話題22 人生って何?
人生って何なんでしょう。(もと)
***レス(発言は古い順に並んでます)***
その答えがわかった時、人は死ぬという。おっとろしいのう〜。(石川浩司)
「人生って何だろう」となぜ人は問うのだろう。(もと)
暇だからじゃない? でも南国の暇そーにしている人はあんまり考えてない気もするな。
じゃあ、知恵がある程度ついた人が必ず陥る自己矛盾かな? (石川浩司)
石川さんが「その答えが分かったとき、人は死ぬらしい」と言うのはなぜですか?
「人生ってなんじゃ?」と考えることこそが人生だから。それ以上は聞くな。何故なら考えるのが面倒くさい(笑)(石川浩司)
人が生きることとかいて、人生じゃわかるかのう。
まあ、かんたんにいえば、自分で選べるわけでないしね、職業とか、学校とかね。そして親も・・・
そこで、どう、おもしろ、おかしゅう楽しむかにかかっとるんじゃよ。
みんな、おもしろ、おかしゅうやっとたら、気がつかないうちに、死んでるのさ。これでいいのだ。03/2/20(たこ21)
今日つくづく、人生ってなんだろと思いました。
なぜなら人生の中で何度かある、嫌な事がいっぺんに起こった日だったから。
そしてそのどれもが、生と死について考えさせられるものだったんです。
今日は自然と心の中に、
“でも、たんたんと、生きなきゃいけない”という言葉が浮かびました。
それで、生きなきゃ“いけない”なんて考えた事にびっくりしてしまいました。
ちょっと弱気だったからな、今日は・・・
でも、言い得て妙、というのでしょうか、それってほんとだと思うんです。
そういうものだと思うんです、上手くいえないけど。
たんたんと、生きてく。 03/3/3(りな)
そーそー。死ぬ時は死ぬ。どーあがいても、人はすべて死ぬ。だから、生きている間は、毎日をジュージツして悲喜モゴモゴ楽しむのだ。 03/3/3(石川浩司)
人生なんてただの夢かもしれない。夢じゃない、と言える証拠は誰も持ってない。どこにもない。 03/3/10(プヨ)
自分も人生についてよく考えます。
「俺の人生どうなっちゃうんだ!?」だったり、「まぁ人生なんてこんなもんだろう」だったりとか…。
そのときの気分や都合によって、「人生」という言葉の持つ響きは簡単に変わってしまうんですよね。
最近の自分は「人の生きザマ」=「人生」と考える事が多くなりました。最終的にはその人の人生は他人によってしか評価できないのではないか? 客観的な判断がその人の人生を語るのではないか?と…。自分に転機が訪れた時、自分が死んだ時などに、他者によって自分がどの様に投影されるか。皆がそれぞれに語る、「あいつはこういう奴だった」、それが自分の人生なのではないかと…。
真面目に生きようとか、人に嫌われないように生きようとか、死んだ時に悪口言われないように生きようとは思いませんが、他人の心に映る、自分の存在の軌跡や記憶が恥ずかしいものにならない様、悔いの無い生きザマを晒すのが、今の自分のすべき事ではないのかと思っています。 03/3/10(T.E.E.)
「あいつはこういう奴だった」なんて人によって違うと思うし、そう言っている人達も数十年以内には死ぬわけだし、仮に何かしらで名前を歴史に残したとしても、その歴史はその人の特徴的な部分を抽出した、ほとんど創作の人物像だと思う。
「思い出」のほとんどが自分以外の人には本当の微妙なイメージはわかってもらえないと思うから、人生はちょっとさみしい気もするけど、本当に自分だけのものだと思う。
だって、自分が死んじゃえば「意識」は自分にしかないものなのだから、地球の存在すらなくなってしまうわけで、「自分が死ぬ」ということは「地球がなくなる」と同義だと思うのだ。
「人生」は他人との関わりと密接に関係はしているが、最後まで自分ひとりのものだと思う。 03/3/10(石川浩司)
人生は、自分で作っていくものだとしたら、結構いい人生送ってるな、と自分では思う。
でも、100人に私の今までの人生を聞いてもらったら、一人もいい人生だね、と言ってくれないと思う。
でも、私はいい人生を送ってるな、とやはり思う私の人生に入っている人たちに感謝。
もう私を忘れた過去の知り合いにも、今、私を知ってくれている少しの知り合いにも、過去を楽しく生きてきた自分にも感謝。
自分が好きだから、いい人生を送れたんだなと思う。
これからも、嫌いにならずに生きて生きたい。 03/3/17(ともこ)
そうそう。「いい人生」なんて基準があるわけじゃなくて、要は自分の感じ方のみ。いくら社会的に成功しても「いい人生じゃなかった」と思う人もいるだろうし、逆もまたあるだろうし。
「自分を好きになる」努力が、いい人生の秘訣かもね。 03/3/17(石川浩司)
人生は結果じゃなくて「過程」だと思います。ときめいたり、心の底から笑ったり、感動した瞬間があったかどうか。それじゃなきゃ、事故とかで死んだ人の人生がみんな「悲しい人生」になっちゃう。そんなの嫌だ。 03/3/24(プヨ)
人生について、僕自身考えたのは高校生の頃でした。自分の生きる意味、価値全て、考えれば考えるほど答えが出ず、悩みました。しかし、死ぬ勇気もないし、ただ、一人で考えていてもわからないのでメールして、みんな、どう考えているのか、知りたくメールします。 03/4/21(名無し)
人間として生まれたら「人生について考えること自体に意味がある」だろうね。答えがないことなんか、始めからわかってるんだから。それでも人は考えねばならない。カンガルー。 03/4/21(石川浩司)
生命を維持するために必要なのは
ちゃんと食べて ちゃんと眠る ことです。
それを実現させるための手段をどういう方法に求めるか、というのがその人の選んだ生き方。(仕事の内容・結婚するかしないか・子供を持つかもたないかなど)
その生き方に沿って死ぬまで時間を過ごすことがその人の人生というものではないかと思います。
「自分とは何か」「生きるとは何か」などと深く激しく考えることは、プラスアルファの部分かなあと思います。
喜怒哀楽や、他人を傷つけたり他人に傷つけられたり、は生きていく以上必ずついてくることなので、それをどんな風に自分の血肉にするかはもう自分次第だよなあと思ったりしています。 03/4/28(わにこ)
人生なんて深く考えた事はないので、単純に毎日を生きている今が人生の一部だと思っています。とすれば、人間は「人生」という名前の一本の映画を生まれてから死ぬまで各個人が制作していると考えてもいいんじゃないかなぁ。もちろん出演は自分。本当の映画と違うのは、編集がきかないっていう事。編集がきかないかわりに、主人公である自分は自分の思うままに、自分の好きなように行動できる。それが間違いか正しいかなんて自分にしかわからないことなんだよ。だから「人生って何?」という考えを持てる自分はすばらしい存在だと思うなぁ。ちょっと独り言っぽくなってしましました。03/5/26(たらこそば)
本当は「過去」も「未来」も存在しない。存在しているというイメージだけ。すべては今、この時だけが人生。 03/5/26(石川浩司)
少し話がずれますが、最近記憶力の低下が甚だしいです。
これまで、疑うことなどなかった若い頃の思い出ですら、本当にあったことかどうか、自信がなくなってきています。
そう考えると、石川さんの言うように、今この瞬間だけが人生と呼べるものなのかなあと、思うこともあります。 03/6/30(わにこ)
人生って何?あまりにも単純かつ困難な問題なので、PCに頼ってしまいました。yahooで検索してみると2290件も見つかりました。みんな同じような悩みをかかえているんだなぁ。その中で、ほうほうと納得させられるHPがありましたので紹介いたします。もとさん、少しだけでも疑問のたしになると嬉しいです。 03/7/14(たらこそば)
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/1407/soudansitu54.htm
少し話題がずれてしまいますが、この「人生って何?」という風に、考え始めたらきりがない問題を自分の頭の中でぼーっと他の事を考えずに考えているときというのは、その人の魂が抜けそうになっているときだという。なんか怖いなぁ・・・。でも、なんとなくその理屈がわかるような気がするんだよなぁ。
ぼーっとしている時ってくらっとなりそうになる事があるもん。 03/7/21(たらこそば)
一生を勉学に捧げるのも人生。
死後の為に神に祈り五体投地を続けるだけも人生。
南の国の椰子の木の下で昼寝をしながら老いていくのも人生。
人生に貴賎なし。 03/7/21(石川浩司)
人生って何?の答えはすぐには出ないけど、人生って出会いと選択の連続だなあーと思ったりします。
出会いというのは、人に出会うというのもあるけれど、色んな状況にも出会う。
そして、生き進んでいくためにどう選択していくか、かなーと思いました。
ああ、人生。切ない。けど私は生きていくのもわるくないなー、たのしいこともあるなあーと思います。(サボテン)
人生は欲張り。
アレしたいな、と思って生きて、それを成し遂げたら今度はアレもしたいな、と思う。
んで最後にアレがしたかったなぁ、と死んでいく。
そんな感じと思ってます。
今俺は、カッコイイ人になりたいな、と思って生きてます。03/7/21(勾丞)
それで良し!! 03/7/21(石川浩司)
人生って「人間の一生」だわ。話題21のレスで人生という言葉を使ったんだけど、そういう意味でその言葉を使った自分に気がついたのであります。03/7/28(たらこそば)
16歳の高校生の時に「人は何のために生まれてきたのか?」という疑問が唐突に頭に浮かび、それにとらわれ続けて約3日、何もしゃべらず考え続け、3日目のうんこの途中に結論が出ました。
「人は死ぬまでの時間を楽しむために生まれてきた」のではあるまいか?
