話題378 映画のラストシーン(2)


波照間エロマンガ島です。
わたしが大学時代浴びるように映画を観まくっていた頃、自分の身に起こったプチシンクロ体験を思い出したのでここに投稿します。

ここに2本の映画があります。先に観たのは『気狂いピエロ』〔1965年 ジャン=リュック・ゴダール監督作品〕。ゴダールのフィルモグラフィーの頂点に立つ作品で、公開当時フランス政府給費留学生としてパリにいた映画評論家の山田宏一さんは、フランスの若者がいかにこの映画に熱狂したかを同時代的視点で語っていたのを読んだ記憶があります。世界中の映画ファンに圧倒的な影響を与えたこの映画は1984年にリバイバル公開され、わたしは新宿の映画館に観に行ったのでした。

そして、その少し後に観たのが『ゴーストバスターズ』〔1984年 アイヴァン・ライトマン監督作品〕。4人の科学者がお化け退治のチームを作りニューヨークに出没したお化けをやっつけるというSFコメディー映画。ずいぶんと笑わせてもらいました。この映画のラストシーン、お化け退治をした面々が洋々と引き上げていくショットにエンドタイトルのテロップがかぶさっていきます。その中のある人名にわたしは目が釘付けとなってしまいました。
https://www.youtube.com/watch?v=HDNprwEzB-k 

Director of Photography  Laszlo Kovacs A.S.C.

あれ、どこかで見聞きしたことのある名前だ! はて、誰だっけ?
当時はインターネットのない時代ですから、このラズロ・コヴァックスが何者なのかすぐには判らず、図書館へ行って映画史の本をあれこれ調べてみました。すると彼はハンガリー出身の撮影監督で、1957年のハンガリー動乱によりアメリカに亡命、1969年アメリカン・ニュー・シネマの代表的作品「イージー・ライダー」の撮影監督として有名になり、以後ハリウッドで数々の作品の撮影を手がけた、とありました。
しかし、わたしがその名前を聞いたのは、ハリウッドの撮影監督としての「ラズロ・コヴァックス」ではなかったのです。

それからほどなくして、わたしがその名前を聞いた映画を思い出しました。それが「気狂いピエロ」でした。この映画の中に主人公のジャン・ポール・ベルモンドが「ラズロ・コヴァックス」のことを言及するシーンがあったのです。
https://www.youtube.com/watch?v=S1WY84Lk_iE 

日本語字幕を読んだのでこの名前を記憶していたのでしょう。ところが驚くべきことにラズロ・コヴァックスが映画業界に入るのは1967年で、「気狂いピエロ」製作時には映画業界に籍をおいてなかったようなのです。のちにこの名前は実在のものではなく架空の名前であったことがわかり、ゴダールの長編劇映画第1作の「勝手にしやがれ」とクロード・シャブロルの「二重の鍵」に同じ登場人物の名前が出てきて「気狂いピエロ」はそこから引用したらしいということがわかってきました。

しかしながらこの2本の映画をそう離れていない時に鑑賞して、この「ラズロ・コヴァックス」を意識したことは、わたしのプチシンクロ体験としてそれから35年経った現在でも記憶に残っているのが面白いな、と思うしだいであります。 19/1/31(波照間エロマンガ島)

そんなのよく見つけたなー。
最近は俺も邦画とかはスタッフに知り合いの名前を見つけることも多いのでじっくり見るけどね。 19/1/31(石川浩司)

スターウォーズ「最後のジェダイ」と「ローグワン」を見ましたよ。古い映画なのでネタばらししちゃいますが、「ローグワン」は全滅、「最後のジェダイ」はルークが消滅しました(たぶん)。「最後のジェダイ」はみんなが言うほどつまらなくありませんでした。突っ込みどころはたくさんあったけど、ああそんな表現かーと思えば楽しめたし。
「最後のジェダイ」は興行的には成功しています。でも昨年のサイドストーリーと言うかスピンオフの「ハン・ソロ」は壊滅に近い興行成績でした。スターウォーズに繋がる話なんだけど、むむむどうしよう。 19/2/26(わいわい)

ううう、一度もスターウォーズ観たことない。
何故か観ようという気持ちにもならないのは自分でもわからない。SFが嫌いというわけじゃないのだが。 19/2/26(石川浩司)

ジョニーデップ主演の「フロム・ヘル」切り裂きジャックを題材にした映画で物凄く好きな映画なのですが、ラストは主人公がアヘン中毒で死んでしまうのです。しかも恋人と落ち合う予定があったのに。もともと泣ける映画(感動ではなく悲劇系で)が苦手で、絶対にこの映画見たら泣くよね、と思う映画は観ないようにしているのですが、このバッドエンドは予測してなかったので「えええ〜」っと力が抜ける思いがしたと同時にめちゃくちゃどんよりとした気持ちになりました。でもそのどんよりを味わいたい時があるのも事実で、そういう時はレンタルしてきて観ちゃいます。 19/4/2(美月)

ハッピーエンドより悲劇的な終わり方の映画の方が多い気がするな。 19/4/2(石川浩司)

数日前、久々にスタンリー・キューブリックの「フルメタル・ジャケット」を鑑賞しました。前回同様ずっしりとした重い感動がありました。そうだ、以前観たときは映画後半の市街戦シーンの舞台となったベトナムのフエを訪れる前だったので、フエを訪れる前と訪れた後で映画の印象が変わっていることが意外でした。このシーンは撮影所に巨大なオープンセットを建てて撮影したらしいのですが、リアリティーありすぎでした。空爆と市街戦による戦闘が激しすぎて町が廃墟のようになっているんです。「俺の行ったフエは50年前こんなんだったのかー」と言葉にならなかったですね。ラストシーンは生き残ったアメリカ軍兵士たちが夜の闇の中で歌いながら行軍しエンドタイトルに入る流れも印象に残りました。

くだらない豆知識2題。
(1)映画の中盤にベトナム人娼婦がアメリカ兵に客引きするシーンがあって「Me love you long time!」と文法的に間違った英語で誘惑するのですが、1990年代この台詞からインスパイアされたとおぼしい「Me love you long time」というアジア系女優が出演するハードコアポルノビデオがシリーズ化されました。

(2)映画前半、海兵隊訓練キャンプで下士官から猛烈にしごかれ発狂してしまい、その下士官を射殺し自らも命を絶つ新兵役として出演していたヴィンセント・ドノフリオは「怪優」と言ってもいいくらいの変態役者で、この役以外にも「メン・イン・ブラック」で虫型エイリアンに内臓を食われてしまう農夫役とか、「エド・ウッド」でのオーソン・ウェルズ役とか、「ジュラシック・ワールド」で恐竜ビジネスで一儲けしようとするも恐竜に惨殺されてしまう悪徳商人とか、映画で記憶に残る役柄ばかり演じているんです。わたしは脇役俳優としてはこのヴィンセント・ドノフリオとスティーブ・ブシェミが大好きです。 19/4/2(波照間エロマンガ島)

本人もそういう役、好きなんだろうね〜。 19/4/2(石川浩司)

1984年製作「ソナチネ」〔カナダ〕ミシュリーヌ・ランクト監督。思春期の少女たちの繊細な心もようを描いた小品。22歳の頃公開時に映画館で観たのですが、この映画のラストシーンは心が震えるほど感動した記憶があります。そして後年製作された某ドラマがこの映画のラストをパクッたのを観たときには激しく憤りを覚えました。そしてその怒りはまだ冷めやらないです。そんな映画を思い出しました。 19/5/12(波照間エロマンガ島)

へー、どんなラストだったのだろう。ネタバレになっちゃうから書けないか。 19/5/12(石川浩司)

ラストシーンが印象に残っている映画として、テレビで一度だけ観た成島東一郎監督作品「青幻記 遠い日の母は美しく」を想起しました。奄美群島の沖永良部島の青い海と白いサンゴ礁の美しい風景を撮影監督出身の成島が丁寧に撮影し、叙情的で亡き母への思慕の記憶を時間を超越するかのような世界を構築していました。ラストシーンは結末をすべて描くのではなく、これから起こるであろう悲劇的結末を観客に想像させ映画が終わっていく構成になっていて、胸が締め付けられるような感動を覚えました。この映画には原作があるとのことで手に入れてみたいな、と不図思いました。谷崎の「母を恋うる記」やプルーストの「失われた時を求めて」などと同趣の感興を惹起せしめる作品として比較して考えることができるかもしれないかもと想像しました。 19/5/22(波照間エロマンガ島)

結末を観客に想像させるエンディング好きだな。「オーメン」で最後に振り返った子供が不気味に笑うシーンとか。
あのシーンを自然に撮影する為、スタッフがカメラの近くでみんなでベロベロバーとか変顔して笑わせた、という裏話も面白かったな。 19/5/22(石川浩司)

今回は全てタイ航空を使用しました。機内で見た映画は、ローグワン、スターウォーズ7、そしてボヘミアン・ラプソディです。全て吹替。ボヘミアンは二回見ちゃいました。
細かいところが分からなかったので、あとで字幕で見直さないと。
ラストでは、フレディがライブエイドの直前にエイズの告白をしましたが、あれ史実ではもっと後なんですよね。
クィーンの再結成がライブエイドみたいな演出になってましたがあれももっと前から。
クィーンの演奏で、寄付金の電話が鳴りやまなかったのは良かったです。 19/5/22(わいわい)

ライブエイドのシーンのピアノの上の紙コップの置き方とか、ディテールを再現してるのがグッと来たなあ。 19/5/22(石川浩司)

波照間エロマンガ島です。
2019年現在、世界の映画シリーズの中でもっとも興業収入を得ているのが「マーベル・シネマティック・ユニバース」〔以下、MCUと表記〕の作品群。この映画シリーズの成功によりタイ人の鑑賞習慣に変化が生じたのですが、今回はその話をいたしましょう。

