話題333 ラジオ



皆さんのお好きなラジオ番組は何ですか?
また、これは面白いよ!というものも教えてください。
おいらはローカルですが「土曜ワラッター」です!青森のラジオでなかなかおバカです。
あとは永六輔さんの「誰かとどこかで」も大好きです。
オールナイトニッポンはほとんど聴けていません。←寝ているからですふふふ・・・  11/3/29(ぼくたち玉二郎)


***レス(発言は古い順に並んでます)***


最近は聴いてないなー。
でも高校生ぐらいは深夜放送の鬼だった。
パック・イン・ミュージックが一番好きだったな。
あそこから学んだもの、凄く多い。絶対学校以上。 11/3/29(石川浩司)

僕がよく聞くラジオ番組は、ピストン西沢さんの「グルーヴライン」という番組です。
放送時間は、午後4時30分から、午後8時までです。
とてもおもしろいです。今はグルーヴラインZという番組名ですが・・・
とりあえずおもしろいです。 11/4/7(karoto91001)

その時間はたいてい外にいるなぁ。 11/4/7(石川浩司)

オールナイトニッポンと三宅裕司のヤングパラダイスが大好きでした。 小学生の頃筋肉少女帯を見て死ぬ程怖くて毎日大槻ケンヂさんにうなされていたのですがラジオにその恐怖の大槻ケンヂさんが登場して助けてくれ!!
って思った次の瞬間、ビックリする程マヌケな話を大槻ケンヂさんが始め、すっかり大好きになってしまい、ナゴムへの耐性を付けてくれたラジオは功労者です。 11/4/7(ことり)

昔オールナイトニッポンに出た時、知久君が大槻君と放送中に電話で話した。
「大槻君、こないだ酔っぱらってキチガイみたいになってたよねぇ」
大槻君、思わず絶句。
でも実はこれ、生ではなく収録だったので編集で消して、放送事故にはならなかった。
良かったなぁ。 11/4/7(石川浩司)

職場の人が「この前、ラジオにたまの人出てたよ。なんかプロデュースしてるの?」と言ってきたので、「石川さん!」と答え、そういえば出るって言ってたなぁなんて思い出しました。すみません、私は聞いてないです。すみません、ラジオの聞き方、チャンネルみたいなのの合わせ方がわからんのです。 11/4/7(可南)

うちも今はラジオないので、ネットのradikoというサイトで聴いているよ。
先日のラジオはたぶんニヒル牛についての話かな?文化放送だったら。
なんと普段はいろんな企業の社長とかが出るビジネスコーナーに、新しい店舗形態を作ったということでニヒル牛プロデューサーとして呼ばれました〜。 11/4/7(石川浩司)

今は聞き逃したり、聞けない時間帯、地域の番組でもPodcastでいつでも聞ける番組も多いから良いですよね。

僕がよく聞くのは、TBSのウィークエンド・シャッフルとキラ☆キラです。
ウィークエンド・シャッフルは宇多丸の映画評論コーナーと着眼点が新鮮なサタデーナイトラボのコーナーが面白い。
キラ☆キラは宇多丸、吉田豪、町山智浩、ピエール滝、水道橋博士など昼の番組とは思えない濃い面子が揃ってスゴイことになってます。
どちらもPodcastが充実してるので放送がない所でも聞けます 11/4/13(オトシン)

俺もPodcastは割と聴いてる。時間が自由だから。
混んでる列車の中とかね。本も広げられない状況の時とか。
おぎやはぎ、伊集院光、バナナマンあたりはよく聴くな。 11/4/13(石川浩司)

わー、ラジオのトピックが立ってうれしいです!1970年代半ば、小学校高学年くらいからラジオを主体的に聴き始めました。数限りなく想い出がありますが、石川さんと同じように深夜放送が自分に与えた影響はやはり絶大でした。
石川さんのこのホームページは、深夜のラジオ番組の匂いがするのは気のせいでしょうか。真面目な話から下ネタにいたるまでさまざまなコーナーがあって、いろんな人が集まってわいわいやっているのがラジオをイメージするのです。
昔のラジオ番組を思い出したらまたここに投稿します。 11/4/13(波照間エロマンガ島)

いや、実際そのイメージは持っている。
元々最初はチャットで、そこで面白い話とかが出てもその場で流れていってしまうのがもったいなくてこの「王様の耳はロボの耳」が出来て、さらにコンテンツが続々と増えていった流れなのだ。
  文字によるインタラクティブ深夜放送だね〜。11/4/13(石川浩司)

スクールオブロックをよく聴きます。
学生リスナーを対象にした番組なのでとっても楽しいです。
ゲストもよく来るのでいっつも新鮮です。 11/4/24(黄色いさんた)

学生リスナー。
俺をゲストに呼ぶようにリクエストしてくらさいっ!
さぁ、出入り禁止になるぞっ〜。 11/4/24(石川浩司)

あ リクエストしてみます!
毎日、しつこく!笑  11/5/3(黄色いさんた)

まかせたぞっ!イエローサンタクロース! 11/5/3(石川浩司)

ラジオは青春時代とイコールですな。
高校生だった1980年代初め、受験勉強のためという名目で、夕食後すぐに寝て夜中に起きてオールナイトニッポンを夢中で聴いてました。
中島みゆきの歌とトークのギャップの激しさ、ビートたけしと高田文夫の笑い声、谷山浩子の癒される歌声などなどどれも良かったですね〜。
もうやめてしまいましたが、佐々木好というとても声のきれいな歌い手を知ったのも深夜ラジオでした。懐かしいです。
あれからウン十年が経ち、今よく聴いているラジオ番組は家事をしながらのナイター中継であります。これはこれでまた楽し、です。  11/5/12(わにこ)

家事をしながらだとラジオってちょうどいいよねー。
佐々木好、おまちゃんが好きだったなー。 11/5/12(石川浩司)

ラジオ大好きです〜!
中学生の頃から、ずっと聴いてます。何かしながら聴けるのが良いです。
今は台所で料理をしながら聴いています。
住んでいる京都は、山に囲まれていて電波が悪く、FMココロという一局しか入りません。それが最近「オーバー45のための番組」というコンセプトになってしまい、日本の古い曲ばかり流れるようになりました。けれど、気が付いたらそれらの曲を口ずさんでいる自分がいます・・・。やっぱり名曲なのかも。 11/5/12(ぴよまる)

最近テレビでも俺たちが小中学生だった頃のヒット曲流す番組増えてる。
当時を生きた人なら誰でも知っているという曲が多かったからね。
今は趣味の細分化が進んだのでなかなか国民的ヒット曲がうまれない。
それは寂しい気もするけど、本来は個人趣味的なものなわけだから、よりいろんなジャンルの音楽がそれぞれに深く聴かれているとしたら、良いことなのかもしれないね。 11/5/12(石川浩司)

今は、インターネットラジオというのがすごいですね!
世界中の色んな番組が聴けるのが良いです。ひたすら同じジャンルの音楽のみを流している局がけっこうあって、一時期欲しかった有線、いらないなと思います。 11/7/7(ぴよまる)

俺も時々聴いてる。
なんとなくジャズが聴きたいな、とかいう時便利だよね! 11/7/7(石川浩司)

今、某動画投稿サイトにラジオ関東版ラジオ番組「GO! GO! NIAGARA」がアップロードされていますが、大滝詠一氏がはっぴいえんどの細野晴臣さんのことを「細野さんはキチガイだから」と言っている発言が消されずに残っているのにびっくりしてしまいました。1970年代中期くらいはまだまだ放送禁止用語に寛容だったということでしょうか。ちなみに細野さんがゲストで出演した回では、YMOの発想の原点となったマーティン・デニーの「ファイヤー・クラッカー」などの音源は当時友人の音楽ライターの田中氏から教えてもらったと名言していました。この田中さんって、のちにS−KENを結成し、東京ロッカーズのムーブメントの中心的存在であった田中唯士さんのことだと思われます。記憶違いだったらゴメンナサイ。 11/8/30(波照間エロマンガ島)

たまが最初で最後に入った音楽事務所がS−KENのベーシストが社長でした。
絵に描いたような偽物社長で、本人も自覚していてたま解散ライブの時来てくれたので「今、何してるの?」と聞いたら「怪しいこと」とほくそ笑んでました。 11/8/30(石川浩司)

長らく営業で営業車に乗って仕事をしていたのでカーラジオは心の潤滑油でした。
午前中、仕事始まりはNHKFMのクラシック音楽にダイヤルを合わせます。すると不思議と気分がよくなりアルファ波が脳から出る状態になりました。午前中は都心部はまだ交通渋滞も少なく、すいすい車が流れて気持ちよく運転できるのです。好きな曲を見つけるとメモしてCDを買いに行ったりしました。午後は文化放送の「吉田照美のやる気MANMAN」(2007年番組終了)をよく聴いてました。仕事から帰ってきて仮眠をとり、深夜キャバクラ嬢の送りの仕事では、J-WAVEをよく聴いてました。みうらじゅんと安斎肇がパーソナリティーをつとめた「TR2」はその下品さにおいて、いまだにそれを上回る番組はなかったと言えるほどの伝説の番組だと確信します。みうらさんはその後J-WAVEの上層部の逆鱗に触れ、局へ出入り禁止になります(笑)。あ、それから若い頃は「オールナイトニッポン」などのヘビーリスナーでしたが、加齢するとNHKの「ラジオ深夜便」にシフトしていきました。・・・ラジオは本当に大好きです。一生つきあっていくメディアだと思います。 11/9/16(波照間エロマンガ島)

