話題375 好きなファッション
ここのところ男性の投稿ばかりでむさ苦しいです!笑 というわけで女子が楽しめる話題、ファッションでキラキラ語り合いましょう!☆ ちなみに私は石川さんがお召しになられてるTシャツのデザインがいつも可愛くて素敵だなあと思ってます(^_^) (あさひ)
***レス(発言は古い順に並んでます)***
ファッションの話にどこまで俺がコメント出来るかわからんが(笑)。
俺のTシャツはたいていニヒル牛で買った作家のもの。
なので手描きとかで世界でひとつしかないものも多いっす!(石川浩司)
お、いいですねー!ニュータイプ話題☆
石川さんのTシャツ、私も興味深くいつも拝見しております。
パスカルズヨーロッパツアー中に来てらしたブラジャーのTシャツはかなりポイント高いです◎ 15/8/7(ジェレ美)
あのTシャツはいわゆる「面白Tシャツ」として狙って売られてたものじゃないんだよね。
施設の作業所で作られたものなのでピュアにブラジャーを描きたかった人が描いたTシャツ。
だからなんか好きなんだよね〜。 15/8/7(石川浩司)
私も石川さんの変てこTシャツのファンです。そういえば、2月のチェンマイ逃避の会で、チェンマイ在住の人が掘り出しものの放出衣料品を大量に安く買える店を教えてくれて、皆で買いに行ったことがあり、石川さんもそこで変てこTシャツ買ってましたね。そこは1日一回何十袋とズタ袋が送られてきて、それを袋から出して床にぶちまけ、その山の中から衣料を買うというとてもワイルドな仕様のお店でした。とにかく安くてそして変なものが多く売ってました。 15/8/7(波照間エロマンガ島)
そうそう、どうやら台湾あたりから流れてきた学校や商店の名前の入ったTシャツとかねー。
でも今年行ってみたらもうお店は無かった・・・残念。 15/8/7(石川浩司)
ウフフッ! おっさんだけどキラキラ語ってもいいですか!? 私の好きなファッションは石川浩司Tシャツにパスカルズの手拭いを首に巻くというハードコアなスタイルです! こないだ出前ライヴの時もその格好でしたが参加者から「今日は服装からもキチガイ臭ハンパないっすね!」とお褒めに預かりました! キャッ♡ 15/8/14(狂人オポムチャン)
それはステキ!
そんな狂人オポムチャンが好・き・よ♡ 15/8/14(石川浩司)
私は若い時分は靴が大好きで、特にラバーソールの厚底靴や先端が尖がった革靴などを好んで履いていました。原宿のアストアロボットとか、竹下通りの丸玉商店なんて店には日参して、イギリス製の変なデザインの靴を多く購入してました。今も実家の自分の部屋にはその頃買った靴が残っています。中でもお気に入りは、靴底が15センチくらいになっているロンドンブーツっぽい革靴。身長が180センチ以上になったのでよく履いていました。私は当時からジーンズはあまり好まず、タック入りのスーツのずぼんに革靴を合わせて履くのが好きでした。なのでラバーソールみたいな厚底靴が好きだったのです。そんな靴の思い出でした。 15/8/14(波照間エロマンガ島)
波照間エロマンガ島と言えば俺はまず「暑いタイなのにいつも厚着をしている」というのが印象的だな。
でもさり気ないオシャレには気づいていたよっ。流石の俺でもね(笑)。 15/8/14(石川浩司)
僕はエチオピアに暮らすムルシ族のファッションが好きですね。
基本全裸にボディ・ペイント。
ほかに身につけるものは首輪、イヤリング、腰ひも、草花の冠など。
つややかに引き締まった黒い肌が美しいです。
日本で真似すると即通報です。
ムルシ族、うらやましいなあ。
「恥部」が全然「恥部」じゃないんだもの。
まるで手足と同じみたいに。 15/9/10(イーダ健二)
まぁでも冬という季節のある日本ではどちらにしろ出来ないかもね・・・。
南の国はいいよなあ。凍死することも餓死することもほとんど無いし。 15/9/10(石川浩司)
15/8/14のオポムチャン。このウキュピ界隈で手拭いを首に巻くというハードコアな人を何人か存じ上げています。石川さんのファンに特有な性質をお持ちなのでしょうかねー。研究対象としてみると面白そうです。 15/9/10(波照間エロマンガ島)
ああそう言えば結構多いわ。
特に神奈川県在住の友人に顕著。 15/9/10(石川浩司)
好きな、というか単なるファッションの話題ですが、この度転職いたしまして、新職場の雰囲気がグッとオフィスめいた為また服買わなきゃなと、最近それがケッコウな至上命題となっております。
前までの職場では完全パートのオバちゃん服でよかったために、ここ1年以上まったく服を購入せずに済んでおりましたが、いかんなー、毎日綿ではダメっぽいぞ今度は。
というわけで久々にOL的服を買いに街へ繰り出します。気にせず我が道を貫けばと安易に仰るなかれ、最低限のカラーに染まるべきは女子の処世術なり。あーあ、財布痛いな。とはいえやっぱり、安物とはいえお洋服を買うとテンションあがるのもまた女子心だなと再確認しました。あはは。 15/9/10(ジェレ美)
自由業に付けば下着一枚で仕事出来るよ(笑)。 15/9/10(石川浩司)
つい数日前、イギリスのファッションデザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドさんが、シェールガス採掘の反対の抗議として戦車に乗りキャメロン首相の家に行った映像がニュースで流れ、世界中にセンセーションを巻き起こしました。ヴィヴィアンと言えば、1970年代パンクロックの黎明期に、キングスロードに「SEX」というパンクファッションのショップをオープンし、夫のマルコム・マクラレンとともにセックス・ピストルズをプロデュースしたことで知られています。当時の雑誌インタビューで私がもっとも印象に残ったヴィヴィアンの言葉は、若者は一刻も早く家を出て自立しなさい、ということでした。少なくとも学校を終えて社会人になったら自活してものを考えよ、と至極まっとうなことを言ってました。その言葉に影響を受けた私は20代から家を出て、紆余曲折を経て現在に至っています。 15/9/17(波照間エロマンガ島)
俺も10代で家を出た。
男は特に一回は出た方がいいと思うな。
自分が何が出来ないのかがよく分かるから。 15/9/17(石川浩司)
1979〜80年前後、メジャーデビューが決まる前後のテクノポップバンド、プラスチックスのライブに足しげく通っていました。そして私服のセンスも以前のアイビールックからガラッと変わり、プラスチックスやニューウェーブバンドが着ていたファッションに思いっきり影響を受けたロンドンっぽいファッションになっていきました。髪の毛はもちろんテクノカットで〔笑〕。靴は以前にも書きましたがラバー・ソールが好きで、シャツやパンツは、当時プラスチックスのメンバーがよく着ていた「COZO(コーゾー)」というカジュアル服のブランドを好んで着ていました。「コゾ」と短く区切って発音してましたが、今や誰も覚えてないだろうなー。検索してもヒットしてこないから。個人史的には19歳の大学入学から卒業までの数年間に入っていくわけですが、クラブの草分けだった六本木クライマックスや西麻布の328、レッドシューズ、ピカソ、新宿のツバキハウス、原宿のピテカントロプスエレクトス、渋谷のナイロン100%など毎日のように入り浸っておりましたねー。わたしの人生でいちばん遊び狂ったのが1983年ですが、その頃は徹夜で遊んでそのまま大学へ行って課題制作して……みたいな生活をしてました。 15/9/26(波照間エロマンガ島)
やっぱりオシャレだねー。
俺も20代は遊んだけどそれはアパートでの麻雀だったり飲み放題の店(当時はまだ少なかった)を見つけて延々飲んだくれたりとか。スマートさのかけらもない。
やはり中央線文化なのか。
いや、俺がグータラで金稼ぐのにあまり興味がなくて、同好の士が集まってただけだな・・・。 15/9/26(石川浩司)
1980年、高校3年の前期期末試験の試験休みに神戸に旅行したときのこと。三宮のアーケード商店街を歩いているとサトウブラザースという軍服放出品の店が目につきました。何の気なしに入ってみると、そこにとても素敵なベレー帽を発見。値段も手ごろだったので即購入し、その後数年間はこのベレー帽が自分のファッションの必須アイテムだった時代がありました。何故ベレー帽に興味が入ったかというと、1980年の春頃パスレコードからデビューした、Phew〔フュー〕というニューウェイブの女性アーチストがいて、彼女がかぶるベレー帽がオシャレでかっこよかったからです。Phewのライブは80年代前半何度か観ましたが、オーラは凄かったですねー。今でもわたしは帽子が好きで、昼でも夜でもかぶって外出します。という「好きなファッション」=ベレー帽な話でした。 15/10/9(波照間エロマンガ島)
Phewは俺も好き〜。
ベレー帽って元々軍隊帽だよね。いつから漫画家やアート系の人の定番になったんだろ。
手塚治虫かな? 15/10/9(石川浩司)
