話題285 出会い



親友、恋人、皆さんの「大切な人」との出会いのエピソードを聞かせて下さい! 08/4/17(ミッヒー)



***レス(発言は古い順に並んでます)***


出会い・・・妻とは隅田川の船の上で出会いました。その出会いのまさに瞬間の写真が竹中労著「たまの本」にバッチリ掲載されています・・・。 08/4/17(石川浩司)

友人のA子さんとは中学で出会いましたが、決定的に引き寄せられた瞬間はA子さんが教室の床を這って私の席までやってきて「私のかわりに習字書いてくれないかなぁ?」って来た瞬間インスピレーションを感じて仲良しになりました。
夫は私の管理してたカラオケ店のバイト面接に夫がやってきたときに出会いました。ヘンテコリンな子っていう印象でした。
他にも他人と思えないような人間ってのは出会った瞬間、根拠なしに「この人とはきっと凄まじく仲良くなる」って一瞬にして感じたりします。 08/4/22(ことり)

ここ数年でそう感じた人っている? 08/4/22(石川浩司)

今までの元彼はみんなネットで知り合ってます。
チャットで仲良くなって、電話するようになって、付き合い始めてからはじめて会う、みたいな。
会わずに終わった人もいたな。 08/4/22(りあちゃん)

会わずに終わったらつきあってないんじゃ・・・。 08/4/22(石川浩司)

同好の友との出会いが最高です!
共通の人・モノ・マンガ・音楽を熱烈に好きになる、という時点で、相当馬の合う要素をもっているということなのでしょうね。
そしてそれがマニアックであるほど、絆が自然と強まる(笑)。
年齢性別問わず、末永く仲良くやっていけそうな気がします。 08/5/22(桃玉)

なのでとてもいいシステムなんだよね。
そこで文字だけでコミュニケーションを取っていて、いざ初めて会っても違和感がないことが多い。
容姿以前にその人の中身がほぼ予想が付いてるからね。 08/5/22(石川浩司)

大切な人ってわけじゃないけれども、「この人とはきっと凄く仲良くなる!」って一言も喋らず初めて顔を合わせた瞬間に感じて実際喋っていくほど気味の悪いくらいシンパシービンビコ!っていうのは最近もありました。
一体なんで分かるのかはサッパリわからないんですけどねぇ。
決して見た目の情報とかそういうんでもないのです。不思議です。
大体そういう人って過去の話をしあうと実に近い範囲にずっといて、ここで出会わなくても絶対どっかで出会いそうだよね、って思う人が多いです。 08/5/22(ことり)

たまとの出会いは衝撃だったー。
子供の頃よく聴いて歌ってた「そんなぼくがすき」を、 大人になってからまた聴きたくなって入ってるアルバム探して、聴いてみたらどの曲もいいこといいこと!
当時の彼氏と夜な夜な踊り狂いました。 08/6/4(りあちゃん)

一体どの曲で踊り狂ったのかちょっと気になる・・・。 08/6/4(石川浩司)

今の主治医と出会って2年、 劇的に症状が軽減しました 。
主治医サマサマです。 08/6/4(りあちゃん)

医者も合う、合わないがあるからね。ちょっと「?」と思ったら他の医者にかかってみるのは手だよね。
歯医者なんかでも、全然違うからね。医者によって。 08/6/4(石川浩司)

ファザーに初めてお会いしたのは07年7月8日、釧路ジス・イズ。
店の入り口で「札幌から来ました!」と言ったら店内から拍手が巻き起こり、店の中を見せてもらったら、ファザーがいらっしゃった。「桃玉さん?」と言われて、ぶったまげた。
あの頃の自分が今の自分を見たら、なれなれしさに卒倒する、きっと!!! 08/6/4(桃玉)

今じゃマネージャーだもんなぁ。まだ一年経ってないのかぁ。 08/6/4(石川浩司)

今、全く違う環境にて暮らしてるので、出会いは多いです。ただ、出会うだけで、その内の何%が長く続くかがネックですが。
今、留学に行くきっかけとなったのは、我が家に5年前に同い年のとある高校生がホームステイした日だったのですが、まさかあの日から5年間の月日を経て、今こうして外国生活をしているとは、夢にも思わなかったなあ。もちろん5年の歳月の間に、お互い違った道を歩み始めてはいるのですが。 08/8/28 (Hi-)

