話題28 死後の自分の視界



「サーカスの日」の歌詞を思い浮べると、死後の自分の視界はどんな物かと考えがちです。今私は17ですが、1年が瞬く間に経っていくようで、年を瞬く間に食って、ジジイになって逝く日もそう遠くない気がします。石川さんや、このHPを閲覧している方々はこの事についてどのようにお考えでしょうか?(Hi-)

***レス(発言は古い順に並んでます)***


 年を取ることは、「しょうがねーなー」と思う以外、どーしようもない。俺なんて41だもん。確実に人生の半分終わっとるもんねー。しかも80まで生きたとしても、80じゃ、今と同じようには、動けないのもわかってるし。と考えると、確かに人生短い。
 だからせめて日々、「自分なりに」充実させて、その間にいろんな経験して、人生楽しんだほーがいい気するなー。あっ、でも広い意味での「楽しむ」だからねー。何も毎日遊び呆ける事が「楽しむ」ことの全てじゃないよ。そこは勘違いしないよーに。「死後の自分の視界」も知らねー。どーせ誰にもわからないものなんだから、楽しいものだと思っとこっと。(石川浩司)

1年が瞬く間に経ってしまうのは多分一日が充実しているからだと思います。すごくいいことだと思います。
死後の視界ですが「年をとると子供に戻る」と誰かが言ってました。
だからだんだんもどっていって自分が死んだあとには誰かのおなかの中にいるんだとおもいます。
おなかの中にいるときの記憶がないように、死んだあとは視界なんてないんじゃないかな。
もし死後の視界があるとするなら、今と同じ様に生活してる。ただし生きている人は見えないで、今まで死んだ人たちだけしかみえないの。
霊感が強い人がいるように、生きている人の姿を見れる、死んだ人もいるよねきっと。
と私は思いますが。03/2/20(めめ22歳)

テレビで見たんだけど、オーストラリアの原住民の老アボリジニに、
「人は死んだら、どうなるんでしょう」
と聞いたら、ごく当然のように、老人は空を指差した。
 ・・・人は死んだら、一陣の風になるらしい。03/2/20(石川浩司)

私は、死んだら夢の世界に行くんじゃないかなぁと思ってます。
目を開けているときの夢じゃなくて、寝て見る夢の中に。
あんな理不尽なことがまかり通ってる世界ってすごいと思う。

ほんとは、起きてるが夢で、
寝てる世界がほんとの世界だったりして・・・。 03/2/24(ともこ)

ハッと気づいたら自分はただの河原の石ころで、人間になった長い夢を見ているだけだったりな。(石川浩司)

前にTVで、前世の記憶がある30代のロシア人女性を見た事があります。彼女は前の人生もロシア人で,死んだ場所も覚えており、死んだ時20代で現在60代の息子さんとご対面してました。やっぱ死後の世界があるんならこんな風に生まれ変わるのがベストだと思います。自分より年が上になっている自分の子供と対面するのは怖すぎですが。  03/4/7(Hi-)

人は死んだら何になる。一言で言えば『霊魂』ですよね。死後の世界についてはいろいろな意見がある。でも輪廻転生という言葉があるように、万物は何度も生まれ変わり永遠に続いて行くものだと私は思っている。聞いた話によると、霊魂はあちらの世界でもこの地上と同じように普通に生活しているそうなんですって。でも、例えこちらの世界で夫婦だとしても死んだからといって向こうですぐに会えるわけではないそうな。ましてや、心中なんてもってのほかで、あちらの世界に行くどころか念として現世にとどまる事の方が多いそうな。
交通事故で即死とかも、自分が死んだのがわからず現世にさまよっている場合がほとんどですね。なんかマニアな世界になってしまいましたが・・・。  03/6/2(たらこそば)

霊魂や輪廻転生と思いたい人はそう思えばいいし、なーんもなくなっちゃうと思いたければそう思ってもいいと思う。ただ人は「なーんもなくなっちゃう」という事がどういうことなのか、想像するのが難しいんだけどね。 03/6/2(石川浩司)

ハッと気づいたら〜・・・の石川さんの発言。怖いです。
あぁぁ・・・そういうネタほんと怖いわ。
うぉぉぉ・・・・・・あ、死んだら何も無いと思います・・・。  03/7/7(勾丞)

石川さんのなーんもなくなっちゃう発言は、一瞬、地球上の生体すべての破滅を想像してしまいました。地球もかっては月みたいにな〜んもなくて、そこに水が生まれ現在の地球へと進化していったんですよね。何も無いところから始めるのはとても時間のかかるけれど、それを壊すのは一瞬でできるという事。
それが一番怖いですね。地球自体が一瞬で壊れたら死んだ人々はどうなっちゃうのでしょうね。人類という文化自体が消滅してしまうわけですから、ほんとうになーんもなくなっちゃうかもしれない。人が死んだらどうなっちゃうんだろう?という疑問を持つ人が増えているのは、近い将来の地球の破滅を暗示しているようである意味こわくなってしまいます。 03/7/14(たらこそば)

「人は死んだらどうなるのか?」二つのHPを発見しました。

http://www.believers.org/jp/jbel161.htm (聖書)

http://www.tomo-net.or.jp/sermon/leaflet/08.html (真言宗)

この二つを比較してみると国土思想の違いがあらわれており、なかなかおもしろいです。 03/7/21(たらこそば)