以前にもどこかで書きましたが、タイのほとんどの観客は映画館で映画を観るとき、エンディングタイトルになると即座に席を立ち帰ってしまいます。ところが、このMCUはエンディングタイトルの途中に必ず次回作の予告が数分間だけ映し出されて、観衆に「次はどうなるのだろう」と期待をもたせる設定になっているのです。なので、タイ人といえどもエンディングタイトルロールが始まっても席を立たない習慣がこのシリーズのヒットによって根付いてきたわけです。面白いですねー。 19/5/31(波照間エロマンガ島)

俺も「アイアンマン」観たよん。
これでジャッキー・チェンも救われる!? 19/5/31(石川浩司)

幼いころから映画は大好きで56歳の現在に至るまでたくさんの作品を観ていますが、自分は映画評論家でも映画レポーターでも映画研究者でもなんでもないので、観た端から忘れています。しかしこのトピック「映画のラストシーン」というお題を与えられてから、普段は意識することのない記憶の底辺にある映画のラストシーンを想い出そうと脳内をシャッフルするようになりました。

スティーヴン・スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演のSFサスペンス映画「マイノリティ・リポート」〔2002年 ドリームワークス製作〕という映画があって、筋立てはおぼろになっていますが、ラストシーンの空中後退移動ショットはゆったりまったりとした印象に残っています。2000年代だとこれはドローンで撮影したのではなくヘリコプターで撮ったのか、などと頭の中で想像を膨らませるのも楽しいです。ここ数年でドローンを使った撮影技術が長足の進歩を遂げ、人びとの中にはドローンは当たり前の存在として認識されるようになっていますが、今から17〜8年前はそうではなかったことを意識して映画を考古学的に検証するのもこれから始められるのではないかと推察します。 19/7/2(波照間エロマンガ島)

今はCGでなんでもできるからこそ、それが無かった時代の特撮やアクションがより魅力的に感じられることも多いよね。 19/7/2(石川浩司)

「素晴らしき哉、我が人生(1946)」を見ました。映画学の世界では一度は取り上げられる作品です。
失敗したり成功しながらそこそこの人生を送っている主人公(住宅公社経営)が、クリスマスの夜に会社の部下が大金をなくしてしまいます。
これに失望した主人公は自殺しようとします。そこへ天使のおじさんが舞い降りてきて、
「もし君がいなかったらどんな世界になったか見てみよう」と、もしの世界を見せます。
軍功で表彰された弟は幼いころ死んでおり、妻もまだ独身。行きつけのカフェは全く違う暴力的な店になっており、街も風俗街になり、タウンも敵の名前が付けられ、自分のタウンは墓地になっています。
これを見て主人公は元の世界へ戻り、なんて今は素晴らしい世界なんだと、感激します。
失ったお金は今までお世話になった町の人々が寄付してくれるというものでした。
自殺する人に一度見てもらいたい映画です。 19/7/2(わいわい)

この映画は観てないが、希望が湧くような気がするね。
「今」に幸福を見出せない人は、未来にも見出せない。幸せはやって来るものじゃなくて、自分で作り出すものだから。 19/7/2(石川浩司)

最近「小さな恋のメロディ」(英、1971)見ましたよー。ラスト、トロッコに乗りながら草の生えている廃線跡をどこまでも進む二人。よかったなー。小学生の淡い恋ですね。
ビージーズのBGMが有名で、英国より日本の方が評価も観客動員もよかった一作です。

ついで「勝手にしやがれ」(仏、1951)を。ヌーベルバーグの代表的作品ですね。日本では沢田研二(作詞・阿久悠)で有名ですね。 19/7/19(わいわい)

どっちも観た・・・いや観てない?記憶がウガガガ。 19/7/19(石川浩司)

1965年製作「飛べ!フェニックス」ロバート・アルドリッチ監督。おそらく小学3年生ころTBSの月曜ロードショーで初めて観た記憶がある。サハラ砂漠上空を飛行中、アクシデントで不時着した小型飛行機を生存者たちが力を合わせて再び飛行できるように改良し、砂漠からの脱出を計るという小学生にでも理解できる単純かつ骨太の娯楽作品。主人公のジェームス・スチュワートは若き日の2枚目の面影はいっさいなく、二重あごででぶっちょの老いぼれ役立たずな老パイロット役だがタフガイだったのが印象的だ。

映画の最後で再び飛び立った飛行機はわずかに飛んだだけで近くにオアシスを発見し着陸するのだが、何日間も水分補給なしで生存ぎりぎりで生き残った登場人物たちが「キャッハー、水だー!!!」とオアシスに走り飛び込んでいくのに対し、そこにいる人びとは「なんだこいつらは、バカじゃないの」という表情であぜんとして眺めている姿との対比が最高にカタルシスをもたらし爽快な気分になった。

ジェームス・スチュワートはとにかく「アメリカの良心」といっていいほどたくさんのハリウッドマスターピースに「善人」として出演しているわけだが、わたしとしてはアルフレッド・ヒッチコックのキャリアのピークの1950年代に組んだ「裏窓」、「知りすぎていた男」、「めまい」の3本がとりわけ好きですね。もちろん「スミス都に行く」も「フィラデルフィア物語」も「素晴らしき哉、人生!」も「翼よ!あれが巴里の灯だ」も「グレン・ミラー物語」もいいですが。 19/7/19(波照間エロマンガ島)

ううっ、外人で顔が分かるのジャック・ニコルソンだけ...。 19/7/19(石川浩司)

このごろは最近観た映画ではなく遠い昔に観た映画のことを想い出してみて、あいまいになった記憶のなかの映像を自分なりに文章で再現してみることをよく試みています。この作業がなかなか面白い。映画ってどういうふうに頭の中に記憶しているのかとか、どういうふうに自分の血肉になっているかとか、とてもあいまいで個人的な世界があると確信するんです。だれしも記憶している世界は違うし言語感覚も違うから、2人の人が同じ映画のラストシーンを言葉にしても同じにはならないでしょう。

映画のラストシーンというお題でいうと、先日「マイノリティ・リポート」のラストの空撮シーンのことを思い出していたら、つづいて連想したのが「豚と軍艦」〔1961年日活、今村昌平監督〕という日本映画。ラストシーンでは空撮かクレーンショットかは記憶の中では混沌としてわからなくなっているんだけど、国鉄横須賀駅を俯瞰で撮ってる絵があったんですよ。1961年ころの横須賀駅の駅前。人でごったがえしている。最後生き残った主人公の吉村実子がどこかへ旅立つというようなラストだったのかな。
するとすると横須賀駅は階段を昇り降りすることなく改札を入って段差なしにプラットホームに行けてそれで上り下り両方の横須賀線に乗れたなぁとか、電車の中から横須賀の米軍の軍港が見えるロケーションだったなぁとか、そんな映画とは無関係な記憶がいろいろ連想されて想い出したりもするんです。そういうのが面白いと思って。 19/7/19(波照間エロマンガ島)

俺はYouTubeとかで時々昔のニュース映像を観る。
内容よりも街の風景とかを観る為に。 19/7/19(石川浩司)

「勝手にしやがれ」〔1959年 ジャン=リュック・ゴダール監督作品〕といえば、ほぼ無断でこの映画をパクッていると思われる「紅の流れ星」〔1967年 日活・舛田利雄監督作品〕という日活のアクション映画が好きでした。ラストシーンはほぼまったく同じで、主役の渡哲也は銃で撃たれ自分で帽子をずらして顔を覆い死にますが、ここなどジャン=ポール・ベルモンドが自分の手でまぶたを閉ざして死ぬシーンとそっくりです。

ブログに書き起こしたこの映画で好きな科白。男・渡哲也、女・松尾嘉代。

ところは神戸。高台の洋館、港の見えるサンデッキ。夏、昼下がり。

「五郎、好きよ」
「暑いなあ、ウィスキーあんだろ」
「ねえ、愛してる?」
「水割り作ってくれや」
「愛してるの?」
「コーラでもいいんだ。喉が渇いたよ」
「愛してくれてないの?」
「コーラの栓抜いてくれよ」
「好きな人ができたんでしょ」
「氷のかちわりでいいからくれや」
「嫌いになったの?」
「飽きたのさ。この神戸って街も、ダチにも、女にもさ」
「やっぱり嫌いになったのね」
「違うなあ、飽きたんだ。朝が来れば日は昇る。日が沈めば夜になる。今日がそうなら明日もそうだ。あさってだっておんなじだろう。それがやりきれない。どうにかならねえかなあと思う。どうにもならない」

こういう気障っぽい嘘くさい科白を渡哲也が言うと、アウトローの虚無感が出て映画の感興がすごくかっこよくなるんです。大好きな映画でした。

http://rive-gauche.jugem.jp/?eid=124#kurenai     19/7/30(波照間エロマンガ島)

でも「嫌いになったんじゃない、すべてに飽きた」ってちょっと分かるなあ。いいシナリオだね。 19/7/30(石川浩司)

その『小さな恋のメロディ』ですが子供たちがぱっとクモの子を散らして去る時「最後のやーつ、ホーモ!」というセリフがありましたわ。今じゃできないー。
『勝手にしやがれ』はやたらポストスタンドで買った新聞を読みながら、タバコをモクモクと人前でふかしていた映画でした。 19/7/30(わいわい)

これから表現もどんどん規制されていくんだろうね。アダルトものの「18禁」みたいに、差別的表現が含まれてることを事前に知らせることによって、広がりのある表現が阻止されない方法が確立すればいいのに。ヘイトはまた別で。 19/7/30(石川浩司)

波照間エロマンガ島です、こんにちは。
2006年2月6日、スティーヴン・スピルバーグ監督作品『ミュンヘン』を映画館で鑑賞しました。
1972年のミュンヘンオリンピック期間中にパレスチナゲリラが選手村を襲い、イスラエル選手を人質にとって籠城し、警官隊との銃撃戦の末にゲリラ・人質・警察官合わせて15名もの死者を出した「黒い9月事件」を題材にしています。事件当時わたしは10歳の小学4年生でしたが、ニュースで人質をとり立て篭もった選手村のテレビ映像を鮮明に記憶しています。

