話題235 ローテクノロジー時代の楽しかったもの



今はいろいろ技術も進化して便利になりました。
しかし、今よりも便利でなかったり設備が整ってなかった時代の、それ故の面白かったものってあったなぁと思います。
自分のその一部「出会い編」では、今のようにネットが普及していなくダイヤルQ2も駆け出しだった頃、普通にタウンページに載っている「伝言テレフォンサービス」というのがあって、そこの投稿の番号にかけてメッセージを吹き込むと約一ヶ月ほどでエンドレス再生テープでそのメッセージがテレフォンサービス上で流されるというものなのですが、
そこで「たまが好きです」と吹き込むお姉さんと一ヶ月進行なたま交流が始まり、最終的に激たまファンでないとわからない暗号で電話番号をお姉さんが吹き込んできて遂に会い、たま関連以外でも色々たくさんお出かけしたすごく素敵な思い出があります。

そんな、今よりもローテクノロジーだったからこそ体験できた愉快だったこと教えてください。 07/1/28(ことり)


***レス(発言は古い順に並んでます)***


「すごろく旅行」というのを20年くらい前に頻繁にやっていた頃は、まだもちろん携帯電話なんかなかった。で、途中参加の人は我が家の留守番電話の暗証番号を聞いてどこの駅に進んでいるのかを知ってそこに向かうのだが、アキレスと亀の競争じゃないけど、追いかけている人がそこにたどり着いた時は我々はさらに先に進んでいて、なかなか会えない。そこで時刻表とにらめっこして「この時間にここにいたのだから次はこの列車に乗るはずだっ!」とか推理してようやく出会えた時の感激はまさに旅の醍醐味だった。
今じゃ携帯で簡単に連絡が取れてそんなスリルも感激もなくなってしまった。
そういうところこそ旅の、いや人生のもっとも面白いところなのに。もったいない!

♪不便だ不便だ不便だ不便だ でーも不便の方が便利よりだいぶいい〜(さる著名詩人の歌詞より) 07/1/28(石川浩司)

いろんな歌が大好きだった若き日々に、お手軽なカラオケボックスなんてものはありませんでした。でも、歌いたいし人の歌も聴きたいので、ギターでがちゃがちゃ弾いて歌ってましたよ。歌本は手放さなかったですね。良い時代でした。

ちなみに、♪不便だ不便だ〜の某カリスマアーティストの曲は、カラオケで歌いあげると非常に気持ちいいです。どれだけ周囲に笑われても私は一番に歌ってます。 (わにこ)

「どれだけ周囲に笑われても」って、なんだとっ!!  ・・・あっ、うそうそ〜。あの歌を笑われずに聞かれたらその方がよっぽど嫌だにょ〜。(石川浩司)

 恋人との電話を家族に聞かれたくなくて、電話を廊下に引っ張ってきて喋っていたことを思い出します。冬は寒くて震えながら。
 可愛いぞ、過去の私。(鈴)

そういう俺は今も携帯電話持ってない。でも家族(妻)に聞かれたくない電話もかかってこない寂しさよ。(石川浩司)

最近の若者コトバだと「おまえ、ナル入ってんじゃねぇの!?」などと言われそうなのですが。私も電話の思い出、留守番電話の応答メッセージの話です。
私が初めて買った電話機は、オリジナルの応答メッセージを約20秒ほど録音できる機能がついていました。「はい、○○です。発信音の後にお名前とご用件を・・・」というお決まりのフレーズを自分の肉声で吹き込めるタイプのものでした。それで、私は自分のバリトン・ヴォイスに自己陶酔し・・・というほどのバカではありませんで、メッセージのBGMにナルシシズムを感じていたのです。何をやっていたかというと、自分の声を吹き込む時に、わざわざ電話機をオーディオの前まで引っ張っていき、バックに好きな曲を流し、メッセージと同時に音楽も吹き込んで、自己陶酔というより、DJごっこのような自己満足の世界に浸っていたのです。しかも、頻繁に曲を変えて。ある時はパット・メセニー、ある時はビル・エバンス、酷暑の候にはA.C.ジョビン、雪の季節はラフマニノフのアダージョ等々。これが楽しい。が、難しい。20秒の枠内にきれいに収まり、かつ、その中に小さなドラマ、起承転結があるフレーズを見つけなければならない(←別に、ならないってことも・・・)。すごく気に入っているフレーズでもあとちょっとのところで20秒をオーバーしてしまったり、逆に短かすぎて、曲が次の展開に移ってしまったり。あと、スピーカーで聴いている時には粒立ってとてもきれいだったピアノの音が、電話機の再生音で聞いてみるとモコモコとくぐもった音になってしまったり。「本当にそんなこと、どーでもいーだろー!」と今の自分が突っ込みたくなるこだわりよう。一種、偏執症。 でも、こんな不断、いや、不毛な努力が、ひとつの思い出を残してくれました。ある日、帰宅してみると、留守電の着信ランプが点滅している。再生してみると・・・、しばらく沈黙。「なんだ、無言か」と思い、再生を止めようしたところ、突然、聞きなれない女性の声が。その声はこんなメッセージを残してくれていました。「ごめんなさい。間違えました。・・・ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番・・・第2楽章ですよね。・・・私も大好きです。ちょっと嬉しかったです・・・。失礼しました・・・」。要するに間違い電話だったわけですが。でも、こっちも「ちょっと嬉しかった」です。
いや、しかし、これを「思い出」として今でも記憶に留めていてニヤニヤしていること自体、やはり、「ナル入ってんじゃねぇの?」。 07/2/10 「Fuck-Dah」

