話題333 ラジオ (2)
先日石川さんがつぶやいてましたが、オードリーのオールナイトニッポンが面白かったとのことで、わたしも最近よく聴いているので「同好の士得たり」とうれしくなりました。二人は高校のアメリカンフットボール部の同期で、部室でだべってる感じがよく伝わってきてわたしは大好きなんです。何週か前にフィリピンパブに通いつめる春日のトークは、若林のツッコミがツボに入り大笑いしました。オードリーは漫才も面白いですが、ラジオのトークも面白くてファンになってしまいました。 17/9/25(波照間エロマンガ島)
あのトーク面白かったね。
俺の住んでる町のフィリピンパブに行く話も出て来てドキリとした。
子供の頃俺の家を探して見つけたとテレビで言っていたから春日とはどこかで会いそう。 17/9/25(石川浩司)
一回で良いので、悪代官を真っ昼間にラジオで流して欲しいっす! 17/9/25(西大路)
「秋の風」は能町みね子さんがかけてくれたらしいな。 17/9/25(石川浩司)
石川さんの歌は、ラジオではまだ聴いた事ないですわー! 17/9/30(西大路)
是非リクエストを! 17/9/30(石川浩司)
17/9/18(西大路)さんへのレス
金鳥少年のラジオCMは、昨年の分も含めてキンチョー(大日本除虫菊)のホームページで公開されてます。
もしくはコチラ
西大路さん、良かったらパソコンで聴いてください7(関西弁)。 17/11/17(テングザル)
「ホームページ」と「コチラ」をクリックするとそこに飛べるようにしました。
こういう情報は嬉しいね!
他にもどんどん共有していきましょう。 17/11/17(石川浩司)
私がはがきを読まれたことのある番組です。
渡辺正行の東京めぐりブンブン大放送 17/12/12(ニッポン放送)。2回目放送の時読まれました。明石家さんまさんの後を受けて始まった番組だったので、最初の時期だったら採用されやすいと思って投稿しました。
タモリのちょいと失敬 17/12/12(TBSラジオ)。関谷デレクターのあだ名を考えるというもの。何作品か採用され、二番目くらいの賞金を貰った。
吉田照美のやる気MANMAN 17/12/12(文化放送)。リスナーからの電話を受ける名物おばちゃんをイジったネタを送った気がする。群馬からはがきを出したらもう次の日には読まれた。スピードにびっくり。 17/12/12(わいわい)
吉田照美のやる気MANMANには何回か出たな。
最近はメールが多いから生放送など最初に番組で喋ったことがネタとして送られてきたりするよね。 17/12/12(石川浩司)
ニッポン放送と結びつきが強いタモリですが、TBSラジオでもっていたレギュラー番組、覚えています。わいわいさんが言っているのは「タモリで失敬」というタイトルではないかと思います。年配のはがき職人で「大松けさお」さんという人が毎週エロでキテレツな投稿をしまくって、タモさんのツボに入っていました。わたしが覚えているのは松下電器のCMソング「♪あかるいナショナル、あかるいナショナル、みんなうちじゅう、なんでもナショナル」という歌の替え歌で「♪あそこがわれてる、あそこがわれてる、みんなうちじゅう、あそこがわれてる」という作品。くだらさすぎるて脱力しましたよ。 18/2/17(波照間エロマンガ島)
はははー。
しかしはがき職人という言葉も今はメール職人になったのかな!? 18/2/17(石川浩司)
18/2/17の追記。そのタモリの冠ラジオ番組でいちばん印象に残っているのが『タモリの週刊ダイナマイク』。1990年4月から2005年3月にかけてニッポン放送で週1で生放送されていました〔主にプロ野球中継の農閑期にあたる10月〜3月〕。 わたしがよく聴いていたのは2000年前後の金曜夕方ヴァージョン。おっとりボイスのパートナー、堂尾弘子さんとタモさんとのまったりトークが実に脱力して気持ちよく、毎週カーラジオであるいは自宅でも聴いてました。この番組でニュース担当やバラエティコーナーのアシスタントとして上柳昌彦アナウンサーが弄られキャラとして個性を確立していました。
番組冒頭のフリートークが「○○歳、自由業」というコーナーとしてミニ番組化されていて、○○のところには番組放送当時のタモリさんの実年齢が入っていました。わたしが覚えているのは「55歳、自由業」。つまり1945年8月生まれのタモリさんが55歳時ですから西暦2000年頃ですね。思うに小生波照間エロマンガ島も、2000年当時のタモさんの年齢と同じになってしまったので、自分も老けたなーとしみじみしてしまいます。 18/2/27(波照間エロマンガ島)
俺はそれより年上か。
というかミュージックステーションとかに何回か出た頃はまだタモリさんは40代だったんだなー。 18/2/27(石川浩司)
15/10/9〜15/11/1の石川さん。2年半前のコメントにレスしてすみません。
>何でもデジタルになるけどいつか誰かが「デジタル総破壊装置」を作ると思う。
>世の中のデータというデータ全部消える。
これは最近の近未来物のアクション映画、SF映画によくプロットとして出てきます。「エスケープ・フロム・LA」〔1996年ジョン・カーペンター監督〕や「ターミネーター4」〔2009年 マックG監督〕、「ダイハード4.0」〔2007年 レン・ワイズマン監督〕などなど。デジタルデータの破壊と通信手段の再獲得をめぐって物語が展開するのを見ると「デジタル総破壊装置」は起こりうる未来の可能性のひとつという気もします。現在世界中がグローバルネットワークに覆われタイムラグなしに相互通信できる状況が当然である前提を疑ってみる必要も感じますね。これらの映画ではラジオやCB無線が世界を救うツールとして登場するのです。
そもそもわたしが今いるタイと、石川さんのいる日本とこうやってやりとりしていること自体、30年前には考えられなかったことですよね。インターネット、テレビ、ラジオなどのメディアは今後どのように進展していくのか、石川さんのこの「WEB1.0」のスペースでこれからも考えていこうと思います。 18/4/3(波照間エロマンガ島)
今までの手紙とか線で繋がってる電話とかと違ってデジタルって0と1だけの組み合わせだもんね。
一気にそれを無効化する脆弱性を素人ながらに感じるんだけどな。
そうなったらあらゆるライフラインも止まるんだろうな。
もっとも怖いテロかもね。 18/4/3(石川浩司)
少し前のレスになりますが、携帯だけではホームページで公開されてる音源はやはり再生無理でした。パソコン手元にないんです! 18/4/12(西大路)
パソコン買っちゃえ。使い方によっては決して高い買い物じゃないぞい。 18/4/12(石川浩司)
パソコン購入、状況によっては必要かも。研修会には内緒で。雑用増やされるんです(泣) 18/4/26(西大路)
コッソリ買っちゃえ。 18/4/26(石川浩司)
波照間エロマンガ島@タイランドです。
わたしがラジオの「はがき職人」をしていたのは1978年から1980年くらいにかけてですね。ニッポン放送のヘビーリスナーで主にオールナイトニッポンによく投稿して採用されてました。印象的だったのは1978年高校1年のとき、長谷川コッペのオールナイトニッポンで電話ラジオ出演を果たしたこと。あ、これ「初体験」に投稿したほうがよかったか、まぁいいか〔笑〕。深夜4時台のめちゃくちゃ深い時間だったのだけれど、パーソナリティーの長谷川コッペさん〔のちにコッペ・ミラーという名前で女性音楽ジャーナリストとして日米を股にかけて活躍していました〕と音楽談義できて楽しい時間を過ごしました。
出演した翌日は祝日だったので朝寝をきめこんでいると、高校の同級生やら中学の同級生やら7〜8人からひっきりなしに電話がかかってきて、マスメディアの影響の大きさに戦慄しましたよ。あんな明け方近い放送を皆聞いているんだな、って。あと、当時オールナイトニッポンのパーソナリティーだった人にはけっこう投稿は採用されていた記憶があります。桑田佳祐、近田春夫、つボイノリオ、くり万太郎、山崎ハコ、塚越孝・・・。あ、一時はよくニッポン放送から電話がかかってきて有楽町のニッポン放送へ行って番組のアイディアについて聞かれたことも何度かあったのでした。そのとき対応してくれたのがアナウンサーの塚越孝さんで、彼はその後何十年も経ち、ライブドア騒動の中、左遷に近い閑職に追いやられ自死してしまいびっくりしてしまったのですが。。そんなこんな「ラジオ投稿少年時代」の話でした。そのあとPlayer Magazine というロック雑誌に多数投稿して採用される「雑誌投稿少年時代」が始まるのですが、それはまた別の機会に。 18/9/17(波照間エロマンガ島)
俺はパックインミュージック派で、やっぱりよく投稿して時々読まれてた。まだ「はがき職人」なんて名前はなかったよね。 18/9/17(石川浩司)