インド綿の落ち着いた色合いのざっくりした服が好きです。
普段はかっちりした服を着なくちゃいけないので、休日は束縛感のないものを身につけたい。
インド綿素材は、肌触りも形も雰囲気も、私の中で解放された自由さの象徴です。
そしてTシャツ。
たまの解散ライブで買った1枚と、しょぼたま再結成ライブで買った3GのデザインのTシャツはここぞという時に着用しています。 15/10/9(わにこ)
俺もTシャツは結構考えるな。
今日はこういう人と会うから、このフェスのTシャツ着て行ったら興味しめすかな?とかね。 15/10/9(石川浩司)
常夏の国に住んでいますが、Tシャツに短パンなどの薄着で出歩くことはありません。最近はヨットパーカーないしはウインドブレーカーを羽織って出かけます。タイの公共交通や公共施設は異常に冷房が効いており、薄着でいると身体が冷えすぐに頭痛がしてくるからです。だったら、多少は汗をかいても長袖の格好でいたほうが身体は温まって快適なのです。なのでフードつきの洋服を着て過ごすことが多いです。仕事中はカラーシャツにネクタイというのがスタンダードです。ファッションと実用両方兼ねています。 15/10/21(波照間エロマンガ島)
昔から「この人なんで南国で厚着してるんだろ・・・ハッ、俱利迦羅紋紋かっ!」と思っておりました・・・。 15/10/21(石川浩司)
実はこれを書こうとしてる前まで、女性のファッションの話になってるやろからと思ってあまり読んでませんでした。勿論女性も居られるようですが、書いてはる人見てたらあまり変わってへんやん 15/11/14(笑) 15/11/14(西大路)
女子〜。もっと語れ〜! 15/11/14(石川浩司)
15/10/9の石川さん。ベレー帽の歴史を紐解くと、中世期スペイン=フランス国境のバスク地方に端を発するという記述にぶつかりました。以降、制服や軍服などのユニフォームに使われたり、民衆にも広まっていったとの由。戦後日本で手塚治虫はじめ漫画家がベレーをかぶるようになったのは、19〜20世紀のフランスの画家からの影響があるようです。私は以前、19世紀印象派以降の画家のポートレートや肖像写真を集めたことがあるのですが、ベレーをかぶって絵を描く画家の姿はよく目にしました。今思い出したのですが、その中でナビ派に分類されるピエール・ボナールという画家は、アトリエで絵を描くときベレーにスーツ・ネクタイ姿で制作している写真があり、非常にオシャレだな、と思ったことを記憶しています。 15/11/14(波照間エロマンガ島)
ああ成る程〜。
でもよくよく見るとベレーっておかしな形だよね。そこがいいのだが。あの上のポッチは何の意味があるのだろう。 15/11/14(石川浩司)
ボタンシャツの腕をまくるスタイルが好きでしたが、最近は7分袖のシャツがあるのでそれが気に入ってます。サマーセーターも好きで、これでも昔に比べてずいぶん近所のパルコなどの服屋に行くようになりました。 15/11/24(Sankaku)
俺もユニクロやG.Uなら入れるようになった・・・。
とにかく店員が声かけてくるような店は一切駄目。すぐ逃げる(笑)。 15/11/24(石川浩司)
ウィンドブレーカーを羽織っていれば大体好きです。
でもお高くて買えないので、着てる人を見て憧れてます。 15/12/22(わお)
レインコートとは・・・違うな。 15/12/22(石川浩司)
「その服で寒くないですか?」などと、この冬はよく聞かれます。10何年変わってないんですがねえ。ちなみに夏も冬も基本上は2枚です。勿論夏服よりは厚めの服ですが! 16/3/6(西大路)
ステージでは0枚っす! 16/3/6(石川浩司)
例年どおり、今年も2月は休暇をとってチェンマイに遊びに行ってきました。そこでの出来事はあちこち投稿していきますがまずはファッションの話。仕事場から直行で飛行機に乗りチェンマイに行ったもので着替えがなかったので、さっそく宿のショッピングコンプレックスのデパートに行ってヨットパーカーやシャツ、下着、靴など買い込みました。髑髏の文様でおなじみの私の好きな日本のファッションメーカーがあるのですがそこでポロシャツを購入しました。
タイ北部在住のタイ人の友人女性も同じ時期チェンマイに遊びに来て、新しい服を着てデートできたのはテンションあがってよかったですねー。 16/3/6(波照間エロマンガ島)
彼女美人だったねー。このこの! 16/3/6(石川浩司)
ださいスカジャンが欲しかったのですが、どれも高い・モコモコ・変にオシャレ、なやつで全然気に入らず…
しかし灯台下暗しで地元のリサイクルショップにて1,800円のペラペラのだっさいものが売っており、即買いしました。あったかくて、今冬は常にこれを着ていました。 16/3/6(ひのこ)
ださいものは一周まわれば最先端! 16/3/6(石川浩司)
2015年鬼籍に入られた現代美術作家の三上晴子さん。彼女が世に出た1984年頃お会いしたことがあります。アトリエでは絵の具の飛沫があちこちに飛び散っているだぶだぶのステンカラーのコートを着ていてこれがオシャレで超かっこよかったー。当時は大工場のゴミ置き場から金属の切れ端や治具などジャンク的なものを集めて溶接で繋いだりして構造物を作っていました。1980年代後半、ほぼ同時に同じような方法論でジャンク的なアートを作り始めた人が数人いて、私は興味があってそういう人たちと話す機会を求めた時期がありました。三上さんはその中の一人でその後電子アートのほうへ移られていきましたがとても刺激的な作品を作り続けてました。1985年頃ナムジュンパイクが来日したときに三上さんはオープニングアクトとしてパフォーマンスをやった記憶もあります。 16/3/28(波照間エロマンガ島)
芸術家の絵の具飛び散ってる服ってカッコイイよね。 16/3/28(石川浩司)
そうですね、ださいもの、とまでいかなくってもシンプルでも組合せによっては今までにない感じの雰囲気が出せるので、素朴でも他の人がやってないスタイルが好きですね。ひとに関しては。嫁はんの好きなモデル・女優さんの菊池亜希子さんなんていいですね。 16/3/28(オポムチャン)
「えんがわ」のふたりの女の子はふたりとも靴下は左右違うの履いててほおっ、と思った。
同じの穿くのはダサいのかもしれんなあ。
でもそれは便利だ。片方ばかりの靴下が何故か家にはたくさんあるから。 16/3/28(石川浩司)
なーるほど、ダサいも一周まわれば最先端。ブームも廻ったりしますものねぇ。私が高校生のころはキュロットスカートなんかを穿いてる女の子ってのは小学生以下に限られてて、もっと大きいお嬢さんが穿けばかわいくってこちらも勃起してうれしいのになぁ、と夢想して彼女に話してみるとそんなの穿いてる大人の女子は変態、と否定されてしょんぼりしてたら20年後にはスタンダードになっちゃっててもう最高です。かわいい。エロい。嬉しい。夢、カナウンダ。 16/4/18(オポムチャン)
やっぱりランニングシャツに半ズボンに勝るもの無し! 16/4/18(石川浩司)
このトピ主さんのコメント「ここのところ男性の投稿ばかりでむさ苦しいです」というのと「女子が楽しめる話題、ファッションでキラキラ語り合いましょう!」という言葉がどうしても看過できません。ファッション=女子の楽しめる話題ってあなたは男性を差別しているんですか?しかもトピックがあがってからはあなたは何も発言してないじゃないですか?! 男性のほうが発言しているじゃないですか! あなたは本当にファッションは女性の話題だと思っているのですか? その辺の意見をお聞きしたいです。 16/4/18(蜻蛉)
まぁおそらく発言したきりここも見てないと予想。
投稿するもしないも見るも見ないも自由だからねー。
俺だけは誰からも投稿が来なくならない限りは続けるつもりだけど・・・。 16/4/18(石川浩司)
話題を提供された方は古参の投稿者さんでいらっしゃいまして、丁度この頃こちらのHPに投稿する人数が全体的にすごく少なく又投稿者も限られていてちょっとだけ停滞気味だったと記憶しております。この王様のコーナーは特に、一時期ホント男性投稿者の方ばかりだったんですよね(^_^;)
そんなわけで、純粋に活性化を目的としての話題立ち上げだと当時わたくし個人は拝察いたしました。話題文に関して男性べっ視とは全く感じなかったものですから、なるほどそういった視点もあるのだなと私も今回改めて気付かされました。
さて好きなファッションですが、案外ですね、ヘルメットが好きなんです。髪の毛ペタンてなるし蒸れるので自分でするのは難儀なんですが、人様が着用しているのは男女問わずカッコいいなと思います◎ 半ヘル・ジェット・フルフェイスでも工事現場用でもetc...大抵のヘルメットはなんだかとっても魅力的です。16/4/18(ジェレ美)
ライブにくるのはどちらかというと若干女性の方が多いけど、投稿はどーしても男性が多いね。
クイズやインディアンケートなどのほぼ名前が出ないものは結構投稿してくれるんだけどね〜。
ヘルメット!