あー留守番電話導入初期は凝ったことやってる奴多かったよねー。特にミュージシャン関係の友達はたいてい自分の曲を10秒ぐらい聞かせてからメッセージが始まって、鬱陶しかったなー。あと俺の某友人の留守番電話は今でも「はい○○です。私は留守番電話を聞きません」って、それ留守番電話の意味あるのか!? 07/2/10(石川浩司)

まだナンバーディスプレイがない頃に留守電を入れてもらわないと誰からだかわからないから留守メッセージを「はい、もしもし。」で終わりにしていたことがあって、ザクザクワナにかかって面白かったです。
また、昔混線電話っていうのがあって、特定の「現在使われておりません」アナウンスの流れる番号に電話かけると同時にそこに繋いでいる人同士声が聞こえて無料で会話が出来るっていう電話回線の故障みたいので、アナウンス越しに全国の知らない人たちとお話できて、とっても楽しかったです。
今はもうそういうのないんだろうなぁ。 07/2/17(ことり)

あぁなんか聞いたことあるな。どきどきしたろうな。 07/2/17(石川浩司)

♪不便だ不便だ〜の某カリスマアーティストたちがイ○天出てた頃に赤子だった私はローテクというものをほとんど知らないと言っても過言ではないと思います(U_U*)
はたから見てるだけだったらローテク時代も悪くないんだろうけど、それで生活しろって言われたら正直無理なんだろうなーってのがローテク時代に対する感想です。でもそんな時代を生きることができた人たちが正直うらやましくもあります。10年早く生まれてたらなー;;そしたらたまの存在とかももっと早くから知ってただろうしなー(-_-;)
話それてしまってスミマセン f ^^;ローテク時代をうらやみつつこの辺で。 07/2/17(さむ)

ヒットした「三丁目の夕日」という映画の時代背景が俺よりちょっと前ぐらい。あのね、便利になると確実に減っていると感じるのは「感動」です。人の作った感動じゃなくてリアルな体験としての感動。これはかなり俺は危機的状況で、最近の人はかわいそうだなーと思ってしまうね。皮肉ではなく。 07/2/17(石川浩司)

子供の頃は友達と交換日記してました。今の子供達って何でも用件は携帯のメールで済ませるんでしょうね。あとは地方に住んでるたまファンの友達と5年くらい文通してました。手紙のやり取りを1年程した後、MANDALA2で顔合わせをして仲良くなって、その方の家に泊めてもらったこともあったなあ。懐かしいなあ。(遠い目)今頃どうしてるだろうか。 07/2/17(ミレイ)

そういう思い出みたいなものが人生で重要なのですよ。何事もスムーズに行き過ぎるとスルーしてしまうので、思い出としては残りにくくなるよね。 07/2/17(石川浩司)

やっぱファミコンですね〜PS2とかより明らかに楽しいです。
熱中がハンパじゃなかったですもん。
スーパーマリオブラザーズが出たのが小学2年の頃でまさにビンゴでしたし。
最初に触れるゲームがPS3って羨ましくないです。 07/2/17(あきたけ)

俺も最近ゲームやらなくなったなぁ。なんかグラフィックとかは凄いんだけど、夢中になってやり込むことが少なくなったのは、単に俺が年をとったからかなぁ。 07/2/17(石川浩司)

みなさんのローテクノロジー時代の話を聞いて胸にグッときています。どうもありがとうございます。

石川さんのおっしゃる「危機的状況」、根本がもしかしたら違うこともあるかもしれませんが物凄く私も感じています。
決して懐古主義に傾倒して思うのではないのですが、昭和の時代の方が素敵だったなぁ、と思ってしまいます。
ローテクノロジー時代の頃はそれ故に車が飛んで筒の中走っちゃうみたいのがもうすぐ来るだろうとか単純に「輝ける希望の未来」みたいのが見れたけれども、今はハイテクノロジー故にそんなことはそうそうないだろうとそういった冷めがあるし、暗い未来ばかり見える感じだと思います。
また、私は富士山が好きなので単純に富士山麓の清掃に参加しているのですが、やっていると想像を絶する産業廃棄物が大量に出てきて、そういうのはもうやめてくれっていう世の中への自分のアピールとしてやっているのだけど、不法に投棄する人だけを悪いと思っていなく、そういうことに走るほど世の中には物が飽和状態で、発展した結果なんだと思っていつも産廃を掘っています。
そういったことからも、今よりも衰退したほうがいい気持ちがあります。
また、最初に書いた「伝言テレフォンのお姉さん」も、今の時代だったらもっと同じ趣味の仲間の選択肢もあるだろうし、20代のお姉さんが13歳と会おうなんてなかなか思わないんじゃないかなぁと思うし、繋がるまでに時間かかって大変だったから繋がったとき本当に感動したし、そういう機会がどんどん減ってきているなぁと思います。
ミレイさんの「文通」もお返事がポストに届くまでのもどかしさと届いたときの嬉しさって良かったですよね!! 私も「たま」という共通で文通していた同じ歳の友人と13歳で出合って今でもとても仲良しで大切な友人だったりです。
そしてファミコン!!
あの理不尽な展開や理不尽な難易度で、それしかなかったから必死に攻略して、それをやり遂げたときの自己満足ときたら、もう最高でしたよね!!!
私、現代のゲームもやりますが、やはり8ビットが一番熱くまります!!
と、熱くなって長々とスミマセン!!!! 07/2/24 (ことり)
よーするにプラスマイナスゼロなんだよね。何かが便利になればその分見えづらいところで必ずマイナスがある。それは感動だったり幸福感だったりするから、一見分かりづらいんだけどね。あるものの発展は必ずあるものの衰退を産む。そして衰退したものはほとんどの場合、二度と戻らない。進化し続ける人間というものの性だからしょうがないかもしれないが。 07/2/24 (石川浩司)

