッチコック 「サイコ」〔1960年〕で、ベイツ・モーテルに調査にやってきた探偵のマーティン・バルサムが階段の踊り場で何者かに包丁で刺され落下するところを天井からの1カットで撮影したシーン。これは初めて観たときから特に印象的なシーンで、しかしどのように撮影したかについては詳らかにされておらず、公開後60年経っても謎のシーンといっても過言ではありません。ドリーとズームを同時使用しているほか、スクリーンプロセスも使っていると考察します。

2.スティーヴン・スピルバーグ 「ジョーズ」〔1975年〕で、海水浴場にサメが出てビーチがパニックになるシーンで、休暇で来ていた主人公のロイ・シェイダーを驚かせるシーン。初めてこの映画を観たときからこのシーンは印象に残っていました。このようにただの数秒足らずの1ショットにこの技法を入れることによってシーンに深みを与えています。

3.ブライアン・デ・パルマ 「スカーフェイス」〔1983年〕で、駐車場に停めたオープンカーに主人公のアル・パチーノとミシェル・ファイファーが乗るシーン。オープンカー前方にキャメラを設置し、アル・パチーノがミシェル・ファイファーにドアを開けてやり、オープンカーの後方をまわりこんで車に乗り込むまでの移動に沿ってやや俯瞰気味に被写体を映すもズームドリーを使い背景が飛ぶことによって、シーンに別の意味が加わることを観客に無意識に感じさせている。デ・パルマはヒッチコックの後継者を自負しており、その作品にヒッチコックにオマージュを捧げるショットが散見される。  21/3/12(波照間エロマンガ島)

カメラがどうなってるんだろう、を考えるとまた新たな映画の楽しみというのも発見できるよね。 21/3/12(石川浩司)


「王様の耳はロボの耳」のトップに戻る