考えれば考えるほどそう思えます。きっとそうだ、そうに決まった!!
思えばあれから今まで、人生の節目さえすべて「楽しいか楽しくないか」だけで判断して生きてきました。逆に言えば、自分にとって楽しくない事は一切しない人生です。どう考えても楽しくない状況に陥ってしまった時には一度リセットボタンを押して楽しい事に切り替えます。
おかげで転職15回結婚3回ですが、今は小さな会社を作り楽しい仕事だけを受注して生活費を稼ぐ、を実践し毎日楽しく暮らしています。
52歳になった今も、16歳の自分が決めたとおりの生き方しかしてこなかったので、今自分は死ぬんだな、と悟ったときには当然のように「ああ、おもしろかった!!」と言って死ぬ予定です。03/7/28(pochi11)
全く同感です。与えられた環境はいろいろだけど「その中でいかに楽しむか」が人生で一番大切なことだと思います。もちろん「楽しむ」は広義での「楽しむ」だから、何も「飲む・打つ・買う」ということばかりじゃなくてね。「楽しむ」にも努力やアイデアが必要なことも多いですしね。 03/7/28(石川浩司)
pochi11さん、すごいなーっ!!人生を謳歌されているみたいでうらやましくなります。でも自分の人生を楽しむのには、他人から見たら少々わもがままに見えてもいいのかもしれない。かくいう私もマイペースにわが道を突っ走っております。たとえ記憶を持ったまま生まれ変わったとしても、やることは一からやりなおしだもん。できるうちに突っ走っておこうっと。 03/8/4(たらこそば)
本当、突っ走るしかないよ、人生なんざー。いつ終わるかなんて誰にもわからないんだから。ただ、時々は休憩を入れてな。ホヒェ〜。 03/8/4(石川浩司)
私の人生の終わりは彼と一緒にいたいです。いや、心中とかではなくて・・・・。(わかっとるっちゅうねん!(笑)) 03/8/18(たらこそば)
死ぬまでのひまつぶしです。 03/9/29(あきたけ)
そういう考え方もありだね。深く考えるばかりが人生じゃないかもね。 03/9/29(石川浩司)
人生って何?なんて考えてる間に人生が終わる・・・あまりにも無常です。私も小さい頃、残酷すぎるこの言葉をどうしても飲み込むことができませんでした。20年近く生きてきて、最近やっと認められるようになりましたが。とりあえず、月並みな言葉かもしれませんが、とにかく今現在を存分に楽しんでください。私もがんばります。 04/1/5(くにゅ)
最期に「悪くなかったんじゃない?」と思えるようにするために生きること。04/1/12(のん)
人生って何、と考えることこそ人生の楽しみです。立ち止まって考える、そのヒマこそが人生を謳歌しているあかしでもあります。(レスを書くヒマもね。)30年以上生きてきて、良いこともあったし悪いこともあったし、今はなつかしき走馬灯の如く.......(おいおい、まだ終わらないぞ、とつっこんでみる)
Nothing good lasts forever and nothing bad lasts forever. いいこともある!と自分を励まして生きてます。 04/1/19(かづ)
人生ってマラソンに例えられる事が多いですね。長い人生の中100m走で1位をとるより、マラソンで上位に食い込みたいかなぁ。 04/4/12(ペロ)
まだまだ今までの何倍も生きれるんだなぁ。
そう考えるとわくわくしてきますな。
石川さんは何歳まで生きられるおつもりでしょうか 04/4/12(勾丞)
おつもりと言われてもなぁ。自殺以外あまり自分の意志でどーなるもんでもないからなぁ。自殺はしたくないしなぁ。 04/4/12(石川浩司)
人生とは、電気グルーヴの前身のバンドなり。いやいや、人生は客観的なものでしか表現できないと思っている自分です。自分の人生なんて他人に論じてもらいましょう。葬式の時にでも。そう考えないと頭の中が痒くなります。04/4/26(T.E.E.)
人生とか死って絶対答えが出ないのわかっているのに、みんな一度は考えるよね。そう考えるように! とDNAに書いてあるのかな。04/4/26(石川浩司)
DNAのこと「ドナ」って読んでしまいました・・・。
人生はドナです。04/5/10(ペロ)
人生の意味は、昔はともかくいまは考えないようにしてるかな。刹那的になったといったほうがいいかも知れませんね。もう後がない年齢になったこともあり、今したいことをするのがモットーです。基本的に興味の無いことには一切手をつけない性格ということもあって現在の時点では釣り合いが取れています。そのかわり毎日恐ろしく忙しい。時々自分の方向性に疑問を抱くこともありますが、それはそれでまた、いいんじゃないでしょうか。 04/8/17(モザイク)
そんな感じがいーと俺も思うね。まー若いうちはそういうことも考えなくていいと思うけど。モザイクさんがいくつか知らないけど俺も30代後半からは特にそう思う。頭でそう思うというより、体や精神がそう思っていく感じ。04/8/17(石川浩司)
大人になって、やっと自分の人生は自分で決められるってわかったなぁ。人の人生に口出しできないって事も。
皆の答えを聞いているうちに「つっぱしれー!!」って感じに元気が出てきました。
やっぱり楽しむ人生でありたいです(笑) 04/9/6(きぃ)
楽しむ人生は大上段に構えなくても、考え方次第でいくらでも身近に転がっている。俺のホームページなんて「金のかからない楽しい人生」の宝庫でしょ? フフフ(自画自賛)。 04/9/6(石川浩司)
人生とは常に完全な正解のない問題を相手に「よりよい方」を模索しなければならない旅である。・・って境屋太一がゆってたなぁ。人生は選択の連続。これまでの選択が「よりよい方」だったかどうかは分かりません。でも自分で選んできたので後悔はないし、どんな状況でも「楽しむ」気持ちだけは忘れたくないですね。 04/9/6(Rio)
確かに、無意識のうちにいろんな要素を総合的に考えて「よりよい方」を選んでいると思うよ。でもその時のいろんな細かい状況を忘れてしまっているので「あの時の選択は間違ってた」と思ってしまうだけだと思うな、ほとんどの場合は。で、迷った時の「楽しい方」これは俺も文句なく賛成! 04/9/6(石川浩司)
人生とは、柔軟で壮大なパズルであると思います。
ある時は噛み合わなかったピースが歳を重ねるに連れていきなりカタチを変えて噛みあったり。喜怒哀楽といった表情と常に共に歩きながら、ゆっくりゆっくりパズルのピースをつなげていく。
そしてパズルが完成した時、人はゆっくりと亡くなっていくと思います。
その完成したパズルを傍観できるのは、残された人達。
結局「自分自身の人生とは?」に答えを出すのは他人なのかもしれませんね。 04/9/13英志
人生が終わる前に地球が終わってしまいそうな予感。SAVE THE EARTH!
♪目を覚ますか 眠るだけ
「生きる」って、確かに、そうだよなぁ、と納得した。
滝本さんの歌詞は凄いなぁ。04/9/13(ミドリン)
人生とは....人生を楽しむとは、日常の些細なことを楽しむことである。日常の些細なことを楽しむには、日常の些細なことに苦しまなくてはならない。つまり、人生を楽しむとは、日常の些細なことに苦しむことである。ぅぅ......
って。芥川龍之介が書いてましたよー。(現代語訳:わたし) 04/9/13(かづ)
さすがだね〜。人生には日常という現在しかない。昔の事を思い出すのも、未来の事を夢見るのも現在である。 04/9/13(石川浩司)
そういえば落ち込んだ時によく「・・・人生ってなんだろー・・・」って思う。(暗いんですぅぅぅ)
楽しい時は夢中になっているから、そんなこと考える余裕がないんだもん。 04/10/26(きぃ)
そうそう、夢中になったりなりふりかまわず何かやっている時は考えてる暇もない。だから夢中になることをなるべくたくさん見つけておくのだー。「逃げ場」としての効用もはからずもあるからね。 04/10/26(石川浩司)
夢中になる事は、このHPですね。ここが無くなったら僕の人生が終わってしまうので、 あと100年位続けて下さい。04/12/6(ペロ)
じゃあペロに殺意をいだいた時は・・・ふふふ。 04/12/6(石川浩司)
俺は死ぬまで1秒でも長く笑っていたい。より多く笑った人が勝ちだと思っている。
(人生に勝ち負けはないけど…)要するに人生は笑いだと思う。実際俺の家は裕福であるとは言えないけど、両親はいつも笑っている。ふたりでアッハッハーって感じだな。逆に俺の方が家計を心配している。04/12/6フィールドオブウンコ
ほんとほんと。幸せの元である笑いは、何もお金がなくたって自分の考え方ひとつで増やすことは出来るのだ。素敵な両親だな。 04/12/6(石川浩司)
人をなめくじに見立てた場合の、あのてらてらと光る動いた軌跡が「人生」にあたるのでは?と思います。(妙な例えで申し訳ないです)見る人が「うわ、汚っ」と言おうが「キラキラしてきれい」と言おうがマイペースで進むのが楽しい。場違いな所にスジをつけると皆に迷惑。
自分で「なかなかのスジが出来たわ〜」くらいに思ってる方が幸せなり。
潤いが無いと進めなくなるぞ!人生、カサカサ注意!!04/12/20(タコちゃん系)
やはり人生にも話題1のようにローションが必要か……。 04/12/20(石川浩司)
うちの友達に明日のごはんにも困るぐらい貧乏な子がいるけど、家族の誕生日にはかならず皆、手作りのバースデーカードを贈り合うのだ。もちろんお金がないから、折り紙の切れ端や、短い色鉛筆を駆使するのだが、うまいこと作るんですよ。
そいつの家に行くたびに、壁に飾ってある手作りカードに目が奪われるのです。04/12/20(さっちゃん)
そういう家が本当の意味で幸せな家なんだろーな。 04/12/20(石川浩司)
死に方が分かれば、生き方が分かる。『テュースデイ・ウィズ・モリー』ミックジャクソン監督を見て感動!!! 毎日、肩の鳥に聞くんです、今日私は死ぬのか?覚悟は出来ているか?そうか、では、今までの行き方に後悔はないな?叶えるはずだった夢は諦めなかったな?と。実際にやってみると、何だか、気持ちが変わります。人生に悩むとき、内への思考は辛いです。だから、肩の鳥に聞く。私は今日死ぬが、生き方に後悔は無いな?と。死は突然訪れます。自分の死はなんともありません。けれども、自分が大切にしているものの死は、辛い。だから、怒ることを許すことに換える。毎日そう考え続けると、楽になります。私は。 04/12/20綾子
人生?(´ー`)┌フッ。僕の部屋のベッドの中で教えてあ・げ・る♪ 05/1/17(ペロ)
ぜひ、教えてください!