次世代ゲーム機が脚光を浴びるより少し前(もはやローテクノロジー時代とは言いいにくいですが)・・・。小学生だった僕にとっての最大の楽しみが「近くの公園で遊ぶこと」だった時期がありました。中でも楽しかったのは、「ロボット」でした。これはロボットにジャングルジムやブランコが一緒になったもので、その周りに普通のブランコなどがあるにも関わらず、絶大な支持を集めていました。ジャングルジムからロボットの顔のところまで上り、ロボットの目から下を見下ろす、なんてことも出来ました。 07/2/24 (たちつ亭と〜助)

バーチャルはそもそもリアルの追随体験だったはずが、ある意味リアルを追い越してしまったからね。でも最期は必ずリアルが勝つ! 07/2/24 (石川浩司)

わたしは独楽回しが好きでしたが、うまく回せるのはさることながら、ただ回っているという動きのが楽しかったです。積み木などをただ積んでいくっていうのも何故か楽しかったです。 07/3/6(おっく)

「作業をする」「結果が出る」は娯楽の基本条件だったりするからね。形がいろいろ変わるだけで。ゲームとかも実はほとんどそうでしょう? 07/3/6(石川浩司)

アナログといえば写真の現像ですね。
いまやデジタルカメラが全般ですけど、自分でモノクロ写真を現像するのが楽しくてしょーがないです。自分で撮った写真を引き伸ばして、現像液につけると像が出てくる瞬間ワクワクします。
こればかりはデジタルでは味わえない楽しさです。デジタルはデジタルで便利なところもあるけど、やっぱりアナログには不便な楽しさがつまってるんじゃないかと思います。 07/3/6(2代目水牛)

そういう写真家はまだまだ多いね。「焼き方」も含めて自分の写真を表現する人は。その微妙さはまだデジタルにはないのかもね。 07/3/6(石川浩司)

母が、テレビの前にラジカセを置いて歌番組などを録音してました。 当然私や妹が歌う声も入るんですが。今はビデオカメラがあり映像も残せますが、あれはあれで楽しい思い出です。 07/3/17(秘密の座席)

そうそう、レコードなんかもスピーカーの前にカセットをそおっとおいて家族に「今から録音するから40分静かにしててくれっ!」とか言ってたな。懐かしい。 07/3/17(石川浩司)

テレビの前ラジカセ、私もやりました!懐かしい!黙っておけと言われれば言われるほど黙っておけないのが人間の性。雑多なノイズが入っていたのも今となっては一興です。
小学校3年くらいの頃でした。私は自宅で、友人3人と集まり、2時間沈黙「ガメラ」ライヴ録音鑑賞会を開催しました。そうです。怪獣映画のあの「ガメラ」です。ビデオなんてなかった時代、年に数回ある怪獣映画のテレビ放映は、私たちガキんちょのビッグイベントでした。数日前から高揚感で眠れないほどでした。そして、中途半端に知恵がつき、この話題のテーマどおり、ローテクノロジー時代であったその当時、私たちはカセットテープにその音声のみを生録音するという「感動を記録に残す」手法を思いつき、大いに興奮したのでした。が、しかし・・・。「ゴジラ」も一部作品ではそうでしたが、「ガメラ」はそれと比べ物にならないほど、コメディタッチの作品が多かったのです。大村昆ちゃんなどが、あのメガネ面でお父さん役で出演していたり、外国人の子供が変テコな日本語を駆使して大人たちを煙に巻いたり、思わず笑ってしまうシーンが結構あったのです。私たちは「笑ってはいけない」とこらえつつ、その禁を破って不覚にも噴き出してしまい、それが連鎖反応を呼び、お互いに抑圧していた笑いが一気に噴出し、一同大爆笑になり・・・。そんな私たちに母親が「なぁに、どうしたの?」と間抜けにも声をかけてきたり。もう、収拾はつきません。飼っていたインコまでがその場の空気に感応してか「ピーピー」と大騒ぎを始める始末(あらかじめ、別の部屋に退去させるようなことはしていませんでした。今思えば)。
しかして出来上がったテープは、それでも宝物でした。何度も繰り返し聴き返しました。当然、映像はありません。音だけをたよりに、三人三様の残像を脳裏に再生しては、余韻に浸っていたのでした。そして、自分たちの吹き込んでしまった笑い声に自分たちでウケて、さらにまた笑い転げたり。それはそれで幸せでした。ちなみに、お盆や正月の帰省の長時間ドライブの時、カーステレオで、そんな間抜けなテープを延々と聴きつづけることを許してくれた両親の寛容さに、今、感謝しています。   07/3/25「Fuck-Dah」

「初体験」に応募して「初めてのガメラ録音」にしたら、8ポイントは稼げた文章だったな。それはともかく、俺は大きくなってからピンク映画館にでっかいラジカセ持って行って録音に精を出したことがある。自宅に帰って一所懸命シーンを思い出す。あれも良かったなぁ。   07/3/25(石川浩司)

ミレイさんのレスを読んで、そういえば交換日記してたなぁとか思い出した輩です f ^^;そこで好きな人とか暴露してましたねぇ(笑)。
中3の頃は、受験生にもかかわらず5〜6人でノート回してイラスト交換してました。卒業と同時に終わったのでイラ交ノートが私のところで止まってしまい、私の家にあります。見たら物凄く懐かしいです。今でもその仲間と年に2〜3回会いますが、みんな絵が上達していて、危機感を覚えている自分がいたりいなかったり(笑)。
あと今でも手紙の交換はします。長文メールは気が引けますが、手紙だったら大学ノート1枚に小さな文字でありったけ綴れるし、中身もメールより濃い気がします。何より人が書いた字なので、活字よりも感情が伝わりやすいですよね^^   07/3/25(さむ)

