話題221 亡くなった有名人


このページは以前「高田渡の死」というタイトルでしたが2016/6/1より今回のタイトルに変更になりました。 引き続き投稿よろしくお願い致しま〜す!


皆さん、”高田渡”とゆーフォークシンガーをご存知ですか?
明日(4月17日)は、渡さんの一回弔です。
明日、急な仕事がはいらなけらば、僕は参加しようと思ってます。
渡さんは僕の師匠のような存在です。喧嘩もよくしましたが、(生意気に)僕の音楽にたまと同じ位多大な影響を与えてくれました。
渡さんの家には高校時代、嫌な事が実家であればギター持って家出もしました。
お金、そんななかっただろうに寿司や飯をおごってくれた渡さん。
食べ盛りの青二才はそんな事、お構いなしに、そんな渡さんに甘え、飯をがっついてました。
渡さんはなにも言わず、ニコニコとそんな青二才のがっつく様を見ておられました。。。
いろんな思い出があります。出会いからいろいろ。。。
渡さんが釧路でお亡くなりになった時、僕は沖縄に住んでいて、お葬式にはでれませんでした。
しかも実感もありませんでした。けど、報道や渡さんのHPなんかを見て、じわじわと実感し、涙がじわりじわりとあふれてきました。
けど、まだ”本気の実感”がないのです。。。。
そもそも人の”死”とゆーものはなんなんでしょうか?
未だに渡さん家に電話したら、渡さんがでそうな気になります。携帯のメモリーからもまだ、渡さんの番号は消せません。
吉祥寺のあのアパートにいけば、渡さんがちゃぶ台の前で、酔っ払いながら、出迎えてくれるようなそんな錯覚に陥るのです。
井の頭公園に朝っぱらいけば、いつものベンチで渡さんがギターの練習してる。。。。
そんな気分になるのです。けど。。。
”あっ....もういないんだよな...”
と、再認識する。そんな毎日です。

話はさかのぼりますが、小学校時代の担任だった先生が、僕が中学の時にお亡くなりになりました。
この時はきちんとお葬式にもでました。でもこの時もあまり”実感”とゆーものがわかなかったように思います。当時、僕が住んでた町は小さな田舎町でした。
だから、登下校の際、その先生とばったりでくわすなんてしょっちゅうでした。
いつも決まった挨拶.....
「お〜TOM!元気でやってるか?!どうだ?!中学は?!楽しいか?!」
オレ「はいっ!楽しいっす!頑張ってますっ!」
けど、ある日をさかいに、いつも決まった場所で出くわすのに、先生は現れない日々になります。
駅のホームや、街ですれちがった人が先生と似たような体格だったり、顔だったりすると
「あれ?...先生...?」
なんて、振り向いたり、目で追ってしまうような瞬間。。。けど
”あっ、もういないんだよな。。。”
と、八ッと現実に戻る。
先生の”死”をはっきりと現実のものとして認識できたのは随分、後になってからでないでしょうか。

なんかとりとめのないような話になってしまったかな(苦笑)。
※今回、なぜ、渡さんの名前を公開したかは、皆さんに渡さんの唄も聞いてもらいたく、あえて、名前をださせていただきました。タワレコにいけば、ちゃんと”高田渡”とゆーコーナーで、CD売ってます。素晴らしい歌をたくさん歌ってらした方です。あの人は”ミュージシャン”とか”フォークシンガー”とゆー枠を越えていた。”生き方”が、歌を、音楽を越えて、滲みでてくるような方でした。”タカダワタル的”とゆー映画もDVDになってます。渡さんの自伝、「バーボンストリートブルース」とゆー本も出版されてます。是非、皆さんに渡さんを聞いて、見て、読んでいただければ、当方、これ幸いです。 06/8/31(TOM)


***レス(発言は古い順に並んでます)***


俺も上京して初めて見たライブが高田渡さんだったし、その後何度かお会いする機会があって、パスカルズのライブを渡さんが見に来てくれた時は僕のお馬鹿なパフォーマンスに「石川、もっとやれ〜!!」の声援も客席からもらったしね。渡さんみたいな人って居そうでいないもんね。本当に惜しい人を・・・。
ちなみに渡さんのトリュビュートアルバム「石」にはパスカルズも参加していて、僕と知久君が歌もうたっているので是非聴いてみてね。 06/8/31(石川浩司)

