話題248 中央線



「高円寺・大陸」
たまがよく行っている中華料理店、と雑誌のインタビューで書かれていて当時突撃した高円寺にある中華料理店の「大陸」。
人生で初めて食べた親子丼は大陸のでした。
大陸は決して綺麗なお店ではないけれども、とても居心地のよいお店。私は高円寺に出かけるたびに大陸でご飯を食べました。
その後、大人になってたまの影響で高円寺へ移り住むのですが、元気なときも、貧乏なときも、頭がおかしくなってキチガイで悲しいときも、一人でも友人とでも何度も何度も足を運んだ思い出のお店になりました。
少し前にも久々に東京へ行き(只今静岡在住)、大陸へ足を運んだのですが、延々と長居する我らにも「何にも注文しなくても夜までだってずっといてもいいんだよ。」とかニコニコと言ってくれる、とても素敵なお店でした。
もしかしたらなんとなしに出てきた大陸だったかもわかりませんが、たまのオススメで知ることが出来て本当によかったお店です。どうもありがとうです。 07/6/19(ことり)



***レス(発言は古い順に並んでます)***


※これは「レポート」の投稿としてもらったものですが、どう考えても「俺の表現等の批評等」ではないと思うので中央線というくくりのここでの話題にしたいと思います。
中央線は高円寺に結成当時のたまメンバーが全員住んでおり、吉祥寺の曼荼羅グループ店ではたまの月例ライブそして解散ライブが行われ、八王子にたまの事務所やスタジオがあったこともあった。
現在も俺が西荻窪にニヒル牛の二軒の店を持っており、パスカルズやソロのライブなども中央線沿線で行われることも多い。
ということで、中央線関係のお話をみなでここでしませんか?思い出の町などをどうぞ。 07/6/19(石川浩司)

これはこれは!そりゃーボツだわさと思っていたのにこちらへどうもありがとうです。
中野のブロードウェイとかマズすぎて一度は食べなくちゃいけない伝説の高円寺駅前の某ラーメン店(今はない)のラーメンが本当に素晴らしく不味かったこととか、双眼鏡でマンションを覗く変なアートだとか井の頭公園のカキ氷がうまかったとか、雑貨屋に入ったら限りなくゴミに近いわけの分からぬものばかり売っていたとか、あげていったらきりがないのだけども本当に素敵な街が連なっている沿線だと思います。
高円寺では、病院へ行っても肉屋に行っても八百屋に行っても飲み屋に行っても、どこいっても「高円寺いつから?」と聞かれ、答えると皆「いい街でしょーー!?」と返してくるので、どれだけみんなが大好きな街なんだっていつもクスクス可笑しかったし、
高円寺で飲んでいると、1人で飲んでいてもみんなで飲んでいても、いつのまにやら知らない人と意気投合して朝まで大宴会になってしまい、この感じは他では味わえないなって心底思います。
ほんとに世界一素敵な街です。なので高円寺へ吸い寄せてくれたたまに感謝です! 07/6/27(ことり)

平日の昼間からちょっと酔っぱらって町を歩いていても、誰も変な顔でみない素敵な町だよね〜。 07/6/27(石川浩司)

中央線住民です。三鷹の家から吉祥寺で遊び、西荻窪で遊び、荻窪の学校に通い、阿佐ヶ谷に母親の実家、高円寺でライブして中野のブロードウェイに引きこもる生活をしています。
 それで、「中央線最高!」「JR最高!」と思っていたのですが、初めて一人で大阪名古屋と遊びに行った時に、東京のノリでJRに乗って大阪から名古屋まで移動しようとしたら「うぁ、暗くなってきた! 遅い!」とおののいた覚えがあります。
 向こうは近鉄が最強なんですよね。
 参りました。 07/6/27 (あかゑびす)

というか、大阪から名古屋までっていったら、中央線なら新宿から甲府あたりまで着いちゃうよ・・・。 07/6/27(石川浩司)

大阪から名古屋まで上京して西荻窪駅徒歩1分のところにアパートをかりて2年住みました。石川さんの影響だと思います。お風呂なしだったので最初の1年は銭湯にいっていましたが高円寺に200円で7分でるコインシャワーがあったので週に3日ぐらいは高架下を自転車にのって高円寺〜西荻窪を往復することをやってました。  食べ物 屋さんも安くておいしいお店がいっぱいで、「大陸」、行ってましたよ。400円のかつどん。珍味(笑)つき。 私がいちばん「腕が良いなあ」、と思ったお店は、『月経散歩』に登場する「フジ」です。 07/6/27(寝ぐせしらず)

「フジ」ってなんだっけ(笑)。今『月経散歩』が手元にないので思い出せないや。まぁ、いろんな素敵な店、そして同じくらいひどい店もあるけどね(笑)。 07/6/27(石川浩司)

ウフフ。「フジ」は、洋食やさんです。仲通商店街の奥のほうにあります。いつもAランチをたのんでました。夜でもAランチ。
高円寺に移り住むようになってからは、「小杉ゆ」にも大変お世話になりました(なんと2時まであいていた)。「美味しんぼ」を読んでいると、山岡さんが、「銭湯は庶民の味方だねえ!」と言ってましたが、その通りなのでしょう。 07/7/7(寝ぐせしらず)

俺は環七沿いの「つかさ湯」に行っていたなぁ。そしてその銭湯の前のゴミ捨て場で、俺の運命を変える太鼓を拾ったなぁ。高円寺に住んでなかったら今の俺はなかったのかもしれないなぁ。 07/7/7(石川浩司)

「たまの最期」を見に行く際に、池袋の予備校から中央線で吉祥寺まで行ったのですが、当時工事のため、ダイヤが不安定で、踏切や配線工事中の事故で止まりやすかったため、不安を抱えていました。

現に沿線に親戚が住んでるのですが、よく止まるそうです。もっとも、他の路線も止まりやすいのですが。

しかし、当時受験中だったのですが、解散前に見に行かない手はない!
…という事で、予備校の授業が終わるや否や、ダッシュで吉祥寺に向かいました。
ダイヤに乱れはありませんでしたが、慌て過ぎて、到着するや否や最後尾の階段をダッシュで駆け降り、弾みでB1FのCDショップまで行ってしまった…。 07/7/18(Hi-)

あー吉祥寺は駅ビルがあるからねぇ。俺もボーッとしているとたまにそのCDショップには紛れ込みます(笑)。 07/7/18(石川浩司)

上京して初めて住んだのが高円寺でした。石川さんの行っていたという「つかさ湯」横の環七に架かる歩道橋の上で、友達とギターを弾いて遊んでいたところ、知らないおじさんがやってきて、おもむろにそこでウンコをしました。当時うら若い乙女だった私はビックリ仰天しました。石川さんの思い出の場所だというのに汚い話をしてしまい申し訳ありません★…でも、私にとってもあの場所は思い出の場所なんです… 07/7/18(潤子)

それは「手術台の上におけるミシンとこうもり傘の出会い」ならぬ「歩道橋の上におけるギターとうんこの出会い」という芸術作品だね。 07/7/18(石川浩司)

昔は高円寺の洗濯船っていう飲み屋さんによく飲みにいってました。
知久さんも飲みに来て、ライブとかもやってました。
まだあるのかなぁ?  07/8/16(ペロ)

あるんじゃない? 俺も一時期は結構行ってたな。友人が料理人をしてたこともあるしなー。  07/8/16(石川浩司)

たまのライブを観に、生まれて初めてひとりで東京に行ったのが吉祥寺・・・。迷いながらライブハウスまで行ったこととか、全部なんとも言い表せないわくわくした感情が今でも吉祥寺とセットなのです。
これからもずっと思い出の町として君臨し続けると思う。  08/3/10(さっちゃん)

「最初に行ったとこ」ってそのドキドキ感も合わせて記憶に残るからね。
俺の「東京」は上野かも。 08/3/10(石川浩司)

最近まで国分寺に住んでいました。出勤時、新宿方面へは国分寺から新宿までノンストップの”中央特快”があって便利でしたが、腹の具合が悪い時は途中で降りることができないので注意が必要です。帰りは中野(タコシェ等)・西荻窪(ニヒル牛)・吉祥寺(マンダラ等)と誘惑がいっぱいでした。  08/11/28(作戦失敗)

中央線は誘惑の塊だもんねー。
俺も高円寺から引っ越して20年近くになるけど、ニヒル牛があることを除いても、行く機会はどこの沿線よりも多いもんなー。  08/11/28(石川浩司)

ここ最近、何度か上京するようになりましたが、目的地はほとんど中央線沿いであります。そして、やはりというか予想通りというか、都内で一番通っている街が西荻窪であります。
まだまだ東京のことはよく分かりませんが、西荻窪駅の付近だったら少しは道案内できるかな、と密かに思っております。 09/5/21(たちつ亭と〜助)

俺も20代の頃は高円寺だったし、都内のいろんな町に行ったけど、サブカルチャー好きでなおかつちょっと落ち着いた大人の感じもあるとなると西荻窪はナンバーワンだと思う。  09/5/21(石川浩司)

中央線、大好きです。自分の中では東京=中央線という感じです。
とくに中野〜吉祥寺。普段そのあたりばっかウロウロしてるので、たまに用事とかライブとかで離れた場所に行くと、どどどどこだここは〜〜・・・となってしまいます。
今は西荻に住んでますが、落ち着いててとっても住みやすいです。古本屋さんや骨董屋さんや、小さくて素敵なお店がたくさんあって楽しいです。 09/6/16(ななを★)

そうそう、都内でも個人商店がまだまだがんばっている数少ない地域だからね。
旅することが多いので地方にもよく行くのだけど、どこも東京にもある大手チェーンばかりで、どんどん面白みがなくなっている。
下手に地方に行くより中央線の町の方がよほど旅的な面白さはあるかも。  09/6/16(石川浩司)