空を見ながら土手を歩くと、川に融合したような気持ちになります。
自分のもろもろの意識や雑念が無に近くなった時、死に一番近い場所にいるような気がします。(サボテン)

たらこそばさんの意見を聞いて9.11のテロ事件を思い出しました。あの時、僕はAMラジオを聞きながら風呂上りの頭を乾かしていました。その時の司会者の慌て様、その後に出てきたアナウンサーの息切れしながらのニュース。
 冗談かと思いました。そして今、再び恐ろしい言葉を聞きました。”「なーんもなくなっちゃう」という事
がどういうことなのか”。なんの破壊行動もなく、痛みもなく、悲しみもない。テレビの電源を切るように一瞬にしてそれまでの楽しいことが消えてしまう。そこにあるのは”無”・・・あるのに”無”。あたまグルグルかいてんに出してみよ。誰か答えられるかな?  03/7/21(そもさんせっぱ)

テレビの電源を切るときのように、パッとすべてが消えたら恐ろしいよね。でも、どうせ消えてしまうのなら戦争などの破壊行動ではなくて本当にフッと消えてみたい。悲しいというより、いっちゃたんだなぁ・・・・って思えるから。老衰でなくなる人を見てもそんなに悲しくないって言うでしょう?あれと同
じ感覚かな? 03/8/4(たらこそば)

でも本当は科学的には死んだ時にはもう「何かを思う脳」自体が死んでるわけだから、本人は本当に何も感じたり思ったりすることもないんだよね。夢のない話しだけど。現実には、まわりの人達の「思い込み」だけなんだよね・・・。03/8/4(石川浩司)

今にも死にそうな人を大きい秤の上に乗せて体重を量って、その人が亡くなってからの体重と比べたら38グラム軽くなっていたから、魂の重さは38グラムだ、というのを聞いたことがあります。ホントかな。体液の蒸発じゃないの? 霊魂というのは人の想像力の産物、だから宗教というものができたんだと思います。死んだら何も見えない、何も聞こえない、何も感じない世界だと思います。人間は主観の生き物だから、自分の世界が終わった時点で自分以外の世界も消滅するように感じるものだと思います。 03/8/11(のん)

そう。だから自分が死ぬのと、地球がなくなるのは同義。 03/8/11(石川浩司)

ああ、のんさんのおっしゃるの聞いたことがある!!ってかNHKではかってるの見た。大昔に。なんてことするんだー!と思ってみていたのでよく覚えている。
あ、石川さん「悲しいというより、いっちゃたんだなぁ・・・・って思えるから。」というのは死んだ本人の気持ちじゃなくて、残された人の気持ちですよ〜っ。 03/8/18(たらこそば)

よくサバンナのドキュメント映像で、ガゼルやゼブラがライオンやハイエナに食されているシーンが流れますよね。あれを見ると、死とはそれ以上でもそれ以下でもない、美しくもなければ汚くもない、ただそこに在るだけと感じます。
 死後の世界ってどうなんだろう? という考えなんてまったく及ばない荘厳さすら感じます。
 人間は動物とは異なる存在だと思いますが、それでも生態系に組み込まれていることは変わらないと思うので、人にとっての死もサバンナの動物のそれと変わらないのでしょう。生まれ変わることもなければ、別世界で生き続けることもない。ただ死に土に還っていくだけ。03/8/18<ブルヒータ>

人によってバラバラだと思うんです。自縛霊になって、いつまでもそこに居座ってる人もいるし、フッと成仏して「無」になってしまう人もいるし。ひょっとしたら、皆さんの仰るように、何かに生まれ変わる人もいるだろうし。でもさ、前世なんか覚えてても何の役にも立たないと思うんだわ。例えばいきなり自分の前に自分よりだいぶ年下の人が「ああ・・・わしの娘(息子)よ」とか言って泣かれたら困るっしょ?
まあ、死んでしまえばそれでおしまい。コンピューターみたいにリセットはきかないですよ。03/8/25(たにし係長)

あとやたら「前世は織田信長」とか誰でも知ってる有名人、多いよね。そんなはずあるか!! 03/8/25(石川浩司)

私たちは、生まれる前の記憶はありません。死んだ後も、それと同じだと思います。しかし、ぼくは、生まれる前のことを不安に思わないように、死んだ後のことも、特に不安に思っていません。でも、死ぬことそのものは怖いです。それは本能的なものだと思います。03/9/8(真心)

そうだよね。生物としての本能として死は怖いのかもね。だってその後どうなるのか、本当に誰にもわからないし、教えてももらえないんだものね。
 初めて海外旅行に行く人が感じる一種の恐怖感の巨大な物かもね。 03/9/8(石川浩司)

小説で読んだのですが、霊魂などの存在を信じてない人でも納得できる死後として「人は死んだらひとの心のなかへ行く」というのがありました。死後に天国や地獄がなくてもこう考えたら、好きな人達の心のなかの私が嫌な人間にならないように日頃の行いに気をつけようと思えます。
覚えてる人がいなくなったらおしまいだと思うかもしれないけど、生物の本能って経験を繰り返して培われるものだから記憶って遺伝するそうですよ。もちろんはっきりとは伝わらないけれど、どこかに遺ると考えたらちょっといいな。 03/10/21(うろたえ太郎)

