話題272 反抗期



反抗期はありましたか。それはいつでしたか?
どれくらい続きましたか?どんな風に反抗しましたか?
反抗期の失敗談なども是非お聞かせください! 07/11/10(桃玉)



***レス(発言は古い順に並んでます)***


あったね〜。中学生くらいか。やたら何事にもむかついていた時期が。大人になってから反抗期をむかえる人も見た事あるけど、あれはいただけないなぁ。かわいそうなんだけどね。 07/11/10(石川浩司)

親曰く「反抗期はなかった」
わたしもいただけない人種に入るのだろうか 07/11/17(りあちゃん)

まれにそういう人もいるね。もしくは目立たなかっただけなのかも。反抗期は大人になる時に通過する儀礼のようなものだからね。いつまでも親の庇護の下にいたくないという。 07/11/17(石川浩司)

親との関係は希薄だったので家で反抗とかはあまり思い出せないのですが、学校の先生は理不尽でいっつも疑問ばかりだったのでいつでも反抗的だったような気がします。
校門のとこの掲示板にエロ本の切抜きを貼ったり、校舎の壁に「チンコ」といたずら書きしたり、下品なテロ行為を繰り広げておりました。07/11/28(ことり)

そしてそんなことりも大人になり・・・全く変わっていなかった07/11/28(笑)。07/11/28(石川浩司)

中学・高校辺りに反抗期があった方々は、それなりに後の人生も上手く行く場合が多いと思います。もちろん、警察の世話になる可能性も否定できませんが、それによって人間関係・処世術や反抗の加減も掴めてくる訳で、そういう方々が羨ましいです。
逆に自分は今になって反抗期の真っ只中のように思います。こっちの方がどちらかと言えば、苦労が多いですよね…。07/12/11(Hi-)

確かにたまに成人してから反抗期っぽい人を見かけるが、ちょっとイタイね。07/12/11(石川浩司)

高校時代、うちの母親に言われた言葉
「酒!たばこ!!セックス!!!」
三つのうち二つは時効で。とりあえず一通り青春という名の反抗はしましたよ、と!それと、警察にもつかまってまーす。あはは! 08/2/12(さっちゃん)

「酒!たばこ!!セックス!!!」は素晴らしいっ! デリーシャス! エクセレントッ! と言いたかったのかもしれない・・・。 08/2/12(石川浩司)

私の反抗期は長いです〜
5歳の時に幼稚園に迎えに来た親に「私は友達と歩いて帰る!」と言い張ったらしいし、その後は親に教師にたてつく人生、それが何年続いただろう、成人しても反抗しまくってて、やっと反抗期終わった、と思ったら三十路にかなり近い年を食っていました。長かった(笑) 08/2/12(梅桃ひよ子)

俺も表立ってじゃないけど、心の反抗期はまだ終わらねえ。パンクだからなっ。人と同じことはしたくねえぜ。 08/2/12(石川浩司)

実は今でも反抗期です。私が中2の時に、母が出て行ってしまって、それから15年くらい疎遠だったので、思春期に母親と関わってなかったんですよね。だから、その頃にしっかり反抗できてれば、今とは違った付き合い方ができてると思うんですが。もっと優しくできるのに、どうしてもできない。母親に対して素直になれないんです。たぶんずっとこのままなんだろうなぁと思います。ある程度の年齢になると、どうしても超えられないポイントがあるような気がしてます。そして私はもうそのポイントを通過してしまったと思うので、これ以上母親との距離は縮まないんだろうなぁ、と。まぁ、いずれ介護をする日がきたら、文句言いながらでも世話するんでしょうが。 08/5/22(ばらっちゅ)

そういう巡り合わせもあるよね。反抗期だけじゃなくても、普通の人はこの時期に通過するものを通過出来なかったことってある。
童貞・処女喪失なんかもそうかもね。 08/5/22(石川浩司)

よく考えると周囲より社会に従ってない自分。
パンチ効かせないとやってらんねぇぜ。なめるなよ! 08/5/22(さっちゃん)