高円寺文庫センターが無くなってしまうなんて!
電子書籍への参入にもワクワクしている自分がいうのもなんだけども、紙の書籍が追いやられていくのも少し悲しいなぁ‥‥‥ 10/12/10(ことり)

ちなみに高円寺文庫センターの本棚はニヒル牛を通してニヒル牛作家が頼まれて、オーダーメイドで作ったもの。  10/12/10(石川浩司)

以前、初体験にも書いたのですが、昨年、新宿から特急列車で久々に長野へ行きました。
自由席で、隣に座った女性が、八王子まで早く行くため、特急料金を支払って、乗ったそうですが、出発して10分少々で八王子の少し先で人身事故が起きたため、止まってしまいました。
結果、八王子に到着したのは40分遅れ。特急で速く行こうとしたのに、逆に倍以上の時間が掛かって、運が悪かったなぁと、ぼやいていました。
電車が止まっている間、いろいろと雑談もしたので、必ずしも時間の無駄遣いだったわけではないですけどね。 10/12/25(Hi-)

確か特急は二時間遅れると特急料金返してくれるんだったっけ。
どうせならあと1時間20分遅れればね(笑)。  10/12/25(石川浩司)

大学が八王子にあったので中央線は学生時代よく利用していました。
でも新宿〜八王子間を直行するときは私鉄の京王線のほうが運賃が安くて快速特急に乗れば所要時間も短くなるので京王線ばかり使っていました。今から思えばもっと中央線に乗ってあげればよかったと思います。ごめんね、中央線。 11/4/24(波照間エロマンガ島)

いや、俺も直行するなら絶対安い方を選ぶだろーな。
でも中央線の定期を買って、毎日いろんな町で下車して散歩する、なんてのも良かったかもね。 11/4/24(石川浩司)

親戚の家が中央線の車窓から見える位置にあったので、子供の頃から近くを通ると目を皿のようにしてその家を見るため目を凝らしてました。小学校くらいのときは、国鉄の線路の近くに家があったらいいなぁ、と思ってました。いつも好きな電車を見ることができるから。  11/5/29(波照間エロマンガ島)

子供は電車好きだよねー。
俺は今でも好きだけどな〜。車種とかはあまり興味はないけど。 11/5/29(石川浩司)

この話題「中央線」はどうしても東京〜塩尻間の中央東線(JR東日本)のディープスポットの話題に偏りがちですが、私は塩尻〜名古屋間の中央西線 11/6/10(JR東海)の話題も何かあったら読んでみたいです。 11/6/10(波照間エロマンガ島)

いわゆる木曽路ね。風情あるよね。そっちも好きだな。
ってか、いわゆる都内の中央線(東京ー高尾間)がメインのトピックかと。 11/6/10(石川浩司)

1980年代前半、国立に住んでいました。まだ世の中にはレンタルビデオ屋は殆どありませんでしたが、RCサクセションの曲のタイトルでもお馴染みの多摩蘭坂に、東宝の特撮映画のみ置いてあるレンタルビデオ店があってよく通っていました。その店は家庭用電器屋さんだったのですが、店舗の一部がレンタルビデオコーナーになっていたりしました。そしてどのソフトもVHSとベータの2種類のビデオテープが存在していました。あれから30年近く経ち、今やブルーレイディスクの時代になっていますが、これから映像ソフトはどうなっていくのでしょう。 11/6/18(波照間エロマンガ島)

俺の持ち物ではなかったのだが、便宜上俺が使わせてもらってたのがベータだった。
どんどんVHSに駆逐されていった時は悲しかったなあ。
今はDVDやデータをダウンロードするのが主流だけど、いずれダウンロードというよりホストコンピュータにいつでも簡単にアクセス出来るようになって、ダウンロードすら不必要になると読んでいる。 11/6/18(石川浩司)

中央線神田駅と御茶ノ水駅のちょうど中間、旧交通博物館のあった付近に「万世橋」という駅が以前ありました。最初は甲武鉄道(中央本線)の終着駅だったのですが、大正3年の東京駅の完成後は通過駅に過ぎなくなり、昭和18年に駅舎も焼失しついには廃止されたとのことです。
現在は駅の姿はとどめていませんが部分的に遺構が残っていて、2006年に一般公開されたときに見に行きました。交通博物館の廊下に細い地下道のような通路があり、中に入っていくと、駅舎の階段やアーチ形のレンガや階段などがありました。都会のど真ん中に100年くらい前に使われていたものが当時の形のまま綺麗に残っていて、まるでタイムトリップしたかの錯覚を覚えました。機会があればいつかまた見てみたいです。  11/7/7(波照間エロマンガ島)

当時は都内でもかなりの乗降者数を誇る中心駅だったんだよね。
現在の東京駅は以外と新参者なんだよね。
ところで中央線の特快にすら神田って止まるけど、そこまで必要かなといつも思う。
乗り換えられるのは山手線だけで、それは隣の東京駅ですればいいことだし。 11/7/7(石川浩司)

2005年10月7日に「草間彌生 魂のおきどころ」という展覧会を観に長野県の松本市美術館まで、中央線特急あずさに乗って東京から日帰りで行ってきました。
この展覧会は東京、京都、広島、熊本と巡回し最後に草間さんの故郷である松本市で行われたもので、東京での展覧会に行きそびれた私はわざわざ長野県まで行ったというわけでした。
学生時代から草間さんのファンであった私はこの回顧展に相当思い入れがあったので期待して行ったのですが、想像以上に素晴らしい内容で、帰りは草間さんの作品の余韻に浸りながらあずさ号の車内で時を過ごしました。楽しい中央線の休日でした。 11/7/29(波照間エロマンガ島)

草間彌生って松本だったんだ!
松本の町はとても好きなんだよね〜。 11/7/29(石川浩司)

幼稚園のとき見ていた特撮ドラマ『ビーロボ カブタック』。それをふとウィキペディアで調べてみたら、主要登場人物の名前が中央線の駅名から取られていた。ちょっとビックリ・・・ 11/7/29(ズミ天)

へえ。東中野君とか西荻窪さんとか!? 11/7/29(石川浩司)

2009年4月タイから日本に一時帰国したときに、わたしがタイ語を習っていたN先生(女性)が同じスケジュールで日本旅行をしたので、何日間か日本でご一緒する機会がありました。ある日曜日、渋谷で待ち合わせしてデートを楽しみました。原宿、新宿と山手線で移動しつつ、絵に描いたような観光コースを回りました。どこもものすごい人出で、人いきれに疲れてしまいました。新宿で休憩中、今度は中央線沿線も案内したいなと思いつき、まず中央線に乗って中野に行きました。中野ブロードウェイでタコシェやまんだらけ、ミニチュアフィギュア屋さんなどまわり、クレープを食べたりもしました。さて、そして仕上げに西荻窪へ連れて行こうとしたそのとき、N先生は疲れて具合が悪くなってしまいました。私はN先生の宿泊先の最寄り駅まで送り、別れました。もしそのとき余力があれば、ニヒル牛2で行われていた天使イベントで石川さ・・・、もとい、石川さんによく似た天使さんのありがたい姿を見せられたのに、と残念でなりませんでした。結局、私は一人で天使イベントを観に行き、このホームページで知り合った友達とそのあと食事しに行きました。人の縁って面白いです。N先生には石川さんのことを「日本の偉大なポップスター」と話してあるので、いつかチェンマイで紹介できる日が来るかもしれません。 11/9/22(波照間エロマンガ島)

会ったら「こっ、こっ、こっ、これがポップスター!?わたしには日本が分からなくなりました!」もしくは「恥ずかしくてポッ、おならがプス、逃げるぞター」という意味ですか?と言われそう。 11/9/22(石川浩司)

恥ずかしい体験を告白します。先月所用で日本に一時帰国したときに、成田空港に到着したその足で吉祥寺に行き、友達と会食しました。2次会は西荻窪ロック食堂へ移動しオールナイトで飲んだのですが、あまりに疲れていたからでしょう、帰りの中央線の中で爆睡してしまい、目が覚めるとそこはなんと青梅駅でした。西荻窪から上り電車に乗って新宿駅までは友達と一緒だった記憶はあるのですが、彼女が下りてから、深い眠りに入ってしまったようです。しかも時間が6時間くらい経ったお昼近かったので、もしかしたら東京―高尾間を何往復もしていたのかと思うと恥ずかしくてそのことは誰にも言えませんでした。いちおう財布や貴重品などは掏られてなかったみたいでしたがとんだ醜態をさらしてしまいました。1ヶ月経った今、ようやく気持ちの整理がついたのでここに投稿いたします。そのときお会いした皆さん、実はこんなことがあったのでした。  11/11/12(波照間エロマンガ島)

えっ、そんなことが!?
やっぱり飛行機でタイからやって来てそのままオールナイトは年齢的に限界なのかもね。
しかし6時間とは、本当に爆睡だなぁ。
物は盗られてないかもしれないが、お尻の穴がやけにヒリヒリはしなかった? 11/11/12(石川浩司)

1950年に朝鮮戦争の戦禍を逃れて朝鮮から日本に家族で移住してきた、のちにビデオアーチストになるナムジュン・パイクが、中央線沿線に残る武蔵野の自然について懐かしく語っていたのを聞いたことがあります。当時は中野以西の中央線沿線にはまだ緑はだいぶん残っていたらしいですが現在では見る影もなくほとんど宅地化されています。荻窪駅南の五日市街道近くの一角に森の残骸のようなところは部分的に見ることはできますが、もし東京に環境行政のような概念がヨーロッパ並みにあったならば戦後高度経済成長期においても自然はある程度守られていたと思わずにはいられません。武蔵野の緑を想起できる文学作品で私が好きなのは石川淳の「山桜」〔1937年〕で、国分寺駅を南に歩いていったところにある野原の中に主人公が寝転がる描写があって、風にそよぐ木の枝を見上げるところなどは武蔵野の緑を感じさせてくれました。小金井公園や玉川上水沿いにもまだ緑は残っていますが、それでも資本主義の欲望の中に呑まれた中での森林なので自然そのものという感じではないと思います。 12/1/24(波照間エロマンガ島)