家では聞かないのですが、クルマに乗っているとこの曜日はこの番組と決めて聞いています。金曜日は毒蝮三太夫と、ブラザー・トム「ONE MORE PINT」、アルフィの坂崎幸之助「K's TRANSMISSION」、土曜は菊池桃子「ライオンミュージックサタデー」とバカボン鬼塚&山口五和「HITS! THE TOWN」、深夜のなんかアニメのラジオと桑田佳祐「やさしい夜遊び」、日曜は山下達郎「サンデーソングブック」です。 18/12/29(わいわい)
生じゃなくてネットからだけど、オードリー、ハライチ、有吉弘行のラジオは聴いてる。三組ともとにかく毒舌なのが好きなんだよねー。 18/12/29(石川浩司)
12/28、定期健康診断を終え帰路についていました。車中TBSラジオを聴いていると毒蝮三太夫さんが今日春日部の××寺に来ると。
おおおこれは見に行かなければ。
毒蝮さんのミュージックプレゼントを見るのは高崎に続いて二回目です。
寺には40人くらいのリスナーが。みんなジジババばかりです(笑)。そりゃ年末でみんな忙しいですよw
毒蝮さんは82歳。しかも杖を使わずに、台本も持たずに、カンペも無しに、めちゃくちゃ饒舌で、古いことを知っていました。
番組が終わっても機材の撤収まで30分くらいトーク。面白い面白い。こういうじいさんになりたいわ。
高崎ではNGだった握手やツーショットも行いました。このあと寺で打ち上げみたい。
住職は、坊さんになるまで弁当の配達をしていて、車内でずっとこのラジオを聞いていたそうです。そのため憧れの人で、応募したのだとか。
番組中、住職はスマホでツーショットを取っていて、マムちゃんに突っ込まれていました(笑)。 19/1/7(わいわい)
住職でもいろんな知り合いがいる。不倫して駆け落ちした人、お堂の中にスタジオを作ったミュージシャン、そして完全な狂人も・・・。 19/1/7(石川浩司)
小学4年の頃でしょうか。
そのころ「ストリートファイター」というわけのわかんない映画の主題歌で「恋しさと せつなさと 心強さと」(篠原涼子)が流行っていました。
ちょうどそのころはラジオのついた目覚まし時計が欲しかった時期で、何かのきっかけで入手し、布団の中でその曲を待ってラジオを聴きながら興奮していました。寝ながらラジオが聞けるというのが嬉しかったです。
なにか「布団にもぐって、どうくつ探検」にも似た心境でした(笑)。 19/4/2(Sankaku)
ふふふ、そういうの楽しいよね。 19/4/2(石川浩司)
「梶原しげるの本気でDONDON」〔1988-2000年 文化放送、月〜金の午前11時から13時まで〕。営業車に乗り外回りの仕事をしていた時期よく聴いていた社会派ラジオ番組。ひとつのテーマを梶原しげるとアシスタントの女性アナウンサー、そしてレギュラーコメンテーターとで徹底的に掘り下げていく構成はわりと好きでした。車中でコンビニ弁当を食べながら裏のニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」とともにザッピングして聴いていたっけか。
レギュラーコメンテーターは田中角栄の元秘書の早坂茂三、弁護士でエッセイストの木村晋介、のちの長野県知事になる前の田中康夫、経営コンサルタントの堀紘一、ジャーナリストの鳥越俊太郎のほか、辻元清美、辛淑玉、デーブ・スペクターなど多彩を極めてましたが、そのなかで特に印象に残っているのは、奥崎謙三〔「ゆきゆきて神軍」の主人公〕や山口組事件、オウム事件、永山則夫などの弁護を務めた、当時人権派弁護士として名をはせた遠藤誠氏です。
遠藤氏がなんで印象に残っているかというと、同番組でのコメント内容ではありません。午後1時から同局で放送されていた「吉田照美のやる気MANMAN!」のオープニングでよく遠藤氏の話題が出ていたからなんです。それはどういう話題かというと、
遠藤氏は風呂嫌いで1年に1〜2回しか入浴しない人なので体臭がものすごくスタジオに漂っており、同じスタジオで放送する後続番組のパーソナリティーだった吉田照美と小俣雅子は、遠藤氏の出演する日は消臭スプレーをふりかけお香を焚いて放送してたんですって!! もちろん名指しはしませんが、よく臭いの話題は出ていたんですよ。
さぞかし番組司会の梶原しげるさんとアシスタントの女性アナウンサーは毎週地獄だっただろうことが想像されます。ラジオは五感のうち聴覚のみに訴え伝達するメディアなので臭いはリスナーには伝わらないし、伝えるわけにもいかないですしね。そんな「臭いを感じる」ラジオ番組のことを思い出しました。 19/5/22(波照間エロマンガ島)
「梶原しげるの本気でDONDON」では「人が発する臭いについて徹底的に掘り下げる!」はやらなかったのだろうか...。 19/5/22(石川浩司)
以前どこかのコンテンツに投稿したかもしれませんが、1990年代から2000年代にハワイを旅行したとき、レンタカーでドライブすることがよくあったのですが、カーラジオから聴こえる音楽の音質が素晴らしかったことがとても印象に残っています。あれは空気のせいなのか、アメ車のせいなのか、よくわかりませんが、FMラジオから聴こえるアメリカンポップスやロックがこれほど魅力的に聴けるなんていいなぁ、とそのドライブ体験を求めてハワイに着くとまず空港でレンタカーして、車でホテルにチェックインする習慣がつきました。
それからしばらく経って、大瀧詠一さんの記事を読んでいると、大瀧さんもアメリカでわたしと同じ体験をしたそうで、それで日本ではゼネラルモータースのキャデラックに乗っているということを話されているのを知り「やっぱり、大瀧さんも」と感心したことがあります。やっぱりアメ車には何か音楽をよく響かせる音響上の秘密があるのかもしれませんネ。 19/9/26(波照間エロマンガ島@アメ車はシボレーのエルカミーノが大好きでした)
そういう何かがマッチングした時に起こる「そこだけの奇跡」ってあるよねー。 19/9/26(石川浩司)
波照間エロマンガ島@バンコク在です。
2013年タイでは政治的混乱が拡大し、反政府勢力が首都の公共施設や道路などを複数占拠し、社会生活が正常に機能しない事態が発生しました。当時残業を終えてタクシーで帰宅するとき、カーラジオでは反政府勢力がラジオ局を制圧しそのリーダーによるプロパガンダ演説が流れていました。それはかなり不気味でそこには過激なアジテーションの文言が並び、タイに住んでいる外国人にも不安を煽り立てるような印象を抱かせました。
2019年の現在は、その後クーデターによってできた軍事政権によってタイ国はいちおうの安定はありますが、今から当時を振り返ると発砲事件や爆弾テロもあり、かなり怖い状況だったのだな、と思います。 19/12/3(波照間エロマンガ島)
怖いよね。でも日本も安穏としてはいられない気もする。 19/12/3(石川浩司)
19/12/3の追記。そのラジオのプロパガンダ放送のリーダーの演説では、当然のことながら政治の言葉が聞こえてきたことがとても印象的でした。タイ語学校で習ったことはあるものの、日常生活ではまず発することのまったくない「民主主義〔プラシャーティッパタイ〕」とか、「団結〔サーマッキー〕」とかそういうワードがたくさん出てくるんです。本気で政府を打倒しようとしているのがわかるので、怖かったです。日本でもかつて国民的な運動となった安保闘争などはこんな感じじゃなかったのか、なんて想像したりしました。 19/12/8(波照間エロマンガ島)
後になってみると「あの時はこんなだったなあ」と思えるけど、渦中は怖いよね。何が自分の身に起きるかわからないからね。 19/12/8(石川浩司)
クリスマスを前に、ラジオからジョン・レノンの「Happy Xmas〈War Is Over〉」が流れてきました。
曲が終わると女性パーソナリティーが、しっとりとした美しい声でゆっくりと「ジョン・レノンで、ハッピー・クリスマス……ワー・イズ・オーバー、でした」とタイトル紹介。
はっきりと"ワー"て。曲中でも"ウォー・イズ・オーバー"て歌ってるのに……可愛い。 19/12/31(テングザル)
正確にはあの曲はジョンとヨーコだしね。ヨーコはよく、無かったことにされがち(笑)。 19/12/31(石川浩司)
私が初めて、ラジオ番組を聴いて、大笑いしたのは、
三宅裕司のヤンパラでした。
その後、大槻ケンヂのオールナイトニッポンに、はまりました。
その次は、伊集院光の深夜の馬鹿力に嵌りました。
伊集院光さんは、はじめは、食レポタレントだと思っていたのですが、
深夜の馬鹿力を聴いたら、めちゃめちゃ面白い!
今でも、伊集院光のラジオは好きです(^^)
そして、2005年頃、j-waveを深夜に聴いていたら、
めちゃ面白い番組を発見したのです。
それは菊地成孔のwanted!という番組です!
それがめちゃめちゃおもしろい!
ちょうどその頃、私はロックがつまらないと感じていた時期だったんです。
菊地成孔さんはジャズ・ミュージシャンなのですが、
その番組のおかげで、私はジャズを探求するようになりました。
色々ジャズを聞きましたが、
一番好きなジャズ・アルバムは、
菊地成孔さんの「デギュスタシオン・ア・ジャズ」です。
菊地成孔さんは、本もいろいろ書いていて、
それも面白いんです!