「吉田照美のやる気MANMAN」は数回出たと思う。
テレビと違ってラジオは一般的に現場もピリピリしてなくて、そんなのも好きだなー。 11/9/16(石川浩司)

山下達郎の「オールナイトニッポン」(火曜第2部、1976年頃)。当時中学2年生でしたがよく聴いていました。時期的に言うとSUGAR BABEを解散してソロでやり始めた時期だと思われます。その番組では1960年代のビーチ・ボーイズ周辺の音楽を年代順に特集し、「ペット・サウンズ」を経て未完成でお蔵入りした「スマイル」にかけてのブライアン・ウィルソンの音楽実験について初めて知識を得ました。それまではどちらかというとビートルズばかり聴いていたので、新しい世界が広がっていきました。その前後からアメリカのヒットチャートに興味をもち、ラジオ関東の「全米トップ40」という番組を聴きだし、ノートにビルボードのヒットチャートを記録するという日々が数年続きました。1975年から1977年くらいまでのアメリカでヒットした曲はだいたい覚えています。 11/10/13(波照間エロマンガ島)

俺も中学の頃は洋楽のベストテンみたいなの毎週ノートに付けてた!
まだビートルズメンバーソロが充実している頃で「おっ、今週はジョージとウイングスが両方ランクインしてる!」なんて喜んでたな。
ベイ・シティ・ローラーズとかも凄い人気だったね。
後年、本当は演奏してないアイドルバンドだったのがバレて、今ではロックの歴史でもまず語られることはないけどねー。 11/10/13(石川浩司)

中学2〜3年生時のクラスでは男子がキッスやクィーン派、女子がベイ・シティ・ローラーズ派と完全に別れていました。ちょっとませた男の子がELPやキング・クリムゾンなどのプログレッシブロックを聴いていたような記憶があります。でも、ベイ・シティ・ローラーズはクィーンより先に全米No.1になっているんですね。1976年の1月第1週のビルボードは「サタデー・ナイト」が1位だったと思います。同じ頃のクィーンの「ボヘミアン・ラプソディ」は最高位7位くらいだったかな。なぜか今、友人でフレディ・マーキュリーにはまっている女性がいて、熱狂的なつぶやきをしているのを読むたび、昔のことをいろいろ思い出します。  11/10/25 11/10/25(波照間エロマンガ島)

まあ今のロック状況をよく知っているわけじゃないから違ってるかもしれないけど、やはり70年代とかの方がいろんなバンドが跳梁跋扈していて面白かった気がするなあ。
それとも20年後くらいには今の音楽が懐かし面白いと懐古される時代のスパイラルなのかね? 11/10/25(石川浩司)

中学時代塾帰り、父の車のラジオから流れてきた友部正人さんの「ふーさん」と、加川良さんの「東京」が色々な音楽を聴くようになったきっかけでした。当時21世紀、この渋いチョイスの番組は何だったのか気になります。
面白かった番組は、TABOO SONGSです。名前どおり放送禁止歌特集。「からっぽの世界」、「イムジン河」などなど様々な理由で封印された曲を解放し、封印の背景などが語られました。否が応でもアングラ的な雰囲気になる。
またこういう番組、やらないかなと思ってます。なかなか難しいのだと思いますが。 12/1/13(豆三元)

俺の歌も放送出来ないのたくさんある。
ソロ曲はもちろん、たまのでもねー。
なのでライブでしか聴けないものも多いんだよね。 12/1/13(石川浩司)

ラジオってやっぱりいいですよね
私実は文化放送の「武田鉄矢の今朝の三枚おろし」をかけながら学校に歩いて行っています。
学校で堂々とラジオをかけたことも何度もありますよ 12/3/26「ぼくたち玉二郎」

朝から武田鉄矢か。濃そうだ・・・。 12/3/26(石川浩司)

2009年春、何年ぶりかで大阪へ旅行したときのこと。タクシーに乗っているとカーラジオから聞こえてきたのは、浜村淳さんの声でした。この番組、「ありがとう浜村淳です」は1974年放送開始とのことで、なんと40年近く続いている長寿番組なんですね。高校時代、大学時代に関西に来たときにも聴いた記憶がよみがえってきました。東京人なので使い方が合っているかわかりませんが「コテコテ」なテイストが、「ああ、大阪に来たんだなー」という印象となって記憶に残りました。  12/9/14(波照間エロマンガ島)

あれ?浜村淳ってもう亡くなったと思って調べてみたらお元気だった。失礼!
最近もう誰が生きてるか死んでるか分からないことない?
しかもテレビドラマとかで再放送とかやっていると余計に。 12/9/14(石川浩司)

金曜くらいからオールナイトニッポン45周年記念45時間オールナイト!やってました。
めちゃくちゃ豪華です。
オードリーと鶴光からはじまりはじまりから爆笑でしたビートたけしやロンブー、鶴瓶やそうかの姉さんとりあえず1番楽しみにしてた中島みゆきから谷山浩子の流れを聞きましたがもう最高でした。
中島みゆきのメール読みとかうますぎです。しかも共演もしておりました。
ラジオも昔の方が面白かったんだろうなって思います。
ビートたけしの谷山浩子は不細工だろっとか普通に言ってて面白かったです。
みんなテレビの顔と違うからラジオはいいですね。
しかし今のオールナイトは・・・ 13/3/2(人生ライパチ)

今のオールナイトは知らないけど、俺も高校時代はラジオの深夜放送にどっぷりはまって、そこでいわゆるアングラ系の音楽とかを知った。
あの頃聴いてなかったら人生変わったかもなー。
もっとも寝不足でよく学校は欠席してたけど。
そういえば「有頂天とたまのオールナイトニッポン」というのもスペシャルで一回だけやったことあるな。 13/3/2(石川浩司)

家にテレビがなくて
ラジオをずっと聞いてます。
とにかく聞きまくってます。
一杯話したいのですが
とりいそぎお伝えしたいのが
次の爆笑問題の日曜サンデーの特集は
イカ天特集である事です。
石川先生は出演されてますか??
URLは貼れないかと思いますが
探せばYouTubeにあると思いますので
みなさん是非探して見てください。 13/3/2(人生ライパチ)

出演してなーい。タイにいるから(笑)。 13/3/2(石川浩司)

日曜サンデーのイカ天特集聞きました。
太田さんがたまをお笑い部門にいれており。
最初かなりイラつきましたがその後に出た生ゲストの萩原さんがたまをお笑いにいれたらダメですよと訂正してくれてなんか嬉しかったです。
しかも最初に萩原さんは凄い凄いって太田さんが褒めちぎった後だったので太田さんかなりシュンっとしてましたよ。
太田さんたまの事絶対好きだと思ってたのになー。 13/3/2(人生ライパチ)

ふ〜ん。まあたまとか趣味性が強いから好き嫌いが分かれるのはしょうがないよ。
爆笑問題さんとはまだ会ったことないな。 13/3/2(石川浩司)

なんと!
うにとろたまと有頂天のオールナイトニッポン最高の情報ありがとうございます!
そして今、速攻聞いてます(笑)
インディーズのCDのお金はくれましたか?
今、たまのライブが始まりました。
あぁ鳥肌っす。
あらためてこんなに凄いバンドがいるなんてと溜息です。石川さん愛してます。  12/3/14(人生ライパチ)

ケラさんからはもちろんお金もらってるがインディーズなので大雑把。
妥当な金額かどうかは詮索しないことにしてる。 12/3/14(石川浩司)

今のオールナイトニッポンですがナイナイとオードリーだけは聞いてます。ナイナイの最後の方にあるネタコーナーアンジェラアキが曲と曲との間にお客さんに話しかけるネタが面白いです。毎回、岡村さんのクンニ嫌いについて語る流れがめっちゃ面白いです。岡村さんがクンニが嫌いでもうちかまへん思うねん。と語ります。あとオードリーでは今ユメちゃん日記というコーナーが面白いです。 普通の女の子がネタを読んでます毎回1番最後のネタはユメちゃんが小ネタを連続で言うのですがあいだあいだにさよなら人類をユメちゃんが歌います。  12/3/14(人生ライパチ)

えっ、毎回さよなら人類歌うの? 12/3/14(石川浩司)

先日チャットでおしゃべりしていると、つボイノリオさんの話題になって、今も東海地方では現役のラジオパーソナリティーで人気があるという情報を名古屋に住んでいる方から聞いて、びっくりしてしまいました。つボイさんの「オールナイトニッポン」を私が聴いていたのは1977〜8年当時ですから、あれからもう35年くらい時間が経過しているわけで、本当に息が長い人だなぁと感心したしだい。東海地方というのは、ラジオから発信される文化の風土が独特にあるような気がします。とうじ魔とうじさんの「とうじ魔とうじ養成ギブス」に、とうじ魔さんが子供の頃、ラジオの深夜放送で聴いてアイドルだったフォークシンガーの山平和彦さんに会いに名古屋に行くくだりが出てくるのですが、思春期にラジオを通して人格を形成していく過程の甘酸っぱい感覚があますところなく表現されていて、読んでいてきゅんとなってしまったものでした。山平さんは秋田出身ですが、当時は名古屋を中心に活動をしていたようです。名古屋には文化を発信する魅力のある土壌が何かあるのでしょうか?  13/3/31(波照間エロマンガ島)