そうだよね。昔は野っ原だったから中央線はあんなにまっすぐに線路が敷けたんだもんね。
閑話休題。俺の三男の弟の名前は石川淳。 12/1/24(石川浩司)

「俺の三男の弟」というのは、石川さんのご両親の息子さんという認識でいいんですよね(笑)? 12/2/6(可南)

そうすそうす。俺に子供いないからね。
あれ、どういう書き方したら一番正確に伝わったんだろう?
言葉って難しいね。 12/2/6(石川浩司)

中央線の高尾駅の近くに住んでいる友人の家に宿泊した翌朝、そこから始発電車に乗って銀座の会社に出社したことがあるのですが、はっきり言って遠すぎて、一寝入り(ひとねいり)どころか、二寝入りしても、まだ新宿に着かない感じでした。私は遠距離通勤をしたことがないので、これだけ長い通勤時間を1日2回、月に20回もするのはエネルギーの損失、とさえ思ってしまいました。いやー、それにしても遠かったー。通勤時間が片道2時間というのはどうなんでしょう?そういえば、会社に東海道新幹線で通勤している人がいたな。  12/6/8(波照間エロマンガ島)

でも高尾はまだ始発駅だから座れるだけマシかも。
立って片道2時間とか、人生でロスが多いよね。
もちろんその間に片足立ちして筋力トレーニングをしてそれが楽しい、とかの工夫が出来る人は別だが。
何事も総合的に考えて自分の人生にとって良いかどうか判断しないとね。 12/6/8(石川浩司)

中野にある○井の本社ビルに仕事で行ったときのこと。最上階から景色を眺めたとき、思わずクラクラっとめまいを起こしそうになりました。中野から西の中央線沿線が眺望できたのですが、見渡す限りの住宅地だったのです。以前も書きましたが、武蔵野の自然が、戦後の高度経済成長によって、すべて宅地化されて失われたことを実感しました。そうならない都市計画もあったはず、と頭の中でつぶやく私でした。  12/6/25(波照間エロマンガ島)

でも日本の人口は減りはじめてるから、今後はいらない宅地も増えるはずだよね。
どこまでもどこまでも続く砂漠・・・になる日も!? 12/6/25(石川浩司)

「どこまでもどこまでも続く砂漠」・・・、これを読んで、楳図かずお先生の「漂流教室」の作品世界を想起してしまいました。「大和小学校の862人の霊ここに眠る」の墓標が出てくるシーンは、少年サンデーで連載中に読んでいた中でも、特に印象に残っています。  12/7/14(波照間エロマンガ島)

あの作品は俺も興奮してリアルタイムで読んでたなぁ。
楳図先生も吉祥寺住まいだから中央線あたりが元々舞台の可能性あるよね。 12/7/14(石川浩司)

実家から、よくライブが行われる吉祥寺・西荻窪までは、地図上で見ると、直線で南下すれば行けるのですが、中央線で行くと、池袋・新宿か、西国分寺経由で行かねばならず、微妙に遠回りになってしまうのです。
高校の時、路線バス2本で行くと、直線移動できると知り、雨の日以外は自転車でライブ通いをしていました。
学生時代は金銭的に余裕があったため、バスか電車で行っていましたが、余裕がなくなった時は一駅か二駅ぐらい(バス路線でも一路線の区間)、歩いてライブへ行っていました。自宅や会場の駅から一駅だけ、鉄道会社が違ったため、全路線電車で行ったら、交通費が高くなることもありましたし。
特に、荻窪と西荻窪の間は、10分ぐらいだったので、案外短かったですね。しかし、バス路線を一区間歩いたら、予想以上の2時間かかりました。

ちなみに、ライブ終演後は、顔見知りの方々やメンバーの方々との談笑もよくするため、終バスには間に合わず、いつも電車での帰宅を余儀なくされました。
でも、終演後に、他のお客さんが演奏を始めることもあったので、余韻に浸りつつ、家路につくこともありましたね。 12/7/28(Hi-)

東京って中心から八方に路線が延びてるので、歩いたら近いのに電車だと大回りせねばならないことって多いよね。
俺も同じ埼玉県内でも、一度東京に出た方が早い町が案外多いからなー。 12/7/28(石川浩司)

2012年4月からニヒル牛マガジンで連載を始めました。毎週あれこれ思いつくまま、書かせていただいています。ネタに苦慮しつつ、昔の日記を引っ張り出してリライトしたりしているのですが、中央線沿線に住んでいたこともあり、忘れていたことを思い出すことが多い今日このごろです。今さっき、高円寺にあった名画座の映画館の名前を思い出しました。「ムービー山小屋」。いい名前だなぁ。なんかロマンがあるなぁ。ロマンといえば、「日活ロマンポルノ」という名前もノスタルジーを感じます。 12/9/14(波照間エロマンガ島)

むむっ、その映画館知らないなぁ。
俺の住む1981年以前に無くなったとこなんだろーな。
よく自転車で中野光座に行ってポルノ三本だて観たな。
後年、そこで芝居公演するなんて思いもしないで。 12/9/14(石川浩司)

中央線沿線の映画館の話題で思い出しましたが、昔、八王子にあった八王子日活という映画館で、大雪の雪の重みで屋根が抜け、崩れてきた建材に当たって人が怪我をしたというニュースを覚えています。検索すると、この事件のことはけっこう首都圏在住の人の記憶に残っていたようで、何軒もヒットしました。1986年3月24日だったようです。春の大雪だったのかな。日活ロマンポルノを観ていて天井が抜けて怪我する、って相当恥ずかしいなぁ、って友人と話したことを覚えています。八王子市に通っていた大学があったので、知り合いではないかと思ったりもしました。 12/10/13(波照間エロマンガ島)

もうちょっと都心だったら俺も月に三回は通ってたから危なかったなあ。 12/10/13(石川浩司)

中央線の高尾から大月に向かっていく途中に、四方津〔しおつ〕という駅があります。ここは改札を出るとすぐに近くの山の上に上がっていく長距離のエスカレーターが設置してある駅として有名です。山の上に、「コモアしおつ」という造成分譲された住宅街ができています。 一度、この「コモアしおつ」に行ってみたことがあるのですが、山の自然の中にとつぜん住宅地が切り開かれたような、とても不思議な場所だった記憶があります。あとから聞くと、「千と千尋の神隠し」の迷宮に迷い込むシーンはこの界隈をモデルにしたらしいことがわかってなるほどと思いました。 12/11/12(波照間エロマンガ島)

これに関しては拙著「すごろく旅行のすすめ」に俺が詳しく書いてま〜す。
数回行ったなぁ。 12/11/12(石川浩司)

海外在住なので中央線に乗ることも少なくなりましたが、1年に1度ほど帰国するときは、たいてい中央線に乗って西荻窪のニヒル牛、ニヒル牛2に行きます。しかしながら、その数少ない機会のほとんど必ずと言っていいほど、石川さんの古い友人のKさんに遭遇してしまいます。Kさんは毎日西荻窪に来ているのでしょうか? あれはいつも不思議に思うことのひとつです。 12/3/14(波照間エロマンガ島)

Kは住まいは高円寺なのだが・・・。
仕事場が両国で「定期券が高円寺までと西荻までが料金変わらないんで西荻まで買ってるんだよ。ケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケッ」と言ってました。 12/3/14(石川浩司)

石川さん関連のイベントがよく行われた、今はなき「The ロック食堂」のシェフだった七尾太佳史さんが西荻窪で始めた「秋田ばる七尾」に、この1月、ようやく行くことができました。感想は一言で言って最高!! 料理とお酒は美味しいですし、お店の雰囲気も大好きでした。七尾さんの料理と人柄にますます惚れ込みました。短い日本滞在中2回お邪魔したのですが、一度は開店から閉店まで、二度目は開店から終電まで、とかなり長居してしまいました。好きな店で友人たちと語らいあえるのって、本当幸せですね。また、日本帰国の折にはかならず訪ねてみたいと思います。  14/3/24(波照間エロマンガ島)

やっぱのシェフの人柄だよね。顔を見ただけで肩の力が抜けてゆっくり酒が楽しめる。
女性のひとり客とかが多いのもむべなるかな。 14/3/24(石川浩司)

先月「ニヒル牛」にお邪魔した際、JR中央線に乗りました。よく見ると、中央線って大体真っすぐな路線なんですね。
ニヒル牛は西荻窪ですし、たま時代によく出ていた地名の吉祥寺も高円寺も、中央線の駅なんですね。調べていて今更ですが、気が付きました。
中央線は、たまゆかりの地域だったりして・・・!!
  ちなみに、真っすぐなのは大阪の中央線もそうです。こちらは地下鉄線ですが・・・
  お互いに中央線という、いかにもその地域の中心のような名称ですが、東京のJR中央線も、大阪の地下鉄中央線も、山手線や御堂筋線より乗客が少なくて空いてるなあ、と思いました(笑) 14/4/18(ハーブティー)

それは時間帯にもよるんじゃないかなあ。
通勤ラッシュ時の中央線はあまり山手線と変わらないと思うな。
たまゆかりの地域、はもちろんそう。
なんせたま結成時は3人とも高円寺に住んでたからね。
他にも友達も多かった。ホルモン鉄道の大谷もとっちゃんも高円寺住んでたしね。
バンド活動はもちろん遊ぶのも中央線界隈が圧倒的に多かった。 14/4/18(石川浩司)