昔バイクに乗ってた時走りながらヘルメットの中でムチャクチャ大声で歌ってた。
なのでいつも唾でベッショリ(笑)。16/4/18(石川浩司)
「男性の投稿ばかりでむさ苦し」かったのは事実ですし、男性から見てもエロを超えたグロには目を背けたくなるものもありました(苦笑)。※あくまで個人の感想です
それに、どこにも「女子“だけ”が楽しめる話題」なんて書いてありませんよ。
話題を投下した人が発言(投稿)を続けないのは、何もこの「話題375 好きなファッション」に限ったことではありません。
「意見をお聞きしたい」とのことですが、おそらく同じ答えが返ってくるだけだと思います。
そもそも始めから“男性”の石川さんがお召しになられてるTシャツの話じゃないですか(笑)!
トピ主さんがご提案されたように、男女関係なくキラキラ語り合えるといいですね(´ー`) 16/5/14(デクノボー)
そうだね。なにしろ俺がファッションがすげー分かってたら不自然(笑)。 16/5/14(石川浩司)
4/18の石川さんへ、私もバイクに乗ってる時はヘルメットの中で歌をガンガン歌ってましたー!眠気覚しになるし、大声で歌っても案外バレないんですよね。あの熱唱は気持ちいい♪ 16/7/28(ジェレ美)
俺もあれで大声出せるようになったところあるなー。
みんなもやってみんしゃい〜。 16/7/28(石川浩司)
1989年頃だったかMTVを観ていると、ファイン・ヤング・カニバルズというイギリスのバンドがステージ演奏している場面に出くわし、スカやR&Bを基調とした音楽性にドンピシャに嵌ったのですが、何より上質で伝統的な洋服を着崩すようなファッションがめちゃくちゃカッコイイと思い、一目でファンになりました。ボタンダウンシャツのすそを出してその上にカーディガンを着るというようなセンスが、ね。
あれはなんというファッションだったのか今となってはわかりませんが、世の中に認知されていたファッションスタイルとしては「プレッピー」にいちばん近かったような気がします。1980年代イギリスから出てきたバンドのファッションにはとにかくとことん影響されまくり、自分もましたねー。 16/8/23(波照間エロマンガ島)
でも欧米人と日本人は基本的な体型が違うから「ありゃっ?」という人も多かったよねー。 16/8/23(石川浩司)
綿・麻のおさえた色遣いの、ちょっとくたっとしてる服を着た女の子が好きです。嫁はんもそんな路線なので影響されてますね。ハデな方も嫌いではないですよ。でもどちらかっていうと、服装も性格も地味目な女子が好き。何様だ私は。ははは。 16/11/7(オポムチャン)
俺も派手な子とはほとんど縁がないなー。
地味目好きは同じ。 16/11/7(石川浩司)
東急線沿線で10代青春時代を過ごしたので、同年代の若者のファッションには当然意識は向いておりました。慶応大学の付属高校の学生が着ていたグレイのステンカラーのコートはよく見かけましたがオシャレでいいなぁといつも感心していました。私は特に制服にはフェティシズム的偏愛は感じなかった方ですが、東急線の乗り換え駅の自由が丘駅のベンチに座り、用もないのに制服姿の男女をただぼーっと眺めている時期はありましたね。あ、じゅうぶん変態かにゃ。でもやはり東京女学館の制服は当時は最高に可愛かったなー。のちに姪っ子がその学校に入学しあの可愛い制服を着るとは思いもよりませんでした。 16/12/3(波照間エロマンガ島)
とうじ魔とうじ「移動式女子高生」の歌詞にも東京女学館の制服出てきた気がするな。見たい。 16/12/3(石川浩司)
お腹がぷっくり出てきたので和服着たいんです。和装が好きなのですが現在生活しているタイでは当然のことながら馴染みません。でも次回帰国時には浴衣か甚平をあつらえてタイでも着てみたいと考えています。国王の喪が明けてからかな。 16/12/26(波照間エロマンガ島)
もしかしたらモテるかもよ。アニメも人気のジャパンスタイルだもんね。 16/12/26(石川浩司)
トーキング・ヘッズのゲストギタリストで、1980年代再結成したキング・クリムゾンにも参加していた、エイドリアン・ブリューがヴィンテージアロハを着てギターを弾く姿はカッコよくて憧れました。「超絶変態ギター」と言われていたのですが、改造しまくりのフェンダーストラトキャスターでエフェクターを駆使して象さんの鳴き声「パオーーンパオーーン」と奏でるクリムゾンの「エレファント・トーク」という曲は大好きでした。 17/8/1(波照間エロマンガ島)
梅津さんもよくサックスで象さんやるな。 17/8/1(石川浩司)
先日SNSでアロハシャツを着た石川さんを見て「格好いいな」とお世辞ではなく思いました。あまりにもランニングシャツやTシャツを着たイメージが強すぎるので、ちょっと見違えてしまいましたよ。これからは襟のついた服を着るといいんじゃないですか?なぁんてえらそうに言ってすみません。でもアロハは似合うと思います。 17/9/18(波照間エロマンガ島)
うん、俺も意外だった。
ラフな格好が好きだからアロハもありだな。 17/9/18(石川浩司)
ミクシィを始めた頃、PVC〔ポリ塩化ビニール〕製のパンツやブラウス、マスクなどを愛好する「全身タイツ」系変態のグループに参加してイベントやワークショップに足しげく通って己の変態性を深化させていました。その中から緊縛の世界を知り、今でも何人か交流があります。 17/9/25(変態サル人間)
あのコミュニティというシステムは今でも好きなのだが他のSNSで今ひとつ発展しないのは何故なんだろうね。 17/9/25(石川浩司)
あまりファッションは気にしません。でも名誉のために言っておくとキタナイ恰好やだらしない服装をしているわけではありません。
沖縄で海人Tシャツを着たり、北海道で地名Tシャツとか網走監獄Tシャツを着ても恥ずかしくないのに、羽田へ着いたとたん恥ずかしくなるのはなぜだろう。
今秋葉原へ行くと外国人観光客がアニメのTシャツとか多く着ていますね。 17/10/19(わいわい)
俺も昔は外国で間違って変な日本語が書かれたTシャツとか好きだったけど最近業者が「おもしろTシャツ」として販売してるのは業者の思惑に乗っかってるようで恥ずかしくて着れないんだよな〜。 17/10/19(石川浩司)
靴大好きなわたしですが、タイに引っ越してきて困ったことがあります。タイの灼熱の太陽は地表を高温にしてしまい、すぐに靴底をやられてしまうのです。ラバーソール靴などとても履けたものではありません。ゴムの底がアスファルトの熱で溶けてしまうからです。また雨季は道路冠水がすぐに起きるので高価は靴はぜったい履きたくないし。。。もちろん常夏の国なので上着でオシャレすることもなく、そんなこんなでファッションに関しては不満いっぱいのバンコクなのでした。 17/11/4(波照間エロマンガ島)
南国だと日本で言えば基本夏のファッションしか無いものね。
サンダルマニアはいかが? 17/11/4(石川浩司)
17/11/4の石川さん。はい、タイはサンダル天国ですー。わたしも休みの日は素足にサンダルやゴムぞうり履いて出かけてますよ。タイ人女性はビーチサンダルで会社に出社してもいますし。まぁスーツに革靴なんて高緯度地方のローカルな風習なのかもしれませんね。低緯度地方はもっと裸族に近いのかな、ばんざい。 17/11/28(波照間エロマンガ島)
南国が先進諸国だったら「大事な場は背広で」というマナーも生まれなかったかもね。 17/11/28(石川浩司)
1983年上半期のクラブファッションといえばその年川久保玲と山本耀司が相次いで発表した「ボロルック」「乞食ルック」と言われた、洋服のシルエットを大胆に切り刻んだアバンギャルドなファッションを自分用にカジュアルにアレンジした街着でした。新宿のディスコ、ツバキハウスではめいめいこの「ボロルック」を着飾ってファンカラティーナやロンドンポップで踊り狂ってましたねー。文化服装学院に通う学生たちは皆自分で洋服を作って夜遊びに出かけていました。この頃から東京の若者ファッションがファッションデザイナーとは関係なく、独自な進化を遂げるようになっていった記憶があります。わたしもその傍らで彼らに影響を受けオシャレに目覚めていきました。1983〜4年は個人史的に言うと人生でいちばんよく遊び、いちばん楽しかった時代でした。この頃聴いた音楽や体験したアートからは30年以上経った現在もなお刺激を受け続けています。 17/12/4(波照間エロマンガ島)
その頃の写真ない?見てみたいなぁ。 17/12/4(石川浩司)
冬になると各テレビ局の女性アナウンサーがニットシャツを着て胸のラインを強調してきますね。
ここ1、2年は夏場でもノースリーブのニットシャツを着るという、男性視聴者獲得作戦の徹底ぶり。
ちなみに1995年ごろ流行ったキャミソールブームの時、それまでの女子アナウンサーの制服だったスーツを脱ぎ捨てキャミソール姿で朝の情報番組に出演した高島彩アナウンサーを見て「下着でテレビに出てる!」と驚いたものです。 17/12/26(テングザル)
俺も「下着でテレビに出てる!」と思われただろうか。
ま、実際下着だけど。 17/12/26(石川浩司)
17/12/4の石川さん。1985年頃、雑誌「宝島」のディスコやクラブで遊んでいる若者の特集でグラビア写真に登場したことがあります。いつかお見せいたしますね。 17/12/31(波照間エロマンガ島)
おおっ、若き遊び人の波照間エロマンガ島の姿、見たいね! 17/12/31(石川浩司)
17/12/31の追記。この写真は初体験(90)「初めて雑誌グラビアページに登場(1985年、22歳)」に投稿しました。
先日バンコクで石川さんにお会いしたときに「この人エロさんじゃない?」と指摘されました。「正解です!」とわたしは答えました。今から33年前のわたしを言い当てられてうれしかったです。 18/2/27(波照間エロマンガ島)
目が変わってなかった。
・・・あとは全部変わってた(笑)。 18/2/27(石川浩司)
夏はほぼTシャツ一枚にジーンズなので、冬の方はコートでおしゃれができます。ユニクロで白いダッフルコートを買いましたが、これを最後にファッションにはあまり芳しくなくなりました。今はライトオンのジーンズが欲しいと思っています。 18/3/17(Sankaku)