頼みます、師匠 05/4/13(kyuuri)
そんなん知ってしもたら、人生つまらんがな。知らぬが花。知らぬが仏。 05/4/13(石川浩司)
キュウリ君。悪いが女性限定なんだよ。(´ー`)┌フッ05/4/18(ペロ)
自分の生きて来し方の中の、辛かったこと、悲しかったこと、そして特に、恥ずかしかったこと、を振り返って「笑い」にできるようになることが、人生の幸せなのではないかなと思います。それも、公の場で、あけっぴろげに。自伝、私小説などを書けるくらいに、色んな体験が蓄積してきた頃からが楽しいのでは? 今現在、私はここの「王様」や「初体験」でその快楽に溺れつつあります。 05/5/2「Fuck-Dah」
悲しみを笑いにするには「時間」が必要なこともある。
だから今苦しい人も、ちょっとだけ我慢! 05/5/2(石川浩司)
今いろんな意味でちょっと苦しい・・。昔は気にしなかったけど、どうやら一般的な人とは価値観がどんどんずれていってるみたいで。このホームページではそんなこと思わないのですが・・。誰かベッド以外で慰めてください♪ 05/6/6(ザムザムコーラ)
俺も例えばヒット曲ベスト10みたいなの見てもひとつもピンとくるものないこと多し。20歳過ぎぐらいから顕著。 05/6/6(石川浩司)
私も会社では同じ日本語を話しているのに伝わってないと感じることがありますが、プライベートでは相手によってとっても気楽に話ができます。価値観の合う合わないは絶対あるので、あまり一般とか気にせず好きなように生きていくことにしました。人生楽しまなきゃ損、損。05/6/13(うろたえ太郎)
すぐ前の石川さんの仰ったようなことも含めて、考え方や価値観などで自分は精神的マイノリティーなんだな・・とふと孤独に感じるときがあります。
誤解を恐れずに言ってたとえば同性愛者とかはっきりわかるマイノリティーのほうが楽なのでは、と感じることもあるんです。こういう事でウジウジ悩みウジ虫野郎になってる自分がいやだ・・・。05/6/13(ザムザムコーラ)
苦しい中にも楽しさ発見!って感じで生きたいです。ただただ悲しい時とか、怒り心頭のの時も有るけど、寝て、寝て、忘れるようにしてます。毎日機嫌良く、楽しいって思えるような人生を送りたい。ここのHPは「楽しい」の筆頭!! 05/6/13(かなめ彦)
なかなか思ってても簡単に出来ないこともあるけどね。昔ネパールに行ったら子供達が本当に貧しいのに輝くような目で夢中になって遊んでいるのを見てショックを受けた。これこそ「生きる」の原点じゃないかと。 05/6/13(石川浩司)
ニートさん達にそういう光景を見せてあげたいですね。05/7/4(ペロ)
単純に地球に生息する生き物として生きる本能で生きることが人生だと思います。どんな行動とっていたって良くたって悪くたってそれが生きている限り人生です。
死にたいなぁとか思っていたのに、身の危険を感じたときに一瞬走る恐怖みたいのはまさに人生のエキスだなって思います。 07/6/19(ことり)
「良い悪い」だってあくまで相対的なもので「絶対悪」なんてそもそもないと俺は思うしなー。 07/6/19(石川浩司)
昔から、やりたくないこと(勉強とか)は、頑なにやりたくなかったです。
その延長線上にもっとやりたいことがあれば、やったかもしれませんけど、
「こんなことしてるうちに死んだら、後悔するに決まってる!」と考えてしまう。
「それは逃げだ」とか言われまくりました。自責の念もありました。
が!今んとこ私は逃げまくったことに関しては全く後悔してません。
いつ死んでも悔いナシ!!・・・・でもきっと死ぬまで楽しみ足りないかな。
人生ってなんだか、ファザーに教わりました。 07/9/23(桃玉)
ま、九九とか漢字の読み書きとか最低限の勉強だけは必要かと思うけど、あとは自分の好きなことを磨いていけばいいんじゃないかな。人間みんな同じだったらこんなにつまらない社会もないからねー。 07/9/23(石川浩司)
人生とは 電気グルーヴの事?チンポ野郎がバンド名に選んだくらい面白くて 奥深くて しかし、ど〜でもいいものなのではないでしょうか。 07/11/28(基次郎)
人生とは同じナゴムレコードだったけど、何故か共演したことはなかったなー。07/11/28(石川浩司)
私も「やりたくないことはやらない」人間で、しかも「やりたいことはやりすぎるきちがい」。
だから楽しむために生まれて、今も生きていると思っている。
ちなみに、上司に「君は素晴らしいことをする一方で、興味のないことには無関心すぎる」とよく言われる。 07/12/11(さっちゃん)
まったく同じだ〜。俺もほんと、興味のないことは全く出来ないというか極端に関心がないんで動けないもんなー。07/12/11(石川浩司)
人生とは?なんて聞かれると難しくて頭がポカンですが、現時点で私が日々暮らしていて思うのは、どれだけ楽しくできるか、楽になれるか、とにかく「楽」って言葉に尽きます。 07/12/31(のっち)
俺もそう。「楽」って言うと一見さぼったり、ただ遊んでるだけのマイナスイメージもあるけど、広い意味で言えばある意味生きる上で一番大切な言葉なんだよね。それが分かってる人はいいな。 07/12/31(石川浩司)
人生だから、どうしてもいいことばかりじゃなくて、「イヤでもやらなきゃいけないこと」「逃げたくても逃げられないこと」って発生するモノ。それはしょうがないので、そのあと楽しいことで相殺できたら、それでいいんじゃないかなって、私は思っています。 07/12/31(梅桃ひよ子)
そうそう、要するに柔軟な発想だよね。考えるのはなんせ自由だから、少々の嫌なことがあっても「いいことへの布石だ!」と思えば気が少しは軽くなるからねー。 07/12/31(石川浩司)
「思い出作り」と言った人がいます。08/2/12(鈴べる)
それは意外といい線かもしれない。嫌なことがあっても「これも思い出!」で乗り切れることもあるからね。(駄目な時ももちろんあるけれど・・・) 08/2/12(石川浩司)
人生とは、「ラッキー」だと思います。
はっぱ隊(一昔前の「やった! やった!」という人達です)の歌にも、「生きているからラッキーだ」という歌詞がありますし、落語の台詞にも、「生きているだけ得ってもんだ!」というのがあります。
結局の所、生まれてきたというそれだけで「ラッキー」なことであるので、自分の興味があることをやってったほうがさらにお得なのでは? というのが、今のところの僕の考えです。 08/6/4(たちつ亭と〜助)
そうそう。使い古された言い方だけど、俺達は生まれて来ただけでも数億匹の精子競争の覇者。
つまりその時点で既に日本代表よりももっと凄い難関をすり抜けてきた、言わば超エリートなのだ。
他人との差など、それを考えたらものの数ではない。
最初から、選ばれた者なのだよ。 08/6/4(石川浩司)
「人生はビスケットの缶だと思えばいいのよ」これは村上春樹さんの小説の中の台詞です。
「ビスケットの缶の中にいろんなビスケットがつまってて、好きなのとあまり好きじゃないのがあるでしょ?それで先に好きなのどんどん食べちゃうと、あとあまり好きじゃないのばっかり残るわよね。私、辛いことがあるといつもそう思うのよ。今これをやっとくとあとになって楽になるって。人生はビスケットの缶なんだって」
私は仕事をすると仕事しか出来なくなっちゃうし、あまり遊んだ経験がないから、その埋め合わせを今しているのかな、と思います。月に1〜3度のライブですが、私には充分「遊び」で幸せです。一方で「病気」というビスケットも消化しているのかな。 08/6/12(鈴べる)
しけないうちにどんどん食べちゃいましょう。
ビスケットのおかわりは、また神様が持ってきてくれるからね。 08/6/12(石川浩司)
人生って「なんで生まれてきたのか考える時間」だと思います。生まれてきたからには、なにか必ず意味があるし、価値があるし、その意味を考えるのが人生だと思うのです。ってエラそうなこと書きましたが、実は今までほとんど考えたことのないテーマでした。人生について深く考えなくても、人生が送れている不思議。どうせいつか必ず死ぬんだから、精一杯楽しみましょう。 08/6/21(ばらっちゅ)
それも一理あるね。でも絶対に回答のない答えだから、妙なところで回答を出してしまうと新興宗教のようなことになって変なことになるから注意だぞ。 08/6/21(石川浩司)
人生は、「人が生きる」と書きますが、そもそも生き物ぜんぶがなぜ生きているのかが、むかしからよく分かりません。
かんがえてもかんがえても、なんの意味もないように思えます。