そういえば兵藤ゆきも未だに名古屋で活躍してるんだっけ?
名古屋文化は息が長いの特徴なのかもね。 13/3/31(石川浩司)

最近はあまり行ってませんが、以前はハワイをよく旅行していました。オアフ島やネーバーアイランドでの楽しみはレンタカーの運転。ハワイは自動車の運転がストレスがなくとっても気持ちよく走れます。カーラジオでハワイアンを聴きながら島内一周などをすると、脳内麻薬が分泌して、よい気持ちになっていきました。ハワイのFMラジオ大好きです。 13/8/12(波照間エロマンガ島)

車に乗らない俺は、内容は違うだろうけど自転車でそれをやってた。
坂を下っていく時の爽快感は相当なもの。
ただ下るということはその前後に必ず上るという行為がつくのが難なんだよねん! 13/8/12(石川浩司)

「ラジオ」トピ立て主のぼくたち玉二郎さんへ。
TBSラジオの「永六輔の誰かとどこかで」は、打ち切りが決定したとのことです。
「2013年8月29日に同年9月27日で放送を終了することが明らかとなった。終了理由としてはスポンサーである桃屋から降板の意向を伝えられたためのほか、永の体調を含め総合的に考えた結果としている。終了後は年3、4回の特別番組の放送を予定している」とのこと。
ちょっと寂しいですが、永さん、長い間、お疲れ様でした。 13/9/11(波照間エロマンガ島)

  遂に大好きだった中年御三家も活動としてはほぼ終了かー。
しょうがないとは言え、ほんなこつ、淋しいねえ。 13/9/11(石川浩司)

先日、友人の部屋に遊びに行った時のこと。リビングルームでおしゃべりしていると、棚の上にある大きなステレオラジカセから音楽がかかっていてその話題になりました。友人いはく「このラジカセ、拾ったんだよ。けっこういい音してるべ?」と。 私「うん、そうだね。これはCD?」 友人「違うんだよー。実はこれ」と言うと、友人はiPod touchを取り出してきました。「このiPodをトランスミッターで飛ばして、あのラジカセのFMで流しているわけ。FMラジオから俺の選曲した曲が流れているから常に気持ちいいのよ」 私「おー!!これはいいねぇ」・・・というわけで、友人はそうやってiPod touchに入っている音楽データをラジオで流すことによって音楽を楽しんでいました。音楽はアナログレコードからCDに時代が替わり、そして現在はデジタルデータ化して一般に頒布されていますが、音質はかえって自分にとって好ましいものではなくなっていると個人的には思います。私が子供のころレコードやラジオから聴いた音楽は、雑音込みで聴いていたのですが、かえってその体験が楽しかった、あれはなんだったんでしょうねー。 14/4/18(波照間エロマンガ島)

音楽にとって音質はさほど重要な要素じゃない、と実は俺は昔から思ってる。
音響関係の人にはちょっと言えないが・・・。 14/4/18(石川浩司)

石川さんが大好きだった中年御三家。その一翼を担う、永六輔さんですが、最近、「プロ」書評家で「プロ」インタビュアーの吉田豪さんがラジオ番組で取り上げていて、抱腹絶倒の面白さでした。たぶん、時代を経ると削除されてしまうでしょうけど、YoutubeのURLを貼っておきますので、ぜひご一聴をお願いします。初めての著書を上梓した若き頃から現在に至るまでの永さんの変態ぶりがヴィヴィッドに紹介されています。私もその一端は存じ上げていましたがまさかここまで凄い人だとは思ってもみませんでした。 http://www.youtube.com/watch?v=0-bm1VnkOvs  14/4/25(波照間エロマンガ島)

過激だねえ。
やっぱり最近の人は大人しいねえ。
怒られない範囲でしか物事をやらないねえ。 14/4/25(石川浩司)

首都圏で自我を形成したので、在京ラジオ局にはそれぞれ思い出があります。中でも私が好きだったのは、ラジオ関東〔現・アール・エフ・ラジオ日本〕、通称「ラジ関」。電波の出力が弱く、リバーブをかけたようなもわーっとした音響で放送されてました。その環境で聴いた、「全米トップ40」や「ゴーゴーナイアガラ」、「電撃ワイドウルトラ放送局」などの番組は、感受性の強い中学高校時代、かなり影響を受けました。神奈川県域で認可されたローカルラジオ局でしたが、実質関東地方のどこででも聴くことができました。スタジオは港区麻布台と横浜市にありました。今でもたまに当時エアチェックしたカセットテープを聴いて往時を懐かしんでいます。 14/5/19(波照間エロマンガ島) 

俺は深夜放送に関してはオールナイトニッポンよりパックインミュージック派だったな。
まぁディスクジョッキー次第でもあったんだけど。
なのでTBSがなんとなく馴染みがあるかな。 14/5/19(石川浩司)

  TBSラジオ「パックインミュージック」は勿論聴いてました。野沢那智と白石冬美の通称「ナッチャコパック」で覚えているのは、時代的には「失恋魔術師とお志乃ちゃん」の頃で、リスナー同士の恋の道行きを描いたシリーズは抱腹絶倒でしたねー。ただ投稿の手紙を読んでいるだけで、どうしてこんなに立体的に生々しく情景が浮かぶのだろう、と高校時代のわたしはラジオの魔力にとらわれていました。お志乃ちゃんはポン女〔日本女子大〕だったかな。インターネットのない時代の双方向コミュニケーションの形にリスナーとして、「番組に参加している」という意識をもったものでした。 14/5/31(波照間エロマンガ島)

  うんうん。このラジオの投稿を本にした「もうひとつの別の広場」シリーズも結構買ったな〜。 14/5/31(石川浩司)

13/8/12 の自分の投稿の追記ですが、最近は大滝詠一さんの往年のラジオ番組「Go Go Niagara」ばかりYouTubeで聴いているのですが、大滝さんもハワイでレンタカーを運転しながらFMのカーラジオを聴くのが好きだったそうですね。その時の音質を求めて、日本ではキャデラックなどのアメ車を乗り継いでいたとか。自分と同じことを感じていた人がいたんだー!!と心の中で叫んでしまいました。そうそう、ハワイとかメインランドのカーラジオで聴くポップスは最高にハマるんですよー!! 14/7/6(波照間エロマンガ島)

あー、そういうのって気持ちいいかもねー。
車はおろか免許も持ってない俺は時々人の車に乗せてもらって聴くぐらいだけど、移動しながらの音楽って独特のものがあるよね。
映画のワンシーンのような気持ちになったりね。 14/7/6(石川浩司)

  僕もラジオ派です。まあ、移動中は親父の車か友人の車でしか聴けませんが、昨年やったか一昨年やったか、国道19号線を走っている途中に信越放送聴いてました。歌詞を間違わずに全部歌い上げるみたいな電話出演コーナーがあって、女性リスナーさんがゲゲゲの鬼太郎を歌いきってはりました。
  平日の朝9時代から11時代にかけての信越放送、リスナーさんの電話参加が多いので、地方から行くとなかなかおもしろい。信州広いためか、パーソナリティの知りはれへん地域性や風習何かも出てきてたようですよ。
  ただ、19号線木曽郡内は信越放送殆ど入れへん。あれどないかなれへんもんかなあ思いました。
そうそう、浜村さんMBSラジオで現役ですよー。最近は疲れてはるなあと思う事はよくありますが!  14/7/13(西大路)

ラジオって時々すごいコーナーがあって「おおっ」と思うことあるよね。
テレビのように予算が無いから逆にアイデア勝負みたいな。面白いよねー。
俺も中高生時代は毎週のようにラジオに投稿してたなー。まだ「ハガキ職人」「ラジオネーム」なんて言葉は無かった頃だけどね。 14/7/13(石川浩司)

  今から20年ほど前、外回りの営業の仕事をしていました。仕事をしながら移動中カーラジオを聴くのが唯一の楽しみでした。その中でよく聴いたのがFENという在日米軍が駐在している米軍軍人とその関係者に向けた英語放送。関東近郊では810KHZで聴くことができました。FENはアメリカの有名DJのラジオ番組を流すことが多いのですが、そのほかに生放送でローカルな放送もけっこうオンエアしていました。
  ある日、いつものようにFENを聴いていると、ディープ・パープルの初期のナンバー、「ハッシュ」がかかっていました。その時、別の日の同じ時刻にも同じ曲がかかっていることを思い出しました。その瞬間「これは在日米軍の暗号情報じゃないかー!!」ということを気づいてしまいました。まったく根拠も証拠もありませんが、なぜか強い確信がありました。「ハッシュ」がかかると、米軍の軍事演習中の部隊に向けての何かの合図、暗号になっている、という考えに憑かれてしまったのです。それからしばらくは興奮していろいろなことを妄想し続けました。すると、ほどなくして別の時間帯で駐在軍人の家族のための「簡単に覚える日本語講座」という3分くらいの番組が、軍事演習のシグナルになっているこ  とを本で書いている人がいて、「やっぱりそうだったんだ」と自分の考えが間違いではなかったことを確認しました。あ、でもこれは確認したわけではないので、ただの妄想ということも考えられるので悪しからず。 14/12/4(波照間エロマンガ島)