でも、自分のいなくなった後の世界を近くて多い場所から眺めるのって辛いですよね。今までの生活が、自分抜きで淡々と繰り返されているなんて私には耐えられません。ある意味拷問に近いです。 04/1/5(くにゅ)

ふだん眠りに落ちた直後の記憶もない。 死ぬとき意識が遠のいたら「すぅー」っと同じように、今が終わってしまうんだろうな。
最近わたしも、あっという間に老人になるような気がして、子供のころ思い描いていた、「人の一生」というものの大きくて長いイメージが一変してしまい、とても心細くなっていました。でも、「話題124  お葬式」のなかで、自分の死後にも「家族に会えるよ」と石川さんがシンプルに言い切ってくださったことが胸の中にグッと入ってきて、不安が薄れてゆきました。04/3/22(杏)

1度、ひどい風邪を引いた時、下痢等の体調の悪さが重なって、心臓が止まったことがあります。
救急車で運ばれて、電気ショックを与えたりしたんでが、なかなか生き返らなかったそうです。
勿論、なんとか奇跡的に生還できたので、今ここに居る訳ですが、三途の川ですとか、綺麗なお花畑は見ませんでした。
案外、死ぬ時って、あっさりしているんじゃないかしら... 04/4/5(涼)

俺も子供の頃医者に「今夜が峠ですね」と言われたことが二度ほどある。峠からは何も見えなかった。04/4/5(石川浩司)

たら姉の貼ったリンク先の真言宗。
人は死んだらゴミ、というのが書いてあったけど(真言宗がそういったわけでなく)
あぁ、そうかもなぁ、なんて思ったり。
いつかお墓の埋めるトコ(ゴミの埋立地)がなくなるくらいになったらどうしよう。 04/4/12(勾丞)

僕は死んだら「無」になると思ってます。なので葬式とかはやらないで、火葬だけしてもらって、骨は粉々にしてもらい、真夜中こっそりと近所の植え込みに撒いて栄養分にしてもらいたいです。
よく考えたら人間の食卓は動物の死体置き場ですね。 04/4/12(ペロ)

俺もみんなに食べてもらいたい。粉々にして粉末状にしたら、そんなに気持ち悪くないと思うけど。 04/4/12(石川浩司)

お墓という概念が自分には解からない。一家が途絶えたら、自分の死後、そのお墓はお墓としての体をなさなくなってしまうんでしょ。勿体無い。結局死んだ後で、自分の存在した事を忘れてもらいたくないから、墓を立てるのだと思うなぁ。04/4/26(T.E.E.)

うちも両親が死んで俺の兄弟も死んだら誰も子供がいないので、石川家そこでおしまい。04/4/26(石川浩司)

僕が結婚しなかったら、石川家の養子に行くので心配しないで下さい。
マダムソース、空き缶、ラーメン、コレクション類は全て僕の物。ふっふっふ。04/5/10(ペロ)

持参金は1億ぐらいでいいですよ。04/5/10(石川浩司)

1億ウキュピでしたら、10年くらいで貯められるかな? 04/5/24(ペロ)

死後の世界に対しては何も判らないけれども、先だって母が亡くなった時、当日は死後硬直のせいか、それとも亡くなり方が普通ではなかったせいか凄く苦しそうな面持ちをしていて「この人はこんなに苦しそうな顔をして逝ったのか」とすごく辛くなりましたが、死後3日も過ぎると亡くなって筋肉が働くなったせいか生前でも見られなかったほどの安らかな顔に変わっていてそれは単純に身体の造りがそうなっているのだけれどもその面持ちで「ああ、もうここにはどこにも居ないんだなあ」と思ったりしていました。

友だちには霊感とか強い子が居て死んだらたましいが残るって強く信じている子がいてそれを違う!とは思わないけれどもやっぱり身体あっての心とも思います。でも、死んだら何もかも消えちゃうって本当にそうなのだろうけどちょっと寂しいかな。 04/5/24(しおり。)

自分の死後の視界…。生きる前に戻るんでしょう多分。覚えてないから怖いけど。 04/5/24(あきたけ)

でももしかしたら今だって「生きているという夢を見ているだけ」なのかもしれないしね。それは誰にも証明できない。証明できるのは「まぁ、考える葦以上ではあるんじゃないか〜」という程度の楽観的予測だけ。 04/5/24(石川浩司)

私は死後の世界なんてないと考えてます。
単純に生き物が死体になるだけ・・・って感じ。
でも頭ではそう思っているのに、
幽霊の話とかには怯えてしまいます。(汗
死んだらどうなるのか死んだ事ある人に教えてほしいですね。^^;   04/8/2りあ

この地球のどこにも死んだことのある人がひとりもいない。なんか不思議。04/8/2(石川浩司)

内臓とか骨が自分で見れないのと同じで
タマシイも見れなくて
目は、レンズがあるから見えてて
ココロの目は・・・
と、体の構造と見えないモノが頭を往来しちゃいます

血が身体を支配してる・・・んだろうなあ・・・ぐうぐう

寝るのと死ぬのと似てるから、子供は夜泣きするってどっかで聞きまいた 04/8/9 もじゃ藻、

死んだら、まず自分を上から見ているように思います。その後、真っ白な世界に行って、そのうち真っ暗な所に行って、そのうちまた産まれてくるように思います。きっと何かの受け売りでそんなイメージがあるのだと思います。
たらこそばさんのスレでありましたが地球全部が無くなったらどうなるんでしょうね。もう産まれようもないですもの。原爆の真下にいて、一瞬で蒸発してしまった人なんかは、本当にスイッチを切ったように消えてしまったんですよね。自分が「消える」ってイメージはなかなかうかばないな。
そういえば星も生きているんですよね。太陽も地球も、そのうち死んでしまう。太陽あたりはブラックホールになるのかな。そして新たに星が生まれる。
死んだら空の星になるって、あながち嘘じゃないようにも思えてきました。 04/8/9(きぃ)

