話題289 宗教・神・仏



・いる、いない
・信じる、信じない
・こんな宗教が嫌い
・仏壇がなんとなく怖い
・神がいるとしたら
などの、なんでもいいから宗教に関する話を。
過激な発言をして命を狙われても、自己責任でお願い致します。 08/6/4(ダイアナ・ベンジー)


***レス(発言は古い順に並んでます)***


話題84に新興宗教、というのがあるので、それ以外の古くからあるものについてだね。
俺は基本無宗教だからなー。というか両親ともにそう。どこかでも書いたけど、家の中に神棚があったことない。
もちろん神社に行けばお賽銭ぐらい投げることはあるし、クリスマスもやるけど、まぁ都合のいい時だけ利用している感じかな。
あとは人のコメントに考えなど答えていきまーす。 08/6/4(石川浩司)

神社が好きです。見かけたらお参りしています。仏壇にお線香をあげるのもかなり好きです。 08/6/12(鈴べる)

俺も神社のベンチでまったりするのが最近好きになってきた。
老いてきたのかのう・・・。 08/6/12(石川浩司)

あたしも石川さんと一緒かなー仏壇はあるけど神棚はないしでもお賽銭投げて神頼みする事もあるしクリスマスもお祝いする。
もし神様がいるとしたらすんげーえこひいきな奴だと思いますね。 08/6/12(りあちゃん)

大丈夫、神様いないから。
いたら世界はこんなになっていない。
もしくはいても、一切効力なし。 08/6/12(石川浩司)

個人的には特定の宗教には帰依してませんが、家は「浄土真宗」です。なので葬式は浄土真宗でやると思います。ウチには仏壇も神棚もありませんし、これから設置する予定もありません。私が特定の宗教を持たないのは、それだけで凝り固まるというか、他が見えなくなるのがイヤだからです。どの教義もある程度の真実とある程度の作りがあると思うし、その時の自分の状況で、聞きたい真実は違うと思うので、ご都合主義的に自分に都合のいいものを信じたいからかもしれません。ただ、どの宗教でも変わらずに教えていることはあるので、そこさえ外さなければいいんじゃないかな、と思います。 08/6/12(ばらっちゅ)

宗教だけじゃなく、政治でもそれこそ商売でも同じだけど、いいことしか言わない。外に出さない。マイナスなことは全部隠してある。
ま、何事もそういうことだと思って、裏もふまえて見るということは大事かもね。 08/6/12(石川浩司)

フランスでは子供が生まれると洗礼を受けるのが一般的です。
それで赤ちゃんのときに1回、そのあと大きくなってからも何度か受け、通常親戚や友人を呼んでパーティーをします。
日本の七五三みたいなものでしょうか?
連れ合いも私もほとんど 08/6/21(なにも信じてないわけじゃないけど)無宗教ですので うちの子供達は洗礼受けさせていません。
洗礼受けさせてない、というとなんでー!?とビックリする人もいるのですが、 それじゃどうして受けさせるの?と逆に聞き返すとぐっと詰まってしまう人がほとんど、かわいいのは洗礼受けてないと教会で結婚式が出来ないから!というもの。
見た目はフランス人のほうがイケイケにみえても結構純情な子も多いんですよ。
白いドレス着て教会で結婚式したい!という願望は結構今でもあるみたいです。
なぬぅ!と思うのは、洗礼式をするとプレゼントがもらえるから。というもの、子供が言うならかわいいけど大の大人が親戚縁者からの自分の子供へのプレゼントをあてにするなんて〜!

洗礼させていない私でも納得がいく考えは昔は乳児の死亡率が高かったので洗礼してからやっと産院から出た。というもの、今のように医療機関が整ってなくて、子供が無事に育つことを祈る、という意味でやっていたころが本当の意味での洗礼だったのだと思います。
土着の信仰みたいでこういう考えは好きだ。
家の子達も知り合いの洗礼式に出る機会があり、どうして洗礼するの?という質問には、神様に守ってもらえるようにやるんだよ、でも、やらなくても神様はいつでも守ってくれてるよ。 と、答えています。
長くなっちゃったので今日はこのくらいで勘弁してやろう!(笑)  08/6/21(ますちゃん)

外国に行って「無宗教」と言うと「そんなのあり!?」という顔されるよね。 08/6/21(石川浩司)

信仰している宗教はナシ・死んだらそこでお終いであの世なんてナシ・オバケはいなくて人間の脳が見ているもの・私にとって神様を作るとすれば山とか川とか風とかそういうもの、みたいな感じなので私は無神論者なのだと思っていたのだけども、先日そんな話をしていたら「あなたのはちっとも無神論者ではない」と言われてしまいました。どうやらナンチャラカンチャラってカタカナのなんからしいです(忘れた)。
あの世とか神様とか信じていないくせにペットが死んだら火葬して拝んでみたり、気まぐれでお賽銭入れて「宝クジが当たりますように」とかやっている私は全くもって無神論者失格で、本当の無神論者ならペットが死んだら可愛がっていたとしても普通に生ゴミで捨ててしまうハズ、なのだそうです。
というわけで私はナンチャラカンチャラです。
ちなみに新興宗教ウォッチングは好きで中でもありがとうおじさんが近年のだと面白かったです。 08/6/21(ことり)

何にも頼れるものが見つからない時にだけ、とりあえずすがってみるだけで、本気で信じていなかったらやっぱり無宗教、という定義な気がするなぁ。
もちろんペットが死んで生ゴミにしないのはある種の宗教かもしれないけど、それは広義の意だね。ナンチャラカンチャラはきっとその広義の考え方での宗教心だね。 08/6/21(石川浩司)

私の姉はその道の専門家に「酔っ払いの船乗りの霊が憑いている」と言われ、実際仏壇の前に来たら暴れ出し、座っていられなかったそうです。
 また私が話をしている時、祭壇のろうそくの火が一瞬ぼおっと燃え上がりました。うーむ・・・。 08/6/28(鈴べる)