成る程・・・。
そういうのFENに限らずいろいろあるかもね。
もしかしてさり気ない世界を揺るがす大きな暗号が日常の中に隠されてるかもしれない・・・。 14/12/4(石川浩司)

  中学高校時代にラジオの公開放送をよく見に行った話は以前書きましたが、また思い出した番組があったので紹介します。1977年10月から1978年3月まで、プロ野球シーズンの農閑期にニッポン放送で毎週土曜日19時30分から21時まで放送していた「変身ウィークエンド 踊れ!ヒットだ! 電話リクエスト」という番組。司会はタモリと原田真二と清水由貴子。まだ3人ともメジャーになる直前の時期で、番組名には「タモリの〜」とかの冠はついていません。公開生放送だったので、よく土曜日の夕方有楽町にスタジオ観覧に行っていました。タモさんは左ハンドルの縦目のベンツのセダンを運転して局入りしたのを今でも覚えています。あれは今から思うと、赤塚不二夫さんの車だったのかな。タモリは上京時、赤塚さんから住まいから生活費から何から支給されていたというエピソードがありましたから。1977年だともう「うわさのチャンネル」や「モンティパイソン」のレギュラーではあったと思う。内容はあらかた忘れましたが、タモさんがゲストの歌うのに合わせて変なストリップダンスをしているのはなんとなく覚えています。なんか当時は存在感が露悪的で、トニー谷みたく、場内の空気を悪くするような「悪の華」がぷんぷんと匂わす人でした。存在感は江頭2:50に近かった。ゲスト歌手で覚えているのは、のちに後藤次利夫人を経て竹中直人夫人となった木之内みどりさん。綺麗でしたー。そのとき歌っていた「横浜いれぶん」は名曲だったにゃ。  14/12/26(芸能界ミーハーだった波照間エロマンガ島)

そうなんだよね、出てきた時はお客さんに引かれるような人でも見慣れて来ると好感度があがって普通のタレントとしてやっていける場合があるんだよね。というかその癖が認められることである種大物にまでなるというか。
例えば関根勤(デビュー当時はラビット関根)なんかも最初はかなりのキワモノだったよね。  14/12/26(石川浩司)

  最近、NHK京都ラジオAM局の放送が終わりました。
理由は大阪AM局の中継局が京都にも設置されて受信感度が良くなった事と、NHK京都が移転した事らしいです。
そう言えばどれぐらい前やったかなあ、民間の大阪AM局が京都にも一斉に中継局を設置して受信環境が良くなった事がありました。
埼玉県や神奈川県など、東京からのAMラジオの受信環境は以前から良いのですか? 15/2/7(西大路)

今はネットのRadikoで聴くことが多いな。雑音一切無いし、ラジオ持ってなくても聴けるから。 15/2/7(石川浩司)

最近、京都のラジオパーソナリティの一人と友達という患者が来られるようになりました。 その方の治療中パスカルズを流したのですが、ラジオパーソナリティ本人も来てくれへんかなあと。
近い将来、パスカルズやホルモン鉄道が京都のラジオ出演! 15/2/15(西大路)

それ是非たのんますわ。
パスカルズは以外とテレビのBGMとかで使われてるみたいだから特にホルモン鉄道お願いしますわっ! 15/2/15(石川浩司)

トピたて主のぼくたち玉二郎さんへ、および13/9/11の追記。そういえば今思い出しましたが、この番組のアシスタントの遠藤泰子さん〔元TBSアナウンサー〕について。多くの永さんのTBSラジオの番組でアシスタントをこなし、名コンビと謳われ番組を放送していました。一時期はテレビにも進出して、「3時に会いましょう」の司会も担当していたのですが、確か飲酒運転で自損事故を起こし司会を降板。仕事が激減した中、永さんに「誰かとどこかで」で拾われて復活したのだそうです。飲酒運転で事故ったら今の時代だったらフリーランサーだったらまぁ復活できないでしょうね。そんなことを思い出しました。 15/2/19(波照間エロマンガ島)

あー、DJってうまいタイミングで相づち打ってくれる相手ってすっごく重要なんだよね。
漫才師なんかも結局そうなんだろうけどね。ただのツッコミで面白くないと思われてもボケはそのツッコミの間がないと出来ないこともあるしね。 15/2/19(石川浩司)

14/12/4の石川さん。

そうそう、「ゴルゴ13」で、ビッグベンの12時の鐘がいつもより1回多い13回鳴って、それがゴルゴとの暗号になっているとか。世の中にはこういうことって多いのかもしれません。 15/3/24(波照間エロマンガ島)

木を隠すなら森に隠せのようにね。大掛かりにやられても逆に盲点で気づかないことってあるよね。 15/3/24(石川浩司)

13/3/31の追記。そういえば、つボイノリオさんは、「オールナイトニッポン」のパーソナリティーを、金曜日深夜1時から5時まで、珍しく1部と2部の計4時間担当していたことを思い出しました。土曜深夜の笑福亭鶴光も4時間でしたね。つボイさんは投稿してはがきを読んでもらったことが何回かあります。ある時、公開放送の回があって、当時売り出し中のチャーとギター対決したの覚えているなー。けっこう、つボイさんブルースギターとか上手くてロバート・ジョンソンとかクラプトンとかやってましたよ。息子さんがロックミュージシャンになったのはお父さんのロックな一面を見て育ったからかしら?などと思ったりもします。  15/7/18(波照間エロマンガ島)

クワガターズ(カメレオンズ)の坪井君「実はお父さんがつボイノリオ」と聞かされた時は驚いたなあ。
そういえば坪井君と最初に会ったのは「ミュージシャンによる大喜利大会」の会場だった。
坪井君の歌はコミックソングでは無いが、そういえばセンスはあったもんなー。 15/7/18(石川浩司)

ここで関東ローカルのAMラジオ局事情についてちょっと覚書程度に書いてみます。現在TBSラジオは、「ポスト永六輔」という動きが水面下で進行していると思うのです。土曜の昼間をこの40年間くらい断続的ではあるが番組を続けてきた永さん。齢八十を過ぎ、今もなお番組を続けていますが、生物学的な寿命もあり、裏では永さんの後任者を探すようになっていることでしょう。
この永さんの長寿番組、「土曜ワイドラジオ東京」からは、久米宏というアナウンサー・キャスターをこの世に生み出しました。ここで外回りレポーターをしていた久米さんはブレイクし、この番組の後任司会者に抜擢され、そこからテレビ界に進出していった経緯があります。久米 さんは現在TBSラジオで「久米宏のラジオなんですけど」という番組を10年近くやっていますが、「ポスト永」の有力候補の一人であると思います。でも、その久米さんも1944年生まれで今年72歳になるので、失礼なことを書きますがそれほど未来は長くはない。
そこで、その下の世代に目を転じると、TBSラジオに貢献しているタレントやアナウンサー、お笑い芸人というと、やはり伊集院光になるのかな、と思うのです。伊集院光は、1990年代後半、ニッポン放送をしくじって出入り禁止になり、ほとぼりが冷めるまでTBSに一時転籍するつもりで始めたラジオが大ブレイクし、聴取率で圧倒的な強さでニッポン放送を打ち負かしてしまい、TBSのキラーコンテンツになったという歴史があります。今や、TBSの顔とも 言える。お昼のラジオも現在爆笑問題が担当している日曜午後の枠でも番組をやっていたので、土曜日の永さんの後釜にも座れる可能性は十分に高いと思われます。
というわけで、この5年以内にTBSラジオは、急速に世代交代が進むのではないか、というのが私の予想です。 15/8/22(波照間エロマンガ島)

そういえば俺がよく聴いていたパック・イン・ミュージックも鬼籍に入った人多いしな。
というか今後ラジオという媒体はどうなっていくのだろう?
生放送のスポーツ中継やニュース等以外はポッドキャストとかに移っていくのだろうか? 15/8/22(石川浩司)

15/8/22の追記。と思ったら、「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔 その新世界」、2015年9月で終了ですって!で、もって、永さんの後番組の担当は、残念ながら伊集院光ではなく、ナイツとのこと。さて、どうなるのでしょうか、お手並み拝見というところであります。 http://irorio.jp/gt1999/20150823/254709/  15/8/25(波照間エロマンガ島)

でも永さん、別の新番組すぐ始まるって。ひと安心。
今ちょうど永さんの「昭和」という本を読んでるとこ。 15/8/25(石川浩司)