さて、TBSラジオの話をします。
小島慶子のキラキラという番組が面白かったです。
その番組は終わりましたが、
小島慶子さんはその後、タレント、兼、エッセイストとして、
活動を続けています。
キラキラの後番組は、
たまむすびです。それもなかなかおもしろい。
私はラジオ、大好きです。 20/2/24(マサラ)
たまむすびは去年生放送で出たなー。
伊集院光は俺も毎週聴いてるよん。旅するのが面白いよね! 20/2/24(石川浩司)
2003年から2005年頃にかけて平日深夜2時から4時までの時間帯は、J-Waveで放送されていた「TR2」のヘビーリスナーでした。横浜駅近くのキャバクラでキャバ嬢の送りの仕事をしていたので、車中でよく聴いていたのです。
ナビゲーターは、月曜日がジャパニーズソウルシンガーのAiとユニバーサルミュージックレコード社長のRico。火曜日がみうらじゅんと安西肇、水曜日がリリー・フランキー、木曜日がブライアン・バートン=ルイス、金曜日は失念。
そのうちいちばんハマッたのが火曜日のみうらじゅんと安西肇の回。とにかくくだらなくてとことん馬鹿馬鹿しい。まるで飲み屋の会話をラジオにもちこんだような内容が最高でした。テツアンドトモの「なんでだろう」をアレンジした「下ネタなんでだろう」は、自分の中で一世を風靡しました。今でもYoutubeに音源の残骸が残っていると思います。検索して聴いてみてください。こんなエロいものが実際オンエアされていたのかと思うと驚きます。
また、2003年当時は二人が雑誌の企画で行なっていた「勝手に観光協会」の初期の時代で、47都道府県のご当地ソングの初オンエアしたのにだいぶん立ち会いました。
水曜日のリリー・フランキーは、アシスタントの安めぐみを固体認識した番組でもありました。安めぐみがけっこう変態属性を示し、臭い靴下の臭いにうっとりするという性癖をひきだしたリリー・フランキーのトークスキルに感心しました。当時はけっこう親密だったので二人は結婚するだろうと思っていたんだけどな。あと、もうひとりのアシスタント、東大卒のSM雑誌編集者のゾノネムの変態性癖も存分に笑わせてくれました。
そんな2000年代前半にハマッていたラジオでした。 20/4/18(波照間エロマンガ島)
その時代はラジオ聞いてなかったな。中高生の時と、最近。
最近は生じゃなくて違法アップロードされてるのをナイショで後でゆっくり聴いてる...。 20/4/18(石川浩司)
YOUTUBEですが、東野幸治さんが「幻ラジオ」という名前のラジオを不定期でやってます。面白いです。
そこで出た話題ですが、最終的に行き着くYOUTUBE動画は何ですか?というのがあって、人はYOUTUBEの動画をサーフィンしたあと、いつも必ず最後に見てしまう動画があるのでは、という話でした。
ある人は、それが横山ノックの葬儀における上岡龍太郎の弔辞だそうです。
すでに芸能界を引退してかなり経っているのに、淀みのない語り口と笑いも交えてしっかり聞かせる内容は、自分も見ましたが見事な名場面でした。
自分の場合はと考えたところ、米米クラブや爆風スランプなどのイカ天前夜の頃に自分が初めて聴くようになったバンドに、今は行き着いてます。 20/4/18(KPC)
俺は枝雀の「ズビバセンおじさん」かな。 20/4/18(石川浩司)
そういえば最初に聴いたラジオは何だろうと思い返してみると、埼玉のFMラジオ「NACK5」でした。
当時、日曜の深夜に声優さんのラジオをやっていて、それ目当てに聴いていました。確かその前には松山千春さん、後には霊能力者の高塚光さんのヒーリング番組が入って、そのあとでゲーム関連のラジオをやってました。
その流れで、その後土曜日には文化放送のアニラジ<声優さんのラジオ>に齧りつき、好きな漫画家さんが愛聴しているという情報を聴いて「伊集院光 深夜の馬鹿力」を聴くようになりました。
当時は録音するために、ラジカセにケーブルを繋いで<ラジカセ単体では録音できなかった>パソコンに接続、タイマー録音してました。
radikoが導入される数年前の出来事ですが、あの頃はどうやって録音しようかと悩んでた日々が楽しかったです 20/5/2(ズミ天)
昔はカセットによく録っていたなあ。深夜放送だと途中で寝てしまうこともあり、続きを聴くために。 20/5/2(石川浩司)
TBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」〔毎週土曜日の13時~15時〕が、2020年6月27日の放送をもって最終回とのことです。残念でなりません。まだまだ聴きたかったです。2006年の番組開始以来、途中当方の住む国は変わりましたが、外国からも音源を求めて聴き続けておりました。
久米さんというと1970~80年代、TBSラジオ毎週土曜日8時間の生ワイド番組「土曜ワイドラジオTOKYO」のメインパーソナリティーで活躍した時代が懐かしいです。当時わたしは高校生から大学生にかけての年代でしたが、トランジスタラジオをポケットに忍ばせて毎週のように空き時間イヤフォンで視聴しておりました。1970年代後半はテレビ番組で彼の代表的な仕事、「ザ・ベストテン」、「ぴったしカンカン」などで時代の寵児に駆け上がった頃で、もともとはTBSラジオの同番組での外回りレポーター役が評価されてのテレビ界進出だったので、ラジオは久米さんの古巣であり、ラジオの仕事も並行してつづけていたんですね。
そんなTBSラジオでの冠番組を14年近くつとめあげての番組降板、「まだ余力がある今のうちに番組を辞めたい」と退任の弁を述べていました。齢七十五、TBSでは最後の番組になるのかな。とりあえずお疲れ様でした。 20/6/26(波照間エロマンガ島)
田中真紀子さんゲストの同級生トーク、良かったなあ。 20/6/26(石川浩司)
中学生の頃、よく聴いていた深夜ラジオが「赤坂康彦のパジャマプレス」というFMの番組でした。
ある日の放送で、誰かが葉書の代わりに木の板に切手を貼って送ってきたのがきっかけとなり、リスナー間で何に切手を貼って送ろうかという挑戦になり、最終的には切手すら無視して、葉書以外何かを送りつけるだけのテロ行為みたいな感じになったのが、シュールかつ無駄なエネルギーを感じました。
自分も思い立って、学校の技術家庭の時間で作った木の折り畳み椅子に変な絵を描き加えた物体をFMぐんままで持参した事がありましたが、対応してくれた人は明らかに意図を理解してない様子で、今にして思うと届いてはいないだろうな、と思います。 20/8/1(KPC)
スルメとかでも切手貼れば届くんだよね~。 20/8/1(石川浩司)
20/4/18の追記。
そのJ-WAVEのみうらじゅんと安齋肇の番組で衝撃を受けたのは、ある日のフリートーク中、みうらさんが突然「あー、セックスしてー、セックスしてーよー」と思わずぽろりとつぶやいてしまったこと。まあ誰でもセックスしたいと思っているのでしょうけれど、心のつぶやきを言葉に出して電波にのせるってすごいと思いました。 20/8/18(波照間エロマンガ島)
みうらさんらしいなー。 20/8/18(石川浩司)
2020年10月にTBSラジオが大型番組改編を行なうことを、伊集院光さんが批判気味に深夜のラジオで語っていました。どうやら現在のTBSラジオのM社長はFMから来た人間で、ここ数年TBSラジオはFM番組のような番組編成にだんだん変化していってます。AMラジオでは必須のプロ野球ナイター中継をいちはやく廃止したのもTBSですし。
よって純粋AM人間の伊集院さんとはソリが合わないことが数年前から取りざたされているのです。
さてさて、関東ラジオ界の帝王である伊集院光さんの去就はどうなるのでしょうか。ニッポン放送に里帰りもあるのか? いちおう、備忘メモとして記録に残しておきます。 20/9/12(波照間エロマンガ島)
ラジオもテレビもいつのまにか雰囲気が変わることあるよね。
まさかテレビ東京(旧・東京12チャンネル)が新卒者のリクルート希望のテレビ局第1位になるなんて、昔はギャグだったことが現実になってるよね。 20/9/12(石川浩司)
日本のラジオというと、「交通情報」が番組中に時間をとって放送されるのが特徴です。AM、FMともラジオの放送区域内での自動車の混雑状況を知らせてくれる、カードライバーのリスナーにとっては重要な情報を流しているコーナーです。
よくある番組構成としては、AMラジオは生活情報番組の中で、30分に一度か1時間に一度、警視庁管轄の交通情報センターに待機しているオペレーターとつないで、約3分ほど現在の交通情報をアナウンスしてもらい、DJとクロストークします。そこでちょっとだけDJとオペレーターが会話して、ルーズに時間進行するのがAMラジオの隠し味的効果をあげています。そのオペレーターの人となりにふれることがあったりして、そのラジオ番組が温かいほんわかした印象を与えたりもします。
ところがFMラジオの場合は、スタイリッシュに番組を構成することが多く、交通情報は決められた時間内に必要な情報をただ流すだけで、その番組とは切り離されていることが多いのが特徴なのです。これはAMラジオの番組とは対照的な流れをもっているのですが、ごくたまに問題が起こることがあります。
15年くらい前のこと。わたしは夜間浅い時間、自動車の運転をしながら関東のFMラジオ局「J-WAVE」の音楽番組を聴いていました。ナビゲーターはカイル・イーストウッド。クリント・イーストウッドの息子でジャズ・ミュージシャンです。この番組ではカイルの「それではここで交通情報です」というアナウンスなしに、唐突に交通情報のジングルが始まりコーナーに入る趣向となっていました。ところがここでアナウンサーが原稿を読み間違えて時間内に交通情報を読み上げることができずに、いきなり情報がカットオフになりカイル・イーストウッドにマイクが戻ってしまったことがありました。「これは駄目だなぁ」という印象を抱きました。もっと時間の区切りをルーズにしてクロストークできないものなのかな、と。
前回TBSラジオのFMラジオ化について投稿しましたが、こういうルーティンの交通情報のようなものも変化していくのかどうか、気になっています。 20/9/22(波照間エロマンガ島)
最近は台風などの気象情報なんかもそうだよねー。リアルタイムで若干でも繋がりがあることが醍醐味なのにね。
と言っても深夜は特に既に収録済のを流してることも多いから、そううまくはいかないか。 20/9/22(石川浩司)