いろんな仕掛けのある仏壇なんだね! 俺も欲しい。 08/6/28(石川浩司)

「祈ったらそれを叶えてくれる」という神様は、いないと思う。
でも、「絶対いない」という証明もできないので、絶対いない、とも思えっていません。
宇宙の果てがあるのかないのか、わからないようなイメージです。 08/6/28(桃玉)

神様は自分で作れば自分の中にはいるよ。 08/6/28(石川浩司)

いま、仏教とか神棚が廃れてきているので、「無宗教」というのが流行っているけど、 日本人は上に出てるナンチャラ的なものを持ってる人が多いんじゃないでしょうか。
それに名前がはっきりついてないんだと思います。
あと、昔「大和魂」なんて言葉があったみたいだけど、こういう言葉が作られるということは日本には「日本人」っていう宗教もあるんじゃないかと思えます。PN ビーバー町住人

結局信じているものは大げさに言えばみんな宗教。エコ教、成績教、お金教。
世の中は実はそんな小さな宗教の塊で出来ている。 08/8/28 (石川浩司)

>>神様は自分で作れば自分の中にはいるよ。 

神の国は汝の中にあり、というヤツですね・・・!!
神様を自分の中に作ることによって楽に生きられたり強くなれるなら、作ったほうがいいよなあ。

神仏を全く信じない世界というのも、なんだか怖いです。
自殺・自暴自棄・殺人に安易に走れてしまう気がするから。
神仏が万人にとって必要なものだとは思わないけど、 事物に対して畏れを抱けるか・抱けないかという違いは大きいものだと思います。
そして現代はそういう畏れをなくしてる人が多い気がする。 08/8/28 (桃玉)

そうそう、アニミズムでも何でも対象はいいのだ。
「信じる」「畏れる」ということ自体だけが、すごく大切なことなのだから。 08/8/28 (石川浩司)

「誰か助けて!」って思うくらい本当に困窮したって、救ってくれる神などいないのに、みんなどうして神様が救ってくれるって本気で思ってるんだろうって不思議でなりません。
そういう時、ホントに力になってくれるのって、神以外のはずなのに。
神様って、自分の全神経を傾倒してまで信仰するものでなくて、「とりあえず見守っててよねー」っていう気休め程度の存在でいいと思うし、実際それ以上にはなり得ないと私は思うんですけどねぇ。
もしかしたら神への傾倒って、私たちが石川さんのファンをしているのと案外同じ性質だったりして。 08/10/12(梅桃ひよ子)

そうなんだよね、気休め。じゃなきゃ日本より遥かに信仰心が強い国の人々が戦争をやめない理由も分からない。
ただ「信じる対象がある」というところで多少の無理が効く、という程度のものなのにね。 08/10/12(石川浩司)

派遣バイトやってた時に、すごい親しく優しくしてくれた人がいて、仕事中も仲良くお話しながら作業して、せっかくなのでと連絡先を交換したら、 その人からお茶でもどーぉ?ってメールが来ました。
お誘いが嬉しかったのですぐに出掛けたんですが、なんと。
彼女は宗教の布教活動のためにあたしを呼びつけたのでした。
そんなのにひっかかっちゃった自分の滑稽さ、必死に布教活動する彼女、 あたしはお茶飲みながら、面白すぎて笑いが止まりませんでした。
ケーキ食べ終わったら軽く挨拶して即行店出たんですが、 その人しつこくついてきて、「わかった、わかったから」って言っても 「わかってない!!!」と、これまたあまりの必死さ。
あたしが神様なんてこの世に居ない、って思ってるのと同じか、それ以上 彼女にしてみれば、神様の存在が現実なんですね。
しかし、派遣バイトってホントいろんな人くるなぁ。 08/10/26(りあちゃん)

一心不乱に何かを盲目的に信じてる人は、俺、なんか怖いや。 08/10/26(石川浩司)

爆笑問題の太田さんは学生の頃、新興宗教の勧誘を受けて「私たちの信じる神は全知全能」といったことを言われたそうです。そこで太田さんは「その神が全知全能ならば、その神は自分を滅ぼす敵を作り出すことも可能だ。しかしその時点でその神は全知全能ではなくなる。その説明はつくのか」と答え、それ以来勧誘されなくなったとか。  08/11/28(作戦失敗)

俺だったら「可能だけど、作りたくないから作らないも〜ん!」と駄々をこねるかな。
  08/11/28(石川浩司)

我が庭の富士宮市の富士山麓の道路沿いに「フジ サンクチュアリはこっち」みたいな看板がでていて、そんなところにサンクチュアリがあるのかよっ!!と話題なのですが、 どうやら昔からそこらへんでよく見かける、世界のみんなが平和であってほしい宗教法人の施設の様子で、ピラミッドとかあってヘンテコ施設っぽいのだけども、いかんせん江頭2:50さんのように根性がないので突撃する勇気がありません。
なので、誰か人柱となって見学してきてくれたら、どうなのか教えてください。お礼に豚肉か缶チューハイでも奢ります。  08/11/28(ことり)

あるよねー、山の中とかに怪しい宗教施設って。結構でかい建物でもまず新興宗教だと観光案内に載ることはないからね。隠れた観光スポットなのだ〜!
・・・帰って来られれば。  08/11/28(石川浩司)

宗教・信仰のイメージは、「受容・優しさ・おおらか・広い・暖かい」です。これは憧れでもあります。普段見聞きする宗教はこれらからかけ離れたものばかりです。現世利益よりも心を豊かにできるよすがになるものが本物じゃないかなあと思っています。だから、今は宗教よりも哲学の方に興味があります。結局は、全て自分の内側にあるような気もします。 08/12/29(わにこ)

そうだね。宗教界の闘争なんかも、一般人とさほど変わらないのを見ると「修行積んで、結局人間的に何も進歩してないじゃん」と思うな、俺も。
物事の考え方を探る哲学の方が俺も興味あるね。  08/12/29(石川浩司)