なんの意味もない、と思うことは、時にひどくこわいことに感じますが、なんの意味もないと思うからこそ、じぶんの好きなように生きられるし、また、そうとしか出来ないのだろうな、と思います。
人生って、わけわからないです。 10/12/2(さんかくさん)
ものすんごくよく分かってるじゃんかっ! 10/12/2(石川浩司)
人生って、雨上がりの舗道を歩いていると徐行しないで走ってきた車に思いっきり水はねされてしまったりとか、セックスをしているときコンドームを装着しようとしたら陰茎が萎んでしまい「こんなはずじゃなかったのに、しっかりしろ、俺!」と自分を叱咤激励するトホホな瞬間だったりとか、コーラ飲み放題のレストランでコーラを飲んでいたら店員が間違えてアイスティーをどばどば注いできたりとか、友人たちと露天の岩風呂天然温泉に行ったら目ざとい友人に「エロさんって乳輪が大きいねー、すっごいねー」って言われてしげしげ見られて赤面したりとか、そんなどうでもいい瞬間の連続で成り立っていると思います。 11/5/12(波照間エロマンガ島)
そうなんだよ。要約すれば乳輪が人生なんだ。
また見せてねっ! 11/5/12(石川浩司)
電気グルーヴの卓球さんと瀧さんが以前所属していたバンドでたまも同じ事務所にいた・・・、っておんなじこと書いてた人がいましたね・・・、ゴホン
人生とは今は見えないけど 年老いるとしだいにみえてくるもの と思っています。
あとこれを書いていて、柳原幼一郎さんが挿入歌の作詞を担当していた某子供向けアニメで、ブタのキャラクター(リンゴ好きの泣き虫)が「人生ってなんだろう・・・」と考えていたシーンがあったことを思い出しました。 11/9/8(ズミ天)
どっちもケラさん絡みだね
11/9/8(石川浩司)
「悟った」というと大げさですが、最近そういう心境に入ってきたかなと思うのは、「人生、死ぬときは身一つ」ということです。当たり前のことですが、あの世には何ももっていけないということ。ならば死ぬときにゼロになって死にたいな、と。財産は使いきり、所有物はすべて捨てて、それで死んでいくのが理想です。何も遺さない。間違いなく人生後半に入ったと自覚している私にとって、物欲がだんだんなくなってきたのは確かですが、今から死ぬ準備を始めても遅くないと思っています。そういう後半生を送ろうと、いま決めました。 11/10/25(波照間エロマンガ島)
俺もそう。物なんて持っていたってしょうがないと昔より強く思う。
子供でもいれば多少違うのかもしれないが。
そして今悩んでいるのは蔵書。
たぶん一生二度と手に取らないだろうな、というものが半分以上だから。
でも売っても二束三文、いやそれ以下だしなー。うーん。 11/10/25(石川浩司)
これは「あったらいいな」的アイディアですが、石川さんは後世の人のために空き缶コレクションの陳列を中心とする「石川浩司博物館」を建てるべきだと思いました。でもって、蔵書はすべてそこに寄贈するのはいかがでしょうか。石川さんの作品は死後半世紀後くらいの人にもじゅうぶんアピールし、再ブームは起こると確信しているので、生きているうちに博物館を作ってコレクションや蔵書などは全部そちらに移し、管理を他人に任せれば、現在から何十年後かまでのファンも喜ぶのではないかと、なかば真剣に思います。場所はチェンマイに作っていただけるのなら、わたくし管理人に立候補いたします。 11/11/12(波照間エロマンガ島)
作りたいんだよね。
でも新たに建設はお金がかかり過ぎるので、中古の屋敷とかを提供してくれる人がいればなぁ・・・。
前にもどこかに書いたけど、かつて某温泉地に博物館計画持っていって、役所の若い人はやる気だったんだけど年配の上司たちが「今さら新しいことは面倒くさくてやりたくない」がモロに出ていて頓挫。
マジでスポンサー求む。
チェンマイでも実現するならOK。 11/11/12(石川浩司)
ほんの1年前。自分は何処にも出掛けることは無く、ただひっそりと誰にも気づかれずに死んでいくものだと疑わずに生きてきました。
それが1年後。海外のタイ・チェンマイで、尊敬する石川さんと並んで街を歩いています。
自分の信じていた人生って何? 12/2/21(デクノボー)
それは「変えてみよう」という願望が自分に出たからだよ。
まぁ願望がそのまますぐにいつも実現するわけではないけど「思う」ことからまず変化が始まる。
これをきっかけにいろいろ面白い出会いが出来るといいね! 12/2/21(石川浩司)
「人生って何?」というのは、奥深いテーマであります。哲学者や宗教家みたく、達観して一般論を語れるわけはないので、自分の現在の境遇から感じる個人的な感慨になります。
今までの人生を振り返ってみて一大転機となったのは、私の場合は海外移住でした。それまでの生活を1回リセットして再構築することになったわけですが、そこにいたるまでの道のりは、幸いなことにとんとん拍子で進んでいくような感覚でした。確かに乗り越えなければならない手続き上のハードルは高かった気もしますが、自分の中ではスムーズにクリアーすることができました。それは、人生の中で欲しいと思ったほとんどのものを手に入れられず挫折してきた私が、なぜか不思議と手に入れることができた数少ないもののひとつだったのです。そのとき、自分の中では「がむしゃらに」とか「一念発起して」とか、そういう強い願いのようなものは、それほどありませんでした。2001年にタイに出会って、それから6〜7年の間、何度も旅行を繰り返しじょじょにタイにはまって行き、そして自然に「タイに住んでみたい」という気持ちが芽生え、そして決心したという、ごくごく自然な成り行きでありました。そして、現在タイ生活5年目になります。タイでの暮らしは特に大きな支障もなく、性に合っているので、今の時点では、このまま骨をうずめたいと思っています。 12/8/31(波照間エロマンガ島)
そうそう頭を捻って出したような答えは、そもそもその時点で無理がある。
人は普段の生活でそんなに始終頭を捻って生きているわけではないからね。 12/8/31(石川浩司)
しかし何でしょうねこのHPは、哲学的でしかも考え方に大きなヒントを与えてくれるこんなコーナーが存在するんですから。少しくよくよしていましたがまた一つここで救われた気がします。
もう随分前の03/7/28のPochi11さんの「人は死ぬまでの時間を楽しむために生まれてきた」、なんて単純明快で前向きな人生観でしょうか!? いじけ虫の私にとって目からウロコの一言に出逢えた気がします。
よく自分なんて消滅した方がいいなぁ、と思ってしまう駄目な私ですが、その度にブルーハーツの歌の「生まれたからには生きてやる」というフレーズを思い返し、そうか、折角だしそうしよう、と思い直す簡単な奴です。 13/11/12(オポムチャン)
人生は生きるだけでいいんだよね、究極。
「何かをしなければいけない」のなら、人間は元よりどんな生物だって存在価値ないものね。 13/11/12(石川浩司)
13/11/12のオポムチャンへ。「人生は死ぬまでの暇つぶしである」という青山正明〔ライター、編集者、故人〕の言葉があり、青春前期、ずいぶん影響を受け、励まされました。みうらじゅんも同じ言葉を言っていますが、青山さんの言葉を無意識に取り入れたか、まったくオリジナルでそう言ったかは定かではありません。 13/11/18(波照間エロマンガ島)
その手の言葉は割と誰でも思いつくし、もしくは読んだのを忘れていて自分の言葉だと思ってる場合もあるよね。
あまり気をつけようが無いが、自分も気をつけねば。 13/11/18(石川浩司)
「人生は苦なり」という言葉がありますが、本当に苦しい事ばかりでは心も体も持たないのでは、と思います。ちょっと前までは僕自身もいろいろな気負いにとらわれて、心を苦しめていましたが、今年の4月に自分の心を洗い直す機会が訪れ、それから約半年掛けて随分と生きるのが楽になりました。
『難しい事など何ひとつ無くって、簡単な事も何ひとつ無い』
本題の答えにはなっていないと思いますが、人生って苦しいというよりも億劫な事の連続なのでは、とおもいます。「案ずるより産むが易し」ではないけれどやってしまえば思ったより楽になってしまう事が多々ある。フラットな目線で何気なく始めてみる事に、次を見つける鍵がある様に思うのです。 13/11/18(Sankaku)
そうそう、人生は有限。
迷ってるくらいならトットとやっちゃった方が遥かに解決に近づく。 13/11/18(石川浩司)
ああエロマンガ先輩、いつも膨大な引出しの中からこんなひよっ子36歳に沢山のご教授をありがとうございます!
