話題22 人生って何?(2)
***レス(発言は古い順に並んでます)***
先輩の男性Sさんのお宅にお邪魔していたころにこんなことを聞かれたことがあります。
「Sankaku君、夜はコンビニどこ使うの?」
私「えっ、夜は寝てしまうので使いません」
コンビ二使ったりするの?ではなく、さぞ、当たり前にコンビニ使うでしょ、というような聞き方でした。
忘れてしまいましたが他にも似たようなことを聞かれた気がします。
要するに先輩は自分はカップ麺を常食にしているから他の人もそうだろう、自分はたばこを吸うから他の人もそうだろう、下手をすれば、世の中のお店は近所のマツキヨが中心だろうとすら思っていた可能性がります。
ある意味、男の一人暮らしの定石を言ってはいたと思いますが、あまりの僭越さにちょっと言葉を失いました。上司の、そのSさんをよく知る人も、Sさんはとても僭越なところがあると仰っていました。
自分がこうだから他の人だってこうだろう、と思ってしまうのは人間の業かもしれません。ある意味恋愛もそういうもののやりとりなのでしょうか。
しかしSさんの場合はあまりにも露骨でそれが様々な厄災を生んでいることは目に見えるようでした。
別の先輩のKさんのお言葉「英語は身に着けといたほうがいいよ」の方が遥かにいろんな世界を見て出てきた言葉であることは、想像に難しくありません。
いろいろな役立つ知識も持ってはいらっしゃいましたが、そのSさんとも3回絶交しました。3度目の正直の言葉通り、もう付き合うことはしません。 20/6/19(Sankaku)
「夜は」がなければ問題なかったのにね。ひとこと多くて人を不快にさせてしまう人っているよね。 20/6/19(石川浩司)
先輩のお宅にお邪魔していたころ、2回ほど先輩に説教をした事があります。
ひとつは「ちょっと頭が回って口が立てば何でも理屈で正当化できる」
もう一つは「例えばどんなに自転車が気持ち良くこげようと、力やエネルギーを使う限り疲労はある」ということです。
世間でのファッションを重視するある層からは、「スウェットで外に出るようになったら俺たちも終わり」ということを聞いたこともあります。
しかし、先輩は「スウェットで外に出れるって最強なんだよ」とのたまいました。
決して分からない理屈でもありません。しかしファッションには自分の生き様が如実に表れます。だらしない恰好に慣れてしまえば、いずれは人生そのものがどうでもよくなってしまうでしょう。
事実、先輩は不運がどんどん振りかかっているような生き様です。脳と心臓の疾患で手術を受け、右半身不随で自転車にも乗れなくなってしまったにもかかわらず、特段反省することもなく、不摂生な生活を続けている様子です。
一見多くの知識の集積をしているように見えて、ただ自分の都合のいいものを集めているにすぎず、それは自分の僭越な感覚を助長しているに過ぎません。
もう一つのメッセージも先輩に当てはまることは、2019年の5月に何年かぶりにバイトに就かれました。
目に見えて生活リズムもよくなったようでしたが、調子に乗ってバイトを増やすと言い始めました。完全に調子のよさに乗じてものを言っているだけでした。
私も自転車で遠出した後は、翌日は睡眠時間が長くなるという傾向を発見し、それを踏まえた上で1週間から10日ほどの生活スケジュールを立てる参考にしてゆきました。
しかし先輩はそういう観察眼や反省は持たなかったようです。「自分は刹那主義でその時その時の気持ちで生きている」と主張し、前に言ったことと今回言ってることが違う、ということもよくありました。徹夜をよくされるようでしたが、した後には昼間も寝ているということもよくあったように思います。そんなハードに働くときと、休む時のリズムをまるで考慮していなかった様子が窺えます。いい年をして、なかなか恥ずかしい話です。私も忠告したことがありましたが「サラリーマンのように社会に従属する生き方はどうのこうの・・・」と理屈でかわしました。
結果的にバイトのほうは、生活スケジュールが苦しくなり、一年足らずで退職されたようです。
自分はこういうことを目指して生きている以上、こういうことは慎んで、こういうことをやっていなくてはいけない、ということはあります。
先輩も文学を志し、目指していることはあるはずですが、はっきり言って僭越で矛盾だらけの様子がうかがえました。
親は選べないけれど友達は選べる、の言葉通り、先輩からは学べることもありました。しかし悪い人のもとにつけば自分も少なからず影響は受けます。
3度目の正直、の言葉通りもう潮時と判断するところです。 20/6/19(Sankaku)
そういう人は確かにいる。そしてそういう人から学ぶことも十分にある。時には反面教師として。
でも自分に実害がある時や、一緒にいてなんとなく不愉快なことが多いことに気づいたら、距離を置くことは必要だよね。
ただ、親戚とかだと距離を置きたくても簡単には置けないケースもあるけどね。 20/6/19(石川浩司)
20/6/19に2つ続けて、先輩の男性S・Sさんの批判ともいえる文章を投稿いたしました。
その僭越さに驚かされた事はありましたが、楽しい時間も十分に共有してきました。
やはりSさんは本当の意味での先輩でした。
中学のころの年上にやたらと偉ぶっている不良がいましたが、それらと比べると、本当の先輩とは自分から物を貢ぎたくなるものであることを知りました。
先輩は自転車には乗れないので、例えば私が遠くのスーパーまで行って、そこでしか売っていないカップ麺やいろんな品物を先輩に味見してもらうのは楽しかったです。
タバコもSさんのために初めて買いました。タバコはTポイントやお店のキャンペーンポイントの対象外だと知ったのもこの時です。
3回目に付き合い始めたときは、Sさんからのリクエストがきっかけで作った私の楽曲をお聞かせしました。
斉藤哲也さんがピアノ伴奏をしてくれた音源をお聞かせし、本当に感無量でした。
私の心の深いコンプレックスまで話せたときは、やはりSさんの器の深さを感じたものでした。
問題のある人たちではありましたが、ある2人の女性もSさんには心を開いたといわれています。
そんなSさんも還暦まで12年を切っているようです。
年相応に知識を持っているところもあれば、驚くほど子供染みているところもありました。
Sさんとの思い出を振り返ると共に、ここにお別れの挨拶を記したいと思います。 20/7/14(Sankaku)
還暦まで俺は一年を切っている...。 20/7/14(石川浩司)
ズバリ「死ぬまでの暇つぶし」