自転車乗りだから、サイクルファッションもいいかもね。 18/3/17(石川浩司)
55年間生きてきましたが、ダッフルコートだけはまだ購入したことないですね。Sankakuさんのレスを読み、いっしゅん寒い国に引っ越してダッフルコートを着たくなりました。でもおそらくは購入しないで死んでいくのでしょうけれども。いつか高緯度地方に引っ越すことはあるのかな、いや無いだろうな。 18/4/12(波照間エロマンガ島@低緯度地方)
バンコクに異常気象で大寒波が来たりして・・・。 18/4/12(石川浩司)
ユニクロのダッフルコートは1月の終わりごろにもなると3990円(定価はたぶん9990円)くらいになったと思います。冬物処分の時期ですね。 18/4/26(Sankaku)
流行さえ追わなければそういう時期に買うのが一番だよね。
俺は追うも何もまったく知らないし知りたいとも思わないからいつもそういう時期に買う。 18/4/26(石川浩司)
ユニクロ系列のお店「GU」の魅力がわかりません。安い値段でオシャレな服が買えるそうですが、やはり質はあまりよくないとのこと。私自身、服には長持ちする質のあるものを求めています。そこらへんは音楽CDやマンガやDVDを買う時と基準は同じです。
ユニクロや、ライトオン、またSEIYUにも、一時期僕好みのものが置いてありました。 18/6/3(Sankaku)
GUって多分何かの略称じゃなくて「自由」ってことなんだろうな。
いずれにしろ安い服でも昔より質はあがってる気がするなあ。 18/6/3(石川浩司)
波照間エロマンガ島です。
わたしの高校生時代は1978年4月から1981年3月にかけてなのですが、多感な少年時代パンク・ニューウェイブの洗礼が非常に大きなインパクトをもってわたしの人生を狂わせました。
渋谷や原宿の輸入盤のレコード屋まわりを始めたのは1979年頃からですが、同時にパンク・ニューウェイブファッションを扱う店にもよく行くようになりました。以前このトピックにも書いた丸玉商店ではイギリス製のラバーソウル靴を多く購入したり、赤富士やシカゴ、Dept Store、 A Store Robotなど行きつけの店をたくさん見つけて洋服を購入しました。そして今思い出したのはミュージシャンの吉田建さんの奥さんがやっていたアクセサリーショップのBBBと、パンクファッション伝来の地ともいえる老舗店舗、スマッシュの2店。こちらにはよく行きましたー。狭い店内に入ると、お香を焚いた独特の香りが漂い、当時輸入されたばかりのスペシャルズやマッドネスなどのブリティッシュスカが大音量でかかっていました。セックス・ピストルズの親衛隊だったスージー・スーのTシャツを買ったのを皮切りにパックロッカーのTシャツはよく買いました。あと、ストラングラーズのヒュー・コーンウェルが来ていた2トーンのモヘヤのセーターはかなりのお気に入りでした。そんなわたしの1970年代末から1980年代前半の原宿時代の思い出。 18/8/16(波照間エロマンガ島)
群馬には、そういうものが何もなかった・・・。 18/8/16(石川浩司)
色々なジャンル、ブランドの服を、思うがままにミックスしているファッションが好きです。統一感があり決まってるコーディネートも良いですが、それよりも敢えて外したファッションに惹かれます。
ぺらぺらのつなぎの上にバラの刺繍のジャケットを羽織ったりなど‥ 18/9/17(もんぢゃ)
美は乱調にあり、だね。 18/9/17(石川浩司)
1980年代後半サラリーマンになった頃、それまでのキッズファッションから大人のオシャレに目覚めたわたしは、青山の骨董通りにあるデザイナーブランドのブティックに足しげく通うようになりました。その中で骨董通りの真ん中付近にあったイギリスのデザイナーのクローラさんのブランドが好きになり、スーツなどをよく買いました。好きだったのはコーデュロイ上下のスーツ。仕事では着ませんでしたが遊び着として一時期は休日よく着て、街に出歩きました。着心地がすごくよくて秋の日差しを浴びながら青山六本木あたりを散歩するのは気持ち良かったですねー。今は熱帯の国にいるのでコーデュロイのジャケットなんか持ってすらいませんけれども。 18/10/7(波照間エロマンガ島)
若い時からずっとTシャツの人生・・・。 18/10/7(石川浩司)
たまや少年王者館にハマった中学生の頃の私はとにかく服の襟は丸襟かセーラーカラーかの二択で学校の制服のパジャマ制作でもセーラーカラー、たまのライブに着て行く服を作る時も丸襟かセーラーカラーと襟の形状に夢中でした。 18/11/10(ことり)
またその格好してん♪ 18/11/10(石川浩司)
記憶が曖昧で恐縮なのですが村上龍の「コックサッカーブルース」という小説の冒頭、主人公の人となりを描写する箇所がありました。業界でぶいぶい言わせてるイケイケの男性主人公が「偽ヒューゴボスのスーツを着ている」という表現がツボに入り、大笑いしたことがあります。
そして、それを読んだ1990年頃から10年ほど経って21世紀初頭、タイに頻繁に遊びにいくようなとき、バンコクのスクムビットにまさにこの「偽ヒューゴボス」ともいえる「The Boss」というオーダーメイドのスーツショップを見つけたときには狂喜しましたねぇ。ヒューゴボスとロゴがまったく同じなんです!
そこでヒューゴボスのコピーのスーツを何着も作りました。でもスーツの生地もデザインも何から何まで本物とそん色ない出来ばえで、タグまで一緒なんです。まさにパチもの。ふつう日本のショップで買うと上下で30万円くらいするものが、なんと5万円程度で買えるので重宝しましたよ。1980年代後半サラリーマンになりたての頃は、まさしくヒューゴボスなどの「本物」のスーツを買ってましたが、21世紀に入ってからはビジネススーツはタイで、ヒューゴボスやアルマーニなどブランド商品のコピー製品を安く買っていました。そんなわたくしです。 18/12/29(波照間エロマンガ島)
そもそもタイだとスーツ暑くない?
沖縄の正装がかりゆしのように「グローバルな正装はスーツ」っていうのも国によって変わっていいのにね。 18/12/29(石川浩司)
大型スーパーのSEIYUは最近は冴えない印象もあるかと思いますが、私がファッションに目覚めたときに一番多く買い物したのがここでした。
それ以来、気分が向けばSEIYUに行っていますが、2016年度の冬だったでしょうか。一つの決定打となるボタンのジャケットセーター?を見つけました。KANGOLというイギリスのブランドらしく1着で税別5500円とかなり高めの値段でした。しかし何かの予感がしたのでしょう。ちょっと無理をして色違いの2着を買ってしまいました。
案の定、見た目も利便性もよく、今年の冬もこれをメインに着ることになりそうです。先輩の男性からは「20年着れるよね」と言っていただきました。
ファッション雑誌は一度も買ったことはありませんが、この何年かで着るものにはこだわるようになりました。
それでも「服なんて楽に着ていられるのが一番さ」というのが私の人生訓です。(さくらももこさんの「コジコジ」の登場人物のセリフ)
山だろうが、街だろうが、どこにでも着ていけるのが僕のファッションポイントです。 18/12/29(Sankaku)
俺もとにかく楽一筋。衣装をランニングシャツと決めたのも、そうすれば安価で迷わずにすむ、という理由も大きいからね。 18/12/29(石川浩司)
1980年代前半に青春を送った者として郷愁的に書かせていただければ、大学時代はMEN'S BIGIの菊池武夫さんのデザインするカジュアルファッションの街着には影響を受けました。高かったけどメンズ・ビギは好きなブランドでよく買いましたー。DCブランドの走りとか言われましたけどね。ちょうど都市としての東京が、YMOなどのテクノポップ音楽と、日本で初めて勃興したクラブカルチャー、菊池武夫さんや山本耀司、川久保玲さんらの作るモードなどが融合していた稀有な時代だと思います。 19/1/24(波照間エロマンガ島)
ううっ、名前は聞いたことはあるが全く縁のない生活だった...。 19/1/24(石川浩司)
SEIYUと菊池武夫が並ぶファッションスレッドも面白いといえば面白いですなー。これも石川さんのスペースなんですね……。 19/2/26(波照間エロマンガ島)
ははは、そう言えばそうだね。
今後もなるべく間口は広く開けておきたい。 19/2/26(石川浩司)
1986年ヨーロッパ旅行時、イタリアミラノのフィオルッチの本店ブティックに行ったときのこと。店内は大音量でWham!のヒット曲がメドレーでかかっていました。ブティックは天井が高く音がまわるので、踊りたくなるような空間となっていました。フィオルッチとワムのコラボレーションは最高に気持ちよかったです。 19/3/12(波照間エロマンガ島)
場所に合う音楽というのもあるものね。
俺の歌にベストマッチングするのはどんな場所なんだろ? 19/3/12(石川浩司)
19/1/24の追記。菊池武夫といえば先日鬼籍に入られた萩原健一さん主演作「傷だらけの天使」で衣装を担当し、ショーケンの服装は若者に大いに影響を与えました。1974年土曜22時日本テレビの放送でしたがリアルタイムで視聴してよく覚えています。のちに三田村邦彦と結婚・離婚した中山麻里がストリッパー役でゲスト出演した回はエロくてチンピクしたなぁ。 19/4/19(波照間エロマンガ島)
実はショーケンのドラマほとんど見てないんだよね〜。中村雅俊とかの方が見てたかも。 19/4/19(石川浩司)
19/4/19の石川さん。以前、中村雅俊主演の「俺たちの旅」〔1975-76 放映〕について書いたあるさんのTweetにレスしたら、思わず会話が盛り上がったことを思い出しました。バスケットボール部マネージャーの金沢碧さんのロッカーでの着替えシーンで乳首が見えたシーンは、中学1年のわたしには強すぎる刺激でしたよー。このシーン、もちろんあるさんも覚えてましたし、ついこないだイクラちゃんのラジオを聴いていたら、イクラちゃんもこのシーンに強烈な思い出があるとのことでした。 19/5/2(波照間エロマンガ島)
それはハプニングなのかな?演出?