自分が死ぬことは自分にとって地球がなくなるのと同義。だって自分がいない地球はないのと何ら変わりないもの。04/8/9(石川浩司)

もじゃ藻さんの「死ぬのと寝るのと似てるから子供は夜泣きする」って話、なんかわかる気がします。子供と死は近い。特に昔は。
子供は無に近いと思う。 04/8/17(きぃ)

私も幼い頃心臓が止まりました。仰天した両親が大急ぎで病院に連れて行ってくれ、なんとか蘇生したのですが、目を覚ました私は私は何ともきょとんとした顔をしていたそうです。心臓が止まったという自覚が無いばかりか、私はその件に関して全く覚えてすらいないのです。そう考えると、死ぬ間際以後はそう苦しいものではないのかも。でもまだ死にたくないな。。 04/8/17(モザイク)

俺も子供の頃は心臓停止はないけど医者に「今夜が山田」と言われたことが二度ほどあるらしい。体温が42度を越えて体温計のメモリで計れなかったこともある。生きてて良かった〜。04/8/17(石川浩司)

「今夜が山田」 …こういう話題において不謹慎にも爆笑してしまいました。あと、メモリでは計れないって…あぁ苦しい。  04/9/6(のん)

石川さ〜ん。医者に言われたのは「今夜が‘山場’」ですよね・・・・!!(笑)

「今夜が山田」はダウンタウンの番組での最近のベタな定番ギャグを引用しただけです・・・。  04/9/6(石川浩司)

私は死にかけた記憶はないのですが、産まれて数ヶ月で下痢が止まらなく一人で都会の病院に入院していたらしいです。親はいつ死ぬか相当心配したらしいですが、どうやら悪運が強く今まで生きています。

死の淵から帰還して超能力を持った!って話には単純にあこがれがあります。瞬間移動出来るようになるんなら良いかなぁ(笑)
悪さはしませんよっ。車や飛行機の代わりに瞬間移動したいだけです!嘘じゃない〜! 04/9/6(きぃ)

「今夜が山田」と「腰振りおばちゃん」の無表情さが好きな僕です。 04/9/13(ペロ)

腰振りおばちゃんは確かにいい。役者さんなのかな? 04/9/13(石川浩司)

腰振りおばちゃんは時々バラエティー等にエキストラで出演してる所を観た事あります。 04/10/26(ペロ)

死んだらただのモノになると思う。仕事柄、よく人の死を見るのだが、なんかほんと死んだ瞬間「モノ」だなーーと思ってしまうんですよねー。04/12/20(さっちゃん)

(・_・)/先生!モゴモゴにはあまりパワーがないと思われます。04/12/20(ペロ)

さ、さっちゃんさんの職業は、スナイパー???05/1/17(ペロ)

たぶんそうでしょうな。もしくはカラス。 05/1/17(石川浩司)

はとの様な気もします。05/4/13(kyuuri)

はとおいしいよ。05/4/13(石川浩司)

鳩山邦夫の顔は怖いです。05/4/18(ペロ)

はとサブレは美味しいです。05/7/4(ペロ)

鳩って共食いする鳥なんですよねー。それが「平和の象徴」なのはイ・ミ・シ・ン。05/7/11(かなめ彦)

心臓が動いているか止まっているか、たったそれだけ、物理的にはたったそれだけのことなのに、生命体は一瞬にして物体になってしまう。何度か身内の死に顔を見た時、場合によっては死に化粧した顔が生前よりも美しく見えたりした時に、「なんで動かないんだろう。まだ何か、脳は機能しているんではなかろうか」という感慨に浸ってしまいました。しかし同時に、目の前に眠る死者が生を受けてから、心臓が止まる最後の一瞬までのすべての記憶、経験、感情、物語、人間としての全人格・・・もしかするともう少し生きるつもりであった将来の希望、そういったかけがえのないものが、瞬時にすべて無に帰すんだな、と世の無常を感じました(他者の中の記憶や、生前に世に出した表現の記録などが本人の死後も残るということは別にして。あくまで本人の「生」の中におけるもの)。

なんか、人間に限らず、生命体というものは精密機械のようなものだなと感じます。そして、心臓以外にも生命の営みを左右する臓器はいくらでもあるでしょう。そんな精密機械が、60年、70年、80年・・・と齢を重ねた方々の中で、あっちこっち修理しながらも動き続けているということに深い畏敬の念を覚えます。同時に、自分自身、30余年間、機能が止まることなくなんとか無事に動き続けてきたことがとても幸せなことだなと思う反面、一方でそのような精密機械のどこかに、いつ不具合が生じても不思議ではない、という諦観も。ああ、真夜中にひとり、生老病死を想う・・・。 05/8/3「Fuck-Dah」