この年末年始休暇、タイの部屋でぼけーっとテレビばかり観ていたのですが、紅白歌合戦や明石家さんまと木村拓哉の「さんタク」に出ていたMISIAを観ると、わたしがJ-Waveの番組「Sistas Soul」を聴いていた頃からもう20年くらい経つのか、と時の流れの速さに驚いてしまいました。MISIAはフリートークが面白く、ラジオパーソナリティーとしても傑出した才能だとずっと思っていたんです。1978年生まれだから当時は20歳そこそこでもう独自な世界を確立しており、1999年10月期のフジテレビのドラマ「やまとなでしこ」の主題歌「Everything」がダブルミリオンセラー、そして現在までの年月、彼女は外見的な雰囲気はさほど変わらずに、しかし圧倒的な表現世界を進化させてきたことにただただ驚嘆しているしだいです。 21/1/15(波照間エロマンガ島)
MISIA、名前はよく聞くけど歌もトークもまともに聞いたことがないな。どっちのテレビも見てないしな~。 21/1/15(石川浩司)
みうらじゅんがサブカル臭の強いクリエーターゲスト〔ほとんどがみうらさんと親交の深い友人〕とサブカルについて存分に語りつくす「みうらじゅんのサブカルジェッター」というラジオ番組がありました。
プロ野球ナイター農閑期の2007年10月から2008年3月までの半年間限定、夕方のTBSラジオで毎週土曜日生放送されていました。わたくしちょうどタイに移住する直前だったのですが、これはよく聞いていました。
今でも覚えているのは井上陽水がゲストの回。トークしているうちになんか陽水が飲酒運転について、よくやっていることを匂わす〔?〕発言をしはじめたんです。すでにちょっと酩酊しているような感じでした。酒飲んで運転してTBSにやってきたような。それをみうらさんがあわてて打ち消すも、その雰囲気がもろに生放送の電波に乗ってしまったという出来事がありました。これはドキドキドキリコだったなぁ。
しかし、番組のあとに特にアナウンサーが謝罪をしたわけではないので、放送事故にはならなかったと思うのですが、あれは印象に残っています。
井上陽水はふだん飲酒運転やってるな、ってリスナー全員思ったんじゃないかな、証拠はないけど。生放送はこういうハプニングがあるから好きなんですよ。
当時みうらじゅんとよくコンビで出演していた安斎肇の出演回では、安齋さんが酔っ払って登場し、苦情の電話が殺到したといいますしね。
そんな「みうらじゅんのサブカルジェッター」の話。みうらさんの2000年代のラジオは最高に面白かった。 2021/3/26(波照間エロマンガ島)
名古屋かどこかでみうらさんのラジオにたまで出たことあるけど、朝からずっと仕事の日でラジオは深夜。メンバーが眠くてほとんどまともに喋れずで不快な思いをさせたかもしれないなー。 2021/3/26(石川浩司)
みうらじゅんのサブカルジェッター、僕も聞いてました。
面白かったです。
大槻ケンヂがゲストの回が嬉しかった。
田口トモロヲがゲストの回もよかったです。
田口トモロヲって昔パンクバンドのボーカルでしたが、石川さんは会ったことありますか? 2021/3/31(マサラ)
田口トモロヲさん監督の映画「アイデン&ティティ」に出演したからね。
まあインタビューシーンにちょろっと出ただけだけど。 2021/3/31(石川浩司)
2021/3/31の石川さん。
いつだったか田口トモロヲのこと書いたなぁと思い出してみると、「ドキドキドキリコ初体験〔98〕」に「初めての田口トモロヲ」〔20/2/29〕というのを書いてました。ttp://ukyup.sr44.info/sy98.html
田口さんといえば、大島渚監督作品「御法度」〔1999年〕で新撰組隊士を演じていましたが、なぜか大島渚の覚えが悪く、演技について毎回かなりこっぴどく現場で罵倒されたと共演者のビートたけしが言っていたのを覚えています。たけしが分析するに、それは大島組の現場では誰かスケープゴートにされるキャストスタッフが一人いて、大島がその人を罵倒することによって、現場の空気が引き締まる、つまり大島の現場操縦法のひとつだったというわけです。調べてみると1960年代の創造社の時代には、その役割を小松方正が担っていたんですって。大島は何かれ常に小松を罵倒して現場の空気を引き締めていたとか。そんな田口トモロヲの想い出。2021/4/15(波照間エロマンガ島)
大林宣彦監督もキャストには常に笑顔だったけど、手を抜いてるスタッフには罵声を浴びせてることもあったからなあ。そういうのも集団をまとめる手腕のひとつなんだろうね。2021/4/15(石川浩司)
最近カーラジオで、ベイFMを聞くのですが、「ベイ」というとどうしても横浜、神奈川をイメージしてしまいます。だって、ベイスターズ、ベイエリア、ベイブリッジ、ベイクォーター・・・(´・ω・`) 2021/5/15(わいわい)
えっ、俺もどこかそこら辺だと思ってた。
まあ日本は島国だからそこらじゅうベイだらけなんだよね。 2021/5/15(石川浩司)
書き忘れた。それが千葉でした。確かに千葉だけどさあ笑。
そのベイFMの平日1200-1255くらいまで、「サラドレ」という日替わり女性MCによる音楽トーク番組をやっていて、生放送で勢いがあってめちゃ気持ちがいい元気な番組なんですが、最後に流す曲を、番組でセレクトした5曲をラジオリスナーが投票で決めるという企画を毎日やっています。5/19は、1.BENNIE K「Dreamland」、2.GOING UNDER GROUND「STAND BY ME」、3.アリス「チャンピオン」、4.森七菜「スマイル」、5.たま「さよなら人類」でした。ちょっとだけ紹介では「今日人類がはじめて木星についたよ(ついたー)」の部分が使用されていました。リスナーメールを聞きたかったのですが全部は聞けなかった。たまは、最初3位で最終的には4位でした。残念。この日の一位は.森七菜「スマイル」でした。 2021/5/25(わいわい)
この前ライブハウスで共演した二十歳くらいのミュージシャンが俺のことを知ってたので「なんで知ってるの?」と聞いたら「音楽学校に行ってたのですが、授業でイカ天から「たま」を勉強させられました」と言ってた。
俺、教材...。 2021/5/25(石川浩司)
ニッポン放送で1974年10月から1975年3月のプロ野球中継農閑期の夜8時から10時に放送されていた「危機一髪! ラジオよひらけ ハッピッピ」。わたくし小学6年生でしたがおそらくこの番組が初めてはまったラジオ番組だと記憶しています。
日替わりパーソナリティーは月曜が西郷輝彦、火曜が愛川欽也、水曜が鈴木ヒロミツ、木曜がせんだみつお、金曜が小野進也。小野進也は当時「ワイルド7」の飛葉役でブレイクしての起用だと思われます。それ以外は1970年代のラジオスターが勢揃いという感じですね。
「怪人二十面相」でラジオドラマの楽しさに目覚め、また夜9時40分頃から放送されていた「欽どん、欽ちゃんのドンといってみよう」は大ブレイクし、翌1975年からテレビ放送され、「土8戦争」ということで「8時だョ!全員集合」と視聴率のしのぎをけずりあいました。「ビートルズ・フォーエバー」ではビートルズのトリヴィアにも明るくなりました。
パーソナリティーがまわしていくニッポン放送の夜ワイド番組は、このあと「高島秀武の大入りダイヤル まだ宵の口」や「三宅裕司のヤングパラダイス」「伊集院光のOh!デカナイト」などに受け継がれていきます。個人的には中高時代は視聴習慣はTBSラジオに移っていったかな。林美雄・小島一慶「夜はともだち」はよく聴きました。 2021/6/7(波照間エロマンガ島)
小学生の時はラジオはまだ持ってなかったな。
中高生は基本はパック・イン・ミュージック。時々オールナイトニッポン。セイ!ヤングはあまり聴かなかったな。 2021/6/7(石川浩司)
ネットラジオの山野楽器・TGSラジオ「安田太の『バックパックレイディオ』6月号」〈http://tgs-radio.com/index.html〉を聴きました。
今号にはパーソナリティーの安田太さんと、それに石川さんも所属されるMont.Barbara〈https://rashinban-record.jimdofree.com/mont-barbara/〉がゲスト出演され、メンバー同士の楽しい掛け合いに1stアルバム「山越え谷越えあなたに会いに」〈2021年6月23日全国発売〉から「GO!GO!」がオンエアされました!
月・水 12時~〈1時間〉、火・木 18時~〈1時間〉と同じ内容で繰り返し放送されるので、是非とも要チェックです!
アイドル店長あおいたんのおしゃべり上手は有名ですけど、もぉりぃさんがあんなに面白い方だったとは〈笑〉。 2021/6/18(テングザル)
これは「ザ・レポート」の方に投稿してほしかったな。
俺はまだ時間が合わずに聞けてない~。 2021/6/18(石川浩司)
11/10/13の追記。
山下達郎の「オールナイトニッポン」は1976年1月8日スタート、同年9月28日終了というわずか10ヶ月足らずの短い放送期間のラジオ番組でした。最初は木曜深夜3時から5時、途中曜日が変更し火曜3時から5時という深い時間帯で、中学2年の自分はよくもまぁ聴いていたなという印象です。
む
山下さんの個人史年表と照らし合わせると、この間、大瀧詠一さん伊藤銀次さんとのユニットアルバム「Niagara Triangle Vol.1」リリース〔3月25日〕、シュガー・ベイブ荻窪ロフト解散コンサート〔3月31日、4月1日〕をはさみ、グループ解散後のソロデビューアルバムの「Circus Town」のレコーディングで渡米する時期〔8月‐9月〕にも重なっていました。
その中で記憶に残っているのは、音楽評論家で当時ニッポン放送の子会社のパシフィック音楽出版の社員だった朝妻一郎さんがゲスト出演したとき。ビーチ・ボーイズを中心とする1960年代のアメリカの西海岸のロックシーンについてひとしきり歓談したあと、朝妻さんが「でもさあ、僕としては60年代のアメリカンロックよりもぶっちゃけ、山下達郎の音楽に注目しているってところあります」と言い、山下さんが恐縮していたのを覚えています。まだその時点ではファーストソロアルバムも未発表の頃で、シュガー・ベイブとナイアガラ・トライアングルを出したばかりの23歳の若手ミュージシャンだったわけですからね。そんな若者に時間を与えてラジオ番組を制作したニッポン放送の先見の明があるのかな、とも思いました。
〔追伸〕SNS時代になり、シュガーベイブ解散コンサートを見に行ったという人と知り合ったことはSNSをやってよかったと思ったことのひとつでしょうかね。 2021/7/4(波照間エロマンガ島)
忙しい時って仕事が集中するよね。そのどれもが結実する時期っていうのもあるんだよね。 2021/7/4(石川浩司)
やっぱりメールが読まれるとうれしいな!
そして何度もリピート再生してしまうな!
そしてまた投稿してしまう!
このサイトも同じですね 2021/7/4(ズミ天/カルロスイベリコ豚)
この調子でいろんな投稿待ってるよ~。こっちも嬉しい!