石川さんもおっしゃるように誰しも思いつきそうなフレージングかもしれませんが、その人その人によって言葉のちょっとしたニュアンスですごく響いたりそうでなかったりするから言葉って面白いですよね。私の場合は「楽しむために」という表現が単純者らしくとっても明快に脳味噌に響いたのでーす。皆様も世知辛い世の中ですが、このページで人生を楽しく暇潰ししましょう! 13/11/26(オポムチャン)
冬場はお布団の中だってあったかくて楽しいし! 13/11/26(石川浩司)
OVER 50AGEの多くの人は、それまで人生で培った経験、つくりあげた実績を守り発展させていく時期にあると思います。養育した子供が成長し巣立っていくのもこの時期で、年老いた親があの世に旅立っていく時期にも重なります。それは、子から親になり、祖父母になる人生の道程の一コマなのですが、何の因果か、私はそれらのもろもろの事柄の外側を歩く人生を歩んでしまっています。独身であり、連れ合いも子供も持たず、もちろん大きな財産も持たず、今年52歳になろうとしています。今なんとなく思っているのは、永井荷風のような死に様。独居老人となり、預金通帳を握り締めてうつ伏せで部屋で死ぬようなイメージですね。死の瞬間、自分でどんな人生だったかと振り返るのか楽しみであります。もちろん、この年齢から連れ合いを見つけ、自分の遺伝子を後世に残す可能性もないわけではありませんが、かなり低い確率でしょうね。 14/2/2(波照間エロマンガ島)
とんだどんでん返しが起きるかもよ。
例えばこの後の人生を女として生きていくことになろうとは、この投稿をした時点では思いもよらなかった・・・とかねっ! 14/2/2(石川浩司)
石川さんは私を女にさせようとしているのですか!イヤイヤ、ぜったいイヤよ〜ん。女になんかならないんだから、あたし。 14/2/10(波照間エロマンガ島)
そう言っても柿の実のようにチン子がもげてポトリと落ちるのも時間の問題じゃわい。ふはは! 14/2/10(石川浩司)
「人生って何?」というお題ですが、検索すると、「人生(じんせい、ZIN-SÄY!)は、日本の80年代後半にインディーズで活躍したニュー・ウェイヴ・バンド。
電気グルーヴの前身にあたるバンドである」とあります。伝説のバンド「人生」は見たことはありませんが、人生のメンバーが電気グルーヴを作ったとき、友人がビデオ映像スタッフをしていたので、ライブを見たことがあります。石川さんは一時期、同じインディーズレーベルに所属していましたが、人生について何か思い出はありますか? 14/8/11(波照間エロマンガ島)
共演したことは無いんだけど同じオムニバスのビデオに入っていたり、あと卓球君は知人の結婚パーティで一緒になったことはあるな。
ふたりとも売れてるよね〜。特にピエール瀧があんなにメジャーになるとは! 14/8/11(石川浩司)
社会現象にまでなった2013年上半期のNHK連続テレビ小説「あまちゃん」のヒロイン役の能年玲奈さんは、ドラマの収録中に、共演のピエール瀧さんの楽屋にやってきて、「瀧さん、わたし、『人生』のCD探しているんですけど、ありませんかねー」と訊いたそうです(ピエール瀧・談)。ばりばりのサブカル系らしいです。ひょっとすると、そのうちに石川さんのライブに来たり、このホー ムページに投稿を始めたりするんじゃないか、と妄想するわたしでした。 14/10/9(波照間エロマンガ島)
能年さんが何かのポスターで持ってるギターは最近共演することも多い笹口騒音ハーモニカのギターだしね。
でもライブ来ても顔が分かるか微妙。テレビと同じ衣装と同じ顔で「ジェジェジェ!」と言ってくれれば分かるんだけど・・・。 14/10/9(石川浩司)
ははは、朝8時から夜6時までは私の人生のオマケ。夜10時から翌2時頃までのこの投稿タイムが、充実した人生。
まあいい加減このページを私の投稿で沢山埋めすぎたので、自分でも目障りになってきました。うーん人生の楽しみもやり過ぎは考えものです。量だけ多いくせしてうっすい内容で皆様の御目を汚して恐縮です。
でもね・・・ 今まであらゆるところで2番手に甘んじてきた次男坊の私は、1番になったことがなにひとつ無いのです。誰も褒めてくれない投稿王目指す人生も、ちょっとおもろいかな、なんて性懲りもなく思ってしまうのです。 14/11/29(オポムチャン)
俺もくだらないことを時にはめげそうになることも当然ありつつやめなかった。
もし俺の人生がうらやましいと思った人がいたとしたらただひとつ言えることは「やめるな」ということだけっす。 14/11/29(石川浩司)
仕事が終わって、バンコクのBTSトレインに乗るとき、かならず心に去来するのが、「あー、俺の人生って何なんだろう」ということ。ほぼ毎日思います。「人生って何? なんで、あたしバンコクにいるの? なんで? なんで?・・・」と、フレーズがリフレインします。人生ってわからないですねー。ってちょっと楽しんでいる自分がいることも確かですが。 14/11/29(波照間エロマンガ島)
いろんな選択肢を選び続けた結果がこれなんだろうね。
でもそんな波照間エロマンガ島の生活をうらやましいと思ってる人もきっといるよ! 14/11/29(石川浩司)
物事の存在を知るか知らないかで人生って変わると思います。
僕の人生はやはりたまなどの音楽で大きく変わりましたが、どんな高遠な世界でも、手順や道筋を見極め、一つ一つ歩んでいくことできっとたどり着ける、ということを知れたのが大きいです。
こんな衣食住に加えプラスアルファが山ほどそろっている日本の人たちが元気がないのも、狭い自分たちの世界しか知ることをしないからだと思います。 14/12/18(Sankaku)
ヘタすれば国内旅行より安くアジアなどなら行ける時代、誰でも一度は行ってみて欲しい。
日本を外から見られる視点が持てるというだけでも行く価値あるからね。
常識だと疑わなかったことがワールドワイドでは違ったりね。是非。 14/12/18(石川浩司)
14/12/18の石川さん。アジアといえばタイ在住8年目の私ですが、タイでは歩行者が弱い立場にあり、たとえば交差点を横断するとき、自動車は我が物顔でいっさい歩行者に配慮せず減速しないで交差点に入ってくるので注意しながら渡ります。「民度が低い」と言ってしまえばそれまでですが、歩行者を配慮しないドライバーというのはいったい何を考えているんだ、とその理不尽さをかみ締めながら生きています。国が変わるだけで習慣や風習も変わる。人生って何だろう?と外国生活していて思います。物事が日本にいるときと比較でき複眼的に見えるようにもなりますね。 15/3/24(波照間エロマンガ島)
習慣の歴史的なマナーなのかもね。
「車を持ってるのが偉い」とか。
また事故の場合は日本は車の方が圧倒的に罪が重くなるがそうじゃない国も多いだろうからね。 15/3/24(石川浩司)
あ「車を持ってるのが偉い」といえば、数年前バンコクの中心部でフェラーリを運転中の某清涼飲料メーカーの御曹司が警官を轢いて死亡させ、そのまま逃走、逮捕されるという事件が起こりました。しかし、その御曹司は大金を積んで罪を免れ不起訴になったとか。タイではお金があれば、罪も問われないという社会なんですね。日本では考えられません。 15/4/3(波照間エロマンガ島)
そこまでじゃないけど日本にも保釈金というのあるよね。
お金の無い人は保釈されない…。
わしゃ一生ムショ暮らしや・・・。 15/4/3(石川浩司)
15/4/3の追記。わたしがタイに引っ越してくるにあたり、親戚でタイ人と結婚した女性にいろいろ話を伺ったことがあるのですが、彼女の言葉でいちばん印象に残ったのが、「タイには法律にもうたってないし、公文書にもいっさいそういう記載はないけれども、身分制度が今も残っている」ということでした。つまり特権階級の存在です。
タイには相続税が無いので、お金持ちは財産を目減りさせること無く、代替りしてもお金持ちのままなんですね。特権階級の人たちは犯罪もお金でもみ消すことができるという社会です。
反対に、日本では相続税や所得税が累進制で、税率がとても高いので、明治時代の実業家の渋沢栄一は5代経ったら、渋沢の遺した田園調布の大邸宅が切り売りされて、1/8の面積になったという話があるように、お金持ちが何もせずに永遠にお金持ちであることは難しい社会なんですね。
そういう日本とタイの比較からもタイ人の気質を考察することはできるかと思います。 15/4/19(波照間エロマンガ島)
なるほろー。
国によっていろいろ違うんだろーね。
どちらにしろ財産がない我が家系には関係ないが・・・。 15/4/19(石川浩司)
最近タイで起こった事件。自転車による世界一周で南米チリから来た人がタイの自転車専用道を走っていたら、無理矢理前の車を追い越そうとそのレーンに車が進入し、その自転車ライダーをひき殺してしまった。これもひき殺したドライバーは罪に問われず、大金を払って保釈されてしまったそうです。このニュースを聞いてからというものの、歩道を歩いていても、自動車やバイクの進入には気をつけています。どこから暴走してくるかわからないので。そんな国に今暮らしています。 15/6/9(波照間エロマンガ島)
確かにタイで一番怖いと思うのは道路事情だよね。慣れないと歩行者が渡るのも大変。
もっともこれはタイというかベトナムやインドネシアなど東南アジア一帯、車優先だよね。 15/6/9(石川浩司)
本当に悩み多き人生です。まぁ悩みのない人はいないと思いますが。自分にとってラッキーだったのは、タイに引越して、タイ語を勉強して、運よく仕事にありつけたということ。このまま日本に帰国して数年間の歩みを無駄にしなくて本当によかったです。なので、これからも人生について大いに悩み苦しみ、そしてそこから脱出していきます。いろんな体験をしたいです。 15/6/19(波照間エロマンガ島)
若い!
