話題278 努力



「努力」するとはどういうことでしょうか?
私はグータラで努力ができません。しかし努力が出来る友人が言うには
「努力はやろうと思ってするものではなく、目標があれば自然と出来るものだよ」
と言います。
さらに「努力とはなにかずっとやり続けることで、成功する人はかならず努力をしているということ」だとも。
努力できない私はどうすれば努力できるのでしょうか?
毎日コツコツが出来ない私にとってはかなりの難題です。 皆さんのご意見は如何ですか? 08/3/10(ヒョコヒョコ)



***レス(発言は古い順に並んでます)***


俺もあらゆることに全く努力をしてないつもりだったが、くだらないことだけは継続して結構力も入っていることに気づいた。
例えばこのレス。結構時間がかかっているが、何のお金にもならないし、一体何人の人が見ているのか。こんなこともう10年近くもやってる・・・。 08/3/10(石川浩司)

お気持ちわかります!
ご参考になるかわかりませんが、私もずっと「これをいつまでにこなすぞ!」とかいう目標を設けてもまずそれをこなせなくて、「どうして私は努力をできないんだー!ダメ人間だ!」と嘆き悲しんでいました。(やや大げさ)
でも、そういう私でも、好きな事であれば少しは熱心に継続できるということ、そしてそれを続ける事が、いつのまにか人から「努力」と呼ばれるようなものに変わっているかもしれないということに、とある気づきかされました。とあるスターに。
「努力せねば!」という思いを捨ててからすごい楽です。 08/4/8(桃玉)

「努力」を念頭に置くと、精神的にはかなりのプレッシャーだからね。
楽に行っても、実はそれほど変わりはないのよねん♪ 08/4/8(石川浩司)

石川さんと全く同意見で・・・・。私も、仕事でもない、仕事に直接つながるわけでもない、ただのお遊びには徹底して(というか気づいたら)すごい力を入れ込む節があります。
これも努力ってことになるんでしょうかねー。誰も見てないし、何の役にも立たないのに・・・。  08/4/8(さっちゃん)

俺と似てるね。
何の役にも立たなくたっていいんだよ。世の中には「自分は役に立っている」と信じきって、本当は何の役にも立ってないことを延々やり続けている人がいくらでもいるんだから。 08/4/8(石川浩司)

「誰かの為に」と思ったらどうでしょう。
大切な人の為に、って。
あたしはそれで成功しました。 08/4/17(りあちゃん)

そういう考え方もあるか。 08/4/17(石川浩司)

世間一般でいう「正しい努力」には魅力を感じないしそんな自分が好きなのです。今までの人生、無論努力はしてきたけど、ここ最近、そういったことがどうもかっこ悪く思え・・・・いや、よく分からないのですが、どうでしょう。どちらにしろ、努力のためにつらく苦しい人生を送るなんてまっぴらだ! 08/4/17(さっちゃん)

「努力しました」を人に見せることは、基本的にかっこ悪いことだと思うね。スマートじゃない。 08/4/17(石川浩司)

私は努力は絶対的に必要なものだと思っています。
でも、何事に関しても努力なんてしていたらそれこそキチガイになってしまうので、自分が自分の人生において最重要項目である事柄に対してはものすごくこだわってとことんやって努力もすべきだって思うのです。
そんでそのかわりそのほかのどうでもいいようなことはラフにテキトーに「パワー微」くらいでやれば人生ハッピーなような気がするのです。
とことんやるって、素晴らしいって思います。それがどんなにくだらないことであっても。
そんなわけで努力ってのがしたければ自分の最も興味の惹かれるものに対してとことんやりきってみたらどうでしょうか。 08/4/22(ことり)

まったく正しい。
全部に努力するのはあの神様にだって無理なんだから。
だから戦争なくならないんだよね、みんなが例えどんなに一所懸命に平和を願っても。
ね、神様! 08/4/22(石川浩司)

「努力」とはいっても、客観的に見たらただの無駄骨のように見えるものも多いでしょう。それを単なる趣味で終わらせるか、仕事として発展させるかで違ってくるとは思いますが。
実際自分の生活を見てみると、このラインの曖昧な部分が多いです。ほぼ金銭上の発展は見込めないけど、最低でも自発的にやっていて、損はないと確信はしてますね。こういうのがこちらに来てから、若干増えたような気もします。これらが将来、少しでも役立つよう、今は切に願うばかりですが…。 08/5/22(Hi-)

どんなことでも、努力をしたことだけで、そのこと自体が意味があるから大丈夫だよ。 08/5/22(石川浩司)