ラジオで名前を聴くとニヤッとしてしまう。 2021/7/4(石川浩司)
毎週聴いているラジオ〈生放送〉が始まると、いつものメインパーソナリティーではなくアシスタントの暗い声が聴こえてきました。
「〇〇〈メインパーソナリティー〉さん、ラジオを聴いていたらご連絡ください。何度電話をしても出られなくて心配しています」と。
スタジオ近くの食堂のご主人も「珍しく今日はお見えになられませんでしたね」と電話出演。
その後、いつものトークではなく音楽が流れ続けました。
そこへメインパーソナリティーの友人からメールが届き番組内で読み上げられました。
「確か午前中に2回目のワクチン接種をされて、現在発熱中では?」と。
そしてやっとご本人から番組に電話がありました。
「ごめんなさ~い。今まで気を失ってました。まさか自宅からの中継出演になるとは〈苦笑〉」
原因は午前中のワクチン接種で発熱、放送のある夜までには最低でも37.5℃以下にならないとスタジオには入れないなと様子を見ていたら……その先は記憶がないとのことでした。 2021/10/30(テングザル)
まさに現在を象徴する出来事だね。副反応は俺はほぼ無かったけど、一ヶ月以上高熱が下がらないという知人もいたからねー。 2021/10/30(石川浩司)
わが家にビデオデッキが導入されたのは1979年のこと。それより以前は気になったテレビ番組は、テレビのスピーカーにマイクを近づけて、ラジオカセットで流れた音声を録音して保管していました。でもそうすると、家族の話し声などが同時に入ってしまうので、なかなか録音は難しかった。どうしても雑音が無いように番組を録音したいときには、FMチューナーにテレビチャンネルが内蔵されていた叔父の家に行って、テレビ音声をエアチェックしていました。それにしても現在は、ラジオといえばインターネットラジオばかりなので、またアナログのラジオを聴きたいと思う今日このごろであります。 2021/11/14(波照間エロマンガ島)
そのカセットには、もういなくなった家族の貴重な声が入ってるかもね。 2021/11/14(石川浩司)
最近リスナーが生出演した後、
視聴者「サインください!サイン!」
MC「お送りしますー」
というやり取りが多くありましたが、最近全くなくなりましたね。 2021/12/31(わいわい)
まあ放送に乗ってないところで言ってるのかもね。どうなんだろう? あ、電話かな? 2021/12/31(石川浩司)
「かつ江と悠里の朝風呂問答」〔TBSラジオ 1977~83年、月曜から金曜朝6時30分~35分〕。
大沢悠里さんのことを初めて個体認識した帯番組。伊香保温泉観光協会提供のインフォマーシャル番組。大好きでした。エコー音と風呂桶の効果音などで温泉の雰囲気を作った空間に、三味線漫談俗謡の都家かつ江師匠と当時TBSラジオのアナウンサーだった大沢悠里さんとの珍問答がちょっとお色気風味があって、中学・高校時代の登校前に聴く習慣がついてました。
ちなみに2022年1月8日、大沢さんは自身がパーソナリティーを務めるTBSラジオの「ゆうゆうワイド土曜日版」の番組パーソナリティーを卒業することを発表しました。番組は36年の長きに渡って続いただけに感無量です。 2022/1/14(波照間エロマンガ島)
ラジオって、長寿番組多いけど、今春、次々消えるのはしょうがないこととはいえ、一抹の寂しさ。
ラジオは時にテレビより深く刺さってることあるからね。 2022/1/14(石川浩司)
15/8/22、16/1/21の追記。
ラジオ業界に激震が走りました。TBSラジオ午前の顔とも言える伊集院光さんの生ワイド番組「伊集院光とらじおと」、今春3月いっぱいで終了ですって。
2016年4月スタートで6年間での番組終了でした。パワーハラスメント疑惑があったりとか、TBSラジオの上層部とソリが合わなかったとか、様々降板の原因が取り沙汰されてますが、そこをほじくるのは野暮なのでわたしは何も言わないでおこうと思います。でもファンとしてはもっと長く続いてほしかったな。前任者の大沢悠里さんと同じく、30年くらいはがんばれたと思うのだけれども。
月曜JUNK「深夜の馬鹿力」は継続するとのことですが、これからTBSラジオどうなるんでしょうかね。
たまたまこの「王様」の「ラジオ」トピックで番組の始まりからコメントしていたので、後世の読者の方にも「こんなことがあった」と読んでもらいたくて投稿してみますね。 2022/1/29(波照間エロマンガ島)
「深夜の馬鹿力」は聴いてるけど、その話題に触れるも原因には一切触れなかったね。
伊集院光ですら喋れないことってよっぽどなんだろうね。
そしてその代わりがパンサー向井とは思わなかった。 2022/1/29(石川浩司)
最近TBSのたまむすびをよく聞いています。木曜日「そんな人本当にいるんですか」というコーナーがあって、いそうでいない人を募集しています。例えば「福男になったことがある人」「何らかのトラブルで受験会場までパトカーで送ってもらったことがある人」「滝行をしたことがある人」「デコトラを所有している、もしくは所有していた人」「アイドルの親衛隊をやっていた人」などです。1-3人くらいのリスナーが電話で話すのですが、裏側を聞けてめちゃくちゃ面白いです。 2022/1/29(わいわい)
たまむすび、数年前に出たなあ。来月はニッポン放送の昼間の生に出る予定です。告知OKになったら、インフォメーションにて。 2022/1/29(石川浩司)
「たまむすび」の月曜コーナー「竹ガム 2022/2/6(竹山ちょっとガムテープ買ってきて)」というコーナーが最近面白いです。もともとは「この曲が知りたい?」「これのシーンが知りたい?」等のリスナーに対する調査依頼コーナーだったのですが、最近赤江さんの父上赤江活明(かつあき、元銀行員)の「父・活明が解いた!?コラッツ予想のレポートを検証してほしい!!」という通称「カツアキ論文」というのを連続してやっていて、なんでも活明さんがノート50pくらいに「コラッツ予想」の証明を書いたのだそうです。
コラッツ予想とはwikiによると、1937年にローター・コラッツ(独)が問題を提示した数論の未解決問題のひとつで「任意の正の整数 n に対して、以下で定められる操作について『n が偶数の場合、n を 2 で割る』『n が奇数の場合、n に 3 をかけて 1 を足す』このとき「どんな初期値から始めても、有限回の操作のうちに必ず 1 に到達する(そして 1→4→2→1 というループに入る)」という主張が、コラッツの予想なんだそうです。これを証明した人には1億2000万円がもらえるとか。実際に2011年度大学入試センター試験数学IIB第6問に題材として取り上げられたそうです。小中学生でも分かるが,専門家でも証明できていない未解決問題なんですね。
【例】
≪3から始めると≫
3→10→5→16→8→4→2→1 (7回の操作で1になる)
≪11から始めると≫
11→34→17→52→26→13→40→20→10→5→16
→8→4→2→1 (14回の操作で1になる)
≪35から始めると≫
35→106→53→160→80→40→20→10→5→16
→8→4→2→1 (13回の操作で1になる)
で、この論文を見てほしいとリスナーに募集したところ四人が選ばれて、そのうち一人は数学マニア、もう一人は学部、修士と数学や物理をやっていて現在SEをやっている人で、三人目が凄い人で東京大学大学理科学研究科平地健吾教授が直々にメールを投函したそうで「時間があれば見ます」というものでした。この平地さんの研究分野は「微分幾何・複素幾何」、研究テーマは「共形多様体およびCR多様体の不変量」で、研究内容の概要「共形多様体およびCR多様体の幾何学を放物型幾何学という広い視点で研究している.これらの多様体の不変量を構成するために,より高い次元のアインシュタイン多様体への埋め込みを考え,アインシュタイ計量の漸近挙動から新しい不変量や不変微分作用素を取りだすという手法を開発している.この解析はベルグマン核の漸近展開などに応用できる」(東大HP)というもう全く訳分からないもので、赤江さんも竹山さんも「ひええええ」と言ってました。
四人目はカナダ・マギル大学哲学部教授のモント君(広瀬巌教授)で論文の発表方法をメールしてきました。要約すると、
・論文の英語版が必要。発表雑誌は一番権威のある学術雑誌「Journal of the American Mathematical Society」がよい。
・査読プロセスとして、雑誌側が2-3人の世界的研究者へ報告書の作成を依頼。1受理、2修正後に受理、3大幅修正後に再投稿、4・却下、のどれかが得られるが、編集部による「Desk Rejection」(門前払い)の可能性があること。モント君が編集していた雑誌で、トラックの運転手が哲学について投稿してきたが見事に門前払いになったとこのこと。
このモント君こと広瀬教授が月曜まで日本にいるとのことで実際にスタジオに来てもらいました。頭がつるつるでメールとは大違いのニコニコしている人でした。
そしてなぜ哲学をやろうとしたか、なぜ名門マギル大学にいるのかなどをトーク氏、広瀬先生は東大の第一人者の教授に見てもらえるのであれは指導を仰ぐ方がよいと言われてました。
そしてここからが重要!!! 「プロの数学者でもほとんどダメだろうけど、証明したと思っても綻びや反例がある。でも無駄な事ではなくて一歩前進どこに問題があるかという事で、証明してなくても素晴らしい業績として残ることがある」「もっとも重要なのは、人類が解決していない根本的な問題に対する好奇心とそれに正面から取り組む情熱が一番大切」「好奇心には上も下もない。年取っていても若くても好奇心に正直に情熱を燃やしてそれを追求することが大切」
と言われました。いい言葉だなあ。目からうろこが落ちましたよ。 2022/2/6(わいわい)
まあ、途中はほとんど分からなかったので理解するのをあきらめ飛ばしたけど(笑)、好奇心はホント大切。
ただ他のところにも書いたけど、さすがに認知症とかになってくると好奇心も微妙。俺の女性の友達はお父さんが認知症になり娘と妻の区別がつかなくなり、夜に襲われそうになったことがあるとか。悲しい現実。 2022/2/6(石川浩司)
2020年9月よりニッポン放送では平日午後1時から3時30分までの時間帯を芸人をパーソナリティーに起用した「ザ・ラジオショー」〔月~木 ナイツ、金 中川家〕を放送し、裏のTBSラジオ「たまむすび」と熾烈な聴取率争いを繰り広げています。しかも2021年10月からは土曜日にもこの番組を拡張、サンドウィッチマンがパーソナリティーを務める「ザ・ラジオショー・サタデー」がスタートしました。各曜日ともパーソナリティーの長時間のフリートークとゲストとのトーク〔ゲストはたいがい芸人である〕が特徴で、お笑い好きな若者の聴取者層をRADIKOで取り込もうというニッポン放送の戦略が伺えます。