映画ではこの事件の模様に加え、その後イスラエルの諜報機関モサドが暗殺部隊を結成し、テロ実行犯の黒幕を世界中に追いつめるというフィクション部分を描いていました。スリルとサスペンスに満ちた展開で衝撃を受けました。

〔以下、映画鑑賞直後に記したメモ〕
見終わって30分、じわじわとボディーブローのように効いてきました。この鑑賞後感は言葉になりにくいです。心揺さ振られていることだけは確かです。

これは近い過去に起きた現実の出来事に取材しているけれど、サスペンススリラー映画として大傑作だということですね。銃火器は映画と相性が本当によいと、黒澤清が北野武を論じたときに語っていましたが、映画の中に銃が小道具として持ち込まれた瞬間に映画の容貌が変化し、全篇に異様な緊張感が張り巡らされ映画特有の何かが付け加えられ劇が引き締まる、みたいなことを実感しました。 西部劇をわれわれが愛するのは、撃ち合いがあるから、出演者がガンベルトをしているから、という説です。 もちろん私は現実世界での暴力や殺人、テロリズムを肯定する立場をとりません。 

まず撮影が素晴らしいと思いました。 
1972年を描くということは、1972年のファッションや自動車などを登場させればいいというものではなく、光線やフィルムの質感、照明など、映画の技術面でも「1972年的なもの」の再現がなされなければならず、それはものすごく成功していました。映画の歴史としては、1970年代の初めにテクニカラー社の染色転写プリントの現像方式が終焉を迎え、イーストマン・コダック社の「イーストマンカラー」(ケミカル現像)がハリウッドメジャーに採用され、映画の色彩が変化する過渡期にあたります。その感じがすごくよく出ていました。

あと途中出てくる暗殺シーンに自分がかつて読んだ本のシーンを引用している箇所を発見しました。サヴィンコフ「テロリスト群像」に出てくる、セルゲイ大公暗殺シーンで夫人と子供がその近くにいてテロリストが爆弾を投げるのを躊躇したエピソードを、スピルバーグは使っていることに気がつきました。〔メモ、ここまで〕

そう、映画の色彩が変化した1970年代前半の「イーストマンカラー」風の色彩をこの映画はうまく表現していました。それ以前の1960年代後半まで「総天然色」と言われハリウッドで隆盛を誇った「テクニカラー」の極彩色の映像とは断絶した、くぐもった映像が映画の暗いムードとぴったりと合致していました。

映画のラストシーンに曇り空のニューヨークを主人公が歩くロングショットがあるのですが、遠景には2001年9月11日の同時多発テロにとって倒壊した世界貿易センタービルがCGによって合成されたことに、世界中で賛否両論の議論が沸き起こりました。スピルバーグが1972年の「黒い9月事件」と2001年の「同時多発テロ事件」を関連づけているのではないかということで。しかし、初めてこの映画を鑑賞した2006年から13年経ち今もう一度この映画を観ていると、きっと違う感想が起こってくるのかもしれないとも思います。そんな、映画「ミュンヘン」のラストシーンについて、でした。 19/8/16(波照間エロマンガ島)

考察がすごいね。是非もっとメジャーな場所でもいろんな評論書けたらいいね。 19/8/16(石川浩司)

「コンタクト」〔1997年〕。地球外知的生命体との「コンタクト」を描いたこの作品。いろいろな事件があり、そして主人公のジョディ・フォスターは元のニューメキシコにある天文台の施設に戻り研究生活を再開する。空を見上げるジョディ、そしてエンドタイトル、この映画製作前に逝去した原作者のカール・セーガンへの献辞につながっていく。何度この映画を観てもこの瞬間に魅了された。背後では実際には鳴いてないが虫の音が聞こえるような余韻があった。 19/9/12(波照間エロマンガ島)

死と宇宙って繋がっている気がするものね。
死んだら別の星で生まれ変わるということもあるんじゃないかと。 19/9/12(石川浩司)

中学2年のときにロードショー公開で観た映画「ウィークエンド」〔1976年、ゴダールの同名の映画に非ず〕。いわゆる「レイプリベンジ物」というのでしょうか。
ブレンダ・バッカロ演じるモデル風のセクシー美女がスポーツカーを運転し彼氏と一緒に郊外をぶっ飛ばしている。とそこにイケテない糞チンピラ4人組が登場し、二人をからかおうとするもそれをものともせずに振り切る。到着した湖のほとりの別荘にさっきのチンピラが追ってきて彼氏を惨殺、そのままセクシー美女を拉致しレイプ〔未遂?〕。そのあとこの美女がひとりでこのチンピラどもをあらゆる手段で復讐殺害するという、ストレス発散系映画。詳しい内容は忘れましたが映画が始まり、これから映画で起こることは中学2年の少年でも簡単に想像でき、しかもはたしてそれがその通り起こり、そこから美女の復讐で全員殺すというエンディングまで一気に疾走していく映画でした。映画を観終わったあとの衝撃感はすごかったです。

一箇所だけ気になったのが、ラストシーンで主人公がチンピラどもを全員殺して別荘をあとにするときに、フラッシュバックのようにチンピラのリーダー格の男のストップモーションショットが挿入されていたこと。もしかしたら、この男には特別な恋愛感情をもっていた、つまり「和姦」だったんじゃねぇのか、と一瞬思わせるショットがインサートされていて、14歳のわたしは妙に変な気分になったことを思い出しました。あと、チンピラたちが別荘にやってきたときにそのひとりが「ぷっぷっぷー」と音の出る放屁をしたんですね。そのとき「外人でも屁をこくんだ」と感心したことを覚えてます。それはわたくしが初めて外人が屁をこくところを見た聞いた瞬間だったのかもしれません。

しかしながら当時「リップスティック」とか「わらの犬」とか、同趣の映画が何本もあり40年以上経ち自分の記憶の中でストーリーが混ざり合っていることも事実です。でも思い出そうとすればまだまだ印象的なラストシーンはありそうだと思いました。そんな想い出の映画のラストシーンでした。 19/9/17(波照間エロマンガ島)

思った通りになる快感ってあるよね〜。 19/9/17(石川浩司)

「ブルーベルベット」〔1986年 デヴィッド・リンチ監督〕のラストシーンのローラ・ダーンの崩れた顔の表情はとても印象的でした。人間が自我を失うとこんな顔になるのか、という衝撃を受けました。この映画を鑑賞した人は言外の意味を求め様々な感想を持つのだと思います。女優ローラ・ダーンといえばこの顔でした。それくらいこの瞬間だけで映画史に残るだろうという「顔」のラストシーンでした。 19/9/26(波照間エロマンガ島)

観てないや。なんか怖そう。 19/9/26(石川浩司)

まず大きな前提として。
「映画のラストシーン」とは、その映画のいちばんの見せ場であるクライマックスシーンであると同時に、映画館での暗闇体験の「もうすぐ終わり」に位置し、遠景には小さく光明が見えるか見えないかくらいのところにいるような、たとえれば夢の世界から現実の世界に戻ってくるための境界の時空間上に位置します。

1975年年末、日本初公開のスティーヴン・スピルバーグ監督作品「ジョーズ」を、わたくしは神奈川県川崎市川崎区の映画興行街ミスタウンにある川崎スカイ劇場にて鑑賞しました。ふだんはロードショー映画は渋谷か有楽町で観ることがほとんどだったのですが、そのときは何故か友人と連れ立って川崎に映画を観に行ったしだい。当時中学1年生でした。ちなみにこのミスタウンは戦前から映画興行街として有名で、1987年そのエリアに別個の建物だった複数の映画館を1つに収容したビルを建設し「チネチッタ」として再オープンしました。チネチッタは日本で最初のシネマコンプレックスと言われています。しかし「ジョーズ」鑑賞時は、まだチネチッタが完成する10年以上前でした。

「ジョーズ」本編が終わり、黒味のエンドロールがジョン・ウイリアムスの音楽に載せキャストスタッフの紹介の字幕が流れていきます。前述のとおり、今さっきまで観てきた映画の余韻に浸りながら、夢の世界から現実の世界にじょじょに戻っていきます。そしてついにはエンドタイトルも音楽も終わり場内の照明が明るくなり、映画は完全に終了しました。わたしたちは他の観客同様に客席前方の非常口から表に出ようと移動をはじめました。

映画館の非常口から外に出ると普通だったら建物の廊下になっていて入場時に通過した出入り口に戻るものだと当然予想したのですが、その川崎スカイ劇場は違いました。

廊下ではなく建物の外に出てしまったのです!!

