話題332 ビートルズ (2)



18/4/19の石川さん。わたしもジョージのソロ時代作品好きです。1987年にリリースした「クラウド・ナイン」はELOのジェフ・リンと組んだアルバムで、シングルカットされたビートルズ後期のサイケデリック・ロック時代を彷彿とした「When We Was Fab」など繰り返し聴きましたねー。ジョージの作るコード進行は優しい気持ちになりますです。中学に入学したとき初めての昼休みの校内放送で「ダーク・ホース」からシングルカットした「Ding Dong」がかかっていたのを覚えています。 18/4/26(波照間エロマンガ島)

俺が一番好きなのは「リヴィング・イン・ザ・マテリアルワールド」かな。
ジョージの不思議なクセになるメロディが詰まってる。
でも他のどのアルバムも駄作や捨て曲が無い。素晴らしいミュージシャンだが、ビートルズがなかったら世に出てなかったかもね。良かった〜。 18/4/26(石川浩司)

ポール・マッカートニーは2010年、ポピュラー音楽で世界の文化に大きな影響を与えた優れた作曲家・演奏家に贈られるガーシュイン賞を受賞しました。で、ホワイトハウスの音楽堂みたいな小ホールでオバマ大統領やペロシ下院議長などアメリカ政界のVIPを前にして記念ライブを行なったのですが、その映像を動画サイトでぐうぜん見つけました。

ポールをはじめたくさんのアーチストが次から次へと出てきて、ビートルズ時代やソロ時代のポールの歌を歌い演奏したのですが、シビレましたねー。その中でいちばん興奮したのがスティービー・ワンダーが歌った「We Can Work It Out〔恋を抱きしめよう〕」。スティービーがクラヴィネットを弾きながら歌う姿はグルーヴ感いっぱいで最高でした。興味のある方は検索してご覧くださいませ。ビートルズがアメリカ上陸した1964年は、同時にデトロイトから登場した白人受けするモータウンレコードのソウルミュージックが流行していて、スティービー・ワンダーはダイアナ・ロスとシュプリームスなどと並び、そちらの雄だったのですね。当時のライバル同士の共演は心躍りました。 18/4/30(波照間エロマンガ島)

スティービー・ワンダーのキー・オブ・ライフも好きだったなぁ。 18/4/30(石川浩司)

スティービー・ワンダーといえば、さきごろ鬼籍に入った西城秀樹さんがスティービーのアルバム「シークレット・ライフ」所収の「愛の園」という曲をカバーしてシングル発売したことがありました。〔1980年〕 そのオリジナル版にはバックコーラスに児童合唱団が参加しているのですが、その中に当時ロスアンゼルスに住んでいてのちに日本に帰国しタレント・歌手・女優になる、西田ひかるさんが含まれていました。西田さんは2018年現在45歳〔1972年生まれ〕。アイドルも当然加齢するわけですね。 18/6/3(波照間エロマンガ島)

元SMAPもTOKIOもみんな40代のアイドルだもんね。
昔では考えられなかったことだよなあ。 18/6/3(石川浩司)

そういえば、先日18/7/23更新の「私のまわりのおバカさん」の「わが社のジョージ」を書いて思い出したのですが、ジョージ・ハリソンは1943年に生まれていますが、時の英国国王ジョージ6世にあやかって命名されたんですってね。 そのジョージ6世の父君のジョージ5世は「GEORGE V」と表記するのですが、これと同じ名前の駅がフランスのパリ地下鉄にあったのを10数年前に発見したのです。でもフランスなので英語読みはせず「ジョルジュ・サンク」と読むことをガイドブックを見て知り、「音の響きがかっこいいな」と感心したことを思い出しました。 18/7/24(波照間エロマンガ島)

マイケルとミッシェルみたいなもんだね。 18/7/24(石川浩司)