かみさまなんていない。
いたらよっぽど性格悪いか、えこひいきな奴だと思う。
でも、もし本当にかみさまが居るというのなら、めぐまれているひとだけにおめぐみを与えず、均等にめぐみを与えてほしい。
高級料理を食べてさらに残してすてたりする人もいるのに、泥水しか飲めない人がいるなんて不平等だ。 09/1/27(りあちゃん)

神様は全然平等主義じゃないから、そもそも。そういう奴だよ。  09/1/27(石川浩司)

こないだ西伊豆をドライブしていた時にみつけた達磨寺がB級で可愛かったです。(こちらは新興宗教とかではなく、ごく普通の善良な達磨さんのお寺)
日本一の達磨さんがいると書いてあり、ワイルドな達磨おじさんみたいのの看板がお出迎え。
日本一のでっかい達磨さん観るのは有料だったのでダタがテーマの旅な我らはやめときましたが、無料のほうのコーナーも達磨さんが一杯いて中々面白かったです。
有難そうな達磨さんが軒並みみんなごつくて真っ黒くてプロレスのオッサンみたいので、達磨って本来こんなんなの??と混乱しました。
ダルマステッカーとか色々欲しかったので、また今度タダがテーマでないときの旅で購入しようと思います。B級好きの方には中々オススメのお寺さんです。 09/2/11(ことり)

俺、高校の文化祭の時に俺が中心になって「米押し達磨」という仮装行列をやったよ。
え、米押し達磨って何かって?
・・・逆さから読んでみてくらさい。  09/2/11(石川浩司)

遠藤周作だったかな?絶望して「神も仏もないものか」と思った地点から本当の宗教が始まる、とかなんとか。なるほどなー、と思った覚えがあります。
イエス・キリストも十字架にかけられたとき、「なぜ私を見捨てたのか」と嘆きますよね。(ここらへんの解釈は人によって千差万別だと思いますが)神を信じられなくなったとき、裏切られたと思ったときが勝負なのかなと思いました。 09/5/1(蓮)

何かを信じることでパワーを得られることは確かにあるからね。
極めて科学的に。  09/5/1(石川浩司)

海外のSNSを登録するときにフォームで「宗教」を問われることがよくあるのですが、そんなとき日本人の多くが無宗教なのは世界の中では特異なことなのかな、といつも考えさせさせられます。 09/11/26(波照間エロマンガ島)

特異らしいですな。
「無宗教」の意味がそもそも分からない、と言われるみたいですね。
無国籍、無言語みたいに。
それだけ世界は宗教に支配されてるんだなぁ。  09/11/26(石川浩司)

やはりそう言う意味合いを重視するところも多いのか、何らかの宗教に帰依している福祉施設というのはわりとあるみたいです。たぶん、外国に行ったらそういう施設ばっかりなんだろうな〜。 10/5/29(たちつ亭と〜助)

ああ、そうだろうね。
何を自分の中で優先するかだよね。
でも田舎とかだと選択肢もあんまりないだろうけどねー。  10/5/29(石川浩司)

数ヶ月前、ある人のブログで「どうしても心が疲れてる時は、○○教会へおいで」という文を目にし、藁にもすがる思いで教会へ行きました。
なんてことはない、至って普通の教会です。
でも、讃美歌を聴いて「なんて綺麗な音楽なんだ!」と涙が止まらなかったと同時にショックでした。
それ以来、洗礼は受けてはいないものの、たまに教会に行きます。
上の方で石川さんが「神様は自分の中にいる」と書いていますが、それも正解だと思います。
ただ、クリスチャンを紛いの某宗教団体どもは許せません。輸血禁止、とか合同結婚式とか、変な冊子を無理矢理人んちに配ったり…。
普通の教会ではそういうことは絶対にしませんし、他人を無理に改宗させることもご法度。個人個人がお祈りをし、讃美歌を歌うのが正しいスタイルです。
そういう団体のせいで、純粋なキリスト教までカルト扱いされるのは無念でなりません。日本人の宗教アレルギーを濃くした功罪もあります。 10/9/9(くすもと明子)

そうなんだよね。
俺も幼稚園は家から近いという理由だけでキリスト教会の付属だったので、日曜学校とかには行ってた。
カードが貰えるのが嬉しかったな。
俺は何度も書いているように無宗教だけど、一番身近なのはそういう関係でキリスト教かもしれないな。
なのでそのキリスト教を傘にかぶったふりをする新興宗教は本当に嫌い。  10/9/9(石川浩司)

そうそう、キリスト教はいいです。だって仏教のように法事とか色々面倒でお金かかることがそんなにないですもんね。 10/10/7(可南)

でもそうなると、キリスト教の財源って何だろ?
聖書売ったくらいじゃ教会は維持出来ないもんね。  10/10/7(石川浩司)

最近は教会には行っていません。
やっぱり、教会内での人付き合いが濃くなればなるほど、ドロドロした部分も見てしまうし。
あんまり人と深く付き合うのが苦手な私は、それが肌に合いませんでした。
財源は宗派によっては信者から年収の1割を収めるみたいですが…残念、無職で年収ゼロの私からは逆立ちしても1円たりとも出てきませんのや。
やっぱり私は日本人だし、そういう性格もあってか一人でひっそりと寂れた神社でお参りしたり、塩を風呂に入れてお清めする方が性に合います。
西洋の宗教よりかは日本の八百万の神様信仰ですね。ただ日本の仏教も生臭くて信じられないかな。
キリストよりも米一粒の中の神様を信じます。でも基本的に無宗教で生きて行くかと。葬儀も焼くだけでいいし。
追記:日本各地に昔から伝わる男根信仰は笑っちゃいけないんだろうけど面白いですね。
名古屋にある田縣神社のお祭りにいったことがありますが、あちこちチンポだらけでした。チンポ型の飴も買いました。舐めましたとも。ええ。 10/10/30(くすもと明子)