私のような、高田氏の事をよく知りもしない女が言うのもなんですが・・・
あれは静岡の、とあるホールでフォークソングのラジオ番組公開生放送があった時のこと。
3人のゲストの中に友部さんがいらっしゃったので行ってみたんですが、高田氏もいらっしゃったのです。
全く存じ上げなかったので、「シチューのCMの歌の、オチャメなおじ様」というイメージが残りました。
歌の合間に高田氏は、シチューのCMの歌をやった時、当然商品をいただけるだろうと、ハ○ス食品の方に「いただけるのだろうか」と聞いた、というお話をされました。
勿論商品をいただいたそうですが、そこで終わらないのが高田氏、
「シチューはこれだけ(シチューの素)では出来ないんですけど。」
と言ったとのことですが・・・真相やハ○ス食品の方の反応はわかりません。
軽い話になってしまってすみません。06/9/16(秘密の座席)

俺も農協のCMに出た時「ギャラより一生米送ってくれませんか」と言ったけど一笑に付された。まじだったのに・・・。06/9/16(石川浩司)

嗚呼....「石」を.....もうすでに泣きそうです(苦笑)
やばい(苦笑)。 06/9/22(TOM)

昔、高田さんと渋谷毅さんのジョイントライブを、今は高円寺に移ったグッドマンへ良く観に行ってました。
大概はライブの最初から高田さんは酔ってベロベロで、途中で眠ろうとしたり、家に帰ろうとするのを渋谷さんが必死で止めてました。
ところが、5年ぐらい前に最後に観に行った時は、めずらしく断酒したらしく、ウーロン茶を飲み飲み、淡々と歌ってられました。
なんか、その姿がシャンソンの大物ジョルジュ・ブラッサンスに似ていると思ったので、マスターに話したら、全然賛同を得られませんでした。
私は何故か『自衛隊に入ろう』が大好きで、今でもよく鼻歌で歌っています。06/9/22(笹井吾朗)

俺が最初に見た時もべろべろに酔っぱらっていて、とある客にじくじくと説教を垂れていて会場の空気はかなり澱んでいた。東京で見た初めてのフォークシンガーのライブだったので、あぁこうゆう歌い手もたくさんいるのかぁ〜、と思ったら結局そういう人は渡さんだけだった・・・。06/9/22(石川浩司)

暗い話ばかりですいません。つい先日、今度は親友が自殺しました。恩師、師匠、そして今度は親友。 近しい人間であればあるほど、その『現実』を『リアル』にすぐには受け止められません。
『死』とはなんなのか。改めて考えてしまいます。06/9/22(TOM)

すぐには無理だね。じっと時間が解決してくれるのを凍えながらうづくまりながら待つしかない。 06/9/22(石川浩司)

高田渡さんが亡くなって少し経った頃、吉祥寺で映画「タカダワタル的」の追悼上映があったので観に行きました。映画での渡さんは映画だからということもなくマイペースで、「ブラザー軒」や「私の青空」などやさしい歌が印象的でした。
私は渡さんのライブを生で観たことがなかったのも悔やまれました。しかし映画が終わってスクリーンのカーテンが閉まるころ、お客さん全員が暖かく拍手を送り、私も今日映画を観に来てよかったと思い拍手をしました。 06/9/27(作戦失敗)

映画、パスカルズのバンマスのロケット・マツさんも音楽で参加しているよ。  06/9/27(石川浩司)

「タカダワタル的 ゼロ」が今週から公開ですね。
高田さんの話題がこのHPにあったのをふと思い出し、書き込んでみました。
私は来週早々に観に行く予定です。
石川さんは観にいらっしゃる予定はないのですか…?  08/5/22(会えるのを期待しちゃったりして) 08/5/22(猫パイ)

きっと帰国している頃には終わってるでしょうがロケット・マツさんや小俣君もさり気なく出演しているので見てやってくだせえ。 08/5/22(石川浩司)