18/6/3の追記。西城秀樹さんが亡くなったとき、大ファンだったさくらももこさんが追悼のコメントをされたそうですね。それからわずか数ヶ月でさくらさん自身も逝ってしまうとは誰もが思いもしなかったことでしょう。
さて、西城さんについてわたしがどうしても胸につかえているのは、横尾忠則さんの愛娘の美美さんが西城さんについて何もネットで語ってないこと。昭和40年代に西城秀樹がはじめて大阪球場でスタジアムライブを始めた当初、熱狂的なファンとして10代の美美さんが紹介されていたのを見た記憶があるのです。当時横尾さんも俳優として出演していた「寺内貫太郎一家」に西城秀樹が出演していた関係で、美美さんが西城秀樹と交流をもった話を月刊平凡、月刊明星で読んだことを覚えているのですが。まぁ過去については語るのも自由、語らないのも自由だと思いますが、ここに私の未完了な気持ちをつづっておきます。美美さんは成人し女優としてドラマ何本かに出演し、その後画家になりました。 18/9/17(波照間エロマンガ島)

語れないか、もしくはいろんな意味で語りたくないということもあるのかもしれないね。 18/9/17(石川浩司)

17/3/27(のり平のちゃっきり金太)さんへのレス
先日「今の日時は2019年8月14日午後10時15分です」と勘違い投稿している人がいて、まさに仰る通りの感じでしたね。
勘違いじゃなく本当に未来(2019年)からの投稿だったら話は別ですけど。 18/9/17(テングザル)

今春、前橋に行ったら馴染みの古本屋が閉店していて挨拶口上の貼り紙がしてあって日付が「1917年11月」になってた。100年近く前の貼り紙!? 18/9/17(石川浩司)

かつて、5人目のビートルズは誰かという議論がよくありました。4人のメンバーに準ずる存在としてビートルズの活動に直接的に関わった関係者ということなのですが、ジョージ・マーティン〔プロデューサー〕やブライアン・エプスタイン〔マネージャー〕、メジャーデビュー前にメンバーだったスチュワート・サトクリフやピート・ベストもそう言われていますね。

ひるがえって、たまについて同じく5人目のたまは誰かと考えてみると、これはすぐにエンジニアの小俣佳久さんが思い浮かぶのですが、石川さんはどのような意見をお持ちでしょうか。そういえば、たまにおける小俣さんの位置づけとなる人を、ビートルズにおいて考えると、ビートルズのレコーディングエンジニアを長らくつとめたジェフ・エメリックさんがその位置にはまるんじゃないかと思いつきました。1966年の「リボルバー」以降すべてのビートルズのアルバムにチーフエンジニアとしてクレジットされており、後期ビートルズの華麗なるサウンドコラージュの大半は彼のエンジニアリングのサポートがあり結実していました。 19/2/26(波照間エロマンガ島)

まあ、小俣くんだろうねえ。
でも後期たまではアレンジを斎藤哲也くんもかなりしてくれている。ミュージシャンということに限れば、斎藤くんかもね。 19/2/26(石川浩司)

1969年1月30日のアップルビル屋上で行なわれた通称「ルーフトップコンサート」で「アビーロード」収録の「I Want You」がセットリストに入っていたのをどこかで読み、びっくりしました。全編の演奏ではなく作曲者のジョンの断片的なギター演奏とあるのですが、どんなものか聴いてみたいものであります。 19/4/2(波照間エロマンガ島)

へー、あの曲が入ったらずいぶん映画全体の印象も変わったかもね。 19/4/2(石川浩司)

1987年の結成から1990年代前半にかけて世界中を席捲したグランジロックの雄、ニルヴァーナのドラマーであるデイヴ・クロールがジョン・レノンについて語った言葉の意味について、最近ずっと考えています。

〔以下、引用〕ジョン・レノンについて、一人の人間にあれほど矛盾した性質が同時に存在していることが信じられなかった。「イマジン」の作者に関する伝説には困惑しているんだ。特に平和運動家だったレノンの暴力性に注目している。レノンは暴力を振るうことを意に介さない人だったと聞いている。

彼がどんなに愛と平和を主張した男だったかを考えると、すごく格好いいと思った。彼は聖人みたいだったけれど、犯罪者になっていたとしても不思議じゃないわけだ。そういうところが最高に好きなんだよ。〔引用ここまで〕