そういえば、石川さんが青春時代を過ごした群馬県は、「まえたか」〔前橋高等学校〕、「たかたか」〔高崎高等学校〕という県立高校があって何かと張り合って両校の生徒が競って投稿していたのを、「ナッチャコパック〔野沢那智・白石冬美のパックインミュージック〕」で聞いた覚えがあります。永さんもラジオで言ってたかな。「宿命のライバル」みたいに張り合うのって、学園ドラマ的なシチュエーションで面白いなー、と思っていました。野沢さんの投稿を読む技術は本当に凄く、毎回抱腹絶倒の連続でした。石川さんは「まえたか」とか「たかたか」のネタは覚えていますか? 15/9/10(波照間エロマンガ島)

それは覚えてないなー。聴いてたら絶対覚えてるはずだけど。
なんせ両校は群馬では頭の良さを誇る二大高校。
もちろん俺には関係の無い高校だった・・・。 15/9/10(石川浩司)

自分からはぜぇんぜん聴かないんです。ただ職場はFM802がずっとかかっています。急にふっと懐かしいヒットソングが流れると仕事を忘れてしみじみしてしまいまたお釣りを間違えて渡して大騒ぎ。なぜかドリカムの「大阪LOVER」がリクエストでやたらと掛かるので鬱陶しいのですが、気鋭の新人さん(最近ではへんなガールズバンドの『赤い公園』がおすすめ)を見つけたり曲だけ知ってて名前がわからなかった曲のタイトルや歌い手が判明したりとなかなか便利な奴です。そのうちDJさんが変わるとなんかさみしくなったりする自分が居てビックリしたりもします。 15/9/26(オポムチャン)

DJと言っても本当に自分が選曲しているのと、ただ局から与えられた指示通りにかけてる人がいるよね。 15/9/26(石川浩司)

15/2/7の西大路さん。東京にあるAM民放ラジオ局は、出力が強いので関東1都6県のほとんどの地域で問題なく聴くことができます。ただ、8年くらい前は山梨県と群馬県の山間部に入るとノイズが酷くなっていました。送信所はニッポン放送が千葉県木更津市〔以前は東京都足立区〕、文化放送が埼玉県川口市、TBSが埼玉県戸田市、ラジオ日本が神奈川県川崎市にそれぞれあります。 15/9/26(波照間エロマンガ島)

へー、みんな東京じゃないんだ!
ちょいとしたトリビアだね。 15/9/26(石川浩司)

TBSラジオ制作の番組は、関西ではMBSラジオで「ドライバーズリクエスト」が放送されています。
本年1月に二人の出演者が二人とも新しい人になったため、今もまだ馴染めませんわ! 15/10/9(西大路)

馴染みの声ってあるよね。
アニメの声優さんが変わった直後なんてみんな混乱するもんね。 15/10/9(石川浩司)

北欧のノルウェイでは、デジタルラジオの興隆により、ついに2017年にFMラジオ全局の停波を発表しました。これからの世の中、ラジオというメディアがどうなっていくのか、気になるニュースであります。実際インターネット経由で日本のラジオ番組を聴くことが多いので、純粋に空中を飛んでいる電波をキャッチしてそれをラジオで視聴するという機会はだいぶん減ってきてはいると思いますが。 15/10/9(波照間エロマンガ島)

あ、俺もそのニュース聞いて思ったな。
何でもデジタルになるけどいつか誰かが「デジタル総破壊装置」を作ると思う。
世の中のデータというデータ全部消える。
確実にあると思うな。 15/10/9(石川浩司)

そう。「デジタル総破壊装置」ができるのを見越して頭のいい人は、CB無線やラジオなどの自前の通信手段を確保しているような気もします。もし非常災害時にインターネットもテレビもラジオも携帯電話もなくなったらどうなるのか、想像するだけで恐ろしいです。  15/11/1(波照間エロマンガ島)

ネットウイルスを作る人が世界にこれだけいるんだから絶対作る奴出ると思う。
それで世界がまた変わる。  15/11/1(石川浩司)

関東のAMラジオ局はやはり関東全域で聴けるんですね!  15/11/1(西大路)

いやいや、群馬に住んでた時は結構街中でも東京のラジオのノイズヒドかったこともあったよ。
山間部ではまずほとんど入らないだろうね。  15/11/1(石川浩司)

この前の関西出前ライブ。開始の時に僕の右側に座っていたのが、KBSラジオのパーソナリティです。
興味のある方は、月曜から木曜の朝10時に、AMラジオ1143キロヘルツか、ラジコプレミアムでお聴き下さい。時報直後最初に流れる声がその人です。番組は3時間55分続きます!  15/11/1(西大路)

スゴい。4時間近くも喋るなんてまさにプロだね。
喋り続けられるのも才能。ネタがあったとしても口が疲れるんだよね。  15/11/1(石川浩司)

ただ残念な事に、番組名にこのパーソナリティの名前が入ってない! 15/11/14(西大路)

ああ〜、冠じゃないんだね。
いつか付けてもらえる日が来るといいね。 15/11/14(石川浩司)

2015年12月、在京の民放AM3局が放送免許をとり、AMラジオと同じ放送をFMでも送信するサービスを開始しました。これを「ワイドFM」という愛称で呼ぶことにし、現在普及期間として各局とも放送中にアナウンスしています。

ワイドFM〔FM補完中継局〕とは、AMラジオ放送の放送対象地域において、親局または中継局の放送区域内の災害対策や難聴〔都市型難聴、外国波混信、地理的・地形的難聴〕対策のために整備されるFM方式による中継局のことです。

現在AMラジオの番組はインターネットのポッドキャストで楽しめる時代なので、これはそれほど驚くニュースではないのですが、今から30年くらい前だったらびっくり仰天しただろうと思います。AMラジオというのは、どんなに送信所の中継エリアの圏内にいても、特有のノイズを伴って体験するメディアだからです。それがノイズ微弱なFM電波のクリアーな音質で受信できるというのは、現在でも実は革命的な出来事だと思うのです。

そういえば1960年代以前生まれの方なら記憶されていると思いますが、地上デジタルになる以前のアナログ電波でテレビを受信していた初期の時代は、テレビ局によって画面の映り方、見え方に微妙な違いがあって、それが民放各局の画質の特徴を形成していた時代があったのです。それは言語化するのは難しいですが、首都圏に住むテレビ視聴者の多くは、NHKの画質、日本テレビの画質、TBSの画質、フジテレビの画質、テレビ朝日の画質、テレビ東京の画質の違いを識別してテレビ番組を視聴していました。

それと同じようにAMラジオがFMで聴ける時代というのは、以前とはまったく異なる感性でラジオを感じる時代の始まりではないか、と私は考えます。
以上、覚え書きとして書いてみました。 15/12/12(波照間エロマンガ島)

一番良くラジオを聴いていた高校生の時は群馬に住んでたのでそもそも在京のFMなど受信出来なかったので無いも同然だった。
まだ地方FM局なんかもほとんど無かったと思う。
むしろAM以外では短波放送はちょっと聴いてたりしたな。 15/12/12(石川浩司)

1970年代中盤は、民放FM局の開局時期にあたり、FM雑誌というのも多く発刊されましたね。わたしは小学館の「FMレコパル」という雑誌を購入していました。番組表をチェックしてカセットにエアチェックして音楽を楽しんでいました。 16/1/10(波照間エロマンガ島)

あの当時はFM雑誌もいっぱいあったものね。
最近はテレビ雑誌が消えつつあるらしいね。 16/1/10(石川浩司)

かつて「笑っていいとも」のテレフォンショッキングのコーナーに俳優の山村聰が出演したときのこと。山村は森田一義の「最近はどんな趣味をされているんですか?」という質問に、「最近はね、『FM泥棒』っていうのに嵌っていてね、秘書の女の子にずいぶんカセットテープを作ってもらって聴いてるのよ。エミルー・ハリスなんて好きだなー」と答えていました。
「FM泥棒」という言葉はそのとき初めて聴きましたが、その後も聴いたことはありません。たぶんFM放送をエアチェックしてカセットテープに愛蔵する人のことをいうのだと思います。 でも「泥棒」というと、どうしてもほっかむりして風呂敷かついでいる人物像が浮かんできてつい笑いがこみ上げてしまいます。 16/1/21(波照間エロマンガ島)

今はネットで何でも泥棒し放題だもんね。
そのうち泥棒が悪いという認識も薄れて来るのかもしれないね。 16/1/21(石川浩司)

2016年1月18日、TBSラジオで月〜金の午前8時半から午後1時まで放送中の「大沢悠里のゆうゆうワイド」がこの4月で放送終了、次のパーソナリティーに伊集院光を起用すると発表したとの由。

あぁ!! 15/8/22にこのトピックで永六輔の後任は伊集院光ではないかという予言をしましたが、それはもろくもはずれ後任はナイツになりましたが、ウィークデイの大沢悠里の番組のほうが伊集院光が引き継ぐんですねー。これはTBSラジオの歴史的英断として後世のリスナーに記憶されるかもしれないです。「大沢悠里のゆうゆうワイド」は1986年4月スタートでちょうど放送開始30年にして終了とのこと。どんな番組になるのか今から楽しみです。 16/1/21(波照間エロマンガ島)

下町に感じということではナイツも適任かもね。
伊集院光はひとり喋りのラジオでは最強かもね。 16/1/21(石川浩司)