やっぱりチンポ舐めるくらいの宗教がちょうどいい頃合かもね。
宗教に限らず、何事も人が一定以上集まる「集団」にはなにかしら問題が起きる。それは必然と言っていいほどに。  10/10/30(石川浩司)

初詣なんて行ったことありません。職場の人に「罰が当たるよ」と冗談混じりに言われましたが、出不精人混み嫌いな私にとっては罰が当たった方がいいです。(可南)

俺も生涯で数回行ったかどうか。
なーんせ信仰心がないもので。
それを悪いこととも思ってない。 11/1/8(石川浩司)

「宗教」っていう漢字、かっこいいと思います。 11/6/10(黄色いさんた)

ほー。これはぶっちゃけ俺には分からない。
漢字を吟味する以前に意味が頭の中に入って来ちゃうからかな。 11/6/10(石川浩司)

私、宗教の意味はそんなわからんです 11/6/18(黄色いさんた)

んー、分からないなら別にいいけど。
これから宗教を使っていろんな大人が騙しに来るから注意! 11/6/18(石川浩司)

わたしは神仏を信じてませんが、神社やお寺に行って合掌することは好きです。神前や仏前では特に願いごとを浮かべず、あるがままの状態で数十秒間の時を過ごします。一種の瞑想状態なのでしょうか、目を瞑って手を合わせていると、日本の過去の伝統文化とつながっているような気がして気持ちがとても落ち着くのです。ところが、現在住んでいるタイの仏教寺院で同じようなことをしても、気が散って落ち着きません。やはり自分は先祖から受け継いだ日本のDNAを持っているのだな、とその時思いました。  11/6/18(波照間エロマンガ島)

俺も無宗教だけど、教会は静謐な気持ちになるな。
幼稚園が教会付属だったから、幼児体験からなのかな。 11/6/18(石川浩司)

そういうのは、北海道と東京なら、東京のほうが多いんですか?
将来、東京に住みたいんでつ  11/6/25(黄色いさんた)

悪い奴は全国くまなくいます。 11/6/25(石川浩司)

日本でも知られている某宗教の小冊子が、マンションのドアの下からすべり込まされていました。わたしは言いようのない不快感を覚えました。まがりなりにもオートロックのマンションで部外者(あるいは住人?)がなぜこういう印刷物を放りこむのか、と。これを手に取った人がどんな気持ちになるのか考えたことはあるのでしょうか。やるなら正々堂々と布教してほしいです。その姑息で卑怯な了見にわたしは心底むかついたのでした。 11/8/25(波照間エロマンガ島)

そういうことも考えられない愚かな宗教、ということを自ら暴露してるよーなもんですな。 11/8/25(石川浩司)

サッカー選手のベッカムさんがタイに来たときに、街中どこにでもある小さな祠(ほこら)を気に入り、購入してイギリスに持ち帰ったとニュースで見たことがあります。おそらく私の勘ですが、ベッカムは信仰心からではなく、それを見て美しいと感じ、美術工芸品を近くに置きたい感覚で祠を買ったのではないかと思います。翻ってヨーロッパに目を向けると、キリスト教の教会や美術館に残る宗教芸術の作品をキリスト教徒でない人が見る場合、ベッカムと同じ視線でそれらを見ているのではないかということに気づきました。キリストが磔になった絵画をキリスト教徒の人が見るのとそうでない人が見るのとでは、感じ方は違うはずです。
フェデリコ・フェリーニ監督の作る映画は、華麗なテクニックを駆使した映像絵巻を私たちに見せてくれますが、イタリアの人に言わせると、カトリックの匂いが強すぎると言って、敬遠する人もいるということを聞いたことがあります。これなども、信仰をもった人とそうでない人とで、感じ方が変ってくる例ではないかと思います。
宗教と芸術の関係については奥深く、いろいろな議論がこれからも浮かび上がってくるでしょう。また何か思い出したら書いてみます。 11/9/22(波照間エロマンガ島)

なるほどー。フェリーニの映画をそう観る人もいるんだね。
確かに宗教関係のものは特にその信仰があるかどうかで見方は全然違ってくるよな。
例えば日本でもお雛様の女雛ばかりが「カワイイオンナノコダケデワタシイイデス」と買われていったら「違う〜」と多分思うもんな。 11/9/22(石川浩司)

外国に住んでいると宗教が人々の生活に占める位置って日本のそれとだいぶ違うなあと思い、特定の宗教を信じていない私はキリスト教の人なんかと話していて疲れることがあります。けど宗教は個人の自由だと思うしあんまり極端でなければ人の宗教の話をきくは面白いので宗教という話題を避けたりはしません。で、彼らと話していて最近思いついたのが私たちにコントロールできない事象やそれを起こしている力を昔誰かが神と呼ぶことにしたのかな、ということです。いまはいろんな社会的な要素が入りすぎていて大元をたどるのが難しくなっているように見えますが。で、だとしたら自分にとって神って自然、宇宙とか世界とかそういうものになるんだろうなと思い、それは悪くないなと思いました。 12/2/26(Sabina)

自然災害はコントロール出来ないし、人的災害についても簡単にいかないものがほとんど。複雑な要因が絡み合ってるものが多いからね。
なので何か分かりやすいものにすがったり願ったりになってしまうんだろうね。 12/2/26(石川浩司)

宗教が作品のテーマではなく、その舞台として宗教施設が出てくる漫画作品として、子供の頃読んだ「釘師サブやん」のパチンコ寺には強い影響を受けました。あの俯瞰の絵柄は最高にかっこよく感じ、ああいう寺が実際にあったらいいなぁとまで思いました。子供心にしっかと印象づけられました。なんで心惹かれたのかはわかりませんが、とにかく小学生の自分にとって衝撃を受けたことは確かです。  12/6/15(波照間エロマンガ島)