今までジョン・レノンについて数多くのインタビューや評伝が書かれていますが、この暴力的性格と平和運動家としてのありようについては興味深いですね。1965年の前衛芸術家の小野洋子との邂逅以来、ヨーコから大きな影響を受けたのではないかという気もしますが、本当のところはよくわかりません。 19/6/15(波照間エロマンガ島)

「イマジン」は完全にヨーコからの影響だと思われるな。ダダイズム作家としてのヨーコはそれまでもそういう類の活動をしていたし。
非暴力主義で知られるガンジーも、家庭では相当子供に拳を上げていたという話も面白いよね。 19/6/15(石川浩司)

19/6/15の石川さん。今は「マインド・ゲームス」という題名で知られる1973年発表のアルバムが、日本で発売当初は「ヌートピア宣言」という邦題がつけられてました。このアルバムの中にある「ヌートピア国際賛歌」という曲は、ジョンとヨーコが1973年4月1日に創設した概念上の国家「ヌートピア」の国歌であります。6秒間の無音の曲なのですが、この曲はその国民〔ヌートピアン〕となることを望む人々によってのみ構成される国家の国歌として「想像する人に自由に響く曲」になっています。これは「イマジン」の歌詞をさらに発展させたものとわたしは考えます。ヨーコが作ってきたネオダダの流れにある芸術と、ジョンの音楽が融合・結実した傑作ですね。まだまだビートルズについてはいろいろなことを語ることができると思います。 19/7/2(波照間エロマンガ島)

俺も当時それを知った時は感銘を受けたなあ。
癖の強いヨーコが苦手な人は多くて、俺もその気持ちは分かるけど、思想的にも最もジョンに影響を与えた人だもんなあ。 19/7/2(石川浩司)

「ヘイ・ジュード」のプロモーションビデオや映画「レット・イット・ビー」のレコーディングセッションシーンなどにおいて、ポールがピアノを弾いているときにはジョージかジョンがベースを弾いている姿が映像で残っています。

しかし、そこで弾いていたベースは4弦のいわゆる「ベースギター」ではなく、フェンダーの「6弦ベース」というフェンダージャガーに似たフォルムをしたベースギターでした。これがベースアンプにつなぐとベースギター、ギターアンプにつなぐとバリトンギターとしてエレクトリックギターの1オクターブ低い音が出るという面白い楽器だとのこと。

あまりほかのミュージシャンが使っているのは見たことはありませんが、クリームのジャック・ブルースやザ・フーのジョン・エントウィッスルも一時期ステージで使用していたそうです。もうちょっと調べてみようと思います。機会があれば弾いてみたいな。 19/11/14(波照間エロマンガ島)

お~、それは知らなかった。楽器に興味が薄いからなぁ(笑)。 19/11/14(石川浩司)

1980年12月8日、ジョン・レノンがニューヨーク・セントラルパーク近くのダコタ・ハウス前で撃ち殺されたニュースを聞いたとき、高校3年生だったわたしはどうしようもない衝撃を受けた。生きている人が亡くなりこれほどのショックを受けたことはなかった。その日は気が動転して、渋谷から六本木を通り虎ノ門のあたりまでとめどもなくほっつき歩いたことは覚えている。どうやって帰宅したのかの記憶は飛んでいる。翌日は学期末試験後の休日で時間があったので「ダブル・ファンタジー」の輸入盤を買いに渋谷のヤマハに行った。すぐに帰宅し終日レコードを聴き込んだ。

このアルバムは1980年の8月から9月にかけてニューヨークのレコードプラントスタジオでレコーディングされた作品であるが、購入当初このアルバムのプロデューサーのクレジットに、ジョンとヨーコのほかにジャック・ダグラスの名前があるのを見つけて不思議な気持ちになった。ジャック・ダグラスというとエアロスミスやチープ・トリックなどのプロデュースを行なっている当時の売れっ子プロデューサーだったからだ。あとから調べるとジャック・ダグラスは1973年の「イマジン」のレコーディングにフィル・スペクターのアシスタントとしてレコーディングに参加していて、ジョンとは知己があったそうだ。「スターティング・オーバー」でも聞かれる、全体にリバーブの強くかかったサウンドはアルバム「イマジン」からの流れがあるのか、と感心した。だがジョンの死後、ギャラの問題でヨーコと揉めたというニュースも記憶にあるのだが、それがどうなったのかはつまびらかでない。