TBSラジオの番組改変の話は関西でも話題にしてるパーソナリティ居ますがこれの事なんですね。一回も聴いた事なし! 16/1/29(西大路)

積極的に聴いてはいないがよくお店とかタクシーとかでかかってるなあ。 16/1/29(石川浩司)

山崎ハコの「オールナイトニッポン」は高校時代よく聴いていました。〔1979年4月〜80年3月、火曜2部〕ぼそぼそとつぶやくように一人語りする暗ーい放送で、ハマると恐ろしいほどハマッてしまう恐怖の放送でした。で、今とつぜん思い出したのですがハコさんは当時活動の拠点を横浜においていたのですが、番組のゲストに来た石黒ケイさんとの対談で「なぜ横浜にこだわるのか」との問いに「横浜って空が広いから」と答えていたのが印象的でした。そう、東京と横浜を比較すると、確かに東京は空があまり見えず、横浜は空が広かった。その後わたしも東京から横浜に引っ越して住んだことがあるのですが、もしかしたらどこかで山崎ハコさんのこの言葉に影響されたのかもしれません。その後、時代は下り「電波少年」に出てきたこともありましたね。そんな情念系シンガーソングライター、山崎ハコさんの話でした。 16/1/29(波照間エロマンガ島)

山崎ハコさんはたまのライブを観に来てくれたけど最初の印象は「えー!この元気で陽気な女性が山崎ハコさん!?」だったな。
バンダナ巻いて、ちょっとヤンチャな感じで全然持っていたイメージと違った。
デビュー当時は(本人がそういう要素を多少持っていたにしろ)暗くて怖いイメージを作らされてたらしい。 16/1/29(石川浩司)

16/1/21の追記。伊集院光の「深夜の 馬鹿力」によると、現在の大沢悠里さんの番組で内包されている毒蝮三太夫の「ミュージックプレゼント」という外回り番組は切り離されるみたいですね。つまり、伊集院とマムシさんのマイク越しの「絡み」はないとのこと。これは残念だなぁー!毒蝮が「てめぇクソババァ」とか吐く毒舌を、伊集院がどう料理するのかも興味の的だったのですが。いずれにしても楽しみは楽しみ。でも月曜深夜の「深夜の馬鹿力」は終了しないというんだから、どんなハードスケジュールになるんだよ、という気もしますね。 16/2/14(波照間エロマンガ島)

それにしても毒蝮三太夫も一体何年やってるんだ?ってか何歳なんだ!? 16/2/14(石川浩司)

毒蝮三太夫、1936年3月31日生まれ〔2016年2月現在79歳〕。TBSラジオの外回り番組「ミュージックプレゼント」は1969年10月6日からほぼ中断せず45年間続いています。いつだったかわたしの地元のスーパーマーケットで中継があり、たまたま聴いたのですが、私も知っている地元の大きな地主さんの話をしていてびっくりしました。戦前の頃からよくその辺りに来ていてその地主さんも知っているとの由。地主さんの孫とは小学校の同級生だったことを思い出しました。 16/3/6(波照間エロマンガ島)

あーまだ80前なのかぁ。
現役ではスゴいと思うけどうちの両親よりは年下なのか・・・。 16/3/6(石川浩司)

NHK「ラジオ深夜便」の昨年12月29日の放送に、「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(光文社から出てます)の著者で、東京工業大準教授が出てはったのですが、先日この音訳本を図書館で借りて聴きました。
これ、福祉書ではないんです。めちゃめちゃおもしろい。ここにアクセスしてはる方に通じる物事多数だと思う。この先生の研究に参加させて欲しいぐらい。
興味があれば読んでみて下さいませ! 16/3/19(西大路)

へ〜、興味あるなあ。古本屋に出てたら読もうっと。 16/3/19(石川浩司)

大阪の民法AM局がFMでもラジオ放送開始したのですが、関東のAM局はFMではどれぐらいの数の局が放送してるんですか? 16/4/18(西大路)

どーなんだろう。最近ラジオ聴いてないからよく分からない・・・。
知ってる人、答えプリーズ! 16/4/18(石川浩司)

16/4/18の西大路さん。15/12/12にも書きましたが、在京の民放AM3局が放送免許をとり、AMラジオと同じ放送をFMでも送信するサービスを開始しました。ニッポン放送、TBSラジオ、文化放送の3局です。  16/5/7(波照間エロマンガ島)

だそうです。知識がある人がいると助かるね! 16/5/7(石川浩司)

ありがとうございます。確かに書いておられますねえ、完全にスルーしてしまってました(泣)! 16/5/14(西大路)

まぁ毎回遡って全部は読めないからねー。俺も忘れてた(笑)。 16/5/14(石川浩司)

これを書いてる日の前の日、つまり、5月14日の朝8時半すぎにKBS京都ラジオで、オリオンビールは沖縄で飲むのと関西で飲むのとでは味が違うように感じるという話をしてました。
この番組、話題に合わせた歌がかかる事が多いので、オリオンビールの歌かかるかと期待しましたがかかりませんでした。
ただ、たまのこんな歌ありますよという、僕が送ったメールは読まれました! 16/5/26(西大路)

おっ、あの曲はたまの隠れた名曲だもんね。 16/5/26(石川浩司)

16/1/29の石川さん。山崎ハコさんといえば、「進ぬ!電波少年」にも出ていた記憶があります。 わたしが聴いていた1970年代の情念系フォークシンガーの片鱗もありませんでしたね。そういえば「電波少年」といえば、数日前なすびさんがエベレストへの登頂に成功したとか。すごいですねー。  16/5/26(波照間エロマンガ島)

なすびさんは三年目で成功したけど実は失敗した一度目、二度目はこのホームページの投稿王第9位のことりさんも一緒に行ってたんだよねー。
去年はネパール大地震に遭遇して大変だったらしい。
行く時あった村が帰りには無くなっていたそうな・・・。 16/5/26(石川浩司)

山崎ハコさんの特集、NHKラジオ深夜便でやってましたねえ。初めて歌聴きましたけど独自感たっぷり! 16/6/3(西大路)

デビュー時好きだったなあ。
ただそのすぐ後に多分レコード会社の戦略で過剰に暗い歌ばかり歌わされてる感がちょっと嫌だったなあ。 16/6/3(石川浩司)

ちなみに山崎ハコさん、ご出身は九州なんですねえ! 16/6/12(西大路)

九州、沖縄は優れた歌手が他の土地より多く出てる印象はあるね。 16/6/12(石川浩司)

山崎ハコさんは大分県日田市のご出身ですね。
日田市といえば周りを杉の山々に囲まれた盆地で、中心を三隈川が流れる水郷でもあります。
温泉地としても有名ですし、九州のスーパーでは「日田天領水」というミネラルウォーターも売っています。
漫画「進撃の巨人」の作者である諫山創さんも日田市のご出身ですし、独特の作品を生み出す環境がそこにあるんでしょうね。 16/6/19(デクノボー)

昔行ったことがあるのだが行ったこと以外何も覚えてない・・・。 16/6/19(石川浩司)

確かに九州沖縄エリア出身の歌手、石川さんのレス読んで僕も思いましたね! 16/6/19(西大路)

特に福岡県、沖縄県は多いよね。 16/6/19(石川浩司)

TBSラジオ製作のラジオ番組について想いをたゆたわせていたのですが、毎週土曜日午後1時から放送している「久米宏、ラジオなんですけど」における久米さんのメールの読み方は、TBSラジオの大先輩の榎本勝起アナウンサーの影響を色濃く受けていることにふと気づきました。
それはどういうものかというと、その投稿者が男性だとしたら男性、女性だとしたら女性に「憑依」した声色を使ってお便りを読んでいくのです。これは落語などの日本の伝統話芸にも通ずる感興をもたらしていると私は感じました。リスナーの想像力を刺激するラジオならではの素敵な表現だなー、と。また、NHKではアナウンサーがこんな読み方をするのは、ぜったい推奨されないだろうと思うのです。TBSという日本の伝統話芸を大事にしてきた放送局だからこそ生まれ継承されてきた「芸」だよ、これは! と言うと褒めすぎかもしれませんが。

先日伊集院光さんが番組で言ってましたが、TBSラジオのスタジオには通称「榎さん袋」というエチケット袋〔嘔吐、排泄共用〕が必ず配備されているらしいです。これはもともとは何十年か昔、榎本さんが番組放送中にスタジオに閉じ込められてしまい、何時間もスタジオから出られなくなって以来、緊急用にエチケット袋が配備されることになり、そこからその名前が名づけられたとのことです。榎さんという名物アナウンサーの名前はエチケット袋の別名としても、今後何十年とこの放送局で記憶に残っていくんだろうな、とほほえましく思いました。 16/7/1(波照間エロマンガ島)

確かにNHKでは性別憑依読みはしない!
公共放送では出来ない、日本の伝統芸の側面なのかもね。 16/7/1(石川浩司)

日田市は僕も親父の車で通った事があります。温泉旅館飛び込みで行こうとしてたのですが、国道212号線で熊本から入ろうとしていて途中の県境で通行止で抜けられず。でもあれは何温泉?小国町の旅館で食べた馬刺美味しかったー。
ちなみに以前何処かに書いたと思いますが、その旅館、熊本県と大分県に跨がって建ってました。僕が泊まった部屋は熊本側でした! 16/7/1(西大路)