あぁ、ビッグ錠ね。
あの人の作品には時々凄く惹かれる物が出てくるよね。
「包丁人味平」のブラック・カレーとか。あれも宗教のようなものか。 12/6/15(石川浩司)

ローマのバチカンに行ったときのこと。半日くらい歩きづめだった身体の疲れを取るため、サントピエトロ大聖堂の前の広場で座ってぼんやりしていました。すると、あちこちに国旗を持った巡礼者の集団が輪を作って集まっているのが見えました。気づいただけで、チリ、アルゼンチン、ブラジルなど、南米のカトリック系の国が多かったです。
彼らが円陣を組んで何をしていたかというと、スポーツをする際の雄叫び、シュプレヒコールみたいなものをあげていました。《にっぽんちゃちゃちゃ・・・、みたいなやつです》 すると、その輪から離れたところを歩いていた、おそらく同胞と思われる人たちも、拳をあげてその国名を叫んでいました。
それは、ローマ・カトリックはこういう人たちが信仰しているんだー、ということを目のあたりにした瞬間でした。新しいローマ法王を決める密室の会議であるコンクラーぺの結果を知ろうと、この広場に世界中の信者が集まって、マスコミが熱狂的に中継する感覚も、少しだけわかった気がしました。
私の脳裏には、そのとき、熱狂、排他、残酷、自己正当化、自己優越性、植民地支配、宗教戦争、権力闘争・・・・・・次々と言葉が浮かんでは消えていました。そして、思い至った結論は、「宗教は、愚かしい」、ということばがでてきました。人民支配の道具として政治と結びついてきた宗教は、このヨーロッパで、そして世界中でどれだけの人を殺戮してきたのか、歴史を見ても明らかです。この場所が聖地であるのは、そこに人々を統治する権力機構があったからだと、あらためて実感しました。これはあくまで私が実感した感覚なので、カトリックを信奉している方を否定するつもりはないことをお断りしておきます。  12/6/25(波照間エロマンガ島)

俺もそう思う。確かに心の拠り所として大切なのは分かるがそれは宗教という形じゃなくても本来出来ること。
日本においてさえ宗教教育はあると思う。
まあ真っ向否定までではないが考えてしまうね。 12/6/25(石川浩司)

s学会三世です。
知久さんが家を出た原因がs学会だとか聞きましたが、本当ですか
小さいうちはまだしも、中学くらいからは噂が広まrちゃって友達もできないし、何が宗教だ!って思いますね
ちなみに私はヒンズー教のサイケな絵画や音楽が大好きです笑  13/7/29(66B)

そんな感じに聞いてる。けど本当のことは本人にしかわからない。
プライバシーもあるので本人にライブの後にでも聞いてみてください。
答えてくれないかもしれないけどね。 13/7/29(石川浩司)

バンコク在住の波照間エロマンガ島です。
  通勤で利用している路線バスがヒンズー教寺院の前を通過するのですが、乗客のタイ人の多くが寺院の方向に向かって合掌するのが始めは理解できませんでした。そのうちにわかってきたのは、ヒンズー教の神様も、国民の90%が仏教徒であるタイ人にとっては「陸続き」の身近な存在で、敬い奉っているということ。そういえば、街中には祠がたくさんありますが、それはヒンズーの神様を祀ってあることが多く、恋愛運や商売運が開けるなどと評判が立つ祠は1年中、ご利益を求めてたくさんの人が訪れたりしています。あまり詳しくないので解釈は避けますが、タイの国民性を知る上で、「祈り」というキーワードがかなりの上位にあることは間違いないと思います。  13/12/10(波照間エロマンガ島)

  キリスト教徒でも無いのにクリスマスを盛大にやる日本みたいなものなのだろーか? 13/12/10(石川浩司)

宗教に入り込んでしまうというのは一般的に、心が困窮して救いや仲間を求めたり、周囲や社会から自分を閉ざしてしまうという傾向がある様ですが、本当の姿は体や心を通して人生や世界のあり方を最も端的に探求した学問だと思うのです。

ちなみに僕が『神だ!』と感じた言葉は、とある人物が人体解剖学や生理学を勉強してゆくうちにその深遠な世界に「真の科学と宗教は相反せざるものと直感した」というものです。
『万物に仏生あり』という言葉が放たれてから、2000年以上たって科学の世界でもすべての物質のDNAを発見した(よく解ってないが)という事があったそうですが、それを見てとある作家の方が「科学は宗教に随分と遅れを取っているのではないか」と言われました。

宗教というものは人間の心のどういう位置を占めるのか、またどこから生まれたのか。世界が100人の村だったらじゃ無いけれど、これだけバラエティー豊かに生きる設備が整った国に生まれ、衣食住にも困らず事件や事故にも巻き込まれない。ちょっと退屈かもしれないけれど、毎日を心安らかに過ごせる事こそもの凄い奇跡であると、最近本気で思う様になりました。 14/5/3(Sankaku)

そうなんだよ。人類が始まってから・・・は言い過ぎかもしれないが少なくとも歴史上こんなに長く平和が続いたことは奇跡的と言ってもいいのかもしれない。
なのでそろそろ平和に飽きた人たちが動き出す頃だ。お互い気をつけよう! 14/5/3(石川浩司)

  14/5/3の石川さんのお話しを聞いて思ったのですが、とある作家の方が『最近になってみっともない年寄りが増えた』と発言され、僕自身も少々感じる所があります。

戦争になると自殺する人が減るという傾向があるようですが、平和も長く続くとそれに甘んじる人が増えるのか。でも憲法9条にしろやはり平和に生きる事もひとつの戦いと心得るべきです。平和に腐って自分が何がしたいのかも分からずにボケてゆく。別に平和に飽きてなくとも、正常な感覚でも由々しき事態だと思います。 14/5/31(Sankaku)

平和を守る為に戦うというパラドックスだね。 14/5/31(石川浩司)