私はこの9年ほど、勉強してることがあります。講座に通ったり、試験を受けたりしましたが、努力をしてるとは思ってませんでした。勉強することが楽しかったし、そうやって技術を身に付けることによって喜んでくれる人がたくさんいたので、当たり前のように思ってました。でも、試験に合格したときに「ばらっちゅはすごい努力したから合格して当たり前だよ」みたいに言われた時、「そうか、実は私は努力してたんだ」と思いました。まぁ、自覚なしだったので、努力してたとは言えませんが。いかにも「頑張ってます」って好きじゃないので、これでいいかなと思います。 08/6/4(ばらっちゅ)

俺も何の努力もしてないと言ってるし、実際そう思ってるけど、思い返してみると人から努力と言われてもしょうがない(笑)ことをやってるかもしれない。
例えば、このホームページの更新をもう10年近くも、特に何の見返りもなく続けてることとか。 08/6/4(石川浩司)

結局、努力してるかどうかって、周りが決めることのような気がします。「自分なりの努力」って言っても、周りが認めないとしょうがないし、何もしてないようでも、評価されることもあるし。こつこつ地道に頑張ってると、それなりに結果がついてきて、それが「努力」って呼ばれるみたいな。 08/6/12(ばらっちゅ)

ま、要するにどーでもいいことなんすよ。たまに思い出す想い出の楽しみのように、自分だけで思っていれば。
ということは、一種の宗教みたいなもんか。 08/6/12(石川浩司)

努力って、努力することを目的にできるものじゃないというのか…。
本当に努力しているときには、わりと誰でも謙虚になってるような気がします。何か好きなことに打ち込んでいたり、するべきことに黙々と取り組んでいたりするとき、傍から「努力してるね」と言われると意外に思ったりしませんか。
自分のことを考えてみても、「一所懸命やったのに!」「がんばったのに!」と思っているときは、なんか違う。報われたい気持ちが前面に出ている。
努力って、しているときが幸せで、できているってことで既に報われているのかなと思います。誰にでもできるけれど意外に難しい。
努力なんて、できればラッキー、くらいな気持ちでいた方がいいかも。  08/6/28(蓮)

まったくそうだよね。努力自体を目的にしている人が多過ぎる気がする。そんなのただの自己満足だからね。他人に偉そうに話すことじゃない。結果が出て初めてチラリと言ってもいいことだと思う(言わない方がさらにかっこいいけど)。 08/6/28(石川浩司)

少しでも可愛く、と日々努力しているのですが、まったくもってカラまわりで滑稽で全然うまくいかないのですが、だけども努力しなくなったら自分がお終いになってしまうような気がして、その行為自体でいいとしていたりします。努力ってやはり自己満足だしそれでよいのかなぁとかなんとかかんとか。 08/10/12(ことり)

「努力ってやはり自己満足」そうっなんすよっ!
それが分かってないでやたら自慢する輩が多すぎるっ! 08/10/12(石川浩司)

ダンナがゴム手袋をしてタバコを吸っているのを見たので、「何それ?」と聞くと、息子にタバコの匂いを移さないように努力して考えた策なんだとか。タバコの匂いは直接つかないかもしれないけど、ゴムくさいし、見た目がどう見てもアホ。 息子のために努力するならいっそやめるくらいの努力をしてはどうなんでしょうか、と思う私なのでした。
私は断酒中の身なのに・・・ 09/8/8(梅桃ひよ子)

ゴムが焼けたら最悪だね。  09/8/8(石川浩司)

高校卒業のとき、皆勤賞と努力賞というものをいただきました。努力賞とは受賞基準がよくわからなかったのですが、成績のクラス順位一番の人が貰えるということらしいです。確かに高校のときが一番勉強を頑張ったかもしれません。 11/2/21(可南)

がんばり屋さんだったんだね!
俺はグータラ屋さんだったので小学生は毎年学級委員長だったけど、中学、高校とドンドン落ちていった。
何故なら努力が必要になったので。
俺、好きなこと以外一切と言っていいほど努力出来ないんだよね。
やらないというより、出来ない。
高校は本当は留年だったんだけど、温情で卒業させてもらった。
なので今でも時々まだ高校が卒業出来ない夢を見ます〜。 11/2/21(石川浩司)