「ダブル・ファンタジー」は今もレコードでたまに聴くけれども、A面の曲の流れはけっこう好きだ。ジョンとヨーコの曲が交互に収録されていて、最後のジョン作の「ビューティフル・ボーイ」ではきまって涙がこぼれる。ジョンの死後何十年も経つけれども、ジョンが死んだときの自分の心のありようを思い出させてくれるからかもしれない。そんなジョンとヨーコの「ダブル・ファンタジー」の想い出。 19/12/3(波照間エロマンガ島)

俺も蕎麦屋のテレビのニュースで見て驚愕したのをハッキリ覚えてる。俺も同様に直接の知り合い以外で一番衝撃を受けた死かもしれない。
チャップマンは今も服役しているらしい。 19/12/3(石川浩司)

母がビートルズの「HELP」を良く口ずさむのですが「へるぷ、あいむにーさむぼーでぃー」と日本語(?)で言うのでちと困ってます。
英語の発音要素全くナシ。 19/12/8(もちっこ)

俺も好きなのに英語全然出来ないので歌えるの一曲も無し。 19/12/8(石川浩司)

ビートルズの弟分グループとして1964年にデビューしたピーター&ゴードン。レノン=マッカートニー作の楽曲「愛なき世界」は世界的ヒットを記録しました。ピーター・アッシャーは、当時ポール・マッカートニーが交際していたジェーン・アッシャーの兄としても知られていました。その縁でポールから可愛がられたのではないかと想像します。ポールがジェーンと別れてリンダ・イーストマンと結婚してからはポールと折り合いが悪くなり、当時スタッフとして働いていたアップルレコードでも閑職に追いやられたという説があります。
ビートルズ解散後はアップルレコードを辞め、アメリカに渡り、ジェームス・テイラーやリンダ・ロンシュタットなどのプロデューサーとしても成功しました。わたしがピーター・アッシャーを知ったきっかけもリンダ・ロンシュタットのアルバムにクレジットが載っていたのを見たときでした。黒縁メガネにふわふわしたパーマネントヘヤーをしたやさしい面影はもしかしたらあっち側の人ではないかと想像しましたが、確かめるとやっぱりあっち側の人でした。衆道マンセイ。 19/12/14(波照間エロマンガ島)

ポールのポールも握ってたのかな? 19/12/14(石川浩司)

先日「アポロ13」〔1995年 ロン・ハワード監督〕という映画を再鑑賞したときのこと。月面調査ロケットのアポロ13号の打ち上げは1970年4月11日だったのですが、その1日前の4月10日にポール・マッカートニーがビートルズ脱退宣言をして世界的ニュースになったことが映画の中で描かれていました。トム・ハンクス演じるジム・ラヴェル宇宙飛行士の愛娘がポールの脱退宣言にショックを受け、「父のロケット打ち上げなんてどうでもいいわ」とロケット打ち上げを見に行くことを愚図るシーンがありました。

1970年というとわたくしは小学2年生でしたが、まだ幼かったので当時ビートルズ解散については知らなかったです。しかし、アポロ13号の爆発事故と地球生還のニュースは覚えています。ただ、同じ時期に公開された「宇宙からの脱出」という映画とアポロ13号事故について、しばらくのあいだ混同していました。こちらの映画も宇宙空間で事故に遭う宇宙飛行士の話なのですが、なぜか日本公開された時期がアポロ13号事故とほぼ重なり、フィクションとして製作された映画の内容に近いことが実際に現実として起きてしまったのだから驚きです。わたしはアポロ13号事故を受けて急遽「宇宙からの脱出」が製作されたものと長らく勘違いしてました。そんな想い出があります。 19/12/26(波照間エロマンガ島)

