話題333 ラジオ (2) 



先日石川さんがつぶやいてましたが、オードリーのオールナイトニッポンが面白かったとのことで、わたしも最近よく聴いているので「同好の士得たり」とうれしくなりました。二人は高校のアメリカンフットボール部の同期で、部室でだべってる感じがよく伝わってきてわたしは大好きなんです。何週か前にフィリピンパブに通いつめる春日のトークは、若林のツッコミがツボに入り大笑いしました。オードリーは漫才も面白いですが、ラジオのトークも面白くてファンになってしまいました。 17/9/25(波照間エロマンガ島)

あのトーク面白かったね。
俺の住んでる町のフィリピンパブに行く話も出て来てドキリとした。
子供の頃俺の家を探して見つけたとテレビで言っていたから春日とはどこかで会いそう。 17/9/25(石川浩司)

一回で良いので、悪代官を真っ昼間にラジオで流して欲しいっす! 17/9/25(西大路)

「秋の風」は能町みね子さんがかけてくれたらしいな。 17/9/25(石川浩司)

石川さんの歌は、ラジオではまだ聴いた事ないですわー! 17/9/30(西大路)

是非リクエストを! 17/9/30(石川浩司)

17/9/18(西大路)さんへのレス
金鳥少年のラジオCMは、昨年の分も含めてキンチョー(大日本除虫菊)のホームページで公開されてます。

もしくはコチラ

西大路さん、良かったらパソコンで聴いてください7(関西弁)。 17/11/17(テングザル)

「ホームページ」と「コチラ」をクリックするとそこに飛べるようにしました。
こういう情報は嬉しいね!
他にもどんどん共有していきましょう。 17/11/17(石川浩司)

私がはがきを読まれたことのある番組です。
渡辺正行の東京めぐりブンブン大放送 17/12/12(ニッポン放送)。2回目放送の時読まれました。明石家さんまさんの後を受けて始まった番組だったので、最初の時期だったら採用されやすいと思って投稿しました。
タモリのちょいと失敬 17/12/12(TBSラジオ)。関谷デレクターのあだ名を考えるというもの。何作品か採用され、二番目くらいの賞金を貰った。
吉田照美のやる気MANMAN 17/12/12(文化放送)。リスナーからの電話を受ける名物おばちゃんをイジったネタを送った気がする。群馬からはがきを出したらもう次の日には読まれた。スピードにびっくり。 17/12/12(わいわい)

吉田照美のやる気MANMANには何回か出たな。
最近はメールが多いから生放送など最初に番組で喋ったことがネタとして送られてきたりするよね。 17/12/12(石川浩司)

ニッポン放送と結びつきが強いタモリですが、TBSラジオでもっていたレギュラー番組、覚えています。わいわいさんが言っているのは「タモリで失敬」というタイトルではないかと思います。年配のはがき職人で「大松けさお」さんという人が毎週エロでキテレツな投稿をしまくって、タモさんのツボに入っていました。わたしが覚えているのは松下電器のCMソング「♪あかるいナショナル、あかるいナショナル、みんなうちじゅう、なんでもナショナル」という歌の替え歌で「♪あそこがわれてる、あそこがわれてる、みんなうちじゅう、あそこがわれてる」という作品。くだらさすぎるて脱力しましたよ。 18/2/17(波照間エロマンガ島)

はははー。
しかしはがき職人という言葉も今はメール職人になったのかな!? 18/2/17(石川浩司)

18/2/17の追記。そのタモリの冠ラジオ番組でいちばん印象に残っているのが『タモリの週刊ダイナマイク』。1990年4月から2005年3月にかけてニッポン放送で週1で生放送されていました〔主にプロ野球中継の農閑期にあたる10月〜3月〕。 わたしがよく聴いていたのは2000年前後の金曜夕方ヴァージョン。おっとりボイスのパートナー、堂尾弘子さんとタモさんとのまったりトークが実に脱力して気持ちよく、毎週カーラジオであるいは自宅でも聴いてました。この番組でニュース担当やバラエティコーナーのアシスタントとして上柳昌彦アナウンサーが弄られキャラとして個性を確立していました。

番組冒頭のフリートークが「○○歳、自由業」というコーナーとしてミニ番組化されていて、○○のところには番組放送当時のタモリさんの実年齢が入っていました。わたしが覚えているのは「55歳、自由業」。つまり1945年8月生まれのタモリさんが55歳時ですから西暦2000年頃ですね。思うに小生波照間エロマンガ島も、2000年当時のタモさんの年齢と同じになってしまったので、自分も老けたなーとしみじみしてしまいます。 18/2/27(波照間エロマンガ島)