自分の人生を諦めることによって背負っていたものを下ろした(投げ捨てた)ワタシにとっては、今はもう余生みたいなもんです。 20/10/24(キット)
そうそう、本当はただ生きているだけでいいんだよ。人間以外の生き物は「何かを成し遂げねば」なんて考えもしないで、ただ生きて、死んでいく。 20/10/24(石川浩司)
今になって思い出してみると、なぜ学校には、少しイケているくらいで天下を取ったような奴らがあんなにもいたのかが不思議です。
普通に考えて人生の本番は社会人になってから。
さらには本当にプロフェッショナルと言える仕事が出来るのは、30歳を過ぎてからという考え方もあります。
私もそんな考えがどこかにあったのか、学校で下手にハジけるつもりは少しもありませんでした。
そういう考えが報われたのか、今現在では楽しみのレパートリーも格段に増え、石川さんのこのホームページも含め本当にフィーバーできて有り難い限りです。
若干数の生徒を除き、同級生の誰かが有名になったとしても、私は認めないし許しません。
まあ、あんな如何に人をうまく嘲るかを競っていたような奴らの底力など、たかが知れていると思います。
人生は社会で羽ばたけてこそ
そんな基本的な考えも持ち合わせられない人たちに囲まれていたと思うと、こちらも大変にやるせなくなってきます。 20/11/1(Sankaku)
学校時代だけ天下を取ってた人って確かにいたよね...。 20/11/1(石川浩司)
20/10/24のキットさん。
わたしも全く同じことばをこのトピックに投稿したことがある〔13/11/18〕のでびっくりしました。わたしの場合、2008年、45歳のときにタイに移住したのが「死ぬまでの暇つぶし」や「余生」を意識したきっかけでした。
あと、タイに来てから読んだ、哲学者の中島義道さんの「人生を<半分>降りる ー哲学的生き方のすすめー」という本には影響を受けました。
〔以下、引用〕
『べつに大学や会社に辞表をたたきつける必要はなく、月給だけもらってナルベク好き勝手なことをする、そのためには細かな計算をして、「必要がない」と思ったことからはサッサと手を引く。そして、できるだけ人づき合いを制限し孤立して、「自分が今生きておりもうじき死ぬこと」を考える。たえずこのことを考える。そして、このことをつねに見据えながら、残りの人生何をすべきか考える。こうした生き方は、どんな状況や境遇においても−−たとえ皇族の一員でもヤクザの一員でも−−実現不可能なことではありません。けっして悲壮な決意をもって踏みこむような大それたものではないのです。 』〔引用ここまで〕
これを読み「なんだ、俺のやっていることはこの『半隠遁』ではないか」と目からうろこが落ちたような感動を覚えました。そして今タイで生きていて幸福を感じています。 20/11/1(波照間エロマンガ島)
人によって何に幸せを感じるかは違うから、まず自分が「どんなことに幸せを感じるか」を思い起こして、それを増やせばいいだけ。
それだけなのに、それをやらない人が多い気がするなー。 20/11/1(石川浩司)
私も座禅を組むことがあるので、また断食をしているので悟るところがあったのでしょうか〈笑〉。
今の日本の世の中の致命的な欠陥に気づきました。
特にこの平和なご時世「生きていられて当たり前」という考えが底辺にはびこっているのではと思います。
老若男女、もはやこの考えに侵されている様子がしています。
人生には夢や目標、そして安心して眠れる家があればなんとかなる、という考えのもと私自身も精進する次第です。
上記のことに気づき何事にも感謝できるようになっていければと思います。
楽しいことを楽しめる。そんな些細な事でも本当に何かになればと思って止みません。 20/11/26(Sankaku)
普通だと思っていたことが、実は大勢の人の努力によって保たれていることが分かるかどうかは重要だよね。 20/11/26(石川浩司)
20/6/19、20/7/14の、先輩・Sさんの記事の続き
2019年の10月にSさんとの付き合いを断ち、2020年10月に丸1年ぶりにSさんのお宅に通していただきました。
その際に分かったことですが、Sさんも矛盾してることや間違っていることを言うなりに、それはそれで帳尻合わせをしている感じがしました。
また先輩として主張することは主張するとしても、偉ぶった態度をほとんど見た事がないのは、とても良いことだと思いました。
Sさんとの別れの挨拶を前言撤回するとして、またSさんの家にお邪魔するようになりました。
やはり、気の合う人と一緒にいられるということはそれだけでも良いモチベーションを持てる、ということを再確認しました。
大人の付き合いを意識しつつ、また楽しいお話ができたらと思うところです。 2021/6/18(Sankaku)
仲直りってなかなか難しいけど、できて良かったね。 2021/6/18(石川浩司)
「話題136 アダルトビデオ 21/2/8、21/2/23(Sankaku)」の「社会に出ること、夢を追うことについては諸々言いたいこともありますが」の発言についての釈明。
私は主に学校教育によってボロボロに心を壊されました。
子供とはそういうものなのかもしれませんが、わざわざ人の欠点を探すガキども。
心の強さを教えられないふがいない大人たち。
私自身も頭は良くない方だったので、何のために学校に来ているのかが分からなくなって行きました。
更に社会に出てからは、もっと大変な苦労をしなければいけないということの意味が分からず、高校生活の後半には心が真っ暗になりました。
今から見れば学校生活で心をボロボロに歪められ、私も狂人や廃人になる寸前だった気もします。
また、家族も一見味方になってくれたように見えて、本当は決定的に頼りない、というところに私も30年間騙されてきました。
2013年からは心の回復期でした。
ある事件から、自分はいろいろと心を縛りすぎていたのではないかということを振り返り、それを解除していく中で、目に見えて気分や心も軽やかになり、「Sankaku君とは話しやすくなった」と言われるようになりました。
また半日断食を無意識のうちに実行し、その行動力から石川さんやたまの元メンバー、ニヒル牛関連のミュージシャンのイベントにもたくさん行きました。
しかし、何のために社会に出るのか、という疑問は今も消えないでいます。
今になって、子供のころに大変に嫌な思いをしたから、いうのもナンセンスですが、それを抜きにしても、社会に出る意味を私は見失っています。
この、モノが溢れかえるニッポン。衣食住もそれに付随するプラスアルファも山のようにあり、よっぽどの貧困層でなければ、生きてゆくのに困ることはほとんどありません。