川崎ミスタウンの映画館は廊下がなく、非常口の外にはすぐに建物の外部になっていたのです。これにはびっくりしました。わたしにとって映画「ジョーズ」の記憶は、この映画館の建物の構造の体験と一体化しています。初めて行った映画館でおそらく廊下があるであろうと予想していた非常口には廊下がなく、すぐに建物の外部に出てしまった。それは「どんでん返し」体験というか、映画のロビーでゆっくり「ジョーズ」の余韻に浸ろうと思っていたわたしの想いをぶち壊すに十分なサプライズだったのです。

そんな映画「ジョーズ」のラストシーンから映画館を後にするまでにした体験について、でした。 19/9/30(波照間エロマンガ島)

俺も「ジョーズ」は封切りで観に行ったけど、誰と、どこでとか何も覚えてない。
記憶力がズバ抜けてるね。もしくは俺の忘却力がズバ抜けてるか。 19/9/30(石川浩司)

スターウォーズ。やっと6まで見終わりました。7812345と見たのですが、6まで見るとまた7から見なきゃならないと思うのが不思議です。そしてまた678123・・・と永遠のループに。 19/9/30(わいわい)

そうなの?観たことがないから分からないや。 19/9/30(石川浩司)

19/4/2の追記。
たまたま最近BSで鑑賞した2000年製作公開の「ザ・セル」というサスペンスホラー映画に、このヴィンセント・ドノフリオが連続殺人犯の役で出演してたんですよ!!やっぱりこういう異常犯罪者の役にはオファーが来るんですね、この人。

でも今ひとつ盛り上がりに欠け、ラストシーンまでまったく満足しなかったのは、プロットの運びが下手くそでちっとも怖くなかったことにつきるのですが。もっとスタッフたちにとことんこだわる情熱と才能があれば、もっとずっと面白い映画になったはずだと残念至極な感想でした。同趣の映画「羊たちの沈黙」のような後味の悪いどよーんとした終わり方を期待していたのですが。

あ、そうだ、ちょっとしたシンクロニシティーを感じたのは、18/12/8に「私のまわりのおバカさん」(43)でとりあげたアートディレクターの石岡瑛子さんがこの映画の衣装デザインを担当しているということ。詳しくは言えませんが、登場人物の脳内にトラウマを形成している地下牢のような場所があり、そこに巣食うグロテスクな化け物怪人たちが身につけてる服が石岡さんデザインで、そのシーンのアートディレクションだけは素晴らしかったと感心しました。アート写真家のジョエル=ピーター・ウィトキンの世界に近かった印象。

*ジョエル=ピーター・ウィトキンはアメリカ在住の写真家。その作風は、死、死体(ときどきバラバラ死体)、小人、性転換者、両性具有者などのアウトサイダー、畸形の人たちを被写体に、それらを宗教的なエピソードやクラシック絵画を彷彿させるオブジェや小道具と組み合わせて、暗く薄汚れたセットを背景に、ひとつのイメージにまとめあげるもの。

以上、がっかりした映画のラストシーンからお口直しに別のホラー映画を観たくなったわたしでした。 19/10/8(波照間エロマンガ島)

畸形の人たちを神と崇めたてる部族もいるよね。 19/10/8(石川浩司)

「光る女」〔1987年 相米慎二 監督〕。1980年「翔んだカップル」で監督デビューして以来、日本映画界を牽引していった相米慎二監督の第8作目。演技未経験の新日本プロレスのプロレスラー武藤敬司を主役に大抜擢し、秋吉満ちるとのコンビで製作した。劇場公開時に鑑賞した記憶があるのだが、2シーンしか覚えていない。

(1)水を排出している競泳用プールでの主役2人のセックスシーン。はじめは水がいっぱい張ってあるプールで愛撫しているのだが、水が無くなってくるとプールの底面で騎乗位ファックしており、時間的推移がよく描かれていた(2)ラストシーン、船の上でゲイ役の出門英〔ヒデとロザンナ〕が武藤敬司とキスしたりしてじゃれあっているシーン。

特に(2)は衝撃を受けたなー。筋肉質のふたりの男がくんずほぐれつハードゲイよろしくじゃれあっているのだから。でもその他のストーリー的な部分はまったくといっていいほど覚えていないのです。 19/10/18(波照間エロマンガ島)

へー、知らなかった。「翔んだカップル」は相当好きだったな。 19/10/18(石川浩司)

『大地震』〔1974年 チャールトン・ヘストン主演〕。ロスアンゼルスに発生した大地震とその惨事を体験した人間模様を描いたパニックサスペンス巨編で、1975年の正月映画として有楽町の映画館に観に行きました。この映画の最大の呼び物は「センサラウンド」方式という、地震を疑似体験できる音響効果で、題名にもなっている「大地震」が発生した瞬間に映画館が大きな震動が起こるのが当時話題になりました。実際の感覚としては、映画館の壁が数十秒間にわたり「びびびびびびび」というような音をもって震動していただけで、それほど驚きもしなかった記憶があります。この音響効果のみを売り物にしていたので、そのほかのストーリーなどはB級映画もいいところのずさんさで細部はまったく覚えていませんが、主演のチャールトン・ヘストンが奥さん役のエヴァ・ガードナーのほかに若い愛人と三角関係になっていてその修羅場が描かれていて小6のわたしはげんなりした記憶があります。
ラストシーンがしょぼかったー。余震が起こって建物の地下広場に避難していた登場人物たちが地上に逃げようと下水道を使って地上に上がってこようとするのですが、そこに大水が襲い、地上のマンホールに着く寸前のところで・・・、というシーンがあるのですが、その終わり方がこのパニックサスペンス巨編の締めくくりとしては「どうなの、このエンディングは???」と首をかしげざるをえなかったんですね。*あくまで個人の感想です。

チャールトン・ヘストンとエヴァ・ガードナーはこの映画の20年ほど前に製作された「十戒」でも共演していますが、エヴァ・ガードナーの老けぶりにはびっくりしましたね。「十戒」も子供の頃観ていて覚えています。小学生のとき、親に連れられてけっこうハリウッド映画の大作を観ているわたしでした。 19/11/14(波照間エロマンガ島)

この映画は観た記憶があるが内容は全然覚えてないな~。 19/11/14(石川浩司)

わたしは深刻なテーマを扱った社会派映画はあまり好みではなく、おバカコメディーやスーパーヒーローが活躍するアクション物、怪獣映画やSF映画などエンターテイメント系の映画を好む傾向があります。

『隣のヒットマン』〔2000年 ブルース・ウィリス主演〕にはアウトローが出てきますが、気楽に観られるコメディータッチの小品で大好きな映画です。この映画のラストシーンでは、ナイアガラの滝にほど近いレストランのテラスで登場人物の男女が女性ジャズボーカルのコンボバンドミュージックにのせてダンスしながらエンディングタイトルロールが流れるという、とても安らいだ気持ちにさせられるラストシーンなので、この話題378の「映画のラストシーン」に投稿しようと思いました。 主演のブルース・ウィリスは、なんだかんだいってほとんどの作品を観ているムービースターですが、観る度にだんだん頭髪が薄くなっていく〔現在つるっぱげ〕ので、その毛髪の総量でその映画の製作年代が測定できるという珍しいスターだと思います。https://www.youtube.com/watch?v=C6hQtnGqaiE

そんな好きな映画のラストシーンでした。 19/11/24(波照間エロマンガ島)

途中で伸びたら即バレな稼業だね。 19/11/24(石川浩司)

1995年に公開された映画「セブン」のラストシーンは、主人公ミルズ刑事(ブラッド・ピット)の妻トレイシー(グウィネス・パルトロー)の生首がダンボールに入れられているという衝撃的なものでした。
そして2017年のハロウィン、ダンボールを頭に被っただけで「セブン」のコスプレを完成させるグウィネス・パルトローが笑撃的でした。 19/12/14(テングザル)

突然段ボール。 19/12/14(石川浩司)

第2次世界大戦のヨーロッパ戦線における歴史的転換点となった連合国軍によるフランス・ノルマンディー海岸上陸作戦の長い1日を描いた『史上最大の作戦』〔1962年〕。久々に鑑賞しました。最大の激戦地帯だったオマハ海岸の攻防戦のシーンはあらためて戦争の恐ろしさを感じたのですが、ドイツ軍を撃破しコータ准将〔ロバート・ミッチャム〕が新しい葉巻をくわえて幌なしジープに乗り込み海岸をあとにするラストシーンは、やはりメインキャストのハリウッドスターたちは生き残るんだな、というご都合主義も感じたりもしました。まぁ娯楽映画だからしょうがないのでしょうけれども。 19/12/31(波照間エロマンガ島)

メインがみんなとっとと死んで「えっ、このエキストラみたいな人が残るの?」という映画観てみたいな。 19/12/31(石川浩司)

19/12/31の石川さん。アルフレッド・ヒッチコック監督は、この「メインスターは最後まで生き残る」という映画界の約束事を覆したことで知られています。
『サイコ』〔1960年〕は、メインキャストのある俳優が映画が始まり15分以内に惨殺されます。このシーンについて最大限のサプライズ/ショック効果を観客に与えるために、この映画は最初の劇場公開時に観客の途中入場を許可しなかったらしいです。観客を怖がらせるために生涯をスリラー映画を作り続けたヒッチコックの矜持を感じるエピソードであります。 20/1/21(波照間エロマンガ島)

他にも「約束事を覆した」映画あったら知りたいなー。
寺山修司の映画で、画面の役者がスクリーンを破って本当に出てくるというのもあったよね。なのでその映画はその役者が空いている時にしか上映できない。 20/1/21(石川浩司)

「貸間あり」〔1959年 川島雄三監督〕。30年以上前に一度観たきりだが、ストーリーを想い出そうとしてもまったく想い出せない。ただ癖の強い登場人物たちがあーでもないこーでもないと喋り合い、つばぜり合い、なんだかんだ言いながら画面を前後左右動き回る、そんな映画だった記憶がある。川島の弟子として初めて川島組に参加した藤本義一はこの「貸間あり」は、アパートの設計図を作るところから脚本作りが始まったと証言している。
井伏鱒二原作で映画のラストシーンで出演者の桂小金治に、丘の上から崖の下に立小便させて「さようならだけが人生だー!」と井伏の言葉を叫ばせていることだけは鮮明に記憶している。なんともくだらない、しかし人生の余韻を感じさせるラストシーンであった。 20/2/24(波照間エロマンガ島)

小便とは毎日さよおならしてるしね。 20/2/24(石川浩司)

わたしが日本映画で最高のラストシーンを記憶の奥底から召喚するならば、それは黒澤明の「七人の侍」でも小津安二郎の「東京物語」でもなく、溝口健二の或る作品を思い浮かべます。