昔は「時間ですよ!」も銭湯が舞台だったのでよく裸出てたよね。今は厳しくなったな〜。 19/5/2(石川浩司)
19/5/2の石川さん。もちろん演出です。ポロリとかそういうのではなく、ロッカールームで金沢さんが着替えているのをオメダ〔田中健〕が偶然目撃してしまうというシーンだったのではないかと記憶しています。でも、オメダ目線のはずなのに、インサートショットで別角度から撮った乳首のアップが映ってましたからね。とても衝撃的でした。あれ、あとテレビ朝日「土曜ワイド劇場」の「江戸川乱歩の黄金仮面」でも、金沢さんの入浴シーンで乳首が見えたんじゃないかしら。あれは天知茂が渋い明智小五郎役でね。荒井注が警部役でレギュラーだったから1970年代後半の作品かな。 19/5/12(波照間エロマンガ島)
昔はオッパイよくテレビで観られたのに、なんで規制が厳しくなっちゃったのかねー。激しい性的なものはともかく、せめてコミカルな感じで出てくるオッパイはいいことにして欲しい〜。 19/5/12(石川浩司)
19/4/19の石川さん。中村雅俊主演の学園ものテレビドラマで「ゆうひが丘の総理大臣」という作品がありました。1978年10月から1979年10月まで1年間にわたって日本テレビ系列で放映されました。3ヶ月周期で新しいドラマに替わる昨今からは考えられない長さです。でもフィルムで撮影されていたので正確にいうとテレビ映画というべきなのでしょうけれども。
このドラマのオープニングタイトルですが、中村雅俊が歌う「時代遅れの恋人たち」にのせて学園風景や出演者たちのイメージショットが連なります。その途中、一般高校生たちのスチール写真が10枚ほどインサートされる箇所があるのですが、その1枚になんと高校のバスケットボール部の先輩が映っていたんです! これは当時部内で話題になりました。面白いのは零コンマ2秒ほどのインサートショットでもじゅうぶん固体識別できるということ。あの先輩は一生記録に残ってしまったのだなぁ。あれから40年以上経つのに今でもふつうにYoutubeで見ることできるものなぁ。
そんなバスケット部の先輩が有名ドラマのオープニングタイトルに映っていたという話でした。 19/5/22(波照間エロマンガ島)
俺の演劇部の先輩も「ゆうひが丘の総理大臣」出てた!
でも先生に見つかって「芸能活動するなら、学校を退学してもらう」と言われ泣く泣く降板した。
今はピアノの先生になっていて、去年40年ぶりに再会し、出前ライブもやってくれた。
もうお孫さんもいる、美人の先輩だったな。 19/5/22(石川浩司)
最近は、ズボンといえばRight-onのジーンズを買うようになりました。
私のジーンズのサイズで一番ぴったりなのは35インチなのですが、35インチはユニクロにしか置いてありません。しかし、この前ユニクロでお目当てのサイズのジーンズを試着してもしっくりきませんでした。
ライトオンのジーンズは裾上げをしなくても私にぴったりでした。全体的にユニクロよりは値段が高めではありますが、ライトオンでは決定打になる服を何着か買えた事があります。 19/5/31(Sankaku)
パルコ新所沢店かな...。 19/5/31(石川浩司)
19/5/22の石川さん。「ゆうひが丘の総理大臣」は、実はわたしの出身大学でロケしてたんです。放映当時は高校生だったので知りませんでしたが、大学入学後にその事実を知りびっくりしました。当時の学園ドラマは夕日の砂浜で語り合うシーンが定番であるのですが、ロケ地の大学は東京都下のずいぶん山の近くだったのでとうぜん海など近くにありませんでした。 19/5/31(波照間エロマンガ島)
そういうのってあるよね。繋ぎ合わせて同じところにあるイメージにしてるけど、実際は全然別の場所ということ。
俺もとある映画で走るシーンがあって、千葉にいたのに角を曲がったら東京で、そこからちょっと歩いたら、神奈川だった。 19/5/31(石川浩司)
コム・デ・ギャルソンで紺の吊るしのスーツ上下を数年起きに買うのが30代くらいからの自分のファッションポリシーでした。友人と遊んだり職場の同僚と集ったりする、よりカジュアルな場面ではインナーにボタンダウンのシャツとリーバイスのデニムやホワイトジーンズなどに合わせてこの紺色のスーツジャケットをコーディネートしていました。以上、好きな「コーデ」でした。 19/6/15(波照間エロマンガ島)
Tシャツと半ズボンとサンダル...。コーデ。 19/6/15(石川浩司)
15/11/14の追記。そういえば最近「サンデージャポン」を観ていたら出演芸能人の学生時代の写真を紹介しているコーナーがありました。そのなか昭和女子大学付属中学校時代の壇蜜さんのえんじ色のベレー帽とセーラー服の写真が出たんですよ!可愛かったー! 壇蜜ってほんと、昭和女子にいそうなタイプなんですよ。わたしの幼馴染で近所に住んでいたSちゃんも中学から昭和女子に進学したのでセーラー服にベレー帽をかぶっていたのでとても懐かしかったです。たしかベレー帽は中学だけで高校はセーラー服ではなかったかな。なぁんて首都圏の女子校制服の想い出を語るわたしでした。 19/7/2(波照間エロマンガ島)
東京は制服もオシャレなところ多いよね。群馬は...。 19/7/2(石川浩司)
ロンドンで夜遊びをしていると、真冬なのにすっごい薄着でコーディネート頑張ってる女の子がいたりしてびっくりします。フェイクファーのコートを着てインナーにはランナウェイズ時代のチェリー・カーリーやジョーン・ジェットみたいな〔たとえが古すぎww}ガーターストッキングの下着ファッションを身に着けてる子がいて、ドキドキしたものです。1980年代半ばに訪れたときは、キングスロードあたりはまだかろうじてパンクファッションの残滓が残っていましたね。ロンドンは食事は不味いけどファッションは好きだったなぁ。 19/7/30(波照間エロマンガ島)
チェリー・ボーンブ! 好きだったなあ。 19/7/30(石川浩司)
19/7/30の追記。あとロンドンで夜遊びしたとき印象的だったのは、地下鉄の車両がやたらと小さかったこと。ロンドンの地下鉄は「チューブ」という愛称で親しまれていますが、トンネルの形が半円形の構造をしており、トンネルとほぼ同じサイズをした五角形型の電車の車内はとても狭く、日本の地下鉄都営大江戸線よりもはるかに狭い印象でした。夜遊びファッションでちょっと粋がって友人と繰り出したのですが、夜半の地下鉄は大混雑で車両に乗るだけでストレスを感じ、目的地のクラブに着くまでにかなり気持ちは萎えてしまいました。 19/8/16(波照間エロマンガ島)
俺も閉所恐怖症(正確には束縛恐怖症。体が動かせない場所にいると息苦しくなる)なので、チューブはちょっと苦手だな〜。 19/8/16(石川浩司)
波照間エロマンガ島@もうすぐ57歳です。最近このサイトへの投稿は「遺書」みたいなつもりで書いています。昔体験してまだどこにも書いたことのない出来事を思い出せる限り克明に、時にフィクションを交え書いていこうという方針で書いているんです。そういえば自分が買った靴でいちばん高かった靴はどこのブランドの靴か思い出してみると、1987年に代官山のジャン=ポール・ゴルチェのショップで購入したローファーだったかな、と。値段は45,000円くらいだったかな。つま先のちょっとオシャレなデザインに惚れ込んで即決で買ってしまったのでした。1987年といえば社会人1年目でスーツやシャツにはいちばんお金をかけてた頃です。でも仕事が終わってからは夜遊びもめちゃはじけていて、当時毎晩のように通っていたのは、芝浦のゴールドとか、南青山のMixとか、西麻布の326とか、渋谷のJトリップバーとか。まさに人生のグローリーデイズでした。暗黒面に落ちるのはそれから数年してでしたが、そのことはまたいつかどこかに投稿していきます。人生いいときもあれば悪いときもありますよネ。 19/9/17(波照間エロマンガ島)
暗黒面の話の方が聞きたくなる人のサガ...。 19/9/17(石川浩司)
19/9/17の訂正。20代の頃よく遊びに行った西麻布交差点のところにあったクラブは「326」ではなく「328」だった。「さんにっぱー」と呼んでました。「326」はたまの曲でした、とほほ。。 19/9/26(波照間エロマンガ島)
惑わされたんだね(笑)。 19/9/26(石川浩司)
ニヒル牛で買った、石川さんtシャツをたまに着ます。このあいだも、模擬試験に着ていったのですが、同級生はこれを見て、一瞬固まっていました。大学受験本番でも着ていこうかな、と思っています。 19/9/26(未成年)
どんどん宣伝してくれ給へ! 19/9/26(石川浩司)
毎日放送製作「オールザッツ漫才」という関西ローカルのテレビ番組があります。1990年開始で毎年12月29日の深夜から明け方にかけて若手吉本芸人のネタ見せバトルをするというお笑い番組です。関西出身の友人から教えられて初期の1990年代からビデオを取り寄せ、視聴するようになりました。今でもYoutubeなどの動画サイトでさかのぼって観ることができます。現在中堅からベテランになった芸人たちの新人時代のネタはフレッシュで面白いですよ!