「資格マニア」と言われようが何だろうが、とにかくスキルアップのために勉強!!
最初は経理事務とか医療事務とか持ってたんですが、これらは「その資格がなくても経験重視」という、全く資格としては価値が見いだせないものでした。なので、今は国家資格ばかり取っています。
看護師に始まり、保健師、幼稚園教諭、保育士・・・
今は、精神保健福祉士と特別支援教育士を目指して頑張っています!!
特別支援教育士は国家資格ではないのですが、持っていると子どもの支援での活躍の場が広がるので頑張っています。
そうしながらも、漫画を描きたいだの、アコーディオンを習ってみたいだの、ゲームをやりこんでみたいだの、なにがしら欲求が入ってきます。
あ、こうして石川さんのサイトに投稿させていただいて、ポイントを稼ぐ努力も怠りません・・・
以前よりはペースは落ちましたが、クイズは極力参加しています!! 14/8/25(ハーブティー)

素晴らしい!どんどんチャレンジしてる気概のある人はいいねー。
俺はここんとこあんまり新しいことに挑戦する意欲が若い頃に比べて今ひとつなく、忸怩たる思いっす。
ちょっと自分で喝を入れねば。 14/8/25(石川浩司)

この石川さんのサイトに出会ってからというもの、シャカリキに頑張ることも何か違うように思え、いろいろやって考えた結果、気持ちいいことを極めるのも一つの努力の形ではないかという考えに辿り着きました。

やっぱり一日15分は欲しいところですが、お金のかからない、散歩だとか体を動かすことからがいいと思います。

やっぱりやる前はちょっと億劫だけれど、その分やり始めると乗ってくるのでその分達成感があります。 16/5/14(Sankaku)

物やタイミングにもよるよね。
シャカリキに頑張ることが必要な場面もあるし、その時その時で考えていくしかないよね。 16/5/14(石川浩司)

『はじめの一歩』の台詞
「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる」
の台詞がずしんと来ます。言い換えると、
「努力した者が全てチャンピオンになるとは限らん。しかし、チャンピオンになる者はみな必ず努力している」
になるんですよね。 17/5/28(わいわい)

まぁ、当たり前なんだけどね。
あと努力といっても「ただガムシャラにやる」のと「効率的にやる」は大きな違いを生むと思う。
無理をし過ぎて体壊してたら元も子もないからね。 17/5/28(石川浩司)

石川さんは「全く成果の見込めない努力はしない」というようなこと言われていたと思いますが、思い返してみると私もそういう考えの最たるものかもしれないと最近思うようになりました。

何に熱量や力を入れるのか。まずはそれを見定めることを努力すべきだと思います。
ちょっと前に「人生がときめく片付けの魔法」というものが流行りました。片付ける実物をみてときめくかどうかが捨てるかとっておくかの基準ということですが、私はまさにそのときめきの基準で人生を渡ってきました。ホルモン鉄道の「どうでもワルツ」じゃないけれど、私もくだらないでは済まないようなことに命を懸けています。

でも石川さんを見ていても思うのですが、やっぱり夢中になれるものがあるかどうかで人生の豊かさも格段に変わると思います。お金にはならないけれど、自分の心が間違いなく充実する事。私の家族も何が楽しくて生きているのがわからない人達だったので、私自身石川さんやたまの音楽をヒントに楽しいことを見つけることに貪欲でした。

心がどのように反応するのかということは意外に奥が深く、未来を予知している可能性があります。誰かの本に書いてありましたが、頭だけでは計れない、心や本能の声に耳を澄ませること。最初は恐る恐る足を踏み出すのかもしれないけれど、苦しみすらも楽しみに変わる、最高に充実した人生を歩めるのかもしれません。 18/8/16(Sankaku)

「自分の琴線に触れるもの」を最重要事項として、それを楽しむために何をすれば良いのかを考えるのがいいと思うんだよね。
琴線に触れるものは人によって違うので、他人の言葉を聞きすぎないことも必要かもね。 18/8/16(石川浩司)

ハーブティーさんすごいですね。みんな国試や卒業資格じゃないですか。看護師やPTと同じくらい精保や保健士は勉強が大変ですよ。別の所で書いたけど、こういう生理学や解剖学系統は全く覚えられません。興味が無いことは無いんですけどね・・・。
私が持っている卒業資格は、学芸員、司書、司書教諭、中学・高校「国語」、中学「社会」、高校「地理歴史」「公民」です。国試系は運転免許とアマチュア無線、将棋アマ四段(これは国試なのか?)です。
大学では最初はみんな教職を履修するのですが、取得単位が多いので辞めちゃう人が多い(ただし一部の資格単位は卒業単位へ組み込める)。教員には(おそらく)ならないでしょうが、おかげで教育法について学べたし、科目教育法も勉強になったし、なにより大学での感動ベスト3に入る一角に教育実習が入りました。忘れることができません。