舐めたいよお・・・君を舐めたいよおお・・・。 08/5/22(石川浩司)

自分が贔屓にしていたアーティストについて批評めいたことを言われたことがあり、その時は親に対してハラワタが煮えくり返るような思いをしたものです。しかも、僕自身も少し気になっていた箇所だったりしたので、なおさらでしたね〜。 08/6/12(たちつ亭と〜助)

あぁ、あるよねー。
「そこは私だって気づいているけど、目を瞑ってるんじゃ。言って、言ってくれるな〜。お代官様〜っ!」という気持ちねー。あるある。 08/6/12(石川浩司)

親に対する反抗期はなかった気がします。それ以外だと幼稚園の頃、幼稚園という存在に反抗していたと思います。夜になるにつれて元気になり、歌って踊って、次の日は幼稚園をさぼる…そんな子供でした。 09/7/13(可南)

俺は未だに夜になるにつれて元気になり、歌って踊ってます。
というかそれが仕事です・・・。  09/7/13(石川浩司)

中学生の頃、親の全てが鬱陶しかった。たまたま、寮生活をしていたので、親と顔を合わせる機会が少なくて良かった。一緒に暮らしてたら、あらぬ方向に暴走していたかもしれないです。 10/5/31(わにこ)

その時期はねー。
俺もとにかく極力親と顔合わせないようにしてたなー。  10/5/31(石川浩司)

只今私の父上(75歳)は反抗期です。私が父上に何か頼み事をすると「ヤダ!!」と断られます。  12/11/12(みるく)

だんだん幼児退行していって、今は中学生くらい?
これからどんどんかわいくなるよっ! 12/11/12(石川浩司)

うちの息子が、ついに「第二反抗期」突入です。
やってないことをやるよう注意すると、「わかってる!!」「今やろうと思ってたのに!!」
と、必ず言います。そして言い方もとてもムカつきます。
大声で反発するだけでなく、大きな足音をたてたり、とにかく態度もデカくて偉そう。
それに、何かにつけ「面倒」「だるい」「イライラする」とよく言います。
私もこういう時期が確かにあったので、「子をもって知る親の恩」ということわざがよくわかります。
今ここで我慢しなくてはと思うのですが、つい怒ってしまいます。
反抗期がないと、逆に大人になってからが怖いと言うので、中学卒業ぐらいまでは、うまく付き合っていかないといけません・・・ 14/8/25(ハーブティー)

まぁたいていその年頃はそうだよね。俺もあった。
大人になってから反抗期を迎えた人の悲惨さも見たことある。すんげえカッコ悪いんだよ。
反抗期がある方が正常だと思って付き合ってやってくだせえ。
でも甘やかすんじゃなくてもちろん怒っていい。分かった上でうまく怒ってやろう。
お母さん、ご苦労様です! 14/8/25(石川浩司)

生まれつきの反抗人間やと言われます。
なので今も自身ではこれが普通。皆様扱いにくくてすんまへん! 15/2/15(西大路)

パンクロックだな!
これも俺と同じやー。 15/2/15(石川浩司)

自他ともに認める「不器用」をはじめ、僕と石川さんには共通点多し。
やはり後ろをピタリと付いて行きまーす! 15/2/19(西大路)

不器用だから俺の後を付いてきてるつもりが全く知らない太った女性の後ろに間違って付いてストーカーとして通報されたりして。 15/2/19(石川浩司)

おー、肥った女性好きなのでそれはマジで気をつけます! 15/2/21(西大路)

女性はちょっとふっくら気味のプニプニが好きじゃ〜。 15/2/21(石川浩司)

学生時代のころは、同級生が全員敵だったので、親まで敵にしたくなかったという思いがありました。
その代り反動として、今になってきているような気がします。2014年8月に一人暮らしを始めましたが、それ以来親と会っていません。「もう二度と会わない」とまで啖呵を切ってしまいました。 17/4/30(Sankaku)