  阿佐ヶ谷駅北口にある河北総合病院からほど近い中央線ガード下にあった地下室バーのRICKYという店を覚えている人、いますでしょうか?1990年代前半はよく飲みに行ってました。また、高校からの親友がよくDJをやっていたので、私もレコードを持っていき、DJをしたこともあります。懐かしいです。私にとっては1990年代はつい最近の出来事なのですが、もう20年くらい経っているんですねー。 14/4/18(波照間エロマンガ島)

そのお店は知らないけど、ほんと1990年なんてデビュー後だからつい昨日みたいなもんっす。
俺のいわゆる青春時代は197〜80年代だからなあ。 14/4/18(石川浩司)

14/4/18の追記ですが、石川さんの義姉のアコさんは、よくRickyに行っていたという書き込みを読んだことがあります。中央線沿線在住でロック系の人にはお馴染みの店だったのでしょうか。気になるところです。 14/4/25(波照間エロマンガ島)

  う〜ん、そうなのかな?
義姉とはツイッターとかでやり取りはするけど実際は年数回しか会わないから今はちょっとわからないなぁ。
少なくとも俺は行った記憶は無いねー。 14/4/25(石川浩司)

中央線で思い出しましたが、水島新司先生の「野球狂の詩」に出てくる架空のプロ野球球団、東京メッツの本拠地に「国分寺球場」というのがありましたね。でもって、国分寺球場の裏手が、貧乏長屋というか、スラム街になっていたのには笑いました。実際の国分寺とはまったく違うのが可笑しかった。水島先生は、大阪の西成とかあっちのイメージで国分寺を描いていたのではないか、というのが私の想像です。 14/7/6(波照間エロマンガ島)

でも昔はいたるところに貧乏長屋ってあったよね。
まぁ国分寺は知らないけども。今はみんなマンションに住んでるのかなあ。 14/7/6(石川浩司)

  何年か前、中央線A駅近くの公園で友人たちとお花見をしたことがありました。そこでふとしたきっかけでノリのよい男性グループと意気投合し盛り上がったのですが、あとから聞くとAはそっち系の人が多く住まうエリアということで、そのグループのメンバーは皆ゲイピープルでした。今から思えばその後何にもハッテンせず、残念なことをしたと思いマス。 14/7/13(雨上がりケツ合肢体)

残念なのか…。
今からでも間に合う。パンツズリ下げ今宵はAに直行じゃい! 14/7/13(石川浩司)

何年か前にニヒル牛から西荻窪ハンドブックが発刊された時、その時は文句を言わなかったのですが、実際内心感じていたこととしては、西荻に新参者として店を出しているという「謙虚な姿勢」がここにはあるのか?という疑念がまず頭をもたげました。西荻窪には戦前から商店街があり、その昔から店を営む諸先輩に対するリスペクトは果たしてあったのか、と。そのことばかりが気になっていました。できれば、その頃からの西荻を知っている方のインタビューは欲しかったし、そういう過去を敬う視点は必要だったと個人的には思います。わたしは西荻窪出身で神明中学卒業の友人がいるのですが、彼が親から受け継ぎ語っていた昭和30年代の西荻窪の風景のようなものが、紙面に少しでも表現されていたらよいのにな、と残念に思ったことも事実です。以上、酔っ払っての「Nishiogi Lovers' Book」の今ごろになっての感想でした。 14/8/22(波照間エロマンガ島)

う〜ん難しいけど、俺は必要無いと思うかなあ。
最近のお店を紹介するガイドブックで歴史まで載せてたらページ数をもっと増やさねばならなくて、自主制作本だとコスト的に2000円オーバーの本とかになっちゃったら買う人もグッと減るだろうし。
何より執筆陣にある程度自由に書いてもらってるのだけど歴史に興味がある人がいなかったと。
俺もあまりそういうことに興味が無いタチなので真面目な歴史のページがあっても飛ばすと思うし。
まぁ歴史等に興味のある人はそういう人たちで自分で本を出せばいいかなと思うんだよね。必要な人もいるだろうから。
謙虚な姿勢、と言われればそうかもしれないけどそれを生真面目にやってたら何の進歩も無いとも思えるので、そこは新参者の強引さがあってもいいと思う。新しいことをやって来た人たちは多少何かを打ち破らなければならないから。
昔からの西荻を知っている方のインタビューとかやるとどこのガイドブックにでも載ってる名店の老舗の店ばかり紹介しなくちゃならなかったり場合によってはもう無くなった店も扱わなければならないなども起こりうると思う。
それと「今現在行ける店の紹介」というこの本のコンセプトとは真逆だしね。
温故知新は大事だけど時と場合によりけりというか、まぁ自主制作は基本ワンアイデアでいいと思うんだよね。
いろんな要素を詰め込み過ぎると全体の印象が散漫になっちゃうと思うからね。 14/8/22(石川浩司)

大好きな漫画、小林まこと作「1・2の三四郎」でプロレスラーになった東三四郎がプロレス興行の会場に遅刻したかなにかで、中央線の車中で人目はばからず、ヒンズースクワットとかやって準備運動しているシーンを思い出したのですが、そんなシーンってありましたっけ?どなたか覚えている方、レスくださぁい。 14/8/22(波照間エロマンガ島)

この漫画好きだったけどそこまでの細部は覚えてないなー。
しのちゃん良かったよね〜。 14/8/22(石川浩司)

14/8/22 の石川さんへ。はい、石川さんのおっしゃることごもっともだと思いました。温故知新まで含めると内容が膨らみすぎてしまう、ワンアイディアのもつ自主制作本のイムパクトということもわかります。突き詰めていくと、あとはライターの好みということになってしまうのでしょうしね。歴史ではなく今行きたい店というストレートなチョイス! ご丁寧なレスポンスありがとうございました。 14/8/28(波照間エロマンガ島)

いえいえ、こちらこそ制作者が友達ばかりだったので熱くなりすみません。
波照間エロマンガ島さんの書いた西荻の歴史本なら読んでみたいっす。
と言っても書籍はなかなか大変だろうから、例のネットマガジンでいつか是非よろしくです! 14/8/28(石川浩司)

今はダイヤ改正されているだろうから違うでしょうけど、1983年頃は新宿発高尾行きの最終電車は午前0時34分発でした。新宿ツバキハウスで遊んで終電で家に帰るため、よく駅まで走りました。そしてよく終電を乗り過ごしました。懐かしい想い出です。 14/9/28(波照間エロマンガ島)

乗り過ごした時はどうしてたの?
今はネットカフェとかいろいろあるけど当時は無かったものねー。 14/9/28(石川浩司)

終電を乗り過ごしたときは、どこか終夜営業している喫茶店とかで始発まで時間をつぶしてたりしたのではないでしょうか。確かにまんが喫茶はありませんでしたね。そういえば、コンビニエンスストアが1970年代にはなかったということが、今となっては想像できないんです。真夜中って買い物どうしてたのかなー。甲州街道の四谷3丁目あたりにあった深夜スーパーは覚えてますが。 14/10/9(波照間エロマンガ島)

昔は夜8時過ぎたら何も買えなかったよね。
正月も完全に三日間はどこも店開いてなかったし。
でもそれがなんか緊張感あって面白かったんだよなー。 14/10/9(石川浩司)

ネット上から面白画像を拾ってきてみんなに紹介することが好きな私のどうでもいい体験とその情報です。
ある時、ある学生の学園生活を綴ったサイトを発見し閲覧していたのですが、校門の近くのピンク色のモニュメントの前で記念撮影している父兄の集合写真がありました。そのモニュメントには「私立オマンチョ学園」の文字が刻印されていました・・・・・・。明らかにその文字は合成していたのですが、前景に写っている父兄とのコントラストが可笑しくて、大笑いしてしまいました。
その画像をミクシィ日記で友人に公開したところ、意外なレスポンスが返ってきました。毎年チェンマイに長期滞在する某さんからでした。「この『私立オマンチョ学園』のモニュメント知ってます!あれはわが母校、東京G大学のものに違いありません。っていうかこんな変なモニュメント、そこにしかないと思うので」と、情報をいただきました。東京G大学は、中央線武蔵境駅から西武多摩川線に乗り換え、某駅下車数分の場所にあるとのことです。という、別に可笑しくもなんともないどうでもいいモニュメントの情報でした。  14/10/21(波照間エロマンガ島)

東京G大学はアート系かな?俺もそういう違和感のあるもの好き。
  ただ最近あまりにも映像技術が進化し過ぎて本物と偽物の区別が全くつかないので、それが情報操作に使われるのはかなり怖い。
素人にどれが本当か確認する術が無いからね。 14/10/21(石川浩司)

14/10/21の石川さん。「東京G大学」とは、某バンドのドラマーの出身校です。そのドラマーは石川さんに影響されて音楽を始めたという御仁で、現在医者を目指して某大学に通っている人といえば、このサイトを閲覧している人は90%以上の人はわかってしまうという有名人です。 14/11/2(波照間エロマンガ島)

なるほろ〜。何人かの友人が出ている頭のいい〜大学だね。 14/11/2(石川浩司)

  2020年度から中央線に2階建てグリーン車が連結されることが決まりましたがとても楽しみです。と言っても現在日本に住んでいないので通勤に利用することはないのですが。以前東海道線の快速アクティーにあった2階建て車両が好きでよく通勤で乗っていたので、中央線にも導入されることは喜ばしいです。 15/2/19(波照間エロマンガ島)

通勤圏はラッシュ時のグリーン車や指定席作ったら絶対もっと儲かると思うんだけどな。
整理が大変かな。 15/2/19(石川浩司)

市ヶ谷で降りたいのに東京駅から乗ったらいっっつも四ッ谷に着いてしまっていたなぁ。お家に帰りたいのに嗚呼幾度御茶ノ水と四ッ谷を行ったり来たりしたものか。。。総武線と中央線の違いをよくわかっていなかった田舎っぺーでした。 15/2/21(ジェレ美)