俺なんて最近変化を求めなくなっちゃったもんなあ。
まずいとも思うのだがなかなか新しく熱中、熱狂するものも出てこない。 15/6/19(石川浩司)
ほほほ、この2年で人生のスタイルが大幅に変容した感じです。空いた時間はほぼ投稿、石川さんが関西にいらしたらだいたい駆けつける。お金と時間の使い方がいろいろ偏るようになりました。そろそろ女房や会社がブチ切れる頃ですが、その時までこんなスタイルを続けていきます。破綻しようがそれも私の人生、セ、ラ、ヴィ。けぇ〜〜っせら〜〜せらぁ〜〜〜(狂った)。 15/8/31(オポムチャン)
一緒に楽しく狂おうぜ〜。「もー飽きた」となるその日まで。 15/8/31(石川浩司)
ふと思ったのですが、「人生って何?」の答えは、自分の死期が見えたときに悟るのではないか、と。自分の死期が見えたときって、自分の人生を全体から俯瞰できると思うんです。それで、自分の人生はどんなだったか、わかるのではないか。そんなことを今思いました。 15/8/31(波照間エロマンガ島)
俺は多分死ぬ時はボケてるか自分の死に気づかないかが多いと思うので「死ぬ時に結果が分かる」は違うと思ってるんだよね。
もし死の間際に何か感じたとしてもその時たまたまそう思っただけのような気がする。
なんせ俺、人生を見渡そうにも昔のことなんてもう既に覚えてることの方が圧倒的に少ないからなー(笑)。 15/8/31(石川浩司)
わたしは働くのが嫌でした。できれば一生遊んでいたい。その思いがあったので、バイトも続かず…。
最近、自分はなにがしたいのか?と考えたら「一生遊んでいたい」のだと改めて思いました。
今まで、働くために眠り、働くために食べ、働くために生きていかねばならないと思っていました。
「一生遊ぼう」と決めてから、遊ぶために眠り、遊ぶために食べ、遊ぶために生きていこう。
そして遊ぶために働こうと決心しました。
すべてが遊ぶためだと気付いた今は、仕事も遊ぶための軍資金だと思い、仕事も続けられるようになりました。
わたしの人生、すべては遊ぶためです。
友達とバカ話したり、恋人と面白い動画を観て2人でゲラゲラ笑ったり。
でも何よりもひとりで遊ぶことが大好きです。
話が脱線気味ですが…。
人の数だけ人生の意味はある。わたしの場合、遊ぶことが人生の意味です。
そんなことを考えている今日この頃です。 15/10/20(ひのこ)
うんうん、すごくいい。
俺も寝て面白い夢を見る為に生きてるのかも。 15/10/20(石川浩司)
人生ってなに?
「乳を吸う、チューチューと」て歌ってたら楽しく過ごせるのです! 16/3/28(西大路)
男は赤ん坊で吸い始め、子供の頃ちょっとだけ休憩するが成人したら間隔はともかく死ぬまで吸い続ける。
人生は、乳吸いである。 16/3/28(石川浩司)
石川さんのソロライブで初めて悪代官を聴いた時、本当に生涯男は乳吸い続けるのだと納得。実はそれまで考えた事なかったっす! 16/4/18(西大路)
俺もあの時即興で歌いながら突然思いついた(笑)。
子供の一時期を除いて、赤ちゃんの時とそれから大人になってからもずっと男は吸い続ける。チュウチュウと・・・。 16/4/18(石川浩司)
大人になってからチューチュー吸って飲む母乳は甘すぎて美味しいものではなかった…。 16/4/18(波照間エロマンガ島)
俺も友達に(直ではなく)飲ませてもらったが無味無臭だったなあ。 16/4/18(石川浩司)
そして、来月のホルモン鉄道関西ライブ楽しみにしてるのであります! 16/7/1(西大路)
おおっ。久しぶりのホルモン鉄道関西ツアー。まあソロなどでは関西には5月も6月も行ってるのだが(笑)。 16/7/1(石川浩司)
ホルモン鉄道関西ライブの月(7月)になりました。僕がこれを書いてるのは1日。あと一週間。次王様が更新されるのはいつでしょう?
5月の石川さんソロライブはどうしても無理やったなあ(泣)! 16/7/7(西大路)
王様はだいたい投稿数が30を超えたら更新を考える。
まあ他のコンテンツとの兼ね合いや、何度も言ってるが更新に時間がかかるので人とずっと一緒に行動しているツアーの間などは更新出来ないんだよね〜。
でも今月はポイントサービス月間だからなるべく更新しま〜す。 16/7/7(石川浩司)
「なぜ<前へ>なのか。世の中には、横に流れたり、ステップを踏んで、目の前の敵や、障害物をかわして前進しようとする考え方もある。でも僕の考え方は違う。とにかくゴール、目標へ向かって一直線に走る。けっして横に流れたりかわしたりしない。とにかく真一文字に突っ走る」。故北島忠治監督の言葉です。私の人生訓でもあります。
実際はなかなかこうも上手くは行かないものですが、なるべくそうなれるよう頑張って行きたいと思います。 16/7/7(わいわい)
俺は斜めに進んでるかもしれない・・・。 16/7/7(石川浩司)
僕は時々バックしてるかもしれません(笑)。
いやーでも石川さんのHPの更新頻度は本当にすごい。ありがとうございまーす! 16/7/12(西大路)
先週も今週もツアーで、ツアー中は人とずっと一緒にいるのでとてもコメントを付けてる時間が無いので空き日に一週間分まとめて文章書いてる。朝から夜まで。
これって「休み」なのかなあ(笑)。 16/7/12(石川浩司)
過労になれへん程度で更新お願いします。投稿はできても更新業務管理はできません(笑)! 16/7/22(西大路)
あい。俺も自分が楽しめる範囲で最大限やっていきまっさ! 16/7/22(石川浩司)
高校生のとき、このホームページを知り、石川さんが「人生、これすべて遊び」とおっしゃっていたのをずっと考えていました。
一生遊んで暮らしたい。
でもそんなことできるのか?
最近やっとわかってきたのは(遅いですが)「遊んで暮らす」=「仕事をしない」ってことじゃないなあ、ということです。
現にわたしはいまアルバイトをしていますが、毎日遊んで暮らしていますし、数年後就職するとしても、たぶん遊んで暮らすと思います。
なんだかすっきりしてます。
これからも、人生を思う存分遊んでいきたいです。 16/7/28(ひのこ)
そうそう。仕事はずっとしてるよ。
つまり例えば歌うことだってただカラオケに行けばお金を払ってやるただの遊び。
ライブで歌ってお客さんを喜ばせばお金になる仕事の遊び。
遊びを如何にお金に換えるかにはもちろん誰よりも一所懸命考えま〜す。 16/7/28(石川浩司)
5クエスチョンでは大学に1年間通われていたとありましたが、『「たま」の本』、(p.59)、では3日間とあります。どちらが正しいのでしょうか? 16/8/27(わいわい)
3日はまぁその程度の感じという竹中労さんの比喩だね。
実際は一年は演劇のゼミに入っていてそのゼミで学内で演劇公演もしたりその為に合宿にも行ったから一年間かな。
もっともそのゼミ以外はどの授業にもほとんど出てなかったので総計すれば3日程度しか大学に行ってなかったという表現でも間違いではないかもね。 16/8/27(石川浩司)
竹中労さんは筆の勢いにまかせ「情念」を書くタイプの書き手なので、詳しいデータの確認より「物語」が重要だった気がするのです。データをすっとばし、竹中節で「断定」しまくるので、事実関係の整合性がとれてないという批判が生前よく言われていました。同じ芸能関係の著作の多い小林信彦さん〔当時は中原弓彦名義〕がそのことをよく指摘していたのを覚えています。 17/8/19(波照間エロマンガ島)
確かにそういう部分がないとは言えないかもね。
ただどっちの評論もあってもいいとは思うんだよね。データと物語と。 17/8/19(石川浩司)
毎日が勉強。 18/4/3(わいわい)
毎日が便通。 18/4/3(石川浩司)
わたくしにとっての人生とは、目の前のことを徹底的に味わい尽くし堪能することだとある日分かりました。 18/4/26(もんぢゃ)
おぉ、それは素晴らしい。
日常の中にも宝物はたくさんあるからね。
それを見つけられるかどうかは自分次第。 18/4/26(石川浩司)
人生後半を迎えたことを実感する身として、大それた野心を持つことがなくなりました。人生が終わったときにいかに「ゼロ」になって死んでいくかということを考えるようになりました。幸いなことに人生でコレクションしたものはなかったので、今あるものを断舎離して失くす方向に動いています。身一つで預金通帳のつまった巾着袋を握り締めて逝った永井荷風のような死に様が理想です。 18/6/3(波照間エロマンガ島)
俺もコレクションはいろいろあるけど、それをどこかに収めれば後は最低限の持ち物でいいなあ。
いい家もいい車もいらない。普通の暮らしができれば。 18/6/3(石川浩司)
「なんでどうせ死ぬのに生まれてきたんだろう?」というのがここ数年のわたしのテーマでした。
突き詰めて考えると虚しくなって、頑張れなくなるときもありました。
最近、なんとなく石川さんの「たまという船に乗っていた」を読み返していたとき、9章の最後に「死について」書かれていた文に気づきました。
「あっ、と思わず顔がほころんでしまう瞬間、嬉しい夢を見てにやにやした瞬間。その瞬間がひとつでもあれば、その人が生まれてきたことは、良かったと思う。
その瞬間こそが永遠」
「死はもしかしたら、ハミガキや靴を履く事と同じくらいのことなのかも」
ここの文章を完璧に理解して自分の言葉で感想を述べられるほど、まだ大人ではないけど、これを読んでから、虚無感に潰されることはなくなりました。 18/6/17(ひのこ)
深く考えなくていいんだよ。