ポールのビートルズ脱退宣言の翌日だったのか! それは知らなかった。アポロ11号、13号は20世紀でも記憶に残る大きな出来事だしね。
ところでたまのポールといえばメロディメーカーの柳原。彼が脱退してもあとの3人でたまは8年間続けたが、もしビートルズも解散せずに、あとの3人で継続していたらどうなったろう?
楽曲的にはそれぞれヒットした「イマジン」「マイ・スイート・ロード」「オンリー・ユー」等がビートルズの楽曲として続いていったんだろーな。それはそれで凄いかも。 19/12/26(石川浩司)

1980年1月16日、ポール・マッカートニーが来日時成田空港で大麻不法所持で逮捕され、日本公演がすべてキャンセルになり、9日後に強制送還になった事件を覚えている方はいるでしょうか。当時わたしは高校2年生でしたがよく覚えています。高校の同級生のHくんが翌17日学校をさぼり、中目黒の関東信越地区麻薬取締官事務所に行き、取り調べから留置所に移送中のポールを目撃したと言ってました。

あとから知ったのですが、実はポールのこの来日時にYMOとのレコーディングセッションが予定されていたとの噂があったらしいです。当時ポール・マッカートニーのプロデューサーを務めていたクリス・トーマスが結婚していたのが元サディスティック・ミカ・バンドの福井ミカさんで、ミカバンドで高橋ユキヒロさんと同じグループだった縁でそのような話が進んでいたとか。現にYMOの「ナイス・エイジ」という曲では、ミカさんのナレーションボイスがフィーチャーされていますが。
クリス・トーマスはホワイトアルバム以降のビートルズのレコーディングセッションに関わっていたことでも有名ですが、もしもクリス・トーマス、ポール・マッカートニー、YMOとのコラボレーションが実現していたら、ロックの歴史は変わっていたかもしれませんね。 19/12/31(波照間エロマンガ島)

それが実現してたら・・・でも最近またちょくちょく来てるから、似たようなことは出来そうだけどね。紅白でYOSHIKIとKISSがセッションするようにね。 19/12/31(石川浩司)

私が初めてビートルズを聴いたのは、
小6の時、母がビートルズのカセットを買ってくれたのです。
その時の衝撃たるや、めちゃすごい!かっこいい!
私の音楽人生の始まりです。
その当時、新聞にラジオでかかるビートルズやソロの曲をチェックして、カセットにダビングして、
聴いていました。そんなに裕福でもないので、小遣いをやりくりして、CDを買っていました。

私の一番好きな曲は「タックスマン」です。
同じくらい好きな曲が「トゥモロー・ネバー・ノウズ」です。
なので、「リボルバー」派です。
「シーセッド・シーセッド」も好きです。
「レイン」も好きです。
アルバムとしては、「サージェント・ペパーズ」も好きです。
「マジカル・ミステリー・ツアー」も好きです。

「アビーロード」ももちろん好きです。

最近、「ホワイトアルバム」の新しいのを買ったのですが、
レコーディング風景を見れたのですが、
昔、「ホワイトアルバム」を買った時、
マルチトラックを使って、メンバー別々に録音していた、
というような、解説が書いてあったのです。
それが、最近見たレコーディング風景は、みんなで録音しているように見えました。

私は最近まで、人がなくなるということが、よくわかっていませんでした。
しかし、今はわかる気がするんです。
人がなくなるということが、どんなに悲しいことか。

この前、ラジオから「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」が聞こえて、
ああ、ジョンはなくなってしまったんだ、ということを、感じ、
私は泣きました。

ライブの話をします。
私が初めてコンサートに行ったのは、
ポールが、「フラワーズ・イン・ザ・ダート」というアルバムを、発売したときの、
東京公演です。
スタンドが、振動したのを今でも覚えています。

最近の前々回の、ポールのコンサートに行きました。
ご高齢なのに、ギャンギャンに「ヘルター・スケルター」を演奏することができるとは!
すごい!
「アビー・ロード」が発売された時期に、ポール死亡説が、都市伝説として、流れたのに、
ポールが一番元気というw(嬉しい)
ポールのソロはイマイチと思っていた私ですが、
最近はむしろポールのソロはすごいと思い始めました。
プログレ的なのは、おそらく、ポールが一番です。
これから、ポールのソロを聴いていくのが、楽しみです。 20/2/24(マサラ)