人生は一回こっきり、なおかつ明日終わるかも誰も知らない。異質な日々が送れるのは幸運だと思った方がいいね。 08/8/28 (石川浩司)

桃玉さんに出会わなかったら今の私はいないんじゃなかなー。
じゃなかったらチェンマイにも行ってないし、DVDも作っていないと。ほっかいどーツアーのスタッフもしてない、と。
つまりは浩司さんを踏み台にしてふたりでのし上がった、と。
 08/10/12(意味わからんが、二人に愛をこめまくったさっちゃんより)

人の出会いは不思議なものよのう。 08/10/12(石川浩司)

今出会ってすごく楽しくて嬉しくて濃厚でって人でも、あっという間に過去のいたかもしれない人になっちゃうなーとか思って時々勝手に悲しくなります。
過去の、仲良しで異性でも同性でもどっちにしてもセックスまでしたような人間でも、今では本当にいたんだかいなかったんだか、みたいな人も沢山いて(でも、確かに今もきっと生きている人がほとんどなんだろうって思うけれども)、ずっと出会いっぱなしでいたいのにーとか思うのに、そうも行ってない現実もあり、なんだかなーのごっちゃごちゃみたいな気持ちに時々なります。 08/10/12(ことり)

もう会わなくなった人は死んでるのとあまり変わらないよな、と時々思う。 08/10/12(石川浩司)

友達のYちゃんがいなかったらバンドをしようなんて思いもしなかった。
おなじボーカルとしてわたしに自信をくれたのもYちゃん。
歌うことを優先したい、って決めて転校していった強い子です。 08/10/26(きよ)

おお、ボーカルやるのか!
今度こぶしの効かせ方、教えてくださいな。 08/10/26(石川浩司)

人だけじゃなく、物との出会いにも運命を感じることが多々あります。それが普通に買ったものじゃなければなお。欲しい欲しいと思っていると、巡り巡っていつか自分のもとに来るんですよ。これは本当に不思議。この間も、ずっと欲しいと思っていた廃盤になったCDを偶然見つけました!全然メジャーのCDじゃないのに。  08/11/28(さっちゃん)

あぁ、来るねえ。でもお金だけは、来ないねぇ。  08/11/28(石川浩司)

5年弱ぐらい前、たまの人たちを呼びたいと思ってジスイズに行きだしたら、中学の時わりと好感を持っていた先生が常連だった。
中学の時はじめて行った地元のたまのライブを主催していた人も常連だった。
ちょうどその頃ジスイズででっかいイベントの実行委員会があり、あれよあれよと巻き込まれていって、その中にはたまのライブの時に受付をしていた人もいた。
自分は覚えてなかったけど、きっと「犬の約束」のビデオパンフレットを買うのに財布のお金かき集めて100円玉がないから50円玉2枚出したあの時、対応してくれてたんだろう。

最初にライブを主催した時に来てくれた人は、その時まだジスイズの常連じゃなかった。
今は2階で個展をやったり、ライブや天使のひるね屋に合わせて展示をしてくれたりしている。

去年、札幌からわざわざ来てくれて、石川さんに初めて会った桃ちゃんは、今では石川さんのマネージャーになって。
たまが解散する前のファンクラブツアーで同室になったさっちゃんは、桃ちゃんと出会って石川さんのほっかいどーツアーを企画したりDVDを出した。

ん〜、人の出会いって不思議。そして自然。 08/12/13(うろたえ太郎)

万物流転、人生愉快。 08/12/13〔石川浩司〕

ワタシのお腹から「ふんぎゃあああ!」と出てきました。感動的で衝撃的で奇跡的な出会いでした。  08/12/29(わにこ)

人間から人間が出てくる。
冷静に考えるとすんごいことだ。  08/12/29(石川浩司)

ライブをしたことで、たくさんの音楽仲間に出会えました!
話がとても合うだけでなく、聴いたことないジャンルの音楽にも興味がわいたりして、音楽の幅が広がりました! 09/4/24(きよ)