俺も友達との「公開交換日記」やってたな〜。毎日くだらない下品なことばっかり書いてクラス中にまわして笑わせてた。
って、よく考えたら今このホームページでやってることとあまり変わんない。俺に進歩なし。そしてちんぽあり。   07/3/25(石川浩司)

レコードプレイヤーの 回転数を替えるのが好きでした。 07/4/2(基次郎)

あぁ、なんか分かるなぁ。LPを速い回転で聞いてみたりしてゲラゲラ笑ったなぁ。 07/4/2(石川浩司)

あーらー、ガメラ生録音はたしかに「初体験」でもよかったですね。そして、これまでの「王様」投稿を振り返るに、結構、「初体験」でもよかったかなというネタがたくさんあったような。38歳老人、回顧譚的昔語りが多いゆえ。ま、いいか。
それはともかく、音、いや、声だけで興奮するといえば、懐かしいのは鶴光師匠のオールナイトニッポン。女の声でもない、あの鶴光師匠の、エコーのかかった艶声にベッドの中で悶絶していた中学生時代。土曜の深夜(日曜の未明)の禁断のひと時。録音もしていました!が・・・、なぜか、後に再生して聴いてみても全然興奮しない。最初の、一度っきりの、ワクワク、ドキドキ感があったからこその興奮だったのでしょうか。あー、懐かしの「おーまるこ」。 07/4/2「Fuck-Dah」

お〜懐かしいなぁ。俺も同じ世代だよ。「乳頭何色?」ね!
録音すると不要なところを飛ばせちゃうのがきっと駄目なんだよね。いつ出るのかいつ出るのかという期待感が興奮をいやがうえにも盛り上げるからね。 07/4/2(石川浩司)

今でもありますが、チケット予約の方法。最近はネット予約出来ますが、私は電話予約がドキドキして、「プツッ・・・プツッ」と呼び出して、呼び出し音が鳴ったのに途中で話し中になっちゃった〜!なんてのが楽しくて好きです。一時間の「混みあってます。」&話し中から開放された時の呼び出し音は、嬉しいけど何だかとっても緊張します。 07/6/27(秘密の座席)

た、楽しいのか。人間、いろんな楽しみをもった人がいるもんだな。 07/6/27(石川浩司)

私の家にはレコードプレイヤー、向かいの家の友達の家にはダブルラジカセがあり、お互いをつながないとレコードからカセットへダビング出来ませんでした。
レコードの針を置いた直後に、ラジカセの録音ボタンを押すんですが、曲の出だし直前に針を下ろしてしまい、何度もカセットテープを指で巻き直したり、接続を間違ってダビング出来ていなかったり、大騒ぎ。
なのに今ではボタン一つでCDからMD(あの頃は両方ともなかった!)にダビング出来るんですよね。あの時の苦労って一体・・・。
でもレコードを買ってきて「荷物置いてすぐ持ってくから!」と、重たいラジカセを持ってきてくれる友達の姿は中学時代のいい思い出です。 07/11/10(秘密の座席)

あったねー。でもあの頃はその録音する作業自体も実は「完成品を作る」楽しみの一環じゃなかった? 
つまり過程も楽しかった。
今は簡単になった分、その楽しみが実はなくなっている。なので「楽しみの総量」としては損をしている、というのは俺だけの穿った考え方かなぁ。 07/11/10(石川浩司)

やっぱりそう思います?ネットショップも、欲しい物が外出しないで手に入るのはいいんですが、店に行くまでの道すがら面白い店を見つけたり、実は目的と違った物が目に入ってそれを買ってしまったりと、思いがけない楽しみは今は相当損してると思います。 07/11/17(秘密の座席)

ついつい目先のことばかりに気がいってしまうのはしょうがないことなんだけど、そもそも「何が本当に楽しいことだったのか」を各自で考えた方がいいよね。企業の商売戦術にばかり乗ってないでね。 07/11/17(石川浩司)

携帯電話、パソコンがない時代、好きな人と連絡を取ったりするのは一苦労。家に行くしかなくって。相手が突然来てくれるのは嬉しかったけど、家族とも顔を合わせるんで恥ずかしかったな。授業中の手紙回しは今でも健在?え?古い? 07/12/31(秘密の座席)

確かに友達の家族は恥ずかしかったねー。未だに苦手だな。接し方がよくわからない。いろんなその家特有の「ノリ」があるからね。 07/12/31(石川浩司)

その家特有のノリ、ありますね。ちなみにうちはダジャレなど「笑」に持っていくので、初めての人は苦笑いの連続です。08/1/11(秘密の座席)

うちの夫婦は会話は基本的に冗談以外禁止です。 08/1/11(石川浩司)

授業中の手紙回し・・・
若いなぁ。08/1/11(りあちゃん)

教室とかはやっちゃいけないことだらけの不自由な空間だからこそ、こっそりやることがドキドキして面白かったりするんだよね。
あまりにも自由だとそういう快楽は享受することが出来なくなるんだよね。 08/1/11(石川浩司)

授業中の手紙回し、若いですか?最近若いって言われてないから頬がポッ!となっちゃいました。りあちゃんさん有難うございます〜!今思えばよく文句言わずに回してくれてたな、と思ってしまいます。今、当時の手紙の折り方して回したら何かの呪いだと勘違いされそうだな・・・。 08/3/10(秘密の座席)

もう何年手紙回ししてないだろう。そしておそらく死ぬまでもう二度としない気もする。なんか寂しいな・・・。 08/3/10(石川浩司)