俺の中高生時代は毎週ウイングスの曲がヒットチャートを賑わせてたね。
特に好きだったのは「シリィ・ラブソング」。はまったなあ。 20/2/24(石川浩司)

20/2/24の石川さん。
「心のラブソング〔Silly Love Songs〕」わたしもリアルタイムで聴き、大好きな曲でした。1976年に7週連続全米1位を獲得、ビルボード誌の年間チャートでも堂々1位をとりました。長期全米ツアーを行ない、アルバムもシングルもバカ売れしたんですね。
一方ジョンは前年長男のショーンが生まれたので育児イヤーに入り、音楽活動を休む時期にあたります。70年代後半はお忍びでよく来日し、軽井沢などでよく目撃されていたそうです。また高校の友人がホテルオークラでベルボーイのアルバイトをしていて、ジョン・レノン一家に会ったと言っていました。
1970年代はビートルズのメンバーたちは30代にあたりますが、それぞれ脂がのりきった絶頂期と言えるのではないかと推察します。 20/3/8(波照間エロマンガ島)

ビートルズメンバーほどあらゆることが詳細に記録されてる人たちも少ないだろうなあ。 20/3/8(石川浩司)

20/3/8の訂正。ショーン・レノンがジョン・レノンの長男と書きましたが次男の間違いでした、すみません。ジョンの長男はジュリアン・レノンですね。ジョンの先妻のシンシア・パウエルとの間に設けた男児で1963年生まれです。1980年代はミュージシャン活動も行なっていましたが、あまりぱっとしなかった印象があります。有名な逸話としては1968年ジョンがシンシアと離婚し離れ離れになってしまったジュリアンを励まそうとポール・マッカートニーが作った歌が「ヘイ・ジュード」だったという事実。はじめは「ヘイ・ジュール」と歌おうとしたら口がすべって「ヘイ・ジュード」になってしまい、こっちのほうがいいや、といってタイトルが決定したという話。小学校低学年のわたしは「ヘイ柔道?なにそれ?」と最初理解できなかった思い出があります。 20/3/16(波照間エロマンガ島)

ビートルズ後期では一番ヒットした曲かな。当時シングルとしては異例の曲の長さも話題になったよね。 20/3/16(石川浩司)

YouTubeにビートルズ楽曲の各パートをTAB譜プラス、フレットの運指を撮影した動画がアップされていて、最近よく観ています。ポールのベースは中期から後期にかけて、複雑なリフを作り出していて「すげぇな」といつも感心します。Something や With a Little Help From My Friends などは、普通に耳で聴こえるか聴こえないかくらいのところに隠し味的な音を付け加えたりしていて、50年近くビートルズを聴いているのに新発見がありました。 20/3/31(波照間エロマンガ島)

ベースはよく聴かないと分からないものもあるしね。若い頃は正直ベースの必要性がイマイチ分からなかった。今は一番好きな楽器かも。 20/3/31(石川浩司)

1966年6月、ビートルズが日本公演のため来日したとき、宿泊先の東京ヒルトンホテル〔現在のキャピトル東急ホテル〕の貴賓室に女性芸術家の篠田桃紅の抽象水墨画の作品が飾ってあったのをジョン・レノンが見て感動し「これは誰が描いたんだ!」とホテルの人に尋ね、篠田さんのところにビートルズからコンタクトがあったエピソードが好きです。篠田さんはその作品を描いた筆を売っている店を教えたそうです。すると「あの連中、筆を買いに行ってなにやら墨で絵を描いてましたよ」と答えていました。ビートルズを「あの連中」と呼んだのに爆笑しました。ちなみに篠田さんは1913年生まれで、2020年5月現在、107歳の現役の美術家であります。 20/5/11(波照間エロマンガ島)

興味ない人にはどんな大スターもただの人だよね。 20/5/11(石川浩司)