子供の頃、静かなところで寝ていると自分の心臓のトクトクという音。ピタッと止まるんじゃないかと怖かった。 05/8/3(石川浩司)

そうそう。私も時々そうなりますね。「(心臓が)なんか変…いやっ大丈夫大丈夫大丈夫」ってよく自分に言い聞かせてます。05/8/15(あきびん)

割とみんな経験あるんだよね。05/8/15(石川浩司)

私も子供の時に似たような経験が。
別に病気しているわけでもないのに、眠っていてこのまま二度と目がさめなかったらどうしようとか変な心配をしてしまったことがありました。
それを人に話したら、「それやったら全然苦しまずに楽に死ねるってことやん」、、、て(^_^;
た、、、、たしかにそうですけど…。  05/8/22(あるみりゅう)

うちの長男は保育園の頃、夜布団に入ってからたまに泣いてました。「どうしたの?」って聞くと「死んじゃったら皆に会えなくなっちゃうでしょ」って。想像したら悲しくなったらしいのですが、なんと繊細なんだろうと驚きました。私はどうだったのかな〜、そんなこと考えたこともないかも・・・。
でも漠然と「死後の世界」は有ると思っていて、そういう本とかは読んでましたね、昔から。死んだ後に見えるのは、死んだ人が集まる世界じゃないですかねー。この世の物が見えるとしたら、それは成仏出来ていないのかもしれないです。05/9/5(かなめ彦)

俺は死者の「気」は生者が無意識に産み出しているよーな気もするのだけど・・・。 05/9/5(石川浩司)

生者が死者の気を生み出すというのは真理だと思います。
我在る故に我思うではないですが、気があってそれを人が思うのではなくて人が思わなければ死者の気なんて存在できないと思います。

よく思うのですが、霊なんかも、先の大戦で広島の原爆とか各地の空襲でたくさん市街地で人が死んでいるのに、しかもその人たちは苦しんで死んでいるのにその意味では市街地は霊だらけで霊感強い人は絶対に踏み入ることのできない場所だと思うのですが市街地で霊を感じて行けないなんて聞いたことないですし。
たいてい聞くのは薄暗い場所か、なにかいわくがある場所。
霊を信じる人には悪いのですが都合がいい解釈(たいてい日本兵だの、武士だの・・・、いつの時代にも苦しんで死んでいる人いるだろうに、霊に賞味期限あるのか)が多いと思います。05/11/29(kyuuri)

その通り!05/11/29(石川浩司)

私は人も動物も死んだらそれまでだって思っていて、死者を感じる気配は生きているときにその人が残していった気配だと思っているので、死んでから私の第二の人生があるとは思っていないのですが、あったとしても、私はそんなのほしくないなって思います。
もしも、旦那よりも先に死んでしまうことがあって、あの世なんてあって、私の墓の前で「お前に紹介するよ。この人と結婚しようと思う。きっと君も喜んでくれるよね」なんて言われた日には悲しくてどうにかなってしまうと思うのです。
でも、私が死んだらほかのお世話してくれるお嫁さんをもらったほうがいいとも思うので、死んでからのことなんて見たくないから死んだ瞬間いい思い出と共に消滅してゆきたいなぁと心底思います。じゃないと怖くって死ねません。 07/6/19(ことり)

霊魂は生きている人が「作って」しまうもののような気がしてしょうがない。たぶん現実は一瞬にして消滅。♪はい、それまーでーよー  07/6/19(石川浩司)

死んだあとに視界なんてないといいな。
生き物は死んだら物になると思うとです。  07/7/30(りあちゃん)

単なる塵芥になります。それ以上でも以下でもないです。  07/7/30(石川浩司)

私は5歳で心臓の手術をしました。麻酔をかけられて手術室に運ばれていく自分が最後に見たものは「時計」でした。無事手術が成功して目覚めた時に見たのも「時計」でした。だから死というと「時計」を思い出します。手術前は子供心に「死ぬのかな」と思ったけど、案外平気でした。何も覚えてませんし、上手く言えませんが、死とはそういうものだと思います。

ちなみにGさんの「夏の前日」は私の持つ死のイメージにすごく近い。だからいい曲だとわかっていても怖いです。  07/8/16なつめ

Gさんは日常のちょっとした不安感とかを詩にする天才だからなぁ。俺にはあんな鋭敏な感覚はないなぁ。  07/8/16(石川浩司)

蓮は咲いてないでしょうね。時空の旅をしまくりたい!! 07/11/28(基次郎)

やっぱり素っ裸なのかなぁ。というか肉体がないのか・・・。ところで肉体がない、即ち目がないのに一体どうやって物を見るのだろう。07/11/28(石川浩司)

産まれる前になにもなかったのと同じように、死んだ後もなにもないのだと思います。 08/1/30(ねこじん)

産まれる前のことを何も覚えてないのと同じで、死んだ後の世界があるとしても、この世のことはきれいさっぱり忘れちゃうのかもね。
・・・なんかちょっと切ないね。 08/1/30(石川浩司)

死後の世界なんてないといいな。
自分の死体も見たくないし泣いてる人たちもみたくない。 あ、泣いてる人がいなければ関係ないけど^^; 08/6/28(りあちゃん)

みんなにゲラゲラ笑われて棒で死体を突かれていたら、もっと見たくない・・・。 08/6/28(石川浩司)