俺はそれより年上か。
というかミュージックステーションとかに何回か出た頃はまだタモリさんは40代だったんだなー。 18/2/27(石川浩司)

15/10/9〜15/11/1の石川さん。2年半前のコメントにレスしてすみません。

>何でもデジタルになるけどいつか誰かが「デジタル総破壊装置」を作ると思う。
>世の中のデータというデータ全部消える。

これは最近の近未来物のアクション映画、SF映画によくプロットとして出てきます。「エスケープ・フロム・LA」〔1996年ジョン・カーペンター監督〕や「ターミネーター4」〔2009年 マックG監督〕、「ダイハード4.0」〔2007年 レン・ワイズマン監督〕などなど。デジタルデータの破壊と通信手段の再獲得をめぐって物語が展開するのを見ると「デジタル総破壊装置」は起こりうる未来の可能性のひとつという気もします。現在世界中がグローバルネットワークに覆われタイムラグなしに相互通信できる状況が当然である前提を疑ってみる必要も感じますね。これらの映画ではラジオやCB無線が世界を救うツールとして登場するのです。

そもそもわたしが今いるタイと、石川さんのいる日本とこうやってやりとりしていること自体、30年前には考えられなかったことですよね。インターネット、テレビ、ラジオなどのメディアは今後どのように進展していくのか、石川さんのこの「WEB1.0」のスペースでこれからも考えていこうと思います。 18/4/3(波照間エロマンガ島)

今までの手紙とか線で繋がってる電話とかと違ってデジタルって0と1だけの組み合わせだもんね。
一気にそれを無効化する脆弱性を素人ながらに感じるんだけどな。
そうなったらあらゆるライフラインも止まるんだろうな。
もっとも怖いテロかもね。 18/4/3(石川浩司)

少し前のレスになりますが、携帯だけではホームページで公開されてる音源はやはり再生無理でした。パソコン手元にないんです! 18/4/12(西大路)

パソコン買っちゃえ。使い方によっては決して高い買い物じゃないぞい。 18/4/12(石川浩司)

パソコン購入、状況によっては必要かも。研修会には内緒で。雑用増やされるんです(泣) 18/4/26(西大路)

コッソリ買っちゃえ。 18/4/26(石川浩司)

波照間エロマンガ島@タイランドです。
わたしがラジオの「はがき職人」をしていたのは1978年から1980年くらいにかけてですね。ニッポン放送のヘビーリスナーで主にオールナイトニッポンによく投稿して採用されてました。印象的だったのは1978年高校1年のとき、長谷川コッペのオールナイトニッポンで電話ラジオ出演を果たしたこと。あ、これ「初体験」に投稿したほうがよかったか、まぁいいか〔笑〕。深夜4時台のめちゃくちゃ深い時間だったのだけれど、パーソナリティーの長谷川コッペさん〔のちにコッペ・ミラーという名前で女性音楽ジャーナリストとして日米を股にかけて活躍していました〕と音楽談義できて楽しい時間を過ごしました。
出演した翌日は祝日だったので朝寝をきめこんでいると、高校の同級生やら中学の同級生やら7〜8人からひっきりなしに電話がかかってきて、マスメディアの影響の大きさに戦慄しましたよ。あんな明け方近い放送を皆聞いているんだな、って。あと、当時オールナイトニッポンのパーソナリティーだった人にはけっこう投稿は採用されていた記憶があります。桑田佳祐、近田春夫、つボイノリオ、くり万太郎、山崎ハコ、塚越孝・・・。あ、一時はよくニッポン放送から電話がかかってきて有楽町のニッポン放送へ行って番組のアイディアについて聞かれたことも何度かあったのでした。そのとき対応してくれたのがアナウンサーの塚越孝さんで、彼はその後何十年も経ち、ライブドア騒動の中、左遷に近い閑職に追いやられ自死してしまいびっくりしてしまったのですが。。そんなこんな「ラジオ投稿少年時代」の話でした。そのあとPlayer Magazine というロック雑誌に多数投稿して採用される「雑誌投稿少年時代」が始まるのですが、それはまた別の機会に。 18/9/17(波照間エロマンガ島)

俺はパックインミュージック派で、やっぱりよく投稿して時々読まれてた。まだ「はがき職人」なんて名前はなかったよね。 18/9/17(石川浩司)

家では聞かないのですが、クルマに乗っているとこの曜日はこの番組と決めて聞いています。金曜日は毒蝮三太夫と、ブラザー・トム「ONE MORE PINT」、アルフィの坂崎幸之助「K's TRANSMISSION」、土曜は菊池桃子「ライオンミュージックサタデー」とバカボン鬼塚&山口五和「HITS! THE TOWN」、深夜のなんかアニメのラジオと桑田佳祐「やさしい夜遊び」、日曜は山下達郎「サンデーソングブック」です。 18/12/29(わいわい)