最近自宅で過ごす時間が増えたので、YouTubeで音楽を楽しんでいます。50インチのテレビモニターにYouTubeチャンネルが装備されているので、聴きたい音楽をセレクトすると、次から次へと自動再生で関連したミュージックビデオが再生されるのです。やはり青春時代に聴いた音楽としてビートルズははずすことはできませんね。
そんな感じで先日、1980年代前半よく聴いたパンク・ニューウェイブロックを聴いていると、レコードを何枚かもっていたThe Ramonesのことを想い出し、久しぶりに大轟音で聴いてみました。最高に気分が盛り上がりました! それでもってスマートフォンで彼らの来歴についてググってみると面白い事実を発見しました。

ラモーンズのオリジナルメンバーが、ジョーイ・ラモーン〔Vo〕、ディー・ディー・ラモーン〔B〕、ジョニー・ラモーン〔G〕、トミー・ラモーン〔D〕と全員ラモーン姓になっていることは有名なエピソードです。もちろんメンバー同士は家族ではなくそれらは芸名なのですが、もともとはビートルズがメジャーデビュー前のシルバー・ビートルズ時代に、ポールが「ポール・ラモーン」という芸名をつけて名乗っていたところから持ってきたんですってね。たぶん有名なエピソードなのでしょうけど知りませんでした、すみません。ハマ・オカモトさんの在籍するOkamoto'sも、メンバー全員「オカモト」姓になっているのは、ラモーンズからインスパイアされたっぽいですね。
たまが「いか天」出演時、知久さんがリーダーだったとアナウンスしたことに上記の命名ルールをあてはめてみると、石川さんはさしずめ「コージー・チク」という芸名になったのかも。あ、そうするとGさんも「コージー・チク」だ…だめだこりゃ。うそうそ冗句です。 20/5/24(波照間エロマンガ島)

「たま」はほんとはリーダーは決めてなかったのだけど、イカ天出演時に番組のアンケート用紙にリーダーを誰か書かなくちゃならなくて、便宜的に知久君にしたんだよね。誰もリーダーなんて責任を負いたくなかったからね(笑)。
またアマチュア時代は柳原がリーダーと言ってたこともあった。デビュー後テレビ番組で占い師には「この人(俺)がリーダーだ!」と言われたこともあった。
でもまあ、実質的な音楽リーダーは知久君だったけどね。 20/5/24(石川浩司)

20/5/24の追記。
そういえば1979年頃、渋谷のナイロン100%にお茶飲みに行ったとき、となりの席にサンフランシスコから来たというアメリカ人女性がいて、わたしが持っていた買ったばかりのラモーンズのレコードに反応し話かけてきて、ラモーンズ話で盛りあがったことがありました。
ボーカルのジョーイ・ラモーンは障がいがあり歩行が不自由で、あの独特のマイクスタンドに寄りかかってほとんど動かないステージアクションになったとか聞きました。ラモーンズの初来日公演は翌年の1980年、渋谷西武劇場だったか。以上、懐かしい高校時代の渋谷のナイロン100%での思い出。 20/6/2(波照間エロマンガ島)

泉谷しげるさんもちょっと足悪いんだよね。あまり分からないけど、そういう人もいるよね。 20/6/2(石川浩司)

1985年2月、初めてロンドンを旅行したとき、通称ダブルデッカーと呼ばれるロンドン名物の2階建てバスに乗りました。そのとき子供の頃から聴いていたビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の中間部のポールが作った24小節の歌詞が頭に響きましたね。「朝起きて櫛で髪をとかして階下に下りて紅茶を一杯、時計を見ると遅刻しそうなことに気づき、急いで2階建てバスに乗る。2階席で一服した・・・」というような内容だったか。
そのバスに乗った前か後かのどちらかで高架下の空き地で開催されていたフリーマーケットでセーターを購入したことを覚えています。 20/8/11(波照間エロマンガ島)

あの曲はジョンとポールの対比で見事な大作になってるよね。俺も好きな曲のひとつ。 20/8/11(石川浩司)


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