死ぬ夢を2回、見た事があります。撃たれて死ぬ夢では、だんだん視界が暗くなりその瞬間にガバッと起きました。とても怖かった記憶があります。あと着衣着火して死ぬ夢も見ました。たぶん、地味に怖いと感じながらもすーっと意識が遠のく感じで死ぬのかなぁ…と自分なりに思っています。
それと、TVで見知っている女優さんなどが亡くなるとすごくびっくりしてしまいます。 08/10/12(ゆら吉)

死ぬ時は、自分が予想もしなかった死に方をする気がしてしょうがない。
普通に考えたら俺は成人病で死ぬと思われるんだけどね。
残念ながらその答えが出た時、俺はそれを確認出来ないという事実。 08/10/12(石川浩司)

「私たちは本能で生きていて、また、本能で死んでいくんだ、という気がします。本能で生きようとしている反面、本能で死に向かい死のうとしているのだと思います。相反する生と死が同じ本能にカテゴライズされているのなら、産まれて来て生きている事を恐れない限り、死も同じように恐れる物ではないと思いました。」 08/10/26(ももこ)

死は生の中にあって、なおかつ生の外にあるからね。 08/10/26(石川浩司)

小学生の頃、人は生きてる間にものすごい数のまばたきをして、 それがカメラのシャッターの役目をしている、そして死んだときに、それがぜんぶ写真になってきて、全部をアルバムに整理し終わったときに、生まれ変わって次の人生がはじまるんだと思っていました。その時の担任の先生が大好きだったので、たくさんまだたきして先生を撮っておこう!と思って授業中必死にまばたきしてました。  08/11/28(どんぐり子)

あぁ、でもそれ本当にあるかもね。科学的にも。目だけじゃなくて、耳のシャッターも、鼻のシャッターも、唇のシャッターもあるかもしれないね。  08/11/28(石川浩司)

臨死体験した事があるのですが見えた世界は白みがかった、みたことのない場所でした。
空は水彩で描いたようなオレンジ色で、とおくに数人の人がぽつぽつ居て。
あんときはこーゆーの信じないあたしでも、「死後の世界ってあるのかなーと思いましたよぉ。」 09/1/27(りあちゃん)

実際見ると信じるね。
科学的には死を予期してドーパミンがそういう映像を見せてるのかね。一種の幻覚作用。  09/1/27(石川浩司)

高校のときの同級生が「人は死んだら何にもなくなるの。それで終わり。真っ暗。」なんて何の根拠もないけどそんなことを言っていて、その時はショックでした。そんなんじゃ悲しすぎるし何しろつまんない。死んじゃったらおばけになってうろうろしたり、変なイキモノに生まれ変わったり、その方が面白いのでそう考えるようにしてます。 10/9/19(可南)

実際誰も本当のところは分からないわけだしね。
ならば楽しい想像した者の勝ち。
考えてるのは、生きている自分なのだから。  10/9/19(石川浩司)

死後の世界というものは見たことがありませんが、私には所謂霊感と言われるものがあり、一度だけ波長があった女の子の幽霊がいたのでお話を聞いてみました。
死後の世界 という概念は無いみたいで死んでもただ、今まで通りの世界が変わらず動いてるのが客観的に見えるだけみたいです。
だからきっと私が死んだら、そこには私の葬式の準備やらなんやらでてんやわんやな家族が見えるんだろうなあとぼやぼや考えています。
死なないと分からないことはいっぱいあるので一度試しに死んでおきたいですね笑 11/7/29(ササキマッケイ)

んー、多分その幽霊の妄想、もしくは希望的な願望だと思う。
死んだら何も見えまへん。
なんで知っているかというと・・・。 11/7/29(石川浩司)

私は一度死んだことがあるみたいですが、生まれる前だったので、どうなっていたのかわかりません。へその緒が首に巻き付いて呼吸ができず、心臓が止まっていたらしいです。 11/8/7(可南)

俺も逆子で首がなかなか抜けずに結構危なかったみたいすー。
お互い産まれてこられて良かったね! 11/8/7(石川浩司)

亡き祖父の七回忌の法事に行ったときに、お通夜、告別式、四十九日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、三十三回忌、と時を経るに従い、だんだんと故人の思い出を語る人も少なくなっていき、だんだんとこの世の中から消えてなくなる、というような話 12/6/8(大意)を、お坊さんから聞いたとき、ちょっと腑に落ちるものがありました。死後、33年後に自分のことを覚えている人なんて、ほとんど誰もいないと思うのです。今までの人間の生の営みにおいて、死んでいった人の記憶は、忘れ去られることの歴史だったと言えるのではないでしょうか。当然、私も忘れ去られる、ちっぽけな存在であります。と、そんなことを今、思いました。  12/6/8(波照間エロマンガ島)

そうそう悠久の時間の流れの中では人の死なんて、髪の毛が一本抜けて誰も気づかないうちに風に飛ばされるが如く。
どうせ忘れられちゃうんだから好きなことやらないとね。とことん。 12/6/8(石川浩司)

わわっなんだか面白そうなコーナーだな。っと見ていると皆さん色んな死生観があり興味深いですねえ。本当にあほな話題から哲学的・オカルティックなものまでこの「王様」は幅広いですね。