それもそのうち変わるとは思うけど。
反抗期ってそれまで親の言うことだけ聞いていればいいと思っていた自分が自我に目覚めて「俺には親とは違う考え方もあるっ!」と自覚する大切な時だからね。それが「反抗」という外面で見られるだけ。
なので年齢は個人差があるが反抗期=自己の確立、人間としてひとり立ちと俺は思ってるなあ。 17/4/30(石川浩司)

前にもどっかに書いたのですが、中学時代顧問の先生と折り合いが悪く、部活で凄い反抗していました。まあ反抗と言っても、練習で手を抜いたり、他愛もなく、中学的に従順じゃなかったんですよね。 先日先生が定年で退職されるというので、地元の中学へ行ってきました。当時の顧問の先生は校長まで出世されていました。
何十年ぶりの対面で「わいわいはいい素質を持っていたのにへそが曲がっていたからなあ」と言われ恥かしくてたまりませんでした。先生は当時の学年別の陸上部のメンバーを全員覚えており、どんな種目だったかとか、どういう経緯で陸上部に入ってきたかとか、どこに住んでいたかとか、はたまた陸上部以外の学年生徒のこともみな覚えていました。私でさえ忘れている部員もいたのに。
私たちがいたのは、中学なんてたかだか先生の38年(教頭くらいなると部活顧問から外されるのでもっと短いですが)の中の3年間です。しかもその後異動で他の中学へも移っているはずです。それなのにその世代のことをしっかり覚えていて下さっていたことには頭が下がる思いでした。
「よく覚えていますね・・・」と感嘆して尋ねたら「一人が出てくると次々と名前は出てくるもんだよ」とおっしゃっていました。
先生、あのときはへそが曲がっていてごめんなさい。 17/5/28(わいわい)

小中高の先生たちは俺のこと覚えてるかな。
派手さは無いが小さく変なことはいっぱいやってたが・・・。 17/5/28(石川浩司)

反抗期って今思うと思いっきり中二病ですね。 18/8/25(わいわい)

昔は中二病なんて言葉自体が無かったけど、14歳前後が一番子供から大人へと変化することが多い歳なのかもしれないね。
楳図かずおの作品でも「14才」っていうのあったね。 18/8/25(石川浩司)

以前、学生の時は同級生ほぼ全員が敵だったので、親まで敵にしたくなかったと書きました。
確かに親は味方になってくれましたが、何かどこかで決定的に頼りにならない感じがして違和感を抱えていました。

他の話題に、ある日の昼に、母親がチャイムの音にも反応できないくらいに弱っていて、そのことも理屈で言い訳したことに私がブチ切れたと書きました。ちょうどそのころ母親の実家に行く機会があり、自分の親と 19/5/22(母方の)祖父母を見比べてみました。
祖父母ももういい年で痴呆が入るならもうとっくにぼけている年です。それでも何とか施設に入らず元気にやっています。(それでも最近2人ともだいぶ耳が遠くなってきました) その祖父母と私の両親を見比べると、何か決定的に両親の間違いが浮かび上がってきました。

高校生ぐらいのころでしょうか。祖母と一緒に祖母の働き先の街に電車で行ったことがありましたが、なぜか心が安らいだというか心地よかった記憶があります。
それに比べて両親と出かけると何かせかせかしてつまらないかったです。この違いは何なのか。

以前、お昼にNHKの「のど自慢」を父親と観ていたことがありますが、演歌を歌う老人の出演者も多く、それで父親がこんなことを言ってきました。「この程度の歌詞ならお前だって作れるぜ」
その時は私も父親とは仲が悪くなく、そして私自身も今ほど頭が良くなかったので、その言葉に同調してしまいました。
しかしこれは本当に世の中をナメた発言です。私のカラオケの持ち歌に小椋佳の「山河」というものがりますが、歌詞も文学的で本当に心に響いてきます。本当に残るものはそれなりに高度に出来ています。

話がまとまらないのでここで締めていきますが、私の親は夢を追うという意味では決定的な敗残者でした。父親は有名大学の出で確かにいろんな知識もあり、また家主としてそれなりの仕事をこなしていました。しかし、先ほども書いたように一緒にいても何か心地が悪い。結論から言うと私の両親はなだらかにゆっくりと駄目になっていくのだと思います。母方の祖父母と比べてみるとその違いは一目瞭然でした。この人たちといるといずれ自分も何もできない人間になってしまいます。一番頭が回らない時期に一番難しい問題を突きつけられてしまいました。