昔の映像を観るとお笑いのネタももちろん面白いのですが、芸人たちのファッションの変遷がわかるのが興味深いですね。髪型やスーツ、カジュアルルックなどの流行したものの「時代」が確実にそこに映し出されているからです。1990年代前半のパンツのシルエットはこんなんやったんや、とか、みんな吉川晃司のできそこないみたいな髪型してるな、とか、いろいろ発見があります。
今振り返ると、そこには「DCブランド」というものが、80年代から90年代にかけては確かに若者の嗜好の中にあったなぁ、としみじみ実感します。デザイナーが作る小ロットの既製服を「おしゃれ」な服として大衆が好んで着ていた時代があったんですね。それを個性としていた時代。今はそこから芽生えた多様な価値観で、皆おのおの個性的なファッションを楽しんでいますが、まだこの時期はデザイナーが提唱するモードに従順に従う人が多かった気がします。
松任谷由実の名言に「ちょっと昔がいちばんダサい」という言葉があって、今ならさしずめ1990年代のモードがいちばんダサく感じられるのではないかな、とも思ったりしつつ、今夜も「オールザッツ漫才」のビデオを肴にしてノンアルコール飲料を飲んで過ごしませうっと。 19/9/30(波照間エロマンガ島)
何年周期とかで流行り物はくるとも言われてるよね。
じっと我慢していればいつか最先端に・・・。 19/9/30(石川浩司)
テクノポップ草創期の1979年、YMOの海外公演のテレビ中継でいちやく日本の大衆にYMOがポップイコンとして認知された記憶があるのだけれど、ステージで着ていたのは有名な真っ赤な中山服〔人民服〕。テクノカットはすぐに皆真似したけど、中山服を普段着にするわけもいかなかったので、同時期に胎動していた日本のテクノポップグループのプラスチックスやPモデルなどが着ていたステージファッション風なカジュアル着を取り入れて、私の回りの都心の高校生たちはオシャレをはじめていた。
しかしYMOのメンバーがステージ外で着ていたファッションというのは、当時ロンドン発で世界中に吹き荒れたニューウェイブファッションではなく、意外なことにイタリアン・カジュアル〔通称イタカジ〕だった。YMOの3人がボールショップの服を着ている写真を覚えている。当時メンバーは20代後半から30代前半の年齢だったのでティーンが着るようなキッズファッションではなく、一世代上の「お兄さんお姉さん」が普段着で着るのがイタカジだったということなのだろうか。とにかくYMOの3人がロンドン風のラバーソールを履いているのは見たことはない。仕立てのよい高度にデザインされたイタリアっぽいデザインの革靴だった。 19/10/8(波照間エロマンガ島)
確かに人民服は真似されてなかったね(笑)。 19/10/8(石川浩司)
南の国に住んでいる身からすると、帽子は太陽光線から身を守るためにファッション以上の意味をもち、身体にとって必要不可欠なアイテムのひとつだと思います。しかしわたしが個人的にどうかと思うのは、ベースボールキャップやハンチングを前後さかさまにかぶること。特にベースボールキャップをかぶっている人を見ると「お前はキャッチャーか!!」とツッコミたくなります。 19/11/2(波照間エロマンガ島)
ワンパク小僧を思い浮かべる。 19/11/2(石川浩司)
1980年代、オシャレに目覚めた大学生のわたしは、古着を求めて東京郊外の洋品店に行き、デッドストックの服を漁ることを日課としていました。そんな中、ペイズリー柄のシャツを立川のお店で発見し購入したことがあります。帰宅し試着したときにビックリしたことがありました。衿台のところにブランドタグが縫い付けてありそこには「Shirokiya」という文字が印刷されていたのです。そう、江戸時代に創業し長らく日本橋で営業していた「白木屋デパート」で作られたシャツだったのですね。白木屋は1958年に東急百貨店に吸収合併され消滅してしまったので、このシャツは1958年以前に作られたことになります。このシャツを買ったのは1984年頃だったので、それでも作られてから最低25年以上は経っていたのですから驚きです。
わたしはそれから20余年後、日本モダンガール協會の淺井カヨさんに知り合うまでは、こういう服飾史について語る友人がひとりもいなかったので、こういう体験を書き記すことは重要なことなのではないかと最近は思い始めています。 19/11/24(波照間エロマンガ島)
それはなんかすごいね。着物とかなら分かるけど。貴重だねー。 19/11/24(石川浩司)
ファッションに目覚めたのがちょうど10年くらい前。
通い先のリサイクルショップでよく買い物をしました。
そのころはそのリサイクルショップの紳士服も珍しいものがありました。
SEIYU、Right-On、Mac‐House、UNIQLOなどを暇さえあればよく周るようになりました。
ファッションにこだわり始める前の自分はどんな服装をしていたのか、考えるとちょっと怖いです(笑) 19/11/24(Sankaku)
ファッションも安くてもそこそこ良質のものが出て来て良かったね(笑)。 19/11/24(石川浩司)
1974年、サディスティック・ミカ・バンドの『黒船』レコーディング時の出来事。ある時プロデューサーのクリス・トーマスはとつぜん閃いたようにメンバーに「明日は、全員リーバイスの502のジーンズをはいて来るように!」と伝えたという。
メンバーは何かと思いながらも翌日リーバイス502をはいて集合すると、『どんたく』という曲の中でフロントファスナーの開け閉めの音を効果音として録音したという。つまりはリーバイス501のボタンフライでは駄目で、502のジッパー仕様でなくちゃならなかったわけなんですよ!
これは1970年代東京でもっともぶっ飛んだファッションで鳴らしたミカバンドの中で大好きなエピソードであります。リーバイス502は買ったことはなかったけど、リーバイス501をはく時には必ずこのミカバンドの『どんたく』の話を思い出しますものね。 19/12/8(波照間エロマンガ島)
全員502を持ってるの前提というのも、凄い時代だね。 19/12/8(石川浩司)
ここ数年、人間椅子の和嶋さんが着てらっしゃる和装がすごく良いと思います。
こないだ、NHKの短歌番組で和嶋さんがゲストだったのですが、司会の小説家さんが比較的ロック寄りの服装だったので逆っぷりがナイスでした。
他のメンバーの方も別の方向ながら和で統一されていて、コンセプトがわかりやすいし似合ってるしで素晴らしいです。 20/2/24(KPC)
俺もその短歌番組出たことあるけど、いつものランニングだったような...。いや、解禁前だったかな?