ローテク時代のエピソードといえば、文通ですね!
まだ今のようにネットとかほとんどなかった頃で、同じ歴史マニア同士のつながりで始めた文通で友達もできたし恋人までできちゃったり、今のmixiよりずーっと地味で時間もお金も費やすんだけど、楽しかったです。
また、今のようにデータでイラスト公開などできなかったので、イラストの雑誌への投稿なんかも、紙に手書きして郵便で送ったりして、コピーでもとらない限りどんな絵を描いたかも手元に残らないのだけれど、それに青春つぎ込んだと言っても過言ではないほど熱中していました!
それを思うと、今はつくづく便利になったなぁ〜と思います。  08/3/10(梅桃ひよ子)

その「手元に残らない」がまた「世界にひとつしかない」になって貴重さを生んでたんだよね。
今はなんでもコピーだからなぁ。つまらないよね。 08/3/10(石川浩司)

僕も小・中学校の時は授業中の手紙回し、よくやってましたよ。ただ、高校になってから、手紙が携帯メールに変わりました。今の小学生はまだ手紙を直接書いてるのかな?それとも最近は小学生でも携帯を持つ時代だから、授業中にメールの受信音がこだましてるのか。

他には幼稚園児の頃のぼんやりとした記憶ですが、カセットレコーダーのアナログ秒数カウンターをいじる癖がありました。
メーターが全部「5555」を指したら、リセットボタンを押して、「0000」に戻すだけのため、テープの内容も聴かずに、ひたすら「5555」を待っていたのです。全く意味はありませんが。 08/8/28 (Hi-)

実は世の中のほとんどのことは大して意味などないのだ。
内容よりも「夢中になれるかどうか」が大事なのだ。 08/8/28 (石川浩司)

21世紀に突入しつつも我が家だけがローテクノロジー時代だったのですが、広島でうまれ育った私が旅の延長で、秋の終わりに、現夫と移り住むことになった小樽の家は築90年以上のボロ屋、すべての部屋が傾いていて、窓を閉めて鍵をかけても雪が吹き込み、玄関の鍵はかからず、窓もドアもないところからのら猫が入ってきたりしていました。
もちろんお風呂もなく、ガスさえなく。料理はカセットコンロ。
でも、ただでさえ北国の冬初体験の私は現夫に懇願して、1月もなかばになったときにプロパンガスと湯沸かし器を買ってきてもらい設置してもらいました。
そのときの、「ボタンを押したらお湯が出る」という喜びと感動は、もう、忘れられません・・・!!
湯沸かし器に油性マジックで「魔法の箱」と書き、お湯を出すたびに感動と幸せいぱいになっていました。
後にお風呂を設置したときよりも、あの湯沸かし器の登場の感動はものすごかったのですよー
そして自分たちでの改築、増築を繰り返し、旅の宿になったのですー  08/11/28(どんぐり子)

一度不便な状態を知ると、便利な物に感謝の気持ちもわくんだよね。いい経験をしたね。  08/11/28(石川浩司)

気に行った歌を録音する時。今やmp3やら携帯電話やらあらゆる方法がありますが、昔は、たとえばテレビの主題歌を録音したいときは、テレビの真横にラジカセを置くのです。
それで番組開始と同時に録音スイッチオン!当然、テレビ以外の雑音も入るので、録音が終わるまでは家族には黙ってもらいます。だれかが歌ったり咳払いをしたらものすごい勢いで泣いたり怒ったりしたなあ… 10/2/23(くすもと明子)

あの頃はみんなそうやってたよなー。懐かしい。
でも今となっては亡くなったお母さんの「ご飯よー」という後ろに入ってるかすかな声が形見です 10/2/23(泣)。

・・・あっ、母親まだ生きてたわ。てへっ。  10/2/23(石川浩司)

携帯電話がない小学生時代、友達と「何時にどこそこで待ち合わせ」と約束して遊んでましたよね。来ないと公衆電話や来ている友達の家で、来てない子の家に電話して「もう家を出ましたか?」なんて家族と話したり。
今は携帯で本人同士が連絡とっておしまい。だから親が自分の子供の友達を知らなくても仕方ない・・・のかな?いや、そんな話じゃなく、友達の家に行くとあった「何とかの学習、科学」とかいう教材本の付録が、子供だましの様でもよく出来ていてよく遊ばせてもらいました。 10/6/18(秘密の座席)

待ち合わせで誰かが遅れて「どうしたんだろ?」「時間間違えてるのかな」「何かあったのかな?」とかいうのも、大きな意味では面白かったよね。
まぁ、携帯不所持の俺は未だにその世界にいるけれど(笑)。  10/6/18(石川浩司)

暇つぶし程度に釣りに行く時、インターネットで、場所を探して行ったりすると、その釣り場の常連のおっちゃんたちに、インターネットとかで探してきたの?とか言われます。まあ、言いたいことはよくわかります。 10/12/6(ちょんぼ)

でもそのおっちゃんもインターネットでそもそもたどり着いたのかも・・・。  10/12/6(石川浩司)

youtubeなぞなかった時代、特撮番組のキャラクターやサブタイトルだけでストーリーやOPを想像していました。今やyoutubeなどで簡単に見れる時代ですが、この頃のほうが楽しかったです。図書館で怪獣図鑑借りて脳内テレビで再生してた頃が懐かしいです 12/2/29(ズミ天)

何でも簡単に手に入ると一見それで良さそうだけど「やっと見つけた」という感動を実は捨ててる。
その感動こそもっとも大事なものなのに。 12/2/29(石川浩司)

ローテクノロジー時代、というか、実際は今振り返っても、ハイテクノロジーかもしれないのですが、時代が10年以上経っているので、このトピックに書きます。
携帯電話に通話以外のいろいろなオプション機能がつき始めた頃、着メロディーを単音で音階がつけられる機能がついたことがあります。それに自分作曲の曲や、人目を引く曲のメロディーを打ち込んで、遊んでいたことがあります。スマートフォンが発売されて、日本の携帯電話は「ガラケイ」などと揶揄されて廃れてしまいましたが、実はけっこうハイテクノロジーだったのかも、と今となっては思います。進みすぎていて、世界がついてくることができず、別の方向に行ってしまったというか。  13/1/18(波照間エロマンガ島)