13/12/10の石川さん。それはアニメ版「巨人の星」のエピソードにありました。野球ロボットとしてまったく人間味なしに育った星飛雄馬が人間性を取り戻すためにクリスマスパーティーを企画するの回。星が伴宙太に言う「クリスマスって12月25日にドンチャン騒ぎするやつだろ」という台詞に日本人のクリスマス観が象徴されていると思います。パーティーは飛雄馬が招待したお客さんが一人も来ず大失敗に終わるという結末になります。 16/1/10(波照間エロマンガ島)

花形も、左門も、そしてお姉ちゃんさえ来なかったパーティだよね・・・。 16/1/10(石川浩司)

先日ある大学の近くを歩いていると、自転車に乗った外国人青年2人組に呼び止められました。
「チョット、スミマセン。オジカンハアリマスカ?」
てっきり道に迷った留学生か観光客だと思い足を止めました。
「はい、大丈夫です。何でしょうか?」
「ワタシタチハ、〇ルモンキョウヲフキョウシテマス。アナタハカミヲシンジマスカ?」
(あちゃ〜、宗教の勧誘かよ〜。そもそも神様がいたら戦争で人が死ぬ事もないだろ〜)
「いいえ(キッパリ)」
「オー! アナタハジンセイヲムダニシテマス。ドウシテシンジナイデスカ?」
(え〜、食い付かれた〜。今更「急いでいます」なんて言えないしな〜・・・あ、無宗教の石川さんがチェンマイの病院で宗教を聞かれた時に「ブッディスト」って答えたって仰ってたな。これだ)
「アイアム、ブッディスト(合掌しながら遠い目で)」
「・・・アリガトウ、ゴザマシタ。バイバーイ」
(行ってくれた・・・。比喩で「石川さんは救世主だ」って言ったら馬鹿にした人がいたけど、やっぱり石川さんは救世主だよ・・・比喩で)
帰ってから「〇ルモン教徒」で検索してみると、丸っきり同じスタイル(勧誘マニュアル通り?)の画像がヒットするじゃないですか・・・が、この手は使えます(笑)。 16/5/26(デクノボー)

そうそう理屈で返しても延々話が長くなるだけ。
仏教、もしくは他の宗教でもいいので宗教を持っていると言えば引き下がるよ。 16/5/26(石川浩司)

モルモン教の宣教師を知らない人がいることに驚きました。 16/8/23(海ぶどう)

だいたいふたり一組になってニコニコしながら自転車でやってくることが多いよね。 16/8/23(石川浩司)

え? 驚かれるくらい超有名なんですか?
一度も遭った・・・会った事がなかったので分かりませんでした(苦笑)。
南国の海ぶどうさんは〇ルモン教の宣教師にお詳しいんですね。
あ、でも一切興味が無いので別に知らなくていいです(笑)。 16/8/27(デクノボー)

子供の頃から「あれはモルモン教の勧誘だから話しちゃ駄目」と言われてたなあ。
まぁ地域性もあるのかもね。 16/8/27(石川浩司)

あーそういえば昔街で、知らない人に「お祈りさせて下さい」とか言われて、額のところに手を当ててなんかやられたことがあったなあ。大学名を聞いたら、駒●大学の学生だった。
高校野球が好きなので、PL学園とか天理高校は好きです。PLの校歌なんて今でも歌えるし。 17/6/25(わいわい)

それは真光だね。俺の中学時代の同級生にもいた。
まあ大学は直接関係ないと思うね。駒●って確か一応仏教だけど学生がその信者だけというわけでもないしね。
Gさんが行ってた大学だね。 17/6/25(石川浩司)

知人から聖書を貰ったので、三位一体とか無原罪の聖母とかめくるめくキリスト教の世界観が書かれてると思って読んでみたけど、それらのことは全く書かれてませんでした。どうやらイエスさんが死んでからその生き様死に様を理解していく過程で生まれてきた概念らしいです。イエスさんが現在に生き返って今のキリスト教をみたら「俺、そんなこと言ったかもしれんけどそんな意味じゃないよ」って言いそう。100歩譲ってイエスさんは神の子だとしても、現在のキリスト教は人の手垢がべったべたの人の作り出したものに他ならないと思います。怪しいです。

宗教の名のもとで人殺しが行われてたりするので、今の人類には宗教は制御不能の原子炉なんじゃないでしょうか。宗教を使いこなすにはもうちょっと人類が成熟する必要があるんじゃないかなと思ってます。 17/6/25(匿名希望)

伝言ゲームのように元々の物とか伝えたいこととはまるで違ってるだろうね。
実際キリスト教の中にも宗派があるし、さらにそれの別解釈の新興宗教もあるからね。
でも宗教って信じることで、信じると人はそこで思考を停止してしまうからそれが俺には合わないんだよなあ。
もっとも無意識のうちに信じちゃってるものは宗教じゃなくてもあるんだけどね。 17/6/25(石川浩司)

そもそも宗教て何?よく思います。
霊は信じます! 18/1/27(西大路)

俺もいっつもそう思う。
親が無宗教だから余計になんだろうけど、どうしてもデメリットの方ばかり感じちゃう。 18/1/27(石川浩司)

石川さんはあまり宗教がお好きではないみたいですが、亡くなったら多磨霊園に入るらしいですね。宗教と関係ないので霊園だといいですね。 19/3/12(わいわい)

好きではないね。建築物とかは面白いと思うけど。
墓も自分的にはどうでもいい。
死んだ後の自分は、まわりの人の思い出の為のものなので。本人は蚊帳の外。
自分は死んでるので感情も何もないので本当にどうでもいいんです。 19/3/12(石川浩司)

ちょっと話題から逸れますが。奈良に元興寺極楽房という寺があります。そこに資料館があって、中世に名もなき民衆が奉納した、小さな仏像が所せましと並べられていたり、境内から出てきた蔵骨器がいっぱい展示されていたり(といっても、庶民の質素なものがほとんどですが)と、心ひかれるものが山ほど並べられています。遥か昔の人々の祈りが時を超えて迫ってくるようで、感動しました。石川さんも機会があれば是非。あまり人もおらず、閑静でよいお寺です。 19/4/2(未成年)