ともかく、たいていは番組から衣装指定がある。 20/2/24(石川浩司)
今も存在するそうですが、「45RPM Studio」。
わたしら周辺では「フォーティーファイブ」と呼んでいた好きなデザイナーブランドで、1980年代前半大学生時分は渋谷パルコパート3の店舗によく行きました。カジュアルな意匠のシャツを毎シーズン購入していた時期がありました。フォーティーファイブが好きだったのはデザイナーが打ち出すワンポイントの「可愛らしさ」の匂い。メンズの服を着ていても、どこかその可愛らしさを身に着けると美少年のテイストの芳香感が頭がくらくらするような陶酔感を得られるようで気持ちよかったのです。 20/3/8(波照間エロマンガ島)
うー、渋谷パルコとか、もはや入店禁止されてると思うほど敷居が高く縁のない場所だった...。 20/3/8(石川浩司)
1984年頃、ロックバンド、Pinkのボーカルの福岡ユタカさんと近しくさせていただいた時期があり、彼のファッション哲学に影響を受けました。
それは何かというと「洋服は高いブランド物を後生大事に着るのではなく、古着でもよいのでぼろぼろになるまで『着倒す』くらいの気持ちで着て暴れまわれ」というポリシー。当時住んでいたマンションの近くに救世軍の本部があり、そこのバザーで安くてオシャレな古着を探してたくさん買いました。気に入っていたのはズートスーツというオールドスタイルの吊るしのスーツ。ベルトではなくサスペンダーをつけ、中にはドレスシャツを着て、オデコ靴という甲が上がっているチャップリンの「黄金狂時代」のような靴をはいて、街中を闊歩していた時期があります。すると、ほぼ同じスタイルをしたS-Kenさんと救世軍で遭遇し、お互い「むむむむぅ」と凝視しあったことがありました。彼も救世軍のファンで、1000円のスーツでステージに出ていたという情報を聞いたこともあります。そんな20代中盤のわたしの好きなファッションでした。 20/3/31(波照間エロマンガ島)
ファッションの話は疎いので豆知識。S-Kenのベースは、デビュー時にたまが所属していた事務所の社長。一時期戸川純のマネージャーもしていた。 20/3/31(石川浩司)
20/3/31の石川さん。S-Kenのベースといえば、Eさんですね。1978年頃から1983年頃までメンバーだった人でよくライブ見ていました。
そのあと後任のベースの佐野アツシさんが加入したときは佐野さんはまだベース初心者だった記憶があります。ツバキハウスでライブ見たことありますが、その後、けっこう華麗なベーステクニックを身につけてました。 20/5/2(波照間エロマンガ島)
今でもEさんとはFBで繋がってる。どこか外国に住んでるみたいね。 20/5/2(石川浩司)
今の時期はあったかいので、ドンキで買った短パンとシャツ。
一年前は全裸でしたが、これはファッションじゃないですね。はい。 20/5/11(カルロスイベリコ豚)
何かひとつでもアイテムをつければファッション。
ちんこになんか付けて。 20/5/11(石川浩司)
1980年代、20代の頃聞いた話です。まことしやかに聞こえてきた都市伝説のような話。
世界的な日本人ファッションデザイナーの某氏の入社試験。最終面接では男も女もオールヌードになって「このデザイナーの先生にどれだけ忠誠を誓うか」ということを表現させられるんだとか。それで自分のすべての気持ちをこのデザイナー先生に身も心も捧げるということが伝わると、初めて入社できるとのこと。ちんこもまんこも見せて忠誠を誓うってか。
話を聞いた当時は「さもありなん」と思いましたが、30年以上経ち今から思い返すと信じられないような気もします。
しかしモードというものが、資本主義の中でステータスが変化していく時期にあったことだけは言えるかもしれないと感じました。そう、ヨーロッパの宮廷や貴族のいる時代から連綿と続いてきた上流階級に存在したものが、下流に下りてきて大衆のものになっていく歴史的流れは確かにあるような気がしたのです。上流階級においては洋服作りに命をかけて繋がっていた職人集団が、血の掟をもって「真っ裸の最終面接」をしているのを信じる気になったのです。それで、もし自分がその場にいたら、真っ裸で何をするんだろう、と考えてしまいます。マスターベーションは月並みでしょうね。最低精液を飲むくらいのことをしないと受からないかな、なあんてね。 20/6/2(波照間エロマンガ島)
その頃はジョンとヨーコとかも裸になった後だから、今よりも裸になりやすかったかも!? 20/6/2(石川浩司)
チェンマイに地下足袋はいてきた女性がいましたー!! めちゃくちゃオシャレ!チェンマイ国際空港に出迎えに行ったわたしは感動して写真を撮らせてもらいました。2010年2月。 20/6/19(波照間エロマンガ島)
異国だと、オシャレがより際立つね!
昔、知久君がレコーディングでイギリスに行った時も下駄を履いていて、すげー周りに見られてたなあ。 20/6/19(石川浩司)
20/6/19の石川さん。
数年前チェンマイのローイクラトン祭りの時、通称「ゲイのレストラン」で皆とお食事したときに、石川さんのお友達の有名ミュージシャンのCさんがやはり下駄を履いて登場されてましたねー。Cさんがすごいのは下駄を履いてバイクで待ち合わせ場所に登場したことです。さすがCさんと感心しました。 20/6/26(波照間エロマンガ島)
奴はこだわりの塊だからねー。 20/6/26(石川浩司)
20/6/26の追記。
話題「好きなファッション」としてついに知久さんの下駄が登場しました。誰かの投稿や石川さんがつけるレスにインスパイアされ続け、ついに下駄が出てきたということは、このページを閲覧している多くの人たちとの協同作業したということが言えるような気がします。これからも投稿者さんのさまざまな投稿をとおしてどこまでも遠くに行けたらと思うしだいであります。 20/6/30(波照間エロマンガ島)
下駄より遠いもの・・・足ヒレとか? 20/6/30(石川浩司)
波照間エロマンガ島@ムアンタイです。前回日本に帰国したときに西荻を友人と散歩していると、ニヒル牛作家としても知られているコヤヒロカさんの個展を観る機会に恵まれました。そしてそこで販売していたミジンコの柄のTシャツを購入しました。
タイでこのTシャツを着ていると存外いろいろな人から「そのシャツ可愛いね」と高評価をもらいました。また機会があればコヤヒロカさんの作品を手に入れたいと思ったわたしでした。 20/8/11(波照間エロマンガ島)
彼女、最近グングン腕を上げてるよ。是非応援してあげてください。
元ニヒル牛2のスタッフもやってたね。 20/8/11(石川浩司)
バンドTシャツから、謎柄Tシャツなど、千差万別。
そんなTシャツについて語りましょう。
ちなみに私の愛用Tシャツは黄色い電気グルーヴのTシャツ。
学校だろうと、ちょいとした買い物だろうとこれを着ています。 20/8/18(ズミ天)
これは「新しい話題 Tシャツ」として投稿いただきましたが、こちらに合併します。
俺はフェス関係でもらうTシャツとか多いな。もらった年はそのまま着て、数年経ったら家着になることが多いなー。センスのあるものもあれば、外に着ていくのにはちょっとう~ん、というデザインもあるからね。
でも一年中俺はTシャツだな。夏はもちろん、冬も下着がわりに。なのでランニングシャツは実は着てません(笑)。 20/8/18(石川浩司)
2000年代前半に着ていたTシャツの一部です。右下のやつ以外は、すべてタイで購入しました。2008年にタイに引っ越してくる前は年に3~4回ほどタイを訪れ衣料品を買っていましたね。日本ではシャツやスーツ、靴をはじめほとんどタイで買ったものを身に付けていました。
覚えているのは気に入ったシャツを日本で着ようとすると、タイでは問題なく着られたものが、日本ではセンスがギリギリで着られないものがあったこと。タイと日本では気候や国民の肌の色、流行などが違うので着られないものがあるのは仕方ないのかもしれないな、と思いましたが。
あ、ちなみに右下のTシャツは、ロシア製のトイカメラのLOMO LC-Aを購入したとき、おまけにもらったシャツでした。ロモカメラはフィルム式のカメラなのですが、面白い発色をするので一時期使っていました。 20/8/29(波照間エロマンガ島)
逆にタイは赤と黄色のTシャツは、政治の意図色なので気をつけろと言われたな。 20/8/29(石川浩司)
波照間エロマンガ島です。最近15年ほど履いた靴・草履たちです。ナイキが多いのは、親戚が勤めていて安く手に入るので、品川の天王洲のナイキストアで帰国のたびに購入していたからです。
下の段真ん中の雪駄はまだ旅行者時分〔2006年頃〕にシンガポールからシンドシナ半島を旅したときのもの。撮影場所はシンガポールチャンギ国際空港かな。この空港はすべて絨毯張りで気持ちのよい空港です。
最近は日本への帰国はめっきり減ってナイキよりはニューバランス派になっているかな。革靴は履きつぶしで大事には履いてませんね。いちおうオフィスワーカーなので。 20/10/24(波照間エロマンガ島)
俺はキーンとかいうメーカーの靴を最近は履いてる。
俺自身メーカーに興味がないので、妻が買ってくる。 20/10/24(石川浩司)
わたしが住まうタイランドでは、老若男女みなオシャレを楽しんでいます。暑い国なので国民は当然薄着にサンダルのいでたちが多いので服飾代は安く済みます。
よくある会話として、おニューのワンピースとかブラウスを買いその服を着て会社に行くと、職場の同僚からは「それどこで買った?」とか「それいくらだった?」と、オシャレの品評よりも前に、どこで買ったか、いくらだったか、訊くのが当たり前なのだそうです。日本ではそこまで踏み込んで聞かないですものね。うわべだけでも「きゃー、それかわいいね」とか褒める、ということをいっさいしないんです。これ面白い国民性ですよ。 20/12/12(波照間エロマンガ島)
やっぱり高価だと盛り上がるのですかね?