「近松物語」〔1954年 大映〕 溝口健二監督、宮川一夫撮影、早坂文雄音楽、長谷川一夫・香川京子主演。

モノクロームフィルムに定着された映画としては史上最高の出来栄えではないかと個人的感想をもっています。元禄期の劇作家である近松門左衛門の浄瑠璃作品から材をとり映画化していますが、そこで生み出された世界観は、日本人に代々受け継がれてきた様式美の精神性の伝統の上にのり、溝口健二がまとめた奇跡の映画美がぞくぞく身体中の琴線をたえまなく刺激します。
不貞・不倫が露呈したら洛中引き回しのうえ磔獄門〔はりつけ・ごくもん〕という江戸時代の京が舞台です。そこである人妻とその人妻が嫁いだ大店の職人との道ならぬ恋の道行き。第三者の誤解から始まるいっしゅんいっしゅん変わる仲の展開に惹きこまれ、いつのまにか感情移入されてしまいます。
そのなかで真の情愛に目覚めた二人はもうどうなってもいいと開き直り結ばれ、お上に捕らわれ市中引き回しの馬に乗せられるときには町中の人たちに「なんてすがすがしい顔だちをしているんや」と驚かれて映画は終わります。好きなラストシーンです。演技演出美術音楽撮影すべてが最高の技量で作品に貢献していますが、特にわたしがすばらしいと感じるのは、早坂文雄の音楽。歌舞伎の下座音楽から着想していて、横笛や付け板など最高のタイミングで画面に挿入されていました。 20/3/8(波照間エロマンガ島)

最近観たのでは「モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン」の磔になった人々が充実した人生謳歌を歌うラストシーンが良かったな。 20/3/8(石川浩司)

内田吐夢監督、『真剣勝負』〔1971年 東宝〕。萬屋錦之介が宮本武蔵を演じた、内田吐夢の遺作。撮影途中で内田の体調が悪化し亡くなり、撮影済みのショットを75分の作品にスタッフがまとめた。ラストシーンは武蔵が敵と対峙するときの武蔵のクローズアップで終了する。
このラストシーンは妙に印象に残っています。物足りなさは感じず、この先の展開はなくても良いか想像で補えるよ、という「未完の美」を感じたのです。

時代劇スターとしての萬屋錦之介〔前名・中村錦之助〕は大好きです。歌舞伎界出身で家柄の低さにより出世をあきらめ、映画に転進し日本映画の黄金時代を堂々けん引しました。のちに日本映画の衰退によりテレビに映り、役者人生を全うします。錦ちゃんの映画をもっとたくさん観てみたいです。 20/3/31(波照間エロマンガ島)

そういえば亡くなった寅さんの新作映画も出たね。
今後もそういう映画いろいろ作られそう。残っている映像をつなぎ合わせ、さらにCG等駆使されるんだろうなあ。 20/3/31(石川浩司)

本ホームページの他の映画トピックで塚本晋也監督の『野火』〔2015年〕がとりあげられていたので、心の片隅に印象があったからでしょうか、最近衛星放送チャンネルで放映されたおり、初めて鑑賞しました。いやぁ面白かった。常に身体のどこかの五感を刺激させられ続ける映画でした。これは何度でも観たい作品です。ラストシーン・ラストショットについては、個人的な感想ですが悪食させられた虫料理の食後感をたえまなく意識させられ、その後味の悪さの意味についてこれから考え続けるだろうと思います。全編にわたり正視できないほどおぞましいイメージが漂う印象ですが、しかしラストシーンから振り返ってみると、そうではなく、人間の生きる意味と戦争についてストレートに問いかけられている正統派の作品の印象をもちました。 20/5/2(波照間エロマンガ島)

早くアマゾンプライムで観られないかな。 20/5/2(石川浩司)

昨日「翼よ!あれが巴里の灯だ」〔1957年〕を子供のとき以来久々に観たのですが、ラストシーンの記憶がほかの映画とすり替わっていることに気がつきました。この映画はご承知のとおり、1927年にチャールズ・リンドバーグが人類史上初めて大西洋無着陸横断飛行に成功した出来事を描いた伝記的映画です。つまり、ほとんどすべての観客は、この大西洋横断飛行の結果が成功に終わることを知っている。さまざまな困難を経てアメリカからフランスまでを飛行するリンドバーグが、過去パイロットになるまでの成長期を描いたり、このプロジェクトにたどりつくまでのエピソードを描いたりして、映画は進んでいきます。わたしは安心して映画を楽しんでいました。予定調和が約束されている映画が気分的に楽な場合もあるんですね。

しかし、リンドバーグがパリ郊外の空港に着陸するシーンは子供の頃に観た記憶とは何故か違っていました。リンドバーグは夜のパリ郊外の空港にひっそりと着陸すると、滑走路をとぼとぼ歩き「英語のわかるはいませんか?」と話しかけ、そしてようやくパリの人たちにアメリカから無着陸で横断してきたことを知らしめるという内容を記憶していたのですが、この映画ではそうではありませんでした。空港に今か今かと待ちわびた10万人以上の大観衆が、着陸したリンドバーグを大歓声で出迎えるという筋立てになっていました。あれ?記憶と違うぞ、と。

しばらくすると、わたしは勘違いしたことに気がつきました。わたしが記憶していたのは、ジャン・ルノワール監督の「ゲームの規則」という作品〔1939年〕だったのです。こちらの映画にもリンドバーグと同じく大西洋を無着陸で横断してきた登場人物が出てきたのです。記憶がごっちゃに混ぜあわさってしまってました。人間の記憶の不確かさを実感した映画のラストシーンの話でした。そんなこともあるんですね。 20/6/13(波照間エロマンガ島)

さらにすごいピアノを弾かなかった!? 20/6/13(石川浩司)

石川さんも最近ご覧になったという「吸血鬼ゴケミドロ」〔1968年 松竹〕のラストシーン。
日本映画には珍しく、悪の地球侵略者を倒してハッピーエンドではないところが、気に入りました。地球滅亡を想起させるところで映画が終わるのは、観客に想像力を刺激する「余白」を与えていて詩情を感じました。のちに推理作家に転進する松竹文芸部員の小林久三が編み出したプロットが優秀だったのかな。そんな好きなラストシーンの映画でした。クエンティン・タランティーノもこの映画が好きだそうです。 20/6/19(波照間エロマンガ島)

この手の映画はそんなに観てないのだが、これは割と初期の画期的な作品だったようだね〜。 20/6/19(石川浩司)

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」。2019年公開、クエンティン・タランティーノ監督、レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット主演。
1969年のハリウッドを舞台にした実話を基にしたフィクション映画。これはタランティーノの中でいちばん好きかもしれないです。特にラストシーンは最高の終わり方でした。映画の余韻が本当に素晴らしい。ネタばれになるからいっさい書きませんけれども、1969年に世界を震撼させたある大事件をネタにしていますが、そこにタランティーノ独壇場の大どんでん返し。これはこれから何十回と観ていく映画だろうと思います。「1969年あるある」がふんだんに盛り込まれていて、わたしの好きな話題が多くつまっていました。 20/7/14(波照間エロマンガ島)

うわ、気になるなあ。早くアマゾンプライムに降りてこないかな。 20/7/14(石川浩司)

『チャンス 〔Being There〕』 〔1979年 ハル・アシュビー監督〕。
今から40年近く前、大学1年時の英語の授業でD先生が勧めてくれて鑑賞したこの映画のことをふと思い出しました。コメディーの皮はかぶっているけれど、けっこう考えさせられる作品だったような。でもほとんど内容は忘れてしまっていました。イノセントともいうべき無垢な庭師の主人公のチャンス〔ピーター・セラーズ〕が、世の中の経済人・政治家などの大物といわれる人との対話で「はい」とか「そうですね」とか植物の薀蓄を答えているだけなのにそれを金言のメタファーだと勘違いされ、あれよあれよというまにまつり上げられて、その国のオピニオンリーダーになってしまうお話。
ラストシーンはまた格別な感興をもたらしてくれました。どんな映画だったのか細部を思い出そうと映画評論家のM山氏の「20世紀名作映画講座」〔You Tube〕の解説を観ると、重層構造をもつとんでもなく深い映画だったことを知りびっくりしたしだいです。この作品は、40年後の現在の状況を予言している作品ではないか!  この映画も今回話題45の「B級映画」で紹介した「クロコダイル2」とともに、再度鑑賞してみたい映画のリストに付け加わりました。 20/8/29(波照間エロマンガ島)

最近、数十年ぶりに観る映画も多いのだが、細部の記憶が結構違っていることに気づく。いいかげんな海馬。 20/8/29(石川浩司)

「ビリーブ 未来への大逆転」〔2018年 ミミ・レダー監督 フェリシティー・ジョーンズ主演〕。何の前情報もなしに鑑賞。するとオープニングに「この映画は事実に基づいている」と大きく字幕が。実在の人物の伝記映画なのかも、と想像。
映画は1950年代ハーバード大学法科大学院の入学式のシーンから始まる。主人公のルース・ベイダー・ギンズバーグ〔女性〕が講堂に入ると、そこには男性ばかりで女性生徒は全体でわずか9名しかいない。学期が始まると学部長はじめ教授たちはあからさまな女性蔑視の態度をとりながらも、ルースは勉学に打ち込み優秀な成績で進級する。
卒業後ルースはニューヨークの法律事務所で働くために就職活動をするが、主席で卒業したのに彼女を雇用する法律事務所は皆無だった。厚い男女差別の壁に阻まれて彼女は一時弁護士として働くことを諦め、教育者として大学に就職する。
1970年代、アメリカでは人種差別、男女差別撤廃への運動が盛り上がり、ルースも対アメリカ合衆国への制度不備の裁判の弁護を担当するようになる。そのひとつの史上初の男女平等裁判に挑んだ裁判で初めて原告の訴えを国に認めさせて勝利する。
映画のラスト、家族のサポートに感謝し、ルースは歩き続ける。最高裁判所の階段を上がっていくと、そこで現在80余歳のルース・ベイダー・ギンズバーグに人が入れ替わって映し出される。なんと彼女は、1992年に全米史上二人目の最高裁判事として指名され、2020年9月現在もその任に立っている実在の人物だったのだ。そしてエンドタイトルロール。