私は渡さんが倒れた直後のライブに行ったのです。
「体調不良のため高田渡は欠席します」と書かれた張り紙、大丈夫だろうか・・?と思っていたそのときにはもう意識不明の重体であったことは、あとで新聞で知りました。
今も思い出しては、「もっともっとライブ行きたかったなあ・・もっと歌、聴きたかったなぁ」って切に思うのです。でも亡くなる前の冬にも北海道ツアーに来てくれて、一緒に飲んでしゃべったり、ホテルまで他のファンの人とあいのりさせてもらったり、一升瓶抱えてフラフラになって帰る後姿を見届けたり(笑)

楽しい思い出できてよかった。これからも私にとって高田渡は別格なミュージシャンなんですよ。 08/6/28(さっちゃん)

俺も上京して初めてライブハウスに観に行ったプロのミュージシャンが渡さんだったからなぁ。客に延々説教していて「こういうのもありなのか」と思ったな。 08/6/28(石川浩司)

初めてお会いした小樽ライブでの打ち上げ後、私のTシャツのすそを引っ張りながら
「今度会うときまでにもっと胸を大きくしときなさいよ」と渡さん。
セクハラ・・!?とびっくり、むかっときたりしてました。
でも、打ち上げ中は、店のマスターが渡さんにだけ出したあわびの小鉢を、「君これ食べなさい」と言って下さったりも。
夫がしょっちゅうCDをかけているので身近な音楽なのですが、また生で聴いてみたかったです。。  08/11/28(どんぐり子)

記録に残るより記憶に残る人だったからね。
俺もそんな人間になりたいな。  08/11/28(石川浩司)

記録より記憶…共感します。高田渡さんはまだ私が高校生の頃筑紫哲也のニュース23で初めて見かけました。べろんべろんに酔って歌って筑紫さんと話していました。歌が滋味深く、強烈な印象をのこしました。

大人になり森達也の「放送禁止歌」というドキュメントに高田さんが出ていました。「自衛隊にはいろう」って歌について。(これは自衛隊を皮肉った?歌なのだけれど)高田さんは穏やかな優しい口調で歌うのをやめた理由を「禁止になったのもあるけど、真に受けてほんとに自衛隊に入っちゃった人がたくさんいた」と語っていました。
森さんが、「(禁止部分を)歌詞を変えて歌おうとは思わなかったか?」と問うと高田さんは即座に穏やかだけどきっぱり「それはない。これが表現だから」と言いました。
たまの本をよみ、石川さんの東京パピーなどもオシのところ、やっぱり表現だから、インディーズで(禁止だからってことで言葉変えたりせずに)聞けて私はうれしいなと思いました。
Tomさんの教えてくれた映画など、みてみようと思います。石も。
高田さんも、たまも、記録より心のふかーい奥に記憶にのこる稀有なうたうたいだと私は感じます。Tomさんの話題立てには高田さんへのおもいがつまっているなあ。 11/6/30(ぽ)

俺も表現にだけは妥協しない。
まぁ状況はみるとしてもね。 11/6/30(石川浩司)

過去の日記を整理していたら、高田渡さんの訃報について書いた日記があり、それを読むと、2005年4月16日に北海道釧路市の病院で亡くなったと記されていました。享年56歳。えー、56歳だったのかー!私もあと5年くらいでそれくらいの年齢になってしまう、とあらためてビックリしてしまいました。若い頃から老成していたんですね。吟遊詩人のように酒と歌を愛した高田渡さんが逝かれてもう8年経ちます。
さて、この5〜6年、お世話になっている年長の友人がいるのですが、彼は高田さんとほぼ同世代、日本のフォーク・ロック界の生き証人のような方で、過去のいろいろな話を聞いたりしているのですが、当時の写真を見せてもらったところ、現在の優しい風貌からは想像がつかないくらい尖がっていて、カウンターカルチャーを体現しているような、長髪に長い髭にマントにブーツという、一言で形容しがたい格好をしていました。その写真には確実に「異議申し立ての時代」が写りこんでいました。1970年代前半の日本の文化については、資料はそこそこ残っているのですが、けっこう忘れられているものも多いのではないか、もっと発掘できればいいな、と最近よく思います。  13/5/3(波照間エロマンガ島)