それとも「こんなにリーズナブルに買えた」という大阪のオバハン感覚かな。 20/12/12(石川浩司)
下着や靴下などの衣料雑貨を買うときは、ユニクロやライトオンなどではなく、タカハシやしまむらを利用した方が効率がいいという事が分かりました。
ブリーフのパンツを買ったとき、イーオンでは2着で900円近くしましたが、タカハシでは同じ2着が500円位で買えました。
また5本指の靴下はワークマンが私にとっての基本です。私の足は29センチですがこのサイズの5本指はワークマンにしか見かけません。
買い物にもコツがあるという事を教えられた出来事でした。 21/2/8(Sankaku)
おおっ、足でかいねっ!
そのサイズはなかなか普通にはないんだろうね。雪山を裸足で歩いて皆を驚かせよう! 21/2/8(石川浩司)
大学生時代、作家の嵐山光三郎さんの父上でグラフィックデザイナーの祐乗坊宣明〔ゆうじょうぼう・のぶあき〕氏がデザイン科の教授として教鞭をとられていました。祐乗坊氏はいつも着流しの和服をお召しになり、キャンパス内を歩く姿はとてもかっこよく印象に残っています。歳とったらあんな和装の麗人になりたいなぁと憧れていましたが、当時の祐乗坊氏と同年代にさしかかったわたくしは南国の地でしょぼくれた老人になろうとしています。和服の似合うおっさんになりたいのですが今からでも間に合うだろうか。 21/2/23(波照間エロマンガ島)
タイで和装したらそれはそれでカッコいいと思うよ! 21/2/23(石川浩司)
東京・阿佐ヶ谷のライブハウス「harness」でライブハウス特製のTシャツを売り出されていたことがあります。
私が買ったのは紺色の生地に黄色い文字のもの。
それ以前には灰色で、コンクリートのような土台の上に文字が書いてあるものでした。
今でも本当はその灰色のTシャツのほうがかっこよくて好きです。
私が買ったときは、その灰色のTシャツはもうモデルチェンジされて、無くなってしまったのが残念でした。 21/3/1(Sankaku)
ライブハウスは結構お店のTシャツ出してるところ多いよね。毎年変える店もあるので、好きな店があったら迷わずゲット! 21/3/1(石川浩司)
帽子を初めて買ったのは2010年ごろ、「OUTLET-J」〈後にMac-Houseに改名〉というファッションストア。
チェーンが巻かれた黒いミニハットを買いました。
その頃はひとつの物を使い潰してしまう傾向で、その帽子も汗でチェーンが錆びて、後年になって廃棄する羽目になってしまいました。
それから2017年以降には、Right-Onで購入したハットがメインになりました。
ある4000円近くする帽子が欲しくて、その時はお金が無く、仕方なく代用品で安売りされていたベルベット生地のハットを買いました。
当初はそのつもりはなかったけれど、その安売りされていたものが、今では私にとってのメインになってしまいました。
前述のひとつの物を使い潰す傾向を反省し、いまでは何種類かの帽子を使い分けています。
滝本晃司さんみたいだね、と石川さんや斉藤哲也さんからも言われたのは嬉しかったですが、買った時には滝本さんの真似をすることはほとんど考えていませんでした。
またこちらとしては、滝本さんとの差別化も考えているところです。
ただ、ある時期から滝本さんも帽子をかぶり始め、私も滝本さんの音楽をよく聴いていたので、影響はあると思われます。 21/3/1(Sankaku)
俺も普段は帽子を被ることも多い。義母が毎年誕生日プレゼントにそこそこいい帽子をプレゼントしてくれていたのだ。
その義母も最近は認知症が出て、新しい帽子はしばらく手にしてない。 21/3/1(石川浩司)
通い先のリサイクルショップで買い物をし始めたのが、私がファッションに目覚めたきっかけでした。
今現在は、もう一種の波は過ぎてしまった様ですが、ある時には本当にいいものがあり、私の勝負服の何着かはここで買いました。
私の一番の勝負服はこのリサイクルショップでの購入です。
ちなみにこの店は婦人服がメインで、紳士服はかなり少なめです。
都会のファッションブティックで買ったものが流れてくる可能性もあるので、そこらへんは賭けができます。
余談ですが、たまにではあるけれど、来るときには本当にとんでもないものが来ることもあるリサイクルショップです。
ある人が、そのお店でおもちゃの缶バッヂを買って専門店に売却したら、19万近い値が付いたこともあったそうです。 21/3/1(Sankaku)
古本屋がブックオフなどで背どりするようなものだね。 21/3/1(石川浩司)
大型スーパー・SEIYU〈小手指店〉は、場末のファッションと最先端のブランドを併せ持っているのではないか、と思える所があります。
18/12/29にも書きましたが、私の中でのトップクラスの勝負服はここで買う事が出来ました。
見れば見るほど見所がある服で、今年もこの服をメインに来ています。
また、Tシャツの勝負服もこのSEIYUで何着も買いました。
他にもMac-House、Right-On、UNIQLO、なども見るときは見ています。
どのお店もあるときは面白いものがあります。
話が変わりますが、上司の男性は「ワークマン」のコートやズボンなどが、ファッショナブルで機能的、と最近になって評価をされています。
ユニクロがヒットしてからそろそろ20年近く、いろいろな所でファッションナブルな境地の開拓がどんどん進んでいるようです。 21/3/1(Sankaku)
ブランドというもののイメージ自体が変わってきてるのかもね。昔はとにかく高級品がステータスだったけど、実用品が見直されてる気がする。 21/3/1(石川浩司)
ニヒル牛は服飾品に関しても、珍しい物の殿堂だったと思います。
私もニヒル牛で服を買おうかと思ったことはあったのですが、生憎合うサイズがなく、いまだに一度も買ったことはありません。
また1点物も多く値段も高めだったのでそこらへんもあまり手が出ませんでした。
ある意味ニヒル牛に対抗して、普通の店から面白い物を見つけてみせる、と意気込んだこともありました。
あまり数は多くないけれど、やはりその思いもある種、成就したようです。
特にTシャツの勝負服は、ユニクロや、またSEIYUからたくさん買うことができました。
あらためて、ニヒル牛にはユニークなものがたくさんあったと思います。
ニヒル牛を知っているからこそ、普通の店で面白い物を見つける視点は磨かれたようにも思います。 21/3/12(Sankaku)
ニヒル牛は服も一点一点の作品だからね。量販店のものとは意味がちょっと違うところもあるんだよね。 21/3/12(石川浩司)
寒いのが苦手で低緯度の熱帯地方の国に引っ越してきて10年以上経ちました。
日本の冬は気が滅入るほど嫌いだったのですが、その中で唯一といっていいかもしれない良い想い出があり、それはムートンのロングコートを所有していたこと。毎年冬になるとこのコートを着て外出するのが楽しみでした。
ムートンは羊の毛皮と革の「ダブルフェイス」でできた服飾製品で、コートやブーツなどに使われています。保温性に優れ、防寒の面では寒い気候の国々で抜群な効果を発揮します。そのなかで特に私が好きだったのは羊の毛皮の匂い。むせかえる羊の匂いに包まれると意識が飛んでしまうほど気持ち良いのです。変態っぽい説明で恐縮なのですが、わたしがムートンのコートを愛した理由は暖かさと獣臭です。
コロナで次回いつ帰国できるかわかりませんが、その際はまたこのコートに袖を通したいものであります。現在日本のトランクルームに保管してあります。 21/3/12(波照間エロマンガ島)
他に「癖になる獣臭のする動物」っているのかな? 21/3/12(石川浩司)
靴が好きでこれまでたくさんの靴を履いてきました。
わたしが好きだったのはスニーカーではなく、革靴でした。若い頃は原宿の丸玉商店でやア・ストア・ロボットでイギリス製のラバー・ソウルをたくさん買って履いていましたが、サラリーマンになってちょっとお金が稼げるようになってからはジャン・ポール・ゴルチェや高田喜佐、熊谷登喜夫、パトリック・コックスなどのちょっとオシャレ目なデザイナーの革靴を履いていました。一時はバックスキンの靴にまで行き着きましたが、雨の日に靴が濡れてしまうと靴が駄目になってしまうので、日本ではバックスキンの良い靴は履けないことに嫌気がさし、表革の靴に戻りました。
そんなわたしが寒い日本を出て熱帯の国に現在住んでいるのは、どうした変わりよう〔革利用〕なのでしょう。素足にビーチサンダルがデフォルトの国なのです。革靴にお金をかけている人種はよほどのお金持ちだけしかいません。ラバー・ソウルなんか靴底がアスファルトの熱で溶けてしまいますからよう履けないんです。そんなわけでファッションの嗜好も変わり、最近は日本で履いていたような高価な革靴は止め、安価で履きつぶすローカルメーカーの革靴になっています。スーツの材質も厚いスエード生地は鳴りをひそめ、薄手のウールばかりになっています。〔波照間エロマンガ島〕
気候が違えばまずはそれに合った快適なもの、というのがあるよね。
でも経済成長したらその中でも高級ビーチサンダルなんかも出るんだろうね。 2021/3/19(石川浩司)
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