人がいないのはいいね。そういうところ、偶然見つけると嬉しくなるんだよな。 19/4/2(石川浩司)

ある本に書いてありましたが、「悟りたい、と思っているうちは永遠に悟れない。正しいことをやるな、楽しいことをやれ。」という教えがありました。
ああ、自分もそうなってきたなと思いました。以前自分にも、もしかしたらこれは悟りかなと思えることがありました。ただ悟った後も永遠に道は続くそうです。 19/5/2(Sankaku)

悟りをひらいたはずの高僧たちが時々しょうもない派閥争いとかしてるのを見ると、「悟り」って一体なんじゃい?と思うことあり。 19/5/2(石川浩司)

以前、東本願寺の前を歩いていたら「今、いのちがあなたを生きている」という標語が掲げられており、「はーん?」と思いながら通り過ぎました。
それから何日経ったか忘れましたが、突然「そうか、今、いのちが私を生きているのか!」と閃きのように得心が行ったのです。
仏教の思想に限定するなら輪廻転生を意味しているのでしょうが、もっと広い意味に捉えてもよいと思っています。
私には「今、私が生きている」という感覚も確かにありますが、同時に「いのちが‘たまたま’私を生きている」という感覚を持つことは意外と気が楽になるなと感じました。
カトリック教会の前に書いてある聖書の言葉にも突然「そうか!」となった経験があります。その話はまた別の機会に。 19/11/14(ANA)

「いのち」が主体で自分の体を借りてるという発想かな?確かに斬新! 19/11/14(石川浩司)

宗教の枠に限らず、全人類、もしくは全生物の根源的な欲求や願望をふと考えたことがあります。
その時、それは「何か良いことが起こってほしい」というものではないかという結論になりました。
国柄、種族、地方によってそれの形は千差万別ではありますが、みんなこれのために色々なことをしていると考えると、腑に落ちたような気がしました。 19/11/24(Sankaku)

科学も一部「科学教」ではあるけど、やはり根拠があるからなー。う~む。 19/11/24(石川浩司)

無神論者です。自分にとって宗教とは、お葬式や結婚式のときちょっとお世話になる程度の存在でかまいません。コミュニケーションビジネスをする人や健康法を熱く語りなにか商品を勧めてくる人は宗教家と同じうさん臭いにおいを感じ、断固シャットアウトしています。東洋医学や療法を信じないわけではありませんが、西洋医学を基本的には信用しています。 20/3/16(すけきよ)

俺もそうだな〜。とにかくお金にすり替わった途端その宗教は堕落する。もちろんお金が必要なことはあるだろうけど、それを強制させるところには。 20/3/16(石川浩司)

大谷氏さんの楽曲「俺の神様」〈ザ・大谷楽団「セミの鳴く日に」収録〉が、割と理想的な神様のあるべき姿を捉えているように感じます。
あまり神、神、と言っても変な人たちが寄ってきてしまうので控えたいところですが、私自身も神様はいるように感じます。
神様がいないという人たちは、神様を自分にとって都合のいいようにしかとらえず、試練を与えることもあるという事を忘れているのではないでしょうか。

自力を尽くしてこそ神様も助けてくれる、とはよく言われていると思いますが、神様をうまくエッセンスにすれば、人生の豊かさや楽しさにも一役買ってくれるように思います。 20/3/24(Sankaku)

自分にとって自分の理想に向けて後押ししてくれるような自分に合った神様を見つけられる自由は欲しいね。 20/3/24(石川浩司)

日本以外にも無宗教の多い国はあるので、海外で無宗教を公言したら嫌われるとは限らないようです。 2021/3/19(Kotosan Dog)

嫌われはしないかもしれないけど、国によっては「何故だ?」とか説明求められることもあるので、めんどくさいよ。 2021/3/19(石川浩司)

日本にいる多くの人は無宗教というよりかは宗教の事を深く考えていない感じなのかもしれません。 2021/3/26(Kotosan Dog)

まあ坊さんでもクリスマスやったりするからね(笑)。 2021/3/26(石川浩司)

私の自宅にも宗教の勧誘が来たことがありますが、ある人は「この経典は世の中のこの出来事を言い当てている!!」と、お熱の入った様子で語っていました。
何かの初期衝動の典型ともいえる様子で、自分に酔っている感じもうかがえました。
それだったら、私の読んだ「不食」の本にもそれらしき文献は存在します。
卓越した文化人や知識人でも、変な宗教以上に世の中を言い当てる事はあるので、それほど珍しい事ではないように思います。  2021/9/12(Sankaku)

地球上すべてに蔓延するこのコロナ禍を「未曾有の大災害」とか曖昧な表現じゃなくて、具体的に当てた人はいるのだろうか...。 2021/9/12(石川浩司)

19/11/14、ANAさんのレスより

「今、現世を生きている肉体は借り物である」という考え方は、不食の本、特に秋山佳胤 先生や森美智代 先生からはよく聞きました。
意識と気分、そして心の違いに気づいてからは、より自分とは違う大いなる存在を意識してきたのかもしれません。
その中でも、やはり神様はいるのかもしれない、という実感も感じ始めてきたところです。

私は本来はマイナス思考の人間でした。
それでも、何年に1回かは、信じられないくらいに良いことが起こったり、日々の充実を感じているところです。
神様をそれとなく意識すること。
苦労や大変なことも一端にあると認識しながら、いろんな事をやってみる所に、何か素敵なことがあるように思います。  2021/9/12(Sankaku)

なんせ日本には八百万も神様いるしな。多すぎる(笑)。 2021/9/12(石川浩司)