  昔は生きることが今よりもっと大変だったので、そんなつらい浮世をやり過ごすためにえらい人かしこい人、はたまたずるい人が死んでもこんな世界があるから安心でっせ、またはちゃんとやっとかんと裁きにあうから一生懸命生き切りなはれや、なんて嘯いてまわったのでしょう。そう信じる方が生きやすいから。

てなわけで現実的な私は、頭打っただけでも意識なんて簡単にふっ飛ぶんだから死なばポン、とその意識もふっとんじゃうものだと普通に思います。でもね、想像するのは勝手なんですよ皆さん。だから現実的には無へ還るとしても、どうせならいまわの際に「ああ・・・ あともう少しで天国良いとこ、酒はウマイしネエチャンは綺麗だ、ファッファ〜」とかうっとり想像できる人の方が、幸せな去り際だと思いませんか? 有限の人生、自分に都合のいい思い込みをたくさんした方がお得ですものね 13/11/30(人様に迷惑を掛けぬレベルでお願いね)。それがたとえ去りゆく直前でも。ですのでそう思うようにしています。うへへ、あの世は酒池肉林。 13/11/30(オポムチャン)

そうそう思考は自由。
そしてこの問題は少なくとも現段階では誰も解答が出せないのだからいい方に考えるのがお得。
俺もお気楽にそう思っておりまーす。 13/11/30(石川浩司)

  このタイトルを見たとき、まっさきに「おるがん」の二番が思い浮かびました。
「おるがん」みたいな感じで死ぬなら、死ぬのも悪くないかなあ、と思いました。 14/2/2(すこんぶ)

それは誰も分からないからなあ。
でも多分そうはならない・・・。
で、「おるがん」の二番の歌詞って何だっけ?(笑) 14/2/2(石川浩司)

看護学校時代、「死生観」を問われる授業がありました。
担任の先生が、「死のイメージは何色?」とみんなに尋ねると、大半の子は「黒」と答えます。私もその時は「黒」でした。
しかし一人、「白」と答えた子がいました。
実は、彼女のお兄さんが若い頃に交通事故で亡くなり、「何もなくなる=白」と思ったそうです。
きっと、「黒」と答える人は、目を閉じると視界が暗くなることから、「死ぬということは、視界が真っ暗になる」と思っているのでしょうね。
でも、体に魂が宿っていてそれが死とともに抜けると考えたとき、魂は透明ですから視界も透明なのかもしれません。
死ななければわからないけど、視界は暗くない方がいいなあ・・・ 14/8/28(ハーブティー)

サイケなような気もするしな〜。
そもそも色という概念の外って感じが一番強いが。
誰か見て来た人、教えてくださいなっ。 14/8/28(石川浩司)

話題のトップのHi- さんのコメントを見ると、もうそこから10年以上経っているわけで、ほんとうにジジイになるのは早いもんですね。
たま滝本さんの「サーカスの日」から話題のタイトルの視界を考えるとのこと、ええと歌詞は「僕らは何をして何処へ消えていくんだろう」でしたっけ? 掲載が不適切だったらごめんなさいね。えっとね、はしゃぎまわった挙句メメントの森へ帰ってくんですよ(笑)。「何処から来たの」も然り。だいじょうぶ、みんなそこに居ます。色とかは知りません(笑)。おやおや随分気分が愉快になってきましたね。さっすが石川さんだなぁ。でも滝本さんのようにどんなふうなんだろう、って思いつづけるのも、また面白いかもしれませんね。なんだこの投稿私偉そうだな、ごめんなさい。 15/8/31(オポムチャン)

なんにせよ単純な疑問を持ち続けることは意外と大切だと思うんだよね。
もちろん答えのあることじゃないのは分かるんだけどそれでも考えるということは。 15/8/31(石川浩司)

石川さんより1歳年少で今年54歳になるわたくしは日々衰えを感じ、確実に死に近づいてきていることを意識しています。このホームページに書き散らかしていることは、21世紀後半から22世紀の石川浩司ファンへ書き残す「時代の遺書」みたいな思いがあります。時間のスピードはすでに相当速く感じています。ほっておいたらすぐに60歳、70歳になっていることでしょう。そしてあの世に逝ってしまったらどうなるのか。そんなことを考えつつ「いま」を生きています。 16/5/7(波照間エロマンガ島)

まぁみんなそうだもんね。
未来は分からないから面白い! 16/5/7(石川浩司)

父が死んで以来、自分の死が怖くてたまらないです。父の死に顔が、苦しみ続けた末に死んだ顔に見えました。機械が停止したようだという印象も持ちました。その顔を見て、死後の世界などないと思ってしまい、それが恐怖へと繋がっています。意識が消えてしまうのが怖いです。 恐らく鬱病の悪化の原因も父にあるような気がします。人間が死ぬと、死体は物質的には形を変えて残り続けるのも何だか不思議です。意識は消えるのに物質としては残るのだとしたら・・・と無意味な事を考えてしまいます。
私が死んだら、仲良くしてくれた猫と暮らせる異世界に行くのが夢です。 16/5/7(猫のチップ)

きっといけるよ。思うことが一番大事かもね。 16/5/7(石川浩司)

動物を飼わないのは、動物の死に目に会いたくないから、というのがあるのですが、私もまさにその一人です。 16/7/12(わいわい)

逆に動物を飼わせるのは「何者にも死が訪れる経験を子供たちにさせる為」という教育方針の人もいるみたいね。 16/7/12(石川浩司)