あれは初めて上京した人には分かりづらいよね。
基本ほとんど同じとこを走るからね。
山手線の東側と京浜東北線もね。 15/2/21(石川浩司)

東京メトロ有楽町線は、市ヶ谷から次の飯田橋までの区間は中央線とほぼ併走しているのですが、どうもその区間を走っている時だけ方向感覚が狂ってしまい、どちらかの駅で下りて地上に出てみると、いっしゅん東西南北がわからなくなります。 これは「丸い緑は山手線、真ん中通るは中央線、新宿西口駅の前、カメラはヨドバシカメラ」というCMのアニメ映像が頭に入っているので、その絵地図に有楽町線のルートを上書きすると方向を見誤る傾向があるからではないか、と推測します。 15/2/28(波照間エロマンガ島)

ああ、地下鉄は難しい。地上に出た時に方向を勘違いするとまるで分からなくなる。
普段方向感覚は割といい方だがこればかりは結構注意する。 15/2/28(石川浩司)

つい先日東京に行った時は神田に泊まりました。それで、東京に着いて神田のそのホテルに荷物を預けた後両国へ行ったのですが、ここからJRで新宿へ行った時、総武線と中央線が一緒になる事を知りました。
以前東京に住んでいた友達といっしょだったため迷う事はなかったですが、東京に詳しいのんが居なければ確かにわかりにくい! 15/4/3(西大路)

そして同じ線路を走っていても基本中野までは総武線は各駅停車、中央線は快速っすね。 15/4/3(石川浩司)

総武線が各駅停車で中央線が快速ですか。そんな違いも! 15/4/9(西大路)

ただ三鷹発の上りだと総武線を走っていても相互乗り入れで地下鉄東西線に中野から入ってしまうものもあり難しい。
また中央線下りも中野からは平日は各駅停車だが土日は飛ばす駅もあるので注意が必要。 15/4/9(石川浩司)

西大路さんの行動力半端ないですね。すごいです。わたしの神田駅の思い出というと、中1の頃ですが神保町の古本屋街、駿河台坂下の楽器屋さんまで行くのに、毎週のように神田駅からてくてく歩いて通っていました。その頃は地下鉄に乗って神保町に行く発想がなく、私の最寄駅からは地下鉄で行ったほうがぜんぜん近いのに、とにかく国電に乗って神田からよく歩いてましたね。そのうちに神田周辺の地理には相当詳しくなりました。別のトピックでも書きましたが、靖国神社や九段下、武道館の周辺は散歩コースになりました。 15/4/9(波照間エロマンガ島)

国電という言葉ももはや懐かしいね。
ジェーアールなんて言葉が普及するとは思わなかったなー。 15/4/9(石川浩司)

僕の行動力は大した事ないですよ。
この東京旅行も普通に見えてるやつが一緒だったですし、この男は以前東京に住んでいたやつなので僕はついて行ってただけです。
勿論、ホテルに着いたらその日に乗った路線を駅探でチェック、一泊二日だったので帰ったら二日分をチェック。
鉄道乗り継ぎしてるだけで楽しいので関東また行きたい。こんな僕と一緒に行っても良いという方募集しまーす。
そうそう、地下鉄と相互乗り入、高円寺の時刻表見たのですが、西船橋行の電車が2ルートあるというやつですよね? 15/4/16(西大路)

都内近郊はとある駅からとある駅に行くのにルートがたくさんあり過ぎて基本知識が無いとトンダ遠回りとか乗り換え回数が多くなることがあるので注意。
一般の人で全部瞬時にベストなルートが分かる人は相当のマニアかもね。 15/4/16(石川浩司)

へぇぇ皆さんいっぱい思い出があるんですね。私はまるで接点がないのでいま調べましたがこれだけ都市部でしかもほぼ西へど真っ直ぐな路線があるなんて、なんか異質な感じがして面白いですね〜! 私はTHE BOOMの曲しか知りませんでしたしユーミンの「中央フリーウェイ」とよくごっちゃになります。しかもどんどん東京から西へ向かえば名古屋まで続いてるなんて・・・ ってあれ? これ日本国民の常識だったんですか!? こりゃ失礼しました。 15/4/19(アホムチャン)

  中央線は二通りの解釈がある。
最狭義では新宿から三鷹まで。狭義では東京から高尾まで。広義では東京から名古屋まで。
普通は東京で「中央線沿線」と言ったら狭義の方。名古屋近辺のことは差しませんな(笑)。 15/4/19(石川浩司)

そして、高円寺から西船橋間で検索したら、総武線ルートより地下鉄東西線ルートの方が交通費安いんですね! 15/4/19(西大路)

JRより地下鉄の方が安いからね。
でも地下鉄も営団より都営の方が高いので注意。
東京は地下鉄も一種類じゃないし、同じ駅でも乗り換えに凄く歩かされることもあるので注意! 15/4/19(石川浩司)

2015年3月、東京都国立市にある古民家で「旧高田邸と国立大学町 〜85年の物語〜」という展示が行われました。 http://takadagiichirou.tumblr.com/ 
このホームページでもお馴染みの淺井カヨさんのブログで知ったのですが、実は30年ほど前にわたくし、この家のすぐ近くに住んでいたことがあります。現在タイのバンコクに住んでいるので伺うことはできませんでしたが、図版のほうを懐かしく拝見しました。国立はもともとは中央線の国分寺駅と立川駅のあいだに鉄道駅とともに新しく造成された町にふたつの駅から一文字ずつとって「国立〔くにたち〕」となったことはよく知られています。もともと神田一ツ橋にあった東京商科大学が国立に移転してきたのは1927年で、日本で初めての学園都市構想のもと、区画整理がされ街づくりが行われてきました。この頃建築された民家で戦災に遭わず現在まで残っている一軒が高田邸なのだと類推します。
国立市は隣接する府中市や立川市のように大企業や工場がないので税収が低く、インフラの整備が遅れていました。私が住んでいた1980年代前半でも汲み取り式トイレの家庭が多かった記憶があります。そして文教都市なのでパチンコ店や風俗店などは規制されて駅前はずいぶん静かな佇まいだったのも特徴的でした。以上、国立の思い出を少々書き連ねました。 15/5/7(波照間エロマンガ島)

俺は国立というとやっぱり百恵ちゃんだなー。
百恵ちゃんが住んでる町。今もそうかな?
あとクニタチとコクリツはその後に何という文字が付くかで変わってくるから判別が難しいよね。 15/5/7(石川浩司)

関西の地下鉄は東京と違ってJRより高いですね。
そうそう、JR中央線とほぼ平行して、中央自動車道という高速道路もあります。トンネルの天井板が落ちた勝沼近くはすぐ側をJR中央線が通っています。て言うかあのあたり本当に近かったのか?勝沼何とかみたいな駅名見た事あるので適当に書いてますが! 15/5/7(西大路)

勝沼ぶどう園近くの笹子トンネルかな?よく通るよ。列車でも車でも。 15/5/7(石川浩司)

勝沼ブドウ園、それですそれです。天井板が落ちたのは笹子トンネルですね! 15/5/24(西大路)

あの辺景色も最高なんだけど見られないんだよね・・・。 15/5/24(石川浩司)

以前パスカルズのインタビューでロケットマツさんが「RCサクセションは曲から国分寺や国立の雰囲気が感じられる」とおっしゃっていましたが、私もその意見に賛同します。「トランジスタラジオ」という曲の中で、授業をさぼって屋上でトランジスタラジオを聴いて音楽を楽しむ描写がありますが、あれなど、高層ビルがまわりにない、広い空のある三多摩エリアの風景が浮かんでしまいましたもの。日野、立川、国立、国分寺あたりの風景がよくイメージしました。まさしく中央線の音楽という感じですね。RCの曲名にもなった国立と国分寺のあいだにある多摩蘭坂にあったレンタルビデオ屋さんに1983年頃よく行って、東宝怪獣映画を借りたものです。 15/5/24(波照間エロマンガ島)

「甲州街道はもう秋なのさ」とかね。懐かしい。 15/5/24(石川浩司)

今から15年ほど前に、足を運んだきりなので今もお店があるかは分からないのですが、国分寺駅からちょっと歩いた所に、程良くさびれた本屋さんがありました。
中に入ると、店内にはアイドル写真集とエロ本だらけの本屋で、男性客しかいなかった。
店内のお客さん達に一瞬、「何だオマエ、女が来る場所じゃ、ねーよっ!」的な視線を浴びたような気がした。(自意識過剰かな?でも一斉に見られたのは事実)更に店内を見渡すと、何故か銭湯の番台のように、ちょっとだけ高い所にあるレジには、ちょこんとお爺さん(初老の男性)座っていました。
当時、ちょっと訳あって気になっていた某アイドルの写真集を見つけたので、ドキドキしながら番台のお爺さんに、お会計をしてもらう為に本を渡しました。
お爺さんは「いらっしゃいませ」と静かに言うと、ちょっとぎこちなくかなりスローな動作でレジを打ち始めた。よく見ると番台には、そろばんが置いてあった。
レジを打ち終わったお爺さんは、次にそのそろばんを手にとった。今度は別人のように素早く、小気味良くそろばんを弾くお爺さん。
レジで自動的に出された半信半疑の数字を、そろばんで確認していたのです。
あれから月日は流れたけれど、本屋さんはまだあるのかな。お爺さんは今日も、そろばん弾いているのかな? 15/5/24(7月4日生まれ丑年の蟻)

どっちも無いに200円・・・。 15/5/24(石川浩司)

いやーここ読んでたり書いたりしてたら、勝沼から東京まで隣で石川さんの解説聞きながら乗りたくなってきましたー! 15/6/1(西大路)

見えない人に景色を知らせるには高度な表現力が試されるな。むむっ。 15/6/1(石川浩司)