生じゃなくてネットからだけど、オードリー、ハライチ、有吉弘行のラジオは聴いてる。三組ともとにかく毒舌なのが好きなんだよねー。 18/12/29(石川浩司)

12/28、定期健康診断を終え帰路についていました。車中TBSラジオを聴いていると毒蝮三太夫さんが今日春日部の××寺に来ると。
おおおこれは見に行かなければ。
毒蝮さんのミュージックプレゼントを見るのは高崎に続いて二回目です。
寺には40人くらいのリスナーが。みんなジジババばかりです(笑)。そりゃ年末でみんな忙しいですよw
毒蝮さんは82歳。しかも杖を使わずに、台本も持たずに、カンペも無しに、めちゃくちゃ饒舌で、古いことを知っていました。
番組が終わっても機材の撤収まで30分くらいトーク。面白い面白い。こういうじいさんになりたいわ。
高崎ではNGだった握手やツーショットも行いました。このあと寺で打ち上げみたい。
住職は、坊さんになるまで弁当の配達をしていて、車内でずっとこのラジオを聞いていたそうです。そのため憧れの人で、応募したのだとか。
番組中、住職はスマホでツーショットを取っていて、マムちゃんに突っ込まれていました(笑)。 19/1/7(わいわい)

住職でもいろんな知り合いがいる。不倫して駆け落ちした人、お堂の中にスタジオを作ったミュージシャン、そして完全な狂人も・・・。 19/1/7(石川浩司)

小学4年の頃でしょうか。
そのころ「ストリートファイター」というわけのわかんない映画の主題歌で「恋しさと せつなさと 心強さと」(篠原涼子)が流行っていました。
ちょうどそのころはラジオのついた目覚まし時計が欲しかった時期で、何かのきっかけで入手し、布団の中でその曲を待ってラジオを聴きながら興奮していました。寝ながらラジオが聞けるというのが嬉しかったです。
なにか「布団にもぐって、どうくつ探検」にも似た心境でした(笑)。 19/4/2(Sankaku)

ふふふ、そういうの楽しいよね。 19/4/2(石川浩司)

「梶原しげるの本気でDONDON」〔1988-2000年 文化放送、月〜金の午前11時から13時まで〕。営業車に乗り外回りの仕事をしていた時期よく聴いていた社会派ラジオ番組。ひとつのテーマを梶原しげるとアシスタントの女性アナウンサー、そしてレギュラーコメンテーターとで徹底的に掘り下げていく構成はわりと好きでした。車中でコンビニ弁当を食べながら裏のニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」とともにザッピングして聴いていたっけか。

レギュラーコメンテーターは田中角栄の元秘書の早坂茂三、弁護士でエッセイストの木村晋介、のちの長野県知事になる前の田中康夫、経営コンサルタントの堀紘一、ジャーナリストの鳥越俊太郎のほか、辻元清美、辛淑玉、デーブ・スペクターなど多彩を極めてましたが、そのなかで特に印象に残っているのは、奥崎謙三〔「ゆきゆきて神軍」の主人公〕や山口組事件、オウム事件、永山則夫などの弁護を務めた、当時人権派弁護士として名をはせた遠藤誠氏です。

遠藤氏がなんで印象に残っているかというと、同番組でのコメント内容ではありません。午後1時から同局で放送されていた「吉田照美のやる気MANMAN!」のオープニングでよく遠藤氏の話題が出ていたからなんです。それはどういう話題かというと、

遠藤氏は風呂嫌いで1年に1〜2回しか入浴しない人なので体臭がものすごくスタジオに漂っており、同じスタジオで放送する後続番組のパーソナリティーだった吉田照美と小俣雅子は、遠藤氏の出演する日は消臭スプレーをふりかけお香を焚いて放送してたんですって!! もちろん名指しはしませんが、よく臭いの話題は出ていたんですよ。

さぞかし番組司会の梶原しげるさんとアシスタントの女性アナウンサーは毎週地獄だっただろうことが想像されます。ラジオは五感のうち聴覚のみに訴え伝達するメディアなので臭いはリスナーには伝わらないし、伝えるわけにもいかないですしね。そんな「臭いを感じる」ラジオ番組のことを思い出しました。 19/5/22(波照間エロマンガ島)

「梶原しげるの本気でDONDON」では「人が発する臭いについて徹底的に掘り下げる!」はやらなかったのだろうか...。 19/5/22(石川浩司)


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