そういう場合、建物の住所は台所のある場所になるんだよね。
台所がふたつあったらどうするんだろう・・・。 16/7/1(石川浩司)

平日の昼間の人気AMラジオパーソナリティが、生放送中に共演者をマイクで殴ったり膝を蹴ったりして捕まったようですね。関西ではないですが、僕の家からでも効きにくいとは言え受信はできたので、ラジオ好きにはショックなニュースです! 16/7/7(西大路)

突然のヒステリーなのかね?
それで何もかも失ってしまう恐怖・・・。 16/7/7(石川浩司)

そのラジオパーソナリティ、数年前から言動がおかしかったという話もあれば、そんな事やりそうな人ではないという話もあり。
いろいろ伝えられてはいましたが、一つ言えるのは精神的な疾患でやってしまったという事でしたら早期に治療必要ですね! 16/7/12(西大路)

まあおそらく職場復帰は二度と無いだろうけどね。
一瞬にして人生棒に振ることもある。
俺も自分が突然特殊な状態になり何か問題起こしてしまわないかの恐怖は常にあるな。 16/7/12(石川浩司)

そんなさなか、2016年7月7日永六輔さんが亡くなったとのニュースが入ってきました。享年83歳。
永さんは渋谷に住んでいて私の勤め先の近所だったので作務衣姿で歩いているのをよく見かけました。また永さんについて思い出したらいろいろ書いていこうと思います。合掌。 16/7/22(波照間エロマンガ島)

そうこうしているうちに大橋巨泉も。
元祖サブカルみたいな巨星がどんどん堕ちていく・・・。 16/7/22(石川浩司)

昭和50年代後半から60年代前半にかけて、平日の昼間のKBSラジオに、遠藤泰子さんが出ておられたようです。
学校が休みの時聴いてたのですが、女性が誰かわからずに聴いてました。最近、KBSラジオの歴史を振り返る番組で知りました! 16/7/31(西大路)

ラジオは声だけだから分からないこともあるよね。
あと声と顔のギャップが激しい人もたまにいるねー。 16/7/31(石川浩司)

昔、FM局(おそらくNACK5)で花火中継をやっていたのが斬新でした。
テレビでも隅田川の花火などは放送されていますが、ラジオでやる発想はすごいなと思いました。 16/7/31(邑楽)

ディスクジョッキーの力量が試されるねー。
如何に言葉だけで絵を伝えるかだもんね。
新人アナウンサーの試験にもいいかも!? 16/7/31(石川浩司)

花火とは違いますが、祇園祭の中継、一部ではありますがラジオでやってますよ! 16/8/11(西大路)

祭りの方がまだ状況説明はやり易いかもね。
花火は本当に難しそ〜。 16/8/11(石川浩司)

花火大会の実況中継番組はイメージするだけで面白くなさそうですが、それをドキュメンタリー番組として花火の砲音や火薬の炸裂する音を綺麗に録音して音を楽しむ番組だったらイケそうな感じもします。
以前日本にいるとき隅田川花火大会をテレビ東京で中継する番組を観たことがありますが醜悪でした。花火はテレビやラジオの箱に収まらない体験的な娯楽なのだろうな、と思います。 16/8/23(波照間エロマンガ島)

本格的な3Dテレビが出るのを待つしかないのかな。
でも「体験でしか得られないもの」は必要だよね。
映像での疑似体験でさも経験したと錯覚してしまう人が多い気がする。 16/8/23(石川浩司)

16/8/23の追記。吾妻光良というブルースギタリストがいます。吾妻光良&The Swinging Boppersというバンドを率いてメジャーからCDデビューしていますが、このバンドの特徴はメンバーほとんど全員サラリーマンというところ。学生時代組んでいたバンドを解散せずに社会人になってからもライブ活動を地道に続けた人たち、というわけです。
吾妻さんは早稲田大学理工学部から日本テレビにエンジニアとして入社し、2016年現在は関連子会社の社長になっています。早稲田在学中からずっと音楽雑誌Player誌でブルースギター講座のページを担当していて、わたしは彼の雑文の笑いのセンスが大好きで、けっこう長いことコラムを読み続けていました。日本テレビでは20代の頃は番組の音声担当として録音機材を持って効果音用のソースを録音するために夏の野山へ行ってセミや虫の音を録音したり、花火大会の音も録っていたそうです。テレビを見ていてエンドタイトルで吾妻さんの名前が出ているのを認識したのは、ビートたけし出演の「スーパージョッキー」や、1987年に再収録されたクレージー・キャッツ出演の「シャボン玉ホリデー」など。
そんなことを思い出しました。テレビ局、ラジオ局ともに音響効果のエンジニア社員は当然のことながらいるのでしょうね。  16/8/27(波照間エロマンガ島)

名前は昔からよく聴いていたが音楽はちゃんと聴いたことの無いひとり。
へー、そんな人だったんだなあ。 16/8/27(石川浩司)

吾妻光良さんは1956年生まれなので上記のグループメンバーたちもほぼ同年輩だとすると、皆60歳前後で定年の年代にあたります。同じバンドで40年近く活動するのって単純に凄いと思います。 16/9/8(波照間エロマンガ島)

ライブ本数にもよるのかも。
年間10本程度なら長期で続けられる。
年間100本で長期に続けてるバンドはいないわけではないが少ないかもしれないね。 16/9/8(石川浩司)

16/9/8の追記。その吾妻光良のお兄さんといえばジョージ吾妻。カルメン・マキがOZ解散後結成した5Xというヘビーメタルバンドでギタリストとして参加していました。何回かライブを観たことがあります。吾妻家は薄毛の家系なようで、弟の光良さんはもちろん、お兄さんのジョージ吾妻さんも禿げていました。私がライブを観たときは禿げが進行中の時代で、長髪で額が後退しているさまは、落ち武者の風格漂い、素敵だったことを付記しておきます。衣裳はブラックレザーのジャンプスーツのヘビメタ仕様でありました。 16/9/24(波照間エロマンガ島)

ロックは基本長髪スタイルの人が多いからね。
ヅラの人の割合も多いのかも?
坊主ロックは楽だぞいっ! 16/9/24(石川浩司)

この前、偶然チューニングミスで聴いて知ったのですが、今はAMラジオがFMで聴けるんですね。音が綺麗なのでFMのAMに最近はまっています。 16/11/7(邑楽)

俺は最近はRadikoばかりだな〜。 16/11/7(石川浩司)

月曜から金曜の15時30分から17時50分まで文化放送で生放送中の「吉田照美 飛べ!サルバドール」が2017年3月末をもって番組終了という発表が同番組でありました。これにより、1980年10月の「てるてるワイド」開始以来36年半にわたり吉田さんの名前を冠し、彼がパーソナリティをつとめてきた平日のワイド番組が無くなることになります。夜は「てるてるワイド」、昼は「やる気MANMAN!」、早朝は「ソコダイジナトコ」と深夜以外のすべての時間帯でワイド番組を続けてきた功績は凄いものだと称えてよいと思います。吉田照美さんは文化放送の局アナ出身のラジオパーソナリティーで、一時はテレビにも進出しましたが、ホームグラウンドはラジオというスタンスは一貫していました。

私の照美遍歴としては、文化放送のアナウンサー時代に担当していた番組として1977年頃アイドルとして全盛期のキャンディーズが出演していた「GO!GO! キャンディーズ」の進行役や「セイヤング」、あとは「てるてるワイド」「新てるてるワイド、ふっかいあな」、そして久米宏のあとを受けて土曜日のTBSラジオ日中放送していた「土曜ワイド ハッピー Tokyo」〔1988〜1991年〕が懐かしい。この番組ではバラドル売り出し中の井森美幸や、リンドバーグでブレイク直前の渡瀬マキがアシスタントを務め、照美さんの「いじりの技術」で二人ともめちゃくちゃ笑えるチャーミングなキャラクターを引き出されていました。

以来ずーっとタイに引っ越してくるまで、なんだかんだで聴いてましたね。夜の番組や深夜番組で若者向け番組を担当しファン層を開拓し、そのファンの成長に連れ、昼や早朝の時間帯にスライドしていく方式は、ニッポン放送では今仁哲夫さんや笑福亭鶴光さんなどの先例がありますが、文化放送では間違いなく照美さんです。なんだか訃報を聞いて追悼文を書いてるみたいになりましたが〔笑い〕、照美さん36年半、お疲れ様でした。 16/12/3(波照間エロマンガ島)

吉田照美さんの番組何度か出たような記憶があるのだが詳細が思い出せない・・・認知症かな。トホホ。 16/12/3(石川浩司)