前も書いたかな?
渡さんに最初に会ったのは彼が30代の頃。
その時既に、おじいさんでした。
あと俺も22歳くらいまでは長髪で痩せていて、エスニックな服とか着てたりした・・・。 13/5/3(石川浩司)

7月30日の午前3時代のNHKラジオ第一で特集やってました。たまたま聴いたという感じだったのですが、石川さんが東京で観られた初めてのライブという意味がわかりました。
ただ、NHKがやる特集なのでねえ! 15/8/7(西大路)

パスカルズでも渡さんの曲をやっているコンピレーション・アルバムがあるよ。
確か「石」というタイトルのCD。 15/8/7(石川浩司)

忌野清志郎が生きていたら彼はいまどんな歌を歌うんでしょうね。
浅川マキが生きていたら、中島らもが生きていたら、鈴木いづみが生きていたら、どんとが生きていたら。
どんな生き様を見せてくれたんでしょうね。
寺山修司が生きていたら、まだやりたいことがたくさんあるんでしょうね。 16/6/12(ひのこ)

もしかしたら俺たちが期待してるのとは違うことをしてるかもしれないね。
ほとんどの人はドラッグで捕まってたりして(笑)。 16/6/12(石川浩司)

相撲界の話題。
石川さんも書いておられましたが、大横綱が亡くなりました。61歳という年齢を聞くと、ああ俺もあと20年やと考えてしまいました! 16/8/23(西大路)

俺あと6年。
相当迫ってる・・・。 16/8/23(石川浩司)

お二方とも生前ご本人がお話されていたことです。
気象予報士の福井敏雄さんが「残念ながら雨でごじゃいます」とコメントされると、視聴者の方から「農家にとっては恵みの雨です。残念とは何事か」とお叱りをいただいたそうです。
渥美清さんが全国各地で上映される「男はつらいよ」シリーズを一番後ろの席で観ていると、寅さんがこっぴどい目に遭う爆笑必至のシーンで地元浅草だけは「寅に何て事しやがるんでい!」と観客たちが怒り出したのだとか。
所変われば立場も変わる、立場が変われば考え方も変わるというエピソードだなと思いました。 16/8/27(デクノボー)

そうなんだよね。ある人にはヒドいことでもある人には素晴らしいこともその逆もある。
戦争の立派な英雄は、相手の国にとっては憎むべき卑劣な大量殺人者。 16/8/27(石川浩司)

マサ子さんのカナンとサブリナ、坊さんバックスピンのEg.きょうかん師、remoteの池田貴族さん、いか天に出場されたバンドメンバーでも若くして亡くなられている方がいます。探すともっとたくさん亡くなっている方はいらっしゃるのでしょうね。 17/4/3(わいわい)

そうだろうね。あれだけ出てるからね。
審査員の方でも随分鬼籍に入った方も多い。
ちなみにマサ子さんのまゆたんは去年の俺の誕生日ライブに来てくれたなあ。 17/4/3(石川浩司)

マサ子さんのサブリナ・ブルネイさんの逝去のニュースは月刊漫画ガロで知りました。追悼特集がされていたのです。早世でとてもビックリしたと同時に悲しかった記憶があります。1990年代半ばだったかな。当時目黒に住んでいて目黒駅前の書店にガロが置いてあったので定期購読していました。 17/5/16(波照間エロマンガ島)

山田花子さんもねこじるさんの訃報もガロで知ったなあ。
自分より若い人が亡くなるのはやはり衝撃があるなあ。 17/5/16(石川浩司)

これを書いている時点で、加藤剛さん、桂歌丸さん、オウムの面々・・・、たくさんの人が亡くなられています。
人は死ぬと記録が残らずなぜ殺したかが分からないままになってしまいます。なぜ明智光秀は謀反を起こしたのか、浅野内匠頭は松の廊下で殺生をおこなったのか。すぐ処罰されるとなぞのままです。麻原などは、死刑判決はそのままにしてもっといろいろ聞きたかった。極端な話、死刑囚にはインタビューやTV撮影もOKして、いろいろ聞きだせばいいのにと思いました。 18/7/24(わいわい)