話題からずれてしまい恐縮ですが、どうもペットを飼うにしても身体が大きくて長生きする動物ほど「訪れる死のショック」がでかいような気になってしまう私は罰当たり。たとえば犬猫などの死はみんな大変なショックで学校や仕事も休んでしまう方もいらっしゃったりさながら自分の血族のよう、ところが、(※これはあくまで私の場合ですが)それが文鳥や子亀とかになると悲しくはあるけどそこまでにはならないような・・・ さらにバッタやメダカ等になるとものすごくアッケラカンと始末するような・・・ やはり自分になつくレベルの知恵がある生き物だと情が移りやすいのでしょうか? それとも単に生き物全般が嫌いな私がその動物に対して思い入れや愛情を持てないから? あるいはメダカだって一匹をすごく手間暇かけて毎日声掛けとかしてたら喪失感も半端ないのかも。にしても魂に貴賤を付けるなんて、我ながら私も最低な野郎ですね。 17/10/19(オポムチャン)

でもそれはあるなぁ。やっぱり象とフナムシは違う気がしちゃうなあ。差別と言われても。 17/10/19(石川浩司)

チベットとかモンゴルとかインドとか、風葬凄いですよね。。。 18/4/3(わいわい)

日本も島とかではちょっと前まで結構あったみたいね。
墓のない島は割と多い。 18/4/3(石川浩司)

武将が死んだり、移民が異国で死ぬとき「東に向かって遺骸を埋めよ」とか遺言を残すことがありますよね。死んでも徳川を討ってやるとか、望郷とかで。 19/1/7(わいわい)

飛行機に乗っていても方角を見極めメッカの方向にお祈りするイスラム教徒のようなものか。違うか...。 19/1/7(石川浩司)

自分が死んだら棺桶に入れてほしいもの、というお話がありますが、いざ自分が棺桶に入った時にどう見えるかな、と思いました。
前もって自分が望んでいたものならともかく、遺族が良かれと思って入れた予想もしなかったものとか、たまにあるんじゃないかと。 19/11/14(KPC)

俺の友達のレコードコレクターは「棺桶に絶対入れて欲しく無いもの」にレコードをあげている。
希少なレコードが一枚でも焼かれてこの世から無くなってしまうことが、逆にその友達にとって何よりも悲しいことだそうだ。
俺も空き缶は入れてもらいたくない。 19/11/14(石川浩司)

わたしが34年前に卒業した大学の所在地は「鑓水〔やりみず〕」という地名でした。特に意味を調べたことはありませんが、なんとなく古戦場が近くにあって「死に水をとる」から「死に水をやる」に意味が転じこの地名になったとばかり思っていました。ところが最近ネットを検索して知ったのですが、これがぜんぜん違う意味で、大昔このあたりは湧き水の豊富な場所で、当地では槍のように尖鋭な竹筒で水筒を作って水を汲んだのでそこから「鑓水」という地名になったのだとか。あれー、死に水とはぜんぜん違うじゃん、と自分の不明を恥じました。何人と無く勝手に考えていた薀蓄を友人に伝えた記憶がよみがえったからです。

そんなわけで鑓水は死後の世界と通じている名前と思い込んでいたわたしでした。 20/11/1(波照間エロマンガ島)

でもそっちの方が面白いよね。不吉な地名はどんどん「希望ヶ丘」とかテキトーに印象のいい地名に変えられてく歴史があるからね。 20/11/1(石川浩司)

「自分の」視界とは違う話ですけど。
この一カ月で、実と義理と二人の祖母を亡くしました。まあどちらも年齢的には大往生なので仕方ないと思ってはいるのですが、ひ孫にあたる自分の娘からしたら大きすぎる出来事で、未だ情緒不安定。
「ひいおばあちゃん大好きだったのにー」「もっと会いたかったー」と毎日のように泣き叫んでおります。 そんな娘ですが、立て続けの訃報に際して一つの変化があって、それ以降急におねしょが止まるようになりました。
これはきっと、ふたりのおばあちゃんがあの世で娘に魔法をかけたに違いない、と自分では思っております。 2021/4/29(KPC)

うん。成長させてくれたんだね。亡くなる人がいて、生まれてくる人がいる。 2021/4/29(石川浩司)

死後、人間は煙になって巡り巡って、また人間になるんじゃないでしょうかね。 2023/4/15(エレベーター・ストア)

途中段階の煙人間いたら怖いよお。 2023/4/15(石川浩司)

死んでしまったら何も見えず何も聞こえず何も感じず無があるだけ、と思いがちで、ずっと死ぬのが怖いです。 が、いつか石川さんがSNSで発言していた、「この世はさなぎで、死ぬのは蝶になって別の世界に帰るだけと思えば、そんなに寂しくはない」という言葉が印象に残り、そうだとしたら死ぬのも少し怖くなくなるかも、と思うようになりました。 2023/11/25(たちつ亭と~助)

おそらく「死ぬのは怖いこと」というのは人の基礎的な部分に書き込まれてインプットされてるんだろーね。なのでなかなか逃れられない。死を想像する時、事故などで痛い目にあうことも多いという刷り込みもあるしね。考え方って大きいよね。そしたらなにごとも楽に考えた方がお得だとグータラな僕は思っちゃうのよねん~。 2023/11/25(石川浩司)


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