なかなか切ない思いをしてきたのでもう両親とは二度と会いたくありません。これが紛れもない今の自分の気持ちです。 19/5/22(Sankaku)

うん、そういうことって寂しいけど時々ある。
親兄弟でもひとりの人間としてイマイチ合わないという人はいる。優しく距離を置くのがいいかもね。 19/5/22(石川浩司)

19/5/22の続き

父親は読書家でいろんな本を読んでいました。
有名大学出のインテリであり、確かに面白い本もたくさん知っていました。

しかし、私の通い先の上司のKさんと比べてみると、その差は歴然としていました。
Kさんの読む本のほうが、こういう生き方がしたい、というKさんの意欲やコンセプトがはるかに強く伝わってきます。
またKさんの方が感想や寸評の視点が明快で分かりやすく、正直父親の方は、何を見ているのか、何がしたいのか分からなくなりました。

父親は、「俺はあいつ〈祖父、父の父親〉に比べてまだこれっぽっちしか本を読んでいない」と偉そうに自戒していました。
そんな事を言うのはあんたには100年早いよ、と言ってやりたい所です。

私は丸30年間、父親と母親に騙されてきました。
人生の敗北者でありながら、それを理屈で包み隠す、最低なまでに中途半端で卑怯な人たちでした。
私も表立って活動を起こせなかったのは今になって反省し、現在は過去の払拭を試みているところです。 2021/3/31(Sankaku)

インテリはプライドがあるからね。そのプライドが邪魔して変な方向に進むこともあるのかもしれないね。 2021/3/31(石川浩司)

2021/3/31の続き
父親との仲が断絶していた時、母親が何かのカウンセリングの項目を持ってきました。

「父親の良い所、嫌な所を10個ずつ書く」という項目がありましたが、私はそれを全部書けた記憶があります。
「ただ憎しみを増幅させて、自分が何をしてもらったかを忘れては、いずれしっぺ返しが来る」ということを私は知っていました。
それこそ色んなテレビドラマ、小説、映画や、その他世の中のあらゆる事例を見てきて私はそういう事を学んできたようです。

私の両親は、確かに私をここまで育てるという社会的責任を果たしました。
しかし以前も書いたように、人生の敗北者であり、この世で一番惨めな人種です。
私も40歳が近づき、自分の人生の責任というものを感じ始めています。  2022/5/7(Sankaku)

でも子供育てる義務って大変なんだろうな。俺はそれを放棄しちゃったからなー。 2022/5/7(石川浩司)

2022/5/7の石川さんのレスより

残念なことに、子供を作るということはある意味ノリでやることであり、子供を育てていくということの責任や負担を十分に認識していない人も、少なくないと思います。
私の知っている人でも、子供の世話をしなくてはいけないのに、責任というものを全然認識していない人や、訳の分からない行動パターンをしている人もいました。
子育てほど難儀でどう転ぶか分からない物はない、という事を現代人はいい加減認識すべきではないでしょうか。

その点、石川さんが子供を作らないという事は、立派な選択のように思います。
子供という他者の面倒は見れない、要するに自分の能力の把握であり、やり遂げられないと認識した事をやらないだけの話です。
「俺はそんなに慎重に考えたわけではない」と石川さんも仰っていましたが、非常に適切な判断ではないでしょうか。
やれない事をやれないとも分からずに、迂闊にやってしまう事よりずっといいと思います。

日本人自体、心、頭、体の劣化がだいぶ進んでいるので、そういう意味でも子供を作ることがもうフェアでないように思います。
自分の生き方すらも充実させられない、という点では今の日本人は非常にお粗末な状況になってきているのではないでしょうか。  2022/6/10(Sankaku)

よほど高収入のある人でないと、子供が持てない国になってるのかもしれないね...。 2022/6/10(石川浩司)


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