例え死んだって、また次の世界で生まれるかもしれない。
でも次の世界が今より厳しい環境ということだってあるかもしれないし。
誰も本当には分からないことだからね。
今ほ精一杯自分なりに楽しむことしかないんだよ。 18/6/17(石川浩司)
みんな死んじゃうからこそこの世はいっとき輝くんですよね。
永遠の命があったとして、ずっと楽しいままで生きられようか? 限られた時間の中だからこそ、いっぱい面白いことをして生きよう、あるいは人によってはいけるとこまで高みを目指そう、そう思えるのではないだろうか。
私は石川さんに、その考えを確固たるものにしていただきました。ありがとうございます。 18/7/1(オポムチャン)
ははは、でもほんとそう。限られた時間を広い意味で楽しもう! 18/7/1(石川浩司)
自動車も家もタイ移住するときに売り払いました。生命保険も解約しました。借金も完済しました。30代40代前半は昼夜関係なくずいぶんと働いた記憶がありますが、50代半ばの現在はルーティンワークで平穏に生きています。熱帯の環境は自分に合ってきたようで、この夏1週間日本にいたときは気候の違いを実感しました。この先自分の人生はどうなるのかわかりませんが、たぶんこの地で死んでいくのだと思います。まぁまぁ幸せでした。あ、これは別に遺書ではありません。 18/11/10(波照間エロマンガ島)
どの年代もあまり人より働いてない気がする。
というか遊びだったことが仕事になっちゃったからなあ。 18/11/10(石川浩司)
たまファンの方は、ちょっとその筋を見極めないとなかなか出会えないユニークな人ばかりで、世の中にはこんな面白い人たちもいるのかといい刺激になります。2014年、ホルモン鉄道が僕の地元に来られた時に、ある中年男性と知り合いになり、ライブの遊びの世界も広がってゆきました。
たまと出会った2002年、私は高校に不登校になるようになり、次の年に退学してしまいました。今から思えば勉強や学校生活が合わなかったとか、学校自体が嫌いだったとか、そして学校では教えてくれない事、人生の本当の意味を知りたかったなど、いろいろ理由は思い浮かびますが、とにかく心も不安定な時期でした。
学校に行かないなりに勉強に変わることは必要だと思い、ある人物の本を集中的に読みました。それが事実上人生の探求でしたが、早い時点で答えが出てしまいました。要するに人生や生きる意味を考えること自体が、ある種暇だったり生活に余裕のある人がすることだということです。そこから生きるには実践的な技能を身に着けることが重要だと思い、拙いながらもトイレ掃除や食器洗いなどのごく基礎的なものは身に着けてきました。
しかし何事も一所懸命にやってみるものです。
2004年10月、朝日新聞の新刊書籍の広告欄にある本を見つけ、そこから僕の人生の探求も飛躍的に発展しました。どんな本か、そしてそれに出会ってから今までの人生はどうだったのかなどは長くなるのでここでは省きますが、今現在、私の食事は一日に朝ごはん抜きの2食か1食になっています。食事をしなくてはならない、というとらわれから自由になれたこと。そしてそれにより心も体もより元気になれたことがやはり革命的でした。
ちなみにいっておくと、今読んでいる本はある種、究極の健康法(断食療法)ともいえるものですが、それすらも不健康に悩んで手に取ったわけではなく、それこそ人生の探求の一貫でした。(その頃はだいぶ愉しみが伴っていましたが)
冒頭にも書いたように、たまファンの方には面白い方がたくさんいらっしゃって、それ故に食事をしない方も1人や2人ぐらいはいるのではないかと思うのですが、私の取材不足のせいかまだそういう方にはお目にかかれていません。
「断食をしようと思い立つことは、生命の本能に目覚めること」
断食の本を読むと、現代医療に危険を感じだした人が、どんどん東洋の医学に流れ始めている傾向がうかがえますが、私の周りにはまだまだそれに目覚めている人は少ないように思います。
魔法が使えるようになるとか、念力で空が飛べるようになるとかそういうのとは違うけれど、「センス・オブ・ワンダー」は本当にこの世界にありました。決して楽ではない人生を軽やかに行き渡ってゆくこと。不健康にあえぐ現代社会には、今、切にそれが求められているのではないでしょうか。 19/1/7(Sankaku)
俺の高校時代の友達で、当時あまり飯を食わない奴がいた。
「なんで食べないの?」と聞くと「食べるのがめんどくさいじゃん」と。
そして40年後、FBが縁で再会。
すると・・・「今は何より三食の飯が人生で最高の楽しみ!」に変わってた。
人それぞれだね。 19/1/7(石川浩司)
ドラマや小説などを読んでも、逆境に苦しむ人たちというのはよく出てきます。
そういう人たちが私みたいに「断食」や「不食」に出会ったらどうなるのだろう、想像してしまいます。
たまと出会ったことを含めてもやはり「事実は小説より奇なり」ということがこれ以上ないくらいに味わえました。
「求めよ、さすれば与えられん」「門を叩けよ、されば開かれん」
私は求めたのでしょうか、門を叩いていたのでしょうか。いろんなものに出会ったこと、物によっては奇跡か何かと思ったこともありました。
「嘘でもいいから自分より大きなことを信じていればきっといい方向に向かって行くのにな」
私自身そこまで大きな主張がある方ではないと思うのですが、もう今年で35歳。嫌でも自分なりの生き方というのが出来てきてくる年かもしれません。 19/4/19(Sankaku)
35歳じゃ出来てくるよね。まあ人によって差はあるだろうけど。
あとは自分のいい面を伸ばすだけだね。 19/4/19(石川浩司)
「壮神社」という出版社から何冊か本やビデオを買ったことがあります。
甲野善紀先生や肥田春充先生、そして武道関係の本が売られていました。
今から考えると、ネット上でも秘境や仙境ともいえる領域で、なかなか厳かな感じがある出版社でした。
19/1/7に書いたように人生の探求を夢中になってやっていた私は、これらの書籍に人生の答えを求め邁進していました。
いろいろ参考になったことはあったけれど、ならば具体的にどのように生きればいいのかはちょっとわかりませんでした。
2004年10月に新たなる福音として出会ったのが【不食~人は食べなくても生きられる~山田鷹夫(三五館)】という書籍。
ちょっと驚きました。また、座禅を通してその手のことを研究していた私は、私自身が「不食」を宣言するべきだったのではないかという、一抹の悔しさも感じました。
ここで私がすごいと感じることは、ある意味、甲野先生や肥田先生よりもすごいことを言っている書籍が、一般の書店で買えてしまうこと。肥田先生の御本は古本屋でも見かけたことがありませんでした。
2006年に出版された【不食実践ノート】という書籍に6人の不食体験者の文章が記されていますが、そのトリを務めたのが僧侶をやっているという男性でした。「神佛は人間に不食という逃げ道を与えてくださっている」「人は人生に行き詰まると食べたり飲んだりをするが、私は逆に行き詰まったら、食べない、飲まないをやってみたらどうかと言いたい」
地球全人類への福音ともなりうることを確信し、私は今も不食への道を邁進しています。
「不老不死への道が現実に?!」とまことしやかに囁かれてもいますが、これから不食はどのように地球上に広がっていくのか、本当に興味は尽きません。
前にも述べたように、秘境ともいえる出版社の本よりすごいことを言っている本が、もう一般の書籍市場を賑わせています。
そしてこんな発言の場を提供してくださる石川さんにも感謝の思いでいっぱいです。
自分に与えられた環境をフルパワーで駆使して行けることを願って
2019年11月14日(木) 所沢市内のネットカフェにて 19/11/24(Sankaku)
どう生きるか考えることはとても大事だよね。
人それぞれ、自分に合ったベストな生き方は常に模索すべし。
環境も人も川の流れのように間断なく変わり続けるのだから。 19/11/24(石川浩司)
私が人生を深く考えるきっかけとなったことの一つに、日本などの先進国は学校などの教育が豊かに揃っているのに対し、アジアやアフリカなどでは満足に教育が受けられず、読み書きや計算が出来ない人が多く存在するということ。今は大分死去された世代かもしれませんが、日本でも戦前生まれの人はたまにそういう方がいるといいます。
この日本に生まれたことがどういう事なのか。何か感覚が変になっていくようでした。
先輩の男性のお宅にお邪魔し、いろいろなことを語り合ってきた中で特に盛り上がった話題の一つに、私達の住む町・埼玉県所沢市の奴らは自分たちが恵まれているということに気づかない、気づこうともしないということ。
確かに私自身も気づいていない時期もあり、それに気づいたのは、自転車で東西南北いろいろなところを旅してからです。それから所沢市は豊かさや貧しさも含め素晴らしい位にいろいろなものが揃っていることに気づかされました。
高速道路を走っているとき、例えば関越道から見える山間の中の町を見ると、何か打ちひしがれたような気分になる事があります。
その町にはどれ位、生活施設や文化施設がそろっているのか、そして外の町へ行くときには山を越えなくてはいけないのか、と考えると愕然とします。
対して所沢市はスーパーマーケットもパッと思いつくだけでも4,5種類はあり、ショッピングセンター、ドラッグストアー、コンビニエンスストアー、レストランや食堂、書店、フィットネスクラブ、ケータイショップ、ネットカフェ、洋品店、文化施設やそして公共施設など考えれば考えるほどよりどりみどりです。