わたしは寡聞にもルース・ベイダー・ギンズバーグ判事のことをこの映画を観るまで知らなかった。そのあとすぐに彼女の半生を描いた「RBG 最強の85才」というドキュメンタリー映画も連続して鑑賞し、この2本の映画でアメリカにはこんなにすごい女性がいるのか、と感嘆した。「RBG」というのは「Ruth Bader Ginsburg」の略で、アメリカ社会では「RBG」はリベラル派の国民からスーパーヒーローなみの人気をもつ人だとのこと。アメリカでは最高裁判事は9人いて、終身制で自分が引退を決めることができるのだが、87歳の現在まで現役であるのは、共和党のトランプ政権にも関係あるとのことで、RBGが引退すると共和党系の判事が入り、9人のバランスが変化してしまい、難しい裁判での多数決に影響を与えるから、と説明していた。
とてもインスパイアーされた。アメリカという国はいろいろ問題はあるけれども、こういう人が法にそって戦い、民主主義を前進させているんだ。映画のラストシーンで本物のRBGが歩くショットはサプライズでかつ感動したなぁ。こういう人現実にいるんだな、と思いました。 20/9/12(波照間エロマンガ島)

日本ってそういう人、出にくいよね。元々そういう意思があってもまわりによって潰されちゃう国というか。 20/9/12(石川浩司)

20/9/12の追記。
と思ったらルース・ベイダー・ギンズバーグさん逝去の報がはいってきました。裁判の口頭弁論などの音声が多く残っているので、これからの名演説としてくりかえし引用されることになるかもしれないと思いました。これから彼女の関わった裁判記録を調べようと思います。R.I.P。 20/10/4(波照間エロマンガ島)

引用も誰が編集するかによってイメージは大きく変わるよね。 20/10/4(石川浩司)

Dawn Of The Dead〔邦題『ゾンビ』 1978年 ジョージ・A・ロメロ監督〕
ショッピングセンターでゾンビたちとの凄絶な死闘の末、屋上にあるヘリコプターでようやく脱出する主人公たち。追ってきたゾンビが無言でヘリを見上げる。そのときの朝焼け雲がとてもきれいだった。。。そのショットで映画は終了しタイトルロールへ。ショッピングセンターのスチルショットに重なりとつぜん場違いな楽天的なチャールストン風の音楽が流れる。
ヘリには燃料はほとんどないし、ここでゾンビたちからは辛うじて逃げられたけれども、登場人物たちの運命が絶望的なことは容易に想像できる。でも、ひとにぎりの希望が感じられ、すがすがしい気分になったことも確かだ。ゾンビ映画はこのあと何本も観たけれど、この映画のラストシーンがいちばん好きかな。
映画監督の黒沢清いはくこの映画は「アクション映画とホラー映画の野合した大傑作」とのこと。わたしもそう思います。 20/10/17(波照間エロマンガ島)

ゾンビ映画って好きな人は片っ端から制覇していくよね。俺はほとんど観たことない。これからがんばって死体見まっす。 20/10/17(石川浩司)

『緋牡丹博徒 お竜参上』〔1970年 東映・加藤泰監督、藤純子主演〕。 藤純子をヒロインにキャスティングし大ヒットシリーズとなった「緋牡丹博徒」シリーズ第6弾。菅原文太をゲストに迎え、本作でもお竜が悪党を斬りまくる殺陣シーンが炸裂する。浅草十二階こと凌雲閣を模したセットでのラストシーンのラストショット、ストップモーションで首をひしゃげた瞬間のお竜の静止画が絵画的で本当に美しかった。



2012年11月に拙ブログでこの作品の思い出を書いたところ、ちょうど同じ時期にアップロードされたニヒル牛マガジンの表紙漫画「京女 VS モガ」〔エーツー2コ・作〕において、淺井カヨ女史が「浅草十二階!!」と絶叫しているのを見て、シンクロニシティーを感じたしだいだ。 20/10/24(波照間エロマンガ島)

凌雲閣、行ってみたかったなあ。 20/10/24(石川浩司)

20/10/24の石川さん。
2019年度NHK大河ドラマの「いだてん~東京オリムピック噺~」でも浅草凌雲閣はドラマのランドマークとして登場しました。とくに1923年9月1日の関東大震災では半壊した凌雲閣が描かれており、災害の悲惨さをよく描いていました。 20/11/10(波照間エロマンガ島)

まあ東京タワーができる前の東京のシンボルといった感じだね。 20/11/10(石川浩司)

20/11/10の石川さん。現在大ヒット中の「鬼滅の刃」にも浅草十二階が出てくるらしいですね。わたしは漫画もアニメもまったく観たことありませんが。いつか作品に接するときが来る日を楽しみにしています。 20/11/19(波照間エロマンガ島)

俺もこれだけ騒がれてると・・・見る気が失せちゃう(笑)。
あんまりみんなが話題にしなくなった頃にコッ~ソリ見てみようかな。 20/11/19(石川浩司)

映画のラストシーンの話ではなくてすみません。ラストシーンを過ぎ、映画が終わりタイトルロールが流れ、そして映画が終了しました。わたしはほかの観客とともに席を立ち上がり、横手の出口から退場しました。

そのときわたしはベルナルド・ベルトリッチ監督作品『ラスト・エンペラー』〔1987年〕を観終わったのでした。渋谷東急パンテオンのロビーにはたくさんの観客がいました。その中ひときわ目立つ中年男性のお客さんを発見しました。

その人は人目はばからず号泣していたのです!!

わたしは驚きました。確かに名画だと思ったけれど、号泣するほどの内容だったか。確かに清国最後の皇帝として生まれ、その一生は常に運命に翻弄され続けた波乱の人生を生き、最後には庭師として生涯を終えた愛心覚羅 溥儀〔アイシンギョロ・プーイー〕。
その最後の皇帝の人生を描いた作品だったわけですが、彼の号泣の答えはわたしにはわかりませんでした。
しかしながら人にはいろいろな感受性があるのだろうな、とは思いました。まぁ彼の号泣によってずいぶん映画の感想が冷めてしまったことも事実でしたが。そんなことを思った「ラスト・エンペラー」鑑了後に見かけた人の話でした。 20/11/26(波照間エロマンガ島)

単に映画の途中で女性に振られて先に帰られてしまっただけだったりして。 20/11/26(石川浩司)

昨日「青い山脈」を見終わりました。長かったー。1949の原節子版です。ラストで気が付いたこと書きます。
・船から男三人がからかうようにカップルへ向かってリンゴの芯を投げる。それを投げ返す。口論。そのあと喧嘩へ。これって1933年の早慶戦「リンゴ事件」のオマージュではないでしょうか。
・「青い山脈」といえば自転車で丘を滑走するシーンが良く使われますが、そのあとのカップル三組。先生同士、六輔と原節子、眼鏡ちゃんと文学青年。リンゴを食べながら求婚や告白をする。これ、TBS「ふぞろいの林檎たち」の何作目だったかは忘れましたが、ラストシーンで使われましたよね。同じリンゴだし。

リンゴはいろんな象徴として使われやすい果物なのかもね。バナナだといろいろ別の意味がついてくるしね。 20/12/26(石川浩司)

アンドレイ・タルコフスキー監督の遺作「サクリファイス」〔1986年〕。54歳の若さで異国の地で客死したタルコフスキー。この映画はスウェーデンの田舎町を舞台にした、人類滅亡前夜を描いた作品でした。神への祈り、愛と魂の救済、人間の尊厳など重厚なテーマが語られていきます。初めて体験したのは大学生の頃でしたが、鑑賞しながら難解なメッセージの意味をどう捉えるか、いろいろなことを考察しました。しかしまったく映画に乗ることができませんでした。最近観なおしてみて、ぐいぐい内容に惹きこまれとても深いメッセージを感じ取ることができました。そして、あることに気づきました。
ラストシーンの主人公の住まう家の火事のシーン。実際に建てた一軒家が燃えて建物が焼け落ちてしまうのですが、実はこのシーンの前のシーンからの接合に何か違和感を感じていたのです。
するとなんと、その火事のシーンを最初に撮影したときにムービーキャメラが作動せずにまったく撮影されてなかったので、もう一回セットを組みなおして火事のシーンを撮影したんですって!
無意識で家を2度建てたという異常事態を感じていたのかもしれない。この2回家を建てて2回家を燃やしたという事実に、この映画の肝があると感じました。あくまでも映画を観終わったあとに資料を読み、その事実を知り個人的に感じた感想です。そういえば、この映画を観ているうちにどうしても黒澤明の「生きものの記録」という映画を想起してしまったのですが、その映画からの影響を感じ続けながら最後の火事のシーンを観たということは、これはタルコフスキーの黒澤へのオマージュが加わっていて、黒澤明というもうひとりの映画作家もこの作品の魂に付け加わった印象をもちました。「生きものの記録」にも主人公の住む家〔工場〕が主人公の放火によって焼け落ちてしまうシーンが描かれていたのです。
そんなタルコフスキーの遺作のラストシーンについて、でした。 20/12/26(波照間エロマンガ島)

今はCGで何度でも焼けて便利になった...。 20/12/26(石川浩司)