私が高校生へよく伝えるのは、努力はした方がいい。勉強でもスポーツでも。たとえダメでも、全力を尽くせばそれは財産となるし、みんなの前で経験を話せる。いいかげんにやっていたら後に何も残らないし「あの時やっておけばなー」とか「つまらない学生生活であった」となる。学生時代が楽しかった充実していた人は、なんらかの努力を怠らなかった人だと思うんですよねー。
私の尊敬するラグビーの北島監督は、松尾雄二さんへ「お前、真のラガーマンは何か知っているか?」の問いに、「それはレギュラーに一度もなれないのに、一日も欠かさず毎日練習へ参加して、部員のために努力を惜しまない人なんだ」と言われたそうです。やばい涙が出てきそうな言葉だ。そりゃ松尾さんも泣きますわ。

昨年行われたワールドカップだって、攻めに攻めて最後は負けた。だけど誰も彼らを責めなかった。確かにラスト13秒はキープすべきだったという戦術、意見もある。だけど勝ちに行った結果負けた。80Mを全力で戻り、あと一歩で追いつけなかった昌子。両手でグランドを何度も叩く姿に涙があふれちゃったですよ。本当に。努力した結果がこうだったんだから仕方ないと思います。 19/3/12(わいわい)

例えば極論、努力することはテレビゲームだっていいんだよね。eスポーツという競技にもなったし。何にでも夢中になって自然に努力できることが見つかれば最高だね。 19/3/12(石川浩司)

村上春樹「ノルウェイの森」にこういうシーンがあります。

〈B〉「でもね、俺は空を見上げて果物が落ちてくるのを待ってるわけじゃないぜ。 俺は俺なりにずいぶん努力をしている。お前の十倍くらい努力してる」
 「そうでしょうね」と僕は認めた。
 「だからね、ときどき俺は世間を見まわして本当にうんざりするんだ。どうしてこいつらは努力というものをしないんだろう、 努力もせずに不平ばかり言うんだろうってね」
 「僕の目から見れば世の中の人々はずいぶんあくせくと身を粉にして働いているような印象を受けるんですが、僕の見方は間違っているんでしょうか?」
 「あれは努力じゃなくてただの労働だ」と永沢さんは簡単に言った。
「俺の言う努力というのはそういうのじゃない。 努力というのはもっと主体的に目的的になされるもののことだ」
僕「たとえば就職が決まってみんながホッとしている時にスペイン語の勉強を始めるとかそういうことですね?」
 永沢「そういうことだよ。俺は春までにスペイン語をマスターする。英語とドイツ語とフランス語はもう出来上がっているしイタリア語もだいたいはできる。こういうのって努力なしてできるか?」〈/B〉

なんか今振り返って読んでみると凄い心に突き刺さるシーンなんですよね・・・。 19/10/18(わいわい)

世の中には「死ぬほどした仕事」が世の中の何にも役に立ってなかったり、なんなら人を不幸にすることがほとんどの目的のような仕事もあるしね...。 19/10/18(石川浩司)

私が取り組んでいる「不食」という取り組みは、とにかく努力をしないことが達成の秘訣と言われています。

一時的に食事を断つ「断食」や「絶食」とは異なり、習慣的に食べ物を摂取しないことを目指す不食では、食べるものや量を少しずつ減らしながら根気強く取り組んでいくことになります。
ここで大事なのは食べ物を減らして行けば行くほど、どんな食べ物もおいしく感じられるようになってゆくとのこと。
改めて食べることのすばらしさを感じられるという点では、断食も不食も同じです。

昨今、努力の大切さが唱えられているのに比べれば、ちょっと斬新な発想ではないでしょうか。
楽しみながら、新しい境地が開けていってしまう。ちょっと夢のような話です。 19/11/14(Sankaku)

確かに「空腹は最高の調味料」って言うもんね! 19/11/14(石川浩司)

石川さんは「俺のやったやり方は俺には合っていた」と発言されたことがありましたが、最近になって、「そうか、それが自分に合わない場合もあるのか」と気づきました。

私の場合、大きかったのは「半日断食」「1日1食」という食事法との出会い。
特に「半日断食」は私にベストマッチだったらしく、一生を掛けてやってゆきたい、という誓いができました。