平日昼間のニッポン放送は1970年代の「いまに哲夫の歌謡パレードニッポン」時代から、ずーっとさえない番組ばかり製作してきて、他の時間帯では圧倒的にニッポン放送が強かった関東ローカルのラジオ市場では、この時間帯だけは文化放送やTBSラジオなどの番組のほうが面白く聴取率も勝ってきたという歴史がありますが、王座奪還を賭けて「藁をもすがる」思いで人気芸人の力を借りてきたのでしょうかね。月曜から木曜担当のナイツは各曜日に女性芸人のパートナーを配置し、3人でのトークが不思議な味わいの世界を出してきています。月曜が平野ノラ、火曜が山﨑ケイ〔相席スタート〕、水曜が安藤なつ〔メイプル超合金〕、木曜が箕輪はるか〔ハリセンボン〕です。
わたくし波照間エロマンガ島は、日本に住んでいた2008年3月までは平日午後はずっとTBSで「たまむすび」の前々番組「ストリーム」から「荒川強啓デイキャッチ」までずーっとTBSかけっぱなしというゴリゴリのTBSヘビーリスナーでしたが、海外移住してリアルタイムでAMラジオが聴かれなくなったこともあり、最近の視聴方法はポッドキャストやRADIKOに変わってきています。そのためTBSラジオ愛は薄くなってきたというか〔笑〕、まぁどーでもよくなってきたわけですね。そして最近はジジィになってきてお笑い芸人のおしゃべりが耳に優しく感じる年ごろになってきたので、この「ザ・ラジオショー」ばかり聴くようになったのです。
ついでなので最後に私が好きだったラジオ番組を書きますと「伊集院光の週末TSUTAYAに行ってこれ借りよう」。これは超優良番組です。TBSラジオの「たまむすび」に内包した毎週金曜日放送の20分番組〔2012年から2016年まで放送〕。今でも音源が多数Youtubeに残っているので、アマゾンプライムで多数映画を観ている石川さんにも映画探しの場所としてオススメします。
どういう内容かというと、「週末これ借りよう編」としてゲストがオススメ映画をスタジオにいる伊集院光とアシスタントの女性アナウンサーに推薦します。そして2週間後に同じメンバーで番組を再収録し、「先週これ観たよ編」としてその映画の感想を述べ合うという番組。ラジオのリスナーもそこで紹介された映画を観てその後の「感想戦」に参加できるという、映画ファンにはたまらない魅力を持った番組でした。下記にどんなゲストがどんな映画を紹介したのかのリストがあるので参照してください。私が特に好きだったのはみうらじゅんさんの回。みうらさんが推薦したのは「わさお」「ラストラブ」「おかえり、はやぶさ」「ルパン三世 実写版」と4本ありますが、さすがみうらさん、他のゲストが推薦するポイントとは全く違った切り口から映画を観ていて、どれも抱腹絶倒の神回となっています。
〔参考URL〕
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/伊集院光の週末TSUTAYAに行ってこれ借りよう!#ゲストと推薦した作品
2022/2/14(波照間エロマンガ島)
その「ザ・ラジオショー」に今週出ます。ナイツと安藤なつさんとお喋りしてきま~す。 2022/2/14(石川浩司)
前回別の所でFMラジオで「私、スポーツに興味が無いのですが、何か」というテーマで募集していた話をしましたが、その時に、
「勝負が苦手で」と「結果が怖くて見れない」という投稿がありました。
この「結果が怖くて見れない」というのは僕にもあります。テレビで怖くて見れない。twitterなどでも追えない。途中結果が怖いのです。
大体応援しているチームが弱いもののなんとか食らいついている。いい線で試合している・・・てな場合に多いです。 2022/2/28(わいわい)
最近は電車の中などでも電光掲示板でニュースが流れてきちゃって「あああ、まだ結果知りたくなかったのにぃぃぃっ!」ってこともあるよね。 2022/2/28(石川浩司)
石川さんも聴いていると仰っていたラジオ番組「ハライチのターン!」ですが、私も愛聴しています。2016年9月スタートで毎週木曜日深夜24~25時にTBSラジオ系でOAしていますが、気がつくと定期的に聴いていました。この番組で初めて岩井勇気のフリートークの面白さに目覚めました。関西の吉本芸人のような、ことさら無理矢理お笑いのシチュエーションを作りわざとらしいトークをするのではなく、ひょうひょうと日常で見つけたものを自然体で話す、そのありように惹かれています。思えば2014年に終了した「森田一義アワー 笑っていいとも!」では相方の澤部佑が単独でレギュラー起用され注目を浴び、長らく岩井は「じゃない方芸人」の座に甘んじていましたが、この「ハライチのターン!」がきっかけということもあったのでしょう、どんどん岩井の存在感は大きくなり、コンビとしてハライチは魅力的なポジションを獲得するようになりました。岩井は幼少期に埼玉県上尾市の原市団地で成育し、相方の澤部とは幼稚園から同級生だったというコンビの2ショットの落ち着き加減はなんともほっこりします。 2022/4/2(波照間エロマンガ島)
そうそう、ラジオじゃ岩井の方がむしろメインだものね。彼のブラックが日の目を見て、ラジオというメディアがあって良かった! 2022/4/2(石川浩司)
伊集院光さんもコロナでダウン。朝のラジオ終わりが近いのに・・・
でも深夜の馬鹿力の総集編で私のメールが読まれたのは素直にうれしいです 2022/4/2(ズミ天)
それも聴いたよー。「ずみお」って読まれてなかった? 2022/4/2(石川浩司)
19/5/22の追記。先日文化放送で「梶原しげるの本気でDONDON」の特別番組が放送されていて聴く機会を得ました。2000年の番組終了以来、22年ぶりのOAですって。40代から50代にかけての働き盛りだった梶原しげるさんは、好々爺のような70代のお爺ちゃんに仕上がってました。「ニュースを疑え。ニュースの向こうに何かが見える。われらニュースの探検隊」というキャッチコピー、懐かしかったー。1990年代日本で起こった重大社会事件は、仕事中の営業車の中でほとんど聴きました。報道部がニュースを作るアプローチではない、野次馬的な感覚、素人の目線でニュースに切り込んでいた貴重な番組でした。こういう番組は文化放送の独壇場だったな。いちばん下っ端の探検隊員として出演していた記者たちは、皆50代の管理職になっているのは時の流れを感じました。またこういう画期的な番組が出てこないかと思います。
追記、オウム事件で自身と家族が殺害された坂本堤弁護士の肉声が紹介されていたのは、2022年の現在聴いても衝撃的でした。 2022/4/18(波照間エロマンガ島)
最近は政治的上層部からの圧力で自由に喋れる場が少なくなってるのかもしれないね。 2022/4/18(石川浩司)
午前中車で移動している時はTBS「フラット」を聞いています。そこのメインパーソナリティはパンサー向井さんですが、パートナーで高橋ひかるさんとココリコ田中さんが曜日替わりででています。高橋ひかるさんは日本テレビの「スクール革命」のイメージがあったのですが、最初から最後まで元気に話す方で合いの手もうまく見直しました。田中さんはテレビではモゴモゴ喋るイメージがあったのですがラジオでは話が面白く頭の回転も早くびっくりしました。テレビだけでは分からないものなんですねー。 2022/8/13(わいわい)
ラジオは規制がテレビより緩い分、伸び伸びと本来の力を出す人もいるよね。
テレビは編集の力が大きい。俺も山下清のようにうまく喋れなくてちょっと言い淀んだところばかり使われたこともあった。まともに喋ったところは全カット。 2022/8/13(石川浩司)
その直前が「森本毅郎 スタンバイ!」と番組で、なんか中高年向きの番組らしく、「ふらっと」に切り替わる直前、リスナーからのメールを紹介するのですが、テーマに対し1・長文で、2・40代後半から60代ばかりの意見で、3・やれ「△△をやるべきだ」「××はどうかと思います。私たちが声をあげなければ」「今の政府はちゃんとそのことをかんがえているのでしょうか」みたいな「ヤフコメ」みたいな意見ばかりで本当に気分が悪くなるのでギリギリまで他局にして、時間になる直前に「ふらっと」に切り替えています。 2022/9/13(わいわい)
俺も意見が何にせよ、強制的な言葉が好きじゃないな。自分の考えが絶対的に正しいと思ってる言葉には「う~ん」と思ってしまうなあ。 2022/9/13(石川浩司)
今ラジオの投稿って、ほとんど中高年じゃないですか。昔は夜・深夜ラジオはもとより、昼間のラジオだってはがきの投稿は中高大生が主でせいぜい20代だった気がするぞ。ラジオ出演も若者ばっかりだった。若い人たちは投稿しなくなったのかなあ・・・。めちゃくちゃ寂しいな。 2022/10/15(わいわい)
今はメールでタイムラグ無く投稿できるのにねー。 2022/10/15(石川浩司)
「電撃わいどウルトラ放送局」〔ラジオ関東、1977~1982年、平日22時頃~23時50分頃〕
私の中学から高校大学にかけて、平日夜に生放送していたラジオ番組。当時はニッポン放送が「高嶋ヒゲ武の大入りダイヤルまだ宵の口」、TBSラジオが「一慶・美雄の夜は友だち」「生島ヒロシの夜は友だち2」の時代か。私はもちろんそちらの放送も聴いていたが、毎日10人くらいリストアップしているミュージシャンの中で、誰がその日のパーソナリティーとして出演するかわからないというキャスティングシステムに惹かれてラジオ関東を聴くようになった。最初にハマったのが石立鉄男のユニオン映画ドラマ「気まぐれ天使」に出演していた坪田直子さん。我がアイドルでしたねー。惚れましたねー。
1978年以降は、当時台頭してきた新ロック御三家のChar、世良公則、サザンオールスターズ・・・みんな出演していたんじゃないかな。私が好きだったのはサディスティック・ミカ・バンド解散後、サディスティックスでブイブイ言わせていた頃の今井裕。自分のことをメローの貴公子みたいに自己紹介して調子に乗ってましたね。その後、ニューウェイブが流行して、イミテーションというバンドを組んで再デビューすると、この「メロー時代」のことは全否定していたけどね。
とにかく私はラジオ関東というラジオ局のアナーキーかつラジカルなところに中学の頃から魅せられていたのだと思う。「全米トップ40」も「Go Go ナイアガラ」もラジ関だった。電波がちょっと弱くリバーブがかかったような音響でラジオが聞こえていたのも素敵だった。 2022/11/11(波照間エロマンガ島)
多分当時住んでいた前橋では電波が入らなかったな。 2022/11/11(石川浩司)
火曜日の朝は大抵車を運転しているのでラジオを聞いています。TBSの「ふらっと」がお気に入りでしてそのままジェーン・スー「生活は踊る」を聞いています。その日のパートナーが遅い夏休みを取っていてピンチヒッターが入社二年目の高柳アナでした。大学時代陸上をやっていて専門は棒高跳びで、その競技についてスーさんが食いつく食いつく。どのくらい飛べるのかとか、ポールの高さはどのくらいとか、どうやってポールは保管しているのかとか、どうやって持ち運ぶかとか、いやあ面白かった。 2022/11/11(わいわい)