私にも芸能人や、ポップカルチャーの世界に携わる身の上になりたいという夢や希望があるのですが、果たしてこんな飽食状態の日本に投げかけられる事柄などあるのでしょうか。
果たして日本人のどれくらいの人が、この恵まれすぎている状況に感謝しているのでしょうか。
日本人はどれくらいの人が自分の人生を充実させられているのでしょうか。
おそらく半分近い人口がこの恵まれすぎている平和な状況を持て余しているように思えます。
断食の視点から見ても、もはや道を通り過ぎる10人のうちの7人がお腹が出ている人たち。
食事療法の観点からみても、日本人の健康度合いは中々お先が暗いように思います。
私自身は断食の力も借りて、この日本だから出来ることを探すのに邁進していますが、何かしらの飢餓がなければ、二ホン人の心や意識の回復は望めないように思います。
この石川さんのホームページからも、このような発言ができる場や機会を与えていただいている事は、大いに感謝するところです。
しかしながら、こんなにも、モノがあふれかえっていながら、生きることに感謝を忘れてゆく日本にはもう出来ることなど何もないように思います。
歴史は繰り返す、とはよく言われている事かもしれませんが、第三次世界大戦が来てしまうのではないでしょうか。
今度戦争が来るとすれば、もはやネットの情報や操作も錯綜するサイバー戦争になることは目に見えます。
それは、太平洋戦争とは比べ物にならない複雑なものではないでしょうか。
「恐怖は愚民をも教育する」という言葉がありますが、歴史を顧みて、今自分に出来ることを精一杯探して生きてゆく。
今この平和な中でこそ、何をすれば、何を探し当てれば一番有効なのかを考えなければ、やはりよくない状況になってしまう未来が待っているように思います。 2021/10/30(Sankaku)
「まわりがこうだから」「普通はこうだから」「人はこうだから」は最低限の部分でしか考えないようにしてる。ま、参考程度というか。
そしたら「自分の幸せ」が見えやすくなってくるかもしれないよ。 2021/10/30(石川浩司)
この石川さんのホームページの中でも、私は独自に「断食療法、もしくは不食」について言及してきました。
世間では「老人になっても肉は食べるべき」もしくは「食べないほうが良い」
「酒がいい、悪い」「タバコは止めるべき、別に止めなくてもいい」「果物がいい、食べ過ぎは良くない」
そして「牛乳はいいか、悪いか」などと色々言われています。
反対意見など、世間の中ではいくらでもありました。
また、健康を心掛けていたはずの人が意外と早くに亡くなる、ということもこの石川さんのホームページからよく聞いている所です。
これらの事を踏まえ、出て来たひとつの結論としては、やはり自分が夢中になれることを信じてやって行くしか無いという事です。
私も、船瀬俊介 先生の断食の御本を読むことは楽しいし、勇気をもらった事も何度かありました。
この事は石川さんも、好きな事や夢中になれる事を見つける方法として、説かれていた事があったと思います。
しかし、これらのことを踏まえても、私にとって断食療法や不食は、人生を切り開き楽しくする、最上の方法論です。
石川さんのホームページのおかげもあって、文章書きなど割と地味なことでも、とても楽しい思いをしています。
最上の健康長寿の方法としても、断食はどれくらい力になってくれるのか。
少なくともこの石川さんのホームページの中で、それに挑戦するのは私しかいないようです。 2022/1/14(Sankaku)
うん、自分の好きなことなら続けるべき。
俺も最近腰痛になったが、鍼灸師には「正座をする訓練を」と言われ、整形外科医には「絶対に正座をしないように」と言われたからね。
どっちの健康法もあって、間違いではないんだろうけど。
「正反対のことが、どちらも正しい」ということが世の中にはあるからね。 2022/1/14(石川浩司)
私が尊敬する先輩の男性・Kさんからこんな事を聞かれたことがあります。
「Sankakuさんって、自分の好きなように生きていければ、それでいいって感じの生き方なの?」
細かくは何と言われたのかは覚えていないのですが、こんな感じの言葉でした。
決して悪い方向性に行った出来事ではないのですが、考えさせられるお言葉でした。
2016年に、市内の隣のブロックに位置するKさんのご自宅に通していただき、手料理を御馳走になった事があります。
男性の1人暮らしとしては実にしっかりしていて、楽しいひと時でした。
冒頭のお言葉についてですが、私にはそのような意識はほぼ全くありませんでした。
ただ、自分の心と体、そして頭脳や精神がきちんと働いている、躍進している生き方を選んできただけの話です。
生活に追われ、人生の本当の意味、生きる素晴らしさを忘れている人は大勢いるようなので、そういう人たちとは確かに差別化を図りたい、とは思ってきたのかもしれません。
不食や断食療法との出会い、さらには、たまの音楽や石川さんのホームページとの出会いで、私の人生は本当に躍進しました。
本当に物言わずに、それでも確かにこの世に存在するものを私は拾い集めてきました。
このような事柄が、この後の人生にどう活きてゆくのか、本当に思案してしまう所です。 2022/5/26(Sankaku)
「自分の好きなように生きていければ」はいろんな解釈ができるので、どういう意図で言ったのかは不明だけど、いい意味で言われたのなら、それでいいと思うなー。「自分の嫌いなように生きていく」のよりはずっとね。 2022/5/26(石川浩司)
人生の、難しくまた恐ろしい所は、ずっとつまらなくて、また生きる意義や意味を感じることもなく、終わってしまう所もあるという事。
忌野清志郎さんも、そういう人たちを批判する歌詞を書かれたことありました。
その反面、人生の凄い所は、ちょっと好奇心で飛び込んだ物が、最高・最良の何かに繋がり得るという事もあります。
私自身の人生でもそういうことがありました。
先述した、好奇心で飛び込んだ物が、未来にまで繋がる最高の楽しみになった、という事も何度かありました。
たまやニヒル牛関係者の音楽などは正にそうであり、出会ってからもう今年で20年になります。
更に幸運な事に、たまの音楽に加え、私は断食療法や不食にも出会うことができました。
今現在、ネットカフェで石川さんのホームページへの投稿の文章を打つ。しかも美味しいドリンクは飲み放題!!
きちんと節制の感覚〈食べ過ぎない、飲みすぎない〉を基準とし、節度を持っていれば、何でも出来てしまいます!!