15/6/1の西大路さん、石川さん。勝沼〜東京までは、車でも電車でもけっこう行き来した経験があるので、私沿線の風景などいっぱい説明できると思いますよ。相模湖の崖の上にあったラブホテル「相模湖ローヤル」の話をぜひしたいです!関東ローカルで深夜に佐藤蛾次郎さん出演のCMでお馴染みでした。 15/7/11(波照間エロマンガ島)

ああ、あと「ホテル石庭」とかね。懐かしい。 15/7/11(石川浩司)

実は10何年前まで、相模湖という名前なのに山梨県だと思ってました。
相模原市は広い! 15/7/18(西大路)

少し前は相模湖町だったけどね。
合併したんだよね。 15/7/18(石川浩司)

2015年6月25日放送のTBSラジオ「おぎやはぎのメガネびいき」の冒頭、リスナーから送られてきた生録音テープを紹介していました。内容はというと、中央線の車内でのきしみ音が、女性のあえぎ声に似ているというもの。実際聞いてみると、まさしくあえぎ声そのものでした。石川さんにはURLをお教えしますが、皆さんは検索してソースを探してください。中央線ってこんなネタもあるんですね、という話題でした。 15/7/18(波照間エロマンガ島)

ははは、これは俺も聞き覚えある。
   目をつぶって聞くとおかしいねー。 15/7/18(石川浩司)

これは若干イリーガルなネタなので核心はぼやかして書きますが、1990年代前半、吉祥寺から八王子までの間にある某駅のそばに風営法に違反し、朝まで営業していたキャバクラがあったのですが、そこにはXX歳の女性が就労していました。しかも東南アジア人ではなく日本人。友人が見つけて紹介してくれ、何度か飲みに行きました。当時はまだインターネットもなく、 盛り場情報は足で稼ぐととんでもない掘り出し物を掘り当てることができる時代でした。あのころはよかったにゃー。 15/8/14(サムレット)

それはきっと若い方だよね?
98歳の女性が就労していたらそれはそれで話の種になるもんな・・・。 15/8/14(石川浩司)

中央線上り線に乗っていると、東中野を過ぎて大久保にかけて大きく線路が右にカーブします。そして右側前方に新宿副都心の高層ビル群が視界に入ってくる。この景観を見るとき、それまで郊外を走っていた電車が都会に入ってきたという感興をもたらすといつも感じていました。新宿副都心の高層ビル群が見える部屋に住んでいたこともあるのですが、飽きもせずただぼけーっと眺めていることも多かったです。 15/8/28(波照間エロマンガ島)

そういうポイントってあるよね。
中央線じゃないけどいきなり海がワッと開けるところなんかも分かっていてもドキドキしてそれを待つことあるね。 15/8/28(石川浩司)

確か94年頃でしたか、当時は京都発八王子行の夜行バスがあって、それで朝6時前に八王子に着くと、「ビールをまわせ底まで飲もう」と、お姉様集団が歌いながら歩いてはりました。その時は僕は母親と一緒だったのですが、水系の人やろうて言ってました。
一人一人なら良いんでしょうが、集団は恐かったにゃあー! 15/9/10(西大路)

実は新興宗教だったのかも・・・。 15/9/10(石川浩司)

11/6/18の石川さん。ベータマックスのほうが、確かにVHSよりも映像は綺麗だった記憶があります。大学の映像の授業で最初に手にしたのがJ9というベータマックスのビデオコーダーでした。当時はビデオカメラとデッキが別々になっていました。
その後弱電業界で働くようになり、ソニーの下請け会社の専務さんと懇意になったのですが、当時ビデオはVHS方式のシェアが伸びてきて、ベータ方式は退潮する一方だっやのですが、それでもソニー崇拝者の彼は「ベータマックスは生産中止になっても、EDベータは残る!」と豪語していました。結果は、EDベータもすぐに生産中止になりました。そのうちに磁気録画のビデオテープから、CD−Rやハードディスクレコーディングの時代に変わっていったのはご存知のとおりです。あ、デジタル時代になる前に、8ミリビデオなんて時代もありましたね。デッキとテープをもっていました。 15/9/10(波照間エロマンガ島)

俺もいろいろハード代えていったなぁ。
何にしてもどれもスパンが短か過ぎるよー。も〜! 15/9/10(石川浩司)

1986年、中央線快速が高尾駅から延伸し、大月駅まで直通運転を開始したのを知った時は、何故かいわれのない衝撃を受けました。それまでは東京駅発の中央線は高尾駅止まりで、高尾以西は、新宿駅発、あるいは高尾駅始発の中央本線で行くほかなく、大垂水峠を越え相模湖、上野原方面へは切立った山の中をぬって走るので、都会と田舎の境目・結界があるような感覚があったのですが、その結界を乗り換えもなくすんなり通り抜けることができる快速線が開通したのは個人的に不吉な感じがしたのです。
ここから先はオカルト与太話の類になってしまいますが、東京の地勢を鎮守し風水上の結界を形成している国電の鉄道網にほころびができたという予感がしています。幸い、現在にいたるまでこの箇所で大きな鉄道事故などは起きていませんが、もし仮に今後、東京で局地戦が起こった場合、西から攻めてくる敵は東海道、中仙道、甲州街道を通ってくる可能性は高く、江戸時代に関所のあった、箱根や小仏付近は天然の要塞として戦略上重要拠点となるでしょう。そのとき一般道、高速道、鉄道と3種類のルートがある甲州路を敵の進撃を食い止めるにはどうしたらよいか・・・。と馬鹿な妄想していると時間があっという間に過ぎていきます。 15/9/17(波照間エロマンガ島)

今は河口湖まで行くのもあるしね。
敵をそれに乗せてリゾート気分に浸っているうちにそそくさと土嚢を積み上げよう。
・・・って、現代の戦争はきっとそういう感じじゃないんだろうなー。 15/9/17(石川浩司)

大垂水峠と小仏峠の位置関係がよくわかってなかったのですが、高尾山を挟んでの違いなんですね!  15/10/20(西大路)

あっ、俺も分かってなかった!  15/10/20(石川浩司)

八王子の大学に通っていたのですが、都心部より気温が3度くらい低いせいで、春は桜の開花が2週間くらいずれるのが特徴でした。同じ中央線なのに、桜を二度体験でき季節が違うのが面白かったです。 15/12/22(波照間エロマンガ島)

ああ、確かにね。
しかもほぼ直線の線路だから余計に面白いね。「あっ、ここから春!」ってね。 15/12/22(石川浩司)

15/8/28の追記。
1988年12月5日午前9時30分頃に東中野駅ホームで発生した東中野駅列車追突事故のことを記憶されている方はいるでしょうか。
東中野駅下り線ホームに停車していた電車に後続の電車が追突し、運転士1名と乗客1名の計2名が死亡、116名が重軽傷を負ったという事故です。大久保駅から東中野駅にかけての見通しの悪い左カーブを停止信号を無視し突っ込んでしまったという。国鉄民営後、初めて乗客に死者が出た事故でした。

わたしが覚えているのは事故に遭ったどちらかの電車に当時フジテレビのニュースキャスターだった上田昭夫氏がたまたま乗車しており、事故直後の状況を電話で音声レポートしたということです。上田氏はその前年に慶応義塾大学ラグビー部監督からフジテレビに転職し、ニュースキャスターになったことで話題になりました。そんな中央線東中野駅で発生した列車追突事故についての裏話でした。 16/7/1(波照間エロマンガ島)

電車に限らずメディアの人が事故に会うことはあるもんね。
最近はスマホで誰でも動画カメラを持っている状態なのでより詳細な情報が瞬時にあがることも増えるんでしょうなー。 16/7/1(石川浩司)

日本に住んでいた時には中央線なんか滅多に乗らなかったのに、このところ日本に一時帰国したときはほぼ必ず1日に1回は中央線に乗ります。西荻窪や吉祥寺、高円寺などに出向くことが多いのです。そんな私の最近の人生。 16/7/28(波照間エロマンガ島)

東京に住んでいても中央線にばかり行ってしまう人と中央線の町々に全く縁のない人がいる。
やはりある種の貧乏系文化なのかな。 16/7/28(石川浩司)

甲府といえば甲府盆地にある都市で、鉄道の中央本線、一般道では国道20号線〔甲州街道〕が通り、交通の要衝として古来より栄えてきました。室町から戦国時代にかけては武田家が統治していましたが、武田家滅亡後の江戸時代は天領となり徳川の直轄領として260余年もの時間を経て現在に至ります。

そんな甲府を舞台にした時代劇映画に「喧嘩笠」という作品があります。1958年東映映画で監督はマキノ雅弘。清水次郎長一家が黒駒勝蔵と喧嘩しに甲府にやってくるという話です。

甲府市中で次郎長一家が黒駒の勝蔵一家と喧嘩の後、代官所の役人(捕り方)が来て投降します。その時次郎長(大友柳太朗)は「存分にお改めくだせい」と言うやくるりと踵を返し「甲府の皆さん、ご迷惑をおかけしました」と次郎長一家一同お詫びの礼。たぶん太秦撮影所のオープンセットで撮影されていますが、夜間撮影なのにナイターのようにものすごく明るい照明が当てられているのです。「なんじゃこりゃ?!」と子供の私は思い爆笑しました。こういうチャンバラ映画の予定調和な感じ、まぁ許せます。

そんな中央線の甲府が舞台の映画の話でした。 16/8/11(波照間エロマンガ島)

中央線って微妙だよね。広義では新宿から松本までのことを言い、狭義では新宿から高尾までのことを言うからね。 16/8/11(石川浩司)

関西で中央線と言えばあまりなじみのない人が多いと思うんですが、松本や長野に電車で行く人は、名古屋から乗る特急の線という認識の人が多いと思います! 16/8/27(西大路)