でももはや精神が崩壊していて、まともに質問に答えられる状態ではなかったとも聞く。難しい問題だね。 18/7/24(石川浩司)

18/7/24(石川浩司)さんへのレス
それです!
元死刑囚が刑の執行直前に遺言を遺したというのが何とも解せません。
信者の行動を牽制するための方便だとは思うんですけど、そんな馬鹿なと思ってしまいました。
まるで口封じのようにまとめて刑を執行し たのも解せない所です。 18/7/31(テングザル)

そしてすべては闇に葬りさられる・・・。 18/7/31(石川浩司)

このHPでもすでに何人かの投稿者の方がとりあげていますが、漫画家、作詞家、脚本家、エッセイストのさくらももこさんが亡くなりました。1965年生まれ享年53歳という若さでの逝去でした。石川さんはじめ、たまとは深い関係をもったさくらさんですが、わたしはなぜか縁がなく、今までその作品に触れたことはありませんでした。ただひとつだけ共通点があったので、ここに書いてさくらさんを偲びたいと思います。それはタイ人で初めてつきあった女性のチューレン〔ニックネーム〕が「Maruko」だったということ。代表作の「ちびまる子ちゃん」がタイに輸出され放映されたとき、アニメーションのまる子に似ているので「Maruko」というニックネーム呼ばれるようになったのですね。今から15年ほど前、2003年頃の話です。残念ながら彼女とは別れてしまいましたが。。 18/9/17(波照間エロマンガ島)

さくらさん、一時期本当によく遊んだ。
でも元旦那さんもたいてい一緒だったので、離婚してからはあまり会わなくなってしまったな・・・。 18/9/17(石川浩司)

有名人が病気のために闘病生活に入って、亡くなるとあーだめだったかあと思ってしまいます。逸見政孝さん、小林麻央さん、カンニング中島さん、本田美奈子.さん、桂歌丸さんなど。 19/2/15(着の身着のまま木の実ナナ)

ある程度以上の年齢の人は「やっぱり駄目だったか」と思うけど、若い人はショックだよね。 19/2/15(石川浩司)

小津安二郎といえば日本映画全盛時代に活躍した偉大な映画監督です。その小津が在籍した松竹大船撮影所で、デビューしたばかりの当時28歳の新進気鋭の新人監督の大島渚の2作目「青春残酷物語」〔1960年〕を、小津はある人物にたとえて評価しています。大島とほぼ同期の映画監督でのちに作家に転進した高橋治の聞き書きより。

「どうだいあの剛速球。それにしても見事なまでのコントロールのなさ。金田正一だね、あれは。大物になるよ」

なんと!小津は、大島渚のことを金田正一と同じくらいの剛速球投手で、しかもノーコンだと言ってるんですね! なんかわけわからないたとえだけど、おバカで定型にはまらないような大物だ、って言っているのかな。ちなみに金田正一はつい先日他界されたニュースが流れましたが、1950年に国鉄スワローズに入団、現役生活20年間で400勝298敗というプロ野球史上に残る大記録を残した速球投手です。14年間連続20勝というのですから尋常ではありませんね。

また大島渚は小津の予言通り、のちに「愛のコリーダ」や「愛の亡霊」などで世界的に有名な映画監督になりました。 19/10/18(波照間エロマンガ島)

大島渚と言えば、妻との初めてのデートが文芸坐に大島渚特集を観に行ったことであり、たまがイカ天に出た最後の週で特別審査員としてたまを絶賛してくれた人。嗚呼、時は流れて小津が評価した大島渚さんに評価されたわけか。
俺たちも若手を評価する年齢になってきたかな。 6ポイント。

吾妻ひでお先生がお亡くなりに・・・
手元にあったやけくそ天使、失踪日記などを読み直しました。

よく読むといろんなところに三上寛さんが出ているのがちょっとツボ。
ザ・ベストテンで10週連続1位になっている というシーンはちょっと笑いました。
あの頃の暗いフォークソング好きだったんだなぁ・・・ と思いました 19/11/2(ズミ天)

吾妻ひでお先生はアンダーグラウンドにも造詣が深かったからね。
俺の友達も寂しがってる人、多かったな。 19/11/2(石川浩司)