最近BSでSF映画「首都消失」〔1987年 東宝〕を鑑賞しました。劇場公開時に予告CMを見て面白そうだなと思ったが観なかった作品。レンタルビデオ時代になってもなぜか触手は伸びませんでした。
原作は小松左京で、彼の作品の中で好きだった短編「物体O〔ぶったい・おー〕」に設定が少し似ている気がしました。ある日首都東京が原因不明の「・・・」によって消失してしまう事態に陥り、それをその外部にいる人たちが力を合わせて「・・・」する、という映画です。映画にリアリティーをもたせるために特撮をばんばん使っていて、1987年当時の東宝特撮陣の技術をうかがい知ることができます。ラストシーンはしょぼかったけどまぁ許せたかな。場所の特定はしてませんけど、たぶんお正月の箱根駅伝でお馴染みの横浜市保土ヶ谷区の国道1号線権太坂付近だとおぼしいです。主演の名取裕子さんはがんばって演技してました。この頃29歳でいちばん脂ののりきっている頃でしょうか。
ちょっと気になったのは、同じ小松左京作品の「日本沈没」にも出てきましたが、箱根山中に政界を引退した「元老」みたいな老人が出てきて現政権の権力者に意見するシーンが出てくるところ。ああいう人物を登場させる想像力は小松左京特有のものですが、わたしはあまり好きではないです。日本の表社会も裏社会も支配する日本のドンがいるみたいな設定は、安っぽい陰謀論臭がするんですね。時代が経ってから観るととたんに嘘くさくなります。
そんな映画「首都消失」のラストシーンを含む感想でした。 21/1/15(波照間エロマンガ島)

去年は400本以上映画を観たけどこれは未見だな。ネットにあったら観よう。 21/1/15(石川浩司)

今年一年見た映画(アニメ、テレビを除く)

洋画「七年目の浮気」「未知との遭遇」「月世界旅行(1902)」「月世界征服」「スターウォーズ1・2・3・4・5・6・7・8」
邦画、男はつらいよ「忘れな草」「ハイビスカスの花」「知床旅情」「紅の花」、「網走番外地」「野生の証明」「ほっぽや」「幸せの黄色いハンカチ」「遙かなる山の呼び声」「駅STATION」「嵐が丘」「君の名は(1953)」「青い山脈」「影武者」「羅生門」「生きる」「三匹の侍」「隠し砦の三悪人」(もっと見たかもしれないけど)。もっと見たと思いますがあとで書き足します。
その中で最高のEDは「影武者」。ありゃ凄いよ。同じ山田監督の「遙かなる山の呼び声」のEDと「寅さん知床旅情」のさくらさんが同じ網走本線の網走駅直前に乗っていたりしてニヤリとしました。 21/1/15(わいわい)

関係ないけど昔網走のお寺でライブをやって、宿泊先がオンボロ旅館だったんだけど、直前にニスを大量に壁などに塗ったらしく、シンナー中毒のように気持ち悪くなった思い出。 21/1/15(石川浩司)

『甘い生活』〔1960年 フェデリコ・フェリーニ監督〕のラストシーン。夜通しの乱痴気パーティーのあと夜が明けてもまだパーティーは続き、近くの海岸に打ち上げられたマンタを見物しにいく主人公たち一行。まわりの輪から離れ、ひとり砂浜でまどろんでいる主人公マルチェロ・マストロヤンニ。するとそこに砂浜の向こう側で以前出会ったことのある少女が手を振っていることに気がついた。少女は一所懸命身振り手振りで主人公に何かを伝えようとするが、波の音が大きくて主人公には伝わらない。結局、主人公とコミュニケーションできなかったが少女の微笑の表情は、観客にいろいろな感興の想像をさせて映画全体フェイドアウトしていく。

以前読んだジェイムズ・モナコの『映画の教科書 どのように映画を読むか』ではこのシーンを記号論的に分析していたが、何と書いてあったか忘れてしまった。しかしわたしなりに感じたのは、波の音に消されている少女の動作がバレエを見ているように可愛らしかったこと、主人公のマルチェロ・マストロヤンニとこの少女がカットバック〔切り返しショット〕という映画特有の話法で何かの会話をしていること、そして決定的なのは会話の内容の意味は観客にゆだねられていること。これらを同時に表現したフェリーニの映画作法に感動したことだけは覚えている。3時間になんなんとする大作はそうやってゆるやかに終わりを迎える。イタリア映画はこの頃はまだすべて同時録音はなくアフレコで音響を作ったはずなので、このシーンもポストプロダクションですべての音響を作成したのだろう。見事に映像と合いまった奇跡的なシーンが生成されていたのであった。 21/2/23(波照間エロマンガ島)

老人俳優って味のある人が多いよね。というか若い時からずっと活躍してるから老人になっても仕事が来るのか。 21/2/23(石川浩司)

21/2/23の石川さん。「甘い生活」出演時のマルチェロ・マストロヤンニは、まだ30代半ばの中年前期の俳優でした。その後長期にわたって世界中の映画に出演し、イタリアを代表する俳優として活躍、1996年に72歳で生涯を閉じるわけですが。日本の化粧品のCMにも長年出演しお馴染みでしたね。
そのマルチェロ・マストロヤンニの晩年の主演作として、わたしが好きな映画がありました。「プレタポルテ」〔1994年〕。ロバート・アルトマン監督作品です。パリのファッション業界を舞台にしたオールスター群像劇コメディーで、あれこれ大騒動の末のラストシーンの落ちは馬鹿馬鹿しくて思わず笑ってしまいました。 21/3/1(波照間エロマンガ島)

老人だと思っていた人が意外に若かったりすることってあるよね。
ずっと老人のイメージだった高田渡の享年より既に3歳も自分が年上だという驚愕。 21/3/1(石川浩司)

『異聞猿飛佐助』〔1965年 松竹 篠田正浩監督〕。安土桃山時代末期、時代は豊臣から徳川の世に変わりつつあった。大阪冬の陣の数年前、諸国情勢を探るべく暗躍していた真田幸村の手の者である猿飛佐助が、大阪方の陰謀をめぐり徳川方の闇の勢力との熾烈な闘争を描く。主役の猿飛佐助役の高橋幸治の一途な性格がカッコよかったのと、忍者や捕り方との殺陣の見事さ、脇役陣の豪華さなど、意外に面白かったです。
驚いたのは2019年8月にホルモン鉄道1泊ライブで訪れた、温泉旅館のすぐとなりにあった諏訪大社が舞台となっていたこと! おー、行ったことある場所だー! と画面に向かって思わず叫びました。
あれこれ激しい展開のあとラストシーンのラストショットは超意外な展開で、特別出演の某作家〔このときまだ30代前半、その後政治家に転身し東京都知事になるあのお方〕が忍者の装束で主人公の前に現れる、ここは笑えた! 石川さんよかったらどうぞ。 21/3/12(波照間エロマンガ島)

へー、時代物はちょっと苦手なのだが機会があったら観てみよう。 21/3/12(石川浩司)

「ターミネーター:新起動/ジェニシス」〈2015〉、「ターミネーター:ニューフェイト」〈2019〉のクライマックスシーンの決め台詞。
どちらもシュワルツェネッガーさんのセリフが感動的でした。

〈以下、ネタバレ注意〉
2015年の物は「カイル・リース、俺のサラを守ってくれ」
自分が面倒を見てきたサラ・コナーに対し、愛情が確かに芽生えてきたことを如実に顕したセリフでした。

2019年は「ジョンのために」
このシュワちゃんがジョン・コナーを殺してしまったのですが、人間と付き合う内に、ジョンを育てたサラ・コナーの気持ちを知り、ジョンを殺してしまった償いをしたい、という気持ちが芽生えてきたことが感動的なセリフでした。

2019年の方はあまりヒットとしては芳しくなかったとのことですが、やはりターミネーターは特別な作品だと思いました。
サラ役のリンダ・ハミルトンさんが復帰したのも良かったです。 2021/3/19(Sankaku)

有名作品はなかなかアマゾンプライムに降りてきてくれなひ。 2021/3/19(石川浩司)

映画のラストシーンで強烈なのをひとつ忘れてました! 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」〔2000年公開、ビョーク主演〕。これは後味が強烈に悪い、でも忘れられない作品ですね。もしかしたらこの映画、好きかもしれないぞ・・・、と思いはじめたらもうこの映画のトリコ仕掛けに陥っているわけです。いっさい内容は語りませんが、未見の方は死ぬまでに一度は見てほしい映画です。  2021/3/26(波照間エロマンガ島)

観た。本当に今まで観た映画でもっとも後味が悪かった...。それはそれで記憶に残る映画だね。  2021/3/26(石川浩司)

「アニマルマン」〔2001年〕。主人公のロブ・シュナイダーの役名がマーヴィン・マンジといい、英語表記でMarvin Mange。物語最後に出てくる彼の牧場が「Mange Factory 」という名前なのは思わずローマ字読みしそうになり焦ってしまった。主人公が牧場の敷地に車で入っていくショットがあって、そこに立っていた看板が「まん毛牧場」と読めてしまったのだもの。別の意味で笑ったラストシーンでした。 2021/4/29(波照間エロマンガ島)

ヘンリー王子、新たな役職名「CHIMPO」も最近笑ったニュースですな。 2021/4/29(石川浩司)

「宇宙戦争」〔1953年 ジョージ・パル製作 バイロン・ハスキン監督、H・G・ウェルズ原作〕。子供の頃観た記憶があるがストーリーなどまったく忘れていたので、何も考えずにゼロから鑑賞した。宇宙船が隕石のように次々と飛来し、地球文明を攻撃し破滅近くまで追い詰めるも、ふとしたきっかけで形勢が逆転し地球側が勝利する。観ていると「あれどこかでこのラスト観たことあるぞ」と記憶をたぐっていくと、スピルバーグ監督がリメイクしトム・クルーズが主演の「宇宙戦争」〔2005年〕と同じ落ちだということに気がついた。そういえばスピルバーグ版のほうでも同じネタがあちこちちりばめられていたっけ。でもオリジナル版もリメイク版も違う魅力がありどちらも面白かった。1953年製作にしてはテクニカラーの発色が美しく特殊撮影もけっこうものになっていて不気味でよかった。魅力的な映画でしたよ。 2021/5/25(波照間エロマンガ島)

観たような・・・観てないような・・・宇宙ものはゴッチャになるな。 2021/5/25(石川浩司)