東京都という大都会がすぐそばにあり、それと見比べれば確かに劣っている箇所もたくさんあることでしょう。
しかし、私に言わせればある程度の条件が揃っているならば、あとは自分の心がけ次第です。
どれほどたくさん資源が揃っていても、本当に役に立つものを、そして自分の糧になるものを見つけられなかったら、それらは最悪ゴミの寄せ集めに過ぎません。
東京も含め、いろんなところに行きやすい所沢市には必ず有意義なものがあるに違いない、という信念のもと人生の探求に邁進してきました。そして本当に有意義なものを見つけ出してきました。
高飛車な物言いかもしれませんが、私も本当に素晴らしいものを見つけ出していく事に、そしてたまの音楽を通して楽しみを見つけることに忙しく、無い物ねだりをしている暇な人に付き合っている時間はありません。
日本人は学校教育を受けて何を得られてきたのでしょうか。私自身も大した事をしてきた訳ではありませんが、必要最低限の知識や見識は獲得してきたと思う次第です。
私も学生時代、良くも悪くもない、毒にも薬にもならない中途半端な学生に囲まれていましたが、それでも今考えると上手くは出来ないなりにその時できる事、得られるものを敏感に探し求めてきたと思います。そしてその思いは後年になって素晴らしい位に報われました。
石川さんは新年の挨拶で、「♪今年も楽しいことしかないもん♪」というようなことを言われたことがありましたが、最近になってその感覚がわかってきました。
「人生を、ひいては世界全体をより良くしていく楽しみ」
それを見つけ出してゆく新たな段階に突入してゆけるかな、と思う次第です。 19/12/19(Sankaku)
考え方次第でモノゴトってまったく変わるからね。億万長者でも「もっとお金を」と思っていれば一生ゴールなんてないしね。
自分なりの幸せは自分で探しに行かなければならない。
人の幸せと自分の幸せは違うからね。 19/12/19(石川浩司)
私にとって、人生は楽しむことです。
仕事はほどほどに。
昔の仕事の先輩が言っていたのですが、
「仕事の中に楽しみを見つけると良いよ(^^)」
とのこと。
筋肉少女帯の、天才バカボンオマージュの曲、
「これでいいのだ」
を思い出しました。
「戦え!何を!人生を!」
も思い出しました。
私も歳を取りましたが、
今、ここに来て、人生の過ごし方が、
楽になった気がします。
それはもちろん、石川さんのおかげです。 20/2/24(マサラ)
生まれてから死ぬまで100年も無い。
与えられた環境や性格で如何にジュージツした日をそれぞれが送れるかだよね。 20/2/24(石川浩司)
「人生は苦なり」という言葉がありますが、どうせ苦しむのが一緒だったら、高い理想を追い求めた方が、後々楽で効率的なのではないか、と思った事があります。
家族と私はかなり違う人間でした。私自身、親から「Sankakuは理想が高すぎる」と何度か言われたことがありましたが、私はこう思いました。「お前らの意識が低すぎるだけだ」
ある程度反省し、より無理のない生き方を模索はしてきましたが、それでも親と自分の間で何度か軋轢が起こったことがありました。
親の方はどんどん体が弱ってゆき、母親はリウマチに罹ってしまったといいます。
私自身、普通の男として一人の人間として、最低限妥協出来ないところを唱えていただけのつもりでしたが、親にはその最低限の観念すらなかったようです。
後年、母方の祖父母と両親を見比べて、両親の間違いが明確になりました。
高い理想を的外れに追いかけるのもそれこそ他者と軋轢を生んでしまうかもしれませんが、譲ってはいけないところを見極めないと、実質的に駄目になってゆくことを親からは見せられました。 20/3/8(Sankaku)
高い理想かあ。俺もないかも。それともあるのかな。
具体的にはどんなことが理想? 20/3/8(石川浩司)
私が人生の探求で最も命題としたのが、確実に自分を変えていくこと。
プライベートの生活の在り方、自分の内面、そして自分の自然体そのものを変えていくことこそ本当の意味での人生の開拓である、と定義づけました。
人間嫌でも時間がたてば老化という変化を経ることになります。その変化にいかにうまく乗れるかを思案しました。
肥田春充 先生の御本を読みながら自らも座禅を実践し研究に取り組みました。
そういうアンテナを張ることが「不食」の本に出会ったとき、即座に反応出来たキッカケだったのかもしれません。
食べ方が変わることは正に一番の変化の象徴と思われます。
そう思って不食に飛びつきましたが、やはり私の心も体もまだ未熟だったこともあり、間違った不食の取り組み方で様々な厄災を招いてしまいました。
2013年にある出来事から自分の心を洗い直す機会がおとずれ、目に見えて生きることが楽しく楽になりました。
ある意味、不可能に取り組んだことが今は財産になりました。
自分の自然体こそを変えてゆく。これは一生をかけて取り組んでゆくものだと思います。
「老年というものがこれほど素晴らしいものだとは思わなかった」
この言葉を味わえるように精進してゆきたいものです。 20/3/24(Sankaku)
俺はおじいさんになりたかったので、年々近づいてきて嬉しい。 20/3/24(石川浩司)
私、Sankakuもこの石川さんのホームページに投稿を始めてから実に7年近い歳月が経ちました。〈2020年現在〉
石川さんとの会話や思い出を振り返ることで、私自身の精神的健康にも間違いなく一役買ってくれていると思います。
いい人生を送りたければ、いい人につく、いい環境に身を置く、言ってみればそれだけです。
そのいいものを見つけるまでが大変なのかもしれませんが、本当にそれだけなのです。
子供には無限の可能性があるとよく言われますが、それが本当に無限ならば、30、40、50歳になっても活きていなければ嘘なのではないでしょうか。早ければ小学校高学年や中学生くらいで人は立派?に腐ってきます。
石川さんのホームページ、そしてバンド「たま」に出会ったことを含めても、これは私の力だったのか、それとも神様が導いてくれたのか、今でも分かりません。
『希望』というものを愚直なまでに信じ、自分の人生の素晴らしさを追い続けた私の人生も、一つの岐路を迎えました。 20/3/24(Sankaku)
環境は大事だよね。自分の力ではどうにもならないことも時にはあるけれど、いい環境だと思うところに近づいていく努力はすべきだよね。 20/3/24(石川浩司)
若い時のある年齢層は、一時的に華やいだり、輝く事があるそうですが、それ以降の輝きは自分の努力次第で決まるとの事。
その年齢層を過ぎて何だか分からない感じになっていく人はいくらでもいるように思います。
私は人生というものを俯瞰していたのでしょうか。いろんな人の人生の在り方を統計的に見極め、その上で自分はどう生きてゆくべきかを考えていたように思います。
子供の輝き、若い人たちの輝き、「春は命が芽吹いて、年老いた自分は取り残されてゆくような気がする」という言葉もありますが、そんなことも全然プレッシャーに感じません。
自分の人生を大切に生きる。今の日本の豊かさに腐ると、そんな当たり前のことも疎かにする輩が増えてきているように感じます。 20/3/24(Sankaku)
他人から見たらたまのデビュー当時が一番輝いていたように見えたかもしれないが、それはあくまで客観的な判断。
あの時が悪いというわけではないけど、今も自分ではそんなに変わらないか、むしろいい状態かもしれない。
端からどう見えるかはあんまり関係ないねー。 20/3/24(石川浩司)
たまの音楽に出会ってから、石川さんのこのホームページも非常によく閲覧したので、もしかしたら一番石川さんから影響を受けているのかもしれません。
私がとくに感銘を受けたのは石川さんが自伝に記されていた下の文章です
「しっかーし、よーく考えてみてくれ。
グータラが悪い、というなら例えば南の島に生まれて、たいした仕事もしないでも自然に木から落っこちてくる果物やら食べながらニコニコ生きている人達は全員悪人だというのか?
そうじゃなかんべや?
えっ? 日本は南の島じゃない!?
なーん、そんなの想像力、想像力。
現実なんて一瞬のユメマボロシだって。
思い込みさえすれば、どこだって南の島だっぺ!!」
私もこの言葉を何とか実現したいと思い、生き方を模索してきました。
他の話題にも書いてきましたが、書籍【不食~人は食べなくても生きられる~山田鷹夫/著】との出会いで、石川さんのこのお言葉がパワーアップしたように思います。
「人は食物をとらなくても生きて行くことができる」
「食べてもいい、食べなくてもいい」
この理論に石川さんの上記のお言葉を絡めれば最強なのではないでしょうか。
宗教や哲学の教えの目的は、この世を天国や極楽浄土に変えていくことだと聞いたことがあります。
私にはもうそれが手にできるような感じがしてなりません。
頭は冷やしつつ冷静に、それでも情熱を持ってこれらの真理を追いかけて行きたいと思います。 20/3/31(Sankaku)
食べることにあまり興味がない人にはそれもいいかもね。
ただ「食べることが人生最大の歓び」という人たちもいるからねー。金に物言わせて、はあまり好きじゃないけれど、質素なものでも丁寧においしく作って食べるのが何よりの幸せという人たちもいる。人それぞれだね。 20/3/31(石川浩司)
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