断食や不食で一番理解していただきたいのは、これらは「自由と快楽、そして強健〈最上の健康〉」を得る最上の手段であるということ。
このHPでも何度か記述しましたが、「食べる事を楽しむのは、人生を楽しむことに直結する」という事柄も、断食の体験の中で感得してきました。断食が上手く出来れば、食べる事も格段に楽しくなり、それこそ脳内や体にいいホルモン物質などが非常によく循環するようになります。
2018年8月後半に「1日1食」を採用し、焼き肉、ステーキ食べ放題も、計20回ほど行ったと思います。
私自身、高校生の時に「断食」という言葉を聞いても何も感じなかったけれど、実際やってみて、ここまで人生を楽しくする手段だったのか‼という驚きや歓びを感じているところです。
やはり学生時代に本当につまらない目にあってきた事も、今現在、人生を有意義に楽しく生きる立派な材料になりました。
私は、人生は年を重ねる毎に、楽しく自由で良い生き方になっていく事を選んできたようです。
学生時代の同級生には、目先の楽しさだけを追って、自分の自由や徳〈人間としての尊さ〉を浪費する愚かな人たちがたくさんいました。
まだまだ日本という国も、経済大国として余裕のある内に、1人でも多くの人が自分の人生の真の楽しみや自由、そして他人を思いやり、大切に生きる事に目覚めることを願って止みません。 2022/8/13(Sankaku)
俺は昼飯はたいていあんまりおいしくないインスタントものを食ってるので、たまに食うちゃんとした物がすんげー美味い~。損して得取れの精神。 2022/8/13(石川浩司)
私自身、特に2018年に「1日1食」の食事法に出会ってからは、図らずも自分にとっての美食を極めてゆく事になりました。
健康食品を見極め、主に生野菜や発酵食品を豊かに摂取し、節制の感覚を覚え、そして内臓を休ませ余裕を持たせる時間を作ることで、却って好きな物を好きな様に食べられる様になりました。
きちんと体や心に余裕をもって行う、焼き肉やステーキの食べ放題はやはりとても楽しかったです。
その取り組みの中で、食事が生活をする中で如何に重要なのかも、認知するようになりました。
間違えた食事療法は気分や体調の不良、もしくは最悪死にも直結します。
古代の優秀な医師は、正しい食事の重要性を十分に認知していられたそうです。
2022年現在、私が18年間追い続けている「不食」という取り組みは、そんな食事の重要性も飛び越える、真の自由と健康への方法論です。
食事が重要である分、それでも、もしそんな食事すらもいらなくなったら・・・
食べられる事の素晴らしさを味わい、感謝の心を持ち、そしてそんな食事を卒業することが、不食の目指すところです。
宗教の修行の一環である断食は苦しい要素もあるそうですが、一般人の健康法としては、むしろ健康への道と快楽であるべき、そうでもなければとてもやる気にはなりません。
石川さんのホームページへ投稿された方は総勢500名を超えているのでしょうか。
そんな中でも断食や不食に取り組んでいるのは、私1人だけというのはにわかに信じがたいです。
世界中からの美食が揃っている日本国。断食療法はそんな美味しい食物たちをより深く、そして存分に楽しむための方法論でもあります。
宗教の修行で、なぜ断食が採用されるのかも、私には朧げに分かってきました。
石川さんのホームページへの文章を書きながら、ネットカフェでドリンクバーを、お金がある時は美味しい食事を存分に楽しむ。
たまやニヒル牛作家の音楽、今の通い先、そして断食療法や不食は、私の人生の3種の神器です‼ 2022/8/13(Sankaku)
人それぞれだからね。断食を楽しむ人もいれば「人生短くなったとしても、美味しい物を三食たべたい」という人もいて、どちらも自由。
健康に生きてても、事故や災害、抗えない病気で命を落とす人もいるからね。人生、一寸先はわからないから、それぞれの「自分なりの後悔の無い生き方」をしてほしいね~。 2022/8/13(石川浩司)
やーそれにしても参った、親が仕事をやめた途端に事故に遭い入院、それで通帳やら支払いやらを一時的に管理したところ眼ン玉とび出るくらい年金が少なくおまけに預金残高がわずかであることに衝撃かつ戦慄かつ眩暈をおぼえました。親父は「税金を払えなくなったら生きてる価値がないから死ぬ」と常々豪語していましたがいざ事故を生き残ってみるとその言葉どおりまるで老後の備えを蓄えておらず、どないすんねんなこれ、という状態で現在びびっています。
とはいえ私達あほ4兄弟を育て上げ全員独立するまでに沢山援助してきてくれた両親、「税金払われへんし、ぼちぼち、しぬる?」なんてなことは絶対に言えません。おそらく預金は5年も持たないでしょうから以後は私達兄弟の援助が必要となるでしょう。本人たちはそんなこと望んでなかったのですが、かといって見殺しにするわけにもいきません。
とここまで書いて、「果たして自分の老後はどうなるのか」という不安まで湧いて出て、息子も頼りないしでも迷惑は掛けたくないし、老人になってから年金で暮らせなくなったらじょうずにないしょで死なんなんなぁ〈標準語訳:死なねばならないなぁ〉、とか考えてしまいます。けどもけども、死、って、究極、本人のものじゃないんですよね。遺されたものの話なんですよね。そんなふわふわした死に方したらば息子も寝覚め悪そうやなぁ、とか思うともうどうしていいのかわからなくなり、人生って… 何? と、せつない気持ちでつぶやいてとりあえず現実から逃避しました。 2022/9/13(オポムチャン)
俺も周りの人たちも、結構みんな介護問題が一番の話題かも。
しんど過ぎて自分の神経がやられちゃった人もいるしね。泊まりがけとかはもう(介護相手が亡くなるまで)できないかも、という人もいる。もちろんお金の問題、気持ちの問題も。ひとりひとりケースも違うしね。
この世代で自分の病気等以外で困惑している問題のNo1かもね。 2022/9/13(石川浩司)
私の先輩・Sさんのお宅にお邪魔していた時、世の中の批判や悪いところを語れたのは、非常に有意義な時間でした。
先輩も著しく偏った視点を持っている面もありますが、学校の同級生と何にもならない無駄話をしていた頃に比べると、目に見えて実の入った話ができたように思います。
このHP内でも理解者はいなかったのでなるべく控えたい話題ではありますが、「断食・不食」について。
これらの物は、単なる健康法だけではなく、世の中を見る上でも、極めて優れていて鋭いと思いました。
特に解りやすく重要だと思った事柄に、戦後日本の食生活の欧米化について。日本が戦争に負け、アメリカから肉食と牛乳食を押し付けられた時から、日本人の健康度合いも変わってきたと言います。高度成長期にかけての成人病〈生活習慣病〉の増加などは、まさしくその通りだと思いました。
以前もどこかの話題で書きましたが、私の学生時代、同級生たちにも、その日本人の劣化具合は表出されていたようです。
とにかく中途半端な者、根性の曲がった者が多い。純粋に学校生活から何を学べばいいのかを考えていた私がバカみたいでした。
私たちの世代は「さとり世代」が出始めた頃の者たち。シラケている割にはヘラヘラ人を小ばかにして笑い、高校にあがる途端に焦りだす。何かの笑い話にもなりません。