やったもん勝ち。わけーうちは例え失敗しても、興味があったらなんでも手を出してみなせえ。
どこに自分に取っての「宝」があるか分からないからねっ!  09/4/24(石川浩司)

大阪〜東京を青春18きっぷで移動中に静岡の辺りで同じ方法で東京に向かう知り合いに遭遇した時は驚きましたね〜。ただ今まで生きてきて一番印象に残ってる「出会い」がコレなのは寂しい話ですが。 10/3/13(あきたけ)

話しの腰を折るようだけど、だいたい青春18きっぷを使う人は、効率よく行く為、同じ列車に乗る確率は結構高いです(笑)。  10/3/13(石川浩司)

出会った瞬間、一言も喋ってもいない本当に初めて出会った瞬間に「マズイ!出会ってしまった!」って直感で思ってしまった人って、結局、深く深く深〜〜い仲になってしまうな、と思います。 ここ一番、みたいな強く来た直感って絶対に外れないなぁと思います。 10/9/25(ことり)

俺は!?  10/9/25(石川浩司)

石川さんはそもそもブラウン管の向こうにいたのに一目見たそのときから眠れなくなっちゃったんだからっ!そしてほら・・・・もうあんなことやこんなことや・・・深い仲じゃ〜ないですか・・・・ほほほほほ! 10/11/15(ことり)

ブラウン管の向こうからはすぐに「ここはあんたの居る場所じゃないよ。シッシッ!」とケツ蹴られて追い出されたからな。
本当にあんなことやこんなことをやるところを妄想して、ずろうっと!  10/11/15(石川浩司)

私がそもそもまた中学の頃の様に「たま」を愛しだしたのは、まさに2005年仕事帰りに偶然に梅田の本屋で見つけた石川さんの著書「『たま』という船に乗っていた」を見つけて立ち読みしたからです。
その後脳内に「たま」熱がじわじわとぶり返してきて、ふたたび紀伊國屋書店に見に行ったらもうなくて、また熱が冷めかけたその時にまた紀伊国屋で発見して今度は迷わず購入し、そこからこのHPを見るようになり、「たま」後期のCD・DVDを集めだし、「そのろく」を手に入れるけど何故か聴けない、なんてな悪夢を連日見続け、8年後ついにパソコン購入をきっかけに閲覧のみから投稿をはじめ、ちょっとだけのつもりがズルズルハマってしまい果てにはライブで(誰とでもライブですが)セッションさせて頂くまでになるという事態。

あの日紀伊国屋書店に「『たま』という船に乗っていた」が無かったら、私は今頃投稿もしていなかったし石川さんの事も忘れかけていたことでしょう。運命の出会いですねぇ。まあ石川さんからしたらただ変なファンが1人増えただけで迷惑なだけでしょうが(笑)。 14/12/26(オポムチャン)

いやいや最近の投稿貢献度では間違いなくオポムチャンが一位だね。
本出して良かったぜ〜。 
出会いに感謝! 14/12/26(石川浩司)

  高校1年生の頃わたしは人見知り、身なりにも構っていませんでした。
高校では女子のスクールカーストが如実で、最底辺で暗く孤立しているわたしはカースト上位組女子に露骨な態度をとられてました。 でもそれはわたしに原因があるので、そりゃしょうがない。わたしだってこんな根暗ブスと仲良くしたくないしナ〜と開き直っていました。

入学して暫くしてから部活動説明会があり、わたしは某部の説明会に指定された教室に入りひとり着席。まわりはみんな友達同士、おしゃべり。
ふと隣をみると、派手な美少女がひとりで座っているのに気がつきました。瞬時に「あ、この人カーストてっぺんだ。ムリ」と感じ、目を逸らそうとするとその子がこっちを見、ガッチリ目が合いました。
あーあ、「何だよ、見んじゃねえよ」と言われるんだろう…と思ったのも束の間、なんとその子は満面の笑みでわたしににっこり笑いかけてきました。かなり動揺しましたが、わたしもなんとか笑みを返しました。高校に入ってこんなことは初めてでした。