NHKラジオ第一「ラジオ深夜便」。横浜でキャバクラ嬢の送りの仕事をしていた頃〔1997〜2006年〕、カーラジオでよく聴いてました。好きなアンカーはたくさんいますが、いちばん印象に残っているのは西橋正泰さん。クルーナーボイスが美しく深夜のもの静かな時間に癒しの恵みを与えてくれました。西橋さんが近しいと感じた理由として1980年頃彼が「日曜美術館」の司会者だったことが大きいですね。私が美術史を勉強するきっかけとなったのは「日曜美術館」でマチス特集を観て衝撃を受けたからなのです。そのときたぶん西橋さんが司会をされてました。痩せ型で細面で長髪の颯爽としたアナウンサーで〔今だったらNHKを退職されたフリーキャスターの堀潤さんのような感じかな〕、そのイメージで「深夜便」も聴いていたのですが、何かの機会に西橋さんの近影を見てびっくり!! すっかり禿げ上がった壮年のオッサンの顔立ちになっていました〔爆笑〕。それはそうですよね、1980年から20年以上経ち、アナウンサーも定年になって嘱託で深夜便のアンカーに起用されたのですから。ラジオってそういう意味でも面白いです。
そういえば同時期、永六輔さんが何十年ぶりかでNHK総合テレビに復帰して構成を手がけた「ばらえてい テレビファソラシド」に出ていた20代の女性アナウンサーの多くが、何十年後かに「ラジオ深夜便」のアンカーになっているのも、女性アナウンサー好きにとってはたまらない魅力だと思います。その中で私が特に好きだったのは室町澄子さん〔2006年3月までアンカー〕。わざとトーンをおとしたつぶやくようなボイスで語るアナウンスは実は画期的だったのではないかと思っています。夕方の総合テレビで関東ローカルのニュースを読んでいたときとは明らかに声質を変えていました。あれは凄かったなー。
ほかにも思い出すことがあったらまた「深夜便」について書いてみたいと思います。  16/12/10(波照間エロマンガ島)

そうそう、ラジオだけやってる人って顔が分からない人も多くて(まぁ今はネットで簡単に分かっちゃうんだろうけど)こっちの妄想でこんなタイプの顔、と思い込んでる人も多かったよね。
何かのキッカケで顔を知り「えっ、こんな人だったの?」ということもよくあったなー。  16/12/10(石川浩司)

黒柳徹子さんの「トットひとり」は、黒柳さんのお友達や仕事仲間で逝去された方々のありし日の想い出を語っている本ですが、その中でもっとも印象的だったのが、TBSテレビのプロデューサー、演出家で「ザ・ベストテン」の生みの親の故・山田修爾氏についての記述でした。山田氏はTBSにアナウンサーとして入社しましたが適性が合わなかったのかディレクターに転向、ラジオ製作部で番 組を製作したのち、テレビに異動して数々の音楽番組、そして「ザ・ベストテン」を作りました。歌番組としては前代未聞、空前絶後の画期的なテレビ番組で、いつかこの番組の素晴らしさについて関係者に書いて欲しいと視聴者として待望していたのですが、司会者の黒柳さんが山田氏の思い出という形で語ってくれたのでとてもうれしいです。

さて、このトピックは「ラジオ」なので、山田氏のラジオディレクター時代について書きますと、山田氏の経歴の中で「TBSそれ行け!歌謡曲」という番組がありました。月〜金13時30分から16時30分までの生ワイド番組。1970年から1979年まで放送していて、パーソナリティーは初期は愛川欽也と見城美枝子〔キンキン・ケンケンコンビ〕、後期は石山かつ み、菅原牧子〔かつみ・おまき〕などでした。わたしは後期の石山さんと菅原さんの時代は中学高校時代でおぼろげながら覚えています。

この番組で「ミュージックキャラバン」というレポーターの外回り番組があり、そこに出演していたのが局アナ時代の久米宏と歌手の平野レミでした。なんと、久米さんと山田さんは同じラジオ番組のアナウンサーとディレクターという関係だったのですね。その後1976年に「ザ・ベストテン」の前番組「トップスターショー・歌ある限り」の司会に久米さんが抜擢されたのは、ここでの山田さんとの関係があったからではないかと想像します。

ちなみに、最近平野レミさんがテレビ番組「サワコの朝」に出演しているのを観たのですが、阿川佐和子に語ったところによると、レミさんと和田誠さんとの仲をとりもったのは久米さんとのことでした。久米さんと和田誠さんは麻雀仲間だったそうです。ある日、和田さんはテレビに出ている平野さんを見て一目ぼれし、久米さんに紹介してもらい、そのわずか10日後に結婚したといいます。この「ミュージックキャラバン」は、平野レミさんがジュークボックスでかける曲を決める時に「男が出るか、女が出るか」と歌い絶叫するのがお約束で、今と同じくかなーりエキセントリックな芸風だったとの由。そしてその番組で久米宏、平野レミともに人気が出たそうな。現在、久米さんと平野さんはほとんど共 演がないのでこのへんのエピソードはもっと聞きたいですね。

などなどかなり脱線しましたが、1970年代のラジオ番組の話を「ザ・ベストテン」のプロデューサーだった山田修爾氏の思い出をからめ書いてみました。 16/12/26(波照間エロマンガ島)

へ〜、初耳のこと多い。よく調べたねー。
同じ人でもテレビの顔とラジオの顔が微妙に違うこともあるよね。 16/12/26(石川浩司)

映画「ディア・ハンター」は1960年代末期、ベトナム戦争での過酷な戦争体験で心身共に深く傷を負った若者の生と死、友情を描いたマイケル・チミノ監督の傑作です。テーマ曲はスタンリー・マイヤーズ作曲の「カヴァティーナ」。ギタリストのジョン・ウィリアムズの弾くクラシックギターの旋律が心に染みる大好きな曲でした。

実はこの曲はラジオでもよく流れていました。2016年4月に30年間に渡る放送を終了したTBSラジオの長寿番組「大沢悠里のゆうゆうワイド」の「女のレポート」というコーナーのBGMで使われていたのです。これは女性リスナーが出会いと別れについて投稿して採用された「いい話」を朗読するコーナーです。大沢さんの「心に残る出会いと悲しい別れ、新しい出会いを綴る、女のリポート」というナレーションで始まります。わたしは外回りの営業車の中でいつも聴いていました。午前11時から5分間の長さなのですが「カヴァティーナ」が流れると、「あ、もうすぐお昼だな」と時計代わりになってました。ラジオって仕事しながら体験できるメディアなんですね。それがいったん習慣化すると深く人生体験に沈潜していきます。 17/1/30(波照間エロマンガ島)

ドライバーとか、田舎の暇なお店とかだとラジオ一日中流しっぱなしにしてるとこも多いよね。
そういう人には当然時報代わりになるんだろーな。そういう環境、好きっす。 17/1/30(石川浩司)

僕の治療院の待合室、診療時間はラジオ流してます。ただ、午前と午後で局は変えてます。
午前はKBSラジオ、午後はMBSラジオ。
大阪好きの僕は最初はずっとMBSを流していたのですが、「先生は京都に居ながら何で大阪の局かけるんよ。私の友達、KBSで喋ってる京ちゃんやで!」と、大阪の患者さんから言われてから、午前はKBSにしたのでした! 17/8/19(西大路)

KBSラジオもMBSラジオも関東人には馴染みがない・・・。 17/8/19(石川浩司)

昔はラジオ局でバイトしていましたし、吉田照美のてるてるワイドとか、ふっかい穴とか聞いてしました。あとはアイドル物。松田聖子「夢で逢えたら」「愛にくちづけ」とな南野陽子「ナンノこれしき」とか。照美さんは昼間の「やる気MANMAN」もよく聞いてました。今は車を運転している時しか聞きませんねえ。大竹まこと「ゴールデンラジオ」とか、毒蝮三太夫の「ミュージックプレゼント」、山下達郎の「サンデーソングブック」くらいですね。 17/9/8(わいわい)

最近、有吉弘行とオードリーのラジオをYouTubeで見つけてBGM的に聴くことが多い。
テレビでは聞けない毒舌が面白い。若林があんなに過激だとは知らなかった。 17/9/8(石川浩司)

全国レベルでどれぐらい流れていたCMかはわかりませんが、大阪が本社の会社名「大日本除虫菊」、つまり、キンチョールのcMと言えば関西のラジオリスナーにはしっかり通じる言い方なんです。
「高山さん」
「何、大沢君」
という、中学3年の子が出てくるCMで、高山さん役の女優(高校生)がラジオ番組に生出演したのが、MBSラジオでした。
これでもピンとくる人は少ないでしょうけど、関西のラジオではどの番組でも話題になったCMなのでここに書かせてもらいましたー! 17/9/8(西大路)

それは知らないけど一時期関西のキンチョールのCMを大阪電通に勤めていた友達が担当していて、なんと本人が出演したりしてた。
オチョーシ者なんだよね。 17/9/8(石川浩司)

通っていた床屋さん 17/9/18(理容室)ではラジオを流しており、顔剃りのタイミングで面白い話になると必死で笑うのを堪えていました。
あれは一種の拷問ですね。 17/9/18(テングザル)

髭剃り落語会という拷問がどこかであるかも・・・。 17/9/18(石川浩司)

昨年のキンチョールのCMはどんなのか全く残っていなかったのですが、そのシリーズの続きが今年のCMだったようで、あまりの話題のなりように僕も気になり、来年のCMがどんなのか楽しみですわ! 17/9/18(西大路)

ラジオも最近YouTubeのまとめのを聴くことが多い。CMはネットの変なのが入るだけ・・・。 17/9/18(石川浩司)


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