そうそう中央本線は新宿から山梨県や長野県を通って名古屋までだものね。
この話題の中央線は基本的にはこの「中央本線」では無くて新宿ー高尾間の狭義の中央線のことだと思うよ。 16/8/27(石川浩司)

そう言えば中央自動車道も、高井戸から八王子までと、八王子から愛知県小牧までとでは、通行料金の設定が違うようですね! 16/9/8(西大路)

都心の中央と郊外の中央だね。 16/9/8(石川浩司)

16/8/11の追記。黒駒勝蔵というと、浪曲講談映画の清水次郎長ものでは悪役として欠かさないキャラクターですが、晩年の田中角栄のインタビューでこんなことを聞いたことがあります。

「金丸信、あれは昔は甲斐の黒駒勝蔵くらいな男だと思っておったが、最近はもしかして武田信玄くらい偉大な男かもしれん、と評価を変えた・・・。」

故・金丸信は田中角栄にとって、最初の頃は黒駒勝蔵程度の存在感だったんですね。笑えます。 16/11/19(波照間エロマンガ島)

田中角栄は自分を何だと思っていたのだろう? 16/11/19(石川浩司)

16/11/19の石川さん。それはやはり「今太閤」と言われたように、豊臣秀吉と同じく平民から立身出世して天下人になったということで、田中角栄が「俺は現在の秀吉だ」という自負があったことは容易に想像できます。そういえば最近、政治家時代は敵対していたはずの石原慎太郎が田中角栄の評伝を書いて話題になりましたね。古本屋で安くなったら買って読んでみようかと思います。

それはそうと、久世光彦さんが書いた森繁久弥の聞き書き〔「大遺言書」〕に、ある大物政治家と森繁が一人の芸妓を取り合って森繁が負けたというくだりがあるのですが、久世さんは節度があるからその大物政治家の名前をオブラートにくるんで書かなかったのですが、先日「サワコの朝」に樹木希林が出演したのを見ていたら、その政治家の名前を平気でバラしてしまったのは閉口しました。いはく「それは田中角栄だ」と。阿川佐和子さんは口をあんぐりしてあぜんとしてました。わたしは知っていても黙っているのが粋ってもんでしょ、と思います。

今から37年くらい前に久世光彦が不倫相手に妊娠させたときも、公の場で樹木さんはそのことを暴露して大スキャンダルになり、結果として久世さんがTBSを退職した事件のことを思い出しました。樹木希林は男性にとってはぜったい敵にはまわしたくない怖い女性ですね。などと、脱線してしまいましたが、その芸者さんはどんな女性だったのでしょう。とても興味があります。 16/12/3(波照間エロマンガ島) 

普通のオバさんだったら逆に素敵だなあ。 16/12/3(石川浩司)

患者さんの一人が、「以前宇治市に仕事で通っていた事があるんですけど、JR奈良線て何であんなに本数ないん?所々単線やし!」と言われたので、「もっと前は全線単線やったで。これでも便利になったんやで!」と言ったら、「学生時代東京の中央線沿線に住んでてブイブイ言わしてたので」と返されました。
比べる路線が違いすぎるわ。ここは田舎じゃ! 17/3/27(西大路)

中央線沿線に住んでてブイブイ言わしてたのなら、奈良ではブヒブヒ豚に乗って移動しなしゃれ! 17/3/27(石川浩司)

2015年に計画が発表された中央快速線 17/4/3(東京─大月間)と青梅線 17/4/3(立川─青梅間の中央快速線との直通列車)にグリーン車を導入する計画。2020年度のサービス開始を目指すそうです。現在の10両編成から2階建て車両を2両増やすことで、車両基地、信号、プラットホームなどに多大な影響が出ることが今から懸念されています。けれども鉄道好きとしては待ち遠しい計画でしょうね。生きていればいつかこのグリーン車に乗ってこのトピックに投稿したいものであります。 17/4/3(波照間エロマンガ島)

通勤列車で多少のお金を払ってでも座席指定を取りたいと思ってる人はかなり多いと思うな。
疲れが全然違うもんね。 17/4/3(石川浩司)

大学の最寄り駅だったり、水道橋や、野球やラグビーを見に行った千駄ヶ谷、信濃町。言わずもがな新宿。中野。ニヒル牛の最寄り駅でもありますね。
定期区間ではないのですがいろいろお世話になりました。 17/4/22(わいわい)

住んでたのが高円寺、店があるのが西荻窪、一番ライブを多くやってるのが吉祥寺だもんなあ。
まさに中央線人間す。 17/4/22(石川浩司)

中央線にグリーン車まだなかったんですねえ。知りませんでした。関西の田舎者! 17/4/22(西大路)

あれ、あずさとかも無いのかな。 17/4/22(石川浩司)

中央線の特急にはグリーン車あるという認識なのですが、調べたわけでもない関西人が書いてる事です。しっかりした情報を! 17/4/30(西大路)

調べたらあずさにはグリーン車あるね。
まぁ俺には縁がないけど。グリーンはコストパフォーマンスの鬼としては。 17/4/30(石川浩司)

17/4/22の西大路さん。わたしが言ったのは、東京駅始発大月駅行きの通勤電車の中央快速線と、同じく立川から青梅まで乗り入れている通勤電車の青梅線に、グリーン車が2020年にサービスが導入されるという意味です。 新宿駅始発松本行きの特急あずさなどの特急列車のことを言っているわけではありません。もちろんあずさにはグリーン車はあります。 17/5/9(波照間エロマンガ島)

17/4/30の西大路さん。もう一度書きます。わたしが言ったのは>中央快速線〔東京─大月間〕と青梅線〔立川─青梅間の中央快速線との直通列車〕にグリーン車を導入する計画であって、中央本線の特急のことではありません。そこのところご理解よろしくお願いします。 17/5/9(波照間エロマンガ島)

これは「中央線」というのが紛らわしいからだよね。
つまり新宿ー松本ー名古屋の広義の中央線と、東京ー高尾の狭義のいわゆる通勤圏の中央線が同時に語られてしまうからごっちゃになる。
基本的にはこの話題は狭義の高尾までの中央線という認識だね。 17/5/9(石川浩司)

ここでの中央線とは違いますが、以前は大阪発で名古屋を通って中央線に入る特急が、日に一本出てました。
確か、昨年か一昨年の春になくなりました! 17/5/9(西大路)

無くなるのもあれば今東京では他社乗り入れ線などが多くてあまり行き先を確認しないで乗るとトンデモナイ所に連れて行かれちゃうよね。 17/5/9(石川浩司)

通勤圏の中央線とあずさが乗り入れている中央本線を関西人が理解するのはなかなか難しいものがあります。
東京発大月行快速と言われたら、それは中央本線に入ってるやんてなってしまうんです。
ご丁寧な説明ありがとうございます! 17/5/16(西大路)

そうそう、入ってるのもあるんだよね。あと青梅線に乗り入れてたりね。
なかなか難解南海電車〜。 17/5/16(石川浩司)

逆に関西のわかりにくい所と言われるのが、同じ場所にありながら駅名が違う所。

阪急・阪神梅田。JR大阪。大阪地下鉄は、御堂筋線は梅田、四つ橋線は西梅田、谷町線は東梅田。
関西人は当たり前のようにわかって歩いてますが、他地域の方にはさっぱりわかれへんとか! 17/5/28(西大路)

JRの新今宮と地下鉄の動物園前駅もほぼ同じ場所。
全く知らなかったら電車に何度も乗り換えて同じ交差点に出る(笑)。 17/5/28(石川浩司)

地下鉄動物園前とJR新今宮。すぐ側にある、阪堺電車の駅は、「新今宮駅前」に変わったと記憶してます! 17/6/9(西大路)

そうそうそこもちょっと前まで南霞町だったんだよね。やっと統一してくれた。 17/6/9(石川浩司)

数年前鬼籍に入られたミュージシャン・音楽プロデューサーの佐久間正英さんのインタビューを読んでいて印象に残ったこと。
1970年代日本のプログレッシブロック界に彗星のようにデビューした四人囃子。佐久間さんは実はオリジナルメンバーではなく乞われてライブのお手伝いをするところからメンバーになったそうです。森園勝敏、岡井大二などは佐久間さんよりも年下で「こんな10代後半の若者が世界的レベルの音楽を作っている」ことにびっくりしたそうです。メンバーはみんな杉並区出身で「杉並から世界へ発信する音楽」と語っていたのが印象的でした。
これを読んでニヒル牛のある杉並区西荻からも世界的な芸術家が現われそうだな、と思ったりもしました。中央線沿線アーチスト万歳! 17/9/18(波照間エロマンガ島)

ちなみに四人囃子は和光大学のOB。 17/9/18(石川浩司)

17/9/18の追記。このインタビューによると1970年代後半、佐久間さんと茂木由多加、坂本龍一の3人でタンジェリン・ドリームのようなバンドを立ち上げる計画があったそうです。もしそのバンドが実現して売れていたら、YMOのメンバーも違っていたかもしれず音楽の歴史が変わっていたかもしれないなぁ、と思ったものでした。そうするとYMOのキーボードは佐藤博さんあたりがなったのかな、などと妄想しています。 17/9/25(波照間エロマンガ島)

YMOが無かったら特に坂本龍一のその後の扱いは全然違ってただろうなあ。 17/9/25(石川浩司)

本当に駅によっていろいろな個性が出ている中央線ですが、やっぱり一番濃厚に中央線の匂いと言うか雰囲気を醸し出しているのは、阿佐ヶ谷、高円寺あたりだと思います。
僕はやっぱり食べることが好きなのか、どうしても飲食店の方に目が向いてしまいますが、高円寺は飲食店も個性豊かに見えました。ラーメン屋に500円のカレーライスがあったのは驚きました。
機会があったらもっと探求してみたいです。 17/11/4(Sankaku)