あれから6年が経ち、高校も卒業して、わたしも彼女も随分変わりましたが、彼女とわたしが1番大切な親友同士であることは変わっていません。

誰とでも分け隔て無く仲良くし、表裏がなく、ストレートな彼女はわたしとは正反対なので、尊敬しています。

人を見下してカーストに位置付けることは、どうしてもわたしはしてしまうのですが、彼女は絶対にそんなことはしない。
彼女との出会いは大切な財産だったなと思う今日この頃です。 17/5/9(ひのこ)

ある意味において自分より下もしくは庇護しなければならない人であっても(極端な話、子供や老人や知的障害の人など)その人から別の角度から学べることも多い。反面教師も含めてね。
なので俺にはカーストは無い。
・・・と言いたいがそこまで人間的に成熟出来ていないのが現実だよなあ。無くそうとは思ってるけどね。 17/5/9(石川浩司)

大学のオリエンテーションの時、隣に座ったやつです。一番最初に話した人でした。
なかなか授業に出なかったので「レアカード」と勝手に名付け「滅多に出ないから」と笑っていました。
そいつとは、同じ専攻であったものの、同じサークルとか同じゼミでもなく、一緒に飯を食ったり飲みに行ったりする仲じゃありませんでした。
それでも学内で会うと「よう」とか「レアカードは出てきちゃだめだよ」などとバカな会話をいつもしていました。 学部を卒業し、大学院へ進学すると、そいつも進学しました。
大学院修了の時も一緒でした。卒業式のあと、大学に戻ってきての学位授与式で「最初に話したのはお前なんだよなあ」と笑って会話しました。
メールやLINEも半年に一度すればいい関係なのですが、たぶんこの先もたまに連絡は取り合うんだと思います。 17/6/9(わいわい)

俺も高校の時に最初に話したやつとは未だに時々交流があるなあ。
一時期電通に勤めていてたまの「星のカービィー」のCMを作ってくれた。 17/6/9(石川浩司)

今の通い先では才能ある個性豊かな人たちとたくさん出会いました。絵の上手い人、文芸に秀でた人、仮面ライダーのフィギュアを交換した人、レストランで楽しくお話しした友人、そして憧れの女性。
みんな心優しく、夢と希望を持って毎日を過ごしています。大変な世の中ではあるけれど、こんな出会いがあると人生も変わってくる気がします。 17/10/12(Sankaku)

何かに夢中になってる人って素敵だよね。 17/10/12(石川浩司)

10年前ののあちゃんにレスしますが、石川さんのレスの通り「北の国から」で五郎さん 18/9/17(田中邦衛さん)は「会ってないのにどうして恋人なのかい?」って言われていましたよ。さてこの「北の国から遺言」に出てくる純が借金返済力仕事をするシーンですが、春日部の首都圏外郭放水路 18/9/17(地下放水路)が舞台として使われています。この間その地下放水路・・・地下神殿見たく最近よくメディアに取り上げられているのですが、見学へ行ったときロケシーンの写真が飾られていました。 18/9/17(わいわい)

あ〜、あそこ行ってみたいんだよなあ。
事前に許可申請とか必要な施設なのかな? 18/9/17(石川浩司)

2016年の石川さんの生誕祭、原マスミさんがゲストに出演されたライブでのことです。

その原さんを追って関西地方 19/1/12(京都だった気がする)からある女の子(2人組)が遊びに来ていました。ニヒル牛で出会ったのですが、言葉遣いが関西弁みたいだったのですぐわかりました。そこから駅を越えて吉祥寺のマンダラ2へと向かいましたが、飲み屋でご一緒しないかと軽く誘われました。

原さんと石川さんのセッションも楽しめ、ライブも終わり歓談の時間となりましたが、原さんとその片方の女の子と顔を合わせました。
私がいつ言ったのかは覚えていないのですが、その女の子が原さんに「Sankakuさんもシンガーソングライターなんですよ‼」と紹介してくれました。大先輩の前でちょっと恐れ多く軽く頭を下げました(笑)。