以前にも書いたように何に熱量や力を入れるべきか、見極める努力が必要だと思われます。
しかし、自分に合ったやり方や生き方は、下手をすれば一生見つけられない、という事も孕んでいるように思います。
船瀬俊介 先生の著作には、「断食は現代人にとって最も重要な健康教義」という感じで書かれていますが、それがろくに広まっていないという事は、多くの人が「断食は自分には合わない」と思っているからかもしれません。〈私に言わせれば、それが多くは早計な判断である様子も窺えますが〉
最も、深刻なのは断食自体を知らない人が大多数のようで、それは船瀬先生に言わせれば、裏の巨大利権に飼いならされているだけの様です。

「半日断食」は、確かにたまたま私には合っていたのかもしれません。 しかし、私には努力をしたという実感はほとんど無く、船瀬先生の本といい、全ては楽しみを追う過程で自然と入手してしまいました。
これは、今になって考えてみると、非常に凄い事です。
楽しみながら、真理の表現に自然と出会ってしまった。何ということでしょう!!

これらの事は、後の私の人生にとってどう響くのか、非常に興味深いです。
単なる努力はどのような事を生み出すのかを考えても、非常に参考になる気がします。
無論、普通に努力することも必要な事はあるのかもしれませんが、楽しみを追うことも人生にとって非常に重要なエポックに成りうる、というのが、私のこれらの体験から得た実感です。  2022/2/19(Sankaku)

そもそも日本では江戸時代くらいまで一日二食が多かったという話も聞く。
それが三食になったのは、食品会社の経営戦略が大きく関係してるらしいからね。 2022/2/19(石川浩司)

別の所に書いた「Fラン大学就職チャンネル」によればFランの人が内定を取れないのは、学歴フィルターもあるけど、Fランより難易度の高い学生が日々やっていることを自分たちはしていないというところに共感を得ました。面接では「学生時代に力を入れたこと 2023/2/9(ガクチカ)」などを聞かれますが、高難易度大学はサークルや委員会、そして大学生活も充実し、ちゃんと授業も出ている。そして学生節活も磨き、友達もたくさん作り情報収集をし、大学からの情報などにも目を通す。それに引き換えFランの人は、ゲームやアニメばかり見て対人関係を築かない。友達がいないものだからネット情報だけで行動しようとする。サークルも入っていないし資格も取らず大学での立ちいちもない。そもそも高校の時努力もせずにFランに入ってきたのに、その大学でさえ努力をしない。高難易度大学の学生は高校時代も努力し大学時代も努力している。もちろんFランでも努力して就職活動をしている人もいるが大多数の人は努力していない。高校時代以上に努力しないと高難易度大学を上回れないのにそれすらしていない、ということを「いらすとや」と「ゆっくりボイス」で面白おかしく解説してくれています。凄い勉強になります。見ているところ動画の作者は本当にFラン大学の就職課の人のようでとにかく詳しいです。

近年教育界で言われているのは、こういうFランの人は自分の努力というより家庭環境が劣悪だったために努力が出来ないのでは、という学説ありヤフーの記事とかにもなってますね。私も目にします。共通テストにも出た「親ガチャ」です。親が「勉強しろ」と言わないとか親が優秀だった、ではなくなんかの理由で家庭で全く勉強が出来ない状況、環境だったために落ちこぼれになってしまったというもので、この動画の主催者も「学生の話を聞いているうちに、勉強ができないという人は家庭環境の為ではないのか、となんだか最近思うようになってきた」と書かれています。

Fランの人は4年夏ごろまで全く就活をしないとか、中退したり専門学校に逃げたり、声優やラノベ作家を目指す。しかし努力はしない、ただ自分の居場所を作りたいために、専門学校に転学したり、ゆーちゅーばーや声優や漫画家を目指す。目指すのはいいのですが、副業としてやればいいのに、それしかやらない。しかも前述のように努力をしない。

いかんいかん私の嫌いな長文になってしまった。 2023/2/9(わいわい)

どうやらFランは本当に俺のことらしい。ほとんど努力とは無縁で還暦過ぎまできてしまった。
まあ「ゲームばかりしている」ことで見えてくるものもあるかもしれないんだけどね。俺はたぶん麻雀にものすごく若い頃に時間を割いたことで、少し人の心理的なものを自然に学んだところはあるかもしれない。 2023/2/9(石川浩司)

なるべく精神症状がでないよう努力はしますが それでもでる
ライブとかのときは比較的大丈夫なんだけどなぁ… 2023/12/23(ズミ天)

多かれ少なかれあるよね。俺も変な時に爆発しないでくれ、とだけは自分に願ってる。 2023/12/23(石川浩司)


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