学生が腐っているのは今に始まった事ではなく、それこそ太宰治の頃から、もっと言えばずっと昔からあったのかもしれませんが、学校は事実上、人生の理不尽さを学ぶところです。
私も勉強が嫌いだったし、何かで読んだ「〈学校も含め〉世の中全体が間違っている」という事柄が根底にあったので、何をすればいいのか分かりませんでした。五木寛之さん、甲野善紀さん、桜井章一さん、養老孟司さん。優れた識者にはある程度出会って来た様ですが、「では、これらの識者が唱えることを踏まえて、何をすれば良いのか」という答えを見つけるまでには至りませんでした。
ここら辺は私も頭が良い方では無いのかもしれませんが、山田鷹夫 先生、甲田光雄 先生〈故人〉、南雲吉則 先生、そして船瀬俊介 先生、これらの先達の方に出会ったときは、本当に良い感銘を受けました。
「食事をする事を止めればいい」「朝ご飯を止めればいい」「1日の食事を1回にすればいい」「胃腸を綺麗にすればいい」
とりあえずではあるけれど、人生を心地よく生きる方法が具体的に書かれている。今まで考えまくっていた自分は何だったのか。
特に半日断食〈朝ご飯を止める〉は、もう断食識者〈特に船瀬先生や甲田先生の本の読者〉にとっては鉄板ともいえる常識です。
しかし、このHP内でも、私の通い先でも、共感してくれた人は皆無。私もどちらかと言えば、個人的には断食の話題は盛り上がるので書いているだけの話です。
私にもかつて弟がいたようですが、この人もみてくれだけの人生に堕ちてしまったようです。学校内で孤立していた私〈兄〉を懸念したのか、周りに合わせイジメにも参加する。悪い意味でフツーになってしまいました。私自身子供の頃は歪なまでに主張が強く、それを弟にも迫っていたのでその反動だったのでしょう。
また、今の時代は自分のやりたい事に合わせて大学や学科も選ぶ、という考えが主だっているようですが、私の家族が割と高学歴だった事にビビったのか、母親に「俺も六大学に行かないとダメ?」などと戯けたことを質問したそうです。かわいそうな事をしたものです。
最初の先輩との話に戻りますが、ある程度知識や判断基準〈といってもこの先輩はかなり信用できません〉がある方にいろんな事を話せたのは、決して悪くありませんでした。先輩も、論理性を通しているように見えて実は感情論に捕らわれている、と言う事に気づいていないので、そこら辺は注意が必要でしたが、話し相手としては中々最高でいろいろな話題を話せました。私自身も断食を通して世の中を語れたのは、なかなか斬新な感触を得たものでした。家族のこと、学校のこと、世の中のことなどいろいろな話ができました。
私自身も今を信じ、亀の子の歩みでも良い未来に近づけるように、邁進してゆきたいです。 2022/12/23(Sankaku)
「朝食抜き断食」なら俺も無意識にやってるかも。起きてから最初に何か食うまで6、7時間はよくある。
単純に食うタイミングを逃しているだけなんだけどね。起き抜けはあんまり食欲無いし。 2022/12/23(石川浩司)
ここ最近ようやく、人生ってこの生活なんだなと気付きました。家の中で、どうやって生きようかとか、何を手に入れて生きようかとかどこ行こうか悩んだりしてるその時間が人生でした。お家で家族と過ごしてる時間そのものが主に人生なので居心地よく大切にしてこうと思いました。 2023/2/3(もんぢゃ)
そうそう、テーブルにこぼした醤油を拭くというような、些細な日常の積み重ねこそが人生。せめて日々ニヤリということを増やしたいね。 2023/2/3(石川浩司)
私は情けない事に、社会的、経済的な実績はほとんど無いのですが、未来につながる楽しみを見つける、という点ではかなり優れているのでは、と思える所があります。
象徴的なのが、ホルモン鉄道のファーストDVDの特典映像のライブ。〈2009年、山梨県・黄金温泉にて〉
鉛筆削りを使ったパフォーマンスの楽曲「けずり節」 石川さんが綺麗に削れたえんぴつを観客の子供に贈呈するシーン。
それに対して私は自分からサプライズの機会を作りました。えんぴつを持ってライブに乱入し、石川さんはちょっと困った様子でしたが、なんと大谷氏さんと一緒に「ダブル鉛筆けずり」を披露され、会場は大いに盛り上がりました。
私自身は、特に子供のころは消極的な人間だったと思います。マイナス思考で引っ込み思案なところもありました。しかし、それでは何にもならん、といつの頃からか奮起してきました。
ヒントをくれた人は、それこそたまや石川さんを始め、たくさんいましたが、人生を豊かにする方法は誰も教えてくれませんでした。
近所のスーパーマーケットでウルトラマンのフィギュアを手に入れて、本当に小さな事から始めた、または始まった、人生の楽しみ。
そして10年、15年、20年の歳月を経て、フィギュアを語れる仲間と出会い、私の人生も華開きました。先輩の男性S・Sさんとの出会い。そしてコレクションが広がってゆく楽しみ。
2011年から2012年前半までの不調を乗り越え、健康に生きられる、普通に色んな事を楽しめる、という事も決してタダではない、と言う事を知って、それから私の人生も躍進しました。
不食、断食療法という誰もついてこれない方法論を実践し、更なる楽しみを目指す。
やはり、今の時代のキーポイントは「生きている事に感謝できるか」ではないでしょうか。特にここ最近の、食料をはじめとする物価の高騰。もしも私が、今取り組んでいる事に成功したならば、それらも軽々と乗り越えて行く事が出来ます。
私には誰も付いて来れない寂しさと孤独。しかしながら、歓びは少しずつでもパワーアップしてゆく。
こんな気まぐれで、遊んでばかりいる私を報いてくれる、この世界。やはりとてもありがたいです。
真実への近づき方は無数にあり、人それぞれが自分に合ったやり方を見つけて求めれば、それで良いのでしょう。私にはそれが断食療法や不食だったようです。
人類に対しては割と、どうでもいい、と思っていますが、紛れもなく私を生かしてくれている「神」「地球」「宇宙」には何とか還元してゆきたい、と思います。動物や植物すらも殺生しないで済む、そして食糧という大切な資源を浪費・無駄遣いしない、断食や不食はそのための重要な方法論であると信じています。 2023/2/16(Sankaku)
「真実への近づき方は無数にあり、人それぞれが自分に合ったやり方を見つけて求めれば、それで良いのでしょう」まさにその通りだと思う。他人からは「なにそれ!?」と思われるものでも、その人が自分を活かす、最大限の喜びを得ているものかもしれないのだからね。それを茶化すのは不遜。 2023/2/16(石川浩司)
目黒さんは12月に倒られて医師の「余命一か月」という診断通りに一か月で亡くなってしまいました。病名を知ったときは既にステージ4だったそうです、
入院後、椎名さんはお見舞いにも行けず電話も出来ない。やがて目黒さんから電話がかかってきて、
椎名「面白いこといっぱいしたよなあ」、目黒「そうだったよなあ。いろいろ面白いしたよなあ」、椎名「あやしい探検隊でキャンプ行った時、お前が帰りたいとか言って」、目黒「そうだったっけ」、椎名「本が読めないとか言って」