たまのメンバーやニヒル牛のミュージシャンのライブでも気になる女の子を何人か見かけました。たまの音楽は、変にかっこよかったり、ファッショナブルではない分、本物を感じ取れる人たちが集まってくる気がします。
たまと出会った時もそうだったのですが、出会ったときは何か理屈抜きで楽しくなり、そして相手を知っていくにつれてその大切さがわかってくる、そんな出会いが理想なのだと思います。 19/1/12(Sankaku)

ああ、それはあるね。趣味が近いと話もできるしね。
誰かと出会っちゃって〜。 19/1/12(石川浩司)

2012年ごろ、「さよなら絶望先生」という漫画の連載が終わり、「キルミーベイベー」というマンガを買ったときに、自分のマンガコレクションはこれで終わってしまったという感じがしました。 それでも、これからも面白いマンガを読みたいということで、桂正和先生の「Is”」(アイズ)というマンガを買って、願掛けをしました。

  忘れもしない2014年ごろ、(今は無い)西荻窪の『パパパパパイン』というラーメン屋さんで「ラーメン大好き小泉さん」といマンガに出会いました。まさしくマンガのマイブームの新章ともいえる出会いでした。
この出会いをきっかけに、「ご注文はうさぎですか?」や「薄花少女」(はっかしょうじょ)とも続けて出会い、私のマンガ人生に新たな息吹が訪れました。 19/7/2(Sankaku)

最近の漫画、ほとんど読んでないんだよなー。読むのは中高生の頃から馴染みの人ばかり。新しい画風って、目が慣れるのに時間がかかるんだよね。 19/7/2(石川浩司)

今から15年近く前、パソコンでいかがわしいサイトを廻っていた時のこと。

エロイラストサイトのリンクを集めた風紀のよろしくないサイトでした。
そこにリンクされているのも、いかにもな名前のアヤシイものばかり。
その中のひとつに明らかに他とは違うオーラを出していたリンクサイトがありました。

「自家用紙飛行機」

なにこれおもしろ〜いと思い、考えるひまもなくそのサイトに飛びました。
そのサイトこそ日本の美少女イラスト界を代表する作家、鳴子ハナハル先生のホームページでした。
とてもかわいらしくて明るく元気で美しい少女たちの饗宴。イラストでありながら恋人にしたくなるような女の子もいました。
私にも共鳴できる世界があるのかと、ある種勇気にもなりました。

ちょうどそのころ、今も続く女の子向けの子供番組「プリキュア」シリーズの第1作「ふたりはプリキュア」(2004)が始まりました。子供だけではなくオタクたちの間でもこの作品は目白押しだったそうです。
私がプリキュアを知ったのも、鳴子先生がそのキャラクターを描いたことがきっかけでした。主人公2人の女の子のちょっとアヤシイひとコマ。エロもお描きになる鳴子先生ならではのものでした。また鳴子先生がお描きになると原作よりも上手く、良くなってしまいます。

2008年には鳴子先生の単行本が出版されましたが、そのときはネットの世界でも大きくニュースになりました。 ただ絵が上手いだけではなく、とても楽しい要素が含まれている鳴子先生のイラストは大きく世界にはばたく夢があります。(今現在、上記のサイトは閉鎖され鳴子先生もツイッターを使っていらっしゃいます) 19/9/26(Sankaku)

俺はその手でエロに目覚めたのは永井豪の漫画だったな。女の子が全員裸で水槽で泳いでいるシーンがあり、何度も何度も見返してフワフワした気分になったのは、自慰を覚える少し前。 19/9/26(石川浩司)

2003年ごろ、プロ野球・巨人軍の桑田真澄 投手が、古武術の術理で不調から復活したとの記事が朝日新聞の土曜か日曜版に特集されていました。
昔の武士の強大な体力や術理の凄さに魅せられ、私もその古武術の指導者・甲野善紀 氏の著作を求めて図書館に走りました。

図書館で見つけたのは甲野先生の処女作「表の体育 裏の体育」(壮神社)という本でした。武術というより近代日本の体育の歴史という感じでした。
その中で特に多くのページをさかれていたのが「聖中心道 肥田式強健術」の項でした。幼少の頃は何度も死の病に見舞われるほどの虚弱児だった肥田春充が、18歳の頃に一念発起して運動に目覚め、常人が及ばぬほどの体力と頭脳を手に入れた記録が書かれていました。
私もそれに影響され肥田春充の著作を何冊か購入しましたが、500ページを超えるほどの本もありなかなか壮大です。