高円寺が一番若者率が高いかな。
西荻は少し年齢層が高い印象。
中野、荻窪、吉祥寺は街が大き過ぎて俺は雰囲気としてはイマイチ。
デパートがないぐらいの街の方が個人商店が多くて面白い感じ。 17/11/4(石川浩司)

わたしは数ヶ月前に初めてこの作品を読んだのですが、村上春樹『1Q84』に主人公が中央線に乗るシーンが出てきます。主人公はどこへ行くのかわからないまま、少女に連れられて立川から青梅線に乗り換え(たか、直通運転だっかはもう忘れてしまいましたが)、二俣尾〔ふたまたお〕駅で下車し、そこからかなり山奥にある家に行くというシーンでした。このトピック11/11/12に投稿した中央線に乗っていたら寝落ちしてしまい、目覚めたら青梅駅だった事件と同期しました。どうでもいいことですがわたしはこういう低次元でのシンクロニシティーが好きです。そう、それは「俺がシンクロだと感じたらシンクロなんだ」という世界の事象すべてを因果的に自分と重ねあわせる分析的形而学上的命題のことです。 17/11/17(波照間エロマンガ島)

考えようによってはかなりのことがシンクロになるからね。
数字のシンクロとかこじつければほとんど何かになる。 17/11/17(石川浩司)

以前よく中央線に乗っていました。冬の朝の超満員電車時に人身事故が発生。
 コートを着たまま身動き取れず。車内はサウナ状態になり、30分以上そのまま。汗だらだらです。
 しかも新型車両ともあり、窓がほとんど開かなく酸素が薄くなっていくのがわかり、
 途中で誰かが連結車両のドアを開けたのですが、酸素が濃くなったのがわかるくらいの過酷な状態でした。
 車両は駅に到着していたのですが、駅に人が集まりすぎて一度外へ出なければ電車は開けられないという始末。
 もう1時間くらい経っています。誰かが調子が悪くなりドアを手動で開けたのですが、自分もすかさず外に出てしまいました。
 無事助かったのですが、その件があっていらい、軽い閉所恐怖症っぽくなってしまいました。 18/4/12(よこよこ)

ああ、それ怖いねえ。
人が死にでもしないとなかなか本気で対策しないからなー。 18/4/12(石川浩司)

18/4/12のよこよこさん。女優の星野知子さん〔1957年〜〕は以前、TBSテレビの『ぴったしカンカン』というクイズ番組にゲスト出演したときにそのようなことを仰っていました。学生時代、市ヶ谷の法政大学への通学中、超満員の中央線で気分が悪くなり、何度も途中下車してベンチで休息しながら大学にかよっていたとのことです。 18/7/13(波照間エロマンガ島)

急性のパニック障害だね。感覚は分かる。 18/7/13(石川浩司)

18/7/13の追記。つい2週間くらい前、大林宣彦監督作品『この空の花 -長岡花火物語』を鑑賞したのですが、この映画に伝説の花火師の柄本明さんの娘役で星野知子さんが出演されていたことに気づきました。石川さんとも同じシーンで共演していたかもしれないですね。長岡花火の準備をしている現場に山下清が紛れ込んでスケッチしていると柄本さんが「危ないからここから出て行けー」と言って山下清を追っ払うシーン。
18/7/13に星野さんについて書いたときは、まさか翌月にこの映画を観ることも知らず、ましてや星野知子さんが出演していることも知らなかったのでプチシンクロニシティーを感じた出来事でした。 18/9/17(波照間エロマンガ島)

柄本さんとは休憩時間に高田渡さんの話をしたなあ。
星野知子さん・・・どの人だろ?   18/9/17(石川浩司)

18/9/17の追記。別トピックで橋本忍脚本&監督のカルトムービー『幻の湖』を鑑賞したことを書きましたが、そちらの映画にもこの星野知子さんが出演されていました。わたしは映画を何本か続けて見ていると次々と数珠つなぎのように同じ俳優やスタッフが両作品につながって関わっていることがよくありますが、『幻の湖』での星野さんは悲しい役どころで哀れを誘いました。 19/2/26(波照間エロマンガ島)

俺がたいてい浮浪者か知的障害者の役みたいなもんかな。
「浮浪者か知的障害者なら石川」でオファーこないかな。 19/2/26(石川浩司)

波照間エロマンガ島@タイランド在住です。先月日本に一時帰国したとき、中央線に乗って西荻窪のニヒル牛や知り合いの店に足を運びました。タイに住むようになる2008年以前は、東急沿線在住でテリトリーも城南エリアだったので中央線に乗ることは滅多になかったのですが、タイに移住するようになってからのほうが中央線に乗ることが多くなりました。不思議です。そんなわけでこれからも中央線とつきあっていくのかな、とも思います。 19/5/12(波照間エロマンガ島)

交友関係が中央線寄りになってきたのかな。 19/5/12(石川浩司)

パスカルズライブのついでに、ニヒル牛とか西荻窪の本屋(今井書店だったっけ?)に行ってきました。なかなか玄人好み(?)の品ぞろえでおもしろかったです。将来住みたいなぁ、この辺りに。 19/5/22(未成年)

おおっ、ニヒル牛に来てくれたのね。太ったオバサン店員だったら「ホームページに投稿している未成年です」と名乗っておいて。 19/5/22(石川浩司)

19/5/22(未成年)さん。西荻窪の書店はたぶん「今野書店」です。
地下のコミックコーナーではパスカルズの楽曲(「パスカルズが行く」の楽曲が多い気がする)が時々流れています。

昭島市の「井上書店」という書店で使えたポイントカードが使え、さらには目黒区の学芸大学駅近くの書店でも同じカードが使えました。世間は狭いなと思いました(笑)。 19/7/19(Sankaku)

今野書店ではニヒル牛で作った本や、俺の本も結構置いてくれた。
小さいけど、とてもいい書店だよ。 19/7/19(石川浩司)

波照間エロマンガ島@タイランドです。
最近BSでアニメーション映画「君の名は。」を鑑賞しました。2016年公開で興行収入史上に残る大ヒットを記録した映画ですが、海外在住のため今まで機会がなく今回初めて体験したしだい。感想は一言「面白かった!」。

映画の中でわたくしがもっとも印象に残ったのが、JR東日本代々木駅にある山手線内回りと総武線〔中央・総武緩行線〕下りの共用プラットホームを作劇上重要な役割をもたせて描いていたということ。このプラットホームはわたしの中学生時代、学習塾の通学で利用していて、市ヶ谷、四ツ谷方面から渋谷へ帰るときにこの代々木駅で乗り換えていたのでとても懐かしかったのですが、そのとき感じた以下の感覚を思い出しました。

それはこの代々木駅のプラットホームで総武線から山手線へ乗り換えの瞬間に方向感覚が一瞬おかしくなり、東西南北どちらに向いているのか感覚を喪失する場所だったのです。オカルト的な感覚でいうと「亜空間への入り口」があるのではないかと中学生のわたくしはいつも思っていました。その場所を監督の新海誠氏は丁寧に描いていたのですね。これには本当に驚きました。
そしてこの近くに建つNTTドコモタワーも背景として何度となく描かれているのでこの代々木近辺の地勢について意味ありげな第一印象を受けました。すると次回作の「天気の子」でもこの界隈が描かれているというではないですか。こちらは未見ですがなにか自分の琴線に触れる体験があるかもしれないと直感し、鑑賞を今から楽しみにしています。
そんな「君の名は。」に出てきたJR代々木駅についてのプチ考察でした。 19/9/12(波照間エロマンガ島)

あ〜アニメはなかなか観られないんだよね。最近もいくつかチャレンジしたが悉く挫折した。「君の名は。」は観られるかな?
代々木はなんか不思議な駅だよね。新宿駅新南口なんてすぐそこだし。 19/9/12(石川浩司)

19/7/19のSankakuさんへ)あ、思い出しました。たしかに今野書店です。ご教示ありがとうございます。にしても、中央線沿いは古本屋も多いし、原宿とか何とかのようなキャピキャピした華やかさはありませんが、いつまでも歩いていたくなる街ですね。大学に入れたら、また再訪しようと思っています。 19/9/26(未成年)

今野書店はニヒル牛で出版した本なども置いてくれて、いい書店だね。
今は書店はどこも苦しくってどんどん閉店してるけど、踏ん張ってほしいね。 19/9/26(石川浩司)

先週、子供の頃に住んでいた吉祥寺に行ってきました。昔住んでいた賃貸マンションは周りの建物と一緒に取り壊されて新しく立派な分譲マンションが建っていて、ちょうど内覧会が開かれていました。3年前に見に行ったときはまだあって、人も住んでいたのになぁ。
私にとっての吉祥寺は、アーケード街でも曼荼羅でもなく、もっぱら中道商店街です。八百屋も肉屋もなくなってオシャレなお店がたくさんできたけど、それでも「ここで右に曲がったらあの辺に出るはず…」と、足が道を覚えていました。 19/9/26(ANA)

俺の住んでた高円寺のアパートは、その後駐車場になってずっと今でもそのままらしい。 19/9/26(石川浩司)

2019年8月16日、ニヒル牛で買物してからその足で河口湖に向かい一泊ののち、ホルモン鉄道の温泉旅館一泊ライブに参加しました。
そのとき、中央線の高尾駅ホームにてその日の戦利品を確認したときの写真がこちら。



大谷氏の漫画や白ふくろう舎さん、山中奈緒子さんの旅本などを購入しました。

高尾駅は中央線通勤電車の始発終着駅になっていてここから都心方面、あるいは中央本線で甲府や松本方面へ行くことができます。この日はここから西に進み、大月乗換えで富士急行線で河口湖に向かいました。 19/9/30(波照間エロマンガ島)

どれもニヒル牛である期間だけしか手に入らない逸品ですな。是非大切に! 19/9/30(石川浩司)


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