19/10/18の追記。金田正一さんのことを考えていたら、突如として忘れていた記憶がよみがえりました。「おれとカネやん」という野球マンガがあったことを。1973年から75年頃、少年キングにて連載。単行本は買ってなかったですが、毎週「ワイルド7」を読むために少年キングを買っていたので連載中のこの漫画も読んでいました。漫画で金田が出てくるというと「巨人の星」か「アストロ球団」かくらいしか思い出せなかったのですが、そんな記憶に隠れてこんな漫画があったんですね。勝三四郎という野球好き、金田好きな少年が、金田監督率いるロッテに入団し大活躍するというような内容だったかな。三四郎の名前の由来は、1958年国鉄スワローズの金田がルーキーの巨人の長嶋を開幕戦で4打席4三振に打ち取ったことに野球好きの馬鹿親が感銘しその金田の背番号からつけたのではないか、と記憶しています。 19/11/14(波照間エロマンガ島)

最近は実在の人が出てくる漫画ってほとんど見ないよね。
本人が許可しないのか、何かコンプライアンス的なことなのか。 19/11/14(石川浩司)

19/11/14の追記。金田正一さんといえば、以前ラジオでテリー伊藤さんが言っていた豪快なエピソードを思い出しました。サウナ大好きな金田さん、よく行く銀座の某ホテルに着くと、地下のサウナに着くまで待ちきれず、1階のロビーあたりから服を脱ぎだしその場に放り投げ、階段を下りる途中も次々と服を脱ぎ、サウナ店に着いたときには素っ裸になってサウナに突入したという話。どう考えても、ほら話としか思えないのですが、金やんなら「さもありなん」な感じがして、初めてその話を聞いたときに大笑いしました。 19/12/3(波照間エロマンガ島)

ありそうだねー。そういう豪快な人、最近少ないんだろうね。ちょっとのことでネットで騒がれ問題視される風潮だしね。 19/12/3(石川浩司)

アフガニスタンで医療支援や灌漑用水路建設にご尽力された国際NGO 19/12/14(非政府組織)「ペシャワール会」現地代表の中村哲医師(73歳)が銃撃され亡くなられました。
タリバンでさえ即座に犯行を否定し功績を称え死を惜しむ声明を発表、アフガニスタン大統領は勲章を授与し自ら棺を担いで敬意を表しました。
平和憲法9条が自らの活動を守ってくれたと諭される護憲派であり、また海外で最も尊敬される日本人でした。 19/12/14(テングザル)

飛行機の機体に顔が描かれ、葬儀の際は大統領まで棺を担いだとか。
俺は功績をよく知らないのであまり何も言えないけど、どっかの人よ、アイドルに会って「国民栄誉賞あげよーか」と言っている場合か!? 19/12/14(石川浩司)

女優のアンナ・カリーナさんの逝去には寂しさ以上のものを感じました。2019年12月14日、Twitterのタイムラインに彼女の写真と弔辞が大量に流れてきて死を知りました。ゴダールの初期作品での演技の素晴らしさには20代前半だったわたしは心底惚れこみました。わたしの出会ったミューズのひとりでした。1960年代に山田宏一さんがインタビューしていますが、その本はたぶん日本の倉庫にあるので次回帰国した際には取り出して読んでみようと思います。RIP。 19/12/19(波照間エロマンガ島)

俺たちが見ていた年上の人も次々いなくなるねえ。自分よりも若い人もポツポツと。寂しいねえ。 19/12/19(石川浩司)

忌野清志郎さんのバンド「RCサクセション」が80年代にヒットし人気絶頂の頃、清志郎さんはストレスから内臓のどっかを病み、医者からは「もう治らない」と見放されたそうです。それから清志郎さんは独自に東洋医学を研究し病気を治してしまったとありました。

2001年の清志郎さんのドキュメンタリー映画「不確かなメロディー」の前半で、清志郎さんがお灸をすえたのか、ふくらはぎ辺りにライターの火をパチッ、パチッ、と当てているシーンがありましたが、あれはもしかしたらRC時代の東洋医学の研究の名残かもしれません。
2009年に忌野清志郎さんはガンにより逝去されてしまいましたが、清志郎さんは断食は研究されなかったのでしょうか。東洋医学を研究されたのなら文献に触れていそうなものです。最新の研究では断食はガンも直すとあるのですが・・・。 19/12/26(Sankaku)