確かにそれ聞きたい。電車で運ぶのは大変だろうなとか。車でもあんな長い棒、難しそう。 2022/11/11(石川浩司)
私は車に乗っている時しか原則ラジオは聞かないのですが、小林克也さんの番組は必ず聞いています。FUNKY FRIDAY(NACK5)、ベストヒットUSA(NACK5)、7時からドットコム(bayfm)がお気に入りです。 2022/12/4(わいわい)
あの人も長いよねー。フランスから中継でラジオ出演して話したことはあったなあ。 2022/12/4(石川浩司)
ラジオ関東〔現・ラジオ日本〕で毎週土曜日夜放送していた「全米トップ40」。米ビルボード誌のヒットチャート上位40曲をカウントダウン方式で放送する番組で、わたくし中学高校時代1975年から1979年頃までは毎週ノートにチャートをメモしてエアチェックしていました。アメリカ本土で放送していた同名のラジオ番組の放送権をラジオ関東が購入し、日本版を制作したラジオ番組。フォーマットは、40位から31位、30位から21位、20位から11位、そして10位から1位、と10曲ずつのブロックをケイシー・ケイサム氏のジングル付き原盤DJに乗せ、その合間に湯川れい子さん、坂井隆夫アナウンサーらの日本側キャストが曲を解説していくスタイルで、アメリカで「今」ヒットしている曲をリアルタイムで紹介してくれるという画期的なラジオ番組でした。ビートルズ一辺倒だった私の洋楽遍歴は、この番組の聴取によって飛躍的に広がりました。私はそれまでは基本的にブリティッシュロックしか聴かなかったのですが、この番組で西海岸のロックグループのイーグルスやドゥービー・ブラザーズを知るようになり、界隈のアーチストではリンダ・ロンシュタットが最初に好きになった思い出が。あと当時はディスコ音楽全盛で、フィラデルフィアソウルやモータウン、アトランティックレコードなどからブラックニュージックの洗礼も受けたことなど、強い体験でした。それら色々な音楽がヒットチャートの中に混在して並んでいるのって、今から思い返すとこれほど刺激的な時代はなかったと確信します。だってクィーンの「ボヘミアン・ラプソディー」やイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」など、現在も残るロック史上に残るマスターピースの、当時のチャートアクションを覚えているんですから!それはそれは凄い体験でした。
その番組じゃないけど、俺も中高生の時は洋楽チャートの番組聴いて、毎週ノートに付けてたりした。まさにクイーンなど今も伝説として残る人たちのリアルタイムのヒット曲を聴いていた。楽しかったなあ~。 2023/1/7(石川浩司)
他にもこの番組の思い出は山ほどあるのですが、今日ネットサーフィンしていて気づいた下世話ネタをひとつ。1975年夏頃から英国スコットランド出身のアイドルロックグループ、ベイ・シティー・ローラーズがアメリカでも人気に火がついて、スマッシュヒットを連発するようになったんです。日本でも大ヒットした「サタデー・ナイト」は1976年1月第1週の全米1位でした。その人気にいち早く目をつけたのが、この番組でアシスタントを務めていた山本さゆりさん。一時はローラーズのアンバサダー的存在として知られてました。後にNHK FMでDJになり、音楽評論家としても活躍しました。チャッピーというニックネームで親しまれた山本さんですが、実は当時は1950年生まれと公表していたと確かに記憶しているのですが、今日ネットで見た情報では1953年生まれとなっていました。これは何なの?年齢をサバ読んでいたの?番組ファンでチャッピーファンだった私は、今プチショックを受けていますよ。下世話ですみません。
などなど、この番組の思い出は自分の中学高校時代の思い出と連動しているので、また何か思い出したら投稿したいと存じます。 2023/1/7(1962年生まれの波照間エロマンガ島)
ベイ・シティー・ローラーズの人気はスゴかったよね。俺もそこそこ聴いた。当時はクイーンより売れてた印象。後世に残ったのがどっちかはハッキリしてしまったが。 2023/1/7(石川浩司)
最近の深夜芸人ラジオのネタ職人のラジオネームで印象に残ったもの。
「富岡精子ぶっかけ工場」
これ、酷すぎますねー〔笑い〕。政府の官僚として富岡製糸場の建設に尽力した渋沢栄一翁も没後100年こんな酷いペンネームが出てくるとはまさか想像もしなかったでしょう。でも夫人の他に何十人もの愛妾に「ぶっかけ」まくって子どもを100人くらい作った渋沢さんのことだから、あながち外れてもいない名前とも思いますがね。 2023/2/3(波照間エロマンガ島)
渋沢栄一、100人もかあ。それだけ頑張ったからお札になれたんだねー。波照間エロマンガ島も目指せ、お札! 2023/2/3(石川浩司)
うわあああTBS「たまむすび」が3月で終わってしまう。この番組楽しかったのになー。火曜日クルマに乗っている時によく聞いていたので残念でなりません。これからどうしよう。文化放送の大竹まことに戻るのか、Nack5の三遊亭鬼丸にするのかFM東京の稲垣吾郎のトラッドにするのか。赤江珠緒さんってショートカットでカラっとしている性格でめちゃくちゃ好きだったんだけどなー。 2023/2/3(わいわい)
確かに赤江珠緒さんかわいかったっす。一回だけだけど出られて良かったなあ。 2023/2/3(石川浩司)
2023年3月いっぱいで終了するTBS「たまむすび」の後継番組が発表になりました。月曜から木曜の四曜日が石山蓮華〔いしやま・れんげ〕さんが担当「こねくと」、金曜日が外山惠理アナウンサーと玉袋筋太郎が引き続き担当の新番組、番組名が「えんがわ」と変わります。どんな番組になるのか楽しみです。新パーソナリティーとして抜擢された石山蓮華さんについてはまったく存じ上げませんでしたが、変に情報を仕入れずにサラの状態で聴いてみたいと思います。
この新番組の人事について、同じくTBSラジオパーソナリティーの先輩である伊集院光さんは、ちょっと前に「たまむすび」後継番組として二つ案をあげていて、一つは「外山さんと現行のたまむすび曜日レギュラーが番組を引き継ぐ」もう一つは「よくわからない新人芸人を司会にして番組予算をゴリゴリに削るヤバい番組」という予想をしていました。皮肉にも後者の案が新人芸人ではないものの適中してしまったとネットスズメの間では囁かれていますね。さて、どうなりますでしょうか。 2023/2/9(波照間エロマンガ島)
「えんがわ」俺もやってたなあ。 2023/2/9(石川浩司)
いいなーいいなーうらやましいなー。その時だけ石川さんの付き人になって赤江さんに会いたかったなあ。 2023/2/9(わいわい)
テレビならともかく、ラジオはスタッフ付いてくることはまずないな。 2023/2/9(石川浩司)
糸居五郎〔1921ー1984〕。日本のラジオDJの草分け的存在として活躍。晩年はニッポン放送で「オールナイトニッポン」を担当、多くの音楽をリスナーに紹介してくれました。私はぎりぎり間に合った世代です。ご自身でターンテーブルとミキシングコンソールを操作し曲紹介する「ワンマンDJ」スタイルにこだわり、選曲から構成まで担当。その第一人者として一時代を築きました。最初その肉声の若々しさから当時60歳を超えた年齢だとは信じられませんでした。トークの内容がアメリカやイギリスでヒットしているポップスやロック状況を詳細に紹介していたからです。得意のフレーズとして有名だった「ハーイ、夜更けの音楽ファン、こんばんは。Go Go Go and Goes On !」最後の「Goes」って何なんだよ、と疑問に思いながらずっと楽しんで聴いていましたね。 2023/2/16(波照間エロマンガ島)
名前は知ってたけど聴いたことはなかったなあ。今はDJと言えば曲をかけるだけでほとんど喋らない人もいるね。 2023/2/16(石川浩司)
youtubeの動画生配信なので厳密にはラジオではありませんが、伊集院光さんのものまねをしてるMABさんの生放送好きです。
顔もさることながら声がとても似てる!!
先日某所でお会いした時に私も伊集院さんのものまねをしたら「似てるね」と言われました。
うれしかったです 2023/2/16(ズミ天)
今度司会をやってもらうか...。 2023/2/16(石川浩司)
2023年2月17日から19日にかけニッポン放送で「オールナイトニッポン55周年記念オールナイトニッポン55時間スペシャル」が放送されました。豪華ラインナップでレジェンドクラスのパーソナリティー達が大集合、番組は大いに盛り上がったようです。私がフルで聴いたのは電気グルーヴだけでしたが、懐かしかったですねー。電気グルーヴがまだ若手の頃、1990年代初頭の土曜2部時代、よく聴いていました。浅草キッドや伊集院光なんかとニッポン放送できゃっきゃ遊んでいるイメージだったかな。とにかく下品でくだらなくておバカで、私のちょうど29~30歳の多感な年代の夜のお供でした。石野卓球、ピエール瀧の話術って独特のワビサビ感があって好きで、オールナイト終了後もFMなどで番組があるとよく聴いてました。 2023/2/25(波照間エロマンガ島)
俺は聴けなかったけど、当時よく聴いていたイルカさん(一応面識あるのでさん付け)のが聴きたいなー。
当時アナログレコードのリクエストがあると「カメちゃん」というスタッフがレコード室まで走って取ってくるのを実況中継していて面白かった。
その「カメちゃん」がもう亡くなったイルカさんの旦那さんだと知ったのは、だいぶ後のことだった。 2023/2/25(石川浩司)
「全国こども電話相談室」〔TBS系列局にて1964ー2008年の平日夕方生放送。現在フォーマットを変え「パンサー向井のふらっと」内にて放送中〕。
これは地方局ともネットを結んで放送されていたので、ご存じの方も多いかもしれません。小学生が抱いた素朴な疑問をラジオの生放送中に専門家の先生に尋ねて、その場で答えてもらうという番組。私は高校生くらいから聴き始めましたが、それは番組の面白さに惹かれて、というよりも、最初に電話を取り継ぐ「電話のお姉さん」の声に恋してしまって一時期ハマっていました。その人の名は、二階堂杏子〔にかいどう・きょうこ〕さん。高校生くらいってアイドルに恋焦がれる気持ちってあるじゃないですか。私はラジオアナウンサーが好きになってしまいましてね。フリーアナウンサーのこの二階堂杏子さんが大好きでした。二階堂さんがこどもからの質問を専門家の先生に取り継ぐ声に恋しちゃったんです。結局二階堂さんは1980年から1986年までこの番組を続け、その間私は風邪をこじらせたかのようにこの番組を聴き続けました。そして、1984年秋から半年間、TBSテレビの朝の情報番組「朝のホットライン」に荻島正己さんのアシスタントとしてテレビ出演した時には、22歳の私は狂喜乱舞しましたね!