そういうこともあるかもね。
あまり先に行き過ぎても駄目なんだよねー。
いろんな物とのバランスでチャンスというものは科学的に生まれてるのかもね。 13/1/18(石川浩司)

レコードとカセットの違いがわかっていなかった乳幼児の頃、レコードを回したプレーヤーの前で飛び跳ねたら音楽も飛び跳ね、カセットの前では何も変わらないという違いがおもしろくてよく遊んでました。  今の子はこんな楽しみないんですねえ!  14/12/18(西大路)

確かにねえ。今は単なるデータで「物」じゃないものね。 14/12/18(石川浩司)

1970年代、私が中学生の頃、世の中には「フィルムコンサート」という催しがあり、よく通いました。当時はインターネットもない時代で、ラジオでは音楽番組はありましたが、テレビではほとんど海外のロックが取り上げられる機会がなく、極度に情報の少ない彼らの動く映像を見られる数少ない機会だったのです。たいていはレコード屋さんがレコード製作会社と提携して販売促進の目的で行っていました。今となっては信じられないのですが、当時のアイドルロックバンドであるクィーンやベイ・シティー・ローラーズのプロモーションフィルムを観て、観客は「キャーキャー」と嬌声を上げてました。解散後5年後のビートルズ映画をロードショー公開されてスバル座に観に行った時にも同様の光景を目撃しました。叫ぶ対象はその場にいないのに、です。クレージーですよね。でも当時はそんなに不思議なこととは思いませんでした。というローテクノロジー時代の楽しい体験でした。  15/1/11(波照間エロマンガ島)

俺も解散後のビートルズ映画のフィルムコンサートに行って友達とワーキャー言った口。
あれはあれでお祭りのようで楽しかったなあ。
今はたいていのものはネットで観られるようになってしまったもんね。
確かに物は手に入りやすくなったけどそこに至るまでの興奮は紛失してしまって寂しい限りですな。  15/1/11(石川浩司)

今だからこそ、子どもたちはキックボードやDSなんかで遊んだりできますが、私の時代はそんなものはなく。
女子と男子の遊びは別々だったような気がします。
中でも思い出深いのは、近所の女の子たちとの「ゴム跳び」です。6人居れば3対3になったりして、違う年齢の子も一緒になって遊んでましたねー。
普通のパンツ用のひもゴムを使い、2人がそれぞれ端を持って、ピンと伸ばしたのを跳び越える、って遊びです。
メンバーがゴムに引っかかって失敗したら、相手チームに交代です。
ゴムの高さは地面から始まり、膝や腰と高さを上げていき、最後に腕を上げて持った状態(これを大手と呼ぶ)を、先に跳んだチームが勝ち。
「大手なんて高さ、どうやって跳ぶの??」ってなるんですが、これは特別ルールがありまして、ゴムに後ろ向きで足を引っ掛け、くるんと180度回りながら跳ぶ(これを「おまる」と呼ぶ)のです。
確か、腰から上は「おまる」OKだったような気が・・・なんて思い出すと、ホントに懐かしく、楽しくなります。
それに、背が高い私には有利。ゴム跳びではスター気分でしたよ!!(笑) 15/2/12(ハーブティー)

今だったら「そんな危険な遊びは禁止」と言われてしまうんでしょうかね。 15/2/12(石川浩司)

15/1/11の石川さん。そうなんです!フィルムコンサートを観に行っていた1970年代半ばは、アーチスト情報なんてほとんどなくて、小中学生のお小遣いでレコードを買うのはかなりのハイリスクでした。なので、手軽に手に入らない分、ものすごーく真剣に音楽を聴いていたような記憶があります。でも、ユーチューブ時代の現在と比較してどっちがよかったかというと、音楽を聴いての満足感は当時のほうが強かった気もするしなー。 15/7/11(波照間エロマンガ島)

うんうん。手軽に入るものは軽んじられるというのはあると思うね。
若い人たち、御愁傷様です・・・。
オレタチハタノシカッタ。 15/7/11(石川浩司)

10何年ぐらい前でしたか、買い集めたシングルCDの、両A面の曲は二曲目とカップリング曲ばかりをカセットに録音して集めてた事があります。
カセットに集めるという作業が楽しかったなあ!  15/10/20(西大路)

うん、あの作業楽しかった。それをやっている時間は本当に充実してる時間だったよね。
それこそがさり気ないけど幸せの実は大きなひとつ。  15/10/20(石川浩司)

昔、石川さんが観光パンフレット収集をしていたようですが、僕はラジオ局のタイムテーブルを収集していました。
お小遣いを殆ど使いハガキを買って「タイムテーブル送ってください」って全国のラジオ局に送っていました。
返信用の切手など送っていないので、今思えば失礼な話なのですが、9割方送ってくれましたね。
別にローカル放送局のラジオを聴くわけじゃないのですが、こんな番組あるのか?なんて想像するのが楽しかったです。
今ではインターネットで番組表なんてすぐ見られるから必要ないですが、当時は情報が入り難かった分、楽しみもありました。

社会人になり、引っ越しをした際に思い切って全部捨ててしまいましたが、今思うとレアなステッカーとか同封されているものとかあったので、取っておけば良かったかな。 16/7/28(邑楽)

ベリカードはちょっと集めてたがタイムテーブルには気づかなかった!
もし何の曲がかかったかまで書かれていたらスゴい貴重な資料になるかもね。 16/7/28(石川浩司)