俺の聞いた話は逆で、東洋医学に頼り過ぎてしまった為、早く逝ってしまったという声を聞いたよ。もう少し西洋医学の治療をしていたらこんなに早くは逝かなかったのに、ということらしい。
まぁどっちが長生きしたのかは知る由もないんだけどね。 19/12/26(石川浩司)

元プロ野球チーム監督、野球評論家の野村克也さんが、2020年2月11日(火)に死去されました。

私自身は野球に興味はありませんが、上司の男性に勧められて野村監督の御本を何冊か読みました。
野球だけではなく一般の人にも通じる仕事の仕方や物の考え方が説かれていて面白かったです。
南海ホークスというチームのテスト生としてプロ野球入りし、まさにプロ野球の最下層から後年 名球会入りした野村監督のエピソードは一見の価値ありです。

「夢は必ず叶う。叶わないのは努力が足りないからだ」 20/3/8(Sankaku)

でも最後の言葉はちょっと矛盾があるな。例えばこんな夢だったらどうするのだろう。
「努力をしないで夢を叶えたい」 20/3/8(石川浩司)

2009年に、ロック歌手・ミュージシャンである忌野清志郎さんは逝去されました。

清志郎さんの晩年、たまに出会ったこともあってか、私は清志郎さんへの興味が希薄になっていました。
母親から清志郎さんが亡くなったことを知らされましたが、正直な話、面倒くさい事になったと思いました。

東京・青山葬儀場で開催された清志郎さんのお別れ会には足を運びました。
万単位の人が参列されていて遺影の前にたどり着くまで2時間ほどの大行列でした。
また私がお参りを終わらせて帰路につくときには、さらに長い行列が出来ていました。

帰りの足で西荻窪のニヒル牛に立ち寄りましたが、その時に自分の音楽的な立ち位置は、もうたまであることを感じました。
2019年は清志郎さんの10周忌で、日比谷野外音楽堂でイベントが開かれましたが、それを見ると清志郎さんが世の中に与えた影響や、どれだけ愛されていたかが分かるような気がします。 20/4/18(Sankaku)

先日大林監督が亡くなられた。生前「俺が死ぬ時は石川くん、君の「オンリーユー」を耳元で歌ってくれ」と言われていたが叶わなかった。
それどころか、このコロナで葬儀にも行けず。早く収束せんことを。 20/4/18(石川浩司)

漫画家のジョージ秋山さん。
1970年代前半、少年漫画誌に「アシュラ」「銭ゲバ」などの問題作を連発したとき、叔父の影響でリアルタイムで連載を読み〔近くに少年マガジンや少年サンデーが当たり前にある環境だった〕、まだ世の中の何たるかをわからないうちに作品に接していました。その直前の1969年に連載していたギャグ漫画「ほらふきドンドン」から一転して漫画表現の極北のような作品を発表するのですから、その振り幅の異常性は7歳の子供でも理解できました。それ以来発表したヒット作品の数々は、なんだかんだで手にとって読んでいました。

そうだ、1999年「スター・ウォーズ」EP1 にメイス・ウィンドゥ役でサミュエル・L・ジャクソンが出演したときに、真っ先に思ったのは、「ほらふきドンドン」の和尚そっくりだ!ということ。これ、なかなかわかってもらえる人がいないのですが、とにかく子供の頃に読んでいた漫画のキャラクターが突然目の前に現れたときのショックたるや、相当のものでした。いつかハリウッドでマンガおたくの監督にジャクソン主演で映画化してほしいな、と妄想しました。
あと生足の女を描かせたら右に出るものがないというくらい本当にエロくて、毎度毎度くらくら感じてしまいました。それくらい素晴らしい曲線を描いてましたよ。合掌。 20/6/30(波照間エロマンガ島)

生活感のあるエロスの生足ね。たまりませんでしたなぁ。 20/6/30(石川浩司)


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