電話では話せないからLINEなら会話できるとなって、椎名さんはLINEが出来なかったのでやっと覚えたけど、次の日にはもう会話できなくなっていたと『本の雑誌』3月号に書かれていました。
他のスタッフは「新刊めったくたガイド(2月号)」の原稿のゲラチェックをしてもらって「これで大丈夫です。お願いします」という会話が最後だったと「編集後記」で書かれていました。 2023/2/25(わいわい)
癌って一気にステージ4になっちゃうんだよね。ステージ4でほどなく亡くなった人もいれば、10年経っても生きてる人もいる。タイミングやバランスなのかね。
コロナで最期を看取れなかった人も多くて、寂しいね。 2023/2/25(石川浩司)
私は一時期、なぜか人から口喧嘩や争いを吹っ掛けられることがありました。
2006年、おじさん〈母の兄〉に友好的に話を持ち掛けたつもりが、なぜか「お前は社会的自立をしていない、ダメな人間だ!!」と力技でねじ伏せられました。おじさんも結婚生活が上手くいっておらず、それを隠そうとしているのがバレバレでした。
2016年にも話を持ち掛けたのですが、多少口調が穏やかになっただけで、力でねじ伏せてくるのは全然変わっていませんでした。
私も体が大きく、不愛想な表情をしているので、そこら辺は勘違いされるのかもしれません。
私自身は、常に楽しむことしか考えておらず、また出来るだけ人とも仲良くできれば、と考えている所もあります。〈それでも、人の悪口を楽しむ所もありますが〉
先輩の男性・Sさんはまさしくその点では、人〈私〉と争わず、バラエティー豊かな話題で楽しめる、今思えばジャストフィットな人です。
私も男なので、何かしら人より優れていたい、抜きん出ていたい、という気持ちはあるのかもしれませんが、普段は全くそういうことは意識しておらず、先述のように楽しむ事しか考えていません。
私が何かしらの力を使うとしたら、下手な争いを退けるための事をしたいと思います。
それこそいろんな正義のヒーローたちは、平和な世界を運営してゆくために戦っている。
ウルトラマンタロウが「いつか、ウルトラマンが戦わなくてもいい日が来るのかもしれない」と発言されたのは、本当にそうあってほしい、と心から思いました。 2023/5/13(Sankaku)
平和を本当に願うのなら、まず「武器商人」という仕事を無くさねばね。でもどこも大企業が絡んでおり、それに群がる政治家もいる現実...。それをどうして無くしていくかを真剣に考えない限り「世界平和」は絵に描いた餅にしかならないような気がする。人類が未だできてないことだから、大変だけどね。 2023/5/13(石川浩司)
私自身、もちろん全く主張が無いというと噓になりますが、いろんな人の考え方に触れてみたいと思い、あまり主張や考え方にこだわってはいないと思います。
いい年をして主張が全く無い、と言うのも、人としてみっともないのかもしれませんが、その反面、主張を強く持ちすぎるのも、他人との軋轢が起きたり、自分の可能性や躍進を狭めてしまう事になるのでは、とも思います。
私自身がこの場であえて主張するとするならば、「何が最良の結果を生み出すのか」という事を考えるべき、としたいと思います。
頭で考えることも、体を使って動くことも必要とされます。人生の絶妙なところは、最初はまるで興味がわかなかったり、また拒否反応が出るような事柄も、やってみたりすると、意外とノリが良いと感じられる事も有るということ。
仕事の本番、物事を本格的にやる時にこそ、出来るだけ柔軟に、快活に動けるよう努力や調整をしたい物だと思います。 2023/8/29(Sankaku)
そーなんだよね。その時その時に生まれるバランスもあるから、なんでも最初から「これはこうしよう」と決めない方がいいことも多いんだよね。 2023/8/29(石川浩司)
私が人〈学校の同級生など〉と違うと感じ始めたのは、毎年、新潟県にスキーに行っているという事を知られた時でしょうか。
「Sankakuの家って金持ちなの?」と言われ、自分っていったい何なの?と思い始めました。
今から考えれば、私の家もやはり一般庶民の範疇だったと思います。それこそハワイやグアムに行っていた訳ではないし、豪華客船に乗った事もありましたが、ほかの人とかけ離れている、という程ではありませんでした。
また、母の兄〈伯父さん〉も社会的には成功者のようで、一度アメリカに連れて行ってもらった事もありました。
そんな自分が社会や地球上のどんな位置にいるのかが分からず怖くなって、私は、一度自分の人生をまっさらにして全てを作り直そう、と荒唐無稽な事を考えたことがあります。
もちろん全てが出来たとは思いませんが、意外にも一部は叶った、と思える所もあります。
私の人生に於いて外せないのが、バンド・たまとの出会い、今の通い先、そして「不食」「断食療法」との出会い。これらの尊い出会いで今の私は形成されています。
私も結局は順境に乗っかった所もありますが、いろんなことに疑問を持ち、向上心や適度な野心、そして楽しく快活に生きてゆきたい、という思いが大切なのだと分かって来ました。
「30代になったら自分の人生は自分の責任」と通い先の所長に戒められましたが、不調も抱える昨今、これからの人生はどのように展開されるのか、注意深く見守っていきたい所です。 2023/11/18(Sankaku)
その時その時で、自分の中での最善手を考えるしかないかもねー。未来の自分の状態は今はわからないからね。 2023/11/18(石川浩司)
フィギュアのコレクションが始まったのは1994年、私が10歳の頃でした。ウルトラマングレートのフィギュアを手に入れました。
当時は、大人がウルトラマンや仮面ライダーに興じるという風習はあまりなく、また私もその年にしてはトッポイ方だったので、こんな事をしていていいのかな、という思いはありました。
それでも、1996年に「ウルトラマンティガ」、1997年に「ウルトラマンダイナ」が放映され、テレビシリーズのウルトラマンが約16年振りに復活。「~ティガ」「~ダイナ」はもう最初のウルトラマンを見た世代が大人になっているとの事で、大人の鑑賞にも耐えうる質の高いドラマでした。
また、2000年には「仮面ライダークウガ」が放映。2024年現在、今も続く[平成仮面ライダー]の一番最初の作品です。テレビシリーズの仮面ライダーも10数年ぶりの復活でした。
1998年頃には、ウルトラマンや仮面ライダーを最初に見た世代が大人になっているとのことで、それらのものを回顧するムーブメントが起こりました。今も続く大人向けのフィギュアやグッズが出る、草分けではないかと思います。
私が集めていた、カプセルトイの[HGシリーズ]もそれに乗じて徐々に奮い立ち、その他のフィギュアシリーズも登場するなど、おもちゃの世界も華やかになっていきました。
2000年ごろからは、井上陽水から音楽に興味を持つようになりました。ちょうど陽水さんのベストアルバムがミリオンセラーになった時期で、陽水さんも何年かの沈黙を破って、ライブ活動を開始。また2001年ごろには「コーヒールンバ」「花の首飾り」をカバーし、カバーブームを起こしました。
そしてなんと言っても欠かせない出会い、2002年に「たま」!!夢中になった度合いは、陽水さんたちの比ではありませんでした!!!