うお・・・タイムテーブルなんて送ってもらえたのか。いいなあ。自分もラジオ局でバイトしていたけど、タイムテーブルとは。
ローテクといつて真っ先に思いつくのはゲームですね。今のゲームは複雑すぎる。ファミコン〜スーパーファミコン時代が一番楽しかったな。
ボードゲームとか、ポケットゲームとかもいいですね。 17/4/16(わいわい)

子供の頃に一番はじめに買ってもらったゲームはダイアモンドゲーム。
あれから50年。未だに実家にあって正月に家族でやったりする。 17/4/16(石川浩司)

17/4/16の石川さん。ダイアモンドゲーム懐かしい!小学生のときは特にお正月でなくても家族で遊んだなぁ。友だちの家に行ってよくやってました。 17/12/4(波照間エロマンガ島)

単純な故に熱くなるゲームってあるよね〜。
パソコンでも花札や上海とかばかりやってる。 17/12/4(石川浩司)

むかしの雑誌に出ていた文通コーナー。本名どころか住所、電話番号まで・・・。すごい時代でしたな。 18/7/31(わいわい)

漫画家とかもファンレターの為に自宅の住所も書いてあったよね。
そこでよく弟子入り志願の人が玄関の前で座り込んだり。
今は人気漫画家は読者どころか、出版社が囲い込む為、他の出版社に連絡先を教えることですら禁止されてることも多いみたいだね。 18/7/31(石川浩司)

1970年代前半頃、週刊ベースボールでプロ野球選手名鑑というのが年に1回発売されていて、そこにはほとんどの選手の現住所が記載されていたことをふと思い出しました。当時東京に住んでいたので「巨人のあの選手がうちの近所に住んでるよ!」とか見て興奮していた小学生でした。中2のときの塾の友人は目黒区の王選手の何件か隣に住んでたなー。 19/1/12(波照間エロマンガ島)

雑誌の読者のコーナーの読者の住所もそのまま載ってたりね。 19/1/12(石川浩司)

VHSビデオでテレビ番組を録画していたころは楽しかったです。「ウルトラマンティガ」「ウルトラマンダイナ」を夢中になって録画していました。
また、深夜番組を録画するのにも夢中になれました。地上アナログ放送が終わる直前までVHSを使っていました。
今はそういうものはHDD(ハードディスクドライバー)というのでやるのでしょうか。一人暮らしをしてから久しくテレビから離れてしまっています。 19/4/2(Sankaku)

アナログレコードとかカセットテープとか、子どもの頃の物で復活してるものもあるが、すごいスピードでハードが変わっていくので年寄りは追いつけん〜。 19/4/2(石川浩司)

94,95年ごろでしょうか。スーパーファミコンでゲームボーイのソフトが遊べてしまう「スーパーゲームボーイ」の登場には驚きました。
最初のスーパーゲームボーイは通信ケーブルの差込口がありませんでしたが、「ポケットモンスター」の登場に考慮したのか、通信ケーブルが使える「スーパーゲームボーイ2」というものも後年発売されました。

やはり、ゲームボーイのソフトがテレビの大きな画面で遊べてしまうのがうれしかったです。 19/7/30(Sankaku)

うーむ、その頃はもうほとんどゲームからは離れていたなあ。そのちょっと前までは「ファミコン通信」という雑誌でゲームコラムのページを持っていたのだが・・・。 19/7/30(石川浩司)

小学生のとき、クラスに「緊急電話連絡網」というのがあり、プリントで配布されてました。そこには担任の先生から4つくらいに枝分かれした児童の電話番号を書いた連絡網があって、全児童の家庭に緊急の連絡事項を回覧するというものでした。

ですが、固定電話を持ってない家庭もあったので、そのときは電話番号のあとに〔呼〕という文字が書かれていて、近所の電話を持っている家の番号を書いて呼び出してもらうシステムになっていました。今では考えられないですね。

その連絡網を使ったことはほとんど記憶にないのですが、機能していたのかな…。昭和40年代後半〔1970年代前半〕の話でした。 19/9/26(波照間エロマンガ島)

同じ世代だから俺もその経験あり。小学低学年時代はうちは電話があったけど、両隣の家ともに電話がなかったので、よく呼び出しがあると走って呼びに行ってたよ。 19/9/26(石川浩司)

先日、先輩の男性から「PS Vita」という高性能なハンドゲーム機を見せていただきました。
先輩のお宅にはVitaの前の「PSP(プレイステーション ポーダブル)」というゲーム機もありますが、それを見比べると下手に高性能になるのも考え物だと思いました。
確かにVitaは画面の性能は素晴らしいのですが、ゲームソフトのボディーがSDカードのように小さくとても扱いにくいものでした。PSPの方が適当な大きさがあり目に見えて扱いやすい。

下手な高性能の競い合いにはもうついていけません(笑)  19/9/26(Sankaku)

ああ、SDカードとか小さすぎるよね。保存しておくものは軽いのはいいけど、大きさだけは最低フロッピーディスクぐらいある方が探しやすいかもね。 19/9/26(石川浩司)

テレビゲーム機はやはり「NINTENDO 64」あたりがやはり花形だったと思います。
スーパーマリオが広大な3Dの野原を盛大に駆け回るのは、とても感動しました。

2000年ごろに任天堂の新しいゲーム機「GAME CUBE」が発売されましたが、個人的にはもうゲームは飽きてしまっていました。 19/11/2(Sankaku)

俺はもっともっと前に飽きてしまったなぁ。
なんせ結婚するちょっと前にファミコンが発売された世代だから。
あの頃はクソゲーでも100万本とか売れてたからなー。みんな飢えていたんだね。 19/11/2(石川浩司)

数日前、BSで『SF巨大生物の島』〔1961年〕という映画を鑑賞しました。アメリカが南北戦争をしていた19世紀中葉、南軍に捕まっていた北軍の兵士が牢獄から気球に乗って脱出したが嵐の大風で流されてしまい南太平洋の無人島に漂着するも、その島は巨大生物が跋扈する島だった、そこから脱出することはできるのか…、というSF映画。