船瀬俊介 先生のご本は、宗教観や神様についても、割とライトでソフトに、そして明快に解説されているように思います。
「〈例えば〉健康法の本を買うときは、裏にどんな利権が絡んでいるのか。そしてその内容は『生命の理』にかなっているかを参考にしてほしい」
また、キリスト教の教え「汝の敵を愛せよ」と言う項も、健康法の視点から科学的に解説してしまうという偉業を披露。

船瀬先生の勢いづいた書き方を批判する向きもありますが、それにより健康の面で救われた人も多数いるようです。〈断食療法など〉
私自身も、宗教や古来の賢人たちの教えの正確さ、達見さや絶妙さを味わってきました。  2022/1/29(Sankaku)

「裏にどんな利権が絡んでいるのか」これを見抜くのは重要だね。 2022/1/29(石川浩司)

最近、私の自宅の前の主要道路に、キリスト教の教えを演説する自動車が通ります。
ある意味正しいことを言っているとは思いますが、「神を信じれば、永遠の命が与えられる」は、普通の常識的な感覚で聞いたらドン引きではないでしょうか。

私も健康法の面で、永遠の命の可能性は垣間見ているので、〈それでも本当に死ぬことなく、いつまでも生きて行けるわけではないと思います〉すべてが間違っている訳ではないと思います。
あの人たちは何を言いたいのか、またしたいのかが分からず、そこら辺も奇妙です。  2022/1/29(Sankaku)

キリスト教は聖書のいろんな解釈によって派閥が分かれていて、もはや同じキリスト教とは言えないような新興宗教もあるからねー。 2022/1/29(石川浩司)

船瀬俊介 先生の哲学面の師匠に当たる、沖正弘 先生〈ヨガの指導者〉。
一部の、健康法を探求される人たちにとっては、非常に高名な方の様です。

船瀬先生も若い頃、沖先生の影響で3日断食に挑戦されたとありました。 ヨガの視点から「神」に言及され、本の内容も非常にユニークで面白かったです。

現代にはびこる病に対する考え方や治し方は、非常に大切なことを言及されているように思いました。
書籍【沖正弘がのこしてくれた治すヨガ・船瀬俊介/三五館】は現代人必読かもしれません。  2022/2/19(Sankaku)

ヨガはたぶんいいんだろうけど「神」と結びつけるのは俺はあまり好きじゃないかも。 2022/2/19(石川浩司)

2022/2/19のレスより 
確かに、宗教団体の勧誘や商売を絡めて神様を語るのは、私もノータッチでいたい所です。

しかし、沖先生の本にはそのような様相は見られず、人間ひとり一人に神様は宿っており、それを認識することで、病気直しや能力の開発、そして人生の躍進を示唆されているような物書きでした。
実際、沖先生のヨガ道場では、死にかけの病人が奇跡的に回復するという事柄がいくつもあったようです。

もっと凄いのが、不食の弁護士・秋山佳胤 先生〈あきやまよしたね〉の見解。
神様に報われるには、神社に来てくれなくていい、お賽銭もいらない。ただ時々神様を思い出してくれて、日々を誠実に楽しく生きてくれれば良い、というそれだけの話。かつては神社にも賽銭箱というものは無かったそうです。

唯一絶対の神は人間が勝手にこしらえたもの。特定の宗教を信仰しているからと言って、神様は助けてくれるわけではない。むしろ、自分と違う宗教を信じている人を異教徒、敵と見なし、宗教戦争などになってしまうのはまさしく言語道断です。

また神様に関しては、よく子供に対する説教「神様が見ているから悪いことはするな」というような見解が意外に重要だそうです。

拍子抜けするくらいに簡単な見解ですが、これこそ神様の本領というものではないでしょうか。かつて私が読んだ本の中にもある「天真に健康な生活をするにはほとんど費用は掛からない」「こんな簡単なことで強健〈優れた健康〉になれるから天理はありがたい」という言葉にも通じる所があって、絶妙さを感じました。
また、このような物言いは、石川さんや一部の方は嫌がるかもしれませんが、このホームページにも紛れもなく神様は存在するように思います。
人に迷惑や害を与えなければ、何を書いてもOK。下手に神秘性をウリにするような所より、このホームページにこそ、楽しみの神様や光を明確に感じるところです‼  2023/6/17(Sankaku)

神様はひとりひとりの頭の中の創作物。自分にとっていいように使いましょう、ってことだと思うなー。なので「強制宗教」は違うと思っちゃうなー。強制宗教が規律の国もあるけどね。 2023/6/17(石川浩司)

話題330や179に書いた事ではありますが、私にも運勢の神様がいてくれるのか、と思った出来事も今まで何度かありました。

よっぽど難しい事〈宝くじで高額当選するなど〉ではなければ、「念ずれば通ず」の言葉通り、叶うことがあるようです。
私もそれほど大きな事ではないにしろ、良運の土台という物が出来上がっているのでは、と思える所があります。
2023年12月上旬、約10ヵ月振りに東京都青梅市に行け、行きつけのカフェで特製クッキーを買いました。お世話になっている人たちにそのクッキーを配りましたが、私のアパートの掃除や掲示物の貼り替えをしてくれている初老の女性とは2週間近く会えませんでした。
そろそろ会えないかなと思っていた矢先、ある日の昼に職場を早退けして家に帰ると、その女性がアパートの掃除をしていて、何とかクッキーを渡す事が出来ました。

神を妄信するのではないけれど、ある程度の信心やプラス思考があった方が、人生は上手くいくのかもしれません。
美輪明宏さんのお言葉「信仰と宗教は違う」の通り、ある程度は人の力の及ばない物事を意識する事も大切なのかもしれません。
「いつも心象風景を明るく美しく楽しくして、ロマンティックに夢を描き、物語の主人公になって生活している人に、幸運は必ずやってくるものなのです」 2024/2/2(Sankaku)

そう思う人はそうだと思う。信じることで力を得られることはあると思うからね。ただ、俺はそう思わない考え方なので自分で幸せは作る。どっちが正しいとかじゃなく、どっちもあっていいと思うんだよね。 2024/2/2(石川浩司)


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