「体が変われば人生が変わる」
甲野先生の教えは私の人生の土台になっています。
また先生の著作からは名越康文さん、桜井章一さん、そして断食博士の甲田光雄 先生などいろいろな才人を知ることもできました。学校をやめてから甲野先生の本を集中的に読みましたが、学校の勉強よりもはるかに刺激的な内容でした。 19/9/30(Sankaku)

ほお、ちょっと興味深いね。桜井章一さんまで。
グータラで体動かすのがめんどくさい俺も何かちょっとは考えないとなー。 19/9/30(石川浩司)

19/9/30の続き

甲野善紀 先生からは限界まで物を緻密に考えることを教わりました。
養老孟司 先生が手塚治虫の漫画に対して文章を書かれたときに「私は権力志向を全く好まない」と発言されました。
それに対して名越康文 先生が異を唱えられました。
「(養老先生は)東京大学の教官という権威ある立場で権力志向を好まないというのもおかしな話だ」

このエピソードから、人がどんな立場からものを言っているのか、常に探るように意識させられるようになったと思います。

甲野先生からは武術など昔の人の体力や技の凄さを教えられました。
しかしそれらを通して、ならばどんな生き方をすればいいのか、それはちょっと分かりませんでした。
新たに模索を続ける中で、2004年10月に新たなる福音が。

「王様の耳~」の中で何度か書いてきましたが『不食~人は食べなくても生きられる~』(山田鷹夫)という本との出会いでした。

甲野先生がある程度有名人になってしまったのに対し、山田さんはほんとに在野の方がもっとすごいことを言っている感じでした。私もこの体をもって、社会参加よりももっとすごいものに参加できる、と思うと心が躍りました。

後年、ジャーナリストの船瀬俊介さんの断食の本に出会い、私の意識も飛躍的に発展しました。
楽しみを追うことも極めればすごいところに行けます。
石川さんのこのホームページも含めて、どこまで行けるのか、情熱をもって追及してゆきたいです。 19/11/2(Sankaku)

継続しなければ生まれないもの、っていうものもあるからね。
空き缶だって、10本集めただけならそれは本当にただのゴミだからね。 19/11/2(石川浩司)

市内にある温泉施設に定期的に通っています。

屋外の露天風呂の片隅で簡単な体操をすることを日課としていますが、ブリッヂ体操をしていたところ、中年の男性が「キミ、身軽だね!」と話しかけてきました。
隣町から来たという男性で、話が弾み、結婚や男女関係の苦労話を披露してくれました。

地味ながらも楽しいひと時でした。こんな楽しいひと時とまた出会えるようにと思う次第です。 19/12/14(Sankaku)

「女性は苦労するよ。男にしなさい。・・・あっ、ワシなんかどうかな?」という展開になったりして。 19/12/14(石川浩司)

2006年頃でしょうか。
東京都 立川通りのレンタルビデオ店でアニメ「Serial experiments lain」〈1998〉に出会いました。
ちょうどVHSからDVDに移行する時期で、そのアニメはVHSで見かけました。
安倍吉俊さんのイラストによる表紙絵は、正にジャケ買いの最高峰。初見でありながら一発ですごい作品だとわかりました。

音楽を担当されたのは忌野清志郎さんの盟友である、ギタリストの仲井戸‘CHABO’麗市さん。
今のアニメ界では絶対無いようなキャスティングも、時代を表しているように思います。

文化庁のメディア芸術祭か何かに出品したとのこと。
知名度など無いに等しいのに、一部のファンからは伝説の名作と称えられています。
またLD〈レーザーディスク〉、VHS、DVD、BDと4つのメディアで作られた数少ない作品でもあります。 20/4/18(Sankaku)

チャボさんいいよねー。昔イベントで一緒になったな。
カメラマンの奥様に雑誌グラビアの写真を撮ってもらったこともあるな。 20/4/18(石川浩司)