「父ありき」〔1942年 小津安二郎監督 松竹大船〕。
もう何十年も前に観たきりなので記憶はだいぶん薄れているが、ラストシーンで爆笑したことだけは覚えている。この映画は笠智衆演じる父と、佐野周二演じる息子の、親子の深い関係を丁寧に描いた作品だが、戦時中に劇場公開ということもあり、ラストシーンでそれまでは普通に七三分けの髪型で髪を撫で付けていた佐野周二が、とつぜん坊主刈りになり国民服を着て現れていたのが奇妙な印象をもった。特にそのことを説明する科白もなかったのだが、それまで普通の髪型をしていた息子がとつぜん坊主刈りになっていたことは、劇作のムード、叙情性からすると、思わず「ぷっ」とふいてしまったのであった。このように戦時下において普通に描写したものが時代を経て違和感をもつことを、わたしは面白いと思ふ。 2021/8/12(波照間エロマンガ島)

映画の撮影って普通一ヶ月くらいかかるから、その途中で実際はいろんなこと起きるよね。そういうの見つけるのも、映画のひとつの楽しみかもね。 2021/8/12(石川浩司)

どこかで書いていたら申し訳ないのですが、旅先で「男はつらいよ50」を見ました。エンディングで満男が寅さんのことを振り返る場面、歴代のマドンナのシーンが次々出てくるところに感動しました。「ニューシネマパラダイス」のEDのように。 2021/8/22(わいわい)

それはまだ観てないけど「ニューシネマパラダイス」のEDは良かったよね~。2回観たなあ。一度は沖縄で閉館する映画館の最終上映で。 2021/8/22(石川浩司)

「血槍富士〔ちやりふじ〕」1955年東映製作 内田吐夢監督、片岡千恵蔵主演。
1954年に中国から復員した内田吐夢の戦後第1作。旅の道中、酒席のいざこざから主君を斬殺された槍持ちが復讐心から主君の仇を槍でとる勧善懲悪の時代劇映画だが、それまでに出会う人々の境遇の描写から、封建社会階級社会の残酷な現実を描いており、後の東映実録時代劇や仁侠映画のアナーキーさの萌芽を感じることができる。
わたしがこの映画を鑑賞したのは1980年代、映画史を学ぶ大学生時代の頃であり、戦前功なり名を遂げた映画監督内田吐夢が満州に渡り、満映で映画作りに携わり、戦後も当地に残って中国共産党と協力し映画製作をしていたところから、ごりごりの左翼思想の持ち主だと思っていたが、復帰後の第1作で浪花節的な日本的時代劇を撮ったことに衝撃を受けた。〔確か軍歌の「海ゆかば」がBGMとして使用されていた記憶があり〕また、クライマックスシーンの槍の殺陣はチャンバラ映画の様式美からは逸脱していて、刃物で斬られる「痛さ」を痛切に表現していた。人を殺すこと、人に殺されることの恐ろしさを感じた。そして仇を討ったあと骨箱をもって国元に出発するラストシーンはうって変わって郷愁を誘う情緒が良く出ていた。好きな映画です。 2021/9/3(波照間エロマンガ島)

チャンバラってたいてい「あんな一撃だけで次々と人が死ぬ?」と思っちゃう。あと、本当に相手がひとりだけだったら、一気に全員で切り付けられれば絶対かなわないのに、順番を守って丁寧にひとりずつ相手になっていくのも、いつも違和感を感じちゃう。
まあ、様式美なんだろうけど。 2021/9/3(石川浩司)

20/6/19の追記。先日久々にクエンティン・タランティーノ監督作品「キル・ビル」を鑑賞していると、主人公のザ・ブライド〔ユマ・サーマン〕が旅客機で移動するシーンで、この「吸血鬼ゴケミドロ」にオマージュを捧げたと思しい、紅に燃える夕焼け空が出てきて魂消ました。ただ「ゴケミドロ」の空の色はさらに毒毒しいピンク色でしたが。いずれにしてもこれから起こるであろう敵との戦いを想像させてくれる好シーンでした。それにしても「キル・ビル」の世界観では、旅客機の客席に日本刀をたてかける「刀ホルダー」があるんですよね。あれは笑いました。そんな「ゴケミドロ」にオマージュを捧げた「キル・ビル」の旅客機移動の夕焼けシーンの巻き。 2021/9/24(波照間エロマンガ島)

手裏剣ホルダーも是非備え付けてほしいね。 2021/9/24(石川浩司)

2021/9/24の追記。この「キル・ビル」は、2003年の劇場公開時に当時副業で送りの仕事をしていた横浜のキャバクラのホステスさんと観に行きました。観終わったあと彼女が言っていたのは「オーレン石井〔ルーシー・リュー〕の顧問弁護士でスーパーモデルのジュリー・ドレフュスが、何年も時間が経っているのに携帯電話が同じなのは納得行かない。着メロも同じだったし。セレブの日本人だったら携帯電話くらい買い換えるべ」と強い不満の印象を述べていたこと。はぁ、キャバクラ嬢は視点が違うんだな、と感心しました。そんな思い出。(波照間エロマンガ島 2021/11/14)

じゃあまだケータイ持ってない俺がもし出ていたら「時代考証がなってない!」と...。(石川浩司 2021/11/14)

2021/11/14の追記。
このジュリー・ドレフュスといえば、他のタランティーノ作品では「イングロリアス・バスターズ」〔2009年〕に、フランス人ドイツ語通訳女性役で出演していました。気になったのは彼女がレストランの個室でナチスの将校と着衣のまま立ちバックの体位で交ぐわう短いシーンがあり、男性の身体と女性の身体が「ぺったんぺったん」というすれあう音が聞こえていたこと。あれは実際にセックスして出た音なのか、音だけ吹き替えだったのか、とても気になりました。もし吹き替えなしだったら相当エロいなー、と妄想してしまいましたよ。  2021/12/14(波照間エロマンガ島)

餅を床に叩きつけてるだけだったりして。餅は無いか...。 2021/12/14(石川浩司)

昨日、男はつらいよ17「夕焼け小焼け」見ました。

まず共演陣が凄い。レギュラー以外でも、寺尾聡、宇野重吉、久米明、太地喜和子、榊原るみ (七作目のマドンナ)、佐野浅夫、岡田嘉子、大滝秀治。

凄いなあ。

宇野重吉「僕はあなたの人生に責任がある、後悔しているんだ」

岡田嘉子「じゃあ仮にですよ、あなたがもうひとつの生き方をなさっていたとしたら、ちっとも後悔しなかったと言い切れますか? 私、近頃よくこう思うの。人生には後悔はつきものなんじゃないかしらって。『あーすりゃよかったなあ』という後悔ともう一つは『どうしてあんなことしてしまったんだろう』という後悔」。

これ凄い台詞ですよ。twitterとか、或いは飲み屋で隣のサラリーマンが言ってるのであるのであれば「ケッ」ってな感じですが、岡田嘉子さんだもんなあ。山田監督はよく岡田嘉子さんに言わせたなあ、また岡田嘉子さんもよく言ったなあ。重みが違う。 2021/12/31(わいわい)

違う道を選んだらもっとヒドいことになってたかも、とは考えない人が多いよね。
人はその時その時でいろんなバランスの中で常にベストな道を選んでる、と思ってる。 2021/12/31(石川浩司)

クリント・イーストウッド監督「硫黄島からの手紙」〔2006年、日本の映画館にて鑑賞〕。
映画のラスト、渡辺謙演ずる栗林忠道中将がついに武運尽きて残った兵隊と敵陣に突撃し米軍の機銃掃射に倒れて死ぬのだがその少し前、岩山をくり抜いたトンネルの中で従者と「天皇陛下万歳!」と万歳三唱をする。
ここで肉体は生きているのに精神は死んでいるという「決死状態」の刹那が映像に定着されていることに感動した。アメリカ人監督が日本の軍隊を描いているも、そこにあるのは戦争兵士として死ぬことの共通した無常観であった。日本人もアメリカ人も関係ない。戦争について考えさせられた瞬間だった。 2022/1/29(波照間エロマンガ島)

見たことも無い天皇陛下を、ただ教えだけで盲信し、命を捧げる。
天皇が人間宣言をし、今度戦争が起きた時は、なんと言って日本の兵士は死んでいくのだろう。 2022/1/29(石川浩司)

「渚にて」〔1959年 スタンレー・クレーマー監督〕。
地球滅亡もの映画。1964年に起こった第3次世界大戦によるコバルト爆弾の高放射線放射で北半球は滅亡、地球上で最後に残った人間の住むオーストラリア大陸にも放射能が上陸、物語のメルボルンも静かに滅びていく。米国海軍の潜水艦艦長役のグレゴリー・ペックに部下の士官アンソニー・パーキンス、民間人役のエヴァ・ガードナー、フレッド・アステアなど。子供の頃テレビの名画劇場で何度も観て印象に残っているが、今思い返すと映画にはアングロサクソン人しか出演していない。まるで人類は白人しかいないかのようだ。オーストラリアの先住民族〔アボリジニ〕のかけらも映画には存在しない。これはどういうことなのだろう。そういえば、パリを舞台にしたロマンティックサスペンススリラーの「シャレード」〔1963年 スタンリー・ドーネン監督〕のリメイク版の「シャレード」〔原題「Truth About Charlie」2002年 ジョナサン・デミ監督〕では、オードリー・ヘップバーン&ケーリー・グラントのオリジナル版とはガラリと変わり、舞台のパリを国際エスニック都市に描いてヒロインもアフリカ系だった記憶があるが、1959年の「渚にて」製作時にはとても有色人種はハリウッド映画に出演することはできなかったのだろう。そんなことをラストシーンをYouTubeで観ながら思ったのであった。 2022/2/6(波照間エロマンガ島)

そういう今見ると不自然な映画ってあるよねー。今も国によってはそれに近いところも残ってるのかな。 2022/2/6(石川浩司)


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