そんなラジオ番組「全国こども電話相談室」の思い出でした。 2023/7/31(波照間エロマンガ島)
「全国こども電話相談室」と言えば、先日名物先生だった無着成恭さんも亡くなっちゃったね。 2023/7/31(石川浩司)
今これを書いてるのは7/31
伊集院光 深夜の馬鹿力を生で聴こうと思ってます。
さぁってイジュピカちゃんは勝ったかな?<この時点ではわかってません。なんのことかわからない人は・・・ こっそり某サイトで調べてください> 2023/8/14(ズミ天)
深夜の馬鹿力聴いてると、結構読まれていてニヤリとしてるよ。こっちの投稿も、どちらもがんばれー。 2023/8/14(石川浩司)
1981~4年くらいだったか、FEN〔現AFN〕で土曜の夕方放送されていた「This is the TIME MACHINE」というオールディーズ番組はハマって毎週聴いてました。免許をとったばかりの時は家の自動車を借りてドライブして、湘南の海に沈む夕陽を見ながら聴いたり、部屋で過ごしていた時は姿見を見てダンスしながら聴いたり。1950年代、60年代のオールディーズヒットをたくさん聴いて楽しみました。私にとって「全米トップ40」と並ぶ最高のラジオ番組でした。このAM電波のもあーっとした微妙にノイズィなテイストがよかったんだよなぁ。 2023/9/11(波照間エロマンガ島)
ちょっと音質が悪かったのがまたノスタルジィだったりしたんだよね。 2023/9/11(石川浩司)
2023年10月3日よりニッポン放送の毎週火曜から金曜夕方5時30分から6時まで、30分の帯番組「伊集院光のタネ」がスタートします。このところ古巣のニッポン放送での出演が増えてきた伊集院光さん、ついに28年ぶりに帯番組を!これはプロ野球農閑期の10月から3月までの半年間の番組になりますが、来年4月以降は時間帯を替えて大型ワイド番組を担当するのか注目されます。聴取率調査で凋落を続けるTBSとのバトルは今後どうなるか。まずは第一報まで。 2023/9/23(波照間エロマンガ島)
「深夜の馬鹿力」でもその話してたな。ひとり喋りの天才は「壁に向かっても毎日自分ラジオの放送をやっている」と言ってたしね(笑)。 2023/9/23(石川浩司)
石川さんのこのHPでは、できるだけ昔のどうでもいい些末な情報を投稿することを心がけているのですが、AMラジオについて思い出したことがあるのでここにシェアしたいと存じます。
1978年11月23日は日本のAMラジオにとって歴史的な日でした。この日、周波数の間隔が10kHz〔ヘルツ〕から9kHz〔ヘルツ〕に変更されたのです。つまり、関東地区で言うと、
NHK第1=590kHz → 594kHz、NHK第2=690kHz → 693kHz、TBSラジオ=950kHz → 954kHz、文化放送=1130kHz → 1134kHz、ニッポン放送=1240kHz → 1242kHz、ラジオ関東 2023/11/2(現・ラジオ日本)=1420kHz → 1422kHz
と九の倍数の周波数に変更されたのです。しかし、FENのみは810kHzのまま変更されませんでした。
私はこの時高校1年生でしたがよく覚えています。その直前までラジオCMステーションジングルで覚えているものとして。
「聞いちゃった、聞いちゃった。ドラマにニュースにミュージック。1130 QR、文化放送聞いちゃった。Q、Q、QR 。ラ、ラ、ラジオはQR 。文化放送、文化放送、JOQR」「1240〔いちによんまる〕、ニッポン放送ー」あと周波数はジングルに出てこないけど「ラジオははずむTBS、ラジオははずむTBS」などなど。
1978年11月23日の周波数変更のとき、こんな体験はもう一生ないんだろうな、思ったのですが、後世になって、まさかAMラジオがFMで聞けたり、ポッドキャストやradikoで聴ける時代になるとは夢にも思わなかったですね。そう、今私は海外で日本のラジオ番組を聴いています。そんな時代になりました。ラジオは停波するという国もある、今日この頃のことです。 2023/11/2(波照間エロマンガ島)
AM放送って2028年秋に終わるんだっけ? 2023/11/2(石川浩司)
どの番組を好んで聴く、というわけではないですが、最近はどちらかというとAMラジオを積極的に聴く傾向にはあります。
ローカルなAMラジオ局の、ローカルな番組もさることながら、ローカルなCMがたまらず好きなのです。時に、昭和時代からずっと変えずに流してるんじゃ……と言いたくなるようなCMが流れてくるのも、また乙なものです。 2023/11/2(たちつ亭と~助)
タケモトピアノはもう聴こえない...。 2023/11/2(石川浩司)
そういえば、NHKFMで放送しているゴンチチの「世界の快適音楽セレクション」も好きでよく聴くのですが、随分前にたまの曲も流してましたよ~。確か「牛乳」だったと思います。その回の特集テーマがズバリ「牛乳」だったが故の選曲だったはずです。 2023/11/10(たちつ亭と~助)
ゴンチチさん、センス良さそうだもんねー。 2023/11/10(石川浩司)
以前、地元のテレビ番組におかずクラブが出演した時に、ゆいPの一般人に対する電話での話し方が良くないと、オカリナが少しだけ説教したのを見て「お、オカリナ偉いな」と思いました。他にも「モニタリング」にオードリーが出演した時に、一般人に対する春日の態度が良くなかったと車の中で若林が説教していて感心しました。
でもいつも〔ファイブクエスチョンで知りましたが〕ラジオで笑えないくらい説教していたんですね笑。 2023/11/18(ひももん)
ラジオだとよりリアルな普段の顔が見られるからね。良い面も悪い面も。生放送だと編集も入らないしね。だからラジオはやめられない。 2023/11/18(石川浩司)
2023/11/2の石川さん。
なんかその方向で話が進んでいるそうですね。来年くらいから、全国の民間AMラジオ局が局ごとに期間を決めて停波をして、段階的にAMラジオを廃止にするという記事を読みました。自分が生きている時代にこんなふうになるとは。普段私はカーラジオでAM放送をよく聴いてますけど、タイはどうなるのだろうか。 2023/11/18(波照間エロマンガ島)
災害用に買ったAMラジオが無用の長物になるとはねー。 2023/11/18(石川浩司)
「ナイツのザ・ラジオショー」〔ニッポン放送・月曜から木曜13時ー15時30分〕ですが、ほぼ毎日Radikoで聴いています。
特に好きなのが月曜日。オープニング約30分くらいフリートークをするのですが、週末に地方営業に行った時のエピソードを聴くのがすごく面白くて。お笑いプロダクションの人力舎に早坂須美子さんという凄腕のプロモーターがいて、毎週週末は彼女が企画した笑芸人のライブを日本全国で開催しているんです。通称「早坂営業」と呼ばれていて、中堅から大御所まで各事務所の東京芸人がブッキングされて出演しています。そこでナイツの二人が空き時間に仲間の芸人とこんな地方の名所に行ったとか、こんな面白い人に出会ったとか、旅で体験した話をするのが面白いんです。トークスキルが高いから映像が見えてくるんですね。また、そこで芸人同士の繋がりとか仲の良さとかも見えてきます。私はテレビのバラエティー番組はほとんど見なくなったのですが、こういうラジオ番組の方が、芸人の人となりに接することができて好きですね。 2023/12/23(波照間エロマンガ島)
ラジオは生が多いから「編集」が無いからね。テレビ局やディレクターの思惑で、ある部分だけ切り取られないものの良さってあるよね。なのでラジオは無くならないね。 2023/12/23(石川浩司)
2024年4月10日 2024/5/12(水)25時−27時、J-Wave「The Universe」大貫妙子〔構成・選曲〕。特集は故・坂本龍一が他の音楽家に提供した曲集。これが素晴らしかった。主に1980年代から2000年代にかけての楽曲が多かったのですけれど、私が所有している2002年に3作同時に発売されたベストアルバム「CM /TV」「US」「UF」のうち、「CM /TV」から多く選曲されてました。そういえば、この水曜深夜のこの時間帯、大貫さんはずっとナビゲーターをしていたような印象がありますが、レギュラー出演はなんと16年ぶりだそうです。
私が特に懐かしく感じたのは、PARCOのCMで石岡瑛子がディレクションしたフェイ・ダナウェイ出演、カメラの前1カットで30秒間ただゆで卵の殻を割って食べるだけのCM音楽。これ、フェイ・ダナウェイのパフォーマンスも素晴らしいのですが、撮影から美術から音楽から全て完璧で、石岡さんディレクションCMの最高傑作なのではないでしょうか。このCDを買ったばかりの時、横浜のキャバクラ嬢の送りの仕事時にこの曲をかけていると「なんか歯医者さんのBGMみたいですね」と嬢の一人に言われたことを今でも覚えています。坂本龍一のCMソングを立て続けに聴いてみると、ある時代の記憶が間違いなく現前化することに気が付きました。それらの音楽を大貫さんの選曲で「ラジオ」番組で聴けるというのは素敵な体験だと思いました。私は今海外に住んでいてそれをRadikoというインターネットサイトで聴いたのですが、豊かな時間を過ごせた実感が湧き上がりました。 2024/5/12(波照間エロマンガ島)
実は坂本龍一の曲って有名な数曲しか知らない。人に提供したもののベスト3はどんな感じかな? 2024/5/12(石川浩司)
先日エレクトロニカ・ユニット「macaroom」が渋谷のラジオ「渋谷健やか部」にご出演されたので拝聴しました。
するとボーカルのエマルさんから興味深い情報が!
エマルさんが高校の軽音楽部だった時代、担任〈顧問〉が聖飢魔Ⅱのダミアン浜田さんだったというのです!
1st小教典〈シングル〉「蝋人形の館」〈作詞・作曲:ダミアン浜田〉のレコードを発売日に購入し、特典ステッカーも持ってますから! 2024/9/27(テングザル)
へー、教師やってるのね。そもそもデーモン閣下も早稲田卒のインテリだしね。 2024/9/27(石川浩司)
1987年8月9日、友人たちと行った温泉旅行の帰り、カーラジオで車中の渋滞中に体験した、中日ドラゴンズの近藤真市投手のプロ野球史上初の快挙となる初登板ノーヒットノーランを聴いた体験。これはずっと車中で聴いたので感動しました。記録が残っているので日付も記憶しています。日本のプロ野球の世界で唯一の史上初初登板ノーヒットノーラン。奇跡としか言いようが相りませんね。しかもその試合をラジオ中継でほぼほぼ一試合体験したのですから、その奇跡も忘れようがありません。そんなことってもう体験しようがないんだろうな。当時私は24歳でした。 2024/11/3(波照間エロマンガ島)
桑田と清原の在籍当時の高校野球をたまのメンバー全員で宿泊先で見ていて、大逆転劇を見逃すことが出来ず、全員でリハーサルに遅刻した思い出があるなあ。 2024/11/3(石川浩司)
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