たまのメンバーとは、コンスタントに行われるライブイベントなどでこまめに会うことができ、そういう所もたまに夢中になれる要素だったと思います。
また、2004年の東京都八王子市のたまの事務所閉鎖イベントから自転車の遠出を開始。東西南北いろんな所に行きました。たまのメンバーやニヒル牛関係者のイベントにも自転車で行くことが増え、楽しみは増していきました。
そして、大きなターニングポイントになったのがやはり2004年。実践思想家・山田鷹夫さんの「不食」。そして2018年に船瀬俊介先生の「断食・ファスティング」の本との出会い。
人間の生活の根本を揺るがすこれらの事柄は、本当に大きな刺激になりました。何度か言ってきたように、断食をしながら石川さんのホームページへの投稿をするのは本当に楽しいです。
私の文化生活の経歴みたいになってきてしまいましたが、時々これらの事も、自分の力だったのか、神様が導いてくれていたのか分からなくなる時があります。私としては、生きて行くために、そして人として心を健康に保ちながら生活をこなしてゆくのには、何をすれば良いのかを考えて来ただけのつもりです。フィギュアしか心の拠り所がなかった時期は、前述のように不安もありましたが、時が経つに連れて、フィギュア、音楽、自転車、そして断食や不食も、世界の広がりを見せて、まさしく私の生きる糧となってくれました。1994年に最初にウルトラマンのフィギュアを手に入れた時は、2024年現在、ここまで趣味やライフワークが広がってくるとは思ってもいませんでした。
楽しみがある事は、やはりつらい仕事を乗り切る力にもなります。今現在、私は不食の達成に力を入れているところですが、もし達成されたらより人生を楽しむ力になるようにと願って止みません。本当に「石の上にも3年」、3年どころか30年近くもかかった物もありますが、楽しみが本当に人生の糧になること、そしてこれからもこれらの事と歩んでゆけるように、そういう努力は惜しまないでやってゆきたい所です。 2024/2/2(Sankaku)
夢中になることを見つけられたのは本当に人生の宝物。それを見つけるのにも才能がいる。生きることは何かに凝って、夢中になって時間を忘れて過ごすこと。ブラボー! 2024/2/2(石川浩司)
私が19,20歳のころ、やたらと気持ちや心が不安定で、物事によっては苛烈なまでに、神経が焼き切れる位に悩んでいた時のことです。
ある時に母親と言い争いになったのですが、母親は「私だって、今のアナタみたいに何事も悩んで苦しかった時期があるんだ」と主張してきました。
これは非常にみっともない事です。要するにこれは力を誇示しているだけ。自分も多感だった頃があったと若さを主張しているのです。
人生の先輩だったら、そういう時期もあった事も含め、どのように乗り越えて行けばいいかを教えるべきはず。その時点で母親はもう3分の1か半分ばかり、人生を降りていたのかもしれません。
その時の私は、例えばグミキャンディーを買う時、いちご味を買うかオレンジ味を買うか、どっちの方がキチンと満足できるかという細かい事にまで、本当にすごく悩んで迷う傾向がありました。
しかし、今となってはこれらの事も良い意味で糧になったのではと思います。ひとつの所感としては、スーパーやショッピングストアーに入っても迷う事が無く、欲しいものをすぐに手に取ることが出来ます。かといって焦っていたり、変に急いでいる訳でもなく、ゆっくりと店内を見回る余裕も持ち合わせている所です。
若い頃のあの様な時期が、今になってどの様に作用しているのか、詳しい事は分かりませんが、何らかの力になったとは感じている所です。
若い頃は多かれ少なかれ気が狂っているもの。しかしそれでも、それらの物は後年になって能力や才能にも成る事もある様です。
私も3,4年前にカラオケが趣味になりましたが、2001年頃に独りカラオケを始めてから、ターニングポイントなった楽曲「千本桜〈初音ミク〉」に出会うまで、20年近くの時間を要しています。
努力してやる‼と前のめりになるでもなく、シラケて何もやらない訳でもなく、ニュートラルな気持ちで出来る事をキチンと修めてゆく。
私も普通に生きているだけのつもりですが、尊敬する上司の女性から「Sankaku君は今がまさに青春だ!!」というお言葉をいただきました。石川さんも言われているように「継続は力なり」なのかもしれません。
1日1日を無駄にする事なく、出来る事をなるべく無理なくやってゆく。前述の様に、意気込み過ぎずシラケ過ぎず、ニュートラルな気持ちでやってゆけば、いつの間にか道が拓けてくるのかもしれません。 2024/2/2(Sankaku)
そうそう。力を入れることばかりが重要ではない。「ここぞ」という時にだけパワーを出して、あとはなるべくニュートラルに、のほほんと。そうじゃなきゃ疲れちゃうよ。疲れは万病の元。 2024/2/2(石川浩司)
人生が波に乗ってから出会った物にも良い物はあったけれど、何かしらの波が来る前に出会った物も捨てがたい物があります。
音楽においては、例えば音楽に全然興味がなかった1992年に〈私は小学2年生〉、井上陽水さんが武道館ライブをやっていらしたり、何よりもたまが活躍していたりと、そういう時に限って、何かしら振るっているものがありました。
また私の人生が躍進した年〈2013年〉の前の年に、映画「るろうに剣心」〈2012〉が放映され、上映終了直前に観覧、そしてパンフレットを購入し、ぎりぎりセーフでした。
人生が波に乗る前に出会った物事も、タイムカプセルとしての役割を果たしてくれています。の
今、輝いているもの、永く輝くものをつかむのは、やはり難しい事なのでしょうか。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の言葉通り、本当に世の中にはいろいろな物事があって、楽しくもあり煩わしくもありだと思います。