巨大カニ、巨大蜂、巨大ダチョウなどが出てきて人間を捕食しようとし格闘するのですが、そのシーンはレイ・ハリーハウゼンというアニメーターがストップモーションアニメーション撮影で合成撮影していました。これがCG技術全盛の現在の水準から見るとレベルが低すぎてチャチもいいところなのですが、映像の仕上がりは妙に温かみがあって微笑ましく感じました。そういえば1977年の「スター・ウォーズ」公開以前、わたしは同じくレイ・ハリーハウゼンがアニメーションを担当した「シンドバット虎の目大冒険」や「シンドバッド黄金の航海」「恐竜100万年」などのストップアニメーション作品を違和感なく、普通に楽しんでいたのです。鑑賞に堪えました。しかしCG時代の今日からふりかえると、このローテクノロジー時代の作品を許容できるかどうかは、個人差がかなりあるのだろうな、とは思います。 19/11/24(波照間エロマンガ島)

巨大蟻が出てくる映画もタイトル忘れたけど楽しかったな。
ものすごくチープなB級映画なんだけど、また観たい。クセになよね。 19/11/24(石川浩司)

スーパーファミコンの最初のソフト「スーパーマリオワールド」は楽しかったです。
最強のマントマリオ、4色のヨッシー、裏ワールドなど楽しめる要素がたくさんでした。
マントマリオや空を飛ぶ青ヨッシーで空を飛びまわるのは爽快でした。

ファミコンのマリオブラザーズ1,2,3は結構むつかしくて切なくなったこともありました。
その点マリオワールドは同じコースを何回も挑戦でき、こまめに楽しむことが出来ました。 19/11/24(Sankaku)

だんだんゲームって難解、複雑になってきて覚えなくちゃいけないことや最初の設定がややこしかったりで、そこで挫折してしまうことも多かったなー。 19/11/24(石川浩司)

スーパーファミコンソフトの「ドラゴンボールZ 超武闘伝2」はある意味「コマンド入力技」の最高峰だったと思います。
今の格闘ゲームでもあるのかもしれませんが、十字キーを複雑に動かして隠れ超必殺技を出す、出せた時の爽快感はひとしおでした。

孫悟空とブロリーが隠れキャラでいろいろなところ、ストーリーモードが特に凝っているゲームでした。
しかし、このゲームである程度エネルギーを使い果たしてしまったのか、この次の「超武闘伝3」はちょっと手を抜いたゲームになってしまっていました。 19/12/3(Sankaku)

あれ、激しく十字キーを動かして、相当キーは頑丈に出来てたんだろーなー。
俺は格闘ゲームはやらなかったけど、やってた人は激しかったよね。 19/12/3(石川浩司)

19/12/3(石川浩司)さんへのレス
十字キーではないですけど、ファミコンが発売された当初はゴム製の四角いA・Bボタンで、よく押されたまま引っ掛かって戻らなくなっていました。
しばらくして操作性の良いプラスチック製の丸いボタンに変わったんですけど、発売直後に購入して自慢しまくっていた同級生は「四角」とあだ名で呼ばれるようになりました。 19/12/8(テングザル)

常連投稿者に三角(Sankaku)くんはいるけど四角くん。
何が名前になるかわからないね(笑)。 19/12/8(石川浩司)

ラジオのアナログチューニングは好きでした。
ダイヤルをゆっくり合わせながら、遠方のラジオを聴いたり、海外の良くわからない電波を拾ったりするのが楽しかったです。
最近ではネットでラジオが聞けるし、AM放送もFMでクリアな音で聞けるので便利になりましたが、チューニングする時のワクワク感は無いのが寂しいですね。 21/2/8(邑楽)

そうそう、ノイズの中から放送を見つけるのは、一種宝探しにも似ていて、ピッタリ合った時の快感はひとしおだったよね。
そういう快感は、今の人は味わうことがないのって、ある意味かわいそうなのかもしれないね。不便が故の楽しみってあったよね。 21/2/8(石川浩司)

今の若者は、スマホの画面を見ながら歩いている生気のない人も多くいて、本当に便利さは人を幸せにはしないのではないかと思ってしまいます。
それこそ石川さんや私たちの父母の世代は、不便な時代も見てきているので、インターネットなどの時代の資源を有効に活用できている感じがしました。

こんな時代だからこそ、新たに良いものが出来ている胎動もあるのかもしれませんが、もう便利さは人を幸せにしないという結論は出来るのではないでしょうか。
生きていられることに感謝の気持ちを忘れてゆく現代人には、何かを投げかける価値は無い、と思ってしまうところです。  2022/2/19(Sankaku)

だから俺が30年以上も前に「♪不便の方が便利よりだいぶいい~」と歌ってるじゃない。 2022/2/19(石川浩司)

私はいんちきな亜絶対音感があることが周囲に知られていたため、13/1/18のエロマンガ島さんも書いていらっしゃった単音着メロは、いろんなひとから作成を依頼されました。自分の好きな曲を打ち込んでほしい、と。スパルタンX、忍者ハットリくんなどあれこれ人の電話に打ち込むのは面白かったです。
合唱団員だった私はポケットベルに自分のバスパートの単音メロディを入れ、ソプラノの女の子のベルにソプラノパートを打ち込んで同時に鳴らしてハモらせる、なんて遊びもしていました。
…いや、合唱団員やったらふつうに歌ってハモれや〈笑〉。 2023/8/14(オポムチャン)

ひとりアカペラ合唱団で音源リリースしてくらちゃい! まずは「まちあわせ」あたりから。 2023/8/14(石川浩司)

   
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