19/9/26のつづき

日本の美少女イラストレーターのスターとも言える 鳴子ハナハル先生は、絵がお上手なだけではなく、好みや視点も随分ユニークな方だと思う所がありました。先生の単行本の扉絵から、もしかしたらこの人もつげ義春先生を知っていらっしゃるのでは、と思えるところもありました。

鳴子先生のかつてのホームページ「自家用紙飛行機」には先生の友人や知り合いの方の相互リンクサイトもありました。
エロ漫画を描かれる手前、やはりエロイラストレーターの方のリンクがあったり、田中久仁彦さんというこれまた日本を代表するイラストレーターなど、いろんなサイトのリンクが貼られていました。

その中でも特にユニークだったのは、ショートショートの鬼才と言われる漫画家 戸田誠二先生のサイト。
戸田先生の作風を説明するのは長くなってしまうのでここでは省きますが、この方が鳴子先生の相互リンクにあった方の中で一番面白かったです。

2006年ごろ『音楽と人』という雑誌の中で「音楽と漫画と人」〈後年に単行本化〉という漫画連載をされていましたが、私が見たのは、たまたま全作品の中でも割とひねりが効いていて面白い一遍でした。
しかし全体的には、ミュージシャンの苦労や夢を語る、割と真面目な漫画だったようです。とても質の高い短編漫画ではありましたが、たまやニヒル牛作家、そして「地下生活者の夜」のミュージシャンを知っている私にとっては、たかが知れているところです。所詮はエレキギター中心のカッコいいミュージシャンしか取り上げられていませんでした。 

後年、私も戸田先生の単行本を入手し鳴子先生の御本と隣り合わせて本棚に置きました。
鳴子先生も随分度量の深い方だと思いました。絵がお上手なだけではなく、ストーリー漫画も大変に感動したことがあります。 20/4/18(Sankaku)

漫画家でつげ義春を知らない人はいないと思うよ。手塚治虫、藤子不二雄と並んで漫画の教科書的な人だからね。 20/4/18(石川浩司)

ミュージシャン・山下達郎 さんのお言葉に、
「自分は3年早く生まれても、3年遅く生まれても、音楽をやっていなかった」
というものがあります。

私とたまの出会いもまさしくこれだったかもしれないと思いました。
井上陽水さんから音楽を聴き始めた頃に、図書館で「たまの本」を閲覧することができましたが、写真で何だか石川さんが得たいが知れないと思っただけで、特に何の感慨もありませんでした。

やはり、井上陽水や忌野清志郎で、自分の、音楽を聴く土台、探し当てる土台が出来てきてこそ、たまを見つけた時に反応できたのではないかと思っています。
本当に世の中は、出会いのタイミングというものがあるものだと思いました。 2021/5/15(Sankaku)

俺たちもイカ天にタイミングよく出られなかったら、今は全然違ってたろうな。 2021/5/15(石川浩司)

石川さんたち、たまのメンバーのライブで出会った女の子がいました。
中国地方から来たという人で、宿泊にネットカフェをよく利用されていました。
私を見るとなぜか必ず、「あ、Sankakuさんだ!」と言ってくれました。

ちょうど出会った頃は、私は機嫌が悪く、無様な姿を見せてしまった事が心残りです。
ライブに行く機会がなくなり、今はもう会えませんが、気になる女の子でした。  2021/9/3(Sankaku)

顔馴染みのお客さんがパッタリと来なくなると、寂しいのと同時に何かあったんじゃないかと心配になるね。
ここの投稿の常連さんでもそう思う。 2021/9/3(石川浩司)

2004年、知久寿焼 さんのライブを観に、初めて東京都青梅市に行きました。
会場はカフェ「夏への扉」
たま関係者としては初めてのライブでした。

2007年、私の自転車のお出かけの躍進のキッカケとなった出来事で、埼玉県名栗村〈現在は飯能市〉や東京・奥多摩との出会い、更には青梅市の再発見がありました。
青梅駅の近くに永山公園という運動場があり、そこにある、戦争に貢献した人の慰霊碑に私は定期的にお参りに行っています。
それこそ、自分の躍進のキッカケになった出会いに感謝して、お菓子などをお供えすることもあります。
私が1人暮らしを始めた次の年〈2015年〉の11月、青梅に行ったとき、永山公園のすぐ近くにある「夏への扉」に入店しました。
その頃は、自転車でいろんな所に行っても、何かしらの店にほとんど入ることもしない事を味気なく感じるようになり、徐々に店を意識するようになったでしょうか。