楽しさと煩わしさが同居している場合もあるしね。この世はカオス。 2024/6/11(石川浩司)
何年か前に、不食の弁護士・秋山佳胤 先生の講演会のDVDを買ったのですが、その中に「私たちが真の自由に生きれば、世界は調和に向かう」という項目がありました。
秋山先生は神様たちの会議を見学したことがあるそうですが、非常に興味深いお言葉だと思いました。
悪い意味で人類が主導権を握り、もはや地球環境や自然を破壊することに躍起になっているこの地球社会。「真の自由」がどういう物なのかは、ちょっと精査しなくてはいけないのかもしれませんが、非常に興味深いお言葉のように思います。 2024/7/27(Sankaku)
「自由」難しい定義。もしかしたらそこには「戦争する自由」も入ってるのかもしれない。 2024/7/27(石川浩司)
今の自分のこの人生、まだまだ道半ば。でもこういう人生もかなり後半に近づいてきた感は強くなってきた。60代に差し掛かり、そして70代に向かって日々幾星霜こんな毎日が続いている。私、もうすぐ人生終わるでしょう。そういう時期です。まだ呼吸は深く吸い込んで吐き出しています続いていますが、いますが、でも死んでいきそうな今日2024年7月下旬の私です。 2024/7/27(波照間エロマンガ島)
わかるねえ〜。感覚としては体力の衰えなどは感じつつも気持ちは若い頃とあまり変わってない印象。ただ「平均寿命80歳、平均健康年齢70歳ちょい」という一般的な記事などを読むと、もう秒読み段階に入ってるなと。もちろん個人個人で違うので90歳近くでも元気な人もいるけど、逆に言えば60歳前後で天に召される人も多く見てるからねえ。嗚呼、このホームページもいつまで...。 2024/7/27(石川浩司)
人生において、本当に凄いことを成し遂げるという事は、割と順序や段階を踏んで到達するものなのかもしれません。
2018年、2019年に斉藤哲也さんの音楽教室を受講したのですが、私と斉藤先生がどのようなやり方でレッスンを進めてゆくのか模索している中で、私の楽曲を斉藤さんがピアノで伴奏しそれに合わせて私が歌唱しました。
2回目と3回目のレッスンはレッスンの模様を録音させていただいたのですが、後になって考えてみれば、私にとってはエライものを録音できた感じです。
憧れのミュージシャンである斉藤さんが、なんと自分の楽曲を演奏してくれる。すごいスリルを感じます!!
斉藤さんも、バンド・たまのメンバーに鍛えられ、アレンジの腕が非常に冴えていらっしゃいました。
4,5回、楽曲を聞いただけで楽曲の内容〈コード進行 など〉を把握し、細かなところでもこういう演奏をしてほしい、という所も、私の言葉を聞くことなく、きちんと要点を押さえていました。〈その時の私の楽曲も割と簡単な作りだった事もあるかもしれませんが〉
下手な有名人よりも腕のある、憧れのミュージシャンが指導してくれるという事で、私も多少浮かれあがった気持ちはありましたが、レッスン中は先生の失礼にならないように真剣に取り組みました。その流れの中で貴重音源が録音できましたが、やはりすごい物が取得できたという感じです。
人から見れば羨ましがられるような栄誉も、実は段階をもって進めるものであり、本人にとってはそれほど特別には感じない事もあるのかもしれません。
その点、たまも、イカ天の番組史上、最も世の中を驚かせたバンドとの評価を得ていらっしゃいますが、石川さんたちメンバーの話や音楽活動の進み方を見ていると、やはり時間をかけて、いろんな試行錯誤や試みを重ねてスタイルを確立していらっしゃったので、たまをよく知る人たちから見れば、それほど特別なことをしている訳ではない、と思える所もあるのかもしれません。 2024/10/18(Sankaku)
まあぶっちゃけ時間はかけているよね。ほんで斉藤くんはホント凄い。一瞬で曲を理解して弾いてくれる。奥さんも同様で「プロフェッショナルな夫婦だなー」といつも思うな。 2024/10/18(石川浩司)
2003年、作家の石田衣良 先生〈いしだいら〉が直木賞を受賞されました。
2000年ごろ、石田先生の小説がテレビドラマになり、話題になりましたが、その原作本が当時私が通っていた高校の図書室に入ってきました。
「池袋ウエストゲートパーク」
ドラマよりはるかにエッジが効いていて、刺激的な内容でした。私がまだ子供だった事もあり、人生で最も夢中になった文学作品です。
これに影響され、石田先生の別の作品も読破。「うつくしい子ども」「エンジェル」「娼年〈しょうねん〉」など
どれもとても刺激が強く、センセーショナルな内容の作品でした。「池袋~」の第2巻は徹夜をするほど夢中になって読みました‼
そんな事もあり、石田先生の作品の凄さは私も分かっていたので、直木賞を受賞された時も、それほど変に心が揺れ動かなかった記憶があります。石田先生のご家族も、良くも悪くもそれほど湧きあがらなかった様です。下手をすれば賞を受賞した作品よりも、「池袋~」の方がすごいのでは、とも思います。
やはり前の話題のように、凄い事は順序や段階を経て到達してゆくものであり、下手に自分を誇張してやるものではないのでは、という感じです。潜伏期間というものもあるように、自分の引き出しや出来ることを磨き上げる。世の中の煩雑さに惑わされず、じっくりと自分を磨く事も、成功へのひとつのポイントなのかもしれません。 2024/10/18(Sankaku)
つまり日常の継続。そこに何を入れるかは人それぞれ。 2024/10/18(石川浩司)
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