店の入り口にはタルトケーキしか宣伝しておらず、まさか今でも続く結構なサプライズの料理があるとは思ってもいませんでした。
店に入って席に着き、メニューを見てカレーライスを発見。本当に軽い気持ちで注文しました。
米飯は玄米が使われており、カレー自体も家庭のカレーを上手くお店向きにしたような味わい深いものでした。
野菜が豊かに入っていて、それにチキンの肉を絡めると、本当に美味しかったです。
実に印象深く、後年には、これは神様にお供えできる物である、という見解にもさせてくれました。

また、特性クッキーも楽しみのキーポイントになりました。店の個性や独自性が充分に出ている逸品!
何度か人に差し上げた事もあります。これも神様にお供えしたことが何度かありました。

私にとって、本当に楽しみを見つけるには事欠かないようです。
本当にちょっとした心のはずみで、楽しみのライフラインとも言える物に何度か出会ってきました。
自分で見つけたのか、神様が導いてくれたのか、どちらともとれるところが絶妙です。  2022/8/13(Sankaku)

へー、おいしかったんだねー。新所沢駅前の「キッチンサン」のカレーライスも食べてみて。カツカレーは駄目。あくまでノーマルなカレーライスね。これが俺が世界で一番好きなカレーライス。
まぁ、何の変哲もないのだけど、子供の頃に母親が作ってくれたカレーライスに一番似てるからなのかもしれない。 2022/8/13(石川浩司)

2014年8月、私は1人暮らしを始めました。
2022年で実に8年。楽しい事もたくさんありました。
やはりある種のビギナーズラックとも言うべきか、始めた頃は刺激的な出来事もありました。
どうしてもある程度、家族や同居人のことも気遣わなくてはいけない暮らしに比べ、自由気ままにいろんな事をやれる1人暮らしならではの楽しさでした。

2014年2月に先輩の男性・Sさんのお宅に初めて遊びに行き、そこから始まったお付き合いの中で、耳寄り情報もいくつか教えていただきました。
今でも続くサプライズは、個人経営の食堂「ささ山〈和食の食堂〉」〈所沢市小手指【こてさし】〉との出会い。
私にとってナンバー0〈ゼロ〉のお店です。
昭和から続いているお店らしく、今現在でも躍進されている様子です。〈2021年8月に改装工事をされて、店のつくりも快適に綺麗になりました〉
この店のメニュー「ヤッコ定食〈豆腐と焼き茄子〉」は個人的には地域ナンバー1の健康食だと思っています。
私の自宅のすぐ近くで、手軽に美味しいものが食べられる感じです。人によってはこの店のメニューは安くて美味しい、という人もいらっしゃいました。

1人暮らしを始める前は、一端に不安も感じたけれど、いざ始めてみるとやはりとても自由で楽しかったです。
やはり長い人生の中で1回は1人暮らしをしたほうが、締りも出るのではないでしょうか。
責任も背負いつつ、それでも自立の基に自由を楽しむ。
『孤独の機動力』というものを存分に感じられれば、と思います。  2022/8/13(Sankaku)

俺もひとり暮らし8年間ぐらいしてたなあ。もっとも友達の溜まり場だったので、ひとりでいられる時間はそう長くはなかったけど。
でも今も平日の昼間などは妻がニヒル牛に行ってるので、ほぼひとり暮らし感覚だけどね。誰にも見られない時間って、楽しいね。 2022/8/13(石川浩司)

大学時代から仲良くしてもらってる先輩
出会いは部室内でYMOの名前をあげたところ 音楽仲間として認知してもらえました。
その後もドライブに連れてってもらったり 美味しいご飯をごちそうしてくれたりと
ありがとうございます 2023/9/11(ズミ天)

たまやパスカルズでもYMOみたいになれればいいんじゃが...。 2023/9/11(石川浩司)


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